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「トピカ (軽巡洋艦)」の版間の差分

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{{出典の明記| date = 2024年3月}}
<div class="thumb tright">
{{Infobox 艦艇
{| class="wikitable" style="margin: 0em; width: 300px; background:#ffffff"
|名称=トピカ
|colspan="2"|[[Image:USS Topeka (CL-67) underway at sea in March 1945 (80-G-313910).jpg|300px|USS Topeka (CL-67)]]
|画像=USS Topeka (CLG-8) in July 1963.jpg
|-
|画像幅=300
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|艦歴
|画像説明=
|-
|建造所=[[マサチューセッツ州]][[クインシー (マサチューセッツ州)|クインシー]]、[[ベスレヘム造船]][[フォアリバー造船所]]
|発注
|運用者={{USNAVY}}
|
|艦種=[[軽巡洋艦]] (CL)<br/>→[[ミサイル巡洋艦]] (CLG, CG)
|-
|級名=[[クリーブランド級軽巡洋艦|クリーブランド級]]→[[プロビデンス級ミサイル巡洋艦|プロビデンス級]]
|起工
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|[[1943年]][[4月21日]]
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|発注=
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|起工=1943年4月21日
|-
|進水=1944年8月19日
|就役
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|就役=1944年12月23日 (CL)<br/>1960年3月26日 (CLG)
|-
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|退役
|[[1969]][[65]]
|除籍=1973121
|その後=1975年3月20日、スクラップとして売却
|-
|要目注記=
|除籍
|基準排水量=11,744 [[トン数|トン]]
|[[1973年]][[12月1日]]
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|-
|公試排水量=
|その後
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|[[1975年]]に廃棄
|全長={{convert|610|ft|1|in|2|lk=on}}
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!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|性能諸元
|垂線間長={{convert|608|ft}}
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|[[排水量]]
|水線幅=
|10,000 トン
|深さ=
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|高さ=
|608 ft 4 in
|機関=
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|主缶=[[バブコック・アンド・ウィルコックス|B & W]]製[[ボイラー#水管ボイラー|水管ボイラー]]×4基
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|主機=[[ゼネラル・エレクトリック|GE]]式ギヤード[[蒸気タービン]]×4基
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|-
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|機関
|乗員=1,255名
|ギアード・タービン、4軸推進、100,000shp
|搭載能力=
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|兵装={{定義リスト|dt1=就役時
|最大速
|dd1={{ubl|{{ill|Mk 16 6インチ砲|en|6-inch/47-caliber gun|label=Mk.16 6インチ三連装砲}}×4基|[[Mk 12 5インチ砲|Mk.12 5インチ連装砲]]×6基|[[ボフォース 60口径40mm機関砲|40ミリ四連装対空機関砲]]×4基|40ミリ連装対空機関砲×6基|[[エリコンFF 20 mm 機関砲|20ミリ対空機関砲]]×21基}}
|31.6 [[ノット]]
|dt2=改装後
|-
|dd2={{ubl|Mk.16 6インチ三連装砲×2基|Mk.12 5インチ連装砲×3基|Mk.9 連装発射機([[テリアミサイル|RIM-2 テリア]]用)×1基}}}}
|兵員
|装甲={{ubl|舷側:3.5–5インチ (89–127 mm)|甲板:2インチ (51 mm)|[[バーベット]]:6インチ (152 mm)|砲塔:1.5-6インチ (38-152 mm)|司令塔:2.25-5インチ (57-127 mm)}}
|士官、兵員1,410名
|搭載艇=
|-
|搭載機=[[水上機]]×4機([[カタパルト]]×2基){{efn|CLG改装時に撤去}}
|兵装
|C4I=
|6インチ砲12門、5インチ砲12門、<br />40mm機銃28基、20mm機銃10基
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|ソナー=
|艦載機
|探索装置=
|
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|その他=
</div>
|備考=
'''トピカ'''('''USS Topeka, CL-67/CLG-8''')は、[[アメリカ海軍]]の[[軽巡洋艦]]。[[クリーブランド級軽巡洋艦]]の11番艦。後にミサイル巡洋艦へ改装され、[[プロビデンス級ミサイル巡洋艦]]の3番艦となる。艦名は[[カンザス州]][[トピカ (カンザス州)|トピカ]]に因む。その名を持つ艦としては2隻目。
}}
'''トピカ''' (USS ''Topeka'', CL-67/CLG-8) は、[[アメリカ海軍]]の[[軽巡洋艦]]。[[クリーブランド級軽巡洋艦]]の11番艦。後にミサイル巡洋艦へ改装され、[[プロビデンス級ミサイル巡洋艦]]の3番艦となる。艦名は[[カンザス州]][[トピカ (カンザス州)|トピカ]]に因む。その名を持つ艦としては2隻目。


