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「クロタール1世 (フランク王)」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2016年10月}}
[[画像:ClotaireIer Jean de Tillet-Recueil des rois de France.jpg|thumb|right|クロタール1世]]
{{基礎情報 君主
| 人名 = クロタール1世
| 各国語表記 = Clothar I
| 君主号 = [[フランク王の一覧|フランク国王]]
| 画像 = Bézard - Clotaire Ier des Francs.jpg
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 = [[ソワソン]]の王:[[511年]] - [[561年]]<br>全フランク王:[[558年]] - 561年
| 戴冠日 =
| 別号 =
| 全名 =
| 出生日 = [[497年]]
| 生地 = [[ソワソン]]
| 死亡日 = [[561年]][[11月29日]]
| 没地 = [[コンピエーニュ]]
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 継承者 =
| 継承形式 =
| 配偶者1 = グンテウカ
| 配偶者2 = ラデグンド
| 配偶者3 = イングンド
| 配偶者4 = アレグンド
| 配偶者5 = クンジナ
| 子女 = [[#子女|一覧参照]]
| 王家 =
| 王朝 = [[メロヴィング朝]]
| 王室歌 =
| 父親 = [[クローヴィス1世 (フランク王)|クローヴィス1世]]
| 母親 = [[クロティルダ (フランク王妃)|クロティルデ]]
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''クロタール1世'''('''Clothar I''', [[497年]] - [[561年]][[11月29日]])は、[[メロヴィング朝]][[フランク王国]]の創始者[[クローヴィス1世 (フランク王)|クローヴィス1世]]の五男で最年少の息子<ref>ル・ジャン、p. 24</ref>。母クロティルダにとっては四男。[[ソワソン]]王(在位:511年 - 561年)、後に二代目の全フランク王(在位:[[558年]] - 561年)。クロヴィスの5人の息子の中で最も長命であり、クロヴィスの死後に息子たちへ分割相続された王国は、再び彼のもとで統一された。


== 生涯 ==
'''クロタール1世'''('''Clothar I''', [[497年]] - [[561年]][[11月29日]]、在位:511年 - 561年、単独王としての在位:[[558年]] - 561年)は、[[メロヴィング朝]][[フランク王国]]の創始者[[クロヴィス1世]]の息子の一人。4人の息子の中で最も長命であり、クロヴィスの死後に息子たちへ分割相続された王国は、再び彼のもとで統一された。
[[497年]]に[[ソワソン]]にて生まれる。[[511年]]に父王クロヴィスが没すると、フランク王国はクロヴィスの息子である彼の他に、長子[[テウデリク]]、[[クロドメール]]、[[キルデベルト1世|キルデベルト]]によって分割された。その中でクロタールはソワソンを本拠とし、[[ラン (フランス)|ラン]]、[[ノワイヨン]]、[[カンブレー]]、[[マーストリヒト]]および[[マース川]]下流域を押さえた。しかしながら野心ある彼は自分の領地の拡大を努める事となる。


[[524年]]、彼は自分の兄弟クロドメールの息子を殺害させるよう扇動し[[トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]]と[[ポワティエ]]を奪取、そして[[ブルグント王国]]へ数々の侵攻を試みる。[[534年]]にブルグントを滅亡させ<ref name=J25>ル・ジャン、p. 25</ref>、[[グルノーブル]]、[[ディ]]周辺の地域を支配下におさめる。
==生涯==
[[497年]]に[[ソワソン]]にて生まれる。[[511年]]に父王クロヴィスが没すると、フランク王国はクロヴィスの息子である彼の他に、長子[[テウデリク]]、[[クロドメール]]、[[キルデベルト1世|キルデベルト]]によって分割された。その中でクロタールはソワソンを本拠とし、[[ラン (フランス)|ラン]]、[[ノワイヨン]]、[[カンブレー]]、[[マーストリヒト]]および[[マース川]]下流域を抑える。しかしながら野心ある彼は自分の領地の拡大を努める事となる。


[[東ゴート王国]]より[[プロヴァンス]]地方の割譲を受けると彼はその割譲分の中から[[オランジュ]]、[[カルパントラ]]、[[ギャップ (フランス)|ギャップ]]を勢力下にする。[[531年]]に自らの甥[[テウデベルト1世|テウデベルト]]とともに[[テューリンゲン州|テューリンゲン]]に遠征<ref name=J25 />、[[542年]]には兄キルデベルトとともに[[西ゴート王国]]へと侵攻する。そして[[555年]]甥の息子[[テオデバルド]]の死去にともなってクロタールはその領地を併合、[[558年]]に兄キルデベルトが没するとフランク王国を再併合、単独のフランク王となった<ref name=J25 />。
[[524年]]、彼は自分の兄弟クロドメールの息子を殺害させるよう扇動し[[トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]]と[[ポワティエ]]を奪取、そして[[ブルグンド]]へ数々の侵攻を試みる。[[534年]]にブルグンドを滅亡させ、[[グルノーブル]]、[[ディ]]周辺の地域を支配下におさめる。

