「イギリス領セイロン」の版間の差分
編集の要約なし |
m →top: シンハラ語のラテン文字転写がマハヌワラ・ラージャダーニヤ(キャンディ王国)になっているので修正 |
||
(13人の利用者による、間の21版が非表示) | |||
2行目: | 2行目: | ||
|略名 = スリランカ |
|略名 = スリランカ |
||
|日本語国名 = イギリス領セイロン |
|日本語国名 = イギリス領セイロン |
||
|公式国名 = '''{{lang|en|British Ceylon}}'''<small>(英語)</small><br>'''{{lang|si|බ්රිතාන්ය ලංකාව}}'''<small>(シンハラ語)</small><br>'''{{lang|ta|பிரித்தானிய இலங்கை}}'''<small>(タミル語)</small> |
|||
|公式国名 = {{Lang|en|British Ceylon}} |
|||
|建国時期 = [[1815年]] |
|建国時期 = [[1815年]] |
||
|亡国時期 = [[1948年]] |
|亡国時期 = [[1948年]] |
||
|先代1 = |
|先代1 = オランダ領セイロン |
||
|先旗1 = |
|先旗1 = Flag of the Dutch East India Company.svg |
||
|先代2 = |
|先代2 = キャンディ王国 |
||
|先旗2 = |
|先旗2 = King of Kandy.svg |
||
|次代1 = セイロン (ドミニオン) |
|次代1 = セイロン (ドミニオン) |
||
|次旗1 = Flag of Ceylon.svg |
|次旗1 = Flag of Ceylon.svg |
||
|次代2 = |
|次代2 = |
||
|次旗2 = |
|次旗2 = |
||
|国旗画像 = |
|国旗画像 = Flag of Ceylon (1875–1948).svg |
||
|国旗リンク = |
|国旗リンク = [[スリランカの国旗|国旗]] |
||
|国旗幅 = |
|国旗幅 = 125 |
||
⚫ | |||
|国旗縁 = <!-- no と入力すると画像に縁が付かない --> |
|||
|国章画像 = |
|国章画像 = Badge of Ceylon (1875–1948).svg |
||
|国章リンク = |
|国章リンク = |
||
|国章幅 = |
|国章幅 = 85 |
||
|標語 = |
|標語 = |
||
|標語追記 = |
|標語追記 = |
||
|国歌 = [[国王陛下万歳|God Save the King]]<br>''国王陛下万歳''<center>[[File:United States Navy Band - God Save the Queen.ogg]]<center> |
|||
⚫ | |||
|国歌追記 = |
|||
|位置画像 = Sri Lanka (orthographic projection).svg |
|位置画像 = Sri Lanka (orthographic projection).svg |
||
|位置画像説明 = |
|位置画像説明 = イギリス領セイロンの位置 |
||
|位置画像幅 = |
|位置画像幅 = 250 |
||
|公用語 = [[英語]] |
|公用語 = [[英語]]<br>[[シンハラ語]]、[[タミル語]] |
||
|首都 = [[コロンボ]] |
|首都 = [[コロンボ]] |
||
|元首等肩書 = 国王 |
|元首等肩書 = [[イギリスの君主|国王]] |
||
|元首等年代始1 = |
|元首等年代始1 = 1815年 |
||
|元首等年代終1 = |
|元首等年代終1 = 1820年 |
||
|元首等氏名1 = [[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]] |
|元首等氏名1 = [[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]] |
||
|元首等年代始2 = |
|元首等年代始2 = 1820年 |
||
|元首等年代終2 = |
|元首等年代終2 = 1830年 |
||
|元首等氏名2 = [[ジョージ |
|元首等氏名2 = [[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]] |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
|首 |
|元首等年代終3 = 1837年 |
||
|元首等氏名3 = [[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]] |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
|元首等年代終4 = 1901年 |
|||
|元首等氏名4 = [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]] |
|||
|元首等年代始5 = 1901年 |
|||
|元首等年代終5 = 1910年 |
|||
|元首等氏名5 = [[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]] |
|||
|元首等年代始6 = 1910年 |
|||
|元首等年代終6 = 1936年 |
|||
