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[[File:Former site of tokiwaso apartment house minaminagasaki.JPG|thumb|right|220px|跡地の[[日本加除出版]]への入口路地(左の案内看板は現在設置されていない)。この突き当たりを右に進んだ場所に「トキワ荘跡地モニュメント」がある。]]
[[File:Chuuka Matsuba.jpg|thumb|right|220px|中華料理店「松葉」(2019年)。トキワ荘住人がよく利用し、[[藤子不二雄A|藤子不二雄Ⓐ]]『[[まんが道]]』等にも登場する。]]


'''トキワ荘'''(トキワそう)は、[[東京都]][[豊島区]][[南長崎]]三丁目<ref name="日経20200403">[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO57565370S0A400C2BC8000/ 小出幹雄「今よみがえるトキワ荘 漫画の巨匠たちが過ごした青春 行政・住民・ファンの力を結集」] 『[[日本経済新聞]]』朝刊 2020年4月3日文化面 2020年6月29日閲覧</ref>([[住居表示]]16番6号、完成当時の住所表記は[[椎名町]]五丁目2253番地)に、[[1952年]]([[昭和]]27年)から[[1982年]](昭和57年)にかけて存在した[[木構造 (建築)|木造]]2階建[[アパート]]<ref name="日経20200403"/>。
[[Image:Former site of tokiwaso apartment house minaminagasaki.JPG|thumb|right|220px|跡地の[[日本加除出版]]への入口路地(私道、左の案内看板は現在設置されていない)。この突き当たりを右に進んだ場所に「トキワ荘跡地モニュメント」がある。]]
[[Image:Chuuka Matsuba.jpg|thumb|right|220px|中華料理店「松葉」(2019年)。トキワ荘住人がよく利用し、[[藤子不二雄A|藤子不二雄Ⓐ]]『[[まんが道]]』等にも登場する。]]
'''トキワ荘'''(トキワそう)は、[[東京都]][[豊島区]][[南長崎]]三丁目<ref name="日経20200403">[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO57565370S0A400C2BC8000/ 小出幹雄「今よみがえるトキワ荘◇漫画の巨匠たちが過ごした青春 行政・住民・ファンの力を結集◇」]『[[日本経済新聞]]』朝刊2020年4月3日文化面)2020年6月29日閲覧</ref>([[住居表示]]16番6号、完成当時の住所表記は豊島区椎名町五丁目2253番地)に、[[1952年]]([[昭和]]27年)から[[1982年]](昭和57年)にかけて存在した[[木構造 (建築)|木造]]2階建[[アパート]]<ref name="日経20200403"/>。


[[手塚治虫]]<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20211217-3UWNNZ2CS5IAXKFQYT6UKYMKZM/|title=「目パチ、口パク」発案 アニメ「鉄腕アトム」トキワ荘で特別展|publisher=産経ニュース|date=2021-12-17|accessdate=2021-12-18}}</ref>、[[藤子不二雄]]、[[石ノ森章太郎]]、[[赤塚不二夫]]ら著名な[[漫画家]]が居住していたことで知られ、[[漫画]]の「[[巡礼 (通俗)|聖地]]」となったことから、豊島区によって[[復元]]施設「豊島区立[[トキワ荘マンガミュージアム]]」が同区の[[南長崎]]花咲公園内に建設された<ref name="トキワ荘マンガミュージアム">{{Cite web |url=https://tokiwasomm.jp/ |title=豊島区立トキワ荘マンガミュージアム |publisher=豊島区 |accessdate=2020-06-27 }}</ref><ref name="sankei20190112">[https://www.sankei.com/entertainments/news/190111/ent1901110014-n1.html 「トキワ荘」復元 寄付絶好調/2億7000万円 15日に施設着工]『[[産経新聞]]』朝刊2019年6月12日(東京面)2019年1月17日閲覧。</ref>。
[[手塚治虫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211217-3UWNNZ2CS5IAXKFQYT6UKYMKZM/|title=「目パチ、口パク」発案 アニメ「鉄腕アトム」トキワ荘で特別展|publisher=産経ニュース|date=2021-12-17|accessdate=2021-12-18}}</ref>、[[藤子不二雄]]、[[石ノ森章太郎]]、[[赤塚不二夫]]ら著名な[[漫画家]]が居住していたことで知られ、[[漫画]]の「[[巡礼 (通俗)|聖地]]」となったことから、豊島区によって[[復元]]施設「豊島区立[[トキワ荘マンガミュージアム]]」が同区の南長崎花咲公園内に建設された<ref name="トキワ荘マンガミュージアム">{{Cite web|和書|url=https://tokiwasomm.jp/ |title=豊島区立トキワ荘マンガミュージアム |publisher=豊島区 |accessdate=2020-06-27 }}</ref><ref name="sankei20190112">[https://www.sankei.com/article/20190111-VUOKKXB6DJPFVDDNNPZWF6COGU/ 「トキワ荘」復元 寄付絶好調/2億7000万円 15日に施設着工] 『[[産経新聞]]』朝刊 2019年6月12日(東京面) 2019年1月17日閲覧。</ref>。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[上棟式]]は1952年(昭和27年)[[12月6日]]。老朽化により1982年(昭和57年)[[11月29日]]に[[解体]]された。跡地は2020年時点、[[日本加除出版]]の社屋となっている<ref name="加除出版">[https://www.kajo.co.jp/company/company05.php 会社案内 アクセス 日本加除出版株式会社 〒171-8516 東京都豊島区南長崎3-16-6](2020年6月29日閲覧)</ref>。[[賃貸住宅|賃貸]]された[[部屋]]のうち階部分は十室で、全て[[四畳半]]([[押入れ]]と入り口部分のスペースを除く)。その他、共同の[[厨房|調理場]]、[[便所|トイレ]]などが存在した<ref>[[#青春|トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso]] P.87 - 鈴木伸一によるトキワ荘二階見取図より。</ref>。
[[上棟式]]は1952年(昭和27年)[[12月6日]]。老朽化により1982年(昭和57年)[[11月29日]]に[[解体]]された。跡地は2020年(令和2年)時点、[[日本加除出版]]の社屋となっている<ref name="加除出版">[https://www.kajo.co.jp/company/company05.php 会社案内 アクセス 日本加除出版株式会社 〒171-8516 東京都豊島区南長崎3-16-6](2020年6月29日閲覧)</ref>。[[賃貸住宅|賃貸]]された[[部屋]]のうち2階部分は十室で、全て[[四畳半]]([[押入れ]]と入り口部分のスペースを除く)。その他、共同の[[厨房|調理場]]、[[便所|トイレ]]などが存在した<ref>[[#青春|トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso]] P.87 - 鈴木伸一によるトキワ荘二階見取図より。</ref>。


手塚治虫は1952年(昭和27年)に上京して最初は東京都[[新宿区]][[四谷]]の[[八百屋]]の2階に[[下宿]]していたが、やがて昼夜を問わぬ[[編集者]]の出入りの激しさについて八百屋の主人から苦情を言われるようになった。この時、手塚は、[[漫画少年|学童社]]の[[加藤謙一]]の次男・加藤宏泰から、宏泰の住む新築アパート「トキワ莊」へ入居するように誘われて、[[1953年]](昭和28年)の初頭に住人となった<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] P.39</ref>。これを皮切りに、学童社が、自社の雑誌に連載を持つ[[漫画家]]の多くをトキワ荘へ入居させた。最も多い時期には7 - 8名の漫画家が居住し、またその仲間の漫画家も出入りするようになったため、「マンガ荘」というニックネームまで付けられた<ref>[[#青春|トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso]] P.161</ref>。
手塚治虫は1952年(昭和27年)に上京して最初は東京都[[新宿区]][[四谷]]の[[八百屋]]の2階に[[下宿]]していたが、やがて昼夜を問わぬ[[編集者]]の出入りの激しさについて八百屋の主人から苦情を言われるようになった。この時、手塚は、[[漫画少年|学童社]]の[[加藤謙一]]の次男・加藤宏泰から、宏泰の住む新築アパート「トキワ莊」へ入居するように誘われて、[[1953年]](昭和28年)の初頭に住人となった<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] P.39</ref>。これを皮切りに、学童社が、自社の雑誌に連載を持つ[[漫画家]]の多くをトキワ荘へ入居させた。最も多い時期には7 - 8名の漫画家が居住し、またその仲間の漫画家も出入りするようになったため、「マンガ荘」というニックネームまで付けられた<ref>[[#青春|トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso]] P.161</ref>。


