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「ウマの進化」の版間の差分

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[[file:Horseevolution.png|300px|thumb|ウマの進化の流れ]]'''ウマの進化'''(-しんか)では、[[ウマ]]の[[進化]]の歴史について記述する。
[[ファイル:Horseevolution.svg|300px|thumb|ウマの進化の流れ]]
当項目では'''[[ウマ]]の[[進化]]'''の歴史について記述する。


現代の馬までの進化の軌跡は他の動物のものよりも化石の出土数も多く信頼性が高い。[[ウマ科]]を含む[[奇蹄目]]は[[K-T境界]]の後1000万年までの[[暁新世]]後期に誕生した。奇蹄目は元々、[[熱帯林]]での生活に順応していたが、[[バク科]]と[[サイ科]]が森に適応したのに対し、ウマは[[草原]]など[[ステップ地帯]]での生活に適応した。
現代の馬までの進化の軌跡は他の動物のものよりも化石の出土数も多く信頼性が高い。[[ウマ科]]を含む[[奇蹄目]]は[[K-T境界|K-Pg境界]]の後1000万年までの[[暁新世]]後期に誕生した。奇蹄目は元々、[[熱帯林]]での生活に順応していたが、[[バク科]]と[[サイ科]]が森に適応したのに対し、ウマは[[草原]]など[[ステップ地帯]]での生活に適応した。その過程において、次第に背が高くなり、足指では中指の発達と並行して他の指の退化が進むなど、一定方向への系統的な変化が見て取りやすいことから、[[系統化石]]の好例とされる


== タイムライン ==
== タイムライン ==
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== 進化の過程 ==
== 進化の過程 ==
=== ヒラコテリウム ===
=== ヒラコテリウム ===
[[file:Hyracotherium.jpg|400px|thumb|ヒラコテリウム、左前脚の骨格、歯の構造(a:[[エナメル質]]、b:[[象牙質]]、c:[[セメント質]])]]
[[ファイル:Hyracotherium.jpg|thumb|400px|ヒラコテリウム、左前脚の骨格、歯の構造(a:[[エナメル質]]、b:[[象牙質]]、c:[[セメント質]])]]
現在、最も古いと考えられているウマ科動物は[[ヒラコテリウム]](''Hyracotherium'')である。ヒラコテリウムの化石は18世紀にヨーロッパで見つかり、[[リチャード・オーウェン]]によって「ハイラックス様の獣」を意味するヒラコテリウムと名づけられた<ref>[[Stephen Jay Gould|Gould, Stephen Jay]] (1991). "The Case of the Creeping Fox Terrier Clone" ''Bully for Brontosaurus: Reflections in Natural History'' (pp. 155-167). New York: W.W. Norton & Co.</ref>。ヒラコテリウムは[[オスニエル・チャールズ・マーシュ]]により名づけられた「始新世のウマ」を意味するエオヒップス(''Eohippus'')という名も広まっている。ただし、正式な学名は優先順位の高い「ヒラコテリウム」となっている<ref>[[Stephen Jay Gould|Gould, Stephen Jay]], ''op. cit.'', "Bully for Brontosaurus"</ref><ref name="cyber">[http://www.flmnh.ufl.edu/fhc/ ''Fossil Horses In Cyberspace'']. [[Florida Museum of Natural History]] and the [[National Science Foundation]].</ref>。
現在、最も古いと考えられているウマ科動物は[[ヒラコテリウム]] {{snamei||Hyracotherium}} である。ヒラコテリウムの化石は18世紀にヨーロッパで見つかり、[[リチャード・オーウェン]]によって「[[ハイラックス]](Hyrax)様の獣」を意味するヒラコテリウムと名づけられた<ref>[[スティーヴン・ジェイ・グールド|Gould, Stephen Jay]] (1991). "The Case of the Creeping Fox Terrier Clone" ''Bully for Brontosaurus: Reflections in Natural History'' (pp. 155-167). New York: W.W. Norton & Co.</ref>。ヒラコテリウムは[[オスニエル・チャールズ・マーシュ]]により名づけられた「[[始新世]]のウマ」を意味するエオヒップス(''Eohippus'')という名も広まっている。ただし、正式な学名は優先順位の高い「ヒラコテリウム」となっている<ref>[[スティーヴン・ジェイ・グールド|Gould, Stephen Jay]], ''op. cit.'', "Bully for Brontosaurus"</ref><ref name="cyber">[http://www.flmnh.ufl.edu/fhc/ ''Fossil Horses In Cyberspace'']. [[Florida Museum of Natural History]] and the [[National Science Foundation]].</ref>。


ヒラコテリウムは約5200万年前にはすでに北アメリカ大陸で生活していたとされている。体はキツネと同じくらいのサイズ(体高25~45センチメートル)で、比較的短く弾力性のある頭頸部とアーチ状の背骨を持っていた。歯は各側に切歯を3個、犬歯を1個、小臼歯を4個、大臼歯を3個備えており、合計で44個の歯を持っていた。大臼歯は葉を削りやすい形であり、ヒラコテリウムは葉食性(柔らかい木の葉や果物などを食べていた)である事がえる。またヒラコテリウムは小さい脳を持っており、小さい前頭葉もあった<ref name="to">Hunt, Kathleen (1995). [http://www.talkorigins.org/faqs/horses/horse_evol.html ''Horse Evolution'']. [[TalkOrigins Archive]].</ref>。
ヒラコテリウムは約5200万年前にはすでに北アメリカ大陸で生活していたとされている。体は[[キツネ]]と同じくらいのサイズ(体高25~45センチメートル)で、比較的短く弾力性のある頭頸部とアーチ状の背骨を持っていた。歯は各側に[[切歯]]を3個、[[犬歯]]を1個、[[小臼歯]]を4個、[[大臼歯]]を3個備えており、合計で44個の歯を持っていた。大臼歯は葉を削りやすい形であり、ヒラコテリウムは葉食性(柔らかい木の葉や果物などを食べていた)である事がえる。またヒラコテリウムは小さい脳を持っており、小さい前頭葉もあった<ref name="to">Hunt, Kathleen (1995). [http://www.talkorigins.org/faqs/horses/horse_evol.html ''Horse Evolution'']. [[TalkOrigins Archive]].</ref>。


すでに走ることに対しての進化は始まっており、手足は現在の馬のように体に比例して長かった。しかし、下肢骨のいくつかは不安定で、柔軟性に欠けていた。脚はそれぞれ5本ずつ指があったが、進化の過程で前肢は第1指が退化し4本、後肢は第1指と第5指が退化し3本になっている。爪先は犬のような鉤爪ではなく、小さなひづめがついていた。
すでに走ることに対しての進化は始まっており、手足は現在の馬のように体に比例して長かった。しかし、下肢骨のいくつかは不安定で、柔軟性に欠けていた。脚はそれぞれ5本ずつ指があったが、進化の過程で前肢は第1指が退化し4本、後肢は第1指と第5指が退化し3本になっている。爪先は犬のような鉤爪ではなく、小さなひづめがついていた。


約200万年の間に、ヒラコテリウムは進化し繁栄した。最も重要な進化がより葉食性に特化した歯の獲得である。始新世の間、ヒラコテリウムはウマ科の様々な[[種 (分類学)|種]]に分岐した。これらの完全な化石は北米([[ワイオミング州]][[ウィンド川 (ワイオミング州)|ウィンド川]]など)で数多く発見された。また、現代のウマの先祖とは考えられていないプロオテリウム(''Propalaeotherium'')などの化石がヨーロッパでも見つかっている<ref name="macfadden">MacFadden, B. J. (1976). "Cladistic analysis of primitive equids with notes on other perissodactyls." ''Syst. Zool''. 25(1):1-14.</ref>。プロパオテリウムはパオテリウム(''Palaeotherium'')へと進化するが、その後絶滅した。
約200万年の間に、ヒラコテリウムは進化し繁栄した。最も重要な進化がより葉食性に特化した歯の獲得である。始新世の間、ヒラコテリウムはウマ科の様々な[[種 (分類学)|種]]に分岐した。これらの完全な化石は北米([[ワイオミング州]][[ウィンド川 (ワイオミング州)|ウィンド川]]など)で数多く発見された。また、現代のウマの先祖とは考えられていない[[オテリウム]] {{snamei||Propalaeotherium}} などの化石がヨーロッパでも見つかっている<ref name="macfadden">MacFadden, B. J. (1976). "Cladistic analysis of primitive equids with notes on other perissodactyls." ''Syst. Zool''. 25(1):1-14.</ref>。プロパオテリウムは[[オテリウム]] {{snamei||Palaeotherium}} へと進化するが、その後絶滅した。


