「茶屋」の版間の差分
m →概説 |
Milion Base (会話 | 投稿記録) Reverted 1 edit by Amiu Lipia (talk) (TwinkleGlobal) タグ: 取り消し |
||
(22人の利用者による、間の32版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{Otheruseslist|茶 |
{{Otheruseslist|日本の中世や近世の、茶や食べ物や休憩場所を提供した商売や店|花街で芸妓を呼んで客に飲食をさせる店|お茶屋|その他の用法|茶屋 (曖昧さ回避)}} |
||
'''茶屋'''(ちゃや)は、[[中世]][[日本]]の、客に[[茶]]を提供する[[商売]]や[[店]]、および[[近世]]にそれから派生した茶や食べ物や休息場所を提供する店、またさらにそこから分化派生し飲食に加えて[[遊興]]を提供した店。{{読み仮名|'''茶店'''|ちゃみせ}}とも言う。 |
|||
⚫ | |||
'''茶屋'''(ちゃや)は、[[日本]]において[[中世]]から[[近代]]にかけて一般的であった、休憩所の一[[形態]]。休憩場所を提供するとともに、注文に応じて[[茶]]や[[和菓子]]を提供する[[飲食店]]、甘味処としても発達した。'''茶店'''(ちゃみせ)とも言う。 |
|||
時代ごとに形態がかなり異なるので、歴史順に説明する。 |
|||
[[現代 (時代区分)|現代]]の日本社会において茶屋は[[ノスタルジア|ノスタルジー]]の対象であり、日本国外にあっては日本情緒の象徴の一つである。そのため、[[観光]]を主とした演出上の目的から、これを再現した店舗および観光施設は数多く存在する。 |
|||
== |
== 歴史 == |
||
[[僧|仏法僧]]が中国から[[チャ]]の苗木を持ち帰って日本で喫茶の習慣が広まり、まず寺社や貴族、武士など支配階級で茶が飲まれたが、最初は茶屋は無かった。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
;室町時代前期 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[近松門左衛門]]の心中物『[[心中重井筒]]』などに出てくるような[[性風俗]]を売り物にする店は、当時「'''[[色茶屋]]'''(いろぢゃや)」と呼ばれており、その頃は単に「茶屋」と言う場合にはこの色茶屋を指していた{{要出典|date=2011年3月|title=断定的すぎる。その頃の明確な基準と、指していたと断定できる資料を求める}}。この他にも、「'''引手茶屋'''(ひきてぢゃや)」「'''[[待合茶屋]]'''(まちあいぢゃや)」「'''出会茶屋'''(であいぢゃや)」「'''[[相撲茶屋]]'''(すもうぢゃや)」「'''料理茶屋'''(りょうりぢゃや)」など、様々な名称の様々な営業形態の茶屋があった。料理茶屋の中には、[[江戸時代]]に創業して現在も[[料亭]]として営業している店もある。 |
|||
[[室町時代]]になって70年ほどすぎ、[[15世紀]]前期の[[応永]]年間になると、[[東寺]]の門前などで参拝客を相手に茶湯一杯を安価で供する「一服一銭」などと称される茶売人が現れ、<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/resources/kaisetu20.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160406183252/http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/resources/kaisetu20.pdf |format=[[Portable Document Format|PDF]] |title=京都歴史こぼれ話-京都新聞連載コラム『雑学京都史』より- 特別展展示資料 解説集 |accessdate=2016-3-27 |archivedate=2016-4-6 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/various/japan1/index.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160211093102/https://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/various/japan1/index.html |title=日本の話 江戸時代編 第33話 嗜好品文化の普及過程で世に登場した「一服一銭」 |accessdate=2016-3-27 |archivedate=2016-2-11 }}</ref>、[[1403年]](応永10年)の『[[東寺文書|東寺百合文書]]』には「南大門前一服一銭請文」があり、「茶売人」の文字が見え<!