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'''佐野 賀世子'''(さの かよこ、[[1993年]][[6月25日]] - )は、[[富山県]][[高岡市]]出身の、[[日本人]]の[[女子]][[柔道]]選手である。階級は63kg級。身長167cm。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は[[内股]]。趣味は音楽鑑賞と人間観察<ref name="名鑑">「柔道全日本強化選手名鑑 2012」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2012年4月号</ref>。現在は[[山梨学院大学]]に在学<ref>[http://www.ygu.ac.jp/cgi-bin/sports/players.cgi?c=6&g=1 柔道部 選手紹介]</ref>。
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'''佐野 賀世子'''(さの かよこ、[[1993年]][[6月25日]] - )は、[[富山県]][[高岡市]]出身の、[[日本人]]の[[女子]][[柔道]]選手である。階級は63kg級。身長167cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は[[内股]]。趣味は音楽鑑賞と人間観察<ref name="名鑑">「柔道全日本強化選手名鑑 2014」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2014年4月号</ref>。


==経歴==
==経歴==
柔道は10歳の時に始めた<ref name="名鑑"/>。[[高岡市立芳野中学校|芳野中学]]に進むと、富山県からオリンピック選手を輩出する目的で設立された「さくら柔道塾」に入門して、そこで寮生活を送ることになった<ref>[http://tokai-tv.com/yume_wk/20080503_yume_5721.php3 熱血!柔道少女3人組] [[東海テレビ]] 2008年5月3日</ref>。1年の時には早くも[[全国中学校柔道大会]]63kg級で3位となった。翌年の大会は個人戦、団体戦3位なった。3年の時は団体戦は前年に続いて3位だったが、個人戦では決勝まで進むものの、[[相模原市立相原中学校|相原中学]]の[[田代未来]]に判定負けして2位にとどまった。
柔道は10歳の時に高岡西条スポーツ少年団で始めた<ref name="名鑑"/>。[[高岡市立芳野中学校|芳野中学]]に進むと、富山県からオリンピック選手を輩出する目的で設立された「さくら柔道塾」に入門して、そこで寮生活を送ることになった<ref>[http://tokai-tv.com/yume_wk/20080503_yume_5721.php3 熱血!柔道少女3人組] [[東海テレビ]] 2008年5月3日</ref>。1年の時には早くも[[全国中学校柔道大会]]の57kgに出場すると、[[川口市立戸塚中学校|戸塚中学]]2年の武村綾華に[[大外刈]]敗れるも3位となった。翌年階級を63kg級に上げると、個人戦では準決勝で[[宇和島市立津島中学校|津島中学]]3年の木村輝美に[[横四方固]]で敗れて前年に続き3位となると、団体戦も3位なった。3年の時は団体戦は前年に続いて3位だったが、個人戦では決勝まで進むものの、[[相模原市立相原中学校|相原中学]]2年の[[田代未来]]に判定負けして2位にとどまった<ref name="名鑑"/>


