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「エルンスト2世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)」の版間の差分

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{{基礎情報 君主
[[Image:ErnstIISCG.jpg|thumb|エルンスト2世]]
| 人名 = エルンスト2世
'''エルンスト2世'''(<span lang="de" xml:lang="de">'''Ernst II.'''</span>, [[1818年]][[6月21日]] - [[1893年]][[8月23日]])は、[[ザクセン・コーブルク・ゴータ家|ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国]]の第2代[[公]](在位:[[1844年]] – [[1893年]])。全名は'''エルンスト・アウグスト・カール・ヨハン・レオポルト・アレクサンダー・エドゥアルト'''(<span lang="de" xml:lang="de">'''Ernst August Karl Johann Leopold Alexander Eduard'''</span>)。[[エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|エルンスト1世]]の長男。弟に[[イギリス]]女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]の[[王配]]となった[[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|アルブレヒト]](英語名アルバート)がいる。
| 各国語表記 = {{Lang|de|Ernst II.}}
| 君主号 = [[ザクセン=コーブルク=ゴータ公|ザクセン=コーブルク=ゴータ公]]
| 画像 = Ernest II, Duke of Saxe-Coburg-Gotha (1818-93) circa 1863.jpg
| 画像サイズ =
| 画像説明 = エルンスト2世
| 在位 = [[1844年]][[1月29日]] – [[1893年]][[8月23日]]
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| 埋葬日 = {{DEU1871}}<br>[[ファイル:Flagge Herzogtum Sachsen-Coburg-Gotha (1911-1920).svg|border|25x20px]] [[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国]]、[[コーブルク]]、グロッケンブルク墓地
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'''エルンスト2世'''({{Lang-de|Ernst II.}}, [[1818年]][[6月21日]] - [[1893年]][[8月23日]])は、第2代[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ]]公(在位:[[1844年]] – [[1893年]])。


== 生涯 ==
エルンスト2世は[[1818年]][[6月21日]]、エル1世(当時はザクセン=コーブルク=ザールフェルト公とその妃であった[[ザクセン=ゴータ=アルテンブルク]][[アウグスト (ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公)|アウグスト]]の娘[[ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク|ルイーゼ]](1800年 - 1831年)の間に第子として生まれた。[[1842年]][[5月3日]]に[[カールスルーエ]]で[[バーデン大公国|バーデン]]大公[[レオポルト (バーデン大公)|レオポルト]]の娘[[アレクサンドリーネ・フォン・バーデン|アレクサンドリーネ]](1820年 - 1904年)と結婚したが、子供は生まれなかった。
[[1818年]][[6月21日]]、{{仮リク|ザクセン=コーブルク=ザールフェル公国|label=ザクセン=コーブルク=ザールフェルト|en|Saxe-Coburg-Saalfeld}}[[エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|エルンスト1世]]とその妃であった[[ザクセン=ゴータ=アルテンブルク]]公女[[ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク|ルイーゼ]]([[アウグスト (ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公)|アウグスト]]の娘)の間に長男(1として[[コーブルク]]の{{仮リンク|エーレンブルク宮殿|en|Ehrenburg Palace}}で生まれた。[[1842年]][[5月3日]]に[[カールスルーエ]]で[[バーデン大公国|バーデン]]大公[[アレクサンドリーネ・フォン・バーデン|アレクサンドリーネ]]([[レオポルト (バーデン大公)|レオポルト]]の長女)と結婚したが、子供は生まれなかった。


[[1844年]][[1月29日]]にエルンスト1世が死去たため、第2代ザクセン=コーブルク=ゴータ公となった。
[[1844年]][[1月29日]]にエルンスト1世([[1826年]]から領地を交換ザクセン=コーブルク=ゴータ公)が死去したため、公位を継承した。


[[南北戦争]]の際、エルンスト2世はヨーロッパの君主では唯一、南部の[[アメリカ連合国]]に[[領事]]を派遣した。[[1861年]]、領事に任命された{{仮リンク|エルンスト・ラーフェン|en|Ernst Raven}}は、[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]の連合国政府に外交的承認を申し入れ、受諾された。
エルンスト2世は[[1893年]][[8月23日]]ラインハルツブルン城([[テューリンゲン州]][[ゴータ郡]])で死去した。弟アルブレヒトはすでに死去しており、その長男である[[プリンス・オブ・ウェールズ|ウェールズ公]][[エドワード7世 (イギリス王)|アルバート]](後のイギリス王エドワード7世)公位継承権を放棄していたため、次男[[アルフレート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|アルフレート]]が公位を嗣いだ。


[[1893年]][[8月23日]]、{{仮リンク|ラインハルツブルン城|en|Reinhardsbrunn}}現在の[[テューリンゲン州]]ゴータ郡)で死去した。弟の[[グレートブリテン及びランド連合王国|イギリス]][[王配]][[アルバート (ザクセン=コールク=ゴータ公子)|アルバー]]に死去しており、その長男である[[プリンス・オブ・ウェールズ|ウェールズ公]][[エドワード7世 (イギリス王)|アルバート・エドワード]](後のイギリス王エドワード7世)公位継承権を放棄していたため、アルバートの次男[[エディンバラ公]][[アルフレート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|アルフレッド]]が公位を嗣いだ(アルフレート)
==関連項目==
*[[ザクセンコーブルクゴータ家]]