=== オロヒップス ===
=== オロヒップス ===
[[File:Knight Orohippus.jpg|250px|thumb|チャールズ・ナイトによるオロヒップス]]
[[ファイル:Knight Orohippus.jpg|thumb|チャールズ・ナイトによるオロヒップス]]
約5000万年前、[[始新世]]中期にヒラコテリウムはオロヒップス(''Orohippus'')へと進化した。オロヒップスとは山のウマを意味するが、実際にはオロヒップスは山には住んでいなかった。また、オロヒップスはプロトロヒップス(''Protorohippus'')という別名がある。体はヒラコテリウムと同じサイズだったが、より細い胴体、細長い頭、細い前肢、長い後足を持っていた。その体は跳躍力に優れていたと考えられている。
約5000万年前、[[始新世]]中期にヒラコテリウムは[[オロヒップス]](''Orohippus'')へと進化した。オロヒップスとは山のウマを意味するが、実際にはオロヒップスは山には住んでいなかった。また、オロヒップスはプロトロヒップス(''Protorohippus'')という別名がある。体はヒラコテリウムと同じサイズだったが、より細い胴体、細長い頭、細い前肢、長い後足を持っていた。その体は跳躍力に優れていたと考えられている。


ヒラコテリウムとオロヒップスを分ける大きな変化は歯にあり、第一小臼歯が小さくなり、第三小臼歯は形を変えて大臼歯となった。また、歯冠はより大きくなり、より硬い植物もすり潰し、食べられるように進化した。
ヒラコテリウムとオロヒップスを分ける大きな変化は歯にあり、第一小臼歯が小さくなり、第三小臼歯は形を変えて大臼歯となった。また、歯冠はより大きくなり、より硬い植物もすり潰し、食べられるように進化した。


=== エピヒップス ===
=== エピヒップス ===
約4700万年前、オロヒップスはより大きな臼歯を持つエピヒップス(''Epihippus'')へと進化した。デュシェーヌヒップス中間型(''Duchesnehippus intermedius'')と呼ばれた後期のエピヒップスには、漸新世のウマ科と同じ歯があった。
約4700万年前、オロヒップスはより大きな臼歯を持つ[[エピヒップス]](''Epihippus'')へと進化した。デュシェーヌヒップス中間型(''Duchesnehippus intermedius'')と呼ばれた後期のエピヒップスには、漸新世のウマ科と同じ歯があった。


=== メソヒップス ===
=== メソヒップス ===
[[file:Mesohippus.png|400px|thumb|メソヒップス、左前脚の骨格、歯の構造]]
[[ファイル:Mesohippus.png|thumb|400px|メソヒップス、左前脚の骨格、歯の構造]]
始新世後期から[[漸新世]](3200~2400万年前)初期に北米は乾燥するようになり、植物は森から平地へと進出していった。砂で覆われていた平野に、現在の[[プレーリー]]に似た草原ができていった。
始新世後期から[[漸新世]](3200~2400万年前)初期に北米は乾燥するようになり、植物初期の[[イネ科]]植物が出現し、はイネ科などの草原へと変化してた。砂で覆われていた平野に、現在の[[プレーリー]]に似た草原ができていった。


約4000万年前、始新世後期に環境の変化に適合し選択されたメソヒップス(''Mesohippus'')へと進化した。メソヒップスの体はエピヒップスより大きくなり、脚がより長くなった。隠れる場所の少ない平原では捕食者から逃げるためにより速く走る必要が出てきたからである。
約4000万年前、始新世後期に環境の変化に適合し選択された[[メソヒップス]](''Mesohippus'')へと進化した。メソヒップスの体はエピヒップスより大きくなり、脚がより長くなった。隠れる場所の少ない平原では捕食者から逃げるためにより速く走る必要が出てきたからである。


漸新世初期にはメソヒップスは北米の広い範囲で生活していた。その脚は前後とも指が3本になっており、3つの爪先で歩行していた。前脚の第5指は退化し、第3指がより発達した。長く、細い脚から、メソヒップスは敏捷性に優れた動物であったことがえる。
漸新世初期にはメソヒップスは北米の広い範囲で生活していた。その脚は前後とも指が3本になっており、3つの爪先で歩行していた。前脚の第5指は退化し、第3指がより発達した。長く、細い脚から、メソヒップスは敏捷性に優れた動物であったことがえる。


メソヒップスはエピヒップスと比べて、肩まで61センチメートルと少し大きく、また、背中はアーチ状ではなくなり、顔や鼻、首が長くなった。大きな大脳を持ち、頭蓋骨には現在の馬にも見られる小さな浅い窪みがある。その窪みは化石から馬の種の鑑定に使われている。メソヒップスは小臼歯が前部にあり、後のウマ科の動物が持つ6個の臼歯を持っていた。植物を食べるために、エピヒップスよりも硬く鋭い歯を獲得していた。
メソヒップスはエピヒップスと比べて、肩まで61センチメートルと少し大きく、また、背中はアーチ状ではなくなり、顔や鼻、首が長くなった。大きな大脳を持ち、頭蓋骨には現在の馬にも見られる小さな浅い窪みがある。その窪みは化石から馬の種の鑑定に使われている。メソヒップスは小臼歯が前部にあり、後のウマ科の動物が持つ6個の臼歯を持っていた。植物を食べるために、エピヒップスよりも硬く鋭い歯を獲得していた。


=== ミオヒップス ===
=== ミオヒップス ===
約3600万年前、メソヒップスへの進化のすぐ後にミオヒップス(''Miohippus'')は誕生している。メソヒップスとミオヒップスの間の化石はいくつか見つかっているが、ミオヒップスの登場は比較的突然であった。ミオヒップスはメソヒップスが段階的に進化したとされていたが、その後[[分岐学|分岐進化]]であることが研究結果から明らかとなっている。今日ではミオヒップスはメソヒップスの亜種から進化し、長い間メソヒップスとミオヒップスが共存していたことが知られている<ref>Prothero, D.R. and Shubin, N. (1989). "The evolution of Oligocene horses." ''The Evolution of Perissodactyls'' (pp. 142-175). New York: Clarendon Press.</ref>。
約3600万年前、メソヒップスへの進化のすぐ後に[[ミオヒップス]](''Miohippus'')は誕生している。メソヒップスとミオヒップスの間の化石はいくつか見つかっているが、ミオヒップスの登場は比較的突然であった。ミオヒップスはメソヒップスが段階的に進化したとされていたが、その後[[分岐学|分岐進化]]であることが研究結果から明らかとなっている。今日ではミオヒップスはメソヒップスの亜種から進化し、長い間メソヒップスとミオヒップスが共存していたことが知られている<ref>Prothero, D.R. and Shubin, N. (1989). "The evolution of Oligocene horses." ''The Evolution of Perissodactyls'' (pp. 142-175). New York: Clarendon Press.</ref>。


