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{{Infobox お笑い芸人
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| 本名 = 佐藤 嘉彦
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'''林家 ペー'''(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、[[1941年]][[11月29日]]<ref>{{Cite web|url=http://rakugo-kyokai.jp/variety-entertainer/member_detail.php?uid=304|title=林家 ペー|author=(社)落語協会|accessdate=2019-11-18}}</ref> - )は、[[日本]]の[[タレント]]、[[漫談家]]、[[写真家]]、[[落語家]]。自らが運営するP&P企画所属。また漫談家として[[落語協会]]所属。
'''林家 ペー'''(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、[[1941年]]〈[[昭和]]16年〉[[11月29日]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://rakugo-kyokai.jp/variety-entertainer/member_detail.php?uid=304|title=林家 ペー|author=(社)落語協会|accessdate=2019-11-18}}</ref> - )は、[[日本]]の[[タレント]]、[[漫談家]]、[[写真家]]、[[落語家]]。自らが運営するP&P企画所属。また漫談家として[[落語協会]]所属。


落語家としての高座名は'''林家たいぺー'''。
落語家としての高座名は'''林家たいぺー'''。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[ファイル:Japanese Crest Hana Hisi.svg|230px|thumb|[[唐花紋|唐花菱]]は林家三平一門の[[定紋]]であり[[林家こん平]]に移門しても同じである。]]
[[大阪府]][[大阪市]][[浪速区]]日本橋3丁目生まれ、同市[[阿倍野区]]育ち。ただし、[[小学校]]は旧[[南区 (大阪市)|南区]](現:[[中央区 (大阪市)|中央区]])の大阪市立精華小学校(現在は廃校し、[[大阪市立南小学校]]に統一)[[中学校]]は同中央区[[大阪市立南中学校]](旧校舎は現:[[アメリカ村]][[ビッグステップ]])出身。[[浪速高等学校・中学校|浪速高等学校]]卒業。[[大阪スタヂアム]]の近く(当時の実家は裕福で、[[ヤマギワソフト]]大阪店〈現:ホテルヒラリーズ〉が建つ前の土地に建っていた<ref>[[朝日放送テレビ|朝日放送]]『[[ごきげん!ブランニュ]]』[http://archive.is/cq42v 2013年10月28日放送分「赤井の朝から飲める店」] での発言より。</ref>)で育った。
[[大阪府]][[大阪市]][[浪速区]]日本橋3丁目生まれ、同市[[阿倍野区]]育ち。ただし、[[小学校]]は旧[[南区 (大阪市)|南区]](現:[[中央区 (大阪市)|中央区]])の大阪市立精華小学校(現在は廃校し、[[大阪市立南小学校]]に統一)[[中学校]]は同中央区[[大阪市立南中学校]](旧校舎は現:[[アメリカ村]][[ビッグステップ]])出身。[[浪速高等学校・中学校|浪速高等学校]]卒業。[[大阪スタヂアム]]の近く(当時の実家は裕福で、[[ヤマギワソフト]]大阪店〈現:ホテルヒラリーズ〉が建つ前の土地に建っていた<ref>[[朝日放送テレビ|朝日放送]]『[[ごきげん!ブランニュ]]』[https://archive.is/cq42v 2013年10月28日放送分「赤井の朝から飲める店」] での発言より。</ref>)で育った。


幼い時から江戸っ子の粋に憧れて上京し<ref name=" zakzak2011 ">{{Cite web|和書|url=https://www.zakzak.co.jp/people/news/20110706/peo1107060945000-n1.htm |title=【林家ペー・パー子】2つの“台風”襲来 編集局に走った笑撃 |publisher=zakzakの「ぴいぷる」のインタビュー記事 |date=2011-7-6 |accessdate=2022-03-01}}</ref>、当時、非常に人気が高かった[[林家三平 (初代)|初代林家三平]]への弟子入りを目指す。「いきなり弟子入りを頼んでも断られるだろう」との考えにより<ref name=" 「この人に会いたい」2022 ">週刊文春2022年3月3日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」第1383回・林家ペー&パー子p120-125</ref>、上京後は思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。数日後この努力が三平に認められ、ぺー宛に「今度自宅に遊びにいらっしゃい」との手紙が届き<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/>、入門を受け入れられた。
幼い時から江戸っ子の粋に憧れて上京し、[[林家三平 (初代)|初代林家三平]]に入門する。当時、非常に人気が高かった三平への憧れから、思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。この努力が三平に認められ、入門を受け入れられた。当初から[[落語]]ではなく、立ち高座で[[ギター]][[漫談]]を主に演じていた。三平全盛期のいわゆる「三平落語」の高座で、何度かバックギタリストとして共演しており、三平からはいくつかの珍芸も伝授された。また、ギターは[[伊東四朗]]から教えられ、ペー曰く「人前では見せないが、伊東さんはギターもピアノも天才的に上手い。本当はプロとして飯が食っていけるほどだ」とのこと。2021年現在も落語協会の定席で色物([[浅草演芸ホール]]のプログラムなどでは「余談漫談」と記されている)として定期的に上がり続けており、同協会の色物芸人の香盤では[[林家正楽#江戸3代目|三代目林家正楽]]の次に位置している(2021年10月現在)。

当初から[[落語]]ではなく、立ち高座で[[ギター]][[漫談]]を主に演じていた。三平全盛期のいわゆる「三平落語」の高座で、何度かバックギタリストとして共演しており、三平からはいくつかの珍芸も伝授された。また、ギターは[[伊東四朗]]から教えられた{{efn2|ペー曰く「人前では見せないが、伊東さんはギターもピアノも天才的に上手い。本当はプロとして飯が食っていけるほどだ」とのこと}}。2021年現在も落語協会の定席で色物([[浅草演芸ホール]]のプログラムなどでは「余談漫談」と記されている)として定期的に上がり続けており、同協会の色物芸人の香盤では[[林家正楽#江戸3代目|三代目林家正楽]]の次に位置している(2021年10月現在)。


[[2008年]]には「落語もやってみたい」と考えを改め、一門の後輩である[[林家たい平]]{{efn2|初代三平の孫弟子で、兄弟子・[[林家こん平]]の弟子にあたる。}}に落語家として弟子入りし、「'''林家たいぺー'''」の高座名をもらう。[[2011年]]ごろから「[[あくび指南|あくびの稽古]]」「[[時そば]]」などを演じている。ただし、落語協会では引き続き漫談家として登録されている。
[[2008年]]には「落語もやってみたい」と考えを改め、一門の後輩である[[林家たい平]]{{efn2|初代三平の孫弟子で、兄弟子・[[林家こん平]]の弟子にあたる。}}に落語家として弟子入りし、「'''林家たいぺー'''」の高座名をもらう。[[2011年]]ごろから「[[あくび指南|あくびの稽古]]」「[[時そば]]」などを演じている。ただし、落語協会では引き続き漫談家として登録されている。


== 芸人として ==
三平一門で知り合った妻の[[林家パー子]]とは、「ペーパー」コンビで有名となる。桃色(ピンク)をこよなく愛している。[[好角家]]でもある。
=== 芸歴 ===
* [[1964年]]10月15日<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/> - [[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]](1964年)真っ只中の頃に[[林家三平 (初代)|初代林家三平]]に入門。三平の付き人を6年間ほど務めた<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/>。当初「ペー平」と命名されたが、のちに「'''ぺー'''」となった<ref name=" zakzak2011 "/>。

