「スティーブ・フィンリー」の版間の差分
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* [[ボルチモア・オリオールズ]] (1989 - 1990) |
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* [[ヒューストン・アストロズ]] (1991 - 1994) |
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* [[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]] (1999 - 2004) |
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* [[ロサンゼルス・ドジャース]] (2004) |
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* [[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]] (2005) |
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* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]] (2006) |
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* [[コロラド・ロッキーズ]] (2007) |
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=== アリゾナ・ダイヤモンドバックス === |
=== アリゾナ・ダイヤモンドバックス === |
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{{by|1999年}}は34本塁打・10三塁打、キャリアハイの103打点を記録し、[[ルイス・ゴンザレス (外野手)|ルイス・ゴンザレス]]、[[マット・ウィリアムズ]]、[[ジェイ・ベル]]と『'''100打点カルテット'''』を形成、前年地区最下位だったチームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。[[ニューヨーク・メッツ]]との[[1999年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]では打率.385と活躍するものの、チームは1勝3敗で敗退した。{{by|2000年}}は3年ぶり2度目の[[2000年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。{{by|2001年}}は14本塁打・73打点に留まるが、チームは2年ぶりの地区優勝。カージナルスとの[[2001年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]では打率.421を記録するなど、チームを初のリーグ優勝に導く。ヤンキースとの[[2001年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]でも打率.368・1本塁打と活躍し、史上最速となる球団創設4年目での世界一に輝いた。{{by|2002年}}は復活し、25本塁打・89打点、キャリアハイの出塁率.370を記録。チームは2年連続で地区優勝を果たすが、[[2002年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]でカージナルスに3連敗で敗退。4年契約を満了し[[10月29日]]にフリーエージェントとなるが、[[12月7日]]に再契約。{{by|2003年}}は38歳にしてリーグトップの10三塁打を記録。{{by|2004年}}はチームが地区最下位に低迷し、[[7月31日]]に[[レジー・アバークロンビー]]らとの交換トレードで、[[ブレント・メイン]]と共に[[ロサンゼルス・ドジャース]]に移籍。 |
{{by|1999年}}は34本塁打・10三塁打、キャリアハイの103打点を記録し、[[ルイス・ゴンザレス (1967年生の外野手)|ルイス・ゴンザレス]]、[[マット・ウィリアムズ]]、[[ジェイ・ベル]]と『'''100打点カルテット'''』を形成、前年地区最下位だったチームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。[[ニューヨーク・メッツ]]との[[1999年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]では打率.385と活躍するものの、チームは1勝3敗で敗退した。{{by|2000年}}は3年ぶり2度目の[[2000年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。{{by|2001年}}は14本塁打・73打点に留まるが、チームは2年ぶりの地区優勝。カージナルスとの[[2001年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]では打率.421を記録するなど、チームを初のリーグ優勝に導く。ヤンキースとの[[2001年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]でも打率.368・1本塁打と活躍し、史上最速となる球団創設4年目での世界一に輝いた。{{by|2002年}}は復活し、25本塁打・89打点、キャリアハイの出塁率.370を記録。チームは2年連続で地区優勝を果たすが、[[2002年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]でカージナルスに3連敗で敗退。4年契約を満了し[[10月29日]]にフリーエージェントとなるが、[[12月7日]]に再契約。{{by|2003年}}は38歳にしてリーグトップの10三塁打を記録。{{by|2004年}}はチームが地区最下位に低迷し、[[7月31日]]に[[レジー・アバークロンビー]]らとの交換トレードで、[[ブレント・メイン]]と共に[[ロサンゼルス・ドジャース]]に移籍。 |
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=== ロサンゼルス・ドジャース === |
=== ロサンゼルス・ドジャース === |
