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'''星野 順治'''(ほしの じゅんじ、[[1974年]][[6月18日]] - )は、[[新潟県]][[西蒲原郡]][[吉田町 (新潟県)|吉田町]](現・[[燕市]])出身<ref name="niigatayakyu">{{Cite web|和書|url=https://www.niigatayakyu.com/archives/32232|title=【NPB】元ソフトバンク投手の星野順治さんが野球教室|publisher=新潟野球.com|date=2019-12-30|accessdate=2022-11-29}}</ref>
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[東京都]]生まれ、[[新潟県]][[西蒲原郡]][[吉田町 (新潟県)|吉田町]]粟生津育ち。同郡[[分水町]](現在はいずれも[[燕市]])との境界付近に在住していたため、中学時代は分水町の中学校に通学していた。
東京都生まれ、[[新潟県]][[西蒲原郡]][[吉田町 (新潟県)|吉田町]]粟生津育ち。同郡[[分水町]](現在はいずれも[[燕市]])との境界付近に在住していたため、中学時代は分水町の中学校に通学していた。


[[新潟県立新潟商業高等学校|新潟商業高]]から[[社会人野球]]の[[NKK硬式野球部|NKK]]を経て、{{by|1997年}}の[[1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]から4位指名を受け入団。
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=== プロ入り後 ===
2年目の{{by|1999年}}プロ同期の[[永井智浩]]と共に先発[[ローテーション]]に定着。10勝を挙げ、チームのリーグ優勝。日本シリーズでも好投し[[日本選手権シリーズ|日本一]]に貢献した。{{by|2000年}}は右手指の負傷で3勝に終わるが、{{by|2001年}}にチームトップタイの13勝挙げ同年7月には月間MVPも受賞<ref name="ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P28">ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P28</ref>、{{by|2002年}}に9勝を挙げた。特に[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]との対戦を得意とした。
{{by|1998年}}社会人即戦力として期待されたが、一軍の壁が熱くシーズンの大半を二軍暮らしとなる。二軍生活中に[[サイドスロー]]に転向する。{{by|1999年}}にはプロ同期の[[永井智浩]]と共に[[先発ローテーション]]に定着。[[サイドスロー|横手]]からの[[シンカー・スクリューボール|シンカー]]を武器に10勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献<ref name="niigatayakyu"/>。[[中日ドラゴンズ|中日]]との[[1999年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも第4戦に先発し、6回1/3を無失点に抑え勝利投手、チーム日本一に力を添える。


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{{by|2003年}}は肘を痛めて手術し0勝に終わったが、翌{{by|2004年}}、[[和田毅]]が体調を崩したのをきっかけに先発要員として復帰し、7勝をマーク。{{by|2005年}}にも8勝を挙げた。しかし、{{by|2006年}}は1試合の登板に終わり、{{by|2007年}}は再起を誓い順調なオフを過ごしていたもののキャンプで両足を捻挫し、復活はならなかった。


{{by|2001年}}はチームトップタイの13勝挙げ同年7月には月間MVPも受賞<ref name="ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P28">ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P28</ref>、{{by|2002年}}にもシーズン途中不振でリリーフに配置転換されたりもしたがチーム2位の9勝を挙げた。特に[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]との対戦を得意とした。
{{by|2008年}}[[11月4日]]に戦力外通告を受け、[[11月7日]]に現役引退と二軍コンディショニングコーチ補佐就任が球団から発表された。その後記者会見で星野は「選手のために命懸けで教えられる指導者になりたい」と話した。先発、中継ぎをこなせる右腕として定評があった<ref name="<ref name="ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P28" />。{{by|2010年}}まで二軍コンディショニングコーチ補佐を務め、{{by|2011年}}からは編成育成部育成担当(三軍)を務めている。

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=== 現役引退後 ===
2008年11月7日に現役引退と二軍コンディショニングコーチ補佐就任が球団から発表された。その後記者会見で星野は「選手のために命懸けで教えられる指導者になりたい」と話した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/2381.html|title=2008/11/07(金) 星野コンディショニングコーチ補佐が就任会見|publisher=[[福岡ソフトバンクホークス]] オフィシャルサイト|date=2008-11-07|accessdate=2022-11-29}}</ref>。