* [[1970年]]頃からスーツ姿で高座で歌う師匠の伴奏役としてギターを弾き始め(最初のギャラは500円)、ギター漫談家として活動する<ref name=" 婦人公論.jp2022その1 ">{{Cite web|和書|url=https://fujinkoron.jp/articles/-/1871 |title=林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その1 |publisher=婦人公論.jp |date=2020-4-13 |accessdate=2022-03-01}}</ref>。


* [[1972年]]3月30日<ref name=" 「らじるラボ」2021 ">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20211122164823/https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/radiru-lab/ZSsF6K1ivm.html |title=「いい夫婦の日」 林家ペー・パー子さんが仲良しトーク♪ |publisher=NHKのウェブサイトより「らじるラボ」の記事 |date=2021-11-22 |accessdate=2022-03-01}}</ref> - [[林家パー子]]と結婚。その後徐々に夫婦揃っての仕事がたくさん舞い込むようになった<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/>。
大阪出身者であるが、いわゆる[[大阪弁]]は基本的に使わず、もっぱら東京弁で話すが、イントネーションは関西弁。


* 2011年 - 2007年にテリー伊藤が落語に挑戦した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070823-245540.html |title=テリー伊藤が落語家デビュー「林家テリ平」 |publisher=日刊スポーツのネット記事 |date=2007-8-23 |accessdate=2022-03-01}}</ref>ことに感化されて落語を始めた<ref name=" zakzak2011 "/>。
== 芸歴 ==
* [[1964年]] - [[林家三平 (初代)|初代林家三平]]に入門。命名「ペー平」のちに「'''ぺー'''」。
* [[1972年]] - [[林家パー子]]と結婚。


== 芸風・特技 ==
=== 芸風・特技 ===
* 該博な知識と洒脱な発想による余談漫談で人気とされる<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/>。
* 芸能界屈指の記憶力の持ち主で、数多くの有名人の[[生年月日]]を完璧に記憶していることで知られる。各地の[[郵便番号]]も多く記憶している。
* 大阪出身者であるが、いわゆる[[大阪弁]]は基本的に使わず、もっぱら東京弁で話すが、イントネーションは関西弁。
* 芸能界屈指の記憶力の持ち主で、数多くの有名人の[[生年月日]]を完璧に記憶している(本人曰く「誕生日覚え」)で知られる<ref name=" zakzak2011 "/>。各地の[[日本の郵便番号|郵便番号]]も多く記憶している。
* 即興のダジャレ(隣にいるパー子が爆笑するのがお約束)。
* 即興のダジャレ(隣にいるパー子が爆笑するのがお約束)。
* 「これは余談ですが‥」「くしくも‥」が口癖。
* 「これは余談ですが‥」「くしくも‥」が口癖。
* 有名人との[[写真]]を撮りまくることでも知られる(詳しくは後述)。
* 有名人との[[写真]]を撮りまくることでも知られる。最初に撮影された有名人は郷ひろみで、パー子との2ショットであった。膨大な枚数の写真とネガを保管するため、自宅とは別にマンションを借りていたが、[[2005年]]からは[[デジタルカメラ]]を取り入れた。気に入った写真は大きく引き伸ばして本人にプレゼントすることもある。


== 芸名について ==
=== 芸名について ===
林家三平一門の中で数少ない、名前に「平」の字が付かない弟子である。来歴にもある通り、元々、師匠である三平から一度「林家ペー平(ペーぺー)」という芸名をもらった、[[1963年]]に師匠の友人である[[近江俊郎]]宅を師匠ら数人と訪れた際、そこにいた近江の友人である占い師に『林家ペー平』で姓名判断してもらったところ「素晴らし過ぎる名前だ。いずれ師匠を食ってしまうほどの大物になるだろう」と言われ、小心者である三平(ペー本人がそう語っている)が弟子であるペーの台頭を恐れ、「平」を取ってしまったためである。
初代林家三平一門の中で数少ない、名前に「平」の字が付かない弟子である。来歴にもある通り、元々、師匠である三平から一度「林家ペー平(ペーぺー)」という芸名をもらった。しかし、[[1963年]]に師匠の友人である[[近江俊郎]]宅を師匠ら数人と訪れた際、そこにいた近江の友人である占い師に『林家ペー平』で姓名判断してもらった。すると「素晴らし過ぎる名前だ。いずれ師匠を食ってしまうほどの大物になるだろう」と告げらたが、小心者である初代三平(ペー本人がそう語っている)が弟子であるペーの台頭を恐れ、「平」を取ってしまったためである。


名付け親の三平が他界したため、「ペー」の書体がひらがなかカタカナかは本人にも分からない。ペー本人は「師匠に聞く前に他界されてしまった」と語っている。番組などで「横書きの時はカタカナ、縦書きの時はひらがな」と時折語っている。
名付け親の初代三平が他界したため、「ペー」の書体がひらがなかカタカナかは本人にも分からない。ペー本人は「師匠に聞く前に他界されてしまった」と語っている。番組などで「横書きの時はカタカナ、縦書きの時はひらがな」と時折語っている。


== 妻・パ==
== エピソ==
=== 妻・パー子 ===
パー子と並べると「ペー・パー」(=[[紙|ペーパー]])となり、俗に「'''ペーパーさん'''」と呼ばれるが、'''狙って名付けたわけではなく、全くの偶然である'''(パー子はもともと女流落語家として単独に活動していた時期があり、のちに兄弟子であるペーと結婚に至った)。 ちなみに、結婚披露宴の引き出物は[[トイレットペーパー]]だった。
もともと女流落語家として単独に活動していた[[林家パー子]]と、三平一門で知り合ったあと兄弟子であるペーと結婚に至った。普段は、パー子のことを本名である粋子に由来し「粋(すい)ちゃん」と呼ぶ。


結婚時ギター漫談家だったペーは、ワンステージのギャラが3000円でまだまだ食べていけない状態で、当時売れっ子タレントのパー子との結婚は今で言う格差婚だった{{efn2|このため、ペーが仕事仲間に結婚を伝えると、皆一様に「どうして売れっ子のパー子があなたと?」と驚かれた<ref name=" 婦人公論.jp2022その1 "/>。}}。
パー子のことは本名である粋子に由来し「粋(すい)ちゃん」と呼ぶ。


2人の名前を並べると「ペー・パー」(=[[紙|ペーパー]])となり、俗に「'''ペーパーさん'''」と呼ばれるが、'''狙って名付けたわけではなく、全くの偶然である'''<ref name=" 「らじるラボ」2021 "/>。 ちなみに結婚披露宴の引き出物は、三平の妻・[[海老名香葉子]]のアイディアにより[[トイレットペーパー]]だった<ref name=" 「らじるラボ」2021 "/>。
[[寄席]]の高座も二人で務めるが、決して夫婦[[漫才]]ではない(パー子が落語協会に加盟していないこともあり、香盤には「漫談・ペー」としか書かれておらず、パー子はペーの[[漫談]]の後見役として出演している)。


[[寄席]]の高座も二人で務めているが、決して[[夫婦漫才|夫婦漫才師]]ではない<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/>。パー子が落語協会に加盟していないこともあり、香盤には「漫談・ペー」としか書かれておらず、パー子はペーの[[漫談]]の後見役{{efn2|パー子はペーの話を聞いて独特の高い声で「ハッハー!」「ヤーダ!」などと笑い、時々持参したカメラで写真を撮るなどしている。}}として出演している。ペーは「よく世間から誤解されやすいけど、あたしらは漫才コンビじゃないから二人の持ちネタもない」としている{{efn2|過去に同じく勘違いした業界人から、「[[宮川大助・花子]]VS林家ペー・パー子」と題した企画をオファーされたことがあった。出演を引き受けたものの、ペーはパー子の付添いのもと上記のような漫談ネタをしただけで、はなから対決になっていなかったとのこと<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/>。}}。
== 写真撮影に関して ==
一般的にテレビ撮影中(本番中)は静音対策をしたカメラを用いるなどしなければならないが、ペーは本番中でもカメラ撮影をしており、『[[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]』では、「報道カメラマン」(問題によっては「戦場カメラマン」)扱いである{{efn2|なお、撮影された写真は、『お笑いウルトラクイズ』のエンディング、及び同作品のDVD版エンディングにも使用されている。}}。)


