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「ヴェリミール・フレーブニコフ」の版間の差分

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== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[ロシア帝国]][[アストラハン県]]の村落で誕生した。アルメニアおよびザポロージャ・コサックの家系<ref>[http://rvb.ru/hlebnikov/tekst/07avtbio/274.htm АВТОБИОГРАФИЧЕСКАЯ ЗАМЕТКА]</ref>。3番目の子であり、母親はエカチェリーナ・ニコラーエヴナ・ヴェルピーツカヤ、父親は鳥類学者ヴラジーミル・アレクセーヴィッチ・フレーブニコフ<ref>[http://www.ka2.ru/nauka/stepanov.html Велимир Хлебников:биографический очерк]</ref>。1898年に一家はカザンに移り、地元にある学校に通う。卒業後、1903年に[[カザン大学]]理学部へ入学、数学や生物学を中心に学ぶ。さらに学業を続けるため1908年にペテルブルクに上京し、1911年に中退するまで[[ペテルブルク大学]]に通った<ref>[http://rvb.ru/hlebnikov/ Велимир Хлебников(Виктор Владимирович)]</ref>。在学中から詩を書き始める。ペテルブルクで多くの駆け出しの詩人たちと知り合う。やがて未来派詩人としてザーウミや新造語をたくみに操りながら、めきめきと存在感を増し始める。「シャーマンとヴィーナス」などさまざまな作品を発表。スラブ異教や古代世界に憧れを抱き、その所望を作品に表現している。フレーブニコフは各地を彷徨い続け、1922年にノヴゴロド県の村で死去した。モスクワにある[[ノヴォデヴィチ女子修道院#ノヴォデヴィチ墓地|ノヴォデヴィチ墓地]]に埋葬されている。
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== 作品 ==
== 作品 ==
=== 実験詩 ===
* 笑いの呪文(1910)
=== 叙事詩 ===
* ラドミール(1920)
=== 散文 ===
* カー(1915)
=== 超小説 ===
* ザンゲジ(1922)


== 日本語訳 ==
== 日本語訳 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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*[https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10925639_po_ART0001635668.pdf?contentNo=1&alternativeNo= フレーブニコフと日本 : 『二人の日本人への手紙』を中心に]亀山,郁夫 (日本ロシヤ文学会, 1985-09-15)

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ヴェリミール・フレーブニコフ
ペンネーム Велимир Хлебников
誕生 Виктор Владимирович Хлебников
(1885-11-09) 1885年11月9日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国アストラハン県
死没 (1922-06-28) 1922年6月28日(36歳没)
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国の旗 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国ノヴゴロド
職業 詩人
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ヴェリミール・フレーブニコフВелими́р Хле́бников1885年11月9日 - 1922年6月28日)は、ロシアの詩人。本名はヴィクトル・ヴラジーミロヴィチ・フレーブニコフ(Виктор Владимирович Хлебников)。

略歴[ソースを編集]

ロシア帝国アストラハン県カルムイクの草原にある村落で誕生した[1]アルメニアおよびザポロージャ・コサックの家系[2]。3番目の子であり、母親はエカチェリーナ・ニコラーエヴナ・ヴェルピーツカヤ、父親は鳥類学者ヴラジーミル・アレクセーヴィッチ・フレーブニコフ[3]。幼少期から動植物学に熱中した[1]1898年に一家はカザンに移り、地元にある学校に通う。卒業後、1903年カザン大学理学部へ入学、数学や生物学を中心に学ぶ。日露戦争により日本語の独学を始め、1905年日本海海戦敗戦の衝撃を『ものはみなあまりに蒼く』と題して詩作する[注釈 1]。さらに学業を続けるため1908年にペテルブルクに上京し、1909年秋には、ヴェリミールの筆名を使用開始。1911年に中退するまでペテルブルク大学に通った[4]。在学中から詩を書き始める。ペテルブルクで多くの駆け出しの詩人たちと知り合う。やがて未来派詩人としてザーウミや新造語をたくみに操りながら、めきめきと存在感を増し始める。1912年には、未来派文集『社会の趣味への平手打ち』発表に参加。初期作品は、言語実験から原始回帰を歌い込む詩までさまざまな形態をとり、ウラジーミル・タトリンパーヴェル・フィローノフら同時代の画家たちに影響を与えた[1][注釈 2]。「シャーマンとヴィーナス」などさまざまな作品を発表。スラブ異教や古代世界に憧れを抱き、また、アジアへの回帰が主題化され[1]、その所望を作品に表現している。革命後は、「地球の代表者」の理念を掲げ、ユートピア風の「時間国家」の実現を構想した[1]。フレーブニコフは各地を彷徨い続け、内戦末期の1922年にノヴゴロド県の村で死去した。モスクワにあるノヴォデヴィチ墓地に埋葬されている。

作品[ソースを編集]

実験詩[ソースを編集]

  • 笑いの呪文(1910)

叙事詩[ソースを編集]

  • ラドミール(1920)

散文[ソースを編集]

  • カー(1915)

超小説[ソースを編集]

  • ザンゲジ(1922)

日本語訳[ソースを編集]

研究書[ソースを編集]

  • 亀山郁夫『甦るフレーブニコフ』晶文社、1989年(平凡社ライブラリー、2009年)

関連人物[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

注釈[ソースを編集]

  1. ^ 敗戦の衝撃は、生涯にわたる「時間の法則」の探究の契機となり、その過程で、1917年の「国家の崩壊」を予言することとなった。「詩人紹介 フレーブニコフ、ヴェリミール」亀山郁夫・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド5 ポエジア―言葉の復活』国書刊行会、1995年 p.379
  2. ^ 1920年代のペトログラード(レニングラード)において、マリア・ユーディナは、多くの詩人たちに超意味言語を用いる詩人フレーブニコフの作品を教えた。カテリーナ・クラーク・マイケル・ホルクイスト『ミハイール・バフチーンの世界』川端香男里・鈴木晶共訳、せりか書房、1990年 pp.142-143

出典[ソースを編集]

  1. ^ a b c d e 「詩人紹介 フレーブニコフ、ヴェリミール」亀山郁夫・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド5 ポエジア―言葉の復活』国書刊行会、1995年 p.379
  2. ^ АВТОБИОГРАФИЧЕСКАЯ ЗАМЕТКА
  3. ^ Велимир Хлебников:биографический очерк
  4. ^ Велимир Хлебников(Виктор Владимирович)

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]