コンテンツにスキップ

「サンティアゴ・ソラーリ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(7人の利用者による、間の8版が非表示)
20行目: 20行目:
|ユース年1=1994|ユースクラブ1={{Flagicon|USA}} [[ストックトン・ユニバーシティ|リチャード・ストックトン・カレッジ]]
|ユース年1=1994|ユースクラブ1={{Flagicon|USA}} [[ストックトン・ユニバーシティ|リチャード・ストックトン・カレッジ]]
|ユース年2=1994-1995|ユースクラブ2={{Flagicon|ARG}} [[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]
|ユース年2=1994-1995|ユースクラブ2={{Flagicon|ARG}} [[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]
|ユース年3=1995-1996|ユースクラブ3={{Flagicon|ARG}} [[クブ・レナト・セサリニ|レナト・セサリニ]]
|ユース年3=1995-1996|ユースクラブ3={{Flagicon|ARG}} [[クブ・レナト・セサリニ|レナト・セサリニ]]
|年1=1996-1998|クラブ1={{Flagicon|ARG}} [[CAリーベル・プレート|リーベル・プレート]]|出場1=67|得点1=13
|年1=1996-1998|クラブ1={{Flagicon|ARG}} [[CAリーベル・プレート|リーベル・プレート]]|出場1=67|得点1=13
|年2=1998-2000|クラブ2={{Flagicon|ESP}} [[アトレティコ・マドリード]]|出場2=46|得点2=7
|年2=1998-2000|クラブ2={{Flagicon|ESP}} [[アトレティコ・マドリード]]|出場2=46|得点2=7
33行目: 33行目:
|監督年2=2016-2018|監督チーム2={{Flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード・カスティージャ|レアル・マドリードB]]
|監督年2=2016-2018|監督チーム2={{Flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード・カスティージャ|レアル・マドリードB]]
|監督年3=2018-2019|監督チーム3={{Flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]]
|監督年3=2018-2019|監督チーム3={{Flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]]
|監督年4=2020-2022|監督チーム4={{Flagicon|MEX}} [[クラブ・アメリカ]]
}}
}}
'''サンティアゴ・エルナン・ソラーリ・ポッジオ'''(Santiago Hernán Solari Poggio, [[1976年]][[10月7日]] - )は、[[アルゼンチン]]・[[サンタフェ州]][[ロサリオ]]出身の元[[プロサッカー選手|サッカー選手]]、現サッカー指導者。選手時代のポジションは[[ミッドフィールダー]]。
'''サンティアゴ・エルナン・ソラーリ・ポッジオ'''(Santiago Hernán Solari Poggio, [[1976年]][[10月7日]] - )は、[[アルゼンチン]]・[[サンタフェ州]][[ロサリオ]]出身の元[[プロサッカー選手|サッカー選手]]、現サッカー指導者。選手時代のポジションは[[ミッドフィールダー]]。現在は、レアル・マドリードのフットボール・ディレクター職にある