--東寺側は門前への出店を制限していたことが分かる。--><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toji.or.jp/mieiku.shtml |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090619224934/http://www.toji.or.jp/mieiku.shtml |title=御影供と弘法市 |publisher=[[東寺]] |accessdate=2011-9-7 |archivedate=2009-6-19 }}</ref>、この「一服一銭」の茶売人が茶屋の最初期の形態や原型だと一般にされている。これは茶道具や水桶やござを[[振売り|天秤棒で持ち込んで]]立売する商売で、固定の店舗を持たないものであった。<!--話が脇に逸れている。 なお、東寺の「弘法さん」は一服一銭が店を開いたことが市の始まりであるといわれている<ref>[http://www.kyotocitylib.jp/reference/lobunkakaitou.html 「質問10 弘法さんや天神さんなど,京の市について知りたい。」], [[京都市図書館]]レファレンス.</ref>。--> |
|||
;室町中期(16世紀) |
|||
⚫ | |||
⚫ | 室町時代中期、[[1500年]]([[明応]]9年)頃の『[[七十一番職人歌合]]』では僧形の者が座ったままで[[抹茶]]を供しているが、[[安土桃山時代]]の『[[洛中洛外図]]』などでは立売の姿が描かれている<ref name="kokushi">[[永島福太郎]] 「一服一銭」 in 国史大辞典編集委員会 編 『[[国史大辞典 (昭和時代)]]』第一巻, [[吉川弘文館]], 1979年3月, p. 688. ISBN 978-4-642-00501-2</ref>。また、[[16世紀]]の『[[富士見図屏風]]』と『[[釈迦堂春景図屏風]]』では、小腹を満たすための串刺しの焙り[[餅]]のようなものを商っている様子も描かれている<ref>[[源城政好]] [http://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/haifu/yomimono_data/0039.html 「特別展覧会『日本人と茶 -その歴史・その美意識ー』雑感」], [[京都国立博物館]]よみもの No. 39. (京都国立博物館特別展「日本人と茶-その歴史・その美意識」 2002年9月7日 - 10月14日)</ref>。後には社寺の門前に小屋がけをするようになり、このような掛茶屋は「一銭茶屋」と称されるようになった<ref name=kokushi/>。 |
||
=== 江戸時代の茶屋 === |
|||
その他、「茶屋」という言葉が現代[[日本人]]に与える郷愁のイメージを[[屋号]]に採り入れ、「'''○○茶屋'''(○○ちゃや、○○ぢゃや)」とする飲食店も目立つ。 |
|||
[[File:Tokaido20 Mariko.jpg|thumb|220px|[[東海道五十三次 (浮世絵)|東海道五十三次]] [[鞠子]] 名物茶屋]] |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[江戸時代]]の[[大坂]]における茶屋の分布や営業形態に関しては杉本厚典(2024)の『江戸時代大坂の茶屋・料理屋の分布』で分析されており、 |
|||
==歴史== |
|||
17世紀後葉に遊山茶屋として登場し、17世紀末には遊山茶屋と新地茶屋に区分され、18世紀前葉には、堀江・道頓堀、新地、道頓堀のいろは茶屋、郊外の茶屋の四種類が大坂市街地を取り囲むように分布し、19世紀には芝居茶屋が[[道頓堀]]に密集したという。<ref>{{Cite web |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/omhbull/22/0/22_55/_pdf/-char/ja |title=江戸時代大坂の茶屋・料理屋の分布 |publisher=杉本厚典 |language=ja |accessdate=2024-07-06}}</ref> |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
