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'''アラン・スミシー''' |
'''アラン・スミシー'''({{Lang-en-short|Alan Smithee}})は、[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]で[[1968年]]から[[1999年]]にかけて使われていた架空の[[映画監督]]の名前である。使用停止の年は、公式には[[2000年]]となっている<ref name="LATimes"/>。 |
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== 概要 == |
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[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で、 |
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で、映画制作中に映画監督が何らかの理由で降板してポストが空席になったり、何らかの問題で自らの監督作品として責任を負いたくない場合に[[クレジットタイトル|クレジット]]される[[偽名]]である。使用には厳密な規定があり、映画監督からの訴えを受け付けた[[全米監督協会]](Directors Guild of America; DGA)による審査・認定のもとに使用されていた。 |
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== アラン・スミシーの起源 == |
== アラン・スミシーの起源 == |
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ハリウッドや独立系などアメリカの映画監督は[[全米監督協会]]という[[労働組合]]を組織している。映画製作を左右する実権を握る[[映画会社]]や[[映画プロデューサー]]に比べると映画監督は立場が弱く、全米監督協会を結成してメジャー映画 |
ハリウッドや独立系などアメリカの映画監督は[[全米監督協会]]という[[労働組合]]を組織している。[[映画製作]]を左右する実権を握る[[映画会社]]や[[映画プロデューサー]]に比べると映画監督は立場が弱く、全米監督協会を結成して[[メジャー映画スタジオ]]と対抗することで、映画監督の待遇改善や「映画の作家」としての地位確立の権利を手にした<ref name="imdb">https://www.imdb.com/name/nm0000647/bio/</ref>。 |
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勝ち取ってきた権利の中には「映画には監督の名を必ず |
勝ち取ってきた権利の中には「映画には監督の名を必ずオープニングクレジットの最後に表示する、オープニング・クレジットが省かれた場合はエンディングで最初に表示する」というものもある<ref name="金田一2009" />。これは映画監督が映画の作品的成功の功労者として認知され、映画における[[作家主義]]を確立するために重要な権利だった<ref name="directedby"/><ref name="imdb"/>。こうした経緯から全米監督協会は、映画の失敗の責任も監督が負うべきであるとして、協会に所属する監督が勝手に映画からクレジットを外すことを許可していない<ref name="imdb"/>。アラン・スミシーという偽名が導入された[[1968年]]より前は、プロデューサーや主演俳優らが自分の名前を監督としてねじ込むことを防ぐため、監督が偽名を用いることも許可していなかった<ref name="LATimes"/>。 |
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唯一監督名を外せるのは、会社やプロデューサーらにより監督の意図しないほどの編集を加えられるなどして、監督の手から映画が奪われ、映画の失敗の責任を監督に問えない状態になるときであり、この場合にかぎり協会は監督からの訴えを審査のうえ、映画会社に対して監督名に代わり「アラン・スミシー」という偽名を使用するよう要請していた<ref name="imdb"/>。また協会はスミシー名義を使った監督個人に対し、監督名のクレジットを拒んだ理由を決して口外しないよう要請していた<ref name="directedby">{{cite book |title=Directed by Allen Smithee |last=Braddock |first=Jeremy |authorlink= |coauthors=Stephen Hock |year=2001 |publisher=University of Minnesota Press |location= |isbn=081663534X |page= |pages=8-10|url= }}</ref>。 |
唯一監督名を外せるのは、会社やプロデューサーらにより監督の意図しないほどの[[映画編集|編集]]を加えられるなどして、監督の手から映画が奪われ、映画の失敗の責任を監督に問えない状態になるときであり、この場合にかぎり協会は監督からの訴えを審査のうえ、映画会社に対して監督名に代わり「アラン・スミシー」という偽名を使用するよう要請していた<ref name="imdb"/>。また協会はスミシー名義を使った監督個人に対し、監督名のクレジットを拒んだ理由を決して口外しないよう要請していた<ref name="directedby">{{cite book |title=Directed by Allen Smithee |last=Braddock |first=Jeremy |authorlink= |coauthors=Stephen Hock |year=2001 |publisher=University of Minnesota Press |location= |isbn=081663534X |page= |pages=8-10|url= }}</ref>。 |
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最初にその名が監督名としてあらわれた映画は[[1968年]]の『 |
最初にその名が監督名としてあらわれた映画は[[1968年]]の『[[夏の日にさよなら]]』(''Iron Cowboy'', 別名: ''Fade-In'')であった。しかし、偽名登場のきっかけとなったのは、その前年の[[1967年]]に撮られ[[1969年]]に公開された『[[ガンファイターの最後]]』(''Death of a Gunfighter'')である。 |
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『ガンファイターの最後』撮影中、主演の[[リチャード・ウィドマーク]]は監督の{{仮リンク|ロバート・トッテン|en|Robert Totten}}と意見が対立し、監督を[[ドン・シーゲル]]に代えさせた。しかし映画の完成後、トッテンもシーゲルも監督としてクレジットされ責任を負うのを拒んだ<ref name="directedby"/>。全米監督協会は |
『ガンファイターの最後』撮影中、主演の[[リチャード・ウィドマーク]]は監督の{{仮リンク|ロバート・トッテン|en|Robert Totten}}と意見が対立し、監督を[[ドン・シーゲル]]に代えさせた。しかし映画の完成後、トッテンもシーゲルも監督としてクレジットされ責任を負うのを拒んだ<ref name="directedby"/>。両監督からの訴えを受けた全米監督協会は調査の結果、どちらの監督の意図もこの映画の創作に生かされなかったことについては同意した<ref name="LATimes"/>。しかし「映画には監督の名を必ずクレジットする」という協会と映画会社との約束がある以上、監督たるべき人物がいないとなると何らかの偽名をクレジットするしかない。 |
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Alan Smitheeは "The Alias Men" (偽名の人々)の[[アナグラム]]であると説明されることもあるが、実際には次のような経緯で決められた。当初、製作者たちは「アル・スミス」(Al Smith)という架空の人物をクレジットしようとしたが、全米監督協会はすでに |