才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、[[寺田ヒロオ]]の「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の[[共同生活]]の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあった。このほかに「漫画家が[[原稿]]を落としそうになった際、他の部屋からすぐに[[アシスタント (漫画)|助っ人]]を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と、「他の漫画家の穴埋めでもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったとされている<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] P.42</ref>。
才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、[[寺田ヒロオ]]の「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の[[共同生活]]の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあった。このほかに「漫画家が[[原稿]]を落としそうになった際、他の部屋からすぐに[[アシスタント (漫画)|助っ人]]を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と、「他の漫画家の[[代理原稿|穴埋め原稿]]でもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったとされている<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] P.42</ref>。


それら若手漫画家達の多くは後に著名になり、その漫画家達により同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになった。なお、トキワ荘への入居と仲間入りに際しては、メンバーたちにより、
それら若手漫画家達の多くは後に著名になり、その漫画家達により同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになった。なお、トキワ荘への入居と仲間入りに際しては、メンバーたちにより、

* 『[[漫画少年]]』で寺田が担当していた投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めていること。
* 『[[漫画少年]]』で寺田が担当していた投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めていること。
* 協調性があること。
* 協調性があること。
* 最低限、プロの[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]が務まったり、穴埋め原稿が描けたりする程度の技量には達していること。
* 最低限、プロの[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]が務まったり、穴埋め原稿が描けたりする程度の技量には達していること。
* 本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。
* 本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。
といった基準で厳格な事前審査が行われていたとされる<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] PP.42 - 43</ref><ref group="注釈">[[水野英子]]の入居の際は、既にトキワ荘にいた石森章太郎、赤塚不二夫と水野の3人で合作し、U・マイヤ名義で作品を発表するという目的があったため、掲載誌『[[少女クラブ]]』の担当編集者だった丸山昭が部屋を押さえ、[[敷金]]・[[礼金]]も払うなど、トキワ荘のメンバーというより出版社・編集者主導で事前の準備がなされていた(丸山昭 『トキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春』 [[小学館文庫]]、1999年)。</ref>。こうした背景を考えると、トキワ荘に居住した(居住できた)のは単なる若手漫画家ではなく、選び抜かれた漫画[[エリート]]集団であり、トキワ荘から多数の一流漫画家が世に出たのは偶然ではなく必然だったと指摘されている<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] PP.42-43</ref>。


近所に「松葉」という[[中華料理]]店があり、藤子不二雄が[[ラーメン]]の出前を取るなど<ref>[[藤子・F・不二雄大全集]]『[[オバケのQ太郎]]』1巻、2009年、443 - 446頁。</ref>、住人らが頻繁に利用していた。この店のラーメンは、藤子不二雄の作品に登場する「[[小池さん]]」の設定に影響したとされる。松葉は現在も営業を続けている。[[ワカコ酒]]Season4で取り上げられた<ref>[https://www.bs-tvtokyo.co.jp/wakako_zake4/story/02.html]</ref><ref>手塚の息子の[[手塚眞]]がゲスト出演</ref>。
といった基準で厳格な事前審査が行われていたとされる<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] PP.42-43</ref><ref group="注釈">[[水野英子]]の入居の際は、既にトキワ荘にいた石森章太郎、赤塚不二夫と水野の3人で合作し、U・マイヤ名義で作品を発表するという目的があったため、掲載誌『[[少女クラブ]]』の担当編集者だった丸山昭が部屋を押さえ、[[敷金]]・[[礼金]]も払うなど、トキワ荘のメンバーというより出版社・編集者主導で事前の準備がなされていた(丸山昭 『トキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春』 [[小学館文庫]]、1999年)。</ref>。こうした背景を考えると、トキワ荘に居住した(居住できた)のは単なる若手漫画家ではなく、選び抜かれた漫画[[エリート]]集団であり、トキワ荘から多数の一流漫画家が世に出たのは偶然ではなく必然だったと指摘されている<ref>[[#無頼|「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝]] PP.42-43</ref>。

近所に「松葉」という[[中華料理]]店があり、藤子不二雄が[[ラーメン]]の出前を取るなど<ref>[[藤子・F・不二雄大全集]]『[[オバケのQ太郎]]』1巻、2009年、443-446頁。</ref>、住人らが頻繁に利用していた。この店のラーメンは、藤子不二雄の作品に登場する「[[小池さん]]」の設定に影響したとされる。松葉は現在も営業を続けている。[[ワカコ酒]]Season4で取り上げられた<ref>https://www.bs-tvtokyo.co.jp/wakako_zake4/story/02.html</ref><ref>手塚の息子の[[手塚眞]]がゲスト出演</ref>。


また、[[1955年]](昭和30年)5月に結成された[[新漫画党]]のメンバー、すなわち寺田ヒロオ([[総裁]])、藤子不二雄([[藤子不二雄A|藤子不二雄<span class="Unicode">&#9398;</span>]]、[[・F・不二雄]])、[[鈴木伸一]]、[[森安なおや]]([[1957年]]〈昭和32年〉に[[除名]]処分を受ける)、[[つのだじろう]]、[[石ノ森章太郎|石森章太郎]]、[[赤塚不二夫]]、[[園山俊二]]は、トキワ荘に当時かかっていたカーテンに各自、結成を祝って漫画を描いた。現在そのカーテンは、おもちゃコレクター・鑑定士の[[北原照久]]の所有となっており、漫画界の「[[釈迦]]の衣」と呼ばれている。
また、[[1955年]](昭和30年)5月に結成された[[新漫画党]]のメンバー、すなわち寺田ヒロオ([[総裁]])、藤子不二雄([[藤本弘]]、[[安孫雄]])、[[鈴木伸一]]、[[森安なおや]]([[1957年]]〈昭和32年〉に[[除名]]処分を受ける)、[[つのだじろう]]、[[石ノ森章太郎|石森章太郎]]、[[赤塚不二夫]]、[[園山俊二]]は、トキワ荘に当時かかっていたカーテンに各自、結成を祝って漫画を描いた。現在そのカーテンは、おもちゃコレクター・鑑定士の[[北原照久]]の所有となっており、漫画界の「[[釈迦]]の衣」と呼ばれている。