== 経歴 ==
== 経歴 ==
===選手時代===
===選手時代===
生まれ故郷の[[ロサリオ]]から、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の{{仮リンク|ストックトン・ユニバーシティ|label=リチャード・ストックトン・カレッジ|en|Stockton University}}に渡り、1996年に[[CAリーベル・プレート]]に移籍し、プロデビューを果たす<ref>[http://www.google.com/url?sa=t&source=web&ct=res&cd=1&ved=0CAcQFjAA&url=http%3A%2F%2Fintraweb.stockton.edu%2Feyos%2Fathletics%2Fcontent%2Fdocs%2Fmens%2520soccer%2520guide.pdf&ei=RAYKS-KYFoatlAexqLyFBA&usg=AFQjCNGg0WUXaCOnz5M-nWeZTCZ5iI4gLA&sig2=eiPDwJ6Ul3nHCq1nc2-3Wg Stockton Ospreys Men's Soccer 2010]Google.com</ref>。3シーズン後の1998年にスペイン・[[リーガ・エスパニョーラ]]の[[アトレティコ・マドリード]]に移籍した。1999-2000シーズン終了後に[[セグンダ・ディビシオン]](2部)降格が決定し、ライバルの[[レアル・マドリード]]に移籍した。2000-01シーズンはコンディションを整えるのに苦労したが、2001-02シーズンには立ち位置を確立し、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]での成功に大きな役割を果たした。2002-03シーズンは控えに降格したがしかし、加入してふたつめのリーグタイトル獲得を助けた。2003-04シーズンはレギュラーに復帰したが、リーグ戦4位という失望のシーズンとなり、[[コパ・デル・レイ]]やUEFAチャンピオンズリーグでも優勝を逃した。2004-05シーズン中にはクラブとの契約を延長した。レアル・マドリード時代にはセンターハーフ、オフェンシブハーフ、ディフェンシブハーフ、左サイドハーフと中盤のあらゆるポジションをこなしただけでなく、左サイドバックや左ウイングとして出場したこともあった。
生まれ故郷の[[ロサリオ]]から、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の{{仮リンク|ストックトン・ユニバーシティ|label=リチャード・ストックトン・カレッジ|en|Stockton University}}に渡り、1996年に[[CAリーベル・プレート]]に移籍し、プロデビューを果たす<ref>[https://intraweb.stockton.edu/eyos/athletics/content/docs/mens%20soccer%20guide.pdf Stockton Ospreys Men's Soccer 2010] Google.com</ref>。3シーズン後の1998年にスペイン・[[プリメーラ・ディビシオン|リーガ・エスパニョーラ]]の[[アトレティコ・マドリード]]に移籍した。1999-2000シーズン終了後に[[セグンダ・ディビシオン]](2部)降格が決定し、ライバルの[[レアル・マドリード]]に移籍した。2000-01シーズンはコンディションを整えるのに苦労したが、2001-02シーズンには立ち位置を確立し、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]での成功に大きな役割を果たした。2002-03シーズンは控えに降格したがしかし、加入してふたつめのリーグタイトル獲得を助けた。2003-04シーズンはレギュラーに復帰したが、リーグ戦4位という失望のシーズンとなり、[[コパ・デル・レイ]]やUEFAチャンピオンズリーグでも優勝を逃した。2004-05シーズン中にはクラブとの契約を延長した。レアル・マドリード時代にはセンターハーフ、オフェンシブハーフ、ディフェンシブハーフ、左サイドハーフと中盤のあらゆるポジションをこなしただけでなく、左サイドバックや左ウイングとして出場したこともあった。


2005年夏、イタリア・[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ]]と3年契約を結び、2005-06シーズンには[[コッパ・イタリア]]優勝とセリエAの3連覇に貢献した。2008年6月30日にインテルとの契約が満了し、アルゼンチンの[[CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ]]と1年契約を結んだ。サン・ロレンソとの契約が満了した後の2009年7月15日、フリートランスファーでメキシコの[[アトランテFC]]に移籍した。2010年8月30日、やはりフリートランスファーでウルグアイの[[CAペニャロール]]と1年契約を結び、翌年の2011年に現役引退。
2005年夏、イタリア・[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ]]と3年契約を結び、2005-06シーズンには[[コッパ・イタリア]]優勝とセリエAの3連覇に貢献した。2008年6月30日にインテルとの契約が満了し、アルゼンチンの[[CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ]]と1年契約を結んだ。サン・ロレンソとの契約が満了した後の2009年7月15日、フリートランスファーでメキシコの[[アトランテFC]]に移籍した。2010年8月30日、やはりフリートランスファーでウルグアイの[[CAペニャロール]]と1年契約を結び、翌年の2011年に現役引退。