Alan Smitheeは "The Alias Men" (偽名の人々)の[[アナグラム]]であると説明されることもあるが、実際には次のような経緯で決められた。当初、製作者たちは「アル・スミス」(Al Smith)という架空の人物をクレジットしようとしたが、全米監督協会はすでに同名の監督がいるとして反対した。協会はアレン・スミス(Allen Smithe)という偽名を逆提案したが、そのような名の人物が将来映画監督として登場する可能性を考慮し、最終的に、実在しなさそうな人名で、なおかつ珍名として目立つことのない名前として、「アラン・スミシー」に決定した<ref name="directedby"/>。しかし『ガンファイターの最後』は批評家から賞賛され、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』はスミシーが実在しない人物だと気付かずに「監督のアラン・スミシーは表面をさっと描写してその背後の細部を取り出す器用な才能を持っている」という評を掲載した<ref>[http://movies2.nytimes.com/mem/movies/review.html?_r=2&title1=Death%20of%20a%20Gunfighter%20%28Movie%29&title2=&reviewer=HOWARD%20THOMPSON&pdate=19690510&v_id=12954&oref=slogin&oref=login Thompson, Howard (May 10 1969). "Screen: Tough Western: 'Death of a Gunfighter' Stars Widmark" ''New York Times'']</ref>。 |
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1968年に完成していたジャド・テイラー監督の『夏の日にさよなら』は、試写会の段階ではテイラー名義で公開されたものの、結果的にお蔵入りになっていた。全米監督協会はこの作品にも遡及的にこの偽名の適用を許可し、1973年11月8日に『CBSレイト・ムービー』でテレビ放映された<ref>http://notorc.blogspot.com/2006/06/almost-famous-spelvins-plinges-and.html</ref><ref>http://www.dga.org/news/v27_6/feat_taylor_aldrich.php3</ref>。 |
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== アラン・スミシーの終焉とその後 == |
== アラン・スミシーの終焉とその後 == |
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当初は無名の人物だったアラン・スミシーは、様々な映画にクレジットされるようになったが、やがて映画マニアなどの間で「アラン・スミシーは映画にトラブルが起きたときの偽名」ということが次第に知られるようになり、偽名としての意味を失っていった<ref name="金田一2009" />。「アラン・スミシー」はテレビドラマ、ミュージックビデオ、書籍など、映画以外の分野でも、責任者の降板などの際に使われるようになった。 |
当初は無名の人物だったアラン・スミシーは、様々な映画にクレジットされるようになったが、やがて映画マニアなどの間で「アラン・スミシーは映画にトラブルが起きたときの偽名」ということが次第に知られるようになり、偽名としての意味を失っていった<ref name="金田一2009" />。「アラン・スミシー」はテレビドラマ、ミュージックビデオ、書籍など、映画以外の分野でも、責任者の降板などの際に使われるようになった。 |
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[[1997年]]、コメディ映画『[[アラン・スミシー・フィルム]]』(''An Alan Smithee Film: Burn Hollywood Burn'')の中で、アラン・スミシーという名が題材に取り上げられた。さらにこの映画にも編集権をめぐる争いが起きて映画自体がアラン・スミシー名義となり、[[ゴールデンラズベリ |
[[1997年]]、コメディ映画『[[アラン・スミシー・フィルム]]』(''An Alan Smithee Film: Burn Hollywood Burn'')の中で、アラン・スミシーという名が題材に取り上げられた。さらにこの映画にも編集権をめぐる争いが起きて映画自体がアラン・スミシー名義となり、[[ゴールデンラズベリー賞]]を獲ったことが面白おかしく報じられた。これらのことで、全米監督協会はこの偽名の使用をやめることになった<ref name="LATimes"/>。 |
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スミシーの使用中止に影響を与えた可能性のあるもうひとつの事件は、『[[アメリカン・ヒストリーX]]』公開の際、監督の |
スミシーの使用中止に影響を与えた可能性のあるもうひとつの事件は、『[[アメリカン・ヒストリーX]]』公開の際、監督の{{仮リンク|トニー・ケイ (映画監督)|label=トニー・ケイ|en|Tony Kaye (director)}}がスミシー名義の使用を求めて却下された事件である。スミシー名義使用に当たっての規則には、自分の名義を映画から外す理由を、監督が公に向かって語ることを禁じるというものがある。再編集を巡り主演の[[エドワード・ノートン]]らとの間で起きた争いについて、監督のケイはすでにマスコミに語ってしまっていたためにスミシー名義の使用は不可能だったが、ケイはスミシー名義の使用を許可しなかった件で全米監督協会や映画会社を訴えてニュースとなった。 |
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[[2000年]]以降、全米監督協会は個々の案件について、毎回異なった偽名を選ぶようになっている。その最初の例は、[[2000年]]のSF映画『スーパーノヴァ』である。これは[[ウォルター・ヒル]]が途中まで手掛けたものの降板し、[[フランシス・フォード・コッポラ]]、[[ジャック・ショルダー]]ら後任の監督も相次いで降板したといういわくつきの映画であり、もはや監督が特定できないため、「トーマス・リー」(Thomas Lee)という架空の人物が監督としてクレジットされた<ref name="LATimes">[http://articles.latimes.com/2000/jan/15/entertainment/ca-54271 ''L.A. Times'', "Name of Director Smithee Isn't What It Used to Be"]</ref>。 |
[[2000年]]以降、全米監督協会は個々の案件について、毎回異なった偽名を選ぶようになっている。その最初の例は、[[2000年]]のSF映画『{{仮リンク|スーパーノヴァ (2000年の映画)|label=スーパーノヴァ|en|Supernova (2000 film)}}』である。これは[[ウォルター・ヒル]]が途中まで手掛けたものの降板し、[[フランシス・フォード・コッポラ]]、[[ジャック・ショルダー]]ら後任の監督も相次いで降板したといういわくつきの映画であり、もはや監督が特定できないため、「トーマス・リー」(Thomas Lee)という架空の人物が監督としてクレジットされた<ref name="LATimes">[http://articles.latimes.com/2000/jan/15/entertainment/ca-54271 ''L.A. Times'', "Name of Director Smithee Isn't What It Used to Be"]</ref>。 |
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ただし、[[カナダ]]など合衆国国外で製作されたいくつかの映画やドラマなどでは、まだアラン・スミシーという偽名を使っている場合もある。 |
ただし、[[カナダ]]など合衆国国外で製作されたいくつかの映画やドラマなどでは、まだアラン・スミシーという偽名を使っている場合もある。 |
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== 主なアラン・スミシー名義の作品 == |
== 主なアラン・スミシー名義の作品 == |
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; [[夏の日にさよなら]](1968年) |
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: アラン・スミシーの名が使われた最古の作品。実際の監督は{{仮リンク|ジャド・テイラー|en|Jud Taylor}}。 |
