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{{law}}
'''ポツダム命令'''(ポツダムめいれい)とは、いわゆる'''ポツダム緊急勅令'''に基づいて発せられた一群の[[命令 (法規)|命令]]の総称である。いわゆる'''ポツダム勅令'''や'''ポツダム政令'''は、ポツダム命令の一種である。
'''ポツダム命令'''(ポツダムめいれい)とは、いわゆる'''ポツダム緊急勅令'''に基づいて発せられた一群の[[命令 (法規)|命令]]の総称である。いわゆる'''ポツダム勅令'''や'''ポツダム政令'''は、ポツダム命令の一種である。


== ポツダム緊急勅令 ==
== ポツダム緊急勅令 ==
=== 概説 ===
=== 概説 ===
ポツダム緊急勅令とは、[[大日本帝国憲法第8条]]第1項の「法律に代わる[[]]令」に関する規定に基づき昭和20年([[1945年]])[[9月20日]]に公布・同日施行された'''「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件'''(昭和20年勅令第542号)の通称である。ポツダム緊急勅令という用語は、法令上は使用されていないが、閣議決定のレベルを含む公文書で使用されている<ref>例えば、昭和26年9月21日付けの閣議了解では、件名を「「ポツダム」緊急勅令等の措置に関する件」とし、本文中で「昭和二〇年勅令第五四二号(ポツダム緊急勅令)及びこれに基づく諸般の命令(ポツダム命令)」という用例がある。「ポツダム」緊急勅令等の措置に関する件(昭和26.9.21閣議了解)国立公文書館請求番号 資00057100 (以下国立公文書所蔵の史料については、資料の件名と請求番号で表示し、必要に応じレファランス番号を付記する。)</ref>
ポツダム緊急勅令とは、[[大日本帝国憲法第8条]]第1項の「法律に代わる勅令」に関する規定に基づき昭和20年([[1945年]])[[9月20日]]に[[公布]]・同日[[施行]]された'''「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件'''(昭和20年[[勅令]]第542号)の通称である。ポツダム緊急勅令という用語は、法令上は使用されていないが、閣議決定のレベルを含む公文書で使用されている{{efn|例えば、昭和26年9月21日付けの閣議了解では、件名を「「ポツダム」緊急勅令等の措置に関する件」とし、本文中で「昭和二〇年勅令第五四二号(ポツダム緊急勅令)及びこれに基づく諸般の命令(ポツダム命令)」という用例がある。「ポツダム」緊急勅令等の措置に関する件(昭和26.9.21閣議了解)国立公文書館請求番号 資00057100 (以下国立公文書所蔵の史料については、資料の件名と請求番号で表示し、必要に応じレファランス番号を付記する。)}}


「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年[[勅令]]第542号)において、日本国政府は[[ポツダム宣言]]の受諾に伴う[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍最高司令官]](GHQ)の要求事項に基づき、特に必要ある場合は命令をもって所要を定め、必要な罰則を設けるとしている。敗戦後の日本国内における連合国軍最高司令官の法的根拠と日本国政府を介した間接的な執行権限を示している。
「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年[[勅令]]第542号)において、日本国政府は[[ポツダム宣言]]の受諾に伴う[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍最高司令官]]の要求事項に基づき、特に必要ある場合は命令をもって所要を定め、必要な罰則を設けるとしている。敗戦後の日本国内における連合国軍最高司令官の法的根拠と日本国政府を介した間接的な執行権限を示している。

1947年(昭和22年)5月に[[日本国憲法]]が施行されるまでは[[天皇]]の命令としての勅令は有効だったため、「天皇の名において」GHQが命令を発し実施させる形を採った。

===法律に代わる ===
「法律に代わる」という規定はないが、「所定の定め」は、[[法律]]事項([[帝国議会]]がその成立に関与すべきことになる)に及び、法律自体の改廃可能でもあった<ref>後述するように要求事項の実施について、法律事項でない場合は、ポツダム命令でない一般の命令で行われており、むしろポツダム命令は法律事項について規定するためのものという理解もできる</ref>。[[降伏文書]]に定められた“[[ポツダム宣言]]の履行と、そのために必要な命令を発しまた措置を取る”実施のものであるためのものである。

連合国軍による日本占領は、日本の政府機関を温存・利用する[[間接統治]]によったため、連合国軍最高司令官の要求事項の実施のために国内法の措置が必要な場合、どうするかが問題になる。

ポツダム緊急命令と同趣旨の法律案<ref>第88回帝国議会は、1945年(昭和20年)9月4日から1945年(昭和20年)9月5日まで開会</ref>が準備された段階もあった<ref>佐藤達夫「ポツダム命令についての私録」自治研究第28巻(良書刊行会)(1953)(以下の引用では単に「ポツダム命令についての私録」とする。)p3</ref>が、政府は、9月2日に正式に通知された<ref>降伏文書、指令、一般命令の案文は8月20日マニラで日本の河辺全権委員が受領している。p5。</ref>連合国軍最高司令官の指令第1号及びこれに添付された一般命令第1号<ref> http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000097065.pdf </ref>が、その本体が「政府及び軍を当面の対象とし、直接国民に対する命令をなすものではないということ、及びこの指令の関係ではとくに立法措置をとらなくても行政の運用によりその要求に応じえる」との判断をし、聯合国最高司令官ノ要求ニ係ル一般命令ノ実施ニ関スル件として9月2日の閣議決定<ref>聯合国最高司令官ノ要求ニ係ル一般命令ノ実施ニ関スル件 国立公文書館 類02937100 </ref>で

必要な状況が生じた場合は、緊急勅令の制定等所要の立法措置を講じるものとする。

とされた。しかし、その決定後まもなく、9月6日付けで「法貨に関する覚書」が発せられ、占領軍の発行する「B」号円表示軍票に国内通貨と同一の通用力を認めよとの要求がされ、これに対する政府の対応が遅れたため更に12日付で督促<ref>そうとう厳しい内容で9月6日の覚書による指示に対して「日本政府は何ら応ずる所なし」から始まり、大蔵省声明の要求、「更に遅延した場合は適当な措置を」とるまで記載されていた。</ref>が、あり大蔵省はとりあえず9月16日に大蔵省声明を発し、これをびらに印刷したものを郵便局、駅、銀行、市町村等で掲示し、更に法的措置としてポツダム緊急勅令の制定となった。2日後の9月29日には「聯合國占領軍ノ發行スル「B」號圓表示補助通貨ノ件」(昭和20年大蔵省令第79号を公布施行して占領軍の要求に応じた。

以後占領終了までの6年7月間に500件(正確な数については下記の記述(どの法令がポツダム命令であるか)を参照)を越すポツダム命令が制定されることになる。

==連合国軍最高司令官の要求に対する対応==
佐藤達夫(元法制局長官)によれば、<ref>「ポツダム宣言についての私録」p37-50</ref>

連合国軍最高司令官の要求に対する対応については次の3つの態様があった。

1 既存の法律により対応する場合

2 新たに立法措置をとる場合

3 別段の立法措置をとらずに実施する場合

2の場合において旧憲法下において命令事項であるときは命令により措置し、臨時物資需給調整法など特定分野についての既存の法律の授権規定でまかない得る場合は、その委任命令で措置し、その他の場合においては法律の制定又はポツダム命令の制定で処置された。命令事項で実施した場合、連合国軍最高司令官の要求に基づくものであるかはほとんどの場合、その命令の規定からは明らかではないが。昭和20年大蔵省令第95条は制定文に「外國爲替管理法ニ基キ聯合國最高司令官ノ要求ニ係ル事項ヲ實施スル爲在外財産等ノ報告ニ關シ左ノヨウニ定」とあり根拠法と連合国軍最高司令官の要求事項実施である旨が明記されている。法律事項の場合、法律の制定によるかポツダム命令の制定によるかは、要求が法律の制定を求めている場合<ref>例えば1947年9月16日の警察制度改革の書簡。この要求に基づき警察法(昭和22年法律第196号)が制定される。</ref>若しくはそのことが予期されていることが窺える場合は、当然法律制定の手続きにより、その他の場合も、事が重要であり、また時間的な余裕がある場合は、法律制定の手続きによることが原則とされていた。ことに国会開会中においては、極力、法案に努めとしている。しかし、現実には国会開会中にポツダム命令の制定された例は少なくない。<ref>飲食営業臨時措置令(昭和22年政令第118号)、食糧確保のための臨時措置に関する政令(昭和24年政令第382号)、電気事業再編成令(昭和25年政令第342号)、公益事業令(昭和25年政令第343号)</ref>。特に電力事業再編にかかわる電気事業再編成令及び公益事業令は、同じ内容の法案が第7回国会<ref>会期昭和24年12月 4日から昭和25年5月2日(参議院議員の任期満了のため閉会)</ref>で審議未了となった後、以降の国会に再提出することなく、第9国会<ref>会期昭和25年11月21日から昭和25年12月9日</ref>の冒頭の昭和25年11月24日に公布したため、衆議院において「国民経済に重大なる関係を有する案件について政府がいたずらに事態を遷延総糾せしめこの挙に出でさるを得なかつたことは、民主主義の基盤たる国会の審議権を無視し、議会政治に暗影を投ずるものであつて甚で遺憾である。政府が再びかかる措置を繰り返さないことを強く要望する」とする「国会審議権尊重に関する決議」<ref>決議昭和25年11月27日</ref>がされた。

3の事例としては、いわゆるプレスコード、ラジオコード、アカハタ発行停止等があり、一般的な立法との区分の標準は明らかではないが、一時的のもの又はその対象が比較的限定されているものが多いといえる。

なお、これについて連合国軍最高司令官の要求のなかに国内法制化されていないことを前提に、これらの要求に反する行為を包括的に処罰するポツダム命令<ref>聯合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する勅令(昭和21年勅令第311号)。後に占領目的阻害行為処罰令(昭和25年政令第325号)</ref>が制定されていた。