雑誌『[[COM (雑誌)|COM]]』では[[1969年]](昭和44年)から翌[[1970年]](昭和45年)にかけ、各漫画家たちがトキワ荘に住んでいた頃の状況を[[自伝]]として描いた(後にまとめられ、『トキワ荘物語』として翠楊社より[[1978年]](昭和58年)に出版。以後も再刊、再編集)。さらに[[1970年代]]からは『[[週刊少年キング]]』等に連載された藤子不二雄([[藤子不二雄A|藤子不二雄<span class="Unicode">&#9398;</span>]])の『[[まんが道]]』や、つのだじろうの『[[その他くん]]』などによってトキワ荘のエピソードが語られ、後進の漫画家、或いは漫画[[ファン]]に知られるようになった。その結果、トキワ荘自体も著名な存在となり、既に各漫画家が全員退出してしまった時期においても[[見学]]者が[[はとバス]]で訪れる<ref>[[#青春|トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso]] P.462</ref>といった[[聖地#転用|聖地]]的な扱いをされるに至った。解体前の[[1978年]](昭和53年)には翠楊社より『トキワ荘物語』が刊行され、解体が決まった[[1981年]](昭和56年)、手塚治虫を中心としたかつての居住者らが集まって[[同窓会]]が開かれ、その模様は[[NHKスペシャル|NHK特集]]『わが青春のトキワ荘現代マンガ家立志伝』([[日本放送協会|NHK]])として[[5月25日]]に[[放送]]、[[セルビデオ|ビデオ]]も発売された。この時、建物に残っていた[[襖]]で[[寄せ書き]]が作成された。これは『[[驚き桃の木20世紀]]』([[テレビ朝日]])で公開された<ref group="注釈">それを見たゲストの[[なぎら健壱]]はこの寄せ書きに感動し「全財産を投じて永久保存をするからこれを譲ってほしい」と発言した。</ref>。また、[[10月3日]]には[[フジテレビジョン|フジテレビ]]でアニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』(脚本・[[辻真先]]、監修・[[小池一夫]]、監督・[[鈴木伸一]]、[[キャラクターデザイン]]・[[石ノ森章太郎|石森章太郎]])が放映された。さらに[[1996年]]([[平成]]8年)には[[市川準]]監督、[[本木雅弘]]主演で映画『[[トキワ荘の青春]]』が公開されている。
雑誌『[[COM (雑誌)|COM]]』では[[1969年]](昭和44年)から翌[[1970年]](昭和45年)にかけ、各漫画家たちがトキワ荘に住んでいた頃の状況を[[自伝]]として描いた(後にまとめられ、『トキワ荘物語』として翠楊社より[[1978年]](昭和53年)に出版。以後も再刊、再編集)。さらに[[1970年代]]からは『[[週刊少年キング]]』等に連載された藤子不二雄(藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}})の『[[まんが道]]』や、つのだじろうの『[[その他くん]]』などによってトキワ荘のエピソードが語られ、後進の漫画家、或いは漫画[[ファン]]に知られるようになった。その結果、トキワ荘自体も著名な存在となり、既に各漫画家が全員退出してしまった時期においても[[見学]]者が[[はとバス]]で訪れる<ref>[[#青春|トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso]] P.462</ref>といった[[聖地#転用|聖地]]的な扱いをされるに至った。解体前の[[1978年]](昭和53年)には翠楊社より『トキワ荘物語』が刊行され、解体が決まった[[1981年]](昭和56年)、手塚治虫を中心としたかつての居住者らが集まって[[同窓会]]が開かれ、その模様は[[NHKスペシャル|NHK特集]]『わが青春のトキワ荘現代マンガ家立志伝』([[日本放送協会|NHK]])として[[5月25日]]に[[放送]]、[[セルビデオ|ビデオ]]も発売された。この時、建物に残っていた[[襖]]で[[寄せ書き]]が作成された。これは『[[驚き桃の木20世紀]]』([[テレビ朝日]])で公開された<ref group="注釈">それを見たゲストの[[なぎら健壱]]はこの寄せ書きに感動し「くんねぇかなこれ。大事にするから」と発言した(1995年1月6日放送分より)。</ref>。また、[[10月3日]]には[[フジテレビジョン|フジテレビ]]でテレビアニメ『[[ぼくらマンガ家 トキワ荘物語]]』(脚本・[[辻真先]]、監修・[[小池一夫]]、監督・[[鈴木伸一]]、[[キャラクターデザイン]]・[[石ノ森章太郎|石森章太郎]])が放映された。さらに[[1996年]]([[平成]]8年)には[[市川準]]監督、[[本木雅弘]]主演で映画『[[トキワ荘の青春]]』が公開されている。


トキワ荘自体は解体された[[1982年]](昭和57年)の[[12月]]に新築され、[[風呂|バス]]・トイレ付きのアパートになった。そして[[赤塚不二夫]]作画[[看板]]が掲げられていた。しかし、[[バブル景気]]の最中に[[バブル景気#地上げ|地上げ]]に巻き込まれて[[更地]]化した。現在は[[日本加除出版]]の新館社屋となっている<ref name="加除出版"/>。
トキワ荘自体は解体された[[1982年]](昭和57年)の[[12月]]に新築され、[[風呂|バス]]・トイレ付きのアパートになった。そして[[赤塚不二夫]]直筆「トキワ荘」表札が掲げられていた。しかし、[[バブル景気]]の最中に[[バブル景気#地上げ|地上げ]]に巻き込まれて[[更地]]化した。現在は[[日本加除出版]]の新館社屋となっている<ref name="加除出版"/>。


トキワ荘の解体を聞きつけて取材した新聞記者に手塚は、かつて住んでいた2階14号室の天井板に『[[リボンの騎士]]』のサファイアの絵と[[自画像]]を描いて贈った。これは[[警視庁]][[記者クラブ]]に保存された後<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S13910937.html 「トキワ荘外伝 記者のリレー/手塚さん筆の天井板、警視庁クラブが区に寄贈検討」]『[[朝日新聞]]』夕刊2019年2月26日(1面)2019年3月4日閲覧。</ref>、[[2020年]][[2月26日]]、豊島区に寄贈された<ref>{{Cite web |author= |date= 2020-2-27|url= https://www.sankei.com/region/news/200227/rgn2002270002-n1.html|title=手塚治虫直筆の天井板、豊島区に贈呈「トキワ荘の歴史の証し」|website= 産経新聞|publisher= |accessdate=2020-04-25}}</ref>。
トキワ荘の解体を聞きつけて取材した新聞記者に手塚は、かつて住んでいた2階14号室の天井板に『[[リボンの騎士]]』のサファイアの絵と[[自画像]]を描いて贈った。これは[[警視庁]][[記者クラブ]]に保存された後<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S13910937.html 「トキワ荘外伝 記者のリレー/手塚さん筆の天井板、警視庁クラブが区に寄贈検討」]『[[朝日新聞]]』夕刊2019年2月26日(1面)2019年3月4日閲覧。</ref>、[[2020年]]([[令和]]2年)[[2月26日]]、豊島区に寄贈された<ref>{{Cite web|和書|author= |date= 2020-2-27|url= https://www.sankei.com/article/20200227-JNFMCTBZIFOORP7XZMSZDVJ55I/|title=手塚治虫直筆の天井板、豊島区に贈呈「トキワ荘の歴史の証し」|website= 産経新聞|publisher= |accessdate=2020-04-25}}</ref>。


== トキワの居住者 ==
== トキワの居住者 ==
[[Image:Tokiwasou Hanasaki Park2.JPG|thumb|right|240px|トキワ荘住人の自画像とサインを集めたモニュメント(豊島区南長崎花咲公園)]]
[[Image:Tokiwasou Hanasaki Park2.JPG|thumb|right|240px|トキワ荘住人の自画像とサインを集めたモニュメント(豊島区南長崎花咲公園)]]
=== 漫画家 ===
=== 漫画家 ===
'''太字'''は存命者。
<!--入居順-->
<!--入居順-->
* [[手塚治虫]](1953年初頭 - 1954年10月<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.186</ref>)2階14号室。
* [[手塚治虫]]([[兵庫県]]出身、1953年初頭 - 1954年10月<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.186</ref>)2階14号室。
* [[寺田ヒロオ]](1953年12月31日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.30</ref> - 1957年6月20日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.36</ref>)
* [[寺田ヒロオ]]([[新潟県]]出身、1953年12月31日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.30</ref> - 1957年6月20日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.36</ref>)
* [[藤子不二雄]]([[藤子・F・不二雄|藤本弘]][[藤子不二雄A|安孫子素雄]])(1954年10月30日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.14</ref> - 1961年10月)
* [[藤子不二雄]]([[藤子・F・不二雄|藤本弘]][[藤子不二雄A|安孫子素雄]]、[[富山県]]出身、1954年10月30日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.14</ref> - 1961年10月)
** 当初は二人で手塚が住んでいた一室を借り、後に藤本が別に一部屋を借りて移っている。1955年12月ごろから安孫子の姉である喜多枝(後の[[藤子スタジオ]]代表取締役社長)が上京して弟の部屋に同居し、食事の世話等をしていた。
** 当初は二人で手塚が住んでいた一室を借り、後に藤本が別に一部屋を借りて移っている。1955年12月ごろから安孫子の姉である喜多枝(後の[[藤子スタジオ]]代表取締役社長)が上京して弟の部屋に同居し、食事の世話等をしていた。
* [[鈴木伸一]](1955年9月2日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.20</ref> - 1956年6月1日)
* '''[[鈴木伸一]]'''([[長崎県]]出身、1955年9月2日<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.20</ref> - 1956年6月1日)
* [[森安なおや]](1956年2月 - 1956年末<ref name="tokiwa190">[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.190</ref>)
* [[森安なおや]]([[岡山県]]出身、1956年2月 - 1956年末<ref name="tokiwa190">[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.190</ref>)
* [[石ノ森章太郎|石森章太郎]](後に石ノ森章太郎と[[改名]])(1956年5月4日<ref name="tokiwa22">[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.22</ref> - 1961年末)ただし退去後も[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]の部屋のみトキワ荘に残す。
* [[石ノ森章太郎|石森章太郎]]([[宮城県]]出身、後に石ノ森章太郎と[[改名]])(1956年5月4日<ref name="tokiwa22">[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.22</ref> - 1961年末)ただし退去後も[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]の部屋のみトキワ荘に残す。
* [[赤塚不二夫]](1956年5月4日<ref name="tokiwa22" /> - 1961年10月<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.184</ref>)
* [[赤塚不二夫]]([[満州]]出身[[新潟県]]育ち、1956年5月4日<ref name="tokiwa22" /> - 1961年10月<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.184</ref>)
* [[よこたとくお]](1958年 - 1961年<ref name="tokiwa190" />)
* [[よこたとくお]]([[福島県]]出身、1958年 - 1961年<ref name="tokiwa190" />)
* [[水野英子]](1958年3月 - 1958年10月<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.189</ref>)
* '''[[水野英子]]'''([[山口県]]出身、1958年3月 - 1958年10月<ref>[[#まんが|まんがトキワ荘物語]] P.189</ref>)
* [[山内ジョージ]](1960年9月 - 1962年3月)
* '''[[山内ジョージ]]'''([[満州]]出身[[宮城県]]育ち、1960年9月 - 1962年3月)
* 向さすけ(1981年 - 1982年)


