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{{神社|
{{神社
画像=[[Image:Aramatsuri-no-miya_01.JPG|256px|荒祭宮]]|
|画像=[[File:Aramatsuri-no-miya 02.jpg|280px]]
名称=荒祭宮|
|名称=荒祭宮
所在地=三重県伊勢市宇治館町|
|所在地=[[三重県]][[伊勢市]]宇治館町
| 緯度度 = 34 | 緯度分 = 27 | 緯度秒 = 22
位置={{ウィキ座標2段度分秒|34|27|22|N|136|43|30|E|}}|
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祭神=[[アマテラス|天照大神荒魂]]|
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創建=[[804年]]以前|
|創建=[[804年]]以前
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|地図 = Japan Mie
}}


'''荒祭宮'''(あらまつりのみや)は[[三重県]][[伊勢市]]宇治館町にある[[皇大神宮|内宮(皇大神宮)]]の境内別宮である。
'''荒祭宮'''(あらまつりのみや)は[[三重県]][[伊勢市]]宇治館町にある[[皇大神宮|内宮(皇大神宮)]]の境内別宮である<ref name="神宮便覧30">[[#神宮便覧(大正14)]]p.30</ref><ref name="神道大辞典1荒祭宮">[[#平凡辞典1937一巻|神道大辞典1巻]]コマ45(原本67頁)</ref>
[[祭神]]は[[天照大神|天照坐皇大御神荒御魂]](あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)<ref name="神宮便覧30"/><ref name="矢野杜53荒祭宮">[[#矢野、杜|矢野、伊勢神宮]]53-54頁『荒御魂をまつる荒祭宮と多賀宮』</ref>。


第62回[[神宮式年遷宮]]([[2013年]])では、他の別宮に先駆けて[[10月10日]]午後8時に[[遷御]]が行われた<ref>{{cite news | url=https://web.archive.org/web/20131014181310/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20131011-OYT8T00088.htm|title=内宮別宮で遷御の儀| publisher=[[読売新聞]] |date=2013年10月11日 | accessdate=2013-10-15|archiveurl=https://megalodon.jp/2013-1015-0127-42/www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20131011-OYT8T00088.htm|archivedate=2013-10-15}}</ref>。
祭神は[[天照大神|天照坐皇大御神荒御魂]](あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。


== 概要 ==
<!--[[Image:Jingu-sugi(Naiku) 01.JPG|thumb|120px|参道の[[神宮杉]]]]-->
荒祭宮は内宮正宮北方(御正宮の後方)にある<ref name="矢野杜53荒祭宮"/><ref name="in">三橋(2013):104ページ</ref><ref name="伊勢年鑑22">[[#伊勢年鑑(昭和17)]]p.22</ref>。
別宮とは「'''わけみや'''」の意味で<ref name="神宮学生社164">[[#桜井1969学生伊勢|伊勢神宮、学生社]]164-165頁『荒まつりの宮・滝まつりの宮』</ref>、正宮に次ぎ尊いとされる<ref name="神道大辞典1荒祭宮"/><ref>[[#神宮便覧(大正14)]]p.25</ref>
荒祭宮を「[[荒魂]]を祭る宮」の意味とするのが定説である<ref>[[#伊勢参宮案内]]p.30</ref><ref>[[#広池国体|伊勢神宮と我国体]]コマ124(原本77頁)</ref><ref name="高松宮2巻400">[[#高松宮日記2巻]]400頁</ref>。
『神宮雑例集』によると、創建は[[垂仁天皇]]26年10月であり、内宮の正殿と同時に建てられたという<ref name="in"/><ref name="皇大神宮史167荒祭宮">[[#皇大神宮史]]コマ167-168(原本237-238頁)</ref>。


