「松坂大輔」の版間の差分
「極速」の意味が不明で、最高球速の意味であるとしても、156km/hです。「平均140km/h~150km/h」という表現も、幅が広すぎて不自然。 |
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{{Infobox baseball player |
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{{半保護S}} |
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| 選手名 = 松坂 大輔 |
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{{現在進行}} |
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| 画像 = Daisuke Matsuzaka on March 7, 2014.jpg |
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{{プライバシー}} |
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| 画像説明 = ニューヨーク・メッツ時代<br />(2014年3月7日) |
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{{MLB選手プロフィール |
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| 国籍 = {{JPN}} |
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|選手名=松坂大輔 |
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| 出身地 = {{flag|東京都|name=東京都}}[[江東区]] |
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|選手写真ファイル名= |
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| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1980|9|13}} |
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|写真サイズ= |
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| 所属球団 = |
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|写真のコメント=松坂大輔 |
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| 役職 = |
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|守備位置=投手 |
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| 没年月日 = |
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|所属球団名=ボストン・レッドソックス |
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| 身長 = 182 |
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|背番号=18 |
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| 体重 = 92 |
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|日本でのNPBキャリア年=1999-2006 |
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| 利き腕 = 右 |
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|アメリカでのMLBキャリア年=2007- |
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| 打席 = 右 |
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|誕生日=1980年9月13日 |
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| 守備位置 = [[投手]] |
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|身長=182 |
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| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1998}} |
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|体重=85 |
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| ドラフト順位 = ドラフト1位 |
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|打席=右 |
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| 初出場 = NPB / 1999年4月7日<br />MLB / 2007年4月5日 |
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|利き腕=右 |
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| 最終出場 = MLB / 2014年9月25日<br />NPB / 2021年10月19日(引退試合) |
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|出身校=[[横浜中学校・高等学校|横浜高等学校]] |
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| 経歴 = |
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|年俸=6,000,000(2007年) |
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* [[横浜中学校・高等学校|横浜高等学校]] |
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|出身地=青森県東津軽郡外ヶ浜町 |
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* [[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]] (1999 - 2006) |
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* [[ボストン・レッドソックス]] (2007 - 2012) |
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|MLBデビュー年=2007 |
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* [[ニューヨーク・メッツ]] (2013 - 2014) |
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|ニックネーム= |
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* [[福岡ソフトバンクホークス]] (2015 - 2017) |
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* [[中日ドラゴンズ]] (2018 - 2019) |
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* 埼玉西武ライオンズ (2020 - 2021) |
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| 派遣歴 = |
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* [[ヒガンテス・デ・カロリーナ]] (2016) |
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| 代表チーム = {{Flagicon|JPN}} [[野球日本代表|日本]] |
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| 五輪 = [[2000年シドニーオリンピックの野球競技|2000年]]、[[2004年アテネオリンピックの野球競技|2004年]] |
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| WBC = [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|2006年]]、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009年]] |
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}} |
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{{MedalTop}} |
{{MedalTop}} |
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{{MedalSport|男子 [[野球]]}} |
{{MedalSport|男子 [[野球]]}} |
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{{ |
{{MedalCompetition|[[オリンピックの野球競技|オリンピック]]}} |
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{{MedalBronze|[[2004年アテネオリンピック|2004]]|野球}} |
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{{MedalCompetition|[[ワールド・ベースボール・クラシック]]}} |
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{{MedalGold|[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|2006]]|野球}} |
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{{MedalGold|[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009]]|野球}} |
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{{MedalBottom}} |
{{MedalBottom}} |
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{{Infobox YouTube personality |
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'''松坂 大輔'''('''まつざか だいすけ'''、[[1980年]][[9月13日]] - )は、[[ボストン・レッドソックス]]に所属する[[プロ野球選手]]([[投手]])である。右投げ右打ち。 |
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| name = 松坂 大輔 |
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| logo = |
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| image = |
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| caption = |
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| birth_name = |
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| birth_date = |
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| birth_place = |
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| death_date = |
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| death_place = |
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| nationality = {{JPN}} |
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| occupation = [[野球評論家]] |
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| pseudonym = |
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| channel_display_name = 松坂大輔 official YouTube |
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| years_active = 2021年11月5日 - |
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| genre = [[野球]] |
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}} |
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'''松坂 大輔'''(まつざか だいすけ、[[1980年]][[9月13日]] - )は、[[東京都]][[江東区]]出身(出生地は[[青森県]][[青森市]])の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。右投右打。[[野球解説者]]・[[野球評論家]]<ref>{{Cite web |和書 |url=https://post.tv-asahi.co.jp/post-176768/ |title=松坂大輔、『報道ステーション』スポーツキャスターに就任!解説者としてのキャリアをスタート |access-date=2022-08-31 |publisher=テレ朝POST |date=2022-01-29}}</ref>・[[YouTuber]]。愛称は「'''平成の怪物'''」。 |
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==概要== |
== 概要 == |
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[[横浜中学校・高等学校|横浜高校]]時代はエースとして[[第70回選抜高等学校野球大会|1998年春]]・[[第80回全国高等学校野球選手権大会|夏]]の甲子園[[甲子園連覇|連覇]]を達成し、[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|同年のドラフト会議]]で[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]([[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]])から1位指名を受けて入団。プロ入り後は西武や[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の[[ボストン・レッドソックス]]などで活躍した。[[日本野球機構|NPB]]で2度の[[パシフィック・リーグ|リーグ]]優勝、1度の[[日本シリーズ]]優勝、MLBで1度の[[アメリカンリーグ東地区|地区]]優勝、1度の[[リーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ]]優勝、1度の[[ワールドシリーズ]]優勝、[[野球日本代表|日本代表]]で2度の[[ワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)優勝に貢献している。[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]の銅メダリスト。21世紀初の[[沢村栄治賞]]受賞者。[[ゴールデングラブ賞]]をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞。 |
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*身長・体重:182cm、85kg |
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*投打:右投右打 |
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*出身地:[[東京都]][[江東区]] |
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*出生地:[[青森県]][[東津軽郡]][[外ヶ浜町]] |
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*血液型:O型 |
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*球歴・入団経緯:[[横浜中学校・高等学校|横浜高]] - [[西武ライオンズ|西武]](1999年 - 2006年) - レッドソックス(2007年 - ) |
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*FA取得:なし |
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*プロ入り年度・[[ドラフト会議|ドラフト]]順位:1998年(1位) |
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*英語表記:'''MATSUZAKA''' |
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*推定年俸:600万ドル(2007年)、800万ドル(2008~2010年)、1000万ドル(2011~2012年) |
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*守備位置:'''投手''' |
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*背番号:'''18''' (少年時代から[[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[桑田真澄]]に憧れていたためだという) |
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[[青森県]][[青森市]]生まれ<ref>{{Cite web |和書 |date=2007-03-30 |url=http://gendai.net/?m=view&g=sports&c=040&no=25138 |title=松坂大輔物語 120億円を生んだ遺伝子 |publisher=ゲンダイネット |accessdate=2008-07-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071114165438/http://gendai.net/?m=view&g=sports&c=040&no=25138 |archivedate=2007-11-14 |url-status=dead|url-status-date=2018-03}}</ref>、[[東京都]][[江東区]]育ち。弟・[[松坂恭平]]は[[愛媛マンダリンパイレーツ]]に所属していた元プロ野球選手。妻は元[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]]の[[柴田倫世]]。夫婦の間には2005年12月に誕生した長女と、2008年3月に誕生した長男、2010年3月に誕生した次女がいる。 |
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「大輔」という名前は、1980年代前半の[[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部|早稲田実業]]野球部のエースだった[[荒木大輔]]の名前からとられている<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.asahi.com/koshien/articles/ASK6N7QG1K6NPLZB01Q.html |title=君を「大輔」と名付けた由来は 最後の夏、家族とともに |work=朝日新聞デジタル、バーチャル高校野球 |date=2017年7月4日 |accessdate=2018-06-05}}</ref>。 |
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「大輔」という名前は、1980年に大旋風を巻き起こした甲子園のアイドル、[[早稲田実業学校|早稲田実業]]の[[荒木大輔]]に由来すると言われており、同じように高校野球のスター選手となったのは奇縁ともいえる。愛称は'''「マツポン」「マツ」「ダイスケ」'''、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]メディアでは'''「D-Mat」「Dice-K」'''などという愛称が候補に挙がっている。 |
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愛称は「'''マツポン'''」「'''マツ'''」「'''ダイスケ'''」、メディアでは「'''平成の怪物'''」「'''怪物'''」、MLBメディアでは「'''Dice-K'''」<ref>[http://metsmerizedonline.com/2013/09/mets-vs-reds-dice-k-in-rubber-match-murphy-red-hot-again-lagares-sets-new-mark-for-assists.html/ Mets vs Reds: Dice-K In Rubber Match, Murphy Red Hot Again, Lagares Sets New Mark For Assists]. Mets Merized Online (2013年9月25日). 2018年11月13日閲覧。</ref>「D-Mat」という愛称が使われている。ボストンでは「Dice-K」が好まれる。本人は「D-Mat」をサインに使うこともある。渡米後の代理人は[[スコット・ボラス]]。 |
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代理人は[[スコット・ボラス]]。 |
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== 経歴 == |
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=== プロ入り前 === |
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*[[東京都]][[江戸川区]]の[[リトルリーグ]]出身。高校時代は、「[[サボる|サボり]]の松」と言われるほどの練習嫌いであったが、2年次の夏の甲子園県予選での対[[横浜市立横浜商業高等学校|横浜商業高校]]戦で、自身の暴投によるサヨナラ負け以来奮起し、MAX152km/hの豪速球・切れ味鋭い[[スライダー]]、[[カーブ]]、[[チェンジアップ]]を武器に超高校級の投手として「'''平成の[[怪物]]'''」と称される。最後の夏となった[[1998年]]の[[全国高等学校野球選手権大会]]では、準々決勝で[[上重聡]]を擁する[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]を相手に[[PL学園対横浜延長17回|延長17回という長丁場の試合]]に250球を投げ完投勝利。決勝戦では、59年ぶり史上2人目となる決勝戦[[ノーヒットノーラン]]という快挙。圧倒的な活躍で春・夏連覇を達成した。 |
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江東区立南陽小学校・[[江東区立東陽中学校|区立東陽中学校]]を卒業した<ref name="選手名鑑2018">{{Cite web |和書 |url=http://dragons.jp/teamdata/players/matsuzaka_d.html |title=選手名鑑 松坂 大輔(投手) |date= |access-date=2023-06-11 |publisher=中日ドラゴンズ |year=2018 |website=中日ドラゴンズ 公式サイト |archive-url=https://web.archive.org/web/20180417012408/http://dragons.jp/teamdata/players/matsuzaka_d.html |archive-date=2018-04-17 |url-status=dead |deadlinkdate=2023-06-11}}</ref>。5歳から小学3年生までは、地元[[東京都]][[江東区]]の福住剣友会で[[剣道]]に打ち込み、当時は指導部長を務め、後に理事長に就任した川島義和に鍛えられた。生花の商売修業をしていた川島を受け入れていた近所の花屋が松坂家と家族付き合いをしており、花屋の勧めによって当時暴れん坊だった松坂を家族は強制的に入会させた。川島の指導は大変厳しく、未就学児をひっくり返して蹴飛ばし、気合が入っていないと見るや否や羽目板にぶつけ、泣けば泣き止むまで追いかけ回してシゴキを加えた。2006年に行われた少年野球教室で、「球を速くするにはどうすればいいですか?」という質問には「剣道をすると[[人間の筋肉の一覧|背筋]]と手首が鍛えられて良いよ」と答えている{{要出典|date=2019年8月}}。小学3年生で[[江東区]]の東陽フェニックスに入部し野球を始める。中学時代は[[江戸川区]]の江戸川南リトルシニアに所属する<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂大輔よ、大事なのは「スピードでなく、打者の手元で伸びるキレのある球」復活信じる中学時代の恩師 |url=https://hochi.news/articles/20180227-OHT1T50083.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2018-02-27 |accessdate=2022-02-21 |language=ja}}</ref>。この時のチームメイトには[[小谷野栄一]]がいた<ref>{{Cite web |和書 |title=中日松坂、小谷野引退に仲間「減っていくの寂しい」 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201809270000761.html |website=日刊スポーツ |date=2018-09-27 |accessdate=2022-02-21 |language=ja}}</ref>。リトルリーグ時代に[[NHK教育テレビジョン]]の『[[天才てれびくん]]』に出演したことがある<ref>[http://gendai.net/?m=view&g=sports&c=040&no=25324 【松坂大輔物語 120億円を生んだ遺伝子】] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20071115184700/http://gendai.net/?m=view&g=sports&c=040&no=25324 |date=2007年11月15日}} 日刊ゲンダイ 2007年4月12日閲覧</ref>。高校は[[帝京中学校・高等学校|帝京高校]]に進学するつもりでいたが、中学3年の時に全日本代表に選ばれた際のメンバーに[[小池正晃]]、[[小山良男]]、常盤良太がおり、[[横浜中学校・高等学校|横浜高校]]への進学が決まっていた3人から一緒に横浜高校に行こうと誘いを受け、悩んだ末に横浜高校への進学を決める<ref>{{YouTube|nvdvd-cFoEI|【1/5回】小池正晃/松坂大輔、後藤武敏らと掴んだ甲子園春夏連覇・しかし甲子園で活躍できずにプロ入りを諦めかけていた過去}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |title=平成の怪物は「光栄」 プロ20年目、松坂大輔投手【平成インタビュー】 |url=https://www.jiji.com/jc/v4?id=201805md-int0001 |website=時事ドットコム |date= |accessdate=2022-02-21 |language=ja}}</ref>。 |
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*[[1998年]]度[[ドラフト会議]]では、指名順位1位で[[西武ライオンズ|西武]]、[[横浜ベイスターズ|横浜]]、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]の3球団が競合の末西武が交渉権を獲得(ハズレ1位として横浜は[[古木克明]]、日本ハムは[[實松一成]]を指名)。当初ドラフト直後の会見では、「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」と語っていたが、西武へ入団した。 |
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*初先発となった[[1999年]][[4月7日]]の対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦では155km/hの直球を披露、8回2失点の好投で初勝利を記録し、まさに鮮烈なデビューを飾った。その試合での[[片岡篤史]]の豪快な空振りはプロでも変わらぬ“怪物”ぶりを示す映像資料として現在でもよく放送される。同じ試合で、[[マイカ・フランクリン|フランクリン]]への投球が胸元の際どいコースに行き、フランクリンが怒りをあらわに詰め寄ったが、それに動じた様子を見せないなど、強心臓ぶりも見せた。 |
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*1999年[[4月21日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦では[[黒木知宏]]と投げ合い、0-2で惜敗。この試合後に「リベンジします」と宣言した松坂は、[[4月27日]]の対ロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1-0でプロ初完封を記録し、見事にリベンジを果たした。このことから、松坂の「[[リベンジ]]」は、プロ同期で同じく鮮烈なデビューを果たした[[上原浩治]]([[読売ジャイアンツ|巨人]])の「雑草魂」とともに同年の[[新語・流行語大賞]]の年間大賞に選ばれている。 |
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*1999年[[5月16日]]の対[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦では、すでにプロ野球界において孤高の存在であった[[イチロー]]との初対決が話題となったが、イチローを3打数3三振(1四球)とほぼ完璧に抑えた。試合後のヒーローインタビューでは「'''自信から確信に変わった'''」という名言も残している。結局1年目から16勝を挙げ最多勝に輝くなどその実力を見せ付けた。 |
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*入団当初の弱点であった荒れ玉を改善し、ツーシーム、カットボール、フォークなどもマスター。“怪物”からさらにレベルの高い投手へと変貌してきた。現在に至るまで数多くのタイトルを獲得し、故障のため14試合の登板に終わった[[2002年]]を除くと毎年[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]の防御率4位以内に入るという驚異的な安定感を誇る日本を代表する[[先発投手]]である。現代のプロ野球では数少ない先発完投型のピッチャーであるためか[[サヨナラゲーム|サヨナラ打]]を打たれて敗戦投手になることもしばしばある。 |
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*シドニー及びアテネの[[野球日本代表|オリンピック日本代表]]に参加。[[2006年]]3月に開催された[[ワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)にも日本代表として出場、参加投手中最多となる3勝を挙げ世界一に大きく貢献。大会の[[最優秀選手 (野球)|最優秀選手]](MVP)に選ばれた。以上のようなことからしばしば「'''日本のエース'''」と呼ばれる。 |
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*高校時代には[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]では15連勝、被本塁打0という記録を持っていたが、[[2005年]][[5月18日]]の交流戦(対[[阪神タイガース|阪神]])でプロ野球選手として初登板した際、阪神の[[桧山進次郎]]に先制2ランを浴び、試合も3-2で敗北。甲子園での被本塁打0という記録は途絶え、連勝記録も15で止まった。 |
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*バッティングも上手い事で有名である。高校時代は4番を務めていた時期もあり、高校通算14本塁打を記録。打撃に悩む野手に打撃のアドバイスを送ることもあるらしい。[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]に所属する投手は打撃練習をほとんどしないが、松坂はトレーニングに取り入れているという。高校時代の恩師である[[横浜中学校・高等学校|横浜高校]]の[[渡辺元智]]監督は、松坂が打者として活躍していたら[[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[高橋由伸]]を右にしたようなバッターになると語った。 |
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*[[2000年]][[8月7日]]の[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦では、9回2死満塁の場面で'''[[代打]]'''として登場。[[栗山聡]]からファールで粘った後の7球目をセンター前ヒットし、2打点を挙げた。[[指名打者|DH]]制施行以降では投手のヒットは4人目である。また、[[2002年]]の[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]では、当時の[[伊原春樹]]監督は投手を8番に置き、9番打者をシーズン同様に[[高木浩之]]とすることを示唆していたが、松坂には7番を打たせた。[[2006年]][[6月9日]]の[[インターリーグ|セ・パ交流戦]]・対[[阪神タイガース|阪神]]戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])では[[ダーウィン・クビアン]]の高めのボール球を叩いて[[本塁打]]。DH制施行後、[[パ・リーグ]]の[[投手]]としては4人目の記録となった。 |
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*[[2006年]][[6月16日]]の[[インターリーグ#日本のプロ野球におけるインターリーグ|セ・パ交流戦]]・対[[横浜ベイスターズ|横浜]]戦で、[[江川卓 (野球)|江川卓]](所要193試合)を抜きドラフト制度導入後最速(191試合)の100勝を達成する。(その後2006年[[8月25日]]に[[上原浩治]]([[読売ジャイアンツ|巨人]])が同じ191試合での100勝を対[[阪神タイガース|阪神]]戦にて達成し、松坂の記録は最速タイとなった。) |
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*[[2006年]][[10月7日]]、[[プレーオフ制度 (日本プロ野球)|プレーオフ]]第1ステージ初戦に先発。厳しい内角攻めで4死球を与えたが、[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]のエース[[斉藤和巳]]との熾烈な投げ合いを制し1-0で完封勝利を挙げる。チームはその後2連敗し第1ステージで敗退したため、この試合が松坂の渡米前の最後の公式戦となった。 |
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*[[ポスティング制度|ポスティングシステム]]を利用して[[メジャーリーグベースボール|大リーグ]]に移籍したいという松坂の要望を[[西武ライオンズ|西武]]が受け入れ、同制度の利用を[[2006年]][[11月1日]]午後4時に正式に表明。[[11月15日]]午前10時、[[ボストン・レッドソックス|レッドソックス]]が5111万1111ドル11セント(約60億円)で独占交渉権を獲得した。そして、[[12月15日]]午前7時にレッドソックスとの契約が正式に発表された(すべて日本時間)。[[AP通信]]によると、契約内容は6年総額5200万ドル(約61億円)。ちなみに1998年の[[全国高等学校野球選手権大会]]よりレッドソックスは松坂を注目しており、同球団のスカウトが決勝戦の試合を観戦していた。また、レッドソックスファンである[[クリストファー・ヒル]]国務次官補は、[[六者会合|六カ国協議]]が行われる北京への出発前に記者会見で「今日のマツザカの交渉はどうなった?」などと松坂のことを気にかけていた。 |
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*[[メジャーリーグベースボール|大リーグ]]のスカウトの間で「マツザカは[[ジャイロボール]]を投げる」という噂が立ったことがあり、本人も初めは何のことか分からなかったが、彼の持ち味の一つである140kmを超える高速[[スライダー]]のことであるらしい。ボールの回転軸がボールの進行方向と同じ向きのため(ネジや弾丸を想像するとわかりやすい)、ジャイロボールと言っても差し支えないほど非常によく似ている。抗力が小さいので[[ストレート]]の一種とされることもあるが、[[ストレート]]と違いバックスピンがないので、重力の力で数10cm垂直に鋭く落ちる変化球になる。 |
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横浜高校時代は、「サボリのマツ」と言われるほどの練習嫌いであったが<ref>参考文献:[[江夏豊]]『松坂大輔へ 江夏豊からのメッセージ』[[中央公論新社]]、2000年</ref>{{Efn2|ただし、当時の監督であった[[渡辺元智]]は、要領が良く決められた練習時間の中で集中してやっていたと評しており、サボリ魔という評には否定的である。また、この頃から横浜高校が個人練習を重視するようになったとのこと<ref>{{Cite web |和書 |url=https://news.yahoo.co.jp/feature/1035/ |title=高校球児は「練習しすぎ」なのか――時間短縮で問われる「効率」 |publisher=Yahoo!ニュース |date=2018-07-29 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。}}、2年生時の夏の神奈川大会準決勝の対[[横浜市立横浜商業高等学校|横浜商業高校]]戦において自身の暴投によるサヨナラ負けを喫して以降奮起して猛練習、3年生時に[[球速]]150 [[キロメートル毎時|km/h]]超を記録し、切れ味鋭い[[スライダー (球種)|スライダー]]を武器に超高校級の投手として「'''平成の怪物'''」として注目を集めた<ref>[https://web.archive.org/web/20150715104837/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/column/koshienshinseiki/CK2015071402000231.html 「怪物」たちの真実(3) 横浜・松坂大輔VS宿敵・PL学園]中日スポーツ、2015年07月14日。</ref>。甲子園で春夏通じて球速150 km/hを超えたのは松坂が初めてである<ref>{{Cite web |和書 |url=https://shueisha.online/sports/40352 |title=今夏、最速記録は出るか!? 甲子園最速を更新してきた球児たち |website=集英社オンライン |date=2022-08-12 |accessdate=2024-03-02}}</ref>{{Efn2|しかし、甲子園で初めて150 km/hを投じたのは[[中山裕章]]とも言われている<ref>{{Cite web |和書 |title=日南学園・寺原隼人、体調不良でもノルマ果たした松坂超えの154キロ |url=https://www.zakzak.co.jp/article/20190628-D4CISPJN6FMCZO3GX55PVZVQDM/ |website=zakzak:夕刊フジ公式サイト |date=2019-06-28 |access-date=2023-06-30 |language=ja}}</ref>。しかしながら厳密には、甲子園で最初に150 km/hを投じたのは[[新垣渚]]である<ref>{{Cite web |和書 |title=江川卓/中山裕章ではない!公式記録として甲子園で最初に150kmの壁を破った!新垣渚【高校野球最速投手列伝】 |url=https://love-spo.com/sports-column/gatturikoshien21_speedking001.html |website=ラブすぽ |date=2021-08-25 |access-date=2023-06-30 |language=ja}}</ref>}}。入学時は[[上地雄輔]]、上地の引退後は[[小山良男]]とバッテリーを組んでいた<ref>{{Cite web |和書 |title=1990年代 「夏の球児」 写真特集:時事ドットコム |url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=mtz001-01298974&d=d4_news |website=時事ドットコム |date= |accessdate=2022-02-21 |language=ja}}</ref>。 |
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== 通算成績(2006年シーズン終了時) == |
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!年度 |
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!nowrap|チーム!!登板!!完投!!完封!!無四球!!勝!!負!!S!!勝率!!打者!!投球回!!被安打!!被本塁打!!四球!!死球!!奪三振!!暴投!!ボーク!!失点!!自責点!!防御率 |
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|- align=right |
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|nowrap|[[1999年]] |