=== その他 ===
=== その他 ===
* [[赤塚藤七]](1962年1月 - 1964年頃、[[赤塚不二夫]]の実父。妻のリヨと共にトキワ荘に居住していた時期がある)
* [[赤塚藤七]](1962年1月 - 1964年頃、[[赤塚不二夫]]の実父。妻のリヨと共にトキワ荘に居住していた時期がある)
* [[遠藤景子]]([[NHK松山放送局]]元放送局長。漫画家ではないが、トキワ荘で生まれ、幼い頃に居住していた)
* [[遠藤景子]]([[NHK松山放送局]]元放送局長。漫画家ではないが、トキワ荘で生まれ、幼い頃に居住していた)
* 当時、一般の若夫婦が居住していたが、二人の名前が「フジコ」と「フジオ」であったという。


=== トキワ荘に頻繁に出入りしていた漫画家 ===
=== トキワ荘に頻繁に出入りしていた漫画家 ===
* [[長谷邦夫]]
* [[長谷邦夫]]
* [[高井研一郎]]
* [[園山俊二]]
* [[園山俊二]]
* [[つげ義春]] - 『漫画少年』の投稿欄を通じて知り合った赤塚不二夫を訪ね、トキワ荘に出入りしていた。「まだデビュー前で、トキワ荘に移ってからも、彼だけがなかなか芽が出ないでいたんですね。ぼくがトキワ荘を訪ねても、相手をしてくれるのは、赤塚さんくらいでした」「トキワ荘には、まだ赤塚さんたちが入られる前、手塚(治虫)さんが一人で住んでおられた時に訪ねたこともありました。マンガ家になろうと思い立ち、原稿料がいくらくらいか訊きに行ったんですが、きちんと対応してくれて、親切でしたよ」と語っている<ref>『芸術新潮』2014年1月号、p.71-72。</ref>。また、トキワ荘グループは苦手だったと認め、「デビューしてまもない無名でしたから、寺田ヒロオさんや藤子不二雄さんとかは、ほとんど相手にしてくれなかったです。赤塚不二夫さんと、あとは石森(石ノ森)章太郎さんがちょっとだけ相手にしてくれました」とも発言している<ref>『[[東京人 (雑誌)|東京人]]』2014年7月号、p.27。</ref>。
* [[つげ義春]] - 『漫画少年』の投稿欄を通じて知り合った赤塚不二夫を訪ね、トキワ荘に出入りしていた。「まだデビュー前で、トキワ荘に移ってからも、彼だけがなかなか芽が出ないでいたんですね。ぼくがトキワ荘を訪ねても、相手をしてくれるのは、赤塚さんくらいでした」「トキワ荘には、まだ赤塚さんたちが入られる前、手塚(治虫)さんが一人で住んでおられた時に訪ねたこともありました。マンガ家になろうと思い立ち、原稿料がいくらくらいか訊きに行ったんですが、きちんと対応してくれて、親切でしたよ」と語っている<ref>『芸術新潮』2014年1月号、p.71-72。</ref>。また、トキワ荘グループは苦手だったと認め、「デビューしてまもない無名でしたから、寺田ヒロオさんや藤子不二雄さんとかは、ほとんど相手にしてくれなかったです。赤塚不二夫さんと、あとは石森(石ノ森)章太郎さんがちょっとだけ相手にしてくれました」とも発言している<ref>『[[東京人 (雑誌)|東京人]]』2014年7月号、p.27。</ref>。
* [[つのだじろう]] - [[スクーター]]で通っていた<ref>[https://www.travel.co.jp/guide/article/18012/ 東京「トキワ荘通り」伝説のマンガ家たちゆかりの地を訪ねるおさんぽ旅]</ref>。
* [[つのだじろう]] - [[スクーター]]で通っていた<ref>[https://www.travel.co.jp/guide/article/18012/ 東京「トキワ荘通り」伝説のマンガ家たちゆかりの地を訪ねるおさんぽ旅!]</ref>。
* [[坂本三郎]]
* [[坂本三郎]]
* [[永田竹丸]]
* [[永田竹丸]]
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=== プロジェクト ===
=== プロジェクト ===
==== トキワ荘プロジェクト ====
==== トキワ荘プロジェクト ====
NPO法人[[NEWVERY]]が運営する漫画家を目指す若者に[[シェアハウス]]を貸し出し、プロデビューをサポートする事業。参加者は、漫画関係の勉強会の受講や、仕事の斡旋・仲介を受けることができる。中には漫画家の[[甲斐谷忍]]や[[樹崎聖]]が指導を行うメンター荘もある。主な出身者は、[[カメントツ]](『[[こぐまのケーキ屋さん]]』)、[[中川学_(漫画家)|中川学]](『[[くも漫。]]』)、[[雲母坂盾]](『ボーンコレクション』)、一二三(『[[四十七大戦]]』)、[[西村ツチカ]]、[[西]]、[[窓ハルカ]]ら。120名がプロデビューしている<ref>[https://tokiwa-so.net/debutants トキワ荘プロジェクト 参加者の実績]</ref>。
NPO法人[[NEWVERY]]が運営する漫画家を目指す若者に[[シェアハウス]]を貸し出し、プロデビューをサポートする事業。参加者は、漫画関係の勉強会の受講や、仕事の斡旋・仲介を受けることができる。中には漫画家の[[甲斐谷忍]]や[[樹崎聖]]が指導を行うメンター荘もある。主な出身者は、[[カメントツ]](『[[こぐまのケーキ屋さん]]』)、[[中川学 (漫画家)|中川学]](『[[くも漫。]]』)、[[雲母坂盾]](『ボーンコレクション』)、[[一二三 (漫画家)|一二三]](『[[四十七大戦]]』)、[[西修 (漫画家)|西修]](『[[魔入りました!入間くん]]』)、[[西村ツチカ]]、[[窓ハルカ]]ら。120名がプロデビューしている<ref>[https://tokiwa-so.net/debutants トキワ荘プロジェクト 参加者の実績]</ref>。


==== トキワ荘通り協働プロジェクト ====
==== トキワ荘通り協働プロジェクト ====
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2007年、[[豊島区立中央図書館]]が設けたトキワ荘の特集コーナーを見た豊島区議会議員が、トキワ荘跡に近い南長崎ニコニコ[[商店街]]の事業部長で時計店主だった小出幹雄に「地元は何もしないのか」と問いかけた。それに触発された同商店街が2007年夏、「『マンガの神様』達のルーツはここからであった」と書いた看板を設置。記念碑づくりをめざす実行委員会が商店街と区役所などの合同で発足し、2009年、豊島区がトキワ荘跡から約300メートル離れた南長崎花咲公園に記念碑「トキワ荘のヒーローたち」を建てた(後述)。寺田ヒロオに関する小冊子作製、水野英子を招いてのトークショー開催など「トキワ荘文化」の掘り起こしや研究も進めた<ref name="日経20200403"/>(後述)。
2007年、[[豊島区立中央図書館]]が設けたトキワ荘の特集コーナーを見た豊島区議会議員が、トキワ荘跡に近い南長崎ニコニコ[[商店街]]の事業部長で時計店主だった小出幹雄に「地元は何もしないのか」と問いかけた。それに触発された同商店街が2007年夏、「『マンガの神様』達のルーツはここからであった」と書いた看板を設置。記念碑づくりをめざす実行委員会が商店街と区役所などの合同で発足し、2009年、豊島区がトキワ荘跡から約300メートル離れた南長崎花咲公園に記念碑「トキワ荘のヒーローたち」を建てた(後述)。寺田ヒロオに関する小冊子作製、水野英子を招いてのトークショー開催など「トキワ荘文化」の掘り起こしや研究も進めた<ref name="日経20200403"/>(後述)。