==艦歴==
== 艦歴 ==
トピカは1943年4月21日に[[マサチューセッツ州]][[クインシー (マサチューセッツ州)|クインシー]]の[[ベスレヘム・スチール]]社で起工し、1944年8月19日にフランク・J・ウォレン夫人によって進水、1944年12月23日に[[ボストン海軍工廠]]でトーマス・L・ワットルス艦長の指揮下就役する
トピカは1943年4月21日に[[マサチューセッツ州]][[クインシー (マサチューセッツ州)|クインシー]]の[[ベスレヘム・スチール]]社で起工し、1944年8月19日にフランク・J・ウォレン夫人によって進水、1944年12月23日に[[ボストン海軍工廠]]でトーマス・L・ワットルス艦長の指揮下就役する


=== 1940年代 ===
[[西インド諸島]]での整調および整調後の補修が完了すると、トピカは[[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|太平洋艦隊]]に合流するため1945年4月10日に[[ボストン]]を出港する。翌日軽巡洋艦[[オクラホマシティ (軽巡洋艦)|オクラホマシティ]](''USS Oklahoma City, CL-91'')と合流し、2隻は[[クレブラ島]]、[[グアンタナモ湾]]経由で[[パナマ運河]]に向かう。4月19日にパナマ運河を通過し、翌20日に太平洋艦隊に合流する。翌日2隻は[[真珠湾]]に向かい、5月2日に到着する。[[ハワイ諸島]]で3週間近く砲撃訓練を行い、その後第18巡洋艦部隊の[[旗艦]]として西へ向かう。6月1日に[[ウルシー環礁]]に到着し、三日間の停泊の後空母[[ボノム・リシャール (空母)|ボノム・リシャール]](''USS Bon Homme Richard, CV-31'')、オクラホマシティ、駆逐艦[[モール (駆逐艦)|モール]](''USS Moale, DD-693'')、[[リングゴールド (駆逐艦)|リングゴールド]](''USS Ringgold, DD-500'')と共に出航し[[第38任務部隊]]に合流する。
[[西インド諸島]]での整調および整調後の補修が完了すると、「トピカ」は[[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|太平洋艦隊]]に合流するため1945年4月10日に[[ボストン]]を出港する。翌日、軽巡洋艦「[[オクラホマシティ (軽巡洋艦)|オクラホマシティ]](USS ''Oklahoma City'', CL-91) 」と合流し、2隻は[[クレブラ島]]、[[グアンタナモ湾]]経由で[[パナマ運河]]に向かう。4月19日にパナマ運河を通過し、翌20日に太平洋艦隊に合流する。4月21日、2隻は[[真珠湾]]に向かい、5月2日に到着する。[[ハワイ諸島]]で3週間近く砲撃訓練を行い、その後第18巡洋艦部隊の[[旗艦]]として西へ向かう。6月1日に[[ウルシー環礁]]に到着し、三日間の停泊の後、空母「[[ボノム・リシャール (空母)|ボノム・リシャール]] (USS ''Bon-Homme Richard'', CV-31) 」、戦艦「オクラホマシティ」、駆逐艦「[[モール (駆逐艦)|モール]] (USS ''Moale'', DD-693) 」「{{Ill|リングゴールド (DD-500)|en|USS Ringgold (DD-500)|label=リングゴールド}}(USS ''Ringgold'', DD-500) 」と共に出航し[[第38任務部隊]] (TF38) に合流する。


