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{{存命人物の出典皆無|date=2012年12月12日 (水) 03:41 (UTC)}} |
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<B>水田章雄</B>(<B>みずた あきお</B>、[[1973年]][[7月11日]]-)は[[プロ野球]][[福岡ソフトバンクホークス]]所属の[[投手]]。背番号は44。右投げ右打ち。 |
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{{Infobox baseball player |
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[[大阪府]]出身。現[[読売ジャイアンツ]]所属の[[後藤光貴]]は社会人で同期である。 |
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|選手名 = 水田 章雄 |
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|所属球団 = |
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|背番号 = |
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|選手写真ファイル名 = |
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|写真のコメント = |
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|国籍 = {{JPN}} |
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|出身地 = [[大阪府]][[南河内郡]][[河南町]] |
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|生年月日 = {{生年月日と年齢|1973|7|11}} |
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|没年月日 = |
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|身長 = 182 |
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|体重 = 81 |
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|利き腕 = 右 |
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|打席 = 右 |
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|守備位置 = [[投手]] |
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|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1998}} |
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|ドラフト順位 = ドラフト5位 |
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|初出場 = 1999年6月23日 |
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|最終出場 = 2010年8月15日 |
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|年俸 = |
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|経歴 = |
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* [[清教学園中学校・高等学校|清教学園高等学校]] |
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* [[立命館大学硬式野球部|立命館大学]] |
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* [[大和銀行]] |
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* [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス<br />福岡ソフトバンクホークス]] (1999 - 2010) |
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|選出国 = |
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|選出年 = |
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|選出方法 = |
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'''水田 章雄'''(みずた あきお、[[1973年]][[7月11日]] - )は、[[大阪府]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。2011年度より[[福岡ソフトバンクホークス]]の球団スタッフ。 |
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== 来歴・人物 == |
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=== プロ入り前 === |
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[[清教学園中学校・高等学校|清教学園高校]]3年時の夏の大阪府大会では、4回戦で[[中村紀洋]]のいる[[大阪府立渋谷高等学校]]に敗れている。[[立命館大学硬式野球部|立命館大学]]では38回連続無失点を記録。リーグ戦通算5勝2敗。社会人野球の[[大和銀行]]では[[パナソニック野球部|松下電器]]の補強選手で[[第68回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]に出場し、[[1998年]]の[[第25回社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]では救援して勝利投手<ref>[https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/jaba-image-bucket/wp-content/uploads/2020/02/04101955/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA%E9%87%8E%E7%90%83%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E5%A4%A7%E4%BC%9A40%E5%B9%B4%E5%8F%B2.pdf - 社会人野球日本選手権大会40年史]</ref>。[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1998年ドラフト]]5位指名を受け[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に入団した。 |
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[[後藤光貴]](元[[埼玉西武ライオンズ|西武]]、[[読売ジャイアンツ|巨人]])は社会人時代の同期であるが、同一社会人チームからは事前の了承を得ないと複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、同じく1998年のドラフト会議で西武から指名される予定だった後藤が、水田が先に指名を受けたためプロ入りできないという事件があった。後藤は翌[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1999年のドラフト会議]]で西武の指名を受けてプロ入りしている。 |
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== 経歴 == |
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大阪・[[清教学園高]]から[[立命館大学]]、[[大和銀行]]を経て[[1998年]]の[[ドラフト]]5位で[[福岡ダイエーホークス]]に入団。 |
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打者の手元で小さく変化する[[カーブ]]と、大きく縦に割れる[[フォーク]]が武器。 |
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プロ2年目の[[1999年]]に初登板を果たし、同年7月11日の日本ハム戦では初先発で初勝利を成し遂げる。 |
