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'''森 慎二'''(もり しんじ、[[1974年]][[9月12日]] - [[2017年]][[6月28日]])は、[[山口県]][[岩国市]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]]・右投左打)・[[プロ野球監督|監督]]・[[プロ野球コーチ|コーチ]]。
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
=== プロ入り前 ===
[[山口県立岩国工業高等学校]]卒業後、[[日鉄ステンレス山口シーガルズ|新日鐵光]]に入るが新日鐵グループ野球部の再編にい、[[日本製鉄かずさマジック|新日鐵君津]]へ転籍。{{by|1996年}}の[[第67回都市対抗野球大会]]では優秀選手賞を受賞。同年の[[1996年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]にて[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]から2位指名を受け、入団。同期入団には[[和田一浩]]がいた。
[[山口県立岩国工業高等学校]]卒業後、[[日鉄ステンレス硬式野球部|新日鐵光]]に入るが新日鐵グループ野球部の再編にともない、[[日本製鉄かずさマジック|新日鐵君津]]へ転籍した。{{by|1996年}}の[[第67回都市対抗野球大会]]では優秀選手賞を受賞した。同年の[[1996年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]][[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]から2位指名を受け、入団した。同期入団には[[和田一浩]]がいた。


=== 西武時代 ===
=== 西武時代 ===
プロ1年目の{{by|1997年}}シーズンは、プロ初登板が[[先発投手|先発]]だった。先発としては結果を残せなかったものの[[中継ぎ]]で好投したことからリリーフへ転向。後半には[[石井貴]]と入れ替わる形で[[抑え]]に抜擢され、最終的に38試合に登板し、6勝2敗9セーブを記録成績でチームの優勝に貢献。[[1997年の日本シリーズ|日本シリーズ]]にも登板。
プロ1年目の{{by|1997年}}シーズンは、プロ初登板が[[先発投手|先発]]だった。先発としては結果を残せなかったものの[[中継ぎ]]で好投したことからリリーフへ転向した。後半には[[石井貴]]と入れ替わる形で[[抑え]]に抜擢され、最終的に38試合に登板し、6勝2敗9セーブを記録成績でチームの優勝に貢献した。[[1997年の日本シリーズ|日本シリーズ]]にも登板した


{{by|1998年}}シーズンは、開幕からストッパーとして期待され起用されたものの不振で、同じく先発で不振だった[[西口文也]]と配置転換で先発登板する。中継ぎと谷間のローテーションを埋め、徐々に調子を取り戻し、52試合に登板し、8勝8敗5セーブという成績でリーグ連覇に貢献。
{{by|1998年}}シーズンは、開幕からストッパーとして期待され起用されたものの不振で、同じく先発で不振だった[[西口文也]]と配置転換で先発登板する。中継ぎと谷間のローテーションを埋め、徐々に調子を取り戻し、52試合に登板し、8勝8敗5セーブ(先発では9試合2勝3敗防御率3.68)という成績でリーグ連覇に貢献した


{{by|1999年}}シーズンは、谷間の先発や中継ぎで起用されたがムラの激しい投球が目立ち、5勝8敗と成績を落とした。
{{by|1999年}}シーズンは、谷間の先発や中継ぎで起用されたがムラの激しい投球が目立ち、5勝8敗と成績を落とした。


{{by|2000年}}シーズンは、開幕から好調でストッパーとして完全定着。自己最高の23セーブを挙げ防御率も1点台を記録する。
{{by|2000年}}シーズンは、開幕から好調でストッパーとして完全定着した。自己最高の23セーブを挙げ防御率も1点台を記録する。


{{by|2001年}}シーズンは、不調だったことからクローザーの座を[[豊田清]]に譲り、28試合の登板にとどまり、1セーブしか挙げられなかった。
{{by|2001年}}シーズンは、不調だったことからクローザーの座を[[豊田清]]に譲り、28試合の登板にとどまり、1セーブしか挙げられなかった。