== 概要 ==
[[Image:Jingu-sugi(Naiku) 01.JPG|thumb|120px|参道の[[神宮杉]]]]
[[Image:Aramatsuri-no-miya-yohai-sho_01.jpg|thumb|left|120px|荒祭宮遥拝所]]
[[Image:Fumanu-ishi(Naiku) 01.JPG|thumb|120px|left|踏まぬ石]]
[[Image:Fumanu-ishi(Naiku) 01.JPG|thumb|120px|left|踏まぬ石]]
天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は、境外に[[瀧原宮|瀧原竝宮]](たきはらならびのみや)があるが<ref>[[#平凡辞典1939二巻|神道大辞典二巻]]コマ249(原本429頁)『'''タキハラノミヤ''' 瀧原宮』</ref><ref>[[#保育社カラー|保育社、伊勢神宮]]90-91頁『別宮・瀧原宮と瀧原並宮』</ref>、荒祭宮は内宮に[[月讀宮]]、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、[[瀧原宮]]、瀧原竝宮、[[伊雑宮]]、[[風日祈宮]]、[[倭姫宮]]と、あわせて10ある別宮の中で<ref>[[#保育社カラー|保育社、伊勢神宮]]123頁『皇大神宮別所十所』</ref>、第1位とされる<ref>三橋(2013):104 - 105ページ</ref><ref name="筑摩展開56">[[#筑摩展開|筑摩書房、伊勢大神]]56-59頁『二 荒祭宮の由来』</ref><ref>[[#保育社カラー|保育社、伊勢神宮]]14-15頁『別宮・荒祭宮』</ref>。他の別宮よりも社殿が大きく、'''神御衣祭'''(かんみそさい)は[[豊受大神宮|外宮(豊受大神宮)]]では行わないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる<ref name="皇大神宮史167荒祭宮"/><ref>[[#筑摩展開|筑摩書房、伊勢大神]]100-102頁『神御衣祭』</ref>。
荒祭宮は内宮正宮北方にある。別宮とは「'''わけみや'''」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。荒祭宮を「[[荒魂]]を祭る宮」の意味とするのが定説である。


[[Image:Aramatsuri-no-miya-yohai-sho_01.jpg|thumb|left|120px|荒祭宮遥拝所]]
天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は境外に[[瀧原宮|瀧原竝宮]](たきはらならびのみや)があるが、荒祭宮は内宮に[[月讀宮]]、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、[[瀧原宮]]、瀧原竝宮、[[伊雑宮]]、[[風日祈宮]]、[[倭姫宮]]と、あわせて10ある別宮の中で第1位とされる。他の別宮よりも社殿が大きく、'''神御衣祭'''(かんみそさい)は[[豊受大神宮|外宮(豊受大神宮)]]では行なわないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる。
内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の'''籾種石'''(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める'''[[御稲御倉]]'''(みしねのみくら)、古い神宝を納める'''外幣殿'''(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段(約四十段下がったところ)には4つに割れ「'''天'''」の字のように見える石がある<ref name="矢野杜53荒祭宮"/>。この石は'''踏まぬ石'''と呼ばれ避けて通らなければならないとされ、[[江戸時代]]には既に言及されている<ref name="矢野杜53荒祭宮"/>。「踏まぬ石は天から降って来た」という伝説があるが、[[隕石]]ではなく[[堆積岩|水成岩]]であり、起源は定かではない<ref name="矢野杜53荒祭宮"/>。


荒祭宮に参拝できない場合のため、'''荒祭宮遥拝所'''が設けられている<ref>[[#神宮摂末社巡拝下]]p.14</ref>。籾種石の近くに石畳の上に位置する<ref>[[#淡交社、伊勢神宮]]24-25頁『荒祭宮遙拝所(あらまつりのみやようはいじょ)』</ref>。本来は儀式(祭り)のために用いる<ref name="神道大辞典1荒祭宮"/>。荒祭宮は、遷宮制度が導入される以前と考えられるが、内宮正宮の敷地で祀られていたと思われることが、伊勢神宮別宮瀧原宮の公式の[https://www.isejingu.or.jp/download/pdf/pamphlet_takihara.pdf 由緒書き]に記されている。
内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の'''籾種石'''(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める'''御稲御倉'''(みしねのみくら)、古い神宝を納める'''下幣殿'''(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段には4つに割れ「'''天'''」の字のように見える石がある。この石は'''踏まぬ石'''と呼ばれ、避けて通らなければならないとされる。踏まぬ石は天から降って来たと伝えられるが定かではない。