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|rowspan="8" align="center"|西武||25||6||2||0||'''16'''||5||0||.762||743||180||124||14||87||8||151||5||2||55||52||2.60 |
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|- align=right |
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|[[2000年]]||27||6||'''2'''||0||'''14'''||7||1||.667||727||167 2/3||132||12||95||4||'''144'''||2||0||85||74||3.97 |
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|- align=right |
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|[[2001年]]||33||'''12'''||2||1||'''15'''||'''15'''||0||.500||'''1004'''||'''240 1/3'''||184||'''27'''||'''117'''||8||'''214'''||9||1||'''104'''||'''96'''||3.60 |
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|- align=right |
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|[[2002年]]||14||2||0||0||6||2||0||.750||302||73 1/3||60||13||15||7||78||2||1||30||30||3.68 |
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|- align=right |
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|[[2003年]]||29||8||'''2'''||'''1'''||16||7||0||.696||801||194||165||13||63||9||'''215'''||4||0||71||61||'''2.83''' |
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|- align=right |
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|[[2004年]]||23||'''10'''||'''5'''||0||10||6||0||.625||601||146||127||7||42||6||127||5||0||50||47||'''2.90''' |
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|- align=right |
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|[[2005年]] |
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||28||'''15'''||'''3'''||'''4'''||14||13||0||.519||868||'''215'''||172||13||'''49'''||'''10'''||'''226'''||9||0||63||55||2.30 |
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|- align=right |
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|[[2006年]] |
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||25||'''13'''||2||2||17||5||0||.773||722||186 1/3||138||13||34||3||200||5||0||50||44||2.13 |
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|- align=right |
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|colspan="2" align="center"|通算成績||204||72||18||8||108||60||1||.642||5768 |
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|nowrap|1402 2/3||1102||112||502||55||1355||41||4||508||459||2.95 |
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|} |
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3年になった{{by|1998年}}の[[第70回選抜高等学校野球大会]]では完成度の高い投球と小山、小池、[[後藤武敏]]らチームメイトの活躍で他校を寄せ付けず優勝。最後の夏となった[[第80回全国高等学校野球選手権大会]]では、準々決勝で[[上重聡]](後に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]])や[[大西宏明]]、[[平石洋介]]、2年生[[田中一徳]]を擁する(春の準決勝で破った)[[PL学園中学校・高等学校|PL学園高校]]に[[PL学園対横浜延長17回|延長17回という長丁場の試合]]に250球を投げ完投勝利。翌日の準決勝、[[寺本四郎]]擁する[[明徳義塾中学校・高等学校|明徳義塾]]戦でも1イニングに登板し、[[明徳義塾対横浜 (第80回全国高等学校野球選手権大会準決勝)|逆転劇]]を呼び込む。 |
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* 各年度の太字はリーグ最高。 |
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決勝の[[京都成章高等学校|京都成章]]戦では[[嶋清一]]以来59年ぶり史上2人目となる決勝戦での[[ノーヒットノーラン]]を達成(この大会では[[杉内俊哉]]もノーヒットノーランを達成しており、1大会で複数のノーヒットノーラン投手を輩出した史上稀に見る事例であった){{Efn2|夏の甲子園でのノーヒットノーラン達成者は2021年現在まで松坂が最後}}。圧倒的な活躍で春・夏連覇を達成した。この決勝戦は後に所属する[[ボストン・レッドソックス]]のスカウトが観戦していた<ref name="bosg">[http://www.boston.com/sports/baseball/redsox/articles/2006/12/17/wooing_of_pitcher_was_wowing/ Wooing of pitcher was wowing. Sox had bases covered while chasing, landing Matsuzaka]Boston Globe、2006年12月17日。</ref><ref>[http://www.nytimes.com/2007/02/11/sports/baseball/11matsuzaka.html?_r=0 Matsuzaka Masterpiece: Glimpses of Greatness in Arm of Teenager]The New York Times、2007年2月11日。</ref>。また、新チーム結成後、1997年秋季県大会ブロック予選(数ヶ月後の[[第28回明治神宮野球大会]]含め)から翌年[[第53回国民体育大会|かながわ・ゆめ国体]]決勝まで、公式戦44連勝を記録した。[[第3回AAAアジア野球選手権大会]]でも自身の18歳の誕生日に決勝で[[張誌家]]擁する[[野球中華民国代表]]を破り優勝投手になった。 |
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== タイトル・表彰など == |
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*新人王 |
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:[[1999年]] |
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[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1998年度新人選手選択会議]]では、指名順位1位で[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]及び[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]含む3球団が競合の末、[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]が交渉権を獲得(外れ1位指名は、横浜は[[古木克明]]、日本ハムは[[實松一成]]、いずれも同じ高校3年生)。ドラフト直後の会見では「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」と語っていた<ref>本人は桑田清原の影響で巨人と西武のファンだったが、周囲から横浜入りを期待され続けていた事で自分自身もそういう気持ちになっていたと述べている。 2008年12月29日『中居正広 プロ野球革命 2008』[[WP:TVWATCH]]</ref>{{Efn2|渡辺監督、小倉部長が地元球団であり、OBも複数在籍している横浜入りを目論んでいた<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/195617 |title=松坂の本心は「即プロ」 拒否から一転西武入団 |publisher=東京スポーツ |date=2020-06-24 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。}}が、西武側の交渉で気持ちが変わっていき最終的に西武へ入団した<ref>「松坂ドラフトの行方」[[週刊ベースボール#別冊|週刊ベースボール別冊]] よみがえる1990年代のプロ野球 Part5 横浜38年ぶりのV [[ベースボール・マガジン社]] 2021年 P39</ref>。[[背番号]]は'''18'''。本人はずっとこの番号に憧れていたという。 |
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*最多勝利 |
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:3回 1999年~[[2001年]] |
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=== 第一次西武時代=== |
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*最多奪三振 |
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'''{{by|1999年}}'''4月7日に[[東京ドーム]]で開催された対日本ハム2回戦で、[[先発投手]]としてプロ初登板を果たし、1回裏に[[井出竜也]]からプロ初奪三振を記録する{{R|選手名鑑2018}}。同回には3番・[[片岡篤史]]に対し[[球速]]155 km/hの[[速球]]で三振を奪い<ref name="tokyosports20191211">{{Cite web |和書 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/174749 |title=復帰・松坂が挙げた西武時代の“ベストピッチ” |publisher=東スポWeb |date=2019-12-11 |accessdate=2020-05-17}}</ref>、8回2失点で初勝利を挙げ、デビューを飾った。前年にパ・リーグ史上最多の年間[[四球]]を記録し[[選球眼]]の良さで知られていた片岡のこの1球における豪快な空振りはプロでも変わらぬ“怪物”ぶりを示す映像資料として放送される。この試合では、5回裏に[[マイカ・フランクリン]]へ投じた151 km/hの速球{{R|sponichi20080325}}が胸元への際どいコースへ行き、これで激高したフランクリンがマウンドに詰め寄ろうとして乱闘寸前になりかけたものの、それに対して松坂は一切動じた様子を見せず、逆に笑顔を浮かべて{{R|sponichi20080325}}さらにフランクリンをにらみ返すという強心臓ぶりも見せつけた{{R|tokyosports20191211}}。4月21日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦では[[黒木知宏]]と投げ合い、0-2で惜敗。この試合後に「[[リベンジ]]します」と宣言した松坂は、4月27日のロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1-0でプロ初完封を記録しリベンジを果たした。このことから、松坂の「リベンジ」は、プロ同期でともに[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]をとった[[上原浩治]]([[読売ジャイアンツ]])の「雑草魂」とともに同年の[[新語・流行語大賞]]の年間大賞に選ばれている<ref>[https://web.archive.org/web/20070505193141/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/chronology/ma_ch19991202_01.htm 流行語大賞は「雑草魂」「リベンジ」「ブッチホン」] [[読売新聞]]、1999年12月2日。</ref>。5月16日の[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦では[[イチロー]]との初対決が話題となり、3打席連続三振(1四球)とほぼ完璧に抑えた。試合後のヒーローインタビューでは「プロでやれる自信から確信に変わりました」と語った。7月24日に行われた[[1999年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]第1戦に先発して3回を投げ、高卒新人としては史上最多となる5奪三振を記録。3回表に味方の[[失策]]によって2点を失い、自責点0ながら敗戦投手となったものの<ref>[https://npb.jp/bis/scores/allstargame/boxscore1999_1.html 1999年度サンヨーオールスターゲーム 試合結果(第1戦)] 日本野球機構オフィシャルサイト</ref>、この試合の優秀選手賞を受賞し、オールスター新人賞も受賞した。7月には月間MVPを受賞したが、高卒新人選手が月間MVPを受賞したのは1986年9月に受賞した[[清原和博]]以来2人目で、18歳10か月での受賞は、{{by|2015年}}8月に[[髙橋光成]]が18歳6か月で受賞するまで最年少記録だった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/09/04/kiji/K20150904011065580.html 西武・高橋光成、史上最年少月間MVP 松坂超えの18歳6カ月] スポニチ Sponichi Annex 2015年9月4日掲載</ref>。この年、最終的に16勝を挙げて[[最多勝利|最多勝]]を獲得。高卒新人での獲得は、両リーグを通じて1954年の宅和本司(南海)以来、45年ぶりの記録である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/paper/sports/baseball/1010matsuzaka.html |title=西武・松坂、最多勝が確定 |publisher=朝日新聞 |date=<!--不明--> |accessdate=2021-05-30}}</ref>。また、規定投球回数に到達した投手の中では最高の勝率を記録した。[[ゴールデングラブ賞]]と高卒新人としては史上初となる[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を受賞し、高卒新人の投手としては[[堀内恒夫]]以来33年ぶりとなる新人王に輝いた。ちなみにこのシーズンの松坂は「強打者との勝負」を楽しんでおり、チームが勝つための投球は考えず、監督だった東尾修からも指摘されることが多かったという<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/01/22/0015004190.shtml |title=松坂大輔氏 西武入団当時の裏話披露 1対1のこだわりから監督の指示「無視していた」 |publisher=デイリースポーツ online |date=2022-01-22 |accessdate=2022-06-29}}</ref>。シーズン終了後の契約更改で1300万円から2年目としては最高額の5700万円増の7000万円でサイン<ref>[http://www.asahi.com/paper/sports/baseball/1201matsuzaka.html 松坂、7千万円で契約更改 新人で過去最高のアップ] [[朝日新聞]]</ref>。 |
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:4回 [[2000年]]、2001年、[[2003年]]、[[2005年]] |
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{{Anchors|2000年}}'''{{by|2000年}}'''は、[[津野浩]]以来15年ぶりに10代での[[開幕投手]]を務め、[[小野晋吾]](ロッテ)との最多勝争いを制して14勝を挙げ2年連続の[[最多勝利|最多勝]]と自身初の[[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]を獲得した。オフにベストナインとゴールデングラブも受賞した。9月13日に当時交際中の[[柴田倫世]]の自宅マンション前にて、球団名義の[[トヨタ・セルシオ|セルシオ(UCF21後期型)]]で駐車違反を犯す。この年の8月にも時速50 km/hオーバーのスピード違反で一発で[[運転免許|免許]]停止状態になっていたこともあり、身代わりとして西武広報課長の[[黒岩彰]]が出頭。松坂と柴田の交際をスクープしたこの写真週刊誌の記事によって、身代わり出頭が明らかになり、松坂が[[道路交通法]]違反(無免許運転、駐車違反)、黒岩が犯人隠避の疑いで[[東京地方検察庁|東京地検]]に[[書類送検]]され、[[略式起訴]]の後[[罰金]]19万5000円の略式起訴を受ける。当時の球団社長の[[小野賢二]]および黒岩は責任を取って辞表を提出する事態になり、松坂は当時[[埼玉県警察]]から交通安全キャンペーンのイメージキャラクターに起用されていたこともあり、この件は世間から激しく批判された。球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は1か月足らずで解除された<ref>2000年10月27日付。[[読売新聞]]。</ref>。後にこの事件について開かれた記者会見では、松坂は「駐車違反をしたことは申し訳ない。黒岩課長の身代わり出頭は後で知った」と話し、黒岩は「レッカー移動された乗用車は球団のもので、自分が管理しており、出頭は自分の判断だった」と話した。シーズン終了後の契約更改で1億円でサイン<ref name="週刊ベースボール20191202">[https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20191202-12 HOT TOPIC 脅威の4億5000万円ダウン……年俸額の上下動が激しかった選手たちとは?] 週刊ベースボール 2019年12月2日</ref>。 |
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*最優秀[[防御率]] |
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:2回 2003年、[[2004年]] |
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'''{{by|2001年}}'''に15勝15敗の成績で、3年連続最多勝を獲得。新人からの3年連続最多勝は高卒新人では史上初。勝敗同数の最多勝は{{by|1937年}}秋の[[野口明]](15勝15敗)、{{by|1984年}}の[[遠藤一彦]](17勝17敗)に次ぐ史上3人目だった(ちなみにこの15敗はこの年のリーグ最多敗戦で最多勝と最多敗戦の同時記録は1995年の[[キップ・グロス]]以来でパ・リーグの日本人投手では1981年の[[今井雄太郎]]以来の記録である)。さらに最多奪三振も獲得し、ベストナインとゴールデングラブも受賞。21世紀初の[[沢村栄治賞|沢村賞]]を受賞したが、負け数も多かったため、選考委員からは反対意見も出た。結局、両リーグで唯一の15勝投手であることや、240回1/3という圧倒的な[[投球回数]]などが評価されての選出となった。[[藤田元司]]委員長(当時)は、「松坂の150キロを越える豪速球は[[沢村栄治|沢村]]さんを彷彿させる。将来の松坂に対する期待を含めて選んだ」とコメントしている{{要出典|date=2018年1月}}。この年は中4,5日での登板が多く、状況によっては中3日や中1日での登板もあった。最も多かった登板間隔は14試合登板した中5日であった。また、ローズに同点本塁打を打たれ、中村にサヨナラ本塁打を打たれるなど近鉄の猛追を防ぐことができず、記録以上に悔しさが残るシーズンとなった。シーズン終了後の契約更改で1億4000万円でサイン<ref>[https://www.sanspo.com/article/20151128-UNX7IUIXIVLKVNF2PM3REBMOOM/ 松坂超えや!藤浪に虎4年目最高年俸1.5億円を提示へ] [[サンケイスポーツ]]</ref>。 |
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*[[沢村賞]] |
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:1回 2001年 |
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'''{{by|2002年}}'''は開幕6連勝という順調なスタートを切ったが、5月13日の[[大阪近鉄バファローズ]]戦で右肘を痛め、何度か復帰したが、本来の投球は戻らずに長期離脱した。当時監督だった[[伊原春樹]]は「松坂が5月にプロで初めて故障して、肘を壊したんです。きっと前年からプロ野球で主流になっていたカットボールを習得しようと練習していたのが肘に来たんでしょう。開幕から6連勝したけど、その後は肘の故障で全然ダメでした。」<ref>[[ベースボールマガジン]]2015年3月号、44頁</ref>と述べている。[[2002年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第1戦に先発、第4戦にリリーフで登板したがいずれも敗戦投手となった<ref>[https://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore2002_1.html 2002年度日本シリーズ 試合結果(第1戦)]日本野球機構オフィシャルサイト、2015年5月4日閲覧。</ref><ref>[https://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore2002_4.html 2002年度日本シリーズ 試合結果(第4戦)]日本野球機構オフィシャルサイト、2015年5月4日閲覧。</ref>。 |
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*[[ベストナイン]] |
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:3回 1999年~2001年 |
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'''{{by|2003年}}'''に自己最多タイの16勝を挙げ、最多奪三振と、自身初めて[[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]のタイトルも獲得。ゴールデングラブも受賞した。[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]の野球アジア予選では、11月6日のチャイニーズタイペイ戦に先発し、7回無失点の好投で勝利。オリンピック出場の条件である2位以内をほぼ決定づけ、大会の最優秀投手にも選ばれた。 |
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*[[ゴールデングラブ賞]] |
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:7回 1999年~2001年、2003年~2006年 |
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'''{{by|2004年}}'''は、ロッテとの開幕戦で初回先頭打者[[波留敏夫]]に初球を叩かれヒットを打たれて出塁を許し、共に日本プロ野球初打席となった4番・[[李承燁 (野球)|李承燁]]、5番・[[ベニー・アグバヤニ]]に適時打を打たれ早々と失点、この試合の敗戦投手となった。7月10日の[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]第1戦で2番手として登板し、2イニングを無安打無失点で4奪三振という好投を披露し、自己最速タイとなる156 km/hも記録した。[[本塁打]]を2本以上打った選手がいなかったこともあり、松坂がこの試合の[[最優秀選手 (野球)|MVP]]に輝いた。また、シーズンでは前述の通り、オリンピックでチームを離れたこともあり、10勝6敗の成績だったが、最優秀防御率のタイトルを獲得し、ゴールデングラブも受賞した。 |
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*[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]出場 |
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:7回 1999年~2001年、2004年~2006年 |
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:([[2002年]]と2003年は負傷により出場辞退) |
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レギュラーシーズンは2位に終わったが、この年から導入された[[2004年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]の第1ステージで3位の日本ハムと対戦。第1戦では、8回途中7失点と打ち込まれたものの、打線の援護で[[勝利投手]]となった。[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]と争った第2ステージでは第2戦に先発し、完封ペースだったが、打線の大量援護もあり、6回無失点で余力を残して降板。これが功を奏し、最終の第5戦に中3日で先発が可能となって、6回1失点の投球で、勝利投手にはなれなかったものの、チームは延長10回の末に4-3で勝利し、リーグ優勝を果たした(この時代はプレーオフ第2ステージ勝利チームがリーグ優勝となっていた)。[[中日ドラゴンズ]]との[[2004年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、まず第2戦に先発。[[立浪和義]]に同点3点本塁打を打たれるなどし、6回1/3を8失点で[[敗戦投手]]。2勝3敗と王手をかけられた第6戦では、苦しみながらも8回2失点でしのぎ、勝利投手となって逆王手をかけた。翌日の第7戦には中継ぎで3番手として登板し、1イニングを無失点に抑えて日本一に貢献。この直後に[[柴田倫世]]との結婚を発表。11月11日の[[日米野球]]では第6戦に先発し、1失点完投勝利。MLB選抜チーム相手の完投勝利は、[[荒巻淳]](毎日)以来、51年ぶり史上2人目の記録となった。シーズン終了後の契約更改で2億円でサイン{{R|週刊ベースボール20191202}}。 |
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==エピソード== |
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===交通違反もみ消し事件=== |
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2000年[[9月13日]]に当時交際中で現夫人の[[柴田倫世]]の自宅マンション前にて、球団名義の車で駐車違反を犯してしまう。松坂はその年の8月に犯したスピード違反で[[免許]]停止状態になっていたこともあり、身代わりとして西武球団の[[黒岩彰]]広報課長(元[[スピードスケート]]選手・[[カルガリーオリンピック]]銅メダリスト、現同球団代表)が出頭した。 |
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しかしその隠ぺい行為が写真週刊誌に報道されたことにより、松坂は[[道路交通法]]違反(無免許運転、駐車違反)、黒岩ともども犯人隠避の疑いで[[東京地検]]に[[書類送検]]されている。その結果、略式[[起訴]]により[[罰金]]19万5000円の略式命令を受けた。球団職員が駐車違反の隠ぺいに関与していたことから、当時の小野球団社長及び黒岩は責任を取って辞表を提出するにまでに至った。このことを重く見た球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は一ヶ月足らずで解除された。 |
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'''{{by|2005年}}'''5月18日の[[セ・パ交流戦]]・[[阪神タイガース]]戦でプロ野球選手として[[阪神甲子園球場]]で初登板。高校時代には同球場で15連勝、被本塁打0という記録を持っていたが、[[桧山進次郎]]に先制2点本塁打を打たれ、試合も2-3で惜敗。この年は[[防御率]]リーグ3位と優れていたにもかかわらず、14勝13敗と負け数もかなり多かった。最多奪三振を獲得し、ゴールデングラブも受賞したが、打線の援護が少なく、野手の失策も多かったため、6月27日の日本ハム戦後には「球際に弱い選手が多い。僕も含めてですが、一つ一つのプレーが軽すぎる。若い選手が多いんだから、もっとガムシャラにやってほしい」と野手批判とも受け取られかねない発言をしたが<ref name="dice-k2006">{{Cite book |和書 |author=[[小関順二]]、泉直樹、荒井太郎 |year=2006 |title=プロ野球スカウティングレポート2006 |publisher=アスペクトムック |pages=5 |id=ISBN 978-4-7572-1246-6}}</ref>、後日には野手ミーティングで詫びを入れたという。評論家からは「打線の援護がないのは、投球のリズムが悪いからだ」と指摘され、改善を目指した。オフには[[スコット・ボラス]]を代理人とし[[ポスティングシステム]]での[[日本人選手のメジャーリーグ挑戦|メジャー挑戦]]を訴えたが<ref>[https://web.archive.org/web/20111115161553/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20051028_01.htm 西武は松坂の移籍認めず] 読売新聞、2005年10月28日。</ref>、球団は制度の行使を否認した<ref>[https://web.archive.org/web/20061217165349/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20051101_01.htm 「今年は無理」 西武の松坂、メジャー断念] 読売新聞、2005年11月1日。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20111115161513/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20051029_01.htm 防御率2.30ではダメか 球団条件あいまい] 読売新聞、2005年10月29日。</ref>。12月には第1子が誕生した。8000万円増の年俸3億3000万円でサインし、3億円で更改した同僚の[[西口文也]]を抜き、現時点では今年に続いてパ・リーグ投手の最高年俸となった<ref>[https://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/20051215000368 松坂3億3千000万円で更改/パ投手の最高年俸に][[四国新聞]]社</ref>。 |
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===ダイスケの呪い=== |
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松坂は、アマチュア時代の高校野球の連覇などの輝かしい戦績に比べ、プロ入りしてからは優勝争いや五輪のメダル争いなど大舞台でしばしば打たれ、優勝に縁がない投手だった。加えて松坂がケガで戦列を離れた2002年に西武が優勝したため、ファンの間では「ダイスケの呪い」などと言われることがあった([[福岡ソフトバンクホークス|ホークス]]の[[松中信彦|松中]]らとともに「逆シーズン男」と呼ばれたことも)。しかし2004年は、五輪準決勝では好投しながら打線の援護がなく敗れたものの、ペナントレースでは順調に白星を重ね、特に弱いとされた[[ポストシーズン]]で、[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]との[[プレーオフ制度 (日本プロ野球)|プレーオフ]]第2戦と第5戦に好投し、西武をリーグ優勝に導いた。直後の[[中日ドラゴンズ|中日]]との[[2004年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、第2戦に先発し6点の援護を貰うも7回に集中打を浴びてKOされ、呪い再びかと思われたが、王手をかけられた[[2004年の日本シリーズ#第6戦|第6戦]]では、序盤リードを奪われながらも結局2点に抑えて自身初のシリーズ勝ち投手となる。さらに翌日の[[2004年の日本シリーズ#第7戦|第7戦]]にもリリーフ登板し、日本一に貢献。2006年の[[ワールド・ベースボール・クラシック]]でも3勝を挙げ日本の世界一に大きく貢献。この大会のMVPに選ばれ、大舞台に弱いという「呪い」を完全に払拭した。 |
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[[ファイル:WBC2006 Daisuke Matsuzaka.jpg|thumb|200px|right|WBC日本代表での松坂]] |
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===WBCでのエピソード=== |
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'''{{by|2006年}}'''は6月9日のセ・パ交流戦・阪神戦で1失点完投勝利を収め、高校時代に大活躍した甲子園でのプロ初勝利を記録し、自ら本塁打も打った([[#守備・打撃|バッティング]]で後述)。また、6月16日のセ・パ交流戦・横浜戦で、[[江川卓 (野球)|江川卓]](所要193試合)を抜き[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]制度導入後最速(191試合)の100勝を達成する(その後、同年8月25日に上原浩治が同じ191試合での100勝を阪神戦にて達成し、松坂の記録は最速タイとなった)。10月7日、ソフトバンクとの[[2006年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]第1ステージ初戦に先発。6安打を打たれ4死球を与えたが、[[斉藤和巳]]との投げ合いを制し1-0で完封勝利を挙げる。チームはその後2連敗し第1ステージで敗退した。この年はゴールデングラブを受賞している。 |
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第1回[[ワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)で[[最優秀選手 (野球)|最優秀選手]](MVP)に選ばれた松坂は、MVPの[[トロフィー]]を受け取った直後にTVのインタビューで、「MVPとったんですけど、これ(=トロフィーの円盤状の飾り)もうとれちゃったんですね。この辺がアメリカっぽいですけど」と苦笑い。そして、「後で自分で[[アロンアルファ]]でくっつけて直しますけど」と冗談を言ってのけた。その後、販売元の[[東亞合成]]から実際に松坂にアロンアルファが送られた。 |
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オフには[[ポスティングシステム]]の行使が容認される。[[ニューヨーク・メッツ]]や[[ニューヨーク・ヤンキース]]、[[テキサス・レンジャーズ]]も入札に参加したことが報じられた。 |
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また、優勝を祝う[[シャンパンファイト]]において、同い年の[[上重聡]]アナに「今日のピッチング気合入ってましたね」と問われた松坂は、日本帰国後に開幕する[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]のペナントレースをうっかり忘れたのか、「'''もうそりゃ、今日最後だから。今年最後だから'''」と口を滑らせた。「今年最後ではありません」と突っ込まれると、「それくらい気持ちを入れてたってことです。帰ってもしっかりやります」と自己フォローしていた。実際、この年オフのWBC祝勝コンベンションにおいて、「WBCが終わり、そのままシーズンオフになれば良かったとさえ思った」ほどの、プレッシャーと達成感があったと語っている。 |
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=== レッドソックス時代 === |
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===剣道と速球=== |
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[[ファイル:Daisuke Matsuzaka USA2.jpg|thumb|right|200px|[[ボストン・レッドソックス]]所属時代の松坂]] |
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松坂は少年時代、剣道も習っていた。2006年の少年野球教室で、「球を速くするにはどうすればいいですか?」という質問に「剣道をすると背筋と手首が鍛えられて良い」と答えており、少年時代の剣道が現在の速球の下地となっていることがわかる。 |
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2006年11月15日に[[ボストン・レッドソックス]]が5111万1111ドル11セント(当時のレートで約60億1000万円)で独占交渉権を獲得したことが発表される。その後、代理人のスコット・ボラスとレッドソックス側の契約交渉が難航したが{{R|bosg}}、ボラスは交渉期限直前で松坂本人の意思を尊重し、12月14日に総額5200万ドルの6年契約を結ぶ。1年目の契約は633万3333ドル(約6億4600万円)<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/795357 22億円分のハードル。~田中とダルビッシュを比較する~] Number on Number</ref>。レッドソックスファンであるアメリカ国務次官補の[[クリストファー・ヒル]]は、[[六者会合|六カ国協議]]が行われる北京への出発前に記者会見で「今日のマツザカの交渉はどうなった?」などと交渉の行方を気にかけていた。 |