== ポツダム命令 ==
== ポツダム命令 ==
=== 連合国軍最高司令官の要求 ===
=== 連合国軍最高司令官の要求 ===
連合国軍による日本占領は、日本の政府機関を温存・利用する[[間接統治]]によったが、連合国軍最高司令官の要求事項は指令・覚書(commmand、memorandum)の形<ref>口頭要求の場合もあった。例えば、日本證券取引所法中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第100号)は、1945年11月24日の大蔵大臣に対する口頭要求(日本證券取引所法第28條等外国人を差別する法令の48時間以内の廃止)により、外貨債処理法等ノ廃止及外國爲替管理法等中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第101号)は、1945年11月24日の大蔵大臣に対する口頭要求(敵産管理法、外国為替管理法等大蔵省所管外国人を差別する法令の至急廃止)により制定された。資料 「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く諸法令要旨 アジア歴史資料センター 公文類聚 昭和元年~20年 第69編・昭和20年 公文類聚・第六十九編・昭和二十年・第一巻・皇室・皇室令制・皇室財産・雑載、政綱一・詔勅・法例・公式令 レファレンスコードA15060031000 </ref>で政府に伝えられ、政府は命令の形にして国民と政府機関に伝えた。
連合国軍による日本占領は、日本の政府機関を温存・利用する[[間接統治]]によったが、連合国軍最高司令官の要求事項は指令・覚書(command、memorandum)の形{{efn|口頭要求の場合もあった。例えば、日本證券取引所法中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第100号)は、1945年11月24日の大蔵大臣に対する口頭要求(日本證券取引所法第28條等外国人を差別する法令の48時間以内の廃止)により、外貨債処理法等ノ廃止及外國爲替管理法等中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第101号)は、1945年11月24日の大蔵大臣に対する口頭要求(敵産管理法、外国為替管理法等大蔵省所管外国人を差別する法令の至急廃止)により制定された。資料 「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く諸法令要旨 アジア歴史資料センター 公文類聚 昭和元年~20年 第69編・昭和20年 公文類聚・第六十九編・昭和二十年・第一巻・皇室・皇室令制・皇室財産・雑載、政綱一・詔勅・法例・公式令 レファレンスコードA15060031000 }}で政府に伝えられ、政府は命令の形にして国民と政府機関に伝えた。


=== ポツダム命令の効力 ===
=== ポツダム命令の効力 ===
ポツダム命令の多くは、昭和27年([[1952年]])[[4月28日]]の[[日本国との平和条約]](いわゆるサンフランシスコ講和条約)の発効に伴い、ポツダム緊急勅令とともに、または暫定措置として発効の日から180日間限りで廃止されたが、新たに代替の法律が制定されたものや法律としての効力を有するとの存続措置がとられたものもある。
ポツダム命令の多くは、昭和27年([[1952年]])[[4月28日]]の[[日本国との平和条約]](いわゆるサンフランシスコ講和条約)の発効に伴い、ポツダム緊急勅令とともに、または暫定措置として発効の日から180日間限りで廃止されたが、新たに代替の法律が制定されたものや法律としての効力を有するとの存続措置がとられたものもある。


なお、大日本帝国憲法下においては、憲法第8条に基づく勅令(緊急勅令=法律に代わる勅令)と、第9条に基づく勅令(普通の勅令)があった。いずれも[[法令番号]]としては単に「勅令第何号」とされたため、通常、どちらであるのか見分けるには公布時の[[上諭]]まで参照<ref>憲法第8条に基づく勅令には、上諭にその旨を記載する。(公式令第7条第2項)</ref>しなければ判別できないが、このポツダム緊急勅令は前者であり、また、公布後に当時の帝国議会の承諾(1945年12月8日貴族院、同18日衆議院、ともに全会一致)を得ているため、その法令番号区分にかかわらず、旧憲法下の法律としての効力を有するものとされている([[s:昭和二十三年政令第二百一号の効力について|昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)]]参照)。
なお、大日本帝国憲法下においては、憲法第8条に基づく勅令(緊急勅令=法律に代わる勅令)と、第9条に基づく勅令(普通の勅令)があった。いずれも[[法令番号]]としては単に「勅令第何号」とされたため、通常、どちらであるのか見分けるには公布時の[[上諭]]まで参照{{efn|憲法第8条に基づく勅令には、上諭にその旨を記載する。(公式令第7条第2項)}}しなければ判別できないが、このポツダム緊急勅令は前者であり、また、公布後に当時の帝国議会の承諾(1945年12月8日貴族院、同18日衆議院、ともに全会一致)を得ているため、その法令番号区分にかかわらず、旧憲法下の法律としての効力を有するものとされている([[s:昭和二十三年政令第二百一号の効力について|昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)]]参照)。


前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法律としての効力を有するものとされ、従ってこれに基くポツダム命令も、日本国憲法の施行及び日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律により失効することはないとされた(昭和22年法律第72号)([[s:昭和二十三年政令第二百一号の効力について|昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)]]参照)。
前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法律としての効力を有するものとされ、従ってこれに基くポツダム命令も、日本国憲法の施行及び[[日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律]]により失効することはないとされた(昭和22年法律第72号)([[s:昭和二十三年政令第二百一号の効力について|昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)]]参照)。


また、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律については、昭和22年1月29日に公布された(同日施行)昭和二十二年法律第七十二号日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の一部を改正する法律(昭和22年法律第244号)により第1条の2が追加され、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の規定が、ポツダム命令の規定に影響を及ぼさない旨が確認された。
また、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律については、昭和22年1月29日に公布された(同日施行)昭和二十二年法律第七十二号日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の一部を改正する法律(昭和22年法律第244号)により第1条の2が追加され、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の規定が、ポツダム命令の規定に影響を及ぼさない旨が確認された。


=== ポツダム命令による罰則 ===
=== ポツダム命令による罰則 ===
ポツダム緊急勅令では、[[第二次世界大戦]]後、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の占領下にあった日本で、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍最高司令官]]の発する要求事項の実施につき特に必要がある場合には、命令を以って、政府は所定の定めをし、必要な罰則<ref>閣令、省令については別途の勅令(昭和20年勅令第543号)で罰則の限度が定められたが、勅令による罰則については制限がなく、死刑又は無期懲役を規定した例はなかったが、有毒飲食物等取締令(昭和21年勅令第52号)のように3年以上15年以下の懲役を規定したものがあった。</ref>を定めることができるとした。
ポツダム緊急勅令では、[[第二次世界大戦]]後、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の占領下にあった日本で、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍最高司令官]]の発する要求事項の実施につき特に必要がある場合には、命令を以って、政府は所定の定めをし、必要な罰則{{efn|閣令、省令については別途の勅令(昭和20年勅令第543号)で罰則の限度が定められたが、勅令による罰則については制限がなく、死刑又は無期懲役を規定した例はなかったが、有毒飲食物等取締令(昭和21年勅令第52号)のように3年以上15年以下の懲役を規定したものがあった。}}を定めることができるとした。


=== 最初のポツダム命令と最後のポツダム命令 ===
=== 最初のポツダム命令と最後のポツダム命令 ===
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* 航空機の出入国等に関する政令等の一部を改正する政令(昭和27年4月26日政令第113号)
* 航空機の出入国等に関する政令等の一部を改正する政令(昭和27年4月26日政令第113号)
であり、平和条約発効(昭和27年4月28日)に伴いポツダム緊急勅令が廃止される2日前であった。
であり、平和条約発効(昭和27年4月28日)に伴いポツダム緊急勅令が廃止される2日前であった。
==ポツダム命令の全体像 ==
法令の帰すうは、政府の担当者により常に整理されているはずであるが少なくともポツダム命令に関しては、1995年に「法務大臣官房司法法制調査部司法法制課「ポツダム命令について」J&R 80号(1995年)が発表されるまで「ポツダム命令の帰すうを網羅的に把握くした資料は皆無であった」<ref>ポツダム命令についてp19</ref>ということであった。
== どの法令がポツダム命令であるか ==
=== ポツダム命令であるかの判断基準 ===
前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法令番号としては通常の勅令と同じ番号付けをされ公布時の[[上諭]]まで参照しなければ判別できないが、これはポツダム命令一般についても同様であり、法令番号において通常の命令とポツダム命令は区別されておらず、上諭(勅令の場合)制定文(政令、省令等)に「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基」という文言があるかどうかを確認しないと判別できない。

更に一部改正の場合はこの文言を欠く事例がある。例えば死産の届出に関する規程は、昭和21年厚生省令第42号として制定された際は「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ命令ヲ発スル件)に基づき死産の届出に関する規程を次のように定める」とあったが、昭和22年2月1日厚生省令第4号による改正では「昭和二十一年九月厚生省令第四十二号(死産の届出に関する規程)の一部を次のように改正する」となっている。被改正法令がポツダム命令であるかないかを確認するしかない。
従って場合によってはある法令がポツダム命令であるかないかの判断がわかれることもありえる。
=== ポツダム命令であるかの検討―「ポツダム命令について」の基準 ===
ポツダム命令の一覧については、前述のように1995年に始めて、法務大臣官房司法法制調査部司法法制課により「ポツダム命令について」で公表されているところである。このなかでまず、司令部の要求を受け、これを実現するために閣議を経て制定公布されたか否かは直接には確認できないため

① 題名又は件名に「昭和二十年勅令第五百四十二号に基き(基づく)」との公布文又は制定文が付された命令をポツダム命令とする。ただし「昭和二十一年勅令第百九号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く就職禁止、退官、退職等に関する件)の一部を改正する勅令(昭和21年勅令第307号)」や「昭和二十一年厚生省令第42号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く死産の届出に関する規程)の一部を改正する省令(昭和22年厚生省令第42号)などのように、ポツダム緊急命令に基づく」旨が、公布文又は制定文の( )内に表記されているに過ぎないものは、改正すべきものがポツダム命令であることを示しているだけで、改正する法令がポツダム命令であるまでは示していないと推察される。

② ポツダム命令を一部改正する命令で公布文又は制定文が①の基準に合致しないが内容的に法律事項を改正している場合はポツダム命令をする。

なお、ポツダム命令のさらに委任命令や実施命令は除く。

=== ポツダム命令であるかの再検討1―「ポツダム命令について」から除くべきもの ===
上記の基準により「ポツダム命令について」は、総数を526件としているが、これに補正をすべきとする可能性があるので以下に記述する。

「ポツダム命令について」の一覧にはあるが、ポツダム命令と認められないものとして次の二つがある。

*団体等規正令施行規則(昭和24年法務府令第38号)

これは制定文が、

法務府は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号)に基づく政党、協会其の他の団体の結成の禁止等に関する件(昭和二十一年勅令第百一号)の施行に関する件(昭和二十一年内務省令第十号)を改正するこの府令を制定する。
とあるために、ポツダム命令に区分したようであるが、これはポツダム勅令の施行に関する実施命令の改正を意味しているにすぎず、この府令がポツダム命令であるまでは示していないと見るべきである。もっともこの施行規則は団体等規正令<ref>閣議決定 資料件名 団体等規正令 国立公文書館請求番号平14内閣00063100レファレンスコードA17111506800</ref>と同時に閣議決定をうけており<ref>閣議決定 資料件名 団体等規正令施行規則 国立公文書館請求番号平14内閣00063100レファレンスコードA17111506900</ref>、そのことからもポツダム命令であるという主張は説得力がある。しかし、「ポツダム命令について」では、団体等規正令施行規則は、昭和27年法律第81号で平和条約発効から180日間法律としての効力を有するとし、破壊活動防止法施行規則(昭和27年法務府令第81号)で廃止としているが、団体等規正令施行規則がポツダム命令であり、昭和27年法律第81号で平和条約発効から180日間法律としての効力を有すると、法律としての効力があるものを法務府令で廃止することになる(平和条約発効後であるから、破壊活動防止法施行規則がポツダム命令であり法律を改廃できるとする余地はない)からポツダム命令ではないとすべきである。

