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'''河村 黎吉'''(かわむら れいきち、[[1897年]][[9月1日]] (一説に[[6月16日]])<ref name="全集">『日本映画俳優全集・男優篇』p.177-178</ref> - [[1952年]][[12月22日]])は、[[日本]]の[[俳優]]。本名は河村石五郎(かわむら いしごろう)。
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'''河村 黎吉'''(かわむら れいきち、[[1897年]][[9月1日]] (一説に[[6月16日]]) - [[1952年]][[12月22日]])は、[[東京府]](現[[東京都]])出身の[[日本]]の[[俳優]]。本名は'''河村石五郎'''。


[[松竹]]で活躍した脇役俳優の一人であり、300本近い作品に出演した。[[島津保次郎]]監督作品に常連出演し、江戸っ子役や三枚目役で知られた。戦後に[[社長シリーズ]]の前身である『[[三等重役]]』に社長役で出演したことでも有名。
== 略歴 ==
東京[[神田 (千代田区)|神田]]の錦城商業学校予科を卒業後、14歳で中洲・真砂座で初舞台を踏む。以降は新派劇の無名劇団に参加して地方巡業で各地を転々とし、自ら小劇団を組織したこともあった。[[1921年]]、[[松竹]][[蒲田]]に入社、当初は仕出し程度だったが、特徴的な風貌と舞台で培われた演技力でたちまち頭角をあらわし、[[1923年]]に準幹部俳優、[[1924年]]には幹部俳優に昇格した。この間、[[関東大震災]]の為に蒲田撮影所は使用不可能となり、大半の所員と共に[[下加茂]]撮影所に移る。[[1925年]]に下加茂撮影所が閉鎖され、蒲田に引き揚げる。この頃から二枚目半、三枚目がかった役を演じるようになり、次第に芸達者ぶり認められる。また時代がトーキーに入っても、江戸弁の台詞回しの良さから人気は衰えることがなかった。終戦後は[[東宝]]に移り、[[1952年]]には、のちに東宝のドル箱となる[[社長シリーズ]]の母体である『[[三等重役]]』に主演。映画は大ヒットし、河村も[[毎日映画コンクール]]演技特別賞を受賞(但し、受賞が決定したのは本人の死後)。続編にも出演するなど一躍、人気スターになった。しかし同年に[[胃癌]]のために倒れ、55歳で亡くなった。当り役である『三等重役』は、人事課長役で共演していた[[森繁久彌]]が社長役に出世し、社長シリーズとして[[1956年]]の『へそくり社長』からはじまり10年以上続く看板シリーズであるが、毎回、社長室には前社長の河村の遺影が掲げられている。


== 出演作品 ==
== 略歴・人物 ==
[[1897年]](明治30年)[[9月1日]]、[[東京府]][[東京市]][[深川区]](現在の[[東京都]][[江東区]])に生まれる。[[神田 (千代田区)|神田]]の[[錦城学園高等学校|錦城商業学校]][[予科]]を卒業後、13歳で[[日本橋中洲|中洲]]の真砂座で初舞台を踏む<ref name="全集" />。新派劇の無名劇団に参加して地方巡業で各地を転々とし、自ら小劇団を組織したこともあった<ref name="全集" />。
=== 映画 ===

* [[懺悔の刃]]([[1927年]])
[[本所]]寿座出演を最後に舞台生活を切り上げ、[[1921年]](大正10年)5月に[[松竹蒲田撮影所]]に入社する。初出演作は6月公開の[[賀古残夢]]監督『酒中日記』で、当初は仕出し程度だったが、特徴的な風貌と舞台で培われた演技力でたちまち頭角をあらわしていく。[[1923年]](大正12年)1月、[[柳さく子]]、[[梅村蓉子]]、[[奈良真養]]とともに準幹部に昇格<ref name="全集" /><ref>『松竹百十年史』p.373</ref>。同年[[9月1日]]に[[関東大震災]]が発生、その影響で蒲田撮影所は使用不可能となり、大半の所員と共に[[松竹京都撮影所|下加茂撮影所]]に移る。[[牛原虚彦]]監督の『大地は怒る』『南の漁村』、[[池田義信]]監督の『暮るゝ嶺』などに準主役として出演し、翌[[1924年]](大正13年)1月に幹部に昇格した<ref>『松竹七十年史』p.253</ref>。
* [[荒城の月 (1937年の映画)|荒城の月]]([[1937年]])

