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'''尹 起重'''(ユン・ギジュン、[[1931年]][[12月19日]] - )は、[[韓国]]の[[経済学者]]。[[延世大学校]]名誉教授、韓国学術院会員。元韓国経済学会会長。元韓国統計学会会長。 |
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⚫ | '''尹 起重'''(윤기중、ユン・ギジュン、[[1931年]][[12月19日]] - [[2023年]][[8月15日]])は、[[韓国]]の[[経済学者]]。韓国で「SKY」と呼ばれる[[延世大学校]]名誉教授、韓国学術院会員。元韓国経済学会会長。元韓国統計学会会長。元[[検事総長]]、[[大韓民国]]第20代[[大統領]]の[[尹錫悦]]は息子<ref>[https://web.archive.org/web/20211105223433/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021110500994&g=int 権力にこびない検事 前政権追及、現政権と対立―尹錫悦氏の横顔・韓国大統領選]時事通信 2021年11月06日</ref>。[[本貫]]は坡平尹氏<ref name=":0">{{Cite web |title=“이번 윤석열은 다르다” 다시 뜨는 4전5기 충청대망론 |url=https://www.chosun.com/politics/2021/03/28/DHKXAABXEVEJHCV72ZCHFLMIT4/ |website=조선일보 |date=2021-03-27 |accessdate=2022-03-11 |language=ko |last=조선일보}}</ref>。 |
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⚫ | 元検事総長、第20代大統領の[[尹錫悦]]は息子<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2021110500994&g=int 権力にこびない検事 前政権追及、現政権と対立―尹錫悦氏の横顔・韓国大統領選]時事通信 2021年11月06日</ref>。[[本貫]]は |
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== 来歴 == |
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現在の[[忠清南道]][[公州市]]灘川面生まれ、故郷は同道[[論山市]]魯城面である<ref name=":0" /><ref>{{Cite web |title="충청의 아들 윤석열"…공주·논산 주민들 풍물놀이로 축하[영상] |url=https://www.joongang.co.kr/article/25054472 |website=중앙일보 |date=2022-03-10 |accessdate=2022-03-31 |language=ko |first=신진호 |last=기자}}</ref>。[[朝鮮戦争]]に従軍後<ref>[[水田洋]][https://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2007/TyousenNyoidan.htm 朝鮮の二人の先輩]如水会</ref>、1956年[[延世大学校]]商経学部卒業。1958年延世大学校大学院経済学専攻修了<ref name="nas"/>。1965年に[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約]]が締結されると<ref name="yo">[https://www.yomiuri.co.jp/world/20230315-OYT1T50076/ 尹氏幼少期の思い出「国立市の街並み、目に浮かぶ」…「孤独のグルメ」は必ず見る]読売新聞2023/03/15 07:11</ref>、翌1966年から68年まで[[一橋大学大学院経済学研究科]]に留学し<ref name="nas"/>、[[宮川公男]]助教授らと研究を行った。当時住んでいた[[東京都]][[国立市]]の[[アパート]]には[[尹錫悦]]も訪れたことがあるという<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/world/20230314-OYT1T50303/ 日韓友好への出発点…尹韓国大統領 単独インタビュー詳報]読売新聞2023/03/15 05:00 |
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== エピソード == |
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日本への留学経験があることから、日韓の学術交流にたびたび関与し、複数の日本人学者と面識がある。 |
*日本への留学経験があることから、日韓の学術交流にたびたび関与し、複数の日本人学者と面識がある。 |
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⚫ | *杉山高一・[[中央大学]]名誉教授は、2002年11月10日に延世大学で開催された韓国統計学会30周年記念大会に出席した時の回想で、「延世大学名誉教授尹起重教授と話をした。尹は一橋大学へ2年程研究留学されたことがあり、[[日本語]]がよくできる先生で、College of Business Schoolの学部長をされた風格のある方でした。65歳で退官後も、70歳までは教えることが可で、現在も[[統計学]]を教えているとのことでした」と述べていた<ref>杉山高一「[https://www.jss.gr.jp/wp-content/uploads/K110.pdf#page=7 韓国統計学会30周年記念大会に参加して]」『日本統計学会会報』 No.110、2002年1月20日</ref>。 |