: アラン・スミシーの名が使われた最古の作品。実際の監督は{{仮リンク|ジャド・テイラー|en|Jud Taylor}}。 |
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; [[ガンファイターの最後]](1969年) |
; [[ガンファイターの最後]](1969年) |
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: アラン・スミシー名義の使用のきっかけとなった映画。 |
: アラン・スミシー名義の使用のきっかけとなった映画。当初監督はロバート・トッテン、その後[[ドン・シーゲル]]。 |
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; 学生の死体(1981年)パラマウント |
; 学生の死体(1981年)パラマウント |
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: 実際の監督は[[マイケル・リッチー]]。 |
: 実際の監督は[[マイケル・リッチー]]。 |
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: 日本出資・ハリウッド製作のSF映画。日本での興行成績は惨憺たる結果に終わり、再編集版がアメリカで公開された際、[[リチャード・C・サラフィアン]]監督の意向でスミシー名義となった。 |
: 日本出資・ハリウッド製作のSF映画。日本での興行成績は惨憺たる結果に終わり、再編集版がアメリカで公開された際、[[リチャード・C・サラフィアン]]監督の意向でスミシー名義となった。 |
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; [[ハートに火をつけて (映画)|ハートに火をつけて]](1991年) |
; [[ハートに火をつけて (映画)|ハートに火をつけて]](1991年) |
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: [[デニス・ホッパー]]監督作品だが、最終編集権を持っていた映画会社とホッパーが衝突、ホッパーが降りてスミシー名義となった。 |
: [[デニス・ホッパー]]監督作品だが、最終編集権を持っていた映画会社とホッパーが衝突、ホッパーが降りてスミシー名義となった。1995年に『バックトラック』という題名でホッパー名義の版も公開された。 |
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; [[ヘルレイザー4]](1996年) |
; [[ヘルレイザー4]](1996年) |
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:『[[エルム街の悪夢]]』や『[[チャイルド・プレイ]]』で[[特殊メイク]]を担当した[[ケヴィン・イェーガー]]の初監督作だった。 |
:『[[エルム街の悪夢]]』や『[[チャイルド・プレイ]]』で[[特殊メイク]]を担当した[[ケヴィン・イェーガー]]の初監督作だった。 |
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; [[アラン・スミシー・フィルム]](1998年) |
; [[アラン・スミシー・フィルム]](1998年) |
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: 『[[氷の微笑]]』の脚本で大ヒットを飛ばしたものの、『[[ショーガール]]』ではそのズレぶりが批判されて[[ゴールデンラズベリー賞|ラジー賞]]に輝いてしまった[[ジョー・エスターハス]]が脚本・製作を務めた作品。監督は[[アーサー・ヒラー]]。「アラン・スミシー」という名の人物が超大作映画を監督することになるが、映画会社による再編集に怒って監督の名義を伏せてもらおうとする。しかし全米映画監督協会の規定により使える偽名が「アラン・スミシー」しかなく、どうあってもアラン・スミシー名義にならざるを得ないと知った監督がフィルムを奪い、編集権を取り戻すため映画会社を脅迫しようとする。ハリウッドの裏側を描こうとした作品だが、当の作品もエスターハスによる編集をヒラーが嫌った争いの結果、皮肉にもアラン・スミシー名義となってしまった。5部門で[[ゴールデンラズベリー賞|ラジー賞]]を受賞。 |
: 『[[氷の微笑]]』の脚本で大ヒットを飛ばしたものの、『[[ショーガール (1995年の映画)|ショーガール]]』ではそのズレぶりが批判されて[[ゴールデンラズベリー賞|ラジー賞]]に輝いてしまった[[ジョー・エスターハス]]が脚本・製作を務めた作品。監督は[[アーサー・ヒラー]]。「アラン・スミシー」という名の人物が超大作映画を監督することになるが、映画会社による再編集に怒って監督の名義を伏せてもらおうとする。しかし全米映画監督協会の規定により使える偽名が「アラン・スミシー」しかなく、どうあってもアラン・スミシー名義にならざるを得ないと知った監督がフィルムを奪い、編集権を取り戻すため映画会社を脅迫しようとする。ハリウッドの裏側を描こうとした作品だが、当の作品もエスターハスによる編集をヒラーが嫌った争いの結果、皮肉にもアラン・スミシー名義となってしまった。5部門で[[ゴールデンラズベリー賞|ラジー賞]]を受賞。 |
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; [[美しき家政婦 ウーマン・ウォンテッド]](2000年) |
; [[美しき家政婦 ウーマン・ウォンテッド]](2000年) |
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: 実際の監督は[[キーファー・サザーランド]]。最後にアラン・スミシー名義が使われた映画。 |
: 実際の監督は[[キーファー・サザーランド]]。最後にアラン・スミシー名義が使われた映画。 |
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その他、『[[デューン/砂の惑星]]』([[デヴィッド・リンチ]])、『[[セント・オブ・ウーマン/夢の香り]]』([[マーティン・ブレスト]])、『[[ヒート (1995年の映画)|ヒート]]』([[マイケル・マン (映画監督)|マイケル・マン]])のテレビ放送用再編集版、『[[ジョー・ブラックをよろしく]]』(マーティン・ブレスト)の機内放送用再編集版など、劇場公開版より短く編集されたテレビ放送版では、元の監督の納得できる編集がなされなかったという理由から、アラン・スミシー名義にされた場合がある。 |
その他、『[[デューン/砂の惑星 (1984年の映画)|デューン/砂の惑星]]』([[デヴィッド・リンチ]])、『[[セント・オブ・ウーマン/夢の香り]]』([[マーティン・ブレスト]])、『[[ヒート (1995年の映画)|ヒート]]』([[マイケル・マン (映画監督)|マイケル・マン]])のテレビ放送用再編集版、『[[ジョー・ブラックをよろしく]]』(マーティン・ブレスト)の機内放送用再編集版など、劇場公開版より短く編集されたテレビ放送版では、元の監督の納得できる編集がなされなかったという理由から、アラン・スミシー名義にされた場合がある。 |
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== 日本におけるアラン・スミシー == |
== 日本におけるアラン・スミシー == |
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=== アニメ業界での使用例 === |
=== アニメ業界での使用例 === |
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[[1998年]]頃から、日本でもいくつかのアニメ作品でアラン・スミシーが見られるようになった。『[[銀盤カレイドスコープ# |
[[1998年]]頃から、日本でもいくつかのアニメ作品でアラン・スミシーが見られるようになった。『[[銀盤カレイドスコープ#アニメ|銀盤カレイドスコープ]]』の最終回で登場<ref name="WEBアニメスタイル20051228">{{Cite web|和書 |
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|date=2005-12-28 |
|date=2005-12-28 |
