コンテンツにスキップ

「蔣英実」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
カテゴリに追加されました
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
自撃漏の漢字ミスを修正
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
(8人の利用者による、間の11版が非表示)
15行目: 15行目:


== 出自と生涯 ==
== 出自と生涯 ==
[[本貫]]は[[牙山]]<ref name="科学史技術史事典468">[[#科学史技術史事典|『科学史技術史事典』468頁]]</ref>。蔣英実の父親は、中国からの移民の八世孫であり、[[高麗王朝]]の頃は高官の地位にあった<ref>東韻府群玉』1587年。</ref>。高麗から朝鮮へと王朝が交代すると、[[朝鮮王朝]]の太祖[[李成桂]]は高麗の王室とこれに仕えていた者たちの迫害を始めた。蔣英実の一家も罪を責められて賤民([[奴婢]])の身分に落とされ、蔣英実の母親は[[妓生]]とされる辱めを受けた<ref>『牙山蒋氏世譜』卷之一、1872年。</ref><ref>『[[国朝人物志]]』第1巻([[安鍾和]]會纂、1909年3月)。</ref>。
[[本貫]]は[[牙山蔣氏|牙山]]<ref name="科学史技術史事典468">[[#科学史技術史事典|『科学史技術史事典』468頁]]</ref>。蔣英実の父親は、中国からの移民の八世孫であり、[[高麗王朝]]の頃は高官の地位にあった<ref>{{Cite news|author=|url=https://www.doopedia.co.kr/doopedia/master/master.do?_method=view&MAS_IDX=101013000893397|title=장영실 蔣英實,?~?|newspaper=[[斗山世界百科事典]]|publisher=|accessdate=2022-04-16}}</ref>。高麗から朝鮮へと王朝が交代すると、[[朝鮮王朝]]の太祖[[李成桂]]は高麗の王室とこれに仕えていた者たちの迫害を始めた。蔣英実の一家も罪を責められて賤民([[奴婢]])の身分に落とされ、蔣英実の母親は[[妓生]]とされる辱めを受けた<ref>『牙山蒋氏世譜』卷之一、1872年。</ref><ref>『[[国朝人物志]]』第1巻([[安鍾和]]會纂、1909年3月)。</ref>。