江戸時代には宿場町に水茶屋も広まり女性が給仕した。 |
|||
;江戸期の浮世絵に描かれた茶屋 |
|||
江戸期の[[名所絵]]には茶屋を描いたものがあり、簡素な出茶屋も繁盛している大きな茶屋も描かれている。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
== 茶屋を浮世絵に見る == |
|||
[[名所絵]]([[浮世絵]]による[[風景画]])の中には茶屋を描いたものがいくつか見える。最低限の物しか置いていない簡素な出茶屋もあれば、いかにも繁盛している様子の大きな茶屋もある。 |
|||
{| |
{| |
||
|[[ファイル:Tokaido27 Fukuroi.jpg|thumb|left| |
|[[ファイル:Tokaido27 Fukuroi.jpg|thumb|left|220px|1. 『東海道五[[wikt:ja:拾|拾]]三次之内 袋井』]] |
||
|[[ファイル:Tokaido53 Otsu.jpg|thumb|left| |
|[[ファイル:Tokaido53 Otsu.jpg|thumb|left|220px|2. 『東海道五拾三次之内 大津宿』]] |
||
|[[ファイル:Kisokaido01 Itabashi.jpg|thumb|left| |
|[[ファイル:Kisokaido01 Itabashi.jpg|thumb|left|220px|3. 『木[[wikt:ja:曾|曾]]街道 板橋之[[wikt:ja:驛|驛]]』]] |
||
|} |
|} |
||
{| |
{| |
||
|[[ファイル:Kisokaido05 Ageo.jpg|thumb|left| |
|[[ファイル:Kisokaido05 Ageo.jpg|thumb|left|220px|4. 『木曾街道 上尾宿 加茂之社』]] |
||
|[[ファイル:Kisokaido13 Takasaki.jpg|thumb|left| |
|[[ファイル:Kisokaido13 Takasaki.jpg|thumb|left|220px|5. 『木曽海道六拾九次之内 高[[wikt:ja:﨑|﨑]]』]] |
||
|[[ファイル:Kisokaido34 Narai.jpg|thumb|left| |
|[[ファイル:Kisokaido34 Narai.jpg|thumb|left|220px|6. 『岐阻街道 奈良井宿 名産店之[[wikt:ja:圖|圖]]』]] |
||
|} |
|} |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
== 種類 == |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
{{Ruby|料理茶屋|りょうりぢゃや}}は、料理も出す茶屋であり、料理茶屋の中には[[江戸時代]]に創業して現在も[[料亭]]として営業している店がある。 |
|||
{{Ruby|煮売茶屋|にうりぢゃや}}は、[[煮売屋]]でも茶屋でもある店。 |
|||
[[近松門左衛門]]の心中物『[[心中重井筒]]』などの作品内では[[性風俗]]を売り物にする店は「{{Ruby|[[岡場所|色茶屋]]|いろぢゃや}}」と呼ばれている。このほか、遊客を女郎屋に案内する茶屋は<ref>{{kotobank|引手茶屋}}</ref>「{{Ruby|引手茶屋|ひきてぢゃや}}」といった。 |
|||
また{{Ruby|[[待合|待合茶屋]]|まちあいぢゃや}}、{{Ruby|出会茶屋|であいぢゃや}}、{{Ruby|[[相撲茶屋]]|すもうぢゃや}}、様々な営業形態の茶屋があった。 |
|||
== 現代の茶屋 == |
|||
⚫ | |||
[[現代 (時代区分)|現代]]日本では中世や近世の茶屋は[[ノスタルジア|ノスタルジー]]の対象であり、[[観光業]]でこれを再現した店舗や観光施設はある。その他、[[屋号]]に郷愁を感じさせる「茶屋」を入れ「○○茶屋」とする都会の飲食店やスイーツ店もある。 |
|||
<gallery> |
|||
⚫ | |||
血液型 (8763493911).jpg|「茶屋」を屋号に入れた店 |
|||
所沢 名物 (4224948959).jpg|「茶屋」を屋号に入れた店 |
|||
Kitaro Chaya-2.jpg|[[ゲゲゲの鬼太郎|鬼太郎]]茶屋 [https://kitaro-chaya.jp/] |
|||
峠の茶屋 - panoramio.jpg|「峠の茶屋」 |
|||
