コンテンツにスキップ

「水田章雄」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Maeto777 (会話 | 投稿記録)
Monfident (会話) による ID:50763458 の版を取り消し
編集の要約なし
 
(6人の利用者による、間の12版が非表示)
1行目: 1行目:
{{BLP unsourced|date=2012年12月12日 (水) 03:41 (UTC)}}
{{存命人物の出典皆無|date=2012年12月12日 (水) 03:41 (UTC)}}
{{Infobox baseball player
{{Infobox baseball player
|選手名 = 水田 章雄
|選手名 = 水田 章雄
20行目: 20行目:
|最終出場 = 2010年8月15日
|最終出場 = 2010年8月15日
|年俸 =
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
|経歴 =
* [[清教学園中学校・高等学校|清教学園高等学校]]
* [[清教学園中学校・高等学校|清教学園高等学校]]
* [[立命館大学]]
* [[立命館大学硬式野球部|立命館大学]]
* [[大和銀行]]
* [[大和銀行]]
* [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス<br />福岡ソフトバンクホークス]] (1999 - 2010)
* [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス<br />福岡ソフトバンクホークス]] (1999 - 2010)
30行目: 30行目:
|選出方法 =
|選出方法 =
}}
}}
'''水田 章雄'''(みずた あきお、[[1973年]][[7月11日]] - )は、[[大阪府]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。2011年度より[[福岡ソフトバンクホークス]]の[[打撃投手]]
'''水田 章雄'''(みずた あきお、[[1973年]][[7月11日]] - )は、[[大阪府]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。2011年度より[[福岡ソフトバンクホークス]]の球団スタッフ


== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
=== プロ入り前 ===
[[清教学園中学校・高等学校|清教学園高校]]3年時の夏の大阪府大会では、4回戦で[[中村紀洋]]のいる[[大阪府立渋谷高等学校|渋谷高]]に敗れている。[[立命館大学]]では38回連続無失点を記録。リーグ戦通算5勝2敗。社会人野球の[[大和銀行]]を経て[[1998年]]の[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]5位指名を受け[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に入団した。
[[清教学園中学校・高等学校|清教学園高校]]3年時の夏の大阪府大会では、4回戦で[[中村紀洋]]のいる[[大阪府立渋谷高等学校]]に敗れている。[[立命館大学硬式野球部|立命館大学]]では38回連続無失点を記録。リーグ戦通算5勝2敗。社会人野球の[[大和銀行]]では[[パナソニック野球部|松下電器]]の補強選手で[[第68回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]に出場し、[[1998年]]の[[第25回社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]では救援して勝利投手<ref>[https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/jaba-image-bucket/wp-content/uploads/2020/02/04101955/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA%E9%87%8E%E7%90%83%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E5%A4%A7%E4%BC%9A40%E5%B9%B4%E5%8F%B2.pdf - 社会人野球日本選手権大会40年史]</ref>。[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1998年ドラフト]]5位指名を受け[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に入団した。


[[後藤光貴]](元[[埼玉西武ライオンズ|西武]]、[[読売ジャイアンツ|巨人]])は社会人時代の同期であるが、同一社会人チームからは事前の了承を得ないと複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、同じく1998年のドラフト会議で西武から指名される予定だった後藤が、水田が先に指名を受けたためプロ入りできないという事件があった。後藤は翌[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1999年のドラフト会議]]で西武の指名を受けてプロ入りしている。
[[後藤光貴]](元[[埼玉西武ライオンズ|西武]]、[[読売ジャイアンツ|巨人]])は社会人時代の同期であるが、同一社会人チームからは事前の了承を得ないと複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、同じく1998年のドラフト会議で西武から指名される予定だった後藤が、水田が先に指名を受けたためプロ入りできないという事件があった。後藤は翌[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1999年のドラフト会議]]で西武の指名を受けてプロ入りしている。


=== プロ入り後 ===
=== プロ入り後 ===
1年目の[[1999年]]から初登板を果たし、[[7月11日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦で初先発初勝利を挙げた。[[2000年]]は主に火消し役として登板し、[[防御率]]2.76という活躍を見せた。2001年は低迷していたが、[[2002年]]には相次ぐ[[先発投手]]の離脱で1軍復帰。即先発を任される。結局6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62とプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の[[先発ローテーション]]入りに名乗りを挙げた。しかし、[[2003年]]は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。
[[1999年]]から初登板を果たし、[[7月11日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦で初先発初勝利を挙げた。
[[2000年]]は主に火消し役として登板し、[[防御率]]2.76という活躍を見せた。
[[2002年]]には相次ぐ[[先発投手]]の離脱で1軍復帰。即先発を任される。結局6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62とプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の[[先発ローテーション]]入りに名乗りを挙げた。
[[2003年]]は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。


[[2004年]]、抑え投手の不在から開幕直後から抑え役に抜擢されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3[[セーブ]]を挙げるに留まった。その後新人の[[三瀬幸司]]が抑えに定着し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送る。同年[[10月21日]]、翌[[2005年]][[5月26日]]には相次いで右ヒジ遊離軟骨除去[[手術]]を行い、2005年は一軍登板無しに終わる。
[[2004年]]、抑え投手の不在から開幕直後から抑え役に抜擢されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3[[セーブ]]を挙げるに留まった。その後新人の[[三瀬幸司]]が抑えに定着し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送る。同年[[10月21日]]、翌[[2005年]][[5月26日]]には相次いで右ヒジ遊離軟骨除去[[手術]]を行い、2005年は一軍登板無しに終わる。
51行目: 57行目:
[[2010年]]は、[[甲藤啓介]]や[[森福允彦]]らの台頭もあり、14試合の登板、防御率7.62に終わり、[[10月1日]]に[[戦力外通告]]を受けた。
[[2010年]]は、[[甲藤啓介]]や[[森福允彦]]らの台頭もあり、14試合の登板、防御率7.62に終わり、[[10月1日]]に[[戦力外通告]]を受けた。