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⚫ | *[[水田洋]]・[[名古屋大学]]名誉教授は、2006年10月に[[ソウル]]を訪問した時の回想で、「延世大学で講義をすることになって、尹起重名誉教授(学術院会員)が{{ISO639言語名|ja}}から{{ISO639言語名|ko}}への通訳をひきうけて下さった。初対面のあいさつもそこそこに、「[[岩波文庫]]の『[[国富論]]』の訳注はいいですね」といわれたのには、おどろくとともにうれしくも思った」「一橋に留学したことがあり、ぼくの経歴も知っていたらしい」と述べていた<ref>水田洋「[https://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2007/TyousenNyoidan.htm 朝鮮の二人の先輩]」</ref>。 |
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⚫ | 杉山高一・中央大学名誉教授は、2002年11月10日に延世大学で開催された韓国統計学会30周年記念大会に出席した時の回想で、「延世大学名誉教授尹起重教授と話をした。尹は一橋大学へ2年程研究留学されたことがあり、日本語がよくできる先生で、College of Business Schoolの学部長をされた風格のある方でした。65歳で退官後も、70歳までは教えることが可で、現在も統計学を教えているとのことでした」と述べていた<ref>杉山高一「[https://www.jss.gr.jp/wp-content/uploads/K110.pdf#page=7 韓国統計学会30周年記念大会に参加して]」『日本統計学会会報』 No.110、2002年1月20日</ref>。 |
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⚫ | *田中愼一・[[北海道大学]]名誉教授は、2009年10月にソウルを訪問した時の回想で、「延世大学の尹起重名誉教授(1931年の生まれ,78歳。韓国学術院会員)にお会いしました。北海道大学経済学部と延世大学校商経大学とのジョイントセミナーで私が報告した時に司会をしてくださった方です」と紹介した<ref>{{Cite journal|和書|author=田中愼一|month=mar|year=2012|title=最終講義録 社会経済史雑考 : 最終講義|url=https://hdl.handle.net/2115/48699|journal=經濟學研究|volume=61|issue=4|pages=345-365|publisher=北海道大学大学院経済学研究科|ISSN=0451-6265|naid=110008897088}}</ref>。 |
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⚫ | [[水田洋]]・[[名古屋大学]]名誉教授は、2006年10月にソウルを訪問した時の回想で、「延世大学で講義をすることになって、尹起重名誉教授(学術院会員)が{{ISO639言語名|ja}}から{{ISO639言語名|ko}}への通訳をひきうけて下さった。初対面のあいさつもそこそこに、「岩波文庫の『国富論』の訳注はいいですね」といわれたのには、おどろくとともにうれしくも思った」「一橋に留学したことがあり、ぼくの経歴も知っていたらしい」と述べていた<ref>水田洋「[https://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2007/TyousenNyoidan.htm 朝鮮の二人の先輩]」</ref>。 |
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⚫ | 田中愼一・[[北海道大学]]名誉教授は、2009年10月にソウルを訪問した時の回想で、「延世大学の尹起重名誉教授(1931年の生まれ,78歳。韓国学術院会員)にお会いしました。北海道大学経済学部と延世大学校商経大学とのジョイントセミナーで私が報告した時に司会をしてくださった方です」と紹介した<ref>{{Cite journal|和書|author=田中愼一|month=mar|year=2012|title=最終講義録 社会経済史雑考 : 最終講義|url=https://hdl.handle.net/2115/48699|journal=經濟學研究|volume=61|issue=4|pages=345-365|publisher=北海道大学大学院経済学研究科|ISSN=0451-6265|naid=110008897088}}</ref>。 |
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== 著書 == |
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*『統計學 經濟學講義叢書』法文社 1965年 |
*『統計學 經濟學講義叢書』[[法文社]] 1965年 |
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*『統計學概論』法文社 1983年 |
*『統計學概論』法文社 1983年 |