* [[婚約三羽烏]]([[1937年]])
同年に蒲田撮影所に復帰し、[[島津保次郎]]監督の『愚者なればこそ』等に出演したが、同年7月に撮影所長兼監督の[[野村芳亭]]が下加茂撮影所に異動、下加茂撮影所での時代劇製作強化のため[[大久保忠素]]、[[清水宏 (映画監督)|清水宏]]、[[柳さく子]]、[[志賀靖郎]]、[[小川国松]]らとともに下加茂へ移り、下加茂改組第1作の『元禄女』を始め、野村監督『海賊髑髏船』『復活』(1925年)では柳と主演。他多数に出演したが、[[1925年]](大正14年)6月末に下加茂撮影所は閉鎖、蒲田に引き揚げる。清水監督の『義人の刃』、[[小津安二郎]]の処女作『[[懺悔の刃]]』(1927年)などの時代劇に出演する一方、現代劇でも準主役クラスで出演。[[1928年]](昭和3年)頃からは現代劇専門となる<ref name="全集" />。この頃から二枚目半から三枚目がかった役を演じるようになり、次第に芸達者ぶりを認められる。
* [[愛染かつら]]([[1938年]])伯父

* [[戸田家の兄妹]]([[1941年]])
島津監督には以後も重用され続け、『[[上陸第一歩]]』『[[春琴抄|春琴抄 お琴と佐助]]』などで押しも押されもせぬバイプレーヤーとしての地位を固め、[[トーキー映画|トーキー時代]]からは江戸弁の台詞回しで人気を得た。島津作品のほか、[[成瀬巳喜男]]、清水、[[渋谷実]]、[[五所平之助]]、[[吉村公三郎]]らの作品でも芸達者ぶりを発揮し、父親役、江戸っ子役で精彩を放った<ref name="全集" />。[[1939年]](昭和14年)1月、[[吉川満子]]、[[川崎弘子]]とともに大幹部待遇に昇格した<ref>『松竹九十年史』p.251</ref>。
* 水兵さん([[1944年]])
[[File:Chōko Iida and Reikichi Kawamura in Nagaya Shinshiroku, 1947.jpg|thumb|200px|right|「長屋紳士録」[[飯田蝶子]](左)と]]
* [[はたちの青春]]([[1946年]])桑原
戦後はフリーとなり、小津監督の『[[長屋紳士録]]』では下町庶民、千葉泰樹監督の『[[生きている画像]]』では江戸っ子の親爺を演じ、[[1949年]](昭和24年)公開の[[黒澤明]]監督『[[野良犬 (1949年の映画)|野良犬]]』ではスリ係の老刑事を演じた。[[1952年]](昭和27年)、[[東宝]]ドル箱シリーズとなる[[社長シリーズ]]の母体である『[[三等重役]]』に社長役で主演。この演技で[[毎日映画コンクール]]演技特別賞を受賞した。
* [[三百六十五夜]]([[1948年]])照子の父 坂元東吉
[[File:Chishū Ryū, Takeshi Sakamoto and Reikichi Kawamura, 1950.jpg|thumb|200px|right|「[[笠智衆]]、[[坂本武]]、河村黎吉(1950年)]]
* [[長屋紳士録]]([[1949年]])為吉
この年だけでも10本以上の作品に出演したが、[[胃癌]]のため倒れ、同年[[12月22日]]に[[築地]]の癌研附属病院で死去<ref name="全集" />。55歳没。彼の最後の当たり芸となった『三等重役』はその後、[[1956年]](昭和31年)の『[[へそくり社長]]』から始まる[[社長シリーズ]]として東宝の看板シリーズに発展、人事課長役で共演した[[森繁久彌]]が社長役に出世したが、毎回、社長室には前社長の河村の遺影が掲げられている。
* [[三百六十五夜]]([[1948年]])

