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Darklanlan (会話 | 投稿記録) Infoboxの前世代ハードウェアをテレビテニスからシステム10 (ゲーム機)へ変更 |
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|次世代ハード = [[スーパーカセットビジョン]] |
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'''カセットビジョン'''は、[[エポック社]]が[[1981年]][[7月30日]]に発売したカセット式の[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]]。 |
'''カセットビジョン'''は、[[エポック社]]が[[1981年]][[7月30日]]に発売したカセット式の[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]]。 |
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⚫ | [[1983年]][[9月]]時点では日本で流通していた家庭用ゲーム機の中でトップの販売台数<ref name="korokoro" />である40万台<ref name="odyssey" /><ref name="takida">滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、p.84</ref>から45万台<ref name="enterbrain">オトナファミ2011年1月号特別付録「家庭用ゲーム機完全図鑑-昭和編-」、エンターブレイン、p.10</ref><ref>山崎功『家庭用ゲーム機コンプリートガイド』主婦の友インフォス情報社、2014年、p.24</ref><ref name="denshi">コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.13.</ref>を売り上げた。 |
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なお本項では廉価版である'''カセットビジョンJr.'''についても述べる。 |
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⚫ | カセットに搭載しているマイコンチップは[[日本電気|NEC]]の |
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== 開発経緯 == |
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エポック社は |
1975年からエポック社はゲームが本体に内蔵されたゲーム機を販売していた。1979年に発売した[[テレビ野球ゲーム]]はそれまでハードウェアの回路でゲームを実現していたのに対してマイコン(CPU)を採用して、プログラムによって効率的にゲームを開発可能になった。そこで1978年発売の[[システム10 (ゲーム機)|システム10]]の後継機として開発に取りかかっていたスーパー10は完成しつつあったが開発が破棄されて、カセット式のゲーム機の開発に切り替えられる。それがカセットビジョンである。設計はNECが担当した。同じマイコンを使うのなら、周辺回路は同一であり、それなら本体は共通化してゲームはカセットで供給する方が低コスト・低価格化に繋がるという発想で、堀江正幸ら3人の担当者によって開発された<ref>滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、pp.85-89</ref><ref>[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/creators/horie/3p.html 先駆者に聞く創世の時代 Game Fronties 株式会社エポック社堀江正幸氏 テレビテニスとシステム10の時代] CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内</ref><ref>[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/creators/horie/4p.html 先駆者に聞く創世の時代 Game Fronties 株式会社エポック社堀江正幸氏 これが1チップマイコンテレビゲームだ] CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内</ref>。 |
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== ハードウェア == |
