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{{Otheruses|福山市鞆地区にある景勝地|福山市の鞆地区および広島県にかつてあった自治体|鞆町}}
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{{Coord|34|22|51.173|N|133|22|46.878|E|region:JP-34_type:waterbody|display=title|name=鞆の浦}}
[[File:Tomonoura viewed from Taishiden.jpg|thumb|250px|医王寺太子殿から望む鞆の浦]]
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[[ファイル:Setostamp1939.JPG|thumb|250px|[[瀬戸内海国立公園]]の指定時に発行された記念郵便切手(1939年)]]
'''鞆の浦'''(とものうら)は、[[広島県]][[福山市]]鞆地区の[[沼隈半島]]南端にある[[港湾]]およびその周辺[[海域]]([[備後灘]])である。


== 概要 ==
'''鞆の浦'''('''とものうら''')は、[[広島県]][[福山市]]の[[沼隈半島]]の南端にある古代より栄えた[[港]]・[[港町]]および[[海域]]([[湾]])である。かつては'''鞆の津'''とも呼ばれた。円形港湾で近世の港湾施設がよく残されているのが特徴。
現在は鞆港の[[港町|港周辺の市街]]を含めた範囲も「鞆の浦」と呼ぶことも多いが、本来「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味であり鞆港を中心とした[[備後灘]]に属する海域のことである。


沿岸部と沖の島々一帯は「'''鞆公園'''」として、1925年に国の[[名勝]]および[[国立公園]]に指定されている。また、1934年3月16日に[[国立公園]]として初の<ref>雲仙および霧島国立公園と同時指定。</ref>、[[瀬戸内海国立公園]]に指定された。そのため、国立公園指定当時の[[記念切手]]や絵葉書には、鞆の風景が描かれているものがある。なお、鞆の浦に含まれる島には[[仙酔島]]、[[つつじ島]]、[[皇后島]]、[[弁天島 (福山市)|弁天島]]、[[玉津島]]、[[津軽島]]がある。
現在、鞆港は[[福山港]]の一地区となっている。


[[瀬戸内海]]の海流は[[潮汐|満潮]]時に[[豊後水道]]や[[紀伊水道]]から[[瀬戸内海]]に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に[[干潮]]時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に、沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。このような地理的条件から[[大伴旅人]]などによる[[万葉集]]に詠まれるように、古代より「'''潮待ちの港'''」として知られていた<ref name="mainichi240512">{{Cite news|date=2024–05–12|author=山田泰蔵|url=https://mainichi.jp/articles/20240512/ddv/010/040/014000c|title=わたしのふるさと便 イチオシマップ 広島県 福山市「鞆の浦」 人魅了する歴史と波音|newspaper=[[毎日新聞]]|publisher=[[毎日新聞社]]|accessdate=2024年6月25日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20240523225942/https://mainichi.jp/articles/20240512/ddv/010/040/014000c|archivedate=2024年5月23日}}</ref>。また、鞆は[[魏志倭人伝]]に書かれる「[[投馬国]]」の推定地の一つともなっている。
沿岸部と沖の島々一帯は「'''鞆公園'''」として国の[[名勝]]及び[[国立公園]]に指定されている。[[1992年]]には[[都市景観100選]]に、[[2007年]]には[[美しい日本の歴史的風土100選]]にも選ばれた。


鞆の浦の[[港町]]である鞆には古い町並みが残り、1992年には[[都市景観100選]]に、2007年には[[美しい日本の歴史的風土100選]]にも選ばれた。また、1927年に[[日本二十五勝]]の海岸景勝地として、「鞆の浦・[[屋島]]・[[高浜町|若狭高浜]]」が選ばれた。江戸時代の港湾施設である「[[常夜燈]]」、「[[雁木 (港湾)|雁木]]」、「[[波止場]]」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。[[江戸時代]]中期と後期の町絵図に描かれた[[道路|街路]]もほぼ全て現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がない<ref>[http://tabisanpo.com/MENU/sannichi2010/20100514a.htm 広島大学大学院文学研究科教授三浦正幸氏「日本の宝 鞆の浦を歩く」]</ref>。
[[画像:Tomonoura01sb1890.jpg|thumb|320px|医王寺境内から望む鞆の浦]]
[[画像:Setostamp1939.JPG|thumb|220px|鞆の浦と仙酔島を描いた瀬戸内海国立公園指定時に発行された記念郵便切手(1939年)]]


古くから[[映画]]や[[テレビドラマ]]の[[ロケーション撮影|ロケ]]が行われ<ref name="mainichi240512"/><ref name="setouchifinder2002">{{Cite web|和書|date=2020–02–20|url=https://setouchifinder.com/ja/detail/29121|title=日本遺産「鞆の浦」#3 映画やドラマの風景を探すロケ地巡り/広島県福山市【PR】 映画やドラマの風景を探す!鞆の浦のロケ地巡りコース|website=[[せとうち観光推進機構#事業内容|瀬戸内ファインダー]]|publisher=[[せとうち観光推進機構]]|accessdate=2022年9月5日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200923190048/https://setouchifinder.com/ja/detail/29121|archivedate=2020年9月23日}}</ref>、特に2008年公開された『[[崖の上のポニョ]]』で、[[宮崎駿]]監督が構想を練った地として有名になり、映像作品のロケが増えている<ref name="mainichi240512"/><ref name=wolverine-samurailocation>[http://www.foxmovies.jp/wolverine-samurai/sp/location.html 映画『ウルヴァリン:SAMURAI』オフィシャルサイト - Fox]、[http://locationjapan.net/newss/20130821_news/ 映画『ウルヴァリン:SAMURAI』を鞆の浦(広島)ロケ地マップでひと先にチェック!]、[http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/miryoku/wolverine/ 福山がハリウッド映画のロケ地に!]、[http://www.htv.jp/fukuyama/130914.html ハッケンふくやま|広テレ!Web 9月14日 第124回 鞆の浦ロケ地マップ]、[https://www.cinematoday.jp/news/N0055936 ヒュー・ジャックマン、観光大使に就任!“ばらのまち”広島県福山市からの贈り物に大喜び]</ref><ref name=ryusei_wagon>{{Cite web|和書|url=http://www.fukuyama-kanko.com/topics/002152.html|title=西島秀俊主演!直木賞作家・重松清ベストセラー小説「流星ワゴン」ドラマ化!!|work=福山観光情報〜ノスタルジック&モダンな街フクヤマ〜|publisher=福山観光コンベンション協会|accessdate=2015-01-15}}、[https://www.tbs.co.jp/ryusei_wagon/tomonoura/#tomonoura 永田家の故郷・鞆の浦|TBSテレビ:日曜劇場「流星ワゴン」]、[https://www.tbs.co.jp/ryusei_wagon/kansoku/6.html 2014.12.22 観測日誌|TBSテレビ:日曜劇場「流星ワゴン」]</ref><ref name="filmcommission">{{Cite web|和書|date=|url=https://www.fukuyama-kanko.com/filmcommission/jiseki/|title=ロケ実績|website=ふくやまフィルムコミッション|publisher=福山観光協会|accessdate=2022年9月5日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170305135938/https://www.fukuyama-kanko.com/filmcommission/jiseki/|archivedate=2017年3月5日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2021–04–2|url=https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/sights-spots/31144.html|title=鞆の浦(とものうら)|website=えっと福山 「福」が見つかる街 福山ふくやま観光・魅力サイト|publisher=[[福山市]]|accessdate=2022年9月5日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141028135424/https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/sights-spots/31144.html|archivedate=2014年10月28日}}[http://guide.travel.co.jp/article/7806/ 有名映画やドラマのロケ地へ~広島県鞆の浦で「風景」探し ]{{Cite news|url=https://yab.yomiuri.co.jp/adv/nissan_aura/detail/02/|title=日産AURA×男の隠れ家「今、上質なときを求めて」 episode2 調和に満ちた空間から瀬戸内を穏やかに望む 汀邸 遠音近音(みぎわてい をちこち)|date=|website=[[読売新聞オンライン|YOMIURI BRAUD STUDIO]]|publisher=[[読売新聞社]]|accessdate=2022-09-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220305025215/https://yab.yomiuri.co.jp/adv/nissan_aura/detail/02/|archivedate=2022年5月5日}}</ref>。
== 概要 ==
現在は市街地を含めた範囲を「鞆の浦」と呼ぶことも多いが、本来「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味であり厳密には鞆港のことである。町の名称としては「鞆」(福山市鞆町鞆)が正確である。


[[2017年]]11月には「福山市鞆町伝統的建造物群保存地区」の名称で8.6ヘクタールの区域が[[重要伝統的建造物群保存地区]]として選定された<ref>平成29年11月28日文部科学省告示第179号</ref>。
鞆の浦周辺は[[1925年]]に[[名勝]]・[[鞆の浦|鞆公園]]の指定を受け、さらに[[1931年]]に制定された[[国立公園法]]において国立公園として最初に指定された地区のひとつである([[瀬戸内海国立公園]])。そのため[[1934年]]の国立公園指定当時の[[記念切手]]や絵葉書には鞆の風景が描かれているものがある。