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== 選手としての特徴 ==
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== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
=== 年度別投手成績 ===
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最
* 各年度の'''太字'''はリーグ最
* ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
* ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更


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=== 記録 ===
=== 記録 ===
; 初記録
* 初登板:1998年8月11日、対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]20回戦([[福岡ドーム]])、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
* 初登板:1998年8月11日、対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]20回戦([[福岡ドーム]])、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
* 初先発・初勝利・初完投勝利:1999年5月2日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]5回戦(福岡ドーム)、9回1失点
* 初先発登板・初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1999年5月2日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]5回戦(福岡ドーム)、9回1失点
* 初奪三振:同上、2回表に[[グレッグ・ブロッサー]]から
* 初奪三振:同上、2回表に[[グレッグ・ブロッサー]]から
* 初完封勝利:2000年8月2日、対大阪近鉄バファローズ18回戦(福岡ドーム)
* 初完封勝利:2000年8月2日、対大阪近鉄バファローズ18回戦(福岡ドーム)
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=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
* '''33''' (1998年 - 2008年)
* '''33'''(1998年 - 2008年)
* '''93''' (2009年 - 2010年)
* '''93'''(2009年 - 2010年)
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[東京都出身の人物一覧]]
* [[新潟県出身の人物一覧]]
* [[新潟県出身の人物一覧]]
* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
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== 外部リンク ==
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* [https://www.softbankhawks.co.jp/team/player/detail/2024_00001556.html 020 星野 順治 選手名鑑2024] - 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
*[https://web.archive.org/web/20210416001223/https://www.shu-jun.com/ たぶん 週刊ジュンヂ]


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2024年4月2日 (火) 04:18時点における最新版

星野 順治
福岡ソフトバンクホークス 
コーディネーター(投手) #020
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市
生年月日 (1974-06-18) 1974年6月18日(50歳)
身長
体重
180 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト4位
初出場 1998年8月11日
最終出場 2008年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 福岡ソフトバンクホークス (2009 - 2010, 2023 - )

星野 順治(ほしの じゅんじ、1974年6月18日 - )は、新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身[1] の元プロ野球選手投手)。2023年現在はコーチ職として福岡ソフトバンクホークスの投手コーディネーターを務める[2]。2024年からソフトバンクに所属する星野恒太朗は息子。

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

東京都生まれ、新潟県西蒲原郡吉田町粟生津育ち。同郡分水町(現在はいずれも燕市)との境界付近に在住していたため、中学時代は分水町の中学校に通学していた。

新潟商業高から社会人野球NKKに進む[1]1997年都市対抗ではエースとして起用され、2回戦に進むが日産自動車に敗退。同年のドラフト会議福岡ダイエーホークスから4位指名を受け入団[1]

プロ入り後

[編集]

1998年社会人即戦力として期待されたが、一軍の壁が熱くシーズンの大半を二軍暮らしとなる。二軍生活中にサイドスローに転向する。1999年にはプロ同期の永井智浩と共に先発ローテーションに定着。横手からのシンカーを武器に10勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献[1]中日との日本シリーズでも第4戦に先発し、6回1/3を無失点に抑え勝利投手、チーム日本一に力を添える。

2000年は怪我で出遅れ一軍登板は6月からとなるが、8月に2試合連続完封(共に近鉄戦)を達成するが、右手指の負傷で3勝に終わる。同年の巨人との日本シリーズはリリーフとして2試合に登板、第3戦では松井秀喜に駄目押しとなる2点本塁打を喫する。

2001年はチームトップタイの13勝を挙げ、同年7月には月間MVPも受賞[3]2002年にもシーズン途中不振でリリーフに配置転換されたりもしたがチーム2位の9勝を挙げた。特に近鉄日本ハムとの対戦を得意とした。