ミオヒップスの体は大きく、脚の繋は少し変化した。顔の窪みはより大きく、より深くなった。上側臼歯はより硬い植物をすり潰すために動く歯冠を持った。
ミオヒップスの体は大きく、脚の繋は少し変化した。顔の窪みはより大きく、より深くなった。上側臼歯はより硬い植物をすり潰すために動く歯冠を持った。
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=== カロバティップス ===
=== カロバティップス ===
[[File:Megahippus mckennai.jpg|250px|thumb|メガヒップス]]
[[ファイル:Megahippus mckennai.jpg|thumb|メガヒップス]]
森に適応した種はカロバティップス(''Kalobatippus'')と呼ばれる種で、ミオヒップス中間型(''Miohippus intermedius'')とも呼ばれた。森では地面が柔らかいため、第2指と第4指は歩行に役立っており、再び発達していた。カロバティップスはアンキテリウム(Anchitherium)とも呼ばれた。カロバティップスは[[ベーリング地峡]]を渡り、[[ヨーロッパ]]や[[アジア]]まで進出した<ref name=MacFadden01>{{cite journal | author = MacFadden, B.J. | year = 2001 | title = Three-toed browsing horse ''Anchitherium clarencei'' from the early Miocene (Hemingfordian) Thomas Farm, Florida | journal = Bulletin of the Florida Museum of Natural History | volume = 43 | issue = 3 | pages = 79-109}}</ref>。カロバティップスはユーラシアでシノヒップス(''Sinohippus'')に、北米でハイポヒップス(''Hypohippus'')やメガヒップス(''Megahippus'')に進化した<ref name=Salesa>{{cite journal | author = Salesa, M.J., Sanchez, I.M., and Morales, J. | year = 2004 | title = [http://app.pan.pl/acta49/app49-189.pdf Presence of the Asian horse ''Sinohippus'' in the Miocene of Europe] | journal = Acta Palaeontologica Polonica | volume = 49 | issue = 2 | pages = 189-196}}</ref>。ハイポヒップスは[[鮮新世]]初期に絶滅している。
森に適応した種は[[カロバティップス]](''Kalobatippus'')と呼ばれる種で、ミオヒップス中間型(''Miohippus intermedius'')とも呼ばれた。森では地面が柔らかいため、第2指と第4指は歩行に役立っており、再び発達していた。カロバティップスはアンキテリウム(Anchitherium)とも呼ばれた。カロバティップスは[[ベーリング地峡]]を渡り、[[ヨーロッパ]]や[[アジア]]まで進出した<ref name=MacFadden01>{{cite journal | author = MacFadden, B.J. | year = 2001 | title = Three-toed browsing horse ''Anchitherium clarencei'' from the early Miocene (Hemingfordian) Thomas Farm, Florida | journal = Bulletin of the Florida Museum of Natural History | volume = 43 | issue = 3 | pages = 79-109}}</ref>。カロバティップスはユーラシアでシノヒップス(''Sinohippus'')に、北米でハイポヒップス(''Hypohippus'')やメガヒップス(''Megahippus'')に進化した<ref name=Salesa>{{cite journal | author = Salesa, M.J., Sanchez, I.M., and Morales, J. | year = 2004 | title = [http://app.pan.pl/acta49/app49-189.pdf Presence of the Asian horse ''Sinohippus'' in the Miocene of Europe] | journal = Acta Palaeontologica Polonica | volume = 49 | issue = 2 | pages = 189-196}}</ref>。ハイポヒップスは[[鮮新世]]初期に絶滅している。


=== パラヒップス ===
=== パラヒップス ===
草原に残ったミオヒップスはパラヒップス(''Parahippus'')へ進化した。パラヒップスは小さいポニーほどの大きさで、現在の馬に似た頭蓋骨と顔の構造を持っていた。第3指はより強靭になり体重を支えていた。パラヒップスの歯冠は鋭くなった。
草原に残ったミオヒップスは[[パラヒップス]](''Parahippus'')へ進化した。パラヒップスは小さいポニーほどの大きさで、現在の馬に似た頭蓋骨と顔の構造を持っていた。第3指はより強靭になり体重を支えていた。パラヒップスの歯冠は鋭くなった。


=== メリキップス ===
=== メリキップス ===
[[file:Merychippus.png|thumb|400px|メリキップス、左前脚の骨格、歯構造]]
[[File:Merychippus.jpg|thumb|200px|left|メリキップスの骨格標本。[[国立科学博物館]]展示。]]
[[ファイル:Merychippus.png|thumb|400px|メリキップス、左前脚の骨格、歯の構造]]
[[中新世]]中期にはメリキップス(''Merychippus'')が繁栄していた。メリキップスにはステップ地帯の硬い草をすり潰すのに使用されたとされるパラヒップスより大きな大臼歯があった。後脚の第2指と第4指は短くなり、走るときだけ地面に触れていたと考えられている<ref name="cyber"/>。メリキップスは少なくとも19種類の種に分岐した。
[[中新世]]中期には[[メリキップス]](''Merychippus'')が繁栄していた。メリキップスにはステップ地帯の硬い草をすり潰すのに使用されたとされるパラヒップスより大きな大臼歯があった。後脚の第2指と第4指は短くなり、走るときだけ地面に触れていたと考えられている<ref name="cyber"/>。メリキップスは少なくとも19種類の種に分岐した。


=== ヒッパリオン ===
=== ヒッパリオン ===
[[file:Hipparion.jpg|left|thumb|ヒッパリオン]]
[[ファイル:Neohipparion_affine.jpg|left|thumb|ヒッパリオン]]
メリキップスから分岐したウマ科の中で特に変化があったのが、[[ヒッパリオン]](''Hipparion'')、プロトヒップス(''Protohippus'')、プリオヒップス(''Pliohippus'')の3種である。メリキップスからもっとも変化したのがヒッパリオンで、歯冠のエナメル質が舌を隔離する壁を作っていた。北米で見つかったヒッパリオンの完全な化石は小さいポニーほどのサイズだった。化石から、カモシカのように体重が軽く乾いた大草原での生活に適応していたことがわかっている。脚の指は3本あったが、第3指のみで歩行し、第2指、第4指はすでに使われていなかった。
メリキップスから分岐したウマ科の中で特に変化があったのが、[[ヒッパリオン]](''Hipparion'')、プロトヒップス(''Protohippus'')、プリオヒップス(''Pliohippus'')の3種である。メリキップスからもっとも変化したのがヒッパリオンで、歯冠のエナメル質が舌を隔離する壁を作っていた。北米で見つかったヒッパリオンの完全な化石は小さいポニーほどのサイズだった。化石から、カモシカのように体重が軽く乾いた大草原での生活に適応していたことがわかっている。脚の指は3本あったが、第3指のみで歩行し、第2指、第4指はすでに使われていなかった。


北アメリカではヒッパリオンとその近縁種(コーモヒッパリオン(''Cormohipparion'')、ナニップス(''Nannippus'')、ネオヒッパリオン(''Neohipparion'')、スードヒッパリオン(''Pseudhipparion''))は繁栄した。また、中新世の間に、アジアやヨーロッパにわたっている<ref name=MacFadden84>{{cite journal | author = MacFadden, B.J. | year = 1984 | title = Systematics and phylogeny of Hipparion, Neohipparion, Nannippus, and Cormohipparion (Mammalia, Equidae) from the Miocene and Pliocene of the New World | journal = Bulletin of the American Museum of Natural History | volume = 179 | issue = 1 | pages = 1-195 | url = http://hdl.handle.net/2246/997}}</ref>(ヨーロッパではアメリカの化石よりも小さなヒッパリオンが見つかっている。特に[[アテネ]]で見つかった化石が有名である)。
北アメリカではヒッパリオンとその近縁種(コーモヒッパリオン(''Cormohipparion'')、ナニップス(''Nannippus'')、ネオヒッパリオン(''Neohipparion'')、スードヒッパリオン(''Pseudhipparion''))は繁栄した。また、中新世の間に、アジアやヨーロッパにわたっている<ref name=MacFadden84>{{cite journal | author = MacFadden, B.J. | year = 1984 | title = Systematics and phylogeny of Hipparion, Neohipparion, Nannippus, and Cormohipparion (Mammalia, Equidae) from the Miocene and Pliocene of the New World | journal = Bulletin of the American Museum of Natural History | volume = 179 | issue = 1 | pages = 1-195 | url = https://hdl.handle.net/2246/997}}</ref>(ヨーロッパではアメリカの化石よりも小さなヒッパリオンが見つかっている。特に[[アテネ]]で見つかった化石が有名である)。


[[シマウマ]]や[[ロバ]]などにはヒッパリオンから進化したという説が有力である。
[[シマウマ]]や[[ロバ]]などにはヒッパリオンから進化したという説が有力である。


=== プリオヒップス ===
=== プリオヒップス ===
[[file:Pliohippus.png|thumb|350px|プリオヒップス、左前脚の骨格、歯の構造]]
[[ファイル:Pliohippus.png|thumb|400px|プリオヒップス、左前脚の骨格、歯の構造]]
プリオヒップス(''Pliohippus'')は約1200万年前、中新世中期にカリップス(''Calippus'')から進化した。プリオヒップスはエクウスとよく似た外見をしていた。蹄の両側にある2本の指は、ほぼ完全に退化しており、脚としての機能は完全に消失していた。プリオヒップスは長く細い脚を手に入れたことで、より速く走ることができるようになった。
[[プリオヒップス]](''Pliohippus'')は約1200万年前、中新世中期にカリップス(''Calippus'')から進化した。プリオヒップスはエクウスとよく似た外見をしていた。蹄の両側にある2本の指は、ほぼ完全に退化しており、脚としての機能は完全に消失していた。プリオヒップスは長く細い脚を手に入れたことで、より速く走ることができるようになった。