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⚫ | 本機は本体に周辺回路と電源と操作部を搭載し、[[ゲームカートリッジ|カートリッジ]]にテレビゲーム用LSI自体を1チップにした1チップマイコンを内蔵し、カートリッジを交換することで違ったゲームを楽しめるというシステムである。本体に[[CPU]]が搭載され、ゲームソフトのプログラムとデータは[[ロムカセット]]に内蔵された[[Read Only Memory|ROM]]で供給するタイプの後年のカセット交換式ゲーム機とは異なる構造となっている<ref name="denshi"/>。これはCPUとROMを分離しCPUと外部のROMとをバスで接続すると、ノイズが乗ったり誤動作の原因になるという技術的な理由でできなかったためである。後年のゲーム機の主流となったCPUとメモリのROMとRAMを分離して、本体にはCPUとメインRAMを、カートリッジ側にROMを搭載する方式と比べると、本体を安くできる、動作が安定する、それまでに発売したゲームを本体に内蔵したゲーム機の移植が容易にできるなどの長所を持つ。当時の技術ではCPUとは別にROMを置く方がコストが掛かっていた<ref name="odyssey" />。 |
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⚫ | カセットに搭載しているマイコンチップは[[日本電気|NEC]]のμPD777CやμPD778というテレビゲームのLSIで、プログラムはROMチップの形で分離されておらずにD777C等に内蔵されている。よってカセットに内蔵されているのはこのチップのみである。単体で演算、入出力、画像処理の全てを1チップで行っている。そのため、何ビットと定義するのは難しく<ref name="system">[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/hyperlink/setframe_cv1.html カセットビジョンシステム紹介] CLASSIC VIDEOGAME STATION ODDYSEI内</ref>、4ビットや8ビット、12ビット、場合によっては48ビット<ref name="odyssey">[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/entrance.html CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY]内[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/creators/horie/ 開発者インタビュー]より。</ref>など様々な数値がある。エポック社は『日経産業新聞』の取材に対しては4ビットだと答えている<ref name="system" /><ref>『日経産業新聞』1983年5月25日付</ref>。 |
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しかし1983年になると価格的優位性については薄れはじめた。アタリは子会社から日本向けモデルAtari2800を2万円台で発売したほか、日本国内メーカー各社も約1万円から2万円台程度のカセット式テレビゲーム機を相次いで発売し、どの機種もカセットビジョン(Jr.)より性能が高かった<ref name="korokoro" />。 |
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== 特徴 == |
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カセットビジョンの大きな特徴はその低価格にある。当時、カセット方式のゲーム機本体の価格が50000円で均衡していたのに対し、カセットビジョンは初期にACアダプタ(1,500円)が別売りで本体価格が12,000円、後にACアダプタ同梱で本体13,500円とされた<ref name="denshi"/>。ソフトも4,980円と最も安価な部類に入っており、販売の促進に大きく貢献した。しかし<!--デザイン重視なのか、-->、ゲーム機本体にコントロールレバー、ボタン、ダイアルコントローラが中央から左右対称に配置されていたため、1プレイヤーは左手でレバーを操作、2プレイヤーでは右手でレバーを操作する。ドットが大きくゴツゴツした画面表示は、キャラを判別しやすいという見方もあった<ref name="korokoro" />。 |
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少ない色数や大きいドット、貧弱な音源、背景を描くバックグラウンドが<!--できない(要するに黒い背景しかない)→黒以外に赤や緑もあります-->単色など、発売された時期から見てもあまり優れた性能ではない<ref name="denshi"/>。それ以前の[[1977年]]にアメリカで発売されたアタリVCSよりも性能が劣る。 |
少ない色数や大きいドット、貧弱な音源、背景を描くバックグラウンドが<!--できない(要するに黒い背景しかない)→黒以外に赤や緑もあります-->単色など、発売された時期から見てもあまり優れた性能ではない<ref name="denshi"/>。それ以前の[[1977年]]にアメリカで発売されたアタリVCSよりも性能が劣る。 |
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同時発音数は単音だが、『ギャラクシアン』のように工夫を凝らして和音に聞こえるようなゲームも存在した<ref>[ |
同時発音数は単音だが、『ギャラクシアン』のように工夫を凝らして和音に聞こえるようなゲームも存在した<ref>[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/hyperlink/setframe_creators_hara_contents1.html 先駆者に聞く創世の時代 Game Fronties 株式会社エポック社原洋氏 カセットビジョン・きこりの与作~ギャラクシアン編] CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内</ref>。 |
