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[[File:Nara National Museum by Emperor Shomu.jpg|thumb|300px|[[聖武天皇]]筆<ref>[https://www.narahaku.go.jp/guide/03.html 施設案内 - 東新館・西新館『奈良奈良国立博物館公式サイト』]</ref> 新館館名表示]]
[[File:Nara National Museum by Emperor Shomu.jpg|thumb|300px|新館入口の館名表示。[[聖武天皇]]筆『雑集』([[正倉院]]宝物)から集字<ref>[https://www.narahaku.go.jp/guide/03.html 施設案内 - 東新館・西新館『奈良奈良国立博物館公式サイト』]</ref>]]
'''奈良国立博物館'''(ならこくりつはくぶつかん)は、[[奈良県]][[奈良市]]登大路町にある、[[独立行政法人]][[国立文化財機構]]が運営する[[博物館]]である。館長は[[松本伸之]]。2020年3月31日時点で、[[国宝]]13件、[[重要文化財]]114件を含む収蔵品の総数は1,911件<ref name="gaiyou2020">[https://www.nich.go.jp/wp/wp-content/uploads/2020/08/gaiyo2020.pdf 『国立文化財機構概要 2020』 p.7 - p.8]</ref>。これとは別に、国宝52件、重要文化財306件を含む総数1,974件の寄託品を収蔵している<ref name="gaiyou2020"/>。2019年度の平常展の展示替え件数は239件、展示総件数は461件<ref name ="hyouka2019">[https://www.nich.go.jp/wp/wp-content/uploads/2020/07/2019_jikotenken03-2.pdf 平成30年度評価結果 自己点検評価報告書]</ref>。同年度の来館者数は約61万人で<ref name="gaiyou2020"/>、平常展来場者は約16万人<ref name ="hyouka2019"/>。
'''奈良国立博物館'''(ならこくりつはくぶつかん)は、[[奈良県]][[奈良市]]登大路町にある、[[独立行政法人]][[国立文化財機構]]が運営する[[博物館]]である。館長は井上洋一。[[2020年]]3月31日時点で、[[国宝]]13件、[[重要文化財]]114件を含む収蔵品の総数は1,911件<ref name="gaiyou2020">[https://www.nich.go.jp/wp/wp-content/uploads/2020/08/gaiyo2020.pdf 『国立文化財機構概要 2020』 p.7 - p.8]</ref>。これとは別に、国宝52件、重要文化財306件を含む総数1,974件の寄託品を収蔵している<ref name="gaiyou2020"/>。[[2019年|2019年度]]の平常展の展示替え件数は239件、展示総件数は461件<ref name="hyouka2019">[https://www.nich.go.jp/wp/wp-content/uploads/2020/07/2019_jikotenken03-2.pdf 令和元年度評価結果 自己点検評価報告書]</ref>。同年度の来館者数は約61万人で<ref name="gaiyou2020" />、平常展来場者は約16万人<ref name="hyouka2019" />。