プリオヒップスは解剖学的に多くの同一性が見られることから、現代の馬の先祖であると考えられてきた。しかし、プリオヒップスの頭骨には深い窪みがあるが、エクウスには窪みは見られず、現代の馬がまっすぐな歯であるのに対し、プリオヒップスの歯は曲がっていた。このような相違点が見られることから、プリオヒップスは現代の馬の先祖でない可能性もある。プリオヒップスはアストロヒップス(''Astrohippus'')の先祖である可能性がある<ref>MacFadden, B. J. (1984). "Astrohippus and Dinohippus". ''J. Vert. Paleon''. 4(2):273-283.</ref>。
プリオヒップスは解剖学的に多くの同一性が見られることから、現代の馬の先祖であると考えられてきた。しかし、プリオヒップスの頭骨には深い窪みがあるが、エクウスには窪みは見られず、現代の馬がまっすぐな歯であるのに対し、プリオヒップスの歯は曲がっていた。このような相違点が見られることから、プリオヒップスは現代の馬の先祖でない可能性もある。プリオヒップスはアストロヒップス(''Astrohippus'')の先祖である可能性がある<ref>MacFadden, B. J. (1984). "Astrohippus and Dinohippus". ''J. Vert. Paleon''. 4(2):273-283.</ref>。


=== ディノヒップス ===
=== ディノヒップス ===
ディノヒップス(''Dinohippus'')は鮮新世後期の北米で最も一般的なウマだった。元々、蹄は一つであると見られていたが、1981年にネブラスカで見つかった化石より、指は3本あったことが確認されている。
[[ディノヒップス]](''Dinohippus'')は鮮新世後期の北米で最も一般的なウマだった。元々、蹄は一つであると見られていたが、1981年にネブラスカで見つかった化石より、指は3本あったことが確認されている。


=== プレシップス ===
=== プレシップス ===
プレシップス(''Plesippus'')はディノヒップスとエクウスの中間種であると考えられている。
[[プレシップス]](''Plesippus'')はディノヒップスとエクウスの中間種であると考えられている。


アイダホ州ヘイガーマンの近くで見つかった化石は、ヘイガーマン化石層群の約350万年前、鮮新世の地層から出土し、元々はプレシップスの近縁種のものと考えられていた。化石はプレシップス模式種(''Plesippus shoshonensis'')と呼ばれていたが、古生物学者らによる研究で化石はエクウスに最も近い化石であることが確認された<ref>[http://www.nps.gov/archive/hafo/crittercorner/equus.htm equus]</ref>。化石から算出した平均体重は425キログラムで、[[アラブ種]]と同じサイズだった。
アイダホ州ヘイガーマンの近くで見つかった化石は、ヘイガーマン化石層群の約350万年前、鮮新世の地層から出土し、元々はプレシップスの近縁種のものと考えられていた。化石はプレシップス模式種(''Plesippus shoshonensis'')と呼ばれていたが、古生物学者らによる研究で化石はエクウスに最も近い化石であることが確認された<ref>[http://www.nps.gov/archive/hafo/crittercorner/equus.htm equus]</ref>。化石から算出した平均体重は425キログラムで、[[アラブ種]]と同じサイズだった。
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=== エクウス ===
=== エクウス ===
エクウス(''Equus'')の最古の種はエクウスステノニス(''Equus Stenonis'')で、イタリアで発見された。第四期の初期か新第三期の最後にプレシップスから進化したと考えられている。エクウスステノニスは後に体重が軽い種と重い種の2種に分岐した。
[[ウマ属|エクウス]](''Equus'')の最古の種は[[エクウスステノニス]](''Equus Stenonis'')で、イタリアで発見された。第四期の初期か新第三期の最後にプレシップスから進化したと考えられている。エクウスステノニスは後に体重が軽い種と重い種の2種に分岐した。


エクウスステノニスは北米に渡った。北米ではエクウススコッティ(''Equus scotti'')と呼ばれており、現代の馬を超える大きさの化石も見つかっている(エクウススコッティギガンテウス(''Equus scotti'' var.''giganteus'')と呼ばれる)。
エクウスステノニスは北米に渡った。北米では[[エクウススコッティ]](''Equus scotti'')と呼ばれており、現代の馬を超える大きさの化石も見つかっている(エクウススコッティギガンテウス(''Equus scotti'' var.''giganteus'')と呼ばれる)。


[[File:Hippidion skeleton.JPG|thumb|left|ヒッピディオン]]アメリカ大陸では鮮新世(300万年前)から更新世(1万年前)までの間で、ヒッピディオン(''Hippidion'')、エクウスフランシスキ(''Equus francisci'')、そして現代の馬の先祖の、大きく分けて3種類に分岐した<ref name = "WeinstockMolecularPerspective">{{cite journal |last=Weinstock |first=J. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2005 |month= |title=Evolution, systematics, and phylogeography of Pleistocene horses in the New World: a molecular perspective |journal=[[PLoS Biology]] |volume=3 |issue=8 |pages=e241 |doi=10.1371/journal.pbio.0030241 |url=http://biology.plosjournals.org/perlserv/?request=get-document&doi=10.1371%2Fjournal.pbio.0030241&ct=1 |accessdate=2008-12-19 |quote= }}</ref>。
[[ファイル:Hippidion skeleton.JPG|thumb|left|ヒッピディオン]]アメリカ大陸では鮮新世(300万年前)から更新世(1万年前)までの間で、[[ヒッピディオン]](''Hippidion'')、[[エクウスフランシスキ]](''Equus francisci'')、そして現代の馬の先祖の、大きく分けて3種類に分岐した<ref name = "WeinstockMolecularPerspective">{{cite journal |last=Weinstock |first=J. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2005 |month= |title=Evolution, systematics, and phylogeography of Pleistocene horses in the New World: a molecular perspective |journal=[[PLoS Biology]] |volume=3 |issue=8 |pages=e241 |doi=10.1371/journal.pbio.0030241 |url=http://biology.plosjournals.org/perlserv/?request=get-document&doi=10.1371%2Fjournal.pbio.0030241&ct=1 |accessdate=2008-12-19 |quote= }}</ref>。


ヒッピディオンは約250万年前にアメリカ大陸間交差が起こった際、北米を渡り南米で繁栄した<ref name = "WeinstockMolecularPerspective"/>。ヒッピディオンは比較的短い脚を持っていた。元々はプリオヒップスから進化したと考えられていたが、DNAの研究が進みエクウスに属する種であることが示されている。100万年前、南米にエクウスカバルス(''Equus caballus'')が渡ってくる<ref name = "WeinstockMolecularPerspective"/><ref name = "AncientDNA">{{cite journal |last=Orlando |first=L. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2008 |month= |title=Ancient DNA Clarifies the Evolutionary History of American Late Pleistocene Equids |journal=[[Journal of Molecular Evolution]] |volume=66 |issue= |pages=533-538 |doi=10.1007/s00239-008-9100-x |url= |accessdate=2008-11-27 |quote= }}</ref>と、ヒッピディオンとエクウスカバルスは血が混じりあい、一つの種となった<ref name = "AncientDNA"/>。ヒッピディオンは南米の固有種となっていたが、約1万3000年前に絶滅した<ref name =WeinstockMolecularPerspective/>。
ヒッピディオンは約300万年前に[[アメリカ大陸間交差]]が起こった際、北米を渡り南米で繁栄した<ref name = "WeinstockMolecularPerspective"/>。ヒッピディオンは比較的短い脚を持っていた。元々はプリオヒップスから進化したと考えられていたが、DNAの研究が進みエクウスに属する種であることが示されている。100万年前、南米にエクウスカバルス(''Equus caballus'')が渡ってくる<ref name = "WeinstockMolecularPerspective"/><ref name = "AncientDNA">{{cite journal |last=Orlando |first=L. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2008 |month= |title=Ancient DNA Clarifies the Evolutionary History of American Late Pleistocene Equids |journal=[[Journal of Molecular Evolution]] |volume=66 |issue= |pages=533-538 |doi=10.1007/s00239-008-9100-x |url= |accessdate=2008-11-27 |quote= }}</ref>と、ヒッピディオンとエクウスカバルスは血が混じりあい、一つの種となった<ref name = "AncientDNA"/>。ヒッピディオンは南米の固有種となっていたが、約1万3000年前に絶滅した<ref name =WeinstockMolecularPerspective/>。