高速空母部隊との最初の巡航でトピカは空母の護衛を行い、空母艦載機部隊は[[沖縄県|沖縄]]、日本本土へ3度の攻撃を行った。6月8日に第38任務部隊は[[九州]]の[[鹿屋飛行場]]を攻撃した。翌日沖縄本島から200マイル西の[[沖大東島]]を攻撃した。第一回目の戦闘巡航における最後の攻撃は6月10日に行われた。第38.1任務群の艦載機部隊は[[南大東島]]の飛行場へ攻撃を行った。トピカを含む護衛艦隊は島の他の施設に対して砲撃を行った。戦闘が終了すると、トピカは第38.1任務群の他の艦艇と共に[[レイテ島]]の[[サンペドロ湾]]に向かう。
高速空母部隊との最初の巡航でトピカは空母の護衛を行い、空母艦載機部隊は[[沖縄県|沖縄]]、日本本土へ3度の攻撃を行った。6月8日に第38任務部隊は[[九州]]の[[鹿屋飛行場]]を攻撃した。翌日沖縄本島から200マイル西の[[沖大東島]]を攻撃した。第一回目の戦闘巡航における最後の攻撃は6月10日に行われた。第38.1任務群の艦載機部隊は[[南大東島]]の飛行場へ攻撃を行った。トピカを含む護衛艦隊は島の他の施設に対して砲撃を行った。戦闘が終了すると、トピカは第38.1任務群の他の艦艇と共に[[レイテ島]]の[[サンペドロ湾]]に向かう。


6月後半をレイテ島で補給と休養に費やした「トピカ」は7月1日、6週間にわたる日本本土への空襲作戦のためTF38とともに出撃した。7月10日、TF38は[[東京]]を爆撃した。次に[[北海道]]へ向けて北上し、[[函館市|函館]]と[[室蘭市|室蘭]]周辺を2日間にわたり爆撃した。7月16日に給油のため退いたが、7月17、18日に再度東京を爆撃した。7月18日の夜、「トピカ」は軽巡「[[ダルース (軽巡洋艦)|ダルース]] (USS ''Duluth'', CL-87)」「[[アトランタ (軽巡洋艦)|アトランタ]] (USS ''Atlanta'', CL-104) 」、戦艦「オクラホマシティ」、そして第62駆逐隊とともに[[相模湾|相模灘]]で敵艦と直接砲火を交えており、その際に[[野島崎]]を砲撃している。空母機動部隊は7月19~20日にかけて補給を受けた受けた後、7月24日~28日に[[瀬戸内海]]と中部地方の港湾を爆撃した。
1969年1月30日にトピカは[[メイポート]]を出航する。[[バージニア州]][[ヨークタウン (バージニア州)|ヨークタウン]]に寄港し搭載砲を撤去した後、ボストンに2月5日到着する。ボストンで不活性化を完了し、6月5日に退役する。トピカは[[フィラデルフィア]]に牽引され、予備役艦隊入りする。


7月末に[[台風]]を回避するため空母群はいったん撤退し、8月の第2週に航空作戦が再開されると「トピカ」はTF38とともに北上し、空母艦載機は本州北部の航空施設を攻撃するため出撃態勢に入った。8月9日~10日にかけて行われたこの作戦では、[[テニアン島]]の[[B-29 (航空機)|B-29]]基地を攻撃するため集結していた2,000人の片道特攻部隊の輸送手段を奪うことができた。空母艦載機は8月12~13日に東京を爆撃し、帰還後に再度の攻撃に向けて発進したが、8月15日に日本の降伏が伝えられた。
トピカは1973年12月1日に除籍され、1975年3月20日にサザン・スクラップ・マテリアル社にスクラップとして売却された。


終戦後、「トピカ」は日本の領海内を哨戒し、9月中旬に[[東京湾]]へ入り、10月1日に帰国の途に就くまで同地に留まった。10月4日、帰国する退役軍人529名を乗艦させるため沖縄へ寄港し、翌日にアメリカ本国を向かった。10月19日、オレゴン州[[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]に到着し、乗客を下ろした。10日後、オーバーホールを受けるため[[サンペドロ (カリフォルニア州)|サンペドロ]]に向かった。1946年1月3日、「トピカ」は極東を目指して出港した。1月24日に[[横浜港]]に到着し、日本・[[中国]]・中部太平洋諸島のアメリカ占領軍を支援する任務に就いた。この間に[[佐世保市|佐世保]]、[[青島市|青島]]と[[上海市|上海]]、[[マニラ]]、[[グアム]]に寄港し、11月20日にサンペドロに帰港した。
トピカは[[第二次世界大戦]]の戦功で2つの従軍星章および[[ベトナム戦争]]の戦功で3つの従軍星章を受章した。