== 概要 ==
== 概要 ==
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== 沿革 ==
== 沿革 ==
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[[ファイル:140927 Research Center for Buddhist Art Materials of Nara National Museum Nara Japan04n.jpg|thumb|220px|none|旧奈良県物産陳列所(重要文化財、現・仏教美術資料研究センター)]]
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館は[[1895年]](明治28年)、'''帝国奈良博物館'''として開館した。開館での前史として、[[奈良博覧会]]の存在を看過すことはできない。[[1874年]](明治7年)、当時の[[奈良県庁|奈良県]][[県令|権令]]・[[藤井千尋]]が中心となり、官民合同の奈良博覧会社が設立された。翌1875年(明治8年)開催された第1回奈良博覧会は、[[東大寺]]大仏殿と周囲の回廊を会場として、[[正倉院]]宝物をはじめ、社寺や個人から出品された書画、古器物、動植物標本、機械類などを陳列した。80日間の会期中にのべ17万人が訪れる大盛況であったことが当時の記録からわかる。その後奈良博覧会は[[1877年]](明治10年)を除いて毎年開催され、[[1890年]](明治23年)までに計15回を数えた<ref>(河原、1997)、p.257</ref>
館は[[1895年]](明治28年)、'''帝国奈良博物館'''として開館した。開館へは、寺社が1875年(明治8年)の[[上知令]]で[[寺社領|所領]]が国に没収され困窮し、さらに1868年[[廃仏毀釈]]で仏像仏画などの文化財の破壊や盗難が放縦し、宝物の散逸を設置により保護することが主な目的としてあった。博物館の観覧収入を社寺への補助金に充てる構想も実現に至らなかったが、提示された。そのほかに海外の万国博覧会や国内の博覧会での日本文化展示が好評で、日本文化が再評価され国威発揚の一環として、文化政策と情報発信の推進が求められた<ref>[https://web.archive.org/web/20190315192855/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41272440U9A210C1AA2P00/ 2019年2月15日日経新聞「文化財保護、関西が先導 明治以降の歩みたどる企画展(もっと関西)」]</ref>。さらに奈良での前史として、[[奈良博覧会]]の存在がある。[[1874年]](明治7年)、当時の[[奈良県庁|奈良県]][[県令|権令]]・[[藤井千尋]]が中心となり、官民合同の奈良博覧会社が設立された。翌1875年(明治8年)開催された第1回奈良博覧会は、[[東大寺]]大仏殿と周囲の回廊を会場として、[[正倉院]]宝物をはじめ、社寺や個人から出品された書画、古器物、動植物標本、機械類などを陳列した。80日間の会期中にのべ17万人が訪れる大盛況であったことが当時の記録からわかる。その後奈良博覧会は[[1877年]](明治10年)を除いて毎年開催され、[[1890年]](明治23年)までに計15回を数えた<ref>(河原、1997)、p.257</ref>


当時、東京上野にはすでに[[宮内省]]所管の博物館([[東京国立博物館]]の前身)があったが、[[1889年]](明治22年)、宮内大臣通達により東京の博物館の名称を「帝国博物館」に改めるとともに、[[京都]]と[[奈良]]にもそれぞれ帝国博物館を設置することが決まった。機関としての帝国奈良博物館の発足はこの時である。こうして、[[興福寺]]旧境内である現在地で[[1892年]](明治25年)より建設工事が始まり、[[1894年]]に本館が竣工、翌[[1895年]]4月29日に開館した。館長は奈良県知事[[古沢滋]]が兼務していたが、1895年10月に山高信離(のぶあきら)が館長となった(当時開館準備中であった帝国京都博物館長と兼務)。[[1900年]](明治33年)には館名を'''奈良帝室博物館'''に改めている。この呼称は[[1947年]](昭和22年)まで使われた<ref>(河原、1997)、pp.257 - 259</ref>
当時、東京上野にはすでに[[宮内省]]所管の博物館([[東京国立博物館]]の前身)があったが、[[1889年]](明治22年)、宮内大臣通達により東京の博物館の名称を「帝国博物館」に改めるとともに、[[京都]]と[[奈良]]にもそれぞれ帝国博物館を設置することが決まった。機関としての帝国奈良博物館の発足はこの時である。こうして、[[興福寺]]旧境内である現在地で[[1892年]](明治25年)より建設工事が始まり、[[1894年]]に本館が竣工、翌[[1895年]]4月29日に開館した。館長は奈良県知事[[古沢滋]]が兼務していたが、1895年10月に[[山高信離]]が館長となった(当時開館準備中であった帝国京都博物館長と兼務)。[[1900年]](明治33年)には館名を'''奈良帝室博物館'''に改めている。この呼称は[[1947年]](昭和22年)まで使われた<ref>(河原、1997)、pp.257 - 259</ref>