=== 写真撮影に関して ===
[[ビートたけし]]の母の葬儀に、ピンクのスーツに黒いネクタイをつけて参列したペー・パー子夫妻は、棺桶の遺体の写真を無断で何枚も撮影し、たけしの兄らに激昂されて<ref>{{Cite news|title=ビートたけしの兄を怒らせた林家ペーの非礼にスタジオ驚き 母の遺体を撮影|url=http://news.livedoor.com/article/detail/13091514/|publisher=ライブドアニュース・TOPIC NEWS|date=2017-05-21|accessdate=2017-05-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170825074106/https://news.livedoor.com/article/detail/13091514/ |archivedate=2017-8-25 }}</ref> 葬儀場から追い出されたことがある。
夫妻が最初に撮影した有名人は郷ひろみで、パー子との2ショットを撮った。これをきっかけに夫妻は、有名人や仕事場での写真撮影をするようになった<ref name=" zakzak2011 "/>。


一般的にテレビ撮影中(本番中)は静音対策をしたカメラを用いるなどしなければならないが、ペーは本番中でもカメラ撮影をしている。『[[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]』では、「報道カメラマン」(問題によっては「戦場カメラマン」)扱いである{{efn2|なお、撮影された写真は、『お笑いウルトラクイズ』のエンディング、及び同作品のDVD版エンディングにも使用されている。}}。
撮った写真は、後日に[[テレホンカード]]にして周囲に配りもした。


[[1999年]]の[[ビートたけし]]の母の葬儀に、ペー・パー子夫妻はピンクのスーツに黒いネクタイをつけて参列した。しかし夫妻が棺桶の遺体の写真を無断で何枚も撮影したせいで、たけしの兄らに激昂されて<ref>{{Cite news|title=ビートたけしの兄を怒らせた林家ペーの非礼にスタジオ驚き 母の遺体を撮影|url=https://news.livedoor.com/article/detail/13091514/|publisher=ライブドアニュース・TOPIC NEWS|date=2017-05-21|accessdate=2017-05-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170825074106/https://news.livedoor.com/article/detail/13091514/ |archivedate=2017-8-25 }}</ref> 葬儀場から追い出されたことがある。
[[2006年]]10月25日、荒川の土手を散歩中に、画像約900枚が入った当時自身が愛用していた[[デジタルカメラ]]([[ペンタックス]] optio S6)を紛失した。これは、翌年2007年11月28日放送の『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜|トリビアの泉]]』においてトリビアの1つとして取り上げられた。哀れに思った同番組のスタッフらにより大捜索が行われたものの、結局発見には至らなかった<ref>{{Cite news|title=林家ペー動揺、本人直撃…あわや芸能人画像流出事件!?|url=http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101113/enn1011131501019-n1.htm|publisher=zakzak|date=2010-11-13|accessdate=2020-05-07}}</ref>。


膨大な枚数の写真とネガを保管するため、自宅とは別にマンションを借りていたが、[[2005年]]からは[[デジタルカメラ]]を取り入れた。しかし[[2006年]]10月25日の荒川の土手を散歩中に、画像約900枚が入った当時愛用のデジタルカメラ([[ペンタックス]] optio S6)を紛失してしまった{{efn2|哀れに思った同番組のスタッフらにより大捜索が行われたものの、結局発見には至らなかった。このことは、翌年2007年11月28日放送の『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜|トリビアの泉]]』においてトリビアの1つとして取り上げられた<ref>{{Cite news|title=林家ペー動揺、本人直撃…あわや芸能人画像流出事件!?|url=https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101113/enn1011131501019-n1.htm|publisher=zakzak|date=2010-11-13|accessdate=2020-05-07}}</ref>。}}。
== 趣味・人物像 ==
「芸人に年齢なし」という信念から、生年をあまり公表したがらない。 髪型の[[アフロヘアー]]は、妻のパー子が[[郷ひろみ]](一時期は髪型をアフロヘアーにしていた)のファンであるため行っている。


[[2011年]]6月には、有名人の秘蔵ショットを被写体の誕生日順に収録した写真集『林家ペー、パー子の爆笑芸能写真館』(シンコーミュージック・エンタテイメント)を出版<ref name=" zakzak2011 "/>。
メジャーリーグの選手である[[イチロー]]のファンとしても知られる{{efn2|[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]時代から。[[2000年]]の[[週刊ベースボール]]のプロ野球開幕企画でオリックスファンとしてインタビューを受け「優勝したら、祝勝会でイックン〔イチローをペーはこう呼ぶ〕にキスしたい」という旨の発言をしたこともある。}}。愛犬([[柴犬]])の名前をイチローにあやかり「幸イチロー(こういちろー)」と名づけたほどである。[[2006年]]、[[2009年]]に[[東京ドーム]]で行われた[[ワールド・ベースボール・クラシック]]の東京ラウンドをエキサイトシートで観戦していたが、応援している模様をテレビで映し出された。


[[2019年]]11月時点で夫婦が撮った有名人や仕事場での写真の累計枚数は5万枚を越えており、現像が追いついていない状態<ref name=" 「私の元気の秘訣」2019 ">{{Cite web|和書|url=https://365college.press/interview/genki/3562 |title=「私の元気の秘訣」明るく元気でハッピーに!10年後もこのままの夫婦でいたいです |publisher=「健康 365」公式ウェブメディア「365 college」 |date=2019-11-25 |accessdate=2022-03-01}}</ref>。また気に入った写真は後日大きく引き伸ばして本人にプレゼントしたり、[[テレホンカード]]にして周囲に配りもした。
愛犬の幸イチローがボールを投げても取らないなど言うことを聞かなかったことから、言うことを聞くようにと「[[どうぶつ奇想天外!]]」([[TBS]]系列)でドッグトレーナーに指導してもらったことがある。

=== ピンク色の衣装 ===
桃色(ピンク)をこよなく愛し、派手なピンクの衣装で有名だが、私服でもピンク系統の服が多いと[[月曜から夜ふかし]]で語っている。

若手時代のペーはいつも地味な服装で過ごしていた<ref name=" 婦人公論.jp2022その2 ">{{Cite web|和書|url=https://fujinkoron.jp/articles/-/1871?page=2 |title=林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その2 |publisher=婦人公論.jp |date=2020-4-13 |accessdate=2022-03-01}}</ref>が、結婚後パー子のピンク色のセーターを何気なく借りて外出した。すると仕事関係者から「今度2人でピンク色の衣装で舞台に出てみれば?」と言われ、それをきかっけに夫婦は仕事時にピンク色の服を着始めた<ref name=" 「テリー伊藤の助言」 ">{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=pDwUbhvBLh4 |title=林家ペー&パー子、ピンク衣装は「テリー伊藤の助言」 「氷結」イベント「ブルーウェア贈呈式」1 |publisher=maidigitv(マイデジTV)のYouTube動画 |date=2016-3-10 |accessdate=2022-03-01}}</ref>。