[[2018年]]5月には[[日本遺産]]に認定された。
瀬戸内海の海流は[[満潮]]時に[[豊後水道]]や[[紀伊水道]]から[[瀬戸内海]]に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に[[干潮]]時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に、沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。このような地理的条件から[[大伴旅人]]などによる[[万葉集]]に詠まれるように、古代より'''潮待ちの港'''と知られていた。また、鞆は[[魏志倭人伝]]に書かれる「投馬国」の推定地のひとつともなっている。


一帯は2018年(平成30年)11月14日に[[みなとオアシス]]の登録をしていて、[[福山市営渡船|福山市営渡船場]]を代表施設とする'''みなとオアシス潮待ちの港鞆の浦'''として観光・交流拠点ともなっている。
古い町並みがよく残り、江戸時代の港湾施設である「[[常夜燈]]」、「[[雁木 (港湾)|雁木]]」、「[[波止場]]」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。ただし、焚場の一部は道路整備事業により破壊される可能性がある([[鞆の浦埋立て架橋計画問題]]参照)。また、他にもこの事業により景観が大きく損なわれるとして、主に鞆の浦の歴史的景観の保全を求める人々などから計画に反対の声が上がっており、景観の破壊は限定的とする事業者側(市および県)と対立している。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 古代 ===
=== 古代 ===
「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき(大伴旅人)」や「鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも (大伴旅人)」等、[[万葉集]]には鞆の浦を詠んだ歌が八首残されている。それ以前の鞆の成り立ちがどのようなものであったかは、はっきりしないが、遺跡の分布状況などから、弥生時代にはすでにある程度の集落が成立していた可能性が高いと考えられている。
「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき([[大伴旅人]])」や「鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも (大伴旅人)」等、[[759年]]に編纂された[[万葉集]]には鞆の浦を詠んだ歌が八首残されている。それ以前の鞆の成り立ちがどのようなものであったかは、はっきりしないが、遺跡の分布状況などから、弥生時代にはすでにある程度の集落が成立していた可能性が高いと考えられている。


平安時代には鞆近郊に[[最澄]]により静観寺、[[空海]]により医王寺が創建され、備後国南部における布教の拠点となった。京都の[[八坂神社]]の本社である[[沼名前神社]]は平安時代の法令「[[延喜式]]」にも記載されている。これらを含め江戸時代までに狭い町並みに由緒ある寺が十九ヶ寺・神社大小あわせ数十社も建ち並んでおり、その繁栄ぶりがえる。
[[平安時代]]初期には鞆近郊に<!--[[最澄]]により-->静観寺、<!--[[空海]]により-->医王寺が創建され、備後国南部における布教の拠点となった。京都の[[八坂神社]]の本社である[[沼名前神社]]は平安時代の法令「[[延喜式]]」にも記載されている。これらを含め江戸時代までに狭い町並みに由緒ある寺が19か寺・神社大小あわせ数十社も建ち並んでおり、その繁栄ぶりがえる。


=== 中世 ===
=== 中世 ===
一帯は[[山田渡辺氏|渡辺氏]]の支配下にあった。
[[1336年]]([[建武 (日本)|建武]]3年)には[[多々良浜の戦い]]に勝利した[[足利尊氏]]が京に上る途中この地で[[光厳天皇]]より[[新田義貞]]追討の[[院宣]]を賜る。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には鞆の浦沖から鞆にかけての地域で[[北朝 (日本)|北朝]]と[[南朝 (日本)|南朝]]との合戦(鞆合戦)が幾度もあり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。


[[1336年]]([[建武 (日本)|建武]]3年)には[[多々良浜の戦い]]に勝利した[[足利尊氏]]が京に上る途中この地で[[光厳天皇|光厳上皇]]より[[新田義貞]]追討の[[院宣]]を賜る。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には鞆の浦沖から鞆にかけての地域で[[北朝 (日本)|北朝]]と[[南朝 (日本)|南朝]]との合戦(鞆合戦)が幾度もあり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。
[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]には[[毛利氏]]によって鞆中心部に「鞆要害」(現在の[[鞆城]])が築かれるなど備後国の拠点のひとつとなっていた。[[室町幕府]]15代将軍[[足利義昭]]は[[織田信長]]により[[京都]]を追放された後、毛利氏などの支援のもと鞆に拠点を移し信長打倒の機会を窺った。[[伊勢氏]]や[[上野氏]]・[[大館氏]]など幕府を構成していた名家の子弟も義昭を頼り鞆に下向していたとされる。このことから「'''鞆幕府'''」と呼ばれることもある<ref>福山商工会議所「鞆幕府 戦国史をななめに斬る」1983年、川西利衛</ref>。また、前述のように[[足利尊氏]]が室町幕府成立のきっかけとなる[[院宣]]を受け取った場所でもあるため幕末の歴史家[[頼山陽]]は“足利(室町幕府)は鞆で興り鞆で滅びた”と喩えた。


[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]には[[毛利氏]]によって鞆中心部に「鞆要害」(現在の[[鞆城]])が築かれるなど備後国の拠点の一つとなっていた。
尼子氏滅亡に際しては[[山中幸盛|山中鹿之助]]の首級が鞆に届けられ実検が行われた。この遺構として首塚が現在も残されている。

1573年、[[室町幕府]]15代将軍[[足利義昭]]は[[織田信長]]により京を追放されたのち、毛利氏などの支援のもと[[山田渡辺氏|渡辺氏]]の援助で1576年に鞆に拠点を移し、信長打倒の機会を窺った。[[伊勢氏]]や[[上野氏]]・[[新田氏#南北朝時代・室町時代|大館氏]]など幕府を構成していた名家の子弟も義昭を頼り、鞆に下向していたとされる。このことから、「'''[[鞆幕府]]'''」と呼ばれることもある<ref>福山商工会議所「鞆幕府 戦国史をななめに斬る」1983年、川西利衛</ref>。また、前述のように[[足利尊氏]]が室町幕府成立のきっかけになる[[院宣]]を受け取った場所でもあるため、幕末の歴史家・[[頼山陽]]は“足利(室町幕府)は鞆で興り、鞆で滅びた”と喩えた。

尼子氏滅亡に際しては[[播磨国]][[上月城]]より移送途中に誅殺された[[山中幸盛|山中鹿之助]]の首級が鞆に届けられ足利義昭や[[毛利輝元]]により実検が行われた。この遺構として首塚が現在も残されている。


=== 近世 ===
=== 近世 ===
[[江戸時代]]になると[[備後国]]を領有した[[福島正則]]によって鞆要害を中心に市街地を取り囲む大規模な城郭「[[鞆城]]」の築城が始まるが、これが[[徳川家康]]の逆鱗に触れ工事は中止された。その後、福島氏に代わり、[[徳川家康]]の従弟[[水野勝成]]が[[備後福山藩]]の領主となり、鞆城跡には奉行所(鞆奉行所)が設置された。このとき勝成の息子である[[水野勝俊|勝重]]は鞆に住んでいたため「鞆殿」と呼ばれた。また、[[朝鮮通信使]]の寄航地にも度々指定され、[[1711年]](正徳元年)の第8回通信使では従事官の李邦彦が宿泊した[[福禅寺]]から見た鞆の浦の景色を「日東第一形勝」(朝鮮より東の世界で一番風光明媚な場所の意)と賞賛した(この文を額にしたものが福禅寺対潮楼内に掲げられている)。
[[江戸時代]]になると[[備後国]]を領有した[[福島正則]]によって鞆要害を中心に市街地を取り囲む大規模な城郭「[[鞆城]]」の築城が始まるが、これが[[徳川家康]]の逆鱗に触れ工事は中止された。その後、福島氏に代わり、[[徳川家康]]の従弟[[水野勝成]]が[[備後福山藩]]の領主となり、鞆城跡には奉行所(鞆奉行所)が設置された。このとき勝成の息子で2代藩主である[[水野勝俊]]は鞆に住んでいたため「鞆殿」と呼ばれた。また、[[朝鮮通信使]]の寄航地にも度々指定され、[[1711年]](正徳元年)の第8回通信使では従事官の李邦彦が宿泊した[[福禅寺]]から見た鞆の浦の景色を「日東第一形勝」(朝鮮より東の世界で一番風光明媚な場所の意)と賞賛した(この文を額にしたものが福禅寺対潮楼内に掲げられている)。1814年(文化11年)頼山陽は滞在していた大坂屋の門楼を「対仙酔楼」と名付け、書を残した。「対仙酔楼記」では窓からの景色を「山紫水明処」と描写し、熟語の語源となったとされてい[https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/sights-spots/31146.html 歴史と鞆ー福山市ホームページ]


