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{{存命人物の出典明記|date=2018年10月}}
ぴえん
{{Infobox baseball player
|選手名 = 小熊 凌祐
|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = CD-Ryosuke-Oguma20120714.jpg
|写真のコメント = 現役時代
|国籍 = {{JPN}}
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'''小熊 凌祐'''(おぐま りょうすけ、[[1990年]][[8月11日]] - )は、[[滋賀県]][[滋賀郡]][[志賀町 (滋賀県)|志賀町]](現:[[大津市]])出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])、[[打撃投手]]。

== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[志賀町立和邇小学校]](現大津市立)3年時に和邇野球スポーツ少年団で野球を始める。卒業後に[[志賀町立志賀中学校]](現大津市立)に入学し[[大津瀬田レイカーズ]]に所属後[[近江高等学校]]に進学する。近江高時代は2年時の[[第89回全国高等学校野球選手権大会]]滋賀大会決勝で[[中日ドラゴンズ]]でチームメイトとなる[[石川駿]]を擁する[[滋賀県立北大津高等学校|北大津]]に勝利し出場するも、2回戦で[[熊代聖人]]を擁する[[愛媛県立今治西高等学校|今治西]]に敗れた。秋季大会では[[皇子山球場]]で行われた初戦の[[光泉カトリック中学校・高等学校|光泉]]戦において、毎回の15奪三振で[[ノーヒットノーラン]]を達成。2回戦では[[則本昂大]]を擁する[[滋賀県立八幡商業高等学校|八幡商]]に勝利するも、準決勝で北大津高に敗れて、選抜大会出場はならなかった。翌年3年時の[[第90回全国高等学校野球選手権記念大会]]は初戦敗退に終わった。近江高の同級生に[[丸山亜季 (バレーボール)|丸山亜季]]がいる。

{{by|2008年}}10月30日の[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で中日ドラゴンズから6位で指名された。指名後の11月7日に以前から不安を抱えていた右肘を手術し、11月28日に契約金2500万円、年俸540万円(金額は推定)で仮契約した。

=== 中日時代 ===
プロ3年目の{{by|2011年}}[[5月6日]]に一軍初登板。5月20日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦でプロ初勝利を挙げるも防御率は16.00と精彩を欠く<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/20/kiji/K20110520000860900.html 2番手で登板の3年目小熊 プロ初勝利に感謝しきり] スポーツニッポン 2011年5月20日付記事</ref>。

{{by|2012年}}は、[[ウエスタン・リーグ]]最多の16セーブをあげたが、一軍での登板は1試合に留まった。

{{by|2013年}}は、初の開幕一軍入りを果たす。しかし、右肩痛のためわずか7試合で二軍落ちとなってしまう。8月に一軍復帰した後は安定した投球を続け、自己最多の28試合に登板し、防御率も2桁台であった過去2年に比べて大幅に改善した。同年10月3日に行われた[[前田智徳]]の[[引退試合]]では前田の最後の対戦相手となりピッチャーゴロに打ち取っている。

{{by|2014年}}は5月に一軍昇格したものの、5月6日の[[阪神タイガース]]戦で、延長12回表に[[梅野隆太郎]]に勝ち越し2ランを浴びる<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/07/kiji/K20140507008110910.html 中日・岩瀬 9回1点リード守れず…勝てた試合落とした] スポーツニッポン 2014年5月7日付記事</ref>など打ち込まれて敗戦投手になり、翌日に二軍落ちとなった。この年はわずか2試合の登板に留まった。

{{by|2015年}}5月2日の[[横浜DeNAベイスターズ]]戦でプロ初先発。好投し勝ち投手の条件を満たしたまま降板したが、9回に抑えで同学年の[[福谷浩司]]が逆転を許し、先発での初勝利は逃したものの、同年8月26日に同じくDeNA戦で8回途中3失点で先発初勝利を挙げ、初の[[ヒーローインタビュー]]を受けた。

