「クエンティン・リチャードソン」の版間の差分
LaaknorBot (会話 | 投稿記録) m ロボットによる 追加: ru:Ричардсон, Квентин |
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (www.basketball-reference.com) (Botによる編集) |
||
(21人の利用者による、間の23版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{バスケットボール選手 |
{{バスケットボール選手 |
||
|名前= クエンティン・リチャードソン |
|名前= クエンティン・リチャードソン |
||
|画像= Quentin Richardson |
|画像= Quentin Richardson.jpg |
||
|画像サイズ=250px |
|||
⚫ | |||
|画像説明=現役時代 ([[ニューヨーク・ニックス]]) のリチャードソン |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
|カタカナ表記= |
|カタカナ表記= |
||
|アルファベット表記=Quentin Richardson |
|アルファベット表記=Quentin Richardson |
||
11行目: | 13行目: | ||
|誕生日={{生年月日と年齢|1980|4|13|}} |
|誕生日={{生年月日と年齢|1980|4|13|}} |
||
|出身地=[[イリノイ州]][[シカゴ]] |
|出身地=[[イリノイ州]][[シカゴ]] |
||
|出身=[[デポール大学]] |
|||
|身長=198cm |
|身長=198cm |
||
|体重=104kg |
|体重=104kg |
||
|血液型= |
|血液型= |
||
|足のサイズ= |
|足のサイズ= |
||
|所属チーム名= |
|所属チーム名= デトロイト・ピストンズ |
||
|ポジション= ガード |
|ポジション= [[シューティングガード|SG]]/[[スモールフォワード|SF]] |
||
| |
|役職= AC |
||
|背番号= 3, 23, 5, 55 |
|||
|垂直飛び= |
|垂直飛び= |
||
|最高到達点= |
|最高到達点= |
||
|CAP数= |
|CAP数= |
||
|ドラフト=[[2000年のNBAドラフト|2000年]] 1巡目18位 |
|||
|経歴=[[ロサンゼルス・クリッパーズ]]<br />[[フェニックス・サンズ]]<br />[[ニューヨーク・ニックス]]<br />[[マイアミ・ヒート]]<br />[[オーランド・マジック]]<br />[[ニューヨーク・ニックス]] |
|||
|賞歴=*[[NBAスリーポイント・シュートアウト]]コンテスト優勝:2005 |
|||
|経歴年=2000-2004<br />2004-2005<br />2005-2009<br />2009-2010<br />2010-2012<br />2013 |
|||
|監督歴=[[デトロイト・ピストンズ]] (選手育成担当) |
|||
|監督年=2014- |
|||
}} |
}} |
||
'''クエンティン・リチャードソン''' |
'''クエンティン・リチャードソン'''(Quentin L. Richardson、[[1980年]][[4月13日]] - )は[[アメリカ合衆国]]・[[イリノイ州]][[シカゴ]]出身の元[[バスケットボール]]選手。身長198cm、体重104kg、ポジションは[[シューティングガード]]、[[スモールフォワード]]。 |
||
身長198cm、体重104kg、ポジションは[[シューティングガード]]、[[スモールフォワード]]。 |
|||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
34行目: | 43行目: | ||
シーズン終了後に[[ニューヨーク・ニックス]]へ移籍。だが、移籍後は故障に苦しみ成績を大きく落としてしまっている。 |
シーズン終了後に[[ニューヨーク・ニックス]]へ移籍。だが、移籍後は故障に苦しみ成績を大きく落としてしまっている。 |
||
2009-10シーズンは、4度のトレードを経て[[マイアミ・ヒート]]へ移籍し75試合にスターターとして出場し1試合平均8.9点、キャリアハイの3ポイント成功率.397の成績を残した。 |
|||
⚫ | |||
2010年、[[オーランド・マジック]]に移籍し、2シーズンを過ごしたが、成績は低下し、2012年再び[[ニューヨーク・ニックス]]に入団するも1試合に出場したのみで解雇され、FAとなっている。 |
|||
==その他== |
|||
⚫ | |||
== 家族 == |
== 家族 == |
||
1992年に母親を[[乳癌]]で亡くし祖母に育てられた。2005年12月に兄が強盗に銃で撃たれて亡くなった。12歳の時も別の兄が同じく銃で撃たれて亡くなっていた |
1992年に母親を[[乳癌]]で亡くし祖母に育てられた。2005年12月に兄が強盗に銃で撃たれて亡くなった。12歳の時も別の兄が同じく銃で撃たれて亡くなっていた |
||
51行目: | 64行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* [http://www.nba.com/playerfile/quentin_richardson/ NBA.com |
* [http://www.nba.com/playerfile/quentin_richardson/ NBA.com クエンティン・リチャードソン] |
||
* [https://www.basketball-reference.com/players/r/richaqu01.html Quentin Richardson---basketball-reference.com] |
|||
{{ニューヨーク・ニックスのメンバー}} |
|||
⚫ | |||
{{NBAオールスター・スリーポイント・シュートアウト}} |
|||
{{DEFAULTSORT:りちやあとそん くえんていん}} |
