「オマル・トリホス」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Baalcy korbo (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
Syanarion62 (会話 | 投稿記録) →top: 画像の変更 |
||
(27人の利用者による、間の31版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{スペイン語圏の姓名|トリホス|エレーラ}} |
|||
{{大統領 |
{{大統領 |
||
| 人名=オマール |
| 人名=オマール・トリホス |
||
| 各国語表記=Omar Efraín Torrijos Herrera |
| 各国語表記=Omar Efraín Torrijos Herrera |
||
| 画像= Omar Torrijos |
| 画像= Omar Torrijos 1978.jpg |
||
| 画像サイズ=220px |
| 画像サイズ=220px |
||
| 代数= |
| 代数= |
||
| 職名= |
| 職名=最高司令官 |
||
| 国名= |
| 国名= {{PAN}}共和国 |
||
| 副大統領職= |
| 副大統領職=大統領 |
||
| 副大統領=[[ホセ・マリア・ピニージャ・ファブレガ|ホセ・マリア・ピニージャ]] (1968-69)<br>[[デメトリオ・B・ラカス]] (1969-78)<br>[[アリスティデス・ロヨ]] (1978-82) |
|||
| 副大統領= |
|||
| 就任日=[[ |
| 就任日=[[1968年]][[10月11日]] |
||
| 退任日=[[1981年]][[7月31日]] |
| 退任日=[[1981年]][[7月31日]] |
||
| 出生日=[[1929年]][[2月13日]] |
| 出生日=[[1929年]][[2月13日]] |
||
| 生地=[[サンティアゴ・デ・ベラグアス]] |
| 生地={{flagicon|PAN}} [[サンティアゴ・デ・ベラグアス]] |
||
| 生死=死去 |
| 生死=死去 |
||
| 死亡日=[[1981年]][[7月31日]] |
| 死亡日=[[1981年]][[7月31日]] |
||
| 没地={{flagicon|PAN}} [[w:Penonomé, Coclé|Penonomé]]の近く |
|||
| 没地= |
|||
| 配偶者= |
| 配偶者=Raquel Pauzner de Torrijos |
||
| 子女=[[マルティン・トリホス]] |
|||
| 政党=なし(軍人) |
| 政党=なし(軍人) |
||
⚫ | |||
}} |
}} |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
== 生涯 == |
== 生涯 == |
||
[[ファイル:Omar Torrijos with Panamanian farmers.jpg|250px|thumb|left|オマール・トリホス(右)]] |
[[ファイル:Omar Torrijos with Panamanian farmers.jpg|250px|thumb|left|オマール・トリホス(右)]] |
||
1929年、[[サンティアゴ (パナマ)]] |
1929年、[[サンティアゴ (パナマ)|サンティアゴ]] ([[:en:Santiago de Veraguas|Santiago de Veraguas]]) の教師の家庭に生まれる。幼少期に母親が米兵にぞんざいに扱われるのを目撃する。[[エルサルバドル]]、[[アメリカ合衆国]]、[[ベネズエラ]]の軍人学校で英才教育を受けたのち[[1952年]]に国家防衛隊に入隊し、反体制派の弾圧に辣腕を振るうようになった。[[1968年]]のクーデターに加わり、最高司令官となり全軍を掌握する。 |
||
1972年には新憲法を制定して国の最高指導者としての全権を握り、[[ペルー革命]]を指導した[[ペルー]]の[[フアン・ベラスコ・アルバラード|ベラスコ]] |
[[1972年]]には新憲法を制定して国の最高指導者としての全権を握り、[[ペルー革命]]を指導した[[ペルー]]の[[フアン・ベラスコ・アルバラード|ベラスコ]]に影響を受けた<ref>中川・松下・遅野井(1985年)、p.190</ref>民族的政策を打ち出して国民の支持を集めた。その一環としてアメリカ占領下にあった[[パナマ運河地帯]]の主権回復を目指し、[[キューバ]]の[[フィデル・カストロ|カストロ]]に接近し、近隣諸国に協力を求めるなどアメリカ合衆国に揺さぶりをかけた。こうして[[1977年]]、アメリカ合衆国と運河返還を約束する条約の締結に成功する。それ以外にも様々な国内改革を行い国民生活の改善に務めた。[[1978年]]、国家主席の座を退いたが国家防衛隊最高司令官としてとどまり、新たに結成した[[民主革命党 (パナマ)|民主革命党]] (PDR) を通じて圧倒的影響力を発揮し続けた。1981年、謎の飛行機事故で死亡した。事故の原因はアメリカによる[[暗殺]]と言われている。 |
||
== 脚註 == |
== 脚註 == |
||
<references /> |
<references /> |
||
== 参考文献 == |
|||
* 中川文雄、松下洋、遅野井茂雄『世界現代史34 ラテンアメリカ現代史Ⅱ』[[山川出版社]]、1985年 |
|||
* 国本伊代、小林志郎、小澤卓也『パナマを知るための55章』[[明石書店]]、2004年 ISBN 9784750319643 |
|||
== 関連作品 == |
== 関連作品 == |
||
* [[グレアム・グリーン]] |
* [[グレアム・グリーン]]『トリホス将軍の死』[[早川書房]]、1985年 ISBN 9784152032959 |