しかし、航海技術が発達し「地乗り」から「沖乗り」が主流になったにより鞆の浦で潮待ちをする必要性は薄れていったことなどから、備後地方の港湾拠点は[[尾道市|尾道]]に大きく傾いていった。
しかし、航海技術が発達し「地乗り」から「沖乗り」が主流になったことにより鞆の浦で潮待ちをする必要性は薄れていったことなどから、備後地方の港湾拠点は[[尾道市|尾道]]に大きく傾いていった。


=== 近代 ===
=== 近代 ===
近代になると鞆の浦の拠点性はますます低下していき、[[1913年]]([[大正]]3年)の[[鞆鉄道線|鞆軽便鉄道]]開通により陸上交通の利便性は向上したものの、半島の先端という孤立した環境や開発可能な平野部が少ないことなどから近代化の波に取り残された。鞆軽便鉄道(鞆鉄道)の利用も太平洋戦争直後をピークに減少し[[1954年]]([[昭和]]29年)には採算悪化などから廃止された。この鉄道跡が概ね[[広島県道22号福山鞆線|県道22号線]]である。
近代になると鞆の浦の拠点性はますます低下していき、[[1913年]]([[大正]]3年)の[[鞆鉄道線|鞆軽便鉄道]]開通により陸上交通の利便性は向上したものの、半島の先端という孤立した環境や開発可能な平野部が少ないことなどから近代化の波に取り残された。鞆軽便鉄道(鞆鉄道)の利用も太平洋戦争直後をピークに減少し[[1954年]]([[昭和]]29年)には採算悪化などから廃止された。この鉄道跡が概ね[[広島県道22号福山鞆線|県道22号線]]福山鞆線である。

その一方で景勝地としては、明治時代より天皇・皇后を始めとする皇族が好んで訪問してきた[[仙酔島]]や[[弁天島]]を含む東岸の景観が、沼隈半島の西部に隣接する[[磐台寺観音堂]]([[阿伏兎観音]])と並んで高い評価を受け、いち早く[[国立公園]]に指定された。


その一方で景勝地としては、明治時代より天皇・皇后を始めとする皇族が好んで訪問してきた[[仙酔島]]や[[弁天島 (福山市)|弁天島]]を含む東岸の景観が、沼隈半島の西部に隣接する[[磐台寺観音堂]]([[阿伏兎観音]])と並んで高い評価を受け、いち早く[[国立公園]]に指定された。
現在では鞆港への商船の出入りは殆ど無く、連絡船、観光船を除けば、ほぼ[[漁港]]として用いられるのみである。しかし、こうしたことが開発の波に飲まれることなく古寺が数多く点在する古い街並みをとどめる要因になった。


現在では鞆港への商船の出入りはほとんどなく、連絡船、観光船、港内にある造船所([[本瓦造船]])への修理船を除けば、ほぼ[[漁港]]として用いられるのみである。しかし、こうしたことが開発の波に呑まれることなく古寺が数多く点在する古い街並みをとどめる要因になった。
ただし、後述するように現在架橋を始めとする整備計画があり、鞆の町並みは近い将来大きく姿を変える可能性もある。
{{main|鞆町}}
{{main|鞆町}}


== 港 ==
== 鞆の浦埋立て架橋計画問題 ==
=== 鞆港 ===
鞆町の活性策として1983年に港の一部を埋め立てて道路と公園を整備する構想が広島県から公表され、反対運動などから凍結されていたが、2004年に鞆町出身で推進派の市長が当選したことから実現に向けて動きだし、景観か開発かの選択で揺れている。
鞆の浦で最大の港。'''鞆の津'''とも呼ばれる。円形港湾で近世の港湾施設がよく残されている。港湾法上は1961年に福山港へ編入され[[福山港]]の一地区として扱われる。江戸時代に大きく整備され、この時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」の全てが全国で唯一残されている。県営桟橋から走島まで1日5往復の定期連絡船が発着している。
{{main|鞆の浦埋立て架橋計画問題}}


=== 原港 ===
== 観光スポット・行事・名産品 ==
鞆町の東側にある漁港。鞆の浦の港では最も小規模。方形の港で東側に防波堤が設置されている。
=== 文化施設 ===
*[[鞆の浦歴史民族資料館]]
*[[いろは丸展示館]] - 登録有形文化財


=== 社寺 ===
=== 平港 ===
鞆港の南に隣接する港。方形の港で防波堤は南側に設置され玉津島まで延ばされている。規模としては鞆港に次ぐ。港内に[[本瓦造船]]の本社工場がある。
*阿弥陀寺
*[[安国寺 (福山市)|安国寺]](釈迦堂、阿弥陀三尊像などが国の[[重要文化財]]、境内が広島県指定史跡)
*静観寺([[最澄]]により806年創建と伝える鞆最古の寺院)
*医王寺([[空海]]により826年創建と伝える)
*[[円福寺 (福山市)|円福寺]](大可島城跡に建てられている)
*顕政寺
*小松寺(境内に琉球使節碑がある・平重盛手植えの松があった)
*地蔵院(中国地蔵尊霊場第8番)
*慈徳院
*浄泉寺
*正法寺
*善行寺
*大観寺
*南禅坊([[宮城道雄]]の祖父母の墓がある・中国風建築[[鐘楼門]]が目を引く)
*[[福禅寺 (福山市)|福禅寺]](境内は「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の[[史跡]]に指定、[[村上天皇]]の命を受けた[[空也]]上人による創建 [[対潮楼]]には「日東第一形勝」の額が掲げられている)
*福寿堂
*[[法宣寺]]([[大覚大僧上]]による手植え・境内の天蓋マツは国の[[天然記念物]])
*本願寺
*[[沼名前神社]](「[[延喜式]]」に記載のある歴史と格式を誇る神社 伏見城から移築の[[豊臣秀吉]]ゆかりの能舞台が国の重要文化財、石鳥居が広島県指定重要文化財 京都[[祇園神社]]の本社に当る)
*明円寺
*妙蓮寺
*淀姫神社


== 島嶼 ==
<Gallery>
===仙酔島===
画像:Ankokuji01s2040.jpg|安国寺 釈迦堂
鞆の浦で最大の島であり鞆の浦のシンボル的な島である。[[仙人]]も酔ってしまうほど美しいことから、仙酔島と名付けられたといわれる。外周約5キロの無人島であるが、島内にはホテルや国民宿舎、キャンプ場、海水浴場などがあり、本土とは[[福山市営渡船]]で往来することができる。
画像:Housenji01 1024.jpg|法宣寺 天蓋マツ、奥は大法華堂
:{{main|仙酔島|福山市営渡船}}
画像:Enpukuji Fukuyama06bs3200.jpg|円福寺
画像:Fukuzenji Fukuyama01s4592.jpg|福禅寺
画像:Nunakumajinja05s1980.jpg|沼名前神社
画像:Jizoin01s1890.jpg|地蔵院
画像:Meien temple.jpg|明円寺
</Gallery>


=== 島 ===
=== 大可島 ===
鞆港の東側に隣接する島。慶長年間の鞆城築城により埋め立てられ陸続きとなっている。南北朝時代には大可島城が築かれ、合戦も行われた。頂部には円通寺が建てられている。江戸時代には船の出入りを見張る遠見番所が置かれた。また、大可島の麓には遊廓が栄え1678年に記された「色道大鑑」には国内を代表する25の遊郭のひとつにも挙げられていて遊郭建築の遺構も残っている。
*[[仙酔島]] - [[海食洞]]が広島県指定天然記念物
{{main|鞆城}}
*大可島 - かつては鞆の浦に浮かぶ島のひとつだったが、[[慶長]]時代の[[鞆城]]築城時に埋め立てられ陸続きとなっている。
*つつじ島
*皇后島
*[[弁天島 (福山市)|弁天島]]
*玉津島
*津軽島


=== つつじ島(躑躅島) ===
<Gallery>
仙酔島の東に位置する無人島。
画像:Tomonoura12bt3200.jpg|常夜燈(とうろどう)
画像:Sensuizima.jpg|医王寺太子殿から望む鞆の浦と仙酔島
画像:Tomonoura08bs3200.jpg|医王寺太子殿から望む
画像:Tomonoura02 960.jpg|医王寺参道から望む
画像:Benten island Fukuyama14n4592.jpg |[[弁天島 (福山市)|弁天島]]と渡船「第二べんてん」。背後は仙酔島
画像:Sensui island02s2048.jpg|[[仙酔島]]
</Gallery>