荒祭宮に参拝できない場合のため、籾種石の近くに石畳の'''荒祭宮遥拝所'''が設けられている。


=== 籾種石 ===
<!--=== 籾種石 ===-->
[[Image:Momidane-ishi_01.JPG|thumb|120px|籾種石]]
<!--[[Image:Momidane-ishi_01.JPG|thumb|120px|籾種石]]
籾種石は、[[天明]]年間の[[神宮式年遷宮|第51回内宮式年遷宮]]([[1781年]]-[[1789年]])に、楠部郷(現在の伊勢市楠部町)の住民が[[五十鈴川]]上流から苦労して運び奉納した石と伝えられている。この時、農作業よりも石の運搬を優先したため食料不足に陥り、[[籾]]を食べるしかなくなったことから籾種石と名付けられたという。ここでの五十鈴川は、現在の五十鈴川本流ではなく現在の島路川であろう。<!--出典『お伊勢まいり』-->
籾種石は、[[天明]]年間の[[神宮式年遷宮|第51回内宮式年遷宮]]([[1781年]]-[[1789年]])に、楠部郷(現在の伊勢市楠部町)の住民が[[五十鈴川]]上流から苦労して運び奉納した石と伝えられている。この時、農作業よりも石の運搬を優先したため食料不足に陥り、[[籾]]を食べるしかなくなったことから籾種石と名付けられたという。ここでの五十鈴川は、現在の五十鈴川本流ではなく現在の島路川であろう。--><!--出典『お伊勢まいり』-->

=== 御稲御倉 ===
[[Image:Mishine-no-mikura 01.JPG|thumb|120px|御稲御倉]]
御稲御倉は'''御稲御倉神'''を祀る内宮所管社で、[[伊勢神宮を構成する神社と施設#神宮御料地|神宮神田]]で収穫された稲を納める倉でもある。社殿は[[高床式倉庫]]に近い[[神明造]]で、社殿に垣がないため神明造の特徴を観察することができる。<!--出典『お伊勢まいり』-->


== 祭神 ==
== 祭神 ==
[[天照大神|天照坐皇大御神荒御魂]](あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。[[アマテラス|天照大神]]の[[荒魂]]である[[804年]](延暦23年)の『[[皇太神宮儀式帳]]』において、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の宮と称う」とあり、また、[[927年]]延長5年成立の『延喜式』において荒祭宮一座 大神の荒魂」記載されている。
[[天照大神|天照坐皇大御神荒御魂]](あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)<ref name="神宮便覧30"/><ref name="神道大辞典1荒祭宮"/>。[[天照大神]]の[[荒魂|荒魂(荒御玉)]]である<ref>[[#神宮摂末社巡拝下]]pp.17-18</ref><ref name="神宮学生社164"/>。荒魂(アラミタマ宮ではなく、荒祭(アラマツリ)宮と呼称す理由は不明<ref name="神宮学生社164"/>
[[神体]]は[[鏡]]である<ref name="in"/><ref name="国史7巻262荒祭宮">[[#国史大系七|国史大系7巻]]コマ262-263(原本497-498頁)</ref>。[[804年]](延暦23年)の『[[皇太神宮儀式帳]]』において、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、また、[[927年]](延長5年)成立の『延喜式』において、「荒祭宮一座 大神の荒魂」と記載されている。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は荒祭宮祭神の別名として[[瀬織津姫]]<ref>[[#平凡辞典1939二巻|神道大辞典2巻]]コマ207(原本353頁)</ref>、[[八十禍津日神]]を記している<ref name="国史7巻262荒祭宮"/><ref>[[#斎藤読替|読み替えられた日本神話]]127-129頁『祓えと穢れの神として』</ref>。