オーバーホールを終えた「トピカ」は西海岸での訓練を終え1947年9月22日、再び極東へ向かった。10月10日に横須賀に到着すると第71任務部隊に組み込まれ、[[国共内戦]]が勃発する中で上海と青島を拠点に華北沿岸を哨戒した。1948年3月初めに任務を終えた「トピカ」は3月8日に[[長崎港|長崎]]に入港。佐世保と[[呉市|呉]]を訪問した後、4月25日にアメリカへ向けて出港し、5月7日にカリフォルニア州[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]に到着した。同月末には真珠湾へ移動し、4か月のオーバーハールの後、西海岸へ戻った。10月下旬、ロングビーチと[[サンディエゴ]]を拠点に任務を再開した。1949年2月25日、不活化の準備のため[[サンフランシスコ]]に到着。6月18日に退役し、同地の太平洋予備艦隊施設に係留された。

=== 1950年代 ===
1957年初頭、「トピカ」は[[ブルックリン海軍工廠]]に曳航され、4月15日からミサイル巡洋艦への改装作業が開始され、5月23日にCLG-8の艦籍番号が与えられた。3年間を要した改造により、6インチ砲塔2基と5インチ砲塔3基が撤去され、空いたスペースに[[テリアミサイル]]の発射装置と関連機器が設置された。

=== 1960年代 ===
[[ファイル:USS Topeka (CLG-8) fires a Terrier missile on 18 November 1961.jpg|thumb|250px|テリアミサイルを発射する「トピカ」(1961年11月8日)]]
1960年3月26日、「トピカ」は艦長フランク・L・ピニー・ジュニア大佐の指揮下で再就役した。7月、ニューヨークから西海岸へ移動した。8月~10月にかけて南カリフォルニア沖で慣熟訓練を行い、その後ロングビーチを母港として任務に就いた。その後の3年間は極東への派遣と西海岸での修理及び通常任務を交互に行った。2回の極東派遣では[[香港]]、フィリピン、沖縄と多くの日本の港を訪れ、[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第7艦隊]]や同盟国艦艇との演習に参加した。

1964年3月、再就役以来3度目の極東派遣が行われた。任務は5月の演習から始まり、その後は日本、台湾、フィリピン、マレーシアの港を訪問した。しかし8月2日、[[北ベトナム]]の[[魚雷艇]]が駆逐艦「[[マドックス (DD-731)|マドックス]] (USS ''Madox'', DD-731) 」を攻撃し、その2日後に「マドックス」と駆逐艦「{{Ill|ターナー・ジョイ (駆逐艦)|en|USS Turner Joy|label=ターナー・ジョイ}}(USS ''Turner Joy'', DD-951)」に再度攻撃を試みたとされる、いわゆる[[トンキン湾事件]]が発生した。「トピカ」は[[トンキン湾]]での航行を命じられ、アメリカは[[ベトナム戦争]]への関与を強めていき、1年後には本格参戦に至ることになる。1964年10月下旬、「トピカ」は帰国の途に就き、11月第2週の後半にロングビーチに帰港した。その後の1年間は出港と港での整備、[[第1艦隊 (アメリカ軍)|第1艦隊]]との演習に従事した。

1965年11月29日、「トピカ」は共産主義勢力と戦うアメリカ軍と[[南ベトナム共和国|南ベトナム]]軍の支援任務のため極東に戻り、第7艦隊の巡洋艦・駆逐艦群の旗艦となった。「トピカ」は[[南シナ海]]とトンキン湾において艦砲射撃で陸上部隊を支援するとともに、空母部隊を支援して墜落した航空機搭乗員の捜索・救助を行った。任務中、横須賀・香港・マニラ・ダバオ・[[スービック海軍基地|スービック湾]]に寄港するため前線を離れた。1966年5月28日、ロングビーチに帰港し、半年間の任務を終え、以降の5か月間は通常の任務に従事した。