*退職手当、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等に関する命令第一條第一項及び第二條並びに閉鎖機関令第二十八條の規定による閉鎖機関の退職手当金、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等に関する命令の一部を改正する省令(昭和23年大蔵省令第113号)
これは改正されるもとの命令はポツダム命令としていないのに改正する省令のみポツダム命令としているもの。
もとの命令は

閉鎖機関の退職手当金、年金其の他これらに準ずべき利益の給付の制限等に関する命令(昭和22年総理庁、大蔵省、外務省、商工省、運輸省、農林省、厚生省、司法省令第5号)と日本法令検索ではなっているがこれは件名で、制定文は

昭和二十一年勅令第百十六号(昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件)に基づく退職手当、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等に関する命令第一條第一項及び第二條並びに閉鎖機関令第二十八條の規定による閉鎖機関の退職手当金、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等に関し、次のように定める。
つまり根拠規定は

1 昭和二十一年勅令第百十六号(昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件)に基づく退職手当、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等に関する命令第一條第一項及び第二條

2 閉鎖機関令第二十八條

でこれに基づく

閉鎖機関の退職手当金、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等

である。従ってポツダム命令の2次命令でありこれ自体はポツダム命令ではない。

これを改正する

昭和23年大蔵省令第113号は、題名があり

ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく退職手当、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等に関する命令第一條第一項及び第二條並びに閉鎖機関令第二十八條の規定による閉鎖機関の退職手当金、年金其の他此等に準ずべき利益の給付の制限等に関する命令の一部を改正する省令
つまり「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく」は改正する元の命令の件名の一部(根拠となるポツダム命令を示している)であって昭和23年大蔵省令第113号の根拠ではない。

この閉鎖機関の退職手当金、年金其の他これらに準ずべき利益の給付の制限等に関する命令 ( 昭和22年総理庁、大蔵省、外務省、商工省、運輸省、農林省、厚生省、司法省令第5号 )は、通常の大蔵省令(昭和27年大蔵省令第59号)で廃止されており制定時と廃止は通常の命令で途中の改正のみポツダム命令と解するのは無理がある。

=== ポツダム命令であるかの再検討2―「ポツダム命令について」に加えるべきもの1新規制定その1 ===
「ポツダム命令について」の一覧にはないが、ポツダム命令ではないかと考えられるものとしてまず新規設定として次のものがある。
*昭和二十二年勅令第一号(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令)第八条に対する特例に関する命令(昭和22年閣令、内務省令第9号)

閣議決定あり 資料件名 昭和二十二年勅令第一号(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令)第八条に対する特例に関する命令 国立公文書館請求番号類03054100

昭和二十二年勅令第一号(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令)第8条第3項は公職に対する選挙の立候補する場合、内閣総理大臣が交付する覚書該当者(公職追放の対象)でないことの確認書を選挙長へ提出すること規定していた。
しかしこの確認作業が行われている最中の1947年4月に国会議員、地方自治体の長、議会の選挙があいつで行われることになった。そのため、確認書が選挙の立候補に間に合わない場合の措置として

地方自治体の議員選挙については、昭和二十二年勅令第一号(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令) の特例に関する勅令(昭和22年勅令第61号)で

国会議員及び地方自治体の長の選挙については、昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く昭和二十二年勅令第一号第八条に対する特例に関する命令(昭和22年閣令、内務省令第5号)で

それぞれ確認書に代えて確認書申請をした証明書で代用できる旨が規定された。この二つの命令はポツダム命令とされている。(それぞれ施行後初めて施行されると規定して1947年4月の選挙に限定としていた)。

ところが衆議院議員選挙における資格確認期間が追加(4月12日から17日)されたため<ref>命令の決裁文書の理由。国立公文書館請求番号類03054100 </ref>、急遽閣令、内務省令第9号が4月25日に行われる衆議院議員選挙について、4月12日から17日に確認申請をした者を対象に制定された。しかるに「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く」という文言が閣令、内務省令第5号にはあるが、閣令、内務省令第9号にはないために、「ポツダム命令について」は、閣令、内務省令第5号のみをポツダム命令とし、また公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律も閣令、内務省令第5号のみを廃止対象とし、閣令、内務省令第9号については触れていない。また日本法令検索では、閣令、内務省令第9号は実効性喪失としている。しかしそうすると根拠法令のない独立命令となってしまうことになるので、ポツダム命令と解し、平和条約発効から180日間後に失効したとすべきである。
=== ポツダム命令であるかの再検討3―「ポツダム命令について」に加えるべきもの2新規制定その2 ===
*聯合国軍検閲官ノ為ス通信検閲上ノ必要ニ基キ電報及電話通話ノ取扱ニ関シ制限ノ件(昭和20年閣令第72号)
この命令は、占領軍の検閲のため国際電報について暗号の使用を禁止するなどの制限をするものであり、
「聯合国軍最高司令部ヨリ別紙ノ通申入アリタルニ」<ref>資料件名 聯合国軍検閲官ノ為ス通信検閲上ノ必要ニ基キ電報及電話通話ノ取扱ニ関シ制限ノ件ヲ定ム 国立公文書館請求番号類02949100 レファレンスコードA14101349500</ref>とあり、ポツダム命令の要素をそなえているように見える。しかし閣議決定は確認できず、制定文に「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」に基づく記載もない。占領軍の検閲に関しては、昭和20年10月12日にポツダム命令として公布された連合国占領軍ノ為ス郵便物、電報及ビ電話通話ノ検閲ニ関スル件(昭和20年閣令第43号)が、占領軍の検閲に協力するため必要な行為をさせることができるとしており、聯合国軍検閲官ノ為ス通信検閲上ノ必要ニ基キ電報及電話通話ノ取扱ニ関シ制限ノ件(昭和20年閣令第72号)は、連合国占領軍ノ為ス郵便物、電報及ビ電話通話ノ検閲ニ関スル件(昭和20年閣令第43号)に基づく2次的な命令とすればこれ自体はポツダム命令でないことになる。
*海外に発着する電報及び電話通話の取扱制限に関する件(昭和22年逓信省令第32号)
この命令は、海外に発着する電報及び電話通話について、金融取引に関するもの等を扱わないとするもので、閣議決定は確認できず、制定文に「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」に基づく記載もない。なおこの省令で閣令第72号を廃止している。

昭和25年9月1日に公布された海外に発着する電報及び電話通話の取扱制限に関する省令(昭和25年電気通信省令第13号)は、制定文に「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく」の文言があり、また閣議決定<ref>資料件名 海外に発着する電報及び電話通話の取扱制限に関する省令について(電気通信省) 国立公文書館請求番号平14内閣00118100 レファレンスコードA17111944600</ref>も経ておりポツダム命令であることは明らかである。(「ポツダム命令について」でもポツダム命令としている)。

問題はこの閣議決定の説明資料としてそれまでの取扱制限の法令として連合国占領軍ノ為ス郵便物、電報及ビ電話通話ノ検閲ニ関スル件(昭和20年閣令第43号)と海外に発着する電報及び電話通話の取扱制限に関する件(昭和22年逓信省令第32号)を記載し「以上の制限は、通信における国民の権利を制限するものであり憲法第二十一条に規定する「表現の自由」「通信の密<ref>原文のまま</ref>」との関連もあるからポツダム省令の形式をもつて施行している」のしていることである。となれば形式はともかく所管省は実質的な面からこのふたつの命令はポツダム命令であったとしていることになる。
=== ポツダム命令であるかの再検討4―「ポツダム命令について」に加えるべきもの3改正関係1 ===
ポツダム命令は、前述の「連合国軍最高司令官の要求に対する対応」にあるように法律事項になるものについて制定され、法律と同等の効力があるのであるので、その後の改廃は法律又はポツダム命令でしかできないと解することもできる。以下の命令(勅令4件、省令19件)はポツダム命令の改廃に関するもので、「ポツダム命令について」の一覧にはないもの<ref>政令にはこれに該当するものはない。</ref>である。

以下まず、ポツダム命令を単独で改正するものについて検討し、次に制度改正等に伴う一括改正中にポツダム命令を含むものについて記述する。なお検討にあたり、改正内容が実質的に法律事項の改正と考えられかどうか、また閣議決定<ref>閣令、省令は、本来閣議決定は不要であるが、前述のようにポツダム命令である場合は、閣議決定を行うことになっている。なお勅令の場合は、一般の勅令も閣議決定がされるので、閣議決定の有無はポツダム命令であるかの判断基準にはならない。</ref>が確認できるかについても記述する。

*昭和二十一年勅令第六十八号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く恩給法の特例に関する勅令)の一部を改正する勅令(昭和21年勅令第304号)

この勅令の上諭は下記のとおりであり確かに直接「昭和二十年勅令第五百四十二号に基き」とはなっていないが、内容は恩給を支給しない対象から「第一復員又は第二復員部内の軍人以外の公務員に恩給給与の道をひらくために改正」<ref>勅令の理由。国立公文書館請求番号類03032100</ref>であり、法律事項の改正である。

朕は、昭和二十一年勅令第六十八号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く恩給法の特例に関する勅令)の一部を改正する勅令を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

*昭和二十一年勅令第百九号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く就職禁止、退官、退職等に関する件)の一部を改正する勅令(昭和21年勅令第306号)

*昭和二十一年勅令第百九号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く就職禁止、退官、退職等に関する件)の一部を改正する勅令(昭和21年勅令第307号)

同じ昭和21年6月12日付けで同じ勅令を改正しているが、昭和21年勅令第306号は枢密院の諮詢を経ている。

内容は、第306号は、公職追放される者の範囲を拡大するもの、第307号は、公職追放に関して資料提出をさせる規定(拒むと罰則の適用がされる)の追加でありいずれも法律事項にかかわるものである。

地代家賃統制令の一部を改正する勅令(昭和22年勅令第17号)

規制される地代家賃の変更に関する規定の改正。規制される内容の変更であり法律事項にかかわるものである。

*昭和二十年大蔵省・外務省・内務省・司法省令第一号の改正の件(昭和21年大蔵省・司法省令第1号)
*昭和二十一年大蔵省・外務省・内務省・司法省令第一号の改正の件(昭和21年大蔵省・外務省・司法省令第2号)

閣議決定あり 資料件名 昭和20年大蔵、外務、内務、司法省令第1号及昭和21年大蔵、外務、司法省令第1号中改正ノ件(閣議了解) 国立公文書館請求番号平14内閣00001100