 
== 祭事 ==
== 祭事 ==
皇大神宮に準じた祭事が行われ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等である。祈年祭、月次祭、[[神嘗祭]]、[[新嘗祭]]の諸祭には[[皇室]]からの[[幣帛]](へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行する。
皇大神宮に準じた祭事が行われ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等である<ref name="神宮学生社164"/><ref name="in2">三橋(2013):105ページ</ref>。祈年祭、月次祭、[[神嘗祭]]、[[新嘗祭]]の諸祭には[[皇室]]からの[[幣帛]](へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行する<ref name="神道大辞典1荒祭宮"/><ref name="伊勢年鑑22"/>。五月・十月におこなわれる神御衣祭(かんみそさい)は内宮と荒祭宮のみで行う<ref>[[#桜井1969学生伊勢|伊勢神宮、学生社]]140-141頁『神衣を奉る』</ref><ref>[[#保育社カラー|保育社、伊勢神宮]]128-129頁『4 神御衣祭』</ref>。荒祭宮に対する神衣米物の数量は、大神宮に対して約半数である<ref name="筑摩展開56"/>
また、[[神宮式年遷宮]]の際は、内宮別宮のうちでは荒祭宮だけが正宮とほぼ同時期に遷宮を行う。なお、外宮別宮も本宮の荒魂を祀る[[多賀宮]]だけが同様の扱いを受けている。


== 社殿 ==
== 社殿 ==
[[File:Aramatsuri-no-Miya 001.jpg|thumb|250px|遷宮直前に新旧の社殿が並んでいる]]
荒祭宮の社殿は内宮に準じ[[千木・鰹木|内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木]]を持つ萱葺の[[神明造]]で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は、東西に隣接している。幅6.42m(行2丈1尺2寸)、奥行4.24m(妻1丈4尺)、高さ4.48m(1丈4尺8寸)と、他の別宮よりも大きく定められている。
荒祭宮(天照大御神荒魂)・多賀宮(豊受大神荒魂)とも[[鳥居]]が存在しないが、その理由は不明<ref name="矢野杜53荒祭宮"/><ref>[[#斎藤読替|読み替えられた日本神話]]125-126頁『パワースポットとしての荒祭宮』</ref>。荒祭宮の社殿は内宮に準じ、[[千木・鰹木|内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木]]を持つ萱葺の[[神明造]]で南面している<ref name="神道大辞典1荒祭宮"/>。遷宮のための古殿地(新御敷地)は、東西に隣接している。幅6.42m(行2丈1尺2寸)、奥行4.24m(妻1丈4尺)、高さ4.48m(1丈4尺8寸)と、他の別宮よりも大きく定められている。

当初は神垣・[[忌火|忌火殿]]・御倉等も揃っていたが、いつしか失われた<ref name="神道大辞典1荒祭宮"/>。[[室町時代]]には困窮していたが、[[江戸時代]]になり状況は若干改善<ref name="皇大神宮史167荒祭宮"/>。その後1909年(明治42年)に至り、完全な状態になった<ref name="皇大神宮史167荒祭宮"/>。[[1936年]](昭和11年)には荒祭宮社殿に[[コウモリ]]が巣食って遷座を余儀なくされ、[[二・二六事件]](同年2月26日)など凶事続きのため荒祭宮に参拝しようとしていた[[高松宮宣仁親王]](海軍軍人、[[昭和天皇]]弟宮)は「世にもおそろしく覚えたり」と著述している<ref name="高松宮2巻400"/>。

荒祭宮の前の石段中程には杉の木が聳えている。荒祭宮の石段は[[天明|天明年間]]([[江戸時代]])につくられ、1909年(明治42年)に位置を若干かえた<ref name="矢野杜57">[[#矢野、杜|矢野、伊勢神宮]]57-58頁</ref>。この時期に「杉をそのまま残す」という決定がされたという<ref name="矢野杜57"/>。


== 交通 ==
== 交通 ==
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* 最寄バス停:[[三重交通]]内宮前バス停下車。
* 最寄バス停:[[三重交通]]内宮前バス停下車。
* 最寄インターチェンジ:[[伊勢自動車道]][[伊勢インターチェンジ]]から約2.1km。
* 最寄インターチェンジ:[[伊勢自動車道]][[伊勢インターチェンジ]]から約2.1km。
* 駐車場:内宮前に無料駐車場があるが、正月などは利用できない。
* 駐車場:内宮前に駐車場があるが、正月などは利用できない。