{{by|2002年}}シーズンは、ストッパーの豊田に繋ぐセットアッパーとして自己最多の71試合に登板し、[[最優秀中継ぎ投手]]のタイトルを獲得。4年ぶりのリーグ優勝に貢献。
{{by|2002年}}シーズンは、ストッパーの豊田に繋ぐセットアッパーとして自己最多の71試合に登板し、[[最優秀中継ぎ投手]]のタイトルを獲得した。4年ぶりのリーグ優勝に貢献した


{{by|2003年}}シーズンも最優秀中継ぎ投手を獲得し、2年連続で同タイトルを獲得。このように森-豊田の継投はチームの[[勝利の方程式]]であった。球速のある荒れ球気味の[[速球|ストレート]]と落差のある[[フォークボール]]武器。奪三振率が非常に高く、毎年投球回を大きく上回る奪三振数を記録した。
{{by|2003年}}シーズンも最優秀中継ぎ投手を獲得し、2年連続で同タイトルを獲得した。このように森から豊田の継投はチームの[[勝利の方程式]]であった。球速のある荒れ球気味の[[速球|ストレート]]と落差のある[[フォークボール]]武器とした。奪三振率が非常に高く、毎年投球回を大きく上回る奪三振数を記録した。


{{by|2004年}}シーズンは、3年連続となる[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に出場したが、シーズンでは豊田の故障離脱時に抑えを任されることもあったが故障や不調で34試合の登板に終わり、0勝4敗4セーブ防御率も4.59と安定感を欠いてプロ初の未勝利に終わった。[[9月24日]]の[[大阪ドーム]]での[[大阪近鉄バファローズ]]との試合は近鉄にとって球団最後の本拠地での試合で西武との対戦もこれが最後だった。森は延長11回に登板するが[[星野おさむ]]にサヨナラタイムリーヒットを打たれ、敗戦投手となった。近鉄は3日後の球団最終戦では敗れているため、森は近鉄相手の最後の敗戦投手となった。
{{by|2004年}}シーズンは、3年連続となる[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に出場したが、シーズンでは豊田の故障離脱時に抑えを任されることもあったが故障や不調で34試合の登板に終わり、0勝4敗4セーブ防御率も4.59と安定感を欠いてプロ初の未勝利に終わった。[[9月24日]]の[[大阪ドーム]]での[[大阪近鉄バファローズ]]との試合は近鉄にとって球団最後の本拠地での試合で西武との対戦もこれが最後だった。森は延長11回に登板するが[[星野おさむ]]にサヨナラタイムリーヒットを打たれ、敗戦投手となった。近鉄は3日後の球団最終戦では敗れているため、森は近鉄相手の最後の敗戦投手となった。
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移籍1年目の{{by|2006年}}シーズンは右肩痛の影響で調整が遅れ、移籍後初登板を果たした[[オープン戦]]で3球目を投げたときに右肩を抱えたままうずくまり、そのまま交代となる。診断の結果、右肩を[[脱臼]]しており、全治1年を要する重傷だった。
移籍1年目の{{by|2006年}}シーズンは右肩痛の影響で調整が遅れ、移籍後初登板を果たした[[オープン戦]]で3球目を投げたときに右肩を抱えたままうずくまり、そのまま交代となる。診断の結果、右肩を[[脱臼]]しており、全治1年を要する重傷だった。