=== 皇后島 ===
===その他の名所・史跡等===
[[弁天島 (福山市)|弁天島]]の先、大可島の東に位置する無人島。[[神功皇后]]が当地へ立ち寄った際に船をつないだことから、皇后島と名付けられたといわれる。山頂には鞆奉行荻濃重富の妻の墓が建てられている。
*御膳山
*ささやき橋
=== 弁天島 ===
*[[平賀源内]][[生祠]] - [[広島県指定文化財一覧|広島県指定史跡]]
{{main|弁天島 (福山市)}}
*岡本亀太郎本店の門構 [[福山城 (備後国)|福山城]]の長屋門を移築-福山市指定重要文化財
鞆町と仙酔島の間にある無人島。島内に弁天堂が建てられていることから弁天島と呼ばれている。
*[[太田家住宅 (福山市)|太田家住宅]]・朝宗亭 - 国の重要文化財、鞆七卿落遺跡として広島県指定史跡
*[[常夜灯]] - 通称「とうろどう」
*[[雁木 (港湾)|雁木(がんぎ)]]
*[[力石]] - 福山市指定重要文化財
*[[鞆城]]跡 - 福山市指定史跡
*小鳥城 - 古戦場跡
*[[鞆の津の商家]] - 福山市指定重要文化財
*[[平野屋資料館]] - 江戸時代の船宿を活用した歴史資料館
*[[いろは丸]]事件談判跡
*[[対潮楼]]~[[朝鮮通信使]]の迎賓施設として使われた
*大可島城跡 - 福山市指定史跡
*[[坂本龍馬]]宿泊跡
*対仙酔楼
*太子殿(医王寺から山道を約15分ほど登ると太子殿がある。ここからの仙酔島と瀬戸内海の眺めは絶景である)
*弁天島(百貫島)塔婆 - 広島県指定重要文化財
*[[山中鹿之助]]首塚(静観寺山門前)
*[[鞆の浦温泉]]
<Gallery>
ファイル:Ota house Tomo01n4592.jpg|[[太田家住宅 (福山市)|太田家住宅(鞆七卿落遺跡)]]
ファイル:Irohamaru tenjikan03b4592.jpg|[[いろは丸展示館]]
ファイル:Tomonoura29s4592.jpg|[[鞆の津の商家]]
ファイル:Tomonoura32bs3200.jpg|[[平野屋資料館]]
ファイル:Inn of Ryoma Sakamoto stay.jpg|[[坂本龍馬]]宿泊跡
ファイル:Tomonoura Gangi.jpg|[[雁木 (港湾)|雁木(がんぎ)]]
</Gallery>


=== 祭事・催事 ===
=== 玉津島 ===
鞆港の南に位置する無人島。現在は鞆港を囲む防波堤で繋がれ本土と陸続きとなっている。鞆港の天然の堤防となっていた。かつては「ふく島」と呼ばれていたが領主となった福島正則により「玉津島」に改名されたといわれる。また、現在はネズミのような形状から「ねずみ島」と呼ばれることもある。
*お手火まつり - 旧暦6月7日に近い土曜日
*[[鞆町並ひな祭]] - 2月~3月
*鞆の浦観光鯛網 - 毎年5月
*鞆の浦弁天島花火大会 - 毎年5月最終土曜日
*[[瀬戸内クルージング]] - 期間限定3月下旬~11月下旬 鞆港と尾道港を結ぶ観光クルージング


山頂には玉津島神社祀られている。
=== 名産品 ===
* [[保命酒]]
* [[花びら餅]]
* [[天ぷら]] - [[阿藻珍味]]社のものが有名
* [[竹輪]]・[[蒲鉾]]
* [[魚介]]料理


== 交通アクセス ==
=== 津軽島 ===
玉津島のさらに南に位置する無人島。
*[[西日本旅客鉄道|JR]][[山陽新幹線]]および[[山陽本線]]・[[福塩線]] [[福山駅]]南口から[[鞆鉄バス]](11番のりば)「鞆港」行きで約30分、「鞆の浦」下車。


=== ギャラリー ===
[[1954年]](昭和29年)までは、[[鞆鉄道線]]が福山駅から発着していたが昭和29年に廃止。現在の“県道福山鞆線”がほぼその軌道跡である。
<gallery>
Fukuyama municipal ferry station.jpg|福山市営渡船乗場
Tomonoura08bs3200.jpg|医王寺太子殿から望む'''大可島'''、'''[[仙酔島]]'''、'''[[弁天島 (福山市)|弁天島]]'''、'''皇后島'''
Tomonoura07s1800.jpg|鞆城跡付近から望む大可島
Benten Island Fukuyama01s2048.jpg|渡船場沖から望む[[弁天島 (福山市)|弁天島]]
Fukuzenji Sensuijima&Bentenjima.JPG|福禅寺対潮楼から望む[[仙酔島]]、[[弁天島 (福山市)|弁天島]]、皇后島(日東第一形勝)
Fukuzenji Fukuyama07nt3200.jpg|福禅寺対潮楼から望む皇后島
Tomonoura12bt3200.jpg|常夜燈と玉津島(左手)
Tamatsu island.jpg|堤防で連繋される'''玉津島'''
Tamatsushima.jpg|玉津島と連繋するL字形状の堤防
Tsugarushima.jpg|玉津島から見た'''津軽島'''
</gallery>


== 市街部 ==
== 鞆の浦を舞台とした作品 ==
鞆町の市街部は古代から「鞆」と呼ばれる港町として栄え、「鞆の浦」の名称の由来ともなった街である。現在では逆に鞆が鞆の浦と呼ばれることも多くなっている。
* [[万葉集]]([[7世紀]]後半から[[8世紀]]後半)
{{main|鞆町}}
*: 吾妹子(わぎもこ)が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき ([[大伴旅人]])<br />鞆の浦の 礒のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘られめやも ([[大伴旅人]])
* [[春の海]]([[1929年]])
*: 音楽家で箏曲者の[[宮城道雄]]は8才で失明する前、父親の故郷である鞆の浦で祖父母に育てられた。[[宮城道雄]]が目に焼き付けた鞆の浦の海をイメージして作曲したのが箏曲『[[春の海]]』である。
* 鞆の津茶会記([[1986年]])
*: 茶会を記録する形をとって[[豊臣秀吉]]の台頭から朝鮮出兵、秀吉の死までの世相を描いたフィクション。[[井伏鱒二]]晩年の著作。[[福武書店]]刊。
* 鞆の浦殺人事件([[1988年]])
*: [[内田康夫]]作の[[推理小説]]。[[光文社]]刊。
* 写真展・「[[尾道]]への旅」([[2006年]])
*: [[表参道ヒルズ]]、[[ドイツの映画]]監督・[[ヴィム・ヴェンダース]]の[[紀行]]写真展
* [[白椿]]([[2007年]])
*: [[夢野久作]]原作、[[畑野ひろ子]]主演、監督・[[秋原正俊]]のデジタル映画。鞆を舞台にし、家族の分散を描いた映画。
* [[崖の上のポニョ]]([[2008年]])
*: [[宮崎駿]]が、過去に社員旅行で訪れた鞆の浦を気に入り、[[2005年]]春、一軒家を借り切って2ヶ月間滞在し、自炊生活をしながら散策する毎日をおくり、『[[崖の上のポニョ]]』として映画化。


== 鞆の浦埋立て架橋計画問題 ==
== 周辺 ==
{{main|鞆の浦埋立て架橋計画問題}}
*[[磐台寺観音堂]](阿伏兎観音)


架橋計画は頓挫したが、市街地の狭隘な道路と渋滞の問題は残された。広島県は、2020年までに山側にトンネルを建設する計画を取りまとめ、早ければ2023年度までに完成させる計画を地元に示した。トンネルの残土を利用して原地区に交通・交流拠点が設けられ、大型バスの駐車場や仙酔島への渡船発着場、にぎわいスペースなどが整備される見込み<ref>「接続道年度内にも着工 交流拠点も具体化」『中国新聞』2020年(令和2年)11月20日、22面</ref>。
== 関連項目 ==


== 交通アクセス ==
*[[鞆の浦埋立て架橋計画問題]]
*[[西日本旅客鉄道|JR]][[山陽新幹線]]および[[山陽本線]]・[[福塩線]] [[福山駅]]南口から[[鞆鉄道|トモテツバス]](5番のりば)51号線・52号線「鞆の浦」「鞆港」行きで約30分、「鞆の浦」下車。
*[[鞆町]]
*[[福山港]]
*[[鞆軽便鉄道]]
*[[鞆鉄バス]]
*[[崖の上のポニョ]]
*[[日本国指定名勝の一覧]]