もともとの昭和二十年大蔵省・外務省・内務省・司法省令第一号は、件名が外地銀行、外国銀行及特別戦時機関ノ閉鎖ニ関スル件であり、後の閉鎖機関令の前身であり、日本が旧植民地や占領地に設立した機関の閉鎖を行うものである。また昭和二十一年大蔵省・外務省・内務省・司法省令第一号は、閉鎖機関保管人委員会等ニ関スル件であり閉鎖機関の管理についてのものである。改正はこれらの二つの命令の対象機関を追加するものである。閉鎖という強制措置の対象の変更は法律事項の改正とみるべきである。

なお昭和二十年大蔵省・外務省・内務省・司法省令第一号の改正の件(昭和21年大蔵省・司法省令第3号)も、対象機関の改正(追加ではなく、日沸銀行を除外するもの)であるが制定文<ref>「昭和二十年勅令第五百四十二号(ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)昭和二十年大蔵省・外務省・内務省・司法省令第一号を、次のように改正する。」となっており基づくとか基づきの文言はない。ただしこれは誤植として5月4日官報第5788号P14で訂正され「関スル件)」の次に「に基づいて、」を加えるとされた。</ref>が、昭和二十年勅令第五百四十二号を根拠とする言及があるため「ポツダム命令について」は。ポツダム命令としている。制定形式は重要であるが内容的には相違はない。

*昭和二十年大蔵省・外務省・内務省・司法省令第一号の改正の件(昭和21年大蔵省・外務省・司法省令第2号)
*昭和二十一年大蔵省・外務省・司法省令第一号の改正の件(昭和21年大蔵省・外務省・司法省令第3号)

こちらのほうは閣議決定を確認できない。内容的には閉鎖機関の追加であり、前のものと共通の性格である。

*昭和二十年商工省・文部省・農林省・運輸省令第一号の改正の件(昭和21年商工省・文部省・農林省・運輸省令第1号)

閣議決定あり 資料件名 昭和20年商工、文部、農林、運輸省令第1号(兵器、航空機等ノ生産制限ニ関スル件)中改正ノ件(閣議了解)(商工省) 国立公文書館請求番号平14内閣00001100

もともとの昭和二十年商工省・文部省・農林省・運輸省令第一号は、件名が兵器、航空機等ノ生産制限ニ関スル件であり、兵器や航空機の生産を禁止するものである。制定当時は、他の用途への使用は許可制であったが、この改正で原則禁止(占領軍の許可があれば可能)と規制が強化されており、法律事項にわたるとみるべきである。
また閣議決定には、占領軍の指令文書の添付もあり明らかにポツダム命令である。

*労働に関する團体の主要役職員への就職禁止等に関する件の改正の件(昭和21年厚生省、運輸省、内務省令第1号)

閣議決定あり 資料件名 昭和21年厚生、運輸、内務省令第1号の一部改正 労働組合役員に追放令適用の件) 国立公文書館請求番号平14内閣00018100

労働に関する團体の主要役職員への就職禁止等に関する件は、国策のための報国会等の役員の追放に関するもので、改正はその就職禁止を労働組合へ拡大するもの。禁止の範囲の拡大で法律事項にわたるとみるべきである。

*工場事業場、研究機関等ノ事業報告書等ニ関スル件の改正の件(昭和21年閣令、文部省、農林省、商工省、運輸省令第1号)

閣議決定あり 資料件名 昭和二十年閣、文、農、商、運令第一号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く工場事業場、研究機関等の事業報告書等に関する件)を改正する 国立公文書館請求番号類03025100

工場事業場、研究機関等ノ事業報告書等ニ関スル件は、兵器、航空機、軍需物資の工場の事業報告並びにこれらの研究報告書の提出を義務付けるものである。改正は研究報告書についてその提出頻度等の改正をするものであり、義務の変更として法律事項にわたるとみるべきである。

*正規陸海軍将校又は陸海軍特別志願予備将校であつた者の調査に関する件の改正の件(昭和21年内務省令第34号)
正規陸海軍将校又は陸海軍特別志願予備将校であつた者の調査に関する件は、陸海軍の将校だったものに届出義務を課すもので、改正は将校の死亡の場合に戸籍法の死亡届を出す義務のある者に届出義務を追加するもの。罰則の対象になることから法律事項にわたるとみるべきである。

*鉛屑回収規則の改正の件(昭和21年商工省令第51号)

閣議決定あり 資料件名 鉛屑回収規則の一部改正について(商工省) 国立公文書館請求番号平14内閣00012100 レファレンスコードA17111046700

鉛屑回収規則は、鉛及びその屑について指定会社以外との取引を禁止するものであるが、改正は戦災等で埋没したものについて強制譲渡を認めるものであり所有権の制限であり法律事項にわたるとみるべきである。

*昭和二十一年大藏、遞信省令第一號の一部改正の件(昭和21年大蔵省・逓信省令第2号)
昭和21年大藏、遞信省令第1号は、占領軍の発行する弗表示の軍票の所持の禁止と例外的に逓信官署(郵便局や電話局)で、受け入れる例外を規定していたもの。改正はこの例外において換算レートの規定を削るものである。罰則付きの規定の改正であり法律事項にわたるとみるべきである。

死産の届出に関する規程(昭和21年厚生省令第42号)は、死産について届出を義務付けたもの。占領時における4回の改正すべてがポツダム命令でないとされているが内容をみるとポツダム命令とみるべきである。

*死産の届出に関する規程の改正の件(昭和22年厚生省令第4号)
届出事項を改正(「届出の住所に母が引き続き住んでいた期間」を「届出の住所の市町村に母が引き続き住んでいた期間」)に改正。細かい改正であるが法定の届出事項の改正であり、法律事項にわたるとみるべきである。

阿片法施行規則等中改正(昭和22年厚生省令第14号)による改正は、制度改正等に伴う一括改正の一部である後の記載を参照

*死産の届出に関する規程の改正の件(昭和22年厚生省令第42号)
届けの事項を改正。法定の届出事項の改正であり、法律事項にわたるとみるべきである。

*死産の届出に関する規程の改正の件(昭和24年厚生省令第44号)

閣議決定あり 資料件名 昭和二十一年厚生省令第四十二号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く死産の届出に関する省令)の一部を改正する厚生省令 国立公文書館請求番号類03389100

届けの事項を改正。法定の届出事項の改正であり、法律事項にわたるとみるべきである。

*昭和二十二年閣令、内務省令第五号(昭和二十二年勅令第一号第八條に対する特例に関する命令)の改正の件(昭和22年総理庁令、内務省令第2号)
国立公文書館保存文書(国立公文書館請求番号昭57総00001100)は存在ずるが、総理府公文のファイルで閣議の案件番号もないので閣議を経ていない可能性は否定できない。しかし、昭和22年閣令、内務省令第5号を改正して適用範囲を「昭和二十二年十二月三十一日までに行われる衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長の選挙に関して」と拡大し、補欠選挙についても適用するもの。元の命令がポツダム命令であるからこれもポツダム命令とすべきである。

=== ポツダム命令であるかの再検討5―「ポツダム命令について」に加えるべきもの4改正関係2 ===
制度改正等に伴う一括改正中にポツダム命令を含むものである。
*地方官官制等ノ改正ニ伴フ工場法施行規則外十八省令中改正ノ件(昭和20年厚生省令第48号)

被改正ポツダム命令
*労務充足ニ関スル件(昭和20年厚生省令第41号)

*機械技術者検定令施行規則等改正の件(昭和22年労働省令第2号)

*被改正ポツダム命令

*昭和二十年勅令第五百四十二号ニ基ク港湾荷役力及船舶等造修能力ノ確保昂上ニ関スル件(昭和20年厚生省・運輸省令第1号)
*労働に関する團体の主要役職員への就職禁止等に関する件(昭和21年厚生省・運輸省・内務省令第1号)
この二つは性格が類似しているいずれも行政組織改変に伴い関係の省令を一括改正するものであるがその対処にポツダム命令であるものがあったものである。法律事項の性格はあまりないものである。
*阿片法施行規則等中改正(昭和22年厚生省令第14号)
被改正ポツダム命令

*麻薬取締規則(昭和21年厚生省令第25号)

*死産の届出に関する規程(昭和21年厚生省令第42号)
この改正は、日本国憲法に施行に伴い、戸主制度の廃止がされたことによる関連の厚生省令の改正するもので、死産の届出に関する規程については届出義務者から「戸主」を削除するもの。これ自体は法律事項の色彩は弱いがそれでも法的義務のあるものの変動であるから法律事項にわたるとみるべきである。
=== ポツダム命令であるかの再検討6―「ポツダム命令について」に加えるべきもの5 廃止関係 ===
*衆議院議員選挙法施行規則等の一部を改正する省令(昭和23年総理庁令第1号)

被廃止ポツダム命令

*選挙運動ノ費用等ノ届出ニ関スル件(昭和21年内務省令第11号)
*衆議院議員及び地方議会の議員等の選挙に関する選挙運動の費用及び選挙運動に関する収入の公開に関する省令(昭和22年内務省令第1号)

*鉛屑集荷規則(昭和23年商工省令第25号)
被廃止ポツダム命令

*鉛屑回収規則(昭和21年商工省令第25号)
この二つは、いずれもその省令自体は、法律の委任命令でありポツダム命令ではないが、ポツダム命令を廃止している。ポツダム命令制定後に法律が改正され、ポツダム命令の内容が委任命令で可能になったため<ref>選挙運動の費用の公開については、衆議院議員選挙法、鉛屑集荷規則は、臨時物資需給調整法</ref>である。


=== ポツダム命令の方式 ===
=== ポツダム命令の方式 ===
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# さらに総理庁令は、総理府設置後は、総理府令と読み替える。総理府設置法(昭和24年法律第127号)附則第5項による読み替え。
# さらに総理庁令は、総理府設置後は、総理府令と読み替える。総理府設置法(昭和24年法律第127号)附則第5項による読み替え。


また司法省廃止後、法務庁が設置され、さらに1949年(昭和24年)6月1日に法務府となった<ref>1952年(昭和27年)8月1日に、法務省となった</ref>。それぞれの時期に法務庁令<ref>制定の根拠は、法務庁設置法(昭和22年法律第193号)第2条第3項の規定により「省令」を「法務庁令」と読み替えて行政官庁法第6条(各省大臣が省令を発することができるとする規定)を準用することによる。 </ref>、法務府令<ref>制定の根拠は、国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第12条第1項。 </ref>が制定されたが、ポツダム命令との関連では、法務庁令、法務庁令によりポツダム命令が制定できるかについては、後に法制局長官となる佐藤達夫が「法務府令に対する読みかえの読み替えはちょっと見当たらない。」<ref>「ポツダム宣言についての私録」p19</ref>とするくらいあやふなところがあるものの、ポツダム命令として法務庁令が6本(単独4本、他省との共同命令4本)、法務府令5本(単独1本<ref>これは団体等規正令施行規則であり、ポツダム命令でない可能性が高い。</ref>、他省との共同命令4本)が制定されている。
また司法省廃止後、法務庁が設置され、さらに1949年(昭和24年)6月1日に法務府となった{{efn|1952年(昭和27年)8月1日に、法務省となった}}。それぞれの時期に法務庁令{{efn|制定の根拠は、法務庁設置法(昭和22年法律第193号)第2条第3項の規定により「省令」を「法務庁令」と読み替えて行政官庁法第6条(各省大臣が省令を発することができるとする規定)を準用することによる。}}、法務府令{{efn|制定の根拠は、国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第12条第1項。 }}が制定されたが、ポツダム命令との関連では、法務庁令、法務庁令によりポツダム命令が制定できるかについては、後に法制局長官となる佐藤達夫が「法務府令に対する読みかえの読み替えはちょっと見当たらない。」<ref>「ポツダム宣言についての私録」p19</ref>とするくらいあやふなところがあるものの、ポツダム命令として法務庁令が6本(単独4本、他省との共同命令4本)、法務府令5本(単独1本{{efn|これは団体等規正令施行規則であり、ポツダム命令でない可能性が高い。}}、他省との共同命令4本)が制定されている。