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その後は低迷が続いたが、[[2002年]]には相次ぐ先発ローテーション投手の離脱で1軍復帰。即先発を任される。 |
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6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62と、終わってみればプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の先発ローテーション入りに名乗りを挙げた。 |
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=== プロ入り後 === |
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しかし、[[2003年]]は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わり、シーズンを通して1軍定着とはいかなかった。 |
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[[1999年]]から初登板を果たし、[[7月11日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦で初先発初勝利を挙げた。 |
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[[2000年]]は主に火消し役として登板し、[[防御率]]2.76という活躍を見せた。 |
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翌[[2004年]]は抑え投手の不在から、開幕直後から抑え役を任されたが、精神面の弱さを露呈し、わずか3セーブを挙げるに留まり、新人の[[三瀬幸司]]に抑え役を明け渡し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送ることになる。 |
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[[2002年]]には相次ぐ[[先発投手]]の離脱で1軍復帰。即先発を任される。結局6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62とプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の[[先発ローテーション]]入りに名乗りを挙げた。 |
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同年[[10月21日]]、翌[[2005年]][[5月26日]]に相次いで右ヒジ遊離軟骨除去手術を行い、再起を期す。 |
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[[2003年]]は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。 |
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== 通算成績(2004年シーズン終了時点) == |
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66試合 8勝 8敗 3セーブ 163投球回 122奪三振 95失点 防御率4.64 |
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[[2004年]]、抑え投手の不在から開幕直後から抑え役に抜擢されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3[[セーブ]]を挙げるに留まった。その後新人の[[三瀬幸司]]が抑えに定着し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送る。同年[[10月21日]]、翌[[2005年]][[5月26日]]には相次いで右ヒジ遊離軟骨除去[[手術]]を行い、2005年は一軍登板無しに終わる。 |
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[[2007年]]、投手陣に不調や離脱が相次いだことで先発、中継ぎとしてフル回転。シーズン中盤以降はリリーフエースに定着し、20[[ホールドポイント]]を記録。プロ入り最多の45試合に投げ、防御率2.25という好成績を残した。 |
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== 関連項目 == |
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[[福岡ソフトバンクホークス]] |
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[[2008年]]は故障により中盤まで2軍暮らしが続き、8月17日に1軍昇格。15試合の登板にとどまった。 |
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[[藤井将雄]] |
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[[2009年]]はシーズン通して中継ぎとして働き、防御率3.19、11ホールドポイントと安定した成績をあげた。 |
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[[2010年]]は、[[甲藤啓介]]や[[森福允彦]]らの台頭もあり、14試合の登板、防御率7.62に終わり、[[10月1日]]に[[戦力外通告]]を受けた。 |
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引退後はホークスの打撃投手に就任した。その後も球団スタッフを務める。 |
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== 選手としての特徴 == |
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最高150km/hの速球のほかに、[[カーブ (球種)|カーブ]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[シュート (球種)|シュート]]が持ち球。 |
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== 詳細情報 == |
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=== 年度別投手成績 === |
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{| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}} |
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|style="text-align:center;"|{{by2|1999}} |
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|rowspan="11" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー<br />ソフトバンク]] |
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|15||3||0||0||0||1||2||0||--||.333||151||32.2||38||2||19||1||0||28||0||0||21||19||5.23||1.74 |
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|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2000}} |
|||
|14||0||0||0||0||0||0||0||--||----||121||29.1||28||3||7||0||0||27||5||0||13||9||2.76||1.19 |
|||
|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2001}} |
|||
|2||0||0||0||0||0||0||0||--||----||22||5.0||6||0||1||0||0||3||0||0||3||3||5.40||1.40 |
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|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2002}} |
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|6||5||2||0||0||3||0||0||--||1.000||143||34.1||30||5||12||0||0||25||2||0||10||10||2.62||1.22 |