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=== 画面表示 === |
==== 画面表示 ==== |
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{{要出典範囲|date=2020年1月|[[VDP]]にはテレビのチャンネル表示用ICを使用している}}。ドットが非常に大きい反面、通常のドットを対角線で半分に切った形の三角形のドットが存在するのは、このICの仕様によるものである。なお、内部的にはドットが三角形というよりも、本来は長方形であるドットを平行四辺形として表示できる機能を活用したものである<ref name="odyssey" />。 |
{{要出典範囲|date=2020年1月|[[VDP]]にはテレビのチャンネル表示用ICを使用している}}。ドットが非常に大きい反面、通常のドットを対角線で半分に切った形の三角形のドットが存在するのは、このICの仕様によるものである。なお、内部的にはドットが三角形というよりも、本来は長方形であるドットを平行四辺形として表示できる機能を活用したものである<ref name="odyssey" />。 |
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当時ファミコンを含む主なライバル機の画面は128から256[[ピクセル|ドット]]程度の[[画面解像度]]を持っていたのに対し、 |
当時ファミコンを含む主なライバル機の画面は128から256[[ピクセル|ドット]]程度の[[画面解像度]]を持っていたのに対し、画面解像度は低かった。1983年の『月刊コロコロコミック』によれば、 |
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カセットビジョン(Jr.)の画面解像度は54×62ピクセル、色数は8色とされていたが<ref name="korokoro">『[[月刊コロコロコミック]]』[[1983年]]10月号の比較記事より。</ref>、NECの技術者だった小口哲司がウェブ上に公開した資料によれば、μPD777/778の画面解像度は75×60ピクセル、色数は6色+オレンジ+ブルーシアン、[[スプライト (映像技術)|スプライト]]は7×7ピクセルで25枚、スプライトの横方向の同時表示可能数は12枚、同一座標では5枚までとなっている<ref>[https://www.oguchi-rd.com/LSI%20products.php LSI Products that I was involved in the design] [https://www.oguchi-rd.com/ Tetsuji Oguchi (Oguchi R&D)]内</ref>。一方でドットが大きくゴツゴツした画面表示は、キャラを判別しやすいという見方もあった<ref name="korokoro" />。 |
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BG面はなく、よってスクロール機能も存在しない。横スクロールシューティングゲームの『アストロコマンド』では、キャラクターの配置座標をずらすことでスクロールしているように見せかけてい |
BG面はなく、よってスクロール機能も存在しない。横スクロールシューティングゲームの『アストロコマンド』では、キャラクターの配置座標をずらすことでスクロールしているように見せかけている<ref name="odyssey" />。 |
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=== コントローラ === |
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カセットビジョン、カセットビジョンJr.ともに本体一体型である。別売の光線銃のみ外部接続。ゲーム機本体にコントロールレバー、ボタン、ダイアルコントローラが中央から左右対称に配置されていたため、1プレイヤーは左手でレバーを操作、2プレイヤーでは右手でレバーを操作する。 |
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カセットビジョンは発売当時、手ごろな価格とカセットを取り換えることで別のゲームが遊べるというカセット式ゲーム機の利点や定期的に[[ゲームソフト]]を発売し、ゲーム機市場でのシェア7割<ref name="enterbrain" />を獲得していた。また、発売時に放映のTVCMには当時人気の[[イモ欽トリオ]]が出演していた。最大セールスはギャラクシアンの18万本。 |
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⚫ | 1983年になると[[廉価版]]のカセットビジョンJr. |
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またスーパーカセットビジョンのように次世代の後継機を新規開発しつつも、枯れたハードウエアをリメイクしてカセットビジョンJr.のように安価に提供する構図は後のファミコン([[スーパーファミコン]]、[[ファミリーコンピュータ#AV仕様ファミリーコンピュータ|ニューファミコン]])や[[プレイステーション]]([[PlayStation 2]]、[[PS one]])と相似形をなしており、後の主流機が相次いで同様の展開を見せることになった。 |