閣令・省令については、昭和20年9月22日の閣議了解「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)ニ基ク閣令及省令ノ件」により閣議了解を事前(緊急の場合は事後報告)に行う<ref>アジア歴史資料センター 公文類聚 昭和元年~20年 第69編・昭和20年 公文類聚・第六十九編・昭和二十年・第一巻・皇室・皇室令制・皇室財産・雑載、政綱一・詔勅・法例・公式令 レファレンスコードA03010218300</ref>とされた。
閣令・省令については、昭和20年9月22日の閣議了解「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)ニ基ク閣令及省令ノ件」により閣議了解を事前(緊急の場合は事後報告)に行う<ref>アジア歴史資料センター 公文類聚 昭和元年~20年 第69編・昭和20年 公文類聚・第六十九編・昭和二十年・第一巻・皇室・皇室令制・皇室財産・雑載、政綱一・詔勅・法例・公式令 レファレンスコードA03010218300</ref>とされた。
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更に一部改正の場合はこの文言を欠く事例がある。例えば死産の届出に関する規程は、昭和21年厚生省令第42号として制定された際は「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ命令ヲ発スル件)に基づき死産の届出に関する規程を次のように定める」とあったが、昭和22年2月1日厚生省令第4号による改正では「昭和二十一年九月厚生省令第四十二号(死産の届出に関する規程)の一部を次のように改正する」となっている。被改正法令がポツダム命令であるかないかを確認するしかない。
更に一部改正の場合はこの文言を欠く事例がある。例えば死産の届出に関する規程は、昭和21年厚生省令第42号として制定された際は「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ命令ヲ発スル件)に基づき死産の届出に関する規程を次のように定める」とあったが、昭和22年2月1日厚生省令第4号による改正では「昭和二十一年九月厚生省令第四十二号(死産の届出に関する規程)の一部を次のように改正する」となっている。被改正法令がポツダム命令であるかないかを確認するしかない。


なお、公布の際にこの文言を欠いていた<ref>昭和23年4月16日に、官報の正誤表をもつてこの政令の公布書中「重要物資在庫緊急調査令」の上に「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く」を加えるべきの誤りであつたと正誤されている。</ref>重要物資在庫緊急調査令(昭和23年3月27日政令第65号)について最高裁判所大法廷は「罰則を設けた政令を公布するに当つてその根拠を示さなかつたとしても、それだけでは直ちにそ
なお、公布の際にこの文言を欠いていた{{efn|昭和23年4月16日に、官報の正誤表をもつてこの政令の公布書中「重要物資在庫緊急調査令」の上に「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く」を加えるべきの誤りであつたと正誤されている。}}重要物資在庫緊急調査令(昭和23年3月27日政令第65号)について最高裁判所大法廷は「罰則を設けた政令を公布するに当つてその根拠を示さなかつたとしても、それだけでは直ちにそ
の政令を無効であるとする二一<ref>「二一」は、裁判所HP(http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/323/054323_hanrei.pdf)に掲載のままである。おそらく紙媒体をスキャンしてOCRする際に「こ」とすべきだったものと思われる。</ref>とはできない。その効力如何は、罰則を設けることができる実質上の根拠があつたかどうかによるのである」として「本件政令第六五号は、その実質において「昭和二〇年勅令第五四二号ボツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基くものであるから」として形式的にポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基がなくてもポツダム命令であることがあると認めている<ref>昭和24(れ)2696 重要物資在庫緊急調査令違反 昭和26年1月31日 最高裁判所大法廷 判決 刑集 第5巻1号137頁</ref>。
の政令を無効であるとする二一{{efn|「二一」は、裁判所HP( https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/323/054323_hanrei.pdf )に掲載のままである。おそらく紙媒体をスキャンしてOCRする際に「こ」とすべきだったものと思われる。}}とはできない。その効力如何は、罰則を設けることができる実質上の根拠があつたかどうかによるのである」として「本件政令第六五号は、その実質において「昭和二〇年勅令第五四二号ボツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基くものであるから」として形式的にポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基がなくてもポツダム命令であることがあると認めている<ref>昭和24(れ)2696 重要物資在庫緊急調査令違反 昭和26年1月31日 最高裁判所大法廷 判決 刑集 第5巻1号137頁</ref>。
=== ポツダム命令の役割 ===
=== ポツダム命令の役割 ===
ポツダム命令により定められた事項は多岐にわたる。占領初期には「非軍事化・民主化」政策の推進という役割を果たしたが、占領後期には占領政策の転換([[逆コース]])に伴い、[[労働運動]]や[[社会主義]]運動の取締りの役割を果たして行くようになる。「[[治安維持法]]廃止等ノ件(昭和20年勅令第575号)」、「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(昭和20年勅令第730号)」や「[[公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令]](昭和22年勅令第1号)」(いわゆる公職追放令)は前者とされるが、公職追放令は占領初期の旧軍人の追放が占領終期には解除がされる一方、共産党中央委員の追放に適用されるなどポツダム命令自体は変わらなくてもその適用対象が変化するものもあった。後者の例としては、「[[団体等規正令]](昭和24年政令第64号)」や「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和23年政令第201号)」(いわゆる[[政令201号]])や「[[占領目的阻害行為処罰令]](昭和25年政令325号)」などがあるが、やはり占領目的阻害行為処罰令のようにその処罰対象が、占領軍の指令に反する行為であり、その指令が転換するとともに実際の適用対象が変化していくこととなっていた。
ポツダム命令により定められた事項は多岐にわたる。占領初期には「非軍事化・民主化」政策の推進という役割を果たしたが、占領後期には占領政策の転換([[逆コース]])に伴い、[[労働運動]]や[[社会主義]]運動の取締りの役割を果たして行くようになる。「[[治安維持法]]廃止等ノ件(昭和20年勅令第575号)」、「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(昭和20年勅令第730号)」や「[[公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令]](昭和22年勅令第1号)」(いわゆる公職追放令)は前者とされるが、公職追放令は占領初期の旧軍人の追放が占領終期には解除がされる一方、共産党中央委員の追放に適用されるなどポツダム命令自体は変わらなくてもその適用対象が変化するものもあった。後者の例としては、「[[団体等規正令]](昭和24年政令第64号)」や「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和23年政令第201号)」(いわゆる[[政令201号]])や「[[占領目的阻害行為処罰令]](昭和25年政令325号)」などがあるが、やはり占領目的阻害行為処罰令のようにその処罰対象が、占領軍の指令に反する行為であり、その指令が転換するとともに実際の適用対象が変化していくこととなっていた。


=== ポツダム命令の数 ===
=== ポツダム命令の数 ===
ポツダム命令の総数は、526件<ref>出口雄一 戦後法制改革と占領管理体制(慶應義塾大学出版会 2017 p260。この本は、原資料として 法務大臣官房司法法制調査部司法法制課「ポツダム命令について」J&R 80号(1995年)p5以下をあげている。</ref>である。
ポツダム命令の総数は、526件{{efn|出口雄一 戦後法制改革と占領管理体制(慶應義塾大学出版会 2017 p260。この本は、原資料として 法務大臣官房司法法制調査部司法法制課「ポツダム命令について」J&R 80号(1995年)p5以下をあげている。}}である。


== 制定における混乱 ==
== 制定における混乱 ==
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昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く軍用電気通信法等を廃止する勅令(昭和21年勅令第564号)
昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く軍用電気通信法等を廃止する勅令(昭和21年勅令第564号)


の両方で廃止とされていた(なお表記はいずれも明治三十七年勅令第十九号)。昭和22年3月13日付け官報第6047号80ページで官報の訂正がされ勅令第564号から削られた。勅令第564号の御署名原本では明治三十七年勅令第十九号が線で抹消されている<ref>国立公文書館請求番号御30097100 。なお閣議決定書(国立公文書館請求番号類03026100 )は該当部分が法制局修正であることが確認できる。</ref>
の両方で廃止とされていた(なお表記はいずれも明治三十七年勅令第十九号)。昭和22年3月13日付け官報第6047号80ページで官報の訂正がされ勅令第564号から削られた。勅令第564号の御署名原本では明治三十七年勅令第十九号が線で抹消されている{{efn|国立公文書館請求番号御30097100 。なお閣議決定書(国立公文書館請求番号類03026100 )は該当部分が法制局修正であることが確認できる}}


=== 日遅れ官報 公布の日は法的にいつになるのか ===
=== 日遅れ官報 公布の日は法的にいつになるのか ===
昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合國最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和23年政令第201号)
昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合國最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和23年政令第201号)
この政令は、昭和23年7月31日付け官報で公布され、公布の日から施行されたことになっている。しかし実際には8月2日に印刷発送されており、7月31日の行為を処罰できないとする最高裁判決<ref>昭和30(れ)3  昭和二三年政令第二○一号違反教唆 事件 昭和32年12月28日  最高裁判所大法廷  判決において、現審の札幌高等裁判所認定を引用して「本件政令は昭和二三年七月三一日附官報号外に登載せられ、右官報号外は同年八月二日午前九時三〇分印刷を完了し、同日午後一時三〇分頃発送の手続をしたというのである。果してしからは、本件政令の登載せられた官報号外の日附の日である同年七月三一日には、右官報号外は未だ印刷も完了しておらず、ましてその発送にも着手していなかつた」として昭和二三年七月三一日附官報号外が日遅れ官報であったとしている。</ref>がある。
この政令は、昭和23年7月31日付け官報で公布され、公布の日から施行されたことになっている。しかし実際には8月2日に印刷発送されており、7月31日の行為を処罰できないとする最高裁判決{{efn|昭和30(れ)3  昭和二三年政令第二○一号違反教唆 事件 昭和32年12月28日  最高裁判所大法廷  判決において、現審の札幌高等裁判所認定を引用して「本件政令は昭和二三年七月三一日附官報号外に登載せられ、右官報号外は同年八月二日午前九時三〇分印刷を完了し、同日午後一時三〇分頃発送の手続をしたというのである。果してしからは、本件政令の登載せられた官報号外の日附の日である同年七月三一日には、右官報号外は未だ印刷も完了しておらず、ましてその発送にも着手していなかつた」として昭和二三年七月三一日附官報号外が日遅れ官報であったとしている。}}がある。


