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「雷銅」の版間の差分

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'''雷 銅'''(らい どう)は、[[中国]][[後漢]]末期の人物。[[劉備]]配下武将
{{三国志の人物
|名前 = 雷銅
|画像 =
|サイズ =
|説明 =
|王朝 = [[後漢]]
|称号・役職 =
|出生 = 生年不詳
|出身地 =
|死去 = [[218年]]([[建安 (漢)|建安]]23年)
|死没地 =
|ピン音 = Léi Tóng
|字 =
|諡号 =
|廟号 =
|別名 =
|主君 = [[劉備]]
|特記事項 =
}}
'''雷 銅'''(らい どう、? - [[218年]])は、[[中国]][[後漢]]末期の武将[[三国志 (歴史書)|三国志]]』蜀書先主伝・[[周羣]]伝にみ記述がある


[[建安 (漢)|建安]]23年([[218年]])、劉備の命で[[呉蘭]]と共に[[武都郡]]へ侵攻したが、[[曹操]]配下の[[曹洪]]によって全滅に追い込まれた<ref>[[陳寿]]撰、[[裴松之]]注『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』蜀書先主伝、及び魏書武帝紀より。なお武帝紀では、呉蘭ら(雷銅の名は記さず)は建安22年から(武都郡の)下弁に駐屯したが、翌年に曹洪によって撃ち破られたとしている。</ref>。
== 人物 ==
=== 生涯 ===
[[劉備]]配下。[[建安 (漢)|建安]]23年(218年)、劉備の[[漢中郡|漢中]]進軍に先行して、雷銅は[[呉蘭]]と共に[[武都郡]]へ進攻した<ref>ただし『三国志』魏書武帝紀によれば、呉蘭は建安22年([[217年]])末に下弁(武都郡)に駐屯したとある。</ref>。しかし雷銅は[[曹操]]が派遣した[[曹洪]]・[[曹休]]に敗北し、軍を全滅させられ戦死した。史書の記述はこれだけである。


=== 物語中の雷銅 ===
== 三国志演義 ==
小説『[[三国志演義]]』では[[劉璋]]配下として登場する(史実では、劉璋配下であったかどうかは確認できない)[[益州]]進攻を開始した劉備軍を防ぐため、[[呉懿]]挙され呉蘭と共にその副将となり、雒城を守る。[[張任]]の命令で城から出て善戦す計略にかかって劉備軍に捕まり、後に降伏し、そ将となる。
[[羅貫中]]の小説『[[三国志演義]]』では、版によっては'''雷同'''と表記される。初めは[[劉璋]]配下の将として登場。劉備軍の侵攻に対し、[[呉懿]]薦を受けてその副将となり、彼と共に雒城を守る<ref>[[s:zh:三國演義/第062回]]</ref>。[[張任]]が[[龐統]]を射殺すると、勢いに乗って雒城から出攻撃をかけなど一進一退の攻防を繰り広げた<ref>[[s:zh:三國演義/第063回]]</ref>。4日目の戦闘でも[[魏延]]・[[黄忠]]を相手攻勢をいたが、劉備と[[張飛]]帰路を断たれて降伏。以降は劉備配下の将となる<ref>[[s:zh:三國演義/第064回]]</ref>


劉備の益州平定後は、漢中で[[張飛]]に従って巴西を守る。[[張郃]]が三万兵を連れてめて来たが、張飛と共これ前後から攻め、伏兵で攻撃退している。しかし、雷銅が逃げる張郃を追撃したとろ、今度は相手方の伏兵に退路を断たれてしまい、張郃に突き殺されることになっている
[[漢中郡|漢中]]を中心とする曹操軍との攻防は、張飛に従って[[巴西郡]]を守る。巴西は[[張郃]]の攻撃を受けるが、雷銅は伏兵の設置を献策し、また張飛の策従って敵の支隊を撃ち破るなど貢献。一度は張郃を撃退る。しかし再度出撃してきた張郃との遭遇戦で負けた素振りを見せ敗走する張郃を追撃。そ伏兵からの挟撃い、最期は張郃によって刺殺される<ref>[[s:zh:三國演義/第070回]]</ref>

[[吉川英治]]や、[[横山光輝]]の『[[三国志 (吉川英治)|三国志]]』では、「'''雷同'''」と表記されている。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
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== 参考文献 ==
* <span style="font-size:90%;">『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』蜀書2先主伝</span>
* <span style="font-size:90%;">同蜀書12周羣伝</span>
* <span style="font-size:90%;">『[[三国志演義|三国演義]]』</span>


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[[Category:劉備軍の人物]]
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[[Category:3世紀中国の軍人]]

2024年4月3日 (水) 04:37時点における最新版

雷 銅(らい どう)は、中国後漢末期の人物。劉備配下の武将。

建安23年(218年)、劉備の命で呉蘭と共に武都郡へ侵攻したが、曹操配下の曹洪によって全滅に追い込まれた[1]

三国志演義

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羅貫中の小説『三国志演義』では、版によっては雷同と表記される。初めは劉璋配下の将として登場。劉備軍の侵攻に対し、呉懿の推薦を受けてその副将となり、彼と共に雒城を守る[2]張任龐統を射殺すると、勢いに乗って雒城から出撃し攻撃をかけるなど、一進一退の攻防を繰り広げた[3]。4日目の戦闘でも魏延黄忠を相手に攻勢をかけていたが、劉備と張飛に帰路を断たれて降伏。以降は劉備配下の将となる[4]

漢中を中心とする曹操軍との攻防では、張飛に従って巴西郡を守る。巴西は張郃の攻撃を受けるが、雷銅は伏兵の設置を献策し、また張飛の策に従って敵の支隊を撃ち破るなど貢献。一度は張郃を撃退する。しかし再度出撃してきた張郃との遭遇戦で、負けた素振りを見せ敗走する張郃を追撃。そこを伏兵からの挟撃に遭い、最期は張郃によって刺殺される[5]

脚注

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  1. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書先主伝、及び魏書武帝紀より。なお武帝紀では、呉蘭ら(雷銅の名は記さず)は建安22年から(武都郡の)下弁に駐屯したが、翌年に曹洪によって撃ち破られたとしている。
  2. ^ s:zh:三國演義/第062回
  3. ^ s:zh:三國演義/第063回
  4. ^ s:zh:三國演義/第064回
  5. ^ s:zh:三國演義/第070回