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'''藤﨑 紘範'''(ふじさき ひろのり、[[1980年]][[5月21日]] - )は、[[宮崎県]][[延岡市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。右投右打。現在は[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の[[打撃投手]]を務める


== 歴 ==
現在は[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の[[打撃投手]]を務める。

== 歴 ==
=== 近鉄時代 ===
=== 近鉄時代 ===
[[1998年]]に[[宮崎第一中学校・高等学校|宮崎第一高等学校]]から[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]5位で[[大阪近鉄バファローズ]]に入団。同校初のプロ野球選手となった。
[[1998年]]に[[宮崎第一中学高等学校|宮崎第一高等学校]]から[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]5位で[[大阪近鉄バファローズ]]に入団。同校初のプロ野球選手となった。


[[1999年]]は8月4日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦で、近鉄としては1989年の[[赤堀元之]]以来の高卒新人一軍先発を務めた。以後、毎年数試合ずつ一軍登板を記録していき、2002年9月30日の対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦でプロ初勝利をあげた。しかし、これがプロであげた唯一の白星となった。
[[1999年]]は8月4日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦で、近鉄としては1989年の[[赤堀元之]]以来の高卒新人一軍先発を務めた。以後、毎年数試合ずつ一軍登板を記録していき、2002年9月30日の対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦でプロ初勝利をあげた。しかし、これがプロであげた唯一の白星となった。


[[2004年]]は二軍で最優秀勝率のタイトルを獲得するも、シーズン終了後に[[自由契約選手]]となり[[選手分配ドラフト]]の適用対象外で新規参入の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]にテスト入団。([[松坂世代]]で近鉄球団最終年04年と楽天球団初年度在籍は藤崎のみ)
[[2004年]]は二軍で最優秀勝率のタイトルを獲得するも、10月6日に[[戦力外通告]]を受け<ref>「近鉄、赤堀、加藤ら8選手に戦力外通告」『[[読売新聞]]』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)10月7日付朝刊、22面(スポーツ面)。</ref>、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]にテスト入団。


=== 楽天時代 ===
=== 楽天時代 ===
[[2005年]]は[[オープン戦]]での活躍が認められ開幕一軍入りを果たした。開幕2戦目となった[[3月27日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[千葉マリンスタジアム]])で先発を務めた。しかし、初回から滅多打ちに遭い、2回をたず4失点で降板。その後を受けた投手達も失点を重ねていき、チームは0-26という「記録的大敗」を喫した試合であった。その後、この年は一軍での目立った活躍は無かった。
[[2005年]]は[[オープン戦]]での活躍が認められ開幕一軍入りを果たした。開幕2戦目となった[[3月27日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[千葉マリンスタジアム]])で先発に抜擢された。しかし、初回から滅多打ちに遭い、2回をたず4失点で降板。その後を受けた投手達も失点を重ねていき、チームは0-26という「記録的大敗」を喫した試合であった([[千葉ロッテマリーンズ 26-0 東北楽天ゴールデンイーグルス|詳細]]。楽天としての公式戦初の敗戦投手が記録された)。その後、この年は一軍での目立った活躍は無かった。


[[2006年]]は開幕メンバーにこそ選ばれなかったが、前年とは一転してリリーフ投手として落ち着きのある投球を披露し、自己最多の21試合に登板した。しかし、翌[[2007年]]はプロ入り後初めて一軍戦での登板はなく、[[10月5日]]に[[戦力外通告]]を受けて[[現役引退]]。引退後は[[打撃投手]]としてチームに残留している。
[[2006年]]は開幕メンバーにこそ選ばれなかったが、前年とは一転してリリーフ投手として落ち着きのある投球を披露し、自己最多の21試合に登板した。しかし、翌[[2007年]]はプロ入り後初めて一軍戦での登板はなく、[[10月5日]]に戦力外通告を受けて[[現役引退]]。引退後は[[打撃投手]]としてチームに残留している。


== プレースタイル・人物 ==
== 選手としての特徴・人物 ==
[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[カーブ (球種)|スローカーブ]]・[[フォークボール|フォーク]]など多彩な変化球を駆使し打たせて取る軟投派。球速は常時130km/h台(MAX142km/h)と、右腕としては遅い部類であるが、ハマった時にはかなり好投を見せる。しかし、球速があまり出ないため球にキレがないと滅多打ちを食らうという両極端な投手である。
[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[カーブ (球種)|スローカーブ]]・[[フォークボール|フォーク]]など多彩な変化球を駆使し打たせて取る軟投派。球速は常時130km/h台(MAX142km/h)と、右腕としては遅い部類であるが、ハマった時にはかなり好投を見せる。しかし、球速があまり出ないため球にキレがないと滅多打ちを食らうという両極端な投手である。


先発としては打ち込まれKOされることが多が、反面リリーフとして登板すると前述のように意外な好投を見せることが間々ある。2006年6月8日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]戦では、直前の[[川井貴志]]が[[古木克明]]に死球を与えて、無死満塁とピンチを拡げたところでこの日の4番手として登板すると、[[内川聖一]]を三飛に、続く[[内藤雄太]]・[[鶴岡一成]]を連続三振に打ち取り、この回を無失点で切り抜けた。同年は他にも敗戦処理で抜群の安定感を発揮した。
先発としては打ち込まれKOされることが多かったが、反面リリーフとして登板すると前述のように意外な好投を見せることが間々ある。2006年6月8日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]戦では、直前の[[川井貴志]]が[[古木克明]]に死球を与えて、無死満塁とピンチを拡げたところでこの日の4番手として登板すると、[[内川聖一]]を三飛に、続く[[内藤雄太]]・[[鶴岡一成]]を連続三振に打ち取り、この回を無失点で切り抜けた。同年は他にも敗戦処理で抜群の安定感を発揮した。


