コンテンツにスキップ

「門下省」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m 廃止されたテンプレートを除去。プラス無意味な記述を削除
 
(10人の利用者による、間の11版が非表示)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2019年10月}}
'''門下省'''(もんかしょう)は、[[中国]]の[[晋]]以後に設置された中央官庁の名称である。


'''門下省'''(もんかしょう)は、[[中国]]の[[晋 (王朝)|晋]]以後に設置された中央官庁の名称である。
[[南北朝時代 (中国)|南北朝]]を通して設置され、[[唐]][[宋 |宋]]代でも設けられ、[[元 (王朝)|元]]代に廃止された。


[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]を通して設置され、[[唐]][[宋 (王朝)|宋]]代でも設けられ、[[元 (王朝)|元]]代に廃止された。
その職掌は、臣下の上程した上奏文の審議および、[[中書省]]の起草になる詔勅の審議である。門下省の審議を経て承認を与えたもの以外は発効することがなく、その権限は非常にかった。


その職掌は、臣下の上程した上奏文の審議および、[[中書省]]の起草になる詔勅の審議である。門下省の審議を経て承認を与えたもの以外は発効することがなく、その権限は非常にかった。
その長官である'''侍中'''には、名流である門閥貴族出身者が任命された。[[南北朝時代 (中国)|南朝]]では、中書令と共に[[宰相]]の権限を与えられた。[[南北朝時代 (中国)|北朝]]でも、各省中において最も尊重された。


その長官である[[侍中]]には、名流である[[貴族 (中国)|門閥貴族]]出身者が任命された。[[南北朝時代 (中国)|南朝]]では、中書令と共に[[中国の宰相|宰相]]の権限を与えられた。[[南北朝時代 (中国)|北朝]]でも、各省中において最も尊重された。
唐代でも、中書・尚書とともに「[[三省六部 |三省]]」を構成したが、次第に実権を喪失していき、宋代では中書門下の職掌を併合した'''政事堂'''が設置され、宰相の職務を行使するようになった。


唐代でも、中書[[尚書省]]とともに「[[三省六部|三省]]」を構成したが、次第に実権を喪失していき、中書省に権限を吸収され、その機能を[[同中書門下平章事]]に合併された。宋代では中書門下の職掌を併合した'''政事堂'''が設置され、宰相の職務を行使するようになった。
[[category:中国の制度史|もんかしよう]]

== 関連項目 ==

{{DEFAULTSORT:もんかしよう}}
[[Category:中国の制度史]]

2024年2月27日 (火) 11:50時点における最新版

門下省(もんかしょう)は、中国以後に設置された中央官庁の名称である。

南北朝時代を通して設置され、代でも設けられ、代に廃止された。

その職掌は、臣下の上程した上奏文の審議および、中書省の起草になる詔勅の審議である。門下省の審議を経て承認を与えたもの以外は発効することがなく、その権限は非常に強かった。

その長官である侍中には、名流である門閥貴族出身者が任命された。南朝では、中書令と共に宰相の権限を与えられた。北朝でも、各省中において最も尊重された。

唐代でも、中書省・尚書省とともに「三省」を構成したが、次第に実権を喪失していき、中書省に権限を吸収され、その機能を同中書門下平章事に合併された。宋代では中書門下の職掌を併合した政事堂が設置され、宰相の職務を行使するようになった。

関連項目[編集]