エクウスフランシスキは更新世の氷床の南で見られた。エクウスフランシスキは約3万1000年前、ベーリング地峡周辺で絶滅した<ref name=WeinstockMolecularPerspective/>。
エクウスフランシスキは更新世の氷床の南で見られた。エクウスフランシスキは約3万1000年前、ベーリング地峡周辺で絶滅した<ref name=WeinstockMolecularPerspective/>。


==== Equus ferus ====
[[file:Przewalskis-horse-036437.jpg|thumb|モウコノウマ]]
[[ファイル:Przewalskis-horse-036437.jpg|thumb|モウコノウマ]]
エクウスはドイツやシベリアで生活していたプルツェワルスキスホース(''Przewalski's Horse''、[[モウコノウマ]])を含む現代の馬に連なるウマ、アラスカで生活する唯一の種である全北区の種の大きく分けて2種に分かれた<ref name = WeinstockMolecularPerspective/><ref name = "VilaWidespreadOrigins">{{cite journal |last=Vila |first=C. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2001 |month= |title=Widespread Origins of Domestic Horse Lineages|journal=[[Science (journal)|Science]] |volume=291 |issue= |pages= |doi= |url=http://www.uky.edu/Ag/Horsemap/Maps/VILA.PDF |format=PDF|accessdate=2008-12-19 |quote= }}</ref>。全北区の種は北米から離れることなく生活していたが、人類がウマを家畜とする以前に絶滅したと見られている。現代の馬に連なるウマは中央ヨーロッパから北米まで広く繁栄し、現代の馬へと進化していった<ref name = "VilaWidespreadOrigins"/><ref name = "JansenMtDNA">{{cite journal |last=Jansen |first=T. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2002 |month=July |title=Mitochondrial DNA and the origins of the domestic horse|journal=[[Proceedings of the National Academy of Sciences]] |volume=99 |issue=16 |pages=10905-10910 |doi=10.1073/pnas.152330099 |url=http://www.pnas.org/content/99/16/10905.full |accessdate=2008-12-19 |quote= }}</ref>。
エクウスはドイツやシベリアで生活していた現代の馬に連なるウマ([[:en:Wild horse|ノウマ]]、Equus ferus)と、アラスカで生活した全北区の種の2種に分かれた<ref name = WeinstockMolecularPerspective/><ref name = "VilaWidespreadOrigins">{{cite journal |last=Vila |first=C. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2001 |month= |title=Widespread Origins of Domestic Horse Lineages|journal=[[Science (journal)|Science]] |volume=291 |issue= |pages= |doi= |url=http://www.uky.edu/Ag/Horsemap/Maps/VILA.PDF |format=PDF|accessdate=2008-12-19 |quote= }}</ref>。


現代の馬に連なるウマ([[:en:Wild horse|ノウマ]]、Equus ferus)は中央ヨーロッパから北米まで広く繁栄し、現代の馬へと進化していった<ref name = "VilaWidespreadOrigins"/><ref name = "JansenMtDNA">{{cite journal |last=Jansen |first=T. |authorlink= |coauthors=''et al.'' |year=2002 |month=July |title=Mitochondrial DNA and the origins of the domestic horse|journal=[[Proceedings of the National Academy of Sciences]] |volume=99 |issue=16 |pages=10905-10910 |doi=10.1073/pnas.152330099 |url=http://www.pnas.org/content/99/16/10905.full |accessdate=2008-12-19 |quote= }}</ref>。なお現生の家畜馬の染色体数は64本だが、[[モウコノウマ]](ノウマの一亜種)については染色体数は66本である。
西カナダに、北米の全てのウマ科が1万2000年前から1万1000年前にかけて絶滅したという痕跡が残っている<ref>{{Cite book | last = Singer | first = Ben | title = A brief history of the horse in America | publisher = Canadian Geographic Magazine | date = May 2005 | url =http://www.canadiangeographic.ca/Magazine/ma05/indepth/#cnd | accessdate =2009-10-16}}</ref>。このときは、アメリカで生活していたほとんどの大型生物も同時期に絶滅しており、しばしば議論の的となる。大量絶滅とそれまでの乳類の繁栄を比べると、その衰退は激しく、その要因として主に2つの仮説が考えられている。1つは、気候変動により約1万2500年前にステップ地帯の植物がツンドラによって枯れ食料がなくなり絶滅したという仮説<ref name="LeQuire">{{cite web| url=http://www.thehorse.com/ViewArticle.aspx?ID=4849 |author=LeQuire, Elise| title="No Grass, No Horse" |publisher = The Horse, online edition| date= 2004-01-04 |accessdate= 2009-06-08}}</ref>と、もう1つは馬が絶滅した時期と、[[クローヴィス文化]]の発祥がほぼ同時である事から人類によって狩られたという仮説<ref> [http://news.nationalgeographic.com/news/2006/05/0501_060501_ice_age.html "Ice Age Horses May Have Been Killed Off by Humans"] ''National Geographic News,'' May 1, 2006.</ref><ref name = Buck>{{cite journal|last=Buck|first=Caitlin E.|coauthors= Bard, Edouard|year=2007|title=A calendar chronology for Pleistocene mammoth and horse extinction in North America based on Bayesian radiocarbon calibration|journal=[[Quaternary Science Reviews]]|volume=26|issue=17-18|doi=10.1016/j.quascirev.2007.06.013|pages=2031}}</ref>である。<!-- 2006年に発表された調査結果ではアラスカにおけるウマの絶滅よりも人の進出が早かったかはわからないとしている<ref>{{Cite journal | last = Solow | first = Andrew | last2 = Roberts | first2 = David | last3 = Robbirt | first3 = Karen | editor-last = Haynes | editor-first = C. Vance | title = On the Pleistocene extinctions of Alaskan mammoths and horses | publisher = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America | date = May 9, 2006 | volume = 103 | edition = 19 | url = http://www.pnas.org/content/103/19/7351.full | pmid = 16651534 | doi = 10.1073/pnas.0509480103 | issue = 19 | pages = 7351-3 | pmc = 1464344 | journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America }}</ref>。 -->

全北区の種は北米から離れることなく生活していたが、人類がウマを家畜とする以前に絶滅したと見られている。

西カナダに、北米の全てのウマ科が1万2000年前から1万1000年前にかけて絶滅したという痕跡が残っている<ref>{{Cite book | last = Singer | first = Ben | title = A brief history of the horse in America | publisher = Canadian Geographic Magazine | date = May 2005 | url =http://www.canadiangeographic.ca/Magazine/ma05/indepth/#cnd | accessdate =2009-10-16}}</ref>。このときは、アメリカで生活していたほとんどの大型生物も同時期に絶滅しており、しばしば議論の的となる。大量絶滅とそれまでの乳類の繁栄を比べると、その衰退は激しく、その要因として主に2つの仮説が考えられている。1つは、気候変動により約1万2500年前にステップ地帯の植物がツンドラによって枯れ食料がなくなり絶滅したという仮説<ref name="LeQuire">{{cite web| url=http://www.thehorse.com/ViewArticle.aspx?ID=4849 |author=LeQuire, Elise| title="No Grass, No Horse" |publisher = The Horse, online edition| date= 2004-01-04 |accessdate= 2009-06-08}}</ref>と、もう1つは馬が絶滅した時期と、[[クローヴィス文化]]の発祥がほぼ同時である事から人類によって狩られたという仮説<ref> [http://news.nationalgeographic.com/news/2006/05/0501_060501_ice_age.html "Ice Age Horses May Have Been Killed Off by Humans"] ''National Geographic News,'' May 1, 2006.</ref><ref name = Buck>{{cite journal|last=Buck|first=Caitlin E.|coauthors= Bard, Edouard|year=2007|title=A calendar chronology for Pleistocene mammoth and horse extinction in North America based on Bayesian radiocarbon calibration|journal=[[Quaternary Science Reviews]]|volume=26|issue=17-18|doi=10.1016/j.quascirev.2007.06.013|pages=2031}}</ref>である。<!-- 2006年に発表された調査結果ではアラスカにおけるウマの絶滅よりも人の進出が早かったかはわからないとしている<ref>{{Cite journal | last = Solow | first = Andrew | last2 = Roberts | first2 = David | last3 = Robbirt | first3 = Karen | editor-last = Haynes | editor-first = C. Vance | title = On the Pleistocene extinctions of Alaskan mammoths and horses | publisher = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America | date = May 9, 2006 | volume = 103 | edition = 19 | url = http://www.pnas.org/content/103/19/7351.full | pmid = 16651534 | doi = 10.1073/pnas.0509480103 | issue = 19 | pages = 7351-3 | pmc = 1464344 | journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America }}</ref>。 -->


