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「向氏浦添殿内」の版間の差分

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'''向氏 浦添殿内'''(しょううじ うらそえどぅんち)は、越来按司朝則([[玉川御殿]]五世)を系祖とする[[琉球王国]]の[[士族]](首里士族)。王国末期に浦添[[間切]](現・[[浦添市]])の総地頭を務めた琉球王国の[[大名]]。
'''向氏 浦添殿内'''(しょううじ うらそえどぅんち)は、越来按司朝則([[玉川御殿]]五世)を系祖とする[[琉球王国]]の[[士族]](首里士族)。王国末期に浦添[[間切]](現・[[浦添市]])の総地頭を務めた琉球王国の[[大名]]。


== 概要 ==
系祖・朝則は、玉川御殿四世・読谷山按司朝宜の次男。朝則の娘・玉寄按司加那志は[[尚賢王]]妃となり、十一世朝慎の娘・聞得大君按司加那志も[[尚温王]]妃となった。十三世朝章、十四世朝昭はともに[[三司官]]を務めた。特に朝昭は王国最後の三司官首席として、[[琉球処分]]に苦慮しながらも、その引き継ぎ事務は処分官・[[松田道之]]も賛嘆せしめるほどの能吏であった。
系祖・朝則は、玉川御殿四世・読谷山按司朝宜の次男。朝則の娘・玉寄按司加那志は[[尚賢王]]妃となり、十一世朝慎の娘・聞得大君按司加那志も[[尚温王]]妃となった。十三世朝章、十四世朝昭はともに[[三司官]]を務めた。特に朝昭は王国最後の三司官首席として、[[琉球処分]]に苦慮しながらも、その引き継ぎ事務は処分官・[[松田道之]]も賛嘆せしめるほどの能吏であった。


== 系譜 ==
== 系譜 ==
[[File:Urazoe Chōshō.jpg|thumb|right|150px|十四世・浦添親方朝昭]]
*五世・越来按司
*世・摩文仁王子
*世・越来按司
*世・摩文仁按司
*世・摩文仁王子
*世・摩文仁按司朝
*世・摩文仁按司朝
*九世・国頭親方朝斉 ([[沖縄三十六歌仙]]の一。)
* 八世・摩文仁按司朝寄
* 九世・国頭親方朝斉 ([[沖縄三十六歌仙]]の一。)
*十世・国頭親方朝衛
* 十世・国頭親方朝衛
*十一世・国頭親方朝慎
* 十一世・国頭親方朝慎
*十二世・国頭親方朝用
* 十二世・国頭親方朝用
*十三世・国吉親方朝章
* 十三世・国吉親方朝章
*十四世・浦添親方朝昭
* 十四世・浦添親方朝昭
*五世・浦添
*十六世・浦添朝宣
*十七世・浦添朝敏
*十八世・浦添健(現当主)


※『氏集』には、浦添殿内の記載が欠落している。系譜は『沖縄県姓氏家系大辞典』 に拠る。
※『氏集』には、浦添殿内の記載が欠落している。系譜は『沖縄県姓氏家系大辞典』 に拠る。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*沖縄県氏家系大辞典 編纂委員会編『沖縄県氏家系大辞典角川書店 1992
*{{Cite book|和書|author=沖縄県氏家系大辞典 編纂委員会|date=1992年(平成4年)|title=沖縄県氏家系大辞典|publisher=[[角川書店]]|isbn=978-4040024707|ref=沖縄県氏姓(1992)}}
*{{Cite book|和書|author=宮里朝光(監修)、那覇出版社(編集)|date=1998年(平成10年)|title=沖縄門中大事典|publisher=那覇出版社|isbn=978-4890951017|ref=宮里(1998)}}
*{{Cite book|和書|author=比嘉朝進|date=2005年(平成17年)|title=士族門中家譜|publisher=球陽出版|isbn=978-4990245702|ref=比嘉(2005)}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[殿内]]
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2024年6月15日 (土) 14:08時点における最新版

向氏 浦添殿内(しょううじ うらそえどぅんち)は、越来按司朝則(玉川御殿五世)を系祖とする琉球王国士族(首里士族)。王国末期に浦添間切(現・浦添市)の総地頭を務めた琉球王国の大名

系祖・朝則は、玉川御殿四世・読谷山按司朝宜の次男。朝則の娘・玉寄按司加那志は尚賢王妃となり、十一世朝慎の娘・聞得大君按司加那志も尚温王妃となった。十三世朝章、十四世朝昭はともに三司官を務めた。特に朝昭は王国最後の三司官首席として、琉球処分に苦慮しながらも、その引き継ぎ事務は処分官・松田道之も賛嘆せしめるほどの能吏であった。

系譜

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十四世・浦添親方朝昭
  • 五世・越来按司朝則
  • 六世・摩文仁王子朝信
  • 七世・摩文仁按司朝景
  • 八世・摩文仁按司朝寄
  • 九世・国頭親方朝斉 (沖縄三十六歌仙の一。)
  • 十世・国頭親方朝衛
  • 十一世・国頭親方朝慎
  • 十二世・国頭親方朝用
  • 十三世・国吉親方朝章
  • 十四世・浦添親方朝昭
  • 十五世・浦添朝京
  • 十六世・浦添朝宣
  • 十七世・浦添朝敏
  • 十八世・浦添健(現当主)

※『氏集』には、浦添殿内の記載が欠落している。系譜は『沖縄県姓氏家系大辞典』 に拠る。

参考文献

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  • 沖縄県氏姓家系大辞典 編纂委員会『沖縄県氏姓家系大辞典』角川書店、1992年(平成4年)。ISBN 978-4040024707 
  • 宮里朝光(監修)、那覇出版社(編集)『沖縄門中大事典』那覇出版社、1998年(平成10年)。ISBN 978-4890951017 
  • 比嘉朝進『士族門中家譜』球陽出版、2005年(平成17年)。ISBN 978-4990245702 

関連項目

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