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|url=http://www.style.fm/as/02_topics/top_051228b.shtml |
|url=http://www.style.fm/as/02_topics/top_051228b.shtml |
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}}</ref>。 |
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ただし、この場合の日本の作品は全米監督協会とは何の関連もないため、直接的に「Alan Smithee」と表記され |
ただし、この場合の日本の作品は全米監督協会とは何の関連もないため、前述の『カレイドスコープ』を除き直接的に「Alan Smithee」と表記されることはほとんどなく、弄られた名前が使われている。漢字表記を当てた名前である場合が多い<ref name="金田一2009" />。 |
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; [[ガサラキ]](1998年) |
; [[ガサラキ]](1998年) |
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: 1998年10月4日放送第1話 |
: 1998年10月4日放送第1話 原画 「'''阿乱須美志'''」。 |
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; [[イケてる2人]](1999年) |
; [[イケてる2人]](1999年) |
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: 第7話の作画監督表記に「'''すみし・あれん'''」。 |
: 第7話の作画監督表記に「'''すみし・あれん'''」。 |
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; [[銀装騎攻オーディアン]](2000年) |
; [[銀装騎攻オーディアン]](2000年) |
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: 第16話 |
: 第16話 作画監督 「'''亜蘭純志'''」。 |
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; [[こちら葛飾区亀有公園前派出所]](2002年) |
; [[こちら葛飾区亀有公園前派出所]](2002年) |
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: 2002年9月15日 |
: 2002年9月15日 第281話 絵コンテ 「'''阿蘭墨史'''」。 |
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; [[R.O.D -THE TV-]](2003年) |
; [[R.O.D -THE TV-]](2003年) |
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: 第20話 |
: 第20話 原画 「'''角石阿蘭'''」。 |
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; [[真月譚 月姫]](2003年) |
; [[真月譚 月姫]](2003年) |
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: 第8話、12話 |
: 第8話、12話 原画 「'''角石阿蘭'''」。 |
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; [[LAST EXILE]](2003年) |
; [[LAST EXILE]](2003年) |
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: 第21話 |
: 第21話 作画監督 「'''角石亜蘭'''」。 |
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; [[光と水のダフネ]](2004年) |
; [[光と水のダフネ]](2004年) |
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: OVA1 |
: OVA1 原画 「'''角石阿蘭'''」。 |
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; [[エイケン (漫画)|エイケン エイケンヴより愛をこめて]](2004年) |
; [[エイケン (漫画)|エイケン エイケンヴより愛をこめて]](2004年) |
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: 後編の監督表記が「'''阿蘭墨©'''」。 |
: 後編の監督表記が「'''阿蘭墨©'''」。 |
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; [[銀盤カレイドスコープ# |
; [[銀盤カレイドスコープ#アニメ|銀盤カレイドスコープ]](2005年) |
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: 最終話 |
: 最終話 監督名がクレジットされず、演出表記が「'''Alan Smi Thee'''」となった<ref name="WEBアニメスタイル20051228" />。 |
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; [[夜明け前より瑠璃色な|夜明け前より瑠璃色な -Crescent Love-]](2006年) |
; [[夜明け前より瑠璃色な|夜明け前より瑠璃色な -Crescent Love-]](2006年) |
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: 第8話の演出表記に「'''亜乱 炭椎'''」(あらん すみしい)。 |
: 第8話の演出表記に「'''亜乱 炭椎'''」(あらん すみしい)。 |
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: 第46話のコンテ協力表記に「'''阿乱 済志'''」(あらん すみし)。 |
: 第46話のコンテ協力表記に「'''阿乱 済志'''」(あらん すみし)。 |
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; [[史上最強の弟子ケンイチ]](2006年) |
; [[史上最強の弟子ケンイチ]](2006年) |
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: 第18話 |
: 第18話 絵コンテ 「'''阿蘭墨志'''」。 |
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; [[吉永さん家のガーゴイル]](2006年) |
; [[吉永さん家のガーゴイル]](2006年) |
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: 第9話 |
: 第9話 絵コンテと作画監督 「'''阿藍隅史'''」。 |
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; [[Canvas2 〜虹色のスケッチ〜]](2006年) |
; [[Canvas2 〜虹色のスケッチ〜]](2006年) |
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: 第16話、第18話 |
: 第16話、第18話 作画監督 「'''阿藍隅史'''」。 |
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; [[練馬大根ブラザーズ]](2006年) |
; [[練馬大根ブラザーズ]](2006年) |
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: OP原画 |
: OP原画 「'''阿藍隅史'''」。 |
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; [[錬金3級 まじかる?ぽか〜ん]](2006年) |