[[東ゴート王国]]より[[プロヴァンス]]地方の割譲を受けると彼はその割譲分の中から[[オランジュ]]、[[カルパントラ]]、[[ギャップ (フランス)|ギャップ]]を勢力下にする。[[531年]]に自らの甥[[テウデベルト]]とともに[[テューリンゲン州|テューリンゲン]]に遠征、[[542年]]には兄キルデベルトとともに[[西ゴート王国]]へと侵攻する。そして[[555年]]甥の息子[[テオデバルド]]の死去にともなってクロタールはその領地を併合、[[558年]]に兄キルデベルトが没するとフランク王国を再併合、単独のフランク王となった。


フランク王となったクロタールはゲルマニアの大部分を支配下におさめ、[[ザクセン州|ザクセン]]へ進攻、[[サクソン人]]に対して年に500頭の牛の上納を要求する。彼の晩年は息子[[クラム]](Chram, Chlam)が幾度も対立するなど、内部の不和に悩まされる。クラムを追撃し[[ブルターニュ]]まで追い詰めたクロタールはクラムを妻子ともども小屋に閉じ込め、火をかけ焼き殺したと言う。しかし息子の殺害に自責の念を駆られたクロタールは贖罪を請うためにトゥールにある[[トゥールのマルティヌス|聖マルタン]]の墓を詣で、ほどなくして没した。
フランク王となったクロタールはゲルマニアの大部分を支配下におさめ、[[ザクセン州|ザクセン]]へ進攻、[[サクソン人]]に対して年に500頭の牛の上納を要求する。彼の晩年は息子[[クラム]](Chram, Chlam)が幾度も対立するなど、内部の不和に悩まされる。クラムを追撃し[[ブルターニュ]]まで追い詰めたクロタールはクラムを妻子ともども小屋に閉じ込め、火をかけ焼き殺したと言う。しかし息子の殺害に自責の念を駆られたクロタールは贖罪を請うためにトゥールにある[[トゥールのマルティヌス|聖マルタン]]の墓を詣で、ほどなくして没した。


==王国の分割==
== 王国の分割 ==
クロタール1世の死後、再び帝国は長子[[カリベルト]]、次子[[グントラム (ブルグント王)|グントラム]]、第三子[[シギベルト1世]]、末子[[キルペルク]]によって分割された。まもなくカリベルトが死去したことで、その領域は残った3つの分王国によって再分割され、[[アウストラシア]]、[[ネウストリア]]、[[ブルグンディア]]が鼎立する状況が形成された。
クロタール1世の死後、再び帝国は長子[[カリベルト1世|カリベルト]]、次子[[グントラム (ブルグント王)|グントラム]]、第三子[[シギベルト1世|シギベルト]]、末子[[キルペリク1世|キペリク]]によって分割された<ref name=J25 />。まもなくカリベルトが死去したことで、その領域は残った3つの分王国によって再分割され、[[アウストラシア]]、[[ネウストリア]]、[[ブルグンディア]]が鼎立する状況が形成された<ref name=J25 />


== 子女 ==
{{先代次代|[[フランク王国|フランク]][[フランク王の一覧|王]]|2代<br>558 - 561|[[クロヴィス1世]]|[[クロタール2世]]}}
最初に、ブルグント王ゴドマール2世の娘で兄[[クロドメール]]の寡婦グンテウカと結婚、子供はなかった。


二度目に、チューリンゲン王ベルタカリウスの娘ラデグンドと結婚(のち離婚、修道女となる、聖人)、子供はなかった<ref>成瀬、p. 53</ref>。

三度目に、チューリンゲン王女イングンドと結婚、5男2女が生まれた。
* グンタール - 長男。
* キルデリク - 次男。
* [[カリベルト1世]](517年頃 - 567/568年) - パリの王。三男。
* [[グントラム (ブルグント王)|グントラム]](532年頃 - 592年) - オルレアンの王。四男。
* [[シギベルト1世]](535年頃 - 575年) - ランスの王。五男。
* クロトジンド - [[ランゴバルト王国|ランゴバルト王]][[アルボイーノ]]と結婚。長女。

四度目に、イングンドの妹アレグンドと結婚、1男をもうけた。
* [[キルペリク1世]](539年頃 - 584年) - ソワソンの王。六男。

五度目に、クンジナと結婚、1男をもうけた。
* クラム(? - 561年) - アキテーヌ公。七男。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* レジーヌ・ル・ジャン 『メロヴィング朝』 白水社、2009年
* [[成瀬治]] 他 編 『世界歴史大系 ドイツ史 1』 [[山川出版社]]、1997年