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== カセットビジョンJr. == |
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== コントローラ == |
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カセットビジョン、カセットビジョンJr.ともに本体一体型である。別売の光線銃のみ外部接続。 |
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; レバースイッチ |
; レバースイッチ |
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: 左右2方向のみの1軸スティック。『アストロコマンド』では上下移動に使われる。カセットビジョンでは左右2箇所にあるが、 |
: 左右2方向のみの1軸スティック。『アストロコマンド』では上下移動に使われる。カセットビジョンでは左右2箇所にあるが、内部ではつながっており、1プレイヤー・2プレイヤーを問わずどちらでも操作できた。このためカセットビジョンJr.では1個に整理された。 |
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; プッシュボタン |
; プッシュボタン |
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: 4個あり、カセットビジョンでは手前に一直線に並んでいる。自機が4方向移動のゲームでは移動ボタンとして使われることもあり、Jr.では実際に4方向の配置に変更されている。 |
: 4個あり、カセットビジョンでは手前に一直線に並んでいる。自機が4方向移動のゲームでは移動ボタンとして使われることもあり、Jr.では実際に4方向の配置に変更されている。 |
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: カセットビジョンでは別売の光線銃を接続すれば『ビッグスポーツ12』で使用できる。Jr.では省略。 |
: カセットビジョンでは別売の光線銃を接続すれば『ビッグスポーツ12』で使用できる。Jr.では省略。 |
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== 本体 == |
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本機の大きな特徴はその低価格にある。当時、他社のカセット方式のゲーム機本体の価格が50,000円代で均衡していたのに対し、本機は初期にACアダプタ(1,500円)が別売りで本体価格が12,000円であり、後にACアダプタが同梱されたものが13,500円だった<ref name="denshi"/>。後期放映のTVCMでは[[イモ欽トリオ]]が出演した。 |
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=== カセットビジョンJr |
=== カセットビジョンJr. === |
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== ソフトウェア == |
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最大出荷数を記録したタイトルは『ギャラクシアン』の18万本である{{要出典|date=2022年6月}}。 |
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* エレベーターパニック - エレベーター要素を持つ『モンスターマンション』風のアクションゲーム。これのみ3,980円だった。 |
* エレベーターパニック - エレベーター要素を持つ『モンスターマンション』風のアクションゲーム。これのみ3,980円だった。 |
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=== カセットビジョン専用 === |
=== カセットビジョン専用 === |
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* ベースボール - 『[[テレビ野球ゲーム]]』のカセットビジョン版 |
* ベースボール - 『[[テレビ野球ゲーム]]』のカセットビジョン版。 |
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* ビッグスポーツ12 - 『[[システム10 (ゲーム機)|システム10]]』を元にした『スーパー10』をカセットビジョンで発売したもの<ref name="odyssey" />。ポンテニスゲーム8種=テニス・バレーボール・プラクティス・サッカー・スカッシュ・射撃3種、ガンゲーム4種で光線銃対応はこのゲームのみ。 |