===指導者時代===
===指導者時代===
2013年から古巣である[[レアル・マドリード]]の下部組織で指導者となり、2014-15シーズンからは下部組織のカテゴリーの1つであるカデテA(U-16)の監督に就任した<ref>[http://www.realmadrid.com/ja/news/2014/07/the-youth-academy-managers カンテラチームの監督たち]realmadrid.com</ref>。2015-16シーズン、フベニールA (U-19) 監督だった{{仮リンク|ルイス・ミゲル・ラミス|es|Luis Miguel Ramis}}の[[レアル・マドリード・カスティージャ]]昇格に伴い、フベニールAの監督に昇格した<ref>[http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2016/01/05/18990352/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8A%A9%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%99%82%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%81%AFu-19%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AEa%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%92%E6%8C%87%E6%8F%AE マドリー、ジダンの助監督となることが噂されたソラーリはU-19年代のAチームを指揮] Goal.com、2016年1月5日</ref>。2016-2017シーズンより退任したルイス・ミゲル・ラミスの後任として[[レアル・マドリード・カスティージャ]]の監督に昇格。
2013年から古巣である[[レアル・マドリード]]の下部組織で指導者となり、2014-15シーズンからは下部組織のカテゴリーの1つであるカデテA(U-16)の監督に就任した<ref>[http://www.realmadrid.com/ja/news/2014/07/the-youth-academy-managers カンテラチームの監督たち] realmadrid.com</ref>。2015-16シーズン、フベニールA (U-19) 監督だった[[ルイス・ミゲル・ラミス]]の[[レアル・マドリード・カスティージャ]]昇格に伴い、フベニールAの監督に昇格した<ref>[http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2016/01/05/18990352/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8A%A9%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%99%82%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%81%AFu-19%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AEa%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%92%E6%8C%87%E6%8F%AE マドリー、ジダンの助監督となることが噂されたソラーリはU-19年代のAチームを指揮] Goal.com、2016年1月5日</ref>。2016-2017シーズンより退任したルイス・ミゲル・ラミスの後任として[[レアル・マドリード・カスティージャ]]の監督に昇格。


2018年10月29日、トップチームの監督であった[[フレン・ロペテギ]]が成績不振により解任、後任が決まっていなかったことから暫定監督に昇格した。リーガ・エスパニョーラを主催する[[スペインサッカー連盟]]は次期監督選定の猶予期間を2週間と定めているため、クラブ側は[[アントニオ・コンテ]]など複数の候補者の招聘に動いていたとされるが、その間にトップチームを率いたソラーリは初戦の[[コパ・デルレイ]]4回戦の対[[UDメリリャ]]戦の快勝に始まり、リーグ戦第11節の対[[レアル・バリャドリード]]戦、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の対[[FCヴィクトリア・プルゼニ]]戦で3試合連続完封勝利に導き、就任以来、3試合連続完封勝利を達成したのは1957年の[[ルイス・カルニグリア]]監督以来で61年ぶりの快挙となった。2週間の期限が迫ったリーグ第12節の対[[セルタ・デ・ビーゴ]]戦も無失点記録途絶えたが勝利して就任以来、4戦全勝を達成し、首脳陣もこの成績を高く評価して、11月13日、正式に監督に就任した<ref>{{Cite web|url=https://www.realmadrid.com/ja/news/2018/11/official-announcement-solari|title=公式声明:ソラーリ|accessdate=2018-12-06|date=2018-11-13|website=Real Madrid C.F. - Web Oficial|publisher=|language=}}</ref>。以降は[[フランシスコ・ロマン・アラルコン|イスコ]]、[[マルセロ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ・ジュニオル|マルセロ]]、[[ケイロル・ナバス]]、[[ガレス・ベイル]]ら、前任者の[[ジネディーヌ・ジダ]]時代の主力を先発から外したことで、確執が報じられながら、[[ヴィニシウス・ジョゼ・パイション・デ・オリヴェイラ・ジュニオール|ヴィニシウス・ジュニオール]][[セルヒオ・レギロン]]ら若手の起用によりチームを立て直し、一時はリーグ2位に浮上し、首位[[FCバルセロナ|バルセロナ]]に勝ち点6差に詰め寄ったが、2019年2月16日の第24節の対[[ジローナFC]]戦の敗戦から宿敵バルセロナに二連敗(リーグ第26節および[[コパ・デル・レイ]]準決勝)を喫し、このショックを抱えたまま臨んだ[[UEFAチャンピオンズリーグ]]ベスト16の対[[アヤックス・アムステルダム|アヤックス]]戦では第一戦で勝利を収めながら、ホームの第二戦で1-4(2試合合計3-5)の逆転負けを喫して今季の無冠が決定的となったことから3月11日、成績不振により解任が発表された<ref>{{Cite web|url=https://www.realmadrid.com/ja/news/2019/03/official-announcement|title=公式声明|accessdate=2019-3-11|date=2019-3-11|website=Real Madrid C.F. - Web Oficial|publisher=|language=}}</ref>。
2018年10月29日、トップチームの監督であった[[フレン・ロペテギ]]が成績不振により解任、後任が決まっていなかったことから暫定監督に昇格した。リーガ・エスパニョーラを主催する[[スペインサッカー連盟]]は次期監督選定の猶予期間を2週間と定めているため、クラブ側は[[アントニオ・コンテ]]など複数の候補者の招聘に動いていたとされるが、その間にトップチームを率いたソラーリは初戦の[[コパ・デルレイ]]4回戦の対[[UDメリリャ]]戦の快勝に始まり、リーグ戦第11節の対[[レアル・バリャドリード]]戦、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の対[[FCヴィクトリア・プルゼニ]]戦で3試合連続完封勝利に導き、就任以来、3試合連続完封勝利を達成したのは1957年の[[ルイス・カルニグリア]]監督以来で61年ぶりの快挙となった。2週間の期限が迫ったリーグ第12節の対[[セルタ・デ・ビーゴ]]戦も無失点記録こそ途絶えたが勝利して就任以来、4戦全勝を達成し、首脳陣もこの成績を高く評価して、11月13日、正式に監督に就任した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.realmadrid.com/ja/news/2018/11/official-announcement-solari|title=公式声明:ソラーリ|accessdate=2018-12-06|date=2018-11-13|website=Real Madrid C.F. - Web Oficial|publisher=|language=}}</ref>。以降は[[フランシスコ・ロマン・アラルコン|イスコ]]、[[マルセロ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ・ジュニオル|マルセロ]]、[[ケイロル・ナバス]]、[[ガレス・ベイル]]らベテランを先発から外したことで、確執が報じられながら、[[ヴィニシウス・ジョゼ・パイション・デ・オリヴェイラ・ジュニオール|ヴィニシウス・ジュニオール]][[セルヒオ・レギロン]]ら若手の起用によりチームを立て直し、一時はリーグ2位に浮上し、首位[[FCバルセロナ|バルセロナ]]に勝ち点6差に詰め寄ったが、2019年2月16日の第24節の対[[ジローナFC]]戦の敗戦から宿敵バルセロナに二連敗(リーグ第26節および[[コパ・デル・レイ]]準決勝)を喫し、このショックを抱えたまま臨んだ[[UEFAチャンピオンズリーグ]]ベスト16の対[[アヤックス・アムステルダム|アヤックス]]戦では第一戦で勝利を収めながら、ホームの第二戦で1-4(2試合合計3-5)の逆転負けを喫して今季の無冠が決定的となったことから3月11日、解任が発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.realmadrid.com/ja/news/2019/03/official-announcement|title=公式声明|accessdate=2019-3-11|date=2019-3-11|website=Real Madrid C.F. - Web Oficial|publisher=|language=}}</ref>。