* [[野良犬 (1949年の映画)|野良犬]]([[1949年]])スリ係老刑事
娘は[[伴淳三郎]]のヒット映画『アジャパー天国』でデビューした女優の泉友子<ref>『主婦と生活』昭和28年1月号「二世令嬢揃ってデビュー」</ref>。
* [[森の石松 (1949年の映画)|森の石松]](1949年)

* [[宗方姉妹]]([[1950年]])
== 出演映画 ==
* [[戦後派お化け大会]]([[1951年]])
'''太字の題名は[[キネマ旬報ベストテン]]にランクインした作品'''
* 清水の次郎長(1922年、[[松竹]])
* 小羊(1923年、松竹) - 田中粂蔵
* 狼の群(1923年、松竹)
* 自活する女(1923年、松竹)
* 女と海賊(1923年、松竹)
* 南の漁村(1923年、松竹)
* 元禄女(1924年、松竹) - 萩田主馬
* 義人の刃(1925年、松竹) - 河合新十郎
* 自然は裁く(1925年、松竹)
* 悩ましき頃(1926年、松竹) - 紳士木村
* 狂怒乱心(1926年、松竹) - 真柄平三郎
* 黒髪夜叉(1926年、松竹) - 真岡兵部
* 悲願千人斬(1927年、松竹) - 日根野備中守
* [[懺悔の刃]](1927年、松竹)
* 彼と人生(1929年、松竹) - 執事山田
* 明日天気になあれ(1929年、松竹) - お父さん
* [[麗人 (1930年の映画)|麗人]](1930年、松竹) - 六造
* '''若者よなぜ泣くか'''(1930年、松竹) - 小原嘉六
* [[愛よ人類と共にあれ]](1931年、松竹) - 松山陽一
* 令嬢と与太者(1932年、松竹) - 赤峰家家令
* [[金色夜叉]](1933年、松竹) - 箕輪
* '''[[上陸第一歩]]'''(1932年、松竹) - 司厨長野沢
* [[乳姉妹 (小説)#1932年版|乳姉妹]](1932年、松竹) - 松平家家扶武林
* 花嫁の寝言(1933年、松竹) - その亭主
* '''[[伊豆の踊子]]'''(1933年、松竹) - 鉱山技師久保田
* '''[[君と別れて]]'''(1933年、松竹) - 照菊の父
* [[婦系図]](1934年、松竹) - めの惣
* 与太者と花嫁(1934年、松竹) - 旅館の番頭
* [[金環蝕 (久米正雄の小説#映画)|金環蝕]](1934年、松竹) - 大崎の父
* '''[[春琴抄 お琴と佐助]]'''(1935年、松竹) - 貞造
* [[有りがたうさん]](1936年、松竹) - 東京帰りの村人
* '''[[家族会議 (映画)|家族会議]]'''(1936年、松竹) - 梶原貞之助
* [[人妻椿#1936年版|人妻椿]](1936年、松竹) - 近藤
* [[荒城の月 (1937年の映画)|荒城の月]](1937年、松竹) - 土肥
* [[婚約三羽烏 (1937年の映画)|婚約三羽烏]](1937年、松竹) - 磯山主任
* [[男の償い#映画|男の償ひ]](1937年、松竹)
* '''[[風の中の子供]]'''(1937年、松竹) - 父親
* '''[[浅草の灯 (1937年の映画)|浅草の灯]]'''(1937年、松竹) - 大平軍治
* '''[[母と子]]'''(1938年、松竹) - 工藤
* [[愛染かつら]](1938年、松竹) - 伯父・春樹
* '''子供の四季'''(1939年、松竹) - 父
* '''[[兄とその妹]]'''(1939年、松竹) - 行田富士夫
* [[暁に祈る#映画『征戦愛馬譜 暁に祈る』|征戦愛馬譜 暁に祈る]](1940年、松竹) - 謙作
* '''木石'''(1940年、松竹) - 沢村
* 舞台姿(1940年、松竹) - お絹の父
* '''[[戸田家の兄妹]]'''(1941年、松竹) - 鈴木
* [[生きてゐる孫六]](1944年、松竹) - 織田茂次郎
* 水兵さん(1944年、松竹)
* 必勝歌(1945年、松竹) - その父
* 伊豆の娘たち(1945年、松竹) - 杉山文吉
* [[粋な風来坊]](1946年、松竹) - 津向文吉
* [[はたちの青春]](1946年、松竹) - 桑原
* '''[[長屋紳士録]]'''(1947年、松竹) - 為吉
* [[好色五人女 (映画)|好色五人女]](1948年、[[大映]]) - 樽屋伊助
* [[三百六十五夜]](1948年、[[新東宝]]) - 坂元東吉
* '''[[生きている画像]]'''(1948年、新東宝) - すし徳
* 嫉妬(1949年、松竹) - 総務吉田
* '''[[森の石松 (1949年の映画)|森の石松]]'''(1949年、松竹) - 江戸っ子
* '''[[野良犬 (1949年の映画)|野良犬]]'''(1949年、新東宝) - スリ係石川刑事
* 女性対男性(1950年、芸研プロ) - 源さん
* [[銀座三四郎]](1950年、新東宝) - 銀平
* [[山のかなたに#映画版|山のかなたに]](1950年、新東宝) - 和田弥助
* '''[[宗方姉妹]]'''(1950年、新東宝) - 「三銀」の客
* [[女優と名探偵]](1950年、松竹) - 高利貸し
* [[夜来香]](1951年、新東宝) - 亀山連吉
* [[天明太郎#映画|天明太郎]](1951年、松竹) - 小笹五郎
* [[戦後派お化け大会]](1951年、新東宝) - 父親源さん
* [[浅草紅団]](1951年、大映) - 須山
* ラッキーさん(1952年、[[東宝]]) - 秋庭社長
* [[三等重役]](1952年、東宝) - 桑原社長
* [[父帰る#1952年|父帰る]](1952年、松竹) - 宗太郎
* [[三等重役#続三等重役|続三等重役]](1952年、東宝) - 桑原社長

