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'''和田 アキ子'''('''わだ あきこ'''、本名・'''飯塚 現子 いいづか あきこ'''、旧姓・和田、[[1950年]][[4月10日]]-)は、[[大阪府]][[大阪市]]出身の、[[日本人]]の[[R&B]][[歌手]]。[[ホリプロ]]所属。愛称は「アッコ」、「アコ」。
{{別人|和田あき子|x1=ロシア文学者の}}
==概要==
{{Infobox Musician<!-- Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照 -->
[[1968年]][[10月25日]]に「星空の孤独」でレコード[[デビュー]]。キャッチ・コピーは「和製[[リズム・アンド・ブルース]]の女王」。このデビュー曲は話題にならなかったが、2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」がヒットし、人気歌手の仲間入りをした。
|名前 = 和田 アキ子
|画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
|画像説明 = <!-- 画像の説明文 -->
|画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
|画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
|背景色 = singer
|出生名 = 金 福子(キム・ポクジャ、{{Lang|ko|김 복자}})
|別名 = 和田 現子(わだ あきこ、帰化後の[[旧姓]])<br />飯塚 現子(いいづか あきこ、再婚後の本名)<!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません -->
|出生 = {{生年月日と年齢|1950|4|10}}
|出身地 = {{JPN}}・[[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]][[舟橋町 (大阪市)|舟橋町]]
|死没 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
|学歴 = [[城星学園小学校・ヴェリタス城星学園高等学校|城星学園高等学校]]中途退学
|ジャンル = [[リズム・アンド・ブルース|R&B]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]、[[歌謡曲]]、[[ジャズ]]、[[J-POP]]
|職業 = [[歌手]]、[[タレント]]、[[司会]]者、[[俳優#性別での分類|女優]]、[[ラジオパーソナリティ]]、[[実業家]]
|担当楽器 =
|活動期間 = [[1968年]] -
|レーベル = [[RCAレコード]]([[1968年]] - [[1974年]])<br />[[BMG JAPAN|RVC]]([[1975年]] - [[1978年]])<br />[[ワーナーミュージック・ジャパン|ワーナー・パイオニア]]([[1979年]] - [[1991年]])<br />[[ワーナーミュージック・ジャパン]](1991年 - [[2001年]])<br />[[テイチクエンタテインメント|テイチクレコード]](2001年 - [[2006年]])<br />[[テイチクエンタテインメント|ユニオンレコード]]([[2007年]] - [[2021年]])<br />[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]](2021年 - )
|事務所 = [[ホリプロ]]
|共同作業者 =
|公式サイト = [http://www.akofc.com/ Ako's official web site]
|メンバー =
|旧メンバー =
}}


'''和田 アキ子'''(わだ アキこ、[[1950年]]〈[[昭和]]25年〉[[4月10日]]<ref name="djmeikan">{{Cite book ja|title=DJ名鑑 1987|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12276264/85}}|url-access=registration|publisher=[[三才ブックス]]|date=1987-02-15|page=168}}</ref> - )は、[[日本]]の[[歌手]]、[[タレント]]、[[司会]]者、[[俳優#性別での分類|女優]]、[[ラジオパーソナリティ]]。所属[[芸能事務所]]は株式会社[[ホリプロ]](在籍期間は女性タレント及び全体で最長)。所属レコード会社は[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]。
[[1972年]]の「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、[[日本レコード大賞]]最優秀歌唱賞を受賞。これは[[2001年]]に[[What's Love?]]によってカヴァーされた程のヒット曲である。


血液型は[[O型]]。本名は'''飯塚 現子'''(いいづか あきこ、旧姓:和田)。[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]として出生し、その後日本へ[[帰化]]。帰化前の本名は'''金 福子'''(キム・ポクジャ、{{Lang|ko|김 복자}})で、[[通名]]は'''金海 福子'''(かねうみ ふくこ)<ref name="otona" />。
姐御肌のキャラクターや、女性としては身長が高く(173cm)、[[靴]]のサイズが大きい(27cm)ことなどからデカい・コワい・強いというイメージで語られ、[[芸能界]]のボス的存在と言われる事もある。しかし、本人はこれを否定。デビュー当初はこの体型がもとで先輩から「態度がでかい!」といじめられていた。<!--「芸能界のご意見番と言われるようだがそんな風に言った事はない、言われているのなら返上する」とコメントした逸話あり--><br/>
また、強面イメージとは裏腹に動物が嫌いである。


[[愛称]]は'''アッコ'''(さん・ちゃん)、'''アコ'''(さん・ちゃん)、'''ゴッド姉'''(さん・ちゃん)。
とくに[[1973年]]に[[日本テレビ]]の『[[金曜10時!うわさのチャンネル]]』に出演。「ゴッド姉ちゃん」と呼ばれて、[[せんだみつお]]や[[湯原昌幸]]、[[ザ・デストロイヤー]]らとドタバタギャグを繰り広げた事で、このイメージは一挙に広まった。<br>
[[1981年]]に現在の夫である飯塚浩司と結婚。


== 略歴 ==
一方で、タレント好感度アンケートでは常に上位にランクされる。幅広い層に人気がありに視聴率を稼げることから新番組の第1回のゲストに呼ばれることも多い。
=== 幼少期 ===
天王寺区にある[[大阪市立真田山小学校]]を卒業後、[[城星学園小学校・ヴェリタス城星学園高等学校|私立城星学園中学校]]へ入学。そのまま[[城星学園小学校・ヴェリタス城星学園高等学校|私立城星学園高校]]に進学するも父親が勝手に退学届けを出したため、在学期間はわずか2、3日間で中途退学となった<ref name="5nenme">和田アキ子『5年目のハイヒール』扶桑社、1993年。ISBN 4-594-01265-5</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sirabee.com/2021/02/21/20162516081/ |title=和田アキ子、藤井聡太二冠の高校退学を惜しむ 「あと2ヶ月なのに…」 |publisher=ニュースサイトしらべぇ |date=2021-02-21 |accessdate=2021-06-09}}</ref>。


小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃から[[ジャズ喫茶]]やゴーゴークラブで歌い始める。174cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、[[ホリプロ]](当時の社名は「ホリプロダクション」で、小規模事務所だった)社長・[[堀威夫]]直々に[[スカウト (勧誘)|スカウト]]される。当時はグランプリズ([[夏夕介]]が在籍)という[[バンド (音楽)|バンド]]を組み、[[大阪市|大阪]]と[[神戸市|神戸]][[三宮]]で活動していたが実際にデビューできたのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。[[芸名]]の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は[[当て字]]である(詳しくは「[[人名#氏名の読み・表記・呼び方|氏名の読み]]」を参照)。
『[[森田一義アワー笑っていいとも!]]』の中のコーナー・テレフォンショッキングの最多出場ゲストとしても知られている([[2003年]][[8月19日]]放送分をもって15回目、テレフォンショッキングに登場していない年もあるが、15年もテレフォンショッキングに出演していることになる)。


=== 芸能活動 ===
[[紅白歌合戦]]終了後に新年の[[干支]]の被り物をして通路を通ることで有名。
デビュー当時のキャッチ・コピーは「'''和製[[リズム・アンド・ブルース]]の女王'''」<ref>{{Cite web|和書|title=本日4/10は“和製R&Bの女王”和田アキ子の誕生日【大人のMusic Calendar】 |url=https://news.1242.com/article/114875 |website=ニッポン放送 NEWS ONLINE |accessdate=2021-01-26}}</ref>。


[[1968年]]([[昭和]]43年)[[10月25日]]、「[[星空の孤独]]」でレコードデビュー<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004545.000001355.html |title=和田アキ子デビュー50周年をお祝いする2日間のお祭りが開催!世代やジャンルを超えた今を代表するアーティストが集う「ワダフェス」をWOWOWで12月放送決定! |publisher=株式会社WOWOWのプレスリリース |date=2018-09-15 |accessdate=2021-10-05}}</ref>。[[1969年]][[4月25日]](昭和44年)、2枚目のレコード「[[どしゃぶりの雨の中で]]」が17万枚のスマッシュヒットを記録する。
[[2003年]]に、[[久本雅美]]とユニット・[[ババロア@]]を結成して曲を出した。


[[1970年]](昭和45年)、20歳になり『女番長・野良猫ロック』([[日活]])で映画初主演を果たす。同年、「[[笑って許して]]」で[[日本放送協会|NHK]]『[[第21回NHK紅白歌合戦]]』に出場し、『[[NHK紅白歌合戦]]』初出場を果たす。紅白にはこれを含めて通算39回出場し、紅組司会を計3回、紅組トリを計7回(うち1回は大トリ)を務めた(2023年時点。紅白について詳しくは、[[#NHK紅白歌合戦出場歴|後述]])。
また、和田は動物嫌いで有名だが、「ルンバデブンブン」という名前の[[馬]]の[[馬主]]となっている。(本名の飯塚現子名義。)


[[1972年]](昭和47年)、「[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]」で[[第14回日本レコード大賞]]最優秀歌唱賞を受賞。[[1973年]](昭和48年)から[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]』に出演し、番組内で「'''ゴッド姉ちゃん'''」<ref group="注釈">当時、公開された映画[[ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー]]に由来。</ref>と呼ばれて人気を博した。以後、歌手業を続けながら様々なバラエティ番組にレギュラー出演した他、多数の冠番組などで司会者としても活躍。
また、[[占い師]]の[[細木数子]]に「今年は新曲を出すな」と言われていたが、[[2004年]][[8月25日]]愚かな女たちが発売される。


32歳の時に[[子宮癌]]により子宮を摘出し、この時は子供が出来なくなったショックで、神様を呪ったとのこと<ref>[https://web.archive.org/web/20161018232314/http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/22702/649008/] goo</ref>。
[[2004年]][[7月29日]]放送の「[[ナインティナインのオールナイトニッポン]]」で電話の件に対して[[ナインティナイン]]の[[岡村隆史]]にコメントを贈った。


[[1985年]](昭和60年)10月、生放送のバラエティ番組・[[TBSテレビ|TBS]]『[[アッコにおまかせ!]]』が放送を開始し、以後長年に渡り司会を担当(2024年現在)。
==代表曲==
* どしゃぶりの雨の中で[[1969年]][[4月25日]]
* 笑って許して[[1970年]][[3月25日]]
* あの鐘を鳴らすのはあなた[[1972年]][[3月25日]]
* 古い日記[[1974年]][[2月25日]]
* コーラスガール[[1978年]][[3月5日]]
* もう一度ふたりで歌いたい1987年[[6月25日]]
* 抱擁[[1988年]][[8月25日]]
* だってしょうがないじゃない[[1989年]][[4月25日]]


[[1987年]]度(昭和62年度)の[[日本女性放送者懇談会賞#1987年度|日本女性放送者懇談会賞]](現:放送ウーマン賞)を受賞した<ref>{{Cite web |url=https://sjwrt.com/award/winner_list.html |accessdate=2016-06-21 |title=歴代受賞者 |publisher=[[日本女性放送者懇談会]] SJWRT}}</ref>。
==出演==
===ドラマ===
*[[あんたがたどこさ]]
*[[ゴメンドーかけます!]]
*[[翔べ! 必殺うらごろし]](※主題歌も)
*[[スクール☆ウォーズ]](※「スクール☆ウォーズII」にも出演)
*[[ええにょぼ]] ([[連続テレビ小説]])
*[[14ヶ月・妻が子供に還っていく]](第1話のみ特別出演)


[[2005年]](平成17年)[[7月13日]]付の[[オリコンチャート]]で[[m-flo]]とのコラボレーション作品「Hey!」が初登場9位を記録し、自身33年ぶりとなるTOP10入りを果たす。
===バラエティー===
*[[アッコにおまかせ!]]
*[[新型テレビ]]
*[[8時です!みんなのマンダイ]]


[[2008年]](平成20年)、[[競艇]]([[日本モーターボート競走会]])のイメージキャラクターとなる。同年[[9月29日]]にはデビュー40周年記念として、[[ニューヨーク]]の[[アポロ・シアター]]で、日本人・東洋人のソロ歌手としては初となる単独公演「40th Anniversary Concert "Power&Soul"」を行った。
===ラジオ===
*[[ゴッドアフタヌーン!アッコのいいかげんに1000回]]
*[[アッコ・徳光の真夏の紅白歌合戦]]


[[2021年]](令和3年)4月より、所属レーベルをこれまでの[[テイチクエンタテインメント|テイチクエンタテインメント / ユニオンレコード]]から[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]に完全移籍。年内に新作のオリジナルアルバムを発売予定であることも発表された<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2189737/full/ 和田アキ子、ユニバーサル移籍 年内に実力派アーティスト楽曲提供のアルバムリリース] ORICON NEWS、2021年4月7日</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202104060000810.html 和田アキ子、レコード会社移籍「ドア開ける度に楽しみが」異色コラボも実現] 日刊スポーツ、2021年4月7日</ref>。[[フレデリック (バンド)|フレデリック]]提供の「[[YONA YONA DANCE]]」をリリース。[[TikTok]]内で5億再生を記録し<ref>{{Cite web |title=和田アキ子 「YONA YONA DANCE」5億回再生に「ないよ、この年で」と感謝 - 音楽 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202206180000422.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-07-30 |language=ja}}</ref>、TikTok流行語大賞2021 特別賞を受賞<ref>{{Cite web |title=「YONA YONA DANCE」「ヨワネハキ」……『TikTok流行語大賞』ノミネートからわかる流行と傾向 |url=https://realsound.jp/2021/11/post-912617.html |website=Real Sound|リアルサウンド |date=2021-11-27 |access-date=2024-07-30 |language=ja}}</ref>。
===映画===
*女番長!野良猫ロック
*花嫁戦争
*極道の妻たちⅡ
===CM===
*[[永谷園]]
*[[リーブ21]]
*[[東洋羽毛]]
==DVD==
*withyou~tomrrow (芸能生活35周年コンサート)
==著書==
*和田アキ子だ!文句あっか!
*和田アキ子の“バ・カ・ダ・ネ”―よせばいいのに言っちゃった―
*5年目のハイヒール
*啓示
==関連項目==
*[[森田公一]]「あの鐘を鳴らすのはあなた」
*[[レイ・チャールズ]]
*[[清原和博]] 友人
*[[ビートたけし]]
*[[明石家さんま]]
*[[タモリ]]
*[[久本雅美]] 友人
*[[ナインティナイン]]
*[[榊原郁恵]] 事務所の後輩
*[[板東英二]] 友人
*[[逸見政孝]] 元共演者
*[[徳光和夫]] 友人
*[[島田紳助]] 友人
*[[峰竜太]] アッコにおまかせ!司会
*[[生島ヒロシ]] アッコにおまかせ!元司会
*[[笑福亭鶴瓶]]
*[[ダウンタウン]]
*[[中居正広]]([[SMAP]])
*[[ふかわりょう]]
*[[出川哲朗]]


[[2023年]](令和5年)3月に[[meiyo]]提供の「KANPAI FUNK」をリリース。
==外部リンク==

*[http://www.akofc.com/ 和田アキ子] 公式
== 人物 ==
*[http://musicfinder.yahoo.co.jp/shop?d=p&cf=12&id=255468 YAHOO!JAPAN MUSIC] リスナーによる公正で的確な批評
=== 出身 ===
[[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]][[舟橋町 (大阪市)|舟橋町]]<ref group="注釈">[[生野区]]や[[東成区]]の境界付近。[[鶴橋駅]]・[[上町台地]]付近に位置している。</ref>。[[在日韓国・朝鮮人|朝鮮系日本人]]であり、帰化時の[[官報]]では[[1949年]](昭和24年)生まれとなっている。使用言語は、[[大阪弁]]を中心とした[[近畿方言|関西弁]]であり、[[標準語]]を使用することもある。

[[済州島]]出身者の父と、[[朝鮮半島]]出身者の母を持つ[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]2世で、当時の本名は金福子、[[通名]]は金海福子だった。4人兄弟の長女で、下に3人の弟がいる。父は[[柔道]]の師範で[[大阪環状線]][[鶴橋駅]]の近所にある自宅で柔道場「金海道場」を開き、母は乾物屋を営んでいた<ref name="otona" />。『週刊文春』のインタビューで、「『自分は日本人ではない』と知ったのは中学生の頃。区役所に行って分かった」と語っている<ref name="bunshu2005811" />。

芸能界デビュー時に、在日韓国人だと分かる名前をまずいと思った父親が、既に帰化していた和田の叔父の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となり、本人も日本に帰化した<ref name="bunshu2005811">中村竜太郎『[[週刊文春]]』2005年8月11/18日夏の特大号“実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”</ref>。

このような出自であるが、[[安倍晋三]]や父親の[[安倍晋太郎]]との友好関係<ref name=":0" />もあり、[[保守|保守的]]な思想が強く、[[2024年]]に発生した[[中国]]籍の男による[[靖国神社]]への落書き事件に怒りを露にするなどしている<ref>{{Cite web |title=和田アキ子激怒「許せない、バチ当たるよ」靖国神社落書き中国籍男に「日本では…」 - 芸能 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202406090000586.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-06-09 |language=ja |last=広部玄}}</ref>。また、同年6月に放送された『アッコにおまかせ!』では、[[小池百合子]]に好意的な発言をし、[[蓮舫|斉藤蓮舫]]を批判する発言を行った<ref>{{Cite web |title=和田アキ子『おまかせ』での発言が「露骨な小池擁護」と批判続出…問われる「政治的公平」にTBSが「示した回答」 |url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2342713/ |website=女性自身 |access-date=2024-07-03 |language=ja}}</ref>。

=== 学生時代 ===
父親は柔道の道場を開いており、和田の持ち前の大きな体もあり、中学1年生の頃すでに柔道初段だった。父親は礼儀作法・しつけに厳しく、全てのことは男性優先で男尊女卑、父の前では正座・敬語を使わなければいけないなどの厳しい家庭環境で、まだ小学生だった和田を殴りつけるなど、たびたび鉄拳制裁・暴力を加えられることもあった<ref group="注釈">和田曰く「理不尽なまでのスパルタ式のしつけ」。</ref>。当時の楽しみは、弟たちとホームドラマを観ることだった<ref name=" 「私の地図」20230909 ">週刊現代2023年9月9・16日号「私の地図」第564回・和田アキ子p68-70</ref>。

中学からミッションスクールに進学した<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>が、上記の理由により父を憎んで反発<ref name="otona" />。中学2年生の頃には不良[[番長]]として子分を従えて歩き、飲酒・喫煙を繰り返し、大阪[[ミナミ]]の繁華街を縄張りにし「'''ミナミのアコ'''」と呼ばれ恐れられていた<ref name="5nenme" /><ref name="bunshu2005811" />。

その後エスカレーター式に高校に進学したが、3日目に父に「お前のような不良がいると学校の迷惑になる」と、退学届を勝手に出されて中退<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。この行為に我慢できず、憂さ晴らしに不良仲間とミナミなどに訪れては、他の不良たち相手にケンカを売ったり買ったりの日々を送る<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。以前から柔道をやっていたことや背が高いこともあり、ケンカは強かった<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。

ある日、不良仲間とミナミのジャズ喫茶「ナンバ一番」に訪れ、ステージで歌唱中の歌手にヤジを飛ばしたことがきっかけでステージで歌い始め、和田の歌唱が評判となった{{efn|本人によると、ヤジを飛ばすと歌手から「そんならお前が歌え」と言われた。しかし、以前から密かに歌を歌っていた和田がステージで歌ったところ、客たちから大喝采を受けた。ほどなくして店の人から“和田が歌う日はいつもより客が入る”と評判になったという<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。}}。後日この噂を聞きつけて東京からやって来た[[堀威夫]]から「あなたと一緒に世界で勝負したい」と熱心にスカウトされ、プロの歌手になることを決めて上京した<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。

=== デビュー前・当初 ===
上京からしばらくは、横浜にあった堀の実家で下宿生活を送った<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。初期に、会社が「R&B歌手なので世界に通用するような洋モノの名前がいい」ということから芸名が「マーガレット和田」になりかけたが、名前とイメージが合わず結局本名からとって「和田アキ子」でデビューすることとなった<ref name="5nenme" />。デビュー曲「星空の孤独」は売れなかったため給料が安く、日々の食事代に事欠くほどだった{{efn|本人によると「当時、事務所や飲食店の人に『歌手として売れたら返すから』と言って食事を奢ってもらおうとしても、『お前みたいなデカい女が売れるもんか』と誰も相手にしてくれなかった」とのこと<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。}}。

デビュー当初は長身かつ大柄な体格・低音の効いた声が原因<ref name="keizi" />で、横柄な態度を取っていないにもかかわらず先輩歌手から「態度がでかい」等といじめられる<ref name="keizi">和田アキ子『啓示』メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-8401-0053-5</ref>。楽屋(女性歌手たちの大部屋)に入ると「男(和田)がいるから着替えられなーい!」と大声でいびられたり、白色の新しい靴に黒のマジックで「バカ」と書かれた<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。他にも数え切れない理不尽・陰湿ないじめ(メイク改造論、花束が菊の花、靴に男女<ref group="注釈">おとこおんな。和田の見た目などが男みたいな女という意味から。</ref>と書かれる等)に遭い「私が一人前になったら、そういうことはしないようにしよう」と誓う<ref name="otona" />{{efn|また本人は、「悔しかったけど当時実家の家計を支えていたので、芸能界を辞めることはできなかったです。いじめられて傷つくたび、トイレでこっそり泣いていました」とも述懐している<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。}}。

芸能活動の初期に二、三の映画に主演、準主演しているが、{{要出典範囲|date=2022年2月28日 (月) 09:58 (UTC)|現場の印象が非常に良くなかったため}}、長らく日本映画界とは距離を置いている。その後はごくまれにゲスト出演する程度であり、旺盛な芸能活動の中では映画の比率は無に等しい。テレビドラマへの出演も、滅多に無い。

=== 飯塚との結婚と子宮がん ===
夫の飯塚と入籍したばかりの1981年の夏、体の不調を感じて[[聖路加国際病院]]で当初“子宮筋腫”の診断を受け、そのまま入院<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。しかしその後、飯塚と和田の母が真っ赤な目をして和田の病室に戻ってきて、「さっき子宮がんということが分かった。今全摘すれば治るから手術の承諾書にサインしてきた」と告げられた<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。以前からたくさん子供がいる温かな家庭を作るのが夢だった和田は、大きなショックを受けた{{efn|本人によると、「当時『ふざけんなよ。なんでお前にそんなこと決める権利があるんだよ、(子宮全摘手術を)キャンセルしてよ!』と夫の胸を叩きながら半狂乱で泣き崩れました」と述懐している<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。}}。

手術は成功したが、本人にとって「人生で一番辛い時期」となり<ref group="注釈">本人によると、「私がいた病室の近くに新生児室があって(他の妊婦たちが産んだ)元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて辛かった。手術後は自分の運命を呪い、病室の天井を見ながら死ぬことだけを考えていた。」と述懐している。</ref>、子供が産めなくなったため数日後飯塚に離婚を切り出した。しかし飯塚から励まされて<ref group="注釈">自身と同じく子供好きな夫に申し訳なく思った和田は、「このまま私といても子供はできないから離婚していいよ」と伝えた。飯塚から「アコの命が助かればそれでいい。アコが好きだし、“歌手の和田アキ子”がもっと大好きだから」と告げられ、嬉しさのあまり号泣したとのこと。</ref>夫婦生活の継続を決め、退院後の同年10月に四谷の教会で結婚式を挙げた<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。

=== 喫煙歴と禁煙 ===
かつては[[喫煙|ヘビースモーカー]]で、不良になり始めた中学生の頃から煙草を吸っており、成人式の際の記者会見では冗談交じりに禁煙・禁酒を宣言したこともあった<ref group="注釈">当時は未成年者の飲酒・喫煙に対しては寛容だったため問題発言とは見なさず、普通の芸能ニュースとして「スポニチテレビニュース」や[[週刊誌]]・[[スポーツ新聞]]で紹介された。</ref><ref name="otona" />。禁煙に成功する前は一日3箱、特に[[麻雀]]をやっていた時は1カートン(200本)は吸っていた。以前から何度も禁煙を試みるも失敗し、一時期禁煙に成功するも数年後に喫煙を再開。しかし2007年7月に『アッコにおまかせ!』の企画で[[出川哲朗]]・[[松村邦洋]]らと[[人間ドック]]を受けたところ「[[肺気腫]]の疑い」との診断を受け、翌年、9月に念願の[[ニューヨーク]]、[[アポロ・シアター]]での単独コンサートを控えていたことから精密検査を受け、「慢性中等度閉塞性呼吸不全」(中程度の[[慢性閉塞性肺疾患]]〔COPD〕)との診断を受ける。この際、医師から「完全な肺気腫で、(このままの生活を続ければ)将来的に歌が歌えなくなる」と“歌手生命の危機”を告げられる<ref>{{Cite web|和書|url=http://from4050.jp/wp/disease/%E8%A1%80%E7%AE%A1/akkohie_kakekomi/ |title=和田アキ子さんを悩ます冷え性を改善する方法とは 駆け込みドクター! |publisher=from4050 |date=2013-12-08 |accessdate=2014-03-16}}</ref>。その後、盆休みでロンドンに滞在していた時心臓発作を起こしたこと(これも喫煙が原因で、血管の石灰化を起こしていた)、姪や[[イチロー]]をはじめとする周囲の友人、アッコファミリーからの説得、そして[[カンニング竹山]]からの愛のこもった強い説得が決定打となり、2008年(平成20年)[[8月25日]]から周りのサポートを得ながら禁煙を開始し、2009年(平成21年)[[1月1日]]に完全禁煙を宣言。2009年(平成21年)8月に禁煙1周年を迎えた<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/211738/ アッコ禁欲生活中! 5カ月前から禁煙していた] - サンケイスポーツ2009年1月12日</ref><ref name="kinnen akko">和田アキ子著 鈴木おさむ構成『禁煙アッコ』メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-8401-0053-5</ref>{{出典無効|date=2016-06-22 |title=『啓示』と『禁煙アッコ』、二種類の書誌情報が混ざっていてどちらか特定できない}}。こうした経験から[[2011年]]5月には「COPD広報大使」に任命されている<ref>{{Cite news |title=和田アキ子氏がCOPD広報大使に,“肺の健康チェック”啓発へ |url=http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/1105/1105021.html |newspaper=MT Pro |date=2011-05-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140315153406/http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/1105/1105021.html |archivedate=2014-03-15 |accessdate=2014-03-15}}</ref>。