引退後はホークスの打撃投手に就任した。
引退後はホークスの打撃投手に就任した。その後も球団スタッフを務める


== 選手としての特徴 ==
== プレースタイル ==
最高150km/hの速球のほかに、[[カーブ (球種)|カーブ]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[シュート (球種)|シュート]]が持ち球。
最高150km/hの速球のほかに、[[カーブ (球種)|カーブ]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[シュート (球種)|シュート]]が持ち球。


109行目: 115行目:
=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
* '''44''' (1999年 - 2010年)
* '''44''' (1999年 - 2010年)
* '''106''' (2011年 - )
* '''106''' (2011年 - 2013年


== 脚注 ==
== 脚注 ==
120行目: 126行目:


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{NPB|91293888}}
{{MLBstats |cube=Akio-Mizuta |brm=mizuta001aki}}
* [http://www.mizuta44.com/ 水田章雄公式サイト]
* [http://www.mizuta44.com/ 水田章雄公式サイト]



2024年3月22日 (金) 07:05時点における最新版

水田 章雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府南河内郡河南町
生年月日 (1973-07-11) 1973年7月11日(50歳)
身長
体重
182 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト5位
初出場 1999年6月23日
最終出場 2010年8月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

水田 章雄(みずた あきお、1973年7月11日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手投手)。2011年度より福岡ソフトバンクホークスの球団スタッフ。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

清教学園高校3年時の夏の大阪府大会では、4回戦で中村紀洋のいる大阪府立渋谷高等学校に敗れている。立命館大学では38回連続無失点を記録。リーグ戦通算5勝2敗。社会人野球の大和銀行では松下電器の補強選手で都市対抗野球に出場し、1998年日本選手権では救援して勝利投手[1]1998年ドラフト5位指名を受け福岡ダイエーホークスに入団した。

後藤光貴(元西武巨人)は社会人時代の同期であるが、同一社会人チームからは事前の了承を得ないと複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、同じく1998年のドラフト会議で西武から指名される予定だった後藤が、水田が先に指名を受けたためプロ入りできないという事件があった。後藤は翌1999年のドラフト会議で西武の指名を受けてプロ入りしている。

プロ入り後[編集]

1999年から初登板を果たし、7月11日日本ハム戦で初先発初勝利を挙げた。

2000年は主に火消し役として登板し、防御率2.76という活躍を見せた。

2002年には相次ぐ先発投手の離脱で1軍復帰。即先発を任される。結局6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62とプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の先発ローテーション入りに名乗りを挙げた。

2003年は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。

2004年、抑え投手の不在から開幕直後から抑え役に抜擢されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3セーブを挙げるに留まった。その後新人の三瀬幸司が抑えに定着し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送る。同年10月21日、翌2005年5月26日には相次いで右ヒジ遊離軟骨除去手術を行い、2005年は一軍登板無しに終わる。

2007年、投手陣に不調や離脱が相次いだことで先発、中継ぎとしてフル回転。シーズン中盤以降はリリーフエースに定着し、20ホールドポイントを記録。プロ入り最多の45試合に投げ、防御率2.25という好成績を残した。

2008年は故障により中盤まで2軍暮らしが続き、8月17日に1軍昇格。15試合の登板にとどまった。

2009年はシーズン通して中継ぎとして働き、防御率3.19、11ホールドポイントと安定した成績をあげた。

2010年は、甲藤啓介森福允彦らの台頭もあり、14試合の登板、防御率7.62に終わり、10月1日戦力外通告を受けた。

引退後はホークスの打撃投手に就任した。その後も球団スタッフを務める。

選手としての特徴[編集]

最高150km/hの速球のほかに、カーブスライダーフォークシュートが持ち球。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1999 ダイエー
ソフトバンク
15 3 0 0 0 1 2 0 -- .333 151 32.2 38 2 19 1 0 28 0 0 21 19 5.23 1.74
2000 14 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 121 29.1 28 3 7 0 0 27 5 0 13 9 2.76 1.19
2001 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 22 5.0 6 0 1 0 0 3 0 0 3 3 5.40 1.40
2002 6 5 2 0 0 3 0 0 -- 1.000 143 34.1 30 5 12 0 0 25 2 0 10 10 2.62 1.22
2003 15 5 0 0 0 1 3 0 -- .250 210 43.0 50 8 29 0 3 29 1 0 36 33 6.91 1.84
2004 14 0 0 0 0 3 3 3 -- .500 92 18.2 28 1 11 1 0 10 1 0 12 10 4.82 2.09
2006 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 29 6.2 9 2 2 0 0 2 1 0 4 4 5.40 1.65
2007 45 6 0 0 0 5 3 0 19 .625 292 72.0 68 6 17 3 5 44 1 0 23 18 2.25 1.18
2008 15 0 0 0 0 0 2 0 7 .000 67 14.2 18 3 5 1 1 6 0 0 12 11 6.75 1.57
2009 46 0 0 0 0 3 0 0 8 1.000 184 42.1 49 3 12 1 0 22 2 0 16 15 3.19 1.44
2010 14 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 69 13.0 22 1 5 0 2 6 0 0 14 11 7.62 2.08
通算:11年 190 19 2 0 0 16 13 3 35 .552 1380 311.2 346 34 120 7 11 202 13 0 164 143 4.13 1.50
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 44 (1999年 - 2010年)
  • 106 (2011年 - 2013年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]