; バス([[鞆鉄道|トモテツバス]]<ref>[https://www.tomotetsu.co.jp/?page_id=799 路線バス 広島県福山市・トモテツグループオフィシャルサイト]</ref>)
==脚注==
:* 鞆線:[[福山駅]]南口 - 鞆車庫前 - 鞆の浦(ともてつバスセンター) - 鞆港
{{脚注ヘルプ}}<references />
:* 沼南線:[[松永駅]]南口 - 沼隈支所 - 荒神社前 - 鞆港 - 鞆の浦 - 鞆車庫前 1日2往復
:* 鞆の浦[[グリーンスローモビリティ|グリスロバス]]:市営中島住宅前 - バスセンター - 鞆支所 - 平二会館 - 荒神社前 平日のみ1日3往復
:* 福山市内定期観光バス:福山駅南口 - [[福山自動車時計博物館]] - [[明王院 (福山市)|明王院]] - 鞆の浦( - 福山駅)
:** 2024年は4-7月と9-12月(12月22日まで)の土日祝に1日1便運行
; 航路
:* [[福山市営渡船]](平成いろは丸)<ref>[https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/kanko/ 観光戦略課 福山市ホームページ]</ref>:鞆港(市営渡船) - [[仙酔島]]
:* 走島汽船<ref>[https://www.tomotetsu.co.jp/?page_id=156 走島汽船有限会社 広島県福山市・トモテツグループオフィシャルサイト]</ref>:鞆港(県営桟橋) - 本浦([[走島]]) 1日5往復
:* [[瀬戸内クルージング]]<ref>[https://s-cruise.jp/ 株式会社 瀬戸内クルージング]</ref>:鞆港(県営桟橋) - [[尾道駅]]前桟橋([[尾道糸崎港|尾道]]) 2024年は3月9日-11月17日の土日祝に1日2往復運航


[[1954年]](昭和29年)までは、[[鞆鉄道線]]が福山駅から発着していたが昭和29年に廃止。現在の“[[広島県道22号福山鞆線|県道福山鞆線]]”がほぼその軌道跡である。
==関連研究一覧==
===歴史関係===
*有馬康之「鞆の浦の歴史と文化」『海路』4号、2007年
*伊東孝「鞆の浦の港湾遺産--歴史と環境のサスティナビリティ」『まちづくり』16号、2007年
*遠藤英樹・堀野正人「創出された「観光地」――鞆の浦、二見ヶ浦にみる海景名所の近代」(同著『「観光のまなざし」の転回 越境する観光学』春風社、2004年)
*片岡智「景観美の文法--名勝鞆の浦・一七~二〇世紀」『歴史科学』194号、2008年
*姜在彦「朝鮮通信使と鞆の浦―両国間文化交流の一齣―」(映像文化協会編『江戸時代の朝鮮通信使』毎日新聞社、1979年)
*神田由築「近世鞆の浦をめぐる流通と社会構造」『歴史科学』194号、2008年
*清原和義「鞆の浦から敏馬の崎へ-大伴旅人歌を中心にして-」(武庫川女子大学文学部国文学科編『阪神間の文学』和泉書院、1998年)
*曽根ひろみ「鞆の浦遊郭の俗謡」『日本文化論年報』2号、1999年
*玉井建也「鞆の浦における移動・地域・イメージ」『民衆史研究』76号、2008年
*長谷川博史「港町における「名所」の創造--鞆の浦を事例として」『地方史研究』292号、2001年
*古瀬雅義「歌枕としての「鞆の浦」考--鎌倉期歌壇における反御子左派の活動とその戦略」『国語国文論集』32号、2002年
*真栄平房昭「江戸上りの旅と墓碑銘」(『沖縄文化研究』21号、1995年)
*山上徹「瀬戸内海における「鞆の浦」の歴史的意義について」『商学集志』67-4号、1998年