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移籍後は13本塁打・46打点を記録。[[10月2日]]の[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]戦でサヨナラ満塁本塁打を放って逆転勝利し、チームは9年ぶりの地区優勝を果たした。シーズン通算で36本塁打・94打点を記録し、39歳にしてキャリアハイの本塁打数となった。自身4度目の対戦となったカージナルスとの[[2004年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]は1勝3敗で敗退。[[10月28日]]にフリーエージェントとなり、[[12月11日]]に[[ロサンゼルス・エンゼルス |
移籍後は13本塁打・46打点を記録。[[10月2日]]の[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]戦でサヨナラ満塁本塁打を放って逆転勝利し、チームは9年ぶりの地区優勝を果たした。シーズン通算で36本塁打・94打点を記録し、39歳にしてキャリアハイの本塁打数となった。自身4度目の対戦となったカージナルスとの[[2004年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]は1勝3敗で敗退。[[10月28日]]にフリーエージェントとなり、[[12月11日]]に[[ロサンゼルス・エンゼルス|アナハイム・エンゼルス]]に移籍。 |
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=== 引退 === |
=== 引退 === |
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{{by|2005年}}は打率.222・12本塁打に留まるが、チームは2年連続の地区優勝。ポストシーズンでも打率.150に終わり、チームも[[2005年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]で[[シカゴ・ホワイトソックス]]に1勝4敗で敗退した。[[12月22日]]に[[エドガルド・アルフォンゾ]]との交換トレードでジャイアンツへ移籍。{{by|2006年}}[[6月14日]]の古巣ダイヤモンドバックス戦で、初回先頭打者本塁打を放って通算300本塁打に到達し、史上6人目の[[300-300クラブ|300-300]](300本塁打・300盗塁)を達成した。41歳ながらリーグ4位タイの12三塁打を記録するが、打率.246・6本塁打に終わる。オフにフリーエージェントとなり、{{by|2007年}}[[2月24日]]に[[コロラド・ロッキーズ]]と契約。しかし打率.181・1本塁打と結果を残せず[[6月13日]]に解雇され、引退。 |
{{by|2005年}}は打率.222・12本塁打に留まるが、チームは2年連続の地区優勝。ポストシーズンでも打率.150に終わり、チームも[[2005年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]で[[シカゴ・ホワイトソックス]]に1勝4敗で敗退した。[[12月22日]]に[[エドガルド・アルフォンゾ]]との交換トレードでジャイアンツへ移籍。{{by|2006年}}[[6月14日]]の古巣ダイヤモンドバックス戦で、初回先頭打者本塁打を放って通算300本塁打に到達し、史上6人目の[[300-300クラブ|300-300]](300本塁打・300盗塁)を達成した。41歳ながらリーグ4位タイの12三塁打を記録するが、打率.246・6本塁打に終わる。オフにフリーエージェントとなり、{{by|2007年}}[[2月24日]]に[[コロラド・ロッキーズ]]と契約。しかし打率.181・1本塁打と結果を残せず[[6月13日]]に解雇され、引退。 |
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== 詳細情報 == |
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== 獲得タイトル・記録 == |
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* [[MLBオールスターゲーム]]選出 2回:1997年、2000年 |
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* '''太字'''はリーグ |
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
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=== 記録 === |
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* [[MLBオールスターゲーム]]選出:2回([[1997年のMLBオールスターゲーム|1997年]]、[[2000年のMLBオールスターゲーム|2000年]]) |
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=== 背番号 === |
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* '''10'''(1989年 - 1990年) |
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* '''12'''(1991年 - 2004年途中、2005年 - 2007年) |
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* '''16'''(2004年途中 - 同年終了) |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] |
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[[Category:南イリノイ大学出身の野球選手]] |
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[[Category:ヒューストン・アストロズの選手]] |
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2022年5月26日 (木) 01:25時点における最新版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テネシー州ユニオンシティ |
生年月日 | 1965年3月12日(59歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト13巡目 |
初出場 | 1989年4月3日 |
