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{{Infobox お笑いコンビ
{{Infobox お笑いコンビ
| コンビ名 = ダウンタウン
| コンビ名 = ダウンタウン
| 画像 = [[ファイル:Matsumoto and Hamada, Downtown, Mido-suji - Nov 3, 2022.jpg|250px]]
| 画像 =
| キャプション =
| キャプション = [[御堂筋]]ランウェイ2022にて<br />左から松本、浜田
| メンバー = [[松本人志]][[浜田雅功]]
| メンバー = [[松本人志]]<br />[[浜田雅功]]
| 別名 =
| 別名 =
| 結成年 = [[1982年]]
| 結成年 = [[1982年]]
| 解散年 =
| 解散年 =
| 事務所 = [[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]東京本社
| 事務所 = [[吉本興業]]
| 活動時期 = 1982年4月-現在
| 活動時期 = 1982年-
| 出身 = [[吉本総合芸能学院|NSC]]大阪校1期
| 師匠 =
| 影響 = [[島田紳助・松本竜介]]
| 出身 = [[吉本総合芸能学院|NSC]]大阪1期生
| 出会い = [[尼崎市|尼崎]]市立[[尼崎市立潮小学校|潮小学校]]
| 影響 = [[島田紳助・松本竜介]]・[[横山やすし・西川きよし]]・[[中田ボタン]]
| 出会い = 尼崎市立潮小学校
| 旧コンビ名 = 青空てるお・はるお<br/>ライト兄弟
| 初舞台 = [[なんば花月]]
| 初舞台 = [[なんば花月]]
| 芸種 = [[漫才]]<br />[[コント]]
| 現在の活動状況 = テレビ(全国区)中心
| 芸種 = [[漫才]]・[[コント]] 
| ネタ作成者 = 松本人志
| ネタ作成者 = 松本人志
| 旧コンビ名 = 浜田・松本<br />まさし・ひとし<br />ライト兄弟<br />青空てるお・はるお<br />まさと&ひとし
| 現在の代表番組 = [[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!|ガキの使いやあらへんで!!]]<br/>[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]<br/>[[リンカーン (テレビ番組)|リンカーン]]<br/>[[ダウンタウンDX]]
| 過去の代表番組 = [[4時すよーだ]]<br/>[[夢で逢えたら]]<br/>[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]
| 現在の代表番組 = <!-- 最大3つ程度の抜粋が望ましい。[[Template:Infobox お笑いコンビ]]を参照。 -->[[ダウンタウンのガキの使いやあらへん!]]<br />[[水曜日のダウンタウン]]<br />[[ダウンタウンDX]]
| 過去の代表番組 = <!-- 最大3つ程度の抜粋が望ましい。[[Template:Infobox お笑いコンビ]]を参照。 -->[[4時ですよ〜だ]]<br />[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]<br />[[ダウンタウンのごっつええ感じ]] など
| 同期 = [[トミーズ]] [[ハイヒール]]
| 同期 = <!-- 最大3組程度の抜粋が望ましい。[[Template:Infobox お笑いコンビ]]を参照。 -->[[トミーズ]]<br />[[ハイヒール (お笑いコンビ)|ハイヒール]]<br />[[内場勝則]]<br />[[ジミー大西]]など
| 受賞歴 = 1984年 ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞<br />1984年 NHK上方漫才コンテスト 優秀賞<br />1986年 第21回上方漫才大賞 新人奨励賞<br />1987年 日本放送演芸大賞発表 最優秀ホープ賞<br />1987年 第22回上方漫才大賞 奨励賞<br />1988年 第23回上方漫才大賞 奨励賞<br />1989年 第24回 上方漫才大賞 大賞<br />
| 受賞歴 = {{plainlist|
| 公式サイト = [http://www.fandango.co.jp/ 公式HPトップ]
* [[1982年]] [[素人名人会]] 名人賞
* 1982年 第3回[[今宮こどもえびす新人漫才コンクール]] 福笑い大賞
* 1982年 [[笑ってる場合ですよ!]] お笑い君こそスターだ! 第32代チャンピオン
* 1984年 第5回[[ABCお笑い新人グランプリ|ABC漫才・落語新人コンクール]] 漫才の部 最優秀新人賞
* 1987年 第15回[[日本放送演芸大賞]] 最優秀ホープ賞
* 1989年 第24回[[上方漫才大賞]] 大賞
}}
}}
| 公式サイト = [{{吉本プロフィール|250}} 公式プロフィール]
'''ダウンタウン'''(DOWNTOWN)は、[[松本人志]]と[[浜田雅功]]から成る[[日本]]の[[お笑いタレント|お笑いコンビ]]。[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]([[吉本興業]])所属。
}}

'''ダウンタウン'''(''DOWNTOWN'')は、[[吉本興業]]に所属する'''[[松本人志]]'''と'''[[浜田雅功]]'''からなる[[日本]]の[[お笑いタレント|お笑いコンビ]]。[[吉本総合芸能学院|NSC]]大阪校1期出身。
日本を代表するお笑いコンビの一組で、本業のかたわら、CM、ドラマ、映画、文筆、音楽、といった幅広い分野でも評価され、現在に至るまでマルチな活躍を続けている。


== メンバー ==
== メンバー ==
{{main|松本人志|浜田雅功}}
*'''[[浜田雅功|浜田 雅功]]'''(はまだ まさとし)[[1963年]](昭和38年)[[5月11日]]身長165cm
; 松本 人志(まつもと ひとし、[[1963年]]〈昭和38年〉[[9月8日]]<ref name="Official"/> - )({{年数|1963|09|08}}歳)
**立ち位置は右でツッコミ担当。
: [[漫才#ボケとツッコミ|ボケ]]・ネタ作り担当。
**戸籍上表記である「濵」は「浜」の旧字体の異字体。
: [[兵庫県]][[尼崎市]]出身<ref name="Official" />。身長172&nbsp;[[センチメートル|cm]]、[[ABO式血液型|血液型]]はB型。[[禁煙|非喫煙者]]。
; 浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年〈昭和38年〉[[5月11日]]<ref name="Official">{{Cite web|和書|url={{吉本プロフィール|250}}|title=ダウンタウン 公式プロフィール|website=吉本興業株式会社|accessdate=2022-04-06}}</ref> - )({{年数|1963|05|11}}歳)
: [[漫才#ボケとツッコミ|ツッコミ]]担当。
: 兵庫県尼崎市出身<ref name="Official" />。身長165&nbsp;cm、血液型はA型。[[喫煙|喫煙者]]。


== 概要 ==
*'''[[松本人志|松本 人志]]'''(まつもと ひとし)[[1963年]](昭和38年)[[9月8日]]身長172cm
1982年にコンビ結成、NSC大阪校の1期生として入学した。[[1987年]]、帯番組『[[4時ですよーだ]]』で大きく注目を集め関西でアイドル的な人気を博す。[[1988年]]、『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』で[[東京]]へ進出。[[1989年]]に『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!]]』、[[1991年]]に『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』、[[1993年]]に『[[ダウンタウンDX]]』、1994年に『[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]』が放送開始し全国的に人気を獲得。コンビ活動の他に浜田は俳優・歌手・司会者、松本はライブ・ビデオ・作家・映画監督などソロ活動も活発に行なった。中でも『ガキの使いやあらへんで!』『ダウンタウンDX』は、現在も続く[[長寿番組の一覧|長寿番組]]である。
**立ち位置は左でボケとネタ作り担当。
※出身地は二人とも[[兵庫県]][[尼崎市]]


== 経歴 ==
== 経歴 ==
{{複数の問題|section=1
1982年4月、浜田が尼崎市立潮小学校からの友人であった松本を誘って吉本の芸人養成所「[[吉本総合芸能学院|吉本総合芸能学院(NSC)]]」に入学。大阪NSC一期生(漫才コース選択)となる。同期には[[トミーズ]]、[[ハイヒール (お笑い)|ハイヒール]]、[[内場勝則]]、[[浜根隆]]、[[前田政二]]などがいる。同期の中で一番テレビデビューが遅かったと浜田は語っている。
|宣伝=2013年7月6日 (金) 09:17 (UTC)
}}


=== NSC入学 ===
1982年7月、第3回[[今宮子供えびすマンザイ新人コンクール]]に「松本・浜田」として出場し、福笑い大賞を受賞する。同年8月、フジテレビ系列、[[笑ってる場合ですよ!|笑ってる場合ですよ!お笑い!君こそスターだ!]]に「ひとし・まさし」の名で出場し、グランドチャンピオンとなる。またこの頃、新人としては異例の早さで[[なんば花月]]の舞台に立つ。
共に[[尼崎市立潮小学校]]、[[尼崎市立大成中学校]]の同級生。高校はお互い別々だったが、高校卒業後の[[1982年]][[3月]]に浜田が吉本の開校した新人タレント養成所『吉本総合芸能学院(通称:NSC)』による1期生募集のチラシを見つけたのがきっかけで、同年4月4日にNSC1期生として入学。当時の松本は就職が決まっていたものの、浜田から誘われて吉本入りを決意した。


入学わずか2ヶ月目にして、テレビ初出演となる[[毎日放送]]『[[素人名人会]]』にて名人賞を獲得。その1ヵ月後には『[[今宮子供えびすマンザイ新人コンクール|第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール]]』で福笑い大賞を受賞。これらの功績が認められ、NSC在学生では異例の早さで「[[なんば花月]]」の公演へ5日間ではあるが特別出演した。
1983年5月、松本が喫茶店で何気なく開いた雑誌に偶然記載されていた「ダウンタウン」という文字から<ref>2007年6月1日放送回『[[さんまのまんま]]』に松本がゲスト出演した際に発言。</ref>、コンビ名を「ダウンタウン」とする。


[[8月]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[笑ってる場合ですよ!]]』の素人・アマチュア芸人の勝ち抜けコーナー「[[お笑い君こそスターだ!]]」へ「まさし・ひとし」として出場、5週勝ち抜きグランドチャンピオンに輝いた。番組内ではNSC在学生ということは伏せられ、素人としての出演だった。
1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した初の看板番組『[[4時ですよーだ]]』でブレイク。大阪を中心に火がつき、「夕方の大阪の街は『4時ですよーだ』を観るため人が居なくなる」と言われる程の番組となり、[[関西]]でアイドル的人気を得るようになる。


その後も劇場で舞台を踏みながら、『[[NHK上方漫才コンテスト|第13回NHK上方漫才コンテスト]]』『[[ABCお笑い新人グランプリ|第4回ABC漫才・落語新人コンクール]]』へ出場。
1988年10月、関東ローカルで[[ウッチャンナンチャン]]ら同世代の芸人と共演した深夜のコント番組『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』が始まると、同時期に『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』のレギュラーとなり、本格的に東京に進出することとなった。『夢で逢えたら』が全国放送となった同年10月には、現在も続く『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]』が関東ローカルで始まり、そして1991年に始まったゴールデンでのコント番組『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』によって国民的な人気を得る。


[[1983年]][[4月21日]]、[[HEP|阪急ファイブ8F]]・[[オレンジルーム]]で同期の[[ハイヒール (お笑いコンビ)|ハイヒール]]、[[銀次・政二]]と共にコントライブ「[[ごんたくれ]]」(全3回)の第1回公演を開催。後の[[心斎橋筋2丁目劇場]]による笑いの原型を開拓させたイベントであった。
その後、1993年に『[[ダウンタウンDX]]』、1994年に『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』がスタートし、どちらも今日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に次ぐ長寿番組となっている。


「松本・浜田」「まさし・ひとし」「青空てるお・はるお」「[[ライト兄弟]]」「まさと&ひとし」などコンビ名を定着させずに活動していたが、同年5月にコンビ名を現在の「'''ダウンタウン'''」へと正式に改めた。同年6月6日になんば花月上席初出演を果たす。
==漫才師としての評価と影響==
漫才ブーム隆盛当時、一般の芸風としてボケとツッコミを早口で捲し立てる「掛け合い喋繰り」が幅を利かせていたが、その中において松本と浜田の妙に間の開くシュールな漫才スタイルは異質な存在であった。この喋りのテンポが遅い点を指摘した[[島田紳助]]は芸風の方向性を松本に問いただす。問われた松本は模索中ながらもある程度の確信がある旨を明かす。後に島田は、ダウンタウンの漫才(の方向性が正しかった事)に衝撃を受け、同時にそれまで培った漫才が通用しなくなっている現状を自覚する事になる。これが漫才を引退するきっかけとなり<ref>ダウンタウンDXゲスト:島田紳助から</ref>、[[紳助・竜介]]を解散した紳助は、記者会見の席上で解散の理由について、「うめだ花月で巨人・阪神とか、[[太平サブロー・シロー|サブロー・シロー]]とか、ダウンタウンを見てると(自分達は)明らかに負けている。それが悔しくて辛い」と述懐した。


コンビ名の由来について松本は「考え過ぎるのやめようって。どこかの喫茶店で、週刊誌をペラペラッとやって、指で押さえたところをコンビ名にしようぜってなったんですよ。それがダウンタウンだったんです」と語っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20210131-62MZ26FMMFLE3LQRZX4CSLERJQ/|title=ダウンタウン、コンビ名の由来は「どこかの喫茶店で週刊誌を…」|publisher=サンスポ|date=2021-01-31|accessdate=2021-09-12}}</ref>。
かつて関西ローカルで放送されていた番組等で番組観覧者に若年の女性層が多かった事から、芸風が若年層に向けた漫才のスタイルのイメージが幅広く定着する事になるが、舞台上では子供から老人まで幅広い年齢層を笑わせ、その場の観客に合わせたネタを即興で駆使するテクニックがズバ抜けており、それを舞台袖で観ていた芸人達は、そのネタの的確さと柔軟なスタイルに感心していたという。<!--トミーズ雅談話-->[[上岡龍太郎]]は「昔はボケもツッコミも観客から見下されていた。それが[[コント55号]]ではツッコミ([[萩本欽一]])が客よりも高い位置に行った。ツービートはボケ([[ビートたけし]])が客よりも高くなった。ダウンタウンは2人とも客よりも高い位置で芸をやっている。これからの漫才(≒コンビ芸)はどうなるんやろ」と評した。


[[1984年]]、『第14回NHK上方漫才コンテスト』で優秀賞を受賞。『第5回ABC漫才・落語新人コンクール』では最優秀新人賞を受賞した。
ダウンタウンの漫才は、前述の島田紳助を始め一部の芸人からは高い評価を受けていたが、漫才師や演芸評論家の中には酷評する者も少なくなかった。特に[[横山やすし]]は、『[[ザ・テレビ演芸]]』内のコーナー、新人勝ち抜きオーディションにライト兄弟の名で出場した際、家庭内暴力についてのネタを披露したところ、二人の漫才を「チンピラの立ち話」と酷評し、「テレビでやるものではない」と叱責した。やすし以外にも、[[NHK上方漫才コンテスト]]では大爆笑をとったにも関わらず、最優秀新人賞を逸し([[トミーズ]]が受賞)、[[ABCお笑い新人グランプリ]]では最優秀新人賞をとったが、一部の審査委員から「理解出来ない」「(観客には)受けていたようだが、どこが面白いのか分からなかった」と酷評されている。後に、松本はやすしが酷評した事に対し、「チンピラの立ち話で結構。チンピラが立ち話をしていて聞いてみたら面白かった、それの何が悪い」「テンポ・間合いばかりを重視してしまうと面白いものが生まれなくなってしまう」と、自身の著書『遺書』において批判している。


=== 「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生 ===
お笑い芸人(特に大阪)を劇的に増やしたのは、この2人の芸風が簡単に見えて、誰でも出来そうに思われた事が影響したとも言われている。島田紳助はダウンタウンとの対談でそのことに言及し、「ダウンタウンはしっかりとした漫才ができているうえでの芸風だが、はじめからダウンタウンと同じような芸風でやろうとしている芸人が多い」と過去に指摘していた。ダウンタウンと同期である[[トミーズ雅]]も「みんな松本のダラダラしたしゃべりの表面だけ真似してるけど、それだけじゃ駄目。松本は本当は150km/hの球を投げることができるのに、それをわざと100km/hで投げている。他の奴らは110km/hしか投げられないのに100km/hで手を抜いている」と評している。
当時の吉本は、[[漫才ブーム]]の終焉によって花月三館(なんば花月・[[うめだ花月]]・[[京都花月]])の観客も若年層より年配層が多くを占めていた。NSC時代から2人のマネージャー的存在であった[[大﨑洋]](元・[[吉本興業ホールディングス]]代表取締役会長)は、才能こそあったものの注目度の低かったダウンタウンに対して「彼らの場を作ってやらんといかん<ref>『ダウンタウンの理由』(1997年8月31日発行)45頁。</ref>」と大﨑が発起人となり、当時[[大阪]]・[[心斎橋]]に[[南海電気鉄道]]が賃貸契約していた劇場「[[心斎橋筋2丁目劇場|南海ホール]]」での定期開催を計画。ターゲットを若年層に絞り、若手と共に1984年[[7月12日]]「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を毎週末に開催した。


=== 「心斎橋筋2丁目劇場」オープン ===
『[[雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!|アメトーーク!]]』で、[[山崎弘也]](アンタッチャブル)は、デビュー当時の芸風が現在と全く違っていたことを突っ込まれると、「(当時は)松本さんの様に、ボケをクールにやらないと売れないのかと思っていた」と回顧している。このことについて、司会の[[雨上がり決死隊]]を初めとした出演者達は、当時の若手芸人たちは、一度はダウンタウンの芸風に感化されて、特に松本のボケのスタイルを真似してしまう事が多く、そう言った状態のことを「ダウンタウン病」と評していた<ref>2009年6月23日放送回『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク! 後輩の山崎に憧れている芸人』より</ref>。
[[1985年]][[10月]]、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]『[[今夜はねむれナイト]]』内にて3分程度によるコントコーナー「ダウンタウン劇場(シアター)」でテレビレギュラー番組を獲得。また、[[大阪放送|ラジオ大阪]]『[[おっと!モモンガ]]』金曜日の司会者に起用される。南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」も徐々に反響を呼ぶようになり、多くの若者から支持を受ける。


[[1986年]]、南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」はハイヒール・[[まるむし商店]]・[[おかけんた・ゆうた]]・[[非常階段 (お笑いコンビ)|非常階段]]・[[130R]]・[[今田耕司]]・[[東野幸治]]らとの公演で人気を博し、入場できない程のファンが詰めかけていた。同時期には南海ホールの経営が南海電鉄から吉本に移り、「大阪にも[[スタジオアルタ]]のようなホールを創ろう!」という企画が持ち上がったことから総工費約2,000万円をかけて改装され、同年[[5月16日]]には正式に「心斎橋筋2丁目劇場」の名称で吉本の常設劇場としてリニューアルオープン。[[8月6日]]に[[大阪城野外音楽堂]]で当時の2丁目劇場主要メンバー「おさわがせ2丁目探険隊 来てもた大阪城」を開催した。
ダウンタウンとしての本格的な漫才は、ビデオ『[[ダウンタウン (お笑いコンビ)#ビデオ|ダウンタウンの流]]』を最後に披露していないが、その後も自身を「漫才師」と称している。『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]』でのフリートークと漫才では、もしかしたら調子の良い時のトークに漫才が負けてしまうかもしれないと語っていた。ダウンタウンの漫才の大半は、2009年現在、ビデオ・DVD化されておらず、見ることが難しい状況になっている。 しかし、松本と浜田の二人の間ではコンビ解散のときは最後になんば花月で漫才をやろうと決めているという。(松紳にて島田紳助からのダウンタウンの最後はどうするのか?という問いに対しての松本の発言より)