10月31日、「トピカ」はサンフランシスコのハンターズ・ポイント海軍造船所でオーバーホールを受け、兵器システムが更新された。1967年3月13日、オーバーホールが終了し、試運転と再慣熟訓練が開始された。6月初旬に訓練は終了し、通常任務に戻った。8月1日、[[地中海]]派遣任務のためロングビーチを出港。8月12~13日にかけてバージニア州[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]に寄港し、第12巡洋艦・駆逐艦隊司令部を乗艦させ8月14日にスペインの[[パルマ・デ・マヨルカ]]に向けて出港した。8月20日、「トピカ」は[[第6艦隊 (アメリカ軍)|第6艦隊]]と合流し、8月22日にミサイル巡洋艦「[[ガルベストン (軽巡洋艦)|ガルベストン]] (USS ''Galveston'', CLG-3) 」から第60.2任務群の旗艦を引き継いだ。9月下旬から10月上旬にかけて「トピカ」は地中海の東端で行われたNATO演習「イーガー・ビーバー」に参加し、10月中旬には[[イオニア海]]と[[ティレニア海]]で行われた作戦に参加した。

1968年1月、NATOの水陸共同演習に参加。1月12日、スペインの[[ロタ (スペイン)|ロタ]]でミサイル巡洋艦「[[コロンバス (重巡洋艦)|コロンバス]] (USS ''Columbus'', CG-12) 」に旗艦を引き継いだ。帰国の途についた「トピカ」は[[プエルトリコ]]と[[パナマ運河地帯]]に寄港した後、1月29日にロングビーチに帰港した。

2月2日、「トピカ」は[[ロングビーチ海軍造船所]]で5週間の耐用試験に入った。3月15日にロングビーチを出港し、新たな母港であるフロリダ州[[メイポート海軍補給基地|メイポート]]へ向かった。3月29日に到着後、5月6日まで整備を受け、キューバのグアンタナモ湾での再訓練のため出港した。5月26日にメイポートへ戻ると再度の地中海派遣の準備に入った。

「トピカ」は6月29日にメイポートを出港し、プエルトリコ近海のクレブラ島で射撃訓練を行った後、大西洋を横断した。7月9日、[[マラガ]]で「コロンバス」と交代し、第6艦隊での任務を開始した。地中海沿岸の全ての港を訪れ、東はエーゲ海、イオニア海から西は[[コート・ダジュール]]まで地中海のあらゆる海域で任務を行った。12月9日、ロタで第6艦隊での任務を終え、「コロンバス」と交代した。同日、メイポートへ向かい、10日後に到着した。

1969年1月30日に「トピカ」はメイポートを出航する。[[バージニア州]][[ヨークタウン (バージニア州)|ヨークタウン]]に寄港し搭載砲を撤去した後、ボストンに2月5日到着する。ボストンで不活性化を完了し、6月5日に退役する。トピカは[[フィラデルフィア]]に牽引され、予備役艦隊入りする。

「トピカ」は1973年12月1日に除籍され、1975年3月20日にサザン・スクラップ・マテリアル社にスクラップとして売却された。

「トピカ」は[[第二次世界大戦]]の戦功で2つの従軍星章および[[ベトナム戦争]]の戦功で3つの従軍星章を受章した。

== 注釈 ==
{{notelist}}

== 参考文献 ==
* {{cite web |url=http://www.history.navy.mil/research/histories/ship-histories/danfs/t/topeka-cl-67.html |title=Topeka (CL-67) |publisher=Naval History and Heritage Command |date=8 June 2015 |access-date=9 December 2015}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
75行目: 111行目:
* [[アメリカ海軍巡洋艦一覧]]
* [[アメリカ海軍巡洋艦一覧]]


==外部リンク==
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* {{Wayback|url=http://www.history.navy.mil/photos/sh-usn/usnsh-t/cl67.htm |title=Navy photographs of ''Topeka'' (CL-67) |date=20021217153036}}
* {{Wayback|url=http://www.history.navy.mil/photos/sh-usn/usnsh-t/cl67.htm |title=Navy photographs of ''Topeka'' (CL-67) |date=20021217153036}}
*[https://www.navsource.org/archives/04/067/04067.htm navsource.org: USS ''Topeka'']
*[https://www.navsource.org/archives/04/067/04067.htm navsource.org: USS ''Topeka'']