2003年は肘を痛めて手術し0勝に終わった。

2004年和田毅が体調を崩したのをきっかけに先発要員として復帰し、7勝をマーク。

2005年にも8勝を挙げた。

2006年は1試合の登板に終わる。

2007年は再起を誓い順調なオフを過ごしていたもののキャンプで両足を捻挫し、復活はならなかった。

2008年11月4日に戦力外通告を受けた。

現役引退後

[編集]

2008年11月7日に現役引退と二軍コンディショニングコーチ補佐就任が球団から発表された。その後記者会見で星野は「選手のために命懸けで教えられる指導者になりたい」と話した[4]

2010年まで二軍コンディショニングコーチ補佐を務めた。

2011年からは二軍・三軍編成育成部育成担当。

2017年からは育成担当ディレクター[5]

2020年からは編成育成本部育成部長を務めた[6]

2023年からはコーディネーター(投手)を務める[2]

選手としての特徴

[編集]

先発、中継ぎをこなせる右腕として定評があった[3]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1998 ダイエー
ソフトバンク
2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
1999 22 21 4 0 0 10 8 0 -- .556 512 120.0 113 10 50 2 6 50 1 1 55 53 3.98 1.36
2000 18 8 3 2 0 3 6 0 -- .333 245 58.2 55 8 14 0 0 32 0 0 31 27 4.14 1.18
2001 30 28 3 1 0 13 9 0 -- .591 762 175.2 197 24 50 4 7 82 0 0 93 85 4.35 1.41
2002 33 21 2 1 1 9 10 0 -- .474 582 138.2 133 19 35 6 12 68 1 1 66 58 3.76 1.21
2003 2 1 1 0 1 0 1 0 -- .000 45 10.1 14 2 0 0 0 7 0 0 9 8 6.97 1.35
2004 21 18 0 0 0 7 8 0 -- .467 500 120.1 112 20 31 2 10 66 1 0 65 62 4.64 1.19
2005 19 18 2 2 0 8 5 0 0 .615 402 96.1 101 11 16 0 4 64 0 0 46 46 4.30 1.21
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 1.0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0.00 1.00
2007 5 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 17 3.2 5 0 2 0 0 1 0 0 1 1 2.45 1.91
2008 3 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 35 7.0 9 0 6 0 1 3 0 0 7 7 9.00 2.14
通算:11年 156 117 15 6 2 50 48 0 1 .510 3109 732.2 740 94 205 14 41 373 3 2 373 347 4.26 1.29
  • 各年度の太字はリーグ最多
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

表彰

[編集]

記録

[編集]
初記録
  • 初登板:1998年8月11日、対近鉄バファローズ20回戦(福岡ドーム)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初先発登板・初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1999年5月2日、対西武ライオンズ5回戦(福岡ドーム)、9回1失点
  • 初奪三振:同上、2回表にグレッグ・ブロッサーから
  • 初完封勝利:2000年8月2日、対大阪近鉄バファローズ18回戦(福岡ドーム)
  • 初ホールド:2007年5月18日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回表2死に2番手で救援登板、1/3回無失点

背番号

[編集]
  • 33(1998年 - 2008年)
  • 93(2009年 - 2010年)
  • 020(2023年 - )

脚注

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  1. ^ a b c d 【NPB】元ソフトバンク投手の星野順治さんが野球教室”. 新潟野球.com (2019年12月30日). 2022年11月29日閲覧。
  2. ^ a b 2022/11/28(月) プレスリリース 新入団・就任コーチのお知らせ”. 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト (2022年11月28日). 2022年11月29日閲覧。
  3. ^ a b ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P28
  4. ^ 2008/11/07(金) 星野コンディショニングコーチ補佐が就任会見”. 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト (2008年11月7日). 2022年11月29日閲覧。
  5. ^ 【NPB】「基本をコツコツと」 元ソフトバンク投手の星野順治さんが野球教室”. 新潟野球.com (2016年12月30日). 2022年11月29日閲覧。
  6. ^ 2020/12/01(火) プレスリリース 組織変更および人事異動について”. 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト (2020年12月1日). 2022年11月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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