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警察官僚・警視総監
 
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==経歴==
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内務省に復帰し内務省調査局調査課に配属。[[1953年]]、[[国家地方警察滋賀県本部]]警察隊長に就任。以後、[[滋賀県警察]]本部長、[[兵庫県警察]]本部[[警務部]]長、[[大阪府警察]]本部[[刑事部]]長、[[関東管区警察局]]公安部長、[[警察庁刑事局]]捜査第二課長、同捜査第一課長、警察庁警務局人事課長、[[警視庁]]刑事部長、同[[警務部]]長、同副総監などを歴任<ref name="ke"/>。[[1972年]]6月、警視総監に就任し[[1975年]]2月まで在任した<ref>『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』489頁。</ref>。


退官後、1975年から[[1984年]]まで[[日本道路交通情報センター]][[理事|理事長]]を務めた<ref name="ge"/><ref name="ke"/>。
退官後、1975年から[[1984年]]まで[[日本道路交通情報センター]][[理事|理事長]]を務めた<ref name="ge"/><ref name="ke"/>。

== 栄典 ==
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==脚注==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*[[秦郁彦]]編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』[[東京大学出版会]]、2001年。
*[[秦郁彦]]編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』[[東京大学出版会]]、2001年。
*小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。
*小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。
*『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ、1997年。
*『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ、1997年。
*『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。




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槇野 勇(まきの いさむ、1917年大正6年)4月18日 - 1994年平成6年)11月2日[1])は、日本の警察官僚警視総監

経歴

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奈良県、現在の五條市出身[1]1935年奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)を経て、[要出典]第一高等学校を卒業。1941年10月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる[1][2]

短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進[3]1945年復員[4]

内務省に復帰し内務省調査局調査課に配属。1953年国家地方警察滋賀県本部警察隊長に就任。以後、滋賀県警察本部長、兵庫県警察本部警務部長、大阪府警察本部刑事部長、関東管区警察局公安部長、警察庁刑事局捜査第二課長、同捜査第一課長、警察庁警務局人事課長、警視庁刑事部長、同警務部長、同副総監などを歴任[4]1972年6月、警視総監に就任し1975年2月まで在任した[5]

退官後、1975年から1984年まで日本道路交通情報センター理事長を務めた[1][4]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d 『現代物故者事典 1994~1996』512頁。
  2. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』344頁。
  3. ^ 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』52、507頁。
  4. ^ a b c 『日本警察官僚総合名鑑』60頁。
  5. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』489頁。
  6. ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。
  • 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ、1997年。
  • 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。