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[[File:Ebby Thust with Ken Norton.JPG|thumb|right|160px|1986年11月16日。左はプロモーター]] |
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|name=ケン・ノートン |
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'''ケン・ノートン'''('''Ken Norton'''、[[1943年]][[8月9日]] - )は、男性[[プロボクサー]]。[[アメリカ合衆国]]の[[イリノイ州]][[ジャクソンビル]]出身。プロボクシング史上最初にして唯一'''世界戦で一度も勝利したことが無い世界王者'''である。その強打で[[モハメド・アリ]]の顎を割ったことがある。ヘビー級には珍しくボディ攻撃のできる実力派だったが、アリ、フォアマン、ホームズといった怪物たちに囲まれ、生まれた時代が悪すぎたと言えよう。ハンサムな風貌から映画にも出演している(「[[マンディンゴ]]」「ドラム」)。 |
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'''ケン・ノートン'''こと、'''ケネス・ハワード・ノートン'''('''Kenneth Howard Norton'''、[[1943年]][[8月9日]] - [[2013年]][[9月18日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[男性]][[プロボクサー]]。元[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ヘビー級]]王者。[[イリノイ州]][[ジャクソンビル (イリノイ州)|ジャクソンビル]]出身。 |
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プロボクシング史上初にして唯一“'''世界タイトルマッチで一度も勝利したことが無い世界王者'''”。筋骨隆々とした肉体とハンサムな風貌から、俳優としてTVドラマや映画に出演している(「[[マンディンゴ]]」「[[ドラム (映画)|ドラム]]」)。また、「[[ロッキー (映画)|ロッキー]]」でアポロ・クリード役を演じる予定だったが、都合により[[カール・ウェザース]]に変更となった。 |
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息子の[[ケン・ノートン・ジュニア]]は[[スーパーボウル]]を3年連続制覇した元[[NFL]]選手。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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高校時代、陸上競技と[[アメリカンフットボール]]の選手として注目され、北東ミズーリ州立大学(現[[トルーマン州立大学]])へスポーツ奨学生として入学する。その後、[[アメリカ海兵隊]]に入隊し、[[サンディエゴ]]の基地でボクシングと出会う。除隊後、[[ジョー・フレージャー]]のスパーリングパートナーを務めながら、[[1967年]]11月14日、プロデビュー。 |
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* [[1967年]]11月14日、プロデビュー。 |
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* [[1973年]]3月31日、[[モハメド・アリ]]に12ラウンド判定勝ちし、北米ヘビー級タイトルを獲得。アリは、この試合でノートンのパンチを受けて、顎を骨折。 |
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[[1973年]]3月31日、[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]で元世界ヘビー級王者[[モハメド・アリ]]と対戦。戦前は無謀なマッチメイクと評されていたが、12ラウンド判定勝ちの番狂わせで北米ヘビー級タイトルを獲得。アリは第2Rにノートンのパンチを受けて顎を骨折し、ノートンは「アリの顎を砕いた男」として名を馳せる。 |
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* [[1973年]]9月10日、モハメド・アリと再戦、僅差の12ラウンド判定負け。 |
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[[1973年]]9月10日、モハメド・アリとの再戦に臨むも、僅差の12ラウンド判定負け。 |
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* [[1977年]]11月15日、この年の3月17日に[[プエルト・リコ]]で[[ジョージ・フォアマン]]と対戦して、最終の12ラウンドにダウンを与えて判定勝ちした[[ジミー・ヤング]]とアリとの次期世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、僅差の15ラウンド判定勝ち。 |
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* [[1978年]]6月10日、[[ラスベガス]]の[[シーザース・パレス]]での初防衛戦で[[ラリー・ホームズ]]に僅差の15ラウンド判定負け(143-142、142-143、142-143)を喫し、タイトルを失う。 |
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[[1976年]]9月28日、[[ニューヨーク]]の[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]においてモハメド・アリの持つWBA・WBC世界ヘビー級王座に挑戦。序盤から優位に試合を進め、最終15R終了後には勝利を確信していたが、ラウンドシステムの判定で0-3の判定負けを喫する。第2戦に続き、この判定結果も物議を醸した(アリとの計3戦は、ノートンの1勝2敗となった)。 |
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[[1977年]]11月15日、[[ジミー・ヤング]]と世界ヘビー級王座挑戦者決定戦で対戦し、僅差の15ラウンド判定勝ち。 |
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[[1978年]]6月10日、[[ネバダ州]][[ラスベガス]]の[[シーザーズ・パレス]]で[[ラリー・ホームズ]]の挑戦を受け、WBC王座初防衛戦を行う。試合では15ラウンドを戦い抜いて判定に持ち込まれ、ジャッジペーパーの結果は1-2(143-142、142-143、142-143)と1点差の際どいものとなり、ノートンが敗れてホームズに王座を明け渡した。 |
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[[1986年]]、自動車運転中に自損事故を起こし、頭蓋骨骨折の重傷を負う。事故前後の数年間の記憶を失い、歩行や発声にハンディキャップを抱える。 |
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[[2013年]][[9月18日]]、ネバダ州ラスベガス近郊にて死去<ref>[http://www.nytimes.com/2013/09/19/sports/ken-norton-a-championship-fighter-who-broke-alis-jaw-is-dead-at-70.html?_r=0 Ken Norton, a Championship Fighter Who Broke Ali’s Jaw, Is Dead at 70] New York Times 2013-9-19</ref>。70歳没。 |