{{by|2007年}}[[1月19日]]にメジャー出場がないままデビルレイズからメジャー契約を解除される。その後マイナー契約を結ぶが{{by|2007年}}[[6月11日]]に契約を解除したと球団の公式ページにて発表された。その後国内([[西武ドーム]]・[[日本製鉄君津球場|新日鐵君津球場]]など)でリハビリをしながら、メジャー挑戦を目指していたが断念。ポスティングシステムを利用してメジャー球団から入札があってメジャー契約した日本人選手がメジャー公式戦に出場できなかった初めての例であり、メジャーリーグ傘下のマイナーリーグ公式戦にも一度も登板していない。
{{by|2007年}}[[1月19日]]にメジャー出場がないままデビルレイズからメジャー契約を解除される。その後マイナー契約を結ぶが{{by|2007年}}[[6月11日]]に契約を解除したと球団の公式ページ発表された。その後国内([[西武ドーム]]・[[日本製鉄君津球場|新日鐵君津球場]]など)でリハビリをしながら、メジャー挑戦を目指していたが断念した。ポスティングシステムを利用してメジャー球団から入札があってメジャー契約した日本人選手がメジャー公式戦に出場できなかった初めての例であり、メジャーリーグ傘下のマイナーリーグ公式戦にも一度も登板していない。


=== 独立リーグ・石川時代 ===
=== 独立リーグ・石川時代 ===
{{by|2009年}}シーズンには、[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|BCリーグ]]・[[石川ミリオンスターズ]]の選手兼任投手コーチに就任。当初はコーチのみでの発表だったが、肩の調子が良くなり現役復帰の目途が立ったため、選手兼任となった。しかし、同年の公式戦登板はなかった。[[2010年]]からは選手を一旦引退し、[[金森栄治]]の後任として監督に就任<ref>[http://www.bc-l.jp/modules/bclnews/index.php?page=article&storyid=990 新監督決定のお知らせ]</ref>。
{{by|2009年}}シーズンには、[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|BCリーグ]]・[[石川ミリオンスターズ]]の選手兼任投手コーチに就任した。当初はコーチのみでの発表だったが、肩の調子が良くなり現役復帰の目途が立ったため、選手兼任となった。しかし、同年の公式戦登板はなかった。[[2010年]]からは選手を一旦引退し、[[金森栄治]]の後任として監督に就任した<ref>[http://www.bc-l.jp/modules/bclnews/index.php?page=article&storyid=990 新監督決定のお知らせ]</ref>。


監督としては在任した5シーズン中全て前・後期のいずれかで北陸地区優勝を果たし<ref>2010~2013年の前期と2014年後期。</ref>、BCリーグチャンピオン3度(2010・2011・2013年)、さらに独立リーグチャンピオン([[グランドチャンピオンシップ (独立リーグ)|グランドチャンピオンシップ]]優勝)も2度獲得(2011・2013年)。
監督としては在任した5シーズン中全て前・後期のいずれかで北陸地区優勝し<ref>2010年 - 2013年の前期と2014年後期。</ref>、BCリーグチャンピオン3度(2010・2011・2013年)、さらに独立リーグチャンピオン([[グランドチャンピオンシップ (独立リーグ)|グランドチャンピオンシップ]]優勝)も2度獲得(2011・2013年)した


公式戦ではないが、この期間の[[2012年]]9月10日11日に行われた米独立リーグである[[ノース・アメリカン・リーグ]]所属[[マウイ・イカイカ]]との国際交流戦において、試合への登板を果たており、{{by|2013年}}[[6月7日]]、兼任監督として現役復帰することが正式に発表された<ref>[http://www.bc-l.jp/modules/bclnews/index.php?page=article&storyid=2198 選手登録のお知らせ]</ref>。
公式戦ではないが、この期間の[[2012年]]9月10日11日に行われた米独立リーグである[[ノース・アメリカン・リーグ]]所属[[マウイ・イカイカ]]との国際交流戦登板し、{{by|2013年}}6月7日、兼任監督として現役復帰することが正式に発表された<ref>[http://www.bc-l.jp/modules/bclnews/index.php?page=article&storyid=2198 選手登録のお知らせ]</ref>。