2020年12月29日、メキシコの[[クラブ・アメリカ]]の監督就任が発表された<ref>[https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=388379 元マドリー指揮官のソラーリ氏がクラブ・アメリカの新指揮官に就任!] 超WORLDサッカー!、2020年12月30日</ref>。2022年3月、成績不振を理由に解任。

2022年11月、古巣レアル・マドリードのフットボールディレクターに就任したことが報じられている<ref>[https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=430550 ソラーリがレアルに復帰?2019年に監督を解任もFDとして復職か、スタンドで目撃される] 超WORLDサッカー!、2022年11月13日</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==
59行目: 64行目:


; レアル・マドリード
; レアル・マドリード
* [[リーガ・エスパニョーラ]] (2) : [[リーガ・エスパニョーラ2000-2001|2000-01]], [[リーガ・エスパニョーラ2002-2003|2002-03]]
* [[プリメーラ・ディビシオン|リーガ・エスパニョーラ]] (2) : [[リーガ・エスパニョーラ2000-2001|2000-01]], [[リーガ・エスパニョーラ2002-2003|2002-03]]
* [[UEFAチャンピオンズリーグ]] (1) : [[UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02|2001-02]]
* [[UEFAチャンピオンズリーグ]] (1) : [[UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02|2001-02]]
* [[UEFAスーパーカップ]] (1) : 2002
* [[UEFAスーパーカップ]] (1) : 2002
112行目: 117行目:


=== 代表での年別出場試合数 ===
=== 代表での年別出場試合数 ===
<ref>[http://www.national-football-teams.com/v2/player.php?id=338 Solari, Santiago]National Football Teams</ref>
<ref>[http://www.national-football-teams.com/v2/player.php?id=338 Solari, Santiago] National Football Teams</ref>
{{サッカー代表個人成績|アルゼンチン|1}}
{{サッカー代表個人成績|アルゼンチン|1}}
|-
|-
143行目: 148行目:
{{FIFAクラブワールドカップ優勝監督}}
{{FIFAクラブワールドカップ優勝監督}}
{{レアル・マドリード歴代監督}}
{{レアル・マドリード歴代監督}}