ただしピンク色の衣装にまだまだ抵抗があったペーは、内心迷いながらピンクを着てそれ以降仕事に臨んだ。しかしその後出会った[[テリー伊藤]]から、「テレビはビジュアルが命だから、派手なピンク色の方がいい」と後押しされたことで吹っ切れ<ref name=" 「テリー伊藤の助言」 "/>、積極的にピンク色を着るようになった<ref name=" 婦人公論.jp2022その2 "/>。

== 人物像 ==
=== 考え方など ===
「芸人に年齢なし」という信念から、生年をあまり公表したがらず誕生月日のみ言う場合<ref name=" zakzak2011 ">{{Cite web|和書|url=https://www.zakzak.co.jp/people/news/20110706/peo1107060945000-n1.htm |title=【林家ペー・パー子】2つの“台風”襲来 編集局に走った笑撃 |publisher=zakzakの「ぴいぷる」のインタビュー記事 |date=2011-7-6 |accessdate=2022-03-01}}</ref>や「年齢非公表」とする場合がある<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080610-370542.html |title=林家ペー&パー子が歌手デビューか |publisher=日刊スポーツのネット記事 |date=2008-6-10 |accessdate=2022-03-01}}</ref>。

マネージャーはいるが、スケジュール管理は夫婦で行っている<ref name=" 婦人公論.jp2022その4 ">{{Cite web|和書|url=https://fujinkoron.jp/articles/-/1871?page=4 |title=林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その4 |publisher=婦人公論.jp |date=2020-4-13 |accessdate=2022-03-01}}</ref>。

身長157cm<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/peeparko/entry-11336697081.html |title=ご祝儀に5000円! |publisher=林家ペーパー子オフィシャルブログ「ペーパーの余談ですけど」 |date=2012-8-24 |accessdate=2022-03-01}}</ref>の小柄な体型で、パー子とは背格好が似ている<ref name=" 婦人公論.jp2022その1 "/>。

髪型の[[アフロヘアー]]は、妻のパー子が[[郷ひろみ]](一時期は髪型をアフロヘアーにしていた)のファンであるため行っている。ペーがアフロにした当時、郷の母親が原宿の美容院を開いており、ペーもそこで長年パーマをかけてもらっていた<ref name=" 婦人公論.jp2022その2 "/>。

テリー伊藤の助言以降、仕事が増えたことから「テリーさんは、僕ら夫婦にとって恩人」と評している<ref name=" 「テリー伊藤の助言」 "/>。

夫婦の目標は、きんさんぎんさんのように元気に100歳以上長生きすること<ref name=" 婦人公論.jp2022その5 ">{{Cite web|和書|url=https://fujinkoron.jp/articles/-/1871?page=5 |title=林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その5 |publisher=婦人公論.jp |date=2020-4-13 |accessdate=2022-03-01}}</ref>。

=== 趣味など ===
メジャーリーグの選手である[[イチロー]]のファンとしても知られる{{efn2|[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]時代から。[[2000年]]の[[週刊ベースボール]]のプロ野球開幕企画でオリックスファンとしてインタビューを受け「優勝したら、祝勝会でイックン〔イチローをペーはこう呼ぶ〕にキスしたい」という旨の発言をしたこともある。}}。[[2006年]]、[[2009年]]に[[東京ドーム]]で行われた[[ワールド・ベースボール・クラシック]]の東京ラウンドをエキサイトシートで観戦していたが、応援している模様をテレビで映し出された。

大ファンのイチローにあやかり、「幸イチロー(こういちろー)」と名づけた愛犬(雄の[[柴犬]])を飼っていた<ref name=" 幸イチロー 命日 ">{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/peeparko/entry-12570127079.html |title=幸イチロー 命日 |publisher=林家ペーパー子オフィシャルブログ「ペーパーの余談ですけど」 |date=2020-1-26 |accessdate=2022-03-01}}</ref>。2人は幸イチローを自分たちの息子のように可愛がり、特にパー子が溺愛していた。幸イチローがボールを投げても取らないなど言うことを聞かなかったことから、言うことを聞くようにと「[[どうぶつ奇想天外!]]」([[TBS]]系列)でドッグトレーナーに指導してもらったことがある。その後幸イチローは2010年に亡くなった<ref name=" 幸イチロー 命日 "/>。


愛車は[[トヨタ・カローラ]]が好きで、前述の郷がイメージキャラクターだった5代目モデル(80系、[[1983年]]発売)からモデルチェンジの度に乗り換えていた。「車のことを英語で『カローラ』って言うと信じてたぐらい」とのこと。一度『[[所印の車はえらい]]』という番組で[[フォルクスワーゲン]]を購入するが、『[[天才!たけしの元気が出るテレビ]]』のクイズ(正解したら[[ポルシェ]]に交換してもらえるという企画)で不正解となり潰されてしまった。
愛車は[[トヨタ・カローラ]]が好きで、前述の郷がイメージキャラクターだった5代目モデル(80系、[[1983年]]発売)からモデルチェンジの度に乗り換えていた。「車のことを英語で『カローラ』って言うと信じてたぐらい」とのこと。一度『[[所印の車はえらい]]』という番組で[[フォルクスワーゲン]]を購入するが、『[[天才!たけしの元気が出るテレビ]]』のクイズ(正解したら[[ポルシェ]]に交換してもらえるという企画)で不正解となり潰されてしまった。
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一番長く乗ったのは7代目の[[トヨタ・カローラレビン|カローラレビン]](110系、[[1995年]]発売)で約15年乗って走行距離は約12万Kmまで走ったが、[[2014年]]7月に[[北赤羽駅]]前の交差点でペーが運転するレビンがオートバイと接触し、はずみで電柱に激突する事故を起こしている(オートバイの男性は軽傷で、ペーは無事だった)。この事故以降、車の運転はしていないという。
一番長く乗ったのは7代目の[[トヨタ・カローラレビン|カローラレビン]](110系、[[1995年]]発売)で約15年乗って走行距離は約12万Kmまで走ったが、[[2014年]]7月に[[北赤羽駅]]前の交差点でペーが運転するレビンがオートバイと接触し、はずみで電柱に激突する事故を起こしている(オートバイの男性は軽傷で、ペーは無事だった)。この事故以降、車の運転はしていないという。


[[好角家]]としても知られ、[[両国国技館]]にパー子と共にプライベートで訪れている様子が[[大相撲中継]]でも映し出されている(プライベートであるため、当然映るだけ)。しかし、プライベートであっても、いつものピンクの派手な衣装にカメラ片手というスタイルは変わらない。また、撮影するところも放送されている。応援している力士は[[遠藤聖大]]<ref>[https://ameblo.jp/peeparko/entry-11617918073.html 林家ペー&パー子 オフィシャルサイト2013年9月20日]</ref>。遠藤の出身地の[[石川県]][[穴水町]]に、初代林家三平の妻である[[海老名香葉子]]が[[1945年]]の終戦前後に疎開していたことなど、穴水町と林家一門に交流があることによる<ref>[http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20071009105.htm ◎「穴水が私の原点」 海老名香葉子さん「ふるさとお話会」 仮設住宅に報恩行脚] 47NEWS2007年10月9日(2014年3月20日閲覧)</ref>。
派手なピンクの衣装で有名だが、私服でもピンク系統の服が多いと[[月曜から夜ふかし]]で語っている。