=== 西武コーチ時代 ===
=== 西武コーチ時代 ===
{{by|2014年}}[[10月11日]]、石川ミリオンスターズを退団し<ref>[http://www.m-stars-s.jp/news/2014/10/11/1195 森 慎二監督 退任に関する記者会見のお知らせ]石川球団公式サイト2014年10月11日配信</ref>、{{by|2015年}}シーズンより[[埼玉西武ライオンズ]]の二軍投手コーチに就任。<ref>[http://www.seibulions.jp/news/detail/9445.html 2015年度 コーチングスタッフ発表!]西武球団公式サイト2014年10月11日配信</ref>。{{by|2016年}}5月6日から同球団の一軍投手コーチ(ブルペン)に就任する<ref>[http://www.seibulions.jp/news/detail/11427.html 森慎二 一軍投手コーチおよび小野寺力 ファーム投手コーチ兼育成コーチ就任のお知らせ]西武球団公式サイト2016年5月6日配信</ref>。
{{by|2014年}}[[10月11日]]、石川ミリオンスターズを退団し<ref>[http://www.m-stars-s.jp/news/2014/10/11/1195 森 慎二監督 退任に関する記者会見のお知らせ]石川球団公式サイト2014年10月11日配信</ref>、{{by|2015年}}シーズンより[[埼玉西武ライオンズ]]の二軍投手コーチに就任した。<ref>[http://www.seibulions.jp/news/detail/9445.html 2015年度 コーチングスタッフ発表!]西武球団公式サイト2014年10月11日配信</ref>。{{by|2016年}}5月6日から同球団の一軍投手コーチ(ブルペン)に就任する<ref>[http://www.seibulions.jp/news/detail/11427.html 森慎二 一軍投手コーチおよび小野寺力 ファーム投手コーチ兼育成コーチ就任のお知らせ]西武球団公式サイト2016年5月6日配信</ref>。


=== 死去 ===
=== 死去 ===
{{by|2017年}}[[6月25日]]の[[福岡ソフトバンクホークス]]戦の試合前に体調不良を訴えて[[福岡市]]内の病院に入院し<ref>{{cite news|url=https://www.sanspo.com/article/20170629-EJ4V4F6PRRPRLOWN5UQWFJPFQQ/|title=西武ショック!森慎二投手コーチが休養発表翌日に急死|newspaper=サンケイスポーツ|date=2017-06-29||accessdate=2017-06-29}}</ref>、27日には病気療養のため休養することが発表された。西武の[[渡辺久信]]シニアディレクターは森の病状について、「まだ病状は不明であり、復帰の見通しはわからない」と発言した<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/28/kiji/20170627s00001173425000c.html|title=西武・森投手コーチが病気休養 渡辺SD「まだ病名分からない」|newspaper=Sponichi ANNEX|date=2017-06-28||agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2017-06-28}}</ref>。
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翌28日、入院先の病院でした<ref name="Sponichi">{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/28/kiji/20170628s00001173388000c.html|title=西武・森慎二投手コーチ死去 42歳…辻監督「ショックです」|newspaper=Sponichi ANNEX|date=2017-06-28|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2017-06-28}}</ref>。42歳没。死因は[[溶連菌]]の感染による[[敗血症]]([[壊死性筋膜炎]])であった<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/47674 西武・森慎二コーチの死因は「溶連菌の感染による敗血症」 父親が明かす] - 東スポWeb 2017年7月4日</ref>。


森の訃報は、[[那覇市営奥武山野球場|沖縄セルラースタジアム那覇]]で行われた対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦の試合前に球団から[[辻発彦]]監督へ伝達され<ref name="Sponichi"/>、西武の選手たちにはロッテ戦の試合終了後に伝えられたという<ref>{{Twitter status|sundaylions795|880062909748977664}}</ref>。
森の訃報は、[[那覇市営奥武山野球場|沖縄セルラースタジアム那覇]]で行われた対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦の試合前に球団から[[辻発彦]]監督へ伝達され<ref name="Sponichi"/>、西武の選手たちにはロッテ戦の試合終了後に伝えられたという<ref>{{Twitter status|sundaylions795|880062909748977664}}</ref>。


