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{{otheruses||V.W.Pのライブ|現象 (V.W.Pのライブ)}}
'''現象'''(げんしょう {{lang-el-short|φαινόμενoν}}- phainomenon, pl.{{lang-el-short|φαινόμενα}}- phainomena)とは、[[観察]]のできる[[事実]]のこと。
'''現象'''(げんしょう、{{lang-grc-short|φαινόμενον}} ''phainómenon''、複数で{{lang|grc|φαινόμενα}} ''phainómena'')は、次のようにいくつかの[[意味]]で用いられている。


# [[人間]]の[[知覚]]できる、すべてのものごと<ref>[[電子辞書|デジタル]][[大辞泉]]</ref>。人間界や[[自然]]界に、形として現れるもの<ref name="名前なし-1">デジタル大辞泉</ref>。
語源的には見えるもの、現われを意味し、[[出来事]]を、それが[[存在]]するかどうか、本当かどうか、といった、その見える現れの背後にあるものを問題にせずに、その観察された現れとして扱うとき、現象と呼ぶ。
# (人にとって)見えるもの、つまり(外面的な)《現れ》のこと。出来事を、それが存在するかどうか、本当かどうか、といった、その見える〈〈現れ〉〉の背後にあるものは問題にせずに、その観察された〈〈現れ〉〉として扱うとき、それを「現象」と呼ぶ。[[対義語]]は[[本質]]。
対義語は[[本質]]。


==現象の位置づけの歴史==
== 現象の位置づけの歴史 ==
[[プラトン]]においては、現象は、「[[イデア]]」(=真に存在するもの”とされた)と対置された。
[[プラトン]]においては、現象は、「[[イデア]]」( =真に[[存在]]するもの”とされた)と対置された。


[[古代ギリシャ]]後期においては、現象にロゴスをあてがうことで" 現象を救うこと" が「ロゴン・デドナイ」学問である、という考えが見られる。
[[古代ギリシャ]]後期においては、現象に[[ロゴス]]をあてがうことで“'''現象を救う'''ことが「ロゴン・デドナイ」(学問) である、という考えが見られる。


中世[[スコラ学]]において議論はあり、実在する対象に対応するかしないかによって「現象」か「仮象」に区別されたりもした。
[[中世]][[スコラ学]]において[[議論]]はあり、実在する対象に対応するかしないかによって「現象」か「仮象」に[[分別|区別]]されたりもした。


[[ニコラウス・クザーヌス|クザーヌス]]によれば、"不可視の神が可視化したものが世界"であるとも表現された。
[[ニコラウス・クザーヌス|クザーヌス]]によれば、“[[不可視]]の神が可視化したものが世界であるとも表現された。


近世の[[経験論]]の[[ジョージ・バークリー|バークリー]]においては、観念や感覚所与を現象とみなして、[[現象主義]]に近い方向でそれを論じた。
[[近世]]の[[経験論]]の[[ジョージ・バークリー|バークリー]]においては、[[観念]]や感覚所与を現象とみなして、[[現象主義]]に近い方向でそれを論じた。


[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]は懐疑論的にとらえ、客観性とは繋がり得ないと見なした。
[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]は懐疑論的にとらえ、[[客観性]]とは繋がり得ないと見なした。


[[イマヌエル・カント|カント]]においては、現象は[[物自体]]と対比され、現象は物自体と主観との共同作業によって構成されるものと考えた。
[[イマヌエル・カント|カント]]においては、現象は[[物自体]]と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成されるものと考えた。別の言い方をすると、現象というのは物自体に[[主体と客体|主観]]の構成が加わった結果のものであるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、とした。


[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]は、ゲーテは「原現象」という名によって、学問的現象などの基底にある根本現象を呼びわけた。また一方で「現象の背後に何も探求してはならない。現象自体が教師なのだ」とも述べた。
[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]は、「原現象」という名によって、学問的現象などの基底にある根本現象を呼びわけた。また一方で「現象の背後に何も探求してはならない。現象自体が[[教師]]{{要曖昧さ回避|date=2022年5月}}なのだ」とも述べた。


[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]においては、「本質は現出する」と言われ、"「本質」は「現象」となることによってのみ存在する"とも言われた。
[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]においては、「本質は現出する」と言われ、「本質」は「現象」となることによってのみ存在するとも言われた。