=== 『4時ですよーだ』 ===
== ウッチャンナンチャンとの関係 ==
[[1987年]][[4月6日]]、ダウンタウンがMCを務める平日夕方の帯番組『[[4時ですよーだ]]』(毎日放送)が放送開始。当番組を機にダウンタウンの人気が爆発、同年[[9月27日]]には[[大阪厚生年金会館]]でコンサート「DOWNTOWN SCANDALS」を開催し、会場は若年層の女性ファンで超満員となった。その人気に肖り当時の吉本若手タレントでは珍しく、写真集の発売や歌手としてデビューアルバムも発売。この影響で、NSC7期生(1988年度)の生徒数が以前のNSC卒業生の総数を上回る現象も起こった。この番組が始まり芸人としての月給が初めて20万円を超えたと2010年に放送された特別番組『7時ですよーだ』内で語っている。
同世代の吉本芸人(ハイヒール、[[ジミー大西]]など)以外の芸人との共演がほとんどないダウンタウンだが、東京進出後に出演した『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』で共演した[[ウッチャンナンチャン]]とは非常に仲が良い。1990年代前期まではダウンタウンとウッチャンナンチャンが一緒に仕事をしたり、また互いの番組に出演したりということもあった。レギュラー出演していた『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』では出演する曜日こそ違っていたものの、年末の特大号で共演するときは楽屋が一緒だったとのことである。芸歴も年齢もダウンタウンの方が上であるにもかかわらず、ウッチャンナンチャンがダウンタウンと話すときは基本的に敬語を使わず、浜田・松本のことは「浜ちゃん」「松っちゃん」と呼んでいる。また浜田・松本もウッチャンナンチャンの2人を呼び捨てにせず「ウッチャン」「ナンチャン」と呼んでいる。また、南原の結婚式(1993年)に出席したり、また南原に子供が生まれた際や内村の結婚に際し祝福のメールを送ったとされるなどプライベートでも交流がある。松本は「ウッチャンとはたまーに、一年に1回くらいどちらからとも無く連絡を取って一緒に食事をする」とテレビで語ったことがある。


関西で爆発的な人気を獲得したダウンタウンは、その勢いで東京へも活躍の場を広げる。[[1988年]][[10月13日]]、[[ウッチャンナンチャン]]・[[野沢直子]]・[[清水ミチコ]]とのコント番組『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』(フジテレビ)が[[関東ローカル]](後に全国ネット)でスタート。また、2丁目劇場の東京公演「おでかけでっせ、ラフォーレまっせ」を[[ラフォーレ原宿]]で不定期に開催していた。
一方でコンビ同士としての共演は1998年放送の『[[いろもん]]・豪華特別版』([[ゴールデンタイム]]のスペシャル版にダウンタウンがゲスト出演)を最後に10年以上実現していない。ただし、個人それぞれの出演では実現している。2003年に開催された第3回[[M1グランプリ]]では松本と[[南原清隆|南原]]が[[お笑い第三世代]]代表として決勝戦の審査員を務め、しかも、隣同士の席順であったために、貴重なツーショットとなった。その後2006年度第6回[[M1グランプリ]]決勝戦でも、南原と隣の席で審査員を務めた。また、ミュージシャンとして[[内村光良|内村]]は[[ポケットビスケッツ]]や[[NO PLAN]]、南原は[[ブラックビスケッツ]]の一員として『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』に度々出演している。2009年1月3日放送の『[[史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ]]』では、内村と松本が「即興コンビ」を組み、『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』以来のコントを披露し、見事優勝にあたる「ベストカップル賞」を受賞した。


当時の1987年11月に行われた雑誌のインタビューで、「東京で番組を1本持っているのは維持したい(松本)」「東京へ来ることは僕らにとってマイナスにはなりませんからね(浜田)」と2人とも意欲を見せるような発言をしていた一方で、[[ニッポン放送]]からはそれとなく(2時間番組でのパーソナリティの)話があったが自分たちは今東京で2時間やっても持たないのが分かっているので、また全国的に馴染みの無い者がいきなり全国ネットの番組に登場するのはかなり厳しいものがあるなどを理由に遠慮したと、当時は東京進出にまだ慎重的な考えもあったことを明かしている<ref name="radipara8802">[[ラジオパラダイス]]([[三才ブックス]])1988年2月号 59 - 65頁「ダウンタウン ロングインタビュー」</ref>{{efn2|このインタビューで、直の後輩である[[清水圭・和泉修|圭・修]]が1987年8月から全国ネットの[[オールナイトニッポン]](土曜1部=土曜深夜1:00 - 3:00)のパーソナリティとなった話題を振られた時に明かしたもので、松本は「(いきなり全国ネットの番組に登場して)圭・修はかわいそうやと思う」とも発言している<ref name="radipara8802"/>。}}。
松本はウッチャンナンチャンの二人を「戦友。二人が売れすぎるのは芸人として嫌やけど、売れてないのも嫌」と評している。また、自身の著書で「ウンナンがおれへんかったら、ダウンタウンは(売れるのが)もう少し時間がかかったんちゃうかなあって思いますよ」と語っている。


=== 東京進出 ===
==エピソード==
[[1989年]]、吉本から本格的な東京進出命令が下る。以前から『[[ひょうきん予備校]]』『[[欽ドン!|欽ドン!ハッケヨーイ笑った!]]』、そして前年からスタートしていた『夢で逢えたら』などの東京に出向いて番組へ出演していたが『4時ですよーだ』の司会を同年4月より7月まで一時交代し、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』(フジテレビ)の月曜レギュラーとなる。[[9月29日]]に『4時ですよーだ』が最終回を迎え、[[10月3日]]に『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])が関東ローカルで放送開始。同年に第24回[[上方漫才大賞]]大賞を受賞した。
{{雑多な内容の箇条書き|date=2007年11月|section=1}}
*浜田は三重県にある全寮制の高校に入学したため、松本とは以前のようにいつも一緒にいるような関係ではなくなったが、厳しい環境であったため、浜田は山間にある寮から何度も脱走を繰り返し、その手段として時には無賃乗車もした為、松本に電話をして電車賃を払ってもらっていた。
*NSCでネタ見せの発表会を行うに当たり、当時、人気絶頂であった[[紳助・竜介]]の漫才が吹き込まれているテープを、全く同じ事が出来るようになるくらいまで繰り返し聴いた。当時、NSCには一線で活躍している吉本興業の先輩芸人が講師として赴くことがあり、[[島田紳助]]、[[明石家さんま]]、[[オール阪神・巨人|オール巨人]]も講師として赴いていた。その三人がある時、たまたま集まった席で「NSCにめぼしいのはおるか?」という話になり、「二人すごい奴がおる」「一組だけ(ダウンタウン)やな」と、三人ともダウンタウン(松本・浜田)で意見は一致していた<ref>2006年10月9日放送『[[メントレG|メントレスーパーG秋の2時間大放出スペシャル]]』、2009年11月22日放送『[[行列のできる法律相談所]]』より </ref>。
*ダウンタウンがコンビ名を変えた大きな理由は、1983年5月に吉本の大阪本社に約千人もの署名が送られてきた為。その内容は、「もっと彼らをテレビや劇場の出番を増やしてほしい」と多く書かれていた。その直後、コンビ名を「松本・浜田」から「ダウンタウン」と改名した。
*付き合いが長いせいかプライベートで会うことは皆無だと言う。そのため普段仕事以外で喋る状況が無く、照れくささもあり楽屋などで二人きりになる事を極度に恐れ、打ち合わせ等では担当マネージャーがトイレに行ってしまわない様に延々としゃべり続けてしまうという。しかし両者がお互いを尊敬しており、相方として信頼しあっていると浜田は語っている。松本も著書『遺書』で尊敬する(おっとこまえな)人の中に浜田の名前をあげている。
*浜田が体調不良などで仕事を休んだ際、松本は強い口調ながらも浜田のことを人一倍心配する。ある番組の収録で、浜田が体調を崩し来られなかった日も、松本は一人そわそわと落ち着きのない態度を取り、収録後みんなで集まっていた際も、一人部屋の隅で寂しそうにしていたこともあった(ウンナン・南原やココリコ・田中の証言より)。
*スナックでアルバイトをしていた頃、スナックから自宅まで帰る電車賃がなくて[[ミナミ]]から[[尼崎]]まで、途中、1本のコーヒー牛乳を分け合い飲みながら歩いて帰った事がある。
*花月で漫才をしていた時、客席から「真面目にやれ!金返せ!」と罵声を浴びせられた浜田は、「おう!返したらぁ!いくらじゃボケェ!」と、ポケットの中の小銭をその客に向かって投げつけた。
*うめだ花月、なんば花月、京都花月の三館回りをしていた頃の二人の現場までの交通手段は、浜田が初めてローンを組んで買った[[トヨタ・マークII|マークⅡ]]であった。また、そのマークⅡを遅刻しそうになって走らせていた時、オービスに撮られ、その後、何年も警察のハガキを無視していた為、[[4時ですよ~だ]]終了後に逮捕される事になっていた。逮捕予定当日、浜田がなんとなくふらりと警察へ行ったので、未遂に終わったという。ちなみにオービスには浜田、松本の胸から上がしっかり写っていた。
*若手時代、松本が浜田に3千円貸したエピソードがあり、「3千円返してくれ!」と未だに言っている。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で何度もネタにするため、番組内のコーナーできっちり3千円返すことになったが、松本が受け取りを拒否、未だにネタにしている。
*[[漫才ブーム]]が終わった頃にデビューしたため、劇場に出ても来ている客は団体客や年寄りばかりで笑いがとれなかったので、若い客の前で自分達の実力を試すべく、[[朝日放送]]で[[紳助・竜介]]が司会をしていた「[[ヤングプラザ]]」という番組の前説への出演を自分達で頼みに行った。
*大阪・[[心斎橋筋2丁目劇場|2丁目時代]]、あまりの人気ぶりに「ダウンタウンが[[道頓堀]]を歩くと自衛隊が出る」と言われていた。
*『[[ダウンタウンのごっつええ感じ#緊急企画|ダウンタウンのごっつええ感じ]]』の「青春プレイバック」と題した企画で尼崎の商店街を訪れた松本は、「浜田に吉本入りを勧誘されてなかったら、自分は今と違って太ったオッサンになって、嫁にコキ使われて生きていただろうな」と、しみじみと語った。
*両者とも下戸である。その為二人の酒に関するエピソードは少ない。ただし二人とも全く飲めない訳ではなく、レギュラー番組で酒を交わしながらトークする様子も見られる。また、両者共に高所恐怖症であり、絶叫マシンが苦手である。その為か、番組内で絶叫マシンに乗る事は少ない。
*松本は浜田と出会う前に、ゲイではないかと疑われるぐらいに仲の良い友人がおり、漫才などをして青春を送っていた。中学で浜田と出会い、三人で遊ぶ事も多くなったある日、浜田とその友人が喧嘩を始め、友人を倒した浜田が「もうええわ、まっつん行こうや!」と言い、松本はついていったという。これが無ければダウンタウンは誕生していなかった等とよく松本が話している。その後、友人とはよそよそしくなって、あまり遊ぶ事はなくなったという。(この友人は、元相方としてTVに出演したり、ラジオの公開録音に出席したりしている)
*1980年代の漫画「寄席芸人伝(古谷三敏著)」の第151話『浅草(エンコ)育ち 吾妻ひろし 後編』に、若手漫才コンビがプロダクションから「ダウンタウン」とのコンビ名をもらうエピソードがある。


[[1991年]]4月からは『[[世界の常識・非常識!]]』(フジテレビ)にレギュラー出演。
==作品==
===シングル===
*夕陽家族(1989年10月8日)
*生きろ・ベンジャミン/いとしのゴルゴ(松本ヴァージョン)(1991年2月21日)
*生きろ・ベンジャミン/えっ!さよなら(浜田ヴァージョン)(1991年2月21日)
*[[Grandma Is Still Alive]](1994年7月21日) ※[[GEISHA GIRLS]]名義
*[[少年 (GEISHA GIRLSの曲)|少年]](1995年5月19日) ※GEISHA GIRLS名義
*[[エキセントリック少年ボウイオールスターズ#ディスコグラフィー|「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ]](1997年9月25日) ※[[エキセントリック少年ボウイオールスターズ]]名義
*[[日影の忍者勝彦オールスターズ|日影の忍者勝彦]](1998年5月25日) ※[[日影の忍者勝彦オールスターズ]]名義
*[[明日があるさ (Re:Japanの曲)|明日があるさ]](2001年3月28日) ※[[Re:Japan]]名義
**この曲で2001年に2度目の[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]出場を果たした。
*[[明日があるさ UnderGround 2step Remix]](2001年7月4日) ※Re:Japan名義
*[[bittersweet samba ~ニッポンの夜明け前]](2002年3月13日) ※Re:Japan名義
以上がダウンタウン関連のシングル。


[[1991年]][[12月8日]]、3度の特番放送を経て『世界の常識・非常識!』の後番組『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』が放送開始される。ダウンタウンが得意とするシュールなコントで全国的に不動の人気を掴み、全盛期には視聴率20%を超える[[怪物番組|お化け番組]]へと成長。[[1993年]][[10月21日]]には[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作の全国ネット番組『[[ダウンタウンDX]]』が、[[1994年]][[10月17日]]にはフジテレビで[[音楽番組]]『[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]』が放送開始された。
2004年11月「[[浜田雅功]]と[[槇原敬之]]」という音楽ユニットのクリスマスソング『[[チキンライス (楽曲)|チキンライス]]』の作詞は松本が担当したりと、共同作業もある。


=== 個人としての活動〜『ごっつええ感じ』終了 ===
===アルバム===
浜田は東京進出後に数々の[[ドラマ]]へ出演など、俳優業にも活動の幅を広げる。1995年[[3月15日]]、[[小室哲哉]]との音楽ユニット・[[H Jungle with t]]を結成しデビューシングル『[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]』を発売するとオリコンチャートで7週連続1位を獲得、CDセールスは約200万枚という大ヒットを飛ばした。同年の大晦日放送『[[第46回NHK紅白歌合戦]]』にも初出場、同番組では[[GEISHA GIRLS]]に扮した松本が浜田にも内緒でゲスト出演していた。
*[[GOBU-GOBU]](1988年10月21日)
**[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBSソニー]]より発売されたミニアルバム。歌手デビュー作でもある。所ジョージが詞曲を提供している。
*[[万力の国 (アルバム)|万力の国]](1991年3月21日)
**シングル「生きろ・ベンジャミン」(松本バージョンと浜田バージョンの2種類発売)の発売後にリリースされた。松本、浜田のソロ歌唱曲も収録し、[[宇崎竜童]]、[[所ジョージ]]、[[奥田民生]]、[[島田紳助]]などが詞曲を提供している。
*[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら メモリアルアルバム]](1992年9月18日)
**同番組のサントラ盤
*[[GEISHA "Remix" GIRLS]](1994年8月19日)
*[[THE GEISHA GIRLS SHOW - 炎の おっさんアワー]](1995年5月19日)
*[[THE GEISHA GIRLS "Remix" SHOW 続・炎のおっさんアワー]](1995年6月21日)
**[[坂本龍一]]プロデュースにより、[[ニューヨーク]]でCDデビューした際には、"THE GEISHA GIRLS"というユニット名がつけられた。
**日本においては、[[下町]]にも住宅地があり、[[山の手]]にも繁華街があることが多いため、ダウンタウンを単に「下町」と訳すと意味が違ってくるためこの名になった。
**ただ、この命名の理由についてはあくまで便宜的なものであり、実際の命名のきっかけとなった出来事がある。これは、『ガキの使い』のトーク収録に坂本龍一が観覧に訪れており、後日のトーク収録にてこのことについて触れられた。そこから「坂本プロデュースでCDデビューしよう」と及び、「ユニット名は?」との浜田のフリに対し、松本が思わず発した「坂本龍一プロデュース、ゲイシャガールズ!」と発したことが直接のきっかけ。
**この収録のあと、乗り気になった番組スタッフがニューヨークにある[http://www.kab.com/ 坂本の事務所]にプロデュース依頼のオファーを出し、坂本が「ダウンタウンの2人が(レコーディングで)N.Y.に来られるのなら」という条件付きでこれを快諾、ダウンタウンと坂本龍一らによる『THE GEISHA GIRLS』が結成されることになった。アメリカの人気[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[オービー・トライス]]も参加している。
*[[ダウンタウンのごっつええ感じ#関連商品|ダウンタウンのごっつえぇ感じ 音楽全集]](1997年12月15日)
**番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のサントラ盤
*[[look up to the sky ~明日があるさ~]](2002年3月27日) ※Re:Japan名義


一方で松本はお笑いの活動にこだわり、1994年には入場料1万円のライブ「寸止め海峡(仮題)」、1995年には[[日本武道館]]で初の芸人による1人単独ライブ「松風'95」を開催し独自の笑いを生み出し続けていった。1993年から1995年にかけて、松本が『[[週刊朝日]]』に連載していたエッセイ(「オフオフダウンタウン」)が単行本化される。題名は『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部を売り上げた。1995年には芸能人長者番付で松本が1位、浜田が2位となった。
=== ビデオ ===
*ダウンタウン物語(1988年)
*OH! MY ハレルヤ(1988年)
*ダウンタウンホラー・大魔神怒る(1989年)
**ウッチャンナンチャンがゲスト参加したコメディ。
*ダウンタウンの流(1991年)
**漫才、ショートコントを収録。
*ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1-10(1995年 - 1998年)
**同テレビ番組から傑作コントを厳選。
*ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! Vol.1~7(1995年 - 1998年)
*ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 10周年記念傑作トークベストセレクションVol.1~4(1999年)
*明日があるさ(2001年)


1997年[[11月]]、番組改編期でもない11月に『ダウンタウンのごっつええ感じ』が突如[[打ち切り]]となり、それを受けダウンタウンのバラエティ番組の傾向が変化していく(詳細は[[ダウンタウンのごっつええ感じ#突然の放送終了]]参照)。
===DVD===
*The Very Best Of ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1~5(2003年)
*Vol.1「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ! +名作&傑作トーク集」(2004年8月25日、[[よしもとアール・アンド・シー|よしもとR and C]])
*Vol.2「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本一人ぼっちの廃旅館1泊2日の旅! +名作&傑作トーク集」(2004年9月29日)
*Vol.3「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本チーム絶対に笑ってはいけない温泉旅館の旅!+名作&傑作トーク集」(2004年10月27日)
*Vol.4「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 抱腹絶倒列伝! 新作トーク集 +15年間の罰ゲームの系譜他」(2004年11月25日)
*Vol.5「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 絶対笑ってはいけない温泉宿1泊2日の旅 in 湯河原+名作 & 傑作トーク集」(2005年6月29日)
*Vol.6「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 負 山崎vsモリマン 男と女の真剣勝負! 笑の神が降りた奇跡の名場面集」(2005年7月27日)
*Vol.7「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 笑魂投入伝! 傑作トーク集!!」(2005年9月21日)
*Vol.8「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 放送800回突破記念永久保存版 松本・山崎・ココリコ絶対に笑ってはいけない高校」(2006年11月29日)
*Vol.9「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 放送800回突破記念永久保存版 笑神降臨伝!傑作トーク集!!」(2007年1月31日)
*Vol.10「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 ダウンタウン結成25年記念永久保存版 浜田・山崎・遠藤絶対に笑ってはいけない警察24時」(2007年12月19日)
*Vol.11「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 ダウンタウン結成25年記念永久保存版 唯我独笑伝!傑作トーク集!!」(2008年1月30日)
*Vol.12「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 絶対笑ってはいけない病院24時」(2008年12月26日)


==出演==
=== 2000年代 ===
[[2000年]][[4月15日]]、松本と[[中居正広]]のW主演でドラマ『[[伝説の教師]]』(日本テレビ)が放送開始。最終回には浜田と[[木村拓哉]]が特別出演した。
ダウンタウンとしての出演番組を記載。[[ピン]]での出演作品は[[浜田雅功]]と[[松本人志]]の'''出演'''の項目を参照。


[[2001年]][[4月21日]]、浜田主演のドラマ『[[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]]』(日本テレビ)が放送開始。このドラマの主要メンバーで構成された音楽グループ・[[Re:Japan]]を結成して『[[明日があるさ]]』をリリース、同年の大晦日放送の『[[第52回NHK紅白歌合戦]]』にも出場した。
===現在放送中のレギュラー番組===
*日 『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]』(1989年10月3日~)22時56分~23時26分([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)
*月 『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』(1994年10月17日~)20時~20時54分([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)
*火 『[[リンカーン (テレビ番組)|リンカーン]]』(2005年10月18日~)22時~22時54分([[TBSテレビ|TBS]]系)
*木 『[[ダウンタウンDX]]』(1993年10月21日~)22時~22時54分(日本テレビ系/制作:[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])


[[10月12日]]、突如打ち切りとなった『ごっつええ感じ』が『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として一夜限りの復活を遂げる。以降ダウンタウンとして10年間、地上波ではコントを披露する機会がなかった。
===過去に出演したテレビ/ラジオ番組/CM===

[[2004年]][[11月17日]]、作詞:松本人志、作曲・バックコーラス:[[槇原敬之]]、歌:浜田雅功として『[[チキンライス (曲)|チキンライス]]』([[浜田雅功と槇原敬之]])を発売。

