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'''岡山 恭崇'''
'''岡山 恭崇'''(おかやま やすたか、[[1954年]][[11月29日]] - )は、[[熊本県]]出身の元[[バスケットボール]]選手。現役時代のポジションはセンター。
(おかやま やすたか、[[1954年]][[11月29日]] - )は、[[熊本県]]出身の元[[バスケットボール]]選手。現役時代のポジションはセンター。


日本人で初めて[[NBAドラフト]]で指名を受けた選手である。
== 人物 ==
[[九州学院中学校・高等学校|九州学院高校]]卒業。[[大阪商業大学]]進学と同時にバスケットボールを始めた。中学高校時代は柔道選手(二段取得)であり、柔道選手としていくつか大学から勧誘もあったが、大商大バスケットボール部監督の人柄に引かれて転向を決意した<ref>[http://www.sanseido-publ.co.jp/sports/2005_just_sports_person_okayama.html Sports Just誌2005年4 - 5月号] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080307064344/http://www.sanseido-publ.co.jp/sports/2005_just_sports_person_okayama.html |date=2008年3月7日 }}</ref>。[[1979年]]、[[住友金属工業]]に入社し、[[住友金属スパークス|籠球団]]に所属。同年、[[バスケットボール日本リーグ機構|日本リーグ]]のリバウンド王、新人王を獲得。身長は歴代日本人選手最長の230cm、体重150kg。靴の大きさ37cmだった。[[2016]]現在、存命中の日本人としては最長身。


== 人物 ==
現役時代に周囲よりつけられた[[あだ名]]は、その容姿の逆をあえて言った『'''チビ'''』であった。
[[九州学院中学校・高等学校|九州学院高校]]卒業。[[大阪商業大学]]進学と同時にバスケットボールを始めた。中学高校時代は柔道選手(二段取得)であり、柔道選手としていくつか大学から勧誘もあったが、大商大バスケットボール部監督の人柄に引かれて転向を決意した<ref>[http://www.sanseido-publ.co.jp/sports/2005_just_sports_person_okayama.html Sports Just誌2005年4 - 5月号] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080307064344/http://www.sanseido-publ.co.jp/sports/2005_just_sports_person_okayama.html |date=2008年3月7日 }}</ref>。[[1979年]]、[[住友金属工業]]に入社し、[[住友金属スパークス|籠球団]]に所属。同年、[[バスケットボール日本リーグ機構|日本リーグ]]のリバウンド王、新人王を獲得。身長は歴代日本人選手最長の230cm、体重158kgだった。2019年現在、存命中の日本人としては最長身。
現役時代に周囲よりつけられた[[あだ名]]は、その容姿の逆をあえて言った『'''チビ'''』であった。ちなみに、家族は父親が172cm、母親が158cm、妹が162cmと普通サイズである。[https://j-man.net/archives/5918]


===来歴===
===来歴===
身長230cm(7フィート7インチ)の長身を生かしたプレーが魅力で、得点王や敢闘賞などの個人タイトルも数多く獲得。一方で[[バスケットボール男子日本代表|全日本]]の中心選手として1979年から8年間に渡り活躍した。[[1981年のNBAドラフト]]では、[[ゴールデンステート・ウォリアーズ]]からドラフト8巡の10番目で指名を受けた<ref>[http://www.databasebasketball.com/draft/draftyear.htm?yr=1981&lg=n databasebasketball.com] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100317223212/http://www.databasebasketball.com/draft/draftyear.htm?yr=1981&lg=N |date=2010年3月17日 }}</ref>。NBAのドラフト指名は日本人初。しかし、プレーはしてい
身長230cm(7フィート7インチ)(227cmと表記されていることもあった。)の長身を生かしたプレーが魅力で、得点王や敢闘賞などの個人タイトルも数多く獲得。一方で[[バスケットボール男子日本代表|全日本]]の中心選手として1979年から8年間に渡り活躍した。[[1981年のNBAドラフト]]では、[[ゴールデンステート・ウォリアーズ]]からドラフト8巡の10番目で指名を受けた<ref>[http://www.databasebasketball.com/draft/draftyear.htm?yr=1981&lg=n databasebasketball.com] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100317223212/http://www.databasebasketball.com/draft/draftyear.htm?yr=1981&lg=N |date=2010年3月17日 }}</ref>。NBAのドラフト指名は日本人初。しかし、主力選手を失うことになる住友金属が移籍に難色を示したことや、岡山本人もオリンピック出場を希望していたこともあり(当時NBA選手のオリンピック出場は禁止されていた)交渉は進まず、プレーすることはなかった