=== 性格 ===
動物が苦手で、特に犬や[[ヘビ|蛇]]などの[[爬虫類]]が大の苦手<ref>{{Cite web|和書|date=2015-10-04 |url=https://www.j-cast.com/2015/10/04246916.html |title=和田アキ子またも川島なお美を完全スルー お悔やみもなし「不仲説」は本当なのか |work=J-CAST |accessdate=2015-10-20}}</ref>。

前述の理由から子供を産むことができなかったため、大の子供好きである<ref name="#1"/>。

デビュー前、地元大阪では女番長(当時の類語としてズベ公、[[スケバン]])として名を馳せていたものの、唯一[[沢田研二]](正義感が人一倍強く、血気盛んだった)にだけは頭が上がらず、睨まれ縮こまってしまったほどである。

毒舌で体が大きく、また酒豪で暴力をふるう・喧嘩っ早いというイメージが強いが、その一方寂しがりや・恐がりで家事好き、意外に繊細な泣き虫である。可愛がっている芸能人を自宅に招待して酒を飲みつつ手料理を振る舞ったり、自宅に泊めたりしている。また昔から仲間うちで集まり酔って大騒ぎ・悪ふざけ・無茶ぶりをすることもあり、若い頃は泥酔して何も覚えていないこともしばしばあった。これが和田にまつわる酒席での数々の恐怖のエピソードとなる。一方、前述の通りの家庭環境や[[山岡久乃]]との関係から礼儀作法や不義理、また遅刻・番組収録時間の押しには厳しいが、身内に対しては甘いきらいがあり、特に非常に可愛がっていた芸能人の不祥事に関しては触れたがらなかったり言葉を濁したりすることも多い<ref>大先輩に拍手をする会『「アッコ」に文句あっか!』本の森出版センター、1997年。ISBN 4-87693-333-2</ref>。ただし犯罪を犯したり反社会勢力との交際の疑いで引退した芸能人については、身内であっても一切の連絡を絶つことにしており、年賀状のやり取りすらも行っていない。

一緒に飲みに行った芸能人が[[テレビ番組]]などで、夜中に電話で呼び出される・毎晩飲みに誘われる・朝まで説教された・酒を飲んで暴れるというエピソードをよく語るが、和田は「若い時はいざ知らず現在はそんな体力はない」「虚像の“和田アキ子”のイメージばかりが先行する。」と否定しながらも、「それが、“和田アキ子”のイメージならそれでいい。酒飲まない、暴れない、説教しない“和田アキ子”なんて“和田アキ子”じゃない。」と語っている<ref name="otona" />。

あがり症で、コンサート・音楽番組に出演する際は過剰に緊張してしまい、本人いわく「心臓は止まりそうだし冷や汗は出るし、背中はびっちょりだし脇の下もびっちょり」で、カンニングペーパーがあっても1番の歌詞を何度も歌ってしまうこともよくある。また紅白歌合戦では、ステージ袖では毎回緊張のあまり手が震えて水を飲むのもやっととのこと。その一方で、バラエティ番組では基本的に一切あがらない<ref name="keizi" /><ref name="kinnen akko" /><ref>ただし、『[[芸能人格付けチェック]]』など一部のバラエティ番組では、極度に緊張しているケースがある。</ref>。また楽曲のレコーディングでは、誰かの視線を感じると緊張でベストコンディションで歌えなくなってしまうため、誰からも覗かれないようにカーテンを閉め切り、真っ暗な中で譜面台の明かりだけをつけてレコーディングを行う<ref>TOKIO HOT100 2005年7月24日 [http://www.j-wave.co.jp/original/tokiohot100/guest_past/past_20050724.htm GuestRoom]、J-WAVE、2005年</ref><ref>ORICON STYLE [https://web.archive.org/web/20111006045655/http://www.oricon.co.jp/music/interview/2011/fukuharamiho1005/index.html 福原美穂『大先輩・和田アキ子とのコラボに迫る!』]、オリコン、2011年</ref>。

暗い所が大嫌いである{{efn|上京後、堀威夫の実家で下宿生活を送っていたが、その地域の夜道は当時暗く、夜帰宅する際は怖さを紛らわせるためいつも歌いながら夜道を歩いていた。ある時後ろから寄ってくる人がいて逃げようとしたがその人は警察官で、「最近、この辺りで“夜道を大声で歌って歩いている人がいる”と苦情があってパトロールしてたんだけど、君だね」と怒られたことがある<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。}}。

=== 歌手として ===
タレントとしてよりも歌手としての和田については評価される傾向があり、親交のある[[カンニング竹山]]は和田の歌唱力を[[エラ・フィッツジェラルド]]に例えている<ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/12/23/0008669615.shtml 和田アキ子、カンニング竹山を泣かした]</ref>。

中学時代から[[レイ・チャールズ]]のファンである。中学生の頃から独自に歌を歌い始めたきっかけは、レイの歌の素晴らしさに加え、黒人で視覚障害者である彼の“差別に負けない生き方”に共感したこと<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。和田のデビュー30周年のライブでは、レイがわざわざ来日してゲスト出演してくれたとのこと<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。

このため歌手業においてレイの影響を公言し、初期の公演実況録音盤では、[[ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ]]、[[チェイス (バンド)|チェイス]]などカバー曲をステージレパートリーにしていたことが知られている。映画やテレビ出演々技とは一方で楽曲「[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]」の成功から、独特な合いの手、シャウト(アー!、Come on !ハッシッシッシ…、など)和田の個性的な歌唱上の特徴を控えたもので[[1973年]]から放映[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]の[[人形劇]]「[[プルルくん]]」主題曲担当など、児童の合唱曲模範になる録音を残している。

40周年ではニューヨークのアポロシアターで東洋人初のワンマンライブを実現<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。2022年に変形性股関節症になり、膝に水がたまった影響で、しばらくはお腹に力が入らなくて歌えない状態となった<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。

=== 実業家 ===
[[2007年]](平成19年)[[4月10日]]、[[東京]]・[[麻布#麻布地区|西麻布]]に和食屋「わだ家」をオープン。後に東京と[[大阪]]を中心に6店舗が展開。和田は監修という立場で、経営は夫の会社である株式会社エー・アンド・ケイ<ref group="注釈">和田の夫の飯塚と、和田の2番目の弟である和田現夫が経営し、和田は役員として所属。</ref>が行っている。1980年代には美容院を経営していた。

=== 誕生パーティー ===
毎年、和田の誕生日パーティーは、多くの芸能人を招待して行われることで有名である。例として、2008年の誕生日パーティには[[みのもんた]]・[[高田純次]]・[[陣内孝則]]等の大物芸能人や、番組共演者とアッコファミリーの[[出川哲朗]]・[[勝俣州和]]らが参加している<ref name="kinnen akko" />。

=== テレビ出演 ===
全国ネット番組では基本的に[[標準語]]で話すが、関西出身者との共演、ドラマで関西出身の人物を演じる時には[[近畿方言|関西弁]]を使う。また『ラブアタック!』など、視聴者参加番組で関西から来た参加者にインタビューする際も関西弁で会話する。

先述通り、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』の看板コーナー『[[テレフォンショッキング]]』において、'''単独最多出場ゲスト'''である(通算22回出演)。

なお、大阪制作の番組でのレギュラー出演は少なく、また『ラブアタック!』を最後に大阪制作のレギュラー番組を持っていない。

=== 芸能界のご意見番 ===
出演する番組や記者会見において、他の芸能人や『[[NHK紅白歌合戦]]』の出場者、放送内容に対する辛口コメントが多く、マスコミはそのコメントを採り上げることが多い。特にプロ意識に欠ける言動があった芸能人については辛辣な口調で批評する。「芸能界のボス」「芸能界のご意見番」の異名はこれに由来する<ref name="otona">和田アキ子『おとなの叱り方』PHP研究所、2008年。ISBN 978-4-569-69625-6</ref>。

本人は「芸能界のご意見番」と呼ばれることは嫌っており、「言われているのなら返上する」「オブラートに包んでいるつもりなんだけど、声もよく通るし迫力があるから。他の人で“そこまで言っていいの?”っていっぱいいる」と自身よりも過激な発言をする人物がいるのに、自身の発言が目立って取り上げられることに不満を見せている<ref>『デイリースポーツ』2014年6月28日配信</ref>。

[[2016年]]まで10回行われている[[週刊文春]]の「女が嫌いな女」のランキング開始以降、常に上位に位置している<ref group="注釈">2004年はランク外、2005年〜2007年は3位、2008年は4位、2009年は2位、2010年は3位、2011年は2位。</ref>。2013年で初めて1位になり、2015年の2回連続で1位となり、嫌いな理由として「威張り過ぎ」、「大物ぶって鼻につく」、「見ただけで不愉快になる傲慢な態度。ときどき小心者ぶるところがさらに不愉快」、「自分の親しい人ばかりかばうご意見番なんて嫌だ」などが挙げられた<ref>週刊文春2015年6月11日号、本誌恒例読者大アンケート「女が嫌いな女」ワースト50 [[安藤美姫]]、[[矢口真里]]、[[江角マキコ]]、[[上西小百合]]</ref>。2016年の調査でも2位の[[ベッキー]]を大きく引き離して3回連続で1位となり、嫌いな理由として「身内びいきなことが多々あるので、もういい加減ご意見番から引退してほしい」、「とにかく偉そうなところが鼻につく」などが挙がった。

上記に絡み、和田と縁の深い[[竹山隆範]]は「アッコさんは我々も暴力性とかネタにしちゃってる部分があるけど、日頃は凄く女性で付き合いやすい六十代のおばさん。でもここまで来られたそれはバレないで女に嫌われるナンバーワンでいてほしい。それが和田アキ子だからと。」コメントした<ref>2016年11月3日 秋の特大号「女が嫌いな女」ワースト50 [[蓮舫]]、[[工藤静香]]、[[藤原紀香|紀香]]…“嫌われ戦線”異状アリ!</ref>。その一方、[[産業能率大学]]の「新入社員の理想の上司」調査<ref>産業能率大学 活動紹介 [https://web.archive.org/web/20020606100222/http://www.sanno.ac.jp/research/list.html 調査報告書一覧] 学校法人産業能率大学</ref>では、現行の調査方法になった1998年度から2013年度まで必ず10位以内にランクインしていた。逆に2016年「上司だったら面倒な女性芸能人」では2位の[[泉ピン子]]に大差をつけて1位になった<ref>[http://dailynewsonline.jp/article/1114886/ 「上司だったら面倒な女性芸能人」ピン子に大差をつけた1位は?] デイリー</ref>。また老害だと思う芸能人でも2位の[[張本勲]]に倍以上の大差で1位になった<ref>[https://web.archive.org/web/20161109170326/http://news.ameba.jp/20161108-1184/ 2位「張本勲」、1位は? 老害だと思う大御所芸能人ランキング] アメーバニュース</ref>。

上記のいわゆる「'''上から目線'''」は反省する面があると自覚しており、なぜ年々発言が過激になっているかについて、最大の理由は'''「所属事務所のホリプロのみにとどまらず芸能界全体において先輩の刃向かえない立場の芸能人の死去や引退等による『叱ってくれる人がいなくなった』」'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/News/net_clm/20170607/TriviaNews_6161838.html |title=【極秘情報】国民的人気歌手・和田アキ子の知られざる秘密10選 / 白組で紅白出場、デビュー当時の幻の芸名など |publisher=exciteニュース |date=2017-06-07 |accessdate=2018-08-12}}</ref>と自身の番組やゲスト出演した番組で何度も挙げており、そのまま自虐ネタにするときもある<ref>[[ニッポン放送]]「[[アッコのいいかげんに1000回]]」など</ref>。

2007年(平成19年)の『[[第58回NHK紅白歌合戦]]』に初出場した[[杉本真人]]について「ぜんぜん知らない人」と番組中に発言した。しかし、過去に杉本から和田へ楽曲が提供されていたことが後に分かり、『アッコにおまかせ!』放送中に土下座して謝罪したこともあった<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/50652/full/ 土下座のアッコ、すぎもとまさとに「ちゃんと詫びたい!」]</ref>。

== 芸能関係者との交友・関係 ==
=== 歌手、俳優との関係 ===
[[山岡久乃]]とは、[[1973年]](昭和48年)、TBS系ドラマ『[[あんたがたどこさ (テレビドラマ)|あんたがたどこさ]]』で初共演して以来、山岡を「(芸能界での)おっ母(かあ)」と呼び、深く尊敬するようになった。

[[森繁久弥]]とは、ドラマ『桃から生まれた桃太郎』『あんたがたどこさ』での共演を機に知り合い、大御所だった森繁になぜか気に入られるようになった。和田は、母親同然に可愛がってくれた人を含む“4人の母”の中の一人として、森繁の妻・森繁杏子を挙げて感謝している。和田は森繁のことを親しみを込めて「森繁のじい」と呼んでいた<ref name="5nenme" />。

[[水前寺清子]]とは、[[1970年代]]に確執が囁かれ、水前寺が和田のレギュラー番組から出演オファーがあった際、「アコが嫌いだから出演しない」と断り、それを聞き和田が涙をこぼしたと『女性自身』(1974年2月9日号)に報じられた。水前寺は2016年11月4日放送のフジテレビ『[[ダウンタウンなう]]』で、「週刊誌に(番組に)出てくれないんで、一晩中泣いたと書かれたんですよ。その時に、私はあの方が元気いいところを知ってましたんで、『泣くタマか!』と言ったのは覚えています。売られたケンカは買います。この事件は、(喧嘩を)売られたと思いましたから。私が全く知らないところでこういうことがあって、『一晩泣いた。どうしてくれるんですか?』って言われたんで。『泣くタマか』って言ったのは、今でも本当に申し訳なかったと思います。アッコちゃんは、本当に今はとってもよくしてくださるし、優しいです」と語った<ref>[https://www.daily.co.jp/gossip/2016/11/04/0009638768.shtml 水前寺清子 和田アキ子との確執報道語る「泣くタマか!」] デイリースポーツ、2016年11月5日</ref><ref>[https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1613236/ 水前寺清子語った大物歌手との確執 「売られたケンカは買う」] 女性自身、2016年11月5日</ref>。

紅白の出場歌手が発表される以前から衣装を制作している[[小林幸子]]に否定的な考えを持っており、この件がきっかけで2人の間に確執が生じた<ref>[https://web.archive.org/web/20021020233245/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2001/12/17/03.html アッコ テレビで幸子挑発!] スポニチアネックス、2001年12月17日</ref>。もっとも小林とは1986年には週刊誌上で不仲さが取り沙汰され、[[1990年代]]に入っても和田は「あの小林幸子の衣装はなんだ」とことあるごとに文句を述べていた。小林は和田の意見に対し、「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならばじかにはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと当時の[[ワイドショー]]のインタビューなどで反論している。なお、和田は小林本人の前で批判は行わない<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/E1450360661517/ 20年以上も陰口連発! 和田アキ子が嫌う人物は] 90s チョベリー、2016年3月1日</ref>。

[[今陽子]]とは親友の間柄で50年以上に渡る交流がある。

=== お笑いタレントとの交友 ===
大のお笑い好きで知られる。歌手でありながらお笑いタレントとの親交が深く[[タモリ]]・[[ビートたけし]]・[[明石家さんま]]・[[島田紳助]]・[[横山ノック]]・[[上岡龍太郎]]・[[せんだみつお]]・[[爆笑問題]]・[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]・[[博多華丸・大吉]]・[[品川庄司]]・[[ライセンス (お笑いコンビ)|ライセンス]]の[[藤原一裕]]や、[[アッコファミリー]]の[[松村邦洋]]・[[出川哲朗]]・[[勝俣州和]]・[[カンニング竹山]]・[[有吉弘行]]・[[ますだおかだ]]・[[よゐこ]]・[[陣内智則]]などと親交がある。

タモリとは『[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]』で共演して以来、親交がある。[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]の[[テレフォンショッキング]]では番組開始から5日目の1982年10月8日に初出演しており、同コーナーにおいて、'''単独最多出演ゲスト'''(22回)である。またタモリ、ビートたけし、明石家さんまのお笑い[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|BIG3]]とも親交が深く、ドラマ[[和田アキ子殺人事件]]では3人と共演している。

上記親交のある芸人の中でも特にデビュー当時の島田紳助は、元不良ということもあり非常に悪い態度だった。しかし、ある番組のゲストとして紳助が来た際に、彼の芸能人としての大きな可能性を和田は予感し、自身が司会を務める『[[歌のトップテン]]』で共演。また楽屋を同じ部屋にするなど、自らしつけ係を買って出た。このことがきっかけで紳助とは自他認める弟分という意味も込めた親友的な存在となり、自身の悩み等いろいろと相談できる間柄となった<ref name="5nenme" />。『歌のトップテン』、『[[B.C.ビューティー・コロシアム]]』では司会コンビを組む(『[[毛髪クリニックリーブ21]]』のCMでも共演)。

元芸能人で、『[[ラブアタック!]]』などで共演した横山ノックや上岡龍太郎とも親交がある。上岡とは大阪にいた頃からの友人で<ref>和田アキ子『和田アキ子だ文句あっか!』日本文芸社、1983年、p.60。ISBN 4-537-00976-4</ref>、横山ノックも素人時代から芸能界入りしても面倒を見たため「親代わり」や「保護者」と和田自身が語り、ノックもこれを容認していた。このこともあり、横山と上岡が司会をしていた『ラブアタック!』の司会に和田が3人目の司会者として就任する際には、当時準メイン司会者だった横山は和田にその座を譲り、自らはサブ司会者に降格し、以後番組終了まで横山は和田のサポートしていた。

出川哲朗が『[[徹子の部屋]]』にゲスト出演した際に[[黒柳徹子]]と対談した際の内容によると、出川を楽屋に呼び出した後、見られるのが恥ずかしいという理由で、楽屋に居たスタッフやマネージャーを全員退出させてから[[バレンタインデー|バレンタインチョコ]]を渡すという一面もあるという。

=== その他の交友 ===
政治家の[[安倍晋三]]とは食事をする場所が同じということなどの共通点から親交があった。晋三の父親の[[安倍晋太郎]]にも可愛がられていたという<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202207090000495.html|title=和田アキ子、安倍元首相の銃撃死に「”生放送やれるかな”っていうくらい私はひきずっている」|publisher=日刊スポーツ|date=2022-07-09|accessdate=2022-07-10}}</ref>。

== その他エピソード ==
[[1972年]]に日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した際、待機する客席で名前を呼ばれた瞬間号泣して興奮状態となり、そばに座っていた沢田研二(同賞の候補者の一人)の腕を思わずつかみ、無関係の彼を連れたまま壇上に上がるという一幕があった<ref name=" 「私の地図」20230909 "/>。

[[1973年]]からのバラエティ番組『[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]』では「ゴッド姉ちゃん」として、[[せんだみつお]]、[[湯原昌幸]]、[[ザ・デストロイヤー]]らとドタバタギャグを繰り広げた。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、[[靴]]のサイズの大きさ (27cm) などにより、和田の「デカくて・コワい・強い」というイメージが全国的に広まった。しかしその後、「ゴッド姉ちゃん」のイメージ定着を嫌ったことや、[[1978年]](昭和53年)放送開始のドラマ『[[翔べ! 必殺うらごろし]]』([[朝日放送テレビ|朝日放送]]製作、[[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]へネット)への出演などがあり、歌手活動とテレビ番組出演との両立が困難になったことから、歌手に専念したいとの意向で、日本テレビへ強引に降板を申し入れた。これに絡んで、[[1979年]](昭和54年)に『金曜10時!うわさのチャンネル!!』は[[打ち切り]]になった。この一件が原因で、以後2年間和田は日本テレビへの出入りが禁止されるなど両者は折り合いが悪くなった(後に和解)<ref>和田アキ子『和田アキ子だ文句あっか!』日本文芸社、1983年、pp.37-38。ISBN 4-537-00976-4</ref>。また、同番組の降板時、レギュラー出演していた他の[[バラエティ番組]]も全て降板した。

[[1975年]](昭和50年)、[[マチャアキのガンバレ9時まで!!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])の収録のために[[中野サンプラザ]]に居た際に[[楽屋]]泥棒を捕まえ「警視総監表彰」を受け、当時の大手新聞各紙で大いに報じられた<ref>[[朝日新聞]] 1975年3月27日付社会面に掲載。「さーすがアッコ 楽屋ドロをむんず 中野・サンプラザ どなり上げてキック」の見出しで報じられた。</ref>が、新聞紙面にて年齢が公表された件で事務所がデビュー時に決めたプロフィールとズレが生じ、以降プロフィールは訂正された。

和田が「どんぐりカット」と呼んでいる独特の髪型は、[[ライザ・ミネリ]]の髪形を真似たものである。1976年頃にのどのポリープ手術で入院する際、入浴に制限があるため手入れがいらない髪形を探していたところ、たまたまライザ・ミネリの写真を見て気に入り、それを和田に似合うようにアレンジした<ref name="5nenme" />。

[[2007年]]、2008年、[[2010年]]と[[大腸ポリープ]]の手術を受けていることを明らかにしている。2010年に至っては8個のポリープを除去するために2回入院したと語っている。

化粧や嘘泣きができるので、女として産まれて良かったと思っていると語っている<ref>[https://web.archive.org/web/20161018232314/http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/22702/649008/] goo</ref>。

本人が事実と認めている伝説の一つに「CDが登場したばかりの頃、CDのケースを拳で割って開けていた」というものがある<ref name=tospo150322>東京スポーツ・2015年3月22日付 1面</ref>。本人曰く「CDケースの開け方がわからず、てっきり壊して取り出すものだと思っていた」「拳で割っていたのは最初だけで、痛いのでその後はハサミの柄などで割っていた」とのこと<ref name=tospo150322 />。

2000年2月3日、節分の豆を買いに外出したところ、自宅近くの交差点でライトバンにはねられ右足骨折で数週間入院。当時の[[東京スポーツ]]の記事の見出しには、事実とは逆に「車が大破!」と書かれていた<ref name="kinnen akko" />。

[[中央競馬]]と[[地方競馬]]の[[馬主]]資格を持っており、所有馬には「ルンバデブンブン」や「[[ダイナマイトソウル]]」等、自身の曲・アルバムのタイトルに因んだ名前を付けている。[[2004年]](平成16年)[[11月28日]]には歌手として、[[東京競馬場]]で行われた[[ジャパンカップ]]のレース発走前に『[[君が代]]』を独唱し、同レースの優勝プレゼンターを務めた。

2008年(平成20年)[[3月3日]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系で放送のアニメ『[[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]』中、[[大河原邦男]]のデザインによる和田をモデルにした[[三悪 (タイムボカンシリーズ)|三悪]](ドロンボー)側メカ「ワダアッコー」とヤッターマン側ビックリドッキリメカ(ゾロメカ)「[[アッコにおまかせ!|オマカセ]]メカ」が登場<ref group="注釈">[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]][[プロデューサー]]の[[諏訪道彦]]がブログで、このメカに関しては和田の所属事務所から許諾を得たと述べている[https://web.archive.org/web/20080229004824/http://www.ytv.co.jp/anime/suwa/back16129.html]。[https://web.archive.org/web/20080320231500/http://www.ytv.co.jp/yatterman/blog/2008/02/29_1231.html]。</ref>。両機は自身の2008年(平成20年)[[4月23日]]発売のアルバムCD『[[わだ家]]』のジャケットの表紙に採用された<ref group="注釈">オマカセメカはytv・日テレ版『ヤッターマン』の2代目オープニング(第11話「ドロンジョ様はお年ごろだコロン!」以降より)にも数秒間登場している。</ref>。