{{DEFAULTSORT:そらあり さんていあこ}}
{{DEFAULTSORT:そらあり さんていあこ}}
[[Category:アルゼンチンのサッカー選手]]
[[Category:アルゼンチンのサッカー選手]]

2024年3月25日 (月) 12:52時点における最新版

サンティアゴ・ソラーリ
名前
本名 サンティアゴ・エルナン・ソラーリ・ポッジオ
Santiago Hernán Solari Poggio
愛称 El Indiecito (インディエシート、インド人)
ラテン文字 Santiago SOLARI
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1976-10-07) 1976年10月7日(47歳)
出身地 ロサリオ
身長 185cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
1994 アメリカ合衆国の旗 リチャード・ストックトン・カレッジ
1994-1995 アルゼンチンの旗 ニューウェルズ・オールドボーイズ
1995-1996 アルゼンチンの旗 レナート・セサリーニ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1998 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 67 (13)
1998-2000 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 46 (7)
2000-2005 スペインの旗 レアル・マドリード 131 (10)
2005-2008 イタリアの旗 インテル・ミラノ 39 (4)
2008-2009 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ 26 (4)
2009-2010 メキシコの旗 アトランテ 33 (5)
2010-2011 ウルグアイの旗 ペニャロール 9 (0)
通算 351 (43)
代表歴
1999-2004 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 11 (0)
監督歴
2013-2016 スペインの旗 レアル・マドリード (ユース)
2016-2018 スペインの旗 レアル・マドリードB
2018-2019 スペインの旗 レアル・マドリード
2020-2022 メキシコの旗 クラブ・アメリカ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

サンティアゴ・エルナン・ソラーリ・ポッジオ(Santiago Hernán Solari Poggio, 1976年10月7日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー。現在は、レアル・マドリードのフットボール・ディレクター職にある。

経歴

[編集]

選手時代

[編集]

生まれ故郷のロサリオから、アメリカリチャード・ストックトン・カレッジ英語版に渡り、1996年にCAリーベル・プレートに移籍し、プロデビューを果たす[1]。3シーズン後の1998年にスペイン・リーガ・エスパニョーラアトレティコ・マドリードに移籍した。1999-2000シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定し、ライバルのレアル・マドリードに移籍した。2000-01シーズンはコンディションを整えるのに苦労したが、2001-02シーズンには立ち位置を確立し、UEFAチャンピオンズリーグでの成功に大きな役割を果たした。2002-03シーズンは控えに降格したがしかし、加入してふたつめのリーグタイトル獲得を助けた。2003-04シーズンはレギュラーに復帰したが、リーグ戦4位という失望のシーズンとなり、コパ・デル・レイやUEFAチャンピオンズリーグでも優勝を逃した。2004-05シーズン中にはクラブとの契約を延長した。レアル・マドリード時代にはセンターハーフ、オフェンシブハーフ、ディフェンシブハーフ、左サイドハーフと中盤のあらゆるポジションをこなしただけでなく、左サイドバックや左ウイングとして出場したこともあった。

2005年夏、イタリア・セリエAインテルナツィオナーレ・ミラノと3年契約を結び、2005-06シーズンにはコッパ・イタリア優勝とセリエAの3連覇に貢献した。2008年6月30日にインテルとの契約が満了し、アルゼンチンのCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロと1年契約を結んだ。サン・ロレンソとの契約が満了した後の2009年7月15日、フリートランスファーでメキシコのアトランテFCに移籍した。2010年8月30日、やはりフリートランスファーでウルグアイのCAペニャロールと1年契約を結び、翌年の2011年に現役引退。

指導者時代

[編集]

2013年から古巣であるレアル・マドリードの下部組織で指導者となり、2014-15シーズンからは下部組織のカテゴリーの1つであるカデテA(U-16)の監督に就任した[2]。2015-16シーズン、フベニールA (U-19) 監督だったルイス・ミゲル・ラミスレアル・マドリード・カスティージャ昇格に伴い、フベニールAの監督に昇格した[3]。2016-2017シーズンより退任したルイス・ミゲル・ラミスの後任としてレアル・マドリード・カスティージャの監督に昇格。