{{by|2016年}}は、春季キャンプから2軍スタートだったものの4月6日のDeNA戦に先発し、1被安打1与四球5奪三振無失点の好投で僅か93球でプロ初完封を挙げた。[[マダックス (記録)|100球未満での完封]]勝利は球団では2011年8月17日の[[陳偉殷|チェン・ウェイン]]以来5年振りであった。その後ローテーション入りするも5月5日に[[原口文仁]]の放った打球が右腕を直撃し負傷退場した。

{{by|2017年}}は4試合に登板、0勝3敗、防御率9.53であった。

{{by|2018年}}は開幕を二軍で迎えるも、7月29日の巨人戦で先発し5回2失点でシーズン初勝利を挙げた。その後は先発ローテーションに定着し8試合に登板。3勝4敗で防御率は6.23であった。

{{by|2019年}}は1月8日に前年10月に[[婚姻届]]を提出していたことを発表<ref>[https://www.sanspo.com/article/20190108-7NRFYOFLGZKM3GLBGQY7EJ2FKI/ 中日・佐藤、小熊が結婚発表] サンケイスポーツ 2019年1月8日付記事</ref>。キャンプは一軍スタートとなったものの、前年は先発ローテ入りしたにもかかわらず、3月に二軍降格となった。敗戦処理要員で開幕一軍メンバーに滑り込んだが、2度のサヨナラ負けを喫するなどの乱調で4月11日に登録抹消された。二軍降格後も先発復帰できずそのまま一軍復帰することなくシーズンを終え、11月12日には150万円減の推定1050万円でサインした<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/11/12/kiji/20191112s00001173259000c.html 中日・小熊 150万円減の年俸1050万円でサイン「もうちょっとやれたかなというのはある」] スポーツニッポン 2019年11月12日付記事</ref>。

{{by|2020年}}は、一軍での登板がなく、11月3日に球団より[[戦力外通告]]を受けた<ref>{{Cite news2|title= 来季の契約について|url= http://dragons.jp/news/2020/20110301.html|date= 2020-11-03|accessdate= 2020-11-03|publisher= 中日ドラゴンズ公式サイト}}</ref>。戦力外通告を受けた時点では現役続行を表明し、12月7日に[[明治神宮野球場]]で行われた[[12球団合同トライアウト]]に[[伊藤準規]]と[[大藏彰人]]とともに参加した。結果は打者3人を無安打に抑え、[[独立リーグ]]を選択肢に入れていることを明かした<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012070000877.html 中日小熊、打者3人を無安打 独立リーグも視野] 日刊スポーツ 2020年12月7日付記事</ref>。

当初は現役続行を希望していたが、中日球団からのスタッフ転身の打診を受け、現役を引退した<ref>{{Cite web|和書|title=中日から戦力外の小熊凌祐が引退「やり切った思い。悔いはない」今後は打撃投手兼記録ビデオ担当に|url=https://www.chunichi.co.jp/article/182571|website=中日スポーツ・東京中日スポーツ|accessdate=2021-01-16}}</ref>。

=== 現役引退後 ===
{{by|2021年}}1月8日に中日と[[打撃投手]]兼記録ビデオ担当の球団スタッフとして契約したことが発表された<ref>{{Cite news|title= 中日 戦力外の小熊ら3人が球団スタッフに |url= https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/01/08/kiji/20210108s00001173377000c.html?amp=1 |date= 2021-01-08|accessdate= 2021-01-08|publisher= スポニチアネックス}}</ref>。2021年の春季キャンプからは、二軍の打撃投手兼記録ビデオ担当として活動している。

== 選手としての特徴 ==
平均球速約142km/h<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2014|title=2014 プロ野球オール写真選手名鑑|publisher=日本スポーツ企画出版社|pages=158頁|id=ISBN 978-4-905411-17-8}}</ref>、最速150km/hの[[速球|ストレート]]と[[スライダー (球種)|スライダー]]が武器。

== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
{| {{投手成績|リーグ=日本野球機構}}
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2011}}
|rowspan="9" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[中日ドラゴンズ|中日]]
|6||0||0||0||0||1||0||0||1||1.000||48||9.0||14||5||6||0||1||8||0||0||16||16||16.00||2.22
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2012}}
|1||0||0||0||0||0||0||0||0||----||12||2.0||2||0||4||0||0||1||0||0||3||3||13.50||3.00
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2013}}
|28||0||0||0||0||1||0||0||3||1.000||103||27.1||21||2||2||0||2||19||0||0||7||7||2.30||0.91
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2014}}
|2||0||0||0||0||0||1||0||0||.000||10||2.0||4||1||1||0||0||0||0||0||3||3||13.50||2.50
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2015}}
|13||7||0||0||0||1||1||0||1||.500||183||42.0||39||6||17||0||2||24||1||0||21||19||4.07||1.33
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2016}}
|14||8||1||1||0||5||2||0||0||.714||231||54.2||43||4||29||1||1||25||3||0||17||17||2.80||1.33
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2017}}
|4||3||0||0||0||0||3||0||0||.000||77||17.0||22||6||5||0||0||9||0||0||18||18||9.53||1.59
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2018}}
|8||8||0||0||0||3||4||0||0||.429||190||43.1||51||7||10||0||0||37||1||0||35||30||6.23||1.41
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2019}}
|14||0||0||0||0||1||2||0||0||.333||69||15.2||13||1||9||1||0||14||0||0||8||6||3.45||1.40
|-
!colspan="2"|通算:9年
|90||26||1||1||0||12||13||0||5||.480||923||213.0||209||32||83||2||6||137||5||0||128||119||5.03||1.37
|}

=== 年度別守備成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[投手]]
|-style="line-height:1.25em;"
!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]
|-
|style="text-align:center;"|2011
|rowspan="9" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|中日
|6||0||0||0||0||----
|-
|style="text-align:center;"|2012
|1||0||0||0||0||----
|-
|style="text-align:center;"|2013
|28||1||3||0||1||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2014
|2||0||1||0||0||1.000
|-
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|13||0||12||0||1||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2016
|14||3||8||1||1||.917
|-
|style="text-align:center;"|2017
|4||1||6||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2018
|8||5||9||1||0||.933
|-
|style="text-align:center;"|2019
|14||0||1||0||0||1.000
|-
!colspan="2"|通算
|90||10||40||2||3||.962
|}

=== 記録 ===
; 初記録
;; 投手記録
* 初登板:2011年5月6日、対[[読売ジャイアンツ]]1回戦([[ナゴヤドーム]])、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
* 初勝利:2011年5月20日、対[[埼玉西武ライオンズ]]1回戦([[西武ドーム]])、8回裏に2番手で救援登板、1回1失点
* 初奪三振:同上、8回裏に[[坂田遼]]から空振り三振
* 初ホールド:2011年10月20日、対[[広島東洋カープ]]24回戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]])、6回裏に4番手で救援登板、1回無失点
* 初先発登板:2015年5月2日、対[[横浜DeNAベイスターズ]]8回戦(ナゴヤドーム)、6回1失点で勝敗つかず
* 初先発勝利:2015年8月26日、対横浜DeNAベイスターズ18回戦([[横浜スタジアム]])、7回1/3を3失点
* 初完投・初完封勝利:2016年4月6日、対横浜DeNAベイスターズ2回戦(ナゴヤドーム)、1安打5奪三振
;; 打撃記録
* 初安打:2016年4月28日、対横浜DeNAベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、5回表に[[砂田毅樹]]から中前安打
* 初打点:2016年9月17日、対広島東洋カープ25回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に[[ブレイディン・ヘーゲンズ]]から左前2点適時打

=== 背番号 ===
* '''64'''(2009年 - 2020年)
* '''123'''(2021年 - 2022年)

== 脚注 ==
{{Reflist|2}}

== 関連項目 ==
* [[滋賀県出身の人物一覧]]
* [[中日ドラゴンズの選手一覧]]

== 外部リンク ==
{{NPB|11515118}}
*{{Instagram|oguuu64}}

{{中日ドラゴンズ2008年ドラフト指名選手}}

{{デフォルトソート:おくま りようすけ}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:近江高等学校出身の野球選手]]
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:日本の打撃投手]]
[[Category:1990年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:滋賀県出身の人物]]