== 鞆の浦を舞台とした作品 ==
===開発・まちづくり関係===
*[[万葉集]]([[7世紀]]後半から[[8世紀]]後半)
*池田武邦「岐路に立つ鞆」『地域論叢』16号、1998年
*:吾妹子(わぎもこ)が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき ([[大伴旅人]])<br />鞆の浦の 礒のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘られめやも ([[大伴旅人]])など全八首。
*伊東孝「知られざる「100年」プロジェクト 鞆の浦--危機に瀕する世界遺産」『CE建設業界』653号、2006年
*[[春の海]]([[1929年]])
*[[片桐新自]]「港町の活性化と保存―鞆の浦を対象にして」(片桐新自編『歴史的環境の社会学』新曜社、2000年)
*:音楽家で箏曲者の[[宮城道雄]]は8歳で失明する前、父親の故郷である鞆の浦で祖父母に育てられた。[[宮城道雄]]が目に焼き付けた鞆の浦の海をイメージして作曲したのが箏曲『[[春の海]]』である。なお、宮城は[[随筆]]集『春の海』の一篇「鞆の津」の中で「私の家は、先祖から広島県の鞆であった。父と母が[[神戸]]へ出て来て間もなく私が生れたので、私は神戸生れとなっているが、自分としてはやはり先祖からの鞆を故郷のように思っている」と述べている。
*木村俊郎「「鞆の浦」の歴史的文化景観問題(1)「鞆の浦」の歴史的文化景観と埋立・架橋計画の交錯」『追手門経済・経営研究』10号、2003年
*[[源氏物語 (1951年の映画)|源氏物語]]([[1951年]])
*窪田亜矢「鞆の浦埋立架橋計画をめぐる考察-風景を破壊する「公共事業」」『環境と公害』37-2号、2007年
*:[[紫式部]]原作、[[長谷川一夫]]主演、[[新藤兼人]]脚本、[[吉村公三郎]]監督の[[大映|大映映画]]<ref name="setouchifinder2002"/>
*鈴木智香子、中島直人「事例 歴史的港湾都市・鞆の浦--再生の「まちづくり」の生成」『Ten plus one』45号、2006年
*[[今宵ひと夜を]]([[1954年]])
*松居秀子「危機に瀕する「世界遺産」--歴史的港町・鞆の浦からの報告」『環境社会学研究』12号、2006年
*:[[広津和郎]](『入江の町』)原作、[[八千草薫]]主演、[[千葉泰樹]]監督の[[東宝|東宝映画]]<ref>[https://www.toho.co.jp/library/system/movies/?71 今宵ひと夜を]東宝</ref>
*毛利和雄「鞆の浦"世界遺産訴訟"」(同著『世界遺産と地域再生 問われるまちづくり』新泉社、 2008年)
*[[花頭巾]]([[1956年]])
*山上徹編『現代港湾の異文化の賑わい』成山堂書店、2003年
*:[[市川雷蔵 (8代目)|市川雷蔵]]主演、[[衣笠貞之助]]脚本、[[田坂勝彦]]監督の[[大映|大映映画]]<ref name="setouchifinder2002"/>
*[[剣 (映画)|剣]]([[1964年]])
*:[[三島由紀夫]]原作、[[市川雷蔵 (8代目)|市川雷蔵]]主演、[[三隅研次]]監督の[[大映|大映映画]]<ref name="setouchifinder2002"/><ref name=chugoku20134523>中国新聞 2013年4月5日 23面</ref>。
*[[遊侠列伝]]([[1970年]])
*:[[高倉健]]主演、[[小沢茂弘]]監督の[[東映|東映映画]]<ref name="setouchifinder2002"/>
*[[東京警備指令 ザ・ガードマン|ザ・ガードマン]]([[1971年]])
*:大映テレビ室(現・[[大映テレビ]])制作、[[宇津井健]]主演の[[テレビドラマ]]。第307話「教育ママの裏口入学作戦」で、鞆シーサイドホテルと[[仙酔島]]のニュー錦水国際ホテル(現・人生感が変わる宿「ここから」)を中心にロケが行われた。
*[[俺たちの勲章]]([[1975年]])
*:[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の[[松田優作]]と[[中村雅俊]]主演の[[刑事ドラマ]]。第17話「子守唄」で、鞆の古い町並みや仙酔島他、[[磐台寺|阿伏兎観音]]など、ほぼ全編鞆の浦と近辺でロケが行われた。[[2015年]]のテレビドラマ・[[流星ワゴン#テレビドラマ|流星ワゴン]]で、[[西島秀俊]]・[[香川照之]]の実家という設定だった場所でも撮影が行われ画面に少し映る(松田優作が鞆の浦に来たヤクザと格闘し雁木からヤクザを海へ投げるシーン)。常夜燈は一度も映らない。タイトルの「子守唄」は、[[平家]]が[[源氏]]に追われ鞆の浦に置き去りにした上臈(最も身分の高い[[女官]])たちが女郎になったとされる[[遊女|女郎]]の発祥とも言われる鞆の浦の伝説がモチーフ。
*鞆の津茶会記([[1986年]])
*:茶会を記録する形をとって[[豊臣秀吉]]の台頭から朝鮮出兵、秀吉の死までの世相を描いたフィクション。[[井伏鱒二]]晩年の著作。[[福武書店]]刊。
*鞆の浦殺人事件([[1988年]])
*:[[内田康夫]]作の[[推理小説]]。[[光文社]]刊。
*[[陽炎3]]([[1997年]])
*:[[高島礼子]]主演、[[吉田啓一郎]]監督の[[松竹|松竹映画]]<ref name="setouchifinder2002"/>
*[[スパイ・ゾルゲ]]([[2003年]])
*:[[イアン・グレン]]主演、[[篠田正浩]]監督<ref name="setouchifinder2002"/>
*写真展・「[[尾道]]への旅」([[2006年]])
*:[[表参道ヒルズ]]、[[ドイツの映画]]監督・[[ヴィム・ヴェンダース]]の[[紀行]]写真展
*[[男たちの大和/YAMATO]]([[2005年]])
*:辺見じゅん原作、[[反町隆史]]主演、[[佐藤純彌]]監督の[[東映|東映映画]]<ref name="setouchifinder2002"/>
*[[ライフカード]][[テレビ|TV]]-[[コマーシャルメッセージ|CM]](2006年)
*:「[[カードの切り方が人生だ]]~ マドンナ」篇。[[オダギリジョー]]、[[桜井幸子]]、[[バナナマン]]出演。鞆の浦と[[尾道]]でオールロケ。主人公・オダギリが故郷に戻り10年ぶりの[[同窓会]]で学生時代のマドンナ・さっちゃんに会う。一次会後の店の前でオダギリがさっちゃんに呼び止められ、この後どうするか、3枚のカードを差し出され選択に迷う。学生時代の回想シーンは全て尾道だが、同窓会会場の居酒屋全景は、鞆の浦の[[常夜燈]]手前の[[いろは丸展示館]]を改装したもの。カードを差し出される場面は、いろは丸展示館前で撮影されている<ref>
[http://www.lifecard.co.jp/press/pdf/180601.pdf カードの切り方が人生だ ∼ マドンナ - クレジットカードはライフ ]、[https://tabetainjya.com/archives/cat_8/cm_1/ ライフカード 「マドンナ編」 - 広島ニュース 食べタインジャー]</ref>。
*[[火垂るの墓#テレビドラマ|火垂るの墓―ほたるのはか―]]([[2005年]])
*:[[野坂昭如]]原作、[[松嶋菜々子]]主演、[[佐藤東弥]]演出のテレビドラマ<ref name="filmcommission"/>
*[[白椿]]([[2007年]])
*:[[夢野久作]]原作、[[畑野ひろ子]]主演、監督・[[秋原正俊]]のデジタル映画<ref name="filmcommission"/>。鞆を舞台にし、家族の分散を描いた映画。
*[[崖の上のポニョ]]([[2008年]])
*:[[宮崎駿]]が、[[2004年]]11月に社員旅行で訪れた鞆の浦を気に入り、[[2005年]]春、一軒家を借り切って2か月間滞在し、さらに[[2006年]]夏、自炊生活をしながら散策する毎日をおくり、『[[崖の上のポニョ]]』として映画化<ref>[https://web.archive.org/web/20111127151144/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_ponyo_20090929a.htm 読売新聞 2009年9月21日 24面](新聞記事と内容は同じ)</ref><ref name="tomonouralocation">{{Cite web|和書|date=|url=https://tomonoura.life/sights/spot/location/|title=鞆の浦の観光スポット ロケ地|website=鞆物語|publisher=一般社団法人ニッポニア・ニッポン|accessdate=2022年9月5日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210928050959/https://tomonoura.life/sights/spot/location/|archivedate=2021年9月28日}}</ref>。
*[[少女たちの羅針盤]]([[2011年]])
*:[[成海璃子]]主演、[[長崎俊一]]監督<ref name="setouchifinder2002"/>
*[[ウルヴァリン:SAMURAI]]([[2013年]])
*:『[[X-メン]]』シリーズ6作目(ウルヴァリンスピンオフ第2作)、[[ヒュー・ジャックマン]]主演、[[ジェームズ・マンゴールド]]監督<ref name="setouchifinder2002"/><ref name=wolverine-samurailocation/><ref name=chugoku20134523/><ref name="tomonouralocation"/><ref>{{cite news
|last = Jackman
|first = Hugh
|authorlink = ヒュー・ジャックマン
|date = 2012-09-11
|url = https://x.com/RealHughJackman/status/245662795570479104
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|accessdate = 2012-10-17
}}</ref>。[[長崎市]]に見立てて撮影が行われた。福山での撮影は2012年9月4日~9月11日<ref name="setouchifinder2002"/><ref name="filmcommission"/>。
*[[潔く柔く#映画|潔く柔く]]([[2013年]])
*:[[いくえみ綾]]原作、[[長澤まさみ]]・[[岡田将生]]主演の[[東宝|東宝映画]]<ref name="setouchifinder2002"/><ref name="filmcommission"/><ref name=chugoku20134523/><ref name="tomonouralocation"/>。冒頭で長澤まさみと[[高良健吾]]がバス通学するシーン他<ref name="setouchifinder2002"/>。長澤が[[浴衣]]を着て[[花火大会]]に向かうシーンと<ref>[https://www.travel.co.jp/guide/article/7806/ 有名映画やドラマのロケ地へ~広島県鞆の浦で「風景」探し]</ref>後半、長澤と岡田将生がそれぞれの過去を清算するシーンで岡田が腰掛ける雁木は、[[流星ワゴン#テレビドラマ|流星ワゴン]]で[[西島秀俊]]・[[香川照之]]の実家という設定だった場所の前で、[[俺たちの勲章]]第17話で[[松田優作]]がヤクザを海へ投げるシーンと同じ場所。
*[[鞆の浦慕情]]([[2014年]])
*:[[岩佐美咲]] (当時[[AKB48]]) のシングル曲<ref name="filmcommission"/>。[[秋元康]]作詞。[[オリコン]]シングルCDランキング初登場1位を記録(デイリー、ウィークリーともに初登場1位)。
*[[タクシードライバーの推理日誌]]「第35話:分かれ道の乗客 瀬戸内尾道〜“道の駅”連続殺人事件〜」([[2014年]][[10月11日]]放映)
*:[[渡瀬恒彦]]主演の[[テレビ朝日]]のテレビドラマ「[[土曜ワイド劇場]]」枠<ref name="filmcommission"/>
*[[流星ワゴン#テレビドラマ|流星ワゴン]]([[2015年]])
*:[[重松清]]原作、[[西島秀俊]]と[[香川照之]]のW主演のテレビドラマ。鞆の浦が永田一雄、忠雄の故郷という設定がなされている<ref name="setouchifinder2002"/><ref name=ryusei_wagon/><ref name="tomonouralocation"/><ref name="filmcommission"/>
*[[御手洗潔シリーズ#映画|探偵ミタライの事件簿 星籠の海]]([[2016年]])
*:[[島田荘司]]原作、[[玉木宏]]主演、[[和泉聖治]]監督<ref name="setouchifinder2002"/><ref name="tomonouralocation"/>
*[[銀魂 (実写)|銀魂]]([[2017年]])
*:[[空知英秋]]原作、[[小栗旬]]主演、[[福田雄一]]監督<ref name="setouchifinder2002"/><ref name="filmcommission"/>
*[[こいのわ 婚活クルージング]]([[2017年]])
*:[[風間杜夫]]主演、[[金子修介]]監督<ref name="filmcommission"/>


*; [http://www.fukuyama-kanko.com/FukuyamaFC/jiseki/ ロケ実績|ふくやまフィルムコミッション - 福山観光協会]
===史料===
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『天和度朝鮮通信使と福山藩の記録』福山市鞆の浦歴史民俗資料館、1995年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『正徳度・享保度朝鮮通信使と福山藩・町方の記録』福山市鞆の浦歴史民俗資料館、1997年


===図録===
== 周辺 ==
*[[磐台寺観音堂]](阿伏兎観音)
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『朝鮮通信使と福山藩港・鞆の津 特別展観』福山市鞆の浦歴史民俗資料館、1990年