1895年の開館時の出品目録を見ると、御物(皇室所蔵品)の拝借品、東京の帝国博物館からの出品、および個人所蔵者からの出品に限られており、社寺からの出品はこの時点ではまだ行われていなかった。前述の御物拝借品には、法隆寺献納宝物の聖徳太子像(阿佐太子像)、法華義疏、竜首水瓶、麻耶夫人及び侍者像などが含まれている。また、この時、東京の帝国博物館からの出品された作品の一部は1904年(明治37年)に帝国奈良博物館に寄贈され、現在も奈良国立博物館の所蔵品となっている<ref>この時の寄贈品は銅鉾(長崎県対馬市豊玉町佐志賀黒島出土)、銅鐸(静岡県浜松市北区三ヶ日町釣荒神山出土)など(『奈良国立博物館の名宝 一世紀の軌跡』、pp.266, 278)。</ref>。社寺からの寄託出品が盛んになったのは、1903年(明治36年)に開催された「奈良県下国宝展」が契機になったとみられる<ref>(河原、1997)、pp.261 - 266, 271</ref>
1895年の開館時の出品目録を見ると、御物(皇室所蔵品)の拝借品、東京の帝国博物館からの出品、および個人所蔵者からの出品に限られており、社寺からの出品はこの時点ではまだ行われていなかった。前述の御物拝借品には、法隆寺献納宝物の聖徳太子像(阿佐太子像)、法華義疏、[[竜首水瓶]]、麻耶夫人及び侍者像などが含まれている。また、この時、東京の帝国博物館からの出品された作品の一部は1904年(明治37年)に帝国奈良博物館に寄贈され、現在も奈良国立博物館の所蔵品となっている<ref>この時の寄贈品は銅鉾(長崎県対馬市豊玉町佐志賀黒島出土)、銅鐸(静岡県浜松市北区三ヶ日町釣荒神山出土)など(『奈良国立博物館の名宝 一世紀の軌跡』、pp.266, 278)。</ref>。社寺からの寄託出品が盛んになったのは、1903年(明治36年)に開催された「奈良県下国宝展」が契機になったとみられる<ref>(河原、1997)、pp.261 - 266, 271</ref>


[[1947年]]、新憲法の公布とともに博物館は[[文部省]]に移管され、国立博物館奈良分館となった。奈良国立博物館という名称に変わったのは[[1952年]](昭和27年)からである。所管は[[1950年]](昭和25年)文化財保護委員会、[[1968年]](昭和43年)[[文化庁]]に変更し、[[2001年]](平成13年)からは[[独立行政法人]][[国立博物館]]、[[2007年]](平成19年)からは独立行政法人[[国立文化財機構]]の設置する[[博物館]]となっている。
[[1947年]]、新憲法の公布とともに博物館は[[文部省]]に移管され、国立博物館奈良分館となった。奈良国立博物館という名称に変わったのは[[1952年]](昭和27年)からである。所管は[[1950年]](昭和25年)文化財保護委員会、[[1968年]](昭和43年)[[文化庁]]に変更し、[[2001年]](平成13年)からは[[独立行政法人]][[国立博物館]]、[[2007年]](平成19年)からは独立行政法人[[国立文化財機構]]の設置する[[博物館]]となっている。
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その間、[[1972年]]には[[吉村順三]]の設計による新館が完成し、正倉院展は新館で開催されるようになる。また、本館と新館は地下道で結ばれるようになる。[[1997年]]には、やはり吉村順三の設計による東新館が完成し、従来の新館は西新館と改称する。両新館は統一デザインを採用し景観の調和を図っている。これに伴い新館側の入口が両新館の間に新設されたエントランスホールに変更され、本館を結ぶ地下道も新たに作られた「地下回廊」に変更され、[[ミュージアムショップ]]や軽食ラウンジ、トイレや簡単な展示パネル、仏像の構造や[[印相]]の解説の展示などを備えた無料ゾーンとなっている。[[2002年]]には[[古美術商]]店「不言堂」創業者[[坂本五郎]]から寄贈された大量の中国古代[[青銅器]]の常設展示スペースとして、本館付属棟(元は収蔵庫)に「青銅器館」として開設されている。[[2010年]]には本館が展示室をリニューアルして新たに「なら仏像館」として再オープンした。なお、両新館は2階のみが展示室となっている。
その間、[[1972年]]には[[吉村順三]]の設計による新館が完成し、正倉院展は新館で開催されるようになる。また、本館と新館は地下道で結ばれるようになる。[[1997年]]には、やはり吉村順三の設計による東新館が完成し、従来の新館は西新館と改称する。両新館は統一デザインを採用し景観の調和を図っている。これに伴い新館側の入口が両新館の間に新設されたエントランスホールに変更され、本館を結ぶ地下道も新たに作られた「地下回廊」に変更され、[[ミュージアムショップ]]や軽食ラウンジ、トイレや簡単な展示パネル、仏像の構造や[[印相]]の解説の展示などを備えた無料ゾーンとなっている。[[2002年]]には[[古美術商]]店「不言堂」創業者[[坂本五郎]]から寄贈された大量の中国古代[[青銅器]]の常設展示スペースとして、本館付属棟(元は収蔵庫)に「青銅器館」として開設されている。[[2010年]]には本館が展示室をリニューアルして新たに「なら仏像館」として再オープンした。なお、両新館は2階のみが展示室となっている。