2024年4月10日 (水) 12:58時点における最新版

小熊 凌祐
現役時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県滋賀郡志賀町(現:大津市
生年月日 (1990-08-11) 1990年8月11日(34歳)
身長
体重
178 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト6位
初出場 2011年5月6日
最終出場 2019年6月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小熊 凌祐(おぐま りょうすけ、1990年8月11日 - )は、滋賀県滋賀郡志賀町(現:大津市)出身の元プロ野球選手投手)、打撃投手

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

志賀町立和邇小学校(現大津市立)3年時に和邇野球スポーツ少年団で野球を始める。卒業後に志賀町立志賀中学校(現大津市立)に入学し大津瀬田レイカーズに所属後近江高等学校に進学する。近江高時代は2年時の第89回全国高等学校野球選手権大会滋賀大会決勝で中日ドラゴンズでチームメイトとなる石川駿を擁する北大津に勝利し出場するも、2回戦で熊代聖人を擁する今治西に敗れた。秋季大会では皇子山球場で行われた初戦の光泉戦において、毎回の15奪三振でノーヒットノーランを達成。2回戦では則本昂大を擁する八幡商に勝利するも、準決勝で北大津高に敗れて、選抜大会出場はならなかった。翌年3年時の第90回全国高等学校野球選手権記念大会は初戦敗退に終わった。近江高の同級生に丸山亜季がいる。

2008年10月30日のドラフト会議で中日ドラゴンズから6位で指名された。指名後の11月7日に以前から不安を抱えていた右肘を手術し、11月28日に契約金2500万円、年俸540万円(金額は推定)で仮契約した。

中日時代

[編集]

プロ3年目の2011年5月6日に一軍初登板。5月20日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初勝利を挙げるも防御率は16.00と精彩を欠く[1]

2012年は、ウエスタン・リーグ最多の16セーブをあげたが、一軍での登板は1試合に留まった。

2013年は、初の開幕一軍入りを果たす。しかし、右肩痛のためわずか7試合で二軍落ちとなってしまう。8月に一軍復帰した後は安定した投球を続け、自己最多の28試合に登板し、防御率も2桁台であった過去2年に比べて大幅に改善した。同年10月3日に行われた前田智徳引退試合では前田の最後の対戦相手となりピッチャーゴロに打ち取っている。

2014年は5月に一軍昇格したものの、5月6日の阪神タイガース戦で、延長12回表に梅野隆太郎に勝ち越し2ランを浴びる[2]など打ち込まれて敗戦投手になり、翌日に二軍落ちとなった。この年はわずか2試合の登板に留まった。

2015年5月2日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初先発。好投し勝ち投手の条件を満たしたまま降板したが、9回に抑えで同学年の福谷浩司が逆転を許し、先発での初勝利は逃したものの、同年8月26日に同じくDeNA戦で8回途中3失点で先発初勝利を挙げ、初のヒーローインタビューを受けた。

2016年は、春季キャンプから2軍スタートだったものの4月6日のDeNA戦に先発し、1被安打1与四球5奪三振無失点の好投で僅か93球でプロ初完封を挙げた。100球未満での完封勝利は球団では2011年8月17日のチェン・ウェイン以来5年振りであった。その後ローテーション入りするも5月5日に原口文仁の放った打球が右腕を直撃し負傷退場した。

2017年は4試合に登板、0勝3敗、防御率9.53であった。

2018年は開幕を二軍で迎えるも、7月29日の巨人戦で先発し5回2失点でシーズン初勝利を挙げた。その後は先発ローテーションに定着し8試合に登板。3勝4敗で防御率は6.23であった。

2019年は1月8日に前年10月に婚姻届を提出していたことを発表[3]。キャンプは一軍スタートとなったものの、前年は先発ローテ入りしたにもかかわらず、3月に二軍降格となった。敗戦処理要員で開幕一軍メンバーに滑り込んだが、2度のサヨナラ負けを喫するなどの乱調で4月11日に登録抹消された。二軍降格後も先発復帰できずそのまま一軍復帰することなくシーズンを終え、11月12日には150万円減の推定1050万円でサインした[4]

2020年は、一軍での登板がなく、11月3日に球団より戦力外通告を受けた[5]。戦力外通告を受けた時点では現役続行を表明し、12月7日に明治神宮野球場で行われた12球団合同トライアウト伊藤準規大藏彰人とともに参加した。結果は打者3人を無安打に抑え、独立リーグを選択肢に入れていることを明かした[6]

