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{{Infobox baseball player |
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|選手名 = 新垣 渚 |
| 選手名 = 新垣 渚 |
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| 選手写真ファイル名 = HAWKS18-ARAKAKI.jpg |
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|写真のコメント = 2012年5月23日、福岡Yahoo!JAPANドームにて |
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| 写真のコメント = [[福岡ソフトバンクホークス]]時代<br />(2012年5月23日 [[福岡ドーム|福岡Yahoo!JAPANドーム]]) |
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|出身地 = [[沖縄県]][[那覇市]] |
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| 出身地 = [[沖縄県]][[那覇市]] |
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|生年月日 = {{生年月日と年齢|1980|5|9}} |
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|身長 = 190 |
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|体重 = 83 |
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| 利き腕 = 右 |
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| 打席 = 右 |
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|守備位置 = [[投手]] |
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|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2002}} |
| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2002}} |
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|ドラフト順位 = 自由獲得枠 |
| ドラフト順位 = 自由獲得枠 |
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|初出場 = 2003年3月31日 |
| 初出場 = 2003年3月31日 |
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| 最終出場 = 2016年6月14日 |
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|年俸 = 3,300万円(2014年) |
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|経歴 = |
| 経歴 = |
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* [[沖縄県立沖縄水産高等学校]] |
* [[沖縄県立沖縄水産高等学校]] |
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* [[九州共立大学硬式野球部|九州共立大学]] |
* [[九州共立大学硬式野球部|九州共立大学]] |
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* [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス<br/>福岡ソフトバンクホークス]] (2003 - ) |
* [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス<br />福岡ソフトバンクホークス]] (2003 - 2014) |
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* [[東京ヤクルトスワローズ]] (2014 - 2016) |
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{{Infobox YouTube personality |
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'''新垣 渚'''(あらかき なぎさ、[[1980年]][[5月9日]] - )は、[[福岡ソフトバンクホークス]]に所属する[[プロ野球選手]]([[投手]])。 |
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| channel_display_name = 【ホークス公式 「非公認」】新垣渚アッツマンチャンネル |
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| years_active = [[2021年]][[1月19日]] - |
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'''新垣 渚'''(あらかき なぎさ、[[1980年]][[5月9日]] - )は、[[沖縄県]][[那覇市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]]、右投右打)、野球解説者、[[YouTuber]]。業務提携で[[ベンヌ (芸能プロダクション)|ベンヌ]]所属。 |
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== 経歴 == |
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=== プロ入り前 === |
=== プロ入り前 === |
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幼稚園時代は『[[キャプテン翼]]』の影響で[[サッカー]]をしていたが、小学2年生から兄の影響で野球を始めた。当初は同世代より一回り長身である体格を見込まれて捕手を任されていたが、相次ぐ脚の怪我により投手へ転向。小学校時代の[[交通事故]]で右足に[[人工骨]]を埋める手術を受けて以降、右脚を3回、左脚を1回骨折した。特に[[那覇市立真和志中学校]]時代はほぼ3年間金属製のプレートを外せず、まともに走れなかった。そのため中学3年で野球生活を終え兄も在籍した[[興南中学校・高等学校|興南高校]]に進学し、兄が主力選手だった同[[ボクシング]]部へ入部する段取りを進めていたが、自身の学年から[[金城真吉]]監督率いる同ボクシング部は[[沖縄尚学高等学校・附属中学校|沖縄尚学高校]]に移管したためにボクサー転向を断念、[[沖縄県立沖縄水産高等学校|沖縄水産高校]]へ進学して野球を続けた。 |
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父方の祖父がアメリカ出身のため、本人は[[クォーター]]である。[[SPEED]]のメンバー[[島袋寛子|島袋寛子]]とは幼馴染。 |
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{{by|1997年}}の[[第28回明治神宮野球大会]]決勝戦で[[横浜中学校・高等学校|横浜高校]]に敗れ準優勝。{{by|1998年}}は沖縄水産の主力投手として[[第70回選抜高等学校野球大会]]・[[第80回全国高等学校野球選手権大会]]出場を果たし[[松坂大輔]]と共に注目を集めた。全国大会史上初の151[[キロメートル毎時|km/h]]を記録したが、どちらも初戦敗退。特に全国選手権は[[大島裕行]]([[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高校]])に逆転本塁打を浴びた。直後の[[第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表]]選出され優勝に貢献。 |
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幼稚園時代は[[キャプテン翼]]の影響で[[サッカー]]をしていたが、小学2年生から兄の影響で野球を始めた。当初は同世代より一回り長身である体格を見込まれて捕手を任されていたが、相次ぐ脚の怪我により投手へ転向。 |
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小学校時代の[[交通事故]]で右足に人工骨を埋める手術を受けて以降、右脚を3回、左脚を1回骨折した。特に[[那覇市立真和志中学校]]時代はほぼ3年間金属製のプレートを外せず、まともに走れなかった。そのため中学3年で野球生活を終え兄も在籍した[[興南中学校・高等学校|興南高校]]入学し兄が主力選手だった同[[ボクシング]]部へ入部する段取りを進めていたが、自身の学年([[松坂世代]])から[[金城真吉]]監督率いる同ボクシング部は[[沖縄尚学高等学校・附属中学校|沖縄尚学高校]]に移管した為にボクサー転向を断念、[[沖縄県立沖縄水産高等学校|沖縄水産高校]]へ進学して野球を続けた。現在でもボクシングの試合を観戦している。 |
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{{by|1997年}}[[明治神宮野球大会]]決勝で[[松坂大輔]]([[横浜中学校・高等学校|横浜高校]])と初めて投げ合い惜敗。{{by|1998年}}は沖縄水産の主力投手として[[第70回選抜高等学校野球大会]]・[[第80回全国高等学校野球選手権大会]]出場を果たし松坂と共に注目を集めた。全国大会史上初の151km/hを記録したが、どちらも初戦敗退。特に夏季大会は[[大島裕行]]([[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高校]])に逆転本塁打を浴びた。直後の[[第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表]]選出され[[中村順司]]監督の期待に応え優勝に貢献。 |
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[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]では[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]と[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]が1位指名で競合。オリックスが交渉権を獲得したが、新垣は「ホークス以外なら進学」と決めており、新垣の実家を訪れたオリックス編成部長(スカウト)の[[三輪田勝利]]を門前払いするなど頑なに入団拒否の姿勢を見せ、交渉は難航した。その後、三輪田が自殺したことなどから大騒動となったが、新垣は入団拒否の姿勢を貫いて[[九州共立大学]]へ進学 |
同年の[[1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]では[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]と[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]が1位指名で競合。抽選の結果オリックスが交渉権を獲得したが、新垣は「ホークス以外なら進学」と決めており、新垣の実家を訪れたオリックス編成部長(スカウト)の[[三輪田勝利]]を門前払いするなど頑なに入団拒否の姿勢を見せ、交渉は難航した。その後、三輪田が自殺したことなどから大騒動となったが、新垣は入団拒否の姿勢を貫いて[[九州共立大学]]へ進学した([[新垣事件]])。ダイエーは外れ1位で前出の日本代表でもチームメイトの[[吉本亮 (内野手)|吉本亮]]([[九州学院中学校・高等学校|九州学院高校]])を獲得した。 |
