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大手百貨店そごうグループ10番目の店舗として<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5">佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』[[経済界]]、1994年5月。ISBN 978-4766702514</ref>1979年[[10月6日]]に開店<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990" /><ref name="asahi-np-1979-10-7"/>。広告に、当時流行していたアニメ「[[宇宙戦艦ヤマト]]」をモチーフにした「まるで宇宙戦艦!」というキャッチフレーズを使用するなど、九州での知名度不足を補うため宣伝・広報活動に力を入れていた<ref>{{Citation|title=黒崎そごう オープンCM(1979年)|url=https://www.youtube.com/watch?v=6maEmQX5Xls|date=2011-05-28|accessdate=2019-03-13|last=KUROSAKI SOGO}}</ref><ref>{{Citation|title=KUROSAKI SOGO 1979-2000 〜 Farewell to Space Battleship 〜|url=https://www.youtube.com/watch?v=rlNzD82fyuc|date=2012-03-06|accessdate=2019-03-13|last=KUROSAKI SOGO}}</ref>。 |
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川の流れるレストラン街が初めて設置されたそごう店舗である<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5">佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』[[経済界]]、1994年5月。ISBN 978-4766702514</ref>。当店の開店でそごうは[[北海道]]、[[本州]]、[[四国]]、[[九州]]4島全てへの出店を達成した初の百貨店となった<ref name="asahi-seibu-1979-10-03">{{Cite news |title=新聞特集「躍進するそごうグループ」|newspaper=朝日新聞西部本社 |date=1979-10-03 |author= |url= |accessdate=2019-05-03}}</ref>。 |
川の流れるレストラン街が初めて設置されたそごう店舗である<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5">佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』[[経済界 (出版社)|経済界]]、1994年5月。ISBN 978-4766702514</ref>。当店の開店でそごうは[[北海道]]、[[本州]]、[[四国]]、[[九州]]4島全てへの出店を達成した初の百貨店となった<ref name="asahi-seibu-1979-10-03">{{Cite news |title=新聞特集「躍進するそごうグループ」|newspaper=朝日新聞西部本社 |date=1979-10-03 |author= |url= |accessdate=2019-05-03}}</ref>。 |
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黒崎そごうビルの正式名称は[[メイト黒崎]]で、開業当時はメイト黒崎直営の「ショッピングセンターメイト黒崎(クロサキメイト)」、テナントとして黒崎そごう、[[ジャスコ]](現:[[イオン (企業)|イオン]]が運営するジャスコ黒崎店<ref name="asahi-np-1979-10-7" />(のち黒崎[[フォーラス]]に業態転換後、閉鎖)が入居していた。[[1999年]]のフォーラス撤退後は、メイト黒崎直営の「メイトエンポリアム」として継続営業(のちにクロサキメイトと統合)された。 |
黒崎そごうビルの正式名称は[[メイト黒崎]]で、開業当時はメイト黒崎直営の「ショッピングセンターメイト黒崎(クロサキメイト)」、テナントとして黒崎そごう、[[ジャスコ]](現:[[イオン (企業)|イオン]]が運営するジャスコ黒崎店<ref name="asahi-np-1979-10-7" />(のち黒崎[[フォーラス]]に業態転換後、閉鎖)が入居していた。[[1999年]]のフォーラス撤退後は、メイト黒崎直営の「メイトエンポリアム」として継続営業(のちにクロサキメイトと統合)された。 |