馬の化石は1万年前の地層以降しばらく発見されていなかったが、[[カザフスタン]]と[[ウクライナ]]南の6000年前の地層から再び出土し始めた。6000年前から、馬を飼育したり、騎乗し始める人々がでてきた可能性が高い<ref name = "VilaWidespreadOrigins"/>。その方法は比較的早く広まり、いくつかの部族では馬がその生活において重要な役割をしていた可能性がある<ref name = "JansenMtDNA"/>。
馬の化石は1万年前の地層以降しばらく発見されていなかったが、[[カザフスタン]]と[[ウクライナ]]南の6000年前の地層から再び出土し始めた。6000年前から、馬を飼育したり、騎乗し始める人々がでてきた可能性が高い<ref name = "VilaWidespreadOrigins"/>。その方法は比較的早く広まり、いくつかの部族では馬がその生活において重要な役割をしていた可能性がある<ref name = "JansenMtDNA"/>。


なお、北アメリカには[[マスタング]]と呼ばれる野生馬があるが、これはすべて1493年に[[クリストファー・コロンブス]]が再導入し、その後複数回持ち込まれたものを起源として、それらが野生化したものである。アメリカ大陸の原住民には、馬を指し示す言葉がなかったため、犬や鹿の一種として呼ぶようになった(たとえばヘラジカ犬(elk-dog)など)。
== アメリカ大陸へ ==
[[file:Mustang Utah 2005 2.jpg|250px|thumb|マスタングの群れ]]
[[ファイル:Mustang Utah 2005 2.jpg|thumb|マスタングの群れ]]
ウマがアメリカ大陸で1万年前に絶滅してから、1493年に[[クリストファー・コロンブス]]によって再びアメリカに戻ってきた。イスパニョーラ島にイベリア馬が運ばれたのを始めとして、その後[[パナマ]]、[[メキシコ]]、[[ブラジル]]、[[ペルー]]、[[アルゼンチン]]、そして1538年に[[フロリダ]]に運ばれた<ref name = IberianOrigins>{{cite journal |last=Luis |first= Cristina |coauthors= et al. |year=2006 |title=Iberian Origins of New World Horse Breeds |journal=[[Journal of Heredity]] |volume=97 |issue=2 |url=http://jhered.oxfordjournals.org/cgi/content/full/97/2/107 |pages=107-113 |doi=10.1093/jhered/esj020 }}</ref>。[[エルナン・コルテス]]によって連れて来られた16頭の馬が最初に大陸に上陸した馬である。カリブ海にはスペイン人によって作られた馬の飼育施設があり、[[フランシスコ・バスケス・デ・コロナド|コロナド]]や[[エルナンド・デ・ソト|デ・ソト]]らが大陸に馬を連れてきていた。その後、スペイン人が本国に帰り、残された馬は天敵もいないことから野生化し爆発的に増え、[[マスタング]]として知られるようになった。

アメリカ大陸の原住民には、馬を指し示す言葉がなかったため、犬や鹿の一種として呼ぶようになった(たとえばヘラジカ犬(elk-dog)など)。


== 特徴 ==
== 特徴 ==
[[File:Merychippus.jpg|thumb|150px|メリキップスの脚]]
[[ファイル:Anchitherium.jpg|thumb|メリキップスの脚]]
=== 歯 ===
=== 歯 ===
馬の進化の特徴として、歯が常に変化していたことが挙げられる。[[雑食性]]を示す短くでこぼこな大臼歯から、草食性乳類に共通な長く平坦な歯へと徐々に変化していった。そのほかの変化に、頭骨の顔の部分が伸びたこと、短かった首は脚が長くなるにつれ長く伸びたことが挙げられる。それらの要因によって、最終的に馬の体のサイズは大きくなった。
馬の進化の特徴として、歯が常に変化していたことが挙げられる。[[雑食性]]を示す短くでこぼこな大臼歯から、草食性乳類に共通な長く平坦な歯へと徐々に変化していった。そのほかの変化に、頭骨の顔の部分が伸びたこと、短かった首は脚が長くなるにつれ長く伸びたことが挙げられる。それらの要因によって、最終的に馬の体のサイズは大きくなった。


=== 指 ===
=== 指 ===
馬の先祖は第3指とその隣の指を使って歩いていた。その骨格は腓骨とよばれる中手骨、中足骨の側面に痕跡として残っている。基本的には意味を成さないが、手根関節と足根骨の飛節を支える重要な役割を果たしているという意見もある。
馬の先祖は第3指とその隣の指を使って歩いていた。その骨格は腓骨とよばれる中手骨、中足骨の側面に痕跡として残っている。基本的には意味を成さないが、手根関節と足根骨の[[飛節]]を支える重要な役割を果たしているという意見もある。

=== 知能 ===


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[三趾馬]]
* [[三趾馬]]
* {{Wikinews-inline|ドイツで発掘されたウマ科の化石「Eurohippus messelensis」に関する論文が投稿、子宮が残存した化石としては世界最古}}(2015年11月16日)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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ウマの進化の流れ

当項目ではウマ進化の歴史について記述する。

現代の馬までの進化の軌跡は他の動物のものよりも化石の出土数も多く信頼性が高い。ウマ科を含む奇蹄目K-Pg境界の後1000万年までの暁新世後期に誕生した。奇蹄目は元々、熱帯林での生活に順応していたが、バク科サイ科が森に適応したのに対し、ウマは草原などステップ地帯での生活に適応した。その過程において、次第に背が高くなり、足指では中指の発達と並行して他の指の退化が進むなど、一定方向への系統的な変化が見て取りやすいことから、系統化石の好例とされる。

タイムライン

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更新世鮮新世中新世漸新世始新世ヒラコテリウム

進化の過程

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ヒラコテリウム

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ヒラコテリウム、左前脚の骨格、歯の構造(a:エナメル質、b:象牙質、c:セメント質

現在、最も古いと考えられているウマ科動物はヒラコテリウム Hyracotherium である。ヒラコテリウムの化石は18世紀にヨーロッパで見つかり、リチャード・オーウェンによって「ハイラックス(Hyrax)様の獣」を意味するヒラコテリウムと名づけられた[1]。ヒラコテリウムはオスニエル・チャールズ・マーシュにより名づけられた「始新世のウマ」を意味するエオヒップス(Eohippus)という名も広まっている。ただし、正式な学名は優先順位の高い「ヒラコテリウム」となっている[2][3]

ヒラコテリウムは約5200万年前にはすでに北アメリカ大陸で生活していたとされている。体はキツネと同じくらいのサイズ(体高25~45センチメートル)で、比較的短く弾力性のある頭頸部とアーチ状の背骨を持っていた。歯は各側に切歯を3個、犬歯を1個、小臼歯を4個、大臼歯を3個備えており、合計で44個の歯を持っていた。大臼歯は葉を削りやすい形であり、ヒラコテリウムは葉食性(柔らかい木の葉や果物などを食べていた)である事が窺える。またヒラコテリウムは小さい脳を持っており、小さい前頭葉もあった[4]

すでに走ることに対しての進化は始まっており、手足は現在の馬のように体に比例して長かった。しかし、下肢骨のいくつかは不安定で、柔軟性に欠けていた。脚はそれぞれ5本ずつ指があったが、進化の過程で前肢は第1指が退化し4本、後肢は第1指と第5指が退化し3本になっている。爪先は犬のような鉤爪ではなく、小さなひづめがついていた。