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'''{{by|2007年}}'''3月21日のパイレーツとのオープン戦では手につばをつける癖が指摘されていたが、4月5日の[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦でメジャー初先発し、7回を6安打1失点10奪三振の好投でメジャー初勝利を挙げる<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20070406-180470.html 松坂勝った、7回1失点10K] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402131009/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20070406-180470.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年4月6日。</ref><ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070407-181165.html 松坂初登板も「普段通りに投げられた」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402122321/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070407-181165.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年4月7日。</ref><ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070407-181155.html 松坂「試合は作れた結果に満足」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402163146/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070407-181155.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年4月7日。</ref><ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070407-180961.html ライバルNY紙も松坂賞賛] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402153508/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070407-180961.html |date=2015年4月2日}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20111115162240/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070406_01.htm 松坂 10K圧巻デビュー]読売新聞、2007年4月6日。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20070523032108/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070407_02.htm 甲子園初登板のほうが特別だった/一問一答]読売新聞、2007年4月7日。</ref>。本拠地[[フェンウェイ・パーク]]での初登板となった11日の[[シアトル・マリナーズ]]戦では[[イチロー]]とメジャー初対戦し<ref>[https://web.archive.org/web/20070416141742/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070412_03.htm ボストン熱狂 「怪物VS天才」米国編]読売新聞、2007年4月12日。</ref>、4打数無安打に抑えた<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070413-183808.html 松坂vsイチロー緊張と感動の初球] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402110447/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070413-183808.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年4月13日。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20070422174059/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070412_01.htm 松坂イチロー封じ 試合は3失点初黒星]読売新聞、2007年4月12日。</ref>。27日の[[ニューヨーク・ヤンキース]]戦では[[松井秀喜]]と初対戦し、2打数無安打に抑えた<ref>[https://web.archive.org/web/20111115161821/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070428_01.htm 松坂VS松井 メジャー初対決]読売新聞、2007年4月28日。</ref>。この試合では[[日本放送協会|NHK]]のテレビ中継で自己最速となる158 km/hを計時したが、球場内の表示は94 [[マイル毎時|mph]](約151 km/h)だった<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070429-191480.html 松坂幻の158キロ] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20110521011236/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070429-191480.html |date=2011年5月21日}}日刊スポーツ、2007年4月27日。</ref>。5月9日の[[トロント・ブルージェイズ]]戦では[[大家友和]]と投げ合い、7回を5安打1失点8奪三振の好投で4勝目を挙げる<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070511-196955.html 松坂4勝目「納得するレベルじゃない」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402111600/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070511-196955.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年5月11日。</ref>。14日の[[デトロイト・タイガース]]戦では9回を6安打1失点の投球でメジャー初完投勝利を挙げ<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20070515-198992.html Dice-Kがついに初完投勝利!] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150203044830/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20070515-198992.html |date=2015年2月3日}}日刊スポーツ、2007年5月15日。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20070520103906/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070515_01.htm 松坂 初完投で5勝]読売新聞、2007年5月15日。</ref>、19日の[[アトランタ・ブレーブス]]戦まで5連勝を記録し<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070521-201896.html 松坂5連勝自己最長19イニング連続無失点] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402160754/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070521-201896.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年5月21日。</ref>、同月第3週のリーグ週間MVPを受賞<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20070522-202333.html 松坂に初の週間MVP、日本選手11度目] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402112949/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20070522-202333.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年5月22日。</ref>。6月は2勝2敗、防御率1.59、WHIP1.09の好投を見せ、7月3日の[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]戦で10勝目に到達<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070705-222441.html 松坂10勝Rソックス早くもM71点灯] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402145825/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070705-222441.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年7月5日。</ref>。前半戦は18試合の先発で10勝6敗、防御率3.84、WHIP1.24の成績で折り返し、8月4日の[[シアトル・マリナーズ]]戦でNPB/MLB通算1500奪三振を達成<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070806-237777.html 松坂がNPB/MLB通算1500奪三振をマーク] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402153943/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070806-237777.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年8月6日。</ref>。後半戦は14試合の先発で5勝6敗、防御率5.19、WHIP1.44と不調に陥るも、シーズン最後の登板となった9月28日の[[ミネソタ・ツインズ]]戦で日本人選手史上初・メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振に到達し、チームも12年ぶりの地区優勝を決めた<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070930-263423.html 松坂15勝、レ軍12年ぶり地区優勝] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150402113406/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20070930-263423.html |date=2015年4月2日}}日刊スポーツ、2007年9月30日。</ref>。シーズン通算ではリーグ10位の15勝、同6位の201奪三振を記録したが、与四球率はリーグワースト6位、1試合の平均球数はメジャー最多の108.8球だった。 |
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同年ポストシーズンでは[[ロサンゼルス・エンゼルス|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]との[[2007年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]第2戦で初登板し、4回2/3を3失点で勝敗はつかなかった。[[クリーブランド・ガーディアンズ|クリーブランド・インディアンス]]との[[2007年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第3戦に先発、4回2/3を4失点で敗戦投手となった。第7戦は5回2失点で日本人初のポストシーズン勝利投手となった<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20071023-273430.html 松坂Wシリーズ勝ち取った/アLCS] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20160304094412/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20071023-273430.html |date=2016年3月4日}}日刊スポーツ、2007年10月23日。</ref>。[[コロラド・ロッキーズ]]との[[2007年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]第3戦で日本人史上初となるワールドシリーズでの先発を果たし、5回1/3を2失点、打席でもメジャー移籍後初安打となる2点適時安打を記録し、日本人初のワールドシリーズ勝利投手となる<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20071029-276114.html 松坂2失点で日本人初勝利/Wシリーズ] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140119045700/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20071029-276114.html |date=2014年1月19日}}日刊スポーツ、2007年10月29日。</ref>。チームは翌日の第4戦にも勝利してワールドシリーズ優勝を果たした<ref>[https://web.archive.org/web/20111115153840/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20071030_01.htm 松坂 1年目の美酒]読売新聞、2007年10月30日。</ref>。新人王投票では4位に入る<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20071114-282904.html 松坂4位で新人王逃す] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20141230023406/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20071114-282904.html |date=2014年12月30日}}日刊スポーツ、2007年11月14日。</ref>。これにより史上初の[[ワールドシリーズとワールド・ベースボール・クラシックの両方で優勝を経験した選手一覧|ワールドシリーズとWBCの両方で優勝を経験した選手]]となった。 |
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==CM出演== |
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* [[トヨタ自動車|トヨタ]] トビラを開けようキャンペーン [[横滑り防止機構|VSC]]篇 (2007年1月 - ) |
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* [[アサヒビール]] アサヒスーパードライ 松坂大輔メジャーリーグへの挑戦篇 (2007年[[1月22日]] - ) |
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* [[コカ・コーラ]] [[アクエリアス]] ドライレイク篇 (2007年3月 - ) |
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'''{{by|2008年}}'''シーズン開幕前に第2子が誕生<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20080316-336144.html 松坂に第2子誕生、日本での開幕戦登板へ] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150408224858/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20080316-336144.html |date=2015年4月8日}}日刊スポーツ、2008年3月16日。</ref>。[[東京ドーム]]で行われた3月25日の[[オークランド・アスレチックス]]との日本開幕戦に登板。日本人の開幕投手は野茂英雄以来2人目のことであった。5回を2安打2失点6奪三振5四球の投球で降板し勝敗はつかなかったがチームは勝利<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20080325-340107.html アスレチックス5-6Rソックス/終了]日刊スポーツ、2008年3月25日。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20080611075321/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20080326_02.htm 松坂、苦い2年目船出]読売新聞、2008年3月26日。</ref>。本国開幕戦となった4月1日のアスレチックス戦で初勝利を挙げ<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080403-343653.html 松坂2安打9K無四球、96球余裕残し1勝]日刊スポーツ、2008年4月3日。</ref>、5月まで黒星なしの開幕8連勝、防御率2.54、WHIP1.29を記録したが、5月27日に右肩[[回旋筋腱板]]の張りを訴え[[故障者リスト]]入り。6月21日に復帰し、前半戦は10勝1敗、防御率2.65、WHIP1.38を残したが、[[2008年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]初選出は逃す。7月22日のマリナーズ戦では8回までメジャー初完封のペースで好投を続けていたが、イチローに適時二塁打を打たれて完封を逃す<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080724-387472.html イチローが松坂の初完封打ち砕いた]日刊スポーツ、2008年7月24日。</ref>。9月15日の[[タンパベイ・レイズ]]戦で日本人シーズン最多勝となる17勝目を挙げ<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20080917-409423.html 松坂日本人最多17勝、次はアジア最多19勝] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140119045705/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20080917-409423.html |date=2014年1月19日}}日刊スポーツ、2008年9月17日。</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20080917_01.htm |title=「野茂さん、超えてない」:松坂大輔 |publisher=読売新聞 |date=2008-09-17 |accessdate=2019-10-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080929084957/https://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20080917_01.htm |archivedate=2008-09-29}}</ref>、21日の[[トロント・ブルージェイズ]]戦で18勝目を挙げる<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20080922-411190.html 松坂18勝「自分の背番号分勝ちたかった」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140119045656/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20080922-411190.html |date=2014年1月19日}}日刊スポーツ、2008年9月22日。</ref>。チームも2年連続でのポストシーズン進出を果たした<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080925-412359.html レッドソックスPO進出松坂2年連続歓喜]日刊スポーツ、2008年9月25日。</ref>。 |
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==松坂世代== |
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松坂大輔と同学年の選手([[和田毅]]、[[新垣渚]]、[[杉内俊哉]]、[[村田修一]]、[[藤川球児]]、[[森本稀哲]]など)には、投手を中心にプロで活躍する逸材が揃っており、彼らは総称して『'''松坂世代'''』と呼ばれている。松坂自身、和田や新垣など同学年の選手たちとの親交が深い。詳しくは「[[松坂世代]]」のページを参照。 |
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同年ポストシーズンではエンゼルスとの[[2008年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]第2戦に先発。5回3失点で勝敗はつかなかったが、チームは9回に勝ち越して勝利した。レイズとの[[2008年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]第1戦では6回まで無安打に抑え、7回0/3を無失点の好投で勝利投手となった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/playoff/2008/news/p-bb-tp2-20081012-418300.html 松坂6回までノーヒッター/プレーオフ]日刊スポーツ、2008年10月12日。</ref>。第5戦では4回0/3を5失点で降板し勝敗はつかず、その後は試合状況によるリリーフ登板も志願したが<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/playoff/2008/news/p-bb-tp2-20081019-420643.html 松坂「逆転リーグ制覇」へ救援待機]日刊スポーツ、2008年10月19日。</ref>、チームは第7戦で敗れてリーグ優勝を逃した。 |
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==外部リンク== |
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*[http://ascii24.com/news/i/topi/article/2000/11/03/619342-000.html 松坂大輔のジャイロボール] |
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*[http://matsuzakadaisuke.com 松坂大輔ウェブサイト] |
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この年の与四球率5.05はリーグワーストながら、被打率はリーグ1位の.211、被OPSはリーグ3位の.645。また、プレーオフを含めて満塁のピンチは15度あったが、押し出しと[[犠牲フライ|犠飛]]こそあったものの、全て無安打に抑えた。またロードでの試合は無敗で勝率.862を記録し、メジャーリーグ歴代勝率25位にランクインした。また、リーグ3位の防御率2.90、リーグ4位の18勝、リーグ2位の勝率.857を残し、サイヤング賞の選出投票では4番目(2位票2票、3位票4票)となる評価を受けたものの、1イニングの平均投球数がリーグ2位と多く、先発で18勝以上挙げた投手ではメジャー史上最少イニングである投球回167回3分の2だったことなど、野手やリリーフのおかげとする向きも多く(松坂が残した走者をリリーフが返したのは、無死満塁で降板した6月21日だけであった)評価が二分された。[[セイバーメトリクス]]の観点からも、[[クオリティ・スタート|QS]]が14試合(規定投球回到達者88人中66位)でQS率が48%(同64位)、K/BBが1.64(同75位)、[[DIPS (野球)|FIP]]4.03(同42位)と悪く、[[BABIP]].267(同6位)、QS未満で7勝(同1位)、9イニング当たりの平均援護点6.1(同8位)と、運に恵まれたとする数値が示された。[[WAR (野球)|WAR]]ではFanGraphsが算出したものではリーグ19位の3.4、Baseball-Referenceが算出したものではリーグ6位の5.3と評価が分かれた。オフにMLB公式ホームページで行われた最優秀先発投手賞のファン投票では[[ティム・リンスカム]]、[[マイク・ムシーナ]]、[[ロイ・ハラデイ]]に次ぐ4位に入った<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20081219-441717.html 松坂4位、ファンが選ぶ最優秀先発投手賞]日刊スポーツ、2008年12月19日。</ref>。12月には1998年度の横浜高校のメンバー対[[松坂世代]]のチャリティーマッチに参加した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081222-442677.html 松坂伝説再現!世代チャリティー戦で主役]日刊スポーツ、2008年12月22日。</ref>。 |
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==関連項目== |
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: [[ファイル:IMG 0502 Daisuke Matsuzaka.jpg|thumb|right|200px|ボストン・レッドソックス時代の松坂]] |
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'''{{by|2009年}}'''は開幕後2試合連続で打ち込まれ<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090416-483429.html 松坂1回KO 監督は「WBCの影響」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20100420071421/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090416-483429.html |date=2010年4月20日}}日刊スポーツ、2009年4月16日。</ref>、右肩の疲労を理由に4月15日に故障者リスト入りする<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20090416-483388.html 松坂、「右肩の疲労」で故障者リスト入り] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140119045944/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20090416-483388.html |date=2014年1月19日}}日刊スポーツ、2009年4月16日。</ref>。復帰後は6月2日の[[デトロイト・タイガース]]戦で初勝利を挙げる<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090604-502594.html 松坂今季初勝利プロ11年で最も遅い1勝] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150908095503/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090604-502594.html |date=2015年9月8日}}日刊スポーツ、2009年6月4日。</ref>。19日の[[アトランタ・ブレーブス]]戦では[[川上憲伸]]と投げ合うが、4回を8安打6失点で黒星を喫する<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20090621-508977.html 川上2失点松坂に投げ勝ち1カ月ぶり4勝]日刊スポーツ、2009年6月21日。</ref>。その後も打ち込まれ、21日に再び故障者リスト入りする<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20090622-509323.html 松坂会見「チームの足手まといになる」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20160304191349/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20090622-509323.html |date=2016年3月4日}}日刊スポーツ、2009年6月22日。</ref><ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090623-509660.html DL入り松坂、復帰時期未定の異常事態] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140119011751/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090623-509660.html |date=2014年1月19日}}日刊スポーツ、2009年6月23日。</ref>。故障者リスト入り中には、日本メディアのインタビュー記事で「この環境の中で練習を強いられ続けたら、僕は日本のようなピッチングはもう出来なくなるかも知れない」とチームの調整方法を批判したとも受け取られる発言があったため「ここ数日報道されたことの誤解を解きたい。私は公に不満を示したことはなく、私的な会話の内容が報じられた。(上述の)コメントはそれ自体言ったことがない」と英文で声明を出し謝罪した<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20090731-525352.html 松坂「誤解解きたい」と英文で声明を発表] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20160304095842/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20090731-525352.html |date=2016年3月4日}}日刊スポーツ、2009年7月31日。</ref><ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090807-528157.html 松坂11日ブルペン「球団批判騒動」も終息] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20160304085620/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/p-bb-tp2-20090807-528157.html |date=2016年3月4日}}日刊スポーツ、2009年8月7日。</ref>。9月に復帰して以降は3勝1敗、防御率2.22、WHIP1.35と復調したものの、シーズンを通しては4勝6敗、防御率5.76、WHIP1.87とプロ入り以降もっとも悪い成績に終わった。チームは3年連続でのポストシーズンに進出したが<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20091001-550219.html レ軍PO決定、真夜中シャンパンファイト]日刊スポーツ、2009年10月1日。</ref>、ポストシーズンでは先発ローテーションには入らず登板のないままチームはエンゼルスとの[[2009年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]で敗退した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/playoff/2009/news/p-bb-tp2-20091013-554992.html レ軍3連敗で松坂出番なし「終わった…」]日刊スポーツ、2009年10月13日。</ref>。この年の不振の原因について、シーズン終了後の記者会見で、この年のWBCの前から股関節を痛めていたことを告白し<ref>[http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20091017-556455.html 松坂、開幕前から股関節を痛めていた] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20160304191608/http://matsuzaka.nikkansports.com/news/f-bb-tp2-20091017-556455.html |date=2016年3月4日}}日刊スポーツ、2009年10月17日。</ref>、GMの[[セオ・エプスタイン]]に直接謝罪した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100131-591083.html 松坂がGMへ直接謝罪、股関節痛報告せず]日刊スポーツ、2010年1月31日。</ref>。 |
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*[[先発投手]] |
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*[[伊東勤]] |
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'''{{by|2010年}}'''は、スプリングトレーニング前から背中の張りを<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100218-597224.html 松坂ブルペン回避へ背中に張りスロー調整]日刊スポーツ、2010年2月18日。</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100307-603431.html 松坂背中に張り…初登板最低2週間遅れに]日刊スポーツ、2010年3月7日。</ref>、スプリングトレーニング中も首の張りを訴えて<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100315-606248.html 松坂大丈夫か…フリー打撃登板を再延期]日刊スポーツ、2010年3月15日。</ref>、開幕は故障者リスト入りして迎える<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20100404-614182.html 松坂、田沢DL入り、開幕メンバー外れる]日刊スポーツ、2010年4月4日。</ref>。なお、その間の3月18日には第3子が誕生した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100321-608505.html 松坂「本当に幸せ」ゆかりの18日第3子]日刊スポーツ、2010年3月21日。</ref>。5月1日の[[ボルチモア・オリオールズ]]戦で復帰<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100503-625279.html 松坂悪夢の5回、6失点で今季初登板KO]日刊スポーツ、2010年5月3日。</ref>。5月6日のエンゼルス戦で初勝利を挙げるが5失点を喫し<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100508-627046.html 松坂笑顔なき初勝利「修正できなかった」]日刊スポーツ、2010年5月8日。</ref>、次に先発したブルージェイズ戦では7回3安打1失点9奪三振無四球と好投<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100513-629063.html これぞ松坂!7回1失点完全復活2勝]日刊スポーツ、2010年6月29日。</ref>。5月22日の[[フィラデルフィア・フィリーズ]]戦では8回二死までノーヒットノーランを続ける好投を見せたが<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100524-633270.html 松坂惜しい!ノーヒッターまであと4人]日刊スポーツ、2010年5月24日。</ref>、次に先発した27日のロイヤルズ戦では9四死球の大乱調を喫するなど好不調の激しいピッチングが続く<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100529-635279.html 松坂9四死球「体が言うこときかない」]日刊スポーツ、2010年5月29日。</ref>。6月7日のインディアンス戦で、日本プロ野球2リーグ制以降最速となるNPB/MLB通算150勝を達成<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100609-639478.html 松坂150勝「3人目の子どもにボール」]日刊スポーツ、2010年6月9日。</ref>。しかし12日に右前腕部の張りを訴えて再度故障者リスト入りする<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100614-641374.html 松坂またDL入り、登板直前に右前腕張り]日刊スポーツ、2010年6月14日。</ref>。6月24日のロッキーズ戦で復帰し、5回を5安打2失点6奪三振の投球を見せ、打席でもメジャー公式戦初打点を記録するが、救援陣が打ち込まれ白星はつかなかった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100626-645996.html 松坂復帰5回2失点6勝目…消えた]日刊スポーツ、2010年6月26日。</ref>。7月27日のマリナーズ戦では2年ぶりにイチローと対戦し、3打数無安打に抑える<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100727-658548.html 勝ったのは松坂!イチローと意地の10球]日刊スポーツ、2010年7月27日。</ref>。8月5日のインディアンス戦では[[長谷川滋利]]に並ぶ日本人選手3位タイのメジャー通算45勝となる8勝目を挙げる<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100807-662975.html 松坂通算45勝も笑顔なし勝ち星より逆転V]日刊スポーツ、2010年8月7日。</ref>。15日の[[テキサス・レンジャーズ]]戦では[[ロジャー・クレメンス]]に次ぐ球団史上2番目のペースで通算500奪三振に到達<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100817-666884.html 松坂500K チーム2位のスピード到達]日刊スポーツ、2010年8月17日。</ref>。9月2日のオリオールズ戦では日本人歴代単独3位のメジャー通算46勝目となる9勝目を挙げる<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20100903-673775.html 松坂9勝目、通算46勝で日本人単独3位]日刊スポーツ、2010年9月3日。</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100904-674111.html 松坂腰はいたわり自分には厳しく9勝目]日刊スポーツ、2010年9月4日。</ref>。最終的に、2年連続で規定投球回数未到達・1桁勝利に終わり<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20101004-686501.html 松坂5連続で挑戦失敗…10勝届かず]日刊スポーツ、2010年10月4日。</ref>、規定投球回数未到達ながら降板時に残した走者21人は先発投手でリーグワースト10位だったが(そのうちリリーフが返したのは6人)、本人や球団首脳陣は速球に手応えを感じたシーズンだと振り返った<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2010/text/201010150003-spnavi_2.html 松坂、岡島、田沢それぞれの2010年 Rソックス日本人選手を振り返る] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20101020165440/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2010/text/201010150003-spnavi_2.html |date=2010年10月20日}} カルロス山崎 スポーツナビ、2010年10月15日。</ref>。 |
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*[[伊原春樹]] |
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*[[東尾修]] |
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'''{{by|2011年}}'''の[[スプリングトレーニング]]では[[東日本大震災]]を受けて[[岡島秀樹]]、[[田澤純一]]、[[正田樹]]と共に義援金を募った他<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20110316-749026.html 松坂が岡島が…ヤ軍戦前280万円集めた]日刊スポーツ、2011年3月16日。</ref>、100万ドルを寄付した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20110326-753165.html 松坂が100万ドル=約8000万円寄付]日刊スポーツ、2011年3月26日。</ref>。開幕後は2試合で7イニング10失点を喫し2連敗したが、4月18日のブルージェイズ戦で7回1安打無失点1四球3奪三振の投球で初勝利。23日のロサンゼルス・エンゼルス戦では8回1安打無失点3四球9奪三振の投球で2勝目を挙げ、15イニング連続無失点を記録した他、5月4日のエンゼルス戦では延長13回に8番手としてメジャー初となるリリーフ登板を経験(二死満塁から2点適時打を打たれて敗戦)<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20110506-771334.html 松坂、メジャー初の真夜中リリーフで黒星]日刊スポーツ、2011年5月6日。</ref>。しかし4月29日のマリナーズ戦で途中降板するなど4月末から右肘に張りが生じ、5月17日に故障者リスト入り。一時帰国を経て31日にルイス・ヨーカムによる[[セカンド・オピニオン]]を仰ぎ、6月10日に同医師の執刀による[[トミー・ジョン手術]]を受けた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20110611-788736.html 松坂の右肘手術成功、倫世夫人付き添う]日刊スポーツ、2011年6月11日。</ref>。当時の年俸は最高の10億7000万円<ref name="サンケイスポーツ2020-12-22">{{Cite web |和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20201222-YUKLWJFAPZPCZAE72UMDXTBTRY/ |title=松坂大輔、1年勝負 正式に!来季も西武、1000万円減…年俸2000万円 |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-12-22 |accessdate=2022-11-11}}</ref>。 |
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*[[和田一浩]] |
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*[[西口文也]] |
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'''{{by|2012年}}'''6月9日の[[ワシントン・ナショナルズ]]戦でメジャー復帰。球速は平均球速91.5 mph(約147.3 km/h)、最速93 mph(約150 km/h)を記録するが、5回を5安打、4失点、8奪三振、1四球の投球で黒星を喫した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120611-965538.html 松坂手応え 黒星も390日ぶりメジャー]日刊スポーツ、2012年6月11日。</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120611-965529.html 松坂「ここで投げるの楽しい」/一問一答]日刊スポーツ、2012年6月11日。</ref>。その後4試合に先発するも白星はつかず、7月3日には右僧帽筋を痛め故障者リスト入り<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120704-977513.html 松坂が故障者リスト入り 右僧帽筋痛]日刊スポーツ、2012年7月4日</ref>。8月27日に復帰し、その日のロイヤルズ戦に先発。7回を5安打、1失点、6奪三振、2四球、最速94 mph(約151 km/h)を記録する投球で、日本人史上4人目のメジャー通算50勝目となる復帰後初勝利を挙げる<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120829-1008075.html 松坂50勝 野球人生の再スタート]日刊スポーツ、2012年8月29日。</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120829-1008081.html 松坂「妻に文句言われるので」/一問一答]日刊スポーツ、2012年8月29日。</ref>。しかしその後の登板は全て4失点以上を喫し白星を挙げることができず、シーズン最終登板となった10月3日のヤンキース戦では[[黒田博樹]]と投げ合うも、2回1/3を投げ2本塁打を含む6安打、5失点の投球で7敗目を喫しシーズンを終えた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20121004-1027425.html 松坂屈辱KO 残留は「限りなくゼロ」]2012年10月4日</ref>。防御率8.28は10回以上先発した投手としては球団史上最低の成績であった<ref>[[杉浦大介]][http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2012/text/201210050002-spnavi.html 「松坂のメジャーキャリアを象徴する消化不良の“最終”登板」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20121008014403/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2012/text/201210050002-spnavi.html |date=2012年10月8日}}スポーツナビ2012年10月5日</ref>。10月29日にFAとなった。 |
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*[[張誌家]] |
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===インディアンス傘下時代 === |
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*[[松井稼頭央]] |