*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『福禅寺・対潮楼秘宝展 特別展観』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、1991年
==参照==
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『保命酒展 特別展観』福山市鞆の浦歴史民俗資料館、1992年
{{脚注ヘルプ}}
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『港町・鞆の津と画人展 鎌田呉陽・緒方亮平 特別展観』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、1993年
<references />
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『宮城道雄と鞆の浦 宮城道雄生誕100年行事特別展覧会』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、1994年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『備後安国寺 特別展』福山市鞆の浦歴史民俗資料館、1995年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『幕末 三條実美と七卿落・坂本龍馬・民衆の激動 開館10周年記念特別展』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、1998年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館友の会編『鞆の浦の自然と歴史』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、1998年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『沼名前神社能舞台(国重文)をめぐって 能に夢中の秀吉から 特別展』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、1999年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編集『臨済宗寺院』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2001年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館友の会編『鞆の浦の自然と歴史』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2002年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編集『顯政寺 法宣寺 妙蓮寺 善行寺 南禅坊 明圓寺 阿彌陀寺 淨泉寺 本願寺』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2002年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館友の会編『金宝寺の謎に迫る 備後安国寺の仏像内納入文書(重文)を読む』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2002年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『瀬戸内海と名作 鞆(TOMO)を中心として 特別展』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2003年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館友の会編『朝鮮通信使と福山藩・鞆の津 国際都市鞆(TOMO)が見えてくる古文書、文献調査記録集』その1(慶長-天和)、その2(正徳-文化度) 、福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2003年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編「北前船とその時代 : 鞆の津のにぎわい 特別展」福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2004年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館友の会編『沼名前神社の石造物 石が語る鞆の津の歴史』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2005年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『町人文化の栄華 : 鞆の津の風雅 特別展』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2005年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『知られざる琉球使節 国際都市・鞆の浦 特別展』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2006年
*福山市鞆の浦歴史民俗資料館編『鞆の町並と商家の賑わい シーボルトも称賛 特別展鞆まるごと博物館』福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会、2007年


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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*{{国指定文化財等データベース|401|2317|鞆公園}}
*[http://www.sawasen.jp/tomonoura/ 鞆の浦 澤村船具店]-観光案内、ライブカメラなど
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*[http://www.tomo-rekimin.org/ 福山市鞆の浦歴史民俗資料館]-公式ホームページ
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*[http://yozan-lab.net/?p=296 足利義昭と"幻の鞆幕府" -戦国繚乱録]
*[http://mytown.asahi.com/hiroshima/newslist.php?d_id=3500025 鞆よ!asahi.com:マイタウン広島]-鞆の浦埋め立て架橋問題のニュース集
*[http://tomo.mook.to/ 鞆の浦情報交換ページ]
*[http://tomo-gionsan.com/ 鞆の祇園さん 沼名前神社のホームページ]
*[http://tomomonogatari.com/ 鞆物語 - 鞆の浦 日本でもっとも癒される港町] - 鞆の浦ポータルサイト
*[http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/top/top.html 鞆まちづくり工房]-埋め立て反対署名を行っている。
*[http://www.pa.cgr.mlit.go.jp/minatooasis/tomonoura/index.html みなとオアシス 潮待ちの港 鞆の浦 - 中国地方整備局]
*[http://tomonoura-net.jp/ 鞆の世界遺産実現と活力あるまちづくりをめざす住民の会を支援する会]
*[https://visittomonoura.com/ VISIT鞆の浦]-日本遺産 福山・鞆の浦公式ホームページ
*[http://www.tomo-saiban.net/ 鞆の浦訴訟原告・弁護団HP]
*{{日本遺産ポータル|065|瀬戸の夕凪が包む国内随一の近世港町}}

*[http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/list.php?req=3&target=Hiroshima 長崎大学附属図書館 幕末 明治期 日本古写真メタデータ データベース ]。古写真
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2024年7月18日 (木) 13:23時点における最新版

座標: 北緯34度22分51.173秒 東経133度22分46.878秒 / 北緯34.38088139度 東経133.37968833度 / 34.38088139; 133.37968833 (鞆の浦)

医王寺太子殿から望む鞆の浦
地図
地図
瀬戸内海国立公園の指定時に発行された記念郵便切手(1939年)

鞆の浦(とものうら)は、広島県福山市鞆地区の沼隈半島南端にある港湾およびその周辺海域備後灘)である。

概要

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現在は鞆港の港周辺の市街を含めた範囲も「鞆の浦」と呼ぶことも多いが、本来「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味であり鞆港を中心とした備後灘に属する海域のことである。

沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として、1925年に国の名勝および国立公園に指定されている。また、1934年3月16日に国立公園として初の[1]瀬戸内海国立公園に指定された。そのため、国立公園指定当時の記念切手や絵葉書には、鞆の風景が描かれているものがある。なお、鞆の浦に含まれる島には仙酔島つつじ島皇后島弁天島玉津島津軽島がある。

瀬戸内海の海流は満潮時に豊後水道紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に、沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。このような地理的条件から大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように、古代より「潮待ちの港」として知られていた[2]。また、鞆は魏志倭人伝に書かれる「投馬国」の推定地の一つともなっている。

鞆の浦の港町である鞆には古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれた。また、1927年に日本二十五勝の海岸景勝地として、「鞆の浦・屋島若狭高浜」が選ばれた。江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼ全て現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がない[3]

古くから映画テレビドラマロケが行われ[2][4]、特に2008年公開された『崖の上のポニョ』で、宮崎駿監督が構想を練った地として有名になり、映像作品のロケが増えている[2][5][6][7][8]

2017年11月には「福山市鞆町伝統的建造物群保存地区」の名称で8.6ヘクタールの区域が重要伝統的建造物群保存地区として選定された[9]

2018年5月には日本遺産に認定された。

一帯は2018年(平成30年)11月14日にみなとオアシスの登録をしていて、福山市営渡船場を代表施設とするみなとオアシス潮待ちの港鞆の浦として観光・交流拠点ともなっている。

歴史

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古代

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「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき(大伴旅人)」や「鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも (大伴旅人)」等、759年に編纂された万葉集には鞆の浦を詠んだ歌が八首残されている。それ以前の鞆の成り立ちがどのようなものであったかは、はっきりしないが、遺跡の分布状況などから、弥生時代にはすでにある程度の集落が成立していた可能性が高いと考えられている。

平安時代初期には鞆近郊に静観寺、医王寺が創建され、備後国南部における布教の拠点となった。京都の八坂神社の本社である沼名前神社は平安時代の法令「延喜式」にも記載されている。これらを含め江戸時代までに狭い町並みに由緒ある寺が19か寺・神社大小あわせ数十社も建ち並んでおり、その繁栄ぶりが窺える。

中世

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一帯は渡辺氏の支配下にあった。

1336年建武3年)には多々良浜の戦いに勝利した足利尊氏が京に上る途中この地で光厳上皇より新田義貞追討の院宣を賜る。南北朝時代には鞆の浦沖から鞆にかけての地域で北朝南朝との合戦(鞆合戦)が幾度もあり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。

戦国時代には毛利氏によって鞆中心部に「鞆要害」(現在の鞆城)が築かれるなど備後国の拠点の一つとなっていた。

1573年、室町幕府15代将軍足利義昭織田信長により京を追放されたのち、毛利氏などの支援のもと渡辺氏の援助で1576年に鞆に拠点を移し、信長打倒の機会を窺った。伊勢氏上野氏大館氏など幕府を構成していた名家の子弟も義昭を頼り、鞆に下向していたとされる。このことから、「鞆幕府」と呼ばれることもある[10]。また、前述のように足利尊氏が室町幕府成立のきっかけになる院宣を受け取った場所でもあるため、幕末の歴史家・頼山陽は“足利(室町幕府)は鞆で興り、鞆で滅びた”と喩えた。

尼子氏滅亡に際しては播磨国上月城より移送途中に誅殺された山中鹿之助の首級が鞆に届けられ足利義昭や毛利輝元により実検が行われた。この遺構として首塚が現在も残されている。

近世

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江戸時代になると備後国を領有した福島正則によって鞆要害を中心に市街地を取り囲む大規模な城郭「鞆城」の築城が始まるが、これが徳川家康の逆鱗に触れ工事は中止された。その後、福島氏に代わり、徳川家康の従弟水野勝成備後福山藩の領主となり、鞆城跡には奉行所(鞆奉行所)が設置された。このとき勝成の息子で2代藩主である水野勝俊は鞆に住んでいたため「鞆殿」と呼ばれた。また、朝鮮通信使の寄航地にも度々指定され、1711年(正徳元年)の第8回通信使では従事官の李邦彦が宿泊した福禅寺から見た鞆の浦の景色を「日東第一形勝」(朝鮮より東の世界で一番風光明媚な場所の意)と賞賛した(この文を額にしたものが福禅寺対潮楼内に掲げられている)。1814年(文化11年)頼山陽は滞在していた大坂屋の門楼を「対仙酔楼」と名付け、書を残した。「対仙酔楼記」では窓からの景色を「山紫水明処」と描写し、熟語の語源となったとされてい歴史と鞆ー福山市ホームページ

しかし、航海技術が発達し「地乗り」から「沖乗り」が主流になったことにより鞆の浦で潮待ちをする必要性は薄れていったことなどから、備後地方の港湾拠点は尾道に大きく傾いていった。

近代

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近代になると鞆の浦の拠点性はますます低下していき、1913年大正3年)の鞆軽便鉄道開通により陸上交通の利便性は向上したものの、半島の先端という孤立した環境や開発可能な平野部が少ないことなどから近代化の波に取り残された。鞆軽便鉄道(鞆鉄道)の利用も太平洋戦争直後をピークに減少し1954年昭和29年)には採算悪化などから廃止された。この鉄道跡が概ね県道22号線福山鞆線である。