=== 件名の改正と反映しない処理 ===
=== 件名の改正と反映しない処理 ===
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さらにこの省令は、昭和22年3月14日に昭和22年厚生省令、運輸省令、内務省令第2号で改正されたが、このときは「昭和二十一年厚生省、運輸省、内務省令第一号を改正する」として件名を引用しなかった。
さらにこの省令は、昭和22年3月14日に昭和22年厚生省令、運輸省令、内務省令第2号で改正されたが、このときは「昭和二十一年厚生省、運輸省、内務省令第一号を改正する」として件名を引用しなかった。


そしてポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く労働省関係諸命令の廃止に関する法律(昭和27年法律第75号)では、労働に関する団体の主要役職員への就職禁止等に関する件(昭和二十一年厚生、運輸、内務省令第一号)を廃止すると規定し、件名の改正を無視した形になっている。
そして


== 現在も効力を有する「ポツダム命令」 ==
ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く労働省関係諸命令の廃止に関する法律(昭和27年4月7日法律第75号)
現在もいくつかのポツダム命令が、法律としての効力を持って存続している。これらは、[[法令番号]]は制定時のものがそのまま付されることになっている(つまり法律としての効力をもっていても政令第○○号のように表記する)ので注意が必要となる{{efn|出入国管理及び難民認定法(旧題名 出入国管理令)のように題名が法律のように改正されても法令番号は昭和26年政令第319号のままである。}}。


ポツダム命令は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律により別に法律で廃止又は存続に関する措置がされない場合、平和条約発効から180日間、法律としての効力があったものでありその後、政令や省令として効力を存続させたものはない。
では、


平和条約発効から180日間を経過した時点で、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律等により、法律としての効力を有するものとされたものは55件である。
労働に関する団体の主要役職員への就職禁止等に関する件(昭和二十一年厚生、運輸、内務省令第一号)を廃止すると規定し、件名の改正を無視した形になっている。


=== 項を「3 削除」と改正 ===
昭和26年5月1日に政令第130号として制定された「恩給法の特例に関する件の一部を改正する政令」は、附則第3項で、恩給法の特例に関する件の一部を改正する政令(昭和23政令第319号)を改正した。

このときに改正(原文縦書き)は

附則第三項を次のように改める。

3 削除

これがどうしておかしいといえば、項は本来段落にすぎず、条や号のように「第7条 削除」とはしないのが立法の原則であるからである。これは政令であるから本来は法制局が形式の誤りは厳重に正すところであるがこの時期は内閣法制局がなく法務府の一部で法令審査を行っていたことも原因であろうか。

== 現在も効力を有する「ポツダム命令」 ==
現在もいくつかのポツダム命令が、法律としての効力を持って存続している。これらは、[[法令番号]]は制定時のものがそのまま付されることになっている(つまり法律としての効力をもっていても政令第○○号のように表記する)ので注意が必要となる<ref>出入国管理及び難民認定法(旧題名 出入国管理令)のように題名が法律のように改正されても法令番号は昭和26年政令第319号のままである。</ref>。

ポツダム命令は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律により別に法律で廃止又は存続に関する措置がされない場合、平和条約発効から180日間、法律としての効力があったものでありその後、政令や省令として効力を存続させたものはない。
平和条約発効から180日間を経過した時点で、廃止又は存続に関する措置がされずに失効したポツダム命令は、19件、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律等により、法律としての効力を有するものとされたものは55件である。
更にその後に廃止等がされたもの、また実効性喪失若しくは罰則関係の経過措置のみのものを除き現行法令とされているのは次の22件である。
更にその後に廃止等がされたもの、また実効性喪失若しくは罰則関係の経過措置のみのものを除き現行法令とされているのは次の22件である。
* ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く賠償庁関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第16号)によるもの
* ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く賠償庁関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第16号)によるもの
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** 会社等臨時措置法等を廃止する政令(昭和23年政令第402号)附則第5条、第7条及び第9条
** 会社等臨時措置法等を廃止する政令(昭和23年政令第402号)附則第5条、第7条及び第9条


== 廃止又は存続に関する措置がされず失効した命令 ==
== 法文 ==
ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律により別に法律で廃止又は存続に関する措置がされない場合、平和条約発効から180日間、法律としての効力を有し180日を経過した日を以て効力を失うものとされたが、この規定により失効したポツダム命令は以下の17件である{{sfn|法令普及会|1952|p=24}}。
* 退職手当金、年金其他此等に準すべき利益の給付の制限に関する件(昭和21年勅令第116号)
* 町内会、部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
* 特殊用途機械の破壊に関する政令(昭和22年政令第244号)
* 賠償充当設備等撤去令(昭和22年政令第318号)
* [[政令201号|昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令]](昭和23年政令第201号)
* 電話加入権の取扱及び電話の譲渡禁止等に関する政令(昭和24年政令第48号)
* 船舶運航令(昭和25年政令第48号)
* [[電気事業再編成令]](昭和25年政令第342号)
* 公益事業令(昭和25年政令第343号)
* [[鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令]](昭和26年政令第360号)
* 兵器、航空機等ノ生産制限ニ関スル件(昭和20年商工省文部省農林省運輸省令第1号)
* 財団法人大日本武徳会の解散等に関する件(昭和21年内務省令第45号)
* 財団法人武蔵住宅協会等の解散に関する件(昭和21年内務省令第52号)
* 工場、事業場等の管理に関する件(昭和21年商工省文部省令第1号)
* 造船関係の工場、事業場等の管理に関する件(昭和21年運輸省令第32号)
* 指定施設等の使用制限に関する件(昭和22年商工省文部省農林省運輸省厚生省令第1号)
* 財団法人協助会の解散等に関する件(昭和23年総理府厚生省令第1号)

== 関係法文 ==
=== 「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件 ===
=== 「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件 ===
{{Wikisource|「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件}}
{{Wikisource|「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件}}
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=== 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(抄) ===
=== 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(抄) ===
{{Wikisource|日本國憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律}}
(昭和22年法律第72号)
(昭和22年法律第72号)
*第一条 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。
*第一条 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。
*第一条の二 前条の規定は、昭和二十年勅令第五百四十二号(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件)に基き発せられた命令の効力に影響を及ぼすものではない。
*第一条の二 前条の規定は、昭和二十年勅令第五百四十二号(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件)に基き発せられた命令の効力に影響を及ぼすものではない。



=== ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律 ===
=== ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律 ===
{{Wikisource|ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律}}
(昭和27年法律第81号)
(昭和27年法律第81号)
# ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号。以下「勅令第五百四十二号」という。)は、廃止する。
# ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号。以下「勅令第五百四十二号」という。)は、廃止する。
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: この政令は、公布の日から施行する。
: この政令は、公布の日から施行する。


{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===

{{Notelist}}
== 脚注 ==
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|title=旬刊時の法令解説
|issue=79
|publisher=大蔵省印刷局
|editor=法令普及会
|date=1952-11
|year=1952
|doi=10.11501/1403151
|ref=harv
}}
*{{Cite journal|和書|author=司法法制課|date=1995|title=ポツダム命令について|url=|journal=J & R : 法務大臣官房司法法制調査部季報|volume=|number=80|pages=5-60|publisher=法務大臣官房司法法制調査部|oclc=|ref=司法法制課(1995)}}
*{{Cite journal|和書|author=司法法制課|date=1995|title=ポツダム命令について|url=|journal=J & R : 法務大臣官房司法法制調査部季報|volume=|number=80|pages=5-60|publisher=法務大臣官房司法法制調査部|oclc=|ref=司法法制課(1995)}}
*{{Cite journal|和書|author=佐藤達夫|date=1953|title=ポツダム命令についての私録|url=|journal=自治研究|volume=28|number=|pages=|publisher=良書刊行会|oclc=|ref=佐藤(1953)}}
*{{Cite journal|和書|author=佐藤達夫|date=1953|title=ポツダム命令についての私録|url=|journal=自治研究|volume=28|number=|pages=|publisher=良書刊行会|oclc=|ref=佐藤(1953)}}
434行目: 216行目:
** [[日本の降伏]]
** [[日本の降伏]]
* [[法令]] - [[法律]]、[[命令 (法規)|命令]]
* [[法令]] - [[法律]]、[[命令 (法規)|命令]]
* [[十島村]] - ポツダム命令である1952年の「{{ws|[[:s:鹿兒島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令|鹿兒島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令]]}}」によって[[鹿児島県]]に設置された地方自治体。
* [[政令201号事件]] - ポツダム命令の有効性が争われた。
* [[政令201号事件]] - ポツダム命令の有効性が争われた。
{{DEFAULTSORT:ほつたむめいれい}}
{{DEFAULTSORT:ほつたむめいれい}}

[[Category:日本の命令 (国法の形式)]]
[[Category:占領下の日本の政治]]
[[Category:ポツダム命令|*]]

2023年12月24日 (日) 07:21時点における最新版

ポツダム命令(ポツダムめいれい)とは、いわゆるポツダム緊急勅令に基づいて発せられた一群の命令の総称である。いわゆるポツダム勅令ポツダム政令は、ポツダム命令の一種である。

ポツダム緊急勅令[編集]

概説[編集]

ポツダム緊急勅令とは、大日本帝国憲法第8条第1項の「法律に代わる勅令」に関する規定に基づき昭和20年(1945年9月20日公布・同日施行された「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)の通称である。ポツダム緊急勅令という用語は、法令上は使用されていないが、閣議決定のレベルを含む公文書で使用されている[注釈 1]

「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)において、日本国政府はポツダム宣言の受諾に伴う連合国軍最高司令官の要求事項に基づき、特に必要ある場合は命令をもって所要を定め、必要な罰則を設けるとしている。敗戦後の日本国内における連合国軍最高司令官の法的根拠と日本国政府を介した間接的な執行権限を示している。

ポツダム命令[編集]

連合国軍最高司令官の要求[編集]

連合国軍による日本占領は、日本の政府機関を温存・利用する間接統治によったが、連合国軍最高司令官の要求事項は指令・覚書(command、memorandum)の形[注釈 2]で政府に伝えられ、政府は命令の形にして国民と政府機関に伝えた。

ポツダム命令の効力[編集]

ポツダム命令の多くは、昭和27年(1952年4月28日日本国との平和条約(いわゆるサンフランシスコ講和条約)の発効に伴い、ポツダム緊急勅令とともに、または暫定措置として発効の日から180日間限りで廃止されたが、新たに代替の法律が制定されたものや法律としての効力を有するとの存続措置がとられたものもある。