</gallery> |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
<!--並び順=東から西へ--> |
<!--並び順=東から西へ--> |
||
* [[茶屋町]] - [[青森県]][[青森市]]。 |
|||
* [[お花茶屋]] - [[東京都]][[葛飾区]]。 |
* [[お花茶屋]] - [[東京都]][[葛飾区]]。 |
||
* [[茶屋坂]] - 東京都[[目黒区]]。 |
* [[茶屋坂]] - 東京都[[目黒区]]。 |
||
* [[三軒茶屋]] - 東京都[[世田谷区]]。 |
* [[三軒茶屋]] - 東京都[[世田谷区]]。 |
||
* [[東山ひがし|ひがし茶屋街]] |
* {{読み仮名|[[東山ひがし|ひがし茶屋街]]|ひがしちゃやがい}}、{{読み仮名|主計町茶屋街|かずえまちちゃやがい}}、{{読み仮名|にし茶屋街|にしちゃやがい}} |
||
[[File:にし茶屋街 - panoramio (1).jpg|thumb|200px|金沢の「にし茶屋街」]] |
|||
:- 石川県[[金沢市]]。総じて「金沢三茶屋街」「金沢茶屋街」と呼ばれる(かつての[[花街]])<ref>{{Cite web |
*:- [[石川県]][[金沢市]]。総じて「金沢三茶屋街」「金沢茶屋街」と呼ばれる(かつての[[花街]])<ref>{{Cite web|和書 |
||
|url=http://www.awacho.co.jp/main/tour/0656map.htm |
|url=http://www.awacho.co.jp/main/tour/0656map.htm |
||
|title=ひがし茶屋街の観光地図 |
|title=ひがし茶屋街の観光地図 |
||
|work=金沢観光情報(ウェブサイト) |
|work=金沢観光情報(ウェブサイト) |
||
|publisher=粟長醤油株式会社 |
|publisher=粟長醤油株式会社 |
||
|accessdate=2010年4月11日}}</ref><ref>{{Cite web |
|accessdate=2010年4月11日}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |
||
|url=http://kimassi.net/higasityayagai/index.html |
|url=http://kimassi.net/higasityayagai/index.html |
||
|title=ひがし茶屋街 |
|title=ひがし茶屋街 |
||
|work= |
|||
|publisher=きまっし金沢 |
|publisher=きまっし金沢 |
||
|accessdate=2010年4月11日}}</ref><ref>{{Cite web |
|accessdate=2010年4月11日}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |
||
|url=http://kimassi.net/kazue/kazuemati.html |
|url=http://kimassi.net/kazue/kazuemati.html |
||
|title=主計町茶屋街 |
|title=主計町茶屋街 |
||
|work= |
|||
|publisher=きまっし金沢 |
|publisher=きまっし金沢 |
||
|accessdate=2010年4月11日}}</ref><ref>{{Cite web |
|accessdate=2010年4月11日}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |
||
|url=http://www.uchiyama.info/oriori/kentiku/dentou/nishi/ |
|url=http://www.uchiyama.info/oriori/kentiku/dentou/nishi/ |
||
|title=にし茶屋街 |
|title=にし茶屋街 |
||
|publisher=写真紀行・旅おりおり |
|publisher=写真紀行・旅おりおり |
||
|accessdate=2010年4月11日}}</ref>。 |
|accessdate=2010年4月11日}}</ref>。 |
||
* [[茶屋が坂]] - 愛知県名古屋市[[千種区]]。 |
* [[茶屋が坂]] - [[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]]。 |