[[好角家]]としても知られ、[[両国国技館]]にパー子と共にプライベートで訪れている様子が[[大相撲中継]]でも映し出されている(プライベートであるため、当然映るだけ)。しかし、プライベートであっても、いつものピンクの派手な衣装にカメラ片手というスタイルは変わらない。また、撮影するところも放送されている。応援している力士は[[遠藤聖大]]<ref>[https://ameblo.jp/peeparko/entry-11617918073.html 林家ペー&パー子 オフィシャルサイト2013年9月20日]</ref>
。遠藤の出身地の[[石川県]][[穴水町]]に、初代林家三平の妻である[[海老名香葉子]]が[[1945年]]の終戦前後に疎開していたことなど、穴水町と林家一門に交流があることによる<ref>[http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20071009105.htm ◎「穴水が私の原点」 海老名香葉子さん「ふるさとお話会」 仮設住宅に報恩行脚] 47NEWS2007年10月9日(2014年3月20日閲覧)</ref>。
投稿マニアでもあるペーには、『[[土曜一番!花やしき]]』という土曜朝の情報番組に毎週素人のふりをして川柳コーナーにFAXを送り続けていたが、同番組の構成作家をしていた親交のある[[小泉せつ子]]に見破られ、翌週番組に引きずり出されていたというエピソードもある。その時まで使っていたペンネームは「PP砲」だった。
投稿マニアでもあるペーには、『[[土曜一番!花やしき]]』という土曜朝の情報番組に毎週素人のふりをして川柳コーナーにFAXを送り続けていたが、同番組の構成作家をしていた親交のある[[小泉せつ子]]に見破られ、翌週番組に引きずり出されていたというエピソードもある。その時まで使っていたペンネームは「PP砲」だった。

「どうでもいいくだらない話」が好きなことから、自身の「余談ですが…」という雑学や特技の誕生日覚えに繋がった<ref name=" zakzak2011 "/>。

女優の中で一番好きなのは、[[高峰秀子]]<ref name=" 「この人に会いたい」2022 "/>。

大の麺類好きだが、健康志向のパー子の指示でラーメンを食べる回数をかなりセーブしている<ref name=" 「私の元気の秘訣」2019 "/>。嫌いな食べ物は、納豆ととろろ芋{{efn2|上京直後に初めてとろろ芋を食べた所、全身がかゆくなったことから<ref name=" 「私の元気の秘訣」2019 "/>。}}。ビール好きで、強い酒は苦手{{efn2|過去にウイスキーや日本酒を飲んで何度か倒れたことがあり、本人は「根本的に体に合わないんだろうね」としている<ref name=" 「私の元気の秘訣」2019 "/>。}}。


== 出演 ==
== 出演 ==
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*[[夜鳴き弁天]](フジテレビ)
*[[夜鳴き弁天]](フジテレビ)
*[[ピロピロ]](フジテレビ)
*[[ピロピロ]](フジテレビ)
*モーニングJAM ウフフの金曜日(テレビ東京)
*[[NEWSモーニングJAM]] ウフフの金曜日(テレビ東京)
*[[ものまね王座決定戦]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*[[ものまね王座決定戦]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*[[土曜一番!花やしき]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*[[土曜一番!花やしき]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*[[暖流 (小説)|暖流]]([[毎日放送]])
*[[暖流 (小説)|暖流]]([[毎日放送]])
*[https://web.archive.org/web/20011204112821/http://www.tv-asahi.co.jp/pepa/ ペパラッチ](テレビ朝日)
*[[霊能力者 小田霧響子の嘘]](テレビ朝日)
*[[霊能力者 小田霧響子の嘘]](テレビ朝日)
*[[1億人の大質問!?笑ってコラえて!]](日本テレビ)
*[[1億人の大質問!?笑ってコラえて!]](日本テレビ)
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*[[明日があるさ]](2001年)
*[[明日があるさ]](2001年)
*[[最後のオンナ]](2020年)
*[[最後のオンナ]](2020年)

=== 映画 ===
=== 映画 ===
* [[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜#実写映画|かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜ファイナル]](2021年8月20日、[[東宝]]) - 林家ペー(本人役)
* [[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜#実写映画|かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜ファイナル]](2021年8月20日、[[東宝]]) - 林家ペー(本人役)
* でくの空(2022年8月26日、アルミード) - 峠 啓吉 役


=== CM ===
=== CM ===
*[[ビックカメラ]]
*[[ビックカメラ]]
*[[リアルゴールド]]([[Mr.オクレ]]、[[春一番 (お笑い芸人)|春一番]]らとともに出演。CMの原曲は「[[燃えろいい女]]」)
*[[リアルゴールド]]([[Mr.オクレ]]、[[春一番 (お笑い芸人)|春一番]]らとともに出演。CMの原曲は「[[燃えろいい女]]」)
*ディスカウントストア・[[ロヂャース]]([[林家パー子]]と共演)
*ディスカウントストア・[[ロヂャース]]([[林家パー子]]と共演)<ref>{{Cite journal|和書|title=今月の広告批評|journal=[[広告批評]]|issue=144|publisher=マドラ出版|date=1991-11-01|pages=91|id={{NDLJP|1853110/47}}}}</ref>
*レダインターナショナル・プチシルマ([[研ナオコ]]と共演)
*レダインターナショナル・プチシルマ([[研ナオコ]]と共演)
*[[マルハ]](現・[[マルハニチロ食品]])「今日のくだもの」
*[[マルハ]](現・[[マルハニチロ食品]])「今日のくだもの」
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*[[ダイハツ・タント|ダイハツ・タントカスタム]](ペー役の[[オダギリジョー]]とパー子(こちらは本人)が出演しているが、ペー本人は演技指導でCMに関与している)
*[[ダイハツ・タント|ダイハツ・タントカスタム]](ペー役の[[オダギリジョー]]とパー子(こちらは本人)が出演しているが、ペー本人は演技指導でCMに関与している)
*ドラゴンポーカー(パー子も出演)
*ドラゴンポーカー(パー子も出演)
*[[モンデリーズ・ジャパン]]「クロレッツ ピンクグレープフルーツミント」(2017年) ※ Web CM、パー子も出演<ref>{{cite news|url=http://natalie.mu/owarai/news/217021|title=林家ペー&パー子、EDMに乗せて世界をピンク色に染める|newspaper=お笑いナタリー|date=2017-01-16|accessdate=2017-01-17}}</ref>
*[[モンデリーズ・ジャパン]]「クロレッツ ピンクグレープフルーツミント」(2017年) ※ Web CM、パー子も出演<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/owarai/news/217021|title=林家ペー&パー子、EDMに乗せて世界をピンク色に染める|newspaper=お笑いナタリー|date=2017-01-16|accessdate=2017-01-17}}</ref>
*NKユナイテッド SWEAT(2021年 - ) - [[林家パー子]]と共演・北海道エリア<ref>{{Cite web|和書|title=TVCM第1弾 林家ペー&パー子さん登場 「自分を貫き通して生きる」 唯一無二の個性にリスペクトしオファー 元気で笑い絶えない撮影に 3月1日より北海道内で放映開始 |url=https://web.archive.org/web/20220117211455/https://www.sanspo.com/geino/news/20210225/prl21022511330180-n1.html |website=SANSPO.COM(サンスポ) |date=2021-02-25 |accessdate=2022-01-17 |language=ja-JP}}</ref>
*[[西友]]「お買い物で楽天ポイントが使える!貯まる!」 西友&楽天ポイントの歌 お得のループを歌う。 - 林家パー子と共演
*DANTON(2024年)- [[109 (商業施設)|shibuya109]]に壁面にペーの写真が掲示される。