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2000年7月12日にそごうグループの経営破綻。黒崎そごうは黒字で好調な筈が老朽化からくる改善投資の必要性、さらに耐震工事投資の必要性があり、そのことを考慮すると、利益化の可能性は難しい上、商圏内の基幹産業の衰退と2大都市圏、福岡、小倉の流出度が極めて高いことからマーケット自体が衰退してきており、将来の拡大が望めない事。更に[[コムシティ]]の出現で新たな競合の軌道を考えると、減収減益に歯止めがかからず赤字転落は避けられないと考え、黒崎そごうは[[小倉そごう]]と同様に同年[[12月25日]]([[クリスマス]])に閉店した<ref name="asahi-np-2000-12-26" />。北九州の副都心である黒崎の中心地(JR黒崎駅から至近距離)にある巨大ビルの大方が閉鎖されたままという状態によるイメージダウンを懸念していた地元の強い要望もあり、黒崎そごう跡には[[長崎屋]]黒崎店 |
2000年7月12日にそごうグループの経営破綻。黒崎そごうは黒字で好調な筈が老朽化からくる改善投資の必要性、さらに耐震工事投資の必要性があり、そのことを考慮すると、利益化の可能性は難しい上、商圏内の基幹産業の衰退と2大都市圏、福岡、小倉の流出度が極めて高いことからマーケット自体が衰退してきており、将来の拡大が望めない事。更に[[コムシティ]]の出現で新たな競合の軌道を考えると、減収減益に歯止めがかからず赤字転落は避けられないと考え、黒崎そごうは[[小倉そごう]]と同様に同年[[12月25日]]([[クリスマス]])に閉店した<ref name="asahi-np-2000-12-26" />。北九州の副都心である黒崎の中心地(JR黒崎駅から至近距離)にある巨大ビルの大方が閉鎖されたままという状態によるイメージダウンを懸念していた地元の強い要望もあり、黒崎そごう跡には[[長崎屋]]黒崎店(2002年2月11日閉店<ref name="zaikai-kyushu-2002-2-137">『WEEKLY DIGEST 井筒屋黒崎店跡 3月に専門店としてオープン』 財界九州2002年1月号 (財界九州社) (2002年2月)</ref>)向かいにあった井筒屋黒崎店が、2001年10月に移転して開業した<ref name="history">{{Cite web|和書| last = | first = | authorlink = | coauthors = | title =沿革 | work = | publisher = 井筒屋 | date = | url = http://corp.izutsuya.co.jp/about/history/ | format = | doi = | accessdate = 2018-09-30}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|井筒屋はJR小倉駅前に立地していた旧小倉そごう(セントシティ北九州ビル)にも、[[小倉玉屋]]・小倉伊勢丹の撤退後、[[2008年]][[4月1日]]に「コレット井筒屋」を開店し<ref name="nishinippon200842">{{Cite news |title=小倉の顔“最後の切り札”「コレット井筒屋」開業 活性化へ大役担う |newspaper=西日本新聞 |publisher=西日本新聞社 |page={{要ページ番号|date=2016年8月}} |date=2008-04-02}}</ref>、2009年3月11日に改装して店名「[[コレット (百貨店)|コレット]]」に改称しており<ref name="nishinippon2009311">{{Cite news |title=改装コレット ロフトが開業 北九州 |newspaper=西日本新聞 |publisher=西日本新聞社 |page={{要ページ番号|date=2016年8月}} |date=2009-03-11}}</ref>、北九州市にあったかつてのそごう2店舗(黒崎、小倉)は、ともに井筒屋グループが経営する百貨店が入居していたが、井筒屋の経営不振に伴い小倉のコレットは2019年に撤退した<ref name="asahi201881">{{Cite news | title = 苦境の井筒屋「荒療治」 閉店3店、全売上高の3分の1| newspaper = [[朝日新聞]]| date = 2018-08-01 |author = | publisher = 朝日新聞社 | page = 西部本社朝刊 経済面 }}</ref><ref name="kurosaki2019">{{Cite web|和書|date=2019-02-25|url=https://www.tnc.co.jp/news/articles/NID2019022503537|title=井筒屋黒崎店 一転“閉店せず”営業継続 8月からフロア縮小“黒字の見通しついた”|publisher=テレビ西日本|accessdate=2019-02-26}}</ref>。}}。 |
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屋上は、夏期に限り「屋上ビアガーデン」としてオープンしており、井筒屋移管後も継続していた<ref>{{Cite news|url=http://www.izutsuya.co.jp/storelist/kurosaki/archives/51501074.html |title=黒崎井筒屋 屋上ビアガーデンオープン!|publisher= 井筒屋黒崎店 |date=2014-06-09|archiveurl=https://archive.ph/iKP8X|archivedate=2014-08-15}}</ref>。 |