2009年に[[高岡龍谷高等学校|高岡龍谷高校]]に進むと、[[全国高等学校総合体育大会柔道競技大会|インターハイ]]では2年の時に団体戦では3位だったが、個人戦の63kg級では決勝まで進むものの、[[淑徳中学校・高等学校|淑徳高校]]の[[太田晴奈]]に[[大内刈]]で敗れて2位となった。3年の時には個人戦で[[松商学園高等学校|松商学園高校]]1年の[[津金恵]]を内股の技ありで破って優勝すると、団体戦でも優勝に貢献して2冠を達成した。続く[[全日本ジュニア柔道体重別選手権大会|全日本ジュニア]]でも決勝で田から[[大外刈]]と大内刈で有効2つを取って優勝を果たした。しかしながら、インターハイと全日本ジュニアで立て続けに好内容で優勝しながら[[2011年世界ジュニア柔道選手権大会|世界ジュニア]]代表には選出されなかった。(世界ジュニアには田が代表に選ばれて優勝を果たした)。世界ジュニア代表は各階級2名まで選出可能でありながら、敢えてその権利を行使せず代表になるチャンスさえ与えなかったことに、一部から疑問の声も上がった<ref>[http://www.ejudo.info/newstopics/000743.html 【eJudo's EYE】ジュニア、カデカテゴリは柔軟な選手枠活用を]</ref>。さらには、これだけの実績をジュニアで積みながら、[[講道館杯全日本柔道体重別選手権大会|講道館杯]]への出場を阻まれただけでなく、冬季海外遠征のメンバーにもこの階級のジュニア選手が3名ほど選出されたのとは対照的に一切選出されなかったことで、強化委員会にさらなる疑問の声が沸き上がった(但し、[[全日本柔道連盟|全柔連]]ではなく[[全国高等学校体育連盟|全国高体連]]柔道専門部によって派遣される、フランスでのエクサンプロヴァンスジュニア国際大会代表には選出されて優勝を果たした)<ref>[http://www.ejudo.info/newstopics/000827.html 【eJudo's EYE】五輪レースの行方は!?冬季国際大会派遣選手発表「評」 女子]</ref><ref>[http://www.ejudo.info/newstopics/000777.html 飯田健伍、佐野賀世子ら男女11階級で日本勢が優勝 エクサンプロヴァンスジュニア国際大会]</ref>。
2009年に[[高岡龍谷高等学校|高岡龍谷高校]]に進むと、[[全国高等学校総合体育大会柔道競技大会|インターハイ]]では2年の時に団体戦では3位だったが、個人戦の63kg級では決勝まで進むものの、[[淑徳中学校・高等学校|淑徳高校]]3年の[[太田晴奈]]に[[大内刈]]で敗れて2位った。3年の時には個人戦で[[松商学園高等学校|松商学園高校]]1年の[[津金恵]]を内股の技ありで破って優勝した。団体戦でも中学の時から団体戦では一緒に活躍していた1歳年下の長内香月とともに優勝に貢献して2冠を達成した<ref name="名鑑"/>。続く[[全日本ジュニア柔道体重別選手権大会|全日本ジュニア]]でも決勝で田から大外刈と大内刈で有効2つを取って優勝を果たした。しかしながら、インターハイと全日本ジュニアで立て続けに好内容で優勝しながら[[2011年世界ジュニア柔道選手権大会|世界ジュニア]]代表には選出されなかった。(世界ジュニアには田が代表に選ばれて優勝を果たした)。世界ジュニア代表は各階級2名まで選出可能でありながら、敢えてその権利を行使せず代表になるチャンスさえ与えなかったことに、一部から疑問の声も上がった<ref>[http://www.ejudo.info/newstopics/000743.html 【eJudo's EYE】ジュニア、カデカテゴリは柔軟な選手枠活用を]</ref>。さらには、これだけの実績をジュニアで積みながら、[[講道館杯全日本柔道体重別選手権大会|講道館杯]]への出場を阻まれただけでなく、冬季海外遠征のメンバーにもこの階級のジュニア選手が3名ほど選出されたのとは対照的に一切選出されなかったことで、強化委員会にさらなる疑問の声が沸き上がった(但し、[[全日本柔道連盟|全柔連]]ではなく[[全国高等学校体育連盟|全国高体連]]柔道専門部によって派遣される、フランスでのエクサンプロヴァンスジュニア国際大会代表には選出されて優勝を果たした)<ref>[http://www.ejudo.info/newstopics/000827.html 【eJudo's EYE】五輪レースの行方は!?冬季国際大会派遣選手発表「評」 女子]</ref><ref>[http://www.ejudo.info/newstopics/000777.html 飯田健伍、佐野賀世子ら男女11階級で日本勢が優勝 エクサンプロヴァンスジュニア国際大会]</ref>。