|元首等氏名6 = [[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]] |
|||
|元首等年代始7 = 1936年 |
|||
|元首等年代終7 = 1936年 |
|||
|元首等氏名7 = [[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]] |
|||
|元首等年代始8 = 1936年 |
|||
|元首等年代終8 = 1948年 |
|||
|元首等氏名8 = [[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]] |
|||
⚫ | |||
|首相等年代始1 = 1798年 |
|||
⚫ | |||
|首相等氏名1 = [[フレデリック・ノース (第5代ギルフォード伯)|フレデリック・ノース]] |
|首相等氏名1 = [[フレデリック・ノース (第5代ギルフォード伯)|フレデリック・ノース]] |
||
|首相等年代始2 = |
|首相等年代始2 = 1944年 |
||
|首相等年代終2 = |
|首相等年代終2 = 1948年 |
||
|首相等氏名2 = {{仮リンク| |
|首相等氏名2 = {{仮リンク|ヘンリー・M=M・ムーア|en|Henry Monck-Mason Moore}} |
||
| |
|面積測定時期1 = 1946年 |
||
⚫ | |||
|首相等氏名3 = {{仮リンク|ロバート・ブラウンリッグ|en|Robert Brownrigg}} |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
|首相等氏名4 = {{仮リンク|ヘンリー・モンク=メイソン・ムーア|en|Henry Monck-Mason Moore}} |
|||
|面積測定時期1 = |
|||
|面積値1 = 65,610 |
|面積値1 = 65,610 |
||
|面積測定時期2 = |
|面積測定時期2 = |
||
63行目: | 74行目: | ||
|人口測定時期5 = 1946年 |
|人口測定時期5 = 1946年 |
||
|人口値5 = 6,657,300 |
|人口値5 = 6,657,300 |
||
|変遷1 = [[セイロン侵攻]] |
|||
⚫ | |||
|変遷年月日1 = |
|変遷年月日1 = 1796年3月5日 |
||
|変遷2 = [[アミアンの和約]] |
|||
|変遷2 = {{仮リンク|スリランカの独立|en|Sri Lankan independence movement|label=独立}} |
|||
|変遷年月日2 = |
|変遷年月日2 = 1802年3月25日 |
||
⚫ | |||
|通貨 = {{仮リンク|Ceylonese rixdollar|en|Ceylonese rixdollar}} <small>([[1815年]] - [[1828年]])</small><br />[[スターリング・ポンド|英ポンド]] <small>(1825年 - ?)</small><br />[[スリランカ・ルピー|セイロン・ルピー]] |
|||
|変遷年月日3 = 1815年3月2日 |
|||
|変遷4 = 独立 |
|||
|変遷年月日4 = 1948年2月4日 |
|||
|通貨 = [[インド・ルピー]]{{smaller|(1836年 - 1872年)}}<br>[[スリランカ・ルピー|セイロン・ルピー]]{{smaller|(1872年 - 1948年)}} |
|||
|通貨追記 = |
|通貨追記 = |
||
|時間帯 = |
|時間帯 = |
||
80行目: | 95行目: | ||
}} |
}} |
||
'''イギリス領セイロン'''({{Lang-en|British Ceylon}} |
'''イギリス領セイロン'''(イギリスりょうセイロン、{{Lang-en|British Ceylon}}、{{Lang-si|බ්රිතාන්ය ලංකාව}} Britānya Laṃkāva、{{Lang-ta|பிரித்தானிய இலங்கை}})は、[[1815年]]から[[1948年]]まで[[スリランカ]]に存在した[[イギリス帝国|イギリス]]の[[植民地]]である。[[首都]]はスリランカ西海岸の[[コロンボ]]におかれた。成立当初内陸の[[キャンディ王国]]は[[保護国]]であり、領土に含まれていなかった。しかし[[1817年]]以降は[[セイロン島]]の全域をその支配下においた。 |
||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
⚫ | |||
{{See also|オリエンタル・バンク}} |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
セイロンで[[紅茶]]の生産が始まるのもこの時代からである([[セイロンティー]])。紅茶[[プランテーション]]の労働力として高地地域に新たに[[タミル人|インド・タミル]]が連れてこられ、またイギリス統治下では、少数派のタミル人を優遇する[[分割統治]]が行われた。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | イギリス統治下ではこれまで西洋の支配が及んでいなかった内陸部についても[[測量]]や[[道路]]・[[鉄道]]の建設が行われ、農作物の輸送や軍の移動が効率化された |
||
⚫ | |||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