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井筒屋黒崎店は、入居する「クロサキメイト」の運営会社が2020年4月に経営破綻したことにより同ビルからの撤退を発表し、同年 |
井筒屋黒崎店は、入居する「クロサキメイト」の運営会社が2020年4月に経営破綻したことにより同ビルからの撤退を発表し、同年8月17日に閉店した<ref name="井筒屋黒崎閉店">{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/636370/ |title=さよなら井筒屋黒崎店 北九州・黒崎の「顔」…60年超の歴史に幕|publisher=西日本新聞|date=2020-08-18}}</ref>。 |
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* [[2000年]] |
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**[[7月12日]] - そごう本社が[[民事再生法]]の適用を申請し、黒崎そごうも負債総額約321億円を抱えて同時に民事再生法の適用を申請した<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11">東京商工リサーチ情報部 『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』 [[エイチアンドアイ]]、2000年11月。ISBN 978-4901032315</ref>。 |
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2024年1月20日 (土) 09:15時点における最新版
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![]() Kurosaki SOGO | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒806-0021 福岡県北九州市八幡西区黒崎1−1−1[1] |
開業日 |
1979年(昭和54年)10月3日[2] 開店日:1979年(昭和54年)10月6日[1][3] |
閉業日 | 2000年(平成12年)12月25日[5] |
建物名称 | 黒崎駅東地区再開発ビル(メイト黒崎ビル)[2] |
土地所有者 | 黒崎駅東地区市街地再開発組合 |
施設所有者 | 株式会社黒崎そごう |
施設管理者 | 株式会社黒崎そごう |
設計者 | 石本建築事務所 |
施工者 | 大成建設九州支店 |
敷地面積 | 20,747.05 m² |
建築面積 | 15,228.62 m² (建蔽率73%) |
延床面積 | 98,195.28 m² |
商業施設面積 | 26,332 m²[6] |
営業時間 | 午前10時〜午後7時[4] |
後身 | 井筒屋黒崎店 |
最寄駅 | |
最寄IC | 北九州高速4号線 黒崎出入口(当時) |
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種類 | 株式会社[1] |
---|---|
略称 | 黒崎そごう |
本社所在地 |
806-0021 福岡県北九州市八幡西区黒崎1−1−1[1] |
設立 | 1977年(昭和52年)10月21日[1] |
業種 | 小売業 |
資本金 |
1億円[1] ↓ 7億5000万円[1] |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/20170219_Izutsuya_Kurosaki.jpg/220px-20170219_Izutsuya_Kurosaki.jpg)
そごう閉店後、井筒屋黒崎店が入居していた。
黒崎そごう(くろさきそごう)は、1979年から2000年まで福岡県北九州市八幡西区のJR黒崎駅前に存在していた百貨店、および同店舗を所有、運営していたそごうグループの関連会社の名称である[5]。
閉店後、2001年から2020年までは、北九州を地盤とする百貨店・井筒屋が、井筒屋黒崎店として入居していた。
概要
[編集]大手百貨店そごうグループ10番目の店舗として[7]1979年10月6日に開店[1][3]。広告に、当時流行していたアニメ「宇宙戦艦ヤマト」をモチーフにした「まるで宇宙戦艦!」というキャッチフレーズを使用するなど、九州での知名度不足を補うため宣伝・広報活動に力を入れていた[8][9]。
川の流れるレストラン街が初めて設置されたそごう店舗である[7]。当店の開店でそごうは北海道、本州、四国、九州4島全てへの出店を達成した初の百貨店となった[10]。
黒崎そごうビルの正式名称はメイト黒崎で、開業当時はメイト黒崎直営の「ショッピングセンターメイト黒崎(クロサキメイト)」、テナントとして黒崎そごう、ジャスコ(現:イオンが運営するジャスコ黒崎店[3](のち黒崎フォーラスに業態転換後、閉鎖)が入居していた。1999年のフォーラス撤退後は、メイト黒崎直営の「メイトエンポリアム」として継続営業(のちにクロサキメイトと統合)された。