{{DEFAULTSORT:りちやあとそん くえんていん}} |
||
[[Category:アメリカ合衆国のバスケットボール選手]] |
[[Category:アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手]] |
||
⚫ | |||
[[Category:ロサンゼルス・クリッパーズの選手]] |
[[Category:ロサンゼルス・クリッパーズの選手]] |
||
[[Category:フェニックス・サンズの選手]] |
[[Category:フェニックス・サンズの選手]] |
||
[[Category:ニューヨーク・ニックスの選手]] |
[[Category:ニューヨーク・ニックスの選手]] |
||
[[Category:イ |
[[Category:マイアミ・ヒートの選手]] |
||
[[Category:オーランド・マジックの選手]] |
|||
⚫ | |||
[[Category:シカゴ出身の人物]] |
|||
[[Category:1980年生]] |
[[Category:1980年生]] |
||
[[Category:存命人物]] |
|||
⚫ | |||
[[ca:Quentin Richardson]] |
|||
[[de:Quentin Richardson]] |
|||
[[en:Quentin Richardson]] |
|||
[[es:Quentin Richardson]] |
|||
[[fr:Quentin Richardson]] |
|||
[[it:Quentin Richardson]] |
|||
[[pt:Quentin Richardson]] |
|||
[[ru:Ричардсон, Квентин]] |
2024年8月22日 (木) 18:27時点における最新版
現役時代 (ニューヨーク・ニックス) のリチャードソン | |
デトロイト・ピストンズ AC | |
---|---|
ポジション | SG/SF |
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
愛称 | Q , Q-Rich |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1980年4月13日(44歳) |
出身地 | イリノイ州シカゴ |
身長(現役時) | 198cm (6 ft 6 in) |
体重(現役時) | 104kg (229 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | デポール大学 |
ドラフト | 2000年 1巡目18位 |
選手経歴 | |
2000-2004 2004-2005 2005-2009 2009-2010 2010-2012 2013 |
ロサンゼルス・クリッパーズ フェニックス・サンズ ニューヨーク・ニックス マイアミ・ヒート オーランド・マジック ニューヨーク・ニックス |
指導者経歴 | |
2014- | デトロイト・ピストンズ (選手育成担当) |
受賞歴 | |
| |
Stats Basketball-Reference.com | |
クエンティン・リチャードソン(Quentin L. Richardson、1980年4月13日 - )はアメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ出身の元バスケットボール選手。身長198cm、体重104kg、ポジションはシューティングガード、スモールフォワード。
経歴
[編集]デポール大学で2年間プレイした後、アーリーエントリーを宣言。在学中は17.9得点、10.2リバウンドの成績を残した。現在まで、1000得点、500リバウンド、100スリーポイントシュートを1シーズンに記録した大学生唯一の選手である。2000年のNBAドラフトで1巡目18位指名をロサンゼルス・クリッパーズから受けて入団した。この年のドラフトでは全体3位でダリウス・マイルズ、全体10位でキーオン・ドゥーリングも入団している。
ルーキーシーズンは76試合に出場(28試合に先発出場)し、1試合平均8.1得点3.4リバウンドの成績を残す。その後3年間クリッパーズでプレー。03-04シーズンにはキャリア最高となる1試合平均17.2得点6.4リバウンド、1.2スティールの活躍を見せた。フリーエージェントとなった彼は04-05シーズンにフェニックス・サンズへ移籍。リーグ最多の631本の3ポイントシュートを放ち226本を成功させダン・マーリーが持っていたサンズのチーム記録199本を塗り替える活躍を見せた[1]。この記録はカイル・コーバーと共にシーズン記録となった[2]。また2004年12月29日に行われたニューオーリンズ・ホーネッツ戦ではチーム新記録となる9本のスリーポイントを決めている[1]。この年彼はオールスターウィークに行われたシュートアウトに出場し優勝した。
サンズはこのシーズン62勝を挙げてチームはウェスタンカンファレンスファイナルまで進出したがサンアントニオ・スパーズに敗れた。
シーズン終了後にニューヨーク・ニックスへ移籍。だが、移籍後は故障に苦しみ成績を大きく落としてしまっている。
2009-10シーズンは、4度のトレードを経てマイアミ・ヒートへ移籍し75試合にスターターとして出場し1試合平均8.9点、キャリアハイの3ポイント成功率.397の成績を残した。
2010年、オーランド・マジックに移籍し、2シーズンを過ごしたが、成績は低下し、2012年再びニューヨーク・ニックスに入団するも1試合に出場したのみで解雇され、FAとなっている。
その他
[編集]2002年の映画ヴァン・ワイルダー(Van Wilder)に俳優として出演している[3]。
家族
[編集]1992年に母親を乳癌で亡くし祖母に育てられた。2005年12月に兄が強盗に銃で撃たれて亡くなった。12歳の時も別の兄が同じく銃で撃たれて亡くなっていた [4][5]。
ポップシンガーのブランディ・ノーウッドと婚約し100万ドルの婚約指輪を贈っていたがその後破局している[5]。
主な受賞歴
[編集]- NBAスリーポイント・シュートアウト優勝
- カンファレンスUSA 最優秀選手 1998/99
- マクドナルド・オールアメリカン