和田のことをモノマネをするときによく歌われる『[[古い日記]]』の歌詞に出てくる、「ハッ!」という掛け声は[[スティービー・ワンダー]]を意識したものである<ref>「[https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/12/16/0007587931.shtml 和田アキ子「ハッ」誕生を語る]」『デイリースポーツ online』デイリースポーツ、2014年12月16日 </ref>。ちなみに本人曰く「[[物真似|ものまね]]は、[[瀬川瑛子]]さんのまねしかできない」という。

自身は[[日本プロ野球|プロ野球]]にはあまり詳しくないが、夫の飯塚、弟、現在のマネジャーは[[読売ジャイアンツ]]ファンであり<ref>『スポーツ報知』2015年3月28日付</ref>、[[2015年]]の読売ジャイアンツ開幕戦([[東京ドーム]])では巨人カラーのオレンジのラインを入れた衣装で国歌斉唱を行った<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/1452866.html 巨人開幕戦で和田アキ子が君が代独唱「感無量です」] 日刊スポーツ、2015年3月27日</ref>。

2014年6月、「夢は『いつも旬でありたい』ということ。でも、歌手という自負がなくなったらやめる」と自身の引退について語った。その上で「ドレスが唯一似合ってると思っているし。第2の和田アキ子はいないと思う。(体が)大きくなきゃだめだし、声もハイトーンではだめ。一代で終わるとしたら和田アキ子を全うしたい。まだまだやりたいこといっぱいある。頑張りたい」とも語り、引退はまだ先であることも仄めかした<ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/06/28/0007095488.shtml] デイリースポーツ、2014年6月28日</ref>。なお、引退については幾度も考えたことがあるとのこと<ref name="#1">[https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/12/16/0007588005.shtml] デイリースポーツ、2014年12月16日</ref>。

2016年8月20日放送の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[ミュージックフェア]]』で「[[Pokémon GO]]にはまっている」と発言した<ref>[https://web.archive.org/web/20161030201955/http://tvtopic.goo.ne.jp/program/cx/347/987757/] goo</ref>。

[[できちゃった婚]]には否定的な考えである<ref>[https://www.j-cast.com/2007/05/14007570.html?p=all 「できちゃった婚、許さねぇぞ!」 和田アキ子、辻ちゃん問題で吼えまくる] J-CASTニュース、2007年5月14日</ref>。

長く活躍していることもあり、知名度も高い。2020年7月22日に放送された『[[水曜日のダウンタウン]]』の「古今東西 日本人知名度ランキング」<ref group="注釈">調査対象は日本の人口バランスに合わせた比率の10代〜70代(2000人)で、全国の[[あなたの街に住みますプロジェクト|あなたの街に住みます芸人]]による街頭調査およびリサーチ会社による調査を行った。ノミネートされた人物の中には戦国武将などの歴史的人物も含む。</ref>では、第6位 (94.0%) にランクインした。これは女性では第2位であり、男女関係なく歌手としてはトップである<ref>{{Cite web|和書|title=『水ダウ』の「古今東西知名度ランキング」アンダー60で唯一トップ10に入る中居正広の凄まじさ |website=クイックジャパンウェブ |date=2020-07-23 |url=https://qjweb.jp/regular/31147/ |accessdate=2022-04-10}}</ref>。

== 音楽 ==
*いくつかのヒットを持つ和田だが、[[オリコンチャート|オリコン]]最高位は[[シングル]]2位<ref group="注釈">2018年6月4日付のオリコンチャートで「[[愛を頑張って]]」が週間2位を獲得した。それまでは長らく「[[天使になれない]]」(1971年発売)の週間8位が自己最高位であった。</ref>、[[アルバム]]25位である。[[2003年]](平成15年)発売のシングル「トゥモロー〜ジョージアで行きましょう編〜」はオリコン77位(サウンドスキャンでは90位)を記録し、[[1992年]](平成4年)発売の「[[愛、とどきますか]]」以来11年ぶりのオリコン100位以内ランクインシングルとなった。[[2006年]](平成18年)発売のアルバム「[[今日までそして明日から (和田アキ子のアルバム)|今日までそして明日から]]」はオリコン76位を記録し、[[1972年]](昭和47年)発売の「オリジナル・ゴールデン・ヒット集」以来34年ぶりのオリコン100位以内ランクインアルバムとなった。
*オリコン調べによる[[1990年代]](1989年12月1日〜1999年11月30日)のレコード・CDのトータル売上金額は2億220万円で総合993位である<ref>「オリコンウィーク・ザ・一番」2000年1月3日・10日合併号より</ref>。
*「[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]」は自他共に認める和田の代表曲であり、多くの歌手によってカバーされている(詳しくは当該項目を参照)。同曲の歌詞には[[ベトナム戦争]]への反戦メッセージが込められているといわれ、1972年(昭和47年)の「[[第23回NHK紅白歌合戦]]」では当時の[[日本放送協会|NHK]]に配慮して歌わなかった。

=== シングル ===
*1-32まではRCAレコード→RVCから発売。33-69はワーナー・ミュージックジャパンから発売。70-93はコラボ企画以外は原則的にテイチクエンタテインメントから発売。ただし、デビュー当時より[[原盤権]]は東京音楽出版→ホリプロ音楽事業部が一貫して管理している。過去音源の発売権も配信サービスにおいてはホリプロからユニバーサル・ミュージックに移行している。(2022年11月現在)
*2017年10月25日より、一部のタイアップ曲<ref group="注釈">「ダ・ダ・ダ・ダ・ダイエット」「さあ冒険だ」</ref>およびコラボ曲<ref group="注釈">「Free at Last'98」「たまたまねぎねぎ〜たまねぎがおしえてくれたもの〜」「HEY!」「こころのこだま」「(Everything will be) All Right」</ref>を除くシングルほぼ全曲が、カップリング曲も含めダウンロード販売およびサブスプリクション配信を開始した。

:以下は、別名義、コラボレーション含む。
{|class="wikitable" style="text-align:center;font-size:smaller;"
|-
! # !! 発売日 !! A/B面 !! タイトル !! 作詞 !! 作曲 !! 編曲 !! 規格品番
|-
!colspan="8" | [[BMG JAPAN|RCA → RVC]]
|-
|rowspan="2" | 1
|rowspan="2" | [[1968年]]<br/>10月25日 || A面 || '''[[星空の孤独]]'''
|rowspan="2" | [[阿久悠]] || [[和田良知|ロビー和田]] || [[村井邦彦]]
|rowspan="2" | JRT-1004
|-
| B面 || バイ・バイ・アダム
|colspan="2" | 村井邦彦
|-
|rowspan="2" | 2
|rowspan="2" | [[1969年]]<br/>4月25日 || A面 || '''[[どしゃぶりの雨の中で]]'''
|rowspan="2" | [[大日方俊子]] || [[むつひろし|小田島和彦]] || [[山木幸三郎]]
|rowspan="2" | JRT-1020
|-
| B面 || ボーイ・アンド・ガール || 小沢良知
|rowspan="3" | [[川口真]]
|-
|rowspan="2" | 3
|rowspan="2" | 1969年<br/>10月25日 || A面 || '''[[その時わたしに何が起ったの?]]''' || 阿久悠 || 田口ふさえ
|rowspan="2" | JRT-1043
|-
| B面 || つれてって、何処までも || 大日方俊子 || [[むつひろし]]
|-
|rowspan="2" | 4
|rowspan="2" | [[1970年]]<br/>3月25日 || A面 || '''[[笑って許して]]''' || 阿久悠 || [[和田良知|羽根田武邦]] || [[馬飼野俊一]]
|rowspan="2" | JRT-1068
|-
| B面 || 愛に証拠はいらない || [[片桐和子 (作詞家)|片桐和子]]
|colspan="2" | [[小谷充]]
|-
|rowspan="2" | 5
|rowspan="2" | 1970年<br/>7月5日 || A面 || '''[[さすらいのブルース]]'''
|rowspan="2" | [[なかにし礼]]
|colspan="2" rowspan="2" | [[鈴木邦彦 (作曲家)|鈴木邦彦]]
|rowspan="2" | JRT-1087
|-
| B面 || 男と女のロック
|-
|rowspan="2" | 6
|rowspan="2" | 1970年<br/>11月5日 || A面 || '''[[貴方をひとりじめ]]''' || 阿久悠 || 羽根田武邦
|rowspan="2" | 馬飼野俊一
|rowspan="2" | JRT-1121
|-
| B面 || 世の中さかさま || 海野洋司 || [[田中正史]]
|-
|rowspan="2" | 7
|rowspan="2" | [[1971年]]<br/>3月5日 || A面 || '''[[卒業させてよ]]'''
|rowspan="4" | 阿久悠
|colspan="2" | 馬飼野俊一
|rowspan="2" | JRT-1146
|-
| B面 || 天使の告白
|colspan="2" | 川口真
|-
|rowspan="2" | 8
|rowspan="2" | 1971年<br/>6月5日 || A面 || '''[[天使になれない]]'''
|rowspan="2" | [[都倉俊一]]
|rowspan="2" | 馬飼野俊一
|rowspan="2" | JRT-1166
|-
| B面 || 星のない女
|-
|rowspan="2" | 9
|rowspan="2" | 1971年<br/>9月5日 || A面 || '''[[涙の誓い (和田アキ子の曲)|涙の誓い]]'''
|rowspan="2" | なかにし礼
|colspan="2" rowspan="2" | 川口真
|rowspan="2" | JRT-1186
|-
| B面 || 男と女がいる限り
|-
|rowspan="2" | 10
|rowspan="2" | 1971年<br/>12月5日 || A面 || '''[[夜明けの夢]]'''
|rowspan="6" | 阿久悠
|colspan="2" rowspan="2" | 都倉俊一
|rowspan="2" | JRT-1206
|-
| B面 || 翼もないのに
|-
|rowspan="2" | 11
|rowspan="2" | [[1972年]]<br/>3月25日 || A面 || '''[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]'''
|colspan="2" rowspan="3" | [[森田公一]]
|rowspan="2" | JRT-1216
|-
| B面 || 誰もいない朝
|-
|rowspan="2" | 12
|rowspan="2" | 1972年<br/>6月25日 || A面 || '''[[夏の夜のサンバ]]'''
|rowspan="2" | JRT-1236
|-
| B面 || チャンスは三度 || 森田公一 || アワノケイイチ
|-
|rowspan="2" | 13
|rowspan="2" | 1972年<br/>9月25日 || A面 || '''[[孤独 (和田アキ子の曲)|孤独]]'''
|rowspan="2" | [[橋本淳 (作詞家)|橋本淳]]
|colspan="2" rowspan="2" | [[筒美京平]]
|rowspan="2" | JRT-1256
|-
| B面 || 心に灯をつけて
|-
|rowspan="2" | 14
|rowspan="2" | 1972年<br/>10月25日 || A面 || '''あなたにありがとう'''
|rowspan="2" | 阿久悠
|colspan="2" rowspan="2" | 都倉俊一
|rowspan="2" | JRT-1266
|-
| B面 || 失恋列車
|-
|rowspan="2" | 15
|rowspan="2" | [[1973年]]<br/>4月5日 || A面 || '''私は歩いている'''
|rowspan="3" | [[千家和也]]
|rowspan="2" | 森田公一
|rowspan="2" | 馬飼野俊一
|rowspan="2" | JRT-1286
|-
| B面 || 嵐の女
|-
|rowspan="2" | 16
|rowspan="2" | 1973年<br/>7月25日 || A面 || '''悪い奴''' || 鈴木邦彦 || [[馬飼野康二]]
|rowspan="2" | JRT-1296
|-
| B面 || 吹きさらしの町 || [[有馬三恵子]]
|colspan="2" | 馬飼野康二
|-
|rowspan="2" | 17
|rowspan="2" | 1973年<br/>10月25日 || A面 || '''この命奪って''' || [[山上路夫]]
|colspan="2" | 馬飼野俊一
|rowspan="2" | JRT-1316
|-
| B面 || あなたと別れて || あおい龍介
|colspan="2" rowspan="3" | 馬飼野康二
|-
|rowspan="2" | 18
|rowspan="2" | [[1974年]]<br/>2月25日 || A面 || '''[[古い日記]]''' || [[安井かずみ]]
|rowspan="2" | JRT-1336
|-
| B面 || 女の純情 || [[たかたかし]]
|-
|rowspan="2" | 19
|rowspan="2" | 1974年<br/>5月25日 || A面 || '''[[ラヴ (ジョン・レノンの曲)|ふれあう愛]]''' || ロビー和田 || [[ジョン・レノン|J.Lennon]]
|rowspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | JRT-1356
|-
| B面 || [[帰り来ぬ青春]] || 津坂浩 || [[シャルル・アズナヴール|C.Aznavour]]<br/>H.Kretzmer
|-
|rowspan="2" | 20
|rowspan="2" | 1974年<br/>7月5日 || A面 || '''[[晴れのち曇り]]''' || なかにし礼
|colspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | JRT-1366
|-
| B面 || 明日 || [[さいとう大三]] || 馬飼野康二 || [[あかのたちお]]
|-
|rowspan="2" | 21
|rowspan="2" | 1974年<br/>9月25日 || A面 || '''美しき誤解''' || なかにし礼
|colspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | JRT-1376
|-
| B面 || あなたは人生の光 || 津坂浩 || ケーシー || 馬飼野康二
|-
|rowspan="2" | 22
|rowspan="2" | [[1975年]]<br/>2月15日 || A面 || '''見えない世界'''
|rowspan="2" | [[及川恒平]] || [[細野晴臣]]
|rowspan="2" | [[東海林修]]
|rowspan="2" | JRT-1416
|-
| B面 || 海になれ || [[国吉良一]]
|-
|rowspan="2" | 23
|rowspan="2" | 1975年<br/>5月30日 || A面 || '''もっと自由に(Set me free)''' || [[阿木燿子]] || [[宇崎竜童]] || 馬飼野俊一
|rowspan="2" | JRT-1436
|-
| B面 || 別れたあなたに || [[岡田冨美子]] || 平洋明 || [[ボブ佐久間]]
|-
|rowspan="2" | 24
|rowspan="2" | 1975年<br/>9月5日 || A面 || '''酔いどれ'''
|rowspan="2" | 千家和也
|colspan="2" | [[三木たかし]]
|rowspan="2" | JP-1005
|-
| B面 || 雨のバス
|colspan="2" | [[穂口雄右]]
|-
|rowspan="2" | 25
|rowspan="2" | 1975年<br/>12月20日 || A面 || '''放浪・ヨコスカ'''
|rowspan="2" | [[悠木圭子]]
|rowspan="2" | [[鈴木淳 (作曲家)|鈴木淳]]
|rowspan="4" | [[竜崎孝路]]
|rowspan="2" | JP-1013
|-
| B面 || 流れ星
|-
|rowspan="2" | 26
|rowspan="2" | [[1976年]]<br/>4月25日 || A面 || '''街角'''
|colspan="2" | [[西岡恭蔵]]
|rowspan="2" | RVS-1002
|-
| B面 || お酒に溺れて || 悠木圭子 || 鈴木淳
|-
|rowspan="2" | 27
|rowspan="2" | 1976年<br/>7月25日 || A面 || '''雨のサタデー'''
|rowspan="5" | 千家和也
|colspan="2" rowspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | RVS-1023
|-
| B面 || もう少し泣いていたい
|-
|rowspan="2" | 28
|rowspan="2" | 1976年<br/>11月25日 || A面 || '''ダンス・ウィズ・ミー'''
|rowspan="2" | [[浜田省吾]] || [[高田弘]]
|rowspan="2" | RVS-1039
|-
| B面 || よくあることじゃない || [[小六禮次郎]]
|-
|rowspan="2" | 29
|rowspan="2" | [[1977年]]<br/>3月5日 || A面 || '''二杯目のお酒''' || [[平尾昌晃]] || 馬飼野俊一
|rowspan="2" | RVS-1056
|-
| B面 || 夕べの鐘 || いまむられいこ || 浜田省吾 || 小六禮次郎
|-
|rowspan="2" | 30
|rowspan="2" | 1977年<br/>10月25日 || A面 || '''夜更けのレストラン'''
|rowspan="2" | [[山口あかり]]
|rowspan="2" | 平尾昌晃
|rowspan="2" | 馬飼野俊一
|rowspan="2" | RVS-1086
|-
| B面 || 愛のノスタルジア
|-
|rowspan="2" | 31
|rowspan="2" | [[1978年]]<br/>3月5日 || A面 || '''コーラスガール''' || [[竜真知子]]
|rowspan="2" | 川口真
|rowspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | RVS-1119
|-
| B面 || まどろみの夜風に || いまむられいこ
|-
|rowspan="2" | 32
|rowspan="2" | 1978年<br/>12月20日 || A面 || '''ひとり酔い'''
|colspan="2" | [[柳ジョージ]] || 竜崎孝路
|rowspan="2" | RVS-1144
|-
| B面 || 愛して
|colspan="2" | 浜田省吾 || [[井上鑑]]
|-
!colspan="8" | [[ワーナーミュージック・ジャパン|ワーナー・パイオニア → ワーナーミュージック・ジャパン]]
|-
|rowspan="2" | 33
|rowspan="2" | [[1979年]]<br/>9月25日 || A面 || '''夢まであずけて''' || [[喜多條忠|喜多条忠]] || 川口真 || あかのたちお
|rowspan="2" | L-310W
|-
| B面 || 終止符
|colspan="2" rowspan="2" | [[森雪之丞]]
|rowspan="2" | [[大谷和夫]]
|-
|rowspan="2" | 34
|rowspan="2" | [[1980年]]<br/>2月10日 || A面 || '''Shut Up!'''
|rowspan="2" | L-329W
|-
| B面 || 真夜中
|colspan="2" | 園田圭介 || 竜崎孝路
|-
|rowspan="2" | 35
|rowspan="2" | 1980年<br/>6月25日 || A面 || '''無礼句ダウン'''
|colspan="2" | 森雪之丞
|rowspan="2" | 大谷和夫
|rowspan="2" | L-348W
|-
| B面 || 風の見える町 || 岡田冨美子 || 森雪之丞
|-
|rowspan="2" | 36
|rowspan="2" | 1980年<br/>11月28日 || A面 || '''酔ったからって''' || [[岡本おさみ]] || [[鈴木キサブロー]]
|rowspan="2" | [[若草恵]]
|rowspan="2" | L-372W
|-
| B面 || 待たされて || 岡田冨美子 || あかのたちお
|-
|rowspan="2" | 37
|rowspan="2" | [[1981年]]<br/>4月25日 || A面 || '''夕暮れ、恋人'''
|colspan="2" rowspan="2" | [[浜口庫之助]]
|rowspan="2" | 小六禮次郎
|rowspan="2" | L-1509W
|-
| B面 || 秋がいいわ
|-
|rowspan="2" | 38
|rowspan="2" | [[1982年]]<br/>3月25日 || A面 || '''[[待ちわびて]]''' || 荻まりこ || [[杉本真人]] || [[服部克久]]
|rowspan="2" | L-1571
|-
| B面 || 追憶 || 平井一郎 || J.Allison<br/>A.Allison || 小六禮次郎
|-
|rowspan="2" | 39
|rowspan="2" | 1982年<br/>9月25日 || A面 || '''想い出・砂時計''' || [[杉山政美]] || [[佐瀬寿一]] || [[戸塚修]]
|rowspan="2" | L-1612
|-
| B面 || 夜もすがら || [[尾関昌也]] || [[尾関裕司]] || [[手使海ユトロ|小笠原寛]]
|-
|rowspan="2" | 40
|rowspan="2" | [[1983年]]<br/>4月23日 || A面 || '''恋はこりごり''' || [[湯川れい子]] || [[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]] || [[飛澤宏元|飛沢宏元]]
|rowspan="2" | L-1622
|-
| B面 || ラスト・メトロ
|rowspan="2" | 村田さち子 || 小六禮次郎 || [[山本剛 (ピアニスト)|山本剛]]トリオ
|-
|rowspan="2" | 41
|rowspan="2" | 1983年<br/>11月30日 || A面 || '''Once More Take A Chance'''<ref group="注釈">'''和田アキ子&[[THE WOOD]]'''名義。</ref> || [[上綱克彦]]
|rowspan="2" | [[THE WOOD]]
|rowspan="2" | L-1642
|-
| B面 || Silent Dance || [[里乃塚玲央|園部和範]] || [[楠木勇有行|楠木恭介]]
|-
|rowspan="2" | 42
|rowspan="2" | [[1984年]]<br/>9月12日 || A面 || '''君が野に咲くバラなら''' || [[荒木とよひさ]] || 三木たかし || 小六禮次郎
|rowspan="2" | L-1684
|-
| B面 || 夜もすがら || 尾関昌也 || 尾関裕司 || 小笠原寛
|-
|rowspan="2" | 43
|rowspan="2" | [[1985年]]<br/>6月25日 || A面 || '''バ・カ・ダ・ネ''' || なかにし礼 || 鈴木キサブロー || [[瀬尾一三]]
|rowspan="2" | L-1711
|-
| B面 || モーニング・コール || 村田さち子
|colspan="2" | 小六禮次郎
|-
|rowspan="2" | 44
|rowspan="2" | [[1986年]]<br/>6月25日 || A面 || '''[[もう一度ふたりで歌いたい]]'''
|rowspan="6" | 阿久悠
|rowspan="2" | 森田公一
|rowspan="2" | [[水谷公生]]
|rowspan="2" | L-1745
|-
| B面 || 日曜日のきまぐれ
|-
|rowspan="2" | 45
|rowspan="2" | [[1987年]]<br/>6月25日 || A面 || '''愛するときを過ぎても''' || 服部克久
|rowspan="2" | 戸塚修
|rowspan="2" | L-1787
|-
| B面 || YOU YOU YOU
|rowspan="2" | [[都志見隆]]
|-
|rowspan="2" | 46
|rowspan="2" | 1987年<br/>8月25日 || A面 || '''[[抱擁 (和田アキ子の曲)|抱擁]]''' || 小笠原寛
|rowspan="2" | L-1793
|-
| B面 || 愛するときを過ぎても || 服部克久 || 戸塚修
|-
|rowspan="2" | 47
|rowspan="2" | [[1988年]]<br/>4月25日 || A面 || '''[[だってしょうがないじゃない]]''' || [[川村真澄]] || 馬飼野康二 || [[矢島賢]]
|rowspan="2" | L-1831
|-
| B面 || 古い日記 '74/'88 || 安井かずみ
|colspan="2" | 馬飼野康二
|-
|rowspan="2" | 48
|rowspan="2" | 1988年<br/>5月25日 || A面 || '''ダ・ダ・ダ・ダ・ダイエット'''<ref group="注釈">'''アッコにおまかせ合唱団'''名義。</ref>
|colspan="2" rowspan="2" | [[小林亜星]]
|rowspan="2" | 戸塚修
|rowspan="2" | L-1845
|-
| B面 || (ハヒフヘMIX)
|-
|rowspan="2" | 49
|rowspan="2" | 1988年<br/>10月10日 || A面 || '''[[続・だってしょうがないじゃない]]'''
|rowspan="2" | 川村真澄
|colspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | 07L7-4016
|-
| B面 || だってしょうがないじゃない || 馬飼野康二 || 矢島賢
|-
|rowspan="2" | 50
|rowspan="2" | [[1990年]]<br/>3月25日 || 01 || '''抱かれ上手''' || 荒木とよひさ || [[ジョーイ・カーボーン|J.Carbone]]<br/>D.Belfield || [[新川博]]
|rowspan="2" | WPDL-1503
|-
| 02 || TIME GOES BY || [[田口俊]] || 木塚二郎 || 戸塚修
|-
|rowspan="2" | 51
|rowspan="2" | [[1991年]]<br/>3月25日 || 01 || '''よくやるね''' || [[吉元由美]] || [[後藤次利]] || 新川博
|rowspan="2" | WPDL-1515
|-
| 02 || あの鐘を鳴らすのはあなた<br/>(New Version) || 阿久悠 || 森田公一 || 大谷和夫
|-
|rowspan="2" | 52
|rowspan="2" | [[1992年]]<br/>2月25日 || 01 || '''大阪ヘヴィーレイン'''
|colspan="2" | [[高橋研]]
|rowspan="2" | 新川博
|rowspan="2" | WPDL-1525
|-
| 02 || 黄昏に歌わせて || 竜真知子 || [[林哲司]]
|-
|rowspan="2" | 53
|rowspan="2" | 1992年<br/>5月25日 || 01 || '''[[愛、とどきますか]]'''
|rowspan="2" | なかにし礼
|colspan="2" | 林哲司
|rowspan="2" | WPDL-4294
|-
| 02 || 出さない手紙
|rowspan="3" | 林哲司 || [[佐藤準]]
|-
|rowspan="2" | 54
|rowspan="2" | [[1993年]]<br/>4月10日 || 01 || '''Will Way'''
|rowspan="2" | [[伊集院静]] || [[萩田光雄|萩田光男]]
|rowspan="2" | WPDL-4341
|-
| 02 || 置時計 || [[船山基紀]]
|-
|rowspan="2" | 55
|rowspan="2" | 1993年<br/>9月25日 || 01 || '''抱いてサンバナイト'''
|rowspan="3" | [[三浦徳子]] || [[山崎一稔]]
|rowspan="3" | [[林有三]]
|rowspan="2" | WPDL-4364
|-
| 02 || つれづれ恋人 || 杉本真人
|-
|rowspan="2" | 56
|rowspan="2" | [[1994年]]<br/>5月25日 || 01 || '''逢いたいうちが華だから''' || 山崎一稔
|rowspan="2" | WPD6-9002
|-
| 02 || しあわせかもしれない || [[及川眠子]] || 大田黒裕司 || [[難波弘之]]
|-
|rowspan="2" | 57
|rowspan="2" | 1994年<br/>8月25日 || 01 || '''[[やじろべえ (和田アキ子の曲)|やじろべえ]]'''
|rowspan="2" | [[秋元康]] || 都志見隆 || [[椎名和夫]]
|rowspan="2" | WPD6-9013
|-
| 02 || あなたがそばにいる || 大田黒裕司 || 富田泰弘
|-
|rowspan="2" | 58
|rowspan="2" | [[1995年]]<br/>5月25日 || 01 || '''がんばって''' || 荒木とよひさ
|colspan="2" | [[羽田一郎]]
|rowspan="2" | WPD6-9046
|-
| 02 || 約束の夢 || [[小山薫堂]] || 羽田一郎 || 新川博
|-
| 59 || 1995年<br/>9月1日 || 01 || '''[[さあ冒険だ]]''' || [[森高千里]]<br/>[[糸井重里|S.Itoi]] || [[石井竜也|カール<br/>スモーキー石井]] || [[米米CLUB]] || WPD6-9043
|-
|rowspan="2" | 60
|rowspan="2" | [[1996年]]<br/>6月25日 || 01 || '''[[Mother (和田アキ子の曲)|Mother]]'''
|rowspan="2" | 秋元康 || 鈴木キサブロー
|rowspan="2" | 林有三
|rowspan="2" | WPD6-9087
|-
| 02 || ちゃうわ || [[井上ヨシマサ]]
|-
|rowspan="2" | 61
|rowspan="2" | [[1997年]]<br/>4月10日 || 01 || '''[[風のように空のように]]''' || [[森浩美]] || [[マイケル・ボルトン|M.Bolton]]<br/>[[ダイアン・ウォーレン|D.Warren]] || [[服部隆之]]
|rowspan="2" | WPD6-9128
|-
| 02 || あなたは美しい || 秋元康
|colspan="2" | [[岩本正樹]]
|-
| 62 || 1997年<br/>10月25日 || 01 || '''[[夢 (和田アキ子の曲)|夢]]'''
|colspan="2" | [[石井竜也]] || 勝又隆一 || WPD6-9157
|-
|rowspan="2" | 63
|rowspan="2" | [[1998年]]<br/>2月11日 || 01 || '''[[河〜River〜]]''' || 森浩美 || [[井上大輔]] || 井上鑑
|rowspan="2" | WPD6-9164
|-
| 02 || 絶対に泣かない || 及川眠子 || 井上ヨシマサ || 林有三
|-
|rowspan="2" | 64
|rowspan="2" | 1998年<br/>7月25日 || 01 || '''真夏の夜の23時'''
|colspan="2" | [[小西康陽]] || [[村田陽一]]
|rowspan="2" | WPD6-9186
|-
| 02 || Searchin'
|colspan="2" | [[米倉利紀|米倉利徳]] || [[河越重義]]
|-
| 65 || 1998年<br/>9月30日 || 01 || '''Free at Last '98'''<ref group="注釈">'''[[HOUSE FOUNDATION]] + AKIKO WADA'''名義。</ref>
|colspan="2" | 松本浩一 || DJ FEILONG || EG-002
|-
|rowspan="3" | 66
|rowspan="3" | [[1999年]]<br/>7月14日 || 01 || '''ぽろぽろ'''
|rowspan="2" | 森浩美 || [[松本俊明]]
|rowspan="2" | 新川博
|rowspan="3" | WPD7-10008
|-
| 02 || always life || [[宇佐元恭一]]
|-
| 03 || [[今あなたにうたいたい]]
|colspan="2" | [[加藤登紀子]] || 馬飼野康二
|-
|rowspan="3" | 67
|rowspan="3" | [[2000年]]<br/>6月7日 || 01 || '''あの日によく似た青い空'''
|rowspan="2" | [[森若香織]]
|colspan="2" | [[朝本浩文]]
|rowspan="3" | WPCV-10069
|-
| 02 || (PIANO DUB MIX) || 朝本浩文 || 吉村健一
|-
| 03 || 古い日記<br/>(DYNAMITE SOUL MIX) || 安井かずみ || 馬飼野康二 || [[DJ 吉沢dynamite.jp|DJ AKIHIRO<br/>YOSHIZAWA]]
|-
|rowspan="2" | 68
|rowspan="2" | 2000年<br/>10月12日 || 01 || '''REACH OUT''' || 森若香織
|colspan="2" | 朝本浩文
|rowspan="2" | WPCV-10106
|-
| 02 || SOUL DISCOVERY || -
|colspan="2" | [[桜井鉄太郎]]
|-
|rowspan="2" | 69
|rowspan="2" | [[2001年]]<br/>2月21日 || 01 || '''愛の光'''
|rowspan="2" | 森若香織
|colspan="2" rowspan="2" | 朝本浩文
|rowspan="2" | WPCV-10113
|-
| 02 || (Piano Version)
|-
!colspan="8" | [[テイチクエンタテインメント|テイチクエンタテインメント → ユニオンレコード]]
|-
|rowspan="2" | 70
|rowspan="2" | 2001年<br/>10月17日 || 01 || '''運命〜DESTINY〜''' || 岡田冨美子 || [[網倉一也]] || 若草恵
|rowspan="2" | TEDA-10521
|-
| 02 || Everybody Shake || 真名杏樹 || 笹本安詞 || 桜井鉄太郎
|-
|rowspan="2" | 71
|rowspan="2" | [[2002年]]<br/>7月22日 || 01 || '''ラストシーンに戻りたい'''
|rowspan="2" | 夏海裕子
|rowspan="2" | 網倉一也
|rowspan="2" | [[萩田光雄]]
|rowspan="2" | TECE-11543
|-
| 02 || 淋しい女と呼ばないで
|-
| 72 || [[2003年]]<br/>3月26日 || 01 || '''たまたまねぎねぎ<br/>〜たまねぎが教えてくれたこと〜'''<ref group="注釈">'''[[ババロア@]]'''名義([[久本雅美]]とのデュエット)。</ref> || 秋元康 || 櫻井真一 || [[神津裕之]] || TECE-11575
|-
|rowspan="3" | 73
|rowspan="3" | 2003年<br/>5月28日 || 01 || '''トゥモロー<br/>〜ジョージアで行きましょう編〜'''
|rowspan="2" | [[福里真一]]
|rowspan="3" | C.Strouse || 小西康陽
|rowspan="3" | TECA-10583
|-
| 02 || トゥモロー<br/>〜ジョージアで行きましょう編II〜
|rowspan="2" | [[河野伸]]
|-
| 03 || 「Tomorrow」Original version || M.Charnin
|-
|rowspan="3" | 74
|rowspan="3" | 2003年<br/>6月11日 || 01 || '''ルンバでブンブン'''
|colspan="2" rowspan="3" | [[横山剣]] || [[東京パノラママンボボーイズ#メンバー|コモエスタ<br/>八重樫]]
|rowspan="3" | TECA-11586
|-
| 02 || 史上最悪の夜
|rowspan="2" | 横山剣<br/>[[小野瀬雅生]]
|-
| 03 || [[タイガー&ドラゴン (曲)|タイガー&ドラゴン]]
|-
|rowspan="2" | 75
|rowspan="2" | [[2004年]]<br/>2月25日 || 01 || '''旅立ちのうた'''
|colspan="2" rowspan="2" | [[下町兄弟#メンバー|BANANA ICE]]
|rowspan="2" | [[沢田完]]
|rowspan="2" | TECA-11620
|-
| 02 || (ピアノ・バージョン)
|-
|rowspan="2" | 76
|rowspan="2" | 2004年<br/>8月25日 || 01 || '''愚かな女たち''' || 秋元康 || 大田黒裕司 || 大田黒裕司<br/>難波弘之
|rowspan="2" | TECA-11646
|-
| 02 || 不夜城 || 夏野芹子 || 笹本安詞 || [[白井良明 (音楽家)|白井良明]]
|-
|rowspan="2" | 77
|rowspan="2" | [[2005年]]<br/>3月2日 || 01 || '''[[帰り来ぬ青春|帰り来ぬ青春<br/>readymade mix 2004]]''' || 津坂浩 || C.Aznavour<br/>H.Kretzmer || 小西康陽
|rowspan="2" | TECA-11669
|-
| 02 || 生きる
|colspan="3" | 小西康陽
|-
| 78 || 2005年<br/>7月13日 || 02 || '''[[Loop In My Heart/HEY!|HEY!]]'''<ref group="注釈">'''[[m-flo]] loves Akiko Wada'''名義。</ref>
|colspan="3" | [[m-flo]] || [[rhythm zone|RZCD]]-45229
|-
| 79 || [[2006年]]<br/>4月25日 || - || '''[[あの鐘を鳴らすのはあなた#2006年12cmシングル盤|あの鐘を鳴らすのはあなたたち]]''' || 阿久悠 || 森田公一 || - || TECA-10053
|-
| 80 || 2006年<br/>5月10日 || 01 || '''[[How We Do It!!!/(Everything will be) All Right|(Everything will be)<br/>All Right]]'''<ref group="注釈">'''[[Skoop On Somebody]] + AKIKO WADA'''名義。</ref> || 深井裕美子
|colspan="2" | 佐藤“フィッシャー”五魚 || [[エスエムイーレコーズ|SECL]]-386
|-
|rowspan="2" | 81
|rowspan="2" | [[2007年]]<br/>6月27日 || 01 || '''[[ゴールデンタイム (和田アキ子の曲)|ゴールデンタイム]]''' || [[山本高史]]
|colspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | TECI-401
|-
| 03 || 生きる (林有三&サロン'68<br/>アーリーサマーRemix)
|colspan="2" | 小西康陽 || 林有三&<br/>サロン'68
|-
|rowspan="3" | 82
|rowspan="3" | [[2008年]]<br/>2月27日 || 01 || '''[[幸せのちから (和田アキ子の曲)|幸せのちから]]'''
|colspan="3" | M.Y
|rowspan="3" | TECI-402
|-
| 02 || (Crypto Room Remix)
|colspan="2" | M.Y || Crypto Room
|-
| 03 || ルンバでブンブン (Reggae<br/>Disco Rockers Shankin' Mix)
|colspan="2" | 横山剣 || [[Reggae Disco Rockers|Reggae<br/>Disco Rockers]]
|-
|rowspan="2" | 83
|rowspan="2" | [[2009年]]<br/>2月25日 || 01 || '''Brand New PARADISE'''<ref group="注釈">'''Wトラブル'''名義([[bangking#メンバー|岡本茂樹]]とのデュエット)。</ref> || [[前田たかひろ]] || [[TSUKASA (作曲家)|TSUKASA]]
|rowspan="2" | [[清水信之]]
|rowspan="2" | TECI-403
|-
| 02 || [[スローバラード]]
|colspan="2" | [[忌野清志郎]] / みかん
|-
|rowspan="2" | 84
|rowspan="2" | 2009年<br/>3月4日 || 01 || '''あなただけの青空'''
|colspan="3" | M.Y
|rowspan="2" | TECI-404
|-
| 02 || 選ばなかった人生を || 川村真澄
|colspan="2" | 馬飼野康二
|-
|rowspan="2" | 85
|rowspan="2" | 2009年<br/>10月21日 || 01 || '''キララ・キララ・バカ'''
|rowspan="2" | 荒木とよひさ || [[羽場仁志]] || 林有三
|rowspan="2" | TECI-405
|-
| 02 || 綺麗ごとでいいじゃない
|colspan="2" | 馬飼野康二
|-
|rowspan="2" | 86
|rowspan="2" | [[2010年]]<br/>10月20日 || 01 || '''人生はこれから''' || [[松井五郎]] || 羽場仁志 || [[安部潤]]
|rowspan="2" | TECI-406
|-
| 02 || 素直じゃないね
|colspan="2" | [[Rio (シンガーソングライター)|Rio]] || 林有三
|-
|rowspan="3" | 87
|rowspan="3" | [[2011年]]<br/>4月20日 || 01 || '''[[ff (フォルティシモ)#和田アキ子によるカバー|ff (フォルティシモ)]]''' || [[松尾由紀夫]] || [[蓑輪単志]] || 白井良明
|rowspan="3" | TECI-407
|-
| 02 || あの鐘を鳴らすのはあなた<br/>(40周年記念コンサート<br/>at the APOLLO THEATERより) || 阿久悠 || 森田公一 || 山口英次
|-
| 03 || [[Tomorrow never knows (Mr.Childrenの曲)|Tomorrow never knows]]
|colspan="2" | [[桜井和寿]]
|rowspan="3" | 林有三
|-
|rowspan="2" | 88
|rowspan="2" | [[2012年]]<br/>7月25日 || 01 || '''今夜は夢でも見ましょうか''' || 松井五郎 || 羽場仁志
|rowspan="2" | TECI-408
|-
| 02 || 珠玉 || 吉元由美 || 馬飼野康二
|-
|rowspan="2" | 89
|rowspan="2" | [[2013年]]<br/>7月3日 || 01 || '''[[今でもあなた]]'''
|rowspan="2" | 秋元康 || [[横健介]] || [[佐々木裕 (ミュージシャン)|佐々木裕]]
|rowspan="2" | TECI-409
|-
| 02 || 残された時間 || 羽場仁志 || 安部潤
|-
|rowspan="2" | 90
|rowspan="2" | [[2014年]]<br/>10月29日 || 01 || '''すばらしき人よ''' || [[さくらももこ]] || さくらももこ<br/>[[山崎燿]] || [[宮崎歩]]
|rowspan="2" | TECI-410
|-
| 02 || 孤独なひまわり
|rowspan="2" | [[田久保真見]] || Rio || [[小林俊太郎]]
|-
|rowspan="2" | 91
|rowspan="2" | [[2015年]]<br/>6月3日 || 01 || '''[[晴レルヤ (和田アキ子の曲)|晴レルヤ]]'''
|colspan="2" | 馬飼野康二
|rowspan="2" | TECI-411
|-
| 02 || [[春夏秋冬 (泉谷しげるの曲)|春夏秋冬]]
|colspan="2" | [[泉谷しげる]] || 朝本浩文
|-
|rowspan="2" | 92
|rowspan="2" | [[2016年]]<br/>7月13日 || 01 || '''All Right!!!''' || [[西浦さゆり]]
|colspan="2" | 山口高始
|rowspan="2" | TECI-412
|-
| 02 || 道しるべ || LILLA || [[新屋豊]] || 戸田有里子
|-
| 93 || [[2018年]]<br/>5月23日 || 01 || '''[[愛を頑張って]]'''<ref group="注釈">'''和田アキ子 with [[BMK (音楽グループ)|BOYS AND MEN研究生]]'''名義。</ref> || [[山田ひろし]]
|colspan="2" | 山口高始 || TECI-413
|-
|}