6月30日、対[[オリックス・バファローズ]]第9回戦([[西武ドーム|メットライフドーム]])の際には、森の去を悼み球団旗に代わり弔旗が掲げられると共に選手が喪章を着用し、試合開始に先立って黙祷が行われた。ドームに直結する獅子ビルには献花台が設置され、三塁側ベンチと森が常駐していたブルペンには森のユニホームが掲げられた<ref>{{Cite news|title=急死の森慎二コーチ追悼セレモニー 両軍選手とファンが黙とう|publisher=東京スポーツ|date=2017-6-30|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/703945/|format=HTML|language=日本語|accessdate=2017-7-4}}</ref>。
6月30日、対[[オリックス・バファローズ]]第9回戦([[西武ドーム|メットライフドーム]])の際には、森の去を悼み球団旗に代わり弔旗が掲げられると共に選手が喪章を着用し、試合開始に先立って黙祷が行われた。ドームに直結する獅子ビルには献花台が設置され、三塁側ベンチと森が常駐していたブルペンには森のユニホームが掲げられた<ref>{{Cite news|title=急死の森慎二コーチ追悼セレモニー 両軍選手とファンが黙とう|publisher=東京スポーツ|date=2017-6-30|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/47483|format=HTML|language=日本語|accessdate=2017-7-4}}</ref>。森の没後に掲示された8月のポスターには、「しンジさんと闘う」(原文ママ)という隠しメッセージが仕込まれたことが話題となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.news-postseven.com/archives/20170831_608689.html|title=急逝した森慎二コーチへ 西武ポスターに込められた思い|date=2017-08-31|website=[[NEWSポストセブン]]|publisher=[[小学館]]|accessdate=2024-03-14}}</ref>。


9月2日、森がBCリーグ時代に在籍した石川ミリオンスターズの対[[富山GRNサンダーバーズ]]戦([[金沢市民野球場]])が「ありがとう森慎二さん 3,400人の集い」というタイトルで行われた<ref>{{Cite web|title=「ありがとう 森 慎二さん 3,400人の集い」のお知らせ|publisher=ジャパン・ベースボール・マーケティング|date=2017-08-09|url=http://www.bc-l.jp/team_news/ishikawa_news/24977|accessdate=2017-08-16}}</ref>。3,400人は当時の背番号34にちなむ。試合では全選手が背番号34を着用した<ref>{{Cite news|url=http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20170902104.htm|title=きょうミリスタ元監督・森氏の追悼試合 球団社長ら全力プレー誓う |newspaper=北國新聞|date=2017-09-02|accessdate=2017-09-03}}</ref>。試合終了後、石川球団は森の背番号34を[[野球界の永久欠番|永久欠番]]とした<ref>[https://twitter.com/I_Million_Stars/status/903986749017268224 2017年9月2日] - 石川ミリオンスターズ公式twitter</ref>。
9月2日、森がBCリーグ時代に在籍した石川ミリオンスターズの対[[富山GRNサンダーバーズ]]戦([[金沢市民野球場]])が「ありがとう森慎二さん 3,400人の集い」というタイトルで行われた<ref>{{Cite web|和書|title=「ありがとう 森 慎二さん 3,400人の集い」のお知らせ|publisher=ジャパン・ベースボール・マーケティング|date=2017-08-09|url=http://www.bc-l.jp/team_news/ishikawa_news/24977|accessdate=2017-08-16}}</ref>。3,400人は当時の背番号34にちなむ。試合では全選手が背番号34を着用した<ref>{{Cite news|url=http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20170902104.htm|title=きょうミリスタ元監督・森氏の追悼試合 球団社長ら全力プレー誓う |newspaper=北國新聞|date=2017-09-02|accessdate=2017-09-03}}</ref>。試合終了後、石川球団は森の背番号34を[[野球界の永久欠番|永久欠番]]とした<ref>[https://twitter.com/I_Million_Stars/status/903986749017268224 2017年9月2日] - 石川ミリオンスターズ公式twitter</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
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2024年3月29日 (金) 02:49時点における最新版