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ホークスは外れ1位で前出の日本代表でもチームメイト[[吉本亮_(内野手)|吉本亮]]([[九州学院中学校・高等学校|九州学院高校]])を獲得した。 |
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九州共立大学では1年の秋 |
九州共立大学では1年の秋の[[第30回明治神宮野球大会]]で優勝するなど、大学球界を代表する右腕として活躍。2年と3年では[[日米大学野球選手権大会]]日本代表選出。福岡六大学リーグ戦通算39試合登板、23勝5敗、防御率1.03。4年生秋のリーグ戦は5勝無敗で最優秀選手とベストナインに選ばれた。 |
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[[2002年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2002年度ドラフト会議]]にて、[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]から自由獲得枠指名を受けて入団。 |
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=== プロ入り後 === |
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{{by|2003年}}は新人ながら先発ローテーションに定着し、4試合連続で2桁奪三振を記録するなど7月末までに8勝を挙げるが、8月に[[くるぶし]]を痛めて離脱。[[2003年の日本シリーズ]](対[[阪神タイガース]]戦)には中継ぎとして復帰した。同年オフの[[契約更改]]では新人ながら掲示金額を保留したことで話題となった。 |
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=== ダイエー・ソフトバンク時代 === |
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{{by|2004年}}は先発の軸としてチーム最多の11勝を挙げ、チームのレギュラーシーズン1位通過に貢献。177奪三振で[[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]を獲得した。「福岡ソフトバンクホークス」と名称変更の{{by|2005年}}には10勝で3年連続レギュラーシーズン[[最高勝率]]に貢献、{{by|2006年}}には自己最多の13勝を挙げて3年連続の2桁勝利を達成するが、同年[[9月29日]]に[[虫垂炎]]からの[[急性腸炎]]により入院、[[2006年のパシフィック・リーグプレーオフ]]第2ステージではベンチ入りしたが登板機会はなかった。 |
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'''{{by|2003年}}'''は新人ながら先発ローテーションに定着し、4試合連続で2桁奪三振を記録するなど7月末までに8勝を挙げるが、8月に[[踝]]を痛めて離脱。最終的に18試合で8勝7敗・防御率3.34の成績を残したが[[規定投球回]]には到達しなかった。離脱している間にチームは3年ぶりのリーグ優勝を決め[[阪神タイガース]]との[[2003年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では[[中継ぎ]]・[[リリーフ#抑え|抑え]]として復帰。第2戦は13点リードの9回に登板し無失点に抑え勝利に貢献。第4戦の登板では8回から登板し、延長10回も継投したが[[金本知憲]]にサヨナラ本塁打を打たれ敗戦投手となった<ref>{{Cite web|和書|url = http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore2003_4.html |title = 2003年度日本シリーズ 試合結果(第4戦) |publisher = [[日本野球機構]] |accessdate = 2016-05-28}}</ref>。結局日本シリーズはこの2試合の登板で終わったがチームは4年ぶりの日本一に輝いた。同年オフの[[契約更改]]では新人ながら掲示金額を保留したことで話題となった。 |
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'''{{by|2004年}}'''はチーム最多の11勝、9完投を記録し、チームのレギュラーシーズン1位通過に貢献。177奪三振で[[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]を獲得した<ref>『ベースボールマガジン 2004年プロ野球総決算号「激動」』ベースボールマガジン社出版 発行日2005年1月1日、39頁、雑誌07915-1。</ref>。[[2004年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]では第2ステージで2位の[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]と対戦。第1戦と第5戦に先発し、第1戦は7回1失点の好投で勝利投手となった。第5戦は同級生の松坂との投げ合いとなり5回まで無失点に抑えた。1点リードして迎えた6回に[[石井義人]]に逆転2点適時二塁打、[[野田浩輔]]に犠飛を打たれ3失点してしまう。その後は立ち直り9回まで投げ抜いてこの3失点に抑えた。新垣の気迫に応える形でチームは9回裏に同点に追いつき、新垣の負けは消えるも延長10回に勝ち越されチームはそのままリーグ連覇を逃した。 |
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{{by|2007年}}は[[ストレート|直球]]とスライダーを生かすために[[シュート (球種)|シュート]]を習得。[[オープン戦]]では好投したものの、シーズンに入ると多くの[[暴投]]を記録したため、スポーツ新聞や当時監督だった[[王貞治]]から「暴投王」と呼ばれた(後述)<ref> [http://www5.nikkansports.com/baseball/oh/39154.html nikkansports.com 「王語録」 2007年5月31日]</ref>。この年には、2013年の時点での[[NPB]]最高記録となる25暴投を記録した。 |
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'''{{by|2005年}}'''にはシーズン途中に肘や足首に痛みが生じ、思うような投球ができず6月に二軍へ降格。しかし9月には[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]を受賞する活躍を見せ、防御率4点台と安定感は欠いたが2年連続となる2桁勝利(10勝)を挙げた<ref name=oh>{{Cite book|和書|year=2005|title=応援ありがとう!2005福岡ソフトバンクホークス激闘の軌跡 |publisher=[[SBクリエイティブ|ソフトバンククリエイティブ]] |page=79|id=ISBN 4-7973-3331-6}}</ref>。 |
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'''{{by|2006年}}'''の4月にも月間MVPを受賞し、年を跨いでの2カ月連続受賞を果たした<ref>{{Cite journal |和書 |journal = [[月刊ホークス]] |publisher = 福岡ソフトバンクホークス |date = 2006-06 |page = 43}}</ref>。シーズン通算では自己最多の13勝を挙げて3年連続の2桁勝利を達成するが、同年[[9月29日]]に[[虫垂炎]]からの急性腸炎により入院、[[2006年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]第2ステージではベンチ入りしたが登板機会はなかった。 |
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{{by|2008年}}は[[スライダー (球種)#スラーブ|スラーブ]]の習得と、力まない「7割投法」を目標に掲げ<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/20080212/20080212_002.shtml 西日本スポーツ 2008年2月12日記事]</ref>調整したが暴投の多さは相変わらずで、8月20日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦ではプロ野球タイ記録の1イニング3暴投、プロ野球新記録となる1試合5暴投を記録する。8月28日の対オリックス・バファローズ戦でシーズン初勝利。しかしシーズン4勝は自己最低だった。 |
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'''{{by|2007年}}'''は[[直球]]とスライダーを生かすために[[シュート (球種)|シュート]]を習得。[[オープン戦]]では好投したものの、シーズンに入ると多くの[[暴投]]を記録したため、スポーツ新聞や当時監督だった[[王貞治]]から「暴投王」と呼ばれた<ref>{{Cite web|和書|date = 2007-05-31 |url = http://www5.nikkansports.com/baseball/oh/39154.html |title = 王語録 |publisher = [[日刊スポーツ新聞社]] |accessdate = 2016-10-10}}</ref>。 |
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{{by|2009年}}は4試合に登板したが、その後昇格すること無くくシーズンを終えた。同年12月30日、[[杉内俊哉]]の妻の妹と入籍した<ref>[http://mainichi.jp/enta/sports/news/20091225spn00m050018000c.html 毎日jp(毎日新聞) 2009年12月25日記事]</ref>。 |
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[[4月17日]]の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦([[宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]])での1試合4暴投でNPBタイ記録とすると、[[5月11日]]の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[千葉マリンスタジアム]])での2暴投で球団新記録のシーズン13暴投<ref group="注">それまでの球団記録は1961年の[[ジョー・スタンカ]]の12暴投。</ref>。[[6月6日]]の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦([[福岡ドーム]])ではパ・リーグタイ記録のシーズン17暴投<ref group="注">それまでには1990年の[[村田兆治]]、1996年の[[酒井弘樹]]が記録。</ref>パ・リーグ記録となる18暴投を記録。[[7月11日]]の楽天戦([[北九州市民球場]])で、NPBタイ記録のシーズン20暴投<ref group="注">それまでには1998年に[[石井一久]]が記録。</ref>。[[7月17日]]の[[北海道日本ハムファイターズ]]戦([[札幌ドーム]])で2暴投でNPB新記録の22暴投とすると、故障離脱するまで25暴投まで記録を伸ばした<ref>{{Cite web|和書|url = http://bis.npb.or.jp/history/ssp_wp.html |title = 歴代最高記録 暴投 |publisher = [[日本野球機構|日本プロ野球機構]] |accessdate = 2016-10-10}}</ref>。最終的に7勝10敗の成績で終え、[[規定投球回]]にも到達しなかった。 |
