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'''鷹見明彦'''(たかみ あきひこ、[[1955年]] - [[2011年]] )は、日本の[[美術評論家]]。
'''鷹見 明彦'''(たかみ あきひこ、[[1955年]][[7月19日]]<ref name="tobunken">[https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204356.html 東文研アーカイブデータベース]</ref> - [[2011年]][[3月23日]])は、日本の[[美術評論家]]。中国を代表する現代美術家、[[蔡国強]]の日本滞在時代(1986-1995年)の初期活動を支援。美術誌に執筆、芸大での講義、多数の現代美術展を企画した
中国を代表する現代美術家、[[蔡国強]]の日本滞在時代(1986-1995年)の初期活動を支援。
美術誌に執筆、芸大での講義、
多数の現代美術展企画。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
*1955年[[北海道]]生まれ
1955年[[北海道]][[富良野市]]生まれ<ref name="tobunken"/>。[[中央大学]][[文学部]]哲学科を卒業。

*[[中央大学]][[文学部]]哲学科を卒業。
*1990年以降、「美術手帖」を中心に現代美術の評論をてがける。
1990年以降、「[[美術手帖]]」を中心に現代美術の評論をてがける。多くの現代美術展を企画した

*多くの現代美術展を企画した。
2011年3月23日、[[肝臓癌]]のため死去<ref name="bukko">『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.353</ref>。
*2011年3月23日4時30分死去


== 関係事項 ==
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*アート×セラピー潮流([[フィルムアート社]])
*アート×セラピー潮流([[フィルムアート社]])
*左右/みぎひだり([[学燈社]])など。
*左右/みぎひだり([[学燈社]])など。

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== 外部リンク ==
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2023年12月25日 (月) 03:45時点における最新版

鷹見 明彦(たかみ あきひこ、1955年7月19日[1] - 2011年3月23日)は、日本の美術評論家。中国を代表する現代美術家、蔡国強の日本滞在時代(1986-1995年)の初期活動を支援。美術誌に執筆、芸大での講義、多数の現代美術展を企画した。

経歴[編集]

1955年、北海道富良野市生まれ[1]中央大学文学部哲学科を卒業。

1990年以降、「美術手帖」を中心に現代美術の評論をてがける。多くの現代美術展を企画した。

2011年3月23日、肝臓癌のため死去[2]

関係事項[編集]

著書・参考文献[編集]

  • 鷹見明彦 『龍、奔る | 蔡國強』、『特集1 蔡國強』、美術手帖 1999年3月号
  • 蔡国強といわきと彼の作品 蔡国強図録制作プロジェクト∥企画・制作 2002年
  • 蔡国強-環太平洋より- (Cai Guo Qiang : from the Pan-Pacific)いわき市立美術館∥編1994年
  • (いわきからの贈り物)A Gift from IWAKI Cai Guo-Qiang and Iwaki Team 2003-2009 2009年
  • 20世紀の美術と思想(美術出版社
  • 現代美術の教科書(美術出版社)
  • アート×セラピー潮流(フィルムアート社
  • 左右/みぎひだり(学燈社)など。

脚注[編集]

  1. ^ a b 東文研アーカイブデータベース
  2. ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.353

外部リンク[編集]