当初は現役続行を希望していたが、中日球団からのスタッフ転身の打診を受け、現役を引退した[7]

現役引退後

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2021年1月8日に中日と打撃投手兼記録ビデオ担当の球団スタッフとして契約したことが発表された[8]。2021年の春季キャンプからは、二軍の打撃投手兼記録ビデオ担当として活動している。

選手としての特徴

[編集]

平均球速約142km/h[9]、最速150km/hのストレートスライダーが武器。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2011 中日 6 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 48 9.0 14 5 6 0 1 8 0 0 16 16 16.00 2.22
2012 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 2.0 2 0 4 0 0 1 0 0 3 3 13.50 3.00
2013 28 0 0 0 0 1 0 0 3 1.000 103 27.1 21 2 2 0 2 19 0 0 7 7 2.30 0.91
2014 2 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 10 2.0 4 1 1 0 0 0 0 0 3 3 13.50 2.50
2015 13 7 0 0 0 1 1 0 1 .500 183 42.0 39 6 17 0 2 24 1 0 21 19 4.07 1.33
2016 14 8 1 1 0 5 2 0 0 .714 231 54.2 43 4 29 1 1 25 3 0 17 17 2.80 1.33
2017 4 3 0 0 0 0 3 0 0 .000 77 17.0 22 6 5 0 0 9 0 0 18 18 9.53 1.59
2018 8 8 0 0 0 3 4 0 0 .429 190 43.1 51 7 10 0 0 37 1 0 35 30 6.23 1.41
2019 14 0 0 0 0 1 2 0 0 .333 69 15.2 13 1 9 1 0 14 0 0 8 6 3.45 1.40
通算:9年 90 26 1 1 0 12 13 0 5 .480 923 213.0 209 32 83 2 6 137 5 0 128 119 5.03 1.37

年度別守備成績

[編集]


投手












2011 中日 6 0 0 0 0 ----
2012 1 0 0 0 0 ----
2013 28 1 3 0 1 1.000
2014 2 0 1 0 0 1.000
2015 13 0 12 0 1 1.000
2016 14 3 8 1 1 .917
2017 4 1 6 0 0 1.000
2018 8 5 9 1 0 .933
2019 14 0 1 0 0 1.000
通算 90 10 40 2 3 .962

記録

[編集]
初記録
投手記録
打撃記録
  • 初安打:2016年4月28日、対横浜DeNAベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、5回表に砂田毅樹から中前安打
  • 初打点:2016年9月17日、対広島東洋カープ25回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表にブレイディン・ヘーゲンズから左前2点適時打

背番号

[編集]
  • 64(2009年 - 2020年)
  • 123(2021年 - 2022年)

脚注

[編集]
  1. ^ 2番手で登板の3年目小熊 プロ初勝利に感謝しきり スポーツニッポン 2011年5月20日付記事
  2. ^ 中日・岩瀬 9回1点リード守れず…勝てた試合落とした スポーツニッポン 2014年5月7日付記事
  3. ^ 中日・佐藤、小熊が結婚発表 サンケイスポーツ 2019年1月8日付記事
  4. ^ 中日・小熊 150万円減の年俸1050万円でサイン「もうちょっとやれたかなというのはある」 スポーツニッポン 2019年11月12日付記事
  5. ^ "来季の契約について". 中日ドラゴンズ公式サイト. 3 November 2020. 2020年11月3日閲覧
  6. ^ 中日小熊、打者3人を無安打 独立リーグも視野 日刊スポーツ 2020年12月7日付記事
  7. ^ 中日から戦力外の小熊凌祐が引退「やり切った思い。悔いはない」今後は打撃投手兼記録ビデオ担当に”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2021年1月16日閲覧。
  8. ^ “中日 戦力外の小熊ら3人が球団スタッフに”. スポニチアネックス. (2021年1月8日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/01/08/kiji/20210108s00001173377000c.html?amp=1 2021年1月8日閲覧。 
  9. ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、158頁頁。ISBN 978-4-905411-17-8 

関連項目

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外部リンク

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