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'''{{by|2013年}}'''2月13日に[[クリーブランド・ガーディアンズ|クリーブランド・インディアンス]]とマイナー契約を結んだことが発表され<ref>{{Cite web |和書 |url=http://cleveland.indians.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130213&content_id=41593568&vkey=pr_cle&c_id=cle |title=Indians invite RHP Matsuzaka to camp |work=MLB.com Indians Press Release |date=February 13, 2013 |accessdate=January 25, 2014}}</ref>、背番号は西武入団時から付けていた18に変わり、'''20'''となった(インディアンスでは18番が[[メル・ハーダー]]の[[野球界の永久欠番|永久欠番]]となっているため。なお20番は[[2017年]]に[[フランク・ロビンソン]]の永久欠番になっている)。[[スプリングトレーニング]]には招待選手として参加し、4試合の登板で8イニングを投げ防御率2.25、WHIP1.38の成績を残すが、3月18日に開幕マイナーを通告される。しかし、マイナーで開幕を迎えた際に球団が支払うボーナス10万ドルを節約する目的で24日に一旦自由契約となり、26日に契約内容を変更したマイナー契約で再契約<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20130327-1103499.html イ軍、松坂と再契約 ボーナス破棄]日刊スポーツ、2013年3月27日。</ref>。AAA級[[コロンバス・クリッパーズ]]で開幕を迎え、開幕から5試合に先発するが、与四球率7.84と制球に苦しんで防御率3.92、WHIP1.45の成績を喫し、4月28日の[[ポータケット・レッドソックス|ポータケット]]戦の4回に左脇腹を痛め、故障者リスト入りした<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20130501-1120478.html 松坂が故障者リスト入り]日刊スポーツ、2013年5月1日。</ref>。6月に復帰し、前半戦は12試合の先発で1勝5敗、防御率4.55、WHIP1.39の成績を喫する。後半戦は7試合の先発で4勝3敗、防御率3.13、WHIP1.21と復調したが、8月20日に契約解除を申し出て自由契約となった<ref>[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130820&content_id=57601162&vkey=news_cle&c_id=cle Dice-K granted release from Tribe, is free agent]MLB.com、2013年8月20日。</ref><ref>[https://twitter.com/matsu_dice/status/369862307062751232 本人のTwitter] 2013年8月20日。</ref>。 |
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*[[豊田清]] |
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*[[アレックス・カブレラ]] |
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=== メッツ時代 === |
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*[[後藤武敏]] |
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2013年8月22日に[[ニューヨーク・メッツ]]とメジャー契約を結んだ<ref>{{Cite web |和書 |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130822&content_id=57966142&vkey=pr_nym&c_id=nym |title=Mets sign RHP Daisuke Matsuzaka |work=MLB.com Mets Press Release |date=August 22, 2013 |accessdate=January 25, 2014}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://twitter.com/matsu_dice/status/370676410052259841 |title=メディカルチェックを終え、正式にニューヨーク メッツと契約しました。明日のデトロイト戦に先発します。 |work=Twitter |date=August 22, 2013 |accessdate=January 25, 2014}}</ref>。メッツにはレッドソックス時代まで付けていた背番号18の選手はいなかったが、[[野茂英雄]]や[[ドワイト・グッデン]]、[[デビッド・コーン]]が付けていた'''16'''を背番号にする<ref>{{Cite web |和書 |url=https://twitter.com/matsu_dice/status/370703423639154688 |title=背番号は野茂さん、グッデン、コーンが付けていた事もある16番になりました! |work=Twitter |date=August 22, 2013 |accessdate=January 25, 2014}}</ref>。コロンバスでの先発登板から中3日で23日のタイガース戦に先発したが、2回までに2本塁打を打たれ5回6安打5失点で黒星を喫する<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130825-1178413.html 松坂、メッツで初黒星も「ここにいたい」]日刊スポーツ、2013年8月25日。</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130825-1178417.html 「目の前の試合大事に」/松坂一問一答]日刊スポーツ、2013年8月25日。</ref>。移籍後3試合で12回1/3を投げ15失点を喫していたが、9月15日の[[マイアミ・マーリンズ]]戦で、7回2安打1失点の投球で初勝利<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130916-1190141.html 松坂383日ぶり勝てた「今年は難しいと」]日刊スポーツ、2013年9月16日。</ref>。移籍後4試合目以降は26回1/3を13安打6失点と好投を続け、初勝利から3連勝を記録してシーズンを終える<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130927-1195750.html 松坂3連勝 メッツ残留見えた]日刊スポーツ、2013年9月27日。</ref>。9月にはスコット・ボラスとの契約を解除しSFX社と代理人契約を結ぶ<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130929-1196774.html 松坂、ボラス氏と決別SFXと代理人契約]</ref>。10月31日にFAとなった。 |
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*[[清原和博]] |
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'''{{by|2014年}}'''1月24日にメッツとマイナー契約で再契約し<ref>{{Cite web |和書 |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20140124&content_id=67091968&vkey=pr_nym&c_id=nym |title=Mets sign righthander Daisuke Matsuzaka |work=MLB.com Mets Press Release |date=January 24, 2014 |accessdate=January 25, 2014}}</ref>、招待選手として参加したスプリングトレーニングでは6試合の登板で23回2/3を投げ、防御率3.04、WHIP1.27の成績を残す。3月25日までにメジャー契約を結ばなければFAとなる権利を持っていたが、同日にメッツが10万ドルを支払いマイナー契約を延長し<ref>{{Cite web |和書 |url=http://online.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304179704579461480141338264?mg=reno64-wsj&url=http%3A%2F%2Fonline.wsj.com%2Farticle%2FSB10001424052702304179704579461480141338264.html |title=Mets Hedge Bets With Mejia and Matsuzaka |work=The Wall Street Journal |author=Jared Diamond |date=March 25, 2014 |accessdate=March 26, 2014}}</ref>、31日にAAA級[[ラスベガス・フィフティワンズ]]へ異動した。4月16日に成績不振であった[[ジョン・ラナン]]と入れ替わる形でメッツとメジャー契約を結んだ<ref>{{Cite web |和書 |url=http://newyork.mets.mlb.com/news/article/nym/mets-bring-up-daisuke-matsuzaka-outright-john-lannan?ymd=20140416&content_id=72260292&vkey=news_nym |title=Mets bring up Matsuzaka, outright lefty Lannan |work=MLB.com |author=Anthony DiComo |date=April 16, 2014 |accessdate=April 17, 2014}}</ref>。メッツではリリーフとして起用され、20日のブレーブス戦では延長11回から登板し3回を投げ、NPB/MLB通算2000奪三振に到達する<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20140422-1288907.html 松坂10年ぶり連投も先発復帰へ「準備」]日刊スポーツ、2014年4月22日。</ref>。5月25日の[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]戦でシーズン初先発し2勝目を挙げる<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20140527-1307651.html 松坂 先発勝利は「うれしいです」]日刊スポーツ、2014年5月27日。</ref>。6月から先発ローテーションに入り、7月12日のマーリンズ戦では自己最多タイの10奪三振の投球を見せる<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20140714-1334202.html 松坂、自己最多タイ10Kも勝ち星つかず]日刊スポーツ、2014年7月14日。</ref>。後半戦は[[ディロン・ジー]]と[[ジョン・ニース]]が故障から復帰したことに伴い再びリリーフで起用され、7月25日には右肘の炎症で15日間の故障者リスト入り<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20140728-1341772.html 松坂、右肘痛でDL入り…]日刊スポーツ、2014年7月28日。</ref>。8月28日に復帰し<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20140829-1358296.html 松坂復帰即登板も3失点「申し訳ない」]日刊スポーツ、2014年8月29日。</ref>、肘の消炎剤注射を受けながら<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20140904-1361354.html 右肘検査の松坂、消炎剤注射受ける]日刊スポーツ、2014年9月4日。</ref>リリーフとして起用され、9月は4試合の登板で無失点と好投を続ける。最終的には先発としては9試合の登板で2勝3敗、防御率4.24、WHIP1.35。リリーフとしては25試合の登板で1勝0敗1セーブ、防御率3.44、WHIP1.34だった。シーズン終了後[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となる。 |
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*[[和田毅]] |
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*[[イチロー]] |
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=== ソフトバンク時代 === |
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*[[小笠原道大]] |
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2014年12月4日に3年12億円の大型契約で[[福岡ソフトバンクホークス]]入団が発表された<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/11552.html 松坂大輔投手入団のお知らせ] | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト(2014年12月4日)</ref>。[[新垣渚]]の移籍によって空き番となった背番号18をつけることとなった。入団と相前後してチーム内の親睦団体「[[HAWKS55年会]]」にも途中加入している。 |
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*[[小池正晃]] |
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*[[渡辺元智]] |
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'''{{by|2015年}}'''3月17日のオープン戦登板後、右肩の筋肉の疲労などで離脱し<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH5N366CH5NTIPE006.html タカ松坂、2軍戦で復帰登板 「普通に投げられた」]朝日新聞デジタル、2015年5月20日配信、2015年5月30日閲覧。</ref>、8月18日に内視鏡下による「右肩関節唇及び腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」を受けた<ref>[http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160128-OHT1T50133.html 【ソフトB】松坂、右肩100%開幕ローテへ「やれる自信はある」] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20160214191646/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160128-OHT1T50133.html |date=2016年2月14日}}スポーツ報知、2016年1月29日配信、2016年2月15日閲覧。</ref>。 |
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*[[浦田直治]] |
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'''{{by|2016年}}'''10月2日<ref>一軍登録公示{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1718762.html |title=ソフトバンク松坂ら1軍登録/2日プロ野球公示 |publisher=日刊スポーツ |date=2016-10-02 |accessdate=2016-10-03}}</ref>、シーズン最終戦となった[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で、2006年10月7日以来約10年ぶりの一軍マウンドに上がったのが、結局、ソフトバンク時代唯一の公式戦登板となった。この復帰登板は事前に報道され、楽天監督の[[梨田昌孝]]も元チームメイトである[[松井稼頭央]]を[[代打]]で出場させることを明言する<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/02/kiji/K20161002013463560.html |title=梨田監督 松坂VS松井稼を明言「松坂が出てきた時、稼頭央を代打で出す」 |publisher=スポニチアネックス |date=2016-10-02 |accessdate=2016-10-02}}</ref>など大きな話題となった。しかし、その松井に初球から死球を与えるなど1回で被安打3、与四死球4、暴投1の5失点(自責点は2)と炎上し<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/03/kiji/K20161003013466070.html |title=ソフトB松坂 散々5失点…視線は来季へ「一からつくり上げる」 |publisher=スポニチアネックス |date=2016-10-03 |accessdate=2016-10-03}}</ref>、翌日一軍登録を抹消された<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1719245.html |title=ソフトバンク松坂ら抹消/3日プロ野球公示 |publisher=日刊スポーツ |date=2016-10-03 |accessdate=2016-10-03}}</ref>。しかし、このような状況で引退を表明せず現役続行を示唆する松坂には、ファンや球団関係者からも否定的な意見が相次いだ<ref>{{Cite news |和書 |title=ボロボロになりながらも、引退しない松坂大輔の末路 |newspaper=ITmedia ビジネスオンライン |date=2016-10-05 |author=臼北信行 |url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/05/news102.html |accessdate=2016-10-08}}</ref>。2016年オフには[[リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ|プエルトリコのウィンターリーグ]]に参加<ref>{{Cite news |和書 |title=【ソフトバンク】松坂「何もしてないですよ」も顔つきシャープに…遠投後、ブルペン入り |newspaper=スポーツ報知 |date=2017-01-27 |url=https://web.archive.org/web/20170129074433/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170127-OHT1T50068.html |accessdate=2017-01-28}}</ref>。 |
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*[[上重聡]] |
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*[[小山良男]] |
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'''{{by|2017年}}'''オープン戦の広島戦で7回無安打無失点の投球を見せ、4月15日のオリックス戦で初先発の予定だったが右肩の異変で急遽回避<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/321317/ |title=松坂、先発急きょ白紙に 右肩不調か、フリー打撃登板を緊急回避 |publisher=西日本新聞社 |date=2017年04月13日 |accessdate=2017-12-23}}</ref>。以後二軍でも実戦登板はなくリハビリ生活を続けた。2017年で3年契約が満了となり、球団は一度松坂を支配下登録から外し、2018年からは[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]契約かコーチ契約を結んだ上でのリハビリ継続を打診したが、松坂はこれを拒否したことが報じられた<ref>{{Cite news |和書 |title=松坂大輔「無期限リハビリOK」断る決断させた自信 |newspaper=日刊スポーツ |date=2017-12-24 |author=石橋隆雄 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712240000059.html |accessdate=2017-12-25}}</ref>。スポーツライターの[[石田雄太]]は松坂に育成選手契約を結ばせることについて「プロの矜持を損なう発想」と批判していた<ref>ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』2018年10月1日号 p.54.</ref>。11月5日にソフトバンクを退団することが発表された<ref>(退団発表のみ)[https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711050000435.html 松坂退団発表「胸張って歓喜の輪へ入りたかった」]日刊スポーツ.11月5日</ref>。ソフトバンクでの3年間で一軍登板は上記2016年の1試合のみであった。退団時には、ソフトバンクからコーチのオファーがあったが断ったと一部では報じられたが<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711040000369.html |title=ソフトバンク松坂退団、コーチ打診も現役続行を決断 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-11-04 |accessdate=2021-05-30}}</ref>、松坂は、退団後の[[小倉清一郎]]との対談でコーチの正式なオファーはなく、その後、[[デニー友利]]から連絡があったことを語っている<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/228351/3 |title=「夏までには理想に」松坂大輔が“育ての親”にすべて語った (3ページ目) |publisher=日刊ゲンダイDIGITAL |date=2018-05-03 |accessdate=2021-05-30}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/228351/4 |title=「夏までには理想に」松坂大輔が“育ての親”にすべて語った (4ページ目) |publisher=日刊ゲンダイDIGITAL |date=2018-05-03 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。 |
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*[[松井光介]] |
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*[[寺本四郎]] |
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退団発表後に、[[四国アイランドリーグplus]]の[[高知ファイティングドッグス]]が松坂の獲得を目指していたことや、台湾球団が松坂と接触していたことがのちに明らかになっているが、松坂本人に話が伝わったかどうかは不明である<ref>{{Cite news |和書 |url=https://dot.asahi.com/articles/-/100197?page=1 |title=松坂大輔、幻の独立リーグ「獲得計画」もあった…復活イヤーもいよいよラストゲーム |newspaper=AERA dot. |author=喜瀬雅則 |date=2018-10-13 |accessdate=2018-10-13}}</ref>。 |
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*[[小林宏之 (野球選手)|小林宏之]] |
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=== 中日時代 === |
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*[[田中将大]] |
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2017年12月21日、[[中日ドラゴンズ]]が入団テストを行うことを発表し<ref>{{Cite news |和書 |title=松坂大輔、中日が入団テストへ |newspaper=毎日新聞 |date=2017-12-21 |author=梶原遊 |url=https://mainichi.jp/articles/20171221/k00/00e/050/262000c |accessdate=2017-12-25}}</ref>、2018年1月23日、[[ナゴヤ球場]]の屋内練習場で完全非公開でのテストが行われ、即日合格した。西武時代の松坂をコーチとして知る[[森繁和]]監督も「やりつくすまでやればいい」と後押しした<ref>[https://full-count.jp/2018/01/23/post103452/ 中日・森監督が松坂を全面サポート「やりつくすまでここでやればいい」] Full-Count、2018年1月23日</ref>。背番号は「'''99'''」<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂大輔投手の入団が決定 |url=http://dragons.jp/news/2018/18012301.html |date=2018-01-23 |accessdate=2018-01-23}}</ref>、年俸は推定1500万円プラス出来高払いの1年契約<ref>{{Cite news |和書 |title=松坂、中日の「お役に」年俸1500万+出来高契約 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201801230000558.html |newspaper=日刊スポーツ |date=2018-01-23 |accessdate=2018-06-13}}</ref>。1月31日付で支配下登録公示され、正式に入団した<ref>{{Cite web |和書 |url=https://npb.jp/announcement/2018/registered_d.html |title=2018年度支配下選手登録(中日ドラゴンズ) |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2018-1-31}}</ref>。 |
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*[[柴田倫世]] |
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*[[スコット・ボラス]] |
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'''{{by|2018年}}'''4月5日の対[[読売ジャイアンツ]]戦で日本球界では2006年9月26日の対ロッテ戦以来となる先発登板を果たし、敗戦投手にはなったが5回3失点(自責点2)、4月30日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦でシーズン3度目の先発登板、6回を8四死球ながらも被安打3と要所を締めて押し出し四球の1失点に抑え、日本では2006年9月19日のソフトバンク戦以来4241日ぶりの勝利投手となった(MLBでの最終勝利は2014年6月10日のブルワーズ戦)。12年のブランクを経ての勝利は[[大家友和]]の16年に継ぐ歴代2位の最長記録となった。5月17日、[[名古屋市]]の[[百貨店]]、[[松坂屋]]の「マツザカヤ ドラゴンズを優勝させる会」から、移籍後初勝利を記念して「平成の書」の[[純金]]製[[小判]](重さ30g 30万円相当)を贈呈された。小判には「祝 初勝利 松坂大輔様」などと刻印されている。これは松坂屋が同じ「松坂」つながりということもあって、入団時から企画を考えていたとのことであり、小判を手にした松坂本人曰く「小さいときにおもちゃの小判はもらったことはありますが、本物は初めてです」と笑顔であった<ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASL5K5TL4L5KOIPE02L.html |title=松坂大輔に純金小判のプレゼント 「次は大判」おねだり |newspaper=朝日新聞デジタル |agency=[[朝日新聞社]] |date=2017-05-17 |accessdate=2017-05-18}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201805170000625.html |title=中日松坂に松坂屋から小判、2桁なら大判100万円 |work=日刊スポーツコム |agency=[[日刊スポーツ新聞社]] |date=2017-05-17 |accessdate=2017-05-18}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20180517-H7YTFFGU7NI5VIYYT6NKMSRP2Q/ |title=中日・松坂が「松坂屋」から純金小判を授与される「本物は初めてです」 |publisher=サンケイスポーツ |agency=[[産業経済新聞社]] |date=2017-05-17 |accessdate=2017-05-18}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018051701002088.html |title=松坂屋、松坂投手に小判贈呈 今季初勝利祝って純金製 |newspaper=東京新聞 |agency=[[中日新聞東京本社]] |date=2017-05-17 |accessdate=2017-05-18}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=http://tokai-tv.com/tokainews/article.php?i=54447&date=20180517 |title=東海テレビNEWS |agency=[[東海テレビ放送]] |date=2017-05-17 |accessdate=2017-05-18}}</ref>。 |
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同月20日の阪神戦([[ナゴヤドーム]])では、6回1失点で2勝目の投球とともに3打数2安打の打撃が「プロ20年目で初[[マルチヒット|マルチ安打]]」などと報じられた<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/20/kiji/20180520s00001173227000c.html |title=松坂、プロ20年目で初マルチ安打!6回まで1失点投球と投打に活躍 |publisher=スポニチ |date=2018-05-20 |accessdate=2018-06-02}}{{Cite web |和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20180521-N2JLOQQF3JJL5ION5YF3OAI7SM/ |title=投げて打って怪物復活祭!中日・松坂、6回1失点で2勝目&プロ初マルチ安打 |publisher=産経新聞社 |date=2018-05-21 |accessdate=2018-06-02}}</ref>。オールスターゲームのファン投票ではセの先発投手部門で2位に約15万票差をつけ1位で選出され、12年ぶりのオールスター出場となったが<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASL6T547XL6TUTQP00W.html |title=松坂大輔、12年ぶり球宴へ ファン投票断トツ1位 |publisher=朝日新聞デジタル |date=2018-06-25 |accessdate=2018-06-26}}</ref>、同年7月13日、2イニングの予定で先発登板した[[2018年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]第1戦では1回5失点(被本塁打2)で降板した<ref>{{Cite web |和書 |url=https://web.archive.org/web/20180806145847/https://www.sanspo.com/baseball/news/20180714/dra18071405040001-n1.html |title=中日・松坂、獅子後輩に2発食らった…夢舞台“ぶっつけ本番”も5失点/球宴 |work=SANSPO.COM |date=2018-7-14 |accessdate=2018-08-06}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2018/07/15/0011447435.shtml |title=張本勲氏 松坂の球宴登板に「力の衰えた選手は見たくない。ミジメだね」 |publisher=デイリースポーツ online |date=2018-07-15 |accessdate=2022-07-15}}</ref>。9月22日に行われた横浜高校時代の同級生・[[後藤武敏|G後藤武敏]]の引退試合では、中日の選手が引き揚げる中、松坂だけが残り、胴上げに参加した。 |
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ソフトバンク時代では3シーズンで1試合しか登板できなかったが、中日に移籍後6勝4敗で復活をアピール。[[カムバック賞 (日本プロ野球)|カムバック賞]]を受賞した。シーズン終了後の契約更改で6500万増の8000万円で一発サイン<ref>[https://www.sanspo.com/article/20181204-4HMWXRJY55NEDHQJODJMUBUZQI/ 中日・松坂、6500万円増で合意!年俸8000万円の1年契約] サンケイスポーツ 2018年12月4日</ref>。[[鈴木翔太]]と背番号を交換する形で背番号を'''18'''に変更した。 |
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'''{{by|2019年}}'''は春季キャンプで右肩を故障し<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/201904290000229.html 2・11右腕引かれ右肩炎症/中日松坂今季これまで]</ref>、前半戦を二軍で過ごした。しかし『FRIDAY』2019年5月31日号で、リハビリ中にもかかわらず練習日にゴルフをプレイしていたことが報じられた。松坂本人は14日に加藤宏幸球団代表に対して電話で練習日に球団に無断でゴルフを行い、『FRIDAY』の記事になることを詳細に報告。この件に関しては厳重注意処分が下されたと推測されている。故障者続出でチームの先発ローテーションが崩壊している状態での失態からファンの反応は厳しく、擁護意見は殆ど見られなかった<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/b287b402277be5da3e1cda5c90deb3fef138e62f?page=1 幻滅?裏切り?リハビリ中ゴルフで罰則受けた中日・松坂大輔に非難の声殺到] Yahoo!ニュース オリジナル PAGE 2019/5/17 4:30 (2022年2月23日閲覧)</ref>。 |
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結局この年、一軍では僅か2試合の登板に留まり、先発した7月27日は初回表に8安打8失点<ref>{{Cite web |和書 |url=https://web.archive.org/web/20191107075156/https://www.nikkansports.com/baseball/news/201907270000019.html |title=松坂わずか1死8失点KO 中日8連敗/詳細 |publisher=日刊スポーツ |date=2019-07-27 |accessdate=2019-11-07}}</ref>の厳しい登板内容であった。10月5日に退団する方針が発表され<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201910/CK2019100502000104.html |title=松坂退団「ファンに感謝」 森SDとデニーさん去り決断 |publisher=中日スポーツ |date=2019-10-05 |accessdate=2019-10-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20191005030225/https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201910/CK2019100502000104.html |archivedate=2019-10-05}}</ref>、12月2日に自由契約公示された<ref>[https://npb.jp/announcement/2019/pn_released.html 自由契約選手 2019年度 ] NPB公式サイト</ref>。 |
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=== 第二次西武時代 === |
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2019年12月3日、古巣の埼玉西武ライオンズから獲得が発表された<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.seibulions.jp/news/detail/00003317.html |title=松坂大輔投手との契約合意についてのお知らせ |publisher=埼玉西武ライオンズ |date=2019-12-03 |accessdate=2019-12-05}}</ref>。14年ぶりの復帰で、背番号は'''16'''に決まった。年俸3000万円(推定)<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201912040000060.html |title=松坂14年ぶり西武復帰 1年3000万、背番16 |publisher=日刊スポーツ |date=2019-12-04 |accessdate=2022-12-04}}</ref>。 |
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'''{{by|2020年}}'''は[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|COVID-19]]の感染拡大により、シーズン開幕が遅れる中、6月7日に中日との練習試合に登板して1回を無失点に抑えたが、最終的に開幕一軍メンバーから外れた。7月5日に首の痛みと右手のしびれ対策のため、脊椎内視鏡頸椎手術を受けたと発表した<ref>{{Cite web |和書 |date=2020-07-13 |url=https://www.zakzak.co.jp/article/20200713-HSHULAZ3KNL6JMKPCTH6A6AM7M/ |title=ギリギリ39歳…松坂大輔と藤川球児、間違えられない「売りどころ」と「引き際」 |publisher=zakzak |accessdate=2020-07-12}}</ref>。この年は一度も試合に出場しなかった。1000万円減の年俸2000万円で既に条件面は合意に達していた{{R|サンケイスポーツ2020-12-22}}。 |
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'''{{by|2021年}}'''も右手のしびれの影響から一軍、二軍とも実戦登板がないまま7月7日に同年限りでの現役引退を発表した<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/07/07/kiji/20210707s00001173097000c.html |title=「平成の怪物」松坂 今季限りで現役引退 23年目40歳 右手しびれ抜けず |publisher=スポニチ |date=2021-07-07 |accessdate=2021-07-07}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.seibulions.jp/news/detail/00004814.html |title=松坂大輔投手の今シーズン限りでの現役引退について |publisher=埼玉西武ライオンズ公式 |date=2021-07-07 |accessdate=2021-07-07}}</ref>。[[大久保博元]]によると、脊椎の状態は眩暈がして歩くのにも難儀するほどであったといい「あの野球好きで恩返しをしようとしている松坂大輔が自分からサボる、甘えるってのは100%無いんでね」ともはや練習すらままならない状況であったことを説明していた<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=XaxX1gZWajw 松坂大輔"西武ライオンズ”で引退!感動をありがとう] デーブ大久保チャンネル 2021/07/07 (2021年7月11日閲覧)</ref>。10月19日のメットライフドームでの対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で行う引退試合で背番号'''18'''{{Efn2|西武復帰時には[[多和田真三郎]]が18番を着用していたが、2020年オフに育成契約を行い、118番に変更したことで、この年は開幕時より空き番となっていた。}}を着用して登板することが決定し、10月14日付で背番号の変更が公示された<ref>{{Cite web |和書 |url=https://baseballking.jp/ns/300279 |title=西武・松坂が14日付で背番号「18」に変更 19日の引退試合へ15年ぶり“復活” |publisher=データスタジアム |date=2021-10-14 |accessdate=2021-10-18}}</ref>。当日の試合前は西武ナイン全員が松坂の投球写真があしらわれた特製Tシャツを着用し、練習に臨んだ<ref>{{Cite web |和書 |title=西武ナインみんな松坂「18」!特製Tシャツ着た仲間に登板試合前あいさつ |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/10/19/kiji/20211019s00001173322000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-10-19 |accessdate=2021-10-19 |language=ja}}</ref>。迎えた試合では先発登板し、横浜高校の後輩・[[近藤健介]]に対して5球投げ、四球を与えてマウンドを降りた。この日の最速は118 km/h<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂大輔「最後までワインドアップで通せて良かった」一問一答 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110190001250.html |website=日刊スポーツ |date=2021-10-19 |accessdate=2021-10-19 |language=ja}}</ref>。試合後にはグラウンドを一周してファンに感謝の意を示すと、日本ハムのベンチ前には前述した特製Tシャツを着用した監督・[[栗山英樹]]、横浜高校の後輩・近藤、[[淺間大基]]、[[髙濱祐仁]]、[[万波中正]]が登場。一人ひとりと握手を交わすとこの年途中まで西武に在籍した[[木村文紀]]とも握手。最後はマウンド上で西武ナインと共に日本ハムの木村と横浜高校OBも輪に加わり、5度胴上げされ、ファンの割れんばかりの拍手に応えながらグラウンドを去った<ref>{{Cite web |和書 |title=日本ハムの木村&横浜高OBも参加!西武・松坂の引退試合で餞の胴上げ |url=https://baseballking.jp/ns/301006 |website=BASEBALL KING |date=2021-10-19 |accessdate=2021-10-19 |language=ja}}</ref>。12月4日のファン感謝イベントで引退セレモニーが行われた。セレモニーでは横浜高校時代の監督・[[渡辺元智]]、WBCでともに戦った[[王貞治]]、[[原辰徳]]、ソフトバンク時代の監督・[[工藤公康]]、西武時代にバッテリーを組んだ[[中嶋聡]]からビデオメッセージがあり、その後、親交のある俳優の[[妻夫木聡]]がサプライズで登場し抱擁を交わした。続いてプロ入り時の監督・東尾修が登場し、花束を受け取った<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂大輔さんに恩師・東尾修さんが“約束のボール”延長戦の願い「ライオンズのユニホームしか…」 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/12/04/kiji/20211204s00001173570000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-12-04 |accessdate=2021-12-14 |language=ja}}</ref>。セレモニーを終え、グラウンド一周を終えると、突如ビジョンに[[イチロー]]からビデオメッセージが流れ、「大輔、どんな言葉をかけていいのか、なかなか言葉が見つからないよ。僕にはこんなやり方しかできません。許せ、大輔」と語りかけると、ビジョンが暗転。次の瞬間、イチローが登場すると花束を手渡され、声をかけられると、自身は涙を堪えきれずに号泣した<ref>{{Cite web |和書 |title=イチロー氏が「かっこよすぎ」 感動の嵐を巻き起こした松坂引退セレモニーでの所作 |url=https://full-count.jp/2021/12/06/post1164068/ |website=Full-Count |date=2021-12-06 |accessdate=2021-12-14 |language=ja}}</ref>。 |