== 参考文献 ==
<!-- ウィキペディア推奨スタイル 著者五十音順 -->
* 『お伊勢まいり』(発行:伊勢神宮崇敬会)
*{{Cite book|和書|author=上田正昭ほか|authorlink=上田正昭|editor=|year=1988|month=11|chapter=別宮の祭祀|title={{small|神宮の展開}} 伊勢の大神|publisher=筑摩書房|series=|isbn=4-480-85469-X|ref=筑摩展開}}
*{{Cite book|和書|author1=こほりくにを|authorlink1=小堀邦夫|author2=日竎貞夫|editor=|year=1996|month=8|chapter=|title=伊勢神宮|publisher=保育社|series=カラーブックス890|isbn=4-586-50890-6|ref=保育社カラー}}
*{{Cite book|和書|author=斎藤英喜|authorlink=斎藤英喜|editor=|year=2006|month=12|chapter=|title=読み替えられた日本神話|publisher=講談社|series=講談社現代新書1871|isbn=4-06-149871-1|ref=斎藤読替}}
*<!-- サクライ1969学生 -->{{Cite book|和書|author={{small|神宮禰宜}}桜井勝之進|authorlink=桜井勝之進|editor=|year=1969|month=5|chapter=九 神嘗の大祭|title=伊勢神宮|publisher=学生社|series=日本の神社|isbn=4-311-40704-1|ref=桜井1969学生伊勢}}
*<!-- サクライ1973堀 -->[[桜井勝之進]]『伊勢の大神の宮』堀書店、昭和48年3月25日発行
*{{Cite book|和書|author=高松宮宣仁親王|authorlink=高松宮宣仁親王|coauthors=[[嶋中鵬二]]発行人|title=高松宮日記 第二巻 {{small|昭和八年一月一日~昭和十二年九月二十六日}}|publisher=中央公論社|year=1995|month=6|ISBN=4-12-403392-3|ref=高松宮日記2巻}}
*{{Cite book|和書|author=南里空海|authorlink=南里空海|coauthors=|title={{small|決定版}} 伊勢の神宮|publisher=世界文化社|year=2014|month=12|ISBN=978-4-418-14238-5|ref=決定版伊勢の神宮}}
*{{Cite book|和書|author1=三好和義|authorlink1=三好和義|author2=岡野弘彦ほか|authorlink2=岡野弘彦|editor=|year=2003|month=12|chapter=|title={{small|日本の古社}} 伊勢神宮|publisher=淡交社|series=日本の古社|isbn=4-473-03108-X|ref=淡交社、伊勢神宮}}
*[[三橋健 (神道学者)|三橋健]]著『伊勢神宮 日本人は何を祈ってきたのか』[[朝日新書]]416、[[朝日新聞出版]]、2013年8月30日、230p. ISBN 978-4-02-273516-4
*{{Cite book|和書|author=矢野憲一|authorlink=矢野憲一|editor=|year=2006|month=11|chapter=|title=伊勢神宮 {{small|知られざる杜のうち}}|publisher=角川書店|series=角川選書402|isbn=4-04-703402-9|ref=矢野、杜}}