;その他のシングル
*'''こころのこだま'''(2005年7月7日)<ref group="注釈">いちごいちえ名義(参加者は[[石川さゆり]]、[[岩崎宏美]]、[[大泉逸郎]]、[[川中美幸]]、[[島津亜矢]]、[[田端義夫]]、[[チェウニ]]、[[天童よしみ]]、[[BEGIN (バンド)|BEGIN]]、[[前川清]]、[[山本譲二]]、和田アキ子の計12人)。[[テイチクエンタテインメント]]70周年記念楽曲。</ref>
:作詞・作曲:[[BEGIN (バンド)|比嘉栄昇]]/編曲:[[萩田光雄]]

=== 配信 ===
#[[YONA YONA DANCE]](2021年9月2日)<ref>{{Youtube|zh-4M5blbiI|和田アキ子 ー YONA YONA DANCE}}</ref>
#黄昏にアンコール(2021年11月11日)<ref>{{Youtube|zznbBI1NO0MI|和田アキ子 ー 黄昏にアンコール}}</ref>
#[[KANPAI FUNK]](2023年3月22日)<ref>{{Youtube|oNS0oQ21DEgI|和田アキ子 ー KANPAI FUNK}}</ref>

=== アルバム ===
#どしゃぶりの雨の中で/ビートとハートを歌う和田アキ子(1969年)
#監獄ロック 和田アキ子がロックを歌う(1970年)
#卒業させてよ(1971年)
#ブルージーンと皮ジャンパー(1971年)
#あの鐘を鳴らすのはあなた(1972年)
#エルヴィスの世界(1972年)
#雪が降る〜和田アキ子ポップスの世界(1973年)
#私は歩いている/あなたにありがとう(1973年)
#悪い奴 和田アキ子オリジナル第5集(1973年)
#古い日記/和田アキ子愛をうたう(1974年)
#晴れのち曇り(1974年)
#新しい世界への出発(1975年)
#放浪~さすらい(1976年)
#ダンス・ウィズ・ミー(1976年)
#オールディーズ・ヒット(1977年)
#PARK AVENUE 7PM(1978年)
#夕暮れ、そして…(1981年)
#Only Yesterday(1988年8月25日)
#私も…そうだった(1990年9月25日)
#愛、とどきますか(1992年10月25日)
#Alive/song(s) for you '95(1995年9月25日)※カバーアルバム
#DYNAMITE-A-GO-GO!!!(1998年9月25日)※アナログ盤も発売
#今日までそして明日から(2006年10月25日)※カバーアルバム
#わだ家(2008年4月23日)
#WADASOUL(2015年9月18日)
#WADASOUL2(2021年12月8日)

=== ライブ・アルバム ===
#和田アキ子・オン・ステージ(1970年)
#AKO ON STAGE(1972年)
#デビュー10周年記念 全国縦断ディナーショー 和田アキ子・オン・ステージ(1977年)
#和田アキ子リサイタル〜日劇に於ける実況録音(LP:1973年、CD:2002年3月21日)

=== ベスト・アルバム / コンピレーション ===
#和田アキ子 デラックス
#和田アキ子 BEST24
#和田アキ子/オリジナル・ゴールデン・ヒット曲集
#和田アキ子ベスト24デラックス
#マイ・セレクション
#LET'S SING SONG BEST 12(1987年1月25日)
#だってしょうがないじゃない/和田アキ子 全曲集(1989年12月21日)
#よくやるね 和田アキ子 バラード・コレクション(1991年9月25日)
#和田アキ子 グレイテスト・ヒッツ 1968〜1991(1991年11月28日)
#和田アキ子全曲集〜だってしょうがないじゃない(1992年11月10日)
#和田アキ子全曲集シングルズ1993-1968(1993年4月21日)
#和田アキ子PERFECT COLLECTION(1993年10月25日)※10枚組CD-BOX
#和田アキ子全曲集'94 Song(s) for you(1994年9月25日)
#Alive/Song(s) for you'95(1995年9月25日)
#テーマソングス'80〜'96(1996年9月10日)
#DYNAMITE SOUL WADA AKIKO(1996年10月25日)
#BALLADS バラード全曲集(1996年12月11日)
#グレイテスト・ヒッツ'97(1997年5月25日)
#DYNAMITE GROOVE WADA AKIKO(1997年9月25日)
#VERY BEST OF AKIKO WADA'98(1998年9月25日)
#DYNAMITE PARADE(2000年10月12日)
#LOVE BALLAD BEST(2000年10月25日)
#和田アキ子ベスト・ヒット(2002年3月21日)
#(株)ワダアキコ(2003年4月25日)※'''セルフカバーアルバム'''
#Haaah! 和田アキ子シングルコレクション(2003年6月11日)※10枚組CD-BOX
#ラブバラード・ベスト(2004年10月21日)
#Free Soul Wada Akiko(2004年11月24日)
#ベストヒット・コレクション(2005年5月25日)
#RAGGA AKIKO(2005年12月16日)
#リズムアンドブルースの女王。(2006年3月22日)
#World Standard Wada Akiko(2008年4月23日)
#Wada Akiko Dynamite Best 1968-2008(2008年11月26日)
#The Soul Extreme EP2([[福原美穂]]、2011年10月12日)※Get Up! feat. AKIKO WADAで参加
#Yell〜2011 BEST OF THE BEST〜(2011年11月30日)
#AKIKO WADA 45th ANNIVERSARY ESSENTIAL COLLECTION(2013年6月12日)
#THE LEGEND OF SOUL-AKIKO WADA 50th ANNIVERSARY BEST ALBUM(2017年10月25日)

=== タイアップ曲 ===
{|class="wikitable" style="text-align:center;font-size:small"
!年!!楽曲!!タイアップ
|-
|rowspan="2"|1970年||[[さすらいのブルース|男と女のロック]]||[[日活]]映画「[[野良猫ロック#女番長 野良猫ロック|女番長 野良猫ロック]]」挿入歌
|-
|[[貴方をひとりじめ|世の中さかさま!]]||[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系テレビドラマ「[[世の中さかさま]]」主題歌
|-
|1973年||プルルくんのうた||[[日本放送協会|NHK]]人形劇「[[プルルくん]]」主題歌
|-
|1975年||放浪・ヨコスカ||[[東宝]]映画「[[裸足のブルージン]]」主題歌
|-
|1978年||愛して||[[テレビ朝日]]系テレビドラマ「[[翔べ! 必殺うらごろし]]」主題歌
|-
|1980年||風の見える町||フジテレビ系テレビドラマ「[[ひまわり戦争]]」主題歌
|-
|1984年||君が野に咲くバラなら||テレビ朝日系バラエティ番組「[[たみちゃん]]」エンディングテーマ
|-
|1987年||[[抱擁 (和田アキ子の曲)|抱擁]]||[[東映]]映画「[[極道の妻たちII (1987年の映画)|極道の妻たちII]]」主題歌
|-
|1992年||[[愛、とどきますか]]||[[松竹]]映画「[[遠き落日#映画|遠き落日]]」主題歌
|-
|1994年||[[やじろべえ (和田アキ子の曲)|やじろべえ]]||[[TBSテレビ|TBS]]系クイズ番組「[[クイズ悪魔のささやき]]」エンディングテーマ
|-
|1995年||[[さあ冒険だ]]||フジテレビ系子供向け番組「[[ポンキッキーズ]]」挿入歌
|-
|1996年||[[Mother (和田アキ子の曲)|Mother]]||TBS系テレビドラマ「[[おーい!ムコどの]]」主題歌
|-
|1997年||[[風のように空のように]]||TBS系テレビドラマ「[[新幹線'97恋物語]]」主題歌
|-
|1998年||[[河〜River〜]]||東映映画「[[極道の妻たち|極道の妻たち 決着]]」主題歌
|-
|2000年||REACH OUT||テレビ朝日系テレビアニメ「[[哲也-雀聖と呼ばれた男#アニメ|勝負師伝説 哲也]]」オープニングテーマ
|-
|2001年||愛の光||[[テレビ東京]]系テレビドラマ「[[女と愛とミステリー]]」エンディングテーマ
|-
|2003年||トゥモロー〜ジョージアで行きましょう編〜||[[缶コーヒー]]「[[ジョージア (缶コーヒー)|ジョージア]]」CMソング
|-
|rowspan="2"|2004年||旅立ちのうた||NHKの音楽番組「[[みんなのうた]]」[[みんなのうた年度別放送楽曲一覧_(2000年代)#2004年2-3月|2-3月新曲]]
|-
|Snake Eater (Japanese Version)||ゲームソフト「[[メタルギアソリッド3|メタルギアソリッド3 スネークイーター]]」日本語版主題歌<ref>[https://dengekionline.com/data/news/2004/11/25/b3de486b2330c1e99c79d19ff8b5d8ee.html シリーズ最高傑作がいよいよ完成!『MGS3』完成披露会「PremiumPreview」開催] 電撃オンライン、2004年11月25日。</ref>
|-
|rowspan="3"|2005年||[[帰り来ぬ青春#カバー|帰り来ぬ青春 readymade mix 2004]]||TBS系テレビドラマ「[[聞かせてよ愛の言葉を#テレビドラマ|聞かせてよ愛の言葉を]]」主題歌
|-
|[[帰り来ぬ青春#カバー|生きる]]||TBS系テレビドラマ「[[和田アキ子 特別企画ドラマ ザ・介護番長|ザ・介護番長]]」主題歌
|-
|[[Loop In My Heart/HEY!|HEY!]]||TBS系プロ野球中継番組「[[SAMURAI BASEBALL|野球烈闘2005]]」テーマ曲
|-
|2006年||[[How We Do It!!!/(Everything will be) All Right|(Everything will be) All Right]]||松竹映画「[[陽気なギャングが地球を回す#映画|陽気なギャングが地球を回す]]」エンディングテーマ
|-
|2007年||[[ゴールデンタイム (和田アキ子の曲)|ゴールデンタイム]]||[[サントリー]]「MDゴールデンドライ」CMソング
|-
|2008年||[[幸せのちから (和田アキ子の曲)|幸せのちから]]||[[競艇]]・2008年度CMソング
|-
|2009年||あなただけの青空||競艇・2009年度CMソング
|-
|2010年||人生はこれから||[[マルハン|株式会社マルハン]]・CMソング
|-
|rowspan="2"|2011年||[[ff (フォルティシモ)]]||サントリー「新・ジョッキ生」CMソング
|-
|[[今でもあなた|残された時間]]||[[BS朝日]]系テレビドラマ「[[王様の家]]」主題歌
|-
|2015年||[[晴レルヤ (和田アキ子の曲)|晴レルヤ]]||テレビ東京系テレビドラマ「[[三匹のおっさん#テレビドラマ|三匹のおっさん2]]」エンディングテーマ
|-
|2021年||rowspan="2"|[[YONA YONA DANCE]]||TBS系情報バラエティ番組『[[アッコにおまかせ!]]』オープニングテーマ
|-
|2022年||東海テレビ・フジテレビ系ドラマ『[[おいハンサム!!]]』オープニングテーマ
|}