その一方で景勝地としては、明治時代より天皇・皇后を始めとする皇族が好んで訪問してきた仙酔島弁天島を含む東岸の景観が、沼隈半島の西部に隣接する磐台寺観音堂阿伏兎観音)と並んで高い評価を受け、いち早く国立公園に指定された。

現在では鞆港への商船の出入りはほとんどなく、連絡船、観光船、港内にある造船所(本瓦造船)への修理船を除けば、ほぼ漁港として用いられるのみである。しかし、こうしたことが開発の波に呑まれることなく古寺が数多く点在する古い街並みをとどめる要因になった。

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鞆港

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鞆の浦で最大の港。鞆の津とも呼ばれる。円形港湾で近世の港湾施設がよく残されている。港湾法上は1961年に福山港へ編入され福山港の一地区として扱われる。江戸時代に大きく整備され、この時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」の全てが全国で唯一残されている。県営桟橋から走島まで1日5往復の定期連絡船が発着している。

原港

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鞆町の東側にある漁港。鞆の浦の港では最も小規模。方形の港で東側に防波堤が設置されている。

平港

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鞆港の南に隣接する港。方形の港で防波堤は南側に設置され玉津島まで延ばされている。規模としては鞆港に次ぐ。港内に本瓦造船の本社工場がある。

島嶼

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仙酔島

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鞆の浦で最大の島であり鞆の浦のシンボル的な島である。仙人も酔ってしまうほど美しいことから、仙酔島と名付けられたといわれる。外周約5キロの無人島であるが、島内にはホテルや国民宿舎、キャンプ場、海水浴場などがあり、本土とは福山市営渡船で往来することができる。

大可島

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鞆港の東側に隣接する島。慶長年間の鞆城築城により埋め立てられ陸続きとなっている。南北朝時代には大可島城が築かれ、合戦も行われた。頂部には円通寺が建てられている。江戸時代には船の出入りを見張る遠見番所が置かれた。また、大可島の麓には遊廓が栄え1678年に記された「色道大鑑」には国内を代表する25の遊郭のひとつにも挙げられていて遊郭建築の遺構も残っている。

つつじ島(躑躅島)

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仙酔島の東に位置する無人島。

皇后島

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弁天島の先、大可島の東に位置する無人島。神功皇后が当地へ立ち寄った際に船をつないだことから、皇后島と名付けられたといわれる。山頂には鞆奉行荻濃重富の妻の墓が建てられている。

弁天島

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鞆町と仙酔島の間にある無人島。島内に弁天堂が建てられていることから弁天島と呼ばれている。

玉津島

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鞆港の南に位置する無人島。現在は鞆港を囲む防波堤で繋がれ本土と陸続きとなっている。鞆港の天然の堤防となっていた。かつては「ふく島」と呼ばれていたが領主となった福島正則により「玉津島」に改名されたといわれる。また、現在はネズミのような形状から「ねずみ島」と呼ばれることもある。

山頂には玉津島神社祀られている。

津軽島

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玉津島のさらに南に位置する無人島。

ギャラリー

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市街部

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鞆町の市街部は古代から「鞆」と呼ばれる港町として栄え、「鞆の浦」の名称の由来ともなった街である。現在では逆に鞆が鞆の浦と呼ばれることも多くなっている。

鞆の浦埋立て架橋計画問題

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架橋計画は頓挫したが、市街地の狭隘な道路と渋滞の問題は残された。広島県は、2020年までに山側にトンネルを建設する計画を取りまとめ、早ければ2023年度までに完成させる計画を地元に示した。トンネルの残土を利用して原地区に交通・交流拠点が設けられ、大型バスの駐車場や仙酔島への渡船発着場、にぎわいスペースなどが整備される見込み[11]

交通アクセス

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バス(トモテツバス[12]
  • 鞆線:福山駅南口 - 鞆車庫前 - 鞆の浦(ともてつバスセンター) - 鞆港
  • 沼南線:松永駅南口 - 沼隈支所 - 荒神社前 - 鞆港 - 鞆の浦 - 鞆車庫前 1日2往復
  • 鞆の浦グリスロバス:市営中島住宅前 - バスセンター - 鞆支所 - 平二会館 - 荒神社前 平日のみ1日3往復
  • 福山市内定期観光バス:福山駅南口 - 福山自動車時計博物館 - 明王院 - 鞆の浦( - 福山駅)
    • 2024年は4-7月と9-12月(12月22日まで)の土日祝に1日1便運行
航路

1954年(昭和29年)までは、鞆鉄道線が福山駅から発着していたが昭和29年に廃止。現在の“県道福山鞆線”がほぼその軌道跡である。

鞆の浦を舞台とした作品

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周辺

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参照

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  1. ^ 雲仙および霧島国立公園と同時指定。
  2. ^ a b c 山田泰蔵 (2024–05–12). “わたしのふるさと便 イチオシマップ 広島県 福山市「鞆の浦」 人魅了する歴史と波音”. 毎日新聞 (毎日新聞社). オリジナルの2024年5月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240523225942/https://mainichi.jp/articles/20240512/ddv/010/040/014000c 2024年6月25日閲覧。 
  3. ^ 広島大学大学院文学研究科教授三浦正幸氏「日本の宝 鞆の浦を歩く」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 日本遺産「鞆の浦」#3 映画やドラマの風景を探すロケ地巡り/広島県福山市【PR】 映画やドラマの風景を探す!鞆の浦のロケ地巡りコース”. 瀬戸内ファインダー. せとうち観光推進機構 (2020–02–20). 2020年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月5日閲覧。
  5. ^ a b 映画『ウルヴァリン:SAMURAI』オフィシャルサイト - Fox映画『ウルヴァリン:SAMURAI』を鞆の浦(広島)ロケ地マップでひと先にチェック!福山がハリウッド映画のロケ地に!ハッケンふくやま|広テレ!Web 9月14日 第124回 鞆の浦ロケ地マップヒュー・ジャックマン、観光大使に就任!“ばらのまち”広島県福山市からの贈り物に大喜び
  6. ^ a b 西島秀俊主演!直木賞作家・重松清ベストセラー小説「流星ワゴン」ドラマ化!!”. 福山観光情報〜ノスタルジック&モダンな街フクヤマ〜. 福山観光コンベンション協会. 2015年1月15日閲覧。永田家の故郷・鞆の浦|TBSテレビ:日曜劇場「流星ワゴン」2014.12.22 観測日誌|TBSテレビ:日曜劇場「流星ワゴン」
  7. ^ a b c d e f g h i j ロケ実績”. ふくやまフィルムコミッション. 福山観光協会. 2017年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月5日閲覧。
  8. ^ 鞆の浦(とものうら)”. えっと福山 「福」が見つかる街 福山ふくやま観光・魅力サイト. 福山市 (2021–04–2). 2014年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月5日閲覧。有名映画やドラマのロケ地へ~広島県鞆の浦で「風景」探し “日産AURA×男の隠れ家「今、上質なときを求めて」 episode2 調和に満ちた空間から瀬戸内を穏やかに望む 汀邸 遠音近音(みぎわてい をちこち)”. 読売新聞社. オリジナルの2022年5月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220305025215/https://yab.yomiuri.co.jp/adv/nissan_aura/detail/02/ 2022年9月5日閲覧。 
  9. ^ 平成29年11月28日文部科学省告示第179号
  10. ^ 福山商工会議所「鞆幕府 戦国史をななめに斬る」1983年、川西利衛
  11. ^ 「接続道年度内にも着工 交流拠点も具体化」『中国新聞』2020年(令和2年)11月20日、22面
  12. ^ 路線バス 広島県福山市・トモテツグループオフィシャルサイト
  13. ^ 観光戦略課 福山市ホームページ
  14. ^ 走島汽船有限会社 広島県福山市・トモテツグループオフィシャルサイト
  15. ^ 株式会社 瀬戸内クルージング
  16. ^ 今宵ひと夜を東宝
  17. ^ a b c 中国新聞 2013年4月5日 23面
  18. ^ カードの切り方が人生だ ∼ マドンナ - クレジットカードはライフ ライフカード 「マドンナ編」 - 広島ニュース 食べタインジャー
  19. ^ 読売新聞 2009年9月21日 24面(新聞記事と内容は同じ)
  20. ^ a b c d e 鞆の浦の観光スポット ロケ地”. 鞆物語. 一般社団法人ニッポニア・ニッポン. 2021年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月5日閲覧。
  21. ^ Jackman, Hugh (2012年9月11日). “Thanks to all the fans in ...”. Twitter. https://x.com/RealHughJackman/status/245662795570479104 2012年10月17日閲覧。 
  22. ^ 有名映画やドラマのロケ地へ~広島県鞆の浦で「風景」探し

外部リンク

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