||
* [[茶屋町]] - [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[茶屋町 (大阪市)|茶屋町]]、岡山県[[倉敷市]][[茶屋町地区|茶屋町]]、ほか。 |
* [[茶屋町]] - [[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[茶屋町 (大阪市)|茶屋町]]、[[岡山県]][[倉敷市]][[茶屋町地区|茶屋町]]、ほか。 |
||
* [[萩之茶屋]] - 大阪市[[西成区]]。 |
* [[萩之茶屋]] - 大阪市[[西成区]]。 |
||
* [[天下茶屋]] - 大阪市西成区。他に、景観を「天下一」などと謳われる[[名所]]にて営まれる茶屋に付けられることの多い呼称( |
* [[天下茶屋]] - 大阪市西成区。他に、景観を「天下一」などと謳われる[[名所]]にて営まれる茶屋に付けられることの多い呼称(俗称、ときに地名、もしくは屋号)。例を挙げれば、[[太宰治]]の小説『富嶽百景』にも登場する、[[御坂峠]]の「[[天下茶屋 (飲食店)|天下茶屋]]」([[wikt:cf.|''cf.'']] [[逆さ富士#脚注]])。 |
||
* 蛍茶屋 - [[長崎県]][[長崎市]]。[[江戸時代]][[長崎街道]]の始点と[[日見]]宿との間にあった茶店が蛍の名所にあったことから、その店が蛍茶屋と呼ばれ地名として残ったもの。 |
|||
* {{読み仮名|[[木場茶屋町]]|こばんちゃやちょう}} - [[鹿児島県]][[薩摩川内市]]。 |
|||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
83行目: | 114行目: | ||
* [[甘酒茶屋]] |
* [[甘酒茶屋]] |
||
* [[旅籠]] |
* [[旅籠]] |
||
* [[間の宿]] |
|||
* [[道の駅]] |
|||
{{茶}} |
|||
⚫ | |||
{{日本の建築}} |
|||
{{DEFAULTSORT:ちやや}} |
{{DEFAULTSORT:ちやや}} |
||
[[Category:茶屋|*]] |
[[Category:茶屋|*]] |
||
[[Category:サービス業]] |
[[Category:日本のサービス業]] |
||
[[Category:飲食店]] |
[[Category:飲食店]] |
||
[[Category:喫茶文化]] |
[[Category:日本の喫茶文化]] |
||
⚫ |
2024年7月8日 (月) 11:27時点における最新版
茶屋(ちゃや)は、中世日本の、客に茶を提供する商売や店、および近世にそれから派生した茶や食べ物や休息場所を提供する店、またさらにそこから分化派生し飲食に加えて遊興を提供した店。
時代ごとに形態がかなり異なるので、歴史順に説明する。
歴史
[編集]仏法僧が中国からチャの苗木を持ち帰って日本で喫茶の習慣が広まり、まず寺社や貴族、武士など支配階級で茶が飲まれたが、最初は茶屋は無かった。
- 室町時代前期
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dc/Kan%C5%8D_Osanobu_71_utaiawase.jpg/220px-Kan%C5%8D_Osanobu_71_utaiawase.jpg)
室町時代になって70年ほどすぎ、15世紀前期の応永年間になると、東寺の門前などで参拝客を相手に茶湯一杯を安価で供する「一服一銭」などと称される茶売人が現れ、[1][2]、1403年(応永10年)の『東寺百合文書』には「南大門前一服一銭請文」があり、「茶売人」の文字が見え[3]、この「一服一銭」の茶売人が茶屋の最初期の形態や原型だと一般にされている。これは茶道具や水桶やござを天秤棒で持ち込んで立売する商売で、固定の店舗を持たないものであった。
- 室町中期(16世紀)
室町時代中期、1500年(明応9年)頃の『七十一番職人歌合』では僧形の者が座ったままで抹茶を供しているが、安土桃山時代の『洛中洛外図』などでは立売の姿が描かれている[4]。また、16世紀の『富士見図屏風』と『釈迦堂春景図屏風』では、小腹を満たすための串刺しの焙り餅のようなものを商っている様子も描かれている[5]。後には社寺の門前に小屋がけをするようになり、このような掛茶屋は「一銭茶屋」と称されるようになった[4]。
江戸時代の茶屋
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/Tokaido20_Mariko.jpg/220px-Tokaido20_Mariko.jpg)
