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'''春川 正明'''(はるかわ まさあき、[[1961年]][[5月5日]] - )は、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]報道局解説副委員長、元報道記者、元テレビプロデューサー。
'''春川 正明'''(はるかわ まさあき、[[1961年]][[5月5日]] - )はフリージャーナリストおよび関西大学客員教師。元[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]記者在職中は報道番組プロデューサーや報道局解説委員長を歴任したほか、[[2019年]][[5月1日]]から[[11月30日]]までは、[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]で球団編成本部次長と国際部長を兼務していた


== 来歴 ==
== 来歴・人物 ==
[[大阪府立東淀川高等学校]]を経て、[[関西大学]][[社会学部]]へ進学した。大学では[[関西大学野球部|野球部]]に籍を置いていた一方で、[[スポーツ番組]]の[[ディレクター]]を志していた<ref name="Profile">[http://www.hohjinkai.or.jp/special/1007.html 横浜市中法人会 総会記念講演要旨]</ref>ことから、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]の一般職採用試験を受験。卒業後の[[1985年]][[4月1日]]付で入社してからは、報道局の撮影編集部でニュース映像の編集業務に従事していた。
[[大阪府]][[大阪市]]出身。[[大阪府立東淀川高等学校]]、[[関西大学]][[社会学部]]マスコミュニケーション学科卒業後の[[1985年]]4月、読売テレビに一般職として入社。
学生時代から野球をプレーしていた経験から、[[スポーツ番組]]の[[ディレクター]]を希望していた<ref name="Profile">[http://www.hohjinkai.or.jp/special/1007.html 横浜市中法人会 総会記念講演要旨]</ref>が、[[報道局]]撮影編集部に着任し、ニュース映像の編集マンとなる。1989年の[[ベルリンの壁崩壊]]取材をきっかけに、[[1990年]]より報道部へ異動、報道記者に転身。神戸支局長、司法担当キャップ、[[大阪府警]]キャップを歴任し、[[1997年]]に特派員として[[Nippon News Network|NNN]]ロサンゼルス支局の支局長としてに赴任したが、赴任先はロサンゼルスでは無く、[[在ペルー日本大使公邸占拠事件|ペルー日本大使公邸人質事件]]の現場であった[[ペルー]]の[[リマ]]で取材を担当<ref name="Profile">[http://www.hohjinkai.or.jp/special/1007.html 横浜市中法人会 総会記念講演要旨]</ref>。2001年に帰国後、『[[ウェークアップ!]]』のチーフプロデューサーに就き、報道部長を歴任。[[2007年]]7月の人事異動にて解説委員となる。2009年3月までは原則東京勤務で、『情報ライブ ミヤネ屋』出演のため、上司の[[岩田公雄]]・[[辛坊治郎]]らと同じく東京・大阪往復の日々を送っていた。後に『かんさい情報ネットten!』出演のため原則大阪勤務となった。また、母校である関西大学の社会安全学部客員教授を務めている。


1989年に[[ベルリンの壁崩壊]]の現場を取材したことがきっかけで、[[1990年]]から報道部へ異動。記者を皮切りに、神戸支局長、司法担当キャップ、[[大阪府警]]キャップを務めた。
== 人物 ==

家族は、妻と1女2男がいる。幼い頃から[[野球]]をやっており大学時代も[[野球部]]に所属していたため野球好きとして知られる。
[[1997年]]から、読売テレビが運営する[[NNN]][[ロサンゼルス]]支局へ支局長として赴任。[[ペルー]]の[[リマ]]で[[在ペルー日本大使公邸占拠事件|ペルー日本大使公邸人質事件]]の現場取材などに従事した<ref name="Profile">[http://www.hohjinkai.or.jp/special/1007.html 横浜市中法人会 総会記念講演要旨]</ref>。

[[2001年]]に読売テレビの本社へ帰任してからは、『[[ウェークアップ!]]』のチーフプロデューサーや報道部長を経て、[[2007年]]7月から報道局の解説委員に就任。『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』(いずれも本社スタジオからの生放送番組)でコメンテーターを務めていたが、[[2009年]]3月までは東京支社の勤務であったため、当時の上司だった[[岩田公雄]]、[[辛坊治郎]]と同様に東京と大阪を往復する生活を送っていた。同年4月から本社へ異動したことを機に、『ミヤネ屋』のコメンテーターと並行しながら、『[[かんさい情報ネットten.|かんさい情報ネットten!]]』のコメンテーターや、母校である関西大学の客員教授を務めた。2015年7月から報道局解説委員長へ就任。2018年6月からは、「執行役員待遇」との肩書が付けられていた。