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'''{{by|2008年}}'''は[[スライダー (球種)#スラーブ|スラーブ]]の習得と、力まない「7割投法」を目標に掲げ<ref>{{Cite news |url=http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/20080212/20080212_002.shtml |title=新垣 道半ば “7割投法” 打者7人に3四球の乱調 |newspaper=西日本スポーツ |publisher=西日本新聞社 |date=2008-02-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080214123837/http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/20080212/20080212_002.shtml |archivedate=2008-02-14}}</ref>調整したが暴投の多さは相変わらずで、4月から先発ローテーション入りするも結果を残せず二軍落ちした。再昇格後の8月20日の西武戦ではプロ野球タイ記録の1イニング3暴投、プロ野球新記録となる1試合5暴投を記録する。8月28日のオリックス戦でシーズン初勝利を挙げた。しかし序盤の不調や二軍での調整が響き、登板数はわずか15試合で勝ち星も4勝に終わった。この2年間は[[福岡ソフトバンクホークス_(ファーム)|二軍]]降格の度にコーチ[[藤田学 (野球)|藤田学]]に徹底指導受けた。 |
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{{by|2010年}}は肩と腰の故障もあり、プロ入り後初の一軍出場無しに終わった。二軍でも3勝5敗と振るわなかった。翌{{by|2011年}}も一軍公式戦には出場できなかったが、同年11月に開催された[[2011年のアジアシリーズ]]では久々に主力メンバーに混じって登板。[[統一セブンイレブン・ライオンズ]]戦で5回無失点と好投し、勝利投手となった。 |
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'''{{by|2009年}}'''は序盤に4試合に登板したが結果を残せず二軍落ち。その後一軍へ昇格することがないままシーズンを終えた。12月30日、[[杉内俊哉]]の妻の妹と入籍<ref>{{Cite news |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/12/25/kiji/K20091225Z00001740.html |title=新垣 杉内と義兄弟に!夫人の妹・ゆいさんと結婚 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2009-12-25 |accessdate=2016-10-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161021003533/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/12/25/kiji/K20091225Z00001740.html |archivedate=2016年10月21日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。 |
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{{by|2012年}}は同学年の[[和田毅]]と杉内、[[D.J.ホールトン]]がチームを去り再び先発ローテーション入りし、4月1日のオリックス戦に約3年振りの一軍のマウンドで先発。2008年10月6日以来1273日ぶりの勝利を1失点無四球完投で飾った<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20120401/haw12040121520004-n1.html サンケイスポーツ 2012年4月1日記事]</ref>。しかし序盤以降は不安定な投球が多くなり、6勝を挙げたものの暴投はまたしてもリーグワースト数を記録してしまった。契約更改では、700万円増の4200万円で更改した。 |
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{{by| |
'''{{by|2010年}}'''はチームが7年ぶりにリーグ優勝したが肩と腰の故障もあり、プロ入り後初の一軍出場なしに終わった。二軍でも3勝5敗と振るわなかった。 |
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'''{{by|2011年}}'''も一軍公式戦には出場できなかったが11月に開催された[[2011年のアジアシリーズ|アジアシリーズ]]では久々に主力メンバーに混じって登板。[[統一セブンイレブン・ライオンズ]]戦で5回無失点と好投し、勝利投手となった。 |
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'''{{by|2012年}}'''は同学年の[[和田毅]]と杉内、[[D.J.ホールトン]]がチームを去り再び先発ローテーション入りし、4月1日のオリックス戦に約3年振りの一軍のマウンドで先発し、2008年10月6日以来1273日ぶりの勝利を1失点無四球完投で飾った<ref>{{Cite news |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120401/haw12040121520004-n1.html |title=鷹・新垣3年半ぶり復活星!秋山監督も大絶賛 |newspaper=SANSPO.COM |publisher=産経デジタル |date=2012-04-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120409145323/http://www.sanspo.com/baseball/news/20120401/haw12040121520004-n1.html |archivedate=2012-04-09}}</ref>。しかし序盤以降は不安定な投球が多くなり、途中で二軍落ちとなった。最終的に15試合に登板し、6勝を挙げたものの暴投はまたしてもリーグワースト数を記録してしまった。契約更改では、700万円増の4200万円で更改した。 |
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'''{{by|2013年}}'''はわずか5試合の登板にとどまり、1勝1敗・防御率5.56、13奪三振と振るわなかった。 |
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'''{{by|2014年}}'''は開幕から一軍登板がなく、[[7月20日]]に[[山中浩史]]と共に、[[川島慶三]]、[[日高亮]]との交換トレードで[[東京ヤクルトスワローズ]]へ移籍<ref>{{Cite press release|和書|title = 東京ヤクルトスワローズとの複数交換トレードについて |publisher = 福岡ソフトバンクホークス |date = 2014-07-20 |url = http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/11099.html |accessdate=2016-10-10}}</ref>。この通達を知った時、新垣は「なんで俺が…」と悔し涙を流し、「FAを取得して絶対ホークスに戻ってやる」とホークスに対する熱い想いを語った。背番号は日高が付けていた'''45'''となった。 |
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=== ヤクルト時代 === |
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[[8月9日]]の[[横浜DeNAベイスターズ]]戦([[横浜スタジアム]])で昨年8月27日以来、移籍後初登板で先発も、初回に先頭打者に四球、暴投などもあり2点を取られるなど、4イニングを投げ5安打3四死球5奪三振4失点の内容で敗戦投手となった<ref>{{Cite web|和書|date = 2014-08-09 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/09/kiji/K20140809008716690.html |title = 新垣 ヤクルト移籍初登板は4回4失点、3連続三振の見せ場も |publisher = スポーツニッポン |accessdate = 2016-10-10}}</ref>。続く[[8月16日]]の[[中日ドラゴンズ]]戦([[ナゴヤドーム]])でも3イニングを投げ、7安打4失点の内容で敗戦投手となったが、この試合でセ・リーグタイ記録の1試合4暴投を記録。1試合4暴投以上をセ・パ両リーグで記録したのと、3度記録したのはそれぞれ史上初である<ref>{{Cite web|和書|date = 2014-08-17 |url = https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/17/kiji/K20140817008757830.html |title = ヤク新垣 大荒れ2軍降格 セタイ1試合4暴投 |publisher = スポーツニッポン |accessdate = 2016-10-10}}</ref>。この年はわずか3試合の登板に留まり未勝利で終わった。オフには自らの希望で背番号を66に変更<ref>{{Cite web|和書|date=2015-02-21 |url=https://www.daily.co.jp/opinion-d/2015/02/21/0007756310.shtml?pg=3 |title=燕・新垣の新背番号『66』に込めた思い |accessdate=2016-3-17 |publisher=デイリースポーツ }}</ref>。 |
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'''{{by|2015年}}'''[[4月9日]]に一軍登録され、中日戦([[明治神宮野球場|神宮球場]])で先発を務め、5イニングを投げ8安打2失点で降板、直後の5回裏に味方が3点を入れ逆転しそのまま勝利したため、ソフトバンク時代の2013年8月20日以来約2年ぶり、かつセ・リーグ移籍後初勝利を挙げる<ref>{{Cite web|和書|date= 2015-04-09 |url=https://www.sanspo.com/article/20150409-QLRPFBXU2JOMVKJ57UYWOLKI6I/ |title=ヤクルト・新垣が5回2失点 移籍後うれしい初勝利! |accessdate=2015-4-9 |publisher=[[サンケイスポーツ]] }}</ref><ref>{{Cite web|和書|date= 2015-04-09 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/04/09/kiji/K20150409010141250.html |title=ヤクルト逆転!今季初先発の新垣が2年ぶり白星 |accessdate=2015-4-9 |publisher=[[スポーツニッポン]] }}</ref>。その後も先発で度々好投を見せるも勝ち星に恵まれず、8月8日の中日戦では4回4失点でシーズン10敗目を喫すると<ref>{{Cite web|和書|date= 2015-08-08 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1520081.html |title=ヤクルト新垣4回4失点リーグワーストタイ10敗目 |accessdate=2016-3-17 |publisher=日刊スポーツ }}</ref>、翌日9日に一軍登録を抹消された<ref>{{Cite web|和書|date= 2015-08-09 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1520421.html |title=ヤクルト 木谷を1軍登録、新垣を抹消 |accessdate=2016-3-17 |publisher=日刊スポーツ }}</ref>。この年は15試合で3勝10敗・防御率4.64と結果を残すことができず、チームは14年ぶりにリーグ優勝をして[[2015年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CS]]も制して[[2015年の日本シリーズ|日本シリーズ]]に進出し、対戦相手は古巣のソフトバンクだったがポストシーズンでの出番はなかった。 |