{{クリーブランド級軽巡洋艦}}
{{クリーブランド級軽巡洋艦}}

2024年3月1日 (金) 17:05時点における版

トピカ
基本情報
建造所 マサチューセッツ州クインシーベスレヘム造船フォアリバー造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 軽巡洋艦 (CL)
ミサイル巡洋艦 (CLG, CG)
級名 クリーブランド級プロビデンス級
モットー "Honor Freedom Valor"
艦歴
起工 1943年4月21日
進水 1944年8月19日
就役 1944年12月23日 (CL)
1960年3月26日 (CLG)
退役 1949年6月18日 (CL)
1969年6月5日 (CLG)
除籍 1973年12月1日
その後 1975年3月20日、スクラップとして売却
要目
基準排水量 11,744 トン
満載排水量 14,131 トン (CL)
15,025 トン (CLG)
全長 610フィート1インチ (185.95 m)
垂線間長 608フィート (185 m)
最大幅 66フィート4インチ (20.22 m)
吃水 25フィート (7.6 m)
主缶 B & W水管ボイラー×4基
主機 GE式ギヤード蒸気タービン×4基
出力 100,000馬力 (75,000 kW)
推進器 スクリュープロペラ×4軸
最大速力 32.5ノット (60.2 km/h)
航続距離 11,000海里 (20,000 km) / 15ノット
乗員 1,255名
兵装
就役時
改装後
  • Mk.16 6インチ三連装砲×2基
  • Mk.12 5インチ連装砲×3基
  • Mk.9 連装発射機(RIM-2 テリア用)×1基
装甲
  • 舷側:3.5–5インチ (89–127 mm)
  • 甲板:2インチ (51 mm)
  • バーベット:6インチ (152 mm)
  • 砲塔:1.5-6インチ (38-152 mm)
  • 司令塔:2.25-5インチ (57-127 mm)
搭載機 水上機×4機(カタパルト×2基)[注釈 1]
テンプレートを表示

トピカ (USS Topeka, CL-67/CLG-8) は、アメリカ海軍軽巡洋艦クリーブランド級軽巡洋艦の11番艦。後にミサイル巡洋艦へ改装され、プロビデンス級ミサイル巡洋艦の3番艦となる。艦名はカンザス州トピカに因む。その名を持つ艦としては2隻目。

艦歴

「トピカ」は1943年4月21日にマサチューセッツ州クインシーベスレヘム・スチール社で起工し、1944年8月19日にフランク・J・ウォレン夫人によって進水、1944年12月23日にボストン海軍工廠でトーマス・L・ワットルス艦長の指揮下で就役する

1940年代

西インド諸島での整調および整調後の補修が完了すると、「トピカ」は太平洋艦隊に合流するため1945年4月10日にボストンを出港する。翌日、軽巡洋艦「オクラホマシティ(USS Oklahoma City, CL-91) 」と合流し、2隻はクレブラ島グアンタナモ湾経由でパナマ運河に向かう。4月19日にパナマ運河を通過し、翌20日に太平洋艦隊に合流する。4月21日、2隻は真珠湾に向かい、5月2日に到着する。ハワイ諸島で3週間近く砲撃訓練を行い、その後第18巡洋艦部隊の旗艦として西へ向かう。6月1日にウルシー環礁に到着し、三日間の停泊の後、空母「ボノム・リシャール (USS Bon-Homme Richard, CV-31) 」、戦艦「オクラホマシティ」、駆逐艦「モール (USS Moale, DD-693) 」「リングゴールド英語版(USS Ringgold, DD-500) 」と共に出航し第38任務部隊 (TF38) に合流する。

高速空母部隊との最初の巡航でトピカは空母の護衛を行い、空母艦載機部隊は沖縄、日本本土へ3度の攻撃を行った。6月8日に第38任務部隊は九州鹿屋飛行場を攻撃した。翌日沖縄本島から200マイル西の沖大東島を攻撃した。第一回目の戦闘巡航における最後の攻撃は6月10日に行われた。第38.1任務群の艦載機部隊は南大東島の飛行場へ攻撃を行った。トピカを含む護衛艦隊は島の他の施設に対して砲撃を行った。戦闘が終了すると、トピカは第38.1任務群の他の艦艇と共にレイテ島サンペドロ湾に向かう。