森 慎二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県岩国市
生年月日 (1974-09-12) 1974年9月12日
没年月日 (2017-06-28) 2017年6月28日(42歳没)
身長
体重
189 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 NPB / 1997年4月27日
最終出場 NPB / 2005年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 石川ミリオンスターズ (2009 - 2014)
  • 埼玉西武ライオンズ (2015 - 2017)

森 慎二(もり しんじ、1974年昭和49年〉9月12日 - 2017年平成29年〉6月28日)は、山口県岩国市出身のプロ野球選手投手)・コーチ監督

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

山口県立岩国工業高等学校卒業後、新日鐵光に入るが新日鐵グループ野球部の再編にともない、新日鐵君津へ転籍した。1996年第67回都市対抗野球大会では優秀選手賞を受賞した。同年のドラフト会議西武ライオンズから2位指名を受け、入団した。同期入団には和田一浩がいた。

西武時代

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プロ1年目の1997年シーズンは、プロ初登板が先発だった。先発としては結果を残せなかったものの中継ぎで好投したことからリリーフへ転向した。後半には石井貴と入れ替わる形で抑えに抜擢され、最終的に38試合に登板し、6勝2敗9セーブを記録成績でチームの優勝に貢献した。日本シリーズにも登板した。

1998年シーズンは、開幕からストッパーとして期待され起用されたものの不振で、同じく先発で不振だった西口文也と配置転換で先発登板する。中継ぎと谷間のローテーションを埋め、徐々に調子を取り戻し、52試合に登板し、8勝8敗5セーブ(先発では9試合2勝3敗防御率3.68)という成績でリーグ連覇に貢献した。

1999年シーズンは、谷間の先発や中継ぎで起用されたがムラの激しい投球が目立ち、5勝8敗と成績を落とした。

2000年シーズンは、開幕から好調でストッパーとして完全に定着した。自己最高の23セーブを挙げ防御率も1点台を記録する。

2001年シーズンは、不調だったことからクローザーの座を豊田清に譲り、28試合の登板にとどまり、1セーブしか挙げられなかった。

2002年シーズンは、ストッパーの豊田に繋ぐセットアッパーとして自己最多の71試合に登板し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

2003年シーズンも最優秀中継ぎ投手を獲得し、2年連続で同タイトルを獲得した。このように森から豊田への継投はチームの勝利の方程式であった。球速のある荒れ球気味のストレートと落差のあるフォークボールを武器とした。奪三振率が非常に高く、毎年投球回を大きく上回る奪三振数を記録した。

2004年シーズンは、3年連続となるオールスターゲームに出場したが、シーズンでは豊田の故障離脱時に抑えを任されることもあったが故障や不調で34試合の登板に終わり、0勝4敗4セーブ防御率も4.59と安定感を欠いてプロ初の未勝利に終わった。9月24日大阪ドームでの大阪近鉄バファローズとの試合は近鉄にとって球団最後の本拠地での試合で西武との対戦もこれが最後だった。森は延長11回に登板するが星野おさむにサヨナラタイムリーヒットを打たれ、敗戦投手となった。近鉄は3日後の球団最終戦では敗れているため、森は近鉄相手の最後の敗戦投手となった。

2005年シーズンは48試合に登板し、2勝2敗5セーブ17ホールドの成績を残した。この年のシーズンも豊田の故障離脱があり代役の抑えを務めることがあったが防御率4点台と安定感を欠いた。

ユニホームの背ネームはS.MORIだった。シーズンオフ、ポスティングシステムによる大リーグ挑戦を表明し、タンパベイ・デビルレイズと2年契約を結んだ。

デビルレイズ傘下時代

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移籍1年目の2006年シーズンは右肩痛の影響で調整が遅れ、移籍後初登板を果たしたオープン戦で3球目を投げたときに右肩を抱えたままうずくまり、そのまま交代となる。診断の結果、右肩を脱臼しており、全治1年を要する重傷だった。