=== 2010年代 ===
2011年6月5日放送『[[爆笑 大日本アカン警察|爆笑!大日本アカン警察]] 2時間スペシャル』で、事務所の後輩である[[ナインティナイン]]([[岡村隆史]]・[[矢部浩之]])と14年ぶりの共演。

[[2011年]][[11月5日]]、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]で松本出演のコント番組『[[松本人志のコントMHK]]』のレギュラー放送第1回のゲストとして、相方である浜田とコントを披露。ダウンタウンとしてコントを披露するのは2001年放送の『-ものごっつええ感じスペシャル』以来である。

[[2012年]][[4月8日]]、吉本興業100周年特別公演にダウンタウン・今田耕司・東野幸治・130R・[[木村祐一]]などでかつて花月で行われていた興行「ポケットミュージカルス」を復活。公演内容は『ごっつええ感じ』の男性陣で構成された人気コントキャラ・[[エキセントリック少年ボウイオールスターズ]]による『[[「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ]]』や、浜田が『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』を熱唱するなど豪華なラインナップであった。

[[10月20日]]、ダウンタウン結成30周年記念特設サイトが公開される。

[[2013年]][[2月5日]]から、吉本興業100周年記念公演『[[吉本百年物語|吉本百年物語 アンチ吉本・お笑いレボリューション]]』で、ダウンタウンが若手時代に活躍していた「心斎橋筋2丁目劇場」が舞台化された。この公演ではダウンタウンを[[間慎太郎]](浜田)、[[趙珉和]](松本)が演じた。

[[2014年]][[3月31日]]放送の『[[笑っていいとも!特大号#笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号|笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号]]』で、一部[[インターネット|ネット]]などで不仲説が囁かれていた[[とんねるず]]([[石橋貴明]]・[[木梨憲武]])と1987年5月4日の『MBSヤングタウンVSとんねるず野球大会』(毎日放送テレビ・ラジオ<ref>{{Cite journal|和書|title=ローソン,ハウス食品~異業種タイアップイベント(毎日放送)|journal=企業と広告|volume=13|issue=8|publisher=チャネル|date=1987-08-01|pages=22 - 23|id={{NDLJP|2853053/14}}}}</ref>)・1994年10月3日放送の『[[FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル|FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル]]』(フジテレビ系)以来となる約20年ぶりでテレビでは3度目の共演を果たし、同じく不仲説があった[[爆笑問題]]([[太田光]]・[[田中裕二 (お笑い芸人)|田中裕二]])とも1989年1月1日放送の『[[初詣!爆笑ヒットパレード]]』(フジテレビ系)以来となる約25年ぶりの共演を果たした。また、ウッチャンナンチャン([[内村光良]]・[[南原清隆]])ともコンビとしては1998年『[[いろもん|いろもん豪華特別版]]』(日本テレビ系)以来となる16年ぶりに共演している。

2015年8月28日放送の『ダウンタウンなうSP』で、[[B21スペシャル]]([[ヒロミ]]・[[ミスターちん]]・[[デビット伊東]])と『[[全員出席!笑うんだってば]]』(日本テレビ系)以来となる26年ぶりの共演を果たした。

=== 2020年代 ===
[[2021年]]8月28〜29日放送の『[[FNSラフ&ミュージック〜歌と笑いの祭典〜|FNSラフ&ミュージック]]』にて、松本がサポーターとして出演。第1夜では生ブッキングのコーナーで内村に生電話して出演交渉を行い、第2夜では番組終盤にて内村と『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来7年ぶりに共演し、ダウンタウンとウンナンの2組で番組をやりたいと話した。さらに爆問とも同じく『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来、7年ぶりの共演を果たした。

10月2日放送の『お笑いの日2021』では、『[[賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜]]』のMCである[[有田哲平]]([[くりぃむしちゅー]])と、TBSで『[[史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ]]2005』以来16年ぶりの共演を果たす。

[[2022年]]4月3日、[[なんばグランド花月|大阪・なんばグランド花月]]で行われた吉本興業110周年記念イベント「伝説の一日」において、同舞台上での漫才を約31年ぶりに披露した<ref name=":0">{{Cite news2 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202204030000979.html |title=ダウンタウン聖地31年ぶりの漫才は2人で紡いだ52年の歴史 浜田雅功の蹴りツッコミも出た |newspaper=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツNEWS |date=2022-04-03 |accessdate=2022-04-04 |df=ja}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=【ライブレポート】ダウンタウンがNGKでセンターマイク挟む、松本クイズに翻弄された浜田「もうええわ!」(公演写真あり) |url=https://natalie.mu/owarai/news/472476 |website=お笑いナタリー |accessdate=2022-04-04}}</ref>。

== 芸風 ==
=== 漫才 ===
ネタは[[コント漫才]]が多く、代表的なネタとしては「誘拐」「医者」「クイズ」「『あ』研究家」などがある。

松本のボソボソと喋るボケに浜田のいなすようなツッコミが特徴で、[[漫才ブーム]]の頃はハイテンポなしゃべりが主流だったためゆっくりなテンポで間を空けたスタイルは異質とされ、[[横山やすし]]からは「チンピラの立ち話」と酷評された<ref>1982年12月12日放送の『[[ザ・テレビ演芸]]』(テレビ朝日)内のコーナー、勝ち抜き新人オーディションに「ライト兄弟」の名で出場した際の発言。</ref><ref>松本人志『遺書』 p,93 - 95</ref>。

『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』でコントに注力するようになってからは、ダウンタウンとしての漫才はビデオ『ダウンタウンの流』を最後に演じていなかったが、先述の通り2022年4月に開催された「伝説の一日」千穐楽参回目の大トリにおいて、約31年ぶりの漫才(新ネタ)を披露している<ref name=":0" /><ref name=":1" />。

=== 漫才師としての評価 ===
[[島田紳助]]は[[島田紳助・松本竜介|紳助・竜介]]時代、NSCでダウンタウンの漫才を見た時の衝撃は忘れられないと語っている。漫才ブームの頃は早いテンポの漫才が多かったが、ダウンタウンは遅いテンポだったことで松本に「このテンポはどうするんや」と尋ねると、「いや、俺らはこのテンポ変えるつもりはありません。このままでいきます」と返されて後に紳助はダウンタウンの漫才の方向性が正しかったことに衝撃を受けた<ref>島田紳助 松本人志『哲学』 p,24 - 34</ref>。また、紳助・竜介が解散するきっかけとなったコンビもダウンタウンであり、[[1985年]]5月にうめだ花月上席の舞台袖でダウンタウンの漫才を目にしたことで自分たちの限界を感じ、吉本本社に出向きコンビ解散の意志を告げた。同年5月20日に行われた記者会見で紳助は、解散理由について「[[オール阪神・巨人|阪神・巨人]]や[[太平サブロー・シロー|サブロー・シロー]]、ダウンタウンには勝てない」と、当時まだ無名であったダウンタウンの名を挙げた。

[[ビートたけし]]は、松本との対談でダウンタウンの漫才について「([[ツービート]]の漫才は)あの当時としては新しいことをやってたんだけど、かなり荒いんだよね。その時代のあとに出てきたダウンタウンはもっときめ細かい。おいらの2、4、6、8というネタの切り取り方が、1、2、3、4でとってきたという感じ。乗った時は0.1とか0.2の刻みでとり出したという感じがある。スピード的には2、4、6と飛んでいくから、[[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]とかおいらの漫才のほうが早いんだけど、ダウンタウンは0.1をじっくりもたせちゃうというところがある。おいらの5分ネタを30分ぐらいやれる細かさで、その感じをよくわからせたのがダウンタウンの漫才だ。それは進化だと思う」と評した<ref>北野武『コマネチ! -ビートたけし全記録-』(新潮文庫) p,12 - 13</ref>。

宮川大助([[宮川大助・花子]])は、医者の漫才で「[[ひまわり (気象衛星)|衛星ひまわり]]から撮った[[X線撮影|レントゲン写真]]です」というボケを聞いた際に「あ、負けたなと。そんなの想像できひんなと思った」と当時の衝撃を語り、「時代が変わる」と感じた旨を振り返っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2127580/full/|title=宮川大助、ダウンタウンの漫才極意盗もうと思った過去 引き際の美学も明かす|publisher=ORICON NEWS|date=2019-01-16|accessdate=2021-07-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://news.yoshimoto.co.jp/2019/01/entry89965.php|title=東野幸治、内容を次々と明かす宮川大助に「やめてもらっていいですか?」とツッコミ!「Audible」新コンテンツ発表会見|publisher=よしもとニュースセンター|date=2019-01-16|accessdate=2021-07-07}}</ref>。

太田光は先述の「伝説の一日」を有料配信で観ており、ダウンタウンの漫才を「凄いな、立ち話みたいな感じで漫才をやるっていうのが。俺らにはできないスタイルだから、めちゃくちゃ面白かった」「あれが本当の漫才のスタイルだな」と絶賛していた旨を金ちゃん([[鬼越トマホーク]])が証言し、坂井良多(鬼越トマホーク)も「漫才をやり続けた爆笑問題さん的にも『ダウンタウンさんが漫才に帰ってきたことが凄く嬉しい』って言ってました」と付け加えている<ref>[https://www.sanspo.com/article/20220821-E3AN56XK2NBSLNW5ZHQ6OVYLLA/?outputType=amp 爆笑問題・太田、ダウンタウンの漫才を絶賛していた「あれが本当の漫才のスタイル」 鬼越トマホークが暴露]サンケイスポーツ 2022年8月21日配信 2022年9月3日閲覧。</ref><ref>[https://www.daily.co.jp/gossip/2022/08/21/0015572712.shtml?pg=2 爆笑問題・太田光「伝説の一日」ダウンタウン漫才を絶賛「おれらにはできない」]デイリースポーツ 2022年8月21日配信 2022年9月3日閲覧。</ref>。

=== コント ===
『[[今夜はねむれナイト]]』のコーナー「ダウンタウン劇場(シアター)」で初めてセットを使ったコントを披露した。ウンナン・野沢直子・清水ミチコとのコント番組『夢で逢えたら』でユニットコントを演じ、『ダウンタウンのごっつええ感じ』では多くのコント・キャラクターを生み出し、ベタなコントからマニアックなコントまで幅広く演じた。

[[小松純也]]は松本およびダウンタウンのコントについて、「作り手としても演じ手としてもすさまじいっていうことじゃないですか。結局、演じることに長けている人はいる。お笑いの作り手としても、部分部分は優れてる人はいると思うんです。けれど、あの人の場合はそれが全部同居している。発想の次元でいうと、それまでのコントと彼ら以降で一番変わっていった大きなポイントというのは、『面白い人がいてその人が面白い』ということではなくなった。『関係性の笑い』をメジャーにしていった」と語っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/2235|title=『ごっつええ感じ』演出家が語る「浜田さんが動いたとき」|publisher=文春オンライン|date=2017-05-01|accessdate=2021-07-10}}</ref>。

悲しさや切なさを感じさせるコントも多く、松本は「僕、ハッピーエンドが嫌いなんですよ。だから映画でもそうなんですけど、ちょっとどこか救われへんのが好きやったりするんです。ハッピーエンドやと終われないんですよ、やっぱり。ハッピーエンドで終わっても何か一旦終りみたいな。(中略)でも、理屈じゃなくてありますね。どうしてもそっち……行きますね。『トカゲのおっさん』なんてほんと悲しいですよ(笑)。(中略)でも、おもしろいことってね、切ない中にあると思うんですね。何か切ないからおもしろい方向に行ってしまうっていうことは絶対あると思うんですよ」と語っている<ref>松本人志『松本坊主』 p,212 - 213</ref>。

== 出囃子 ==
* [[佐野元春]]「[[ダウンタウン・ボーイ]]」 - 結成当初に使用<ref>[https://datazoo.jp/tv/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AC%E3%82%AD%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E3%82%84%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%B8%E3%82%93%E3%81%A7%EF%BC%81%EF%BC%81/490523 2011年6月5日放送『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』]TVでた蔵</ref>。
* [[EPO]]「[[DOWN TOWN#EPOによるカバー|DOWN TOWN]]」 - 『伝説の一日』出演時に使用<ref name=":1" />。

== 出演 ==
ダウンタウンとしての出演番組を記載。個人での出演作品は[[浜田雅功]]、[[松本人志]]を参照。

=== 現在放送中のレギュラー番組 ===
[[2015年]]3月末以降、全ての番組が'''[[冠番組]]'''である。

* [[水曜日のダウンタウン]]([[TBSテレビ]]系)
* [[ダウンタウンDX]](読売テレビ制作・日本テレビ系)
* [[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!]](日本テレビ系)

=== スペシャル番組 ===
<!--2回目が無ければ単発へ-->
* [[キングオブコント]](TBSテレビ)2008年 -
* [[ドリーム東西ネタ合戦]](TBSテレビ)2014年 -
* [[お笑いの日]](TBSテレビ)2020年 -
* [[お笑いアカデミー賞]](TBSテレビ)2021年 -
* [[ダウンタウンvsZ世代|ダウンタウンvsZ世代 ヤバイ昭和あり?なし?]](日本テレビ)2022年 -