自他共に認める[[阪神タイガース]]のファンであるが(『正明』という名も、同じく大の阪神ファンである父が、阪神の当時のエース[[小山正明]]から名付けた)[[2019年]][[5月1日]]付で、ライバル球団の読売巨人軍に招聘。球団編成本部次長兼国際部長として、外国人選手のスカウティングや[[MLB|メジャーリーグ(MLB)]]加盟球団(パートナー契約を締結している[[ニューヨーク・ヤンキース]]など)との連携強化に関する業務へ携わっていた<ref>{{Cite news|title=巨人 新国際部長に春川氏就任へ、スカウト活動とMLBとの連携強化|newspaper=スポーツニッポン|date=2019-04-19|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/04/19/kiji/20190419s00001173146000c.html|accessdate=2019-04-19}}</ref>。一時は[[2020年]]からアメリカのニューヨーク事務所を拠点に活動することも検討していたが、実際には[[2019年]][[11月30日]]で退任したうえで、翌[[12月1日]]から読売テレビへ復帰<ref>{{Cite news|title=巨人・春川正明氏が退任 編成本部次長兼国際部長|newspaper=デイリースポーツ|date=2019-12-02|url=https://www.daily.co.jp/baseball/2019/12/02/0012924580.shtml|accessdate=2021-12-09}}</ref>。復帰後も、『ミヤネ屋』のコメンテーターなどを務めていた。

[[2021年]]の誕生日で読売テレビの定年(60歳)に到達したことを受けて、[[12月31日]]で同局を退社。退社後の[[2022年]]からは、[[フリージャーナリスト]]として活動している<ref>{{Cite news|title=ミヤネ屋コメンテーターの春川正明氏、年内でフリーに「昨日が最後の出社でした」|newspaper=スポーツニッポン|date=2019-12-09|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/12/09/kiji/20211209s00041000159000c.html|accessdate=2021-12-09}}</ref>ほか、他局の番組でコメンテーターを務めている。


=== 尖閣諸島抗議デモについての発言 ===
=== 尖閣諸島抗議デモについての発言 ===
自身が出演する情報ライブ ミヤネ屋(2010年10月18日 放送分)にて、[[2010年尖閣諸島抗議デモ|尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて行われたデモ]]について「こういうデモに参加するのは一般の人ではない」と述べた。放送後、この件で自身のブログにデモ参加者からの批判コメントが殺到し、後日ブログ上で春川が謝罪するに至った。
自身が出演する情報ライブ ミヤネ屋(2010年10月18日放送分)にて、[[2010年尖閣諸島抗議デモ|尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて行われたデモ]]について「こういうデモに参加するのは一般の人ではない」と述べた。放送後、この件で自身のブログにデモ参加者からの批判コメントが殺到し、後日ブログ上で春川が謝罪するに至った。


== 出演番組 ==
== 出演番組 ==
読売テレビ時代
=== 現在 ===
* [[かんさい情報ネットten.|かんさい情報ネットten!]](コメンテーター)
* [[情報ライブ ミヤネ屋]]([[コメンテーター]])
* [[情報ライブ ミヤネ屋]]([[コメンテーター]])
* [[朝生ワイド す・またん!]](ニュース解説)- 辛坊治郎が休みの時の代理
* [[かんさい情報ネットten!]](コメンテーター)
読売テレビ退職後
* [[ワシんとこ・ポスト]]([[BSよしもと]])
* [[キクテレミルラジ265]]([[BSよしもと]]) - 木曜コーナーレギュラー
* [[ライブ5時 いまドキッ!]]([[RSK山陽放送]]) - 月曜コーナーレギュラー
* [[RSKイブニングニュース]] - コメンテーター(月・火・水のみ)
* [[堀潤モーニングFLAG]](東京MXテレビ)
* 春川正明のニュース直球解説(RSKラジオ)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.ytv.co.jp/commentater/index_set.html 読売テレビ『解説委員室』] [[岩田公雄]]・[[辛坊治郎]]ら解説委員3名がニュースの裏側を語るコラム。春川も解説委員の一人として記事を執筆している
* [https://web.archive.org/web/20070821080514/http://www.ytv.co.jp/commentater/index_set.html 読売テレビ『解説委員室』] [[岩田公雄]]・[[辛坊治郎]]ら解説委員3名がニュースの裏側を語るコラム。春川も解説委員の一人として記事を執筆。
* [https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=9180 春川正明 プロフィール|吉本興業株式会社]