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=== 日本代表 === |
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[[2000年シドニーオリンピックの野球競技]]のアジア最終予選([[第20回アジア野球選手権大会]])に参加し、9月15日のチャイニーズタイペイ戦に先発。[[古田敦也]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]])とバッテリーを組み、その試合でサヨナラ安打を記録した高校の5年先輩の[[平馬淳]]([[東芝野球部|東芝]])からも叱咤激励され続け1失点完投勝利を挙げて日本のオリンピック出場に大きく貢献した。 |
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2000年8月にはプロアマ混成の[[2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表|シドニーオリンピック野球日本代表]]に選ばれ、9月17日のアメリカ合衆国戦に先発。10回2失点の好投を披露するも、チームは延長13回サヨナラ負け。中5日で先発した9月23日の韓国戦では、初回から4点を失ったがその後は立ち直り、計161球を投じて9回5失点にまとめるも、またしてもチームは延長の末に敗れた。中3日で再び韓国と対戦した9月27日の[[3位決定戦]]では、[[具臺晟]]と投げ合い、0-0の投手戦が続いたが、8回裏に[[李承燁 (野球)|李承燁]]に痛恨の適時二塁打を打たれるなどし、3失点完投負け。日本はオリンピック野球で初めてメダルを逃す結果となった。 |
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2004年は[[2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表|アテネオリンピック野球日本代表]]に選ばれ、8月17日(現地時間)のキューバ戦に先発。4回に[[ユリエスキ・グリエル]]の打球を右腕に受けるアクシデントに見舞われるも、8回まで無失点に抑える力投を披露し、完封も期待された。結局、9回に3点を失ったものの、[[石井弘寿]](ヤクルト)の[[リリーフ]]で逃げ切り、松坂はオリンピックでの初勝利を手にした。中5日で先発した8月24日の準決勝・オーストラリア戦では、8回途中まで1失点の好投も報われず、0-1で惜敗して[[金メダル]]の夢はついえた。チームは翌日、カナダとの3位決定戦に勝利したため、松坂は銅メダリストとなった。 |
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2006年の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]に選出された。3月4日の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表|チャイニーズタイペイ]]戦では4回1失点、3月14日の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表|メキシコ]]戦では5回無失点、そして3月20日の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・キューバ代表|キューバ]]との決勝戦では、試合前に首を痛めながらも気合の投球で4回1失点に抑え、先発したすべての試合で[[勝利投手]]になった(球数制限があったため、先発勝利の条件が5イニング以上という規定がなかった)。結果的に、大会最多となる3勝、防御率1.38という成績が高く評価され、大会の[[最優秀選手 (野球)|最優秀選手]](MVP)に選ばれた。MVPの[[トロフィー]]を受け取った直後のインタビューでは、「MVPとったんですけど、これ(=トロフィーの円盤状の飾り)もうとれちゃったんですね。この辺がアメリカっぽいですけど」と苦笑いしつつ、「後で自分で[[アロンアルフア]]でくっつけて直しますけど」とコメントし、その後実際に販売元の[[東亞合成]]から松坂へアロンアルフアが大量に送られた<ref>http://www.ntv.co.jp/legend/backnumber/answer01.html{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>。 |
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2009年は[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]]の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]に選出された。3月7日に[[東京ドーム]]で行われた第1ラウンドA組第2戦の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表|韓国]]戦に先発し、初回に[[金泰均 (1982年生の内野手)|金泰均]]に2点本塁打を打たれたものの、以降は立ち直って4回2失点にまとめ、打線の援護もあって勝利投手となった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2009/news/p-bb-tp0-20090308-468717.html 松坂初回被弾も粘って宿敵倒す/WBC]日刊スポーツ、2009年3月8日。</ref>。3月15日に[[ペトコ・パーク]]で行われた第2ラウンド1組初戦の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・キューバ代表|キューバ]]戦では、6回無失点の好投で2勝目を挙げた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2009/news/p-bb-tp0-20090317-472030.html 松坂6回8Kで長男誕生日祝う/WBC]日刊スポーツ、2009年3月17日。</ref>。3月22日に[[ドジャースタジアム]]で行われた準決勝の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表|アメリカ合衆国]]戦では、4回2/3を2失点で3勝目を挙げた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2009/news/p-bb-tp0-20090324-474719.html 松坂3戦3勝で連続MVP候補/WBC]日刊スポーツ、2009年3月24日。</ref>。チームは翌日の決勝戦で韓国を破って優勝を決め、最多勝の松坂が2大会連続で最優秀選手に選ばれた。インタビューの際には「[[岩隈久志|岩隈]]くんに悪いなと思いました」とコメントした<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2009/news/f-bb-tp0-20090324-474843.html 松坂連続MVP「岩隈に悪いな」/WBC]日刊スポーツ、2009年3月24日。</ref>。 |
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=== 現役引退後 === |
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'''{{by|2022年}}'''からは[[テレビ朝日]]野球解説者と[[スポーツニッポン]]の野球評論家を務める<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/01/30/kiji/20220129s00001173671000c.html |title=松坂大輔氏 スポニチ評論家就任 2・1デビュー「読者の方の楽しみになるような情報を」 |publisher=スポニチアネックス |date=2022-01-30 |accessdate=2022-02-21}}</ref>。 |
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2022年2月1日よりテレビ朝日の報道番組「[[報道ステーション]]」のスポーツコーナーのキャスターとして出演<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/02/01/kiji/20220201s00001173537000c.html |title=松坂大輔さんがテレ朝「報道ステーション」でキャスターデビュー きょう1日の放送に宮崎から生出演 |publisher=スポニチアネックス |date=2022-02-01 |accessdate=2022-02-21}}</ref>。{{by|2023年}}4月18日、[[文化放送]]「[[文化放送ライオンズナイター]]」にスペシャル解説員として出演。ラジオでの解説は初めてであった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.joqr.co.jp/qr/article/86522/|title=【ライオンズナイター】松坂大輔ラジオ初解説&郷ひろみゲスト出演決定! |website=|publisher=文化放送|date=2023-04-14|accessdate=2024-04-29}}</ref>。 |
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== 選手としての特徴 == |
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[[ファイル:IMG 0497 Daisuke Matsuzaka.jpg|thumb|right|250px|投球する松坂]] |
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=== 投球 === |
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フィニッシュにおいても腕の抱え込み動作を続けることができる安定した下半身を持つ<ref>竹内 久外志、花岡 美智子 (著) 『150キロのボールを投げる!―速い球を投げるための投球技術とトレーニング法 』2005年</ref>。投球フォームはワインドアップ中に間を取るモーションから繰り出す[[スリークォーター]]で<ref name="slugger201010">現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『[[月刊スラッガー]]』2010年10月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2010年、雑誌15509-10、11頁。</ref>、[[クイックモーション|クイック]]は1.0秒台と非常に速い{{R|dice-k2006}}。レッドソックスでの2007年から2010年までは平均球速91.8 mph(約147.7 km/h)<ref>[http://www.fangraphs.com/leaders.aspx?pos=all&stats=pit&lg=all&qual=y&type=4&season=2010&month=0&season1=2007&ind=0&team=3&rost=0&age=0&filter=&players=0 FanGraphs Pitch Type]</ref>、最速97 mph(約156 km/h)の[[速球]](フォーシーム、[[ツーシーム・ファストボール|ツーシーム]]、[[ワンシーム]]<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2010/text/201007270001-spnavi.html 松坂、パワーピッチャーへ=新たな武器ワンシームを習得] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20100730190323/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2010/text/201007270001-spnavi.html |date=2010年7月30日}} カルロス山崎 スポーツナビ、2010年7月27日。</ref>)に加え、球速の違う数種類の[[スライダー (球種)|スライダー]]([[スラーブ]]<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/10/04/kiji/K20091004Z00001610.html 松坂4勝目!秘密兵器「スラーブ」完成]スポニチ、2009年10月04日。</ref>)<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/mlb/2012/columndtl/200804290066-spnavi 松坂の進化と新スライダー レッドソックスと“Dice-K”ピッチング vol.1] カルロス山崎 スポーツナビ、2008年4月29日。</ref>、[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]、数種類の[[チェンジアップ]]([[サークルチェンジ]]、[[チェンジアップ|スプリットチェンジ]]など<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/matsuzaka/mlb201009/KFullNormal20100928013.html 不振脱出!松坂、新球「スプリットチェンジ」だ] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140106210311/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/matsuzaka/mlb201009/KFullNormal20100928013.html |date=2014年1月6日}}スポニチ、2010年09月28日。</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/02/19/kiji/K20130219005225970.html 松坂 3種類目チェンジアップをテスト 右肘OK、復活へ新球]スポニチ、2013年02月19日。</ref>)を投げ分け、稀に[[フォークボール|スプリッター]]、[[カーブ (球種)|カーブ]]も混ぜ、縦に変化するスライダーで三振を奪うケースが多かった<ref>{{Cite book |和書 |author=友成那智、村上雅則 |year=2009 |title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009 |publisher=廣済堂出版 |pages=51 |id=ISBN 978-4-331-51370-5}}</ref>。 |
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NPB初登板の試合で155 km/hの高めの速球で[[片岡篤史]]から三振を奪ったシーンは松坂のプロ入り後の有名なエピソードのひとつとして語られており<ref name="sponichi20080325">[https://web.archive.org/web/20080414011437/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_april/KFullNormal20080325155.html 日めくりプロ野球【4月7日】1999年(平11)いきなり155キロ ベールを脱いだ平成の怪物・松坂大輔] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20080414011437/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_april/KFullNormal20080325155.html |date=2008年4月14日}}Sponichi Annex、2008年3月25日。</ref><ref name="df08">『週刊プロ野球データファイル』2011年8号、ベースボール・マガジン社、雑誌27742-6/8、5-8頁。</ref>、このプロ1年目から平均球速約146 km/hを記録した速球については「理想のボールは初速と終速の差が5 km/hしかない160 km/h。そんな球を投げられたら他の変化球は一つもいらないと思うんですけどね」と語っており{{R|df08}}、4年目からはフォーシームの速球の握りを指の間隔が狭いものにし、下半身の使い方や腕の振りも変えて綺麗な縦回転と強いスピンを意識してキレを増す{{R|df08}}。レッドソックス移籍後も2010年までは平均球速91.8 mph(約147.7 km/h)を記録し、2010年には速球主体のピッチングで<ref>{{Cite web |和書 |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/29018 |title=ストレート勝負の本格派に変身中!松坂大輔は魅力的な“悪女”である。 |website=Number Web |date=2010-06-13 |accessdate=2024-03-02}}</ref>チームメイトからは「メジャー4年間で最高の球威だ」との評価を得ていた<ref>[http://blog.shueisha.net/sportiva/mlb/index.php?ID=49 メジャー4年目で最高の出来だった松坂大輔を襲った悲劇] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20101008061856/http://blog.shueisha.net/sportiva/mlb/index.php?ID=49 |date=2010年10月8日}} 笹田幸嗣 Web Sportiva 2010年10月05日。</ref>。 |
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しかし、トミー・ジョン手術から復帰した2012年以降は平均球速90.1 mph(約145 km/h)、最速95 mph<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/matsuzaka/news/20120915-OHT1T00246.htm 松坂、6回途中4失点も手術後最速152キロ出た!]スポーツ報知、2012年9月16日 {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140108131904/http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/matsuzaka/news/20120915-OHT1T00246.htm |date=2014年1月8日}}。</ref>(約153 km/h)と球速が下がり、カーブの投球割合を増やし緩急をつける投球スタイルとなった<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130922-1193218.html |title=松坂2勝150キロなしでも緩急新スタイル |website=日刊スポーツ |date=2013-09-22 |accessdate=2024-03-02}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/mlb/2013/09/13/33/ |title=現在33歳。松坂大輔がメジャーリーガーとしての復活する可能性は? |website=web Sportiva |date=2013-09-13 |accessdate=2024-03-02}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/663300 |title=松坂大輔、復帰2戦目も勝利ならず。課題はメンタルと、投球の“間合い”。 |website=Number Web |date=2013-08-30 |accessdate=2024-03-02}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://web.archive.org/web/20130901070140/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/mlb/2013/columndtl/201308290003-spnavi |title=松坂が再びカーテンコールを浴びるには |website=スポーツナビ |date=2013-08-29 |accessdate=2013-09-01}}</ref>。右肩関節唇の手術から復帰した2016年以降はさらに球威が落ち、球速は最速でも147 km/hにとどまっている<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1701596.html |title=ソフトバンク松坂前進 3軍戦で復帰最速147キロ |website=日刊スポーツ |date=2016-08-28 |accessdate=2024-03-02}}</ref>。 |
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[[被ウェルヒット率]](アウト、ヒットにかかわらず打者にいい当たりを打たれた率)とストライクの空振り率では優秀な数値を残し、ボールの質はメジャーでも高いレベルにあると評価されていたが<ref>侍メジャーリーガー研究ラボ 松坂大輔 予想外の大不振 原因はどこに?『月刊スラッガー』2009年9月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-9、56-57頁。</ref>、速球のコマンド(狙ったスポットに投げる能力)に難があり<ref>SILVER LINING 制球克服の鍵は速球にあり『月刊スラッガー』2010年10月号、日本スポーツ企画出版社、2010年、雑誌15509-10、25-27頁。</ref>、与四球率が高い。2006年から2010年にかけてはストライドがやや狭まったこと以外に投球動作に大きな変化はないが<ref>現役スカウト部長による松坂の2006&2010投球動作分析『月刊スラッガー』2010年10月号、日本スポーツ企画出版社、2010年、雑誌15509-10、14-17頁。</ref>、リリースポイントで頭が動く事{{R|slugger201010}}、下半身が安定せず上下動が激しいことがコントロールの極端さを生んでいると指摘されていた<ref>WBCコーチが語る 松坂の苦闘『月刊スラッガー』2010年10月号、日本スポーツ企画出版社、2010年、雑誌15509-10、14-17頁。</ref>。 |
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スタミナも豊富であり150球を大きく超える投球数をたびたび記録している<ref>『メジャーvs日本 野球 最強のピッチングフォーム』発行者・若松範彦 7頁。</ref>。松坂当人も「投げるのが大好き」と語っており、これにより投球の練習がハードでも苦ではなかったとも述べている<ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/11/03/0015778064.shtml |title=「1週間で1000から1500球」高校時代の猛烈秘話を松坂氏が激白 清原氏のチャンネルで対談 |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2022-11-03 |accessdate=2023-03-16}}</ref>。 |
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高校時代の指導者である小倉は、松坂は変化球の覚えは早く、直球の制球力は悪かったと評している<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/228351/2 |title=「夏までには理想に」松坂大輔が“育ての親”にすべて語った (2ページ目) |publisher=日刊ゲンダイDIGITAL |date=2018-05-03 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。また、肩を作るのが非常に早いタイプでもあった<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/228351/6 |title=「夏までには理想に」松坂大輔が“育ての親”にすべて語った (6ページ目) |publisher=日刊ゲンダイDIGITAL |date=2018-05-03 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。 |
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[[鈴木健 (内野手)|鈴木健]]は2021年12月31日公開分の『[[フルタの方程式]]』で「左投手のような球道」と評していた<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=1ORc9DPdlNE 1番凄い真っ直ぐを投げた投手は?最優秀ストレート賞【フルタの方程式AWARDS】] フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】 2021/12/31 (YouTube、2022年3月19日閲覧)</ref>。 |
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日本球界に復帰後は、直球を投げる比率が下がったため技巧派に転向したと評されたが、松坂はそれについては否定的である<ref>{{Cite web |和書 |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180819-90 |title=松坂大輔は20年前と変わらない? |publisher=週刊ベースボールONLINE |date=2018-08-19 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。 |
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しかしそれに対して野村克也は入団当時から松坂を本格派より技巧派と評している<ref>『野村克也 プロ野球怪物伝 大谷翔平、田中将大から王・長嶋の名選手まで』発行者・見城徹</ref>。 |
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==== ジャイロボール論争 ==== |
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{{Seealso|ジャイロボール}} |
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レッドソックス移籍前後、メジャーリーグスカウトの「マツザカは[[ジャイロボール]]を投げる」という噂が話題となる<ref>[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/12/22/AR2006122201678.html Thrown for a Loop]Washington Post、2006年12月22日。</ref><ref>[http://www.nytimes.com/2007/02/22/sports/baseball/22gyro.html?ex=1172811600&en=b695231e80a8a4c4&ei=5070&emc=eta1 The Japanese Gyroball Mystery]The New York Times、2007年2月22日。</ref>。 |
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本人は当初ジャイロボールに関して「何を指してジャイロと言われているのかわからない」と語り<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070223_01.htm |title=噂の「ジャイロ」どの球だ : 松坂大輔 |publisher=読売新聞 |date=2007-02-23 |accessdate=2019-10-23 |author=下村征太郎 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070307105831/https://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070223_01.htm |archivedate=2007-03-07}}</ref>、実際は持ち味の一つであるカットボールの抜け球のことであったが<ref>[https://twitter.com/matsu_dice/status/74029730826956800 本人のTwitter]2011年5月27日</ref>、レッドソックス移籍当初は「あると思わせていればいいんじゃないですか」と答えていた<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070308_01.htm |title=頭脳派松坂 ジャイロ「有効活用」 : 松坂大輔 |publisher=読売新聞 |date=2007-03-08 |accessdate=2019-10-23 |author=下村征太郎 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070312130251/https://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/matsuzaka/ma20070308_01.htm |archivedate=2007-03-12}}</ref>。 |
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=== 守備・打撃 === |
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フィールディングに優れ<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1465381.html |title=敵も味方も衝撃、松坂が強打者から奪った三振シーン |website=日刊スポーツ |date=2015-04-24 |accessdate=2024-03-02}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/07/23/kiji/K20150723010789920.html |title=“最後の夏”の結末は…渡辺監督率いる横浜が勝ち続けてきたワケ |website=スポーツニッポン |date=2015-07-23 |accessdate=2024-03-02}}</ref>、[[日本野球機構|NPB]]在籍8年間(西武時代)のうち、資格を得ていた7年すべてで[[ゴールデングラブ賞]]を獲得した(2002年のみ投球回・試合数の不足のため同賞の有資格者ではなかった)。MLB時代は2014年までの通算[[守備防御点|DRS]]-9を記録している。松坂は、後の[[小倉清一郎]]との対談で高校時代に小倉がフィールディング、牽制、クイックなどを徹底的に仕込んでくれたからプロ入り後は投げるだけに専念すれば良かったと答えており、小倉に感謝している<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/228403/3 |title=育ての親と共に 中日・松坂大輔が横浜高校時代を語り合う (3ページ目) |publisher=日刊ゲンダイDIGITAL |date=2018-05-05 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。 |
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打撃が好きなことを公言しており{{R|df08}}、西武時代は気分転換もかねて打撃練習もトレーニングに取り入れていたが、レッドソックス移籍後は[[インターリーグ]]時でしか打撃練習を許されなかった<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20100511-628277.html |title=松坂グリーンモンスター越えリフレッシュ |publisher=日刊スポーツ |date=2010年5月11日 |accessdate=2018-02-04}}</ref>。 |
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高校時代は4番の打順に入っていた時期もあり、高校通算14本塁打を記録。2000年8月7日の[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦では、9回二死満塁の場面で代打として登場。[[栗山聡]]から[[ファウルボール|ファウル]]で粘った後の7球目を中堅前安打し、2打点を挙げた<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2009/news/p-bb-tp0-20090213-460272.html |title=打ってもすごい!松坂28スイング13発 |publisher=日刊スポーツ |date=2009年2月13日 |accessdate=2018-02-04}}</ref>。[[2002年の日本シリーズ]]では、当時の監督の[[伊原春樹]]は投手を8番に置き、9番打者をシーズン同様に[[高木浩之]]とすることを示唆していたが、松坂には7番を打たせた。2006年6月9日の[[セ・パ交流戦]]・[[阪神タイガース|阪神]]戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])では、8回表二死三塁の場面で[[ダーウィン・クビアン]]の150 km/hの高めのボール球を叩いて2点本塁打<ref>(2006年の本塁打){{Cite web |和書 |url=https://dot.asahi.com/articles/-/98189?page=2 |title=松坂、桑田… そして岩瀬も!?「二刀流」の潜在能力を秘めた投手たち |work=AERA dot. |date=2017-11-30 |accessdate=2018-02-04}}</ref>。DH制施行後、パ・リーグの[[投手]]としては4人目の記録となった。レッドソックス移籍後の2007年6月10日の[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]戦で[[ランディ・ジョンソン]]から2打席2三振を喫し、6月22日の[[サンディエゴ・パドレス]]戦でも、[[グレッグ・マダックス]]を相手に2打席とも内野ゴロに倒れ、1年目のレギュラーシーズンは無安打に終わった。しかし、[[2007年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]第3戦の[[コロラド・ロッキーズ|ロッキーズ]]戦で、3回表二死満塁の場面で[[ジョシュ・フォッグ]]の初球を叩き、メジャー移籍後初安打を記録し2打点を挙げた。ワールドシリーズでレッドソックスの投手が2打点を挙げたのは[[サイ・ヤング]]、[[ベーブ・ルース]]に続いて史上3人目だった。また、日本球界復帰後の2018年にはマルチ安打を記録した。 |
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引退後になっても打撃の話が出るたびに「スイングを見たい」とファンからいわれることがあるなど、打力の凄さは引退した後になっても認められている<ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2023/10/18/0016931134.shtml |title=松坂大輔 元同僚スラッガーのバットで特訓中!「ホームラン打てますね」来月に女子高校野球選抜と対戦 |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2023-10-18 |accessdate=2023-10-18}}</ref>。 |
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== 人物・エピソード == |
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素直で嫌味がなく人懐っこい性格<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂の“兄貴分”友利結氏、忘れられない99年4月7日デビュー戦「鬼の形相」 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/10/20/kiji/20211020s00001173117000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-10-20 |accessdate=2021-11-25 |language=ja}}</ref>。 |
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同世代では幼馴染みの[[小谷野栄一]]<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂大輔、小中時代からの親友との13年ぶり対決を振り返る 「1本も打たせたくない」 |url=https://news.livedoor.com/article/detail/14817053/ |website=ライブドアニュース |date=2018-06-05 |accessdate=2021-11-25 |language=ja}}</ref>、高校時代のチームメイト・[[小池正晃]]、[[後藤武敏]]、[[小山良男]]<ref>{{Cite web |和書 |title=後藤武敏 引退惜別インタビュー 最高の仲間たちに囲まれて「松坂、小池と握手して『お疲れさん』と声をかけてもらった」 {{!}} 野球コラム |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=054-20181231-01 |website=週刊ベースボールONLINE |date=2018-12-27 |accessdate=2021-11-25 |language=ja}}</ref>、西武同期入団の[[赤田将吾]]<ref>{{Cite web |和書 |title=西武98年同期入団の赤田一軍打撃コーチから松坂に鬼注文 1年間ローテで2桁勝利を!! |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/174083 |website=東スポWeb |date=2019-12-07 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>、高校時代から対戦している[[平石洋介]]<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂世代のソフトバンク平石コーチ「みんな大輔を好きだった」PL学園時代に死闘 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/10/19/0014773840.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2021-10-19 |accessdate=2021-11-25 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |title=ソフトバンク・平石コーチが語る “松坂世代” の思い「みんなあいつのことを好き」 – 東京スポーツ新聞社 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/114754 |website=東スポWeb |date=2021-10-19 |accessdate=2021-11-25 |language=ja}}</ref>、[[村田修一]]らと親交深い<ref>{{Cite web |和書 |title=巨人・村田修一コーチが「オレラセダイノホコリ」松坂大輔の引退登板に万感 – 東京スポーツ新聞社 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/114841 |website=東スポWeb |date=2021-10-19 |accessdate=2021-11-25 |language=ja}}</ref>。先輩では[[デニー友利]]<ref>{{Cite web |和書 |title=デニー友利氏「孤独に抱えてきた痛みからようやく解放される」松坂大輔引退 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202107070001107.html |website=日刊スポーツ |date=2021-07-07 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>、[[石井貴]]<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂の“兄貴分”石井貴氏、野球は抜群にうまいのに片付けは… |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/10/20/kiji/20211020s00001173118000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-10-20 |accessdate=2021-11-25 |language=ja}}</ref>、[[帆足和幸]]らと親しい<ref>{{Cite web |和書 |title=西武時代から僚友の帆足氏 松坂は「精神力も復活」 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804300000898.html |website=日刊スポーツ |date=2018-04-30 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>。その他著名人では、高校時代に甲子園で投げ合った[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]]の[[上重聡]]<ref>{{Cite web |和書 |title=松坂大輔と甲子園で投げ合った上重聡アナ「ヒーローで親友で戦友」野球中継での共演望む |url=https://www.chunichi.co.jp/article/286562 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2021-07-07 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>、高校時代の先輩でバッテリーを組んだ[[俳優]]の[[上地雄輔]]<ref>{{Cite web |和書 |title=上地雄輔 松坂の引退にさみしさ「頑丈で傷跡だらけの心と身体…いっぱい休ませよう」横浜高でバッテリー - スポニチ Sponichi Annex 芸能 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/07/07/kiji/20210707s00041000218000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-07-07 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>、俳優の[[妻夫木聡]]<ref>{{Cite web |和書 |title=妻夫木聡、引退する友人・松坂大輔と“松坂世代”2ショット「永遠に俺たち世代の誇り」 |url=https://www.crank-in.net/news/91568 |website=クランクイン! |date=2021-07-07 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>、[[EXILE]]の[[ATSUSHI (歌手)|ATSUSHI]]らと親しい<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.billboard-japan.com/goods/detail/601455 |title=billboard-japan |date= |accessdate=2021-11-25}}</ref>。 |