=== 過去に出演したテレビ番組ラジオ番組/CM ===
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 -->
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">テレビドラマ</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''テレビドラマ'''</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*[[ダウンタウン物語 (毎日放送)|ダウンタウン物語]](1987年 - 1988年、[[毎日放送テレビ|毎日放送]]
* [[ダウンタウン物語 (1987年のテレビドラマ)|ダウンタウン物語]](1987年 - 1988年、毎日放送/関西ローカル
*[[桂三枝の大当り!初春長屋]](198814日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])
* [[花王名人劇場|花王名人劇場 よしもとマネージャー物語]](19871018日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])
*[[THE 吉本興業殺人事件]](1988年1227日、[[ABCテレビ|朝日放送]]
* 桂三枝の大当り!初春長屋(1988年14日、関西テレビ/関西ローカル
* THE 吉本興業殺人事件(1988年12月27日、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]「[[火曜スーパーワイド]]」枠)
*[[ウッチャンナンチャンのコンビニエンス物語]](1990年、[[テレビ東京]])※ゲスト出演
*[[世にも奇妙な物語]]「逆転」(1992年、フジテレビ)※カメオ出演
* [[ウッチャンナンチャンのコンビニエンス物語]](1990年、[[テレビ東京]])※ゲスト出演
*[[竜馬おまかせ!]](1996年、日本テレビ)※浜田主演、松本は町娘役でゲスト出演
* [[も奇妙な物語]]「逆転」(1992年、フジテレビ)※カメオ出演
*[[伝説の教師]](2000年、日本テレビ)※松本主演、 浜田最終回にゲスト出演
* 竜馬におまかせ!(1996年、日本テレビ)※浜田主演、松本町娘役でゲスト出演
* [[伝説の教師]](2000年、日本テレビ)※松本主演、浜田は最終回にゲスト出演
*[[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]](2001年、日本テレビ)
* 明日があるさ(2001年、日本テレビ)
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">レギュラー番組</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''レギュラー番組'''</div>
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*[[ABOBAゲーム]](1984年 - 1985年、[[ABCテレビ|朝日放送]]・初レギュラー番組
* [[ABOBAゲーム]](1984年 - 1985年、朝日放送)※初レギュラー番組
*[[今夜はねむれナイト]](1985年 - 1987年、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]/関西ローカル)
* [[今夜はねむれナイト]](1985年10月 - 1987年9月、関西テレビ/関西ローカル)
*[[なげやり倶楽部]](1985年10月 - 12月、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]/関西ローカル)
* [[なげやり倶楽部]](1985年10月 - 12月、読売テレビ/関西ローカル)
*[[花の駐在さん|さんまの駐在さん]](1985年、朝日放送関西ローカル)
* [[花の駐在さん|さんまの駐在さん]](1985年、朝日放送/関西ローカル)
*[[欽ドン!]]ハッケヨーイ笑った!(1986年 - 1987年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
* [[ひょうきん予備校]](1986年10月 - 1987年9月、フジテレビ/関東ローカル
*[[ひょうきん予備校]](19874月 - 8月、フジテレビ/関東ローカル
* [[欽ドン!ハッケヨーイ笑った!]](198611月 - 1987年2月、フジテレビ)
*[[4時ですよーだ]](1987年 - 1989年、[[毎日放送テレビ|毎日放送]]/関西ローカル)
* [[4時ですよーだ]](1987年4月 - 1989年9月、毎日放送/関西ローカル)
**[[4時ですよーだ|週刊ダウンタウン・おいしいとこスペシャル]](1987年10月 - 1989年3月、『4時ですよーだ』の総集編)
** 週刊ダウンタウン・おいしいとこスペシャル(1987年10月 - 1989年3月、『4時ですよーだ』の総集編)
*[[ひょうきんミニ放送局]](1987年 - 1988年、フジテレビ関東ローカル)
* [[ひょうきんミニ放送局]](1987年10月 - 1988年2月、フジテレビ/関東ローカル)
*[[ダウンタウンのゆーたもん勝ち!]](1988年4月 - 9月、毎日放送関西ローカル)
* [[ダウンタウンのゆーたもん勝ち]](1988年4月 - 9月、毎日放送/関西ローカル)
*[[働けダウンタウン]](1988年 - 1989年、放送/西ローカル)
* [[恋々!!ときめき倶楽部|Boy Meets Girl 恋々!!ときめき倶楽部]](1988年10月 - 1989年3月、日本テレビ/ローカル)
*[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]](1988年 - 1991年、フジテレビ
* [[働けダウンタウン]](1988年10月 - 19893月毎日放送/関西ローカル
* [[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]](1988年10月 - 1991年11月、フジテレビ)
*[[恋々!!ときめき倶楽部|Boy Meets Girl 恋々!!ときめき倶楽部]](1988年 - 1989年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]/関東ローカル)
*[[DAY BREAK]](1988年 - 1989年、[[中部日本放送]]中京ローカル)
* DAY BREAK(1988年 - 1989年、[[CBCテレビ|中部日本放送]](現・CBCテレビ)/中京ローカル)
*[[森田一義アワー 笑っていいとも!]](1989年 - 1993年、フジテレビ)
* [[森田一義アワー 笑っていいとも!]](1989年4月 - 1993年3月、フジテレビ)
*[[ツキイチダウンタウン]](1989年4月 - 9月、毎日放送/関西ローカル
** [[笑っていいとも!増刊号]](1989年4月 - 1993年3月、フジテレビ
*[[ききわけのな悪魔たち]](1989年 - 1990年、[[テレビ東京]]
** [[笑っていとも!特大号]](1989年 - 1993年、フジテレビ)
*[[ダウンタウンスペシャル]](1989年 - 1990年、毎日放送関西ローカル)
* [[ツキイチダウンタウン]](1989年4月 - 9月、毎日放送/関西ローカル)
*[[全員出席!笑うんだってば]](1989年10月 - 12月日本テレビ)
* ききわけのない悪魔達(1989年 - 1990年、テレビ東京
*[[ビレッジ吉本]](1989年、[[TBSテレビ|TBS]]/関西ローカル)
* [[ダウンタウンスペシャル]](1989年10月 - 1990年3月毎日放送/関西ローカル)
*[[EXテレビ]](1990年 - 1994年読売テレビ)
* [[全員出席!笑うんだってば]](198910月 - 12月日本テレビ)
*[[紳助のとんでもいい夢]](1990年4月 - 10月、日本テレビ関東ローカル)
* [[紳助のとんでもいい夢]](1990年4月 - 10月、日本テレビ/関東ローカル)
*[[DANCE DANCE DANCE]](1990年 - 1991年、フジテレビ)
* [[ビレッジ吉本]](1990年8月 - 1991年3月TBSテレビ)
* DANCE DANCE DANCE(1990年 - 1991年、フジテレビ)
*[[ダウンタウンの素]](1990年 - 1992年、毎日放送/関西ローカル)
*[[夕焼け松ちゃん浜ちゃん]](1990年 - 1991年、日放送関西ローカル)
* [[ダウンタウン]](1990年10月 - 19923月日放送/関西ローカル)
**[[夕焼けの松ちゃん浜ちゃん|松ちゃん浜ちゃんの純情通り3番地]](1991年 - 1992年、朝日放送関西ローカル)
* [[夕焼けの松ちゃん浜ちゃん]] → 松ちゃん浜ちゃんの純情通り3番地(199012月 - 1992年3月、朝日放送/関西ローカル)
*[[世界の常識・非常識!]](1991年4月 - 11月、フジテレビ)
* [[世界の常識・非常識!]](1991年4月 - 11月、フジテレビ)
*[[夢の中から]](1991年 - 1992年、フジテレビ)
* [[夢の中から]](1991年12月 - 1992年3月、フジテレビ)
*[[ダウンタウンのごっつええ感じ]](1991年 - 1997年、フジテレビ)
* [[ダウンタウンのごっつええ感じ]](1991年12月 - 1997年11月、フジテレビ)
*[[摩訶不思議 ダウンタウンの・・・!?]](1992年 - 1993年、朝日放送関西ローカル)
* [[摩訶不思議 ダウンタウンの!?]](1992年4月 - 1993年9月、朝日放送/関西ローカル)
*[[生生生生ダウンタウン]](1992年 - 1993年、TBS)
* [[生生生生ダウンタウン]](1992年4月 - 1993年3月、TBS)
*[[ダウンタウン也]](1993年4月 - 9月、TBS)
* [[ダウンタウン也]](1993年4月 - 9月、TBS)
*[[ダウンタウン汁]](1993年 - 1994年、TBS)
* [[ダウンタウン汁]](1993年10月 - 1994年9月、TBS)
*[[発明将軍ダウンタウン]](1993年 - 1996年、日本テレビ)
* [[発明将軍ダウンタウン]](1993年10月 - 1996年9月、日本テレビ)
*[[かざあなダウンタウン]](1995年 - 1996年、テレビ朝日
* [[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]](199410月 - 201212月フジテレビ)
*[[ダウンタウン・セブン]](2001年 - 2003年、放送
* [[かざあなダウンタウン]](19955月 - 19963月テレビ朝日)
*[[WORLD DOWNTOWN]](20044月 - 9月、フジテレビ
* [[ダウンタウン・セブン]](200110月 - 2003年3月、毎日放送
*[[考えるヒト|考えるヒト~公募の錬金術or考えるヒトコマ~]](2004年 - 2005年、フジテレビ)
* [[WORLD DOWNTOWN]](2004年4月 - 9月、フジテレビ)
* [[考えるヒト]](2004年10月 - 2005年9月、フジテレビ)
* [[リンカーン (テレビ番組)|リンカーン]](2005年10月 - 2013年9月、TBSテレビ)
* [[爆笑 大日本アカン警察]](2011年4月 - 2013年9月、フジテレビ)
* [[100秒博士アカデミー]](2013年10月 - 2014年3月、TBSテレビ)
* [[してみるテレビ!教訓のススメ]](2013年11月 - 2015年3月、フジテレビ)
* [[ダウンタウンなう]](2015年4月 - 2021年3月、フジテレビ)
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">司会またはメイン出演した単発スペシャル番組</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''司会またはメイン出演した単発/スペシャル番組'''</div>
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* MBS超ワイド祭り(1987年・1988年、毎日放送/関西ローカル)
*[[ダウンタウン&寛平のホノルルマラソン]](1988年1月7日、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
** '87MBS超ワイド祭り 第3部「2丁目ですよーだ」(1987年8月29日)
*[[2丁目ヒミツ倶楽部]](1988年1月14日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]/関西ローカル)
** MBS超ワイド祭り・初秋の豪華フルコーステレビ 第3部「ダウンタウン VS 圭修」(1988年9月3日)
*[[ヤンタン対仲村トオル 野球大会]](1988年5月2日、[[毎日放送テレビ|毎日放送]]/関西ローカル)
* 2丁目おでかけ探検隊(1987年9月16日、毎日放送/関西ローカル)
**[[MBSヤングタウン]]のレギュラーメンバーと[[仲村トオル]]の草野球チームが対戦したVTRを観ながらトーク
*[[激笑トーク 紳助VS吉本ニューウェイブ]](19888月26日、毎日放送/関西ローカル)
* 2丁目真夜中探検隊(19879月26日、関西テレビ/関西ローカル)
* ダウンタウン劇場(1987年11月8日・1988年12月30日・1993年3月13日、関西テレビ/関西ローカル){{efn2|出演していた『今夜はねむれナイト』内で放送していた「ダウンタウン劇場」のコント集を放送していた。}}
*[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ夏まつり ダウンタウンの新社屋サバイバルクイズ]](1988年8月27日、読売テレビ/関西ローカル)
*[[ダウンタウンのそらアタたまには帰ってくるで!]](199056日、毎日放送/関西ローカル)
* ダウンタウン&寛平ホノルルマラソ(198817日、読売テレビ/関西ローカル)
*[[激突!!おおさかNo.1決定戦 ダウンタウンvs寛平・淡海]](1988年64日、読売テレビ関西ローカル)
* 2丁目ヒミツ倶楽部(1988年114日、関西テレビ/関西ローカル){{efn2|この番組でウッチャンナンチャンと初共演した。}}
* ダウンタウンの2丁目十番勝負!(1988年3月19日、読売テレビ/関西ローカル)
**ダウンタウンと[[小川菜摘]]で司会
*[[朝ま働けダウンタウン]](1988年・1989年・1990年、毎日放送)
* JRふれあいスペシャル グルメライブ・おいしいがな!(1988年4月9日、毎日放送/関西ローカル)
*[[ダウンタウンのわした隊]](1990816日、中部放送/中部ローカル)
* 2丁目爆ライブ見まえに跳べ!!(198853日、日放送/関西ローカル「[[ABCホリデーワイド]]」枠
* 激突!!おおさかNo.1決定戦 ダウンタウンvs寛平・淡海(1988年6月4日、読売テレビ/関西ローカル){{efn2|ダウンタウンと[[小川菜摘]]で司会。}}
*[[クイズ・アメリカ物語]](1990年9月8日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* 2丁目おでかけ探検隊in韓国(1988年8月14日、読売テレビ/関西ローカル)
**[[クイズ・オセアニア物語]](1991年2月10日)
* 激笑トーク 紳助VS吉本ニューウェイブ -君はヨシモトを信じますか-(1988年8月26日、毎日放送/関西ローカル)
**[[クイズ・ハリウッド物語]](1991年6月29日)
* よみうりテレビ夏まつり'88 新社屋初放送 開局30周年記念新たなる出発!YTVの顔勢揃い&新社屋サバイバルクイズ!!(1988年8月27日、読売テレビ/関西ローカル){{efn2|「新社屋サバイバルクイズ!!」のコーナーに出演。}}
***[[逸見政孝]]とダウンタウンで司会
* 朝まで働けダウンタウン(1988年・1989年・1990年12月29日、毎日放送/関西ローカル)
*[[ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA#概要|ウッチャンナンチャン&ダウンタウンスペシャル~SHA.LA.LAの使いやあらへんで!!~]](1990年12月29日、日本テレビ)
** 朝まで働け紳助+ダウンタウン(1989年3月25日、毎日放送/関西ローカル)
*[[ダウンタウンのごっつええ感じ|ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジであかんめっちゃ腹痛い]](1991年1月3日、[[フジテレビ]])
* ダウンタウンのスチャラカ騒動(1989年3月21日、朝日放送/関西ローカル「[[ABCホリデーワイド]]」枠)
*[[ウッチャンナンチャン&ダウンタウンのびっくりさせまSHOW!!今夜決定ドッキリびっくりグランドチャンピオン!!]](1991年4月8日、日本テレビ)
*[[火曜ワイドスペシャル]]・[[ダウンタウンのつええ感じ]](1991年5月28日・7月23日、[[フジテレビ]]
* ダウンタウンのそらアンタたまには帰てくるで!(1990年5月6日、毎日放送/関西ローカル
*[[ダウンタウンの熱闘!!全九州おい選手権]](1991728日、[[テレビ西日本]]/九州ローカル)
* ダウンタウンの笑わしたる隊(1990816日、中部日本放送(現・CBCテレビ)/中部ローカル)
* クイズ・アメリカ物語(1990年9月8日、日本テレビ){{efn2|name="逸見政孝"|[[逸見政孝]]とダウンタウンで司会。}}
*[['91 FNN年末報道スペシャル・ニュースが目にしみる]](1991年12月22日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*[[ダウンタウンのマエら大人をなめんなよ!!]](1991年1226日、[[テレビ朝日]]
** クイズ・セアニア物語(1991年210日、日本テレビ){{efn2|name="逸見政孝"}}
*[[ダンタウンの男トコ前やな〜!]](1991年 - 1993年、日本テレビ)
** クイズ・ハリウッド物語(1991年6月29日、日本テレビ){{efn2|name="逸見政孝"}}
*[[ダウタウの正月からかなわんな]](199213日、[[TBSテレビ|TBS]])
*デレラナイト ときめきパフォーマス(1990912日、[[テレビ西日本]])
*[[ダウンタウンの偽もんにだまされたらアホやで!!]](1992219日、テレビ朝日
* [[ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.#SHA.LA.LA.の使いやあらへんで!!|ウッチャンナンチャン&ダウンタウンスペシャル〜SHA.LA.LA.使いあらへんで!!]](19901229日、日本テレビ)
*[[リトル4 芸能界ゴルフ王へ道・入門編]](1992412日、フジテレビ)
* ダウンタウンごっつええ感じ マジでマジであかんめっちゃ腹痛い(199113日、フジテレビ)
* ダウンタウンのガキの遊びやあらへんで!!〜ダウンタウン改造計画〜(1991年2月11日、日本テレビ/関東ローカル)
*[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]] (1992年8月29日-30日、日本テレビ)
* ウッチャンナンチャン&ダウンタウンのびっくりさせまSHOW!!今夜決定ドッキリびっくりグランドチャンピオン!!(1991年4月8日、日本テレビ)
*[[緊急生放送!笑いの竜巻(ハリケーン)笑都を直撃じゃ]](1992年10月1日、TBS)
*[[ダウンタウンの1億2千万人のスーパー電リク]](1992107日・12月23日・1993年3月31日、TBS)
* ダウンタウンのごっつええ感じ(1991528日・7月23日、フジテレビ「[[火曜ワイドスペシャル]]」枠)
* ダウンタウンの熱闘!!全九州お笑い選手権(1991年7月28日、テレビ西日本/九州ローカル)
*[[アッコにおまかせ!]](1992年10月25日、TBS)
* 爆笑版・ダウンタウンの世界おもしろCM大公開(1991年9月18日、[[テレビ朝日]])
*[[初詣!爆笑ヒットパレード]](1993年・1995年・2000年、フジテレビ)
* ダウンタウンの激笑歳末セール オマエら大人をなめんなよ!!(1991年12月26日、朝日放送)
**[[初詣!爆笑ヒットパレード#第26回|第26回初詣!爆笑ヒットパレード・第2部]](1993年1月1日)
* [[ダウンタウンスペシャル 男ットコ前やな〜!]](1991年 - 1993年、日本テレビ)
**[[初詣!爆笑ヒットパレード#初笑いスペシャル!第1部「第28回初詣爆笑ヒットパレード」|第28回初詣!爆笑ヒットパレード・第3部 ダウンタウンのめっちゃめでたい新年会]](1995年1月1日)
* ダウンタウンの正月からかなわんな(1992年1月3日、中部日本放送(現・CBCテレビ))
**[[初詣!爆笑ヒットパレード#2000年~|第33回初詣!爆笑ヒットパレード]](2000年1月1日)
*[[ダウンタウンのハッピーニューイヤーンバカーン]](19931月2日・610日、日本テレビ)
* ダウンタウンの偽もんにだまされたらアホやでェ!!(1992年2月19日、テレビ朝日「[[水曜スペシャル#水曜特バン!|水曜特バン!]]」枠
*[[ダウンタウンのイタい奴っちゃなァー芸能界まるごとウタわしたろかァ!?]](1993109日、フジテレビ)
* リトル4 芸能界ゴルフ王への道・入門編(1992412日、フジテレビ)
* [[24時間テレビ 愛は地球を救う15|24時間テレビ15 「愛は地球を救う」]](1992年8月29日 - 30日、日本テレビ)
*[[スーパー電波バザール 年越しジャンボ同窓会#主なコーナー|スーパー電波バザール 年越しジャンボ同窓会]](1993年12月31日、日本テレビ)
* 緊急生放送!笑いの竜巻(ハリケーン)笑都を直撃じゃ(1992年10月1日、毎日放送)
**[[ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!!|ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!!'94]](1994年10月4日・12月31日、日本テレビ)
* ダウンタウンの1億2千万人のスーパー電リク(1992年10月7日・12月23日・1993年3月31日、TBS)
*[[ハッスルかましてよかですか!?]] (1994年1月1日、フジテレビ)
*[[ダウンタウンのアジアパー1]](19953月15日、テレビ朝日
* 初詣!爆笑ヒットド(1993年・2000年、フジテレビ)
** [[初詣!爆笑ヒットパレード#放送リスト|第26回初詣!爆笑ヒットパレード・第2部]](1993年1月1日)
*[[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル|FNS番組対抗!ザ・秋の祭典スペシャル]](1995年9月25日、フジテレビ)
** [[新春!爆笑ヒットパレード#放送リスト|第33回初詣!爆笑ヒットパレード]](2000年1月1日)
**Aブロック「ダウンタウンのごっつええ感じ」(THE TEAM FIGHT)の司会を担当
*[[ザッツお台場エンターテイメント!#第2夜・アニメの38年|ダウンタウンの今夜は150分アメデモミ]] (199741日、フジテレビ)
* [[ダウンタウンのハッピーイヤ〜ンバカ〜ン!!]](199312日・6月10日、日本テレビ
* きよし・ダウンタウンのおめでとう!新春吉本大マンザイ(1993年1月3日、関西テレビ)
*[[27時間テレビ#第11回(1997年)疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜|疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル〜REBORN〜]](1997年7月26日-27日、フジテレビ)
*[[ダウンタウンの滅多に見れへん!1998年賞]](19981230日、テレビ朝日)
* ダウンタウンの大挑戦 復活!なつかしのヒット番組総まくり(199314日、テレビ朝日)
* 夢で逢えたら伝説スペシャル〜NYで野沢直子を探すドキドキの48時間と大総集編〜(1993年4月10日、フジテレビ)
*[[4時ですよーだ|2丁目劇場ファイナル ダウンタウンですよーだ]] (1999年3月13日、[[毎日放送テレビ|毎日放送]]/関西ローカル)
*[[ダウンタウンのごっつええ感じ|ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル]] (20011012日、フジテレビ)
* ダウンタウンいたーいスペシャル!!アジアの国からコニャニャチワ(1993820日、TBS「[[金曜テレビの星!]]」枠)
* ダウンタウンのイタい奴っちゃなァー芸能界まるごとウタわしたろかァ!?(1993年10月9日、フジテレビ)
*[[Laugh&Peace|“LAUGH & PEACE”笑いはニッポンを救う。]] (2002年10月5日、日本テレビ)
* [[スーパー電波バザール 年越しジャンボ同窓会#主なコーナー|スーパー電波バザール 年越しジャンボ同窓会]](1993年12月31日、日本テレビ)
*芸能界あの頃みんな若かったスペシャル (2003年3月14日、フジテレビ [[金曜エンタテインメント]]枠)
*[[ダウンタウンのラエティ50年史]] (200382日、日本テレビ)
* [[年忘れソ喰ってもちスペシャル しっかりせなあかんて!]](19931231日、フジテレビ
*[[謎を解け!まのミステリー]](2004123日・12月17日、日本テレビ)
* [[お年玉スペシャル 笑う正月!ハッスルかしてよですか!?]](199411日、フジテレビ
* ダウンタウンのお勉強新年会 スターになる年'94(1994年1月3日、関西テレビ)
**[[謎を解け!まさかのミステリー#島田紳助騒動の対応|謹慎中の島田紳助]]の代理司会
* [[ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!!|ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!!'94]](1994年10月4日・12月31日、日本テレビ)
*[[クイズ!ヘキサゴン]] (2004年12月8日、フジテレビ)
* 初笑い生スペシャル!第3部「ダウンタウンのめっちゃめでたい新年会」(1995年1月1日、フジテレビ)
**[[クイズ!ヘキサゴン#歴史|謹慎中の島田紳助]]の代理で浜田雅功が司会、松本人志が解答者として出演
* YOKOWAZA特番とんずらスペシャル 松ちゃん浜ちゃんの笑いは格闘技だ!昔のVも見せたろか!!(1995年1月3日、フジテレビ)
*[[史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ]] (2005年 - 2009年、[[TBSテレビ|TBS]])
* 一攫千金バラエティ ダウンタウンのアジャパーI(1995年3月15日、テレビ朝日「[[水曜スペシャル|水曜特バン!]]」枠)
*[[お笑い芸人親子で漫才王座決定戦スペシャル]] ([[カスペ!]]枠 2006年 - 2008年、フジテレビ)
* [[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル|FNS番組対抗!ザ・秋の祭典スペシャル]](1995年9月25日、フジテレビ){{efn2|Aブロック「ダウンタウンのごっつええ感じ」(THE TEAM FIGHT)の司会を担当。}}
*[[ダウンタウンがキャスターやりますスペシャル]] ([[ドスペ!]]枠 2006年・2007年、テレビ朝日)
* [[ザッツお台場エンターテイメント!]]第2夜「ダウンタウンの今夜は150分アニメデモミー賞」(1997年4月1日、フジテレビ)
*[[ダウンタウンvs魔術師Dr.レオン!! 絶対見破るぞ史上最強マジックSP]] (2006年・2007年、日本テレビ)
* [[FNS27時間テレビ (1997年 - 2003年)#第11回(1997年)『疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜』|疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル〜REBORN〜]](1997年7月26日 - 27日、フジテレビ)
*ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル (2006年 - 2009年、日本テレビ)
* ダウンタウンの滅多に見れへん!1998年大賞(1998年12月30日、テレビ朝日)
**[[松本vs浜田・対決シリーズ/罰ゲーム#絶対に笑ってはいけない警察24時(2006年 - 2007年年越し放送) ▲○●×|絶対に笑ってはいけない警察24時!!]](2006年12月31日 - 2007年1月1日)
* 2丁目劇場ファイナル ダウンタウンですよーだ(1999年3月13日、毎日放送/関西ローカル)
**[[松本vs浜田・対決シリーズ/罰ゲーム#絶対に笑ってはいけない病院24時(2007年 - 2008年年越し放送)▼▲○●■|絶対に笑ってはいけない病院24時!!]](2007年12月31日 - 2008年1月1日 )
* ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル(2001年10月12日、フジテレビ)
**2008年第1部 [[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の企画#山崎 VS モリマン|山崎VSモリマン 大晦日対決SP]](2008年12月31日)
* [[Laugh&Peace|“LAUGH & PEACE”笑いはニッポンを救う。]](2002年10月5日、日本テレビ)
**2008年第2部 [[絶対に笑ってはいけない新聞社24時|絶対に笑ってはいけない新聞社24時!]](2008年12月31日 - 2009年1月1日)
* 芸能界あの頃みんな若かったスペシャル(2003年3月14日、フジテレビ「[[金曜エンタテインメント]]」枠)
**絶対に笑ってはいけないホテルマン24時(2009年12月31日 - 2010年1月1日)
* [[ダウンタウンのバラエティ50年史]](2003年8月2日、日本テレビ)
*[[キングオブコント|オロナミンC キングオブコント2008]]・2009(2008年10月5日・2009年9月22日、TBS)
* [[謎を解け!まさかのミステリー]](2004年12月3日・12月17日、日本テレビ){{efn2|[[謎を解け!まさかのミステリー#紳助謹慎時の対応|謹慎中の島田紳助]]の代理司会。}}
*爆笑 大日本アカン警察(2009年12月28日、フジテレビ)
* [[クイズ!ヘキサゴン]](2004年12月8日、フジテレビ){{efn2|[[クイズ!ヘキサゴン#歴史|謹慎中の島田紳助]]の代理で浜田雅功が司会、松本人志が解答者として出演。}}
* [[史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ]](2005年 - 2014年・2020年、TBS)
* [[お笑い芸人親子で漫才王座決定戦スペシャル]](2006年 - 2008年、フジテレビ)
* [[ダウンタウンがキャスターやりますスペシャル]](2006年・2007年、テレビ朝日)
* [[ダウンタウンvs魔術師Dr.レオン!! 絶対見破るぞ史上最強マジックSP]](2006年・2007年、日本テレビ)
* ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 大晦日年越しスペシャル(2006年 - 2020年、日本テレビ)
** [[絶対に笑ってはいけない警察24時|絶対に笑ってはいけない警察24時!!]](2006年12月31日 - 2007年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない警察24時|絶対に笑ってはいけない病院24時!!]](2007年12月31日 - 2008年1月1日 )
** 2008年第1部 山崎VSモリマン 大晦日対決SP(2008年12月31日)
** 2008年第2部 [[絶対に笑ってはいけない新聞社24時|絶対に笑ってはいけない新聞社24時!]](2008年12月31日 - 2009年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけないホテルマン24時]](2009年12月31日 - 2010年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけないスパイ24時]](2010年12月31日 - 2011年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない空港24時]](2011年12月31日 - 2012年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない熱血教師24時]](2012年12月31日 - 2013年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時]](2013年12月31日 - 2014年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない大脱獄24時]](2014年12月31日 - 2015年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない名探偵24時]](2015年12月31日 - 2016年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない科学博士24時]](2016年12月31日 - 2017年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!]](2017年12月31日 - 2018年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけないトレジャーハンター24時!]](2018年12月31日 - 2019年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない青春ハイスクール24時!]](2019年12月31日 - 2020年1月1日)
** [[絶対に笑ってはいけない大貧民GoToラスベガス24時!]](2020年12月31日 - 2021年1月1日)
* 爆笑 大日本アカン警察(2009年12月28日・2010年3月29日、フジテレビ)
* 7時ですよーだ(2010年9月2日、毎日放送/関西ローカル)
* HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(2013年 - 2015年、フジテレビ)
* リンカーン芸人大運動会(2014年 - 2019年、TBS)
* [[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP#HEY!HEY!NEO!|HEY!HEY!NEO!]](2015年 - 2021年、フジテレビ)
* FNSお笑い祭(2015年12月28日、フジテレビ)
* ダウンタウンタイムズ(2016年2月8日、日本テレビ)
</div></div>
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"><div class="NavHead" style="text-align: left;">ゲスト出演した番組</div>
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"><div class="NavHead" style="text-align: left;">'''ゲスト出演した番組'''</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*[[素人名人会]](1982年6月6日、[[毎日放送テレビ|毎日放送]]・テレビデビュー
* 素人名人会(1982年6月6日、毎日放送/関西ローカル)※テレビデビュー{{efn2|「松本人志・浜田雅功」の本名で出演。}}
*[[笑ってる場合ですよ!]](1982年8月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
* [[笑ってる場合ですよ!]](1982年8月25日・8月26日・8月27日・8月30日・8月31日、フジテレビ){{efn2|name="masato_hitoshi"|「まさと・ひとし」名義で出演。}}
*[[ザ・テレビ演芸]](1982年12月12日、[[テレビ朝日]]
* [[ザ・テレビ演芸]](1982年12月12日、テレビ朝日){{efn2|「ライト兄弟」名義で出演。}}
* 第13回NHK上方漫才コンテスト(1983年3月5日、NHK総合/関西ローカル){{efn2|name="masato_hitoshi"}}
*[[エキスタ寄席]](1984年7月10日、[[ABCテレビ|朝日放送]])
* '84ABC漫才・落語新人コンクール(1984年1月16日、朝日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
*[[お笑いスター誕生!!]](1985年1月19日・3月16日・3月23日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* 第14回NHK上方漫才コンテスト(1984年3月、NHK総合/関西ローカル)
*[[冗談画報]](1986年3月26日・1987年8月5日、フジテレビ)
* [[上方漫才大賞|第19回上方漫才大賞]](1984年、関西テレビ/関西ローカル)
*[[河田町プッツン意思表示]](1986年9月9日・火曜ワイドスペシャル、フジテレビ)
*[[エンドレスナイスペシャル]](198612月31日[[関西テレビ放送|関西テレビ]]
* [[お笑いネッワーク]](1984年、読売テレビ/関西ローカル
* 笑わなあかん夜(1984年5月7日、毎日放送/関西ローカル)
*[[初詣!爆笑ヒットパレード]](1987年 - 1992年、1月1日、フジテレビ)
*[[さんま・鶴瓶のラ・テ 二元生放送~ヤンン・とんねるず野球大会]](19875月、日放送関西ローカル)
* エキス寄席(1984710日日放送/関西ローカル)
*[[初笑い浪花の陣]](19881月3日・1990年1月2日、朝日放送関西ローカル)
* [[THAT'S MANZAI]](1984年、朝日放送/関西ローカル)
* 新春マンザイ最前戦(1985年1月、[[サンテレビジョン|サンテレビ]]/関西ローカル)
*[[花王名人劇場|花王名人劇場~生中継!オールスター勢揃い 今年も笑っていただきます]](1988年1月3日、フジテレビ系/製作:関西テレビ)
* [[お笑いスター誕生!!]](1985年1月19日・1月28日・3月16日・3月23日、5月4日、1986年7月19日、日本テレビ)
*[[楽天的テレビ・寝るまえに跳べ!]](1988年4月5日、朝日放送)  
*[[ノックは無用!]](19881022日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]/関西ローカル
* [[パーティー野郎ぜ!]](1985213日、テレビ朝日
* サブロー・シローの爆笑最前線(1985年、関西テレビ/関西ローカル)
*[[CLUB紳助]](1988年10月22日、テレビ朝日系/製作:朝日放送)
*[[所&邦子の笑いもん勝ち!]](198913日、TBS/関東ローカル)
*笑い春の祭典(1985428日、TBSテレビ/関東ローカル)
* BK芸能チャンネルスペシャル(1985年5月8日、NHK総合)