2007年1月19日にメジャー出場がないままデビルレイズからメジャー契約を解除される。その後マイナー契約を結ぶが2007年6月11日に契約を解除したと球団の公式ページで発表された。その後国内(西武ドーム新日鐵君津球場など)でリハビリをしながら、メジャー挑戦を目指していたが断念した。ポスティングシステムを利用してメジャー球団から入札があってメジャー契約した日本人選手がメジャー公式戦に出場できなかった初めての例であり、メジャーリーグ傘下のマイナーリーグ公式戦にも一度も登板していない。

独立リーグ・石川時代

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2009年シーズンには、BCリーグ石川ミリオンスターズの選手兼任投手コーチに就任した。当初はコーチのみでの発表だったが、肩の調子が良くなり現役復帰の目途が立ったため、選手兼任となった。しかし、同年の公式戦登板はなかった。2010年からは選手を一旦引退し、金森栄治の後任として監督に就任した[1]

監督としては在任した5シーズン中全て前・後期のいずれかで北陸地区で優勝し[2]、BCリーグチャンピオン3度(2010・2011・2013年)、さらに独立リーグチャンピオン(グランドチャンピオンシップ優勝)も2度獲得(2011・2013年)した。

公式戦ではないが、この期間の2012年9月10日・11日に行われた米独立リーグであるノース・アメリカン・リーグ所属・マウイ・イカイカとの国際交流戦で登板し、2013年6月7日、兼任監督として現役復帰することが正式に発表された[3]

西武コーチ時代

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2014年10月11日、石川ミリオンスターズを退団し[4]2015年シーズンより埼玉西武ライオンズの二軍投手コーチに就任した。[5]2016年5月6日から同球団の一軍投手コーチ(ブルペン)に就任する[6]

死去

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2017年6月25日福岡ソフトバンクホークス戦の試合前に体調不良を訴えて福岡市内の病院に入院し[7]、27日には病気療養のため休養することが発表された。西武シニアディレクターの渡辺久信は森の病状について、「まだ病状は不明であり、復帰の見通しはわからない」と発言した[8]

翌28日、入院先の病院で死去した[9]。42歳没。死因は溶連菌の感染による敗血症壊死性筋膜炎)であった[10]

森の訃報は、沖縄セルラースタジアム那覇で行われた対千葉ロッテマリーンズ戦の試合前に球団から辻発彦監督へ伝達され[9]、西武の選手たちにはロッテ戦の試合終了後に伝えられたという[11]

6月30日、対オリックス・バファローズ第9回戦(メットライフドーム)の際には、森の死去を悼み球団旗に代わり弔旗が掲げられると共に選手が喪章を着用し、試合開始に先立って黙祷が行われた。ドームに直結する獅子ビルには献花台が設置され、三塁側ベンチと森が常駐していたブルペンには森のユニホームが掲げられた[12]。森の没後に掲示された8月のポスターには、「しンジさんと闘う」(原文ママ)という隠しメッセージが仕込まれたことが話題となった[13]