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尊敬する投手は江戸川南シニアおよび横浜高校の先輩である[[松井光介]]。松井は松坂を「高校の頃から25年以上たっても、挨拶をしてくれるかわいい後輩。人に好かれるタイプの人間だからこそ、一つの世代を築けたと思う」「『松坂大輔の尊敬する人』って言われますけど、僕が尊敬してる。僕の方が憧れがあります。だって、すごいピッチャーじゃないですか」と語っている<ref>{{Cite web |和書 |title=【球界ここだけの話(2383)】「平成の怪物」が尊敬したヤクルト・松井光介氏、松坂へ惜別の思い |url=https://www.sanspo.com/article/20210713-LDYNZWMJZNJFTBVWRJM6WYKUKQ/ |website=サンスポ |date=2021-07-13 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>。 |
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西武入団時には「大輔フィーバー」と呼ばれる社会的現象を起こし、高知キャンプでは日曜、祝日に松坂目当ての1万5000人を超すファンが詰めかけた。混乱を恐れた現場では、体形の似ていた同僚の[[谷中真二]]が松坂のユニホームを着て影武者となり、その隙に松坂は別口から移動していた<ref>{{Cite web |和書 |title=“平成の怪物”松坂大輔が残したものと、やり残したこと【白球つれづれ】 |url=https://baseballking.jp/ns/column/287005 |website=BASEBALL KING |date=2021-07-13 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>。 |
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2018年9月22日に行われた対DeNA戦(横浜)は、横浜高校および西武時代のチームメイト・後藤武敏の引退試合であり、松坂は同じく高校のチームメイト・小池正晃と共に花束贈呈を行い、抱擁と握手を交わした。さらに、後藤がグラウンドを一周をする際も、松坂は三塁ベンチから見守り、最後の胴上げにも参加している<ref>{{Cite web |和書 |title=G後藤「松坂世代の一員でいられた事に感謝」…松坂大輔に胴上げされて16年間 の現役に幕 |url=https://baseballking.jp/ns/166574 |website=BASEBALL KING |date=2018-09-23 |accessdate=2021-10-15 |language=ja}}</ref>。 |
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プロ初登板となった1999年4月7日の日本ハム戦にて、1回の松坂の投球を見ていた[[潮崎哲也]]が「そのペースじゃ9回もたねえぞ」と声をかけたが、これに松坂は「大丈夫です、力入れて投げたのは最後の1球だけですから」と返答し、最終的に8回を投げ、被安打5、9奪三振でプロ初勝利を記録した<ref>{{Cite web |和書 |title=西武潮崎編成ディレクターが見た、松坂の衝撃デビュー「器の違い感じた」 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110200000070.html |publisher=日刊スポーツ |date=2021-10-20 |accessdate=2021-10-20}}</ref>。 |
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2012年4月、同学年で高校時代から対戦していた[[大西宏明]]が引退後に焼肉店を開店したと聞くと、すぐさま彼にレッドソックス時代のユニフォームを送った。その後は店内のガラスケースに飾られている<ref>{{Cite web |和書 |title=「松坂大輔は、負けてはいけない存在」 PL学園の“好敵手”が明かす復活への思い〈dot.〉 |url=https://dot.asahi.com/articles/-/99077?page=3 |website=AERA dot. (アエラドット) |date=2018-04-19 |accessdate=2021-11-25 |author=喜瀬雅則}}</ref>。 |
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中日移籍初年度の2018年6月17日の古巣である対埼玉西武ライオンズ第3回戦(メットライフドーム)は先発投手として予告されていたものの、試合開始15分前に背中の違和感を訴え急遽回避<ref>{{Cite web |和書 |title=試合開始15分前。松坂投手の登板回避で突然言い渡されたプロ初先発!藤嶋健人投手のプロ初勝利を振り返る |url=https://hicbc.com/sports/dragons/article/?id=CB2946E3 |publisher=CBCアナウンサー サンドラコラム |date=2018-12-5 |accessdate=2022-1-20 |author=[[榊原悠介]]}}</ref>{{Efn2|代わりに先発登板した[[藤嶋健人]](この試合が一軍初先発)は6回2失点でプロ初勝利を挙げた。}}。以降松坂は対埼玉西武戦における登板機会が一度も訪れなかったため、結果的に消滅した[[大阪近鉄バファローズ]]を含む「[[全球団勝利|13球団勝利]]」の記録を達成することはできなかった{{Efn2|2022年の開幕前時点において同記録を達成できる可能性がある投手は同学年の福岡ソフトバンク・[[和田毅]]ただ一人となったが、NPB他球団に移籍し対福岡ソフトバンク戦に登板して勝利を挙げることが条件。}}。 |
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前述のとおり、アマチュア時代に[[選抜高等学校野球大会]]と[[全国高等学校野球選手権大会]]を、NPB在籍時に[[パシフィック・リーグ]]と[[日本シリーズ]]を、MLB時代に[[アメリカンリーグ]]と[[ワールドシリーズ]]を優勝しているが、これら全てで優勝しているのは松坂ただ1人である。また、これら全てで勝利投手となっているのも松坂ただ1人である(2023年現在)。 |
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他にも[[国民体育大会]]、[[AAAアジア野球選手権大会]](アマチュア時代)、[[ワールド・ベースボール・クラシック]](NPB, MLB在籍時)などの大舞台でも優勝している。 |
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プロボクシング世界4階級制覇・2階級4団体統一を果たした[[井上尚弥]]の異名である「モンスター」は所属する[[大橋ボクシングジム]]の会長である[[大橋秀行]]の高校の後輩に当たる松坂にあやかって付けられたものである<ref name=THE-ANSWER_20180918>{{Cite news |和書 |author=渋谷淳 |date=2018-09-18 |title=井上尚弥、適正階級はスーパーバンタム!? 大橋会長が描く将来像「37歳まで現役なら」 |url=https://the-ans.jp/column/37273/2/ |publisher=株式会社Creative2 |newspaper=THE ANSWER |accessdate=2022-07-09}}</ref>。 |
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== 松坂世代 == |
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{{main|松坂世代}} |
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松坂大輔と同学年の選手には、投手を中心にプロで活躍する逸材が揃っており、総称して「'''松坂世代'''」と呼ばれている。 |
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== 詳細情報 == |
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=== 年度別投手成績 === |
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{|{{投手成績}} |
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|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|1999}} |
|||
|rowspan="8" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[埼玉西武ライオンズ|西武]] |
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|25||24||6||2||0||'''16'''||5||0||--||.762||743||180.0||124||14||87||1||8||151||5||2||55||52||2.60||1.17 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2000}} |
|||
|27||24||6||'''2'''||0||'''14'''||7||1||--||.667||727||167.2||132||12||95||1||4||'''144'''||2||0||85||74||3.97||1.35 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2001}} |
|||
|33||'''32'''||'''12'''||2||1||'''15'''||'''15'''||0||--||.500||'''1004'''||'''240.1'''||184||'''27'''||'''117'''||1||8||'''214'''||9||1||'''104'''||'''96'''||3.60||1.25 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2002}} |
|||
|14||11||2||0||0||6||2||0||--||.750||302||73.1||60||13||15||1||7||78||2||1||30||30||3.68||1.02 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |
|||
|29||27||8||'''2'''||'''1'''||16||7||0||--||.696||801||194.0||165||13||63||2||9||'''215'''||4||0||71||61||'''2.83'''||1.17 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2004}} |
|||
|23||19||'''10'''||'''5'''||0||10||6||0||--||.625||601||146.0||127||7||42||0||6||127||5||0||50||47||'''2.90'''||1.16 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2005}} |
|||
|28||'''28'''||'''15'''||'''3'''||'''3'''||14||13||0||0||.519||'''868'''||'''215.0'''||172||13||49||0||'''10'''||'''226'''||'''9'''||0||63||55||2.30||1.03 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}} |
|||
|25||25||'''13'''||2||2||17||5||0||0||.773||722||186.1||138||13||34||0||3||200||5||0||50||44||2.13||'''0.92''' |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |
|||
|rowspan="6" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[ボストン・レッドソックス|BOS]] |
|||
|32||32||1||0||1||15||12||0||0||.555||874||204.2||191||25||80||1||13||201||5||0||100||100||4.40||1.32 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2008}} |
|||
|29||29||0||0||0||18||3||0||0||.857||716||167.2||128||12||'''94'''||1||7||154||5||0||58||54||2.90||1.32 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2009}} |
|||
|12||12||0||0||0||4||6||0||0||.400||283||59.1||81||10||30||1||2||54||8||0||38||38||5.76||1.87 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2010}} |
|||
|25||25||0||0||0||9||6||0||0||.600||664||153.2||137||13||74||1||8||133||4||0||84||80||4.69||1.37 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2011}} |
|||
|8||7||0||0||0||3||3||0||0||.500||167||37.1||32||4||23||0||1||26||0||0||24||22||5.30||1.47 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2012}} |
|||
|11||11||0||0||0||1||7||0||0||.125||215||45.2||58||11||20||0||3||41||3||0||43||42||8.28||1.71 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2013}} |
|||
|rowspan="2" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[ニューヨーク・メッツ|NYM]] |
|||
|7||7||0||0||0||3||3||0||0||.500||166||38.2||32||4||16||0||5||33||0||0||21||19||4.42||1.24 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2014}} |
|||
|34||9||0||0||0||3||3||1||3||.500||359||83.1||62||6||50||5||6||78||6||0||38||36||3.89||1.34 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2016}} |
|||
|style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]] |
|||
|1||0||0||0||0||0||0||0||0||----||10||1.0||3||0||2||0||2||2||1||0||5||2||18.00||5.00 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2018}} |
|||
|rowspan="2" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[中日ドラゴンズ|中日]] |
|||
|11||11||0||0||0||6||4||0||0||.600||253||55.1||50||5||32||0||5||51||1||0||25||23||3.74||1.48 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2019}} |
|||
|2||2||0||0||0||0||1||0||0||.000||32||5.1||12||0||2||0||3||2||0||0||10||10||16.88||2.63 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2021}} |
|||
|style="text-align:center; white-space:nowrap;"|西武 |
|||
|1||1||0||0||0||0||0||0||0||----||1||0.0||0||0||1||0||0||0||0||0||0||0||----||---- |
|||
|- |
|||
!colspan="2"|[[日本野球機構|NPB]]:12年 |
|||
|219||204||72||18||7||114||65||1||0||.637||6064||1464.1||1167||117||539||6||65||1410||43||4||548||494||3.04||1.17 |
|||
|- |
|||
!colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:8年 |
|||
|158||132||1||0||1||56||43||1||3||.566||3444||790.1||721||85||387||9||45||720||31||0||406||391||4.45||1.40 |
|||
|} |
|} |
||
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
|||
=== MLBポストシーズン投手成績 === |
|||
{{2006 ワールド・ベースボールクラシック日本代表}} |
|||
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small" |
|||
|-style="line-height:1.25em; text-align:center;" |
|||
!年<br /><br />度!!球<br /><br />団!!style="width:6%"|[[ポストシーズン|シ<br />リ<br />|<br />ズ]]!!登<br /><br />板!!先<br /><br />発!!勝<br /><br />利!!敗<br /><br />戦!!セ<br />|<br />ブ!!ホ<br />|<br />ル<br />ド!!勝<br /><br />率!!打<br /><br />者!!投<br />球<br />回!!被<br />安<br />打!!被<br />本<br />塁<br />打!!与<br />四<br />球!!敬<br /><br />遠!!与<br />死<br />球!!奪<br />三<br />振!!暴<br /><br />投!!ボ<br />|<br />ク!!失<br /><br />点!!自<br />責<br />点!!防<br />御<br />率!!W<br />H<br />I<br />P |
|||
|- |
|||
|rowspan="3" style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |
|||
|rowspan="5" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[ボストン・レッドソックス|BOS]] |
|||
|style="text-align:center;"|[[2007年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ALDS]] |
|||
|1||1||0||0||0||0||.---||24||4.2||7||0||3||0||0||3||1||0||3||3||5.79||2.14 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|[[2007年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|ALCS]] |
|||
|2||2||1||1||0||0||.500||42||9.2||12||1||2||0||1||9||2||0||6||6||5.59||1.45 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|[[2007年のワールドシリーズ|WS]] |
|||
|1||1||1||0||0||0||1.000||23||5.1||3||0||3||0||1||5||0||0||2||2||3.38||1.13 |
|||
|- |
|||
|rowspan="2" style="text-align:center;"|{{by2|2008}} |
|||
|style="text-align:center;"|[[2008年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ALDS]] |
|||
|1||1||0||0||0||0||.---||26||5.0||8||0||3||0||0||5||0||0||3||3||5.40||2.20 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|[[2008年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|ALCS]] |
|||
|2||2||1||0||0||0||1.000||48||11.0||9||3||6||0||0||11||1||0||5||5||4.09||1.36 |
|||
|- |
|||
!colspan="3"|出場:2回 |
|||
|7||7||3||1||0||0||.750||163||35.2||39||4||17||0||1||33||4||0||19||19||4.79||1.57 |
|||
|} |
|||
=== WBCでの投手成績 === |
|||
[[Category:日本の野球選手|まつさか たいすけ]] |
|||
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small" |
|||
[[Category:オリンピック野球日本代表選手|まつさか たいすけ]] |
|||
|-style="line-height:1.25em; text-align:center;" |
|||
[[Category:西武ライオンズ及びその前身球団の選手|まつさか たいすけ]] |
|||
!年<br /><br />度!!style="width:6%"|[[ワールド・ベースボール・クラシック|代<br /><br />表]]!!登<br /><br />板!!先<br /><br />発!!勝<br /><br />利!!敗<br /><br />戦!!セ<br />|<br />ブ!!打<br /><br />者!!投<br />球<br />回!!被<br />安<br />打!!被<br />本<br />塁<br />打!!与<br />四<br />球!!敬<br /><br />遠!!与<br />死<br />球!!奪<br />三<br />振!!暴<br /><br />投!!ボ<br />|<br />ク!!失<br /><br />点!!自<br />責<br />点!!防<br />御<br />率 |
|||
[[Category:ボストン・レッドソックスの選手|まつさか たいすけ]] |
|||
|- |
|||
[[Category:1980年生|まつさか たいすけ]] |
|||
|style="text-align:center;"|[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|2006]] |
|||
[[Category:東京都出身の人物|まつさか たいすけ]] |
|||
|rowspan="2" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[野球日本代表|日本]] |
|||
[[Category:江東区|出まつさか たいすけ]] |
|||
|3||3||3||0||0||50||13.0||8||1||3||0||2||10||0||1||2||2||1.38 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009]] |
|||
|3||3||3||0||0||60||14.2||14||2||5||0||0||13||1||0||4||4||2.45 |
|||
|} |
|||
=== タイトル === |
|||
; NPB |
|||
* [[最多勝利]]:3回(1999年 - 2001年) ※3回は[[稲尾和久]]、[[野茂英雄]]、[[涌井秀章]]に次ぐパ・リーグ4位タイ。3年連続は[[野茂英雄]]に次ぐパ・リーグ2位タイ、新人から3年連続は野茂に次ぐ歴代2位 |
|||
* [[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]:2回(2003年、2004年)※2年連続は[[稲尾和久]]、[[山本由伸]]に次ぐパ・リーグ3位タイ |
|||
* [[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]:4回(2000年、2001年、2003年、2005年) |
|||
=== 表彰 === |
|||
; NPB |
|||
* [[沢村栄治賞]]:1回(2001年) ※勝率5割での受賞は歴代最低記録 |
|||
* [[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]](1999年) |
|||
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:3回(投手部門:1999年 - 2001年) ※3年連続ベストナインは投手最長タイ記録(他は稲尾和久・山本由伸) |
|||
* [[ゴールデングラブ賞]]:7回(投手部門:1999年 - 2001年、2003年 - 2006年) ※パ・リーグ投手記録 |
|||
* [[JA全農Go・Go賞]]:3回(最多奪三振賞:2003年5月、2005年5月、2006年5月) |
|||
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]MVP:1回([[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2004年]]第1戦) |
|||
* [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]] 連盟特別表彰:2回(会長特別賞:2000年{{Efn2|シドニーオリンピック出場による}}、功労賞:2021年) |
|||
* [[カムバック賞_(日本プロ野球)|カムバック賞]]:1回(2018年) |
|||
* パ・リーグ功労賞(2021年)<ref>{{Cite web |和書 |title=【西武】松坂大輔氏がパ・リーグ功労賞受賞「今後も野球界の発展のために努力を」 |url=https://hochi.news/articles/20211215-OHT1T51139.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2021-12-15 |accessdate=2022-12-09 |language=ja}}</ref> |
|||
; MLB |
|||
* {{仮リンク|Baseball Digest ルーキーオールスターチーム|en|Baseball Digest}}(先発投手部門:2007年)<ref>[http://www.baseball-reference.com/bullpen/Baseball_Digest_Rookie_All-Star_Teams Baseball Digest Rookie All-Star Teams]BR Bullpen 2015年9月16日閲覧。</ref> |
|||
; その他 |
|||
* [[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]最優秀選手:2回(2006年、2009年) |
|||
* [[日本プロスポーツ大賞]] |
|||
** 大賞:1回(1999年) |
|||
** 殊勲賞:1回(2007年) |
|||
** 40周年特別賞 マルハン杯(2007年) |
|||
* [[報知プロスポーツ大賞]]:1回(1999年) |
|||
* [[毎日スポーツ人賞]] |
|||
** ファン賞:1回(1999年) |
|||
** 国際賞:1回(2007年) |
|||
* [[日本パブリックリレーションズ協会|日本PR大賞スポーツ部門賞]](1999年) |
|||
* [[ナンバーMVP賞]]:1回(1999年) |
|||
* [[彩の国功労賞|彩の国スポーツ功労賞]]:2回(2000年、2004年) ※受賞者第1号 |
|||
* [[所沢市]]特別顕彰:2回(2004年、2006年)<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/smph/shiseijoho/hyosyo/tokubetukensyo/hisyo20161130115108695.html |title=特別顕彰の過去の受賞者 |publisher=所沢市 |date=2016-12-02 |accessdate=2017-09-13}}</ref> |
|||
* [[速玉賞]](2007年)<ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/p-bb-tp2-20071212-294485.html |title=松坂に熊野速玉大社が「速玉賞」 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2007-12-12 |accessdate=2017-09-13}}</ref> |
|||
=== 記録 === |
|||
==== NPB ==== |
|||
; 初記録 |
|||
;; 投手記録 |
|||
* 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:1999年4月7日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]2回戦([[東京ドーム]])、8回5安打2失点 |
|||
* 初奪三振:同上、1回裏に[[井出竜也]]から |
|||
* 初完投:1999年4月14日、対[[大阪近鉄バファローズ]]2回戦([[西武ドーム]])、9回3安打2失点で敗戦投手 |
|||
* 初完投勝利・初完封勝利:1999年4月27日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]4回戦(西武ドーム) |
|||
* 初セーブ:2000年5月9日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(西武ドーム)、7回表に2番手として救援登板・完了、3回無失点 |
|||
;; 打撃記録 |
|||
* 初打席・初安打・初打点:2000年8月7日、対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]19回戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])、9回表に[[栗山聡]]から中前2点適時打 |
|||
* 初本塁打:2006年6月9日、対[[阪神タイガース]]4回戦([[阪神甲子園球場]])、8回表に[[ダーウィン・クビアン]]から左中間越2ラン |
|||
; 節目の記録 |
|||
* 1000投球回:2004年9月17日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]25回戦([[福岡ドーム]])、7回裏三死目に[[荒金久雄]]を三振で達成 ※史上299人目 |
|||
* 1000奪三振:2005年5月18日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に[[金本知憲]]から ※史上114人目 |
|||
* 100勝:2006年6月16日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]4回戦(インボイスSEIBUドーム)、9回3安打3失点 ※史上120人目(191試合目での達成はドラフト制導入後最速記録) |
|||
; その他の記録 |
|||
* 1イニング4奪三振:2004年9月17日、対福岡ダイエーホークス25回戦(福岡ドーム)、6回裏に[[松中信彦]](振り逃げ)・[[城島健司]]・[[フリオ・ズレータ]]・[[大道典嘉]]から ※史上10人目 |
|||
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:7回(1999年 - 2001年、2004年 - 2006年、2018年) ※2002年と2003年は負傷により出場辞退 |
|||
==== NPB/MLB通算 ==== |
|||
; 節目の記録 |
|||
* 2000奪三振:2014年4月20日(日本時間21日) |
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=== 背番号 === |
|||
* '''18'''(1999年 - 2012年、2015年 - 2017年、2019年、2021年10月14日 - 同年終了) |
|||
* '''16'''(2013年 - 2014年、2020年 - 2021年10月13日) |
|||
* '''99'''(2018年) |
|||
=== 登場曲 === |
|||
* 「ROCK STAR」[[THE SECOND from EXILE]](2015年 - 2016年) |
|||
* 「キミシダイ列車」[[ONE OK ROCK]](2017年、2020年 - 2021年)<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.softbankhawks.co.jp/team/music/index.html |title=チーム情報 球場使用曲一覧 |publisher=福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト |date= |accessdate=2017-06-03}}</ref> |
|||
* 「RED SOUL BLUE DRAGON feat. [[DOBERMAN INFINITY]], [[JAY'ED]], MABU」[[RED DIAMOND DOGS]](登板時)(2018年 - 2019年) |
|||
* 「[[ディス・イズ・ミー (キアラ・セトルの曲)|This is Me]](映画「[[グレイテスト・ショーマン]]」より)」[[キアラ・セトル]] & The Greatest Showman Ensemble(打席時)(2018年 - 2019年) |
|||
=== 代表歴 === |
|||
* [[2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表]] |
|||
* [[2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表]] |
|||
* [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]] |
|||
* [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]] |
|||
== 関連情報 == |
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=== 野球以外での表彰 === |
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; ファッション関連 |
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* [[国際宝飾展|日本ジュエリーベストドレッサー賞]] 特別賞(2008年) |
|||
; その他 |
|||
* [[新語・流行語大賞]] 年間大賞(1999年、「リベンジ」) |
|||
* [[日本PR大賞]] 文化・スポーツ部門賞(1999年)<ref>{{Cite web |和書 |url=http://prsj.or.jp/shiraberu/personcitizen/person |title=日本PR大賞 パーソン・オブ・ザ・イヤー |publisher=日本パブリックリレーションズ協会 |date= |accessdate=2017-09-13}}</ref> |
|||
* [[幸手市#その他|ハッピーハンド]](1999年)<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.satte-k.com/kanko/happy/ |title=歴史と観光「ハッピーハンド」 |publisher=幸手市観光協会 |date= |accessdate=2017-09-13}}</ref> |
|||
== 出演 == |
|||
=== ニュース・報道番組 === |
|||
* [[報道ステーション]](2022年2月1日 - 、[[テレビ朝日]]) - スポーツコーナー(野球)解説<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2222648/full/|title=松坂大輔、テレ朝『報ステ』スポーツキャスターに「しばらくは温かい目で」 日米から出演 野球以外の競技に関心も |website=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2022-01-29|accessdate=2024-04-29}}</ref> |
|||
=== バラエティ番組 === |
|||
* [[ジャンクSPORTS]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系、2021年12月12日)<ref>[https://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/20211187.html 松坂大輔が、『ジャンク』初登場!現役引退後バラエティー初出演で秘話続々!] とれたてフジテレビ(フジテレビ)2021年12月4日配信、12月7日閲覧</ref> |
|||
* [[出川哲朗の充電させてもらえませんか?]](2022年4月9日、[[テレビ東京]])- 「春がきた! 絶景の相模湾をぐるっと三浦半島からゴールは箱根の<富士見>露天風呂ですが…ナント松坂大輔と劇団ひとりが初参戦! 哲朗タジタジでヤバいよヤバいよSP」 |
|||
* GOLF MONSTER〜松坂大輔 ゴルフ界の怪物へ〜(2024年4月7日 - 4月28日〈全4回〉、[[ワールド・ハイビジョン・チャンネル|BS12 トゥエルビ]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.twellv.co.jp/program/sports/golf-monster/|title=GOLF MONSTER~松坂大輔 ゴルフ界の怪物へ~|website=|publisher=BS12 トゥエルビ|date=|accessdate=2024-04-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.zakzak.co.jp/pressrelease/atpress/TLUMLKGGO5O45LFB2PXA57U5HE/|title=平成の怪物・松坂大輔がゴルフ界の強敵と対決!『GOLF MONSTER~松坂大輔 ゴルフ界の怪物へ~』 4月7日(日)夕方5時30分~BS12で放送開始|website=zakzak by 夕刊フジ|publisher=産経デジタル|date=2024-04-02|accessdate=2024-04-29}}</ref> |
|||
=== CM === |
|||
* [[キリンビバレッジ]]「Speed」(2000年) - 松坂とキリンが共同開発したスポーツドリンク<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.nissyoku.co.jp/foodsnews/nss-8625-0010|title=キリンビバレッジ、スポーツ飲料「Speed」来春発売|website=日本食糧新聞電子版|publisher=日本食糧新聞社|date=1999-12-15|accessdate=2024-04-29}}</ref>(販売終了) |
|||
* [[全日本空輸]] |
|||
* [[日立製作所]] |
|||
* [[カシオ計算機]] |
|||
* [[ミズノ]] |
|||
*: 上記5社は2000年1月1日から1年間、広告出演契約を結んでいた(契約日は1999年12月13日){{要出典範囲|date=2021年10月|契約金は4億円に上ったという。}} |
|||
* [[トヨタ自動車|トヨタ]] トビラを開けようキャンペーン『[[横滑り防止装置|VSC]]篇』(2007年1月 - ) |
|||
* [[アサヒビール]]「[[アサヒスーパードライ]]」 |
|||
** 松坂大輔メジャーリーグへの挑戦篇(2007年1月22日 - ) |
|||
** 松坂大輔豪速球篇(2007年4月20日 - ) |
|||
* [[コカ・コーラ]]「[[アクエリアス]]」『ドライレイク篇』(2007年3月 - ) |
|||
* [[ナイキ]](2007年4月 - ) |
|||
* [[興和]]「バンテリンコーワ」『おれのバンテリン。』編(2009年6月 - ) |
|||
* [[サントリー]]「[[伊右衛門]]」 - [[本木雅弘]]、[[宮沢りえ]]、[[村田修一]]と共演 |
|||
* [[麒麟麦酒|キリンビール]]「[[キリン一番搾り生ビール]]」『ビール、飲みませんか 松坂大輔×斎藤佑樹』篇(2022年2月17日 - ) - [[斎藤佑樹]]と共演<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20220217-VJUKG52N4RBZ5PHYE3UWASH3RA/ |title=『松坂大輔×斎藤佑樹』初!二人での乾杯が実現! 会いたかった著名人同士がビールのよろこびでつながる 新TVCMシリーズ、始まる |publisher=サンスポ |date=2022-02-17 |accessdate=2022-02-18}}</ref> |
|||
* [[スカパーJSAT]]「スカパー! プロ野球」(2022年3月 - )<ref>{{Cite news |和書 |url=https://news.mynavi.jp/article/20220228-2281471/ |title=磯山さやか、投球披露で見事なコントロール! 松坂大輔「びっくりしました」 |newspaper=マイナビニュース |publisher=マイナビ |date=2022-02-28 |accessdate=2022-03-01}}</ref> |
|||
* [[マイナンバーカード]]「マイナポイント第2弾」(2022年6月 - )[[飯尾和樹]]、[[舘ひろし]]、[[深川麻衣]]、[[新庄剛志]]と共演 |