*[[遊々!文珍クラブ]](1989年3月26日、朝日放送/関西ローカル)
* [[お笑い花月劇場|お笑い花月劇場 初恋うつむきかげん]](1985年5月19日、朝日放送/関西ローカル)
*[[すばらしき仲間|すばらしき仲間II]](1989年4月16日、[[TBSテレビ|TBS]])
* 100万円争奪!爆笑エンターティナー全員集合(1985年6月29日、読売テレビ/関西ローカル)
*[[緊急UFOソ連現地取材特報!! ビートたけしVS矢追純一 UFO対談]](1989年12月31日、日本テレビ)
*[[タケちゃんの笑って逃げきる晦日~バラエティ30年史~]](1989年12月31日、フジテレビ)
* さよなら'85 笑って笑って大みそか(1985年12月31日、フジテレビ)
* 初詣!爆笑ヒットパレード(1986年 - 1992年、1月1日、フジテレビ)
*[[不眠不休のデスマッチ・5時間10分笑えますか!?]](1989年12月31日、日本テレビ/関東ローカル)
** たけし・さんまの第19回初詣!爆笑ヒットパレード!!(1986年1月1日){{efn2|「ダウンタウン」名義としてフジテレビ初出演。}}
*[[オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!]](1990年・1991年、TBS)
** 第20回初詣!爆笑ヒットパレード(1987年1月1日)
*[[女はダバダ…]](1990年1月14日、フジテレビ)
** 第21回初詣!爆笑ヒットパレード 完全4元生放送 お笑い超豪華決定版(1988年1月1日)
*[[どちら様も!!笑ってヨロシク]](1990年2月7日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
** 第22回初詣!爆笑ヒットパレード 4時間半3元生中継(1989年1月1日)
*[[邦ちゃんのやまだかつてないテレビ]](1990年2月21日・28日、フジテレビ)
*[[1有名人顔面相似形大賞]](1990年38、日本テレビ
** 23初詣!爆笑ヒットパレード 5元生放送(1990年11日)
** 第24回初詣!爆笑ヒットパレード(1991年1月1日)
*[[知ってるつもり?!]]「[[榎本健一]]」(1990年、3月18日、日本テレビ)
** 第25回初詣!爆笑ヒットパレード(1992年1月1日)
*[[スーパークイズスペシャル]](1990年 - 1991年・1993年、日本テレビ)
* [[花月大賞|お笑いオールスター吉本まつり 発表!!花月大賞]](1986年1月6日、朝日放送/関西ローカル)
**[[スーパークイズスペシャル#番組タイトルの歴史|4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!]](1990年4月11日・1991年4月3日)
* '86ABC漫才・落語新人コンクール(1986年1月15日、朝日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
**[[スーパークイズスペシャル#番組タイトルの歴史|秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!]](1990年10月3日)
* 花王名人劇場 おもしろ新人類〜阪神・巨人・小朝も大笑い!!〜(1986年2月2日、関西テレビ)
**[[スーパークイズスペシャル#エピソード|10月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク!!]](1991年10月2日)
* [[冗談画報]](1986年3月26日・1987年8月5日、フジテレビ/関東ローカル)
***[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]チームとして出場
* 第21回上方漫才大賞(1986年4月19日、関西テレビ/関西ローカル)
**[[スーパークイズスペシャル#番組タイトルの歴史|秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!]](1993年10月6日)
* [[追う男]](1986年7月12日、NHK総合「[[ドラマ人間模様]]」枠){{efn2|ワンシーンでダウンタウンの漫才音声のみが流された。}}
***[[発明将軍ダウンタウン]]からのクイズ出題と番宣をかねてVTR出演
*[[所さんのまっかなテレビ]](1990521日、日本テレビ)
* お笑い新鮮組(1986811日、読売テレビ/関西ローカル
*[[スター爆笑Q&A]](1990618日、日本テレビ)
* 河田町プッツン意思表示(198699日、フジテレビ「[[火曜ワイドスペシャル]]」枠
*[[プロ野球ニュース]](199079日、フジテレビ)
* お正月まであと12時間 笑って笑って大みそか(19861231日、フジテレビ)
* [[エンドレスナイトスペシャル]](1986年12月31日、関西テレビ)
*[[FNSの日]](1990年 - 1993年・1995年)⇒[[27時間テレビ]](2001年・2008年、フジテレビ)
* [[日本放送演芸大賞|第15回日本放送演芸大賞]](1987年1月3日、関西テレビ)
**[[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90]](1990年7月21日-22日)
* オール吉本新春バラエティー(1987年1月3日、朝日放送/関西ローカル)
**[[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島#1991年 FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91|FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91]](1991年7月20日-21日)
* 花王名人劇場 おもしろ文珍CLUB 新しい時代 - 新しい笑い(1987年1月25日、関西テレビ)
**[[平成教育テレビ#第6回(1992年)FNSの日スーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ|FNSの日スーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ]](1992年7月18日-19日)
* 花王名人劇場 男マンザイ過激に集合(1987年3月22日、関西テレビ)
**[[FNSの日#各年度の放送概要|FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ]](1993年7月24日-25日)
* 第7回花王名人大賞(1987年3月29日、関西テレビ)
**[[平成教育テレビ#第9回(1995年)FNSの日 1億2500万人の超夢列島 そのうち何とか23時間|FNSの日・1億2500万人の超夢列島〜そのうちなんとか・・・23時間]](1995年7月15日-16日)
* 第22回上方漫才大賞(1987年、関西テレビ/関西ローカル)
**[[27時間テレビ#第15回(2001年)/FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島|FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島]](2001年7月21日-22日)
* さんま・鶴瓶のラ・テ 二元生放送 ヤンタン・とんねるず野球大会(1987年5月3日、毎日放送/関西ローカル)
**[[FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]](2008年7月26日-27日)
* 漫才MANZAIマンザイ'87夏(1987年7月8日、テレビ朝日「新・水曜スペシャル」枠)
***『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP#事件|HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』本番収録中のスタジオに突如、明石家さんまが乱入。 ※翌日、7月28日放送の『HEY!HEY!HEY!』ではCM中の様子も放映した。
*[[毎日放送開局40周年記念特別番組#MBS超ワイド祭「ご贔屓いただいて40年」|MBS超ワイ祭り「ご贔屓いただいて40年」2部]](199091日、毎日放送関西ローカル)
* [[あどぶランド]](1987812日、毎日放送/関西ローカル)
* 花王名人劇場 独占中継!よしもと笑いの殿堂今日オープン(1987年11月1日、関西テレビ)
*[[テレビ探偵団]](1990年9月30日、TBS)
* なんばグランド花月開場記念 爆笑スーパーライブ(1987年11月7日、毎日放送/関西ローカル)
*[[欽ちゃんの仮装大賞の作品一覧 (31回-40回)#第31回|欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト! 第31回全日本仮装大賞]](1990年10月7日、日本テレビ)
* [[初笑い浪花の陣]](1988年1月3日・1989年1月3日・1990年1月2日、朝日放送/関西ローカル)
**[[ガキの使いやあらへんで!!]]の企画で素人として出場
*[[夜も一けんめ。]](19901110日、日本テレビ)
* 花王名人劇場 中継!オールスター勢揃も笑っていただきます(1988年13日、関西テレビ)
* 楽天的テレビ 寝るまえに跳べ!(1988年4月5日、朝日放送/関西ローカル)
*[[上岡龍太郎にはダマされないぞ!]](1990年12月12日、フジテレビ)
*[[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!#スペシャル|クイズ年末SHOW by ショーバイ!!]](19901226日、日本テレビ)
* 花王名人劇場 DokiDokiスペシャル 元気印ピット'IN(1988410日、関西テレビ)
* 第23回上方漫才大賞(1988年4月29日、関西テレビ/関西ローカル)
*[[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル]](1991年‐1994年、フジテレビ)
* [[ときめきタイムリー]](1988年4月30日、読売テレビ/関西ローカル)
**[[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル#1991年|秋の祭典]](1991年9月30日・1992年9月29日・1993年10月4日・1994年10月3日)
* ヤンタン対仲村トオル 野球大会 ‐メンバー集合で生放送‐(1988年5月2日、毎日放送/関西ローカル)
**[[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル#1994年|春の祭典]](1992年3月30日・1993年3月29日・1994年3月29日)
* 花王名人劇場 やすしきよしのドキドキ生放送!オール爆笑マンザイ(1988年6月19日、関西テレビ)
***[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]チームとして出場
*[[徹子の部屋]](1991年10月21日、[[テレビ朝日]]
* [[素敵!KEI-SHU5]](19882月11日・8月9日・10月3日、関西テレビ/関西ローカル
*春の人気番組勢揃!!(秘)テレビ裏側大公開(1993322日、日本テレビ)
* お笑祭典(1988724日、テレビ朝日/関東ローカル
* 花王名人劇場 売れっ子漫才・ルーツ発見!(1988年8月28日、関西テレビ)
**ダウンタウン・楽屋でのできごと
* お笑い秋の祭典(1988年、テレビ朝日/関東ローカル)
*[[ニュースステーション#エピソード|ニュースステーション]](1993年3月25日、テレビ朝日)
*花王名人劇場 感謝をこめて10周年記念特別番組 勢揃い!漫才オールスター(1988年10月9日、関西テレビ)
*[[志村けんはいかがでしょう]](1994年3月23日、フジテレビ)
*[[志村けんのバカ殿様]](1995年・1998年、フジテレビ)
* [[ノックは無用!]](198810月22日関西テレビ/関西ローカル
* [[CLUB紳助]](1988年10月22日、朝日放送)
**[[志村けんのバカ殿様|志村けんのバカ殿様!新春スペシャル]](1995年1月4日)
* 花王名人劇場 1万人が笑った!マンザイ大爆発!(1988年11月13日、関西テレビ)
**[[志村けんのバカ殿様|新春!初笑い!!志村けんのバカ殿様]](1998年1月3日)
*[[ちいちい地井武男は53歳のアイドル]](199579日、フジテレビ系/製作:関西テレビ
* 加古川チャリティショー(19881225日、サンテレビ/関西ローカル
*[[第46回NHK紅白歌合戦]](1995年12月31日、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]
* '88笑って笑って大みそか(1988年12月31日、フジテレビ)
* 所&邦子の笑いもん勝ち!(1989年1月3日、TBS/関東ローカル)
**浜田雅功が[[H Jungle with t]]として出場、松本人志が[[GEISHA GIRLS]]に扮して乱入
* [[笑売繁盛!|春だ!春だよ!笑売繁盛!]](1989年1月4日、毎日放送/関西ローカル)
*[[輝く日本の星!|輝く日本の星!ダウンタウンを創る!]](1996年11月6日・11月13日・12月11日、TBS)
* 第10回ABCお笑い新人グランプリ(1989年1月16日、毎日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
*[[パパパパPUFFY]](1997年10月8日・1998年3月21日、テレビ朝日)
* 第49回ホリデーワイド午前の部 西川きよしの爆笑春一番!!(1989年3月23日、朝日放送「ABCホリデーワイド」枠)
*[[ミュージックステーション]](1997年・1998年、テレビ朝日)
* 遊々!文珍クラブ(1989年3月26日、朝日放送/関西ローカル)
**[[エキセントリック少年ボウイオールスターズ]]として出演(1997年10月31日)
**[[日影の忍者勝彦オールスターズ]]として出演(19986月5日)
* 春満開!超人気NEWマンザイ!お笑いスター総登場(19894月5日、日本テレビ
* [[すばらしき仲間|すばらしき仲間II]](1989年4月16日、中部日本放送)
*[[ミュージックステーションスーパーライブ#第6回(1997年)|ミュージックステーションスペシャル SUPER LIVE'97]](1997年12月26日)
* 第24回上方漫才大賞(1989年5月3日、関西テレビ/関西ローカル)
**[[エキセントリック少年ボウイオールスターズ]]として出演
*[[速報!歌の大辞テン]](199711月5日、日本テレビ)
* [[ワイドYOU]](1989年5月4日、日本テレビ)
* [[FNSの日]](1990年 - 1993年・1995年、2001年・2008年、2009年、2011年 - 2013年、フジテレビ)
*[[超!よしもと新喜劇|超コメディ60!]](1998年5月7日、TBS)
** [[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル一億人のテレビ夢列島'89]](1989年7月16日)
*[[いろもん|いろもん豪華特別版]](1998年6月6日、日本テレビ)
*:「[[笑っていいとも!増刊号|笑っていいとも!増刊号デラックス]]」・「タモリ・さんまの癒しのコーナー」
*[[COUNT DOWN TV#CDTVスペシャル|カウントダウンTV上半期スペシャル]](1998年6月27日、TBS)
** [[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90]](1990年7月21日){{efn2|「深夜のゲーム大会」に出演。}}
**[[日影の忍者勝彦オールスターズ]]として出演
** [[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島#第5回(1991年)FNSスーパースペシャル1億2,000万人のテレビ夢列島'91|FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91]](1991年7月20日 - 21日)
*[[Matthew's Best Hit TV|BEST HIT TV 負けたくないし負けてないSP]](2001年9月30日、テレビ朝日)
** [[平成教育テレビ#第6回(1992年)FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ|FNSの日スーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ]](1992年7月18日){{efn2|「深夜の保健体育」に出演。}}
*[[第43回日本レコード大賞|第43回輝く!日本レコード大賞]](2001年12月31日、TBS)
** [[FNSの日#各年度の放送概要|FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ]](1993年7月24日){{efn2|「Miss.エロティカの身体検査」に出演。}}
**[[Re:Japan]]として[[第43回日本レコード大賞#特別賞|特別賞]]を受賞
** [[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島#第9回(1995年)FNSの日 1億2500万人の超夢列島 そのうちなんとか23時間|FNSの日・1億2500万人の超夢列島〜そのうちなんとか…23時間]](1995年7月15日){{efn2|「[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP|HEY!HEY!HEY!]]おみその1時間スペシャル」に出演。}}
*[[第52回NHK紅白歌合戦]](2001年12月31日、NHK総合)
** FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島(2001年7月21日){{efn2|「お笑い能力開発ゼミナール」に出演。}}
**[[Re:Japan]]として出場、[[ウルフルズ]]と共演
** [[FNS27時間テレビ (2008年)|FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]](2008年7月26日 - 27日){{efn2|『[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]』本番収録中のスタジオに突如、[[明石家さんま]]が乱入(翌日、7月28日放送の『HEY!HEY!HEY!』ではCM中の様子も放映した)。}}
** [[FNS26時間テレビ (2009年)|FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!]](2009年7月26日){{efn2|「[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP|HEY!HEY!HEY!]]VSヘキサゴン」に出演。}}
** [[FNS27時間テレビ (2011年)|FNS27時間テレビ めちゃ<sup>2</sup>デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!]](2011年7月24日){{efn2|「[[爆笑 大日本アカン警察|爆笑!大日本めちゃ2アカン警察]] アカン刑事SP」に出演。}}
** [[FNS27時間テレビ (2012年)|FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?]](2012年7月22日){{efn2|「[[爆笑 大日本アカン警察]] タイホしていいとも!SP」に出演。}}
** [[FNS27時間テレビ (2013年)|FNS27時間テレビ 女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!]](2013年8月4日){{efn2|「[[爆笑 大日本アカン警察]] 27時間テレビ特別版 生アカンリサーチ」に出演。}}
* [[24時間テレビ 愛は地球を救う12]](1989年8月26日、日本テレビ){{efn2|深夜枠第1部「笑いは地球を救うかな」}}
* 秋全開!超人気NEWマンザイ!お笑いスター総登場PART2(1989年10月4日、日本テレビ)
* 緊急UFOソ連現地取材特報!! ビートたけしVS矢追純一 UFO対談(1989年12月31日、日本テレビ)
* タケちゃんの笑って逃げきる大晦日〜バラエティ30年史〜(1989年12月31日、フジテレビ)
* 不眠不休のデスマッチ 5時間10分笑えますか!?(1989年12月31日、日本テレビ/関東ローカル)
* [[オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!]](1990年・1991年、TBS)
* 女はダバダ…(1990年1月14日、フジテレビ)
* [[どちら様も!!笑ってヨロシク]](1990年2月7日、日本テレビ)
* [[邦ちゃんのやまだかつてないテレビ]](1990年2月21日・28日、フジテレビ)
* 第1回有名人顔面相似形大賞(1990年3月8日、日本テレビ)
* [[知ってるつもり?!]]「[[榎本健一]]」(1990年、3月18日、日本テレビ)
* [[スーパークイズスペシャル]](1990年 - 1991年・1993年、日本テレビ)
** [[スーパークイズスペシャル#番組タイトルの歴史|4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!]](1990年4月11日・1991年4月3日)
** 秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!(1990年10月3日)
** [[スーパークイズスペシャル#番組タイトルの歴史|10月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク!!]](1991年10月2日){{efn2|『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』チームとして出場。}}
** 秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!(1993年10月6日){{efn2|『発明将軍ダウンタウン』からのクイズ出題と番宣をかねてVTR出演。}}
* [[所さんのまっかなテレビ]](1990年5月21日、日本テレビ)
* [[吉本新喜劇|ウワサの吉本新喜劇 東京大決戦]](1990年5月27日、関西テレビ)
* [[スター爆笑Q&A]](1990年6月18日、日本テレビ)
* [[プロ野球ニュース]](1990年7月9日、フジテレビ)
* [[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!|ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!野望の王国スペシャル情熱の嵐で舞い上がれもうハラわれそう!]](1991年4月6日、フジテレビ){{efn2|ナンバラバンバン’91春 に夢で逢えたらキャラの「なにわのどてら兄弟」に扮して出演。}}
* [[木曜スペシャル|木曜スペシャル 地球の怒り!これが世界の天災だ!]](1990年7月12日、日本テレビ「木曜スペシャル」枠)
*LIVE笑ME!(1990年8月24日、日本テレビ)
* [[EXテレビ]](1990年8月28日・10月16日・12月18日・1991年1月8日・5月14日、日本テレビ)
* [[毎日放送開局40周年記念特別番組#MBS超ワイドまつり「ご贔屓いただいて40年」|MBS超ワイド祭り「ご贔屓いただいて40年」2部]](1990年9月1日、毎日放送/関西ローカル)
* [[アッコのおかしな仲間]](1990年9月8日、日本テレビ)
* なにわ笑いの王国 漫才王国 金も名誉も実力次第(1990年9月15日、[[NHK衛星第2テレビジョン]])
* [[テレビ探偵団]](1990年9月30日、TBS)
* [[欽ちゃんの仮装大賞の作品一覧 (31回-40回)#第31回|欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト! 第31回全日本仮装大賞]](1990年10月7日、日本テレビ){{efn2|『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の企画で素人として出場。}}
* [[夜も一生けんめい。]](1990年11月10日、日本テレビ)
* [[上岡龍太郎にはダマされないぞ!]](1990年12月12日、フジテレビ)
* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!#スペシャル|クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!]](1990年12月26日、日本テレビ)
*FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル(1991年‐1994年、フジテレビ)
** [[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル#1991年|秋の祭典]](1991年9月30日・1992年9月29日・1993年10月4日・1994年10月3日)
** [[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル#1994年|春の祭典]](1992年3月30日・1993年3月29日・1994年3月29日){{efn2|『ダウンタウンのごっつええ感じ』チームとして出場。}}
* [[MOGITATE!バナナ大使]](1991年1月11日、TBS)
* 吉本新喜劇 東京極楽公演(1991年4月12日、TBS)
* [[笑いの王国]](1991年9月29日、テレビ朝日/関東ローカル)
* [[徹子の部屋]](1991年10月21日、テレビ朝日)
* '91 FNN年末報道スペシャル ニュースが目にしみる(1991年12月22日、フジテレビ)
* 木曜スペシャル ズームイン!ザ・ワールド(1992年3月19日「木曜スペシャル」枠)
* [[アッコにおまかせ!]](1992年10月25日、TBS)
* 春の人気番組勢揃い!!(秘)テレビの裏側大公開(1993年3月22日、日本テレビ)
** ダウンタウン・楽屋でのできごと
* [[ニュースステーション#番組での出来事など|ニュースステーション]](1993年3月25日、テレビ朝日)
* [[志村けんはいかがでしょう|春満開!!志村けんはいかがでしょう特大版]](1994年3月23日、フジテレビ)
* [[志村けんのバカ殿様]](1995年・1998年、フジテレビ)
** 志村けんのバカ殿様!新春スペシャル(1995年1月4日)
** 新春!初笑い!!志村けんのバカ殿様(1998年1月3日)
* ちいちい地井武男は53歳のアイドル(1995年7月9日、関西テレビ)
* 第46回NHK紅白歌合戦(1995年12月31日、NHK総合){{efn2|浜田雅功がH Jungle with tとして出場、松本人志が[[GEISHA GIRLS]]に扮して乱入。}}
* [[輝く日本の星!|輝く日本の星!ダウンタウンを創る!]](1996年11月6日・11月13日・12月11日、TBS)
* [[パパパパパフィー]](1997年10月8日・1998年3月21日、テレビ朝日)
* [[ミュージックステーション]](1997年・1998年、テレビ朝日)
** エキセントリック少年ボウイオールスターズとして出演(1997年10月31日)
** [[日影の忍者勝彦オールスターズ]]として出演(1998年6月5日)
* [[ミュージックステーションスーパーライブ#第6回(1997年)|ミュージックステーションスペシャル SUPER LIVE'97]](1997年12月26日){{efn2|エキセントリック少年ボウイオールスターズとして出演。}}
* [[速報!歌の大辞テン]](1997年11月5日、日本テレビ)
* [[超!よしもと新喜劇|超コメディ60!]](1998年5月7日、毎日放送)
* いろもん豪華特別版(1998年6月6日、日本テレビ)
* [[COUNT DOWN TV#CDTVスペシャル|カウントダウンTV上半期スペシャル]](1998年6月27日、TBS){{efn2|日影の忍者勝彦オールスターズとして出演。}}
* [[Matthew's Best Hit TV|BEST HIT TV 負けたくないし負けてないSP]](2001年9月30日、テレビ朝日)
* [[第43回日本レコード大賞|第43回輝く!日本レコード大賞]](2001年12月31日、TBS){{efn2|Re:Japanとして[[第43回日本レコード大賞#特別賞|特別賞]]を受賞。}}
* 第52回NHK紅白歌合戦(2001年12月31日、NHK総合){{efn2|Re:Japanとして出場、[[ウルフルズ]]と共演。}}
* 独占生中継!よしもと芸人史上最大の宴会! ミナミではしゃがナイト!(2012年4月8日、朝日放送/関西ローカル)
* [[笑っていいとも!特大号#笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号|笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号]](2014年3月31日、フジテレビ)
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">ラジオ番組</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''ラジオ番組'''</div>
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*[[おっと!モモンガ]](1985年10月 - 1986年5月、[[大阪放送|ラジオ大阪(OBC)]]/関西ロ
* おっと!モモンガPart2 おもしろREVOLUTION(1985年10月 - 1986年5月、[[ラジオ大阪]]){{efn2|「おっと!モモンガ」のリニュ後の金曜日担当。}}
*[[真夜中のなか]](19868月 - 19874月、[[MBSラジオ]]/関西ローカル
* 心斎橋お笑い探検隊(198510月 - 19863月、ラジオ大阪
*[[2丁目ダウンタウン]](1986年 - 1989年、ラジオ大阪/関西ローカル
* [[真夜中のなか]](1986年8月 - 19874月[[MBSラジオ|毎日放送ラジオ]]
**[[ラジオ2丁目劇場]](1987年 - 1989年、ラジオ大阪/関西ローカル
* [[2丁目ダウンタウン]](198610月 - 1989年3月、ラジオ大阪)
*[[MBSヤングタウン]]木曜日(1987年8月 - 1991年、MBSラジオ/関西ローカル
** [[ラジオ2丁目劇場]](1987年 - 1989年、ラジオ大阪
* ABCお笑い劇場(1987年3月4日、[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]])※ゲスト出演
**本来「MBS! ヤーングタウン!」とタイトルコールするところを、彼らのみ「MBS!(この部分はYOUなど女性パーソナリティが担当)」に続けて淡々と「ダウンタウン」とつぶやいて話題となった。
* [[MBSヤングタウン]][[木曜日]]{{efn2|本来「MBS! ヤーングタウン!」とタイトルコールするところを、彼らのみ「MBS!(この部分は、YOUなど女性パーソナリティが担当)」に続けて淡々と「ダウンタウン」とつぶやいて話題となった。}}(1987年8月 - 1991年10月、毎日放送ラジオ)
*[[ロッテヤンスタNo.1]](1987年 - 1989年、[[ニッポン放送]])
* [[ロッテヤンスタNo1]](1987年 - 1989年、[[ニッポン放送]])
* [[コサキン無理矢理100%]](1990年、[[TBSラジオ]])※ゲスト出演
* 上方漫才の道(ラジオ大阪)- 数回出演。
* [[ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン]](ニッポン放送)※HEY!HEY!HEY!の特番終わりで横浜アリーナの会議室からの放送中、当時Re:japanのメンバーだった[[ココリコ]]・[[間寛平]]・東野幸治・[[藤井隆]]・[[山田花子 (タレント)|山田花子]]と共に乱入という形で出演。
* [[ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回]](2021年2月20日、ニッポン放送)※番組30周年のお祝いにゲスト出演。
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''CM'''</div>
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* [[ミスタードーナツ]](1986年)<ref>{{Cite journal|和書|title=宣伝部を歩く-8-ミスタードーナツ / 島森路子|journal=[[広告批評]]|issue=196|publisher=マドラ出版|date=1996-07-01|pages=6|id={{NDLJP|1852914/5}}}}</ref>{{efn2|所ジョージ、 [[ひさうちみちお]]、[[片桐はいり]]と共演。}}
* 吉本興業 - [[なんばグランド花月]](吉本会館NGKシアター)こけら落しのCM (1987年/関西ローカル)
* [[日本旅行]] - 「赤い風船」(1987年/関西ローカル)
* [[郵政省]] - 保険業務(1987年)
* [[三洋電機]] - 洗濯機(1987年)
* [[本田技研工業|HONDA]] - スクーター「DIO」(1987年 - 1988年/関西ローカル)
* [[大阪瓦斯|大阪ガス]] - シャワーキャンペーン「 ビンビンシャワー」(1988年/関西ローカル)
* [[富士フイルム|富士写真フイルム]] (1988年)
* 4時ですよーだ好きやねんスペシャル招待告知 (1988年/関西ローカル 毎日放送のみ)
* [[ハウス食品]] - インスタントラーメン「好きやねん」(1988年 - 1989年/関西ローカル)<ref>{{Cite journal|和書|title=大阪CMの面白さを雑談すると。<座談会> / 内田雅明 ; 辻中達也 ; 林尚司|journal=[[広告批評]]|issue=111|publisher=マドラ出版|date=1988-11-01|pages=42|id={{NDLJP|1853077/23}}}}</ref>{{efn2|[[桂南光 (3代目)|桂べかこ]]と共演。}}
* [[パナソニック|松下電器産業]] - VHSビデオカメラ「MACLORD VHS Movie NV-M10」(1989年)『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』のレギュラーとして出演
* [[サントリー]] - 缶紅茶「テス」(1989年 - 1990年){{efn2|[[沢口靖子]]と共演。}}
* [[興和新薬]] - 鎮痒薬「ウナコーワ」(1990年)
* ユニベール - 求人情報サービス「ダイヤルピポQ」(1990年 - 1991年/関東ローカル)
* [[トヨタ自動車]] - 「60日間ウェルカム大作戦」「ウェルカム大作戦 Part.2」「ウェルカム(カーケア)大作戦」(1991年 - 1994年)<ref>{{Cite journal|和書|title=今月の広告批評|journal=[[広告批評]]|issue=144|publisher=マドラ出版|date=1991-11-01|pages=90|id={{NDLJP|1853110/47}}}}</ref>
* [[ハドソン]] - ゲームソフト「[[スーパー桃太郎電鉄II]]」「[[桃太郎伝説外伝]]」「[[高橋名人の冒険島#シリーズ作品|高橋名人の大冒険島]]」(1991年 - 1992年)
* [[ロッテ]] - スナック菓子「SOYA」(1992年/関東ローカル)
* ロッテ - チューインガム「FRESH」(1992年){{efn2|[[加勢大周]]と共演(直接の共演ではなく、合成で二人の顔が加勢大周の顔に変化する。)}}
* [[すかんち]] - 「恋のミラクルサマー」(1992年)ナレーションのみ
* [[第一興商]] - カラオケルーム店舗「ビッグエコー」(1992年)
* フジテレビ - 哲学〜フジテレビ・秋のキャンペーン(1992年9月){{efn2|チンパンジーのアフレコ、声のみの出演。関東のみの放送で、パターンは13通りあったという。}}
* [[キリンビバレッジ]] - 炭酸飲料「OSMO(オズモ)」(1992年 - 1993年)
* [[am/pm]] - 「おこめサンド」「とれたて弁当」とれたて安心二重丸シリーズ(1992年 - 1995年)
* ロッテ - チューインガム「フラボノガム」(1993年)
* ロッテ - スナック菓子「ベーカリー家族」「POPOLI(ポポリ)」(1993年 - 1994年)
* [[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント]] - 映画「ロビン・フッド キング・オブ・タイツ」(1993年)
* [[コカ・コーラ#日本におけるコカ・コーラのバリエーション|日本コカ・コーラ]] - 缶コーヒー「Zotto(ゾット)」(1996年)
* 日本コカ・コーラ - 缶コーヒー「[[ジョージア (缶コーヒー)|GEORGIA(ジョージア)]]」『明日があるさ』CMドラマシリーズ (2000年 - 2002年)<ref>{{Cite journal|和書|title=今月のベスト(5) / S|journal=[[広告批評]]|issue=242|publisher=マドラ出版|date=2000-10-01|pages=15|id={{NDLJP|1852961/9}}}}</ref>{{efn2|[[仲間由紀恵]]・東野幸治・藤井隆・ココリコ・[[ロンドンブーツ1号2号]]・山田花子・間寛平・[[花紀京]]・[[雨上がり決死隊]]・[[ほんこん]]・[[清水圭]]・野沢直子・[[桂三枝]]・[[森繁久弥]]と共演。}}
* [[ドワンゴ]] - 着信メロディ「着と〜く」「イロメロミックス」(2004年 - 2006年)
* [[フィールズ (企業)|フィールズ]] - パチンコ幾「CR明日があるさ よしもとワールド」(2005年){{efn2|間寛平・ココリコ、ロンドンブーツ1号2号・東野幸治・山田花子・藤井隆と共演。}}
*日本コカ・コーラ - 缶コーヒー「ジョージア」 『エメマンバトル』(2010年){{efn2|浜田が「王道派」、松本が「スッキリ派」のリーダーであった。[[オリエンタルラジオ]]・東野幸治・木村祐一・[[ペナルティ (お笑いコンビ)|ペナルティ]]・[[ガレッジセール]]・[[インパルス (お笑いコンビ)|インパルス]]と共演。}}
* [[サントリー]] - [[ペプシコーラ|ペプシ]]NEX(2013年)声のみ出演。
* [[スマートニュース]](2020年 - 2023年)[無料クーポン(お得な情報)]篇、[No.1]篇、[無料クーポン(抽選)]篇、[雨雲レーダー]篇、[チラシ]篇
* [[くら寿司]]
** (2020年 - )「本ずわいがにVS本まぐろフェア」篇、「楽屋で驚く松本さん」篇
** (2021年12月3日 - )「楽しむ二人(12月フェア)」編<ref>{{Cite web|和書|title=ダウンタウン、くら寿司のボックス席で隣同士(コメントあり / 動画あり)|url=https://natalie.mu/owarai/news/455518|website=お笑いナタリー|accessdate=2021-11-29}}</ref><ref>{{Oricon CM|101716|ダウンタウン}}</ref>
</div></div>