== 関連項目 ==
*[[フランク王の一覧]]

{{先代次代|[[フランク王国|フランク]][[フランク王の一覧|王]]|2代<br>558年 - 561年|[[クローヴィス1世 (フランク王)|クローヴィス1世]]|[[クロタール2世 (フランク王)|クロタール2世]]}}
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[[zh:克洛泰尔一世]]

2023年12月25日 (月) 12:37時点における最新版

クロタール1世
Clothar I
フランク国王
在位 ソワソンの王:511年 - 561年
全フランク王:558年 - 561年

出生 497年
ソワソン
死去 561年11月29日
コンピエーニュ
配偶者 グンテウカ
  ラデグンド
  イングンド
  アレグンド
  クンジナ
子女 一覧参照
王朝 メロヴィング朝
父親 クローヴィス1世
母親 クロティルデ
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クロタール1世Clothar I, 497年 - 561年11月29日)は、メロヴィング朝フランク王国の創始者クローヴィス1世の五男で最年少の息子[1]。母クロティルダにとっては四男。ソワソン王(在位:511年 - 561年)、後に二代目の全フランク王(在位:558年 - 561年)。クロヴィスの5人の息子の中で最も長命であり、クロヴィスの死後に息子たちへ分割相続された王国は、再び彼のもとで統一された。

生涯

[編集]

497年ソワソンにて生まれる。511年に父王クロヴィスが没すると、フランク王国はクロヴィスの息子である彼の他に、長子テウデリククロドメールキルデベルトによって分割された。その中でクロタールはソワソンを本拠とし、ランノワイヨンカンブレーマーストリヒトおよびマース川下流域を押さえた。しかしながら野心ある彼は自分の領地の拡大を努める事となる。

524年、彼は自分の兄弟クロドメールの息子を殺害させるよう扇動しトゥールポワティエを奪取、そしてブルグント王国へ数々の侵攻を試みる。534年にブルグントを滅亡させ[2]グルノーブルディ周辺の地域を支配下におさめる。

東ゴート王国よりプロヴァンス地方の割譲を受けると彼はその割譲分の中からオランジュカルパントラギャップを勢力下にする。531年に自らの甥テウデベルトとともにテューリンゲンに遠征[2]542年には兄キルデベルトとともに西ゴート王国へと侵攻する。そして555年甥の息子テオデバルドの死去にともなってクロタールはその領地を併合、558年に兄キルデベルトが没するとフランク王国を再併合、単独のフランク王となった[2]

フランク王となったクロタールはゲルマニアの大部分を支配下におさめ、ザクセンへ進攻、サクソン人に対して年に500頭の牛の上納を要求する。彼の晩年は息子クラム(Chram, Chlam)が幾度も対立するなど、内部の不和に悩まされる。クラムを追撃しブルターニュまで追い詰めたクロタールはクラムを妻子ともども小屋に閉じ込め、火をかけ焼き殺したと言う。しかし息子の殺害に自責の念を駆られたクロタールは贖罪を請うためにトゥールにある聖マルタンの墓を詣で、ほどなくして没した。

王国の分割

[編集]

クロタール1世の死後、再び帝国は長子カリベルト、次子グントラム、第三子シギベルト、末子キルペリクによって分割された[2]。まもなくカリベルトが死去したことで、その領域は残った3つの分王国によって再分割され、アウストラシアネウストリアブルグンディアが鼎立する状況が形成された[2]

子女

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最初に、ブルグント王ゴドマール2世の娘で兄クロドメールの寡婦グンテウカと結婚、子供はなかった。

二度目に、チューリンゲン王ベルタカリウスの娘ラデグンドと結婚(のち離婚、修道女となる、聖人)、子供はなかった[3]

三度目に、チューリンゲン王女イングンドと結婚、5男2女が生まれた。

四度目に、イングンドの妹アレグンドと結婚、1男をもうけた。

五度目に、クンジナと結婚、1男をもうけた。

  • クラム(? - 561年) - アキテーヌ公。七男。

脚注

[編集]
  1. ^ ル・ジャン、p. 24
  2. ^ a b c d e ル・ジャン、p. 25
  3. ^ 成瀬、p. 53

参考文献

[編集]
  • レジーヌ・ル・ジャン 『メロヴィング朝』 白水社、2009年
  • 成瀬治 他 編 『世界歴史大系 ドイツ史 1』 山川出版社、1997年

関連項目

[編集]
先代
クローヴィス1世
フランク
2代
558年 - 561年
次代
クロタール2世