== DVD ==
# 35 Anniversary WITH YOU〜tomorrow(2003年10月22日、VHSあり)
# 和田アキ子特別企画ドラマ「ザ・介護番長」(2007年4月18日)
# ドラマ「和田アキ子殺人事件」(2007年4月18日)
# AKIKO WADA POWER & SOUL 和田アキ子 40周年記念コンサート at the APPOLO THEATER(2009年1月21日)・日本人女性歌手初のアメリカ・[[アポロシアター]]でのコンサートを収録した作品
* [[日活]]映画「女番長 野良猫ロック」(2012年4月3日)
* 日活映画「野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ」(2012年4月3日)

== NHK紅白歌合戦出場歴 ==
1970年・第21回に初出場以来、1978年・第29回まで9年連続で出場。

1986年・第37回に8年振りに再出場<ref group="注釈">1979年 - 1985年はヒット曲に恵まれず、紅白は落選となっていた(中村竜太郎『[[週刊文春]]』2005年8月11/18日夏の特大号“実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”)。この間、紅白は視聴しなかったとのこと([https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/26/kiji/K20161126013795760.html 和田アキ子 紅白不出場で「毎日泣いた」 生ラジオで心境、エールに感謝] [[スポーツニッポン|SponichiAnnex]]、2016年11月26日)。</ref>。以降、2015年・第66回まで30年連続で出場。

40回目の出場がかかった2016年に2度目の落選、その後の紅白復帰は無し(2023年時点)。

[[1987年]]、[[1991年]]、[[1995年]]、[[1998年]]、[[1999年]]、[[2001年]]、[[2008年]]には紅組トリを務めた(紅組トリ7回は[[石川さゆり]]に次ぐ現役歌手2位。全体では[[美空ひばり]]の13回に次ぐ3位)。

1987年、[[1988年]]、[[1997年]]と合計3回紅組司会も担当、1987年の『[[第38回NHK紅白歌合戦]]』では「[[抱擁 (和田アキ子の曲)|抱擁]]」で紅組トリを務めており、組司会とトリの兼任となった。なお、[[1970年代]]より幾度も紅組司会の候補に挙がっていた。また、[[山川静夫]]以来2人目且つ女性では史上初の昭和と平成の紅白で双方司会経験者でもある。

1998年(平成10年)、『[[第49回NHK紅白歌合戦]]』で「[[今あなたにうたいたい]]」を歌い、自身初の紅白の大トリを務める。抜群の声量を生かし、曲の途中では[[マイクロフォン|ハンドマイク]]を使わずに歌うパフォーマンスを見せ、観客席から大拍手が起こった。

[[2005年]]には、[[m-flo]]とのコラボ曲「Hey!」のヒットにより、「m-flo loves Akiko Wada」名義で、自身初となる'''白組での'''[[第56回NHK紅白歌合戦|'''紅白''']]'''出場'''。

[[2012年]](平成24年)、『[[第63回NHK紅白歌合戦]]』に出場し、'''女性'''歌手として[[島倉千代子]]を抜いて単独で'''歴代最多出場歌手'''(36回)となる。その後も2015年(平成27年)『[[第66回NHK紅白歌合戦]]』まで30年連続出場(通算39回)を果たした。通算39回出場は当時の女性歌手の最多出場記録となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asagei.com/excerpt/71145/ |accessdate=2020-07-28 |title=和田アキ子、紅白落選での「被害者コメント」で視聴者離れが加速!?}}</ref><ref group="注釈">この記録は2017年(平成29年)の[[第68回NHK紅白歌合戦]]に出場した[[石川さゆり]]によって破られた。</ref>。

{| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center"
!年度!!放送回!!回!!曲目!!出演順!!対戦相手!!備考
|-
|1970年||[[第21回NHK紅白歌合戦|第21回]]||初||[[笑って許して]]||02/24||[[水原弘]]||紅白初出場
|-
|1971年||[[第22回NHK紅白歌合戦|第22回]]||2||[[天使になれない]]||03/25||[[美川憲一]]||
|-
|1972年||[[第23回NHK紅白歌合戦|第23回]]||3||[[孤独 (和田アキ子の曲)|孤独]]||02/23||[[フォーリーブス]]||
|-
|1973年||[[第24回NHK紅白歌合戦|第24回]]||4||笑って許して(2回目)||06/22||[[橋幸夫]]||
|-
|1974年||[[第25回NHK紅白歌合戦|第25回]]||5||美しき誤解||10/25||[[海援隊 (フォークグループ)|海援隊]]||
|-
|1975年||[[第26回NHK紅白歌合戦|第26回]]||6||もっと自由に||06/24||[[ダウン・タウン・ブギウギ・バンド]]||
|-
|1976年||[[第27回NHK紅白歌合戦|第27回]]||7||雨のサタデー||07/24||[[西城秀樹]]||
|-
|1977年||[[第28回NHK紅白歌合戦|第28回]]||8||夜更けのレストラン||12/24||[[千昌夫]]||
|-
|1978年||[[第29回NHK紅白歌合戦|第29回]]||9||コーラス・ガール||13/24||千昌夫 (2)||
|-
|1986年||[[第37回NHK紅白歌合戦|第37回]]||10||[[もう一度ふたりで歌いたい]]||12/20||[[菅原洋一]]||8年ぶりに紅白復帰出場
|-
|1987年||[[第38回NHK紅白歌合戦|第38回]]||11||[[抱擁 (和田アキ子の曲)|抱擁]]||20/20||[[五木ひろし]]||紅組司会<br>'''紅組トリ'''
|-
|1988年||[[第39回NHK紅白歌合戦|第39回]]||12||[[だってしょうがないじゃない]]||09/21||[[吉幾三]]||紅組司会
|-
|1989年||[[第40回NHK紅白歌合戦|第40回]]||13||だってしょうがないじゃない(2回目)||19/20||[[谷村新司]]||トリ前
|-
|1990年||[[第41回NHK紅白歌合戦|第41回]]||14||抱かれ上手||27/29||[[北島三郎]]||
|-
|1991年||[[第42回NHK紅白歌合戦|第42回]]||15||[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]||28/28||谷村新司 (2)||'''紅組トリ (2)'''
|-
|1992年||[[第43回NHK紅白歌合戦|第43回]]||16||[[愛、とどきますか]]||27/28||[[さだまさし]]||トリ前 (2)
|-
|1993年||[[第44回NHK紅白歌合戦|第44回]]||17||[[星空の孤独]]||24/26||谷村新司 (3)||
|-
|1994年||[[第45回NHK紅白歌合戦|第45回]]||18||あの鐘を鳴らすのはあなた(2回目)||22/25||[[小林旭]]||
|-
|1995年||[[第46回NHK紅白歌合戦|第46回]]||19||もう一度ふたりで歌いたい(2回目)||25/25||[[細川たかし]]||'''紅組トリ (3)'''
|-
|1996年||[[第47回NHK紅白歌合戦|第47回]]||20||[[Mother (和田アキ子の曲)|Mother]]||20/25||さだまさし (2)||
|-
|1997年||[[第48回NHK紅白歌合戦|第48回]]||21||[[夢 (和田アキ子の曲)|夢]]||24/25||北島三郎 (2)||紅組司会<br>トリ前 (3)
|-
|1998年||[[第49回NHK紅白歌合戦|第49回]]||22||[[今あなたにうたいたい]]||25/25||五木ひろし (2)||'''大トリ (4)'''
|-
|1999年||[[第50回NHK紅白歌合戦|第50回]]||23||あの鐘を鳴らすのはあなた(3回目)||27/27||北島三郎 (3)||'''紅組トリ (5)'''
|-
|2000年||[[第51回NHK紅白歌合戦|第51回]]||24||もう一度ふたりで歌いたい(3回目)||27/28||北島三郎 (4)||トリ前 (4)
|-
|2001年||[[第52回NHK紅白歌合戦|第52回]]||25||夢(2回目)||27/27||北島三郎 (5)||'''紅組トリ(6)'''
|-
|2002年||[[第53回NHK紅白歌合戦|第53回]]||26||抱擁(2回目)||25/27||さだまさし (3)||
|-
|2003年||[[第54回NHK紅白歌合戦|第54回]]||27||[[古い日記]] 2003 KOUHAKU Remix||27/30||五木ひろし (3)||
|-
|2004年||[[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]]||28||あの鐘を鳴らすのはあなた(4回目)||22/28||[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]||
|-
|2005年||[[第56回NHK紅白歌合戦|第56回]]||29||[[Loop In My Heart/HEY!|HEY!]]||27/29||[[渡辺美里]]||白組での出場
|-
|2006年||[[第57回NHK紅白歌合戦|第57回]]||30||Mother(2回目)||23/27||[[秋川雅史]]||
|-
|2007年||[[第58回NHK紅白歌合戦|第58回]]||31||あの鐘を鳴らすのはあなた(5回目)||26/27||[[森進一]]||トリ前 (5)
|-
|2008年||[[第59回NHK紅白歌合戦|第59回]]||32||夢(3回目)||26/26||[[氷川きよし]]||'''紅組トリ (7)'''
|-
|2009年||[[第60回NHK紅白歌合戦|第60回]]||33||もう一度ふたりで歌いたい(4回目)||22/25||[[コブクロ]]||
|-
|2010年||[[第61回NHK紅白歌合戦|第61回]]||34||AKKOィィッ!紅白2010スペシャル<ref group="注釈">「人生はこれから」→「笑って許して」(3回目)→「古い日記」(2回目)</ref>||16/22||[[加山雄三]]||
|-
|2011年||[[第62回NHK紅白歌合戦|第62回]]||35||あの鐘を鳴らすのはあなた(6回目)||19/25||[[嵐 (グループ)|嵐]]||
|-
|2012年||[[第63回NHK紅白歌合戦|第63回]]||36||愛、とどきますか(2回目)||21/25||[[美輪明宏]]||
|-
|2013年||[[第64回NHK紅白歌合戦|第64回]]||37||[[今でもあなた]]||17/26||[[TOKIO]]||
|-
|2014年||[[第65回NHK紅白歌合戦|第65回]]||38||古い日記〜2014紅白スペシャル〜(3回目)||11/23||[[V6 (グループ)|V6]]||前半トリ
|-
|2015年||[[第66回NHK紅白歌合戦|第66回]]||39||笑って許して(4回目)||11/25||細川たかし (2)||
|}

(注意点)
*対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
*曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
*出演順は「(出演順) /(出場者数)」で表す。

== 出演 ==
=== 現在の出演番組 ===
<!--単発のゲスト出演は記載しない。レギュラー出演のみを記載。[[プロジェクト:芸能人]]参照。-->
* [[アッコにおまかせ!]](1985年 - 、[[TBSテレビ|TBS]])<ref name="和田アキ子のTV出演情報">{{Oricon TV|255468|和田アキ子}}</ref>
* [[ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回]](1990年 - 、[[ニッポン放送]])※かつては[[ラジオ沖縄]]、[[南海放送]]、[[LFX488]]でも放送されていた

=== 過去の出演番組 ===
==== その他 ====
; NHK
* [[連想ゲーム]](1973年10月 - 1974年8月)
* [[クイズ面白ゼミナール]](不定期出演)
* [[思い出のメロディー]](1994年8月13日、司会)
* [[難問解決!ご近所の底力]](2007年 - 2010年)<ref name="和田アキ子のTV出演情報"/>
* [[きょうの料理]] アッコのA定食(2013年8月26日・2013年8月27日)<ref>[http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2013-08-26&ch=31&eid=21249 きょうの料理 アッコのA定食「しょうゆバターチャーハン定食」] NHK</ref><ref>[http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2013-08-27&ch=31&eid=21768 きょうの料理 アッコのA定食「ジャンボおむすび定食」] NHK</ref>
* [[SWITCHインタビュー 達人達]](2014年10月18日)
* [[趣味どきっ!]]「ゼロからスタート もう怖くない!スマホ」(2015年4月 - 5月(全9回)、NHK Eテレ)
* [[BS日本のうた]](準レギュラー・不定期だが毎年 年数回ペースで出演、[[NHK BSプレミアム]])
* [[アッコと恵美子]](2022年7月21日、28日)
; 日本テレビ
* [[資生堂・サンデーヒットパレード|サンデーヒットパレード]](1971年 - 1973年)
* [[金曜10時!うわさのチャンネル!!]](1973年 - 1979年)※和田は1978年に降板
* [[スター爆笑座]](1980年 - 1981年)
* [[エッ!うそーホント?]](1982年 - 1985年)
* [[かっぺい&アッコのおかしな二人]](1986年 - 1988年)
* [[歌のトップテン]](1987年 - 1990年)※[[島田紳助]]とコンビで司会
* [[アッコのおかしな仲間]](1988年 - 1990年)
* [[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]](1989年、総合司会)
* [[TVマンモス]](1990年 - 1991年)
* [[マジカル頭脳パワー!!]](1990年 - 1999年)※1995年まで不定期出演
* [[大相似形テレビ]](1992年)
* [[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]]※準レギュラー
* [[史上最高そっくり大賞]]
* [[列島くらべてグルメ!]](1994年)
* [[アッコとマチャミの新型テレビ|アッコとマチャミのテレビ→アッコとマチャミの新型テレビ]](2000年 - 2005年)<ref name="和田アキ子のTV出演情報"/>
* [[ミンナのテレビ]](2005年4月 - 9月)
* [[ウタワラ|歌笑HOTヒット10→ウタワラ]](日本テレビ、2005年 - 2007年)
* [[芸能人対抗!家族のキズナ歌合戦]](2016年4月 - 2017年3月、[[BS日テレ]]) - レギュラー審査員<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1627455.html |title=和田アキ子が新番組で審査員 BS初のレギュラー |newspaper=日刊スポーツ |date=2016-04-06 |accessdate=2016-04-06}}</ref>

; テレビ朝日
* [[和田アキ子アワー]](1991年 - 1992年)
* [[アッコ・純次の平成TV事典 三匹の子ブタ]](1992年)
* [[無敵なカップル]](1992年)
* [[ビートたけしのTVタックル]](バイク事故で休養していた[[ビートたけし]]の代理司会、1994年9月5日)
* [[アッコの泣かしたろか!?]](1996年 - 1998年)
* [[禁断!ハダカの王様]](1998年 - 1999年)
* [[志村&所の戦うお正月]](テレビ朝日・ABC)※[[黒柳徹子]]とパチンコ対決を行っていた
* [[芸能人格付けチェック]](朝日放送、不定期出演)<ref name="和田アキ子のTV出演情報"/>
* [[ビデオあなたが主役]](不定期出演)

; TBS
* [[歌と笑いでつっぱしれ!]](1972年)
* [[ゆうYOUサンデー!|アッコ・古舘のゆうYOUサンデー!]](1984年 - 1985年)
* [[生だ!おもしろ特急便]](1984年)
* [[アッコ 古舘のあっ!言っちゃった!]](1985年)
* [[日立 世界・ふしぎ発見!|世界・ふしぎ発見!]](1986年 - 1988年)※準レギュラー
* [[今晩は・WADAです]](1989年)
* [[アッコのかるーく見てみたい]](1989年 - 1990年)
* [[怪傑黄金時間隊!!]](1990年)
* [[日本レコード大賞]](1990年)※[[板東英二]]と共に司会
* [[オールスター感謝祭]](1991年秋 - 1994年秋・1997年春・2005年春出場)※回答者
* [[おちゃのこサイサイ]](1993年)
* [[クイズ悪魔のささやき]](1994年 - 1996年)
* [[快傑熟女!心配ご無用]](1997年 - 2000年)
* [[しあわせ家族計画]](1997年 - 2000年)
* [[オフレコ!]](2000年 - 2002年)<ref name="和田アキ子のTV出演情報"/>
* [[8時です!みんなのモンダイ]](2004年)
* [[全員正解!あたりまえクイズ]](2005年 - 2006年)
* [[個人授業II|個人授業 〜正しい和田アキ子の作り方〜 →個人授業II]](2006年 - 2007年)
* [[恐怖のアポなし訪問者 和田アキ子の今晩泊めろよコノヤロー!]]([[2008年]]3月27日)
* 恐怖のアポなし訪問者 和田アキ子の今晩マジで泊まるぞコノヤロー!(2008年9月30日)

; テレビ東京
* [[独占スタージャック!|独占スタージャック!→NEWスタージャック]](1983年 - 1984年)
* 男と女と罪と罰!! 本当にあった隣の事件ファイル(2012年6月26日、[[ブラックマヨネーズ]]と共に司会)
* ワダマヨの“私は絶対ダマされない”〜こっぴどくダマされた人から学ぶ10の法則〜(2013年11月22日、同上)

; フジテレビ
* [[夜のヒットスタジオ]](1968年 - 1990年)
* [[映像クイズ・ア!知ッテレビジョン|知ッテレビジョン]]
* [[世界の常識・非常識!]](1990年 - 1991年)
* [[ひらけ!GOMA王国]](1995年 - 1996年)
* [[世界超密着TV!ワレワレハ地球人ダ!!]](2000年 - 2001年)
* [[直撃!!ウワサの5人]](2001年 - 2002年)<ref name="和田アキ子のTV出演情報"/>
* [[アングリー・セブン]](2002年)
* [[自信回復TV 胸はって行こう!]](2002年)
* [[THEわれめDEポン]]
* [[ネプリーグ]]
* [[なるほど!ザ・ワールド]](不定期出演)
* [[世界の超豪華・珍品料理]](不定期出演)
* [[B.C.ビューティー・コロシアム]](レギュラー放送:2001年 - 2003年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])<ref name="和田アキ子のTV出演情報"/>

; 朝日放送
* [[ラブアタック!]](1978年4月 - 1984年10月、ABC・テレビ朝日)※この番組を最後に大阪制作の全国ネットのレギュラー番組を持っていない

; CS放送
* AKIKO WADA 50th ANNIVERSARY 「THE LEGEND OF SOUL」(2018年、[[歌謡ポップスチャンネル]])

;ネット番組
* 和田アキ子 最強バトル!(2009年5月 - 、モバイルTV[[Bee TV]])

=== テレビドラマ ===
* [[うしろの正面だあれ (テレビドラマ)|うしろの正面だあれ]]([[1969年]]、[[TBSテレビ|TBS]])
* [[銀河テレビ小説|銀河ドラマ]]「[[乱戦模様]]」([[1970年]]、[[日本放送協会|NHK]]) - 七重 役
* [[世の中さかさま]](1970年、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - 主演・池田典子 役
* おかしな四つ児([[1971年]]、[[TBSテレビ|TBS]])
* 女はつらいよ(1971年、TBS)
* 桃から生まれた桃太郎([[1972年]]、NHK) - 桃子 役
* あんたがたどこさ([[1973年]]:第1シリーズ、[[1975年]]:第2シリーズ、TBS)※「芸能界のお母さん」と尊敬して止まない[[山岡久乃]]と初共演した作品
* [[てんつくてん]](1973年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[バーディー大作戦]]([[1974年]]、TBS) - ココ 役
* [[ちょっとしあわせ]](1974年 - 1975年、[[テレビ朝日|NET]]) - 小百合 役
* フライパンの唄(1975年、TBS)
* マチャアキの森の石松 第2話(1975年、NET)
* [[明日の刑事]] 第47話([[1977年]]、TBS)
* [[翔べ! 必殺うらごろし]]([[1978年]]、[[朝日放送テレビ|ABC]]) - 若 役 ※主題歌も担当
* 怒れ兄弟!([[1979年]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) - 週刊誌編集長 役
* [[西遊記II]] 第21話(1980年、日本テレビ) - 鬼子母 役
* [[噂の刑事トミーとマツ]] 第1シリーズ 第54話・第2シリーズ 第16話(TBS) - [[麻薬取締官]] 役
* [[ライオン奥様劇場]]「ひまわり戦争」([[1980年]]、フジテレビ) - 加納さくら 役 ※カメラマンであった飯塚と出会い翌年結婚、主題歌も担当
* [[俺はおまわり君]]([[1981年]]、日本テレビ) - 水野美子 役
* [[女7人あつまれば]]([[1982年]] - [[1983年]]、TBS系)
* [[輝きたいの]]([[1984年]]、TBS) - 鳴海ミチ 役
* [[スクール☆ウォーズ]](1984年 - [[1985年]]、TBS系) - 下田夕子 役
** [[スクール☆ウォーズ|スクールウォーズ2]]([[1990年]] - [[1991年]]、TBS) - 柴田 役
* [[妻たちの課外授業]](1985年:第1シリーズ、[[1986年]]:第2シリーズ、日本テレビ)
* [[火曜サスペンス劇場]]「結婚」(1986年、日本テレビ)
* [[木曜ゴールデンドラマ]]「姑VS嫁(2) 姑の心意気」(1986年、読売テレビ)
* [[ゴメンドーかけます]]([[1989年]]、フジテレビ) - 主演・織田龍子 役
* [[ADブギ]] リターンズ([[1992年]]、TBS) - 本人役([[アッコにおまかせ!]]に出演する設定)
* [[連続テレビ小説]]「[[ええにょぼ]]」(1993年、NHK) - 岩井初子 役
* [[14ヶ月|14ヶ月 妻が子供に還っていく]] 第1話(2003年、読売テレビ) - 女医 役 ※特別出演
* [[和田アキ子 特別企画ドラマ ザ・介護番長]]([[2005年]]、TBS) - 主演・大垣あかね 役
* [[和田アキ子殺人事件]]([[2007年]]、TBS) - 主演・和田アキ子 役
* [[世にも奇妙な物語の放映作品一覧#2015年|世にも奇妙な物語 25周年記念! 秋の2週連続スペシャル]] 傑作復活編「ハイ・ヌーン」([[2015年]]、フジテレビ) - 男 役<ref>{{Cite web|和書|date=2015-11-12 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/12/kiji/K20151112011493500.html |title=和田アキ子 初の男役!七三分け、スーツ姿のサラリーマン風 |publisher=スポニチ Sponichi Annex |accessdate=2015-11-12}}</ref>
* [[小さな巨人 (テレビドラマ)|小さな巨人]](2017年、TBS) - 金崎玲子 役

=== 映画 ===
* [[不良番長#不良番長 一攫千金|不良番長 一獲千金]](1970年) - エントツのアキ 役
* [[女番長 野良猫ロック]](1970年) - アコ 役
* [[三匹の牝蜂]](1970年) - ギターを弾く女 役
* [[コント55号とミーコの絶体絶命]](1971年) - 薬局の娘 役
* [[喜劇 花嫁戦争]](1971年) - 長谷秋子 役
* [[としごろ]](1973年) - 大和田章子 役
* [[お姐ちゃんお手やわらかに]](1975年) - 三角アキコ 役
* [[裸足のブルージン]](1975年) - とし江 役
* [[キンキンのルンペン大将]](1976年) - 職安の係員 役
* [[喜劇 百点満点]](1976年) - 福島秋子 役
* [[ミスターどん兵衛]](1980年) - メーキャップ・ハナ子 役
* [[スタア (筒井康隆)|スタア]](1986年) - 芳枝 役
* [[極道の妻たちII (1987年の映画)|極道の妻たちII]](1987年) - 中年の女教師 役
* [[お日柄もよくご愁傷さま]](1996年) - 入院患者 役

=== 劇場アニメ ===
* [[スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦]](1986年) - [[クッパ (ゲームキャラクター)|クッパ大王]] 役

=== ウェブテレビ ===
* 和田アキ子 史上初の誕生会生中継(2019年4月10日、[[AbemaTV]])<ref>{{Cite web|和書|title=和田アキ子 史上初の誕生会生中継(終了時間未定) {{!}} 無料のインターネットテレビは【AbemaTV(アベマTV)】|url=https://abema.tv/channels/special-plus/slots/B6gPK7q8oKkMps |website=AbemaTV |accessdate=2019-04-10 |publisher= |date=2019-04-10}}</ref>

=== ゲーム ===
* アッコでポン! 〜イカサマ放浪記〜(2008年、[[ニンテンドーDS]]・[[Wii]]用ソフト、[[サクセス (ゲーム会社)|サクセス]]) - 声の出演
* [http://mobigame.jp/akko/ アッコの宇宙大戦争](2014年7月、[[iPhone]]・[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]用ゲーム〈基本無料・一部有料コンテンツあり〉)