|||
* [[ソニー生命保険]]『野球の神様に愛された男』篇(2022年12月 - )<ref>{{Cite news |和書 |url=https://news.mynavi.jp/article/20221201-2526052/ |title=松坂大輔、懐かしの平塚球場で高校時代を回顧「何度もマウンドに立った場所」 |newspaper=マイナビニュース |publisher=マイナビ |date=2022-12-01 |accessdate=2022-12-01}}</ref> |
|||
=== PV === |
|||
* 「[[real world]]」[[EXILE]](第二章撮り直しバージョン/ベストアルバム[[EXILE CATCHY BEST]]の[[DVD-Video|DVD]]付きの方のDVDに収録) |
|||
* 「[[Take me out to the ball game〜あの・・一緒に観に行きたいっス。お願いします!〜]]」[[上地雄輔|遊助]](友情出演)<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20150305-DIX6ZBKXCJOFHLWP27YLO67J7Y/ |title=遊助新曲MVに鷹・松坂が友情出演!「マツの剛速球!手が痛かった」(1/3ページ) |publisher=サンケイスポーツ |date=2015-03-05 |accessdate=2021-05-30}}</ref> |
|||
* 「[[RED SOUL BLUE DRAGON]]」[[RED DIAMOND DOGS]] feat. [[DOBERMAN INFINITY]], [[JAY'ED]], [[MABU]]<ref>{{YouTube|HerdLDu6g4s|RED DIAMOND DOGS feat. DOBERMAN INFINITY, JAY'ED, MABU / RED SOUL BLUE DRAGON (Music Video)}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/11/kiji/20180710s00041000437000c.html |title=ATSUSHI 中日・松坂の熱投後押し、応援歌MVが11日公開 |work=Sponichi Annex |agency=スポーツニッポン |publisher=スポーツニッポン |date=2018-07-11 |accessdate=2018-07-11}}</ref> |
|||
=== 関連書籍 === |
|||
* [[江夏豊]]著『松坂大輔へ:江夏豊からのメッセージ』([[中央公論新社]]、2000年3月、ISBN 9784120029813) |
|||
* [[江尻良文]]・[[瀬川ふみ子]]共著『松坂大輔:世界のエースが歩んだ道』([[日本文芸社]]、2007年3月、ISBN 9784537254839) |
|||
* [[栗山英樹]]著『怪物前夜:“60億円の男”松坂大輔を育てた「嫌いにさせない」子育て術』([[東京学参]]、2007年3月、ISBN 9784808007737) |
|||
* [[吉井妙子]]著『夢を見ない男:松坂大輔』([[新潮社]]、2007年3月、ISBN 9784104530021/[[新潮文庫]]、2010年3月、ISBN 9784101305912) |
|||
* [[渡辺元智]]著『ひたむきに:松坂大輔、“超一流”への道』([[双葉社]]、2007年3月、ISBN 9784575299632) |
|||
* [[小野俊哉]]著『松坂大輔がメジャーNo.1投手になるこれだけの理由:データは野球を雄弁に語る』([[洋泉社]]、2007年4月、ISBN 9784862481412) |
|||
* [[古内義明]]著『松坂大輔に120億円の価値はあったのか』([[成美文庫]]、2007年11月、ISBN 9784415400525) |
|||
* 林壮行著『松坂大輔のDNA』([[アスコム]]、2007年11月、ISBN 9784776204787) |
|||
* [[本間正夫]]著『松坂大輔:メジャーへの挑戦!』([[汐文社]]、2007年11月、ISBN 9784811384061) |
|||
* 吉井妙子著『松坂大輔の直球主義』([[朝日新聞社]]、2007年12月、ISBN 9784022503510) |
|||
* イアン・ブラウン著、メイン裕子翻訳『1億ドルの男:松坂大輔の1年』([[武田ランダムハウスジャパン]]、2007年12月、ISBN 9784270002957) |
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* [[石田雄太]]著『声:松坂大輔メジャー挑戦記』([[集英社]]、2008年3月、ISBN 9784087804874) |
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* 石田雄太著『松坂大輔メジャー物語:世界一に輝いた』([[学習研究社]]、2008年3月、ISBN 9784052029691 |
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* [[長谷川晶一]]著『1999年の松坂大輔:歴史を刻んだ男たち』([[主婦の友社]]、2018年4月、ISBN 9784074296774) |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 関連項目 == |
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* [[東京都出身の人物一覧]] |
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* [[埼玉西武ライオンズの選手一覧]] |
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* [[オリンピックの野球競技・メダリスト一覧]] |
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* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧 M]] |
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* [[日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧]] |
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* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]] |
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* [[中日ドラゴンズの選手一覧]] |
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== 外部リンク == |
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* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19800002/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE |
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* [https://daisukematsuzaka18.jp/ 松坂大輔 公式ウェブサイト] |
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* {{Twitter|matsu_dice|松坂 大輔}} |
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2024年7月5日 (金) 03:26時点における最新版
![]() ニューヨーク・メッツ時代 (2014年3月7日) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
![]() |
出身地 |
![]() |
生年月日 | 1980年9月13日(43歳) |
身長 体重 |
182 cm 92 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト1位 |
初出場 |
NPB / 1999年4月7日 MLB / 2007年4月5日 |
最終出場 |
MLB / 2014年9月25日 NPB / 2021年10月19日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
派遣歴 | |
| |
国際大会 | |
代表チーム |
![]() |
五輪 | 2000年、2004年 |
WBC | 2006年、2009年 |
この表について
|
オリンピック | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
オリンピック | ||
銅 | 2004 | 野球 |
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
金 | 2006 | 野球 |
金 | 2009 | 野球 |
松坂 大輔 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
人物 | ||||||||
国籍 |
![]() | |||||||
職業 | 野球評論家 | |||||||
YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2021年11月5日 - | |||||||
ジャンル | 野球 | |||||||
登録者数 | 14.3万人 | |||||||
総再生回数 | 28,442,292回 | |||||||
| ||||||||
チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年4月16日時点。 |
松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )は、東京都江東区出身(出生地は青森県青森市)の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者・野球評論家[1]・YouTuber。愛称は「平成の怪物」。
概要[編集]
横浜高校時代はエースとして1998年春・夏の甲子園連覇を達成し、同年のドラフト会議で西武ライオンズ(パ・リーグ)から1位指名を受けて入団。プロ入り後は西武やMLBのボストン・レッドソックスなどで活躍した。NPBで2度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝、MLBで1度の地区優勝、1度のリーグ優勝、1度のワールドシリーズ優勝、日本代表で2度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献している。アテネオリンピックの銅メダリスト。21世紀初の沢村栄治賞受賞者。ゴールデングラブ賞をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞。
青森県青森市生まれ[2]、東京都江東区育ち。弟・松坂恭平は愛媛マンダリンパイレーツに所属していた元プロ野球選手。妻は元日本テレビアナウンサーの柴田倫世。夫婦の間には2005年12月に誕生した長女と、2008年3月に誕生した長男、2010年3月に誕生した次女がいる。
「大輔」という名前は、1980年代前半の早稲田実業野球部のエースだった荒木大輔の名前からとられている[3]。
愛称は「マツポン」「マツ」「ダイスケ」、メディアでは「平成の怪物」「怪物」、MLBメディアでは「Dice-K」[4]「D-Mat」という愛称が使われている。ボストンでは「Dice-K」が好まれる。本人は「D-Mat」をサインに使うこともある。渡米後の代理人はスコット・ボラス。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
江東区立南陽小学校・区立東陽中学校を卒業した[5]。5歳から小学3年生までは、地元東京都江東区の福住剣友会で剣道に打ち込み、当時は指導部長を務め、後に理事長に就任した川島義和に鍛えられた。生花の商売修業をしていた川島を受け入れていた近所の花屋が松坂家と家族付き合いをしており、花屋の勧めによって当時暴れん坊だった松坂を家族は強制的に入会させた。川島の指導は大変厳しく、未就学児をひっくり返して蹴飛ばし、気合が入っていないと見るや否や羽目板にぶつけ、泣けば泣き止むまで追いかけ回してシゴキを加えた。2006年に行われた少年野球教室で、「球を速くするにはどうすればいいですか?」という質問には「剣道をすると背筋と手首が鍛えられて良いよ」と答えている[要出典]。小学3年生で江東区の東陽フェニックスに入部し野球を始める。中学時代は江戸川区の江戸川南リトルシニアに所属する[6]。この時のチームメイトには小谷野栄一がいた[7]。リトルリーグ時代にNHK教育テレビジョンの『天才てれびくん』に出演したことがある[8]。高校は帝京高校に進学するつもりでいたが、中学3年の時に全日本代表に選ばれた際のメンバーに小池正晃、小山良男、常盤良太がおり、横浜高校への進学が決まっていた3人から一緒に横浜高校に行こうと誘いを受け、悩んだ末に横浜高校への進学を決める[9][10]。
横浜高校時代は、「サボリのマツ」と言われるほどの練習嫌いであったが[11][注 1]、2年生時の夏の神奈川大会準決勝の対横浜商業高校戦において自身の暴投によるサヨナラ負けを喫して以降奮起して猛練習、3年生時に球速150 km/h超を記録し、切れ味鋭いスライダーを武器に超高校級の投手として「平成の怪物」として注目を集めた[13]。甲子園で春夏通じて球速150 km/hを超えたのは松坂が初めてである[14][注 2]。入学時は上地雄輔、上地の引退後は小山良男とバッテリーを組んでいた[17]。
3年になった1998年の第70回選抜高等学校野球大会では完成度の高い投球と小山、小池、後藤武敏らチームメイトの活躍で他校を寄せ付けず優勝。最後の夏となった第80回全国高等学校野球選手権大会では、準々決勝で上重聡(後に日本テレビアナウンサー)や大西宏明、平石洋介、2年生田中一徳を擁する(春の準決勝で破った)PL学園高校に延長17回という長丁場の試合に250球を投げ完投勝利。翌日の準決勝、寺本四郎擁する明徳義塾戦でも1イニングに登板し、逆転劇を呼び込む。
決勝の京都成章戦では嶋清一以来59年ぶり史上2人目となる決勝戦でのノーヒットノーランを達成(この大会では杉内俊哉もノーヒットノーランを達成しており、1大会で複数のノーヒットノーラン投手を輩出した史上稀に見る事例であった)[注 3]。圧倒的な活躍で春・夏連覇を達成した。この決勝戦は後に所属するボストン・レッドソックスのスカウトが観戦していた[18][19]。また、新チーム結成後、1997年秋季県大会ブロック予選(数ヶ月後の第28回明治神宮野球大会含め)から翌年かながわ・ゆめ国体決勝まで、公式戦44連勝を記録した。第3回AAAアジア野球選手権大会でも自身の18歳の誕生日に決勝で張誌家擁する野球中華民国代表を破り優勝投手になった。
1998年度新人選手選択会議では、指名順位1位で日本ハムファイターズ及び横浜ベイスターズ含む3球団が競合の末、西武ライオンズが交渉権を獲得(外れ1位指名は、横浜は古木克明、日本ハムは實松一成、いずれも同じ高校3年生)。ドラフト直後の会見では「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」と語っていた[20][注 4]が、西武側の交渉で気持ちが変わっていき最終的に西武へ入団した[22]。背番号は18。本人はずっとこの番号に憧れていたという。
第一次西武時代[編集]
1999年4月7日に東京ドームで開催された対日本ハム2回戦で、先発投手としてプロ初登板を果たし、1回裏に井出竜也からプロ初奪三振を記録する[5]。同回には3番・片岡篤史に対し球速155 km/hの速球で三振を奪い[23]、8回2失点で初勝利を挙げ、デビューを飾った。前年にパ・リーグ史上最多の年間四球を記録し選球眼の良さで知られていた片岡のこの1球における豪快な空振りはプロでも変わらぬ“怪物”ぶりを示す映像資料として放送される。この試合では、5回裏にマイカ・フランクリンへ投じた151 km/hの速球[24]が胸元への際どいコースへ行き、これで激高したフランクリンがマウンドに詰め寄ろうとして乱闘寸前になりかけたものの、それに対して松坂は一切動じた様子を見せず、逆に笑顔を浮かべて[24]さらにフランクリンをにらみ返すという強心臓ぶりも見せつけた[23]。4月21日の千葉ロッテマリーンズ戦では黒木知宏と投げ合い、0-2で惜敗。この試合後に「リベンジします」と宣言した松坂は、4月27日のロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1-0でプロ初完封を記録しリベンジを果たした。このことから、松坂の「リベンジ」は、プロ同期でともに新人王をとった上原浩治(読売ジャイアンツ)の「雑草魂」とともに同年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれている[25]。5月16日のオリックス・ブルーウェーブ戦ではイチローとの初対決が話題となり、3打席連続三振(1四球)とほぼ完璧に抑えた。試合後のヒーローインタビューでは「プロでやれる自信から確信に変わりました」と語った。7月24日に行われたオールスターゲーム第1戦に先発して3回を投げ、高卒新人としては史上最多となる5奪三振を記録。3回表に味方の失策によって2点を失い、自責点0ながら敗戦投手となったものの[26]、この試合の優秀選手賞を受賞し、オールスター新人賞も受賞した。7月には月間MVPを受賞したが、高卒新人選手が月間MVPを受賞したのは1986年9月に受賞した清原和博以来2人目で、18歳10か月での受賞は、2015年8月に髙橋光成が18歳6か月で受賞するまで最年少記録だった[27]。この年、最終的に16勝を挙げて最多勝を獲得。高卒新人での獲得は、両リーグを通じて1954年の宅和本司(南海)以来、45年ぶりの記録である[28]。また、規定投球回数に到達した投手の中では最高の勝率を記録した。ゴールデングラブ賞と高卒新人としては史上初となるベストナインを受賞し、高卒新人の投手としては堀内恒夫以来33年ぶりとなる新人王に輝いた。ちなみにこのシーズンの松坂は「強打者との勝負」を楽しんでおり、チームが勝つための投球は考えず、監督だった東尾修からも指摘されることが多かったという[29]。シーズン終了後の契約更改で1300万円から2年目としては最高額の5700万円増の7000万円でサイン[30]。
2000年は、津野浩以来15年ぶりに10代での開幕投手を務め、小野晋吾(ロッテ)との最多勝争いを制して14勝を挙げ2年連続の最多勝と自身初の最多奪三振を獲得した。オフにベストナインとゴールデングラブも受賞した。9月13日に当時交際中の柴田倫世の自宅マンション前にて、球団名義のセルシオ(UCF21後期型)で駐車違反を犯す。この年の8月にも時速50 km/hオーバーのスピード違反で一発で免許停止状態になっていたこともあり、身代わりとして西武広報課長の黒岩彰が出頭。松坂と柴田の交際をスクープしたこの写真週刊誌の記事によって、身代わり出頭が明らかになり、松坂が道路交通法違反(無免許運転、駐車違反)、黒岩が犯人隠避の疑いで東京地検に書類送検され、略式起訴の後罰金19万5000円の略式起訴を受ける。当時の球団社長の小野賢二および黒岩は責任を取って辞表を提出する事態になり、松坂は当時埼玉県警察から交通安全キャンペーンのイメージキャラクターに起用されていたこともあり、この件は世間から激しく批判された。球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は1か月足らずで解除された[31]。後にこの事件について開かれた記者会見では、松坂は「駐車違反をしたことは申し訳ない。黒岩課長の身代わり出頭は後で知った」と話し、黒岩は「レッカー移動された乗用車は球団のもので、自分が管理しており、出頭は自分の判断だった」と話した。シーズン終了後の契約更改で1億円でサイン[32]。
2001年に15勝15敗の成績で、3年連続最多勝を獲得。新人からの3年連続最多勝は高卒新人では史上初。勝敗同数の最多勝は1937年秋の野口明(15勝15敗)、1984年の遠藤一彦(17勝17敗)に次ぐ史上3人目だった(ちなみにこの15敗はこの年のリーグ最多敗戦で最多勝と最多敗戦の同時記録は1995年のキップ・グロス以来でパ・リーグの日本人投手では1981年の今井雄太郎以来の記録である)。さらに最多奪三振も獲得し、ベストナインとゴールデングラブも受賞。21世紀初の沢村賞を受賞したが、負け数も多かったため、選考委員からは反対意見も出た。結局、両リーグで唯一の15勝投手であることや、240回1/3という圧倒的な投球回数などが評価されての選出となった。藤田元司委員長(当時)は、「松坂の150キロを越える豪速球は沢村さんを彷彿させる。将来の松坂に対する期待を含めて選んだ」とコメントしている[要出典]。この年は中4,5日での登板が多く、状況によっては中3日や中1日での登板もあった。最も多かった登板間隔は14試合登板した中5日であった。また、ローズに同点本塁打を打たれ、中村にサヨナラ本塁打を打たれるなど近鉄の猛追を防ぐことができず、記録以上に悔しさが残るシーズンとなった。シーズン終了後の契約更改で1億4000万円でサイン[33]。
2002年は開幕6連勝という順調なスタートを切ったが、5月13日の大阪近鉄バファローズ戦で右肘を痛め、何度か復帰したが、本来の投球は戻らずに長期離脱した。当時監督だった伊原春樹は「松坂が5月にプロで初めて故障して、肘を壊したんです。きっと前年からプロ野球で主流になっていたカットボールを習得しようと練習していたのが肘に来たんでしょう。開幕から6連勝したけど、その後は肘の故障で全然ダメでした。」[34]と述べている。日本シリーズでは第1戦に先発、第4戦にリリーフで登板したがいずれも敗戦投手となった[35][36]。
2003年に自己最多タイの16勝を挙げ、最多奪三振と、自身初めて最優秀防御率のタイトルも獲得。ゴールデングラブも受賞した。アテネオリンピックの野球アジア予選では、11月6日のチャイニーズタイペイ戦に先発し、7回無失点の好投で勝利。オリンピック出場の条件である2位以内をほぼ決定づけ、大会の最優秀投手にも選ばれた。
2004年は、ロッテとの開幕戦で初回先頭打者波留敏夫に初球を叩かれヒットを打たれて出塁を許し、共に日本プロ野球初打席となった4番・李承燁、5番・ベニー・アグバヤニに適時打を打たれ早々と失点、この試合の敗戦投手となった。7月10日のオールスターゲーム第1戦で2番手として登板し、2イニングを無安打無失点で4奪三振という好投を披露し、自己最速タイとなる156 km/hも記録した。本塁打を2本以上打った選手がいなかったこともあり、松坂がこの試合のMVPに輝いた。また、シーズンでは前述の通り、オリンピックでチームを離れたこともあり、10勝6敗の成績だったが、最優秀防御率のタイトルを獲得し、ゴールデングラブも受賞した。
レギュラーシーズンは2位に終わったが、この年から導入されたプレーオフの第1ステージで3位の日本ハムと対戦。第1戦では、8回途中7失点と打ち込まれたものの、打線の援護で勝利投手となった。福岡ダイエーホークスと争った第2ステージでは第2戦に先発し、完封ペースだったが、打線の大量援護もあり、6回無失点で余力を残して降板。これが功を奏し、最終の第5戦に中3日で先発が可能となって、6回1失点の投球で、勝利投手にはなれなかったものの、チームは延長10回の末に4-3で勝利し、リーグ優勝を果たした(この時代はプレーオフ第2ステージ勝利チームがリーグ優勝となっていた)。中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、まず第2戦に先発。立浪和義に同点3点本塁打を打たれるなどし、6回1/3を8失点で敗戦投手。2勝3敗と王手をかけられた第6戦では、苦しみながらも8回2失点でしのぎ、勝利投手となって逆王手をかけた。翌日の第7戦には中継ぎで3番手として登板し、1イニングを無失点に抑えて日本一に貢献。この直後に柴田倫世との結婚を発表。11月11日の日米野球では第6戦に先発し、1失点完投勝利。MLB選抜チーム相手の完投勝利は、荒巻淳(毎日)以来、51年ぶり史上2人目の記録となった。シーズン終了後の契約更改で2億円でサイン[32]。
2005年5月18日のセ・パ交流戦・阪神タイガース戦でプロ野球選手として阪神甲子園球場で初登板。高校時代には同球場で15連勝、被本塁打0という記録を持っていたが、桧山進次郎に先制2点本塁打を打たれ、試合も2-3で惜敗。この年は防御率リーグ3位と優れていたにもかかわらず、14勝13敗と負け数もかなり多かった。最多奪三振を獲得し、ゴールデングラブも受賞したが、打線の援護が少なく、野手の失策も多かったため、6月27日の日本ハム戦後には「球際に弱い選手が多い。僕も含めてですが、一つ一つのプレーが軽すぎる。若い選手が多いんだから、もっとガムシャラにやってほしい」と野手批判とも受け取られかねない発言をしたが[37]、後日には野手ミーティングで詫びを入れたという。評論家からは「打線の援護がないのは、投球のリズムが悪いからだ」と指摘され、改善を目指した。オフにはスコット・ボラスを代理人としポスティングシステムでのメジャー挑戦を訴えたが[38]、球団は制度の行使を否認した[39][40]。12月には第1子が誕生した。8000万円増の年俸3億3000万円でサインし、3億円で更改した同僚の西口文也を抜き、現時点では今年に続いてパ・リーグ投手の最高年俸となった[41]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/18/WBC2006_Daisuke_Matsuzaka.jpg/200px-WBC2006_Daisuke_Matsuzaka.jpg)
2006年は6月9日のセ・パ交流戦・阪神戦で1失点完投勝利を収め、高校時代に大活躍した甲子園でのプロ初勝利を記録し、自ら本塁打も打った(バッティングで後述)。また、6月16日のセ・パ交流戦・横浜戦で、江川卓(所要193試合)を抜きドラフト制度導入後最速(191試合)の100勝を達成する(その後、同年8月25日に上原浩治が同じ191試合での100勝を阪神戦にて達成し、松坂の記録は最速タイとなった)。10月7日、ソフトバンクとのプレーオフ第1ステージ初戦に先発。6安打を打たれ4死球を与えたが、斉藤和巳との投げ合いを制し1-0で完封勝利を挙げる。チームはその後2連敗し第1ステージで敗退した。この年はゴールデングラブを受賞している。
オフにはポスティングシステムの行使が容認される。ニューヨーク・メッツやニューヨーク・ヤンキース、テキサス・レンジャーズも入札に参加したことが報じられた。
レッドソックス時代[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8f/Daisuke_Matsuzaka_USA2.jpg/200px-Daisuke_Matsuzaka_USA2.jpg)
2006年11月15日にボストン・レッドソックスが5111万1111ドル11セント(当時のレートで約60億1000万円)で独占交渉権を獲得したことが発表される。その後、代理人のスコット・ボラスとレッドソックス側の契約交渉が難航したが[18]、ボラスは交渉期限直前で松坂本人の意思を尊重し、12月14日に総額5200万ドルの6年契約を結ぶ。1年目の契約は633万3333ドル(約6億4600万円)[42]。レッドソックスファンであるアメリカ国務次官補のクリストファー・ヒルは、六カ国協議が行われる北京への出発前に記者会見で「今日のマツザカの交渉はどうなった?」などと交渉の行方を気にかけていた。
2007年3月21日のパイレーツとのオープン戦では手につばをつける癖が指摘されていたが、4月5日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャー初先発し、7回を6安打1失点10奪三振の好投でメジャー初勝利を挙げる[43][44][45][46][47][48]。本拠地フェンウェイ・パークでの初登板となった11日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対戦し[49]、4打数無安打に抑えた[50][51]。27日のニューヨーク・ヤンキース戦では松井秀喜と初対戦し、2打数無安打に抑えた[52]。この試合ではNHKのテレビ中継で自己最速となる158 km/hを計時したが、球場内の表示は94 mph(約151 km/h)だった[53]。5月9日のトロント・ブルージェイズ戦では大家友和と投げ合い、7回を5安打1失点8奪三振の好投で4勝目を挙げる[54]。14日のデトロイト・タイガース戦では9回を6安打1失点の投球でメジャー初完投勝利を挙げ[55][56]、19日のアトランタ・ブレーブス戦まで5連勝を記録し[57]、同月第3週のリーグ週間MVPを受賞[58]。6月は2勝2敗、防御率1.59、WHIP1.09の好投を見せ、7月3日のタンパベイ・デビルレイズ戦で10勝目に到達[59]。前半戦は18試合の先発で10勝6敗、防御率3.84、WHIP1.24の成績で折り返し、8月4日のシアトル・マリナーズ戦でNPB/MLB通算1500奪三振を達成[60]。後半戦は14試合の先発で5勝6敗、防御率5.19、WHIP1.44と不調に陥るも、シーズン最後の登板となった9月28日のミネソタ・ツインズ戦で日本人選手史上初・メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振に到達し、チームも12年ぶりの地区優勝を決めた[61]。シーズン通算ではリーグ10位の15勝、同6位の201奪三振を記録したが、与四球率はリーグワースト6位、1試合の平均球数はメジャー最多の108.8球だった。
同年ポストシーズンではロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとのディビジョンシリーズ第2戦で初登板し、4回2/3を3失点で勝敗はつかなかった。クリーブランド・インディアンスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発、4回2/3を4失点で敗戦投手となった。第7戦は5回2失点で日本人初のポストシーズン勝利投手となった[62]。コロラド・ロッキーズとのワールドシリーズ第3戦で日本人史上初となるワールドシリーズでの先発を果たし、5回1/3を2失点、打席でもメジャー移籍後初安打となる2点適時安打を記録し、日本人初のワールドシリーズ勝利投手となる[63]。チームは翌日の第4戦にも勝利してワールドシリーズ優勝を果たした[64]。新人王投票では4位に入る[65]。これにより史上初のワールドシリーズとWBCの両方で優勝を経験した選手となった。
2008年シーズン開幕前に第2子が誕生[66]。東京ドームで行われた3月25日のオークランド・アスレチックスとの日本開幕戦に登板。日本人の開幕投手は野茂英雄以来2人目のことであった。5回を2安打2失点6奪三振5四球の投球で降板し勝敗はつかなかったがチームは勝利[67][68]。本国開幕戦となった4月1日のアスレチックス戦で初勝利を挙げ[69]、5月まで黒星なしの開幕8連勝、防御率2.54、WHIP1.29を記録したが、5月27日に右肩回旋筋腱板の張りを訴え故障者リスト入り。6月21日に復帰し、前半戦は10勝1敗、防御率2.65、WHIP1.38を残したが、オールスター初選出は逃す。7月22日のマリナーズ戦では8回までメジャー初完封のペースで好投を続けていたが、イチローに適時二塁打を打たれて完封を逃す[70]。9月15日のタンパベイ・レイズ戦で日本人シーズン最多勝となる17勝目を挙げ[71][72]、21日のトロント・ブルージェイズ戦で18勝目を挙げる[73]。チームも2年連続でのポストシーズン進出を果たした[74]。
同年ポストシーズンではエンゼルスとのディビジョンシリーズ第2戦に先発。5回3失点で勝敗はつかなかったが、チームは9回に勝ち越して勝利した。レイズとのリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦では6回まで無安打に抑え、7回0/3を無失点の好投で勝利投手となった[75]。第5戦では4回0/3を5失点で降板し勝敗はつかず、その後は試合状況によるリリーフ登板も志願したが[76]、チームは第7戦で敗れてリーグ優勝を逃した。
この年の与四球率5.05はリーグワーストながら、被打率はリーグ1位の.211、被OPSはリーグ3位の.645。また、プレーオフを含めて満塁のピンチは15度あったが、押し出しと犠飛こそあったものの、全て無安打に抑えた。またロードでの試合は無敗で勝率.862を記録し、メジャーリーグ歴代勝率25位にランクインした。また、リーグ3位の防御率2.90、リーグ4位の18勝、リーグ2位の勝率.857を残し、サイヤング賞の選出投票では4番目(2位票2票、3位票4票)となる評価を受けたものの、1イニングの平均投球数がリーグ2位と多く、先発で18勝以上挙げた投手ではメジャー史上最少イニングである投球回167回3分の2だったことなど、野手やリリーフのおかげとする向きも多く(松坂が残した走者をリリーフが返したのは、無死満塁で降板した6月21日だけであった)評価が二分された。セイバーメトリクスの観点からも、QSが14試合(規定投球回到達者88人中66位)でQS率が48%(同64位)、K/BBが1.64(同75位)、FIP4.03(同42位)と悪く、BABIP.267(同6位)、QS未満で7勝(同1位)、9イニング当たりの平均援護点6.1(同8位)と、運に恵まれたとする数値が示された。WARではFanGraphsが算出したものではリーグ19位の3.4、Baseball-Referenceが算出したものではリーグ6位の5.3と評価が分かれた。オフにMLB公式ホームページで行われた最優秀先発投手賞のファン投票ではティム・リンスカム、マイク・ムシーナ、ロイ・ハラデイに次ぐ4位に入った[77]。12月には1998年度の横浜高校のメンバー対松坂世代のチャリティーマッチに参加した[78]。
2009年は開幕後2試合連続で打ち込まれ[79]、右肩の疲労を理由に4月15日に故障者リスト入りする[80]。復帰後は6月2日のデトロイト・タイガース戦で初勝利を挙げる[81]。19日のアトランタ・ブレーブス戦では川上憲伸と投げ合うが、4回を8安打6失点で黒星を喫する[82]。その後も打ち込まれ、21日に再び故障者リスト入りする[83][84]。故障者リスト入り中には、日本メディアのインタビュー記事で「この環境の中で練習を強いられ続けたら、僕は日本のようなピッチングはもう出来なくなるかも知れない」とチームの調整方法を批判したとも受け取られる発言があったため「ここ数日報道されたことの誤解を解きたい。私は公に不満を示したことはなく、私的な会話の内容が報じられた。(上述の)コメントはそれ自体言ったことがない」と英文で声明を出し謝罪した[85][86]。9月に復帰して以降は3勝1敗、防御率2.22、WHIP1.35と復調したものの、シーズンを通しては4勝6敗、防御率5.76、WHIP1.87とプロ入り以降もっとも悪い成績に終わった。チームは3年連続でのポストシーズンに進出したが[87]、ポストシーズンでは先発ローテーションには入らず登板のないままチームはエンゼルスとのディビジョンシリーズで敗退した[88]。この年の不振の原因について、シーズン終了後の記者会見で、この年のWBCの前から股関節を痛めていたことを告白し[89]、GMのセオ・エプスタインに直接謝罪した[90]。
2010年は、スプリングトレーニング前から背中の張りを[91][92]、スプリングトレーニング中も首の張りを訴えて[93]、開幕は故障者リスト入りして迎える[94]。なお、その間の3月18日には第3子が誕生した[95]。5月1日のボルチモア・オリオールズ戦で復帰[96]。5月6日のエンゼルス戦で初勝利を挙げるが5失点を喫し[97]、次に先発したブルージェイズ戦では7回3安打1失点9奪三振無四球と好投[98]。5月22日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では8回二死までノーヒットノーランを続ける好投を見せたが[99]、次に先発した27日のロイヤルズ戦では9四死球の大乱調を喫するなど好不調の激しいピッチングが続く[100]。6月7日のインディアンス戦で、日本プロ野球2リーグ制以降最速となるNPB/MLB通算150勝を達成[101]。しかし12日に右前腕部の張りを訴えて再度故障者リスト入りする[102]。6月24日のロッキーズ戦で復帰し、5回を5安打2失点6奪三振の投球を見せ、打席でもメジャー公式戦初打点を記録するが、救援陣が打ち込まれ白星はつかなかった[103]。7月27日のマリナーズ戦では2年ぶりにイチローと対戦し、3打数無安打に抑える[104]。8月5日のインディアンス戦では長谷川滋利に並ぶ日本人選手3位タイのメジャー通算45勝となる8勝目を挙げる[105]。15日のテキサス・レンジャーズ戦ではロジャー・クレメンスに次ぐ球団史上2番目のペースで通算500奪三振に到達[106]。9月2日のオリオールズ戦では日本人歴代単独3位のメジャー通算46勝目となる9勝目を挙げる[107][108]。最終的に、2年連続で規定投球回数未到達・1桁勝利に終わり[109]、規定投球回数未到達ながら降板時に残した走者21人は先発投手でリーグワースト10位だったが(そのうちリリーフが返したのは6人)、本人や球団首脳陣は速球に手応えを感じたシーズンだと振り返った[110]。
2011年のスプリングトレーニングでは東日本大震災を受けて岡島秀樹、田澤純一、正田樹と共に義援金を募った他[111]、100万ドルを寄付した[112]。開幕後は2試合で7イニング10失点を喫し2連敗したが、4月18日のブルージェイズ戦で7回1安打無失点1四球3奪三振の投球で初勝利。23日のロサンゼルス・エンゼルス戦では8回1安打無失点3四球9奪三振の投球で2勝目を挙げ、15イニング連続無失点を記録した他、5月4日のエンゼルス戦では延長13回に8番手としてメジャー初となるリリーフ登板を経験(二死満塁から2点適時打を打たれて敗戦)[113]。しかし4月29日のマリナーズ戦で途中降板するなど4月末から右肘に張りが生じ、5月17日に故障者リスト入り。一時帰国を経て31日にルイス・ヨーカムによるセカンド・オピニオンを仰ぎ、6月10日に同医師の執刀によるトミー・ジョン手術を受けた[114]。当時の年俸は最高の10億7000万円[115]。
2012年6月9日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャー復帰。球速は平均球速91.5 mph(約147.3 km/h)、最速93 mph(約150 km/h)を記録するが、5回を5安打、4失点、8奪三振、1四球の投球で黒星を喫した[116][117]。その後4試合に先発するも白星はつかず、7月3日には右僧帽筋を痛め故障者リスト入り[118]。8月27日に復帰し、その日のロイヤルズ戦に先発。7回を5安打、1失点、6奪三振、2四球、最速94 mph(約151 km/h)を記録する投球で、日本人史上4人目のメジャー通算50勝目となる復帰後初勝利を挙げる[119][120]。しかしその後の登板は全て4失点以上を喫し白星を挙げることができず、シーズン最終登板となった10月3日のヤンキース戦では黒田博樹と投げ合うも、2回1/3を投げ2本塁打を含む6安打、5失点の投球で7敗目を喫しシーズンを終えた[121]。防御率8.28は10回以上先発した投手としては球団史上最低の成績であった[122]。10月29日にFAとなった。
インディアンス傘下時代[編集]
2013年2月13日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだことが発表され[123]、背番号は西武入団時から付けていた18に変わり、20となった(インディアンスでは18番がメル・ハーダーの永久欠番となっているため。なお20番は2017年にフランク・ロビンソンの永久欠番になっている)。スプリングトレーニングには招待選手として参加し、4試合の登板で8イニングを投げ防御率2.25、WHIP1.38の成績を残すが、3月18日に開幕マイナーを通告される。しかし、マイナーで開幕を迎えた際に球団が支払うボーナス10万ドルを節約する目的で24日に一旦自由契約となり、26日に契約内容を変更したマイナー契約で再契約[124]。AAA級コロンバス・クリッパーズで開幕を迎え、開幕から5試合に先発するが、与四球率7.84と制球に苦しんで防御率3.92、WHIP1.45の成績を喫し、4月28日のポータケット戦の4回に左脇腹を痛め、故障者リスト入りした[125]。6月に復帰し、前半戦は12試合の先発で1勝5敗、防御率4.55、WHIP1.39の成績を喫する。後半戦は7試合の先発で4勝3敗、防御率3.13、WHIP1.21と復調したが、8月20日に契約解除を申し出て自由契約となった[126][127]。
メッツ時代[編集]
2013年8月22日にニューヨーク・メッツとメジャー契約を結んだ[128][129]。メッツにはレッドソックス時代まで付けていた背番号18の選手はいなかったが、野茂英雄やドワイト・グッデン、デビッド・コーンが付けていた16を背番号にする[130]。コロンバスでの先発登板から中3日で23日のタイガース戦に先発したが、2回までに2本塁打を打たれ5回6安打5失点で黒星を喫する[131][132]。移籍後3試合で12回1/3を投げ15失点を喫していたが、9月15日のマイアミ・マーリンズ戦で、7回2安打1失点の投球で初勝利[133]。移籍後4試合目以降は26回1/3を13安打6失点と好投を続け、初勝利から3連勝を記録してシーズンを終える[134]。9月にはスコット・ボラスとの契約を解除しSFX社と代理人契約を結ぶ[135]。10月31日にFAとなった。
2014年1月24日にメッツとマイナー契約で再契約し[136]、招待選手として参加したスプリングトレーニングでは6試合の登板で23回2/3を投げ、防御率3.04、WHIP1.27の成績を残す。3月25日までにメジャー契約を結ばなければFAとなる権利を持っていたが、同日にメッツが10万ドルを支払いマイナー契約を延長し[137]、31日にAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ異動した。4月16日に成績不振であったジョン・ラナンと入れ替わる形でメッツとメジャー契約を結んだ[138]。メッツではリリーフとして起用され、20日のブレーブス戦では延長11回から登板し3回を投げ、NPB/MLB通算2000奪三振に到達する[139]。5月25日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でシーズン初先発し2勝目を挙げる[140]。6月から先発ローテーションに入り、7月12日のマーリンズ戦では自己最多タイの10奪三振の投球を見せる[141]。後半戦はディロン・ジーとジョン・ニースが故障から復帰したことに伴い再びリリーフで起用され、7月25日には右肘の炎症で15日間の故障者リスト入り[142]。8月28日に復帰し[143]、肘の消炎剤注射を受けながら[144]リリーフとして起用され、9月は4試合の登板で無失点と好投を続ける。最終的には先発としては9試合の登板で2勝3敗、防御率4.24、WHIP1.35。リリーフとしては25試合の登板で1勝0敗1セーブ、防御率3.44、WHIP1.34だった。シーズン終了後フリーエージェントとなる。
ソフトバンク時代[編集]
2014年12月4日に3年12億円の大型契約で福岡ソフトバンクホークス入団が発表された[145]。新垣渚の移籍によって空き番となった背番号18をつけることとなった。入団と相前後してチーム内の親睦団体「HAWKS55年会」にも途中加入している。
2015年3月17日のオープン戦登板後、右肩の筋肉の疲労などで離脱し[146]、8月18日に内視鏡下による「右肩関節唇及び腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」を受けた[147]。
2016年10月2日[148]、シーズン最終戦となった東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、2006年10月7日以来約10年ぶりの一軍マウンドに上がったのが、結局、ソフトバンク時代唯一の公式戦登板となった。この復帰登板は事前に報道され、楽天監督の梨田昌孝も元チームメイトである松井稼頭央を代打で出場させることを明言する[149]など大きな話題となった。しかし、その松井に初球から死球を与えるなど1回で被安打3、与四死球4、暴投1の5失点(自責点は2)と炎上し[150]、翌日一軍登録を抹消された[151]。しかし、このような状況で引退を表明せず現役続行を示唆する松坂には、ファンや球団関係者からも否定的な意見が相次いだ[152]。2016年オフにはプエルトリコのウィンターリーグに参加[153]。
2017年オープン戦の広島戦で7回無安打無失点の投球を見せ、4月15日のオリックス戦で初先発の予定だったが右肩の異変で急遽回避[154]。以後二軍でも実戦登板はなくリハビリ生活を続けた。2017年で3年契約が満了となり、球団は一度松坂を支配下登録から外し、2018年からは育成選手契約かコーチ契約を結んだ上でのリハビリ継続を打診したが、松坂はこれを拒否したことが報じられた[155]。スポーツライターの石田雄太は松坂に育成選手契約を結ばせることについて「プロの矜持を損なう発想」と批判していた[156]。11月5日にソフトバンクを退団することが発表された[157]。ソフトバンクでの3年間で一軍登板は上記2016年の1試合のみであった。退団時には、ソフトバンクからコーチのオファーがあったが断ったと一部では報じられたが[158]、松坂は、退団後の小倉清一郎との対談でコーチの正式なオファーはなく、その後、デニー友利から連絡があったことを語っている[159][160]。
退団発表後に、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスが松坂の獲得を目指していたことや、台湾球団が松坂と接触していたことがのちに明らかになっているが、松坂本人に話が伝わったかどうかは不明である[161]。
中日時代[編集]
