「蒲田宝塚・テアトル蒲田」の版間の差分
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== 概要 == |
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大田区西蒲田の「東京蒲田文化会館」の4階にあった。各館とも2階席が存在したが、末期には作品の初日(特にファミリー向け作品)以外はほとんど使用されていなかった。 |
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== 歴史 == |
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* [[1950年]](昭和25年)7月14日、蒲田西口商店街繁栄の策として商店街150軒が出資した蒲田西口連合映画 |
* [[1950年]](昭和25年)7月14日、蒲田西口商店街繁栄の策として商店街150軒が出資した蒲田西口連合映画株式会社の直営でテアトル蒲田が開館。開館番組は東宝映画「夢は儚なく」。 |
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* [[1955年]](昭和30年)12月1日、蒲田宝塚劇場が杉山権蔵 |
* [[1955年]](昭和30年)12月1日、蒲田宝塚劇場が杉山権蔵の経営により隣接して開館。「[[青い果実 (1955年の映画)|青い果実]]」より東宝映画封切館となり、テアトル蒲田は洋画系となる。 |
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* [[1956年]](昭和31年)、テアトル蒲田をテアトル東映に変更。東映特選番組を上映。 |
* [[1956年]](昭和31年)、テアトル蒲田をテアトル東映に変更。東映特選番組を上映。 |
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* [[1964年]](昭和39年)6月、ともに東京蒲田文化会館4階に移る。館名をテアトル蒲田・カマタ宝塚に変更し現在に至る。 |
* [[1964年]](昭和39年)6月、ともに東京蒲田文化会館4階に移る。館名をテアトル蒲田・カマタ宝塚に変更し現在に至る。 |
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* [[1995年]]に[[蒲田パレス座]]が閉館して以降、[[2002年]]に[[シネマサンシャイン|平和島シネマサンシャイン]]([[ビッグファン平和島]]内)がオープンするまでは大田区内で唯一の映画館であった。 |
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* [[2013年]]10月に[[DLP|DLP Cinema]]プロジェクターが導入され、デジタル上映となった。 |
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* [[2019年]]8月29日をもって蒲田宝塚が閉館、閉館番組は「[[劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲|ミュウツーの逆襲 EVOLUTION]]」。 |
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* 2019年9月5日もってテアトル蒲田が閉館、閉館番組は「[[アルキメデスの大戦]]」。 |
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== 各館の特徴 == |
== 各館の特徴 == |
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*'''蒲田宝塚''' |
*'''蒲田宝塚''' |
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*:定員339人。うち1階席が279席。椅子の色は青。館名の通り[[東宝]]系の邦画を上映し |
*:定員339人。うち1階席が279席。椅子の色は青。館名の通り[[東宝]]系の邦画を上映した。[[TOHOシネマズ日劇]]スクリーン2の作品が多かった{{要出典|date=2020-04}}。 |
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*'''テアトル蒲田''' |
*'''テアトル蒲田''' |
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*:定員304人。椅子の色は赤。開業当初は洋画・邦画問わず上映していたが、[[1987年]]に「蒲田トーエー」が閉館して以降は[[東映]]系の作品上映を引き継 |
*:定員304人。椅子の色は赤。開業当初は洋画・邦画問わず上映していたが、[[1987年]]に「蒲田トーエー」が閉館して以降は[[東映]]系の作品上映を引き継いだ。 |
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== 脚注 == |
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*[http://www.cinema-st.com/road/r059.html 蒲田宝塚/テアトル蒲田] - 「港町キネマ通り」サイト内の記事(2007年4月取材のもの) |
*[http://www.cinema-st.com/road/r059.html 蒲田宝塚/テアトル蒲田] - 「港町キネマ通り」サイト内の記事(2007年4月取材のもの) |
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2024年3月1日 (金) 08:09時点における版
テアトル蒲田・蒲田宝塚 Kamata Takarazuka/Theatre Kamata | |
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情報 | |
正式名称 | テアトル蒲田、蒲田宝塚 |
完成 | 1950年 |
開館 | 1950年7月14日 |
閉館 | 2019年9月5日 |
収容人員 | (2館合計)643人 |
設備 | ドルビーステレオ・DLP Cinema |
用途 | 映画上映 |
運営 | 東京蒲田文化会館 |
所在地 |
〒144-0051 東京都大田区西蒲田7-61-1 東京蒲田文化会館4階 |
位置 | 北緯35度33分43.41秒 東経139度42分42.72秒 / 北緯35.5620583度 東経139.7118667度座標: 北緯35度33分43.41秒 東経139度42分42.72秒 / 北緯35.5620583度 東経139.7118667度 |
アクセス | 蒲田駅から徒歩5分 |
テアトル蒲田(テアトルかまた)及び蒲田宝塚(かまたたからづか)は、東京都大田区西蒲田にあった映画館。それぞれ1950年、1955年開業。かつて映画館が集まっていた蒲田地区に最後まで残った常設館だったが、2019年にいずれも閉館した[1]。
概要
大田区西蒲田の「東京蒲田文化会館」の4階にあった。各館とも2階席が存在したが、末期には作品の初日(特にファミリー向け作品)以外はほとんど使用されていなかった。
以前は同ビルにイトーヨーカドーが出店していたが2004年に撤退、閉館時点では肉のハナマサや100円ショップセリアなどとなっていた。
歴史
- 1950年(昭和25年)7月14日、蒲田西口商店街繁栄の策として商店街150軒が出資した蒲田西口連合映画株式会社の直営でテアトル蒲田が開館。開館番組は東宝映画「夢は儚なく」。
- 1955年(昭和30年)12月1日、蒲田宝塚劇場が杉山権蔵の経営により隣接して開館。「青い果実」より東宝映画封切館となり、テアトル蒲田は洋画系となる。
- 1956年(昭和31年)、テアトル蒲田をテアトル東映に変更。東映特選番組を上映。
- 1964年(昭和39年)6月、ともに東京蒲田文化会館4階に移る。館名をテアトル蒲田・カマタ宝塚に変更し現在に至る。
- 1995年に蒲田パレス座が閉館して以降、2002年に平和島シネマサンシャイン(ビッグファン平和島内)がオープンするまでは大田区内で唯一の映画館であった。
- 2013年10月にDLP Cinemaプロジェクターが導入され、デジタル上映となった。
- 2019年8月29日をもって蒲田宝塚が閉館、閉館番組は「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」[1]。
- 2019年9月5日をもってテアトル蒲田が閉館、閉館番組は「アルキメデスの大戦」[1]。
各館の特徴
- 蒲田宝塚
- 定員339人。うち1階席が279席。椅子の色は青。館名の通り東宝系の邦画を上映した。TOHOシネマズ日劇スクリーン2の作品が多かった[要出典]。
- テアトル蒲田
脚注
- ^ a b c “キネマの天地・蒲田から映画館が消える 「テアトル蒲田」「蒲田宝塚」相次ぎ閉館”. Jタウンネット東京. (2019年9月4日) 2020年4月25日閲覧。
外部リンク
- テアトル蒲田/蒲田宝塚のホームページ - ウェイバックマシン(2019年9月9日アーカイブ分)
- テアトル蒲田 - 蒲田西口商店街 - ウェイバックマシン(2018年1月29日アーカイブ分)
- 蒲田宝塚/テアトル蒲田 - 「港町キネマ通り」サイト内の記事(2007年4月取材のもの)