[[和辻哲郎]]の『古寺巡礼』([[1919年]]刊)にも当時の奈良帝室博物館が登場する。当時の博物館には[[法隆寺]]の百済観音像、興福寺の阿修羅像などの、美術史上著名な作品が数多く寄託・展示されていた。小島貞一『奈良帝室博物館を見る人へ』(1925年)、安藤更生『美術史上の奈良博物館』(1929年)によると、当時の当館には[[興福寺]]から八部衆像、十大弟子像、無著・世親像、北円堂四天王像、金剛力士像、天燈鬼・龍燈鬼像などが寄託され、他に[[法輪寺 (奈良県斑鳩町)|法輪寺]]虚空蔵菩薩立像、[[大安寺]]楊柳観音立像、[[秋篠寺]]伎芸天立像、[[橘寺]]日羅立像、[[海龍王寺]]五重小塔、[[元興寺]](極楽坊)五重小塔などが寄託展示されていた<ref>岩田茂樹「奈良国立博物館の仏像展示」『なら仏像館名品図録』、奈良国立博物館、2012、pp.6 - 9</ref>。第二次大戦後、各地の社寺において鉄筋コンクリートの宝物館・収蔵庫の新設が相次ぎ、博物館に寄託されていた仏像等は元の寺院に返還されるケースが多くなっている<ref>岩田前掲論文、p.11</ref>。
[[和辻哲郎]]の『[[古寺巡礼 (和辻哲郎)|古寺巡礼]]』([[1919年]]刊)にも当時の奈良帝室博物館が登場する。当時の博物館には[[法隆寺]]の百済観音像、興福寺の阿修羅像などの、美術史上著名な作品が数多く寄託・展示されていた。小島貞一『奈良帝室博物館を見る人へ』(1925年)、安藤更生『美術史上の奈良博物館』(1929年)によると、当時の当館には[[興福寺]]から八部衆像、十大弟子像、無著・世親像、北円堂四天王像、金剛力士像、天燈鬼・龍燈鬼像などが寄託され、他に[[法輪寺 (奈良県斑鳩町)|法輪寺]]虚空蔵菩薩立像、[[大安寺]]楊柳観音立像、[[秋篠寺]]伎芸天立像、[[橘寺]]日羅立像、[[海龍王寺]]五重小塔、[[元興寺]](極楽坊)五重小塔などが寄託展示されていた<ref>岩田茂樹「奈良国立博物館の仏像展示」『なら仏像館名品図録』、奈良国立博物館、2012、pp.6 - 9</ref>。第二次大戦後、各地の社寺において鉄筋コンクリートの宝物館・収蔵庫の新設が相次ぎ、博物館に寄託されていた仏像等は元の寺院に返還されるケースが多くなっている<ref>岩田前掲論文、p.11</ref>。


[[1922年]][[12月18日]]、来日していた[[アルベルト・アインシュタイン]]が来館している。当日の日記には日本の芸術について深い印象を覚えた旨が記された。
[[1922年]][[12月18日]]、来日していた[[アルベルト・アインシュタイン]]が来館している。当日の日記には日本の芸術について深い印象を覚えた旨が記された。