|||
|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |
|||
|15||5||0||0||0||1||3||0||--||.250||210||43.0||50||8||29||0||3||29||1||0||36||33||6.91||1.84 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2004}} |
|||
|14||0||0||0||0||3||3||3||--||.500||92||18.2||28||1||11||1||0||10||1||0||12||10||4.82||2.09 |
|||
|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2006}} |
|||
|4||0||0||0||0||0||0||0||0||----||29||6.2||9||2||2||0||0||2||1||0||4||4||5.40||1.65 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |
|||
|45||6||0||0||0||5||3||0||19||.625||292||72.0||68||6||17||3||5||44||1||0||23||18||2.25||1.18 |
|||
|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2008}} |
|||
|15||0||0||0||0||0||2||0||7||.000||67||14.2||18||3||5||1||1||6||0||0||12||11||6.75||1.57 |
|||
|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2009}} |
|||
|46||0||0||0||0||3||0||0||8||1.000||184||42.1||49||3||12||1||0||22||2||0||16||15||3.19||1.44 |
|||
|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2010}} |
|||
|14||0||0||0||0||0||0||0||1||----||69||13.0||22||1||5||0||2||6||0||0||14||11||7.62||2.08 |
|||
|- |
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!colspan="2"|通算:11年 |
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|190||19||2||0||0||16||13||3||35||.552||1380||311.2||346||34||120||7||11||202||13||0||164||143||4.13||1.50 |
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|} |
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* ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更 |
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=== 記録 === |
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* 初登板:1999年6月23日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]14回戦([[東京ドーム]])、7回裏に3番手で救援登板、2回1失点 |
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* 初奪三振:同上、7回裏に[[田口昌徳]]から |
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* 初先発・初勝利:1999年7月11日、対日本ハムファイターズ18回戦([[福岡ドーム]])、7回無失点 |
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* 初完投勝利:2002年9月11日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]24回戦([[西武ドーム]])、9回3失点 |
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* 初セーブ:2004年4月5日、対[[大阪近鉄バファローズ]]1回戦([[大阪ドーム]])、7回裏2死に4番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点 |
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* 初ホールド:2007年6月8日、対[[広島東洋カープ]]3回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点 |
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=== 背番号 === |
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* '''44''' (1999年 - 2010年) |
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* '''106''' (2011年 - 2013年) |
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== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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== 関連項目 == |
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* [[大阪府出身の人物一覧]] |
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* [[立命館大学の人物一覧]] |
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* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{NPB|91293888}} |
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[http://www5e.biglobe.ne.jp/~m-d-r/fdh/taka44.htm 水田章雄公式サイト] |
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{{MLBstats |cube=Akio-Mizuta |brm=mizuta001aki}} |
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* [http://www.mizuta44.com/ 水田章雄公式サイト] |
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{{福岡ダイエーホークス1998年ドラフト指名選手}} |
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{{DEFAULTSORT:みすた あきお}} |
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[[Category: |
[[Category:日本の野球選手]] |
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[[Category: |
[[Category:立命館大学硬式野球部の選手]] |
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[[Category: |
[[Category:大和銀行硬式野球部の選手]] |
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[[Category:福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手]] |
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[[Category:7月11日生|みずた あきお]] |
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[[Category:日本の打撃投手]] |
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[[Category:大阪府出身の人物]] |