=== テレビ朝日との関係 ===
<div class="NavHead" style="text-align: left;">CM</div>
2022年現在、ダウンタウンは『[[かざあなダウンタウン]]』を最後にテレビ朝日制作のレギュラー番組は持っていない。2019年3月24日放送『[[ワイドナショー]]』(フジテレビ系列)においてゲストの[[中居正広]]がテレ朝で同年4月から放送される『[[中居正広のニュースな会]]』の話題を取り上げると、松本は「皆さんご存じの通り、テレ朝出禁やから」と明かした。松本は吉本の上層部とテレ朝の上層部の間で対立が生じ、吉本側が「ダウンタウンを出演させない」と通告するとテレ朝側から「いらない」と返事を受けた旨を語っているが、真相は依然不明である<ref>[https://www.asagei.com/excerpt/124013 あの番組が原因!?ダウンタウンが「テレ朝出禁」になった裏の疑惑!] アサ芸プラス (2019年3月25日). 2020年4月17日閲覧。</ref><ref>[https://www.cyzo.com/2019/03/post_197744_entry.html 松本人志「テレ朝出禁」は、"あの番組"をサボりまくったから?] 日刊サイゾー (2019年3月26日). 2020年4月17日閲覧。</ref>。なお、浜田がMCを務める全国ネットレギュラー番組『[[トリニクって何の肉!?|芸能界常識チェック! 〜トリニクって何の肉!?〜]]』とスペシャル番組『[[芸能人格付けチェック]]』、松本が審査員を務める『[[M-1グランプリ]]』はテレ朝でも放送されているが、いずれも[[オールニッポン・ニュース・ネットワーク|ANN系列]]の[[準キー局]]である[[朝日放送テレビ]](ABCテレビ)が制作している。また、ABCテレビ主催の『M-1』には2005年大会以降、テレ朝も本社スタジオを決勝戦会場として提供するなど企画協力として制作に参加している。