[[2020年]][[2月27日]]から同年[[3月15日]]にかけて、[[2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患|新型コロナウイルス]]の感染拡大に伴い、他の国立博物館とともに臨時休館措置が取られ<ref>{{Cite web |date=2020年2月26日 |url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/172917|title=東博や京博などを臨時休館 新型コロナ感染拡大で |publisher= |accessdate=2020-02-26}}</ref>。
[[2020年]][[2月27日]]から同年[[3月15日]]にかけて、[[2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患|新型コロナウイルス]]の感染拡大に伴い、他の国立博物館とともに臨時休館措置が取られ<ref>{{Cite web|和書|date=2020年2月26日 |url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/172917|title=東博や京博などを臨時休館 新型コロナ感染拡大で |publisher= |accessdate=2020-02-26}}</ref>。


== 国宝の一覧 ==
== 国宝の一覧 ==
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File:Dengyo-daishi sekitoku.jpg|伝教大師筆尺牘(久隔帖)
File:Dengyo-daishi sekitoku.jpg|伝教大師筆尺牘(久隔帖)
File:Gohikeman 1.jpg|牛皮華鬘
File:Gohikeman 1.jpg|牛皮華鬘
File:Sutra Box with Lotus Arabesques(Nara National Museum).jpg|蓮唐草蒔絵経箱
File:Yakushi Nyorai Nara National Museum.jpg|木造薬師如来坐像
File:Yakushi Nyorai Nara National Museum.jpg|木造薬師如来坐像
File:Nyoirin Kannon (Nara National Museum).jpg|如意輪観音像 14世紀
File:Nyoirin Kannon (Nara National Museum).jpg|如意輪観音像 14世紀
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*文化財保存修理所
*文化財保存修理所
*八窓庵 - [[興福寺]]大乗院庭内にあった[[茶室]]。[[明治]]25年([[1892年]])に移築された。含翠亭(がんすいてい)ともよばれ、[[古田重然|古田織部]]の好みと伝えられる。四畳台目の席を主室とし、入母屋造り茅葺、前面に杮葺の庇をおろした田舎家風の外観である。
*八窓庵 - [[興福寺]]大乗院庭内にあった[[茶室]]。[[明治]]25年([[1892年]])に移築された。含翠亭(がんすいてい)ともよばれ、[[古田重然|古田織部]]の好みと伝えられる。四畳台目の席を主室とし、入母屋造り茅葺、前面に杮葺の庇をおろした田舎家風の外観である。

==歴代館長==
*帝国奈良博物館 館長
*1889-90 [[平山靖彦]]
*1890-94 [[小牧昌業]]
*1984-95 [[山高信離]]
*1895 [[古沢滋]]
*1895-1902 山高信離 
*奈良帝室博物館館長
*1902-05 森本後凋
*1905-07  青木咸一(心得)
*1907-31 [[久保田鼎]]
*1931-35 和田軍一(心得)
*1935-40 山口巍
*1940-41 [[矢島正昭]]
*1941 [[内藤三郎]]
*1941-45 [[宮野安]]
*1945-47 藤井宇多治郎
*国立博物館奈良分館長・奈良国立博物館長
*1947-57 [[黒田源次]]
*1957-65 [[石田茂作]]
*1965-74 [[蔵田蔵]]
*1975-83 [[倉田文作]]
*1983-87 [[浜田隆]]
*1987-91 [[西川杏太郎]]
*1991-95 [[山本信吉]]
*1995-2000 内田弘保(前文化庁長官)
*2000-05 鷲塚泰光
*2005-17 [[湯山賢一]]
*2017-21 松本伸之
*2021- 井上洋一


== 交通アクセス ==
== 交通アクセス ==
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[[Category:1972年竣工の日本の建築物]]
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[[Category:1997年竣工の日本の建築物]]
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[[Category:1894竣工日本の建築物]]
[[Category:1895開業施設]]
[[Category:1895年設立の教育機関]]
[[Category:1895年設立の教育機関]]
[[Category:日本美術美術館とギャラリー]]
[[Category:1890年代日本の設立]]
[[Category:博物館]]
[[Category:日本の育機関 (19世紀設立)]]

