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[[1948年]]、[[松竹]]に入社。[[浜村義康]]に師事し、[[小津安二郎]]監督作品などの編集助手を務め、[[1958年]]『[[人間の條件 (映画)|人間の條件]]』([[小林正樹]]監督)で編集技師となる。[[1969年]]、[[松竹]]を退社。その後も、フリーの技師として精力的に幅広い作品を担当する。[[1989年]]には『[[帝都物語]]』([[実相寺昭雄]]監督)、『[[優駿 ORACION]]』([[杉田成道]]監督)で[[第12回日本アカデミー賞]]優秀編集賞を受賞。


日本映画編集協会(現・協同組合[[日本映画テレビ編集協会]])の設立にも尽力し、初代編集協会理事長を務めた。
日本映画編集協会(現・協同組合[[日本映画テレビ編集協会]])の設立にも尽力し、初代編集協会理事長を務めた。また、[[日本映画学校]]に於いて多数の後進の育成に努めた。
また、[[日本映画学校]]に於いて多数の後進の育成に努めた。


[[日本映画批評家大賞]]では、第19回より編集技師を表彰する「浦岡敬一賞」を創設している。
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* 『[[バラ色の二人]]』(1967年)
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* 『[[惜春 (1967年の映画)|惜春]]』(1967年)
* 『[[惜春 (1967年の映画)|惜春]]』(1967年)
* 『[[忍者武芸]]』(1967年)
* 『[[忍者武芸]]』(1967年)
* 『[[レッツゴー!高校レモン娘]]』(1967年)
* 『[[レッツゴー!高校レモン娘]]』(1967年)
* 『[[帰って来たヨッパライ]]』(1968年)
* 『[[帰って来たヨッパライ]]』(1968年)
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* 『[[儀式 (映画)|儀式]]』(1971年)
* 『[[儀式 (映画)|儀式]]』(1971年)
* 『[[黒の斜面#映画|黒の斜面]]』(1971年)
* 『[[黒の斜面#映画|黒の斜面]]』(1971年)
* 『[[曼陀羅 (映画)|曼陀羅]]』(1971年)
* 『[[曼陀羅 (1971年の映画)|曼陀羅]]』(1971年)
* 『[[軍旗はためく下に]]』(1972年)
* 『[[軍旗はためく下に]]』(1972年)
* 『[[空、みたか?]]』(1972年)
* 『[[空、みたか?]]』(1972年)
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* 『[[喜劇 黄綬褒章]]』(1973年)
* 『[[喜劇 黄綬褒章]]』(1973年)
* 『[[あさき夢みし]]』(1974年)
* 『[[あさき夢みし]]』(1974年)
* 『[[冒険者たち]]』(1975年)
* 『[[冒険者たち (1975年の映画)|冒険者たち]]』(1975年)
* 『[[化石 (四騎の会ドラマシリーズ)|化石]]』(1975年)
* 『[[化石 (四騎の会ドラマシリーズ)|化石]]』(1975年)
* 『[[十六歳の戦争]]』(1976年)
* 『[[十六歳の戦争]]』(1976年)
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== 出典・参考文献 ==
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==関連項目==
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* [[宮島竜治]]


== 外部リンク ==
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2024年3月25日 (月) 09:32時点における最新版

うらおか けいいち
浦岡 敬一
生年月日 (1930-05-04) 1930年5月4日
没年月日 (2008-11-24) 2008年11月24日(78歳没)
出生地 日本の旗 日本 静岡県
職業 編集技師
ジャンル 映画
主な作品
馬鹿まるだし』ほか
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀編集賞
帝都物語』『優駿 ORACION』(1988年)
その他の賞
日本映画批評家大賞
特別功労賞(増淵健賞)(2008年)
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浦岡 敬一(うらおか けいいち、1930年5月4日 - 2008年11月24日)は日本編集技師

経歴

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1948年松竹に入社。浜村義康に師事し、小津安二郎監督作品などの編集助手を務め、1958年人間の條件』(小林正樹監督)で編集技師となる。1969年松竹を退社。その後も、フリーの技師として精力的に幅広い作品を担当する。1989年には『帝都物語』(実相寺昭雄監督)、『優駿 ORACION』(杉田成道監督)で第12回日本アカデミー賞優秀編集賞を受賞。

日本映画編集協会(現・協同組合日本映画テレビ編集協会)の設立にも尽力し、初代編集協会理事長を務めた。また、日本映画学校に於いて多数の後進の育成に努めた。

日本映画批評家大賞では、第19回より編集技師を表彰する「浦岡敬一賞」を創設している。

主な作品

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映画

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出典・参考文献

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関連項目

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外部リンク

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