*[https://dl.ndl.go.jp/  国立国会図書館デジタルコレクション] - [[国立国会図書館]]
**{{Cite book|和書|author=伊勢新聞社編|coauthors=|title=伊勢年鑑.昭和17年|publisher=伊勢新聞社|year=1941|month=10|url={{NDLDC|1069778}}|ref=伊勢年鑑(昭和17)}}
**{{Citation |和書|author=|editor=皇国敬神会|year=1922|month=12|title=全国有名神社御写真帖|chapter=神宮(内宮、外宮)|publisher=皇国敬神会|url={{NDLDC|966854/7}}|ref=全国有名神社写真}}
**{{Cite book|和書|author=猿田彦神社講本部編|coauthors=|title=神宮摂末社巡拝. 下|publisher=猿田彦神社講本部|year=1943|month=5|url={{NDLDC|1033626}}|ref=神宮摂末社巡拝下}}
**{{Cite book|和書|author=神宮司庁編|coauthors=|title=神宮便覧|publisher=中央公論社|year=1925|month=3|url=|ref=神宮便覧(大正14)}}
**{{Cite book|和書|author=神宮司庁編|coauthors=|title=神宮便覧|publisher=中央公論社|year=1928|month=10|url=|ref=神宮便覧(昭和3)}}
**{{Cite book|和書|author=神宮司庁編|coauthors=|title=大神宮叢書. 第3 後篇|publisher=西濃印刷岐阜支店|year=1936|month=11|url={{NDLDC|1239755}}|ref=大神宮叢書.第3後篇}}
**{{Citation |和書|author=中村徳五郎|editor=|year=1921|month=7|title=皇大神宮史|chapter=第三節 相殿及び別宮|publisher=弘道閣|url={{NDLDC|943761}}|ref=皇大神宮史}}
**{{Cite book|和書|author=経済雑誌社編|coauthors=|chapter=倭姫命世紀|title=国史大系.第7巻|publisher=経済雑誌社|year=1898|month=8|url={{NDLDC|991097/253}}|ref=国史大系七}}
**{{Cite book|和書|author=日本旅行協會編纂|coauthors=|title=伊勢参宮案内|publisher=日本旅行協会|year=1930|month=2|url={{NDLDC|1022598}}|ref=伊勢参宮案内}}
**{{Citation |和書|author=広池千九郎|editor=|year=1915|month=9|title=伊勢神宮と我国体|chapter=第二十章 別宮并に摂社及び末社|publisher=日月社|url={{NDLDC|954644/76}}|ref=広池国体}}
**{{Citation |和書|author=|editor=平凡社|year=1937|month=7|title=神道大辞典 第一巻|chapter=|publisher=平凡社|url={{NDLDC|1913333}}|ref=平凡辞典1937一巻}}
**{{Citation |和書|author=|editor=平凡社|year=1939|month=6|title=神道大辞典 第二巻|chapter=|publisher=平凡社|url={{NDLDC|1913348}}|ref=平凡辞典1939二巻}}

== 脚注 ==
{{Reflist}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[天照大神]]
* [[天照大神]]
* [[皇大神宮]]
* [[皇大神宮]]
* [[荒魂・和魂]]
* [[伊勢神宮#神宮125社|伊勢神宮を構成する神社と施設]]
* [[神宮125社の一覧]]
* [[伊勢市]]
* [[伊勢市]]
* [[廣田神社]]昭和31年、荒祭宮の旧社殿を譲り受けて本殿を竣工
* [[廣田神社]] - 同じく[[天照大神]]の荒御魂を祀る。祭神名は「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」と伝える。昭和31年、荒祭宮の旧社殿を譲り受けて本殿を竣工
* [[瀬織津姫]]

== 参考資料 ==
* 『伊勢の大神の宮』([[桜井勝之進]]著、堀書店、昭和48年3月25日発行)
* 『お伊勢まいり』(発行:伊勢神宮崇敬会)


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Aramatsuri-no-miya}}
* [http://www.isejingu.or.jp/naigu/naigu6.htm 伊勢の神宮]
* [http://www.isejingu.or.jp/naiku_2.html 荒祭宮 - 伊勢神宮]
* [http://www.hirotahonsya.or.jp/index.html 廣田神社 - 天照大神荒魂]


{{神宮125社}}
{{神道 横}}
{{神道 横}}
{{デフォルトソート:あらまつりのみや}}

[[Category:伊勢神宮|あらまつりみや]]
[[Category:伊勢神社]]
[[Category:式内大|あらまつりのみや]]
[[Category:神宮125社]]
[[Category:式内大社]]

[[Category:伊勢国の式内社|大あらまつりのみや]]
[[es:Aramatsuri no miya]]
[[Category:2013年竣工の日本の建築物]]
[[fr:Aramatsuri no miya]]

2024年2月2日 (金) 17:56時点における最新版

荒祭宮
所在地 三重県伊勢市宇治館町
位置 北緯34度27分22秒 東経136度43分30秒 / 北緯34.45611度 東経136.72500度 / 34.45611; 136.72500 (荒祭宮)座標: 北緯34度27分22秒 東経136度43分30秒 / 北緯34.45611度 東経136.72500度 / 34.45611; 136.72500 (荒祭宮)
主祭神 天照大神荒魂
社格 式内社(大)
皇大神宮別宮
創建 804年以前
本殿の様式 神明造
地図
荒祭宮の位置(三重県内)
荒祭宮
荒祭宮
テンプレートを表示