2023年12月12日 (火) 07:19時点における最新版

奈良国立博物館
Nara National Museum


奈良国立博物館の位置(奈良市内)
奈良国立博物館
奈良国立博物館の位置
施設情報
愛称 奈良博、ならはく
前身 帝国奈良博物館
奈良帝室博物館
専門分野 仏教美術
管理運営 独立行政法人国立文化財機構
延床面積 19,539m2(展示館部分)
開館 1895年(明治28年)
所在地 630-8213
奈良県奈良市登大路町50
位置 北緯34度41分1.32秒 東経135度50分11.04秒 / 北緯34.6837000度 東経135.8364000度 / 34.6837000; 135.8364000座標: 北緯34度41分1.32秒 東経135度50分11.04秒 / 北緯34.6837000度 東経135.8364000度 / 34.6837000; 135.8364000
外部リンク 奈良国立博物館
プロジェクト:GLAM
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新館入口の館名表示。聖武天皇筆『雑集』(正倉院宝物)から集字[1]

奈良国立博物館(ならこくりつはくぶつかん)は、奈良県奈良市登大路町にある、独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館である。館長は井上洋一。2020年3月31日時点で、国宝13件、重要文化財114件を含む収蔵品の総数は1,911件[2]。これとは別に、国宝52件、重要文化財306件を含む総数1,974件の寄託品を収蔵している[2]2019年度の平常展の展示替え件数は239件、展示総件数は461件[3]。同年度の来館者数は約61万人で[2]、平常展来場者は約16万人[3]

概要

[編集]

仏教美術を中心とした文化財の収集、保管、研究、展示を行うとともに、講演会や出版活動などを通じた普及活動を行うことを主たる活動内容としている。展示施設は本館、本館付属棟、東新館、西新館、地下回廊がある。このうち本館は、赤坂離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊の設計により1894年明治27年)竣工したもので、明治期の洋風建築の代表例として重要文化財に指定されている。展示品は館蔵品のほか、奈良県下を中心とした社寺や個人からの寄託品も多い。毎年秋に実施される「正倉院展」の会場でもある。

沿革

[編集]
新館と水庭、地下回廊アプローチ
旧奈良県物産陳列所(重要文化財、現・仏教美術資料研究センター)
旧帝国奈良博物館本館(重要文化財、現・なら仏像館)
十一面観音像(国宝)

館は1895年(明治28年)、帝国奈良博物館として開館した。開館へは、寺社が1875年(明治8年)の上知令所領が国に没収され困窮し、さらに1868年廃仏毀釈で仏像仏画などの文化財の破壊や盗難が放縦し、宝物の散逸を設置により保護することが主な目的としてあった。博物館の観覧収入を社寺への補助金に充てる構想も実現に至らなかったが、提示された。そのほかに海外の万国博覧会や国内の博覧会での日本文化展示が好評で、日本文化が再評価され国威発揚の一環として、文化政策と情報発信の推進が求められた[4]。さらに奈良での前史として、奈良博覧会の存在がある。1874年(明治7年)、当時の奈良県権令藤井千尋が中心となり、官民合同の奈良博覧会社が設立された。翌1875年(明治8年)開催された第1回奈良博覧会は、東大寺大仏殿と周囲の回廊を会場として、正倉院宝物をはじめ、社寺や個人から出品された書画、古器物、動植物標本、機械類などを陳列した。80日間の会期中にのべ17万人が訪れる大盛況であったことが当時の記録からわかる。その後奈良博覧会は1877年(明治10年)を除いて毎年開催され、1890年(明治23年)までに計15回を数えた[5]

当時、東京上野にはすでに宮内省所管の博物館(東京国立博物館の前身)があったが、1889年(明治22年)、宮内大臣通達により東京の博物館の名称を「帝国博物館」に改めるとともに、京都奈良にもそれぞれ帝国博物館を設置することが決まった。機関としての帝国奈良博物館の発足はこの時である。こうして、興福寺旧境内である現在地で1892年(明治25年)より建設工事が始まり、1894年に本館が竣工、翌1895年4月29日に開館した。館長は奈良県知事古沢滋が兼務していたが、1895年10月に山高信離が館長となった(当時開館準備中であった帝国京都博物館長と兼務)。1900年(明治33年)には館名を奈良帝室博物館に改めている。この呼称は1947年(昭和22年)まで使われた[6]