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'''{{by|2016年}}'''[[5月10日]]の[[広島東洋カープ]]戦で通算1000奪三振<ref name="sponichi20160511">{{Cite web|和書|date= 2016-05-11 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/05/11/kiji/K20160511012564280.html |title=通算1000Kも新垣2発被弾 100暴投へ残り「1」 |accessdate=2016-5-11 |publisher=スポーツニッポン }}</ref>、[[5月17日|同月17日]]の同カード([[MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島|マツダ]])4回裏1死3塁でNPB史上3人目の通算100暴投を記録<ref name="nikkansports">{{Cite web|和書|date=2016-05-17 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1648880.html |title=ヤクルト新垣100暴投「独り相撲」5回7失点反省 |accessdate=2016-5-28 |publisher=日刊スポーツ }}</ref>。最終成績は6試合の登板で1勝2敗・防御率6.67とまたしても不本意な成績で終わった。[[10月1日]]に球団から[[戦力外通告]]を受けた<ref>{{Cite web|和書|date=2016-10-01 |url=http://www.yakult-swallows.co.jp/news/detail/20017 |title=戦力外通告について |publisher=東京ヤクルトスワローズ公式サイト |accessdate=2016-10-01}}</ref>が、[[NPB]]他球団での現役続行を希望していたため、[[11月12日]]には[[12球団合同トライアウト]](甲子園)に参加。[[打撃 (野球)#練習方法|シートバッティング]]形式で対戦した打者3人を、すべて凡退させた<ref>{{Citenews|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.html|title=65人が参加/12球団合同トライアウト詳細|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-11-12|accessdate=2016-11-13}}</ref>。トライアウト後には複数の[[独立リーグ]]球団から入団を打診されたが、本来の希望であるNPB他球団から獲得のオファーを受けるまでには至らず、同月末に現役からの引退を決断した<ref>{{Citenews|url=http://digital.asahi.com/articles/ASJCY34N7JCYUTQP002.html|title=「松坂世代」ヤクルトの新垣渚が現役引退|newspaper=朝日新聞|date=2016-11-29|accessdate=2016-11-29}}</ref>。12月2日付で、NPBから[[自由契約選手]]として公示<ref>{{Cite web|和書|date=2016-12-02 |url=http://npb.jp/announcement/2016/pn_released.html |title=自由契約選手|2016年度公示 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |accessdate=2016-12-03}}</ref>。 |
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=== 現役引退後 === |
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{{by|2017年}}からは、古巣のソフトバンク球団に職員として復帰。野球振興部員として、野球教室の指導・運営などに携わる<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20170130/haw17013015050002-n1.html 新垣氏が古巣復帰、ソフトバンクで子どもたち指導] -[[日刊スポーツ]](2016年12月21日). 2016年12月23日閲覧。</ref><ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20170130/haw17013015050002-n1.html 元ヤクルト・新垣氏がソフトバンク職員に 野球振興部に入社] -[[サンケイスポーツ]](2017年1月30日). 2017年2月10日閲覧。</ref>。同年7月に福岡ソフトバンクホークスジュニアチームの監督に就任した<ref>{{Cite web|和書|date=2016-7-25|url=https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/345544/|title=ホークスJr.渚監督始動 「目指すは日本一」|publisher=[[西日本新聞|西日本スポーツ]]|accessdate=2017-09-29}}</ref> 。 |
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{{by|2018年}}9月8日に[[福岡ドーム|福岡 ヤフオク!ドーム]]で行なわれた、ホークス対バファローズ戦の[[始球式|セレモニアルピッチ]]にホークスファン(と同時に新垣のファン)である[[声優]]・[[内田真礼]]が登場した際、捕手を務めた<ref>{{Cite news |
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| title = 声優・内田真礼、ガチ鷹ファンぶり披露 セレモニアルピッチ後の囲み取材に興奮 |
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| agency = [[西日本スポーツ]] |
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| date = 2018-09-08 |
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| url = https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/447991/}}</ref><ref>内田は、祖父と見ていた野球中継での新垣のプレーに魅了されたことがきっかけになってホークスファンになった{{Cite web|和書|date=2017-01-16 |url=https://nizista.com/views/article2?id=bc937d70d98d11e68340a9f55f46c50f |title=「蘭子ってこんなに多くの人に愛されているんだな」内田真礼インタビュー |accessdate=2020-07-26}}</ref>。 |
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== プレースタイル == |
== プレースタイル == |
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長身で投げ下ろすゆったりとした[[スリークォーター]]から投げる平均球速約147km/h<ref name="spd"> |
長身で投げ下ろすゆったりとした[[スリークォーター]]から投げる平均球速約147km/h<ref name="spd">{{Cite journal |和書 |journal = 週刊プロ野球データファイル |issue=55 |publisher = [[ベースボール・マガジン社]] |page=10 |id = 雑誌27204-5/16・23}}</ref>、最速156km/h(プロ入り後の最速は155km/h)の[[速球|ストレート]]と[[スライダー (球種)#縦スライダー|スライダー]]、[[フォークボール|フォーク]]を武器とし、通算の奪三振率8.85と奪三振が多い。他に[[ツーシーム・ファストボール]]、[[カット・ファストボール|カットボール]]、[[カーブ (球種)|カーブ]]も投げ分ける<ref name="spd" />。 |
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特に縦のスライダーのキレは球界随一とされ、'''バニッシュボール(vanish=消える) |
特に縦のスライダーのキレは球界随一とされ、'''バニッシュボール'''(vanish=消える)とも称された<ref>{{Cite news |url=http://news.ameba.jp/2007/06/5208.php |title=世界の王もビックリ!? ソフトバンク新垣の快記録 |newspaper=アメーバニュース |publisher=サイバーエージェント |date=2007-06-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070617224542/http://news.ameba.jp/2007/06/5208.php |archivedate=2007-06-17}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |journal = [[週刊ベースボール]] |date = 2004-06-07 |publisher = ベースボール・マガジン社 |pages = {{要ページ番号|date=2016年10月}} }}</ref>。[[2010年]][[5月15日]]の『[[すぽると!]]』のプロ野球選手100人が選ぶスライダーNo.1投手では4位に選ばれ<ref name="spd" />、[[山﨑武司]]は「今まで対戦してきた中で最高のスライダーを投げる投手。彼(新垣)は強引にスライダーを曲げてくるので暴投が多いが、決められれば[[伊藤智仁]]や[[斎藤雅樹]]より凄いスライダーを投げる。潜在能力を全て出し切れていない」と語っている<ref>{{Cite journal |和書 |title = オレが驚いた魔球たち 日本プロ野球編 |journal = [[Sportiva]] |date = 2008-07 |publisher = [[集英社]] |page=55 |id= 雑誌15515-07}}</ref>。 |
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ソフトバンク時代の2007年には、一軍公式戦でのシーズン通算暴投数がNPB新記録の25に達するなど、制球に苦しんだ。スポーツライターの[[永谷脩]]は、その一因として、[[シュート (球種)|シュート]]を習得したことを挙げている<ref>{{Cite web|和書|author=[[永谷脩]] | date= 2012-06-15 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20120615_118680.html?DETAIL |title = 軟投派に変身のSB新垣 「球速表示一切見ないようにしてる」|work=[[NEWSポストセブン]] |publisher = 小学館 |accessdate=2016-10-10}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=|year=2008|title=野球小僧 世界野球選手名鑑2008|publisher=[[白夜書房]]|page=102|isbn=978-4-86191-374-7}}</ref>。3年ぶりに一軍公式戦への登板を果たした2012年からは、平均球速を約144km/hにまで抑える<ref>{{Cite journal |和書 |title = 数字で探す 漢の中の漢、真の剛腕は誰だ |journal = 週刊ベースボール |year=2012 |issue=29 |publisher = ベースボール・マガジン社 |page=30 |id=雑誌20441-7/2}}</ref>など、打たせて取る投球スタイルに改めた<ref name="spd" />。新垣自身も、「テーマは脱力。少ない球数で打たせて取る投球が、自分の新しいスタイルです」と語っていた。 |
