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'''カルロス・スペンサー'''または'''カーロス・スペンサー'''(carloss spencer またはcarloss'''KING'''spencer [[1975年]][[10月14日]]-)は[[ニュージーランド]]の[[ラグビー]]選手。
'''カルロス・スペンサー'''または'''カーロス・スペンサー'''(Carlos Spencer, またはCarlos“'''KING'''”Spencer, [[1975年]][[10月14日]] - )は[[ニュージーランド]]の[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手。身長185cm、体重96kg。ポジションは[[スタンドオフ]]。愛称は「キング」


== 来歴 ==
元ニュージーランド代表[[オールブラックス]]のメンバーである。総キャップ数は35キャップ。
[[ファイル:Carlos Spencer.jpg|right|thumb|160px|カルロス・スペンサー]]
元ニュージーランド代表[[オールブラックス]]のメンバーである。キャップ数は44、291ポイント、14トライ。代表デビューは1995年の欧州ツアー(仏伊)で、当時の正スタンドオフである[[アンドリュー・マーテンズ]]の代わりとして出場することが多かった。オールブラックスでは試合前に披露する[[ハカ (ダンス)|ハカ]]のリード選手に起用された。


1993年から2004年まで[[ニュージーランド州代表選手権|NPC]](エア・ニュージーランドカップ)オークランド所属。1996年から2005年まで[[スーパー14]][[ブルース (ラグビー)|ブルース]]所属。
現在は、[[イギリス]][[プレミアシップ]]の[[ノーサンプトン・セインツ]](Northampton Saints)所属の[[スタンドオフ]]である。


正スタンドオフとしてその地位を確固たる物としたのは2003年の[[ラグビーワールドカップ2003|ワールドカップ]]であった。精密機器のごとく正確なパスを供給するマーティンズとは対照的に、天才肌のスペンサーは変幻自在なパスを供給。WTB陣はスペンサーから供給されるパスに合わせ攻撃編成を組み立てる。ワールドカップ準決勝対オーストラリア戦ではワラビーズに戦術攻略をされパスの供給に失敗。攻撃陣と息が合わず準決勝敗退。
代表デビューは1995年の欧州ツアー(仏伊)で、当時の正スタンドオフである[[アンドリュー・マーテンズ]]の代わりとして出場することが多かった。


2004年8月のラグビーオーストラリア代表[[ワラビーズ]]戦を最後に代表引退。
正スタンドオフとしてその地位を確固たる物としたのは2003年。
この年のワールドカップでは、多彩なプレーで観客を魅了し、また同時にラグビーの多彩な攻撃性を生み出したと言っても過言ではない。


2005年に[[プレミアシップ (ラグビー)|プレミアシップ]]のノーサンプトン・セインツに移籍し2009年まで在籍。2009年 - 2010年シーズンは同リーグ・グロスターラグビーへ移籍。2010年 - 2011年シーズンは南アフリカのライオンズに所属し5年ぶりにスーパー14に復帰した。


また、2007年5月9日、12日に開催された[[ラグビー日本代表|日本代表]] x [[クラシック・オールブラックス]]には、2戦とも参加。この試合では[[ラグビーのポジション#フルバック|フルバック]]として参加し、クラシック・オールブラックスの勝利に貢献した。
2004年8月の[[オーストラリア]]代表である[[ワラビーズ]]戦を最後に代表引退。


引退後、ライオンズ(2012年)、シャークス(2013年)、キングス(2014年)、2016年から2018年にかけて、ジャパンラグビーリーグ1部だった宗像サニックスブルース、2019年から2021年は、ハリケーンズ、2022年からは米国 NOLAゴールドでコーチとして、活躍した。
その後、それまで所属した[[オークランド]]・[[ブルーズ]]を去り、英・[[プレミアシップ]]の[[ノーサンプトン・セインツ]]に移籍した。


== 関連項目 ==
*[[ブルーズ (ラグビー)|ブルーズ]]
*[[ラグビーニュージーランド代表]]


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2024年5月29日 (水) 09:11時点における最新版

カルロス・スペンサーまたはカーロス・スペンサー(Carlos Spencer, またはCarlos“KING”Spencer, 1975年10月14日 - )はニュージーランドラグビー選手。身長185cm、体重96kg。ポジションはスタンドオフ。愛称は「キング」。

来歴

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カルロス・スペンサー

元ニュージーランド代表オールブラックスのメンバーである。キャップ数は44、291ポイント、14トライ。代表デビューは1995年の欧州ツアー(仏・伊)で、当時の正スタンドオフであるアンドリュー・マーティンズの代わりとして出場することが多かった。オールブラックスでは試合前に披露するハカのリード選手に起用された。

1993年から2004年までNPC(エア・ニュージーランドカップ)オークランド所属。1996年から2005年までスーパー14ブルース所属。

正スタンドオフとしてその地位を確固たる物としたのは2003年のワールドカップであった。精密機器のごとく正確なパスを供給するマーティンズとは対照的に、天才肌のスペンサーは変幻自在なパスを供給。WTB陣はスペンサーから供給されるパスに合わせ攻撃編成を組み立てる。ワールドカップ準決勝対オーストラリア戦ではワラビーズに戦術攻略をされパスの供給に失敗。攻撃陣と息が合わず準決勝敗退。

2004年8月のラグビーオーストラリア代表ワラビーズ戦を最後に代表引退。

2005年にプレミアシップのノーサンプトン・セインツに移籍し2009年まで在籍。2009年 - 2010年シーズンは同リーグ・グロスターラグビーへ移籍。2010年 - 2011年シーズンは南アフリカのライオンズに所属し5年ぶりにスーパー14に復帰した。

また、2007年5月9日、12日に開催された日本代表 x クラシック・オールブラックスには、2戦とも参加。この試合ではフルバックとして参加し、クラシック・オールブラックスの勝利に貢献した。

引退後、ライオンズ(2012年)、シャークス(2013年)、キングス(2014年)、2016年から2018年にかけて、ジャパンラグビーリーグ1部だった宗像サニックスブルース、2019年から2021年は、ハリケーンズ、2022年からは米国 NOLAゴールドでコーチとして、活躍した。

関連項目

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