* ビッグスポーツ12 - 『[[システム10 (ゲーム機)|システム10]]』を元にした『スーパー10』をカセットビジョンで発売したもの<ref name="odyssey" />。ポンテニスゲーム8種=テニス・バレーボール・プラクティス・サッカー・スカッシュ・射撃3種、ガンゲーム4種で光線銃対応はこのゲームのみ。 |
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* ニューベースボール - 1人プレイにも対応 |
* ニューベースボール - 1人プレイにも対応 |
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=== 販売中止 === |
=== 販売中止 === |
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* グランドチャンピオン - トップビュー式の自動車レースゲーム。販売直前で |
* グランドチャンピオン - トップビュー式の自動車レースゲーム。販売直前で「ゴールできない」あるいは「ゴールしても止まらない」という致命的な不具合が見つかり、修正されるも販売中止<ref name="odyssey" />となる。 |
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⚫ | 発売当時の主な競合機は『[[Atari 2600|アタリVCS]]』(販売:[[エポック社]]、1979年)<ref name="odyssey" />や『[[インテレビジョン|マテル・インテレビジョン]]』(販売:[[バンダイ]]、1982年)などの海外製輸入ゲーム機であった。アメリカでは本体にCPUを搭載したゲーム機が既に主流であり、これらのゲーム機も本体にCPUを内蔵していたが、アメリカからの輸入品ということもあって高価だった。また本機以前にも日本国内で2万円以下という比較的安価なカセット式テレビゲームはいくつか存在した<ref name="odyssey" />が、当時はいずれも大きな普及には至らなかった。一方で本機はエポック社の既存のゲームを移植するなど当時よく知られていた人気ゲームを揃え、本体・ソフトともに安価に設定され、カセットを取り換えることで別のゲームが遊べる点から定期的に[[ゲームソフト]]を発売したことなどを理由にゲーム機市場でのシェア7割<ref name="enterbrain" />を獲得する。結果的に本機は最終的に発売されたゲームタイトル数は少なかったものの、1981年から1983年にかけての日本の据置型ゲーム機市場をほぼ独占した<ref name="takida" />。 |
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⚫ | しかし1983年になると価格の優位性については薄れはじめ、アタリは子会社からAtari 2600の日本向けモデル『Atari2800』を2万円台で発売したほか、日本国内メーカー各社も約1万円から2万円台程度のカセット式テレビゲーム機を相次いで発売した。エポック社も[[廉価版]]のカセットビジョンJr.を発売し、カセットの価格は変わらなかったものの、その本体価格の低さは当時のターゲット層だった小学生には明確な利点となったが、他社の機種はカセットビジョンおよびJr.より性能が高かった<ref name="korokoro" />。同年[[任天堂]]から『[[ファミリーコンピュータ]]』(以下ファミコン)が発売され、同価格帯の競合機の淘汰が進んだ{{Efn|『コロコロコミック』では記事としては初めて1983年9 - 12月号に4号連続でカセット式[[ゲーム機|家庭用テレビゲーム機]]の誌上特集が組まれている。このときは6機種が特集されていたが、12月号の記事ではファミコンとカセットビジョンJr.の2機種に絞って特集されている。}}が、カセットビジョンはファミコンに対して競合する存在では無かったと開発者は考えていた<ref name="odyssey" />。 |
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⚫ | 1984年になりファミコンがシェアを伸ばす中、エポック社は8月にカセットの値段を下げた最終作『エレベーターパニック』を発売した。また同年7月には互換性のない次世代機『[[スーパーカセットビジョン]]』を発売したことで、本機は1985年7月時点で既に生産は終了されていた<ref name="GameMachine19850715">{{Cite news|和書|title=家庭用TVゲーム機の最新版ハードとソフト |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19850715p.pdf|newspaper=ゲームマシン |issue=264 |agency=アミューズメント通信社 |date=1985-07-15 |page=15}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 出典 === |
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== 外部リンク == |
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エポック社 お客様サービスセンターによる取扱説明書PDF |