1895年の開館時の出品目録を見ると、御物(皇室所蔵品)の拝借品、東京の帝国博物館からの出品、および個人所蔵者からの出品に限られており、社寺からの出品はこの時点ではまだ行われていなかった。前述の御物拝借品には、法隆寺献納宝物の聖徳太子像(阿佐太子像)、法華義疏、竜首水瓶、麻耶夫人及び侍者像などが含まれている。また、この時、東京の帝国博物館からの出品された作品の一部は1904年(明治37年)に帝国奈良博物館に寄贈され、現在も奈良国立博物館の所蔵品となっている[7]。社寺からの寄託出品が盛んになったのは、1903年(明治36年)に開催された「奈良県下国宝展」が契機になったとみられる[8]

1947年、新憲法の公布とともに博物館は文部省に移管され、国立博物館奈良分館となった。奈良国立博物館という名称に変わったのは1952年(昭和27年)からである。所管は1950年(昭和25年)文化財保護委員会、1968年(昭和43年)文化庁に変更し、2001年(平成13年)からは独立行政法人国立博物館2007年(平成19年)からは独立行政法人国立文化財機構の設置する博物館となっている。

その間、1972年には吉村順三の設計による新館が完成し、正倉院展は新館で開催されるようになる。また、本館と新館は地下道で結ばれるようになる。1997年には、やはり吉村順三の設計による東新館が完成し、従来の新館は西新館と改称する。両新館は統一デザインを採用し景観の調和を図っている。これに伴い新館側の入口が両新館の間に新設されたエントランスホールに変更され、本館を結ぶ地下道も新たに作られた「地下回廊」に変更され、ミュージアムショップや軽食ラウンジ、トイレや簡単な展示パネル、仏像の構造や印相の解説の展示などを備えた無料ゾーンとなっている。2002年には古美術商店「不言堂」創業者坂本五郎から寄贈された大量の中国古代青銅器の常設展示スペースとして、本館付属棟(元は収蔵庫)に「青銅器館」として開設されている。2010年には本館が展示室をリニューアルして新たに「なら仏像館」として再オープンした。なお、両新館は2階のみが展示室となっている。

和辻哲郎の『古寺巡礼』(1919年刊)にも当時の奈良帝室博物館が登場する。当時の博物館には法隆寺の百済観音像、興福寺の阿修羅像などの、美術史上著名な作品が数多く寄託・展示されていた。小島貞一『奈良帝室博物館を見る人へ』(1925年)、安藤更生『美術史上の奈良博物館』(1929年)によると、当時の当館には興福寺から八部衆像、十大弟子像、無著・世親像、北円堂四天王像、金剛力士像、天燈鬼・龍燈鬼像などが寄託され、他に法輪寺虚空蔵菩薩立像、大安寺楊柳観音立像、秋篠寺伎芸天立像、橘寺日羅立像、海龍王寺五重小塔、元興寺(極楽坊)五重小塔などが寄託展示されていた[9]。第二次大戦後、各地の社寺において鉄筋コンクリートの宝物館・収蔵庫の新設が相次ぎ、博物館に寄託されていた仏像等は元の寺院に返還されるケースが多くなっている[10]

1922年12月18日、来日していたアルベルト・アインシュタインが来館している。当日の日記には日本の芸術について深い印象を覚えた旨が記された。

2020年2月27日から同年3月15日にかけて、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、他の国立博物館とともに臨時休館措置が取られる[11]

国宝の一覧

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独立行政法人国立文化財機構所有、奈良国立博物館保管の国宝は以下のとおりである。