江戸時代の大坂における茶屋の分布や営業形態に関しては杉本厚典(2024)の『江戸時代大坂の茶屋・料理屋の分布』で分析されており、 17世紀後葉に遊山茶屋として登場し、17世紀末には遊山茶屋と新地茶屋に区分され、18世紀前葉には、堀江・道頓堀、新地、道頓堀のいろは茶屋、郊外の茶屋の四種類が大坂市街地を取り囲むように分布し、19世紀には芝居茶屋が道頓堀に密集したという。[6]
江戸時代には宿場町に水茶屋も広まり女性が給仕した。
- 江戸期の浮世絵に描かれた茶屋
江戸期の名所絵には茶屋を描いたものがあり、簡素な出茶屋も繁盛している大きな茶屋も描かれている。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
種類
[編集]街道筋の宿場や峠にある茶屋は「
近松門左衛門の心中物『心中重井筒』などの作品内では性風俗を売り物にする店は「
また
現代の茶屋
[編集]現代の日本では、主に観光地や景勝地で営業しており、土産物屋を兼業している場合も多い。
現代日本では中世や近世の茶屋はノスタルジーの対象であり、観光業でこれを再現した店舗や観光施設はある。その他、屋号に郷愁を感じさせる「茶屋」を入れ「○○茶屋」とする都会の飲食店やスイーツ店もある。
-
「茶屋」を屋号に入れた店
-
「茶屋」を屋号に入れた店
-
「峠の茶屋」
茶屋の名を留める地名
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/%E3%81%AB%E3%81%97%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E8%A1%97_-_panoramio_%281%29.jpg/200px-%E3%81%AB%E3%81%97%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E8%A1%97_-_panoramio_%281%29.jpg)
- 茶屋が坂 - 愛知県名古屋市千種区。
- 茶屋町 - 大阪府大阪市北区茶屋町、岡山県倉敷市茶屋町、ほか。
- 萩之茶屋 - 大阪市西成区。
- 天下茶屋 - 大阪市西成区。他に、景観を「天下一」などと謳われる名所にて営まれる茶屋に付けられることの多い呼称(俗称、ときに地名、もしくは屋号)。例を挙げれば、太宰治の小説『富嶽百景』にも登場する、御坂峠の「天下茶屋」(cf. 逆さ富士#脚注)。
- 蛍茶屋 - 長崎県長崎市。江戸時代長崎街道の始点と日見宿との間にあった茶店が蛍の名所にあったことから、その店が蛍茶屋と呼ばれ地名として残ったもの。
木場茶屋町 () - 鹿児島県薩摩川内市。
脚注
[編集]- ^ “京都歴史こぼれ話-京都新聞連載コラム『雑学京都史』より- 特別展展示資料 解説集” (PDF). 2016年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
- ^ “日本の話 江戸時代編 第33話 嗜好品文化の普及過程で世に登場した「一服一銭」”. 2016年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
- ^ “御影供と弘法市”. 東寺. 2009年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月7日閲覧。
- ^ a b 永島福太郎 「一服一銭」 in 国史大辞典編集委員会 編 『国史大辞典 (昭和時代)』第一巻, 吉川弘文館, 1979年3月, p. 688. ISBN 978-4-642-00501-2
- ^ 源城政好 「特別展覧会『日本人と茶 -その歴史・その美意識ー』雑感」, 京都国立博物館よみもの No. 39. (京都国立博物館特別展「日本人と茶-その歴史・その美意識」 2002年9月7日 - 10月14日)
- ^ “江戸時代大坂の茶屋・料理屋の分布”. 杉本厚典. 2024年7月6日閲覧。
- ^ 『引手茶屋』 - コトバンク
- ^ “ひがし茶屋街の観光地図”. 金沢観光情報(ウェブサイト). 粟長醤油株式会社. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “ひがし茶屋街”. きまっし金沢. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “主計町茶屋街”. きまっし金沢. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “にし茶屋街”. 写真紀行・旅おりおり. 2010年4月11日閲覧。