[[エトムント・フッサール|フッサール]]は、哲学や諸々の学問に確実な基礎を与えることをもくろみ、[[意識]]に直接的に現れている現象を直観し、その本質を記述する方法を追求した。そのために彼は、外界の実在性について判断を中止し(=[[エポケー]])、それでもそのあとに残る純粋意識を分析し記述する、という方法を採用した<ref>『イデーン』など。</ref>。この場合、フッサールは現象について、本体などの背後にあるものとの[[相関関係|相関]]については想定しない<ref name="名前なし-1"/>。( → [[現象学]])
==現象と科学哲学==
<!--とりあえず、以下のように導入 -->
現象をどうとらえるかは、[[科学哲学]]の分野でも重要な課題である。


== 認識論や科学哲学と現象 ==
現象を因果の角度から見る場合は以下のような要素がある。
<!-- とりあえず、以下のように導入 -->
*[[原因]]
現象をどうとらえるかは、[[認識論]]においても、[[科学哲学]]の分野でも重要な課題である。
*[[過程]]
<!-- {{要出典範囲|現象を因果の角度から見る場合は以下のような要素がある。
*[[結果]]
* [[原因]]
* [[過程]]
* [[結果]]}
|date=2011年2月}} -->
<!-- {{要出典|date=2011年2月}}それらの根本法則は「[[因果律]]」と呼ばれ、時に、科学哲学上の大きな問題となることもある。-->


[[18世紀]]には、「[[突発説]]」に対して「[[斉一説]]」が提唱され、後の科学の発展に寄与した。だがこれで、“常に斉一説的な見方で良い”というような単純な図式が成立したというわけではなく、近年では[[恐竜]]の[[絶滅]]については[[突発説]]に相当するような説 (巨大隕石を原因とした絶滅) のほうが妥当とされ、それにより科学がスパイラル状に発展してきているように、現象の捉え方も重要な問題を孕んでいる。
それらの根本法則は「[[因果律]]」と呼ばれ、時に、科学哲学上の大きな問題となることもある。


現象に関して、以下のようなことについての理解が不足して、誤った理論を構築してしまうようなこと今日におても様々な領域起きている。
現象に関して、以下のようなことについての理解が不足して、誤った理論を構築してしまうようなことがあるったことは、最近の文献はしばしば指摘されている。
*[[相関]]
* [[相関]]
*[[先後関係と因果関係]]
* [[先後関係と因果関係]]
*[[パターン]]
* [[パターン]]


=== 現象の具体例 ===
18世紀には、「[[突発説]]」に対して「[[斉一説]]」が提唱され、後の科学の発展に寄与した。だがこれで、"常に斉一説的な見方で良い"というような単純な図式が成立したというわけではなく、近年では[[恐竜]]の絶滅については[[突発説]]に相当するような説(巨大隕石を原因とした絶滅)のほうが妥当とされ、それにより科学がスパイラル状に発展してきているように、現象の捉え方も重要な問題を孕んでいる。


==== 化学・物理学 ====
==現象一覧==
{{See|[[:Category:物理化学の現象]]|[[:Category:天文現象]]}}
===物理現象===
<!--
*[[落下]]
*[[回折]]
* [[落下]]
*[[発光]]
* [[回折]]
*[[臨界現象]]
* [[発光]]
* [[臨界現象]]
* [[ニュートリノ振動]]
* [[電気]]
* [[共鳴]]
* [[サニャック効果]]


===化学現象===
==== 化学現象の例 ====
*[[燃焼]]
* [[燃焼]]
-->
==== 生物学・医学 ====
* [[レイノー現象]]
* ボウディッチ階段現象
* [[聴覚補充現象]](リクルートメント現象)
* クレーン現象([[自閉症]]児などにみられる現象)


===生物現象===
==== 心理学 ====
*[[ボウディッチ階段現象]]


* [[シミュラクラ現象]]
==関連項目==
* [[不気味の谷現象]]
{{wiktionary}}
*[[測定]]、[[観測]]、[[観察]]、[[認識]]
*[[原因]]、[[過程]]、[[結果]]、[[効果]]
*[[前後即因果の誤謬]]・[[先後関係と因果関係]]


==== 社会科学 ====
*[[表象]]と[[物自体]]
*[[現象]]
* [[社会現象]]
*[[現象的意識]]
* [[1区現象]]
* [[ドーナツ化現象]]


==== 気象学・地震学 等 ====
{{DEFAULTSORT:けんしよう}}
* [[フェーン現象]]
* [[エルニーニョ現象]]
* [[ラニーニャ現象]]
* [[ヒートアイランド現象]]
* [[宏観異常現象]]
* [[液状化現象]]
* [[ブロッケン現象]]