100行目: | 114行目: | ||
* [[オランダ領セイロン]] |
* [[オランダ領セイロン]] |
||
* [[セイロン (ドミニオン)]] |
* [[セイロン (ドミニオン)]] |
||
* [[ |
* [[スリランカの歴史上の国の一覧]] |
||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
106行目: | 120行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* |
* {{Wayback|url=http://www.d7.dion.ne.jp/~tomoca/history-lanka/01-historu%20of%20sri%20lanka.html |title=かしゃぐら通信 - スリランカの歴史 |date=20130406121028}} |
||
⚫ | |||
{{Srilanka-stub}} |
{{Srilanka-stub}} |
||
⚫ | |||
{{DEFAULTSORT:いきりすりようせいろん}} |
{{DEFAULTSORT:いきりすりようせいろん}} |
||
116行目: | 131行目: | ||
[[Category:19世紀のアジア]] |
[[Category:19世紀のアジア]] |
||
[[Category:20世紀のアジア]] |
[[Category:20世紀のアジア]] |
||
[[Category:1815年に成立した国家・領域]] |
|||
[[Category:1948年に廃止された国家・領域]] |
2024年2月5日 (月) 00:25時点における最新版
- イギリス領セイロン
- British Ceylon(英語)
බ්රිතාන්ය ලංකාව(シンハラ語)
பிரித்தானிய இலங்கை(タミル語) -
←
←1815年 - 1948年 → (国旗) (国章) - 国歌: God Save the King
国王陛下万歳
イギリス領セイロンの位置-
公用語 英語
シンハラ語、タミル語首都 コロンボ - 国王
-
1815年 - 1820年 ジョージ3世 1820年 - 1830年 ジョージ4世 1830年 - 1837年 ウィリアム4世 1837年 - 1901年 ヴィクトリア 1901年 - 1910年 エドワード7世 1910年 - 1936年 ジョージ5世 1936年 - 1936年 エドワード8世 1936年 - 1948年 ジョージ6世 - 総督
-
1798年 - 1805年 フレデリック・ノース 1944年 - 1948年 ヘンリー・M=M・ムーア - 面積
-
1946年 65,610km² - 人口
-
1881年 2,759,700人 1891年 3,007,800人 1901年 3,565,900人 1931年 5,306,400人 1946年 6,657,300人 - 変遷
-
セイロン侵攻 1796年3月5日 アミアンの和約 1802年3月25日 キャンディ条約 1815年3月2日 独立 1948年2月4日
通貨 インド・ルピー(1836年 - 1872年)
セイロン・ルピー(1872年 - 1948年)現在 スリランカ
イギリス領セイロン(イギリスりょうセイロン、英語: British Ceylon、シンハラ語: බ්රිතාන්ය ලංකාව Britānya Laṃkāva、タミル語: பிரித்தானிய இலங்கை)は、1815年から1948年までスリランカに存在したイギリスの植民地である。首都はスリランカ西海岸のコロンボにおかれた。成立当初内陸のキャンディ王国は保護国であり、領土に含まれていなかった。しかし1817年以降はセイロン島の全域をその支配下においた。
歴史
[編集]フランス革命戦争によりオランダ本国がフランスに占領されその支配下に入ると、イギリスは海外のオランダ植民地を攻撃した。スリランカに存在したオランダ領セイロンもその対象となり、1796年には全拠点が陥落しか、1802年のアミアンの和約および1815年のウィーン会議で正式にイギリスへと割譲された(セイロン侵攻)。
次いでイギリスは内陸に残るキャンディ王国の攻略を図り、1815年のキャンディ条約でこれを保護国とした。1817年のウバ州での反乱鎮圧後キャンディ王国はイギリスに併合され、ここにスリランカ全土におけるイギリス支配が確立することとなる。
イギリス統治下では、これまで西洋の支配が及んでいなかった内陸部についても測量や道路・鉄道の建設が行われ、農作物の輸送や軍の移動が効率化された[1]。 セイロンで紅茶の生産が始まるのもこの時代からである(セイロンティー)。紅茶プランテーションの労働力として高地地域に新たにインド・タミルが連れてこられ、またイギリス統治下では、少数派のタミル人を優遇する分割統治が行われた。
その後セイロンにも第一次世界大戦後から独立意識が芽生え、第二次世界大戦後の1948年、前年に独立したインドとパキスタンに続き、英連邦王国の自治領(実質的な独立国)セイロンとして独立した。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ Sujit Sivasundaram, "Tales of the Land: British Geography and Kandyan Resistance in Sri Lanka, c. 1803-1850," Modern Asian Studies (2007) 41#5 pp 925-965.
外部リンク
[編集]- かしゃぐら通信 - スリランカの歴史 - ウェイバックマシン(2013年4月6日アーカイブ分)