なお、大日本帝国憲法下においては、憲法第8条に基づく勅令(緊急勅令=法律に代わる勅令)と、第9条に基づく勅令(普通の勅令)があった。いずれも法令番号としては単に「勅令第何号」とされたため、通常、どちらであるのか見分けるには公布時の上諭まで参照[注釈 3]しなければ判別できないが、このポツダム緊急勅令は前者であり、また、公布後に当時の帝国議会の承諾(1945年12月8日貴族院、同18日衆議院、ともに全会一致)を得ているため、その法令番号区分にかかわらず、旧憲法下の法律としての効力を有するものとされている(昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)参照)。

前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法律としての効力を有するものとされ、従ってこれに基くポツダム命令も、日本国憲法の施行及び日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律により失効することはないとされた(昭和22年法律第72号)(昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)参照)。

また、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律については、昭和22年1月29日に公布された(同日施行)昭和二十二年法律第七十二号日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の一部を改正する法律(昭和22年法律第244号)により第1条の2が追加され、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の規定が、ポツダム命令の規定に影響を及ぼさない旨が確認された。

ポツダム命令による罰則[編集]

ポツダム緊急勅令では、第二次世界大戦後、連合国軍の占領下にあった日本で、連合国軍最高司令官の発する要求事項の実施につき特に必要がある場合には、命令を以って、政府は所定の定めをし、必要な罰則[注釈 4]を定めることができるとした。

最初のポツダム命令と最後のポツダム命令[編集]

最初のポツダム命令は、命令の根拠となるポツダム緊急勅令の公布施行の2日後の昭和20年9月22日公布、同日施行された

  • 昭和20年大蔵省令第79号(聯合國占領軍ノ發行スル「B」號圓表示補助通貨ノ件)。

最後に制定されたポツダム命令は、昭和27年4月26日公布、同日施行された

  • 航空機の出入国等に関する政令等の一部を改正する政令(昭和27年4月26日政令第113号)

であり、平和条約発効(昭和27年4月28日)に伴いポツダム緊急勅令が廃止される2日前であった。

ポツダム命令の方式[編集]

ポツダム緊急命令と同日制定された昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)施行ニ関スル件(昭和20年勅令第543号)により、その形式は勅令(いわゆるポツダム勅令)・閣令・省令の3種とされ、また閣令・省令に規定できる罰則の限度も定められた。

この施行に関する件は、ポツダム緊急勅令の施行命令の性格であり、これ自体はポツダム命令ではない。立案当時、連合国軍最高司令官又はその代表者の要求が直接地方庁に対してなされ、府県令などの地方庁の命令の制定を要する事態が危惧されたが、これは好ましくないことからポツダム緊急勅令は、万一にそなえて広く「命令」としておき、一方普通の勅令(施行に関する件)をもって差し当たりその必要に従い命令の種類を勅令・閣令・省令のみに限定することし、罰則の限度も定めることとした。[1]。最終的に地方庁の命令がポツダム命令とされることはなかった。

なお、昭和22年(1947年5月3日日本国憲法施行により、勅令、閣令という法形式は廃止されたが、昭和20年勅令第543号は、改正されず関係法令の規定で次のように読み替えるものとされた。

  1. 勅令は、政令と読み替える。 日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令(昭和22年政令第14号)第2項)による読み替え。
  2. 閣令は、総理庁令と読み替える。 日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令(昭和22年政令第14号)第2項)による読み替え。
  3. さらに総理庁令は、総理府設置後は、総理府令と読み替える。総理府設置法(昭和24年法律第127号)附則第5項による読み替え。

また司法省廃止後、法務庁が設置され、さらに1949年(昭和24年)6月1日に法務府となった[注釈 5]。それぞれの時期に法務庁令[注釈 6]、法務府令[注釈 7]が制定されたが、ポツダム命令との関連では、法務庁令、法務庁令によりポツダム命令が制定できるかについては、後に法制局長官となる佐藤達夫が「法務府令に対する読みかえの読み替えはちょっと見当たらない。」[2]とするくらいあやふなところがあるものの、ポツダム命令として法務庁令が6本(単独4本、他省との共同命令4本)、法務府令5本(単独1本[注釈 8]、他省との共同命令4本)が制定されている。

閣令・省令については、昭和20年9月22日の閣議了解「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)ニ基ク閣令及省令ノ件」により閣議了解を事前(緊急の場合は事後報告)に行う[3]とされた。

前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法令番号としては通常の勅令と同じ番号付けをされ公布時の上諭まで参照しなければ判別できないが、これはポツダム命令一般についても同様であり、法令番号において通常の命令とポツダム命令は区別されておらず、上諭(勅令の場合)制定文(政令、省令等)に「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基」という文言があるかどうかを確認しないと判別できない。

更に一部改正の場合はこの文言を欠く事例がある。例えば死産の届出に関する規程は、昭和21年厚生省令第42号として制定された際は「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ命令ヲ発スル件)に基づき死産の届出に関する規程を次のように定める」とあったが、昭和22年2月1日厚生省令第4号による改正では「昭和二十一年九月厚生省令第四十二号(死産の届出に関する規程)の一部を次のように改正する」となっている。被改正法令がポツダム命令であるかないかを確認するしかない。

なお、公布の際にこの文言を欠いていた[注釈 9]重要物資在庫緊急調査令(昭和23年3月27日政令第65号)について最高裁判所大法廷は「罰則を設けた政令を公布するに当つてその根拠を示さなかつたとしても、それだけでは直ちにそ の政令を無効であるとする二一[注釈 10]とはできない。その効力如何は、罰則を設けることができる実質上の根拠があつたかどうかによるのである」として「本件政令第六五号は、その実質において「昭和二〇年勅令第五四二号ボツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基くものであるから」として形式的にポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基がなくてもポツダム命令であることがあると認めている[4]

ポツダム命令の役割[編集]

ポツダム命令により定められた事項は多岐にわたる。占領初期には「非軍事化・民主化」政策の推進という役割を果たしたが、占領後期には占領政策の転換(逆コース)に伴い、労働運動社会主義運動の取締りの役割を果たして行くようになる。「治安維持法廃止等ノ件(昭和20年勅令第575号)」、「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(昭和20年勅令第730号)」や「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令(昭和22年勅令第1号)」(いわゆる公職追放令)は前者とされるが、公職追放令は占領初期の旧軍人の追放が占領終期には解除がされる一方、共産党中央委員の追放に適用されるなどポツダム命令自体は変わらなくてもその適用対象が変化するものもあった。後者の例としては、「団体等規正令(昭和24年政令第64号)」や「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和23年政令第201号)」(いわゆる政令201号)や「占領目的阻害行為処罰令(昭和25年政令325号)」などがあるが、やはり占領目的阻害行為処罰令のようにその処罰対象が、占領軍の指令に反する行為であり、その指令が転換するとともに実際の適用対象が変化していくこととなっていた。

ポツダム命令の数[編集]

ポツダム命令の総数は、526件[注釈 11]である。

制定における混乱[編集]

ポツダム命令は、連合国軍の急な要求により制定されたため、法令の公布においても混乱が多く見られた。現在確実に確認できるだけでも次のものがある。

二度公布されたポツダム命令[編集]

前述の日本證券取引所法中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第100号)は、当初は11月26日付けの官報第5662号で公布する予定であったが、急遽11月25日付け官報号外で公布された。そのため26日の官報の取り消しが間に合わず、11月26日の官報でも同じ内容(省令番号も同じ第100号)が11月26日付けで公布され、同じものが2回公布されてしまった。翌11月27日付け官報で11月26日のほうは取り消されている。 同様に航海ノ制限等ニ関スル件(昭和20年11月25日運輸省令第40号)も同様に11月25日付け官報号外と11月26日の官報で重複公布され11月27日付け官報で11月26日のほうが取り消しとなっている。

二度廃止された法令[編集]

軍事郵便物ニ関スル件(明治37年勅令第19号)は、同じ昭和21年11月22日に公布施行された

昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く船舶保護法の廃止等に関する勅令(昭和21年勅令第562号)と

昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く軍用電気通信法等を廃止する勅令(昭和21年勅令第564号)

の両方で廃止とされていた(なお表記はいずれも明治三十七年勅令第十九号)。昭和22年3月13日付け官報第6047号80ページで官報の訂正がされ勅令第564号から削られた。勅令第564号の御署名原本では明治三十七年勅令第十九号が線で抹消されている[注釈 12]

日遅れ官報 公布の日は法的にいつになるのか[編集]

昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合國最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和23年政令第201号) この政令は、昭和23年7月31日付け官報で公布され、公布の日から施行されたことになっている。しかし、実際には8月2日に印刷発送されており、7月31日の行為を処罰できないとする最高裁判決[注釈 13]がある。

件名の改正と反映しない処理[編集]

昭和21年12月14日に制定された昭和21年厚生省令、運輸省令、内務省令第1号は、題名を有しないので、制定文を要約した件名が「労働ニ関スル団体ノ主要役職員ヘノ就職禁止等ニ関スル件」とされた。この省令(ポツダム命令)は、昭和22年1月18日に昭和22年厚生省令、運輸省令、内務省令第1号で改正された。このときの改正文に

件名中「主要役職員」を「役職員」に改める。

とあった。本来件名は正式に付されていないため、内容の変更があればそれにより、件名も変更になるので特に改正はされないので件名の改正というのは異例のことである。なお改正内容は、追放該当者が改正前は「労働に関する団体の主要役職員に就職できない」とあるのを「「労働に関する団体の役職員に就職できない」と改正しているの改正の内容は妥当である。

さらにこの省令は、昭和22年3月14日に昭和22年厚生省令、運輸省令、内務省令第2号で改正されたが、このときは「昭和二十一年厚生省、運輸省、内務省令第一号を改正する」として件名を引用しなかった。

そしてポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く労働省関係諸命令の廃止に関する法律(昭和27年法律第75号)では、労働に関する団体の主要役職員への就職禁止等に関する件(昭和二十一年厚生、運輸、内務省令第一号)を廃止すると規定し、件名の改正を無視した形になっている。

現在も効力を有する「ポツダム命令」[編集]

現在もいくつかのポツダム命令が、法律としての効力を持って存続している。これらは、法令番号は制定時のものがそのまま付されることになっている(つまり法律としての効力をもっていても政令第○○号のように表記する)ので注意が必要となる[注釈 14]

ポツダム命令は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律により別に法律で廃止又は存続に関する措置がされない場合、平和条約発効から180日間、法律としての効力があったものでありその後、政令や省令として効力を存続させたものはない。

平和条約発効から180日間を経過した時点で、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律等により、法律としての効力を有するものとされたものは55件である。