=== 海外アニメ ===
* [[ザ・シンプソンズ MOVIE]](2007年) - マージ・シンプソン 役

=== ラジオ ===
* 和田アキ子のコントで許して
* 週刊トーク〜アッコとバンちゃん〜(TBSラジオ)<ref name="djmeikan"/>
* ハイ!アッコとバンちゃん(TBSラジオ)
* [[歌謡大行進]]([[文化放送]])<ref group="注釈">1972年10月 - 1973年3月、[[牧伸二]]と共演。1975年10月 - 1976年3月、[[坊屋三郎]]と共演。</ref>
* [[突撃!歌謡大行進]](文化放送)<ref group="注釈">[[斎藤清六]]と共演。</ref>
* やじ馬交友録(文化放送)<ref name="djmeikan"/>
* [[和田アキ子・結城貢の言いすぎたらごめん]](文化放送)
* [[必勝ホームランワイド 有楽町で逢いましょう]](ニッポン放送)金曜日
* アッコ・胡口のナイター・ラジオ(1982年)
* 大杉・アッコのホームラン歌謡曲(ニッポン放送)
* [[アッコ・徳光のラジオ紅白歌合戦]](2000年 - 2007年、ニッポン放送)
* [[ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回]](1990年 - 、ニッポン放送)
* [[板東・アッコのプロ野球界芸能界横断ウルトラクイズ]](ニッポン放送)
* [[DJアッコのパニックスタジオ]](1998年 - 2002年、[[エフエム東京|TOKYO FM]])
* [[Applause!〜週末の主役達へ〜]]([[ジャパンエフエムネットワーク (企業)|ジャパンエフエムネットワーク]])
* [[Music storage]] (TOKYO FM)

=== CM ===
* [[ハウス食品]]([[ククレカレー]]) - 初代CMキャラクター
* [[フマキラー]]
* [[大正製薬]](ヴィックスサイネックス)
* [[永谷園]](広東風かに玉・[[すし太郎 (商品)|すし太郎]]<ref group="注釈">[[福原愛]]と共演。</ref>・煮込みラーメン・[[麻婆春雨]])
* [[毛髪クリニックリーブ21|リーブ21]]
* [[カシオ計算機|カシオ]]
* [[日本通運]]
* [[東洋羽毛工業|東洋羽毛]]
* [[サントリー]](MDゴールデンドライ・ジョッキ生、オレンジエード)
* [[明治 (企業)|明治]]([[カール (スナック菓子)|カール]])
* [[競艇|DRAMATIC KYOTEI]](競艇)
* [[全日本空輸]]
* [[マルハン]] - [[アントニオ猪木]]との共演バージョンもある
* [[au (携帯電話)|au]]([[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]][[連合]]) - 「auの学割」のCMにドッキリゲストとして出演([[剛力彩芽]]、[[森三中]]、[[前田旺志郎]]と共演)
* [[進撃の巨人|進撃の巨人 -自由への咆哮-]] ([[DeNA]]) - テレビアニメ版に原作の漫画には登場しない和田似の巨人が登場していることから話題となり、起用が実現した
**「現実の巨人 出現」篇
**「現実の巨人 走る」篇
* [[CHINTAI]]
* [[モンデリーズ・ジャパン]](キシリクリスタル)<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20150909133748/http://www.cmjapan.com/watcher/pr/cmrelease/mtg21444/ |title=芸能界のご意見番 和田アキ子さんが新TVCMに登場!「キシリクリスタル」新TVCM&プレゼントキャンペーン 2015年9月14日(月)から同時スタート 新しくなった「キシリクリスタル」を食べた感想はいかに?「匠」の技が光る鋳物ブランド「能作」とのコラボキャンペーンも実施 |publisher=CM Japan |date=2015-09-09 |accessdate=2015-09-10}}</ref><ref>{{Oricon CM|255468}}</ref>

=== Web配信 ===
* [[田中圭]]24時間テレビ(2018年12月15日 - 12月16日、[[AbemaTV#AbemaSPECIAL2|AbemaSPECIAL2]]) - 中華料理屋の店員 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/12/14/kiji/20181214s00041000151000c.html |title=田中圭“24時間ドラマ”に和田アキ子の出演決定「ものすごく楽しみ…本当に光栄です」 |publisher=SponichiAnnex |date=2018-12-14 |accessdate=2018-12-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/tanaka-kei-blog/entry-12425473934.html |title=【あらすじ】楽屋に中華の出前 |publisher=田中圭24時間テレビ オフィシャルブログ |date=2018-12-16 |accessdate=2018-12-19}}</ref>

== 書籍 ==
=== 著書 ===
* 『和田アキ子だ!文句あっか!』日本文芸社、1983年。ISBN 4-537-00976-4 - 発行部数は120万部に達した。
* 『和田アキ子の“バ・カ・ダ・ネ”―よせばいいのに言っちゃった―』ワニブックス、1985年。
* {{Cite book ja|author=[[板東英二]]|title=言いたい放題アッコとバンちゃん|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12412501}}|url-access=registration|series=日音books|publisher=[[日音]]|date=1986-11-01|isbn=4-543-02508-3}}
* {{Cite book ja|title=みんな大好き|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12438968}}|url-access=registration|publisher=小学館|date=1987-02-10}}
* 『和田アキ子と28人のプロたち』スタジオシップ、1990年。
* 『5年目のハイヒール』扶桑社、1993年。ISBN 4-594-01265-5
* 『啓示』メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-8401-0053-5 - ホリプロ40周年記念企画で刊行された書籍
* 『アッコの愛の説教部屋』PHP研究所、2004年。
* 『おとなの叱り方』PHP研究所、2008年。ISBN 978-4-569-69625-6
* 『禁煙アッコ 和田アキ子禁煙事件』宝島社、2009年。ISBN 978-4-7966-7202-3 - 構成 [[鈴木おさむ]]

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|20em}}

== 関連項目 ==
* [[中鉢明子]] - 和田アキ子を演じた女優
** [[和田アキ子物語]](フジテレビ系列、2008年6月20日)
** [[ヒットメーカー 阿久悠物語]](日本テレビ、2008年8月1日)
* [[Mr.シャチホコ]] - ものまね芸人。和田アキ子のものまねを[[十八番]]とする。

== 外部リンク ==
* [https://ameblo.jp/wadaakiko-official/ 和田アキ子 オフィシャルブログ]-[[アメーバブログ]]
* [http://www.akofc.com/ ホリプロ Ako's official web site.]
* [https://www.teichiku.co.jp/artist/wada/ 和田アキ子 - UNION RECORDS]
* {{Twitter|wadasoul2015}}
* {{Instagram|ako50th}}
* {{YouTube |channel=UCs9X5IPrsYa-GPtNHOCw_HA}}
* {{NHK人物録|D0009071306_00000}}
* [https://ako50.com/ 和田アキ子 ‐ 50周年記念サイト]

{{和田アキ子}}
{{ホリプロ}}
{{日本レコード大賞最優秀歌唱賞}}
{{NHK紅白歌合戦 紅組司会}}
{{NHK紅白歌合戦 紅組トリ}}
{{日本レコード大賞 歴代司会者}}
{{24時間テレビ総合司会}}
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{{Portal bar|日本|大阪府|音楽|テレビ|人物伝}}

{{デフォルトソート:わた あきこ}}
[[Category:和田アキ子|*]]
[[Category:日本の女性ポップ歌手]]
[[Category:日本のR&B・ミュージシャン]]
[[Category:日本の女性ジャズ歌手]]
[[Category:日本の女性タレント]]
[[Category:20世紀日本の女優]]
[[Category:21世紀日本の女優]]
[[Category:日本の司会者]]
[[Category:日本の女性実業家]]
[[Category:20世紀日本の実業家]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:日本のラジオパーソナリティ]]
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]
[[Category:馬主]]
[[Category:ホリプロ]]
[[Category:サマーソニック出演者]]
[[Category:アリオラジャパンのアーティスト]]
[[Category:テイチクエンタテインメントのアーティスト]]
[[Category:ワーナーミュージック・ジャパンのアーティスト]]
[[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト]]
[[Category:NHK紅白歌合戦司会者]]
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]
[[Category:大阪市出身の人物]]
[[Category:日本に帰化した人物]]
[[Category:韓国・朝鮮系日本人]]
[[Category:1950年生]]
[[Category:存命人物]]

2024年7月30日 (火) 01:04時点における最新版

和田 アキ子
出生名 金 福子(キム・ポクジャ、김 복자
別名 和田 現子(わだ あきこ、帰化後の旧姓
飯塚 現子(いいづか あきこ、再婚後の本名)
生誕 (1950-04-10) 1950年4月10日(74歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市天王寺区舟橋町
学歴 城星学園高等学校中途退学
ジャンル R&Bソウル歌謡曲ジャズJ-POP
職業 歌手タレント司会者、女優ラジオパーソナリティ実業家
活動期間 1968年 -
レーベル RCAレコード1968年 - 1974年
RVC1975年 - 1978年
ワーナー・パイオニア1979年 - 1991年
ワーナーミュージック・ジャパン(1991年 - 2001年
テイチクレコード(2001年 - 2006年
ユニオンレコード2007年 - 2021年
ユニバーサルミュージック(2021年 - )
事務所 ホリプロ
公式サイト Ako's official web site

和田 アキ子(わだ アキこ、1950年昭和25年〉4月10日[1] - )は、日本歌手タレント司会者、女優ラジオパーソナリティ。所属芸能事務所は株式会社ホリプロ(在籍期間は女性タレント及び全体で最長)。所属レコード会社はユニバーサルミュージック

血液型はO型。本名は飯塚 現子(いいづか あきこ、旧姓:和田)。在日韓国人として出生し、その後日本へ帰化。帰化前の本名は金 福子(キム・ポクジャ、김 복자)で、通名金海 福子(かねうみ ふくこ)[2]

愛称アッコ(さん・ちゃん)、アコ(さん・ちゃん)、ゴッド姉(さん・ちゃん)。

略歴

幼少期

天王寺区にある大阪市立真田山小学校を卒業後、私立城星学園中学校へ入学。そのまま私立城星学園高校に進学するも父親が勝手に退学届けを出したため、在学期間はわずか2、3日間で中途退学となった[3][4]

小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。174cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ(当時の社名は「ホリプロダクション」で、小規模事務所だった)社長・堀威夫直々にスカウトされる。当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪神戸三宮で活動していたが実際にデビューできたのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である(詳しくは「氏名の読み」を参照)。

芸能活動

デビュー当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王[5]

1968年昭和43年)10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー[6]1969年4月25日(昭和44年)、2枚目のレコード「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚のスマッシュヒットを記録する。

1970年(昭和45年)、20歳になり『女番長・野良猫ロック』(日活)で映画初主演を果たす。同年、「笑って許して」でNHK第21回NHK紅白歌合戦』に出場し、『NHK紅白歌合戦』初出場を果たす。紅白にはこれを含めて通算39回出場し、紅組司会を計3回、紅組トリを計7回(うち1回は大トリ)を務めた(2023年時点。紅白について詳しくは、後述)。

1972年(昭和47年)、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。1973年(昭和48年)から日本テレビ金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演し、番組内で「ゴッド姉ちゃん[注釈 1]と呼ばれて人気を博した。以後、歌手業を続けながら様々なバラエティ番組にレギュラー出演した他、多数の冠番組などで司会者としても活躍。

32歳の時に子宮癌により子宮を摘出し、この時は子供が出来なくなったショックで、神様を呪ったとのこと[7]

1985年(昭和60年)10月、生放送のバラエティ番組・TBSアッコにおまかせ!』が放送を開始し、以後長年に渡り司会を担当(2024年現在)。

1987年度(昭和62年度)の日本女性放送者懇談会賞(現:放送ウーマン賞)を受賞した[8]

2005年(平成17年)7月13日付のオリコンチャートm-floとのコラボレーション作品「Hey!」が初登場9位を記録し、自身33年ぶりとなるTOP10入りを果たす。

2008年(平成20年)、競艇日本モーターボート競走会)のイメージキャラクターとなる。同年9月29日にはデビュー40周年記念として、ニューヨークアポロ・シアターで、日本人・東洋人のソロ歌手としては初となる単独公演「40th Anniversary Concert "Power&Soul"」を行った。

2021年(令和3年)4月より、所属レーベルをこれまでのテイチクエンタテインメント / ユニオンレコードからユニバーサルミュージックに完全移籍。年内に新作のオリジナルアルバムを発売予定であることも発表された[9][10]フレデリック提供の「YONA YONA DANCE」をリリース。TikTok内で5億再生を記録し[11]、TikTok流行語大賞2021 特別賞を受賞[12]

2023年(令和5年)3月にmeiyo提供の「KANPAI FUNK」をリリース。

人物

出身

大阪府大阪市天王寺区舟橋町[注釈 2]朝鮮系日本人であり、帰化時の官報では1949年(昭和24年)生まれとなっている。使用言語は、大阪弁を中心とした関西弁であり、標準語を使用することもある。

済州島出身者の父と、朝鮮半島出身者の母を持つ在日韓国人2世で、当時の本名は金福子、通名は金海福子だった。4人兄弟の長女で、下に3人の弟がいる。父は柔道の師範で大阪環状線鶴橋駅の近所にある自宅で柔道場「金海道場」を開き、母は乾物屋を営んでいた[2]。『週刊文春』のインタビューで、「『自分は日本人ではない』と知ったのは中学生の頃。区役所に行って分かった」と語っている[13]

芸能界デビュー時に、在日韓国人だと分かる名前をまずいと思った父親が、既に帰化していた和田の叔父の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となり、本人も日本に帰化した[13]

このような出自であるが、安倍晋三や父親の安倍晋太郎との友好関係[14]もあり、保守的な思想が強く、2024年に発生した中国籍の男による靖国神社への落書き事件に怒りを露にするなどしている[15]。また、同年6月に放送された『アッコにおまかせ!』では、小池百合子に好意的な発言をし、斉藤蓮舫を批判する発言を行った[16]

学生時代

父親は柔道の道場を開いており、和田の持ち前の大きな体もあり、中学1年生の頃すでに柔道初段だった。父親は礼儀作法・しつけに厳しく、全てのことは男性優先で男尊女卑、父の前では正座・敬語を使わなければいけないなどの厳しい家庭環境で、まだ小学生だった和田を殴りつけるなど、たびたび鉄拳制裁・暴力を加えられることもあった[注釈 3]。当時の楽しみは、弟たちとホームドラマを観ることだった[17]

中学からミッションスクールに進学した[17]が、上記の理由により父を憎んで反発[2]。中学2年生の頃には不良番長として子分を従えて歩き、飲酒・喫煙を繰り返し、大阪ミナミの繁華街を縄張りにし「ミナミのアコ」と呼ばれ恐れられていた[3][13]

その後エスカレーター式に高校に進学したが、3日目に父に「お前のような不良がいると学校の迷惑になる」と、退学届を勝手に出されて中退[17]。この行為に我慢できず、憂さ晴らしに不良仲間とミナミなどに訪れては、他の不良たち相手にケンカを売ったり買ったりの日々を送る[17]。以前から柔道をやっていたことや背が高いこともあり、ケンカは強かった[17]

ある日、不良仲間とミナミのジャズ喫茶「ナンバ一番」に訪れ、ステージで歌唱中の歌手にヤジを飛ばしたことがきっかけでステージで歌い始め、和田の歌唱が評判となった[注釈 4]。後日この噂を聞きつけて東京からやって来た堀威夫から「あなたと一緒に世界で勝負したい」と熱心にスカウトされ、プロの歌手になることを決めて上京した[17]

デビュー前・当初

上京からしばらくは、横浜にあった堀の実家で下宿生活を送った[17]。初期に、会社が「R&B歌手なので世界に通用するような洋モノの名前がいい」ということから芸名が「マーガレット和田」になりかけたが、名前とイメージが合わず結局本名からとって「和田アキ子」でデビューすることとなった[3]。デビュー曲「星空の孤独」は売れなかったため給料が安く、日々の食事代に事欠くほどだった[注釈 5]

デビュー当初は長身かつ大柄な体格・低音の効いた声が原因[18]で、横柄な態度を取っていないにもかかわらず先輩歌手から「態度がでかい」等といじめられる[18]。楽屋(女性歌手たちの大部屋)に入ると「男(和田)がいるから着替えられなーい!」と大声でいびられたり、白色の新しい靴に黒のマジックで「バカ」と書かれた[17]。他にも数え切れない理不尽・陰湿ないじめ(メイク改造論、花束が菊の花、靴に男女[注釈 6]と書かれる等)に遭い「私が一人前になったら、そういうことはしないようにしよう」と誓う[2][注釈 7]

芸能活動の初期に二、三の映画に主演、準主演しているが、現場の印象が非常に良くなかったため[要出典]、長らく日本映画界とは距離を置いている。その後はごくまれにゲスト出演する程度であり、旺盛な芸能活動の中では映画の比率は無に等しい。テレビドラマへの出演も、滅多に無い。

飯塚との結婚と子宮がん

夫の飯塚と入籍したばかりの1981年の夏、体の不調を感じて聖路加国際病院で当初“子宮筋腫”の診断を受け、そのまま入院[17]。しかしその後、飯塚と和田の母が真っ赤な目をして和田の病室に戻ってきて、「さっき子宮がんということが分かった。今全摘すれば治るから手術の承諾書にサインしてきた」と告げられた[17]。以前からたくさん子供がいる温かな家庭を作るのが夢だった和田は、大きなショックを受けた[注釈 8]

手術は成功したが、本人にとって「人生で一番辛い時期」となり[注釈 9]、子供が産めなくなったため数日後飯塚に離婚を切り出した。しかし飯塚から励まされて[注釈 10]夫婦生活の継続を決め、退院後の同年10月に四谷の教会で結婚式を挙げた[17]

喫煙歴と禁煙

かつてはヘビースモーカーで、不良になり始めた中学生の頃から煙草を吸っており、成人式の際の記者会見では冗談交じりに禁煙・禁酒を宣言したこともあった[注釈 11][2]。禁煙に成功する前は一日3箱、特に麻雀をやっていた時は1カートン(200本)は吸っていた。以前から何度も禁煙を試みるも失敗し、一時期禁煙に成功するも数年後に喫煙を再開。しかし2007年7月に『アッコにおまかせ!』の企画で出川哲朗松村邦洋らと人間ドックを受けたところ「肺気腫の疑い」との診断を受け、翌年、9月に念願のニューヨークアポロ・シアターでの単独コンサートを控えていたことから精密検査を受け、「慢性中等度閉塞性呼吸不全」(中程度の慢性閉塞性肺疾患〔COPD〕)との診断を受ける。この際、医師から「完全な肺気腫で、(このままの生活を続ければ)将来的に歌が歌えなくなる」と“歌手生命の危機”を告げられる[19]。その後、盆休みでロンドンに滞在していた時心臓発作を起こしたこと(これも喫煙が原因で、血管の石灰化を起こしていた)、姪やイチローをはじめとする周囲の友人、アッコファミリーからの説得、そしてカンニング竹山からの愛のこもった強い説得が決定打となり、2008年(平成20年)8月25日から周りのサポートを得ながら禁煙を開始し、2009年(平成21年)1月1日に完全禁煙を宣言。2009年(平成21年)8月に禁煙1周年を迎えた[20][21][出典無効]。こうした経験から2011年5月には「COPD広報大使」に任命されている[22]

性格

動物が苦手で、特に犬やなどの爬虫類が大の苦手[23]

前述の理由から子供を産むことができなかったため、大の子供好きである[24]

デビュー前、地元大阪では女番長(当時の類語としてズベ公、スケバン)として名を馳せていたものの、唯一沢田研二(正義感が人一倍強く、血気盛んだった)にだけは頭が上がらず、睨まれ縮こまってしまったほどである。

毒舌で体が大きく、また酒豪で暴力をふるう・喧嘩っ早いというイメージが強いが、その一方寂しがりや・恐がりで家事好き、意外に繊細な泣き虫である。可愛がっている芸能人を自宅に招待して酒を飲みつつ手料理を振る舞ったり、自宅に泊めたりしている。また昔から仲間うちで集まり酔って大騒ぎ・悪ふざけ・無茶ぶりをすることもあり、若い頃は泥酔して何も覚えていないこともしばしばあった。これが和田にまつわる酒席での数々の恐怖のエピソードとなる。一方、前述の通りの家庭環境や山岡久乃との関係から礼儀作法や不義理、また遅刻・番組収録時間の押しには厳しいが、身内に対しては甘いきらいがあり、特に非常に可愛がっていた芸能人の不祥事に関しては触れたがらなかったり言葉を濁したりすることも多い[25]。ただし犯罪を犯したり反社会勢力との交際の疑いで引退した芸能人については、身内であっても一切の連絡を絶つことにしており、年賀状のやり取りすらも行っていない。

一緒に飲みに行った芸能人がテレビ番組などで、夜中に電話で呼び出される・毎晩飲みに誘われる・朝まで説教された・酒を飲んで暴れるというエピソードをよく語るが、和田は「若い時はいざ知らず現在はそんな体力はない」「虚像の“和田アキ子”のイメージばかりが先行する。」と否定しながらも、「それが、“和田アキ子”のイメージならそれでいい。酒飲まない、暴れない、説教しない“和田アキ子”なんて“和田アキ子”じゃない。」と語っている[2]

あがり症で、コンサート・音楽番組に出演する際は過剰に緊張してしまい、本人いわく「心臓は止まりそうだし冷や汗は出るし、背中はびっちょりだし脇の下もびっちょり」で、カンニングペーパーがあっても1番の歌詞を何度も歌ってしまうこともよくある。また紅白歌合戦では、ステージ袖では毎回緊張のあまり手が震えて水を飲むのもやっととのこと。その一方で、バラエティ番組では基本的に一切あがらない[18][21][26]。また楽曲のレコーディングでは、誰かの視線を感じると緊張でベストコンディションで歌えなくなってしまうため、誰からも覗かれないようにカーテンを閉め切り、真っ暗な中で譜面台の明かりだけをつけてレコーディングを行う[27][28]

暗い所が大嫌いである[注釈 12]

歌手として

タレントとしてよりも歌手としての和田については評価される傾向があり、親交のあるカンニング竹山は和田の歌唱力をエラ・フィッツジェラルドに例えている[29]

中学時代からレイ・チャールズのファンである。中学生の頃から独自に歌を歌い始めたきっかけは、レイの歌の素晴らしさに加え、黒人で視覚障害者である彼の“差別に負けない生き方”に共感したこと[17]。和田のデビュー30周年のライブでは、レイがわざわざ来日してゲスト出演してくれたとのこと[17]

このため歌手業においてレイの影響を公言し、初期の公演実況録音盤では、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズチェイスなどカバー曲をステージレパートリーにしていたことが知られている。映画やテレビ出演々技とは一方で楽曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」の成功から、独特な合いの手、シャウト(アー!、Come on !ハッシッシッシ…、など)和田の個性的な歌唱上の特徴を控えたもので1973年から放映NHK教育人形劇プルルくん」主題曲担当など、児童の合唱曲模範になる録音を残している。

40周年ではニューヨークのアポロシアターで東洋人初のワンマンライブを実現[17]。2022年に変形性股関節症になり、膝に水がたまった影響で、しばらくはお腹に力が入らなくて歌えない状態となった[17]

実業家

2007年(平成19年)4月10日東京西麻布に和食屋「わだ家」をオープン。後に東京と大阪を中心に6店舗が展開。和田は監修という立場で、経営は夫の会社である株式会社エー・アンド・ケイ[注釈 13]が行っている。1980年代には美容院を経営していた。

誕生パーティー

毎年、和田の誕生日パーティーは、多くの芸能人を招待して行われることで有名である。例として、2008年の誕生日パーティにはみのもんた高田純次陣内孝則等の大物芸能人や、番組共演者とアッコファミリーの出川哲朗勝俣州和らが参加している[21]

テレビ出演

全国ネット番組では基本的に標準語で話すが、関西出身者との共演、ドラマで関西出身の人物を演じる時には関西弁を使う。また『ラブアタック!』など、視聴者参加番組で関西から来た参加者にインタビューする際も関西弁で会話する。

先述通り、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の看板コーナー『テレフォンショッキング』において、単独最多出場ゲストである(通算22回出演)。

なお、大阪制作の番組でのレギュラー出演は少なく、また『ラブアタック!』を最後に大阪制作のレギュラー番組を持っていない。

芸能界のご意見番

出演する番組や記者会見において、他の芸能人や『NHK紅白歌合戦』の出場者、放送内容に対する辛口コメントが多く、マスコミはそのコメントを採り上げることが多い。特にプロ意識に欠ける言動があった芸能人については辛辣な口調で批評する。「芸能界のボス」「芸能界のご意見番」の異名はこれに由来する[2]

本人は「芸能界のご意見番」と呼ばれることは嫌っており、「言われているのなら返上する」「オブラートに包んでいるつもりなんだけど、声もよく通るし迫力があるから。他の人で“そこまで言っていいの?”っていっぱいいる」と自身よりも過激な発言をする人物がいるのに、自身の発言が目立って取り上げられることに不満を見せている[30]