6月後半をレイテ島で補給と休養に費やした「トピカ」は7月1日、6週間にわたる日本本土への空襲作戦のためTF38とともに出撃した。7月10日、TF38は東京を爆撃した。次に北海道へ向けて北上し、函館室蘭周辺を2日間にわたり爆撃した。7月16日に給油のため退いたが、7月17、18日に再度東京を爆撃した。7月18日の夜、「トピカ」は軽巡「ダルース (USS Duluth, CL-87)」「アトランタ (USS Atlanta, CL-104) 」、戦艦「オクラホマシティ」、そして第62駆逐隊とともに相模灘で敵艦と直接砲火を交えており、その際に野島崎を砲撃している。空母機動部隊は7月19~20日にかけて補給を受けた受けた後、7月24日~28日に瀬戸内海と中部地方の港湾を爆撃した。

7月末に台風を回避するため空母群はいったん撤退し、8月の第2週に航空作戦が再開されると「トピカ」はTF38とともに北上し、空母艦載機は本州北部の航空施設を攻撃するため出撃態勢に入った。8月9日~10日にかけて行われたこの作戦では、テニアン島B-29基地を攻撃するため集結していた2,000人の片道特攻部隊の輸送手段を奪うことができた。空母艦載機は8月12~13日に東京を爆撃し、帰還後に再度の攻撃に向けて発進したが、8月15日に日本の降伏が伝えられた。

終戦後、「トピカ」は日本の領海内を哨戒し、9月中旬に東京湾へ入り、10月1日に帰国の途に就くまで同地に留まった。10月4日、帰国する退役軍人529名を乗艦させるため沖縄へ寄港し、翌日にアメリカ本国を向かった。10月19日、オレゴン州ポートランドに到着し、乗客を下ろした。10日後、オーバーホールを受けるためサンペドロに向かった。1946年1月3日、「トピカ」は極東を目指して出港した。1月24日に横浜港に到着し、日本・中国・中部太平洋諸島のアメリカ占領軍を支援する任務に就いた。この間に佐世保青島上海マニラグアムに寄港し、11月20日にサンペドロに帰港した。

オーバーホールを終えた「トピカ」は西海岸での訓練を終え1947年9月22日、再び極東へ向かった。10月10日に横須賀に到着すると第71任務部隊に組み込まれ、国共内戦が勃発する中で上海と青島を拠点に華北沿岸を哨戒した。1948年3月初めに任務を終えた「トピカ」は3月8日に長崎に入港。佐世保とを訪問した後、4月25日にアメリカへ向けて出港し、5月7日にカリフォルニア州ロングビーチに到着した。同月末には真珠湾へ移動し、4か月のオーバーハールの後、西海岸へ戻った。10月下旬、ロングビーチとサンディエゴを拠点に任務を再開した。1949年2月25日、不活化の準備のためサンフランシスコに到着。6月18日に退役し、同地の太平洋予備艦隊施設に係留された。

1950年代

1957年初頭、「トピカ」はブルックリン海軍工廠に曳航され、4月15日からミサイル巡洋艦への改装作業が開始され、5月23日にCLG-8の艦籍番号が与えられた。3年間を要した改造により、6インチ砲塔2基と5インチ砲塔3基が撤去され、空いたスペースにテリアミサイルの発射装置と関連機器が設置された。

1960年代

テリアミサイルを発射する「トピカ」(1961年11月8日)

1960年3月26日、「トピカ」は艦長フランク・L・ピニー・ジュニア大佐の指揮下で再就役した。7月、ニューヨークから西海岸へ移動した。8月~10月にかけて南カリフォルニア沖で慣熟訓練を行い、その後ロングビーチを母港として任務に就いた。その後の3年間は極東への派遣と西海岸での修理及び通常任務を交互に行った。2回の極東派遣では香港、フィリピン、沖縄と多くの日本の港を訪れ、第7艦隊や同盟国艦艇との演習に参加した。