===コンピュータゲーム===
===コンピュータゲーム===
*日米間プロ野球 FINAL LEAGUE - [[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]]とのダブル解説として声の出演。他にも、[[浅草キッド]]、[[伊集院光]]・[[松村邦洋]]の各コンビによるダブル解説も登場する(いずれもダンカンのプロデュースによる)。
*日米間プロ野球 FINAL LEAGUE - [[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]]とのダブル解説として声の出演。他にも、[[浅草キッド (お笑いコンビ)|浅草キッド]]、[[伊集院光]]・[[松村邦洋]]の各コンビによるダブル解説も登場する(いずれもダンカンのプロデュースによる)。


=== ナレーション ===
=== ナレーション ===
* 映画『世界の果てまでヒャッハー!』予告編(2016年) ※ [[林家パー子]]と共演<ref>{{cite news|url=http://natalie.mu/eiga/news/198769|title=林家ぺー&パー子がナレーション挑戦、「ヒャッハー!」響くハイテンション映画予告|newspaper=映画ナタリー|date=2016-08-19|accessdate=2016-08-22}}</ref>。
* 映画『世界の果てまでヒャッハー!』予告編(2016年)※[[林家パー子]]と共演<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/198769|title=林家ぺー&パー子がナレーション挑戦、「ヒャッハー!」響くハイテンション映画予告|newspaper=映画ナタリー|date=2016-08-19|accessdate=2016-08-22}}</ref>。


== 主な出版書籍 ==
== 主な出版書籍 ==
*林家ペーの有名人おもしろビッリ誕生日不思議―あなたの誕生日の謎を解く本 二見文庫
*林家ペーのクイズ誰サイン?(1993年6月、[[ベストセラーズ|ワニ文庫]])
*林家ペーの有名人おもしろビックリ誕生日の不思議―あなたの誕生日の謎を解く本(1999年2月、[[二見書房|二見文庫]])
*林家ペーの有名人マル秘お宝写真 双葉社
*林家ペーのクイズ誰のサイン? ワニ文庫
*林家ペーの有名人マル秘お宝写真(2000年3月、[[双葉社]])
*林家ペー、パー子の爆笑芸能写真館(2011年5月、[[シンコーミュージック・エンタテイメント]])

== 音楽 ==
== 音楽 ==
*夜の都会(まち)に眠れ [[マサ子さん]](アルバム「つちのこ男爵」収録)
*海老名の穴 [[所ジョージ]](アルバム「僕の犬」収録)(「[[林家正蔵 (9代目)|ボクちゃん]]」の合の手と、間奏のセリフ) 
*海老名の穴 [[所ジョージ]](アルバム「僕の犬」収録)(「[[林家正蔵 (9代目)|ボクちゃん]]」の合の手と、間奏のセリフ) 
*余談ですけど「愛してる」 '''林家ペー'''(作詞:[[高田文夫]] 作曲:[[佐瀬寿一]]) 
*余談ですけど「愛してる」 '''林家ペー'''(作詞:[[高田文夫]] 作曲:[[佐瀬寿一]]) 
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [https://ameblo.jp/peeparko/ ペーパーの余談ですけど] 林家ペーパー子 オフィシャルブログ(アメーバブログ)
* [https://www.8585pp.jp/ 林家ペーパー子 オフィシャルサイト]
* {{Twitter|8848pee|林家ペー【公式】}}
* {{Wayback|url=http://gree.jp/hayashiya_pe_pako/ |title=林家ペー・パー子 公式ブログ |date=20210618000315}} (GREE) 最終更新日:2011/4/27
* {{Youtube|h = hayashiya-paper|林家ペーの余談ですけど}}
* [http://8848pp.jp/default.aspx/ 林家ペー&パー子 オフィシャルサイト]
* {{ameba ブログ|peeparko|林家ペー&パー子オフィシャルブログ「ペーパーの余談ですけど」}}
* {{Twitter|8848pee|【公式】林家ペー}}
* {{落語協会プロフィール|304}}
* {{落語協会プロフィール|304}}
* {{Wayback|url=http://gree.jp/hayashiya_pe_pako/ |title=林家ペー・パー子 公式ブログ |date=20210618000315}} - [[GREE]] (最終更新日:2011年4月27日)


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[[Category:浪速高等学校出身の人物]]
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2024年4月12日 (金) 20:25時点における最新版

林家はやしや ペー
2019年、赤羽馬鹿祭りで妻・林家パー子(右)と
本名 佐藤 嘉彦(よしひこ)
生年月日 (1941-11-29) 1941年11月29日(82歳)
出身地 大阪府大阪市浪速区
血液型 B型
言語 日本語
方言 東京弁
最終学歴 浪速高等学校
師匠 初代林家三平
林家たい平(落語家として)
コンビ名 林家ペー・パー子
相方 林家パー子
芸風 漫談
事務所 P&P企画
活動時期 1964年 -
過去の代表番組 元祖どっきりカメラ
お笑いウルトラクイズ
他の活動 写真家
配偶者 林家パー子
テンプレートを表示

林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年昭和16年〉11月29日[1] - )は、日本タレント漫談家写真家落語家。自らが運営するP&P企画所属。また漫談家として落語協会所属。

落語家としての高座名は林家たいぺー

来歴

[編集]
唐花菱は林家三平一門の定紋であり林家こん平に移門しても同じである。

大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目生まれ、同市阿倍野区育ち。ただし、小学校は旧南区(現:中央区)の大阪市立精華小学校(現在は廃校し、大阪市立南小学校に統一)中学校は同中央区大阪市立南中学校(旧校舎は現:アメリカ村ビッグステップ)出身。浪速高等学校卒業。大阪スタヂアムの近く(当時の実家は裕福で、ヤマギワソフト大阪店〈現:ホテルヒラリーズ〉が建つ前の土地に建っていた[2])で育った。

幼い時から江戸っ子の粋に憧れて上京し[3]、当時、非常に人気が高かった初代林家三平への弟子入りを目指す。「いきなり弟子入りを頼んでも断られるだろう」との考えにより[4]、上京後は思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。数日後この努力が三平に認められ、ぺー宛に「今度自宅に遊びにいらっしゃい」との手紙が届き[4]、入門を受け入れられた。

当初から落語ではなく、立ち高座でギター漫談を主に演じていた。三平全盛期のいわゆる「三平落語」の高座で、何度かバックギタリストとして共演しており、三平からはいくつかの珍芸も伝授された。また、ギターは伊東四朗から教えられた[注 1]。2021年現在も落語協会の定席で色物(浅草演芸ホールのプログラムなどでは「余談漫談」と記されている)として定期的に上がり続けており、同協会の色物芸人の香盤では三代目林家正楽の次に位置している(2021年10月現在)。

2008年には「落語もやってみたい」と考えを改め、一門の後輩である林家たい平[注 2]に落語家として弟子入りし、「林家たいぺー」の高座名をもらう。2011年ごろから「あくびの稽古」「時そば」などを演じている。ただし、落語協会では引き続き漫談家として登録されている。

芸人として

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芸歴

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  • 1970年頃からスーツ姿で高座で歌う師匠の伴奏役としてギターを弾き始め(最初のギャラは500円)、ギター漫談家として活動する[5]
  • 1972年3月30日[6] - 林家パー子と結婚。その後徐々に夫婦揃っての仕事がたくさん舞い込むようになった[4]
  • 2011年 - 2007年にテリー伊藤が落語に挑戦した[7]ことに感化されて落語を始めた[3]

芸風・特技

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  • 該博な知識と洒脱な発想による余談漫談で人気とされる[4]
  • 大阪出身者であるが、いわゆる大阪弁は基本的に使わず、もっぱら東京弁で話すが、イントネーションは関西弁。
  • 芸能界屈指の記憶力の持ち主で、数多くの有名人の生年月日を完璧に記憶している(本人曰く「誕生日覚え」)で知られる[3]。各地の郵便番号も多く記憶している。
  • 即興のダジャレ(隣にいるパー子が爆笑するのがお約束)。
  • 「これは余談ですが‥」「くしくも‥」が口癖。
  • 有名人との写真を撮りまくることでも知られる(詳しくは後述)。