最終出場 | 2007年6月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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スティーブン・アレン・フィンリー(Steven Allen Finley, 1965年3月12日 - )は、MLBの元選手。ポジションは外野手。アメリカ合衆国テネシー州ユニオンシティ出身。
経歴
[編集]ボルチモア・オリオールズ
[編集]1986年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから11巡目に指名を受けたが契約せず。1987年のMLBドラフトでボルチモア・オリオールズから13巡目に指名を受け入団。1989年4月3日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たすが、守備の際に負傷しいきなり故障者リスト入りの憂き目に会う。1990年に22盗塁を記録するなど頭角を現す。1991年1月10日にグレン・デイビスとの交換トレードで、カート・シリング、ピート・ハーニッシュと共にヒューストン・アストロズに移籍。
ヒューストン・アストロズ
[編集]移籍1年目の1991年は打率.285・170安打・10三塁打・34盗塁を記録する。1992年は全試合出場を果たし、打率.292・177安打・13三塁打・44盗塁と更に成績を伸ばした。1993年は故障の影響もあり全体的に数字を落としたが、13三塁打はリーグトップだった。1994年はMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、自身初の二桁となる11本塁打を記録した。12月28日にデレク・ベル、ダグ・ブロケイルら6選手との交換トレードで、ケン・カミニティ、ロベルト・ペタジーニらと共にサンディエゴ・パドレスに移籍。
サンディエゴ・パドレス
[編集]1995年は打率.297・36盗塁を記録し、初のゴールドグラブ賞を受賞。1996年は長打力が増し、打率.298・195安打・45二塁打・30本塁打・95打点・126得点を記録、チームの12年ぶりの地区優勝に大きく貢献する。自身初のポストシーズンとなったセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは12打数1安打に終わり、チームも3連敗で敗退した。2年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、MVPの投票でも10位に入った。1997年はオールスターゲームに初めて選出される。1998年は打率.249・14本塁打、キャリアワーストの103三振など不振だったが、チームは2年ぶりに地区優勝を果たす。古巣アストロズとのディビジョンシリーズでは打率.100に終わるが、ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.333と活躍し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。しかしニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは打率.083と振るわず、チームも4連敗と一蹴された。シリーズ直後にフリーエージェントとなり、12月18日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年契約を結び移籍。
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
[編集]1999年は34本塁打・10三塁打、キャリアハイの103打点を記録し、ルイス・ゴンザレス、マット・ウィリアムズ、ジェイ・ベルと『100打点カルテット』を形成、前年地区最下位だったチームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは打率.385と活躍するものの、チームは1勝3敗で敗退した。2000年は3年ぶり2度目のオールスターゲームに選出される。2001年は14本塁打・73打点に留まるが、チームは2年ぶりの地区優勝。カージナルスとのディビジョンシリーズでは打率.421を記録するなど、チームを初のリーグ優勝に導く。ヤンキースとのワールドシリーズでも打率.368・1本塁打と活躍し、史上最速となる球団創設4年目での世界一に輝いた。2002年は復活し、25本塁打・89打点、キャリアハイの出塁率.370を記録。チームは2年連続で地区優勝を果たすが、ディビジョンシリーズでカージナルスに3連敗で敗退。4年契約を満了し10月29日にフリーエージェントとなるが、12月7日に再契約。2003年は38歳にしてリーグトップの10三塁打を記録。2004年はチームが地区最下位に低迷し、7月31日にレジー・アバークロンビーらとの交換トレードで、ブレント・メインと共にロサンゼルス・ドジャースに移籍。
ロサンゼルス・ドジャース
[編集]移籍後は13本塁打・46打点を記録。10月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でサヨナラ満塁本塁打を放って逆転勝利し、チームは9年ぶりの地区優勝を果たした。シーズン通算で36本塁打・94打点を記録し、39歳にしてキャリアハイの本塁打数となった。自身4度目の対戦となったカージナルスとのディビジョンシリーズは1勝3敗で敗退。10月28日にフリーエージェントとなり、12月11日にアナハイム・エンゼルスに移籍。
引退
[編集]2005年は打率.222・12本塁打に留まるが、チームは2年連続の地区優勝。ポストシーズンでも打率.150に終わり、チームもリーグチャンピオンシップシリーズでシカゴ・ホワイトソックスに1勝4敗で敗退した。12月22日にエドガルド・アルフォンゾとの交換トレードでジャイアンツへ移籍。2006年6月14日の古巣ダイヤモンドバックス戦で、初回先頭打者本塁打を放って通算300本塁打に到達し、史上6人目の300-300(300本塁打・300盗塁)を達成した。41歳ながらリーグ4位タイの12三塁打を記録するが、打率.246・6本塁打に終わる。オフにフリーエージェントとなり、2007年2月24日にコロラド・ロッキーズと契約。しかし打率.181・1本塁打と結果を残せず6月13日に解雇され、引退。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | BAL | 81 | 241 | 217 | 35 | 54 | 5 | 2 | 2 | 69 | 25 | 17 | 3 | 6 | 2 | 15 | 1 | 1 | 30 | 3 | .249 | .298 | .318 | .616 |