2000年7月12日にそごうグループの経営破綻。黒崎そごうは黒字で好調な筈が老朽化からくる改善投資の必要性、さらに耐震工事投資の必要性があり、そのことを考慮すると、利益化の可能性は難しい上、商圏内の基幹産業の衰退と2大都市圏、福岡、小倉の流出度が極めて高いことからマーケット自体が衰退してきており、将来の拡大が望めない事。更にコムシティの出現で新たな競合の軌道を考えると、減収減益に歯止めがかからず赤字転落は避けられないと考え、黒崎そごうは小倉そごうと同様に同年12月25日(クリスマス)に閉店した[5]。北九州の副都心である黒崎の中心地(JR黒崎駅から至近距離)にある巨大ビルの大方が閉鎖されたままという状態によるイメージダウンを懸念していた地元の強い要望もあり、黒崎そごう跡には長崎屋黒崎店(2002年2月11日閉店[11])向かいにあった井筒屋黒崎店が、2001年10月に移転して開業した[12][注釈 1]。
屋上は、夏期に限り「屋上ビアガーデン」としてオープンしており、井筒屋移管後も継続していた[17]。
井筒屋黒崎店は、入居する「クロサキメイト」の運営会社が2020年4月に経営破綻したことにより同ビルからの撤退を発表し、同年8月17日に閉店した[18]。
略歴
[編集]- 1975年9月 - 出店表明。
- 1977年10月21日 - 資本金1億円で株式会社黒崎そごう設立[1]。
- 1978年6月 - 起工式。
- 1979年
- 1980年
- 1981年
- 1983年
- 1990年9月22日 - 黒崎フォーラスが開店。
- 1999年2月 - 黒崎フォーラスが閉店。
- 2000年
- 2001年
- 2020年
主な店舗・施設
[編集]フロア案内
[編集]階 | フロア概要 | 備考 |
---|---|---|
RF | そごう屋上大スカイパーク | |
7F | そごう名店食堂街と大催会場→東西味の名店食堂街 | |
6F | きものとくらしとギフトのフロア→リビングと大催会場のフロア | |
5F | こどものフロア→子供服と婦人肌着のフロア | |
4F | メンズファッションフロア | |
3F | レディスファッションフロア | |
2F | ファッションと雑貨のフロア | |
1F | 大フードセンター→食品フロア「おいしさ一番館」 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 25-26
- ^ a b c “黒崎商戦に一波乱 再開発ビル『メイト』完工”. 西日本新聞(西日本新聞社). (1979年10月3日)
- ^ a b c d “九州一『メイト』開店 黒崎 ショッピングの新拠点”. 朝日新聞(朝日新聞社). (1979年10月7日)
- ^ 1階・2階・3階は午後7時30分まで
- ^ a b c d “そごう8店舗が閉店 いずれも引き受け手ないまま”“サヨナラそごう 小倉・黒崎店 涙のラストデー”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2000年12月26日)
- ^ 山森俊彥 『そごう怒涛の大航海―「水島そごう」日本一への出帆』デパートニューズ社、1988年1月。ISBN 978-4915293009
- ^ a b 佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』経済界、1994年5月。ISBN 978-4766702514
- ^ KUROSAKI SOGO (2011-05-28), 黒崎そごう オープンCM(1979年) 2019年3月13日閲覧。
- ^ KUROSAKI SOGO (2012-03-06), KUROSAKI SOGO 1979-2000 〜 Farewell to Space Battleship 〜 2019年3月13日閲覧。
- ^ a b “新聞特集「躍進するそごうグループ」”. 朝日新聞西部本社. (1979年10月3日)
- ^ 『WEEKLY DIGEST 井筒屋黒崎店跡 3月に専門店としてオープン』 財界九州2002年1月号 (財界九州社) (2002年2月)
- ^ “沿革”. 井筒屋. 2018年9月30日閲覧。
- ^ “小倉の顔“最後の切り札”「コレット井筒屋」開業 活性化へ大役担う”. 西日本新聞 (西日本新聞社): p. [要ページ番号]. (2008年4月2日)
- ^ “改装コレット ロフトが開業 北九州”. 西日本新聞 (西日本新聞社): p. [要ページ番号]. (2009年3月11日)
- ^ “苦境の井筒屋「荒療治」 閉店3店、全売上高の3分の1”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 西部本社朝刊 経済面. (2018年8月1日)
- ^ “井筒屋黒崎店 一転“閉店せず”営業継続 8月からフロア縮小“黒字の見通しついた””. テレビ西日本 (2019年2月25日). 2019年2月26日閲覧。
- ^ “黒崎井筒屋 屋上ビアガーデンオープン!”. 井筒屋黒崎店. (2014年6月9日). オリジナルの2014年8月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “さよなら井筒屋黒崎店 北九州・黒崎の「顔」…60年超の歴史に幕”. 西日本新聞. (2020年8月18日)
- ^ 東京商工リサーチ情報部 『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』 エイチアンドアイ、2000年11月。ISBN 978-4901032315
- ^ “そごう、地裁に再生計画案を提出 8店舗を年内閉鎖”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2000年10月25日)