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{commonscat|Reikichi Kawamura}}
* [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0058060.htm 河村黎吉] - [[日本映画データベース]]
* {{Jmdb name|id=0058060|name=河村黎吉}}

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[[Category:1952年没]]

2024年1月20日 (土) 22:23時点における最新版

かわむら れいきち
河村 黎吉
河村 黎吉
宗方姉妹』(1950年)
本名 河村 石五郎(かわむら いしごろう)
生年月日 (1897-09-01) 1897年9月1日
没年月日 (1952-12-22) 1952年12月22日(55歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市深川区[1](現在の東京都江東区
死没地 日本の旗 日本 東京都中央区築地
職業 俳優
ジャンル 新派劇映画時代劇現代劇サウンド版サイレント映画トーキー
活動期間 1921年 - 1952年
主な作品
三等重役
 
受賞
毎日映画コンクール
演技特別賞
1952年三等重役
テンプレートを表示

河村 黎吉(かわむら れいきち、1897年9月1日 (一説に6月16日)[2] - 1952年12月22日)は、日本俳優。本名は河村石五郎(かわむら いしごろう)。

松竹で活躍した脇役俳優の一人であり、300本近い作品に出演した。島津保次郎監督作品に常連出演し、江戸っ子役や三枚目役で知られた。戦後に社長シリーズの前身である『三等重役』に社長役で出演したことでも有名。

略歴・人物

[編集]

1897年(明治30年)9月1日東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれる。神田錦城商業学校予科を卒業後、13歳で中洲の真砂座で初舞台を踏む[2]。新派劇の無名劇団に参加して地方巡業で各地を転々とし、自ら小劇団を組織したこともあった[2]