更にその後に廃止等がされたもの、また実効性喪失若しくは罰則関係の経過措置のみのものを除き現行法令とされているのは次の22件である。

  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く賠償庁関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第16号)によるもの
    • 朝鮮総督府交通局共済組合の本邦内にある財産の整理に関する政令(昭和26年政令第40号)
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第43号)によるもの
    • 閉鎖機関令(昭和22年勅令第74号)
    • 閉鎖機関に関する債権の時効等の特例に関する政令(昭和23年勅令第264号)
    • 旧日本占領地域に本店を有する会社の本邦内にある財産の整理に関する政令(昭和24年政令第291号)
    • 国外居住外国人等に対する債務の弁済のためにする供託の特例に関する政令(昭和25年政令第22号)
    • 閉鎖機関の引当財産の管理に関する政令(昭和25年政令第369号) ※存続措置当時の題名は「特定在外活動閉鎖機関等の引当財産の管理に関する政令」
    • 特別調達資金設置令(昭和26年政令第205号)
    • 外貨債処理法等ノ廃止及外国為替管理法等中改正ノ件(昭和20年大蔵省令第101号)附則第2項及び第4項
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く運輸省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第72号)によるもの
    • 航海ノ制限等ニ関スル件(昭和20年運輸省令第40号)
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く文部省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第86号)によるもの
    • 学校施設の確保に関する政令(昭和24年政令第34号)
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く経済安定本部関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第88号)によるもの
    • 物価統制令(昭和21年勅令第118号)
    • 外国政府の不動産に関する権利の取得に関する政令(昭和24年政令第311号)
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く連合国財産及びドイツ財産関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第95号)によるもの
    • 連合国財産上の家屋等の譲渡等に関する政令(昭和23年政令第298号)
    • 連合国財産である株式の回復に関する政令(昭和24年政令第310号)
    • ドイツ財産管理令(昭和25年政令第252号)
    • 連合国財産の返還等に関する政令(昭和26年政令第6号)
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く厚生省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第120号)によるもの
    • 陸軍刑法を廃止する等の政令(昭和22年政令第52号)
    • 死産の届出に関する規程(昭和21年厚生省令第42号)
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第126号)によるもの
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第137号)によるもの
    • 政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(昭和20年勅令第730号)
    • 沖縄関係事務整理に伴う戸籍、恩給等の特別措置に関する政令(昭和23年政令第306号)
    • 会社等臨時措置法等を廃止する政令(昭和23年政令第402号)附則第5条、第7条及び第9条

廃止又は存続に関する措置がされず失効した命令[編集]

ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律により別に法律で廃止又は存続に関する措置がされない場合、平和条約発効から180日間、法律としての効力を有し180日を経過した日を以て効力を失うものとされたが、この規定により失効したポツダム命令は以下の17件である[5]

  • 退職手当金、年金其他此等に準すべき利益の給付の制限に関する件(昭和21年勅令第116号)
  • 町内会、部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
  • 特殊用途機械の破壊に関する政令(昭和22年政令第244号)
  • 賠償充当設備等撤去令(昭和22年政令第318号)
  • 昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和23年政令第201号)
  • 電話加入権の取扱及び電話の譲渡禁止等に関する政令(昭和24年政令第48号)
  • 船舶運航令(昭和25年政令第48号)
  • 電気事業再編成令(昭和25年政令第342号)
  • 公益事業令(昭和25年政令第343号)
  • 鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令(昭和26年政令第360号)
  • 兵器、航空機等ノ生産制限ニ関スル件(昭和20年商工省文部省農林省運輸省令第1号)
  • 財団法人大日本武徳会の解散等に関する件(昭和21年内務省令第45号)
  • 財団法人武蔵住宅協会等の解散に関する件(昭和21年内務省令第52号)
  • 工場、事業場等の管理に関する件(昭和21年商工省文部省令第1号)
  • 造船関係の工場、事業場等の管理に関する件(昭和21年運輸省令第32号)
  • 指定施設等の使用制限に関する件(昭和22年商工省文部省農林省運輸省厚生省令第1号)
  • 財団法人協助会の解散等に関する件(昭和23年総理府厚生省令第1号)

関係法文[編集]

「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件[編集]

(昭和20年9月20日 勅令第542号)

  • 政府ハ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得
  • 附 則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

昭和二十年勅令第五百四十二号施行ニ関スル件[編集]

(昭和20年9月20日 勅令第543号)

  • 昭和二十年勅令第五百四十二号ニ於テ命令トハ勅令、閣令又ハ省令トス
  • 前項ノ閣令及省令ニ規定スルコトヲ得ル罰ハ三年以下ノ懲役又ハ禁錮、五千円以下ノ罰金、科料及拘留トス
  • 附 則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(抄)[編集]

(昭和22年法律第72号)

  • 第一条 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。
  • 第一条の二 前条の規定は、昭和二十年勅令第五百四十二号(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件)に基き発せられた命令の効力に影響を及ぼすものではない。

ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律[編集]

(昭和27年法律第81号)

  1. ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号。以下「勅令第五百四十二号」という。)は、廃止する。
  2. 勅令第五百四十二号に基く命令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、この法律施行の日から起算して百八十日間に限り、法律としての効力を有するものとする。
  3. この法律は、勅令第五百四十二号に基く命令により法律若しくは命令を廃止し、又はこれらの一部を改正した効果に影響を及ぼすものではない。
  • 附 則
  1. この法律は、日本国との平和条約の最初の効力発生の日から施行する。
  2. この法律施行のための経過的規定その他この法律の施行に関し必要な事項は、政令で定める。

ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件施行に関する件を廃止する政令[編集]

(昭和27年4月27日 政令第120号)

  • 内閣は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号)の廃止に伴い、この政令を制定する。
  • ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件施行に関する件(昭和二十年勅令第五百四十三号)は、廃止する。
  • 附 則
この政令は、公布の日から施行する。

注釈[編集]

  1. ^ 例えば、昭和26年9月21日付けの閣議了解では、件名を「「ポツダム」緊急勅令等の措置に関する件」とし、本文中で「昭和二〇年勅令第五四二号(ポツダム緊急勅令)及びこれに基づく諸般の命令(ポツダム命令)」という用例がある。「ポツダム」緊急勅令等の措置に関する件(昭和26.9.21閣議了解)国立公文書館請求番号 資00057100 (以下国立公文書所蔵の史料については、資料の件名と請求番号で表示し、必要に応じレファランス番号を付記する。)
  2. ^ 口頭要求の場合もあった。例えば、日本證券取引所法中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第100号)は、1945年11月24日の大蔵大臣に対する口頭要求(日本證券取引所法第28條等外国人を差別する法令の48時間以内の廃止)により、外貨債処理法等ノ廃止及外國爲替管理法等中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第101号)は、1945年11月24日の大蔵大臣に対する口頭要求(敵産管理法、外国為替管理法等大蔵省所管外国人を差別する法令の至急廃止)により制定された。資料 「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く諸法令要旨 アジア歴史資料センター 公文類聚 昭和元年~20年 第69編・昭和20年 公文類聚・第六十九編・昭和二十年・第一巻・皇室・皇室令制・皇室財産・雑載、政綱一・詔勅・法例・公式令 レファレンスコードA15060031000
  3. ^ 憲法第8条に基づく勅令には、上諭にその旨を記載する。(公式令第7条第2項)
  4. ^ 閣令、省令については別途の勅令(昭和20年勅令第543号)で罰則の限度が定められたが、勅令による罰則については制限がなく、死刑又は無期懲役を規定した例はなかったが、有毒飲食物等取締令(昭和21年勅令第52号)のように3年以上15年以下の懲役を規定したものがあった。
  5. ^ 1952年(昭和27年)8月1日に、法務省となった
  6. ^ 制定の根拠は、法務庁設置法(昭和22年法律第193号)第2条第3項の規定により「省令」を「法務庁令」と読み替えて行政官庁法第6条(各省大臣が省令を発することができるとする規定)を準用することによる。
  7. ^ 制定の根拠は、国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第12条第1項。
  8. ^ これは団体等規正令施行規則であり、ポツダム命令でない可能性が高い。
  9. ^ 昭和23年4月16日に、官報の正誤表をもつてこの政令の公布書中「重要物資在庫緊急調査令」の上に「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く」を加えるべきの誤りであつたと正誤されている。
  10. ^ 「二一」は、裁判所HP( https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/323/054323_hanrei.pdf )に掲載のままである。おそらく紙媒体をスキャンしてOCRする際に「こ」とすべきだったものと思われる。
  11. ^ 出口雄一 戦後法制改革と占領管理体制(慶應義塾大学出版会 2017 p260。この本は、原資料として 法務大臣官房司法法制調査部司法法制課「ポツダム命令について」J&R 80号(1995年)p5以下をあげている。
  12. ^ 国立公文書館請求番号御30097100 。なお閣議決定書(国立公文書館請求番号類03026100 )は該当部分が法制局修正であることが確認できる
  13. ^ 昭和30(れ)3  昭和二三年政令第二○一号違反教唆 事件 昭和32年12月28日  最高裁判所大法廷  判決において、現審の札幌高等裁判所認定を引用して「本件政令は昭和二三年七月三一日附官報号外に登載せられ、右官報号外は同年八月二日午前九時三〇分印刷を完了し、同日午後一時三〇分頃発送の手続をしたというのである。果してしからは、本件政令の登載せられた官報号外の日附の日である同年七月三一日には、右官報号外は未だ印刷も完了しておらず、ましてその発送にも着手していなかつた」として昭和二三年七月三一日附官報号外が日遅れ官報であったとしている。
  14. ^ 出入国管理及び難民認定法(旧題名 出入国管理令)のように題名が法律のように改正されても法令番号は昭和26年政令第319号のままである。

出典[編集]

  1. ^ 「ポツダム宣言についての私録」p16~19。
  2. ^ 「ポツダム宣言についての私録」p19
  3. ^ アジア歴史資料センター 公文類聚 昭和元年~20年 第69編・昭和20年 公文類聚・第六十九編・昭和二十年・第一巻・皇室・皇室令制・皇室財産・雑載、政綱一・詔勅・法例・公式令 レファレンスコードA03010218300
  4. ^ 昭和24(れ)2696 重要物資在庫緊急調査令違反 昭和26年1月31日 最高裁判所大法廷 判決 刑集 第5巻1号137頁
  5. ^ 法令普及会 1952, p. 24.

参考文献[編集]

  • 法令普及会 編『旬刊時の法令解説』79号、大蔵省印刷局、1952年11月。doi:10.11501/1403151 
  • 司法法制課「ポツダム命令について」『J & R : 法務大臣官房司法法制調査部季報』第80号、法務大臣官房司法法制調査部、1995年、5-60頁。 
  • 佐藤達夫「ポツダム命令についての私録」『自治研究』第28巻、良書刊行会、1953年。 

関連項目[編集]