1990 | 142 | 513 | 464 | 46 | 119 | 16 | 4 | 3 | 152 | 37 | 22 | 9 | 10 | 5 | 32 | 3 | 2 | 53 | 8 | .256 | .304 | .328 | .632 | |
1991 | HOU | 159 | 656 | 596 | 84 | 170 | 28 | 10 | 8 | 242 | 54 | 34 | 18 | 10 | 6 | 42 | 5 | 2 | 65 | 8 | .285 | .331 | .406 | .737 |
1992 | 162 | 686 | 607 | 84 | 177 | 29 | 13 | 5 | 247 | 55 | 44 | 9 | 16 | 2 | 58 | 6 | 3 | 63 | 10 | .292 | .355 | .407 | .762 | |
1993 | 142 | 585 | 545 | 69 | 145 | 15 | 13 | 8 | 210 | 44 | 19 | 6 | 6 | 3 | 28 | 1 | 3 | 65 | 8 | .266 | .304 | .385 | .689 | |
1994 | 94 | 417 | 373 | 64 | 103 | 16 | 5 | 11 | 162 | 33 | 13 | 7 | 13 | 1 | 28 | 0 | 2 | 52 | 3 | .276 | .329 | .434 | .763 | |
1995 | SD | 139 | 630 | 562 | 104 | 167 | 23 | 8 | 10 | 236 | 44 | 36 | 12 | 4 | 2 | 59 | 5 | 3 | 62 | 8 | .297 | .366 | .420 | .786 |
1996 | 161 | 721 | 655 | 126 | 195 | 45 | 9 | 30 | 348 | 95 | 22 | 8 | 1 | 5 | 56 | 5 | 4 | 87 | 20 | .298 | .354 | .531 | .885 | |
1997 | 143 | 615 | 560 | 101 | 146 | 26 | 5 | 28 | 266 | 92 | 15 | 3 | 2 | 7 | 43 | 2 | 3 | 92 | 10 | .261 | .313 | .475 | .788 | |
1998 | 159 | 674 | 619 | 92 | 154 | 40 | 6 | 14 | 248 | 67 | 12 | 3 | 3 | 4 | 45 | 0 | 3 | 103 | 9 | .249 | .301 | .401 | .702 | |
1999 | ARI | 156 | 663 | 590 | 100 | 156 | 32 | 10 | 34 | 310 | 103 | 8 | 4 | 2 | 5 | 63 | 7 | 3 | 94 | 4 | .264 | .336 | .525 | .861 |
2000 | 152 | 623 | 539 | 100 | 151 | 27 | 5 | 35 | 293 | 96 | 12 | 6 | 2 | 9 | 65 | 7 | 8 | 87 | 9 | .280 | .361 | .544 | .905 | |
2001 | 140 | 548 | 495 | 66 | 136 | 27 | 4 | 14 | 213 | 73 | 11 | 7 | 2 | 3 | 47 | 9 | 1 | 67 | 8 | .275 | .337 | .430 | .767 | |
2002 | 150 | 577 | 505 | 82 | 145 | 24 | 4 | 25 | 252 | 89 | 16 | 4 | 1 | 3 | 65 | 7 | 3 | 73 | 10 | .287 | .370 | .499 | .869 | |
2003 | 147 | 582 | 516 | 82 | 148 | 24 | 10 | 22 | 258 | 70 | 15 | 8 | 0 | 3 | 57 | 4 | 6 | 94 | 6 | .287 | .363 | .500 | .863 | |
2004 | 104 | 456 | 404 | 61 | 111 | 16 | 1 | 23 | 198 | 48 | 8 | 4 | 6 | 5 | 40 | 1 | 1 | 52 | 9 | .275 | .338 | .490 | .828 | |
LAD | 58 | 250 | 224 | 31 | 59 | 12 | 0 | 13 | 110 | 46 | 1 | 3 | 3 | 2 | 21 | 0 | 0 | 30 | 5 | .263 | .324 | .491 | .815 | |
'04計 | 162 | 706 | 628 | 92 | 170 | 28 | 1 | 36 | 308 | 94 | 9 | 7 | 9 | 7 | 61 | 1 | 1 | 82 | 14 | .271 | .333 | .490 | .823 | |
2005 | LAA | 112 | 440 | 406 | 41 | 90 | 20 | 3 | 12 | 152 | 54 | 8 | 4 | 1 | 4 | 26 | 3 | 3 | 71 | 6 | .222 | .271 | .374 | .645 |
2006 | SF | 139 | 481 | 426 | 66 | 105 | 21 | 12 | 6 | 168 | 40 | 7 | 0 | 3 | 4 | 46 | 2 | 2 | 55 | 6 | .246 | .320 | .394 | .714 |
2007 | COL | 43 | 102 | 94 | 9 | 17 | 3 | 0 | 1 | 23 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 4 | 2 | .181 | .245 | .245 | .490 |
MLB:19年 | 2583 | 10460 | 9397 | 1443 | 2548 | 449 | 124 | 304 | 4157 | 1167 | 320 | 118 | 91 | 75 | 844 | 69 | 53 | 1299 | 152 | .271 | .332 | .442 | .774 |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
[編集]- ゴールドグラブ賞:5回(1995年、1996年、1999年、2000年、2004年)
記録
[編集]- MLBオールスターゲーム選出:2回(1997年、2000年)
背番号
[編集]- 10(1989年 - 1990年)
- 12(1991年 - 2004年途中、2005年 - 2007年)
- 16(2004年途中 - 同年終了)