2018年10月29日、トップチームの監督であったフレン・ロペテギが成績不振により解任、後任が決まっていなかったことから暫定監督に昇格した。リーガ・エスパニョーラを主催するスペインサッカー連盟は次期監督選定の猶予期間を2週間と定めているため、クラブ側はアントニオ・コンテなど複数の候補者の招聘に動いていたとされるが、その間にトップチームを率いたソラーリは初戦のコパ・デルレイ4回戦の対UDメリリャ戦の快勝に始まり、リーグ戦第11節の対レアル・バリャドリード戦、UEFAチャンピオンズリーグの対FCヴィクトリア・プルゼニ戦で3試合連続完封勝利に導き、就任以来、3試合連続完封勝利を達成したのは1957年のルイス・カルニグリア監督以来で61年ぶりの快挙となった。2週間の期限が迫ったリーグ第12節の対セルタ・デ・ビーゴ戦も無失点記録こそ途絶えたが勝利して就任以来、4戦全勝を達成し、首脳陣もこの成績を高く評価して、11月13日、正式に監督に就任した[4]。以降はイスコマルセロケイロル・ナバスガレス・ベイルらベテランを先発から外したことで、確執が報じられながら、ヴィニシウス・ジュニオールセルヒオ・レギロンら若手の起用によりチームを立て直し、一時はリーグ2位に浮上し、首位バルセロナに勝ち点6差に詰め寄ったが、2019年2月16日の第24節の対ジローナFC戦の敗戦から宿敵バルセロナに二連敗(リーグ第26節およびコパ・デル・レイ準決勝)を喫し、このショックを抱えたまま臨んだUEFAチャンピオンズリーグベスト16の対アヤックス戦では第一戦で勝利を収めながら、ホームの第二戦で1-4(2試合合計3-5)の逆転負けを喫して今季の無冠が決定的となったことから3月11日、解任が発表された[5]

2020年12月29日、メキシコのクラブ・アメリカの監督就任が発表された[6]。2022年3月、成績不振を理由に解任。

2022年11月、古巣レアル・マドリードのフットボールディレクターに就任したことが報じられている[7]

人物

[編集]

現役時代の2002年には有料放送Canal+のスペイン版で最もセクシーな選手に選ばれたことがある[8]

家族

[編集]

1966 FIFAワールドカップに出場し、引退後は横浜マリノスで監督を務めたホルヘ・ソラーリは叔父である。レアル・マドリードなどに所属したフェルナンド・レドンドはサンティアゴのいとこ(ホルヘの長女)と結婚した。ベルギー、スペイン、キプロスなどでプレーしたエステバン・ソラーリは弟である。妹のリズ・ソラーリスペイン語版はモデルである。

タイトル

[編集]
リーベル・プレート
レアル・マドリード
インテル

個人成績

[編集]

クラブでの出場記録

[編集]
クラブ成績 リーグ カップ 国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点
アルゼンチン リーグカップ 南米 通算
1996-97 リーベル・プレート プリメーラ 24 2 - 1 0 25 2
1997-98 27 6 - 9 1 36 7
1998-99 16 5 - - 16 5
スペイン リーグ国王杯 ヨーロッパ 通算
1998-99 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 12 1 - 1 0 13 1
1999-00 34 6 - 7 0 41 6
2000-01 レアル・マドリード ラ・リーガ 14 4 - 10 1 24 5
2001-02 28 1 - 14 4 42 5
2002-03 28 0 - 11 0 39 0
2003-04 34 5 - 9 2 43 7
2004-05 27 3 - 5 0 32 3
イタリア リーグイタリア杯 ヨーロッパ 通算
2005-06 インテル セリエA 13 3 7 2 6 0 26 5
2006-07 21 1 5 0 4 0 30 1
2007-08 5 0 5 1 5 0 15 1
アルゼンチン リーグカップ 南米 通算
2008-09 サン・ロレンソ プリメーラ 14 3 - - 14 3
通算 アルゼンチン 81 16 - 10 1 91 17
スペイン 177 20 - 57 7 234 27
イタリア 39 4 17 3 15 0 71 7
総通算 297 40 17 3 82 8 396 51

代表での年別出場試合数

[編集]

[10]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1999 1 0
2000 1 0
2001 0 0
2002 3 0
2003 4 0
2004 2 0
通算 11 0

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]