; [[錬金3級 まじかる?ぽか〜ん]](2006年) |
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: 原画 |
: 原画 「'''阿藍隅史'''」。 |
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; [[奏光のストレイン]](2007年) |
; [[奏光のストレイン]](2007年) |
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: 第7話 |
: 第7話 演出、作画監督 「'''阿藍隅史'''」。 |
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; [[ながされて藍蘭島]](2007年) |
; [[ながされて藍蘭島]](2007年) |
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: 第4話、第5話、第14話 |
: 第4話、第5話、第14話 原画 「'''阿藍隅史'''」。 |
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; [[sola]](2007年) |
; [[sola (久弥直樹・七尾奈留)|sola]](2007年) |
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: 第13話(最終話)の作画監督表記に「'''阿乱 須未椎'''」(あらん すみしい)。 |
: 第13話(最終話)の作画監督表記に「'''阿乱 須未椎'''」(あらん すみしい)。 |
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; [[BLUE DROP|BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜]](2007年) |
; [[BLUE DROP|BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜]](2007年) |
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: 第4話の脚本表記に「'''安蘭 須美志'''」(あらん すみし、[[中村誠 (脚本家)|中村誠]]との併記)。 |
: 第4話の脚本表記に「'''安蘭 須美志'''」(あらん すみし、[[中村誠 (脚本家)|中村誠]]との併記)。 |
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; [[ガンスリンガー ストラトス]]-THE ANIMATION-(2015年) |
; [[ガンスリンガー ストラトス]]-THE ANIMATION-(2015年) |
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: 第1話 |
: 第1話 作画監督補佐 「'''阿乱酢味子'''」。 |
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; [[ジョーカー・ゲーム]](2016年) |
; [[ジョーカー・ゲーム]](2016年) |
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: 第2話 |
: 第2話 演出 「'''安乱純志'''」。 |
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; [[この素晴らしい世界に祝福を!]](2016年) |
; [[この素晴らしい世界に祝福を! (アニメ)|この素晴らしい世界に祝福を!]](2016年) |
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: 第4話、第9話 |
: 第4話、第9話 絵コンテ 「'''亜嵐墨石'''」。 |
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; [[球詠]](2020年) |
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: 第6話、第11話 演出 「'''阿乱須美氏'''」。 |
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なお、制作現場のトラブルや切迫した状態とは関係なく、会社間の関係や契約の都合などにより担当者の名前を表立って出せない場合に、一種の代用ペンネームとして用いられた事例も存在している(参考:[[森山雄治|阿藍隅史]])。 |
なお、制作現場のトラブルや切迫した状態とは関係なく、会社間の関係や契約の都合などにより担当者の名前を表立って出せない場合に、一種の代用ペンネームとして用いられた事例も存在している(参考:[[森山雄治|阿藍隅史]])。 |
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=== アラン・スミシーをもじったペンネーム === |
=== アラン・スミシーをもじったペンネーム === |
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*[[荒木スミシ]] - 1968年生まれの自主映画監督、小説家。 |
*[[荒木スミシ]] - 1968年生まれの自主映画監督、小説家。 |
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*阿藍隅史 - アニメーター[[森山雄治]]の別名。 |
*阿藍隅史 - アニメーター[[森山雄治]]の別名。 |
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*阿蘭澄史 - 主に芸能界を題材とした漫画の原作者 |
*阿蘭澄史 - フリーの芸能記者。主に芸能界を題材とした内幕本や漫画の原作者<ref>[https://mediaarts-db.artmuseums.go.jp/id/C70598 阿蘭澄史]</ref>。 |
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*[[阿見松ノ介]] - 商業映画、オリジナルビデオ監督。名字の「阿見」はアラン・スミシーの省略という。 |
*[[阿見松ノ介]] - 商業映画、オリジナルビデオ監督。名字の「阿見」はアラン・スミシーの省略という。 |
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; [[イニシエーション・ラブ#映画|イニシエーション・ラブ]](2015年) |
; [[イニシエーション・ラブ#映画|イニシエーション・ラブ]](2015年) |
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: [[堤幸彦]]監督の日本映画。[[乾くるみ]]の同名小説が原作。 |
: [[堤幸彦]]監督の日本映画。[[乾くるみ]]の同名小説が原作。 |
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: 公開前発表されたメインキャストのうち、シークレット・キャストとみられる者のクレジットが「'''亜蘭澄司'''」とされた<ref>{{Cite news | title = イニシエーション・ラブ:新ビジュアルに謎のキャスト“アラン・スミシー”| newspaper = [[毎日新聞|MANTANWEB]]| date = 2015-02-10| url = |
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: 作品の一部にて「アラン・スミシー」という名称が「出自の分からないどこかの渡り鳥(冒険者)」を指す言葉として使われている。 |
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: 作中に出てくる架空の国「ジランバ共和国」の工作員がアラン・スミシーを名乗る。声優は、俳優の[[内野聖陽]]が務めた。 |
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=== 参考事例:名義の不表記 === |
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*[[アマルフィ 女神の報酬]] - 「脚本」のクレジットなしで公開された日本映画。実際に脚本を手がけた2人がいずれも名前を出すのを拒んだことによるが、[[日本シナリオ作家協会]]から脚本家軽視として抗議を受けた。 |