==== 工学 ====
* [[ポーポイズ現象]]
* スミア現象 (カメラの[[CCD]]などに起きる現象)
* [[トラッキング現象]]
* [[高速道路催眠現象]]
* [[ハイドロプレーニング現象]]
* [[クリープ (自動車)|クリープ現象]]
* [[フェード現象]]
* [[ローリングシャッター現象]]

==== 超心理学 ====
* [[超常現象]]、[[心霊現象]]
** [[ポルターガイスト現象]]
** [[ファフロツキーズ|ファフロツキーズ現象]]

== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
{{Wiktionary}}
{{Commonscat|Phenomena}}
* [[表象]]と[[物自体]]
* [[現象学]]
* [[現象的意識]]
* [[物理学の未解決問題]]
* [[測定]]、[[観測]]、[[観察]]、[[認識]]
* [[原因]]、[[過程]]、[[結果]]、[[効果]]
* [[前後即因果の誤謬]]・[[先後関係と因果関係]]

{{哲学}}
{{科学哲学}}
{{科学哲学}}
[[Category:科学]]
[[Category:科学哲学]]


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[[sr:Појава]]
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[[tr:Fenomen]]
[[uk:Феномен]]
[[zh:現象]]

2024年6月5日 (水) 05:26時点における最新版

現象(げんしょう、古希: φαινόμενον phainómenon、複数でφαινόμενα phainómena)は、次のようにいくつかの意味で用いられている。

  1. 人間知覚できる、すべてのものごと[1]。人間界や自然界に、形として現れるもの[2]
  2. (人にとって)見えるもの、つまり(外面的な)《現れ》のこと。出来事を、それが存在するかどうか、本当かどうか、といった、その見える〈〈現れ〉〉の背後にあるものは問題にせずに、その観察された〈〈現れ〉〉として扱うとき、それを「現象」と呼ぶ。対義語本質

現象の位置づけの歴史

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プラトンにおいては、現象は、「イデア」( = “真に存在するもの”とされた)と対置された。

古代ギリシャ後期においては、現象にロゴスをあてがうことで“現象を救うこと”が「ロゴン・デドナイ」(学問) である、という考えが見られる。

中世スコラ学において議論はあり、実在する対象に対応するかしないかによって「現象」か「仮象」に区別されたりもした。

クザーヌスによれば、“不可視の神が可視化したものが世界”であるとも表現された。

近世経験論バークリーにおいては、観念や感覚所与を現象とみなして、現象主義に近い方向でそれを論じた。

ヒュームは懐疑論的にとらえ、客観性とは繋がり得ないと見なした。

カントにおいては、現象は物自体と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成されるものと考えた。別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果のものであるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、とした。

ゲーテは、「原現象」という名によって、学問的現象などの基底にある根本現象を呼びわけた。また一方で「現象の背後に何も探求してはならない。現象自体が教師[要曖昧さ回避]なのだ」とも述べた。

ヘーゲルにおいては、「本質は現出する」と言われ、“「本質」は「現象」となることによってのみ存在する”とも言われた。

フッサールは、哲学や諸々の学問に確実な基礎を与えることをもくろみ、意識に直接的に現れている現象を直観し、その本質を記述する方法を追求した。そのために彼は、外界の実在性について判断を中止し(=エポケー)、それでもそのあとに残る純粋意識を分析し記述する、という方法を採用した[3]。この場合、フッサールは現象について、本体などの背後にあるものとの相関については想定しない[2]。( → 現象学

認識論や科学哲学と現象

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現象をどうとらえるかは、認識論においても、科学哲学の分野でも重要な課題である。

18世紀には、「突発説」に対して「斉一説」が提唱され、後の科学の発展に寄与した。だがこれで、“常に斉一説的な見方で良い”というような単純な図式が成立したというわけではなく、近年では恐竜絶滅については突発説に相当するような説 (巨大隕石を原因とした絶滅) のほうが妥当とされ、それにより科学がスパイラル状に発展してきているように、現象の捉え方も重要な問題を孕んでいる。

現象に関して、以下のようなことについての理解が不足して、誤った理論を構築してしまうようなことがある、といったことは、最近の文献ではしばしば指摘されている。

現象の具体例

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化学・物理学

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生物学・医学

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心理学

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社会科学

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気象学・地震学 等

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工学

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超心理学

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出典

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  1. ^ デジタル大辞泉
  2. ^ a b デジタル大辞泉
  3. ^ 『イデーン』など。

関連項目

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