本所寿座出演を最後に舞台生活を切り上げ、1921年(大正10年)5月に松竹蒲田撮影所に入社する。初出演作は6月公開の賀古残夢監督『酒中日記』で、当初は仕出し程度だったが、特徴的な風貌と舞台で培われた演技力でたちまち頭角をあらわしていく。1923年(大正12年)1月、柳さく子梅村蓉子奈良真養とともに準幹部に昇格[2][3]。同年9月1日関東大震災が発生、その影響で蒲田撮影所は使用不可能となり、大半の所員と共に下加茂撮影所に移る。牛原虚彦監督の『大地は怒る』『南の漁村』、池田義信監督の『暮るゝ嶺』などに準主役として出演し、翌1924年(大正13年)1月に幹部に昇格した[4]

同年に蒲田撮影所に復帰し、島津保次郎監督の『愚者なればこそ』等に出演したが、同年7月に撮影所長兼監督の野村芳亭が下加茂撮影所に異動、下加茂撮影所での時代劇製作強化のため大久保忠素清水宏柳さく子志賀靖郎小川国松らとともに下加茂へ移り、下加茂改組第1作の『元禄女』を始め、野村監督『海賊髑髏船』『復活』(1925年)では柳と主演。他多数に出演したが、1925年(大正14年)6月末に下加茂撮影所は閉鎖、蒲田に引き揚げる。清水監督の『義人の刃』、小津安二郎の処女作『懺悔の刃』(1927年)などの時代劇に出演する一方、現代劇でも準主役クラスで出演。1928年(昭和3年)頃からは現代劇専門となる[2]。この頃から二枚目半から三枚目がかった役を演じるようになり、次第に芸達者ぶりを認められる。

島津監督には以後も重用され続け、『上陸第一歩』『春琴抄 お琴と佐助』などで押しも押されもせぬバイプレーヤーとしての地位を固め、トーキー時代からは江戸弁の台詞回しで人気を得た。島津作品のほか、成瀬巳喜男、清水、渋谷実五所平之助吉村公三郎らの作品でも芸達者ぶりを発揮し、父親役、江戸っ子役で精彩を放った[2]1939年(昭和14年)1月、吉川満子川崎弘子とともに大幹部待遇に昇格した[5]

「長屋紳士録」飯田蝶子(左)と

戦後はフリーとなり、小津監督の『長屋紳士録』では下町庶民、千葉泰樹監督の『生きている画像』では江戸っ子の親爺を演じ、1949年(昭和24年)公開の黒澤明監督『野良犬』ではスリ係の老刑事を演じた。1952年(昭和27年)、東宝ドル箱シリーズとなる社長シリーズの母体である『三等重役』に社長役で主演。この演技で毎日映画コンクール演技特別賞を受賞した。

笠智衆坂本武、河村黎吉(1950年)

この年だけでも10本以上の作品に出演したが、胃癌のため倒れ、同年12月22日築地の癌研附属病院で死去[2]。55歳没。彼の最後の当たり芸となった『三等重役』はその後、1956年(昭和31年)の『へそくり社長』から始まる社長シリーズとして東宝の看板シリーズに発展、人事課長役で共演した森繁久彌が社長役に出世したが、毎回、社長室には前社長の河村の遺影が掲げられている。

娘は伴淳三郎のヒット映画『アジャパー天国』でデビューした女優の泉友子[6]

出演映画

[編集]