2012年には山梨学院大学法学部法学科に進学した。9月の全日本ジュニアでは決勝で津金と対戦して[[小外刈]]で有効を先取しながら、内股で逆転負けを喫して2連覇はならなかった。続く[[アジアジュニア・ユース柔道選手権大会|アジアジュニア]]ではオール一本勝ちで優勝を飾った。11月にはようやく講道館杯に出場する運びとなったが、準々決勝で[[コマツ]]の[[片桐夏海]]に[[ゴールデンスコア|GS]]に入ってから[[小内刈]]の技ありで敗れると、その後の3位決定戦でも[[淑徳中学校・高等学校|淑徳高校]]の田代に[[払腰]]の技ありで敗れて5位にとどまった。12月には[[ワールドカップ・スウォン|ワールドカップ・チェジュ]]を制して、シニアの国際大会初優勝を飾った<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012120700779 百瀬らが優勝=柔道W杯] [[時事通信]] 2012年12月7日</ref>。
2012年には[[山梨学院大学]]法学部法学科に進学した<ref>[http://www.ygu.ac.jp/cgi-bin/sports/players.cgi?c=6&g=1 柔道部 選手紹介]</ref>1年の時には9月の全日本ジュニア決勝で津金と対戦して[[小外刈]]で有効を先取しながら、内股で逆転負けを喫して2連覇はならなかった。続く[[アジアジュニア・ユース柔道選手権大会|アジアジュニア]]ではオール一本勝ちで優勝を飾った。11月にはようやく講道館杯に出場する運びとなったが、準々決勝で[[コマツ]]の片桐夏海に[[ゴールデンスコア|GS]]に入ってから[[小内刈]]の技ありで敗れると、その後の3位決定戦でも[[淑徳中学校・高等学校|淑徳高校]]3年の田代に[[払腰]]の技ありで敗れて5位にとどまった。12月には[[ワールドカップ・スウォン|ワールドカップ・チェジュ]]を制して、シニアの国際大会初優勝を飾った<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012120700779 百瀬らが優勝=柔道W杯] [[時事通信]] 2012年12月7日</ref>。2013年2月の[[ヨーロッパオープン・オーバーヴァルト]]では、決勝で[[了徳寺学園]]職員の[[田中美衣]]に指導1で敗れて2位にとどまった
2013年2月の[[ヨーロッパオープン・オーバーヴァルト]]では、決勝で[[了徳寺学園]]の[[田中美衣]]に指導1で敗れて2位にとどまった。


2年の時には7月に[[ユニバーシアード柔道競技|ユニバーシアード]]に出場するも、決勝でフランスの選手に指導2で敗れた<ref name="名鑑"/>。
[[IJF]]世界ランキングは160ポイント獲得で47位(13/2/18現在)。

3年の時には[[全日本学生柔道優勝大会]]と[[全日本学生柔道体重別団体優勝大会|体重別団体]]で山梨学院大学の2冠に貢献した<ref name="名鑑"/>。

4年の時には全日本学生柔道優勝大会で2連覇を達成した<ref>[http://www.yguppr.net/150627jd_main.html 全日本学生柔道優勝大会~山学大女子が2連覇、通算6度目の優勝~]</ref>。体重別団体では決勝で[[帝京大学]]に敗れて2年連続団体2冠はならなかった<ref>[http://www.yguppr.net/151025jd_main.html 全日本学生柔道体重別団体優勝大会 最終日]</ref>。


==戦績==
==戦績==
*[[2006年]] - [[全国中学校柔道大会]] 3位
*[[2006年]] - [[全国中学校柔道大会]] 3位(57kg級)
*[[2007年]] - 全国中学校柔道大会 個人戦 3位 団体戦 3位
*[[2007年]] - 全国中学校柔道大会 個人戦 3位 団体戦 3位
*[[2008年]] - 全国中学校柔道大会 個人戦 2位 団体戦 3位
*[[2008年]] - 全国中学校柔道大会 個人戦 2位 団体戦 3位
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*2012年 - [[ワールドカップ・スウォン|ワールドカップ・チェジュ]] 優勝
*2012年 - [[ワールドカップ・スウォン|ワールドカップ・チェジュ]] 優勝
*[[2013年]] - [[ヨーロッパオープン・オーバーヴァルト]] 2位
*[[2013年]] - [[ヨーロッパオープン・オーバーヴァルト]] 2位
*2013年 - [[全日本学生柔道優勝大会]] 2位
*2013年 - [[ユニバーシアード柔道競技|ユニバーシアード]] 2位
*2013年 - [[全日本学生柔道体重別選手権大会|学生体重別]] 3位
*[[2014年]] - [[全日本学生柔道優勝大会]] 優勝
*2014年 - 学生体重別 5位
*2014年 - 体重別団体 優勝
*[[2015年]] - [[全日本学生柔道優勝大会]] 優勝
*2015年 - 体重別団体 2位
(出典<ref name="名鑑"/>、JudoInside.com)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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* {{JudoInside|83511|佐野賀世子}}
* {{JudoInside|83511|佐野賀世子}}