蔣は、1423年に[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]より[[尚衣院]]別坐(従六品<!-- 別の部分の記載と矛盾しますが出典ママです。 -->)の官職を受命し、奴婢の身分から免賤された<ref name="科学史技術史事典468">[[#科学史技術史事典|『科学史技術史事典』468頁]]</ref>。[[1424年]]に宮中の工匠から抜擢され、[[明 (王朝)|明]]に派遣された<ref name="k2">{{Cite web |url=http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1201-00002.htm |title=〈人物で見る朝鮮科学史-43〉世宗とその時代2 |publisher=[[朝鮮新報]] |accessdate=2009-12-12 }}</ref>。帰国後[[世宗大王]]が官職に就かせようとすると[[官奴]]出身のため列臣の反対にあった。その後[[更点之器]]と呼ばれる水時計を製作し、その功績が認められ正五品尚衣院・別坐についた<ref name="k2" />。1434年6月には水を継ぎ足す警告を自動で出す水時計・[[自激漏]]を完成させ、[[景福宮]]南側の[[報漏閣]]に置かれた。これは国内の標準時計として採用され、この功績をもって正四品・護軍に任じられた。最終的に従三品・上護軍にまで栄達したが<ref name="科学史技術史事典468">[[#科学史技術史事典|『科学史技術史事典』468頁]]</ref>、[[1442年]]、蔣英実の監督下で製造された王の[[輿]]が破損したため[[不敬罪]]に問われ、[[杖刑]]を受けた<ref name="k3">{{Cite web |url=http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1207-00002.htm |title=〈人物で見る朝鮮科学史-44〉世宗とその時代3 |publisher=朝鮮新報 |accessdate=2009-12-12 }}</ref>。
蔣は[[東萊府]]の[[官奴]]であったが、1423年に[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]に才能を見出され、[[尚衣院]]別坐(従六品<!-- 別の部分の記載と矛盾しますが出典ママです。 -->)の官職を受命し、奴婢の身分から免賤された<ref name="科学史技術史事典468">[[#科学史技術史事典|『科学史技術史事典』468頁]]</ref>。[[1424年]]に宮中の工匠から抜擢され、[[明 (王朝)|明]]に派遣された<ref name="k2">{{Cite web|和書|url=http://eigyou.korea-np.co.jp/j-2007/06/0706j1201-00002.htm |title=〈人物で見る朝鮮科学史-43〉世宗とその時代2 |publisher=[[朝鮮新報]] |accessdate=2022-10-02 }}</ref>。帰国後[[世宗大王]]が官職に就かせようとすると官奴出身のため列臣の反対にあった。
その後[[更点之器]]と呼ばれる水時計を製作し、その功績が認められ正五品尚衣院・別坐についた<ref name="k2" />。1434年6月には水を継ぎ足す警告を自動で出す水時計・[[自激漏|自撃漏]]を完成させ、[[景福宮]]南側の[[報漏閣]]に置かれた。これは国内の標準時計として採用され、この功績をもって正四品・護軍に任じられた。最終的に従三品・上護軍にまで栄達したが<ref name="科学史技術史事典468">[[#科学史技術史事典|『科学史技術史事典』468頁]]</ref>、[[1442年]]、蔣英実の監督下で製造された王の[[輿]]が破損したため[[不敬罪]]に問われ、[[杖刑]]を受けた<ref name="k3">{{Cite web|和書|url=http://eigyou.korea-np.co.jp/j-2007/06/0706j1207-00002.htm |title=〈人物で見る朝鮮科学史-44〉世宗とその時代3 |publisher=朝鮮新報 |accessdate=2022-10-02 }}</ref>。


== 製作物 ==
== 製作物 ==
=== 日時計 ===
=== 日時計 ===
* [[懸珠日]]
* [[懸珠日]]
* [[天平日]]
* [[天平日]]
* [[指南日]]
* [[指南日]]
* [[仰釜日]]
* [[仰釜日]]
* {{仮リンク|日星定時儀|ko|일성정시의}} - 夜間でも時間が測定できる。
* {{仮リンク|日星定時儀|ko|일성정시의}} - 夜間でも時間が測定できる。


45行目: 47行目:
== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{cite book|和書|title=科学史技術史事典(縮約版)|publisher=弘文堂|date=1994-06-15|isbn=4-335-75009-9|ref=科学史技術史事典}} 特に「蒋英実」の項(p.468, 執筆:[[全相運]])。
* {{cite book|和書|title=科学史技術史事典(縮約版)|publisher=弘文堂|date=1994-06-15|isbn=4-335-75009-9|ref=科学史技術史事典}} 特に「蒋英実」の項(p.468, 執筆:[[全相運]])。
*金素天「韓国史のなかの100人」[[明石書店]] 2002年 ISBN 4-7503-1607-5


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Jang Yeong-sil}}
{{Commonscat|Jang Yeong-sil}}
* [[大王世宗]] - 2008年に放送された韓国のテレビドラマ。[[イ・チョニ]]がチャン・ヨンシル(蔣英実)を演じている。
* [[大長今]]
* [[チャン・ヨンシル 〜朝鮮伝説の科学者〜]] - 2016年放送され韓国のテレビドラマ。主演は[[ソン・イルグク]]。
* [[大王世宗]]
* [[世宗大王 星を追う者たち]] - 2019年の韓国映画。[[チェ・ミンシク]]がチャン・ヨンシル(蔣英実)を演じている。
* [[チャン・ヨンシル 〜朝鮮伝説の科学者〜]] - 2016年1月より放送されている韓国・[[韓国放送公社|KBS]]制作のテレビドラマ。主演は[[ソン・イルグク]]。