約200万年の間に、ヒラコテリウムは進化し繁栄した。最も重要な進化がより葉食性に特化した歯の獲得である。始新世の間、ヒラコテリウムはウマ科の様々なに分岐した。これらの完全な化石は北米(ワイオミング州ウィンド川など)で数多く発見された。また、現代のウマの先祖とは考えられていないパレオテリウム Propalaeotherium などの化石がヨーロッパでも見つかっている[5]。プロパレオテリウムはパレオテリウム Palaeotherium へと進化するが、その後絶滅した。

オロヒップス

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チャールズ・ナイトによるオロヒップス

約5000万年前、始新世中期にヒラコテリウムはオロヒップスOrohippus)へと進化した。オロヒップスとは山のウマを意味するが、実際にはオロヒップスは山には住んでいなかった。また、オロヒップスはプロトロヒップス(Protorohippus)という別名がある。体はヒラコテリウムと同じサイズだったが、より細い胴体、細長い頭、細い前肢、長い後足を持っていた。その体は跳躍力に優れていたと考えられている。

ヒラコテリウムとオロヒップスを分ける大きな変化は歯にあり、第一小臼歯が小さくなり、第三小臼歯は形を変えて大臼歯となった。また、歯冠はより大きくなり、より硬い植物もすり潰し、食べられるように進化した。

エピヒップス

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約4700万年前、オロヒップスはより大きな臼歯を持つエピヒップスEpihippus)へと進化した。デュシェーヌヒップス中間型(Duchesnehippus intermedius)と呼ばれた後期のエピヒップスには、漸新世のウマ科と同じ歯があった。

メソヒップス

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メソヒップス、左前脚の骨格、歯の構造

始新世後期から漸新世(3200~2400万年前)初期に北米は乾燥するようになり、植物では初期のイネ科植物が出現し、森はイネ科などの草原へと変化してきた。砂で覆われていた平野に、現在のプレーリーに似た草原ができていった。

約4000万年前、始新世後期に環境の変化に適合し選択されたメソヒップスMesohippus)へと進化した。メソヒップスの体はエピヒップスより大きくなり、脚がより長くなった。隠れる場所の少ない平原では捕食者から逃げるためにより速く走る必要が出てきたからである。

漸新世初期にはメソヒップスは北米の広い範囲で生活していた。その脚は前後とも指が3本になっており、3つの爪先で歩行していた。前脚の第5指は退化し、第3指がより発達した。長く、細い脚から、メソヒップスは敏捷性に優れた動物であったことが窺える。

メソヒップスはエピヒップスと比べて、肩まで61センチメートルと少し大きく、また、背中はアーチ状ではなくなり、顔や鼻、首が長くなった。大きな大脳を持ち、頭蓋骨には現在の馬にも見られる小さな浅い窪みがある。その窪みは化石から馬の種の鑑定に使われている。メソヒップスは小臼歯が前部にあり、後のウマ科の動物が持つ6個の臼歯を持っていた。植物を食べるために、エピヒップスよりも硬く鋭い歯を獲得していた。

ミオヒップス

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約3600万年前、メソヒップスへの進化のすぐ後にミオヒップスMiohippus)は誕生している。メソヒップスとミオヒップスの間の化石はいくつか見つかっているが、ミオヒップスの登場は比較的突然であった。ミオヒップスはメソヒップスが段階的に進化したとされていたが、その後分岐進化であることが研究結果から明らかとなっている。今日ではミオヒップスはメソヒップスの亜種から進化し、長い間メソヒップスとミオヒップスが共存していたことが知られている[6]

ミオヒップスの体は大きく、脚の繋は少し変化した。顔の窪みはより大きく、より深くなった。上側臼歯はより硬い植物をすり潰すために動く歯冠を持った。

メソヒップスは漸新世中期に絶滅したのに対し、ミオヒップスは繁栄し中新世初期(2400~530万年前)に急速に様々な種に分化し始めた。分化した種は草原に適応した種と森林に適応した種の大きく2種類に分けられる。

カロバティップス

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メガヒップス

森に適応した種はカロバティップスKalobatippus)と呼ばれる種で、ミオヒップス中間型(Miohippus intermedius)とも呼ばれた。森では地面が柔らかいため、第2指と第4指は歩行に役立っており、再び発達していた。カロバティップスはアンキテリウム(Anchitherium)とも呼ばれた。カロバティップスはベーリング地峡を渡り、ヨーロッパアジアまで進出した[7]。カロバティップスはユーラシアでシノヒップス(Sinohippus)に、北米でハイポヒップス(Hypohippus)やメガヒップス(Megahippus)に進化した[8]。ハイポヒップスは鮮新世初期に絶滅している。

パラヒップス

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草原に残ったミオヒップスはパラヒップスParahippus)へ進化した。パラヒップスは小さいポニーほどの大きさで、現在の馬に似た頭蓋骨と顔の構造を持っていた。第3指はより強靭になり体重を支えていた。パラヒップスの歯冠は鋭くなった。

メリキップス

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メリキップスの骨格標本。国立科学博物館の展示。
メリキップス、左前脚の骨格、歯の構造

中新世中期にはメリキップスMerychippus)が繁栄していた。メリキップスにはステップ地帯の硬い草をすり潰すのに使用されたとされるパラヒップスより大きな大臼歯があった。後脚の第2指と第4指は短くなり、走るときだけ地面に触れていたと考えられている[3]。メリキップスは少なくとも19種類の種に分岐した。

ヒッパリオン

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ヒッパリオン

メリキップスから分岐したウマ科の中で特に変化があったのが、ヒッパリオンHipparion)、プロトヒップス(Protohippus)、プリオヒップス(Pliohippus)の3種である。メリキップスからもっとも変化したのがヒッパリオンで、歯冠のエナメル質が舌を隔離する壁を作っていた。北米で見つかったヒッパリオンの完全な化石は小さいポニーほどのサイズだった。化石から、カモシカのように体重が軽く乾いた大草原での生活に適応していたことがわかっている。脚の指は3本あったが、第3指のみで歩行し、第2指、第4指はすでに使われていなかった。

北アメリカではヒッパリオンとその近縁種(コーモヒッパリオン(Cormohipparion)、ナニップス(Nannippus)、ネオヒッパリオン(Neohipparion)、スードヒッパリオン(Pseudhipparion))は繁栄した。また、中新世の間に、アジアやヨーロッパにわたっている[9](ヨーロッパではアメリカの化石よりも小さなヒッパリオンが見つかっている。特にアテネで見つかった化石が有名である)。

シマウマロバなどにはヒッパリオンから進化したという説が有力である。

プリオヒップス

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プリオヒップス、左前脚の骨格、歯の構造

プリオヒップスPliohippus)は約1200万年前、中新世中期にカリップス(Calippus)から進化した。プリオヒップスはエクウスとよく似た外見をしていた。蹄の両側にある2本の指は、ほぼ完全に退化しており、脚としての機能は完全に消失していた。プリオヒップスは長く細い脚を手に入れたことで、より速く走ることができるようになった。

プリオヒップスは解剖学的に多くの同一性が見られることから、現代の馬の先祖であると考えられてきた。しかし、プリオヒップスの頭骨には深い窪みがあるが、エクウスには窪みは見られず、現代の馬がまっすぐな歯であるのに対し、プリオヒップスの歯は曲がっていた。このような相違点が見られることから、プリオヒップスは現代の馬の先祖でない可能性もある。プリオヒップスはアストロヒップス(Astrohippus)の先祖である可能性がある[10]

ディノヒップス

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ディノヒップスDinohippus)は鮮新世後期の北米で最も一般的なウマだった。元々、蹄は一つであると見られていたが、1981年にネブラスカで見つかった化石より、指は3本あったことが確認されている。

プレシップス

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プレシップスPlesippus)はディノヒップスとエクウスの中間種であると考えられている。

アイダホ州ヘイガーマンの近くで見つかった化石は、ヘイガーマン化石層群の約350万年前、鮮新世の地層から出土し、元々はプレシップスの近縁種のものと考えられていた。化石はプレシップス模式種(Plesippus shoshonensis)と呼ばれていたが、古生物学者らによる研究で化石はエクウスに最も近い化石であることが確認された[11]。化石から算出した平均体重は425キログラムで、アラブ種と同じサイズだった。

鮮新世後期に北米の気候が変化し、北米で生活していた動物のほとんどは移動した。プレシップスも例外ではなく、約250万年前に陸続きだったベーリング地峡を渡り、ユーラシア大陸へと渡った[12]