2017年12月21日、中日ドラゴンズが入団テストを行うことを発表し[162]、2018年1月23日、ナゴヤ球場の屋内練習場で完全非公開でのテストが行われ、即日合格した。西武時代の松坂をコーチとして知る森繁和監督も「やりつくすまでやればいい」と後押しした[163]。背番号は「99」[164]、年俸は推定1500万円プラス出来高払いの1年契約[165]。1月31日付で支配下登録公示され、正式に入団した[166]。
2018年4月5日の対読売ジャイアンツ戦で日本球界では2006年9月26日の対ロッテ戦以来となる先発登板を果たし、敗戦投手にはなったが5回3失点(自責点2)、4月30日の対横浜DeNAベイスターズ戦でシーズン3度目の先発登板、6回を8四死球ながらも被安打3と要所を締めて押し出し四球の1失点に抑え、日本では2006年9月19日のソフトバンク戦以来4241日ぶりの勝利投手となった(MLBでの最終勝利は2014年6月10日のブルワーズ戦)。12年のブランクを経ての勝利は大家友和の16年に継ぐ歴代2位の最長記録となった。5月17日、名古屋市の百貨店、松坂屋の「マツザカヤ ドラゴンズを優勝させる会」から、移籍後初勝利を記念して「平成の書」の純金製小判(重さ30g 30万円相当)を贈呈された。小判には「祝 初勝利 松坂大輔様」などと刻印されている。これは松坂屋が同じ「松坂」つながりということもあって、入団時から企画を考えていたとのことであり、小判を手にした松坂本人曰く「小さいときにおもちゃの小判はもらったことはありますが、本物は初めてです」と笑顔であった[167][168][169][170][171]。
同月20日の阪神戦(ナゴヤドーム)では、6回1失点で2勝目の投球とともに3打数2安打の打撃が「プロ20年目で初マルチ安打」などと報じられた[172]。オールスターゲームのファン投票ではセの先発投手部門で2位に約15万票差をつけ1位で選出され、12年ぶりのオールスター出場となったが[173]、同年7月13日、2イニングの予定で先発登板したオールスターゲーム第1戦では1回5失点(被本塁打2)で降板した[174][175]。9月22日に行われた横浜高校時代の同級生・G後藤武敏の引退試合では、中日の選手が引き揚げる中、松坂だけが残り、胴上げに参加した。
ソフトバンク時代では3シーズンで1試合しか登板できなかったが、中日に移籍後6勝4敗で復活をアピール。カムバック賞を受賞した。シーズン終了後の契約更改で6500万増の8000万円で一発サイン[176]。鈴木翔太と背番号を交換する形で背番号を18に変更した。
2019年は春季キャンプで右肩を故障し[177]、前半戦を二軍で過ごした。しかし『FRIDAY』2019年5月31日号で、リハビリ中にもかかわらず練習日にゴルフをプレイしていたことが報じられた。松坂本人は14日に加藤宏幸球団代表に対して電話で練習日に球団に無断でゴルフを行い、『FRIDAY』の記事になることを詳細に報告。この件に関しては厳重注意処分が下されたと推測されている。故障者続出でチームの先発ローテーションが崩壊している状態での失態からファンの反応は厳しく、擁護意見は殆ど見られなかった[178]。
結局この年、一軍では僅か2試合の登板に留まり、先発した7月27日は初回表に8安打8失点[179]の厳しい登板内容であった。10月5日に退団する方針が発表され[180]、12月2日に自由契約公示された[181]。
第二次西武時代[編集]
2019年12月3日、古巣の埼玉西武ライオンズから獲得が発表された[182]。14年ぶりの復帰で、背番号は16に決まった。年俸3000万円(推定)[183]。
2020年はCOVID-19の感染拡大により、シーズン開幕が遅れる中、6月7日に中日との練習試合に登板して1回を無失点に抑えたが、最終的に開幕一軍メンバーから外れた。7月5日に首の痛みと右手のしびれ対策のため、脊椎内視鏡頸椎手術を受けたと発表した[184]。この年は一度も試合に出場しなかった。1000万円減の年俸2000万円で既に条件面は合意に達していた[115]。
2021年も右手のしびれの影響から一軍、二軍とも実戦登板がないまま7月7日に同年限りでの現役引退を発表した[185][186]。大久保博元によると、脊椎の状態は眩暈がして歩くのにも難儀するほどであったといい「あの野球好きで恩返しをしようとしている松坂大輔が自分からサボる、甘えるってのは100%無いんでね」ともはや練習すらままならない状況であったことを説明していた[187]。10月19日のメットライフドームでの対北海道日本ハムファイターズ戦で行う引退試合で背番号18[注 5]を着用して登板することが決定し、10月14日付で背番号の変更が公示された[188]。当日の試合前は西武ナイン全員が松坂の投球写真があしらわれた特製Tシャツを着用し、練習に臨んだ[189]。迎えた試合では先発登板し、横浜高校の後輩・近藤健介に対して5球投げ、四球を与えてマウンドを降りた。この日の最速は118 km/h[190]。試合後にはグラウンドを一周してファンに感謝の意を示すと、日本ハムのベンチ前には前述した特製Tシャツを着用した監督・栗山英樹、横浜高校の後輩・近藤、淺間大基、髙濱祐仁、万波中正が登場。一人ひとりと握手を交わすとこの年途中まで西武に在籍した木村文紀とも握手。最後はマウンド上で西武ナインと共に日本ハムの木村と横浜高校OBも輪に加わり、5度胴上げされ、ファンの割れんばかりの拍手に応えながらグラウンドを去った[191]。12月4日のファン感謝イベントで引退セレモニーが行われた。セレモニーでは横浜高校時代の監督・渡辺元智、WBCでともに戦った王貞治、原辰徳、ソフトバンク時代の監督・工藤公康、西武時代にバッテリーを組んだ中嶋聡からビデオメッセージがあり、その後、親交のある俳優の妻夫木聡がサプライズで登場し抱擁を交わした。続いてプロ入り時の監督・東尾修が登場し、花束を受け取った[192]。セレモニーを終え、グラウンド一周を終えると、突如ビジョンにイチローからビデオメッセージが流れ、「大輔、どんな言葉をかけていいのか、なかなか言葉が見つからないよ。僕にはこんなやり方しかできません。許せ、大輔」と語りかけると、ビジョンが暗転。次の瞬間、イチローが登場すると花束を手渡され、声をかけられると、自身は涙を堪えきれずに号泣した[193]。
日本代表[編集]
2000年シドニーオリンピックの野球競技のアジア最終予選(第20回アジア野球選手権大会)に参加し、9月15日のチャイニーズタイペイ戦に先発。古田敦也(ヤクルトスワローズ)とバッテリーを組み、その試合でサヨナラ安打を記録した高校の5年先輩の平馬淳(東芝)からも叱咤激励され続け1失点完投勝利を挙げて日本のオリンピック出場に大きく貢献した。
2000年8月にはプロアマ混成のシドニーオリンピック野球日本代表に選ばれ、9月17日のアメリカ合衆国戦に先発。10回2失点の好投を披露するも、チームは延長13回サヨナラ負け。中5日で先発した9月23日の韓国戦では、初回から4点を失ったがその後は立ち直り、計161球を投じて9回5失点にまとめるも、またしてもチームは延長の末に敗れた。中3日で再び韓国と対戦した9月27日の3位決定戦では、具臺晟と投げ合い、0-0の投手戦が続いたが、8回裏に李承燁に痛恨の適時二塁打を打たれるなどし、3失点完投負け。日本はオリンピック野球で初めてメダルを逃す結果となった。
2004年はアテネオリンピック野球日本代表に選ばれ、8月17日(現地時間)のキューバ戦に先発。4回にユリエスキ・グリエルの打球を右腕に受けるアクシデントに見舞われるも、8回まで無失点に抑える力投を披露し、完封も期待された。結局、9回に3点を失ったものの、石井弘寿(ヤクルト)のリリーフで逃げ切り、松坂はオリンピックでの初勝利を手にした。中5日で先発した8月24日の準決勝・オーストラリア戦では、8回途中まで1失点の好投も報われず、0-1で惜敗して金メダルの夢はついえた。チームは翌日、カナダとの3位決定戦に勝利したため、松坂は銅メダリストとなった。
2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。3月4日のチャイニーズタイペイ戦では4回1失点、3月14日のメキシコ戦では5回無失点、そして3月20日のキューバとの決勝戦では、試合前に首を痛めながらも気合の投球で4回1失点に抑え、先発したすべての試合で勝利投手になった(球数制限があったため、先発勝利の条件が5イニング以上という規定がなかった)。結果的に、大会最多となる3勝、防御率1.38という成績が高く評価され、大会の最優秀選手(MVP)に選ばれた。MVPのトロフィーを受け取った直後のインタビューでは、「MVPとったんですけど、これ(=トロフィーの円盤状の飾り)もうとれちゃったんですね。この辺がアメリカっぽいですけど」と苦笑いしつつ、「後で自分でアロンアルフアでくっつけて直しますけど」とコメントし、その後実際に販売元の東亞合成から松坂へアロンアルフアが大量に送られた[194]。
2009年は第2回WBCの日本代表に選出された。3月7日に東京ドームで行われた第1ラウンドA組第2戦の韓国戦に先発し、初回に金泰均に2点本塁打を打たれたものの、以降は立ち直って4回2失点にまとめ、打線の援護もあって勝利投手となった[195]。3月15日にペトコ・パークで行われた第2ラウンド1組初戦のキューバ戦では、6回無失点の好投で2勝目を挙げた[196]。3月22日にドジャースタジアムで行われた準決勝のアメリカ合衆国戦では、4回2/3を2失点で3勝目を挙げた[197]。チームは翌日の決勝戦で韓国を破って優勝を決め、最多勝の松坂が2大会連続で最優秀選手に選ばれた。インタビューの際には「岩隈くんに悪いなと思いました」とコメントした[198]。
現役引退後[編集]
2022年からはテレビ朝日野球解説者とスポーツニッポンの野球評論家を務める[199]。
2022年2月1日よりテレビ朝日の報道番組「報道ステーション」のスポーツコーナーのキャスターとして出演[200]。2023年4月18日、文化放送「文化放送ライオンズナイター」にスペシャル解説員として出演。ラジオでの解説は初めてであった[201]。
選手としての特徴[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/68/IMG_0497_Daisuke_Matsuzaka.jpg/250px-IMG_0497_Daisuke_Matsuzaka.jpg)
投球[編集]
フィニッシュにおいても腕の抱え込み動作を続けることができる安定した下半身を持つ[202]。投球フォームはワインドアップ中に間を取るモーションから繰り出すスリークォーターで[203]、クイックは1.0秒台と非常に速い[37]。レッドソックスでの2007年から2010年までは平均球速91.8 mph(約147.7 km/h)[204]、最速97 mph(約156 km/h)の速球(フォーシーム、ツーシーム、ワンシーム[205])に加え、球速の違う数種類のスライダー(スラーブ[206])[207]、カットボール、数種類のチェンジアップ(サークルチェンジ、スプリットチェンジなど[208][209])を投げ分け、稀にスプリッター、カーブも混ぜ、縦に変化するスライダーで三振を奪うケースが多かった[210]。
NPB初登板の試合で155 km/hの高めの速球で片岡篤史から三振を奪ったシーンは松坂のプロ入り後の有名なエピソードのひとつとして語られており[24][211]、このプロ1年目から平均球速約146 km/hを記録した速球については「理想のボールは初速と終速の差が5 km/hしかない160 km/h。そんな球を投げられたら他の変化球は一つもいらないと思うんですけどね」と語っており[211]、4年目からはフォーシームの速球の握りを指の間隔が狭いものにし、下半身の使い方や腕の振りも変えて綺麗な縦回転と強いスピンを意識してキレを増す[211]。レッドソックス移籍後も2010年までは平均球速91.8 mph(約147.7 km/h)を記録し、2010年には速球主体のピッチングで[212]チームメイトからは「メジャー4年間で最高の球威だ」との評価を得ていた[213]。
しかし、トミー・ジョン手術から復帰した2012年以降は平均球速90.1 mph(約145 km/h)、最速95 mph[214](約153 km/h)と球速が下がり、カーブの投球割合を増やし緩急をつける投球スタイルとなった[215][216][217][218]。右肩関節唇の手術から復帰した2016年以降はさらに球威が落ち、球速は最速でも147 km/hにとどまっている[219]。
被ウェルヒット率(アウト、ヒットにかかわらず打者にいい当たりを打たれた率)とストライクの空振り率では優秀な数値を残し、ボールの質はメジャーでも高いレベルにあると評価されていたが[220]、速球のコマンド(狙ったスポットに投げる能力)に難があり[221]、与四球率が高い。2006年から2010年にかけてはストライドがやや狭まったこと以外に投球動作に大きな変化はないが[222]、リリースポイントで頭が動く事[203]、下半身が安定せず上下動が激しいことがコントロールの極端さを生んでいると指摘されていた[223]。
スタミナも豊富であり150球を大きく超える投球数をたびたび記録している[224]。松坂当人も「投げるのが大好き」と語っており、これにより投球の練習がハードでも苦ではなかったとも述べている[225]。
高校時代の指導者である小倉は、松坂は変化球の覚えは早く、直球の制球力は悪かったと評している[226]。また、肩を作るのが非常に早いタイプでもあった[227]。
鈴木健は2021年12月31日公開分の『フルタの方程式』で「左投手のような球道」と評していた[228]。
日本球界に復帰後は、直球を投げる比率が下がったため技巧派に転向したと評されたが、松坂はそれについては否定的である[229]。
しかしそれに対して野村克也は入団当時から松坂を本格派より技巧派と評している[230]。
ジャイロボール論争[編集]
レッドソックス移籍前後、メジャーリーグスカウトの「マツザカはジャイロボールを投げる」という噂が話題となる[231][232]。
本人は当初ジャイロボールに関して「何を指してジャイロと言われているのかわからない」と語り[233]、実際は持ち味の一つであるカットボールの抜け球のことであったが[234]、レッドソックス移籍当初は「あると思わせていればいいんじゃないですか」と答えていた[235]。
守備・打撃[編集]
フィールディングに優れ[236][237]、NPB在籍8年間(西武時代)のうち、資格を得ていた7年すべてでゴールデングラブ賞を獲得した(2002年のみ投球回・試合数の不足のため同賞の有資格者ではなかった)。MLB時代は2014年までの通算DRS-9を記録している。松坂は、後の小倉清一郎との対談で高校時代に小倉がフィールディング、牽制、クイックなどを徹底的に仕込んでくれたからプロ入り後は投げるだけに専念すれば良かったと答えており、小倉に感謝している[238]。
打撃が好きなことを公言しており[211]、西武時代は気分転換もかねて打撃練習もトレーニングに取り入れていたが、レッドソックス移籍後はインターリーグ時でしか打撃練習を許されなかった[239]。
高校時代は4番の打順に入っていた時期もあり、高校通算14本塁打を記録。2000年8月7日のオリックス戦では、9回二死満塁の場面で代打として登場。栗山聡からファウルで粘った後の7球目を中堅前安打し、2打点を挙げた[240]。2002年の日本シリーズでは、当時の監督の伊原春樹は投手を8番に置き、9番打者をシーズン同様に高木浩之とすることを示唆していたが、松坂には7番を打たせた。2006年6月9日のセ・パ交流戦・阪神戦(甲子園)では、8回表二死三塁の場面でダーウィン・クビアンの150 km/hの高めのボール球を叩いて2点本塁打[241]。DH制施行後、パ・リーグの投手としては4人目の記録となった。レッドソックス移籍後の2007年6月10日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でランディ・ジョンソンから2打席2三振を喫し、6月22日のサンディエゴ・パドレス戦でも、グレッグ・マダックスを相手に2打席とも内野ゴロに倒れ、1年目のレギュラーシーズンは無安打に終わった。しかし、ワールドシリーズ第3戦のロッキーズ戦で、3回表二死満塁の場面でジョシュ・フォッグの初球を叩き、メジャー移籍後初安打を記録し2打点を挙げた。ワールドシリーズでレッドソックスの投手が2打点を挙げたのはサイ・ヤング、ベーブ・ルースに続いて史上3人目だった。また、日本球界復帰後の2018年にはマルチ安打を記録した。
引退後になっても打撃の話が出るたびに「スイングを見たい」とファンからいわれることがあるなど、打力の凄さは引退した後になっても認められている[242]。
人物・エピソード[編集]
素直で嫌味がなく人懐っこい性格[243]。
同世代では幼馴染みの小谷野栄一[244]、高校時代のチームメイト・小池正晃、後藤武敏、小山良男[245]、西武同期入団の赤田将吾[246]、高校時代から対戦している平石洋介[247][248]、村田修一らと親交深い[249]。先輩ではデニー友利[250]、石井貴[251]、帆足和幸らと親しい[252]。その他著名人では、高校時代に甲子園で投げ合った日本テレビアナウンサーの上重聡[253]、高校時代の先輩でバッテリーを組んだ俳優の上地雄輔[254]、俳優の妻夫木聡[255]、EXILEのATSUSHIらと親しい[256]。
尊敬する投手は江戸川南シニアおよび横浜高校の先輩である松井光介。松井は松坂を「高校の頃から25年以上たっても、挨拶をしてくれるかわいい後輩。人に好かれるタイプの人間だからこそ、一つの世代を築けたと思う」「『松坂大輔の尊敬する人』って言われますけど、僕が尊敬してる。僕の方が憧れがあります。だって、すごいピッチャーじゃないですか」と語っている[257]。
西武入団時には「大輔フィーバー」と呼ばれる社会的現象を起こし、高知キャンプでは日曜、祝日に松坂目当ての1万5000人を超すファンが詰めかけた。混乱を恐れた現場では、体形の似ていた同僚の谷中真二が松坂のユニホームを着て影武者となり、その隙に松坂は別口から移動していた[258]。
2018年9月22日に行われた対DeNA戦(横浜)は、横浜高校および西武時代のチームメイト・後藤武敏の引退試合であり、松坂は同じく高校のチームメイト・小池正晃と共に花束贈呈を行い、抱擁と握手を交わした。さらに、後藤がグラウンドを一周をする際も、松坂は三塁ベンチから見守り、最後の胴上げにも参加している[259]。
プロ初登板となった1999年4月7日の日本ハム戦にて、1回の松坂の投球を見ていた潮崎哲也が「そのペースじゃ9回もたねえぞ」と声をかけたが、これに松坂は「大丈夫です、力入れて投げたのは最後の1球だけですから」と返答し、最終的に8回を投げ、被安打5、9奪三振でプロ初勝利を記録した[260]。
2012年4月、同学年で高校時代から対戦していた大西宏明が引退後に焼肉店を開店したと聞くと、すぐさま彼にレッドソックス時代のユニフォームを送った。その後は店内のガラスケースに飾られている[261]。
中日移籍初年度の2018年6月17日の古巣である対埼玉西武ライオンズ第3回戦(メットライフドーム)は先発投手として予告されていたものの、試合開始15分前に背中の違和感を訴え急遽回避[262][注 6]。以降松坂は対埼玉西武戦における登板機会が一度も訪れなかったため、結果的に消滅した大阪近鉄バファローズを含む「13球団勝利」の記録を達成することはできなかった[注 7]。
前述のとおり、アマチュア時代に選抜高等学校野球大会と全国高等学校野球選手権大会を、NPB在籍時にパシフィック・リーグと日本シリーズを、MLB時代にアメリカンリーグとワールドシリーズを優勝しているが、これら全てで優勝しているのは松坂ただ1人である。また、これら全てで勝利投手となっているのも松坂ただ1人である(2023年現在)。 他にも国民体育大会、AAAアジア野球選手権大会(アマチュア時代)、ワールド・ベースボール・クラシック(NPB, MLB在籍時)などの大舞台でも優勝している。
プロボクシング世界4階級制覇・2階級4団体統一を果たした井上尚弥の異名である「モンスター」は所属する大橋ボクシングジムの会長である大橋秀行の高校の後輩に当たる松坂にあやかって付けられたものである[263]。
松坂世代[編集]
松坂大輔と同学年の選手には、投手を中心にプロで活躍する逸材が揃っており、総称して「松坂世代」と呼ばれている。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 西武 | 25 | 24 | 6 | 2 | 0 | 16 | 5 | 0 | -- | .762 | 743 | 180.0 | 124 | 14 | 87 | 1 | 8 | 151 | 5 | 2 | 55 | 52 | 2.60 | 1.17 |
2000 | 27 | 24 | 6 | 2 | 0 | 14 | 7 | 1 | -- | .667 | 727 | 167.2 | 132 | 12 | 95 | 1 | 4 | 144 | 2 | 0 | 85 | 74 | 3.97 | 1.35 | |
2001 | 33 | 32 | 12 | 2 | 1 | 15 | 15 | 0 | -- | .500 | 1004 | 240.1 | 184 | 27 | 117 | 1 | 8 | 214 | 9 | 1 | 104 | 96 | 3.60 | 1.25 | |
2002 | 14 | 11 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | -- | .750 | 302 | 73.1 | 60 | 13 | 15 | 1 | 7 | 78 | 2 | 1 | 30 | 30 | 3.68 | 1.02 | |
2003 | 29 | 27 | 8 | 2 | 1 | 16 | 7 | 0 | -- | .696 | 801 | 194.0 | 165 | 13 | 63 | 2 | 9 | 215 | 4 | 0 | 71 | 61 | 2.83 | 1.17 | |
2004 | 23 | 19 | 10 | 5 | 0 | 10 | 6 | 0 | -- | .625 | 601 | 146.0 | 127 | 7 | 42 | 0 | 6 | 127 | 5 | 0 | 50 | 47 | 2.90 | 1.16 | |
2005 | 28 | 28 | 15 | 3 | 3 | 14 | 13 | 0 | 0 | .519 | 868 | 215.0 | 172 | 13 | 49 | 0 | 10 | 226 | 9 | 0 | 63 | 55 | 2.30 | 1.03 | |
2006 | 25 | 25 | 13 | 2 | 2 | 17 | 5 | 0 | 0 | .773 | 722 | 186.1 | 138 | 13 | 34 | 0 | 3 | 200 | 5 | 0 | 50 | 44 | 2.13 | 0.92 | |
2007 | BOS | 32 | 32 | 1 | 0 | 1 | 15 | 12 | 0 | 0 | .555 | 874 | 204.2 | 191 | 25 | 80 | 1 | 13 | 201 | 5 | 0 | 100 | 100 | 4.40 | 1.32 |
2008 | 29 | 29 | 0 | 0 | 0 | 18 | 3 | 0 | 0 | .857 | 716 | 167.2 | 128 | 12 | 94 | 1 | 7 | 154 | 5 | 0 | 58 | 54 | 2.90 | 1.32 | |
2009 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | 0 | .400 | 283 | 59.1 | 81 | 10 | 30 | 1 | 2 | 54 | 8 | 0 | 38 | 38 | 5.76 | 1.87 | |
2010 | 25 | 25 | 0 | 0 | 0 | 9 | 6 | 0 | 0 | .600 | 664 | 153.2 | 137 | 13 | 74 | 1 | 8 | 133 | 4 | 0 | 84 | 80 | 4.69 | 1.37 | |
2011 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 167 | 37.1 | 32 | 4 | 23 | 0 | 1 | 26 | 0 | 0 | 24 | 22 | 5.30 | 1.47 | |
2012 | 11 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | .125 | 215 | 45.2 | 58 | 11 | 20 | 0 | 3 | 41 | 3 | 0 | 43 | 42 | 8.28 | 1.71 | |
2013 | NYM | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 166 | 38.2 | 32 | 4 | 16 | 0 | 5 | 33 | 0 | 0 | 21 | 19 | 4.42 | 1.24 |
2014 | 34 | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | 3 | .500 | 359 | 83.1 | 62 | 6 | 50 | 5 | 6 | 78 | 6 | 0 | 38 | 36 | 3.89 | 1.34 | |
2016 | ソフトバンク | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 10 | 1.0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 2 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | 18.00 | 5.00 |
2018 | 中日 | 11 | 11 | 0 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | .600 | 253 | 55.1 | 50 | 5 | 32 | 0 | 5 | 51 | 1 | 0 | 25 | 23 | 3.74 | 1.48 |
2019 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 32 | 5.1 | 12 | 0 | 2 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 10 | 10 | 16.88 | 2.63 | |
2021 | 西武 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1 | 0.0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- |
NPB:12年 | 219 | 204 | 72 | 18 | 7 | 114 | 65 | 1 | 0 | .637 | 6064 | 1464.1 | 1167 | 117 | 539 | 6 | 65 | 1410 | 43 | 4 | 548 | 494 | 3.04 | 1.17 | |
MLB:8年 | 158 | 132 | 1 | 0 | 1 | 56 | 43 | 1 | 3 | .566 | 3444 | 790.1 | 721 | 85 | 387 | 9 | 45 | 720 | 31 | 0 | 406 | 391 | 4.45 | 1.40 |
- 各年度の太字はリーグ最高
MLBポストシーズン投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
シ リ | ズ |
登 板 |
先 発 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ | ブ |
ホ | ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ | ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | BOS | ALDS | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 24 | 4.2 | 7 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 3 | 3 | 5.79 | 2.14 |
ALCS | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 42 | 9.2 | 12 | 1 | 2 | 0 | 1 | 9 | 2 | 0 | 6 | 6 | 5.59 | 1.45 | ||
WS | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 23 | 5.1 | 3 | 0 | 3 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 | 3.38 | 1.13 | ||
2008 | ALDS | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 26 | 5.0 | 8 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 3 | 5.40 | 2.20 | |
ALCS | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 48 | 11.0 | 9 | 3 | 6 | 0 | 0 | 11 | 1 | 0 | 5 | 5 | 4.09 | 1.36 | ||
出場:2回 | 7 | 7 | 3 | 1 | 0 | 0 | .750 | 163 | 35.2 | 39 | 4 | 17 | 0 | 1 | 33 | 4 | 0 | 19 | 19 | 4.79 | 1.57 |
WBCでの投手成績[編集]
年 度 |
代 表 |
登 板 |
先 発 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ | ブ |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ | ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 日本 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 50 | 13.0 | 8 | 1 | 3 | 0 | 2 | 10 | 0 | 1 | 2 | 2 | 1.38 |
2009 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 60 | 14.2 | 14 | 2 | 5 | 0 | 0 | 13 | 1 | 0 | 4 | 4 | 2.45 |
タイトル[編集]
- NPB
- 最多勝利:3回(1999年 - 2001年) ※3回は稲尾和久、野茂英雄、涌井秀章に次ぐパ・リーグ4位タイ。3年連続は野茂英雄に次ぐパ・リーグ2位タイ、新人から3年連続は野茂に次ぐ歴代2位
- 最優秀防御率:2回(2003年、2004年)※2年連続は稲尾和久、山本由伸に次ぐパ・リーグ3位タイ
- 最多奪三振:4回(2000年、2001年、2003年、2005年)
表彰[編集]
- NPB
- 沢村栄治賞:1回(2001年) ※勝率5割での受賞は歴代最低記録
- 新人王(1999年)
- ベストナイン:3回(投手部門:1999年 - 2001年) ※3年連続ベストナインは投手最長タイ記録(他は稲尾和久・山本由伸)
- ゴールデングラブ賞:7回(投手部門:1999年 - 2001年、2003年 - 2006年) ※パ・リーグ投手記録
- JA全農Go・Go賞:3回(最多奪三振賞:2003年5月、2005年5月、2006年5月)
- オールスターゲームMVP:1回(2004年第1戦)
- パ・リーグ 連盟特別表彰:2回(会長特別賞:2000年[注 8]、功労賞:2021年)
- カムバック賞:1回(2018年)
- パ・リーグ功労賞(2021年)[264]
- MLB
- Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(先発投手部門:2007年)[265]
- その他
- WBC最優秀選手:2回(2006年、2009年)
- 日本プロスポーツ大賞
- 大賞:1回(1999年)
- 殊勲賞:1回(2007年)
- 40周年特別賞 マルハン杯(2007年)
- 報知プロスポーツ大賞:1回(1999年)
- 毎日スポーツ人賞
- ファン賞:1回(1999年)
- 国際賞:1回(2007年)
- 日本PR大賞スポーツ部門賞(1999年)
- ナンバーMVP賞:1回(1999年)
- 彩の国スポーツ功労賞:2回(2000年、2004年) ※受賞者第1号
- 所沢市特別顕彰:2回(2004年、2006年)[266]
- 速玉賞(2007年)[267]
記録[編集]
NPB[編集]
- 初記録
- 投手記録
- 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:1999年4月7日、対日本ハムファイターズ2回戦(東京ドーム)、8回5安打2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に井出竜也から
- 初完投:1999年4月14日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(西武ドーム)、9回3安打2失点で敗戦投手
- 初完投勝利・初完封勝利:1999年4月27日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(西武ドーム)
- 初セーブ:2000年5月9日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(西武ドーム)、7回表に2番手として救援登板・完了、3回無失点
- 打撃記録
- 初打席・初安打・初打点:2000年8月7日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回表に栗山聡から中前2点適時打
- 初本塁打:2006年6月9日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、8回表にダーウィン・クビアンから左中間越2ラン
- 節目の記録
- 1000投球回:2004年9月17日、対福岡ダイエーホークス25回戦(福岡ドーム)、7回裏三死目に荒金久雄を三振で達成 ※史上299人目
- 1000奪三振:2005年5月18日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に金本知憲から ※史上114人目
- 100勝:2006年6月16日、対横浜ベイスターズ4回戦(インボイスSEIBUドーム)、9回3安打3失点 ※史上120人目(191試合目での達成はドラフト制導入後最速記録)
- その他の記録
- 1イニング4奪三振:2004年9月17日、対福岡ダイエーホークス25回戦(福岡ドーム)、6回裏に松中信彦(振り逃げ)・城島健司・フリオ・ズレータ・大道典嘉から ※史上10人目
- オールスターゲーム出場:7回(1999年 - 2001年、2004年 - 2006年、2018年) ※2002年と2003年は負傷により出場辞退
NPB/MLB通算[編集]
- 節目の記録
- 2000奪三振:2014年4月20日(日本時間21日)
背番号[編集]
- 18(1999年 - 2012年、2015年 - 2017年、2019年、2021年10月14日 - 同年終了)
- 16(2013年 - 2014年、2020年 - 2021年10月13日)
- 99(2018年)
登場曲[編集]
- 「ROCK STAR」THE SECOND from EXILE(2015年 - 2016年)
- 「キミシダイ列車」ONE OK ROCK(2017年、2020年 - 2021年)[268]
- 「RED SOUL BLUE DRAGON feat. DOBERMAN INFINITY, JAY'ED, MABU」RED DIAMOND DOGS(登板時)(2018年 - 2019年)
- 「This is Me(映画「グレイテスト・ショーマン」より)」キアラ・セトル & The Greatest Showman Ensemble(打席時)(2018年 - 2019年)
代表歴[編集]
- 2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表
- 2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
関連情報[編集]
野球以外での表彰[編集]
- ファッション関連
- 日本ジュエリーベストドレッサー賞 特別賞(2008年)
- その他
出演[編集]
ニュース・報道番組[編集]
バラエティ番組[編集]
- ジャンクSPORTS(フジテレビ系、2021年12月12日)[272]
- 出川哲朗の充電させてもらえませんか?(2022年4月9日、テレビ東京)- 「春がきた! 絶景の相模湾をぐるっと三浦半島からゴールは箱根の<富士見>露天風呂ですが…ナント松坂大輔と劇団ひとりが初参戦! 哲朗タジタジでヤバいよヤバいよSP」
- GOLF MONSTER〜松坂大輔 ゴルフ界の怪物へ〜(2024年4月7日 - 4月28日〈全4回〉、BS12 トゥエルビ)[273][274]
CM[編集]
- キリンビバレッジ「Speed」(2000年) - 松坂とキリンが共同開発したスポーツドリンク[275](販売終了)
- 全日本空輸
- 日立製作所
- カシオ計算機
- ミズノ
- 上記5社は2000年1月1日から1年間、広告出演契約を結んでいた(契約日は1999年12月13日)契約金は4億円に上ったという。[要出典]
- トヨタ トビラを開けようキャンペーン『VSC篇』(2007年1月 - )
- アサヒビール「アサヒスーパードライ」
- 松坂大輔メジャーリーグへの挑戦篇(2007年1月22日 - )
- 松坂大輔豪速球篇(2007年4月20日 - )
- コカ・コーラ「アクエリアス」『ドライレイク篇』(2007年3月 - )
- ナイキ(2007年4月 - )
- 興和「バンテリンコーワ」『おれのバンテリン。』編(2009年6月 - )
- サントリー「伊右衛門」 - 本木雅弘、宮沢りえ、村田修一と共演
- キリンビール「キリン一番搾り生ビール」『ビール、飲みませんか 松坂大輔×斎藤佑樹』篇(2022年2月17日 - ) - 斎藤佑樹と共演[276]
- スカパーJSAT「スカパー! プロ野球」(2022年3月 - )[277]
- マイナンバーカード「マイナポイント第2弾」(2022年6月 - )飯尾和樹、舘ひろし、深川麻衣、新庄剛志と共演
- ソニー生命保険『野球の神様に愛された男』篇(2022年12月 - )[278]
PV[編集]
- 「real world」EXILE(第二章撮り直しバージョン/ベストアルバムEXILE CATCHY BESTのDVD付きの方のDVDに収録)
- 「Take me out to the ball game〜あの・・一緒に観に行きたいっス。お願いします!〜」遊助(友情出演)[279]
- 「RED SOUL BLUE DRAGON」RED DIAMOND DOGS feat. DOBERMAN INFINITY, JAY'ED, MABU[280][281]
関連書籍[編集]
- 江夏豊著『松坂大輔へ:江夏豊からのメッセージ』(中央公論新社、2000年3月、ISBN 9784120029813)
- 江尻良文・瀬川ふみ子共著『松坂大輔:世界のエースが歩んだ道』(日本文芸社、2007年3月、ISBN 9784537254839)
- 栗山英樹著『怪物前夜:“60億円の男”松坂大輔を育てた「嫌いにさせない」子育て術』(東京学参、2007年3月、ISBN 9784808007737)
- 吉井妙子著『夢を見ない男:松坂大輔』(新潮社、2007年3月、ISBN 9784104530021/新潮文庫、2010年3月、ISBN 9784101305912)
- 渡辺元智著『ひたむきに:松坂大輔、“超一流”への道』(双葉社、2007年3月、ISBN 9784575299632)
- 小野俊哉著『松坂大輔がメジャーNo.1投手になるこれだけの理由:データは野球を雄弁に語る』(洋泉社、2007年4月、ISBN 9784862481412)
- 古内義明著『松坂大輔に120億円の価値はあったのか』(成美文庫、2007年11月、ISBN 9784415400525)
- 林壮行著『松坂大輔のDNA』(アスコム、2007年11月、ISBN 9784776204787)
- 本間正夫著『松坂大輔:メジャーへの挑戦!』(汐文社、2007年11月、ISBN 9784811384061)
- 吉井妙子著『松坂大輔の直球主義』(朝日新聞社、2007年12月、ISBN 9784022503510)
- イアン・ブラウン著、メイン裕子翻訳『1億ドルの男:松坂大輔の1年』(武田ランダムハウスジャパン、2007年12月、ISBN 9784270002957)
- 石田雄太著『声:松坂大輔メジャー挑戦記』(集英社、2008年3月、ISBN 9784087804874)
- 石田雄太著『松坂大輔メジャー物語:世界一に輝いた』(学習研究社、2008年3月、ISBN 9784052029691
- 長谷川晶一著『1999年の松坂大輔:歴史を刻んだ男たち』(主婦の友社、2018年4月、ISBN 9784074296774)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ ただし、当時の監督であった渡辺元智は、要領が良く決められた練習時間の中で集中してやっていたと評しており、サボリ魔という評には否定的である。また、この頃から横浜高校が個人練習を重視するようになったとのこと[12]。
- ^ しかし、甲子園で初めて150 km/hを投じたのは中山裕章とも言われている[15]。しかしながら厳密には、甲子園で最初に150 km/hを投じたのは新垣渚である[16]
- ^ 夏の甲子園でのノーヒットノーラン達成者は2021年現在まで松坂が最後
- ^ 渡辺監督、小倉部長が地元球団であり、OBも複数在籍している横浜入りを目論んでいた[21]。
- ^ 西武復帰時には多和田真三郎が18番を着用していたが、2020年オフに育成契約を行い、118番に変更したことで、この年は開幕時より空き番となっていた。
- ^ 代わりに先発登板した藤嶋健人(この試合が一軍初先発)は6回2失点でプロ初勝利を挙げた。
- ^ 2022年の開幕前時点において同記録を達成できる可能性がある投手は同学年の福岡ソフトバンク・和田毅ただ一人となったが、NPB他球団に移籍し対福岡ソフトバンク戦に登板して勝利を挙げることが条件。
- ^ シドニーオリンピック出場による
出典[編集]
- ^ “松坂大輔、『報道ステーション』スポーツキャスターに就任!解説者としてのキャリアをスタート”. テレ朝POST (2022年1月29日). 2022年8月31日閲覧。
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- ^ 【1/5回】小池正晃/松坂大輔、後藤武敏らと掴んだ甲子園春夏連覇・しかし甲子園で活躍できずにプロ入りを諦めかけていた過去 - YouTube
- ^ “平成の怪物は「光栄」 プロ20年目、松坂大輔投手【平成インタビュー】”. 時事ドットコム. 2022年2月21日閲覧。
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- ^ 本人は桑田清原の影響で巨人と西武のファンだったが、周囲から横浜入りを期待され続けていた事で自分自身もそういう気持ちになっていたと述べている。 2008年12月29日『中居正広 プロ野球革命 2008』WP:TVWATCH
- ^ “松坂の本心は「即プロ」 拒否から一転西武入団”. 東京スポーツ (2020年6月24日). 2021年5月30日閲覧。
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- ^ 松坂、7千万円で契約更改 新人で過去最高のアップ 朝日新聞
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- ^ a b HOT TOPIC 脅威の4億5000万円ダウン……年俸額の上下動が激しかった選手たちとは? 週刊ベースボール 2019年12月2日
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- ^ 松坂大丈夫か…フリー打撃登板を再延期日刊スポーツ、2010年3月15日。
- ^ 松坂、田沢DL入り、開幕メンバー外れる日刊スポーツ、2010年4月4日。
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- ^ 松坂悪夢の5回、6失点で今季初登板KO日刊スポーツ、2010年5月3日。
- ^ 松坂笑顔なき初勝利「修正できなかった」日刊スポーツ、2010年5月8日。
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関連項目[編集]
- 東京都出身の人物一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- オリンピックの野球競技・メダリスト一覧
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 M
- 日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 松坂大輔 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 松坂大輔 公式ウェブサイト
- 松坂 大輔 (@matsu_dice) - X(旧Twitter)
- 松坂大輔 official YouTube - YouTubeチャンネル
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- 在アメリカ合衆国日本人の野球選手
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- パシフィック・リーグ最優秀新人 (NPB)
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- 野球解説者
- 1980年生
- 存命人物