[[1990年]]に現役を引退し、アメリカでのコーチ研修を経て1993年から1995年まで住友金属アシスタントコーチ。1996年から1999年まで母校である大阪商業大学アシスタントコーチを務めた。
[[1990年]]に現役を引退し、アメリカでのコーチ研修を経て1993年から1995年まで住友金属アシスタントコーチ。1996年から1999年まで母校である大阪商業大学アシスタントコーチを務めた。


現在は2010年4月から関根床用鋼板株式会社の社業と並行し、テレビ番組出演などでバスケットボールの普及活動に当たっている。「やすたか」が発音しにくいのかアメリカでは、たまに間違ってYasutaku Okayama(おかやま やすたく)と紹介されている場合もあった
現在は2010年4月から関根床用鋼板株式会社の社業と並行し、テレビ番組出演などでバスケットボールの普及活動に当たっている。

== 経歴 ==
*大阪商業大 - 住友金属(1979年〜1990年)

===受賞歴===

===日本代表歴===


==著書==
==著書==
*岡山恭崇の楽しいバスケットボール (小峰書店、1989年) ISBN 9784338085045
*岡山恭崇の楽しいバスケットボール小峰書店、1989年)ISBN 9784338085045


== 参照 ==
== 脚注 ==
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*[[千種信雄]]
*[[千種信雄]]
*[[菅谷徹]] - 日本現役最長身スポーツ選手(215cm、バスケットボール)
*[[菅谷徹]] - 日本現役最長身スポーツ選手(215cm、バスケットボール)

== 外部リンク ==
*[http://checker.co.jp/salesman 営業社員紹介:岡山恭崇] - 関根床用鋼板

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[[Category:日本の男子バスケットボール選手]]
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2023年11月28日 (火) 20:17時点における最新版

岡山恭崇
Okayama Yasutaka
引退
ポジション センター
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1954-11-29) 1954年11月29日(69歳)
出身地 熊本県の旗熊本県上益城郡益城町
身長(現役時) 230cm (7 ft 7 in)
体重(現役時) 158kg (348 lb)
キャリア情報
出身 九州学院高校
大阪商業大学
ドラフト 1981年 8巡目171位 [1]
選手経歴
1979-1990 住友金属
獲得メダル
日本の旗 日本
バスケットボール
アジア競技大会
1982 ニューデリー 男子

岡山 恭崇 (おかやま やすたか、1954年11月29日 - )は、熊本県出身の元バスケットボール選手。現役時代のポジションはセンター。

日本人で初めてNBAドラフトで指名を受けた選手である。

人物

[編集]

九州学院高校卒業。大阪商業大学進学と同時にバスケットボールを始めた。中学高校時代は柔道選手(二段取得)であり、柔道選手としていくつか大学から勧誘もあったが、大商大バスケットボール部監督の人柄に引かれて転向を決意した[2]1979年住友金属工業に入社し、籠球団に所属。同年、日本リーグのリバウンド王、新人王を獲得。身長は歴代日本人選手最長の230cm、体重158kgだった。2019年現在、存命中の日本人としては最長身。 現役時代に周囲よりつけられたあだ名は、その容姿の逆をあえて言った『チビ』であった。ちなみに、家族は父親が172cm、母親が158cm、妹が162cmと普通サイズである。[1]

来歴

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身長230cm(7フィート7インチ)(227cmと表記されていることもあった。)の長身を生かしたプレーが魅力で、得点王や敢闘賞などの個人タイトルも数多く獲得。一方で全日本の中心選手として1979年から8年間に渡り活躍した。1981年のNBAドラフトでは、ゴールデンステート・ウォリアーズからドラフト8巡の10番目で指名を受けた[3]。NBAのドラフト指名は日本人初。しかし、主力選手を失うことになる住友金属が移籍に難色を示したことや、岡山本人もオリンピック出場を希望していたこともあり(当時NBA選手のオリンピック出場は禁止されていた)交渉は進まず、プレーすることはなかった。

1990年に現役を引退し、アメリカでのコーチ研修を経て1993年から1995年まで住友金属アシスタントコーチ。1996年から1999年まで母校である大阪商業大学アシスタントコーチを務めた。

現在は2010年4月から関根床用鋼板株式会社の社業と並行し、テレビ番組出演などでバスケットボールの普及活動に当たっている。

著書

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  • 岡山恭崇の楽しいバスケットボール(小峰書店、1989年)ISBN 9784338085045

脚注

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関連項目

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外部リンク

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