*[[アマルフィ 女神の報酬]] - 「脚本」のクレジットなしで公開された日本映画。実際に脚本を手がけた2人がいずれも名前を出すのを拒んだことによるが、[[日本シナリオ作家協会]]から脚本家軽視として抗議を受けた<ref>{{Cite news|newspaper=読売新聞|url=http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090717-OYT1T00896.htm |title=脚本家名ない「アマルフィ」に作家協会抗議|date=2009-07-17|archiveurl=https://archive.is/apdfj|archivedate=2009-07-20}}</ref><ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞|url=http://www.asahi.com/culture/update/0721/TKY200907210180.html |title=「脚本家名ない」作家協会が抗議 映画「アマルフィ」|date=2009-07-21|archiveurl=https://archive.is/JAPkQ|archivedate=2014-01-10}}</ref>。 |
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*[[黒い看護婦]] - [[フジテレビジョン]]系列で放映されたテレビドラマ。放映枠移動の関係で、完成時92分の作品が74分に縮められた。これに抗議した監督の[[平山秀幸]]は氏名のクレジットを拒否、エンドロールでは平山ほか撮影クルーの氏名が各人の希望によりノンクレジットとなった。 |
*[[黒い看護婦]] - [[フジテレビジョン]]系列で放映されたテレビドラマ。放映枠移動の関係で、完成時92分の作品が74分に縮められた。これに抗議した監督の[[平山秀幸]]は氏名のクレジットを拒否、エンドロールでは平山ほか撮影クルーの氏名が各人の希望によりノンクレジットとなった<ref>{{Cite web|和書|title=フジテレビ「黒い看護婦」で有名監督がクレジット拒否!|publisher=[[週刊文春|週刊文春Web]]|date=2015-02-18|url=http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4847|accessdate=2015-09-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150218100624/http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4847|archivedate=2015-02-18}}</ref><ref>{{Cite news|title=「黒い看護婦」騒動でフジが非を認める|newspaper=DAILY SPORTS ONLINE|date=2015-02-27|url=https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/02/27/0007775389.shtml|page=2|accessdate=2015-09-07}}</ref>。 |
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*[[真ゲッターロボ 世界最後の日]] - 全13話からなるOVA作品であるが、第1話から第3話に監督のクレジットがない(第4話からは川越淳が監督となっている)。製作発表時には[[今川泰宏]]が監督とされており、クレジットがない理由は公表されていない。 |
*[[真ゲッターロボ 世界最後の日]] - 全13話からなるOVA作品であるが、第1話から第3話に監督のクレジットがない(第4話からは川越淳が監督となっている)。製作発表時には[[今川泰宏]]が監督とされており、クレジットがない理由は公表されていない。 |
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=== 参考事例:同様の事態における「アラン・スミシー」以外の偽名 === |
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; [[ふしぎの海のナディア]](1991年) |
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: 第34話 作画監督 「'''空母そ・そ・そ・そ'''」を始め、原画担当者全員が偽名という事態になった。 |
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: 第6話 原画 「'''正直困太'''」(しょうじきこまった)。 |
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* [http://www.mvdbase.com/tech.php?last=Smithee&first=Alan アラン・スミシーがクレジットされたミュージック・ビデオ一覧] |
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* ''[http://www.upress.umn.edu/Books/B/braddock_directed.html Directed by Allen Smithee]'', a 2001 book (ISBN 0-8166-3534-X) about the director and auteur theory in general. |
* ''[http://www.upress.umn.edu/Books/B/braddock_directed.html Directed by Allen Smithee]'', a 2001 book (ISBN 0-8166-3534-X) about the director and auteur theory in general. |
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2024年3月4日 (月) 20:15時点における最新版
アラン・スミシー(英: Alan Smithee)は、アメリカ映画で1968年から1999年にかけて使われていた架空の映画監督の名前である。使用停止の年は、公式には2000年となっている[1]。
概要
[編集]アメリカで、映画制作中に映画監督が何らかの理由で降板してポストが空席になったり、何らかの問題で自らの監督作品として責任を負いたくない場合にクレジットされる偽名である。使用には厳密な規定があり、映画監督からの訴えを受け付けた全米監督協会(Directors Guild of America; DGA)による審査・認定のもとに使用されていた。
アラン・スミシーの起源
[編集]ハリウッドや独立系などアメリカの映画監督は全米監督協会という労働組合を組織している。映画製作を左右する実権を握る映画会社や映画プロデューサーに比べると映画監督は立場が弱く、全米監督協会を結成してメジャー映画スタジオと対抗することで、映画監督の待遇改善や「映画の作家」としての地位確立の権利を手にした[2]。
勝ち取ってきた権利の中には「映画には監督の名を必ずオープニングクレジットの最後に表示する、オープニング・クレジットが省かれた場合はエンディングで最初に表示する」というものもある[3]。これは映画監督が映画の作品的成功の功労者として認知され、映画における作家主義を確立するために重要な権利だった[4][2]。こうした経緯から全米監督協会は、映画の失敗の責任も監督が負うべきであるとして、協会に所属する監督が勝手に映画からクレジットを外すことを許可していない[2]。アラン・スミシーという偽名が導入された1968年より前は、プロデューサーや主演俳優らが自分の名前を監督としてねじ込むことを防ぐため、監督が偽名を用いることも許可していなかった[1]。
唯一監督名を外せるのは、会社やプロデューサーらにより監督の意図しないほどの編集を加えられるなどして、監督の手から映画が奪われ、映画の失敗の責任を監督に問えない状態になるときであり、この場合にかぎり協会は監督からの訴えを審査のうえ、映画会社に対して監督名に代わり「アラン・スミシー」という偽名を使用するよう要請していた[2]。また協会はスミシー名義を使った監督個人に対し、監督名のクレジットを拒んだ理由を決して口外しないよう要請していた[4]。