== 受賞歴 ==
* 1982年 毎日放送 [[素人名人会]] 名人賞
* 1982年 第3回[[今宮こどもえびす新人漫才コンクール]] 福笑い大賞
* 1982年 フジテレビ [[笑ってる場合ですよ!]] お笑い君こそスターだ! 第32代チャンピオン
* 1984年 第5回[[ABCお笑い新人グランプリ|ABC漫才・落語新人コンクール]] 漫才の部 最優秀新人賞
* 1984年 第14回[[NHK上方漫才コンテスト]] 優秀賞
* 1985年 第2回[[花月大賞]] 花月新人賞
* 1986年 第21回[[上方漫才大賞]] 新人奨励賞
* 1987年 第15回[[日本放送演芸大賞]] ホープ賞
* 1987年 第15回日本放送演芸大賞 最優秀ホープ賞
* 1987年 第22回上方漫才大賞 奨励賞
* 1987年 第7回[[花王名人大賞]] 最優秀新人賞
* 1988年 第23回上方漫才大賞 奨励賞
* 1989年 第24回上方漫才大賞 大賞

== 作品 ==
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''シングル'''</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
* 夕陽家族(1989年10月8日)
*[[ミスタードーナッツ]] - [[所ジョージ]]、[[片桐はいり]]と共演 (1986年)
* 生きろ・ベンジャミン/いとしのゴルゴ(松本ヴァージョン)(1991年2月21日)
*[[吉本興業]] - [[なんばグランド花月]](吉本会館NGKシアター) - こけら落しのCM (1987年) ※関西のみ
* 生きろ・ベンジャミン/えっ!さよなら(浜田ヴァージョン)(1991年2月21日)
*[[日本旅行]] - 「赤い風船」 (1987年) ※関西のみ
* [[Grandma Is Still Alive]](1994年7月21日)※GEISHA GIRLS名義
*[[郵政省]] - 保険業務 (1987年)
* [[少年 (GEISHA GIRLSの曲)|少年]](1995年5月19日)※GEISHA GIRLS名義
*[[三洋電機]] - 洗濯機 (1987年)
* [[エキセントリック少年ボウイオールスターズ#作品|「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ]](1997年9月25日)※エキセントリック少年ボウイオールスターズ名義
*[[本田技研工業|HONDA]] - スクーター「DIO」 (1987年 - 1988年) ※関西のみ
* 日影の忍者勝彦(1998年5月25日)※日影の忍者勝彦オールスターズ名義
*[[大阪瓦斯|大阪ガス]] - シャワーキャンペーン「 ビンビンシャワー」 (1988年) ※関西のみ
* 明日があるさ(2001年3月28日)※Re:Japan名義
*[[富士フイルム]] - (1988年)
** この曲で2001年に2度目の[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]出場を果たした。
*[[ハウス食品]] - インスタントラーメン 「好きやねん」 (1988年 - 1989年) ※関西のみ
* [[明日があるさ UnderGround 2step Remix]](2001年7月4日)※Re:Japan名義
*[[パナソニック|松下電器産業]] - VHSビデオカメラ「MACLORD VHS Movie NV-M10」 (1989年)
* [[BITTERSWEET SAMBA|bittersweet samba 〜ニッポンの夜明け前]](2002年3月13日)※Re:Japan名義
*[[サントリー]] - 缶紅茶「テス」(1989年 - 1990年)
以上がダウンタウン関連のシングル。
*[[興和|興和新薬]] - 鎮痒薬「ウナコーワ」(1990年)

*[[ユニベール]] - 求人情報サービス「ダイヤルピポQ」 (1990年 - 1991年) ※関東のみ
2004年11月に発売された「[[浜田雅功と槇原敬之]]」のクリスマスソング『[[チキンライス (曲)|チキンライス]]』の作詞は松本が担当したりと、共同作業もある。
*[[トヨタ自動車]] - 「60日間ウェルカム大作戦」 「ウェルカム大作戦 Part.2」 「ウェルカム(カーケア)大作戦」 (1991年 - 1994年)
*[[ハドソン]] - ゲームソフト「[[スーパー桃太郎電鉄II]]」 「[[桃太郎伝説外伝]]」 「[[高橋名人の冒険島#シリーズ作品|高橋名人の大冒険島]]」 (1991年 - 1992年)
*[[ロッテ]] - スナック菓子「SOYA」 (1992年) ※関東のみ
*ロッテ - チューインガム「FRESH」 [[加勢大周]]と共演 (1992年)
*[[第一興商]] - カラオケルーム店舗「ビッグエコー」 (1992年)
*フジテレビ - 哲学~フジテレビ・秋のキャンペーン(1992年9月)<ref>チンパンジーのアフレコ、声のみの出演。関東のみの放送で、パターンは13通りあったという。</ref>
*[[キリンビバレッジ]] - 炭酸飲料「OSMO(オズモ)」 (1992年 - 1993年)
*[[am/pm]] - 「おこめサンド」「とれたて弁当」とれたて安心二重丸シリーズ(1992年 - 1995年)
*ロッテ - チューインガム「フラボノガム」 (1993年)
*ロッテ - スナック菓子「ベーカリー家族」 「POPOLI(ポポリ)」 (1993年 - 1994年)
*[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント]] - 映画「ロビン・フッド キング・オブ・タイツ」 (1993年)
*[[コカ・コーラ#日本におけるコカ・コーラ|日本コカ・コーラ]] - 缶コーヒー「Zotto(ゾット)」 (1996年)
*日本コカ・コーラ - 缶コーヒー「[[ジョージア_(缶コーヒー)|GEORGIA(ジョージア)]]」『[[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]]』CMドラマシリーズ (2000年 - 2002年)<br>[[仲間由紀恵]]、[[東野幸治]]、[[藤井隆]]、[[ココリコ]]、[[ロンドンブーツ1号2号]]、[[山田花子 (タレント)|山田花子]]、[[間寛平]]、[[花紀京]]、[[雨上がり決死隊]]、[[ほんこん]]、[[清水圭]]、[[野沢直子]]、[[桂三枝]]、[[森繁久弥]]と共演
*[[ドワンゴ]] - 着信メロディ「着と~く」 「イロメロミックス」 (2004年 - 2006年)
*[[フィールズ (企業)|フィールズ]] - パチンコ幾「CR明日があるさ よしもとワールド」 (2005年) 間寛平、ココリコ、ロンドンブーツ1号2号、東野幸治、山田花子、藤井隆と共演
</div></div>
</div></div>


<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
==受賞歴 ==
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''アルバム'''</div>
*1982年 第3回 [[今宮こどもえびす新人漫才コンクール]] 福笑い大賞
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*1982年 [[素人名人会|毎日放送 素人名人会]] 名人賞
* [[GOBU-GOBU]](1988年10月21日)
*1982年 [[笑ってる場合ですよ!|笑ってる場合ですよ!お笑い!君こそスターだ!]] グランドチャンピオン
** [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBSソニー]]より発売されたミニアルバム。歌手デビュー作でもある。所ジョージが詞曲を提供している。
*1984年 第5回 [[ABCお笑い新人グランプリ]] 最優秀新人賞
* [[万力の国 (アルバム)|万力の国]](1991年3月21日)
*1984年 第14回 [[NHK上方漫才コンテスト]] 優秀賞
** シングル「生きろ・ベンジャミン」(松本バージョンと浜田バージョンの2種類発売)の発売後にリリースされた。松本と浜田によるソロ歌唱曲も収録され、[[宇崎竜童]]・[[所ジョージ]]・[[奥田民生]]・島田紳助などが詞曲を提供している。
*1985年 第2回 [[花月大賞]] 花月新人賞
* 夢で逢えたら メモリアルアルバム(1992年9月18日)
*1986年 第21回 [[上方漫才大賞]] 新人奨励賞
** 同番組のサントラ盤
*1987年 第15回 [[日本放送演芸大賞]] 最優秀ホープ賞
* [[GEISHA "Remix" GIRLS]](1994年8月19日)
*1987年 第22回 上方漫才大賞 奨励賞
* [[THE GEISHA GIRLS SHOW - 炎の おっさんアワー]](1995年5月19日)
*1987年 第7回 [[花王名人劇場|花王名人大賞]] 最優秀新人賞
* [[THE GEISHA GIRLS "Remix" SHOW 続・炎のおっさんアワー]](1995年6月21日)
*1988年 第23回 上方漫才大賞 奨励賞
** [[坂本龍一]]プロデュースにより、[[ニューヨーク]]でCDデビューした際には、"THE GEISHA GIRLS"というユニット名がつけられた。
*1989年 第24回 上方漫才大賞 大賞
** 日本においては、[[下町]]にも住宅地があり[[山の手]]にも繁華街があることが多いため、ダウンタウンを単に「下町」と訳すと意味が違ってくるためこの名になった。
** ただこの命名の理由についてはあくまで便宜的なものであり、実際の命名のきっかけとなった出来事がある。これは『ガキの使い』のトーク収録に坂本が観覧に訪れており、後日のトーク収録にてこれについて触れられた。そこから「坂本プロデュースでCDデビューしよう」に及び、「ユニット名は?」との浜田のフリに対し、松本が思わず発した「坂本龍一プロデュース、ゲイシャガールズ!」と発したのが直接のきっかけ。
** 収録後、乗り気になった番組スタッフが[[ニューヨーク]]に位置する[http://www.kab.com/ 坂本の事務所]にプロデュース依頼のオファーを出し、坂本が「ダウンタウンの2人が(レコーディングで)N.Y.に来られるのなら」という条件付きでこれを快諾、ダウンタウンと坂本らによる『THE GEISHA GIRLS』が結成されることになった。アメリカの人気[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[オービー・トライス]]も参加している。
* [[ダウンタウンのごっつええ感じ#関連商品|ダウンタウンのごっつええ感じ 音楽全集]](1997年12月15日)
** 番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のサントラ盤
* [[look up to the sky〜明日があるさ〜]](2002年3月27日) ※Re:Japan名義
** [[坂本九]]の楽曲「[[見上げてごらん夜の星を (曲)|見上げてごらん夜の星を]]」をダウンタウンがカバーしている。
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== イベント・コンサート ==
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''ビデオ'''</div>
*1983年
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
**4月「ごんたくれ」 ※会場([[阪急ファイブ]]内、[[オレンジルーム]])…NSC1期生の[[銀次・政二]]と[[ハイヒール (お笑い)|ハイヒール]]との合同ライブ。全3回。
* ダウンタウン物語(1988年)
*1984年
* OH! MY ハレルヤ(1988年)
**7月「心斎橋筋2丁目劇場」 ※([[南海ホール]]) 
* ダウンタウンホラー・大魔神怒る(1989年)
*1985年 
** ウッチャンナンチャンがゲスト参加したコメディ。
**9月「激笑コント 上方漫才を越える日」 ※([[扇町ミュージアムスクエア]])…[[コント赤信号]]主催のライブにゲスト出演。
* ダウンタウンの流(1991年)
*1986年  
** 漫才、ショートコントを収録。
**5月~12月「心斎橋筋2丁目物語」 ※([[心斎橋筋2丁目劇場]])
* ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1-10(1995年 - 1998年)
**11月「虹の彼方」 ※(心斎橋筋2丁目劇場)
** 同テレビ番組から傑作コントを厳選。
*1987年
* ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! Vol.1〜7(1995年 - 1998年)
**9月「ダウンタウンスキャンダル がんばる松ちゃんつっこむ浜ちゃん」…コンビ初めてのコンサート、ラストで二人は涙を流したという。
* ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 10周年記念傑作トークベストセレクションVol.1〜4(1999年)
*1988年
* 明日があるさ(2001年)
**4月「おすな!いうてるやろ!」
</div></div>
**5月「おでかけでっせ、ラフォーレまっせ」 ※([[ラフォーレ原宿]])…初の東京進出ライブ、[[今田耕司]]・[[東野幸治]]などが出演。
**7月~8月「ダウンタウンスキャンダル あやまらへんで」
**8月「てっぺんライブ ‐太陽編‐」※([[大阪球場]])…このライブの模様は、同年8月26日に[[毎日放送]]で放送された。 
*1989年
**8月~9月「ダボウル」


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==書籍==
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''DVD'''</div>
===関連書籍===
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
* The Very Best Of ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1〜5(2003年)
*タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
*ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1~6(1995年 - 2003年、ワニブックス
* ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! Vol.1〜(2004年 - )
* リンカーン Vol.1〜17(2010年 - 2014年)
*発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
*ダウンタウンの理由(1997、[[集英社]])ISBN 4087802388
* ダウンタウンの前説 Vol.1〜5(2013- 2014年)
*ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
* THE VERY BEST ON AIR of ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1〜6(2014年)
</div></div>
*ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
*ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085


===写真集===
== 書籍 ==
=== 関連書籍 ===
*ハレルヤ DOWN TOWN COMPOSITION 1988(1988年、[[ワニブックス]])ISBN 4847020715
* タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
*2丁目BOOK(1988年、[[データハウス]])ISBN 4924442623
* タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
* ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1〜6(1995年 - 2003年、ワニブックス)
* 発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
* ダウンタウンの理由(1997年、[[集英社]])ISBN 4087802388
* ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
* ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
* ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085
* [[クイック・ジャパン]] 104(2012年、太田出版)ISBN 4778313429


== 関連人物 ==
=== 写真集 ===
* ハレルヤ DOWN TOWN COMPOSITION 1988(1988年、[[ワニブックス]])ISBN 4847020715
*[[高須光聖]]
* 2丁目BOOK(1988年、[[データハウス]])ISBN 4924442623
*[[大崎洋]]
*[[菅賢治]]
*[[斉藤敏豪]]
*[[ウッチャンナンチャン]]
*[[今田耕司]]
*[[東野幸治]]
*[[130R]]
*[[リットン調査団 (お笑いコンビ)]]
*[[ココリコ]]
*[[山崎邦正]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
{{Notelist2|2}}
<div class="references-small"><references /></div>
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


==外部リンク==
== 関連項目 ==
* [[高須光聖]]
*[http://www.randc.jp/downtown/discography.html YOSHIMOTO R and C CO.,LTD./アーティストページ]
* [[土屋敏男]]
*[http://www.fandango.co.jp/ 所属・吉本興業fan/公式HPトップ]
* [[菅賢治]]
* [[今田耕司]]
* [[藤井健太郎 (TVプロデューサー)|藤井健太郎]]
* [[大﨑洋]]

== 外部リンク ==
* [{{吉本プロフィール|250}} ダウンタウン 公式プロフィール|吉本興業株式会社]
* {{TVer talent|t000414}}


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2024年7月21日 (日) 04:17時点における最新版

ダウンタウン
御堂筋ランウェイ2022にて
左から松本、浜田
メンバー 松本人志
浜田雅功
結成年 1982年
事務所 吉本興業
活動時期 1982年-
出身 NSC大阪校1期
出会い 尼崎市立潮小学校
旧コンビ名 浜田・松本
まさし・ひとし
ライト兄弟
青空てるお・はるお
まさと&ひとし
芸種 漫才
コント
ネタ作成者 松本人志
現在の代表番組 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!
水曜日のダウンタウン
ダウンタウンDX
過去の代表番組 4時ですよ〜だ
夢で逢えたら
ダウンタウンのごっつええ感じ など
同期 トミーズ
ハイヒール
内場勝則
ジミー大西など
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
テンプレートを表示

ダウンタウンDOWNTOWN)は、吉本興業に所属する松本人志浜田雅功からなる日本お笑いコンビNSC大阪校1期出身。

メンバー

[編集]
松本 人志(まつもと ひとし、1963年〈昭和38年〉9月8日[1] - )(60歳)
ボケ・ネタ作り担当。
兵庫県尼崎市出身[1]。身長172 cm血液型はB型。非喫煙者
浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年〈昭和38年〉5月11日[1] - )(61歳)
ツッコミ担当。
兵庫県尼崎市出身[1]。身長165 cm、血液型はA型。喫煙者

概要

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1982年にコンビ結成、NSC大阪校の1期生として入学した。1987年、帯番組『4時ですよーだ』で大きく注目を集め関西でアイドル的な人気を博す。1988年、『夢で逢えたら』で東京へ進出。1989年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』、1991年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』、1993年に『ダウンタウンDX』、1994年に『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』が放送開始し全国的に人気を獲得。コンビ活動の他に浜田は俳優・歌手・司会者、松本はライブ・ビデオ・作家・映画監督などソロ活動も活発に行なった。中でも『ガキの使いやあらへんで!』『ダウンタウンDX』は、現在も続く長寿番組である。

経歴

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NSC入学

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共に尼崎市立潮小学校尼崎市立大成中学校の同級生。高校はお互い別々だったが、高校卒業後の1982年3月に浜田が吉本の開校した新人タレント養成所『吉本総合芸能学院(通称:NSC)』による1期生募集のチラシを見つけたのがきっかけで、同年4月4日にNSC1期生として入学。当時の松本は就職が決まっていたものの、浜田から誘われて吉本入りを決意した。

入学わずか2ヶ月目にして、テレビ初出演となる毎日放送素人名人会』にて名人賞を獲得。その1ヵ月後には『第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』で福笑い大賞を受賞。これらの功績が認められ、NSC在学生では異例の早さで「なんば花月」の公演へ5日間ではあるが特別出演した。

8月フジテレビ笑ってる場合ですよ!』の素人・アマチュア芸人の勝ち抜けコーナー「お笑い君こそスターだ!」へ「まさし・ひとし」として出場、5週勝ち抜きグランドチャンピオンに輝いた。番組内ではNSC在学生ということは伏せられ、素人としての出演だった。

その後も劇場で舞台を踏みながら、『第13回NHK上方漫才コンテスト』『第4回ABC漫才・落語新人コンクール』へ出場。

1983年4月21日阪急ファイブ8Fオレンジルームで同期のハイヒール銀次・政二と共にコントライブ「ごんたくれ」(全3回)の第1回公演を開催。後の心斎橋筋2丁目劇場による笑いの原型を開拓させたイベントであった。

「松本・浜田」「まさし・ひとし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」「まさと&ひとし」などコンビ名を定着させずに活動していたが、同年5月にコンビ名を現在の「ダウンタウン」へと正式に改めた。同年6月6日になんば花月上席初出演を果たす。

コンビ名の由来について松本は「考え過ぎるのやめようって。どこかの喫茶店で、週刊誌をペラペラッとやって、指で押さえたところをコンビ名にしようぜってなったんですよ。それがダウンタウンだったんです」と語っている[2]

1984年、『第14回NHK上方漫才コンテスト』で優秀賞を受賞。『第5回ABC漫才・落語新人コンクール』では最優秀新人賞を受賞した。

「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生

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当時の吉本は、漫才ブームの終焉によって花月三館(なんば花月・うめだ花月京都花月)の観客も若年層より年配層が多くを占めていた。NSC時代から2人のマネージャー的存在であった大﨑洋(元・吉本興業ホールディングス代表取締役会長)は、才能こそあったものの注目度の低かったダウンタウンに対して「彼らの場を作ってやらんといかん[3]」と大﨑が発起人となり、当時大阪心斎橋南海電気鉄道が賃貸契約していた劇場「南海ホール」での定期開催を計画。ターゲットを若年層に絞り、若手と共に1984年7月12日「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を毎週末に開催した。

「心斎橋筋2丁目劇場」オープン

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1985年10月関西テレビ今夜はねむれナイト』内にて3分程度によるコントコーナー「ダウンタウン劇場(シアター)」でテレビレギュラー番組を獲得。また、ラジオ大阪おっと!モモンガ』金曜日の司会者に起用される。南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」も徐々に反響を呼ぶようになり、多くの若者から支持を受ける。

1986年、南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」はハイヒール・まるむし商店おかけんた・ゆうた非常階段130R今田耕司東野幸治らとの公演で人気を博し、入場できない程のファンが詰めかけていた。同時期には南海ホールの経営が南海電鉄から吉本に移り、「大阪にもスタジオアルタのようなホールを創ろう!」という企画が持ち上がったことから総工費約2,000万円をかけて改装され、同年5月16日には正式に「心斎橋筋2丁目劇場」の名称で吉本の常設劇場としてリニューアルオープン。8月6日大阪城野外音楽堂で当時の2丁目劇場主要メンバー「おさわがせ2丁目探険隊 来てもた大阪城」を開催した。

『4時ですよーだ』

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1987年4月6日、ダウンタウンがMCを務める平日夕方の帯番組『4時ですよーだ』(毎日放送)が放送開始。当番組を機にダウンタウンの人気が爆発、同年9月27日には大阪厚生年金会館でコンサート「DOWNTOWN SCANDALS」を開催し、会場は若年層の女性ファンで超満員となった。その人気に肖り当時の吉本若手タレントでは珍しく、写真集の発売や歌手としてデビューアルバムも発売。この影響で、NSC7期生(1988年度)の生徒数が以前のNSC卒業生の総数を上回る現象も起こった。この番組が始まり芸人としての月給が初めて20万円を超えたと2010年に放送された特別番組『7時ですよーだ』内で語っている。

関西で爆発的な人気を獲得したダウンタウンは、その勢いで東京へも活躍の場を広げる。1988年10月13日ウッチャンナンチャン野沢直子清水ミチコとのコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)が関東ローカル(後に全国ネット)でスタート。また、2丁目劇場の東京公演「おでかけでっせ、ラフォーレまっせ」をラフォーレ原宿で不定期に開催していた。

当時の1987年11月に行われた雑誌のインタビューで、「東京で番組を1本持っているのは維持したい(松本)」「東京へ来ることは僕らにとってマイナスにはなりませんからね(浜田)」と2人とも意欲を見せるような発言をしていた一方で、ニッポン放送からはそれとなく(2時間番組でのパーソナリティの)話があったが自分たちは今東京で2時間やっても持たないのが分かっているので、また全国的に馴染みの無い者がいきなり全国ネットの番組に登場するのはかなり厳しいものがあるなどを理由に遠慮したと、当時は東京進出にまだ慎重的な考えもあったことを明かしている[4][注 1]

東京進出

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1989年、吉本から本格的な東京進出命令が下る。以前から『ひょうきん予備校』『欽ドン!ハッケヨーイ笑った!』、そして前年からスタートしていた『夢で逢えたら』などの東京に出向いて番組へ出演していたが『4時ですよーだ』の司会を同年4月より7月まで一時交代し、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の月曜レギュラーとなる。9月29日に『4時ですよーだ』が最終回を迎え、10月3日に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)が関東ローカルで放送開始。同年に第24回上方漫才大賞大賞を受賞した。