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== 人物 == |
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3年ぶりの一軍登板を果たした2012年からは平均球速約144km/hと球速を抑え<ref>数字で探す 漢の中の漢、真の剛腕は誰だ『週刊ベースボール』2012年29号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-7/2、30頁。</ref>、「テーマは脱力。少ない球数で打たせて取る投球が、自分の新しいスタイルです」と、球速のこだわりや変化の大きい縦のスライダーから脱却し、打たせて取る投球スタイルにモデルチェンジした<ref name="spd"></ref>。 |
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父方の祖父が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]出身のため、本人は[[混血|クォーター]]である。 |
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渾名・キャッチフレーズは「なんくる渚」。「なんくる」とは出身地である[[沖縄方言|沖縄の方言]]で「自然に」という意味で、慣用句である「[[ウチナーヤマトグチ# |
渾名・キャッチフレーズは「なんくる渚」。「なんくる」とは出身地である[[沖縄方言|沖縄の方言]]で「自然に」という意味で、慣用句である「[[ウチナーヤマトグチ#特徴|なんくるないさ]]」に掛けたもの{{要出典|date=2016年10月}}。 |
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== 詳細情報 == |
== 詳細情報 == |
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72行目: | 136行目: | ||
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|style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |
|style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |
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|style="text-align:center; white-space:nowrap;" rowspan="9"|[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー<br/>ソフトバンク]] |
|style="text-align:center; white-space:nowrap;" rowspan="9"|[[福岡ソフトバンクホークス| ダイエー<br/>ソフトバンク]] |
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|18||18||8||1||'''1'''||8||7||0||--||.533||505||121.1||110||10||30||0||6||132||5||0||52||45||3.34||1.15 |
|18||18||8||1||'''1'''||8||7||0||--||.533||505||121.1||110||10||30||0||6||132||5||0||52||45||3.34||1.15 |
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|5||5||0||0||0||1||1||0||0||.500||106||22.2||28||7||12||0||2||13||1||0||14||14||5.56||1.76 |
|5||5||0||0||0||1||1||0||0||.500||106||22.2||28||7||12||0||2||13||1||0||14||14||5.56||1.76 |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2014}} |
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!colspan="2"|通算:9年 |
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|style="text-align:center; white-space:nowrap;" rowspan="3"|[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]] |
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|148||147||28||8||4||60||50||0||0||.545||4081||956.1||903||77||353||1||50||911||82||3||450||406||3.82||1.31 |
|||
|3||2||0||0||0||0||2||0||0||.000||44||8.0||14||0||5||0||2||6||6||0||8||7||7.88||2.38 |
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|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2015}} |
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|15||15||0||0||0||3||10||0||0||.231||367||83.1||89||13||36||1||2||70||'''9'''||0||48||43||4.64||1.50 |
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|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2016}} |
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|6||6||0||0||0||1||2||0||0||.333||136||29.2||33||4||15||0||2||23||4||0||22||22||6.67||1.62 |
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|- |
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!colspan="2"|通算:12年 |
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|172||170||28||8||4||64||64||0||0||.500||4628||1077.1||1039||94||409||2||56||1010||101||3||528||478||3.99||1.34 |
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|} |
|} |
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* 2013年度シーズン終了時 |
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* 各年度の'''太字'''はそのシーズンにおけるリーグ最高、{{Color|red|'''赤太字'''}}はNPBにおける歴代最高。 |
* 各年度の'''太字'''はそのシーズンにおけるリーグ最高、{{Color|red|'''赤太字'''}}はNPBにおける歴代最高。 |
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* ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更。 |
* ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更。 |
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=== 表彰 === |
=== 表彰 === |
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* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:4回 (2003年7月、2004年7月、2005年9月、2006年4月) |
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:4回 (2003年7月、2004年7月、2005年9月、2006年4月) ※4シーズン連続受賞はパ・リーグの投手としては史上初 |
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* [[JA全農Go・Go賞]] |
* [[JA全農Go・Go賞]]:1回 (最多奪三振賞:2007年5月) |
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=== 記録 === |
=== 記録 === |
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; 投手記録 |
; 投手記録 |
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* 初登板・初先発:2003年3月31日、対[[大阪近鉄バファローズ]]1回戦([[大阪ドーム]])、5回2/3を5失点で敗戦投手 |
* 初登板・初先発登板:2003年3月31日、対[[大阪近鉄バファローズ]]1回戦([[大阪ドーム]])、5回2/3を5失点で敗戦投手 |
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* 初奪三振:同上、3回裏に[[タフィ・ローズ]]から空振り三振 |
* 初奪三振:同上、3回裏に[[タフィ・ローズ]]から空振り三振 |
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* 初勝利・初完投勝利:2003年4月15日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]5回戦([[千葉マリンスタジアム]])、9回1失点 |
* 初勝利・初完投勝利:2003年4月15日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]5回戦([[千葉マリンスタジアム]])、9回1失点 |
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122行目: | 195行目: | ||
* 初打点:2006年5月30日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]4回戦([[静岡県草薙総合運動場硬式野球場|草薙球場]])、2回表に[[高宮和也]]から三塁ゴロ野手選択の間に記録 |