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* [https://sv.epoch.jp/exports/attachment/now/07eb355117c60fbf46d805f21de4c7bc.pdf/manuals/07420_TORISETU.pdf 【07420】カセットビジョン] |
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* [https://sv.epoch.jp/exports/attachment/now/8d829ac78404e4dbeabe0f62c0f5b9e1.pdf/manuals/07490_TORISETU.pdf 【07490】カセットビジョンJr.] |
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{{Video-game-stub}} |
{{Video-game-stub}} |
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{{家庭用ゲーム機/その他}} |
{{家庭用ゲーム機/その他}} |
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{{デフォルトソート:かせつとひしよん}} |
{{デフォルトソート:かせつとひしよん}} |
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[[Category:エポック社]] |
[[Category:エポック社のハードウェア]] |
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[[Category:ゲーム機]] |
[[Category:ゲーム機]] |
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[[Category:1981年のコンピュータゲーム|*かせつとひしよん]] |
[[Category:1981年のコンピュータゲーム|*かせつとひしよん]] |
2024年4月11日 (木) 19:13時点における最新版
メーカー | エポック社 |
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種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第2世代 |
発売日 | 1981年7月30日 |
対応メディア | ワンチップマイコンカートリッジ |
コントローラ入力 | 内蔵 |
売上台数 | 約45万台 |
前世代ハードウェア | システム10 |
次世代ハードウェア | スーパーカセットビジョン |
カセットビジョンは、エポック社が1981年7月30日に発売したカセット式の家庭用ゲーム機。
1983年9月時点では日本で流通していた家庭用ゲーム機の中でトップの販売台数[1]である40万台[2][3]から45万台[4][5][6]を売り上げた。
なお本項では廉価版であるカセットビジョンJr.についても述べる。
開発経緯
[編集]1975年からエポック社はゲームが本体に内蔵されたゲーム機を販売していた。1979年に発売したテレビ野球ゲームはそれまでハードウェアの回路でゲームを実現していたのに対してマイコン(CPU)を採用して、プログラムによって効率的にゲームを開発可能になった。そこで1978年発売のシステム10の後継機として開発に取りかかっていたスーパー10は完成しつつあったが開発が破棄されて、カセット式のゲーム機の開発に切り替えられる。それがカセットビジョンである。設計はNECが担当した。同じマイコンを使うのなら、周辺回路は同一であり、それなら本体は共通化してゲームはカセットで供給する方が低コスト・低価格化に繋がるという発想で、堀江正幸ら3人の担当者によって開発された[7][8][9]。
ハードウェア
[編集]本機は本体に周辺回路と電源と操作部を搭載し、カートリッジにテレビゲーム用LSI自体を1チップにした1チップマイコンを内蔵し、カートリッジを交換することで違ったゲームを楽しめるというシステムである。本体にCPUが搭載され、ゲームソフトのプログラムとデータはロムカセットに内蔵されたROMで供給するタイプの後年のカセット交換式ゲーム機とは異なる構造となっている[6]。これはCPUとROMを分離しCPUと外部のROMとをバスで接続すると、ノイズが乗ったり誤動作の原因になるという技術的な理由でできなかったためである。後年のゲーム機の主流となったCPUとメモリのROMとRAMを分離して、本体にはCPUとメインRAMを、カートリッジ側にROMを搭載する方式と比べると、本体を安くできる、動作が安定する、それまでに発売したゲームを本体に内蔵したゲーム機の移植が容易にできるなどの長所を持つ。当時の技術ではCPUとは別にROMを置く方がコストが掛かっていた[2]。
カセットに搭載しているマイコンチップはNECのμPD777CやμPD778というテレビゲームのLSIで、プログラムはROMチップの形で分離されておらずにD777C等に内蔵されている。よってカセットに内蔵されているのはこのチップのみである。単体で演算、入出力、画像処理の全てを1チップで行っている。そのため、何ビットと定義するのは難しく[10]、4ビットや8ビット、12ビット、場合によっては48ビット[2]など様々な数値がある。エポック社は『日経産業新聞』の取材に対しては4ビットだと答えている[10][11]。
性能