2012年には跡地にモニュメントが、翌2013年にはトキワ荘通りに「お休み処」がつくられた。こうした活動の母体として、地元の[[町会]]、商店会と豊島区が2011年に「トキワ荘通り協働プロジェクト協議会」を設立。2016年に「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」へ改称した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20190227/ddl/k13/040/003000c 【だいあろぐ--東京彩人記】トキワ荘通り協働プロジェクト協議会会長 足立菊保さん(83)漫画文化で町おこしを]『[[毎日新聞]]』朝刊2019年2月27日(東京面)2019年3月10日閲覧。</ref>。
2012年には跡地にモニュメントが、翌2013年にはトキワ荘通りに「お休み処」がつくられた。こうした活動の母体として、地元の[[町会]]、商店会と豊島区が2011年に「トキワ荘通り協働プロジェクト協議会」を設立。2016年に「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」へ改称した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20190227/ddl/k13/040/003000c 【だいあろぐ--東京彩人記】トキワ荘通り協働プロジェクト協議会会長 足立菊保さん(83)漫画文化で町おこしを] 『[[毎日新聞]]』朝刊2019年2月27日(東京面) 2019年3月10日閲覧。</ref>。


=== 記念碑・モニュメント・記念施設 ===
=== 記念碑・モニュメント・記念施設 ===
==== 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」 ====
==== 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」 ====
地域住民と豊島区の協働で記念碑の建立が計画され、[[2009年]]3月にトキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園において着工し、同年[[4月4日]]に完成した記念碑の除幕式が行われた<ref>[http://www.city.toshima.lg.jp/koho/hodo/13582/013395.html 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」除幕式(豊島区公式ホームページ)更新日:平成21年4月15日] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090716230134/http://www.city.toshima.lg.jp/koho/hodo/13582/013395.html |date=2009年7月16日 }}</ref>。
地域住民と豊島区の協働で記念碑の建立が計画され、[[2009年]]3月にトキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園において着工し、同年[[4月4日]]に完成した記念碑の除幕式が行われた<ref>[http://www.city.toshima.lg.jp/koho/hodo/13582/013395.html 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」除幕式(豊島区公式ホームページ)更新日:平成21年4月15日] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090716230134/http://www.city.toshima.lg.jp/koho/hodo/13582/013395.html |date=2009年7月16日 }}</ref>。


==== トキワ荘跡地モニュメント ====
==== トキワ荘跡地モニュメント ====
[[2012年]][[4月6日]]には、トキワ荘の跡地(日本加除出版敷地内)に当時の建物をかたどった石造りのモニュメントが設けられ、除幕式が開かれた<ref name="47newstokiwa">[http://www.47news.jp/localnews/furusato/2012/04/06174331.php マンガの天才たちが過ごした「トキワ荘」跡に[[モニュメント]](47NEWS)更新日:平成24年4月6日]</ref>。なお現在のトキワ荘跡地に通じる道路とモニュメントがあるのは、漫画などでよく描かれるトキワ荘の正面玄関側ではなく、裏口と非常階段があった側である<ref group="注釈">もとは旧落合電話局側に正面玄関通じる路地があったが、現在では住宅が建っており、かつての正面玄関側からモニュメントを見たり、トキワ荘跡地を訪れたりすることは不可能になっている。[https://web.archive.org/web/20160307123338/http://tokiwaso-street.jp/ トキワ荘について](Internet Archives)参照。</ref>。
[[2012年]][[4月6日]]には、トキワ荘の跡地(日本加除出版敷地内)に当時の建物をかたどった石造りのモニュメントが設けられ、除幕式が開かれた<ref name="47newstokiwa">[http://www.47news.jp/localnews/furusato/2012/04/06174331.php マンガの天才たちが過ごした「トキワ荘」跡にモニュメント(47NEWS)更新日:平成24年4月6日]</ref>。なお現在のトキワ荘跡地に通じる道路とモニュメントがあるのは、漫画などでよく描かれるトキワ荘の正面玄関側ではなく、裏口と非常階段があった側である<ref group="注釈">もとは旧落合電話局側(紫雲荘の面する道路側)に正面玄関通じる路地があったが、現在では住宅が建っており、かつての正面玄関側からモニュメントを見たり、トキワ荘跡地を訪れたりすることは不可能になっている。[https://web.archive.org/web/20160307123338/http://tokiwaso-street.jp/ トキワ荘について](Internet Archives)参照。</ref>。


==== 作品モニュメント ====
==== 作品モニュメント ====
2015年度から豊島区はモニュメント制作を開始、トキワ荘に住んだ漫画家全11人分の記念碑を設置中である<ref name="tokyo161213">[http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201612/CK2016121302000175.html 「トキワ荘」のまち 記念碑でPR 小池さんなど新たに2基] 『[[東京新聞]]』2016年12月13日。</ref>。
2015年度から豊島区はモニュメント制作を開始、トキワ荘に住んだ漫画家全11人分の記念碑を設置中である<ref name="tokyo161213">[http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201612/CK2016121302000175.html 「トキワ荘」のまち 記念碑でPR 小池さんなど新たに2基] 『[[東京新聞]]』2016年12月13日。</ref>。
# 手塚治虫「[[ジャングル大帝]]」レオ&ライヤ(2016年4月完成、[[西武池袋線]][[東長崎駅]]南北自由通路)<ref name="monument160412">[http://www.city.toshima.lg.jp/013/kuse/koho/hodo/h2804/1604121409.html 16日、トキワ荘のあった街に作品モニュメント誕生] 豊島区、2016年4月12日。</ref>。
* 手塚治虫「[[ジャングル大帝]]」レオ&ライヤ(2016年4月完成、[[西武池袋線]][[東長崎駅]]南北自由通路)<ref name="monument160412">[http://www.city.toshima.lg.jp/013/kuse/koho/hodo/h2804/1604121409.html 16日、トキワ荘のあった街に作品モニュメント誕生] 豊島区、2016年4月12日。</ref>。
# 寺田ヒロオ「背番号0」ゼロくん(2016年4月完成、南長崎スポーツ公園)<ref name="monument160412" />
* 寺田ヒロオ「背番号0」ゼロくん(2016年4月完成、南長崎スポーツ公園)<ref name="monument160412" />
# 鈴木伸一「ラーメン屋台モニュメント」(2016年12月完成、区立南長崎公園)<ref name="tokyo161213" />
* 鈴木伸一「ラーメン屋台モニュメント」(2016年12月完成、区立南長崎公園)<ref name="tokyo161213" />
# 森安なおや「いねっ子わらっ子」(2016年12月完成、特別養護老人ホーム「風かおる里」)<ref name="tokyo161213" />
* 森安なおや「いねっ子わらっ子」(2016年12月完成、特別養護老人ホーム「風かおる里」)<ref name="tokyo161213" />
#水野英子「星のたてごと」リンダユリウス(2018年12月完成、[[都営大江戸線]][[落合南長崎駅]]構内)
* 水野英子「星のたてごと」リンダ&ユリウス(2018年12月完成、[[都営大江戸線]][[落合南長崎駅]]構内)
#藤子不二雄Ⓐ「[[怪物くん]]」(2019年6月完成、[[西武池袋線]][[椎名町駅]])
* 藤子不二雄Ⓐ「[[怪物くん]]」(2019年6月完成、[[西武池袋線]][[椎名町駅]])
#石ノ森章太郎「[[サイボーグ009]]」(2019年6月完成、西武池袋線椎名町駅)
* 石ノ森章太郎「[[サイボーグ009]]」(2019年6月完成、西武池袋線椎名町駅)
#赤塚不二夫「[[天才バカボン]]」(2019年6月完成、西武池袋線椎名町駅)<ref>[https://www.city.toshima.lg.jp/424/bunka/kanko/006993/013506/1612261018.html マンガの聖地としまモニュメント]</ref>
* 赤塚不二夫「[[天才バカボン]]」(2019年6月完成、西武池袋線椎名町駅)<ref>[https://www.city.toshima.lg.jp/424/bunka/kanko/006993/013506/1612261018.html マンガの聖地としま!モニュメント]</ref>