荒祭宮(あらまつりのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である[1][2]祭神天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)[1][3]

第62回神宮式年遷宮2013年)では、他の別宮に先駆けて10月10日午後8時に遷御が行われた[4]

概要

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荒祭宮は内宮正宮北方(御正宮の後方)にある[3][5][6]。 別宮とは「わけみや」の意味で[7]、正宮に次ぎ尊いとされる[2][8] 荒祭宮を「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説である[9][10][11]。 『神宮雑例集』によると、創建は垂仁天皇26年10月であり、内宮の正殿と同時に建てられたという[5][12]

踏まぬ石

天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は、境外に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)があるが[13][14]、荒祭宮は内宮に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮風日祈宮倭姫宮と、あわせて10ある別宮の中で[15]、第1位とされる[16][17][18]。他の別宮よりも社殿が大きく、神御衣祭(かんみそさい)は外宮(豊受大神宮)では行わないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる[12][19]

荒祭宮遥拝所

内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める外幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段(約四十段下がったところ)には4つに割れ「」の字のように見える石がある[3]。この石は踏まぬ石と呼ばれ避けて通らなければならないとされ、江戸時代には既に言及されている[3]。「踏まぬ石は天から降って来た」という伝説があるが、隕石ではなく水成岩であり、起源は定かではない[3]

荒祭宮に参拝できない場合のため、荒祭宮遥拝所が設けられている[20]。籾種石の近くに石畳の上に位置する[21]。本来は儀式(祭り)のために用いる[2]。荒祭宮は、遷宮制度が導入される以前と考えられるが、内宮正宮の敷地で祀られていたと思われることが、伊勢神宮別宮瀧原宮の公式の由緒書きに記されている。


祭神

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天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)[1][2]天照大神荒魂(荒御玉)である[22][7]。荒魂(アラミタマ)宮ではなく、荒祭(アラマツリ)宮と呼称する理由は不明[7]神体である[5][23]804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』において、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、また、927年(延長5年)成立の『延喜式』において、「荒祭宮一座 大神の荒魂」と記載されている。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫[24]八十禍津日神を記している[23][25]。  

祭事

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皇大神宮に準じた祭事が行われ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等である[7][26]。祈年祭、月次祭、神嘗祭新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行する[2][6]。五月・十月におこなわれる神御衣祭(かんみそさい)は内宮と荒祭宮のみで行う[27][28]。荒祭宮に対する神衣米物の数量は、大神宮に対して約半数である[17]。 また、神宮式年遷宮の際は、内宮別宮のうちでは荒祭宮だけが正宮とほぼ同時期に遷宮を行う。なお、外宮別宮も本宮の荒魂を祀る多賀宮だけが同様の扱いを受けている。

社殿

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遷宮直前に新旧の社殿が並んでいる

荒祭宮(天照大御神荒魂)・多賀宮(豊受大神荒魂)とも鳥居が存在しないが、その理由は不明[3][29]。荒祭宮の社殿は内宮に準じ、内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している[2]。遷宮のための古殿地(新御敷地)は、東西に隣接している。幅6.42m(行2丈1尺2寸)、奥行4.24m(妻1丈4尺)、高さ4.48m(1丈4尺8寸)と、他の別宮よりも大きく定められている。

当初は神垣・忌火殿・御倉等も揃っていたが、いつしか失われた[2]室町時代には困窮していたが、江戸時代になり状況は若干改善[12]。その後1909年(明治42年)に至り、完全な状態になった[12]1936年(昭和11年)には荒祭宮社殿にコウモリが巣食って遷座を余儀なくされ、二・二六事件(同年2月26日)など凶事続きのため荒祭宮に参拝しようとしていた高松宮宣仁親王(海軍軍人、昭和天皇弟宮)は「世にもおそろしく覚えたり」と著述している[11]

荒祭宮の前の石段中程には杉の木が聳えている。荒祭宮の石段は天明年間江戸時代)につくられ、1909年(明治42年)に位置を若干かえた[30]。この時期に「杉をそのまま残す」という決定がされたという[30]