== 音楽史上の逸話 ==
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エルンスト2世は[[1887年]]に、[[ウィーン]]で活躍していた「ワルツ王」[[ヨハン・シュトラウス2世]]をザクセン=コーブルク=ゴータ国民として迎えている。これはヨハン・シュトラウス2世の離婚問題が原因である。当時彼は2番目の妻リリー・ディートリヒと離婚し、3番目の妻アデーレ・ドイッチェと結婚しようとしていたが、当時の[[オーストリア帝国|オーストリア]]の法律と[[カトリック教会]]が離婚を認めていなかったために[[プロテスタント]]に改宗し、ザクセン=コーブルク=ゴータ国籍を取得した上で離婚と再婚に踏み切ったのである。


また、エルンスト2世自身も[[宗教音楽]]やオペラなどの作曲を手がけている。[[フランツ・ドップラー]]の『カシルダ幻想曲』は、エルンスト2世のオペラ『カシルダ』の中の旋律を元にしたものである。
[[Category:ザクセン=コーブルク=ゴータ公|えるんすと2せい]]
[[ファイル:Coburg-Hofgarten-Reiterdenkmal.jpg|thumb|left|250px|コーブルクのホーフガルテンにあるエルンスト2世の騎馬像]]
[[Category:ヴェッティン家|えるんすと2せい]]
{{Commons&cat|Ernst II., Herzog von Sachsen-Coburg und Gotha|Ernst II, Duke of Saxe-Coburg and Gotha}}
[[Category:1818年生|えるんすと2せい]]
[[Category:1893年没|えるんすと2せい]]


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[[de:Ernst II. (Sachsen-Coburg und Gotha)]]
{{Normdaten}}
[[en:Ernst II, Duke of Saxe-Coburg and Gotha]]
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[[Category:1818年生]]
[[Category:1893年没]]

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エルンスト2世
Ernst II.
ザクセン=コーブルク=ゴータ公
エルンスト2世
在位 1844年1月29日1893年8月23日

全名
出生 (1818-06-21) 1818年6月21日
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国、コーブルク、エーレンブルク宮殿
死去 (1893-08-23) 1893年8月23日(75歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国、ラインハルツブルン城
埋葬 ドイツの旗 ドイツ帝国
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国コーブルク、グロッケンブルク墓地
配偶者 アレクサンドリーネ・フォン・バーデン
家名 ザクセン=コーブルク=ゴータ家
父親 エルンスト1世
母親 ルイーゼ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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エルンスト2世ドイツ語: Ernst II., 1818年6月21日 - 1893年8月23日)は、第2代ザクセン=コーブルク=ゴータ公(在位:1844年1893年)。

生涯

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1818年6月21日ザクセン=コーブルク=ザールフェルトエルンスト1世とその妃であったザクセン=ゴータ=アルテンブルク公女ルイーゼアウグストの娘)の間に長男(第1子)としてコーブルクエーレンブルク宮殿英語版で生まれた。1842年5月3日カールスルーエバーデン大公女アレクサンドリーネレオポルトの長女)と結婚したが、子供は生まれなかった。

1844年1月29日に父エルンスト1世(1826年から領地を交換してザクセン=コーブルク=ゴータ公)が死去したため、公位を継承した。

南北戦争の際、エルンスト2世はヨーロッパの君主では唯一、南部のアメリカ連合国領事を派遣した。1861年、領事に任命されたエルンスト・ラーフェン英語版は、リッチモンドの連合国政府に外交的承認を申し入れ、受諾された。

1893年8月23日ラインハルツブルン城英語版(現在のテューリンゲン州ゴータ郡)で死去した。弟のイギリス王配アルバートは既に死去しており、その長男であるウェールズ公アルバート・エドワード(後のイギリス王エドワード7世)も公位継承権を放棄していたため、アルバートの次男エディンバラ公アルフレッドが公位を嗣いだ(アルフレート)。

音楽史上の逸話

[編集]

エルンスト2世は1887年に、ウィーンで活躍していた「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世をザクセン=コーブルク=ゴータ国民として迎えている。これはヨハン・シュトラウス2世の離婚問題が原因である。当時彼は2番目の妻リリー・ディートリヒと離婚し、3番目の妻アデーレ・ドイッチェと結婚しようとしていたが、当時のオーストリアの法律とカトリック教会が離婚を認めていなかったためにプロテスタントに改宗し、ザクセン=コーブルク=ゴータ国籍を取得した上で離婚と再婚に踏み切ったのである。

また、エルンスト2世自身も宗教音楽やオペラなどの作曲を手がけている。フランツ・ドップラーの『カシルダ幻想曲』は、エルンスト2世のオペラ『カシルダ』の中の旋律を元にしたものである。

コーブルクのホーフガルテンにあるエルンスト2世の騎馬像
先代
エルンスト1世
ザクセン=コーブルク=ゴータ
1844年1893年
次代
アルフレート