==== トキワ荘通りお休み処 ====
==== トキワ荘通りお休み処 ====
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=== トキワ荘復元事業 ===
=== トキワ荘復元事業 ===
{{main|トキワ荘マンガミュージアム}}
{{Main|トキワ荘マンガミュージアム}}
[[2020年]]([[令和]]2年)の[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]に間に合わせる形で、 豊島区が近くの南長崎花咲公園に、外観を復元した区立の施設「マンガの聖地としまミュージアム」(仮称)が[[2019年]](平成31年)1月15日着工され、「'''豊島区立トキワ荘マンガミュージアム'''」として2020年7月7日に開館した<ref name="トキワ荘マンガミュージアム" />。当初は3月22日に開館する予定だったが、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルス感染拡大]]防止のため延期となっていた。
2020年の[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]に間に合わせる形で、 豊島区が近くの南長崎花咲公園に、外観を復元した区立の施設「マンガの聖地としまミュージアム」(仮称)が[[2019年]](平成31年)1月15日着工され、「'''豊島区立トキワ荘マンガミュージアム'''」として2020年7月7日に開館した<ref name="トキワ荘マンガミュージアム" />。当初は3月22日に開館する予定だったが、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルス感染拡大]]防止のため延期となっていた。


内部は、当時の漫画家たちの仕事場が忠実に再現されるほか<ref name="NHK NEWS WEB">{{Cite web |date=2020-06-27 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200627/k10012486151000.html?utm_int=all_side_ranking-social_003 |title=“漫画の聖地”「トキワ荘」復元施設が7月公開 4畳半の部屋も |publisher=[[日本放送協会]] |accessdate=2020-06-28 }}</ref>、漫画の閲覧やアニメの上映スペースなどが設けられる。また、1階のマンガラウンジには、警視庁五方面記者クラブから寄贈を受けた「トキワ荘の天井板」のほか、ジオラマ作家[[山本高樹]]作のジオラマが特別展示されている<ref>{{Cite web|title=「トキワ荘マンガミュージアム」7・7オープン、入館予約開始|url=https://www.oricon.co.jp/news/2165668/full/|website=ORICON NEWS|accessdate=2020-06-30}}</ref>。これらの費用は[[ふるさと納税]]による全国の漫画ファンからの[[寄付]]で賄われた<ref name="sankei20190112" />。
内部は、当時の漫画家たちの仕事場が忠実に再現されるほか<ref name="NHK NEWS WEB">{{Cite web|和書|date=2020-06-27 |url=https://web.archive.org/web/20200630105900/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200627/k10012486151000.html?utm_int=all_side_ranking-social_003 |title=“漫画の聖地”「トキワ荘」復元施設が7月公開 4畳半の部屋も |publisher=[[日本放送協会]] |accessdate=2020-06-28 }}</ref>、漫画の閲覧やアニメの上映スペースなどが設けられる。また、1階のマンガラウンジには、警視庁五方面記者クラブから寄贈を受けた「トキワ荘の天井板」のほか、ジオラマ作家[[山本高樹]]作のジオラマが特別展示されている<ref>{{Cite web|和書|title=「トキワ荘マンガミュージアム」7・7オープン、入館予約開始|url=https://www.oricon.co.jp/news/2165668/full/|website=ORICON NEWS|accessdate=2020-06-30}}</ref>。これらの費用は[[ふるさと納税]]による全国の漫画ファンからの[[寄付]]で賄われた<ref name="sankei20190112" />。


ミュージアム建設構想が動き出したのは[[2015年]]。外観や間取りの記録は当初ほとんどなかったが、トキワ荘解体を伝えた週刊誌の屋根を取り外した工事を撮った写真入り記事が見つかったことや、トキワ荘向かいにあった[[長屋]]の住人からトキワ荘の看板写真が寄せられたりしたことで、細部の再現が進捗した<ref name="日経20200403"/>。
ミュージアム建設構想が動き出したのは[[2015年]]。外観や間取りの記録は当初ほとんどなかったが、トキワ荘解体を伝えた週刊誌の屋根を取り外した工事を撮った写真入り記事が見つかったことや、トキワ荘向かいにあった[[長屋]]の住人からトキワ荘の看板写真が寄せられたりしたことで、細部の再現が進捗した<ref name="日経20200403"/>。


=== 東長崎駅前交番 ===
=== 東長崎駅前交番 ===
[[警視庁]][[目白警察署]]は、[[東長崎駅]]前[[交番]]をトキワ荘に似た外観に改築した(2019年3月開所)。豊島区が要請し、図面などを提供した<ref>[https://www.sankei.com/life/news/190209/lif1902090027-n1.html トキワ荘 治安も守るのだ/そっくり交番 来月登場/豊島・東長崎駅前]産経新聞朝刊2019年2月10日(社会面)2019年2月16日閲覧。</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASM3N3FNYM3NUTIL00G.html 東京トキワ荘の外観を「復元」 目白署東長崎駅前交番]</ref>。
[[警視庁]][[目白警察署]]は、[[東長崎駅]]前[[交番]]をトキワ荘に似た外観に改築した(2019年3月開所)。豊島区が要請し、図面などを提供した<ref>[https://www.sankei.com/article/20190209-YWNBHXYV2JMY3PPWRLITFXCZDI/ トキワ荘 治安も守るのだ/そっくり交番 来月登場/豊島・東長崎駅前] [[産経新聞]]朝刊2019年2月10日(社会面)、2019年2月16日閲覧。</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASM3N3FNYM3NUTIL00G.html 東京 トキワ荘の外観を「復元」 目白署東長崎駅前交番] 朝日新聞</ref>。


== 紫雲荘 ==
== 紫雲荘 ==
紫雲荘(しうんそう)は、トキワ荘と同じ豊島区南長崎にあるアパートで、赤塚不二夫が仕事場として借りていたことで知られる<ref name="tokyo161217">「[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201612/CK2016121702000245.html 紫雲荘から漫画家デビュー 赤塚不二夫さんゆかりの仕事場]」『東京新聞』2016年12月17日。</ref>。紫雲荘の建物は1959年築の2階建て<ref name="tokyo161217" />。豊島区では2011年から若手漫画家のためにトキワ荘の代わりとして紫雲荘への入居費用補助などの支援をする「紫雲荘活用プロジェクト」を実施している<ref name="47newstokiwa" /><ref name="tokyo161217" />。
紫雲荘(しうんそう)は、トキワ荘と同じ豊島区南長崎にあるアパートで、赤塚不二夫が仕事場として借りていたことで知られる<ref name="tokyo161217">「[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201612/CK2016121702000245.html 紫雲荘から漫画家デビュー 赤塚不二夫さんゆかりの仕事場]」 『東京新聞』2016年12月17日。</ref>。紫雲荘の建物は1959年築の2階建て<ref name="tokyo161217" />。豊島区では2011年から若手漫画家のためにトキワ荘の代わりとして紫雲荘への入居費用補助などの支援をする「紫雲荘活用プロジェクト」を実施している<ref name="47newstokiwa" /><ref name="tokyo161217" />。