交通

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参考文献

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  • 『お伊勢まいり』(発行:伊勢神宮崇敬会)
  • 上田正昭ほか「別宮の祭祀」『神宮の展開 伊勢の大神』筑摩書房、1988年11月。ISBN 4-480-85469-X 
  • こほりくにを、日竎貞夫『伊勢神宮』保育社〈カラーブックス890〉、1996年8月。ISBN 4-586-50890-6 
  • 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』講談社〈講談社現代新書1871〉、2006年12月。ISBN 4-06-149871-1 
  • 神宮禰宜桜井勝之進「九 神嘗の大祭」『伊勢神宮』学生社〈日本の神社〉、1969年5月。ISBN 4-311-40704-1 
  • 桜井勝之進『伊勢の大神の宮』堀書店、昭和48年3月25日発行
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第二巻 昭和八年一月一日~昭和十二年九月二十六日』中央公論社、1995年6月。ISBN 4-12-403392-3 
  • 南里空海決定版 伊勢の神宮』世界文化社、2014年12月。ISBN 978-4-418-14238-5 
  • 三好和義岡野弘彦ほか日本の古社 伊勢神宮』淡交社〈日本の古社〉、2003年12月。ISBN 4-473-03108-X 
  • 三橋健著『伊勢神宮 日本人は何を祈ってきたのか』朝日新書416、朝日新聞出版、2013年8月30日、230p. ISBN 978-4-02-273516-4
  • 矢野憲一『伊勢神宮 知られざる杜のうち』角川書店〈角川選書402〉、2006年11月。ISBN 4-04-703402-9 

脚注

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  1. ^ a b c #神宮便覧(大正14)p.30
  2. ^ a b c d e f g 神道大辞典1巻コマ45(原本67頁)
  3. ^ a b c d e f 矢野、伊勢神宮53-54頁『荒御魂をまつる荒祭宮と多賀宮』
  4. ^ “内宮別宮で遷御の儀”. 読売新聞. (2013年10月11日). オリジナルの2013年10月15日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2013-1015-0127-42/www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20131011-OYT8T00088.htm 2013年10月15日閲覧。 
  5. ^ a b c 三橋(2013):104ページ
  6. ^ a b #伊勢年鑑(昭和17)p.22
  7. ^ a b c d 伊勢神宮、学生社164-165頁『荒まつりの宮・滝まつりの宮』
  8. ^ #神宮便覧(大正14)p.25
  9. ^ #伊勢参宮案内p.30
  10. ^ 伊勢神宮と我国体コマ124(原本77頁)
  11. ^ a b #高松宮日記2巻400頁
  12. ^ a b c d #皇大神宮史コマ167-168(原本237-238頁)
  13. ^ 神道大辞典二巻コマ249(原本429頁)『タキハラノミヤ 瀧原宮』
  14. ^ 保育社、伊勢神宮90-91頁『別宮・瀧原宮と瀧原並宮』
  15. ^ 保育社、伊勢神宮123頁『皇大神宮別所十所』
  16. ^ 三橋(2013):104 - 105ページ
  17. ^ a b 筑摩書房、伊勢大神56-59頁『二 荒祭宮の由来』
  18. ^ 保育社、伊勢神宮14-15頁『別宮・荒祭宮』
  19. ^ 筑摩書房、伊勢大神100-102頁『神御衣祭』
  20. ^ #神宮摂末社巡拝下p.14
  21. ^ #淡交社、伊勢神宮24-25頁『荒祭宮遙拝所(あらまつりのみやようはいじょ)』
  22. ^ #神宮摂末社巡拝下pp.17-18
  23. ^ a b 国史大系7巻コマ262-263(原本497-498頁)
  24. ^ 神道大辞典2巻コマ207(原本353頁)
  25. ^ 読み替えられた日本神話127-129頁『祓えと穢れの神として』
  26. ^ 三橋(2013):105ページ
  27. ^ 伊勢神宮、学生社140-141頁『神衣を奉る』
  28. ^ 保育社、伊勢神宮128-129頁『4 神御衣祭』
  29. ^ 読み替えられた日本神話125-126頁『パワースポットとしての荒祭宮』
  30. ^ a b 矢野、伊勢神宮57-58頁

関連項目

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外部リンク

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