2016年まで10回行われている週刊文春の「女が嫌いな女」のランキング開始以降、常に上位に位置している[注釈 14]。2013年で初めて1位になり、2015年の2回連続で1位となり、嫌いな理由として「威張り過ぎ」、「大物ぶって鼻につく」、「見ただけで不愉快になる傲慢な態度。ときどき小心者ぶるところがさらに不愉快」、「自分の親しい人ばかりかばうご意見番なんて嫌だ」などが挙げられた[31]。2016年の調査でも2位のベッキーを大きく引き離して3回連続で1位となり、嫌いな理由として「身内びいきなことが多々あるので、もういい加減ご意見番から引退してほしい」、「とにかく偉そうなところが鼻につく」などが挙がった。

上記に絡み、和田と縁の深い竹山隆範は「アッコさんは我々も暴力性とかネタにしちゃってる部分があるけど、日頃は凄く女性で付き合いやすい六十代のおばさん。でもここまで来られたそれはバレないで女に嫌われるナンバーワンでいてほしい。それが和田アキ子だからと。」コメントした[32]。その一方、産業能率大学の「新入社員の理想の上司」調査[33]では、現行の調査方法になった1998年度から2013年度まで必ず10位以内にランクインしていた。逆に2016年「上司だったら面倒な女性芸能人」では2位の泉ピン子に大差をつけて1位になった[34]。また老害だと思う芸能人でも2位の張本勲に倍以上の大差で1位になった[35]

上記のいわゆる「上から目線」は反省する面があると自覚しており、なぜ年々発言が過激になっているかについて、最大の理由は「所属事務所のホリプロのみにとどまらず芸能界全体において先輩の刃向かえない立場の芸能人の死去や引退等による『叱ってくれる人がいなくなった』」[36]と自身の番組やゲスト出演した番組で何度も挙げており、そのまま自虐ネタにするときもある[37]

2007年(平成19年)の『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場した杉本真人について「ぜんぜん知らない人」と番組中に発言した。しかし、過去に杉本から和田へ楽曲が提供されていたことが後に分かり、『アッコにおまかせ!』放送中に土下座して謝罪したこともあった[38]

芸能関係者との交友・関係

歌手、俳優との関係

山岡久乃とは、1973年(昭和48年)、TBS系ドラマ『あんたがたどこさ』で初共演して以来、山岡を「(芸能界での)おっ母(かあ)」と呼び、深く尊敬するようになった。

森繁久弥とは、ドラマ『桃から生まれた桃太郎』『あんたがたどこさ』での共演を機に知り合い、大御所だった森繁になぜか気に入られるようになった。和田は、母親同然に可愛がってくれた人を含む“4人の母”の中の一人として、森繁の妻・森繁杏子を挙げて感謝している。和田は森繁のことを親しみを込めて「森繁のじい」と呼んでいた[3]

水前寺清子とは、1970年代に確執が囁かれ、水前寺が和田のレギュラー番組から出演オファーがあった際、「アコが嫌いだから出演しない」と断り、それを聞き和田が涙をこぼしたと『女性自身』(1974年2月9日号)に報じられた。水前寺は2016年11月4日放送のフジテレビ『ダウンタウンなう』で、「週刊誌に(番組に)出てくれないんで、一晩中泣いたと書かれたんですよ。その時に、私はあの方が元気いいところを知ってましたんで、『泣くタマか!』と言ったのは覚えています。売られたケンカは買います。この事件は、(喧嘩を)売られたと思いましたから。私が全く知らないところでこういうことがあって、『一晩泣いた。どうしてくれるんですか?』って言われたんで。『泣くタマか』って言ったのは、今でも本当に申し訳なかったと思います。アッコちゃんは、本当に今はとってもよくしてくださるし、優しいです」と語った[39][40]

紅白の出場歌手が発表される以前から衣装を制作している小林幸子に否定的な考えを持っており、この件がきっかけで2人の間に確執が生じた[41]。もっとも小林とは1986年には週刊誌上で不仲さが取り沙汰され、1990年代に入っても和田は「あの小林幸子の衣装はなんだ」とことあるごとに文句を述べていた。小林は和田の意見に対し、「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならばじかにはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと当時のワイドショーのインタビューなどで反論している。なお、和田は小林本人の前で批判は行わない[42]

今陽子とは親友の間柄で50年以上に渡る交流がある。

お笑いタレントとの交友

大のお笑い好きで知られる。歌手でありながらお笑いタレントとの親交が深くタモリビートたけし明石家さんま島田紳助横山ノック上岡龍太郎せんだみつお爆笑問題ダウンタウン博多華丸・大吉品川庄司ライセンス藤原一裕や、アッコファミリー松村邦洋出川哲朗勝俣州和カンニング竹山有吉弘行ますだおかだよゐこ陣内智則などと親交がある。

タモリとは『金曜10時!うわさのチャンネル!!』で共演して以来、親交がある。笑っていいとも!テレフォンショッキングでは番組開始から5日目の1982年10月8日に初出演しており、同コーナーにおいて、単独最多出演ゲスト(22回)である。またタモリ、ビートたけし、明石家さんまのお笑いBIG3とも親交が深く、ドラマ和田アキ子殺人事件では3人と共演している。

上記親交のある芸人の中でも特にデビュー当時の島田紳助は、元不良ということもあり非常に悪い態度だった。しかし、ある番組のゲストとして紳助が来た際に、彼の芸能人としての大きな可能性を和田は予感し、自身が司会を務める『歌のトップテン』で共演。また楽屋を同じ部屋にするなど、自らしつけ係を買って出た。このことがきっかけで紳助とは自他認める弟分という意味も込めた親友的な存在となり、自身の悩み等いろいろと相談できる間柄となった[3]。『歌のトップテン』、『B.C.ビューティー・コロシアム』では司会コンビを組む(『毛髪クリニックリーブ21』のCMでも共演)。

元芸能人で、『ラブアタック!』などで共演した横山ノックや上岡龍太郎とも親交がある。上岡とは大阪にいた頃からの友人で[43]、横山ノックも素人時代から芸能界入りしても面倒を見たため「親代わり」や「保護者」と和田自身が語り、ノックもこれを容認していた。このこともあり、横山と上岡が司会をしていた『ラブアタック!』の司会に和田が3人目の司会者として就任する際には、当時準メイン司会者だった横山は和田にその座を譲り、自らはサブ司会者に降格し、以後番組終了まで横山は和田のサポートしていた。

出川哲朗が『徹子の部屋』にゲスト出演した際に黒柳徹子と対談した際の内容によると、出川を楽屋に呼び出した後、見られるのが恥ずかしいという理由で、楽屋に居たスタッフやマネージャーを全員退出させてからバレンタインチョコを渡すという一面もあるという。

その他の交友

政治家の安倍晋三とは食事をする場所が同じということなどの共通点から親交があった。晋三の父親の安倍晋太郎にも可愛がられていたという[14]

その他エピソード

1972年に日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した際、待機する客席で名前を呼ばれた瞬間号泣して興奮状態となり、そばに座っていた沢田研二(同賞の候補者の一人)の腕を思わずつかみ、無関係の彼を連れたまま壇上に上がるという一幕があった[17]

1973年からのバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』では「ゴッド姉ちゃん」として、せんだみつお湯原昌幸ザ・デストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げた。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、のサイズの大きさ (27cm) などにより、和田の「デカくて・コワい・強い」というイメージが全国的に広まった。しかしその後、「ゴッド姉ちゃん」のイメージ定着を嫌ったことや、1978年(昭和53年)放送開始のドラマ『翔べ! 必殺うらごろし』(朝日放送製作、テレビ朝日系列へネット)への出演などがあり、歌手活動とテレビ番組出演との両立が困難になったことから、歌手に専念したいとの意向で、日本テレビへ強引に降板を申し入れた。これに絡んで、1979年(昭和54年)に『金曜10時!うわさのチャンネル!!』は打ち切りになった。この一件が原因で、以後2年間和田は日本テレビへの出入りが禁止されるなど両者は折り合いが悪くなった(後に和解)[44]。また、同番組の降板時、レギュラー出演していた他のバラエティ番組も全て降板した。

1975年(昭和50年)、マチャアキのガンバレ9時まで!!日本テレビ)の収録のために中野サンプラザに居た際に楽屋泥棒を捕まえ「警視総監表彰」を受け、当時の大手新聞各紙で大いに報じられた[45]が、新聞紙面にて年齢が公表された件で事務所がデビュー時に決めたプロフィールとズレが生じ、以降プロフィールは訂正された。

和田が「どんぐりカット」と呼んでいる独特の髪型は、ライザ・ミネリの髪形を真似たものである。1976年頃にのどのポリープ手術で入院する際、入浴に制限があるため手入れがいらない髪形を探していたところ、たまたまライザ・ミネリの写真を見て気に入り、それを和田に似合うようにアレンジした[3]

2007年、2008年、2010年大腸ポリープの手術を受けていることを明らかにしている。2010年に至っては8個のポリープを除去するために2回入院したと語っている。

化粧や嘘泣きができるので、女として産まれて良かったと思っていると語っている[46]

本人が事実と認めている伝説の一つに「CDが登場したばかりの頃、CDのケースを拳で割って開けていた」というものがある[47]。本人曰く「CDケースの開け方がわからず、てっきり壊して取り出すものだと思っていた」「拳で割っていたのは最初だけで、痛いのでその後はハサミの柄などで割っていた」とのこと[47]

2000年2月3日、節分の豆を買いに外出したところ、自宅近くの交差点でライトバンにはねられ右足骨折で数週間入院。当時の東京スポーツの記事の見出しには、事実とは逆に「車が大破!」と書かれていた[21]

中央競馬地方競馬馬主資格を持っており、所有馬には「ルンバデブンブン」や「ダイナマイトソウル」等、自身の曲・アルバムのタイトルに因んだ名前を付けている。2004年(平成16年)11月28日には歌手として、東京競馬場で行われたジャパンカップのレース発走前に『君が代』を独唱し、同レースの優勝プレゼンターを務めた。

2008年(平成20年)3月3日読売テレビ日本テレビ系で放送のアニメ『ヤッターマン』中、大河原邦男のデザインによる和田をモデルにした三悪(ドロンボー)側メカ「ワダアッコー」とヤッターマン側ビックリドッキリメカ(ゾロメカ)「オマカセメカ」が登場[注釈 15]。両機は自身の2008年(平成20年)4月23日発売のアルバムCD『わだ家』のジャケットの表紙に採用された[注釈 16]

和田のことをモノマネをするときによく歌われる『古い日記』の歌詞に出てくる、「ハッ!」という掛け声はスティービー・ワンダーを意識したものである[48]。ちなみに本人曰く「ものまねは、瀬川瑛子さんのまねしかできない」という。

自身はプロ野球にはあまり詳しくないが、夫の飯塚、弟、現在のマネジャーは読売ジャイアンツファンであり[49]2015年の読売ジャイアンツ開幕戦(東京ドーム)では巨人カラーのオレンジのラインを入れた衣装で国歌斉唱を行った[50]

2014年6月、「夢は『いつも旬でありたい』ということ。でも、歌手という自負がなくなったらやめる」と自身の引退について語った。その上で「ドレスが唯一似合ってると思っているし。第2の和田アキ子はいないと思う。(体が)大きくなきゃだめだし、声もハイトーンではだめ。一代で終わるとしたら和田アキ子を全うしたい。まだまだやりたいこといっぱいある。頑張りたい」とも語り、引退はまだ先であることも仄めかした[51]。なお、引退については幾度も考えたことがあるとのこと[24]

2016年8月20日放送のフジテレビミュージックフェア』で「Pokémon GOにはまっている」と発言した[52]

できちゃった婚には否定的な考えである[53]

長く活躍していることもあり、知名度も高い。2020年7月22日に放送された『水曜日のダウンタウン』の「古今東西 日本人知名度ランキング」[注釈 17]では、第6位 (94.0%) にランクインした。これは女性では第2位であり、男女関係なく歌手としてはトップである[54]

音楽

  • いくつかのヒットを持つ和田だが、オリコン最高位はシングル2位[注釈 18]アルバム25位である。2003年(平成15年)発売のシングル「トゥモロー〜ジョージアで行きましょう編〜」はオリコン77位(サウンドスキャンでは90位)を記録し、1992年(平成4年)発売の「愛、とどきますか」以来11年ぶりのオリコン100位以内ランクインシングルとなった。2006年(平成18年)発売のアルバム「今日までそして明日から」はオリコン76位を記録し、1972年(昭和47年)発売の「オリジナル・ゴールデン・ヒット集」以来34年ぶりのオリコン100位以内ランクインアルバムとなった。
  • オリコン調べによる1990年代(1989年12月1日〜1999年11月30日)のレコード・CDのトータル売上金額は2億220万円で総合993位である[55]
  • あの鐘を鳴らすのはあなた」は自他共に認める和田の代表曲であり、多くの歌手によってカバーされている(詳しくは当該項目を参照)。同曲の歌詞にはベトナム戦争への反戦メッセージが込められているといわれ、1972年(昭和47年)の「第23回NHK紅白歌合戦」では当時のNHKに配慮して歌わなかった。

シングル

  • 1-32まではRCAレコード→RVCから発売。33-69はワーナー・ミュージックジャパンから発売。70-93はコラボ企画以外は原則的にテイチクエンタテインメントから発売。ただし、デビュー当時より原盤権は東京音楽出版→ホリプロ音楽事業部が一貫して管理している。過去音源の発売権も配信サービスにおいてはホリプロからユニバーサル・ミュージックに移行している。(2022年11月現在)
  • 2017年10月25日より、一部のタイアップ曲[注釈 19]およびコラボ曲[注釈 20]を除くシングルほぼ全曲が、カップリング曲も含めダウンロード販売およびサブスプリクション配信を開始した。
以下は、別名義、コラボレーション含む。
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
RCA → RVC
1 1968年
10月25日
A面 星空の孤独 阿久悠 ロビー和田 村井邦彦 JRT-1004
B面 バイ・バイ・アダム 村井邦彦
2 1969年
4月25日
A面 どしゃぶりの雨の中で 大日方俊子 小田島和彦 山木幸三郎 JRT-1020
B面 ボーイ・アンド・ガール 小沢良知 川口真
3 1969年
10月25日
A面 その時わたしに何が起ったの? 阿久悠 田口ふさえ JRT-1043
B面 つれてって、何処までも 大日方俊子 むつひろし
4 1970年
3月25日
A面 笑って許して 阿久悠 羽根田武邦 馬飼野俊一 JRT-1068
B面 愛に証拠はいらない 片桐和子 小谷充
5 1970年
7月5日
A面 さすらいのブルース なかにし礼 鈴木邦彦 JRT-1087
B面 男と女のロック
6 1970年
11月5日
A面 貴方をひとりじめ 阿久悠 羽根田武邦 馬飼野俊一 JRT-1121
B面 世の中さかさま 海野洋司 田中正史
7 1971年
3月5日
A面 卒業させてよ 阿久悠 馬飼野俊一 JRT-1146
B面 天使の告白 川口真
8 1971年
6月5日
A面 天使になれない 都倉俊一 馬飼野俊一 JRT-1166
B面 星のない女
9 1971年
9月5日
A面 涙の誓い なかにし礼 川口真 JRT-1186
B面 男と女がいる限り
10 1971年
12月5日
A面 夜明けの夢 阿久悠 都倉俊一 JRT-1206
B面 翼もないのに
11 1972年
3月25日
A面 あの鐘を鳴らすのはあなた 森田公一 JRT-1216
B面 誰もいない朝
12 1972年
6月25日
A面 夏の夜のサンバ JRT-1236
B面 チャンスは三度 森田公一 アワノケイイチ
13 1972年
9月25日
A面 孤独 橋本淳 筒美京平 JRT-1256
B面 心に灯をつけて
14 1972年
10月25日
A面 あなたにありがとう 阿久悠 都倉俊一 JRT-1266
B面 失恋列車
15 1973年
4月5日
A面 私は歩いている 千家和也 森田公一 馬飼野俊一 JRT-1286
B面 嵐の女
16 1973年
7月25日
A面 悪い奴 鈴木邦彦 馬飼野康二 JRT-1296
B面 吹きさらしの町 有馬三恵子 馬飼野康二
17 1973年
10月25日
A面 この命奪って 山上路夫 馬飼野俊一 JRT-1316
B面 あなたと別れて あおい龍介 馬飼野康二
18 1974年
2月25日
A面 古い日記 安井かずみ JRT-1336
B面 女の純情 たかたかし
19 1974年
5月25日
A面 ふれあう愛 ロビー和田 J.Lennon 馬飼野康二 JRT-1356
B面 帰り来ぬ青春 津坂浩 C.Aznavour
H.Kretzmer
20 1974年
7月5日
A面 晴れのち曇り なかにし礼 馬飼野康二 JRT-1366
B面 明日 さいとう大三 馬飼野康二 あかのたちお
21 1974年
9月25日
A面 美しき誤解 なかにし礼 馬飼野康二 JRT-1376
B面 あなたは人生の光 津坂浩 ケーシー 馬飼野康二
22 1975年
2月15日
A面 見えない世界 及川恒平 細野晴臣 東海林修 JRT-1416
B面 海になれ 国吉良一
23 1975年
5月30日
A面 もっと自由に(Set me free) 阿木燿子 宇崎竜童 馬飼野俊一 JRT-1436
B面 別れたあなたに 岡田冨美子 平洋明 ボブ佐久間
24 1975年
9月5日
A面 酔いどれ 千家和也 三木たかし JP-1005
B面 雨のバス 穂口雄右
25 1975年
12月20日
A面 放浪・ヨコスカ 悠木圭子 鈴木淳 竜崎孝路 JP-1013
B面 流れ星
26 1976年
4月25日
A面 街角 西岡恭蔵 RVS-1002
B面 お酒に溺れて 悠木圭子 鈴木淳
27 1976年
7月25日
A面 雨のサタデー 千家和也 馬飼野康二 RVS-1023
B面 もう少し泣いていたい
28 1976年
11月25日
A面 ダンス・ウィズ・ミー 浜田省吾 高田弘 RVS-1039
B面 よくあることじゃない 小六禮次郎
29 1977年
3月5日
A面 二杯目のお酒 平尾昌晃 馬飼野俊一 RVS-1056
B面 夕べの鐘 いまむられいこ 浜田省吾 小六禮次郎
30 1977年
10月25日
A面 夜更けのレストラン 山口あかり 平尾昌晃 馬飼野俊一 RVS-1086
B面 愛のノスタルジア
31 1978年
3月5日
A面 コーラスガール 竜真知子 川口真 馬飼野康二 RVS-1119
B面 まどろみの夜風に いまむられいこ
32 1978年
12月20日
A面 ひとり酔い 柳ジョージ 竜崎孝路 RVS-1144
B面 愛して 浜田省吾 井上鑑
ワーナー・パイオニア → ワーナーミュージック・ジャパン
33 1979年
9月25日
A面 夢まであずけて 喜多条忠 川口真 あかのたちお L-310W
B面 終止符 森雪之丞 大谷和夫
34 1980年
2月10日
A面 Shut Up! L-329W
B面 真夜中 園田圭介 竜崎孝路
35 1980年
6月25日
A面 無礼句ダウン 森雪之丞 大谷和夫 L-348W
B面 風の見える町 岡田冨美子 森雪之丞
36 1980年
11月28日
A面 酔ったからって 岡本おさみ 鈴木キサブロー 若草恵 L-372W
B面 待たされて 岡田冨美子 あかのたちお
37 1981年
4月25日
A面 夕暮れ、恋人 浜口庫之助 小六禮次郎 L-1509W
B面 秋がいいわ
38 1982年
3月25日
A面 待ちわびて 荻まりこ 杉本真人 服部克久 L-1571
B面 追憶 平井一郎 J.Allison
A.Allison
小六禮次郎
39 1982年
9月25日
A面 想い出・砂時計 杉山政美 佐瀬寿一 戸塚修 L-1612
B面 夜もすがら 尾関昌也 尾関裕司 小笠原寛
40 1983年
4月23日
A面 恋はこりごり 湯川れい子 鈴木雅之 飛沢宏元 L-1622
B面 ラスト・メトロ 村田さち子 小六禮次郎 山本剛トリオ
41 1983年
11月30日
A面 Once More Take A Chance[注釈 21] 上綱克彦 THE WOOD L-1642
B面 Silent Dance 園部和範 楠木恭介
42 1984年
9月12日
A面 君が野に咲くバラなら 荒木とよひさ 三木たかし 小六禮次郎 L-1684
B面 夜もすがら 尾関昌也 尾関裕司 小笠原寛
43 1985年
6月25日
A面 バ・カ・ダ・ネ なかにし礼 鈴木キサブロー 瀬尾一三 L-1711
B面 モーニング・コール 村田さち子 小六禮次郎
44 1986年
6月25日
A面 もう一度ふたりで歌いたい 阿久悠 森田公一 水谷公生 L-1745
B面 日曜日のきまぐれ
45 1987年
6月25日
A面 愛するときを過ぎても 服部克久 戸塚修 L-1787
B面 YOU YOU YOU 都志見隆
46 1987年
8月25日
A面 抱擁 小笠原寛 L-1793
B面 愛するときを過ぎても 服部克久 戸塚修
47 1988年
4月25日
A面 だってしょうがないじゃない 川村真澄 馬飼野康二 矢島賢 L-1831
B面 古い日記 '74/'88 安井かずみ 馬飼野康二
48 1988年
5月25日
A面 ダ・ダ・ダ・ダ・ダイエット[注釈 22] 小林亜星 戸塚修 L-1845
B面 (ハヒフヘMIX)
49 1988年
10月10日
A面 続・だってしょうがないじゃない 川村真澄 馬飼野康二 07L7-4016
B面 だってしょうがないじゃない 馬飼野康二 矢島賢
50 1990年
3月25日
01 抱かれ上手 荒木とよひさ J.Carbone
D.Belfield
新川博 WPDL-1503
02 TIME GOES BY 田口俊 木塚二郎 戸塚修
51 1991年
3月25日
01 よくやるね 吉元由美 後藤次利 新川博 WPDL-1515
02 あの鐘を鳴らすのはあなた
(New Version)
阿久悠 森田公一 大谷和夫
52 1992年
2月25日
01 大阪ヘヴィーレイン 高橋研 新川博 WPDL-1525
02 黄昏に歌わせて 竜真知子 林哲司
53 1992年
5月25日
01 愛、とどきますか なかにし礼 林哲司 WPDL-4294
02 出さない手紙 林哲司 佐藤準
54 1993年
4月10日
01 Will Way 伊集院静 萩田光男 WPDL-4341
02 置時計 船山基紀
55 1993年
9月25日
01 抱いてサンバナイト 三浦徳子 山崎一稔 林有三 WPDL-4364
02 つれづれ恋人 杉本真人
56 1994年
5月25日
01 逢いたいうちが華だから 山崎一稔 WPD6-9002
02 しあわせかもしれない 及川眠子 大田黒裕司 難波弘之
57 1994年
8月25日
01 やじろべえ 秋元康 都志見隆 椎名和夫 WPD6-9013
02 あなたがそばにいる 大田黒裕司 富田泰弘
58 1995年
5月25日
01 がんばって 荒木とよひさ 羽田一郎 WPD6-9046
02 約束の夢 小山薫堂 羽田一郎 新川博
59 1995年
9月1日
01 さあ冒険だ 森高千里
S.Itoi
カール
スモーキー石井
米米CLUB WPD6-9043
60 1996年
6月25日
01 Mother 秋元康 鈴木キサブロー 林有三 WPD6-9087
02 ちゃうわ 井上ヨシマサ
61 1997年
4月10日
01 風のように空のように 森浩美 M.Bolton
D.Warren
服部隆之 WPD6-9128
02 あなたは美しい 秋元康 岩本正樹
62 1997年
10月25日
01 石井竜也 勝又隆一 WPD6-9157
63 1998年
2月11日
01 河〜River〜 森浩美 井上大輔 井上鑑 WPD6-9164
02 絶対に泣かない 及川眠子 井上ヨシマサ 林有三
64 1998年
7月25日
01 真夏の夜の23時 小西康陽 村田陽一 WPD6-9186
02 Searchin' 米倉利徳 河越重義
65 1998年
9月30日
01 Free at Last '98[注釈 23] 松本浩一 DJ FEILONG EG-002
66 1999年
7月14日
01 ぽろぽろ 森浩美 松本俊明 新川博 WPD7-10008
02 always life 宇佐元恭一
03 今あなたにうたいたい 加藤登紀子 馬飼野康二
67 2000年
6月7日
01 あの日によく似た青い空 森若香織 朝本浩文 WPCV-10069
02 (PIANO DUB MIX) 朝本浩文 吉村健一
03 古い日記
(DYNAMITE SOUL MIX)
安井かずみ 馬飼野康二 DJ AKIHIRO
YOSHIZAWA
68 2000年
10月12日
01 REACH OUT 森若香織 朝本浩文 WPCV-10106
02 SOUL DISCOVERY - 桜井鉄太郎
69 2001年
2月21日
01 愛の光 森若香織 朝本浩文 WPCV-10113
02 (Piano Version)
テイチクエンタテインメント → ユニオンレコード
70 2001年
10月17日
01 運命〜DESTINY〜 岡田冨美子 網倉一也 若草恵 TEDA-10521
02 Everybody Shake 真名杏樹 笹本安詞 桜井鉄太郎
71 2002年
7月22日
01 ラストシーンに戻りたい 夏海裕子 網倉一也 萩田光雄 TECE-11543
02 淋しい女と呼ばないで
72 2003年
3月26日
01 たまたまねぎねぎ
〜たまねぎが教えてくれたこと〜
[注釈 24]
秋元康 櫻井真一 神津裕之 TECE-11575
73 2003年
5月28日
01 トゥモロー
〜ジョージアで行きましょう編〜
福里真一 C.Strouse 小西康陽 TECA-10583
02 トゥモロー
〜ジョージアで行きましょう編II〜
河野伸
03 「Tomorrow」Original version M.Charnin
74 2003年
6月11日
01 ルンバでブンブン 横山剣 コモエスタ
八重樫
TECA-11586
02 史上最悪の夜 横山剣
小野瀬雅生
03 タイガー&ドラゴン
75 2004年
2月25日
01 旅立ちのうた BANANA ICE 沢田完 TECA-11620
02 (ピアノ・バージョン)
76 2004年
8月25日
01 愚かな女たち 秋元康 大田黒裕司 大田黒裕司
難波弘之
TECA-11646
02 不夜城 夏野芹子 笹本安詞 白井良明
77 2005年
3月2日
01 帰り来ぬ青春
readymade mix 2004
津坂浩 C.Aznavour
H.Kretzmer
小西康陽 TECA-11669
02 生きる 小西康陽
78 2005年
7月13日
02 HEY![注釈 25] m-flo RZCD-45229
79 2006年
4月25日
- あの鐘を鳴らすのはあなたたち 阿久悠 森田公一 - TECA-10053
80 2006年
5月10日
01 (Everything will be)
All Right
[注釈 26]
深井裕美子 佐藤“フィッシャー”五魚 SECL-386
81 2007年
6月27日
01 ゴールデンタイム 山本高史 馬飼野康二 TECI-401
03 生きる (林有三&サロン'68
アーリーサマーRemix)
小西康陽 林有三&
サロン'68
82 2008年
2月27日
01 幸せのちから M.Y TECI-402
02 (Crypto Room Remix) M.Y Crypto Room
03 ルンバでブンブン (Reggae
Disco Rockers Shankin' Mix)
横山剣 Reggae
Disco Rockers
83 2009年
2月25日
01 Brand New PARADISE[注釈 27] 前田たかひろ TSUKASA 清水信之 TECI-403
02 スローバラード 忌野清志郎 / みかん
84 2009年
3月4日
01 あなただけの青空 M.Y TECI-404
02 選ばなかった人生を 川村真澄 馬飼野康二
85 2009年
10月21日
01 キララ・キララ・バカ 荒木とよひさ 羽場仁志 林有三 TECI-405
02 綺麗ごとでいいじゃない 馬飼野康二
86 2010年
10月20日
01 人生はこれから 松井五郎 羽場仁志 安部潤 TECI-406
02 素直じゃないね Rio 林有三
87 2011年
4月20日
01 ff (フォルティシモ) 松尾由紀夫 蓑輪単志 白井良明 TECI-407
02 あの鐘を鳴らすのはあなた
(40周年記念コンサート
at the APOLLO THEATERより)
阿久悠 森田公一 山口英次
03 Tomorrow never knows 桜井和寿 林有三
88 2012年
7月25日
01 今夜は夢でも見ましょうか 松井五郎 羽場仁志 TECI-408
02 珠玉 吉元由美 馬飼野康二
89 2013年
7月3日
01 今でもあなた 秋元康 横健介 佐々木裕 TECI-409
02 残された時間 羽場仁志 安部潤
90 2014年
10月29日
01 すばらしき人よ さくらももこ さくらももこ
山崎燿
宮崎歩 TECI-410
02 孤独なひまわり 田久保真見 Rio 小林俊太郎
91 2015年
6月3日
01 晴レルヤ 馬飼野康二 TECI-411
02 春夏秋冬 泉谷しげる 朝本浩文
92 2016年
7月13日
01 All Right!!! 西浦さゆり 山口高始 TECI-412
02 道しるべ LILLA 新屋豊 戸田有里子
93 2018年
5月23日
01 愛を頑張って[注釈 28] 山田ひろし 山口高始 TECI-413
その他のシングル
作詞・作曲:比嘉栄昇/編曲:萩田光雄