1964年3月、再就役以来3度目の極東派遣が行われた。任務は5月の演習から始まり、その後は日本、台湾、フィリピン、マレーシアの港を訪問した。しかし8月2日、北ベトナム魚雷艇が駆逐艦「マドックス (USS Madox, DD-731) 」を攻撃し、その2日後に「マドックス」と駆逐艦「ターナー・ジョイ英語版(USS Turner Joy, DD-951)」に再度攻撃を試みたとされる、いわゆるトンキン湾事件が発生した。「トピカ」はトンキン湾での航行を命じられ、アメリカはベトナム戦争への関与を強めていき、1年後には本格参戦に至ることになる。1964年10月下旬、「トピカ」は帰国の途に就き、11月第2週の後半にロングビーチに帰港した。その後の1年間は出港と港での整備、第1艦隊との演習に従事した。

1965年11月29日、「トピカ」は共産主義勢力と戦うアメリカ軍と南ベトナム軍の支援任務のため極東に戻り、第7艦隊の巡洋艦・駆逐艦群の旗艦となった。「トピカ」は南シナ海とトンキン湾において艦砲射撃で陸上部隊を支援するとともに、空母部隊を支援して墜落した航空機搭乗員の捜索・救助を行った。任務中、横須賀・香港・マニラ・ダバオ・スービック湾に寄港するため前線を離れた。1966年5月28日、ロングビーチに帰港し、半年間の任務を終え、以降の5か月間は通常の任務に従事した。

10月31日、「トピカ」はサンフランシスコのハンターズ・ポイント海軍造船所でオーバーホールを受け、兵器システムが更新された。1967年3月13日、オーバーホールが終了し、試運転と再慣熟訓練が開始された。6月初旬に訓練は終了し、通常任務に戻った。8月1日、地中海派遣任務のためロングビーチを出港。8月12~13日にかけてバージニア州ノーフォークに寄港し、第12巡洋艦・駆逐艦隊司令部を乗艦させ8月14日にスペインのパルマ・デ・マヨルカに向けて出港した。8月20日、「トピカ」は第6艦隊と合流し、8月22日にミサイル巡洋艦「ガルベストン (USS Galveston, CLG-3) 」から第60.2任務群の旗艦を引き継いだ。9月下旬から10月上旬にかけて「トピカ」は地中海の東端で行われたNATO演習「イーガー・ビーバー」に参加し、10月中旬にはイオニア海ティレニア海で行われた作戦に参加した。

1968年1月、NATOの水陸共同演習に参加。1月12日、スペインのロタでミサイル巡洋艦「コロンバス (USS Columbus, CG-12) 」に旗艦を引き継いだ。帰国の途についた「トピカ」はプエルトリコパナマ運河地帯に寄港した後、1月29日にロングビーチに帰港した。

2月2日、「トピカ」はロングビーチ海軍造船所で5週間の耐用試験に入った。3月15日にロングビーチを出港し、新たな母港であるフロリダ州メイポートへ向かった。3月29日に到着後、5月6日まで整備を受け、キューバのグアンタナモ湾での再訓練のため出港した。5月26日にメイポートへ戻ると再度の地中海派遣の準備に入った。

「トピカ」は6月29日にメイポートを出港し、プエルトリコ近海のクレブラ島で射撃訓練を行った後、大西洋を横断した。7月9日、マラガで「コロンバス」と交代し、第6艦隊での任務を開始した。地中海沿岸の全ての港を訪れ、東はエーゲ海、イオニア海から西はコート・ダジュールまで地中海のあらゆる海域で任務を行った。12月9日、ロタで第6艦隊での任務を終え、「コロンバス」と交代した。同日、メイポートへ向かい、10日後に到着した。

1969年1月30日に「トピカ」はメイポートを出航する。バージニア州ヨークタウンに寄港し搭載砲を撤去した後、ボストンに2月5日到着する。ボストンで不活性化を完了し、6月5日に退役する。トピカはフィラデルフィアに牽引され、予備役艦隊入りする。

「トピカ」は1973年12月1日に除籍され、1975年3月20日にサザン・スクラップ・マテリアル社にスクラップとして売却された。

「トピカ」は第二次世界大戦の戦功で2つの従軍星章およびベトナム戦争の戦功で3つの従軍星章を受章した。

注釈

  1. ^ CLG改装時に撤去

参考文献

  • Topeka (CL-67)”. Naval History and Heritage Command (8 June 2015). 9 December 2015閲覧。

関連項目

外部リンク