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「クルナ (ジョチ家)」の版間の差分

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== 概要 ==
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[[file:Facial Chronicle - b.08, p.197 - Murder of Qulpa.jpg|thumb|『[[絵入り年代記集成]]』に描かれるクルナ・ハンの殺害]]
クルナの出自は明らかではないが、一説には[[ジャニベク・ハン]]の息子で、先代ハンのベルディ・ベクや後継者のナウルーズの弟ともされる<ref>{{Harvnb|赤坂|2005|p=15}}</ref>。しかし、ジャニベク・ハンの息子であるベルディ・ベクは生後8月の弟を含む12人もの近親者を虐殺したとされており、クルナ/クルパがジャニベク・ハンの息子である可能性は低いと考えられる。
クルナの出自は明らかではないが、一説には[[ジャニベク・ハン]]の息子で、先代ハンのベルディ・ベクや後継者の[[ナウルーズ (ジョチ家)|ナウルーズ]]の弟ともされる<ref>{{Harvnb|赤坂|2005|p=15}}</ref>。しかし、ジャニベク・ハンの息子であるベルディ・ベクは生後8月の弟を含む12人もの近親者を虐殺したとされており、クルナクルパがジャニベク・ハンの息子である可能性は低いと考えられる。


クルナ・ハンは先代ハンで、バトゥ直系最後のハンとなったベルディ・ベを殺害してハン位についた<ref name="kawaguti284">{{Harvnb|川口|1997|p=284}}</ref>。ロシアの年代記によると、クルナの治世は6月と5日で、多くの悪事を働き、最後には息子のミハイルとイワンとともに、次のハンとなったナウルーズに殺されたとされる<ref name="kawaguti284"/>。16世紀に編纂された『[[チンギズ・ナーマ]]』ではベルディ・ベ・ハンの死後にジョチ・ウルスの民は右翼(西半)を支配する[[ママイ]]と左翼(東半)を支配するテンギズ・ブカによって分割されたとあり、これをそのまま史実とは見なせないが、クルナの治世は各地の有力勢力の自立化が進んだ時代と考えられている<ref>{{Harvnb|川口|1997|pp=287-288}}</ref><ref>{{Harvnb|加藤|1989|pp=52-53}}</ref>。
クルナ・ハンは先代ハンで、バトゥ直系最後のハンとなったベルディ・ベを殺害してハン位についた<ref name="kawaguti284">{{Harvnb|川口|1997|p=284}}</ref>。ロシアの年代記によると、クルナの治世は6月と5日で、多くの悪事を働き、最後には息子のミハイルとイワンとともに、次のハンとなったナウルーズに殺されたとされる<ref name="kawaguti284"/>。16世紀に編纂された『[[チンギズ・ナーマ]]』ではベルディ・ベ・ハンの死後にジョチ・ウルスの民は右翼(西半)を支配する[[ママイ (キヤト部)|ママイ]]と左翼(東半)を支配するテンギズ・ブカによって分割されたとあり、これをそのまま史実とは見なせないが、クルナの治世は各地の有力勢力の自立化が進んだ時代と考えられている<ref>{{Harvnb|川口|1997|pp=287-288}}</ref><ref>{{Harvnb|加藤|1989|pp=52-53}}</ref>。


== バトゥ家 ==
== バトゥ家 ==
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***[[トクカン]](Tuquqan >توقوقان/tūqūqān)
***[[トクカン]](Tuquqan >توقوقان/tūqūqān)
****[[ダルブ]](Darbu >داربو/dārbū)
****[[ダルブ]](Darbu >داربو/dārbū)
*****<sup>7</sup>[[トゥラ・ブカ|トレ・ブカ]](Töle Buqa >تولا بوقا/tūlā būqā)
*****<sup>7</sup>[[トゥラ・ブカ|トレ・ブカ]](Töle buqa >تولا بوقا/tūlā būqā)
*****<sup>7-2</sup>[[ゴンチェク]](Könček >كونجك/kūnjak)
*****<sup>7-2</sup>[[ゴンチェク (ジョチ家)|ゴンチェク]](Könček >كونجك/kūnjak)
****<sup>5</sup>[[モンケ・テムル|モンケ・テムル王]](Möngke temür >忙哥帖木児/mánggē tièmùér,مونككه تيمور/mūnkka tīmūr)
****<sup>5</sup>[[モンケ・テムル|モンケ・テムル王]](Möngke temür >忙哥帖木児/mánggē tièmùér,مونككه تيمور/mūnkka tīmūr)
*****<sup>7-3</sup>[[モンケ・テムル#子孫|アルグイ]]({{lang|mn|Alγuy}} >الغوى/ālghūī)
*****<sup>7-3</sup>[[モンケ・テムル#家族|アルグイ]]({{lang|mn|Alγuy}} >الغوى/ālghūī)
*****<sup>8</sup>[[トクタ]](Toqta >脱脱/tuōtuō,توقتا/tūqtā)
*****<sup>8</sup>[[トクタ]](Toqta >脱脱/tuōtuō,توقتا/tūqtā)
*****<sup>7-4</sup>[[トリルチャ]]({{lang|mn|Toγrilča}} >طغریلجه/ṭughurīlja)
*****<sup>7-4</sup>[[トリルチャ]]({{lang|mn|Toγrilča}} >طغریلجه/ṭughurīlja)
******<sup>9</sup>[[ウズベク・ハン|ウズベク]](Öz Beg >月即別/yuèjíbié,اوزبك/ūzbik)
******<sup>9</sup>[[ウズベク・ハン|ウズベク]](Özbeg >月即別/yuèjíbié,اوزبك/ūzbīk)
*******<sup>10</sup>[[ティーニー・ベク]](Tini Beg >تينى بيك/tīnī bīk)
*******<sup>10</sup>[[ティーニー・ベク]](Tini beg >تينى بيك/tīnī bīk)
*******<sup>11</sup>[[ジャーニー・ベク]](Jani Beg >札尼別/zháníbié,جانى بيك/jānī bīk)
*******<sup>11</sup>[[ジャーニー・ベク]](Jani beg >札尼別/zháníbié,جانى بيك/jānī bīk)
********<sup>12</sup>[[ベルディ・ベク]](Berdi Beg >بيردى بيك/bīrdī bīk)
********<sup>12</sup>[[ベルディ・ベク]](Berdi beg >بيردى بيك/bīrdī bīk)
********<sup>13?</sup>'''クルナ'''(Qulna >قلنا/qulnā)
********<sup>13?</sup>'''クルナ'''(Qulna >قلنا/qulnā)
********<sup>14?</sup>[[ナウルーズ (ジョチ家)|ナウルーズ]](Nawrūz >نوروز/nawrūz)
********<sup>14?</sup>[[ナウルーズ (ジョチ家)|ナウルーズ]](Nawrūz >نوروز/nawrūz)
********<sup>20?</sup>'''[[ケルディ・ベク]]'''(Kildi Beg >کلدی بک/keldī bīk)
****<sup>6</sup>[[トダ・モンケ|トデ・モンケ王]](Töde möngke >脱脱蒙哥/tuōtuō ménggē,تودا مونككه/tūdā mūnkka)
****<sup>6</sup>[[トダ・モンケ|トデ・モンケ王]](Töde möngke >脱脱蒙哥/tuōtuō ménggē,تودا مونككه/tūdā mūnkka)
***[[バトゥ#子孫|エブゲン]](Ebügen >ابوكان/abūkān)
***[[バトゥ#子孫|エブゲン]](Ebügen >ابوكان/abūkān)
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2023年12月11日 (月) 13:42時点における最新版