最初にその名が監督名としてあらわれた映画は1968年の『夏の日にさよなら』(Iron Cowboy, 別名: Fade-In)であった。しかし、偽名登場のきっかけとなったのは、その前年の1967年に撮られ1969年に公開された『ガンファイターの最後』(Death of a Gunfighter)である。
『ガンファイターの最後』撮影中、主演のリチャード・ウィドマークは監督のロバート・トッテンと意見が対立し、監督をドン・シーゲルに代えさせた。しかし映画の完成後、トッテンもシーゲルも監督としてクレジットされ責任を負うのを拒んだ[4]。両監督からの訴えを受けた全米監督協会は調査の結果、どちらの監督の意図もこの映画の創作に生かされなかったことについては同意した[1]。しかし「映画には監督の名を必ずクレジットする」という協会と映画会社との約束がある以上、監督たるべき人物がいないとなると何らかの偽名をクレジットするしかない。
Alan Smitheeは "The Alias Men" (偽名の人々)のアナグラムであると説明されることもあるが、実際には次のような経緯で決められた。当初、製作者たちは「アル・スミス」(Al Smith)という架空の人物をクレジットしようとしたが、全米監督協会はすでに同名の監督がいるとして反対した。協会はアレン・スミス(Allen Smithe)という偽名を逆提案したが、そのような名の人物が将来映画監督として登場する可能性を考慮し、最終的に、実在しなさそうな人名で、なおかつ珍名として目立つことのない名前として、「アラン・スミシー」に決定した[4]。しかし『ガンファイターの最後』は批評家から賞賛され、『ニューヨーク・タイムズ』はスミシーが実在しない人物だと気付かずに「監督のアラン・スミシーは表面をさっと描写してその背後の細部を取り出す器用な才能を持っている」という評を掲載した[5]。
1968年に完成していたジャド・テイラー監督の『夏の日にさよなら』は、試写会の段階ではテイラー名義で公開されたものの、結果的にお蔵入りになっていた。全米監督協会はこの作品にも遡及的にこの偽名の適用を許可し、1973年11月8日に『CBSレイト・ムービー』でテレビ放映された[6][7]。
アラン・スミシーの終焉とその後
[編集]当初は無名の人物だったアラン・スミシーは、様々な映画にクレジットされるようになったが、やがて映画マニアなどの間で「アラン・スミシーは映画にトラブルが起きたときの偽名」ということが次第に知られるようになり、偽名としての意味を失っていった[3]。「アラン・スミシー」はテレビドラマ、ミュージックビデオ、書籍など、映画以外の分野でも、責任者の降板などの際に使われるようになった。
1997年、コメディ映画『アラン・スミシー・フィルム』(An Alan Smithee Film: Burn Hollywood Burn)の中で、アラン・スミシーという名が題材に取り上げられた。さらにこの映画にも編集権をめぐる争いが起きて映画自体がアラン・スミシー名義となり、ゴールデンラズベリー賞を獲ったことが面白おかしく報じられた。これらのことで、全米監督協会はこの偽名の使用をやめることになった[1]。
スミシーの使用中止に影響を与えた可能性のあるもうひとつの事件は、『アメリカン・ヒストリーX』公開の際、監督のトニー・ケイがスミシー名義の使用を求めて却下された事件である。スミシー名義使用に当たっての規則には、自分の名義を映画から外す理由を、監督が公に向かって語ることを禁じるというものがある。再編集を巡り主演のエドワード・ノートンらとの間で起きた争いについて、監督のケイはすでにマスコミに語ってしまっていたためにスミシー名義の使用は不可能だったが、ケイはスミシー名義の使用を許可しなかった件で全米監督協会や映画会社を訴えてニュースとなった。
2000年以降、全米監督協会は個々の案件について、毎回異なった偽名を選ぶようになっている。その最初の例は、2000年のSF映画『スーパーノヴァ』である。これはウォルター・ヒルが途中まで手掛けたものの降板し、フランシス・フォード・コッポラ、ジャック・ショルダーら後任の監督も相次いで降板したといういわくつきの映画であり、もはや監督が特定できないため、「トーマス・リー」(Thomas Lee)という架空の人物が監督としてクレジットされた[1]。
ただし、カナダなど合衆国国外で製作されたいくつかの映画やドラマなどでは、まだアラン・スミシーという偽名を使っている場合もある。
主なアラン・スミシー名義の作品
[編集]- 夏の日にさよなら(1968年)
- アラン・スミシーの名が使われた最古の作品。実際の監督はジャド・テイラー。
- ガンファイターの最後(1969年)
- アラン・スミシー名義の使用のきっかけとなった映画。当初監督はロバート・トッテン、その後ドン・シーゲル。
- 学生の死体(1981年)パラマウント
- 実際の監督はマイケル・リッチー。
- ハリー奪還(1986年)
- 実際の監督はスチュアート・ローゼンバーグ。
- クライシス2050(1990年)
- 日本出資・ハリウッド製作のSF映画。日本での興行成績は惨憺たる結果に終わり、再編集版がアメリカで公開された際、リチャード・C・サラフィアン監督の意向でスミシー名義となった。
- ハートに火をつけて(1991年)
- デニス・ホッパー監督作品だが、最終編集権を持っていた映画会社とホッパーが衝突、ホッパーが降りてスミシー名義となった。1995年に『バックトラック』という題名でホッパー名義の版も公開された。
- ヘルレイザー4(1996年)
- 『エルム街の悪夢』や『チャイルド・プレイ』で特殊メイクを担当したケヴィン・イェーガーの初監督作だった。
- アラン・スミシー・フィルム(1998年)
- 『氷の微笑』の脚本で大ヒットを飛ばしたものの、『ショーガール』ではそのズレぶりが批判されてラジー賞に輝いてしまったジョー・エスターハスが脚本・製作を務めた作品。監督はアーサー・ヒラー。「アラン・スミシー」という名の人物が超大作映画を監督することになるが、映画会社による再編集に怒って監督の名義を伏せてもらおうとする。しかし全米映画監督協会の規定により使える偽名が「アラン・スミシー」しかなく、どうあってもアラン・スミシー名義にならざるを得ないと知った監督がフィルムを奪い、編集権を取り戻すため映画会社を脅迫しようとする。ハリウッドの裏側を描こうとした作品だが、当の作品もエスターハスによる編集をヒラーが嫌った争いの結果、皮肉にもアラン・スミシー名義となってしまった。5部門でラジー賞を受賞。
- 美しき家政婦 ウーマン・ウォンテッド(2000年)
- 実際の監督はキーファー・サザーランド。最後にアラン・スミシー名義が使われた映画。
その他、『デューン/砂の惑星』(デヴィッド・リンチ)、『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(マーティン・ブレスト)、『ヒート』(マイケル・マン)のテレビ放送用再編集版、『ジョー・ブラックをよろしく』(マーティン・ブレスト)の機内放送用再編集版など、劇場公開版より短く編集されたテレビ放送版では、元の監督の納得できる編集がなされなかったという理由から、アラン・スミシー名義にされた場合がある。
日本におけるアラン・スミシー
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本来の用例
[編集]日本映画でアメリカにおいて本来の用法によるアラン・スミシー名義が用いられた作品には、以下の例がある。
- ガンヘッド(1989年)
- 日本公開時は、監督を務めた原田眞人の名前がクレジットされている。
- 1990年代に、アメリカ合衆国向けにビデオソフトとして販売する際に、内容がアメリカ人のテイストに合わないと大幅に再編集されており、これに憤慨した原田は監督のクレジットから名前を削除し、アラン・スミシー名義となっている。
アニメ業界での使用例
[編集]1998年頃から、日本でもいくつかのアニメ作品でアラン・スミシーが見られるようになった。『銀盤カレイドスコープ』の最終回で登場[8]した際には「日本のTVアニメでは異例中の異例」[要出典]とされたが、以降もちらほらとアラン・スミシーが現れている。アメリカ映画におけるアラン・スミシーと同様に、諸事情で作品の品質が維持できなくなった場合に、監督が降板したり、自分の名前を出すことを拒んだりした場合に用いられている[3]。
ただし、この場合の日本の作品は全米監督協会とは何の関連もないため、前述の『カレイドスコープ』を除き直接的に「Alan Smithee」と表記されることはほとんどなく、弄られた名前が使われている。漢字表記を当てた名前である場合が多い[3]。
- ガサラキ(1998年)
- 1998年10月4日放送第1話 原画 「阿乱須美志」。
- イケてる2人(1999年)
- 第7話の作画監督表記に「すみし・あれん」。
- 銀装騎攻オーディアン(2000年)
- 第16話 作画監督 「亜蘭純志」。
- こちら葛飾区亀有公園前派出所(2002年)