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春川 正明
(はるかわ まさあき)
生誕 (1961-05-05) 1961年5月5日(63歳)
日本の旗 日本 大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
教育 関西大学社会学部
職業 解説委員
政治記者
元番組プロデューサー
活動期間 1990年 - 2021年
読売テレビ報道局
2019年5月から半年間は
読売巨人軍へ出向)
肩書き 解説委員
執行役員待遇
配偶者
子供 1女2男
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春川 正明(はるかわ まさあき、1961年5月5日 - )はフリージャーナリスト、および関西大学客員教師。元読売テレビ記者で、在職中は報道番組プロデューサーや報道局解説委員長を歴任したほか、2019年5月1日から11月30日までは、読売巨人軍で球団編成本部次長と国際部長を兼務していた。

来歴・人物

[編集]

大阪府立東淀川高等学校を経て、関西大学社会学部へ進学した。大学では野球部に籍を置いていた一方で、スポーツ番組ディレクターを志していた[1]ことから、読売テレビの一般職採用試験を受験。卒業後の1985年4月1日付で入社してからは、報道局の撮影編集部でニュース映像の編集業務に従事していた。

1989年にベルリンの壁崩壊の現場を取材したことがきっかけで、1990年から報道部へ異動。記者を皮切りに、神戸支局長、司法担当キャップ、大阪府警キャップを務めた。

1997年から、読売テレビが運営するNNNロサンゼルス支局へ支局長として赴任。ペルーリマペルー日本大使公邸人質事件の現場取材などに従事した[1]

2001年に読売テレビの本社へ帰任してからは、『ウェークアップ!』のチーフプロデューサーや報道部長を経て、2007年7月から報道局の解説委員に就任。『情報ライブ ミヤネ屋』(いずれも本社スタジオからの生放送番組)でコメンテーターを務めていたが、2009年3月までは東京支社の勤務であったため、当時の上司だった岩田公雄辛坊治郎と同様に東京と大阪を往復する生活を送っていた。同年4月から本社へ異動したことを機に、『ミヤネ屋』のコメンテーターと並行しながら、『かんさい情報ネットten!』のコメンテーターや、母校である関西大学の客員教授を務めた。2015年7月から報道局解説委員長へ就任。2018年6月からは、「執行役員待遇」との肩書が付けられていた。

自他共に認める阪神タイガースのファンであるが(『正明』という名も、同じく大の阪神ファンである父が、阪神の当時のエース小山正明から名付けた)2019年5月1日付で、ライバル球団の読売巨人軍に招聘。球団編成本部次長兼国際部長として、外国人選手のスカウティングやメジャーリーグ(MLB)加盟球団(パートナー契約を締結しているニューヨーク・ヤンキースなど)との連携強化に関する業務へ携わっていた[2]。一時は2020年からアメリカのニューヨーク事務所を拠点に活動することも検討していたが、実際には2019年11月30日で退任したうえで、翌12月1日から読売テレビへ復帰[3]。復帰後も、『ミヤネ屋』のコメンテーターなどを務めていた。

2021年の誕生日で読売テレビの定年(60歳)に到達したことを受けて、12月31日で同局を退社。退社後の2022年からは、フリージャーナリストとして活動している[4]ほか、他局の番組でコメンテーターを務めている。

尖閣諸島抗議デモについての発言

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自身が出演する『情報ライブ ミヤネ屋』(2010年10月18日放送分)にて、尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて行われたデモについて「こういうデモに参加するのは一般の人ではない」と述べた。放送後、この件で自身のブログにデモ参加者からの批判コメントが殺到し、後日ブログ上で春川が謝罪するに至った。

出演番組

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読売テレビ時代

読売テレビ退職後

脚注

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外部リンク

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