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[[Category:1973年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
2024年3月22日 (金) 07:05時点における最新版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府南河内郡河南町 |
生年月日 | 1973年7月11日(51歳) |
身長 体重 |
182 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト5位 |
初出場 | 1999年6月23日 |
最終出場 | 2010年8月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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水田 章雄(みずた あきお、1973年7月11日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。2011年度より福岡ソフトバンクホークスの球団スタッフ。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]清教学園高校3年時の夏の大阪府大会では、4回戦で中村紀洋のいる大阪府立渋谷高等学校に敗れている。立命館大学では38回連続無失点を記録。リーグ戦通算5勝2敗。社会人野球の大和銀行では松下電器の補強選手で都市対抗野球に出場し、1998年の日本選手権では救援して勝利投手[1]。1998年ドラフト5位指名を受け福岡ダイエーホークスに入団した。
後藤光貴(元西武、巨人)は社会人時代の同期であるが、同一社会人チームからは事前の了承を得ないと複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、同じく1998年のドラフト会議で西武から指名される予定だった後藤が、水田が先に指名を受けたためプロ入りできないという事件があった。後藤は翌1999年のドラフト会議で西武の指名を受けてプロ入りしている。
プロ入り後
[編集]1999年から初登板を果たし、7月11日の日本ハム戦で初先発初勝利を挙げた。
2000年は主に火消し役として登板し、防御率2.76という活躍を見せた。
2002年には相次ぐ先発投手の離脱で1軍復帰。即先発を任される。結局6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62とプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の先発ローテーション入りに名乗りを挙げた。
2003年は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。
2004年、抑え投手の不在から開幕直後から抑え役に抜擢されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3セーブを挙げるに留まった。その後新人の三瀬幸司が抑えに定着し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送る。同年10月21日、翌2005年5月26日には相次いで右ヒジ遊離軟骨除去手術を行い、2005年は一軍登板無しに終わる。
2007年、投手陣に不調や離脱が相次いだことで先発、中継ぎとしてフル回転。シーズン中盤以降はリリーフエースに定着し、20ホールドポイントを記録。プロ入り最多の45試合に投げ、防御率2.25という好成績を残した。
2008年は故障により中盤まで2軍暮らしが続き、8月17日に1軍昇格。15試合の登板にとどまった。
2009年はシーズン通して中継ぎとして働き、防御率3.19、11ホールドポイントと安定した成績をあげた。
2010年は、甲藤啓介や森福允彦らの台頭もあり、14試合の登板、防御率7.62に終わり、10月1日に戦力外通告を受けた。
引退後はホークスの打撃投手に就任した。その後も球団スタッフを務める。
選手としての特徴
[編集]最高150km/hの速球のほかに、カーブ、スライダー、フォーク、シュートが持ち球。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | ダイエー ソフトバンク |
15 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 151 | 32.2 | 38 | 2 | 19 | 1 | 0 | 28 | 0 | 0 | 21 | 19 | 5.23 | 1.74 |
2000 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 121 | 29.1 | 28 | 3 | 7 | 0 | 0 | 27 | 5 | 0 | 13 | 9 | 2.76 | 1.19 | |
2001 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 22 | 5.0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 5.40 | 1.40 | |
2002 | 6 | 5 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 143 | 34.1 | 30 | 5 | 12 | 0 | 0 | 25 | 2 | 0 | 10 | 10 | 2.62 | 1.22 | |
2003 | 15 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 210 | 43.0 | 50 | 8 | 29 | 0 | 3 | 29 | 1 | 0 | 36 | 33 | 6.91 | 1.84 | |
2004 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3 | -- | .500 | 92 | 18.2 | 28 | 1 | 11 | 1 | 0 | 10 | 1 | 0 | 12 | 10 | 4.82 | 2.09 | |
2006 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 29 | 6.2 | 9 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 4 | 4 | 5.40 | 1.65 | |
2007 | 45 | 6 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 19 | .625 | 292 | 72.0 | 68 | 6 | 17 | 3 | 5 | 44 | 1 | 0 | 23 | 18 | 2.25 | 1.18 | |
2008 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | .000 | 67 | 14.2 | 18 | 3 | 5 | 1 | 1 | 6 | 0 | 0 | 12 | 11 | 6.75 | 1.57 | |
2009 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 1.000 | 184 | 42.1 | 49 | 3 | 12 | 1 | 0 | 22 | 2 | 0 | 16 | 15 | 3.19 | 1.44 | |
2010 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 69 | 13.0 | 22 | 1 | 5 | 0 | 2 | 6 | 0 | 0 | 14 | 11 | 7.62 | 2.08 | |
通算:11年 | 190 | 19 | 2 | 0 | 0 | 16 | 13 | 3 | 35 | .552 | 1380 | 311.2 | 346 | 34 | 120 | 7 | 11 | 202 | 13 | 0 | 164 | 143 | 4.13 | 1.50 |
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
[編集]- 初登板:1999年6月23日、対日本ハムファイターズ14回戦(東京ドーム)、7回裏に3番手で救援登板、2回1失点
- 初奪三振:同上、7回裏に田口昌徳から
- 初先発・初勝利:1999年7月11日、対日本ハムファイターズ18回戦(福岡ドーム)、7回無失点
- 初完投勝利:2002年9月11日、対西武ライオンズ24回戦(西武ドーム)、9回3失点
- 初セーブ:2004年4月5日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)、7回裏2死に4番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点
- 初ホールド:2007年6月8日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点
背番号
[編集]- 44 (1999年 - 2010年)
- 106 (2011年 - 2013年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 水田章雄 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 水田章雄公式サイト