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== 戦績 == |
== 戦績 == |
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* プロボクシング: 50戦 42勝 (33KO) 7敗 1分 |
* プロボクシング: 50戦 42勝 (33KO) 7敗 1分 |
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== 映画出演 == |
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1975年にリチャード・フライシャー監督が発表した映画『[[マンディンゴ]]』に出演した。 |
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== 脚注 == |
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== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Ken Norton}} |
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* [[男子ボクサー一覧]] |
* [[男子ボクサー一覧]] |
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* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]] |
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]] |
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* [[:en:Ken Norton (American football player)|ケン・ノートン Jr]] - 彼の息子で元NFL選手。 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* {{Boxrec|id=168|name=ケン・ノートン}} |
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* [http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=168&cat=boxer BoxRecによる戦績] |
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[[Category:イリノイ州モーガン郡出身の人物]] |
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[[ru:Нортон, Кен]] |
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[[sv:Ken Norton]] |
2024年4月4日 (木) 04:07時点における最新版
1976年 | |
基本情報 | |
---|---|
本名 | ケネス・ハワード・ノートン |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1943年8月9日 |
出身地 | イリノイ州モーガン郡ジャクソンビル |
死没日 | 2013年9月18日(70歳没) |
死没地 | ネバダ州ラスベガス |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 50 |
勝ち | 42 |
KO勝ち | 33 |
敗け | 7 |
引き分け | 1 |
ケン・ノートンこと、ケネス・ハワード・ノートン(Kenneth Howard Norton、1943年8月9日 - 2013年9月18日)は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。元WBC世界ヘビー級王者。イリノイ州ジャクソンビル出身。
プロボクシング史上初にして唯一“世界タイトルマッチで一度も勝利したことが無い世界王者”。筋骨隆々とした肉体とハンサムな風貌から、俳優としてTVドラマや映画に出演している(「マンディンゴ」「ドラム」)。また、「ロッキー」でアポロ・クリード役を演じる予定だったが、都合によりカール・ウェザースに変更となった。
息子のケン・ノートン・ジュニアはスーパーボウルを3年連続制覇した元NFL選手。
来歴
[編集]高校時代、陸上競技とアメリカンフットボールの選手として注目され、北東ミズーリ州立大学(現トルーマン州立大学)へスポーツ奨学生として入学する。その後、アメリカ海兵隊に入隊し、サンディエゴの基地でボクシングと出会う。除隊後、ジョー・フレージャーのスパーリングパートナーを務めながら、1967年11月14日、プロデビュー。
1973年3月31日、カリフォルニア州サンディエゴで元世界ヘビー級王者モハメド・アリと対戦。戦前は無謀なマッチメイクと評されていたが、12ラウンド判定勝ちの番狂わせで北米ヘビー級タイトルを獲得。アリは第2Rにノートンのパンチを受けて顎を骨折し、ノートンは「アリの顎を砕いた男」として名を馳せる。
1973年9月10日、モハメド・アリとの再戦に臨むも、僅差の12ラウンド判定負け。
1974年3月26日、ベネズエラのカラカスでジョージ・フォアマンの持つWBA・WBC世界ヘビー級王座に挑戦するが、フォアマンの強打に為すすべなくダウンし、2ラウンドKO負け。
1976年9月28日、ニューヨークのヤンキー・スタジアムにおいてモハメド・アリの持つWBA・WBC世界ヘビー級王座に挑戦。序盤から優位に試合を進め、最終15R終了後には勝利を確信していたが、ラウンドシステムの判定で0-3の判定負けを喫する。第2戦に続き、この判定結果も物議を醸した(アリとの計3戦は、ノートンの1勝2敗となった)。
1977年11月15日、ジミー・ヤングと世界ヘビー級王座挑戦者決定戦で対戦し、僅差の15ラウンド判定勝ち。
1978年3月、この年の2月15日にアリとの世界ヘビー級タイトル戦で判定勝ちして世界ヘビー級王座を獲得したレオン・スピンクスが初防衛戦でWBCが指定したノートンとの対戦を拒否してアリとの再戦を選んだため、スピンクスから王座を剥奪したWBCによって世界ヘビー級チャンピオンに認定される。
1978年6月10日、ネバダ州ラスベガスのシーザーズ・パレスでラリー・ホームズの挑戦を受け、WBC王座初防衛戦を行う。試合では15ラウンドを戦い抜いて判定に持ち込まれ、ジャッジペーパーの結果は1-2(143-142、142-143、142-143)と1点差の際どいものとなり、ノートンが敗れてホームズに王座を明け渡した。
1979年3月23日、アーニー・シェーバースとWBC世界ヘビー級王座挑戦者決定戦で対戦、1ラウンドKO負け。
1981年5月11日、ニューヨークでジェリー・クーニーと対戦し、1ラウンドKO負け、引退。
1986年、自動車運転中に自損事故を起こし、頭蓋骨骨折の重傷を負う。事故前後の数年間の記憶を失い、歩行や発声にハンディキャップを抱える。
2013年9月18日、ネバダ州ラスベガス近郊にて死去[1]。70歳没。
戦績
[編集]- プロボクシング: 50戦 42勝 (33KO) 7敗 1分
映画出演
[編集]1975年にリチャード・フライシャー監督が発表した映画『マンディンゴ』に出演した。
脚注
[編集]- ^ Ken Norton, a Championship Fighter Who Broke Ali’s Jaw, Is Dead at 70 New York Times 2013-9-19
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 レオン・スピンクス |
WBC世界ヘビー級王者 1978年3月29日(認定) - 1978年6月9日 |
次王者 ラリー・ホームズ |