エクウス

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エクウスEquus)の最古の種はエクウス・ステノニスEquus Stenonis)で、イタリアで発見された。第四期の初期か新第三期の最後にプレシップスから進化したと考えられている。エクウス・ステノニスは後に体重が軽い種と重い種の2種に分岐した。

エクウス・ステノニスは北米に渡った。北米ではエクウス・スコッティEquus scotti)と呼ばれており、現代の馬を超える大きさの化石も見つかっている(エクウス・スコッティ・ギガンテウス(Equus scotti var.giganteus)と呼ばれる)。

ヒッピディオン

アメリカ大陸では鮮新世(300万年前)から更新世(1万年前)までの間で、ヒッピディオンHippidion)、エクウス・フランシスキEquus francisci)、そして現代の馬の先祖の、大きく分けて3種類に分岐した[13]

ヒッピディオンは約300万年前にアメリカ大陸間大交差が起こった際、北米を渡り南米で繁栄した[13]。ヒッピディオンは比較的短い脚を持っていた。元々はプリオヒップスから進化したと考えられていたが、DNAの研究が進みエクウスに属する種であることが示されている。100万年前、南米にエクウスカバルス(Equus caballus)が渡ってくる[13][14]と、ヒッピディオンとエクウスカバルスは血が混じりあい、一つの種となった[14]。ヒッピディオンは南米の固有種となっていたが、約1万3000年前に絶滅した[13]

エクウスフランシスキは更新世の氷床の南で見られた。エクウスフランシスキは約3万1000年前、ベーリング地峡周辺で絶滅した[13]

Equus ferus

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モウコノウマ

エクウスはドイツやシベリアで生活していた現代の馬に連なるウマ(ノウマ、Equus ferus)と、アラスカで生活した全北区の種の2種に分かれた[13][15]

現代の馬に連なるウマ(ノウマ、Equus ferus)は中央ヨーロッパから北米まで広く繁栄し、現代の馬へと進化していった[15][16]。なお現生の家畜馬の染色体数は64本だが、モウコノウマ(ノウマの一亜種)については染色体数は66本である。

全北区の種は北米から離れることなく生活していたが、人類がウマを家畜とする以前に絶滅したと見られている。

西カナダに、北米の全てのウマ科が1万2000年前から1万1000年前にかけて絶滅したという痕跡が残っている[17]。このときは、アメリカで生活していたほとんどの大型生物も同時期に絶滅しており、しばしば議論の的となる。大量絶滅とそれまでの哺乳類の繁栄を比べると、その衰退は激しく、その要因として主に2つの仮説が考えられている。1つは、気候変動により約1万2500年前にステップ地帯の植物がツンドラによって枯れ食料がなくなり絶滅したという仮説[18]と、もう1つは馬が絶滅した時期と、クローヴィス文化の発祥がほぼ同時である事から人類によって狩られたという仮説[19][20]である。

馬の化石は1万年前の地層以降しばらく発見されていなかったが、カザフスタンウクライナ南の6000年前の地層から再び出土し始めた。6000年前から、馬を飼育したり、騎乗し始める人々がでてきた可能性が高い[15]。その方法は比較的早く広まり、いくつかの部族では馬がその生活において重要な役割をしていた可能性がある[16]

なお、北アメリカにはマスタングと呼ばれる野生馬があるが、これはすべて1493年にクリストファー・コロンブスが再導入し、その後複数回持ち込まれたものを起源として、それらが野生化したものである。アメリカ大陸の原住民には、馬を指し示す言葉がなかったため、犬や鹿の一種として呼ぶようになった(たとえばヘラジカ犬(elk-dog)など)。

マスタングの群れ

特徴

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メリキップスの脚

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馬の進化の特徴として、歯が常に変化していたことが挙げられる。雑食性を示す短くでこぼこな大臼歯から、草食性哺乳類に共通な長く平坦な歯へと徐々に変化していった。そのほかの変化に、頭骨の顔の部分が伸びたこと、短かった首は脚が長くなるにつれ長く伸びたことが挙げられる。それらの要因によって、最終的に馬の体のサイズは大きくなった。

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馬の先祖は第3指とその隣の指を使って歩いていた。その骨格は腓骨とよばれる中手骨、中足骨の側面に痕跡として残っている。基本的には意味を成さないが、手根関節と足根骨の飛節を支える重要な役割を果たしているという意見もある。

知能

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関連項目

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脚注

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  1. ^ Gould, Stephen Jay (1991). "The Case of the Creeping Fox Terrier Clone" Bully for Brontosaurus: Reflections in Natural History (pp. 155-167). New York: W.W. Norton & Co.
  2. ^ Gould, Stephen Jay, op. cit., "Bully for Brontosaurus"
  3. ^ a b Fossil Horses In Cyberspace. Florida Museum of Natural History and the National Science Foundation.
  4. ^ Hunt, Kathleen (1995). Horse Evolution. TalkOrigins Archive.
  5. ^ MacFadden, B. J. (1976). "Cladistic analysis of primitive equids with notes on other perissodactyls." Syst. Zool. 25(1):1-14.
  6. ^ Prothero, D.R. and Shubin, N. (1989). "The evolution of Oligocene horses." The Evolution of Perissodactyls (pp. 142-175). New York: Clarendon Press.
  7. ^ MacFadden, B.J. (2001). “Three-toed browsing horse Anchitherium clarencei from the early Miocene (Hemingfordian) Thomas Farm, Florida”. Bulletin of the Florida Museum of Natural History 43 (3): 79-109. 
  8. ^ Salesa, M.J., Sanchez, I.M., and Morales, J. (2004). “Presence of the Asian horse Sinohippus in the Miocene of Europe”. Acta Palaeontologica Polonica 49 (2): 189-196. 
  9. ^ MacFadden, B.J. (1984). “Systematics and phylogeny of Hipparion, Neohipparion, Nannippus, and Cormohipparion (Mammalia, Equidae) from the Miocene and Pliocene of the New World”. Bulletin of the American Museum of Natural History 179 (1): 1-195. https://hdl.handle.net/2246/997. 
  10. ^ MacFadden, B. J. (1984). "Astrohippus and Dinohippus". J. Vert. Paleon. 4(2):273-283.
  11. ^ equus
  12. ^ Jens Lorenz Franzen: Die Urpferde der Morgenrote. Elsevier, Spektrum Akademischer Verlag, Munchen 2007, ISBN 3-8274-1680-9
  13. ^ a b c d e f Weinstock, J.; et al. (2005). “Evolution, systematics, and phylogeography of Pleistocene horses in the New World: a molecular perspective”. PLoS Biology 3 (8): e241. doi:10.1371/journal.pbio.0030241. http://biology.plosjournals.org/perlserv/?request=get-document&doi=10.1371%2Fjournal.pbio.0030241&ct=1 2008年12月19日閲覧。. 
  14. ^ a b Orlando, L.; et al. (2008). “Ancient DNA Clarifies the Evolutionary History of American Late Pleistocene Equids”. Journal of Molecular Evolution 66: 533-538. doi:10.1007/s00239-008-9100-x. 
  15. ^ a b c Vila, C.; et al. (2001). “Widespread Origins of Domestic Horse Lineages” (PDF). Science 291. http://www.uky.edu/Ag/Horsemap/Maps/VILA.PDF 2008年12月19日閲覧。. 
  16. ^ a b Jansen, T.; et al. (July 2002). “Mitochondrial DNA and the origins of the domestic horse”. Proceedings of the National Academy of Sciences 99 (16): 10905-10910. doi:10.1073/pnas.152330099. http://www.pnas.org/content/99/16/10905.full 2008年12月19日閲覧。. 
  17. ^ Singer, Ben (May 2005). A brief history of the horse in America. Canadian Geographic Magazine. http://www.canadiangeographic.ca/Magazine/ma05/indepth/#cnd 2009年10月16日閲覧。 
  18. ^ LeQuire, Elise (2004年1月4日). “"No Grass, No Horse"”. The Horse, online edition. 2009年6月8日閲覧。
  19. ^ "Ice Age Horses May Have Been Killed Off by Humans" National Geographic News, May 1, 2006.
  20. ^ Buck, Caitlin E.; Bard, Edouard (2007). “A calendar chronology for Pleistocene mammoth and horse extinction in North America based on Bayesian radiocarbon calibration”. Quaternary Science Reviews 26 (17-18): 2031. doi:10.1016/j.quascirev.2007.06.013.