妻は[[ラジオ大阪]]の近鉄戦を中継する番組・[[近鉄バファローズナイター]]でリポーターをしていた。
妻は[[大阪放送|ラジオ大阪]]の近鉄戦を中継する番組・[[近鉄バファローズナイター]]でリポーターをしていた。


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[[2003年]][[11月]]に長女が誕生した際、球団を通し命名を公表したが、その名前が[[藤崎詩織|とある有名ゲーム作品の登場人物]]と[[同音異字|同じ読み]]であったため話題となった。
<!--上記の件について、以前に長女の実名の記載により、「プライバシー侵害」という理由で緊急特定版削除が行われています。実名の記載はもちろん、該当ゲーム作品の内部リンク添付もご遠慮ください。詳細についてはノート参照。-->
<!--上記の件について、以前に長女の実名の記載により、「プライバシー侵害」という理由で緊急特定版削除が行われています。実名の記載はもちろん、該当ゲーム作品の内部リンク添付もご遠慮ください。詳細についてはノート参照。-->


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=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
* '''60''' (1999年 - 2007年)
* '''60''' (1999年 - 2007年)
* '''117''' (2008年 - )

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== 関連項目 ==
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藤﨑 紘範
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県延岡市
生年月日 (1980-05-21) 1980年5月21日(44歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト5位
初出場 1999年5月8日
最終出場 2006年6月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤﨑 紘範(ふじさき ひろのり、1980年5月21日 - )は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルス打撃投手を務める。

経歴

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近鉄時代

[編集]

1998年宮崎第一高等学校からドラフト5位で大阪近鉄バファローズに入団。同校初のプロ野球選手となった。

1999年は8月4日の対西武ライオンズ戦で、近鉄としては1989年の赤堀元之以来の高卒新人一軍先発を務めた。以後、毎年数試合ずつ一軍登板を記録していき、2002年9月30日の対福岡ダイエーホークス戦でプロ初勝利をあげた。しかし、これがプロであげた唯一の白星となった。

2004年は二軍で最優秀勝率のタイトルを獲得するも、10月6日に戦力外通告を受け[1]東北楽天ゴールデンイーグルスにテスト入団。

楽天時代

[編集]

2005年オープン戦での活躍が認められ開幕一軍入りを果たした。開幕2戦目となった3月27日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で先発に抜擢された。しかし、初回から滅多打ちに遭い、2回を待たず4失点で降板。その後を受けた投手達も失点を重ねていき、チームは0-26という「記録的大敗」を喫した試合であった(詳細。楽天としての公式戦初の敗戦投手が記録された)。その後、この年は一軍での目立った活躍は無かった。

2006年は開幕メンバーにこそ選ばれなかったが、前年とは一転してリリーフ投手として落ち着きのある投球を披露し、自己最多の21試合に登板した。しかし、翌2007年はプロ入り後初めて一軍戦での登板はなく、10月5日に戦力外通告を受けて現役引退。引退後は打撃投手としてチームに残留している。

選手としての特徴・人物

[編集]

スライダースローカーブフォークなど多彩な変化球を駆使し打たせて取る軟投派。球速は常時130km/h台(MAX142km/h)と、右腕としては遅い部類であるが、ハマった時にはかなり好投を見せる。しかし、球速があまり出ないため球にキレがないと滅多打ちを食らうという両極端な投手である。

先発としては打ち込まれKOされることが多かったが、反面リリーフとして登板すると前述のように意外な好投を見せることが間々ある。2006年6月8日の対横浜戦では、直前の川井貴志古木克明に死球を与えて、無死満塁とピンチを拡げたところでこの日の4番手として登板すると、内川聖一を三飛に、続く内藤雄太鶴岡一成を連続三振に打ち取り、この回を無失点で切り抜けた。同年は他にも敗戦処理で抜群の安定感を発揮した。

妻はラジオ大阪の近鉄戦を中継する番組・近鉄バファローズナイターでリポーターをしていた。

2003年11月に長女が誕生した際、球団を通し命名を公表したが、その名前がとある有名ゲーム作品の登場人物同じ読みであったため話題となった。

モーニング娘。が好きであり、中でも高橋愛のファンである。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1999 近鉄 4 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 50 10.0 12 2 9 0 1 5 1 0 11 10 9.00 2.10
2000 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 3.1 4 0 1 0 0 1 0 0 3 2 5.40 1.50
2001 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 70 14.2 20 0 6 0 2 7 0 0 10 10 6.14 1.77
2002 3 2 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 37 9.0 9 0 3 0 0 5 0 1 3 3 3.00 1.33
2003 5 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 32 7.2 11 1 0 0 1 2 0 0 4 4 4.70 1.43
2004 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 2.00
2005 楽天 5 4 0 0 0 0 3 0 0 .000 77 16.1 25 3 6 1 0 8 2 0 16 15 8.27 1.90
2006 21 2 0 0 0 0 2 0 0 .000 153 35.0 35 3 12 1 1 23 1 0 22 20 5.14 1.34
通算:8年 49 10 0 0 0 1 7 0 0 .125 438 97.0 117 9 38 2 5 51 4 1 69 64 5.94 1.60

記録

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背番号

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  • 60 (1999年 - 2007年)
  • 117 (2008年 - )

脚注

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  1. ^ 「近鉄、赤堀、加藤ら8選手に戦力外通告」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)10月7日付朝刊、22面(スポーツ面)。

関連項目

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外部リンク

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