== トキワ荘の関連作品 ==
== トキワ荘の関連作品 ==
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* 赤塚不二夫ほか『トキワ荘物語』翠楊社、1978年5月。
* 赤塚不二夫ほか『トキワ荘物語』翠楊社、1978年5月。
** 手塚治虫と11人『トキワ荘物語』翠楊社、1983年。新版
** 手塚治虫と11人『トキワ荘物語』翠楊社、1983年。新版
** 『[[COM (雑誌)|COM]]』1969年10月号-1970年9月号(1970年5・6月号は合併号)に掲載された水野英子、寺田ヒロオ、藤子不二雄、森安なおや、鈴木伸一、永田竹丸、よこたとくお、赤塚不二夫、つのだじろう、石森章太郎、手塚治虫(掲載順)<ref>{{Cite web|author=くだん書房|date=不明|url=http://www.kudan.jp/EC/musipuro.html|title=『目録:漫画:雑誌:虫プロ』|accessdate=2012-1-29}}</ref>による「トキワ荘物語」に加え、『COM』1969年12月号に掲載された長谷邦夫「椎名町奇譚」(「長谷邦夫パロディー劇場9」)を収録。
** 『[[COM (雑誌)|COM]]』1969年10月号-1970年9月号(1970年5・6月号は合併号)に掲載された水野英子、寺田ヒロオ、藤子不二雄、森安なおや、鈴木伸一、永田竹丸、よこたとくお、赤塚不二夫、つのだじろう、石森章太郎、手塚治虫(掲載順)<ref>{{Cite web|和書|author=くだん書房|date=不明|url=http://www.kudan.jp/EC/musipuro.html|title=『目録:漫画:雑誌:虫プロ』|accessdate=2012-1-29}}</ref>による「トキワ荘物語」に加え、『COM』1969年12月号に掲載された長谷邦夫「椎名町奇譚」(「長谷邦夫パロディー劇場9」)を収録。
* 石森章太郎<!--改名前の出版-->『章説・トキワ荘・春』[[スコラ]]、1981年9月。
* 石森章太郎<!--改名前の出版-->『章説・トキワ荘・春』[[スコラ]]、1981年9月。
** 『トキワ荘の青春―ぼくの漫画修行時代』[[講談社文庫]]、1986年6月、ISBN 978-4061837522(上記を文庫化)。
** 『トキワ荘の青春―ぼくの漫画修行時代』[[講談社文庫]]、1986年6月、ISBN 978-4061837522(上記を文庫化)。
** 『章説・トキワ荘・春』[[風塵社]]、1996年4月 ISBN 978-4938733247(石森「トキワ荘物語」を加えて再刊)。
** 『章説・トキワ荘・春』[[風塵社]]、1996年4月 ISBN 978-4938733247(石森「トキワ荘物語」を加えて再刊)。
** 『章説トキワ荘の青春』[[中公文庫]]、2018年10月。上記を改題、解説[[竹宮惠子]]。
** 『章説-トキワ荘の青春』[[中公文庫]]、2018年10月。上記を改題、解説[[竹宮惠子]]。
* 藤子不二雄『トキワ荘青春日記』[[光文社]]、1981年9月30日。
* 藤子不二雄『トキワ荘青春日記』[[光文社]]、1981年9月30日。
* 手塚治虫&13人『トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso』蝸牛社、1987年6月/同・文庫判(1995年12月、ISBN 978-4876612666)
* 手塚治虫&13人『トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso』蝸牛社、1987年6月/同・文庫判(1995年12月、ISBN 978-4876612666)
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* [[竹熊健太郎]]『マンガ原稿料はなぜ安いか?』[[イースト・プレス]]、2004年2月1日、ISBN 978-4872574203。
* [[竹熊健太郎]]『マンガ原稿料はなぜ安いか?』[[イースト・プレス]]、2004年2月1日、ISBN 978-4872574203。
* 水野英子『トキワ荘日記』2009年10月([[自費出版]])。※著者公式サイト「{{Wayback|url=http://www5f.biglobe.ne.jp/~hideko/ |title=水野英子の部屋 |date=20070315203830}}」の通信販売で入手可。
* 水野英子『トキワ荘日記』2009年10月([[自費出版]])。※著者公式サイト「{{Wayback|url=http://www5f.biglobe.ne.jp/~hideko/ |title=水野英子の部屋 |date=20070315203830}}」の通信販売で入手可。
* 豊島区立郷土資料館・[[手塚プロダクション]]編『トキワ荘のヒーローたちマンガにかけた青春』豊島区立郷土資料館(2009年10月24日発行)、※ 企画展示(期間:2009年10月24日~12月6日)の図録。
* 豊島区立郷土資料館・[[手塚プロダクション]]編『トキワ荘のヒーローたちマンガにかけた青春』豊島区立郷土資料館(2009年10月24日発行)、※ 企画展示(期間:2009年10月24日〜12月6日)の図録。
* 手塚治虫(他)『トキワ荘パワー!』[[祥伝社]]、ISBN 978-4396781187(2010年8月31日)。
* 手塚治虫(他)『トキワ荘パワー!』[[祥伝社]]、ISBN 978-4396781187(2010年8月31日)。
* [[伊吹隼人]]『「トキワ荘」無頼派漫画家・[[森安なおや]]伝』[[社会評論社]]、2010年10月、ISBN 978-4784509409。
* [[伊吹隼人]]『「トキワ荘」無頼派-漫画家・[[森安なおや]]伝』[[社会評論社]]、2010年10月、ISBN 978-4784509409。
* [[山内ジョージ]] 『トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語』[[東京書籍]]、2011年6月、ISBN 978-4487805631。
* [[山内ジョージ]] 『トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語』[[東京書籍]]、2011年6月、ISBN 978-4487805631。
* トキワ荘通り協働プロジェクト協議会 編『写真集・トキワ荘通り』トキワ荘通り協働プロジェクト協議会、平成25年(2013年)3月発行。
* トキワ荘通り協働プロジェクト協議会 編『写真集・トキワ荘通り』トキワ荘通り協働プロジェクト協議会、平成25年(2013年)3月発行。
* 藤子不二雄(A) 監修、完全保存版『まんが道 大解剖』三栄書房(サンエイムック)、2017年4月、ISBN 978-4779630545。
* 藤子不二雄(A) 監修、完全保存版『まんが道 大解剖』三栄書房(サンエイムック)、2017年4月、ISBN 978-4779630545。
* [[中川右介]]『手塚治虫とトキワ荘』集英社、2019年5月、ISBN 978-4087816686。集英社文庫、2021年5月
* [[中川右介]]『手塚治虫とトキワ荘』集英社、2019年5月、ISBN 978-4087816686。集英社文庫、2021年5月
* 豊島区 トキワ荘マンガミュージアム(監修):『トキワ荘マンガミュージアム ー 物語のはじまり』[[平凡社]]〈コロナ・ブックス〉、2021年4月21日、ISBN 978-4582635263。
* 豊島区 トキワ荘マンガミュージアム(監修):『トキワ荘マンガミュージアム - 物語のはじまり』[[平凡社]]〈コロナ・ブックス〉、2021年4月21日、ISBN 978-4582635263。
* 北見けんいち:「トキワ荘の遺伝子-北見けんいちが語る巨匠たちの横顔-」、小学館、2024年2月29日、ISBN 978-4-093891462。


=== 漫画 ===
=== 漫画 ===
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* ドキュメンタリー番組『[[驚きももの木20世紀]]』で「トキワ荘の時代・マンガが青春だったころ〜」[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ABC)、1995年1月6日)。
* ドキュメンタリー番組『[[驚きももの木20世紀]]』で「トキワ荘の時代・マンガが青春だったころ〜」[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ABC)、1995年1月6日)。
* 映画『[[トキワ荘の青春]]』(1996年、[[市川準]]監督作品)※ VHS、[[レーザーディスク|LD]]、[[DVD]]あり。
* 映画『[[トキワ荘の青春]]』(1996年、[[市川準]]監督作品)※ VHS、[[レーザーディスク|LD]]、[[DVD]]あり。
* BS朝日番組『[[ザ・ドキュメンタリー]]』で「手塚治虫、赤塚不二夫、[[松本零士]]… 昭和の天才漫画家たち」、(2015年12月17日)。
* BS朝日番組『ザ・ドキュメンタリー』で「手塚治虫、赤塚不二夫、[[松本零士]]… 昭和の天才漫画家たち」、(2015年12月17日)。
* 番組『[[20世紀のファイルから]]』の「マンガがすべてだった トキワ荘の頃」。
* 番組『20世紀のファイルから』の「マンガがすべてだった トキワ荘の頃」。

== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書
|author = [[いしかわじゅん]]
|date = 2009-05
|title = 秘密の本棚
|publisher = [[小学館|小学館クリエイティブ]]
|isbn = 978-4778031121
|ref = 秘密 }}
*{{Cite book|和書
|author = [[伊吹隼人]]
|date = 2010-10
|title = 「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝
|publisher = [[社会評論社]]
|isbn = 978-4784509409
|ref = 無頼 }}
*{{Cite book|和書
|author = 手塚治虫&13人
|date = 1987-06
|title = トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso
|publisher = 蝸牛社
|isbn = 978-4905579946
|ref = 青春 }}
*{{Cite book|和書
|author = 手塚治虫ほか
|date = 2012-08-01
|title = まんがトキワ荘物語
|publisher = 祥伝社
|isbn = 978-4396112882
|ref = まんが }}
* 中川右介『手塚治虫とトキワ荘』集英社、2019年5月。ISBN 978-4087816686。
*「芸術新潮」、新潮社(2020年11月号)「トキワ荘特集」。
* 豊島区 トキワ荘マンガミュージアム(監修):「トキワ荘マンガミュージアム - 物語のはじまり」、平凡社(2021年4月21日)。ISBN 978-4-582-63526-3。