芸名について

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初代林家三平一門の中で数少ない、名前に「平」の字が付かない弟子である。来歴にもある通り、元々、師匠である三平から一度「林家ペー平(ペーぺー)」という芸名をもらった。しかし、1963年に師匠の友人である近江俊郎宅を師匠ら数人と訪れた際、そこにいた近江の友人である占い師に『林家ペー平』で姓名判断してもらった。すると「素晴らし過ぎる名前だ。いずれ師匠を食ってしまうほどの大物になるだろう」と告げられたが、小心者である初代三平(ペー本人がそう語っている)が弟子であるペーの台頭を恐れ、「平」を取ってしまったためである。

名付け親の初代三平が他界したため、「ペー」の書体がひらがなかカタカナかは本人にも分からない。ペー本人は「師匠に聞く前に他界されてしまった」と語っている。番組などで「横書きの時はカタカナ、縦書きの時はひらがな」と時折語っている。

エピソード

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妻・パー子

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もともと女流落語家として単独に活動していた林家パー子と、三平一門で知り合ったあと兄弟子であるペーと結婚に至った。普段は、パー子のことを本名である粋子に由来し「粋(すい)ちゃん」と呼ぶ。

結婚時ギター漫談家だったペーは、ワンステージのギャラが3000円でまだまだ食べていけない状態で、当時売れっ子タレントのパー子との結婚は今で言う格差婚だった[注 3]

2人の名前を並べると「ペー・パー」(=ペーパー)となり、俗に「ペーパーさん」と呼ばれるが、狙って名付けたわけではなく、全くの偶然である[6]。 ちなみに結婚披露宴の引き出物は、三平の妻・海老名香葉子のアイディアによりトイレットペーパーだった[6]

寄席の高座も二人で務めているが、決して夫婦漫才師ではない[4]。パー子が落語協会に加盟していないこともあり、香盤には「漫談・ペー」としか書かれておらず、パー子はペーの漫談の後見役[注 4]として出演している。ペーは「よく世間から誤解されやすいけど、あたしらは漫才コンビじゃないから二人の持ちネタもない」としている[注 5]

写真撮影に関して

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夫妻が最初に撮影した有名人は郷ひろみで、パー子との2ショットを撮った。これをきっかけに夫妻は、有名人や仕事場での写真撮影をするようになった[3]

一般的にテレビ撮影中(本番中)は静音対策をしたカメラを用いるなどしなければならないが、ペーは本番中でもカメラ撮影をしている。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』では、「報道カメラマン」(問題によっては「戦場カメラマン」)扱いである[注 6]

1999年ビートたけしの母の葬儀に、ペー・パー子夫妻はピンクのスーツに黒いネクタイをつけて参列した。しかし夫妻が棺桶の遺体の写真を無断で何枚も撮影したせいで、たけしの兄らに激昂されて[8] 葬儀場から追い出されたことがある。

膨大な枚数の写真とネガを保管するため、自宅とは別にマンションを借りていたが、2005年からはデジタルカメラを取り入れた。しかし2006年10月25日の荒川の土手を散歩中に、画像約900枚が入った当時愛用のデジタルカメラ(ペンタックス optio S6)を紛失してしまった[注 7]

2011年6月には、有名人の秘蔵ショットを被写体の誕生日順に収録した写真集『林家ペー、パー子の爆笑芸能写真館』(シンコーミュージック・エンタテイメント)を出版[3]

2019年11月時点で夫婦が撮った有名人や仕事場での写真の累計枚数は5万枚を越えており、現像が追いついていない状態[10]。また気に入った写真は後日大きく引き伸ばして本人にプレゼントしたり、テレホンカードにして周囲に配りもした。

ピンク色の衣装

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桃色(ピンク)をこよなく愛し、派手なピンクの衣装で有名だが、私服でもピンク系統の服が多いと月曜から夜ふかしで語っている。

若手時代のペーはいつも地味な服装で過ごしていた[11]が、結婚後パー子のピンク色のセーターを何気なく借りて外出した。すると仕事関係者から「今度2人でピンク色の衣装で舞台に出てみれば?」と言われ、それをきかっけに夫婦は仕事時にピンク色の服を着始めた[12]

ただしピンク色の衣装にまだまだ抵抗があったペーは、内心迷いながらピンクを着てそれ以降仕事に臨んだ。しかしその後出会ったテリー伊藤から、「テレビはビジュアルが命だから、派手なピンク色の方がいい」と後押しされたことで吹っ切れ[12]、積極的にピンク色を着るようになった[11]

人物像

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考え方など

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「芸人に年齢なし」という信念から、生年をあまり公表したがらず誕生月日のみ言う場合[3]や「年齢非公表」とする場合がある[4][13]

マネージャーはいるが、スケジュール管理は夫婦で行っている[14]

身長157cm[15]の小柄な体型で、パー子とは背格好が似ている[5]

髪型のアフロヘアーは、妻のパー子が郷ひろみ(一時期は髪型をアフロヘアーにしていた)のファンであるため行っている。ペーがアフロにした当時、郷の母親が原宿の美容院を開いており、ペーもそこで長年パーマをかけてもらっていた[11]

テリー伊藤の助言以降、仕事が増えたことから「テリーさんは、僕ら夫婦にとって恩人」と評している[12]

夫婦の目標は、きんさんぎんさんのように元気に100歳以上長生きすること[16]

趣味など

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メジャーリーグの選手であるイチローのファンとしても知られる[注 8]2006年2009年東京ドームで行われたワールド・ベースボール・クラシックの東京ラウンドをエキサイトシートで観戦していたが、応援している模様をテレビで映し出された。

大ファンのイチローにあやかり、「幸イチロー(こういちろー)」と名づけた愛犬(雄の柴犬)を飼っていた[17]。2人は幸イチローを自分たちの息子のように可愛がり、特にパー子が溺愛していた。幸イチローがボールを投げても取らないなど言うことを聞かなかったことから、言うことを聞くようにと「どうぶつ奇想天外!」(TBS系列)でドッグトレーナーに指導してもらったことがある。その後幸イチローは2010年に亡くなった[17]

愛車はトヨタ・カローラが好きで、前述の郷がイメージキャラクターだった5代目モデル(80系、1983年発売)からモデルチェンジの度に乗り換えていた。「車のことを英語で『カローラ』って言うと信じてたぐらい」とのこと。一度『所印の車はえらい』という番組でフォルクスワーゲンを購入するが、『天才!たけしの元気が出るテレビ』のクイズ(正解したらポルシェに交換してもらえるという企画)で不正解となり潰されてしまった。

一番長く乗ったのは7代目のカローラレビン(110系、1995年発売)で約15年乗って走行距離は約12万Kmまで走ったが、2014年7月に北赤羽駅前の交差点でペーが運転するレビンがオートバイと接触し、はずみで電柱に激突する事故を起こしている(オートバイの男性は軽傷で、ペーは無事だった)。この事故以降、車の運転はしていないという。

好角家としても知られ、両国国技館にパー子と共にプライベートで訪れている様子が大相撲中継でも映し出されている(プライベートであるため、当然映るだけ)。しかし、プライベートであっても、いつものピンクの派手な衣装にカメラ片手というスタイルは変わらない。また、撮影するところも放送されている。応援している力士は遠藤聖大[18]。遠藤の出身地の石川県穴水町に、初代林家三平の妻である海老名香葉子1945年の終戦前後に疎開していたことなど、穴水町と林家一門に交流があることによる[19]