* 初打点:2006年5月30日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]4回戦([[静岡県草薙総合運動場硬式野球場|草薙球場]])、2回表に[[高宮和也]]から三塁ゴロ野手選択の間に記録 |
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* 初安打:2007年6月19日、対横浜ベイスターズ3回戦([[横浜スタジアム]])、3回表に[[吉見祐治]]から右中間二塁打 |
* 初安打:2007年6月19日、対横浜ベイスターズ3回戦([[横浜スタジアム]])、3回表に[[吉見祐治]]から右中間二塁打 |
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; 節目の記録 |
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* 1000奪三振:2016年5月10日、対[[広島東洋カープ]]6回戦([[明治神宮野球場]])、2回表に[[新井貴浩]]から見逃し三振 ※史上144人目<ref name="sponichi20160511" /> |
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* 100暴投:2016年5月17日、([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]) ※史上3人目<ref name="nikkansports" /> |
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; その他の記録 |
; その他の記録 |
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* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回 (2004年) |
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回 (2004年) |
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; 暴投に関する記録 |
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* シーズン暴投:25、2007年 ※NPB記録 |
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* 1イニング暴投:3、2008年8月20日、対[[埼玉西武ライオンズ]]18回戦([[西武ドーム]]) ※NPBタイ記録(史上10人目) |
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新垣は2007年にシーズン25暴投を記録したほか、2008年には1試合5暴投・1イニング3暴投を記録するなど、暴投に関する記録が残されている。以下、新垣の暴投に関する主な記録。 |
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* 1試合暴投 |
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* シーズン25暴投(日本記録):2007年 |
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* |
** 5、2008年8月20日、対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム) ※NPBおよびパ・リーグ記録 |
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** 4、2007年4月17日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦 ※当時のNPBタイ記録 |
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* 1イニング3暴投(日本タイ記録):同上、4回裏 |
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** 4、2014年8月16日、対[[中日ドラゴンズ]]戦([[ナゴヤドーム]])※セ・リーグタイ記録<ref>{{Cite web|和書|date=2014-08-16 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140816-1351877.html |title=ヤクルト新垣1試合4暴投 2軍降格へ |accessdate=2016-5-28 |publisher=日刊スポーツ }}</ref> |
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***両リーグで4暴投以上を記録したのと、4暴投以上を3度記録したのは史上初 |
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その他、2007年シーズンでの暴投の記録は以下の通りである。 |
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* [[4月17日]]の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦([[宮城球場]])、プロ野球タイ(当時)の1試合4暴投。 |
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* [[5月11日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[千葉マリンスタジアム]])、この試合で2暴投し、1961年に[[ジョー・スタンカ]]が記録した12暴投を上回る13暴投の球団記録。 |
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* [[6月6日]]の対[[横浜ベイスターズ]]戦([[福岡ドーム]])で17暴投となり、[[村田兆治]](1990年)、[[酒井弘樹]](1996年)に並ぶパ・リーグ記録。 |
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* [[7月11日]]の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦([[北九州市民球場]])で、1998年に[[石井一久]]が記録したプロ野球記録の20暴投に並ぶ。 |
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* [[7月17日]]の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦([[札幌ドーム]])で2暴投し、シーズン最多暴投のプロ野球記録を更新。 |
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その後、新垣自身の故障離脱はあったものの、最終的にこの年は25暴投まで伸びた<ref>[http://bis.npb.or.jp/history/ssp_wp.html 日本プロ野球機構オフィシャルサイト 歴代最高記録 暴投]</ref>。 |
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=== 背番号 === |
=== 背番号 === |
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* '''18''' (2003年 - ) |
* '''18''' (2003年 - 2014年7月21日) |
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* '''45''' (2014年7月22日 - 同年終了) |
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* '''66''' (2015年 - 2016年) |
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=== 登場曲 === |
=== 登場曲 === |
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* [[BEGIN (バンド)|BEGIN]]「島人ぬ宝」 |
* [[BEGIN (バンド)|BEGIN]]「[[島人ぬ宝]]」 |
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* [[Def Tech]]「Golden Age」 |
* [[Def Tech]]「Golden Age」 |
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155行目: | 226行目: | ||
* [[フタタ]] 『プライス真っ二つ編』 |
* [[フタタ]] 『プライス真っ二つ編』 |
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* 四季工房『ベストを尽くす編』 『子供の頃から編』 |
* 四季工房『ベストを尽くす編』 『子供の頃から編』 |
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=== 出演 === |
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; テレビ番組 |
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* Fan!Fun!スポーツ→[[ファンスポ]](コメンテーター・隔週、2023年1月21日 - ) |
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=== スピッツ === |
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[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]の[[ボーカル]][[草野マサムネ]]が、[[2021年]][[4月25日]]に[[OA]]された自身の[[ラジオ番組]]「[[SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記|ロック大陸漫遊記]]」において、スピッツ3作目のスペシャルアルバム「[[おるたな]]」収録の「[[君は太陽|オケラ]]」にある歌詞 |
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'''''”エグすぎるスライダー 打ち返す”''''' を当時ホークスの新垣渚投手と[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]の[[中村剛也|中村剛也野手]]を[[モチーフ]]にしてると言及した。<ref>{{Cite web|和書|title=SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記 {{!}} TOKYO FM 80.0MHz|url=https://www.tfm.co.jp/manyuki/|website=SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記 {{!}} TOKYO FM 80.0MHz|accessdate=2021-04-25|language=ja}}</ref> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[三輪田勝利]] |
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* [[沖縄県出身の人物一覧]] |
* [[沖縄県出身の人物一覧]] |
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* [[九州共立大学の人物一覧]] |
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2024年4月1日 (月) 11:31時点における最新版