太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

  • 清水の次郎長(1922年、松竹
  • 小羊(1923年、松竹) - 田中粂蔵
  • 狼の群(1923年、松竹)
  • 自活する女(1923年、松竹)
  • 女と海賊(1923年、松竹)
  • 南の漁村(1923年、松竹)
  • 元禄女(1924年、松竹) - 萩田主馬
  • 義人の刃(1925年、松竹) - 河合新十郎
  • 自然は裁く(1925年、松竹)
  • 悩ましき頃(1926年、松竹) - 紳士木村
  • 狂怒乱心(1926年、松竹) - 真柄平三郎
  • 黒髪夜叉(1926年、松竹) - 真岡兵部
  • 悲願千人斬(1927年、松竹) - 日根野備中守
  • 懺悔の刃(1927年、松竹)
  • 彼と人生(1929年、松竹) - 執事山田
  • 明日天気になあれ(1929年、松竹) - お父さん
  • 麗人(1930年、松竹) - 六造
  • 若者よなぜ泣くか(1930年、松竹) - 小原嘉六
  • 愛よ人類と共にあれ(1931年、松竹) - 松山陽一
  • 令嬢と与太者(1932年、松竹) - 赤峰家家令
  • 金色夜叉(1933年、松竹) - 箕輪
  • 上陸第一歩(1932年、松竹) - 司厨長野沢
  • 乳姉妹(1932年、松竹) - 松平家家扶武林
  • 花嫁の寝言(1933年、松竹) - その亭主
  • 伊豆の踊子(1933年、松竹) - 鉱山技師久保田
  • 君と別れて(1933年、松竹) - 照菊の父
  • 婦系図(1934年、松竹) - めの惣
  • 与太者と花嫁(1934年、松竹) - 旅館の番頭
  • 金環蝕(1934年、松竹) - 大崎の父
  • 春琴抄 お琴と佐助(1935年、松竹) - 貞造
  • 有りがたうさん(1936年、松竹) - 東京帰りの村人
  • 家族会議(1936年、松竹) - 梶原貞之助
  • 人妻椿(1936年、松竹) - 近藤
  • 荒城の月(1937年、松竹) - 土肥
  • 婚約三羽烏(1937年、松竹) - 磯山主任
  • 男の償ひ(1937年、松竹)
  • 風の中の子供(1937年、松竹) - 父親
  • 浅草の灯(1937年、松竹) - 大平軍治
  • 母と子(1938年、松竹) - 工藤
  • 愛染かつら(1938年、松竹) - 伯父・春樹
  • 子供の四季(1939年、松竹) - 父
  • 兄とその妹(1939年、松竹) - 行田富士夫
  • 征戦愛馬譜 暁に祈る(1940年、松竹) - 謙作
  • 木石(1940年、松竹) - 沢村
  • 舞台姿(1940年、松竹) - お絹の父
  • 戸田家の兄妹(1941年、松竹) - 鈴木
  • 生きてゐる孫六(1944年、松竹) - 織田茂次郎
  • 水兵さん(1944年、松竹)
  • 必勝歌(1945年、松竹) - その父
  • 伊豆の娘たち(1945年、松竹) - 杉山文吉
  • 粋な風来坊(1946年、松竹) - 津向文吉
  • はたちの青春(1946年、松竹) - 桑原
  • 長屋紳士録(1947年、松竹) - 為吉
  • 好色五人女(1948年、大映) - 樽屋伊助
  • 三百六十五夜(1948年、新東宝) - 坂元東吉
  • 生きている画像(1948年、新東宝) - すし徳
  • 嫉妬(1949年、松竹) - 総務吉田
  • 森の石松(1949年、松竹) - 江戸っ子
  • 野良犬(1949年、新東宝) - スリ係石川刑事
  • 女性対男性(1950年、芸研プロ) - 源さん
  • 銀座三四郎(1950年、新東宝) - 銀平
  • 山のかなたに(1950年、新東宝) - 和田弥助
  • 宗方姉妹(1950年、新東宝) - 「三銀」の客
  • 女優と名探偵(1950年、松竹) - 高利貸し
  • 夜来香(1951年、新東宝) - 亀山連吉
  • 天明太郎(1951年、松竹) - 小笹五郎
  • 戦後派お化け大会(1951年、新東宝) - 父親源さん
  • 浅草紅団(1951年、大映) - 須山
  • ラッキーさん(1952年、東宝) - 秋庭社長
  • 三等重役(1952年、東宝) - 桑原社長
  • 父帰る(1952年、松竹) - 宗太郎
  • 続三等重役(1952年、東宝) - 桑原社長

脚注

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  1. ^ KINENOTE「河村黎吉」の項
  2. ^ a b c d e f g 『日本映画俳優全集・男優篇』p.177-178
  3. ^ 『松竹百十年史』p.373
  4. ^ 『松竹七十年史』p.253
  5. ^ 『松竹九十年史』p.251
  6. ^ 『主婦と生活』昭和28年1月号「二世令嬢揃ってデビュー」

外部リンク

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