  • 絹本著色十一面観音像(井上馨益田孝旧蔵)
  • 紙本著色地獄草紙
  • 紙本著色辟邪絵(へきじゃえ)
  • 紙本墨画淡彩山水図(水色巒光図-すいしょくらんこうず)伝周文筆
  • 木造薬師如来坐像 京都・若王子神社旧蔵
  • 牛皮華鬘(ごひけまん)東寺伝来
  • 刺繡釈迦如来説法図 京都・勧修寺旧蔵
  • 蓮唐草蒔絵経箱 福井・神宮寺旧蔵
  • 金剛般若経開題残巻 弘法大師筆 (三十八行)
  • 紫紙金字金光明最勝王経 広島・西国寺旧蔵
  • 日本書紀 巻第十残巻(田中本)
  • 伝教大師筆尺牘(せきとく)(久隔帖)最澄筆 弘仁四年十一月廿五日
  • 越中国射水郡鳴戸村墾田図 天平宝字三年十一月十四日

主な寄託品

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  • 長谷寺 銅板法華説相図(国宝)奈良時代
  • 法起寺 銅造菩薩立像(重文)飛鳥時代
  • 薬師寺 木造八幡三神坐像(国宝)平安時代
  • 岡寺 乾漆義淵僧正坐像(国宝)奈良時代
  • 元興寺 木造薬師如来立像(国宝)平安時代
  • 秋篠寺 木造(頭部乾漆造)梵天立像・救脱菩薩立像(重文)頭部奈良時代、体部鎌倉時代
  • 神野寺 銅造菩薩半跏像(重文)飛鳥~奈良時代
  • 金龍寺 木造菩薩立像(重文)奈良時代
  • 當麻寺 木造宝冠阿弥陀如来坐像(重文)平安時代
  • 浄瑠璃寺 木造馬頭観音立像(重文)鎌倉時代
  • 中宮寺 天寿国繡帳残闕(国宝)飛鳥時代
  • 談山神社 旧粟原寺三重塔伏鉢(国宝)奈良時代

施設

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展示施設

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仏教美術資料研究センター

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1980年に新設された仏教美術資料研究センターでは、仏教美術に関連する資料の作成・収集・整理・保管を行っており、毎週水・金曜日に限定して一般に公開される。1983年から奈良国立博物館の所属になった。建物(重要文化財)は、1902年(明治35年)に竣工した関野貞設計の旧奈良県物産陳列所である。

その他施設

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  • 文化財保存修理所
  • 八窓庵 - 興福寺大乗院庭内にあった茶室明治25年(1892年)に移築された。含翠亭(がんすいてい)ともよばれ、古田織部の好みと伝えられる。四畳台目の席を主室とし、入母屋造り茅葺、前面に杮葺の庇をおろした田舎家風の外観である。

歴代館長

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交通アクセス

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周辺情報

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脚注

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  1. ^ 施設案内 - 東新館・西新館『奈良奈良国立博物館公式サイト』
  2. ^ a b c 『国立文化財機構概要 2020』 p.7 - p.8
  3. ^ a b 令和元年度評価結果 自己点検評価報告書
  4. ^ 2019年2月15日日経新聞「文化財保護、関西が先導 明治以降の歩みたどる企画展(もっと関西)」
  5. ^ (河原、1997)、p.257
  6. ^ (河原、1997)、pp.257 - 259
  7. ^ この時の寄贈品は銅鉾(長崎県対馬市豊玉町佐志賀黒島出土)、銅鐸(静岡県浜松市北区三ヶ日町釣荒神山出土)など(『奈良国立博物館の名宝 一世紀の軌跡』、pp.266, 278)。
  8. ^ (河原、1997)、pp.261 - 266, 271
  9. ^ 岩田茂樹「奈良国立博物館の仏像展示」『なら仏像館名品図録』、奈良国立博物館、2012、pp.6 - 9
  10. ^ 岩田前掲論文、p.11
  11. ^ 東博や京博などを臨時休館 新型コロナ感染拡大で” (2020年2月26日). 2020年2月26日閲覧。
  12. ^ 当館と入江泰吉記念奈良市写真美術館の3館で「奈良トライアングルミュージアムズ」を構成。

参考文献

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  • 河原由雄「一世紀の軌跡」『奈良国立博物館の名宝 一世紀の軌跡』(展覧会図録)、奈良国立博物館、1997
  • 岩田茂樹「奈良国立博物館の仏像展示」『なら仏像館名品図録』、奈良国立博物館、2012

外部リンク

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