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基本情報 | |
---|---|
国籍 |
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出身地 | 沖縄県那覇市 |
生年月日 | 1980年5月9日(44歳) |
身長 体重 |
190 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 自由獲得枠 |
初出場 | 2003年3月31日 |
最終出場 | 2016年6月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
YouTube | |
---|---|
チャンネル | |
活動期間 | 2021年1月19日 - |
ジャンル | 野球、エンターテインメント |
登録者数 | 2200人 |
総再生回数 | 74,463回 |
事務所(MCN) |
Acrobats株式会社 株式会社ラップ |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2021年9月9日時点。 |
新垣 渚(あらかき なぎさ、1980年5月9日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、YouTuber。業務提携でベンヌ所属。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]幼稚園時代は『キャプテン翼』の影響でサッカーをしていたが、小学2年生から兄の影響で野球を始めた。当初は同世代より一回り長身である体格を見込まれて捕手を任されていたが、相次ぐ脚の怪我により投手へ転向。小学校時代の交通事故で右足に人工骨を埋める手術を受けて以降、右脚を3回、左脚を1回骨折した。特に那覇市立真和志中学校時代はほぼ3年間金属製のプレートを外せず、まともに走れなかった。そのため中学3年で野球生活を終え兄も在籍した興南高校に進学し、兄が主力選手だった同ボクシング部へ入部する段取りを進めていたが、自身の学年から金城真吉監督率いる同ボクシング部は沖縄尚学高校に移管したためにボクサー転向を断念、沖縄水産高校へ進学して野球を続けた。
1997年の第28回明治神宮野球大会決勝戦で横浜高校に敗れ準優勝。1998年は沖縄水産の主力投手として第70回選抜高等学校野球大会・第80回全国高等学校野球選手権大会出場を果たし松坂大輔と共に注目を集めた。全国大会史上初の151km/hを記録したが、どちらも初戦敗退。特に全国選手権は大島裕行(埼玉栄高校)に逆転本塁打を浴びた。直後の第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表選出され優勝に貢献。
同年のドラフト会議ではオリックス・ブルーウェーブと福岡ダイエーホークスが1位指名で競合。抽選の結果オリックスが交渉権を獲得したが、新垣は「ホークス以外なら進学」と決めており、新垣の実家を訪れたオリックス編成部長(スカウト)の三輪田勝利を門前払いするなど頑なに入団拒否の姿勢を見せ、交渉は難航した。その後、三輪田が自殺したことなどから大騒動となったが、新垣は入団拒否の姿勢を貫いて九州共立大学へ進学した(新垣事件)。ダイエーは外れ1位で前出の日本代表でもチームメイトの吉本亮(九州学院高校)を獲得した。
九州共立大学では1年の秋の第30回明治神宮野球大会で優勝するなど、大学球界を代表する右腕として活躍。2年と3年では日米大学野球選手権大会日本代表選出。福岡六大学リーグ戦通算39試合登板、23勝5敗、防御率1.03。4年生秋のリーグ戦は5勝無敗で最優秀選手とベストナインに選ばれた。
2002年度ドラフト会議にて、福岡ダイエーホークスから自由獲得枠指名を受けて入団。
ダイエー・ソフトバンク時代
[編集]2003年は新人ながら先発ローテーションに定着し、4試合連続で2桁奪三振を記録するなど7月末までに8勝を挙げるが、8月に踝を痛めて離脱。最終的に18試合で8勝7敗・防御率3.34の成績を残したが規定投球回には到達しなかった。離脱している間にチームは3年ぶりのリーグ優勝を決め阪神タイガースとの日本シリーズでは中継ぎ・抑えとして復帰。第2戦は13点リードの9回に登板し無失点に抑え勝利に貢献。第4戦の登板では8回から登板し、延長10回も継投したが金本知憲にサヨナラ本塁打を打たれ敗戦投手となった[1]。結局日本シリーズはこの2試合の登板で終わったがチームは4年ぶりの日本一に輝いた。同年オフの契約更改では新人ながら掲示金額を保留したことで話題となった。
2004年はチーム最多の11勝、9完投を記録し、チームのレギュラーシーズン1位通過に貢献。177奪三振で最多奪三振を獲得した[2]。プレーオフでは第2ステージで2位の西武ライオンズと対戦。第1戦と第5戦に先発し、第1戦は7回1失点の好投で勝利投手となった。第5戦は同級生の松坂との投げ合いとなり5回まで無失点に抑えた。1点リードして迎えた6回に石井義人に逆転2点適時二塁打、野田浩輔に犠飛を打たれ3失点してしまう。その後は立ち直り9回まで投げ抜いてこの3失点に抑えた。新垣の気迫に応える形でチームは9回裏に同点に追いつき、新垣の負けは消えるも延長10回に勝ち越されチームはそのままリーグ連覇を逃した。
2005年にはシーズン途中に肘や足首に痛みが生じ、思うような投球ができず6月に二軍へ降格。しかし9月には月間MVPを受賞する活躍を見せ、防御率4点台と安定感は欠いたが2年連続となる2桁勝利(10勝)を挙げた[3]。
2006年の4月にも月間MVPを受賞し、年を跨いでの2カ月連続受賞を果たした[4]。シーズン通算では自己最多の13勝を挙げて3年連続の2桁勝利を達成するが、同年9月29日に虫垂炎からの急性腸炎により入院、プレーオフ第2ステージではベンチ入りしたが登板機会はなかった。
2007年は直球とスライダーを生かすためにシュートを習得。オープン戦では好投したものの、シーズンに入ると多くの暴投を記録したため、スポーツ新聞や当時監督だった王貞治から「暴投王」と呼ばれた[5]。 4月17日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(フルキャストスタジアム宮城)での1試合4暴投でNPBタイ記録とすると、5月11日の千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)での2暴投で球団新記録のシーズン13暴投[注 1]。6月6日の横浜ベイスターズ戦(福岡ドーム)ではパ・リーグタイ記録のシーズン17暴投[注 2]パ・リーグ記録となる18暴投を記録。7月11日の楽天戦(北九州市民球場)で、NPBタイ記録のシーズン20暴投[注 3]。7月17日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で2暴投でNPB新記録の22暴投とすると、故障離脱するまで25暴投まで記録を伸ばした[6]。最終的に7勝10敗の成績で終え、規定投球回にも到達しなかった。
2008年はスラーブの習得と、力まない「7割投法」を目標に掲げ[7]調整したが暴投の多さは相変わらずで、4月から先発ローテーション入りするも結果を残せず二軍落ちした。再昇格後の8月20日の西武戦ではプロ野球タイ記録の1イニング3暴投、プロ野球新記録となる1試合5暴投を記録する。8月28日のオリックス戦でシーズン初勝利を挙げた。しかし序盤の不調や二軍での調整が響き、登板数はわずか15試合で勝ち星も4勝に終わった。この2年間は二軍降格の度にコーチ藤田学に徹底指導受けた。
2009年は序盤に4試合に登板したが結果を残せず二軍落ち。その後一軍へ昇格することがないままシーズンを終えた。12月30日、杉内俊哉の妻の妹と入籍[8]。
2010年はチームが7年ぶりにリーグ優勝したが肩と腰の故障もあり、プロ入り後初の一軍出場なしに終わった。二軍でも3勝5敗と振るわなかった。
2011年も一軍公式戦には出場できなかったが11月に開催されたアジアシリーズでは久々に主力メンバーに混じって登板。統一セブンイレブン・ライオンズ戦で5回無失点と好投し、勝利投手となった。
2012年は同学年の和田毅と杉内、D.J.ホールトンがチームを去り再び先発ローテーション入りし、4月1日のオリックス戦に約3年振りの一軍のマウンドで先発し、2008年10月6日以来1273日ぶりの勝利を1失点無四球完投で飾った[9]。しかし序盤以降は不安定な投球が多くなり、途中で二軍落ちとなった。最終的に15試合に登板し、6勝を挙げたものの暴投はまたしてもリーグワースト数を記録してしまった。契約更改では、700万円増の4200万円で更改した。
2013年はわずか5試合の登板にとどまり、1勝1敗・防御率5.56、13奪三振と振るわなかった。
2014年は開幕から一軍登板がなく、7月20日に山中浩史と共に、川島慶三、日高亮との交換トレードで東京ヤクルトスワローズへ移籍[10]。この通達を知った時、新垣は「なんで俺が…」と悔し涙を流し、「FAを取得して絶対ホークスに戻ってやる」とホークスに対する熱い想いを語った。背番号は日高が付けていた45となった。
ヤクルト時代
[編集]8月9日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で昨年8月27日以来、移籍後初登板で先発も、初回に先頭打者に四球、暴投などもあり2点を取られるなど、4イニングを投げ5安打3四死球5奪三振4失点の内容で敗戦投手となった[11]。続く8月16日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)でも3イニングを投げ、7安打4失点の内容で敗戦投手となったが、この試合でセ・リーグタイ記録の1試合4暴投を記録。1試合4暴投以上をセ・パ両リーグで記録したのと、3度記録したのはそれぞれ史上初である[12]。この年はわずか3試合の登板に留まり未勝利で終わった。オフには自らの希望で背番号を66に変更[13]。
2015年4月9日に一軍登録され、中日戦(神宮球場)で先発を務め、5イニングを投げ8安打2失点で降板、直後の5回裏に味方が3点を入れ逆転しそのまま勝利したため、ソフトバンク時代の2013年8月20日以来約2年ぶり、かつセ・リーグ移籍後初勝利を挙げる[14][15]。その後も先発で度々好投を見せるも勝ち星に恵まれず、8月8日の中日戦では4回4失点でシーズン10敗目を喫すると[16]、翌日9日に一軍登録を抹消された[17]。この年は15試合で3勝10敗・防御率4.64と結果を残すことができず、チームは14年ぶりにリーグ優勝をしてCSも制して日本シリーズに進出し、対戦相手は古巣のソフトバンクだったがポストシーズンでの出番はなかった。
2016年5月10日の広島東洋カープ戦で通算1000奪三振[18]、同月17日の同カード(マツダ)4回裏1死3塁でNPB史上3人目の通算100暴投を記録[19]。最終成績は6試合の登板で1勝2敗・防御率6.67とまたしても不本意な成績で終わった。10月1日に球団から戦力外通告を受けた[20]が、NPB他球団での現役続行を希望していたため、11月12日には12球団合同トライアウト(甲子園)に参加。シートバッティング形式で対戦した打者3人を、すべて凡退させた[21]。トライアウト後には複数の独立リーグ球団から入団を打診されたが、本来の希望であるNPB他球団から獲得のオファーを受けるまでには至らず、同月末に現役からの引退を決断した[22]。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[23]。
現役引退後
[編集]2017年からは、古巣のソフトバンク球団に職員として復帰。野球振興部員として、野球教室の指導・運営などに携わる[24][25]。同年7月に福岡ソフトバンクホークスジュニアチームの監督に就任した[26] 。
2018年9月8日に福岡 ヤフオク!ドームで行なわれた、ホークス対バファローズ戦のセレモニアルピッチにホークスファン(と同時に新垣のファン)である声優・内田真礼が登場した際、捕手を務めた[27][28]。
プレースタイル
[編集]長身で投げ下ろすゆったりとしたスリークォーターから投げる平均球速約147km/h[29]、最速156km/h(プロ入り後の最速は155km/h)のストレートとスライダー、フォークを武器とし、通算の奪三振率8.85と奪三振が多い。他にツーシーム・ファストボール、カットボール、カーブも投げ分ける[29]。