1991年4月からは『世界の常識・非常識!』(フジテレビ)にレギュラー出演。

1991年12月8日、3度の特番放送を経て『世界の常識・非常識!』の後番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』が放送開始される。ダウンタウンが得意とするシュールなコントで全国的に不動の人気を掴み、全盛期には視聴率20%を超えるお化け番組へと成長。1993年10月21日には読売テレビ制作の全国ネット番組『ダウンタウンDX』が、1994年10月17日にはフジテレビで音楽番組HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』が放送開始された。

個人としての活動〜『ごっつええ感じ』終了

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浜田は東京進出後に数々のドラマへ出演など、俳優業にも活動の幅を広げる。1995年3月15日小室哲哉との音楽ユニット・H Jungle with tを結成しデビューシングル『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』を発売するとオリコンチャートで7週連続1位を獲得、CDセールスは約200万枚という大ヒットを飛ばした。同年の大晦日放送『第46回NHK紅白歌合戦』にも初出場、同番組ではGEISHA GIRLSに扮した松本が浜田にも内緒でゲスト出演していた。

一方で松本はお笑いの活動にこだわり、1994年には入場料1万円のライブ「寸止め海峡(仮題)」、1995年には日本武道館で初の芸人による1人単独ライブ「松風'95」を開催し独自の笑いを生み出し続けていった。1993年から1995年にかけて、松本が『週刊朝日』に連載していたエッセイ(「オフオフダウンタウン」)が単行本化される。題名は『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部を売り上げた。1995年には芸能人長者番付で松本が1位、浜田が2位となった。

1997年11月、番組改編期でもない11月に『ダウンタウンのごっつええ感じ』が突如打ち切りとなり、それを受けダウンタウンのバラエティ番組の傾向が変化していく(詳細はダウンタウンのごっつええ感じ#突然の放送終了参照)。

2000年代

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2000年4月15日、松本と中居正広のW主演でドラマ『伝説の教師』(日本テレビ)が放送開始。最終回には浜田と木村拓哉が特別出演した。

2001年4月21日、浜田主演のドラマ『明日があるさ』(日本テレビ)が放送開始。このドラマの主要メンバーで構成された音楽グループ・Re:Japanを結成して『明日があるさ』をリリース、同年の大晦日放送の『第52回NHK紅白歌合戦』にも出場した。

10月12日、突如打ち切りとなった『ごっつええ感じ』が『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として一夜限りの復活を遂げる。以降ダウンタウンとして10年間、地上波ではコントを披露する機会がなかった。

2004年11月17日、作詞:松本人志、作曲・バックコーラス:槇原敬之、歌:浜田雅功として『チキンライス』(浜田雅功と槇原敬之)を発売。

2010年代

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2011年6月5日放送『爆笑!大日本アカン警察 2時間スペシャル』で、事務所の後輩であるナインティナイン岡村隆史矢部浩之)と14年ぶりの共演。

2011年11月5日NHK総合で松本出演のコント番組『松本人志のコントMHK』のレギュラー放送第1回のゲストとして、相方である浜田とコントを披露。ダウンタウンとしてコントを披露するのは2001年放送の『-ものごっつええ感じスペシャル』以来である。

2012年4月8日、吉本興業100周年特別公演にダウンタウン・今田耕司・東野幸治・130R・木村祐一などでかつて花月で行われていた興行「ポケットミュージカルス」を復活。公演内容は『ごっつええ感じ』の男性陣で構成された人気コントキャラ・エキセントリック少年ボウイオールスターズによる『「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ』や、浜田が『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』を熱唱するなど豪華なラインナップであった。

10月20日、ダウンタウン結成30周年記念特設サイトが公開される。

2013年2月5日から、吉本興業100周年記念公演『吉本百年物語 アンチ吉本・お笑いレボリューション』で、ダウンタウンが若手時代に活躍していた「心斎橋筋2丁目劇場」が舞台化された。この公演ではダウンタウンを間慎太郎(浜田)、趙珉和(松本)が演じた。

2014年3月31日放送の『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』で、一部ネットなどで不仲説が囁かれていたとんねるず石橋貴明木梨憲武)と1987年5月4日の『MBSヤングタウンVSとんねるず野球大会』(毎日放送テレビ・ラジオ[5])・1994年10月3日放送の『FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル』(フジテレビ系)以来となる約20年ぶりでテレビでは3度目の共演を果たし、同じく不仲説があった爆笑問題太田光田中裕二)とも1989年1月1日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)以来となる約25年ぶりの共演を果たした。また、ウッチャンナンチャン(内村光良南原清隆)ともコンビとしては1998年『いろもん豪華特別版』(日本テレビ系)以来となる16年ぶりに共演している。

2015年8月28日放送の『ダウンタウンなうSP』で、B21スペシャルヒロミミスターちんデビット伊東)と『全員出席!笑うんだってば』(日本テレビ系)以来となる26年ぶりの共演を果たした。

2020年代

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2021年8月28〜29日放送の『FNSラフ&ミュージック』にて、松本がサポーターとして出演。第1夜では生ブッキングのコーナーで内村に生電話して出演交渉を行い、第2夜では番組終盤にて内村と『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来7年ぶりに共演し、ダウンタウンとウンナンの2組で番組をやりたいと話した。さらに爆問とも同じく『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来、7年ぶりの共演を果たした。

10月2日放送の『お笑いの日2021』では、『賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜』のMCである有田哲平くりぃむしちゅー)と、TBSで『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ2005』以来16年ぶりの共演を果たす。

2022年4月3日、大阪・なんばグランド花月で行われた吉本興業110周年記念イベント「伝説の一日」において、同舞台上での漫才を約31年ぶりに披露した[6][7]

芸風

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漫才

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ネタはコント漫才が多く、代表的なネタとしては「誘拐」「医者」「クイズ」「『あ』研究家」などがある。

松本のボソボソと喋るボケに浜田のいなすようなツッコミが特徴で、漫才ブームの頃はハイテンポなしゃべりが主流だったためゆっくりなテンポで間を空けたスタイルは異質とされ、横山やすしからは「チンピラの立ち話」と酷評された[8][9]

ダウンタウンのごっつええ感じ』でコントに注力するようになってからは、ダウンタウンとしての漫才はビデオ『ダウンタウンの流』を最後に演じていなかったが、先述の通り2022年4月に開催された「伝説の一日」千穐楽参回目の大トリにおいて、約31年ぶりの漫才(新ネタ)を披露している[6][7]

漫才師としての評価

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島田紳助紳助・竜介時代、NSCでダウンタウンの漫才を見た時の衝撃は忘れられないと語っている。漫才ブームの頃は早いテンポの漫才が多かったが、ダウンタウンは遅いテンポだったことで松本に「このテンポはどうするんや」と尋ねると、「いや、俺らはこのテンポ変えるつもりはありません。このままでいきます」と返されて後に紳助はダウンタウンの漫才の方向性が正しかったことに衝撃を受けた[10]。また、紳助・竜介が解散するきっかけとなったコンビもダウンタウンであり、1985年5月にうめだ花月上席の舞台袖でダウンタウンの漫才を目にしたことで自分たちの限界を感じ、吉本本社に出向きコンビ解散の意志を告げた。同年5月20日に行われた記者会見で紳助は、解散理由について「阪神・巨人サブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」と、当時まだ無名であったダウンタウンの名を挙げた。

ビートたけしは、松本との対談でダウンタウンの漫才について「(ツービートの漫才は)あの当時としては新しいことをやってたんだけど、かなり荒いんだよね。その時代のあとに出てきたダウンタウンはもっときめ細かい。おいらの2、4、6、8というネタの切り取り方が、1、2、3、4でとってきたという感じ。乗った時は0.1とか0.2の刻みでとり出したという感じがある。スピード的には2、4、6と飛んでいくから、B&Bとかおいらの漫才のほうが早いんだけど、ダウンタウンは0.1をじっくりもたせちゃうというところがある。おいらの5分ネタを30分ぐらいやれる細かさで、その感じをよくわからせたのがダウンタウンの漫才だ。それは進化だと思う」と評した[11]

宮川大助(宮川大助・花子)は、医者の漫才で「衛星ひまわりから撮ったレントゲン写真です」というボケを聞いた際に「あ、負けたなと。そんなの想像できひんなと思った」と当時の衝撃を語り、「時代が変わる」と感じた旨を振り返っている[12][13]

太田光は先述の「伝説の一日」を有料配信で観ており、ダウンタウンの漫才を「凄いな、立ち話みたいな感じで漫才をやるっていうのが。俺らにはできないスタイルだから、めちゃくちゃ面白かった」「あれが本当の漫才のスタイルだな」と絶賛していた旨を金ちゃん(鬼越トマホーク)が証言し、坂井良多(鬼越トマホーク)も「漫才をやり続けた爆笑問題さん的にも『ダウンタウンさんが漫才に帰ってきたことが凄く嬉しい』って言ってました」と付け加えている[14][15]

コント

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今夜はねむれナイト』のコーナー「ダウンタウン劇場(シアター)」で初めてセットを使ったコントを披露した。ウンナン・野沢直子・清水ミチコとのコント番組『夢で逢えたら』でユニットコントを演じ、『ダウンタウンのごっつええ感じ』では多くのコント・キャラクターを生み出し、ベタなコントからマニアックなコントまで幅広く演じた。

小松純也は松本およびダウンタウンのコントについて、「作り手としても演じ手としてもすさまじいっていうことじゃないですか。結局、演じることに長けている人はいる。お笑いの作り手としても、部分部分は優れてる人はいると思うんです。けれど、あの人の場合はそれが全部同居している。発想の次元でいうと、それまでのコントと彼ら以降で一番変わっていった大きなポイントというのは、『面白い人がいてその人が面白い』ということではなくなった。『関係性の笑い』をメジャーにしていった」と語っている[16]

悲しさや切なさを感じさせるコントも多く、松本は「僕、ハッピーエンドが嫌いなんですよ。だから映画でもそうなんですけど、ちょっとどこか救われへんのが好きやったりするんです。ハッピーエンドやと終われないんですよ、やっぱり。ハッピーエンドで終わっても何か一旦終りみたいな。(中略)でも、理屈じゃなくてありますね。どうしてもそっち……行きますね。『トカゲのおっさん』なんてほんと悲しいですよ(笑)。(中略)でも、おもしろいことってね、切ない中にあると思うんですね。何か切ないからおもしろい方向に行ってしまうっていうことは絶対あると思うんですよ」と語っている[17]

出囃子

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出演

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ダウンタウンとしての出演番組を記載。個人での出演作品は浜田雅功松本人志を参照。

現在放送中のレギュラー番組

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2015年3月末以降、全ての番組が冠番組である。

スペシャル番組

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過去に出演したテレビ番組ラジオ番組/CM

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テレビ朝日との関係

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2022年現在、ダウンタウンは『かざあなダウンタウン』を最後にテレビ朝日制作のレギュラー番組は持っていない。2019年3月24日放送『ワイドナショー』(フジテレビ系列)においてゲストの中居正広がテレ朝で同年4月から放送される『中居正広のニュースな会』の話題を取り上げると、松本は「皆さんご存じの通り、テレ朝出禁やから」と明かした。松本は吉本の上層部とテレ朝の上層部の間で対立が生じ、吉本側が「ダウンタウンを出演させない」と通告するとテレ朝側から「いらない」と返事を受けた旨を語っているが、真相は依然不明である[25][26]。なお、浜田がMCを務める全国ネットレギュラー番組『芸能界常識チェック! 〜トリニクって何の肉!?〜』とスペシャル番組『芸能人格付けチェック』、松本が審査員を務める『M-1グランプリ』はテレ朝でも放送されているが、いずれもANN系列準キー局である朝日放送テレビ(ABCテレビ)が制作している。また、ABCテレビ主催の『M-1』には2005年大会以降、テレ朝も本社スタジオを決勝戦会場として提供するなど企画協力として制作に参加している。

受賞歴

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作品

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書籍

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関連書籍

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  • タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
  • タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1〜6(1995年 - 2003年、ワニブックス)
  • 発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
  • ダウンタウンの理由(1997年、集英社ISBN 4087802388
  • ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
  • ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
  • ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085
  • クイック・ジャパン 104(2012年、太田出版)ISBN 4778313429

写真集

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脚注

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注釈

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  1. ^ このインタビューで、直の後輩である圭・修が1987年8月から全国ネットのオールナイトニッポン(土曜1部=土曜深夜1:00 - 3:00)のパーソナリティとなった話題を振られた時に明かしたもので、松本は「(いきなり全国ネットの番組に登場して)圭・修はかわいそうやと思う」とも発言している[4]
  2. ^ 出演していた『今夜はねむれナイト』内で放送していた「ダウンタウン劇場」のコント集を放送していた。
  3. ^ この番組でウッチャンナンチャンと初共演した。
  4. ^ ダウンタウンと小川菜摘で司会。
  5. ^ 「新社屋サバイバルクイズ!!」のコーナーに出演。
  6. ^ a b c 逸見政孝とダウンタウンで司会。
  7. ^ Aブロック「ダウンタウンのごっつええ感じ」(THE TEAM FIGHT)の司会を担当。
  8. ^ 謹慎中の島田紳助の代理司会。
  9. ^ 謹慎中の島田紳助の代理で浜田雅功が司会、松本人志が解答者として出演。
  10. ^ 「松本人志・浜田雅功」の本名で出演。
  11. ^ a b 「まさと・ひとし」名義で出演。
  12. ^ 「ライト兄弟」名義で出演。
  13. ^ 「ダウンタウン」名義としてフジテレビ初出演。
  14. ^ ワンシーンでダウンタウンの漫才音声のみが流された。
  15. ^ 「深夜のゲーム大会」に出演。
  16. ^ 「深夜の保健体育」に出演。
  17. ^ 「Miss.エロティカの身体検査」に出演。
  18. ^ HEY!HEY!HEY!おみその1時間スペシャル」に出演。
  19. ^ 「お笑い能力開発ゼミナール」に出演。
  20. ^ HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』本番収録中のスタジオに突如、明石家さんまが乱入(翌日、7月28日放送の『HEY!HEY!HEY!』ではCM中の様子も放映した)。
  21. ^ HEY!HEY!HEY!VSヘキサゴン」に出演。
  22. ^ 爆笑!大日本めちゃ2アカン警察 アカン刑事SP」に出演。
  23. ^ 爆笑 大日本アカン警察 タイホしていいとも!SP」に出演。
  24. ^ 爆笑 大日本アカン警察 27時間テレビ特別版 生アカンリサーチ」に出演。
  25. ^ 深夜枠第1部「笑いは地球を救うかな」
  26. ^ 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』チームとして出場。
  27. ^ 『発明将軍ダウンタウン』からのクイズ出題と番宣をかねてVTR出演。
  28. ^ ナンバラバンバン’91春 に夢で逢えたらキャラの「なにわのどてら兄弟」に扮して出演。
  29. ^ 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の企画で素人として出場。
  30. ^ 『ダウンタウンのごっつええ感じ』チームとして出場。
  31. ^ 浜田雅功がH Jungle with tとして出場、松本人志がGEISHA GIRLSに扮して乱入。
  32. ^ エキセントリック少年ボウイオールスターズとして出演。
  33. ^ 日影の忍者勝彦オールスターズとして出演。
  34. ^ Re:Japanとして特別賞を受賞。
  35. ^ Re:Japanとして出場、ウルフルズと共演。
  36. ^ 「おっと!モモンガ」のリニューアル後の金曜日担当。
  37. ^ 本来「MBS! ヤーングタウン!」とタイトルコールするところを、彼らのみ「MBS!(この部分は、YOUなど女性パーソナリティが担当)」に続けて淡々と「ダウンタウン」とつぶやいて話題となった。
  38. ^ 所ジョージ、 ひさうちみちお片桐はいりと共演。
  39. ^ 桂べかこと共演。
  40. ^ 沢口靖子と共演。
  41. ^ 加勢大周と共演(直接の共演ではなく、合成で二人の顔が加勢大周の顔に変化する。)
  42. ^ チンパンジーのアフレコ、声のみの出演。関東のみの放送で、パターンは13通りあったという。
  43. ^ 仲間由紀恵・東野幸治・藤井隆・ココリコ・ロンドンブーツ1号2号・山田花子・間寛平・花紀京雨上がり決死隊ほんこん清水圭・野沢直子・桂三枝森繁久弥と共演。
  44. ^ 間寛平・ココリコ、ロンドンブーツ1号2号・東野幸治・山田花子・藤井隆と共演。
  45. ^ 浜田が「王道派」、松本が「スッキリ派」のリーダーであった。オリエンタルラジオ・東野幸治・木村祐一・ペナルティガレッジセールインパルスと共演。

出典

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  1. ^ a b c d ダウンタウン 公式プロフィール”. 吉本興業株式会社. 2022年4月6日閲覧。
  2. ^ ダウンタウン、コンビ名の由来は「どこかの喫茶店で週刊誌を…」”. サンスポ (2021年1月31日). 2021年9月12日閲覧。
  3. ^ 『ダウンタウンの理由』(1997年8月31日発行)45頁。
  4. ^ a b ラジオパラダイス三才ブックス)1988年2月号 59 - 65頁「ダウンタウン ロングインタビュー」
  5. ^ 「ローソン,ハウス食品~異業種タイアップイベント(毎日放送)」『企業と広告』第13巻第8号、チャネル、1987年8月1日、22 - 23頁、NDLJP:2853053/14 
  6. ^ a b "ダウンタウン聖地31年ぶりの漫才は2人で紡いだ52年の歴史 浜田雅功の蹴りツッコミも出た". 日刊スポーツ. 日刊スポーツNEWS. 2022年4月3日. 2022年4月4日閲覧
  7. ^ a b c 【ライブレポート】ダウンタウンがNGKでセンターマイク挟む、松本クイズに翻弄された浜田「もうええわ!」(公演写真あり)”. お笑いナタリー. 2022年4月4日閲覧。
  8. ^ 1982年12月12日放送の『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)内のコーナー、勝ち抜き新人オーディションに「ライト兄弟」の名で出場した際の発言。
  9. ^ 松本人志『遺書』 p,93 - 95
  10. ^ 島田紳助 松本人志『哲学』 p,24 - 34
  11. ^ 北野武『コマネチ! -ビートたけし全記録-』(新潮文庫) p,12 - 13
  12. ^ 宮川大助、ダウンタウンの漫才極意盗もうと思った過去 引き際の美学も明かす”. ORICON NEWS (2019年1月16日). 2021年7月7日閲覧。
  13. ^ 東野幸治、内容を次々と明かす宮川大助に「やめてもらっていいですか?」とツッコミ!「Audible」新コンテンツ発表会見”. よしもとニュースセンター (2019年1月16日). 2021年7月7日閲覧。
  14. ^ 爆笑問題・太田、ダウンタウンの漫才を絶賛していた「あれが本当の漫才のスタイル」 鬼越トマホークが暴露サンケイスポーツ 2022年8月21日配信 2022年9月3日閲覧。
  15. ^ 爆笑問題・太田光「伝説の一日」ダウンタウン漫才を絶賛「おれらにはできない」デイリースポーツ 2022年8月21日配信 2022年9月3日閲覧。
  16. ^ 『ごっつええ感じ』演出家が語る「浜田さんが動いたとき」”. 文春オンライン (2017年5月1日). 2021年7月10日閲覧。
  17. ^ 松本人志『松本坊主』 p,212 - 213
  18. ^ 2011年6月5日放送『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』TVでた蔵
  19. ^ 「宣伝部を歩く-8-ミスタードーナツ / 島森路子」『広告批評』第196号、マドラ出版、1996年7月1日、6頁、NDLJP:1852914/5 
  20. ^ 「大阪CMの面白さを雑談すると。<座談会> / 内田雅明 ; 辻中達也 ; 林尚司」『広告批評』第111号、マドラ出版、1988年11月1日、42頁、NDLJP:1853077/23 
  21. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第144号、マドラ出版、1991年11月1日、90頁、NDLJP:1853110/47 
  22. ^ 「今月のベスト(5) / S」『広告批評』第242号、マドラ出版、2000年10月1日、15頁、NDLJP:1852961/9 
  23. ^ ダウンタウン、くら寿司のボックス席で隣同士(コメントあり / 動画あり)”. お笑いナタリー. 2021年11月29日閲覧。
  24. ^ ダウンタウン - オリコンCM出演情報
  25. ^ あの番組が原因!?ダウンタウンが「テレ朝出禁」になった裏の疑惑! アサ芸プラス (2019年3月25日). 2020年4月17日閲覧。
  26. ^ 松本人志「テレ朝出禁」は、"あの番組"をサボりまくったから? 日刊サイゾー (2019年3月26日). 2020年4月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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