- 2002年9月15日 第281話 絵コンテ 「阿蘭墨史」。
- R.O.D -THE TV-(2003年)
- 第20話 原画 「角石阿蘭」。
- 真月譚 月姫(2003年)
- 第8話、12話 原画 「角石阿蘭」。
- LAST EXILE(2003年)
- 第21話 作画監督 「角石亜蘭」。
- 光と水のダフネ(2004年)
- OVA1 原画 「角石阿蘭」。
- エイケン エイケンヴより愛をこめて(2004年)
- 後編の監督表記が「阿蘭墨©」。
- 銀盤カレイドスコープ(2005年)
- 最終話 監督名がクレジットされず、演出表記が「Alan Smi Thee」となった[8]。
- 夜明け前より瑠璃色な -Crescent Love-(2006年)
- 第8話の演出表記に「亜乱 炭椎」(あらん すみしい)。
- 爆球Hit! クラッシュビーダマン(2006年)
- 第46話のコンテ協力表記に「阿乱 済志」(あらん すみし)。
- 史上最強の弟子ケンイチ(2006年)
- 第18話 絵コンテ 「阿蘭墨志」。
- 吉永さん家のガーゴイル(2006年)
- 第9話 絵コンテと作画監督 「阿藍隅史」。
- Canvas2 〜虹色のスケッチ〜(2006年)
- 第16話、第18話 作画監督 「阿藍隅史」。
- 練馬大根ブラザーズ(2006年)
- OP原画 「阿藍隅史」。
- 錬金3級 まじかる?ぽか〜ん(2006年)
- 原画 「阿藍隅史」。
- 奏光のストレイン(2007年)
- 第7話 演出、作画監督 「阿藍隅史」。
- ながされて藍蘭島(2007年)
- 第4話、第5話、第14話 原画 「阿藍隅史」。
- sola(2007年)
- 第13話(最終話)の作画監督表記に「阿乱 須未椎」(あらん すみしい)。
- BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜(2007年)
- 第12話・第13話の作画監督表記に「亜蘭 純子」(あらん すみし)。
- 逮捕しちゃうぞフルスロットル(2007年)
- 第1話の絵コンテ表記に「住吉 亜蘭」(すみよし あらん)。
- うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVE2000%(2013年)
- 第4話の脚本表記に「安蘭 須美志」(あらん すみし、中村誠との併記)。
- ガンスリンガー ストラトス-THE ANIMATION-(2015年)
- 第1話 作画監督補佐 「阿乱酢味子」。
- ジョーカー・ゲーム(2016年)
- 第2話 演出 「安乱純志」。
- この素晴らしい世界に祝福を!(2016年)
- 第4話、第9話 絵コンテ 「亜嵐墨石」。
- 球詠(2020年)
- 第6話、第11話 演出 「阿乱須美氏」。
なお、制作現場のトラブルや切迫した状態とは関係なく、会社間の関係や契約の都合などにより担当者の名前を表立って出せない場合に、一種の代用ペンネームとして用いられた事例も存在している(参考:阿藍隅史)。
アラン・スミシーをもじったペンネーム
[編集]- 荒木スミシ - 1968年生まれの自主映画監督、小説家。
- 阿藍隅史 - アニメーター森山雄治の別名。
- 阿蘭澄史 - フリーの芸能記者。主に芸能界を題材とした内幕本や漫画の原作者[9]。
- 阿見松ノ介 - 商業映画、オリジナルビデオ監督。名字の「阿見」はアラン・スミシーの省略という。
派生的用例
[編集]- イニシエーション・ラブ(2015年)
- 堤幸彦監督の日本映画。乾くるみの同名小説が原作。
- 公開前発表されたメインキャストのうち、シークレット・キャストとみられる者のクレジットが「亜蘭澄司」とされた[10]。
- ワイルドアームズシリーズ
- 作品の一部にて「アラン・スミシー」という名称が「出自の分からないどこかの渡り鳥(冒険者)」を指す言葉として使われている。
- ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE
- 作中に出てくる架空の国「ジランバ共和国」の工作員がアラン・スミシーを名乗る。声優は、俳優の内野聖陽が務めた。
参考事例:名義の不表記
[編集]- アマルフィ 女神の報酬 - 「脚本」のクレジットなしで公開された日本映画。実際に脚本を手がけた2人がいずれも名前を出すのを拒んだことによるが、日本シナリオ作家協会から脚本家軽視として抗議を受けた[11][12]。
- 黒い看護婦 - フジテレビジョン系列で放映されたテレビドラマ。放映枠移動の関係で、完成時92分の作品が74分に縮められた。これに抗議した監督の平山秀幸は氏名のクレジットを拒否、エンドロールでは平山ほか撮影クルーの氏名が各人の希望によりノンクレジットとなった[13][14]。
- 真ゲッターロボ 世界最後の日 - 全13話からなるOVA作品であるが、第1話から第3話に監督のクレジットがない(第4話からは川越淳が監督となっている)。製作発表時には今川泰宏が監督とされており、クレジットがない理由は公表されていない。
参考事例:同様の事態における「アラン・スミシー」以外の偽名
[編集]- ふしぎの海のナディア(1991年)
- 第34話 作画監督 「空母そ・そ・そ・そ」を始め、原画担当者全員が偽名という事態になった。
- 俺が好きなのは妹だけど妹じゃない(2018年)
- 第6話 原画 「正直困太」(しょうじきこまった)。
脚注
[編集]- ^ a b c d e L.A. Times, "Name of Director Smithee Isn't What It Used to Be"
- ^ a b c d https://www.imdb.com/name/nm0000647/bio/
- ^ a b c d 金田一「乙」彦(編) 編『オタク語事典2』(初版)美術出版社、2009年7月10日、12頁。ISBN 978-4-568-22133-6。
- ^ a b c d Braddock, Jeremy; Stephen Hock (2001). Directed by Allen Smithee. University of Minnesota Press. pp. 8-10. ISBN 081663534X
- ^ Thompson, Howard (May 10 1969). "Screen: Tough Western: 'Death of a Gunfighter' Stars Widmark" New York Times
- ^ http://notorc.blogspot.com/2006/06/almost-famous-spelvins-plinges-and.html
- ^ http://www.dga.org/news/v27_6/feat_taylor_aldrich.php3
- ^ a b “アニメ界2005年あれこれ 話題の出来事から重箱のスミまで”. WEBアニメスタイル. スタジオ雄 (2005年12月28日). 2013年9月21日閲覧。
- ^ 阿蘭澄史
- ^ “イニシエーション・ラブ:新ビジュアルに謎のキャスト“アラン・スミシー””. MANTANWEB. (2015年2月10日) 2015年2月11日閲覧。
- ^ “脚本家名ない「アマルフィ」に作家協会抗議”. 読売新聞. (2009年7月17日). オリジナルの2009年7月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「脚本家名ない」作家協会が抗議 映画「アマルフィ」”. 朝日新聞. (2009年7月21日). オリジナルの2014年1月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “フジテレビ「黒い看護婦」で有名監督がクレジット拒否!”. 週刊文春Web (2015年2月18日). 2015年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月7日閲覧。
- ^ “「黒い看護婦」騒動でフジが非を認める”. DAILY SPORTS ONLINE: p. 2. (2015年2月27日) 2015年9月7日閲覧。
関連項目
[編集]- ジョージ・スペルヴィン - アメリカの演劇界隈で用いられる偽名、名前を伏せたい出演者の名義としてクレジットされる
- ウォルター・プリンジ - 同様に19世紀イギリスの演劇界隈で用いられた偽名
外部リンク
[編集]- Alan Smithee - IMDb (アラン・スミシーの監督した映画のリスト)
- アラン・スミシーがクレジットされたミュージック・ビデオ一覧
- Directed by Allen Smithee, a 2001 book (ISBN 0-8166-3534-X) about the director and auteur theory in general.