配信

  1. YONA YONA DANCE(2021年9月2日)[56]
  2. 黄昏にアンコール(2021年11月11日)[57]
  3. KANPAI FUNK(2023年3月22日)[58]

アルバム

  1. どしゃぶりの雨の中で/ビートとハートを歌う和田アキ子(1969年)
  2. 監獄ロック 和田アキ子がロックを歌う(1970年)
  3. 卒業させてよ(1971年)
  4. ブルージーンと皮ジャンパー(1971年)
  5. あの鐘を鳴らすのはあなた(1972年)
  6. エルヴィスの世界(1972年)
  7. 雪が降る〜和田アキ子ポップスの世界(1973年)
  8. 私は歩いている/あなたにありがとう(1973年)
  9. 悪い奴 和田アキ子オリジナル第5集(1973年)
  10. 古い日記/和田アキ子愛をうたう(1974年)
  11. 晴れのち曇り(1974年)
  12. 新しい世界への出発(1975年)
  13. 放浪~さすらい(1976年)
  14. ダンス・ウィズ・ミー(1976年)
  15. オールディーズ・ヒット(1977年)
  16. PARK AVENUE 7PM(1978年)
  17. 夕暮れ、そして…(1981年)
  18. Only Yesterday(1988年8月25日)
  19. 私も…そうだった(1990年9月25日)
  20. 愛、とどきますか(1992年10月25日)
  21. Alive/song(s) for you '95(1995年9月25日)※カバーアルバム
  22. DYNAMITE-A-GO-GO!!!(1998年9月25日)※アナログ盤も発売
  23. 今日までそして明日から(2006年10月25日)※カバーアルバム
  24. わだ家(2008年4月23日)
  25. WADASOUL(2015年9月18日)
  26. WADASOUL2(2021年12月8日)

ライブ・アルバム

  1. 和田アキ子・オン・ステージ(1970年)
  2. AKO ON STAGE(1972年)
  3. デビュー10周年記念 全国縦断ディナーショー 和田アキ子・オン・ステージ(1977年)
  4. 和田アキ子リサイタル〜日劇に於ける実況録音(LP:1973年、CD:2002年3月21日)

ベスト・アルバム / コンピレーション

  1. 和田アキ子 デラックス
  2. 和田アキ子 BEST24
  3. 和田アキ子/オリジナル・ゴールデン・ヒット曲集
  4. 和田アキ子ベスト24デラックス
  5. マイ・セレクション
  6. LET'S SING SONG BEST 12(1987年1月25日)
  7. だってしょうがないじゃない/和田アキ子 全曲集(1989年12月21日)
  8. よくやるね 和田アキ子 バラード・コレクション(1991年9月25日)
  9. 和田アキ子 グレイテスト・ヒッツ 1968〜1991(1991年11月28日)
  10. 和田アキ子全曲集〜だってしょうがないじゃない(1992年11月10日)
  11. 和田アキ子全曲集シングルズ1993-1968(1993年4月21日)
  12. 和田アキ子PERFECT COLLECTION(1993年10月25日)※10枚組CD-BOX
  13. 和田アキ子全曲集'94 Song(s) for you(1994年9月25日)
  14. Alive/Song(s) for you'95(1995年9月25日)
  15. テーマソングス'80〜'96(1996年9月10日)
  16. DYNAMITE SOUL WADA AKIKO(1996年10月25日)
  17. BALLADS バラード全曲集(1996年12月11日)
  18. グレイテスト・ヒッツ'97(1997年5月25日)
  19. DYNAMITE GROOVE WADA AKIKO(1997年9月25日)
  20. VERY BEST OF AKIKO WADA'98(1998年9月25日)
  21. DYNAMITE PARADE(2000年10月12日)
  22. LOVE BALLAD BEST(2000年10月25日)
  23. 和田アキ子ベスト・ヒット(2002年3月21日)
  24. (株)ワダアキコ(2003年4月25日)※セルフカバーアルバム
  25. Haaah! 和田アキ子シングルコレクション(2003年6月11日)※10枚組CD-BOX
  26. ラブバラード・ベスト(2004年10月21日)
  27. Free Soul Wada Akiko(2004年11月24日)
  28. ベストヒット・コレクション(2005年5月25日)
  29. RAGGA AKIKO(2005年12月16日)
  30. リズムアンドブルースの女王。(2006年3月22日)
  31. World Standard Wada Akiko(2008年4月23日)
  32. Wada Akiko Dynamite Best 1968-2008(2008年11月26日)
  33. The Soul Extreme EP2(福原美穂、2011年10月12日)※Get Up! feat. AKIKO WADAで参加
  34. Yell〜2011 BEST OF THE BEST〜(2011年11月30日)
  35. AKIKO WADA 45th ANNIVERSARY ESSENTIAL COLLECTION(2013年6月12日)
  36. THE LEGEND OF SOUL-AKIKO WADA 50th ANNIVERSARY BEST ALBUM(2017年10月25日)

タイアップ曲

楽曲 タイアップ
1970年 男と女のロック 日活映画「女番長 野良猫ロック」挿入歌
世の中さかさま! フジテレビ系テレビドラマ「世の中さかさま」主題歌
1973年 プルルくんのうた NHK人形劇「プルルくん」主題歌
1975年 放浪・ヨコスカ 東宝映画「裸足のブルージン」主題歌
1978年 愛して テレビ朝日系テレビドラマ「翔べ! 必殺うらごろし」主題歌
1980年 風の見える町 フジテレビ系テレビドラマ「ひまわり戦争」主題歌
1984年 君が野に咲くバラなら テレビ朝日系バラエティ番組「たみちゃん」エンディングテーマ
1987年 抱擁 東映映画「極道の妻たちII」主題歌
1992年 愛、とどきますか 松竹映画「遠き落日」主題歌
1994年 やじろべえ TBS系クイズ番組「クイズ悪魔のささやき」エンディングテーマ
1995年 さあ冒険だ フジテレビ系子供向け番組「ポンキッキーズ」挿入歌
1996年 Mother TBS系テレビドラマ「おーい!ムコどの」主題歌
1997年 風のように空のように TBS系テレビドラマ「新幹線'97恋物語」主題歌
1998年 河〜River〜 東映映画「極道の妻たち 決着」主題歌
2000年 REACH OUT テレビ朝日系テレビアニメ「勝負師伝説 哲也」オープニングテーマ
2001年 愛の光 テレビ東京系テレビドラマ「女と愛とミステリー」エンディングテーマ
2003年 トゥモロー〜ジョージアで行きましょう編〜 缶コーヒージョージア」CMソング
2004年 旅立ちのうた NHKの音楽番組「みんなのうた2-3月新曲
Snake Eater (Japanese Version) ゲームソフト「メタルギアソリッド3 スネークイーター」日本語版主題歌[59]
2005年 帰り来ぬ青春 readymade mix 2004 TBS系テレビドラマ「聞かせてよ愛の言葉を」主題歌
生きる TBS系テレビドラマ「ザ・介護番長」主題歌
HEY! TBS系プロ野球中継番組「野球烈闘2005」テーマ曲
2006年 (Everything will be) All Right 松竹映画「陽気なギャングが地球を回す」エンディングテーマ
2007年 ゴールデンタイム サントリー「MDゴールデンドライ」CMソング
2008年 幸せのちから 競艇・2008年度CMソング
2009年 あなただけの青空 競艇・2009年度CMソング
2010年 人生はこれから 株式会社マルハン・CMソング
2011年 ff (フォルティシモ) サントリー「新・ジョッキ生」CMソング
残された時間 BS朝日系テレビドラマ「王様の家」主題歌
2015年 晴レルヤ テレビ東京系テレビドラマ「三匹のおっさん2」エンディングテーマ
2021年 YONA YONA DANCE TBS系情報バラエティ番組『アッコにおまかせ!』オープニングテーマ
2022年 東海テレビ・フジテレビ系ドラマ『おいハンサム!!』オープニングテーマ

DVD

  1. 35 Anniversary WITH YOU〜tomorrow(2003年10月22日、VHSあり)
  2. 和田アキ子特別企画ドラマ「ザ・介護番長」(2007年4月18日)
  3. ドラマ「和田アキ子殺人事件」(2007年4月18日)
  4. AKIKO WADA POWER & SOUL 和田アキ子 40周年記念コンサート at the APPOLO THEATER(2009年1月21日)・日本人女性歌手初のアメリカ・アポロシアターでのコンサートを収録した作品
  • 日活映画「女番長 野良猫ロック」(2012年4月3日)
  • 日活映画「野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ」(2012年4月3日)

NHK紅白歌合戦出場歴

1970年・第21回に初出場以来、1978年・第29回まで9年連続で出場。

1986年・第37回に8年振りに再出場[注釈 30]。以降、2015年・第66回まで30年連続で出場。

40回目の出場がかかった2016年に2度目の落選、その後の紅白復帰は無し(2023年時点)。

1987年1991年1995年1998年1999年2001年2008年には紅組トリを務めた(紅組トリ7回は石川さゆりに次ぐ現役歌手2位。全体では美空ひばりの13回に次ぐ3位)。

1987年、1988年1997年と合計3回紅組司会も担当、1987年の『第38回NHK紅白歌合戦』では「抱擁」で紅組トリを務めており、組司会とトリの兼任となった。なお、1970年代より幾度も紅組司会の候補に挙がっていた。また、山川静夫以来2人目且つ女性では史上初の昭和と平成の紅白で双方司会経験者でもある。

1998年(平成10年)、『第49回NHK紅白歌合戦』で「今あなたにうたいたい」を歌い、自身初の紅白の大トリを務める。抜群の声量を生かし、曲の途中ではハンドマイクを使わずに歌うパフォーマンスを見せ、観客席から大拍手が起こった。

2005年には、m-floとのコラボ曲「Hey!」のヒットにより、「m-flo loves Akiko Wada」名義で、自身初となる白組での紅白出場

2012年(平成24年)、『第63回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手として島倉千代子を抜いて単独で歴代最多出場歌手(36回)となる。その後も2015年(平成27年)『第66回NHK紅白歌合戦』まで30年連続出場(通算39回)を果たした。通算39回出場は当時の女性歌手の最多出場記録となった[60][注釈 31]

年度 放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1970年 第21回 笑って許して 02/24 水原弘 紅白初出場
1971年 第22回 2 天使になれない 03/25 美川憲一
1972年 第23回 3 孤独 02/23 フォーリーブス
1973年 第24回 4 笑って許して(2回目) 06/22 橋幸夫
1974年 第25回 5 美しき誤解 10/25 海援隊
1975年 第26回 6 もっと自由に 06/24 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
1976年 第27回 7 雨のサタデー 07/24 西城秀樹
1977年 第28回 8 夜更けのレストラン 12/24 千昌夫
1978年 第29回 9 コーラス・ガール 13/24 千昌夫 (2)
1986年 第37回 10 もう一度ふたりで歌いたい 12/20 菅原洋一 8年ぶりに紅白復帰出場
1987年 第38回 11 抱擁 20/20 五木ひろし 紅組司会
紅組トリ
1988年 第39回 12 だってしょうがないじゃない 09/21 吉幾三 紅組司会
1989年 第40回 13 だってしょうがないじゃない(2回目) 19/20 谷村新司 トリ前
1990年 第41回 14 抱かれ上手 27/29 北島三郎
1991年 第42回 15 あの鐘を鳴らすのはあなた 28/28 谷村新司 (2) 紅組トリ (2)
1992年 第43回 16 愛、とどきますか 27/28 さだまさし トリ前 (2)
1993年 第44回 17 星空の孤独 24/26 谷村新司 (3)
1994年 第45回 18 あの鐘を鳴らすのはあなた(2回目) 22/25 小林旭
1995年 第46回 19 もう一度ふたりで歌いたい(2回目) 25/25 細川たかし 紅組トリ (3)
1996年 第47回 20 Mother 20/25 さだまさし (2)
1997年 第48回 21 24/25 北島三郎 (2) 紅組司会
トリ前 (3)
1998年 第49回 22 今あなたにうたいたい 25/25 五木ひろし (2) 大トリ (4)
1999年 第50回 23 あの鐘を鳴らすのはあなた(3回目) 27/27 北島三郎 (3) 紅組トリ (5)
2000年 第51回 24 もう一度ふたりで歌いたい(3回目) 27/28 北島三郎 (4) トリ前 (4)
2001年 第52回 25 夢(2回目) 27/27 北島三郎 (5) 紅組トリ(6)
2002年 第53回 26 抱擁(2回目) 25/27 さだまさし (3)
2003年 第54回 27 古い日記 2003 KOUHAKU Remix 27/30 五木ひろし (3)
2004年 第55回 28 あの鐘を鳴らすのはあなた(4回目) 22/28 ゆず
2005年 第56回 29 HEY! 27/29 渡辺美里 白組での出場
2006年 第57回 30 Mother(2回目) 23/27 秋川雅史
2007年 第58回 31 あの鐘を鳴らすのはあなた(5回目) 26/27 森進一 トリ前 (5)
2008年 第59回 32 夢(3回目) 26/26 氷川きよし 紅組トリ (7)
2009年 第60回 33 もう一度ふたりで歌いたい(4回目) 22/25 コブクロ
2010年 第61回 34 AKKOィィッ!紅白2010スペシャル[注釈 32] 16/22 加山雄三
2011年 第62回 35 あの鐘を鳴らすのはあなた(6回目) 19/25
2012年 第63回 36 愛、とどきますか(2回目) 21/25 美輪明宏
2013年 第64回 37 今でもあなた 17/26 TOKIO
2014年 第65回 38 古い日記〜2014紅白スペシャル〜(3回目) 11/23 V6 前半トリ
2015年 第66回 39 笑って許して(4回目) 11/25 細川たかし (2)

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) /(出場者数)」で表す。

出演

現在の出演番組

過去の出演番組

その他

NHK
日本テレビ
テレビ朝日
TBS
テレビ東京
フジテレビ
朝日放送
  • ラブアタック!(1978年4月 - 1984年10月、ABC・テレビ朝日)※この番組を最後に大阪制作の全国ネットのレギュラー番組を持っていない
CS放送
ネット番組
  • 和田アキ子 最強バトル!(2009年5月 - 、モバイルTVBee TV

テレビドラマ

映画

劇場アニメ

ウェブテレビ

  • 和田アキ子 史上初の誕生会生中継(2019年4月10日、AbemaTV[66]

ゲーム

海外アニメ

ラジオ

CM

Web配信

書籍

著書

  • 『和田アキ子だ!文句あっか!』日本文芸社、1983年。ISBN 4-537-00976-4 - 発行部数は120万部に達した。
  • 『和田アキ子の“バ・カ・ダ・ネ”―よせばいいのに言っちゃった―』ワニブックス、1985年。
  • 板東英二言いたい放題アッコとバンちゃん』〈日音books〉、日音、1986年11月1日。ISBN 4-543-02508-3
  • みんな大好き』小学館、1987年2月10日。
  • 『和田アキ子と28人のプロたち』スタジオシップ、1990年。
  • 『5年目のハイヒール』扶桑社、1993年。ISBN 4-594-01265-5
  • 『啓示』メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-8401-0053-5 - ホリプロ40周年記念企画で刊行された書籍
  • 『アッコの愛の説教部屋』PHP研究所、2004年。
  • 『おとなの叱り方』PHP研究所、2008年。ISBN 978-4-569-69625-6
  • 『禁煙アッコ 和田アキ子禁煙事件』宝島社、2009年。ISBN 978-4-7966-7202-3 - 構成 鈴木おさむ

脚注

注釈

  1. ^ 当時、公開された映画ゴッドファーザーに由来。
  2. ^ 生野区東成区の境界付近。鶴橋駅上町台地付近に位置している。
  3. ^ 和田曰く「理不尽なまでのスパルタ式のしつけ」。
  4. ^ 本人によると、ヤジを飛ばすと歌手から「そんならお前が歌え」と言われた。しかし、以前から密かに歌を歌っていた和田がステージで歌ったところ、客たちから大喝采を受けた。ほどなくして店の人から“和田が歌う日はいつもより客が入る”と評判になったという[17]
  5. ^ 本人によると「当時、事務所や飲食店の人に『歌手として売れたら返すから』と言って食事を奢ってもらおうとしても、『お前みたいなデカい女が売れるもんか』と誰も相手にしてくれなかった」とのこと[17]
  6. ^ おとこおんな。和田の見た目などが男みたいな女という意味から。
  7. ^ また本人は、「悔しかったけど当時実家の家計を支えていたので、芸能界を辞めることはできなかったです。いじめられて傷つくたび、トイレでこっそり泣いていました」とも述懐している[17]
  8. ^ 本人によると、「当時『ふざけんなよ。なんでお前にそんなこと決める権利があるんだよ、(子宮全摘手術を)キャンセルしてよ!』と夫の胸を叩きながら半狂乱で泣き崩れました」と述懐している[17]
  9. ^ 本人によると、「私がいた病室の近くに新生児室があって(他の妊婦たちが産んだ)元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて辛かった。手術後は自分の運命を呪い、病室の天井を見ながら死ぬことだけを考えていた。」と述懐している。
  10. ^ 自身と同じく子供好きな夫に申し訳なく思った和田は、「このまま私といても子供はできないから離婚していいよ」と伝えた。飯塚から「アコの命が助かればそれでいい。アコが好きだし、“歌手の和田アキ子”がもっと大好きだから」と告げられ、嬉しさのあまり号泣したとのこと。
  11. ^ 当時は未成年者の飲酒・喫煙に対しては寛容だったため問題発言とは見なさず、普通の芸能ニュースとして「スポニチテレビニュース」や週刊誌スポーツ新聞で紹介された。
  12. ^ 上京後、堀威夫の実家で下宿生活を送っていたが、その地域の夜道は当時暗く、夜帰宅する際は怖さを紛らわせるためいつも歌いながら夜道を歩いていた。ある時後ろから寄ってくる人がいて逃げようとしたがその人は警察官で、「最近、この辺りで“夜道を大声で歌って歩いている人がいる”と苦情があってパトロールしてたんだけど、君だね」と怒られたことがある[17]
  13. ^ 和田の夫の飯塚と、和田の2番目の弟である和田現夫が経営し、和田は役員として所属。
  14. ^ 2004年はランク外、2005年〜2007年は3位、2008年は4位、2009年は2位、2010年は3位、2011年は2位。
  15. ^ 読売テレビプロデューサー諏訪道彦がブログで、このメカに関しては和田の所属事務所から許諾を得たと述べている[1][2]
  16. ^ オマカセメカはytv・日テレ版『ヤッターマン』の2代目オープニング(第11話「ドロンジョ様はお年ごろだコロン!」以降より)にも数秒間登場している。
  17. ^ 調査対象は日本の人口バランスに合わせた比率の10代〜70代(2000人)で、全国のあなたの街に住みます芸人による街頭調査およびリサーチ会社による調査を行った。ノミネートされた人物の中には戦国武将などの歴史的人物も含む。
  18. ^ 2018年6月4日付のオリコンチャートで「愛を頑張って」が週間2位を獲得した。それまでは長らく「天使になれない」(1971年発売)の週間8位が自己最高位であった。
  19. ^ 「ダ・ダ・ダ・ダ・ダイエット」「さあ冒険だ」
  20. ^ 「Free at Last'98」「たまたまねぎねぎ〜たまねぎがおしえてくれたもの〜」「HEY!」「こころのこだま」「(Everything will be) All Right」
  21. ^ 和田アキ子&THE WOOD名義。
  22. ^ アッコにおまかせ合唱団名義。
  23. ^ HOUSE FOUNDATION + AKIKO WADA名義。
  24. ^ ババロア@名義(久本雅美とのデュエット)。
  25. ^ m-flo loves Akiko Wada名義。
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  29. ^ いちごいちえ名義(参加者は石川さゆり岩崎宏美大泉逸郎川中美幸島津亜矢田端義夫チェウニ天童よしみBEGIN前川清山本譲二、和田アキ子の計12人)。テイチクエンタテインメント70周年記念楽曲。
  30. ^ 1979年 - 1985年はヒット曲に恵まれず、紅白は落選となっていた(中村竜太郎『週刊文春』2005年8月11/18日夏の特大号“実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”)。この間、紅白は視聴しなかったとのこと(和田アキ子 紅白不出場で「毎日泣いた」 生ラジオで心境、エールに感謝 SponichiAnnex、2016年11月26日)。
  31. ^ この記録は2017年(平成29年)の第68回NHK紅白歌合戦に出場した石川さゆりによって破られた。
  32. ^ 「人生はこれから」→「笑って許して」(3回目)→「古い日記」(2回目)
  33. ^ 1972年10月 - 1973年3月、牧伸二と共演。1975年10月 - 1976年3月、坊屋三郎と共演。
  34. ^ 斎藤清六と共演。
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出典

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関連項目

外部リンク