「辛酉」の版間の差分
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'''辛酉'''(かのととり、しんゆう)は、[[干支]]の一つ。 |
'''辛酉'''(かのととり、しんきんのとり、しんゆう)は、[[干支]]の一つ。 |
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干支の組み合わせの58番目で、前は[[庚申]]、次は[[壬戌]]である。[[陰陽五行思想|陰陽五行]]では[[十干]]の[[辛]]は陰の[[金]]、[[十二支]]の[[酉]]は陰の[[金]]で、[[五行思想#比和(ひわ)|比和]]である。 |
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==辛酉 |
==辛酉と革命== |
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{{Anchors|辛酉の年}}[[西暦]]年を60で割って1が余る年が辛酉の[[年]]となる。 |
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中国の[[前漢]]から[[後漢]]に流行した『緯書』([[隋]]の[[煬帝]]により禁圧され散逸、『易緯』、『詩緯』に逸文として残るのみ)には、庚申に続いて辛酉も干支ともに金性であり、かつ辛は陰の気なので、人の心がより冷酷になりやすいとされた。辛酉は[[天]]命が改まる年とされ、[[王朝]]が交代する[[革命]]の年で'''辛酉革命'''という。政治的変革が起るのを防ぐ目的で、日本の[[平安時代]]には、[[三善清行]]の提唱で、昌泰4年(901年)の辛酉の年を「延喜」と改元したことから始まった。前年の庚申年と2年続けて改元が行われることが多い。これは明治になるまで続けられた。但し、中国ではこのような例はない。 |
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辛酉には革命的な要素があるとされている。 |
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[[那珂通世]]は、『緯書』にある鄭玄の注に、1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉の年には大革命がある事から、[[推古天皇]]9年([[601年]])がその年に当たり、この年の1260年前である西暦[[紀元前660年]]に[[神武天皇]]が即位したものとの説を立てた。 |
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『[[緯書]]』([[煬帝]]が禁止。[[三善清行]]『[[革命勘文]]』〈『[[群書類従]]』第貮拾六輯 雜部 所収〉に「易緯」、「詩緯」の[[逸文]]が残るのみ)には、庚申に続いて辛酉も金性であり、辛は陰気であり、人の心が冷酷になりやすいとされている。辛酉年は[[天命]]が改まる年とされ、[[王朝]]交代の[[革命]]の年で'''[[辛酉革命]]'''(しんゆうかくめい)という。日本において、辛酉年に改元する理由は政治的変革の防止が目的であり、三善清行により昌泰4年(901年)の辛酉年に元号を「[[延喜]]」に改めたことから始まった。前年の庚申年と2年続けて改元が行われることが多く、明治時代になるまで続けられたが、中国では前例がない。 |
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又、別に1320年(60年×22回=1320年)周期説もあり、その場合は辛酉の3年後[[甲子]]年が革令(甲子革令)の年であり、[[白村江の戦い]]の翌年西暦[[664年]](甲子)を基点として、西暦紀元前660年とされる。 |
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{{Anchors|辛酉革命}}明治時代の学者である[[那珂通世]]は[[神武天皇]]即位の年代について「革命勘文」の[[鄭玄]]の注「天道不遠 三五而反 六甲為一元 四六二六交相乗 七元有三変 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」を挙げ、1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉年には大革命があるとし、[[推古天皇]]9年([[601年]])がその年に当たり、この年の1260年前である西暦[[紀元前660年]]に神武天皇が即位したとする説を立てた。「革命勘文」の鄭玄の注では1320年と記述されることから、60年×22回=1320年周期説もあり、その場合は辛酉年の3年後である[[甲子]]年が革令(甲子革令)の年であり、[[白村江の戦い]]の翌年である西暦[[664年]](甲子)を基点として西暦紀元前660年とされる。 |
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==辛酉の年== |
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辛酉月は西暦年の下1桁が3・8(十干が[[癸]]・[[戊]])の年の[[8月]]となる。ここでいう月は[[旧暦]]月や[[節月]]([[白露]]から[[寒露]]の前日まで)を適用する場合もある。辛酉日は[[八専]]の7日目(間日を除く)である。 |
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|+'''辛酉の年''' |
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![[紀元前1千年紀]]!![[1千年紀]]!![[2千年紀]]!![[3千年紀]] |
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*[[紀元前960年]] |
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*[[紀元前900年]] |
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*[[紀元前840年]] |
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*[[紀元前780年]] |
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*[[紀元前720年]] |
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*[[紀元前660年]] |
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*[[紀元前600年]] |
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*[[紀元前540年]] |
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*[[紀元前480年]] |
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*[[紀元前420年]] |
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*[[紀元前360年]] |
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*[[紀元前300年]] |
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*[[紀元前240年]] |
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*[[紀元前180年]] |
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*[[紀元前120年]] |
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*[[紀元前60年]] |
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*[[1年]] |
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*[[61年]] |
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*[[121年]] |
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*[[181年]] |
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*[[241年]] |
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*[[301年]] |
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*[[361年]] |
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*[[421年]] |
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*[[601年]] |
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*[[661年]] |