[編集]少ない色数や大きいドット、貧弱な音源、背景を描くバックグラウンドが単色など、発売された時期から見てもあまり優れた性能ではない[6]。それ以前の1977年にアメリカで発売されたアタリVCSよりも性能が劣る。
同時発音数は単音だが、『ギャラクシアン』のように工夫を凝らして和音に聞こえるようなゲームも存在した[12]。
画面表示
[編集]VDPにはテレビのチャンネル表示用ICを使用している[要出典]。ドットが非常に大きい反面、通常のドットを対角線で半分に切った形の三角形のドットが存在するのは、このICの仕様によるものである。なお、内部的にはドットが三角形というよりも、本来は長方形であるドットを平行四辺形として表示できる機能を活用したものである[2]。
当時ファミコンを含む主なライバル機の画面は128から256ドット程度の画面解像度を持っていたのに対し、画面解像度は低かった。1983年の『月刊コロコロコミック』によれば、 カセットビジョン(Jr.)の画面解像度は54×62ピクセル、色数は8色とされていたが[1]、NECの技術者だった小口哲司がウェブ上に公開した資料によれば、μPD777/778の画面解像度は75×60ピクセル、色数は6色+オレンジ+ブルーシアン、スプライトは7×7ピクセルで25枚、スプライトの横方向の同時表示可能数は12枚、同一座標では5枚までとなっている[13]。一方でドットが大きくゴツゴツした画面表示は、キャラを判別しやすいという見方もあった[1]。
BG面はなく、よってスクロール機能も存在しない。横スクロールシューティングゲームの『アストロコマンド』では、キャラクターの配置座標をずらすことでスクロールしているように見せかけている[2]。
コントローラ
[編集]カセットビジョン、カセットビジョンJr.ともに本体一体型である。別売の光線銃のみ外部接続。ゲーム機本体にコントロールレバー、ボタン、ダイアルコントローラが中央から左右対称に配置されていたため、1プレイヤーは左手でレバーを操作、2プレイヤーでは右手でレバーを操作する。
- レバースイッチ
- 左右2方向のみの1軸スティック。『アストロコマンド』では上下移動に使われる。カセットビジョンでは左右2箇所にあるが、内部ではつながっており、1プレイヤー・2プレイヤーを問わずどちらでも操作できた。このためカセットビジョンJr.では1個に整理された。
- プッシュボタン
- 4個あり、カセットビジョンでは手前に一直線に並んでいる。自機が4方向移動のゲームでは移動ボタンとして使われることもあり、Jr.では実際に4方向の配置に変更されている。
- 回転ダイヤル
- いわゆるパドルコントローラ。カセットビジョンで左右2対(4個)あるアナログ的なコンソール。『ビッグスポーツ12』で主に使われるほか、野球ゲームでも野手の移動に使われる。Jr.では省略。
- コーススイッチ
- カセットビジョンで中央手前にあるスライド式スイッチ。野球ゲームで投球コースの設定に使われる。Jr.では省略。
- その他のボタン
- カセットビジョンでは中央に3つの補助的なボタンがある。このうちスタートボタンとセレクトボタンのみJr.で採用。
- 外部端子
- カセットビジョンでは別売の光線銃を接続すれば『ビッグスポーツ12』で使用できる。Jr.では省略。
本体
[編集]本機の大きな特徴はその低価格にある。当時、他社のカセット方式のゲーム機本体の価格が50,000円代で均衡していたのに対し、本機は初期にACアダプタ(1,500円)が別売りで本体価格が12,000円であり、後にACアダプタが同梱されたものが13,500円だった[6]。後期放映のTVCMではイモ欽トリオが出演した。
カセットビジョンJr.
[編集]カセットビジョンJr.(カセットビジョンジュニア)は、1983年7月19日に発売されたカセットビジョンの廉価版ゲーム機。価格は5,000円(非ライセンス品を除く、ソフト交換型の卓上型テレビゲーム機では最安値)[6]。
ボリュームコントローラーなどが省かれていたため、一部のゲームができなかった。一方でキー配置が変更されており、『パクパクモンスター』等のゲームが操作しやすくなっている。
ソフトウェア
[編集]アクション、スポーツ、シューティング、パズルなど11作品が発表されている。そのうちスポーツ作品の3タイトルはカセットビジョンJr.に対応していない。ゲームカセットの販売価格は『エレベーターパニック』を除いて4,980円と他社と比較して安価であり、本体販売の促進に貢献した。
最大出荷数を記録したタイトルは『ギャラクシアン』の18万本である[要出典]。
カセットビジョンJr.対応
[編集]- きこりの与作 - アーケード版の移植作品。
- ギャラクシアン - ナムコの同名のゲームとは別内容。当初はナムコに無断での発売だったが、後に版権料を支払ったという[2]。
- バトルベーダー - 『テレビベーダー』のカセットビジョン版。
- パクパクモンスター - エポック社の電子ゲーム『パクパクマン』と同様、大幅なアレンジを施したドットイートゲーム。
- モンスターマンション - エポック社の電子ゲーム『モンスターパニック』を元にした[2]アクションゲーム。
- アストロコマンド - エポック社の電子ゲーム『FLスペースディフェンダー』の作者による[2]シューティングゲーム。
- モンスターブロック - パズルアクションゲーム
- エレベーターパニック - エレベーター要素を持つ『モンスターマンション』風のアクションゲーム。これのみ3,980円だった。
カセットビジョン専用
[編集]- ベースボール - 『テレビ野球ゲーム』のカセットビジョン版。