{{DEFAULTSORT:さの かよこ}}
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[[Category:日本の柔道家]]
[[Category:日本の女子柔道家]]
[[Category:ユニバーシアード柔道日本代表選手]]
[[Category:日本のユニバーシアード銀メダリスト]]
[[Category:富山県出身の人物]]
[[Category:富山県出身の人物]]
[[Category:1993年生]]
[[Category:1993年生]]

2024年2月5日 (月) 08:39時点における最新版

獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
ユニバーシアード
2013 カザニ 63kg級

佐野 賀世子(さの かよこ、1993年6月25日 - )は、富山県高岡市出身の、日本人女子柔道選手である。階級は63kg級。身長167cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は内股。趣味は音楽鑑賞と人間観察[1]

経歴

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柔道は10歳の時に高岡西条スポーツ少年団で始めた[1]芳野中学に進むと、富山県からオリンピック選手を輩出する目的で設立された「さくら柔道塾」に入門して、そこで寮生活を送ることになった[2]。1年の時には早くも全国中学校柔道大会の57kg級に出場すると、戸塚中学2年の武村綾華に大外刈で敗れるも3位となった。翌年には階級を63kg級に上げると、個人戦では準決勝で津島中学3年の木村輝美に横四方固で敗れて前年に続き3位となると、団体戦でも3位になった。3年の時は団体戦では前年に続いて3位だったが、個人戦では決勝まで進むものの、相原中学2年の田代未来に判定負けして2位にとどまった[1]

2009年に高岡龍谷高校に進むと、インターハイでは2年の時に団体戦では3位だったが、個人戦の63kg級では決勝まで進むものの、淑徳高校3年の太田晴奈大内刈で敗れて2位だった。3年の時には個人戦で松商学園高校1年の津金恵を内股の技ありで破って優勝した。団体戦でも中学の時から団体戦では一緒に活躍していた1歳年下の長内香月とともに優勝に貢献して2冠を達成した[1]。続く全日本ジュニアでも決勝で太田から大外刈と大内刈で有効2つを取って優勝を果たした。しかしながら、インターハイと全日本ジュニアで立て続けに好内容で優勝しながら世界ジュニア代表には選出されなかった。(世界ジュニアには太田が代表に選ばれて優勝を果たした)。世界ジュニア代表は各階級2名まで選出可能でありながら、敢えてその権利を行使せず代表になるチャンスさえ与えなかったことに、一部から疑問の声も上がった[3]。さらには、これだけの実績をジュニアで積みながら、講道館杯への出場を阻まれただけでなく、冬季海外遠征のメンバーにもこの階級のジュニア選手が3名ほど選出されたのとは対照的に一切選出されなかったことで、強化委員会にさらなる疑問の声が沸き上がった(但し、全柔連ではなく全国高体連柔道専門部によって派遣される、フランスでのエクサンプロヴァンスジュニア国際大会代表には選出されて優勝を果たした)[4][5]

2012年には山梨学院大学法学部法学科に進学した[6]。1年の時には9月の全日本ジュニア決勝で津金と対戦して小外刈で有効を先取しながら、内股で逆転負けを喫して2連覇はならなかった。続くアジアジュニアではオール一本勝ちで優勝を飾った。11月にはようやく講道館杯に出場する運びとなったが、準々決勝でコマツの片桐夏海にGSに入ってから小内刈の技ありで敗れると、その後の3位決定戦でも淑徳高校3年の田代に払腰の技ありで敗れて5位にとどまった。12月にはワールドカップ・チェジュを制して、シニアの国際大会初優勝を飾った[7]。2013年2月のヨーロッパオープン・オーバーヴァルトでは、決勝で了徳寺学園職員の田中美衣に指導1で敗れて2位にとどまった。

2年の時には7月にユニバーシアードに出場するも、決勝でフランスの選手に指導2で敗れた[1]

3年の時には全日本学生柔道優勝大会体重別団体で山梨学院大学の2冠に貢献した[1]

4年の時には全日本学生柔道優勝大会で2連覇を達成した[8]。体重別団体では決勝で帝京大学に敗れて2年連続団体2冠はならなかった[9]

戦績

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(出典[1]、JudoInside.com)

脚注

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外部リンク

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