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*[[721年]] |
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*[[901年]] |
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*[[1261年]] |
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*[[1921年]] |
*[[1921年]] |
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*[[1981年]] |
*[[1981年]] |
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*[[1801年]] |
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*[[2041年]] |
*[[2041年]] |
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*[[2161年]] |
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*[[ |
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*[[2281年]] |
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*[[2341年]] |
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*[[2401年]] |
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*[[2461年]] |
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*[[2521年]] |
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==辛酉の月== |
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*[[2581年]] |
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*[[2641年]] |
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*[[ |
*[[2701年]] |
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*[[2761年]] |
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*[[2881年]] |
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*[[2941年]] |
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*[[1985年]]6月 |
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*[[2000年]]6月 |
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*[[1975年]]6月 |
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*[[1990年]]6月 |
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==関連項目== |
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* [[神武天皇]] |
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* 『[[日本書紀]]』 |
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* [[革命勘文]] |
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* [[塚本明毅]]『[[三正綜覧]]』 |
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*{{prefix}} |
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*{{intitle}} |
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== 外部リンク == |
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*[[1861年]6月]6月 |
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*[http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/kakumeikannbunn/gen.htm 革命勘文 群書類従 第貮拾六輯 雜部 より] |
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*‥‥ |
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[[Category:干支|かのととり]] |
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==辛酉の日== |
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辛酉の日の[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%97%A5 選日] |
2024年1月2日 (火) 14:11時点における最新版
干支 | |||||||||
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1 甲子 |
2 乙丑 |
3 丙寅 |
4 丁卯 |
5 戊辰 |
6 己巳 |
7 庚午 |
8 辛未 |
9 壬申 |
10 癸酉 |
11 甲戌 |
12 乙亥 |
13 丙子 |
14 丁丑 |
15 戊寅 |
16 己卯 |
17 庚辰 |
18 辛巳 |
19 壬午 |
20 癸未 |
21 甲申 |
22 乙酉 |
23 丙戌 |
24 丁亥 |
25 戊子 |
26 己丑 |
27 庚寅 |
28 辛卯 |
29 壬辰 |
30 癸巳 |
31 甲午 |
32 乙未 |
33 丙申 |
34 丁酉 |
35 戊戌 |
36 己亥 |
37 庚子 |
38 辛丑 |
39 壬寅 |
40 癸卯 |
41 甲辰 |
42 乙巳 |
43 丙午 |
44 丁未 |
45 戊申 |
46 己酉 |
47 庚戌 |
48 辛亥 |
49 壬子 |
50 癸丑 |
51 甲寅 |
52 乙卯 |
53 丙辰 |
54 丁巳 |
55 戊午 |
56 己未 |
57 庚申 |
58 辛酉 |
59 壬戌 |
60 癸亥 |
十干 ・ 十二支 |
辛酉(かのととり、しんきんのとり、しんゆう)は、干支の一つ。
干支の組み合わせの58番目で、前は庚申、次は壬戌である。陰陽五行では十干の辛は陰の金、十二支の酉は陰の金で、比和である。
辛酉と革命
[編集]辛酉には革命的な要素があるとされている。
『緯書』(煬帝が禁止。三善清行『革命勘文』〈『群書類従』第貮拾六輯 雜部 所収〉に「易緯」、「詩緯」の逸文が残るのみ)には、庚申に続いて辛酉も金性であり、辛は陰気であり、人の心が冷酷になりやすいとされている。辛酉年は天命が改まる年とされ、王朝交代の革命の年で辛酉革命(しんゆうかくめい)という。日本において、辛酉年に改元する理由は政治的変革の防止が目的であり、三善清行により昌泰4年(901年)の辛酉年に元号を「延喜」に改めたことから始まった。前年の庚申年と2年続けて改元が行われることが多く、明治時代になるまで続けられたが、中国では前例がない。
明治時代の学者である那珂通世は神武天皇即位の年代について「革命勘文」の鄭玄の注「天道不遠 三五而反 六甲為一元 四六二六交相乗 七元有三変 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」を挙げ、1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉年には大革命があるとし、推古天皇9年(601年)がその年に当たり、この年の1260年前である西暦紀元前660年に神武天皇が即位したとする説を立てた。「革命勘文」の鄭玄の注では1320年と記述されることから、60年×22回=1320年周期説もあり、その場合は辛酉年の3年後である甲子年が革令(甲子革令)の年であり、白村江の戦いの翌年である西暦664年(甲子)を基点として西暦紀元前660年とされる。
辛酉月は西暦年の下1桁が3・8(十干が癸・戊)の年の8月となる。ここでいう月は旧暦月や節月(白露から寒露の前日まで)を適用する場合もある。辛酉日は八専の7日目(間日を除く)である。
紀元前1千年紀 | 1千年紀 | 2千年紀 | 3千年紀 |
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