{{Normdaten}}
{{Normdaten}}
{{Korea-hist-stub}}
{{Korea-hist-stub}}
{{Scientist-stub}}
{{Scientist-stub}}


{{デフォルトソート:ちやんよんしる}}
{{デフォルトソート:ちやん よんしる}}
[[Category:李氏朝鮮の文臣]]
[[Category:李氏朝鮮の文臣]]
[[Category:15世紀の学者]]
[[Category:15世紀朝鮮の学者]]
[[Category:15世紀の科学者]]
[[Category:朝鮮の科学者]]
[[Category:朝鮮の科学者]]
[[Category:奴隷]]
[[Category:奴隷]]
[[Category:中国系朝鮮人]]
[[Category:前近代の中国系朝鮮人]]
[[Category:牙山氏]]
[[Category:牙山|よんしる]]
[[Category:世宗 (朝鮮王)]]
[[Category:世宗 (朝鮮王)]]
[[Category:1383年生]]
[[Category:1383年生]]
[[Category:1450年没]]
[[Category:1450年没]]
[[Category:15世紀朝鮮人物]]

2024年2月27日 (火) 15:45時点における最新版

蔣 英実
各種表記
ハングル 장영실
漢字 蔣英實
発音: チャン・ヨンシル
日本語読み: しょう・えいじつ
2000年式 Jang Yeong-sil
テンプレートを表示
蒋英実が開発した渾天儀
蒋英実の自動水時計を再現したもの
景福宮内の日時計

蔣 英実(チャン・ヨンシル、朝鮮語: 장영실 / 蔣英實1383年 - 1450年)は中世李氏朝鮮科学者緯度計測器である簡儀、さまざまな日時計水時計等を製作した。

出自と生涯[編集]

本貫牙山[1]。蔣英実の父親は、中国からの移民の八世孫であり、高麗王朝の頃は高官の地位にあった[2]。高麗から朝鮮へと王朝が交代すると、朝鮮王朝の太祖李成桂は高麗の王室とこれに仕えていた者たちの迫害を始めた。蔣英実の一家も罪を責められて賤民(奴婢)の身分に落とされ、蔣英実の母親は妓生とされる辱めを受けた[3][4]

蔣は東萊府官奴であったが、1423年に世宗に才能を見出され、尚衣院別坐(従六品)の官職を受命し、奴婢の身分から免賤された[1]1424年に宮中の工匠から抜擢され、に派遣された[5]。帰国後世宗大王が官職に就かせようとすると官奴出身のため列臣の反対にあった。

その後更点之器と呼ばれる水時計を製作し、その功績が認められ正五品尚衣院・別坐についた[5]。1434年6月には水を継ぎ足す警告を自動で出す水時計・自撃漏を完成させ、景福宮南側の報漏閣に置かれた。これは国内の標準時計として採用され、この功績をもって正四品・護軍に任じられた。最終的に従三品・上護軍にまで栄達したが[1]1442年、蔣英実の監督下で製造された王の輿が破損したため不敬罪に問われ、杖刑を受けた[6]

製作物[編集]

日時計[編集]

水時計[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『科学史技術史事典』468頁
  2. ^ “장영실 蔣英實,?~?”. 斗山世界大百科事典. https://www.doopedia.co.kr/doopedia/master/master.do?_method=view&MAS_IDX=101013000893397 2022年4月16日閲覧。 
  3. ^ 『牙山蒋氏世譜』卷之一、1872年。
  4. ^ 国朝人物志』第1巻(安鍾和會纂、1909年3月)。
  5. ^ a b 〈人物で見る朝鮮科学史-43〉世宗とその時代2”. 朝鮮新報. 2022年10月2日閲覧。
  6. ^ 〈人物で見る朝鮮科学史-44〉世宗とその時代3”. 朝鮮新報. 2022年10月2日閲覧。
  7. ^ 任正爀「朝鮮科学史の隆盛 測雨器と気象学」『統一評論』第530巻第12号、2009年12月、90-96頁、NAID 40016906540 

参考文献[編集]

関連項目[編集]