||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
* [[新パナマ運河条約]] |
|||
* [[フアン・ベラスコ・アルバラード]] |
* [[フアン・ベラスコ・アルバラード]] |
||
* [[マヌエル・ノリエガ]] |
|||
* [[トクメン国際空港]] |
|||
{{s-start}} |
|||
{{先代次代|[[パナマの大統領|パナマ共和国大統領]]|[[1969年]]-[[1981年]]|[[ホセ・ピニージャ]]|[[フロレンシオ・フローレス・アギラール]]|}} |
|||
{{s-mil}} |
|||
{{s-bef|before= 新設}} |
|||
{{s-ttl|title= {{flagicon|PAN}} [[パナマの大統領|パナマ国家警備隊最高司令官]]|years=1968 - 1981}} |
|||
{{s-aft|after= [[フロレンシオ・フローレス・アギラール]]}} |
|||
{{s-ppo}} |
|||
{{s-bef|before = 新設}} |
|||
{{s-ttl|title = {{flagicon|PAN}} [[パナマの大統領|パナマ革命の最高指導者]]|years = 1972 - 1981}} |
|||
{{s-aft|after = なし}} |
|||
{{S-end}} |
|||
{{Normdaten}} |
|||
⚫ | |||
[[Category:パナマの政治家]] |
[[Category:パナマの政治家]] |
||
[[Category:パナマの軍人]] |
[[Category:パナマの軍人]] |
||
[[Category:パナマの反共主義者]] |
|||
[[Category:20世紀の軍人]] |
|||
[[Category:クーデター政権指導者]] |
|||
[[Category:航空事故死した人物]] |
|||
[[Category:1929年生]] |
[[Category:1929年生]] |
||
[[Category:1981年没]] |
[[Category:1981年没]] |
||
⚫ | |||
[[ca:Omar Torrijos]] |
|||
[[de:Omar Torrijos]] |
|||
[[en:Omar Torrijos]] |
|||
⚫ | |||
[[fi:Omar Torrijos]] |
|||
[[fr:Omar Torrijos]] |
|||
[[hr:Omar Torrijos]] |
|||
[[id:Omar Torrijos]] |
|||
[[it:Omar Torrijos]] |
|||
[[nl:Omar Torrijos]] |
|||
[[pt:Omar Torrijos]] |
|||
[[qu:Omar Torrijos]] |
|||
[[ru:Торрихос, Омар]] |
2023年1月4日 (水) 11:35時点における最新版
オマール・トリホス Omar Efraín Torrijos Herrera | |
任期 | 1968年10月11日 – 1981年7月31日 |
---|---|
大統領 | ホセ・マリア・ピニージャ (1968-69) デメトリオ・B・ラカス (1969-78) アリスティデス・ロヨ (1978-82) |
出生 | 1929年2月13日 サンティアゴ・デ・ベラグアス |
死去 | 1981年7月31日 Penonoméの近く |
政党 | なし(軍人) |
配偶者 | Raquel Pauzner de Torrijos |
子女 | マルティン・トリホス |
署名 |
オマール・エフライン・トリホス・エレーラ(Omar Efraín Torrijos Herrera, 1929年2月13日 - 1981年7月31日)は、パナマの軍人、政治家。軍事政権を率いたが、反米ナショナリストとして民衆から広く慕われた。
生涯
[編集]1929年、サンティアゴ (Santiago de Veraguas) の教師の家庭に生まれる。幼少期に母親が米兵にぞんざいに扱われるのを目撃する。エルサルバドル、アメリカ合衆国、ベネズエラの軍人学校で英才教育を受けたのち1952年に国家防衛隊に入隊し、反体制派の弾圧に辣腕を振るうようになった。1968年のクーデターに加わり、最高司令官となり全軍を掌握する。
1972年には新憲法を制定して国の最高指導者としての全権を握り、ペルー革命を指導したペルーのベラスコに影響を受けた[1]民族的政策を打ち出して国民の支持を集めた。その一環としてアメリカ占領下にあったパナマ運河地帯の主権回復を目指し、キューバのカストロに接近し、近隣諸国に協力を求めるなどアメリカ合衆国に揺さぶりをかけた。こうして1977年、アメリカ合衆国と運河返還を約束する条約の締結に成功する。それ以外にも様々な国内改革を行い国民生活の改善に務めた。1978年、国家主席の座を退いたが国家防衛隊最高司令官としてとどまり、新たに結成した民主革命党 (PDR) を通じて圧倒的影響力を発揮し続けた。1981年、謎の飛行機事故で死亡した。事故の原因はアメリカによる暗殺と言われている。
脚註
[編集]- ^ 中川・松下・遅野井(1985年)、p.190
参考文献
[編集]- 中川文雄、松下洋、遅野井茂雄『世界現代史34 ラテンアメリカ現代史Ⅱ』山川出版社、1985年
- 国本伊代、小林志郎、小澤卓也『パナマを知るための55章』明石書店、2004年 ISBN 9784750319643
関連作品
[編集]- グレアム・グリーン『トリホス将軍の死』早川書房、1985年 ISBN 9784152032959
関連項目
[編集]軍職 | ||
---|---|---|
先代 新設 |
パナマ国家警備隊最高司令官 1968 - 1981 |
次代 フロレンシオ・フローレス・アギラール |
党職 | ||
先代 新設 |
パナマ革命の最高指導者 1972 - 1981 |
次代 なし |