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*『統計學 統計學叢書』法文社 1996年 |
*『統計學 統計學叢書』法文社 1996年 |
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*『韓國經濟의 不平等 分析』博英社 1997年 |
*『韓國經濟의 不平等 分析』[[博英社]] 1997年 |
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尹 起重(윤기중、ユン・ギジュン、1931年12月19日 - 2023年8月15日)は、韓国の経済学者。韓国で「SKY」と呼ばれる延世大学校名誉教授、韓国学術院会員。元韓国経済学会会長。元韓国統計学会会長。元検事総長、大韓民国第20代大統領の尹錫悦は息子[1]。本貫は坡平尹氏[2]。
来歴[編集]
現在の忠清南道公州市灘川面生まれ、故郷は同道論山市魯城面である[2][3]。朝鮮戦争に従軍後[4]、1956年延世大学校商経学部卒業。1958年延世大学校大学院経済学専攻修了[5]。1965年に日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約が締結されると[6]、翌1966年から68年まで一橋大学大学院経済学研究科に留学し[5]、宮川公男助教授らと研究を行った。当時住んでいた東京都国立市のアパートには尹錫悦も訪れたことがあるという[7][6]。漢陽大学校経済学科助教授、延世大学校商経学部助教授、副教授、教授等を歴任。1972年セントルイス・ワシントン大学客員講師。1977年韓国統計学会会長。1982年一橋大学客員教授。1991年延世大学校商経学部長。1992年韓国経済学会会長。1997年延世大学校名誉教授。2001年韓国学術院会員[5]。
2023年8月15日午前、死去した。91歳没[8](韓国メディアは92歳と記録した[9][10][11])。
エピソード[編集]
- 日本への留学経験があることから、日韓の学術交流にたびたび関与し、複数の日本人学者と面識がある。
- 杉山高一・中央大学名誉教授は、2002年11月10日に延世大学で開催された韓国統計学会30周年記念大会に出席した時の回想で、「延世大学名誉教授尹起重教授と話をした。尹は一橋大学へ2年程研究留学されたことがあり、日本語がよくできる先生で、College of Business Schoolの学部長をされた風格のある方でした。65歳で退官後も、70歳までは教えることが可で、現在も統計学を教えているとのことでした」と述べていた[12]。
- 水田洋・名古屋大学名誉教授は、2006年10月にソウルを訪問した時の回想で、「延世大学で講義をすることになって、尹起重名誉教授(学術院会員)が日本語から朝鮮語への通訳をひきうけて下さった。初対面のあいさつもそこそこに、「岩波文庫の『国富論』の訳注はいいですね」といわれたのには、おどろくとともにうれしくも思った」「一橋に留学したことがあり、ぼくの経歴も知っていたらしい」と述べていた[13]。
- 田中愼一・北海道大学名誉教授は、2009年10月にソウルを訪問した時の回想で、「延世大学の尹起重名誉教授(1931年の生まれ,78歳。韓国学術院会員)にお会いしました。北海道大学経済学部と延世大学校商経大学とのジョイントセミナーで私が報告した時に司会をしてくださった方です」と紹介した[14]。
- 2021年時点では「梅軒(メホン)・尹奉吉義士記念事業会」の理事を務めている。2021年3月29日に、息子の尹錫悦が、大統領選挙への出馬表明を、ソウル特別市・瑞草区の「梅軒尹奉吉義士記念館」で実施したのは、このことが影響している[15]。
著書[編集]
脚注[編集]
- ^ 権力にこびない検事 前政権追及、現政権と対立―尹錫悦氏の横顔・韓国大統領選時事通信 2021年11月06日
- ^ a b 조선일보 (2021年3月27日). ““이번 윤석열은 다르다” 다시 뜨는 4전5기 충청대망론” (朝鮮語). 조선일보. 2022年3月11日閲覧。
- ^ 기자, 신진호 (2022年3月10日). “"충청의 아들 윤석열"…공주·논산 주민들 풍물놀이로 축하[영상]” (朝鮮語). 중앙일보. 2022年3月31日閲覧。
- ^ 水田洋朝鮮の二人の先輩如水会
- ^ a b c 회원정보대한민국학술원
- ^ a b 尹氏幼少期の思い出「国立市の街並み、目に浮かぶ」…「孤独のグルメ」は必ず見る読売新聞2023/03/15 07:11
- ^ 日韓友好への出発点…尹韓国大統領 単独インタビュー詳報読売新聞2023/03/15 05:00
- ^ “尹大統領の父が死去 延世大名誉教授の尹起重氏=葬儀は家族葬で”. 聯合ニュース (2023年8月15日). 2023年8月15日閲覧。
- ^ “尹大統領の父親が死去 政界などから弔問”. KBS. 2023年10月13日閲覧。
- ^ “尹起重氏が死去…尹大統領、光復節慶祝式典後に父親の臨終見守る”. 中央日報. 2023年10月13日閲覧。
- ^ “尹大統領の父尹起重さん死去”. 東亜日報 (2023年8月16日). 2023年10月13日閲覧。
- ^ 杉山高一「韓国統計学会30周年記念大会に参加して」『日本統計学会会報』 No.110、2002年1月20日
- ^ 水田洋「朝鮮の二人の先輩」
- ^ 田中愼一「最終講義録 社会経済史雑考 : 最終講義」『經濟學研究』第61巻第4号、北海道大学大学院経済学研究科、2012年3月、345-365頁、ISSN 0451-6265、NAID 110008897088。
- ^ 『「ショー政治はしない」尹錫悦前検察総長、29日の大統領選出馬宣言場所に隠された意味』『中央日報日本語版』2021年6月25日