特に縦のスライダーのキレは球界随一とされ、バニッシュボール(vanish=消える)とも称された[30][31]。2010年5月15日の『すぽると!』のプロ野球選手100人が選ぶスライダーNo.1投手では4位に選ばれ[29]、山﨑武司は「今まで対戦してきた中で最高のスライダーを投げる投手。彼(新垣)は強引にスライダーを曲げてくるので暴投が多いが、決められれば伊藤智仁や斎藤雅樹より凄いスライダーを投げる。潜在能力を全て出し切れていない」と語っている[32]。
ソフトバンク時代の2007年には、一軍公式戦でのシーズン通算暴投数がNPB新記録の25に達するなど、制球に苦しんだ。スポーツライターの永谷脩は、その一因として、シュートを習得したことを挙げている[33][34]。3年ぶりに一軍公式戦への登板を果たした2012年からは、平均球速を約144km/hにまで抑える[35]など、打たせて取る投球スタイルに改めた[29]。新垣自身も、「テーマは脱力。少ない球数で打たせて取る投球が、自分の新しいスタイルです」と語っていた。
人物
[編集]渾名・キャッチフレーズは「なんくる渚」。「なんくる」とは出身地である沖縄の方言で「自然に」という意味で、慣用句である「なんくるないさ」に掛けたもの[要出典]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | ダイエー ソフトバンク |
18 | 18 | 8 | 1 | 1 | 8 | 7 | 0 | -- | .533 | 505 | 121.1 | 110 | 10 | 30 | 0 | 6 | 132 | 5 | 0 | 52 | 45 | 3.34 | 1.15 |
2004 | 25 | 25 | 9 | 2 | 1 | 11 | 8 | 0 | -- | .579 | 807 | 192.1 | 173 | 14 | 73 | 0 | 11 | 177 | 8 | 0 | 75 | 70 | 3.28 | 1.28 | |
2005 | 22 | 21 | 3 | 2 | 0 | 10 | 6 | 0 | 0 | .625 | 600 | 136.2 | 146 | 13 | 54 | 1 | 9 | 130 | 7 | 1 | 73 | 70 | 4.61 | 1.46 | |
2006 | 23 | 23 | 5 | 2 | 1 | 13 | 5 | 0 | 0 | .722 | 641 | 155.1 | 132 | 10 | 46 | 0 | 7 | 151 | 10 | 0 | 60 | 52 | 3.01 | 1.15 | |
2007 | 21 | 21 | 2 | 1 | 0 | 7 | 10 | 0 | 0 | .412 | 581 | 137.1 | 128 | 7 | 51 | 0 | 4 | 132 | 25 | 0 | 62 | 55 | 3.60 | 1.30 | |
2008 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | 0 | .400 | 411 | 92.2 | 89 | 7 | 39 | 0 | 6 | 105 | 15 | 2 | 55 | 43 | 4.18 | 1.38 | |
2009 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 95 | 19.1 | 31 | 5 | 10 | 0 | 1 | 15 | 3 | 0 | 17 | 17 | 7.91 | 2.12 | |
2012 | 15 | 15 | 1 | 0 | 1 | 6 | 5 | 0 | 0 | .545 | 335 | 78.2 | 66 | 4 | 38 | 0 | 4 | 56 | 8 | 0 | 42 | 40 | 4.58 | 1.32 | |
2013 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 106 | 22.2 | 28 | 7 | 12 | 0 | 2 | 13 | 1 | 0 | 14 | 14 | 5.56 | 1.76 | |
2014 | ヤクルト | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 44 | 8.0 | 14 | 0 | 5 | 0 | 2 | 6 | 6 | 0 | 8 | 7 | 7.88 | 2.38 |
2015 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 3 | 10 | 0 | 0 | .231 | 367 | 83.1 | 89 | 13 | 36 | 1 | 2 | 70 | 9 | 0 | 48 | 43 | 4.64 | 1.50 | |
2016 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 136 | 29.2 | 33 | 4 | 15 | 0 | 2 | 23 | 4 | 0 | 22 | 22 | 6.67 | 1.62 | |
通算:12年 | 172 | 170 | 28 | 8 | 4 | 64 | 64 | 0 | 0 | .500 | 4628 | 1077.1 | 1039 | 94 | 409 | 2 | 56 | 1010 | 101 | 3 | 528 | 478 | 3.99 | 1.34 |
- 各年度の太字はそのシーズンにおけるリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高。
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更。
タイトル
[編集]- 最多奪三振:1回 (2004年)
表彰
[編集]- 月間MVP:4回 (2003年7月、2004年7月、2005年9月、2006年4月) ※4シーズン連続受賞はパ・リーグの投手としては史上初
- JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:2007年5月)
記録
[編集]- 投手記録
- 初登板・初先発登板:2003年3月31日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)、5回2/3を5失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、3回裏にタフィ・ローズから空振り三振
- 初勝利・初完投勝利:2003年4月15日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、9回1失点
- 初完封勝利:2003年6月8日、対日本ハムファイターズ15回戦(東京ドーム)
- 打撃記録
- 初打点:2006年5月30日、対横浜ベイスターズ4回戦(草薙球場)、2回表に高宮和也から三塁ゴロ野手選択の間に記録
- 初安打:2007年6月19日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、3回表に吉見祐治から右中間二塁打
- 節目の記録
- 1000奪三振:2016年5月10日、対広島東洋カープ6回戦(明治神宮野球場)、2回表に新井貴浩から見逃し三振 ※史上144人目[18]
- 100暴投:2016年5月17日、(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島) ※史上3人目[19]
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2004年)
- 暴投に関する記録
- シーズン暴投:25、2007年 ※NPB記録
- 1イニング暴投:3、2008年8月20日、対埼玉西武ライオンズ18回戦(西武ドーム) ※NPBタイ記録(史上10人目)
- 1試合暴投
- 5、2008年8月20日、対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム) ※NPBおよびパ・リーグ記録
- 4、2007年4月17日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦 ※当時のNPBタイ記録
- 4、2014年8月16日、対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)※セ・リーグタイ記録[36]
- 両リーグで4暴投以上を記録したのと、4暴投以上を3度記録したのは史上初
背番号
[編集]- 18 (2003年 - 2014年7月21日)
- 45 (2014年7月22日 - 同年終了)
- 66 (2015年 - 2016年)
登場曲
[編集]関連情報
[編集]書籍
[編集]- 渚 NAGISA (2007年5月11日、講談社) ISBN 978-4062139687
- ビジュアルノンフィクション。写真はスエイシナオヨシ撮影。
CM
[編集]- フタタ 『プライス真っ二つ編』
- 四季工房『ベストを尽くす編』 『子供の頃から編』
出演
[編集]- テレビ番組
- Fan!Fun!スポーツ→ファンスポ(コメンテーター・隔週、2023年1月21日 - )
スピッツ
[編集]スピッツのボーカル草野マサムネが、2021年4月25日にOAされた自身のラジオ番組「ロック大陸漫遊記」において、スピッツ3作目のスペシャルアルバム「おるたな」収録の「オケラ」にある歌詞
”エグすぎるスライダー 打ち返す” を当時ホークスの新垣渚投手と西武ライオンズの中村剛也野手をモチーフにしてると言及した。[37]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “2003年度日本シリーズ 試合結果(第4戦)”. 日本野球機構. 2016年5月28日閲覧。
- ^ 『ベースボールマガジン 2004年プロ野球総決算号「激動」』ベースボールマガジン社出版 発行日2005年1月1日、39頁、雑誌07915-1。
- ^ 『応援ありがとう!2005福岡ソフトバンクホークス激闘の軌跡』ソフトバンククリエイティブ、2005年、79頁。ISBN 4-7973-3331-6。
- ^ 『月刊ホークス』、福岡ソフトバンクホークス、2006年6月、43頁。
- ^ “王語録”. 日刊スポーツ新聞社 (2007年5月31日). 2016年10月10日閲覧。
- ^ “歴代最高記録 暴投”. 日本プロ野球機構. 2016年10月10日閲覧。
- ^ “新垣 道半ば “7割投法” 打者7人に3四球の乱調”. 西日本スポーツ (西日本新聞社). (2008年2月12日). オリジナルの2008年2月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ “新垣 杉内と義兄弟に!夫人の妹・ゆいさんと結婚”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2009年12月25日). オリジナルの2016年10月21日時点におけるアーカイブ。 2016年10月20日閲覧。
- ^ “鷹・新垣3年半ぶり復活星!秋山監督も大絶賛”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2012年4月1日). オリジナルの2012年4月9日時点におけるアーカイブ。
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- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』白夜書房、2008年、102頁。ISBN 978-4-86191-374-7。
- ^ 「数字で探す 漢の中の漢、真の剛腕は誰だ」『週刊ベースボール』第29号、ベースボール・マガジン社、2012年、30頁、雑誌20441-7/2。
- ^ “ヤクルト新垣1試合4暴投 2軍降格へ”. 日刊スポーツ (2014年8月16日). 2016年5月28日閲覧。
- ^ “SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記 | TOKYO FM 80.0MHz”. SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記 | TOKYO FM 80.0MHz. 2021年4月25日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 新垣渚 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- なんくる渚!! - Pakila
- なんくる渚! - Ameba Blog(2010年4月4日まで)
- 公式プロフィール- ベンヌ
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