9月2日、森がBCリーグ時代に在籍した石川ミリオンスターズの対富山GRNサンダーバーズ戦(金沢市民野球場)が「ありがとう森慎二さん 3,400人の集い」というタイトルで行われた[14]。3,400人は当時の背番号34にちなむ。試合では全選手が背番号34を着用した[15]。試合終了後、石川球団は森の背番号34を永久欠番とした[16]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1997 西武 38 3 0 0 0 6 2 9 -- .750 251 57.2 61 4 20 3 0 61 3 0 24 21 3.28 1.40
1998 52 9 1 0 0 8 8 5 -- .500 490 111.0 112 9 55 3 0 110 8 0 53 47 3.81 1.50
1999 41 13 0 0 0 5 8 0 -- .385 505 113.1 116 11 54 4 2 128 10 1 62 58 4.61 1.50
2000 58 0 0 0 0 5 6 23 -- .455 299 78.2 51 6 20 2 0 101 4 0 16 16 1.83 0.90
2001 28 0 0 0 0 5 4 1 -- .556 194 46.0 38 9 16 0 0 52 5 0 21 20 3.91 1.17
2002 71 0 0 0 0 6 7 1 -- .462 327 78.1 61 4 29 5 0 102 9 1 25 18 2.07 1.15
2003 61 0 0 0 0 7 3 2 -- .700 287 70.0 55 6 22 1 2 92 5 0 19 18 2.31 1.10
2004 34 2 0 0 0 0 4 4 -- .000 235 49.0 50 5 38 1 0 49 2 0 35 25 4.59 1.80
2005 48 0 0 0 0 2 2 5 17 .500 214 49.0 44 5 19 0 3 60 0 0 24 23 4.22 1.29
通算:9年 431 27 1 0 0 44 44 50 17 .500 2802 653.0 588 59 273 19 7 755 46 2 279 246 3.39 1.32
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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NPB

記録

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NPB

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初記録
その他の記録

独立リーグでの投手成績

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W
H
I
P
2013 石川 9 0 0 0 0 .000 5.1 27 7 0 6 2 1 6 4 0 1 0 6.75 1.69
2014 14 0 0 0 0 .000 14.2 65 19 1 13 6 3 6 4 1 1 0 2.63 1.70
通算:2年 23 0 0 0 0 .000 20.0 92 26 1 19 8 4 12 8 1 2 0 3.60 1.70

背番号

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 新監督決定のお知らせ
  2. ^ 2010年 - 2013年の前期と2014年後期。
  3. ^ 選手登録のお知らせ
  4. ^ 森 慎二監督 退任に関する記者会見のお知らせ石川球団公式サイト2014年10月11日配信
  5. ^ 2015年度 コーチングスタッフ発表!西武球団公式サイト2014年10月11日配信
  6. ^ 森慎二 一軍投手コーチおよび小野寺力 ファーム投手コーチ兼育成コーチ就任のお知らせ西武球団公式サイト2016年5月6日配信
  7. ^ “西武ショック!森慎二投手コーチが休養発表翌日に急死”. サンケイスポーツ. (2017年6月29日). https://www.sanspo.com/article/20170629-EJ4V4F6PRRPRLOWN5UQWFJPFQQ/ 2017年6月29日閲覧。 
  8. ^ “西武・森投手コーチが病気休養 渡辺SD「まだ病名分からない」”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年6月28日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/28/kiji/20170627s00001173425000c.html 2017年6月28日閲覧。 
  9. ^ a b “西武・森慎二投手コーチ死去 42歳…辻監督「ショックです」”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年6月28日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/28/kiji/20170628s00001173388000c.html 2017年6月28日閲覧。 
  10. ^ 西武・森慎二コーチの死因は「溶連菌の感染による敗血症」 父親が明かす - 東スポWeb 2017年7月4日
  11. ^ sundaylions795のツイート(880062909748977664)
  12. ^ “急死の森慎二コーチ追悼セレモニー 両軍選手とファンが黙とう” (日本語) (HTML). 東京スポーツ. (2017年6月30日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/47483 2017年7月4日閲覧。 
  13. ^ 急逝した森慎二コーチへ 西武ポスターに込められた思い”. NEWSポストセブン. 小学館 (2017年8月31日). 2024年3月14日閲覧。
  14. ^ 「ありがとう 森 慎二さん 3,400人の集い」のお知らせ”. ジャパン・ベースボール・マーケティング (2017年8月9日). 2017年8月16日閲覧。
  15. ^ “きょうミリスタ元監督・森氏の追悼試合 球団社長ら全力プレー誓う”. 北國新聞. (2017年9月2日). http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20170902104.htm 2017年9月3日閲覧。 
  16. ^ 2017年9月2日 - 石川ミリオンスターズ公式twitter

関連項目

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外部リンク

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