クルナ・ハン(قلنا خان /qulnā khān、? - 1360年)、もしくはクルパ・ハン(قلپا خان /qulpā khān)は、バトゥ家断絶後(1359年8-9月から1360年1月)のジョチ・ウルスハン。先代ハンのベルディ・ベクを殺害して即位したものの、ジョチ・ウルス全体を統治する力を失い、ジョチ・ウルスに「大紛乱(эамятня беликая)」と呼ばれる混乱時代をもたらしたことで知られる[1]

概要[編集]

絵入り年代記集成』に描かれるクルナ・ハンの殺害

クルナの出自は明らかではないが、一説にはジャニベク・ハンの息子で、先代ハンのベルディ・ベクや後継者のナウルーズの弟ともされる[2]。しかし、ジャニベク・ハンの息子であるベルディ・ベクは生後8カ月の弟を含む12人もの近親者を虐殺したとされており、クルナ(クルパ)がジャニベク・ハンの息子である可能性は低いと考えられる。

クルナ・ハンは先代ハンで、バトゥ直系最後のハンとなったベルディ・ベクを殺害してハン位についた[3]。ロシアの年代記によると、クルナの治世は6カ月と5日で、多くの悪事を働き、最後には息子のミハイルとイワンとともに、次のハンとなったナウルーズに殺されたとされる[3]。16世紀に編纂された『チンギズ・ナーマ』ではベルディ・ベク・ハンの死後にジョチ・ウルスの民は右翼(西半)を支配するママイと左翼(東半)を支配するテンギズ・ブカによって分割されたとあり、これをそのまま史実とは見なせないが、クルナの治世は各地の有力勢力の自立化が進んだ時代と考えられている[4][5]

バトゥ家[編集]

先述したように、クルナがバトゥ家の出身である可能性は低いと考えられる。

脚注[編集]

  1. ^ 加藤 1989, pp. 50–52
  2. ^ 赤坂 2005, p. 15
  3. ^ a b 川口 1997, p. 284
  4. ^ 川口 1997, pp. 287–288
  5. ^ 加藤 1989, pp. 52–53

参考文献[編集]

  • 赤坂, 恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』風間書房、2005年2月。ISBN 4759914978NCID BA71266180OCLC 1183229782 
  • 加藤, 一郎「14世紀前半キプチャク汗国とロシア : 汗国史へのエチュード(3)」『言語と文化』第2号、文教大学、1989年6月、49-69頁、NAID 120006418487 
  • 川口, 琢司「キプチャク草原とロシア」『中央ユーラシアの統合 : 9-16世紀』岩波書店〈岩波講座世界歴史 11〉、1997年11月、275-302頁。ISBN 400010831XNCID BA33053662OCLC 170210973 
  • 川口, 琢司 (1880-11). “キプチャク草原とロシア”. History of the Mongols from the 9th to the 19th Century. 岩波講座世界歴史 11. 岩波書店. pp. 275-302. ISBN 400010831X. NCID BA33053662. OCLC 170210973 
  • Howorth, Henry Hoyle (1970). History of the Mongols from the 9th to the 19th Century. II. London: Longmans, Green. NCID BA08286614 
先代
ベルディ・ベク
ジョチ・ウルスのハン
1359年 - 1360年
次代
ナウルーズ