投稿マニアでもあるペーには、『土曜一番!花やしき』という土曜朝の情報番組に毎週素人のふりをして川柳コーナーにFAXを送り続けていたが、同番組の構成作家をしていた親交のある小泉せつ子に見破られ、翌週番組に引きずり出されていたというエピソードもある。その時まで使っていたペンネームは「PP砲」だった。

「どうでもいいくだらない話」が好きなことから、自身の「余談ですが…」という雑学や特技の誕生日覚えに繋がった[3]

女優の中で一番好きなのは、高峰秀子[4]

大の麺類好きだが、健康志向のパー子の指示でラーメンを食べる回数をかなりセーブしている[10]。嫌いな食べ物は、納豆ととろろ芋[注 9]。ビール好きで、強い酒は苦手[注 10]

出演

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テレビ番組

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映画

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CM

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コンピュータゲーム

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  • 日米間プロ野球 FINAL LEAGUE - ダンカンとのダブル解説として声の出演。他にも、浅草キッド伊集院光松村邦洋の各コンビによるダブル解説も登場する(いずれもダンカンのプロデュースによる)。

ナレーション

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  • 映画『世界の果てまでヒャッハー!』予告編(2016年)※林家パー子と共演[23]

主な出版書籍

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音楽

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脚注

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注釈

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  1. ^ ペー曰く「人前では見せないが、伊東さんはギターもピアノも天才的に上手い。本当はプロとして飯が食っていけるほどだ」とのこと
  2. ^ 初代三平の孫弟子で、兄弟子・林家こん平の弟子にあたる。
  3. ^ このため、ペーが仕事仲間に結婚を伝えると、皆一様に「どうして売れっ子のパー子があなたと?」と驚かれた[5]
  4. ^ パー子はペーの話を聞いて独特の高い声で「ハッハー!」「ヤーダ!」などと笑い、時々持参したカメラで写真を撮るなどしている。
  5. ^ 過去に同じく勘違いした業界人から、「宮川大助・花子VS林家ペー・パー子」と題した企画をオファーされたことがあった。出演を引き受けたものの、ペーはパー子の付添いのもと上記のような漫談ネタをしただけで、はなから対決になっていなかったとのこと[4]
  6. ^ なお、撮影された写真は、『お笑いウルトラクイズ』のエンディング、及び同作品のDVD版エンディングにも使用されている。
  7. ^ 哀れに思った同番組のスタッフらにより大捜索が行われたものの、結局発見には至らなかった。このことは、翌年2007年11月28日放送の『トリビアの泉』においてトリビアの1つとして取り上げられた[9]
  8. ^ オリックス・ブルーウェーブ時代から。2000年週刊ベースボールのプロ野球開幕企画でオリックスファンとしてインタビューを受け「優勝したら、祝勝会でイックン〔イチローをペーはこう呼ぶ〕にキスしたい」という旨の発言をしたこともある。
  9. ^ 上京直後に初めてとろろ芋を食べた所、全身がかゆくなったことから[10]
  10. ^ 過去にウイスキーや日本酒を飲んで何度か倒れたことがあり、本人は「根本的に体に合わないんだろうね」としている[10]

出典

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  1. ^ (社)落語協会. “林家 ペー”. 2019年11月18日閲覧。
  2. ^ 朝日放送ごきげん!ブランニュ2013年10月28日放送分「赤井の朝から飲める店」 での発言より。
  3. ^ a b c d e f g h 【林家ペー・パー子】2つの“台風”襲来 編集局に走った笑撃”. zakzakの「ぴいぷる」のインタビュー記事 (2011年7月6日). 2022年3月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j 週刊文春2022年3月3日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」第1383回・林家ペー&パー子p120-125
  5. ^ a b c 林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その1”. 婦人公論.jp (2020年4月13日). 2022年3月1日閲覧。
  6. ^ a b c 「いい夫婦の日」 林家ペー・パー子さんが仲良しトーク♪”. NHKのウェブサイトより「らじるラボ」の記事 (2021年11月22日). 2022年3月1日閲覧。
  7. ^ テリー伊藤が落語家デビュー「林家テリ平」”. 日刊スポーツのネット記事 (2007年8月23日). 2022年3月1日閲覧。
  8. ^ “ビートたけしの兄を怒らせた林家ペーの非礼にスタジオ驚き 母の遺体を撮影”. ライブドアニュース・TOPIC NEWS. (2017年5月21日). オリジナルの2017年8月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170825074106/https://news.livedoor.com/article/detail/13091514/ 2017年5月21日閲覧。 
  9. ^ “林家ペー動揺、本人直撃…あわや芸能人画像流出事件!?”. zakzak. (2010年11月13日). https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101113/enn1011131501019-n1.htm 2020年5月7日閲覧。 
  10. ^ a b c d 「私の元気の秘訣」明るく元気でハッピーに!10年後もこのままの夫婦でいたいです”. 「健康 365」公式ウェブメディア「365 college」 (2019年11月25日). 2022年3月1日閲覧。
  11. ^ a b c 林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その2”. 婦人公論.jp (2020年4月13日). 2022年3月1日閲覧。
  12. ^ a b c 林家ペー&パー子、ピンク衣装は「テリー伊藤の助言」 「氷結」イベント「ブルーウェア贈呈式」1”. maidigitv(マイデジTV)のYouTube動画 (2016年3月10日). 2022年3月1日閲覧。
  13. ^ 林家ペー&パー子が歌手デビューか”. 日刊スポーツのネット記事 (2008年6月10日). 2022年3月1日閲覧。
  14. ^ 林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その4”. 婦人公論.jp (2020年4月13日). 2022年3月1日閲覧。
  15. ^ ご祝儀に5000円!”. 林家ペーパー子オフィシャルブログ「ペーパーの余談ですけど」 (2012年8月24日). 2022年3月1日閲覧。
  16. ^ 林家ぺー・パー子の爆笑対談「今日もふたりして全身ピンクです」その5”. 婦人公論.jp (2020年4月13日). 2022年3月1日閲覧。
  17. ^ a b 幸イチロー 命日”. 林家ペーパー子オフィシャルブログ「ペーパーの余談ですけど」 (2020年1月26日). 2022年3月1日閲覧。
  18. ^ 林家ペー&パー子 オフィシャルサイト2013年9月20日
  19. ^ ◎「穴水が私の原点」 海老名香葉子さん「ふるさとお話会」 仮設住宅に報恩行脚 47NEWS2007年10月9日(2014年3月20日閲覧)
  20. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第144号、マドラ出版、1991年11月1日、91頁、NDLJP:1853110/47 
  21. ^ “林家ペー&パー子、EDMに乗せて世界をピンク色に染める”. お笑いナタリー. (2017年1月16日). https://natalie.mu/owarai/news/217021 2017年1月17日閲覧。 
  22. ^ TVCM第1弾 林家ペー&パー子さん登場 「自分を貫き通して生きる」 唯一無二の個性にリスペクトしオファー 元気で笑い絶えない撮影に 3月1日より北海道内で放映開始”. SANSPO.COM(サンスポ) (2021年2月25日). 2022年1月17日閲覧。
  23. ^ “林家ぺー&パー子がナレーション挑戦、「ヒャッハー!」響くハイテンション映画予告”. 映画ナタリー. (2016年8月19日). https://natalie.mu/eiga/news/198769 2016年8月22日閲覧。 

外部リンク

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