- ビッグスポーツ12 - 『システム10』を元にした『スーパー10』をカセットビジョンで発売したもの[2]。ポンテニスゲーム8種=テニス・バレーボール・プラクティス・サッカー・スカッシュ・射撃3種、ガンゲーム4種で光線銃対応はこのゲームのみ。
- ニューベースボール - 1人プレイにも対応
販売中止
[編集]- グランドチャンピオン - トップビュー式の自動車レースゲーム。販売直前で「ゴールできない」あるいは「ゴールしても止まらない」という致命的な不具合が見つかり、修正されるも販売中止[2]となる。
反響
[編集]発売当時の主な競合機は『アタリVCS』(販売:エポック社、1979年)[2]や『マテル・インテレビジョン』(販売:バンダイ、1982年)などの海外製輸入ゲーム機であった。アメリカでは本体にCPUを搭載したゲーム機が既に主流であり、これらのゲーム機も本体にCPUを内蔵していたが、アメリカからの輸入品ということもあって高価だった。また本機以前にも日本国内で2万円以下という比較的安価なカセット式テレビゲームはいくつか存在した[2]が、当時はいずれも大きな普及には至らなかった。一方で本機はエポック社の既存のゲームを移植するなど当時よく知られていた人気ゲームを揃え、本体・ソフトともに安価に設定され、カセットを取り換えることで別のゲームが遊べる点から定期的にゲームソフトを発売したことなどを理由にゲーム機市場でのシェア7割[4]を獲得する。結果的に本機は最終的に発売されたゲームタイトル数は少なかったものの、1981年から1983年にかけての日本の据置型ゲーム機市場をほぼ独占した[3]。
しかし1983年になると価格の優位性については薄れはじめ、アタリは子会社からAtari 2600の日本向けモデル『Atari2800』を2万円台で発売したほか、日本国内メーカー各社も約1万円から2万円台程度のカセット式テレビゲーム機を相次いで発売した。エポック社も廉価版のカセットビジョンJr.を発売し、カセットの価格は変わらなかったものの、その本体価格の低さは当時のターゲット層だった小学生には明確な利点となったが、他社の機種はカセットビジョンおよびJr.より性能が高かった[1]。同年任天堂から『ファミリーコンピュータ』(以下ファミコン)が発売され、同価格帯の競合機の淘汰が進んだ[注釈 1]が、カセットビジョンはファミコンに対して競合する存在では無かったと開発者は考えていた[2]。
1984年になりファミコンがシェアを伸ばす中、エポック社は8月にカセットの値段を下げた最終作『エレベーターパニック』を発売した。また同年7月には互換性のない次世代機『スーパーカセットビジョン』を発売したことで、本機は1985年7月時点で既に生産は終了されていた[14]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『コロコロコミック』では記事としては初めて1983年9 - 12月号に4号連続でカセット式家庭用テレビゲーム機の誌上特集が組まれている。このときは6機種が特集されていたが、12月号の記事ではファミコンとカセットビジョンJr.の2機種に絞って特集されている。
出典
[編集]- ^ a b c d 『月刊コロコロコミック』1983年10月号の比較記事より。
- ^ a b c d e f g h i j k l m CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内開発者インタビューより。
- ^ a b 滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、p.84
- ^ a b オトナファミ2011年1月号特別付録「家庭用ゲーム機完全図鑑-昭和編-」、エンターブレイン、p.10
- ^ 山崎功『家庭用ゲーム機コンプリートガイド』主婦の友インフォス情報社、2014年、p.24
- ^ a b c d e コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.13.
- ^ 滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、pp.85-89
- ^ 先駆者に聞く創世の時代 Game Fronties 株式会社エポック社堀江正幸氏 テレビテニスとシステム10の時代 CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内
- ^ 先駆者に聞く創世の時代 Game Fronties 株式会社エポック社堀江正幸氏 これが1チップマイコンテレビゲームだ CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内
- ^ a b カセットビジョンシステム紹介 CLASSIC VIDEOGAME STATION ODDYSEI内
- ^ 『日経産業新聞』1983年5月25日付
- ^ 先駆者に聞く創世の時代 Game Fronties 株式会社エポック社原洋氏 カセットビジョン・きこりの与作~ギャラクシアン編 CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内
- ^ LSI Products that I was involved in the design Tetsuji Oguchi (Oguchi R&D)内
- ^ 「家庭用TVゲーム機の最新版ハードとソフト」『ゲームマシン』第264号(アミューズメント通信社)1985年7月15日、15面。
外部リンク
[編集]エポック社 お客様サービスセンターによる取扱説明書PDF