== 関連団体・作品等 ==
== 関連団体・作品等 ==
=== 関連団体 ===

=== 団体など ===
* [[新漫画党]]
* [[新漫画党]]
* [[スタジオ・ゼロ]]
* [[スタジオ・ゼロ]]
* [[大泉サロン]](東京都[[練馬区]]) - [[竹宮惠子]]と[[萩尾望都]]が住んでいた[[長屋]]形式の住宅。
* [[大泉サロン]](東京都[[練馬区]]) - [[竹宮惠子]]と[[萩尾望都]]が住んでいた[[長屋]]形式の住宅。
* 西荻トキワ荘 - 東京都[[杉並区]]の[[西荻窪]]にあった漫画家が多く住んだ木造アパート。[[江口寿史]]、[[大友克洋]]、[[泉昌之]]、[[岡崎京子]]、[[桜沢エリカ]]らが居住。[[いしかわじゅん]]は仕事場にしていた<ref>[[#秘密|秘密の本棚]] P.204</ref>。
* [[早大童話会]]・びわの実会 - [[児童文学]]において多くの大作家を輩出した団体。
* [[早大童話会]]・びわの実会 - [[児童文学]]において多くの大作家を輩出した団体。


=== 作品など ===
=== トキワ荘を扱った作品 ===
* [[まんが道]] - 藤子不二雄<span class="Unicode">&#9398;</span>(安孫子素雄)作の漫画。トキワ荘について詳しい<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=drama005 番組エピソード 銀河テレビ小説「まんが道」 -NHKアーカイブス]</ref>。
* [[まんが道]] - 藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}(安孫子素雄)作の漫画。トキワ荘について詳しい<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010343 番組エピソード 銀河テレビ小説「まんが道」 -NHKアーカイブス]</ref>。
*「愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春」藤子不二雄<span class="Unicode">&#9398;</span>作の漫画。『まんが道』の続編。
* 「愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春」藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}作の漫画。『まんが道』の続編。
* ビアティチュード BEATITUDE - [[やまだないと]]の漫画。トキワ荘をモデルとして独自の解釈を加えた作品。
* ビアティチュード BEATITUDE - [[やまだないと]]の漫画。トキワ荘をモデルとして独自の解釈を加えた作品。
* [[デトロイト・メタル・シティ]] - 「アートキワ荘」という、トキワ荘をもじった、アーティスト志望の人々が住むアパートが登場する。
* [[デトロイト・メタル・シティ]] - 「アートキワ荘」という、トキワ荘をもじった、アーティスト志望の人々が住むアパートが登場する。
242行目: 206行目:
* [[ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜]] - 原作:[[宮崎克]]、漫画:[[吉本浩二]]の漫画。手塚治虫の制作秘話や舞台裏を描いた実録漫画であり、トキワ荘でのエピソードもいくつか描写されている。
* [[ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜]] - 原作:[[宮崎克]]、漫画:[[吉本浩二]]の漫画。手塚治虫の制作秘話や舞台裏を描いた実録漫画であり、トキワ荘でのエピソードもいくつか描写されている。


=== その他 ===
=== 展覧会 ===
* 特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」 - 2013年6月の東京展を皮切りに全国を巡回した展覧会。会場内にトキワ荘(縮小モデル)や居室が再現された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/145.html |title=展覧会|東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO |publisher=[[東京都現代美術館]] |accessdate=2014-04-14}}</ref>。
* [[ちばてつや]]
*「藤子不二雄Ⓐ展」では、トキワ荘14号室(藤子不二雄Ⓐの部屋)が再現された。フォトスポットとして人気を集めた。また、この展覧会では藤本弘と安孫子素雄が落書き(?)したトキワ荘の壁も展示され、写真撮影も許可された。
* [[出没!アド街ック天国]] - 2009年、椎名町にてトキワ荘に関連したものが多くランクインした。

=== 記念碑 ===
* 南長崎花咲公園 - トキワ荘記念碑が設置されている。
* 南長崎花咲公園 - トキワ荘記念碑が設置されている。
* [[北原照久]] - トキワ荘の寄せ描きカーテンを所有。ごく稀に展覧会等にて公開している。
*特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」 - 2013年6月の東京展を皮切りに全国を巡回した展覧会。会場内にトキワ荘(縮小モデル)や居室が再現された<ref>{{Cite web |url=http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/145.html |title=展覧会|東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO |publisher=[[東京都現代美術館]] |accessdate=2014-04-14}}</ref>。


=== 人物 ===
*「藤子不二雄A展」では、トキワ荘14号室([[藤子不二雄A]]の部屋)が再現された。フォトスポットとして人気を集めた。また、この展覧会では[[藤子・F・不二雄]]と[[藤子不二雄A]]が落書き(?)したトキワ荘の壁も展示され、写真撮影も許可された。
* [[ちばてつや]] - トキワ荘のメンバーと交流があった([[ちばてつや#エピソード]]を参照)。
*[[ときわ藍]] - 2001年1月28日生まれの漫画家。ペンネームの由来はトキワ荘に由来する。
* [[北原照久]] - トキワ荘の寄せ描きカーテンを所有。ごく稀に展覧会等にて公開している<ref>* [https://ameblo.jp/toysblog/entry-11345027609.html トキワ荘寄せ描きカーテン] 北原照久事務所公式ブログ</ref>。
* [[ときわ藍]] - 2001年1月28日生まれの漫画家。ペンネームの由来はトキワ荘に由来する。

=== 番組・報道 ===
* [[出没!アド街ック天国]] - 2009年の「椎名町」の放送回では、トキワ荘に関連したものが多くランクインした。

== 西荻トキワ荘 ==
東京都[[杉並区]][[西荻窪]](所在地は[[西荻南]]3丁目18-18)の[[木造建築|木造]]廃アパートが、漫画家が集った「トキワ荘の[[西荻]]版」とされ「'''西荻トキワ荘'''」と呼ばれている。[[いしかわじゅん]]は[[エッセイ]]集『秘密の本棚』(2009年)でここを仕事場にしていたと記述し<ref>[[#秘密|秘密の本棚]] P.204</ref>、[[やまだないと]]『西荻カメラ』(2003年)には「[[いしかわじゅん]]・[[大友克洋]]が仕事場とし、[[江口寿史]]・[[泉昌之]]・[[岡崎京子]]・[[桜沢エリカ]]・[[よしもとよしとも]]らが住んでいた」とある。

しかし[[いしかわじゅん]]自身が、[[2015年]][[10月17日]]に本人の[[Twitter]]で「西荻トキワ荘」の実在そのものを否定している<ref>{{Cite tweet|user=ishikawajun|number=655393772663009280|title=西荻トキワ荘って、いつの間にかほんとに存在したことになっている。…こうやって歴史は創られていくんだな。|date=2015-10-17|accessdate=2022-10-09}}</ref>。

{{Quotation|わははは。西荻トキワ荘って、いつの間にかほんとに存在したことになっている。面白いからまあいいけど。<br />
こうやって歴史は創られていくんだな。|いしかわじゅん | いしかわじゅん Twitter (@ishikawajun) 、2015年10月17日}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
{{Reflist|group="注釈"|2}}
=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |author = [[手塚治虫]]&13人 |date = 1987-06 |title = トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso |publisher = 蝸牛社 |isbn = 978-4905579946 |ref = 青春 }}
* {{Cite book|和書 |author = 手塚治虫ほか |date = 2012-08-01 |title = まんがトキワ荘物語 |publisher = [[祥伝社]] |isbn = 978-4396112882
|ref = まんが }}
* {{Cite book|和書 |author = [[いしかわじゅん]] |date = 2009-05 |title = 秘密の本棚 |publisher = [[小学館|小学館クリエイティブ]] |isbn = 978-4778031121 |ref = 秘密 }}
* {{Cite book|和書 |author = [[伊吹隼人]] |date = 2010-10 |title =「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝 |publisher = [[社会評論社]] |isbn = 978-4784509409 |ref = 無頼 }}
* [[やまだないと]]『西荻カメラ』Ricochet、2003年11月。ISBN 978-4990197506
* [[中川右介]]『手塚治虫とトキワ荘』[[集英社]]、2019年5月。ISBN 978-4087816686
* 「トキワ荘特集」『[[芸術新潮]]』2020年11月号、[[新潮社]]。
* 豊島区トキワ荘マンガミュージアム(監修)『トキワ荘マンガミュージアム - 物語のはじまり』[[平凡社]]、2021年4月21日。ISBN 978-4-582-63526-3


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{ウィキポータルリンク|漫画|[[画像:Logo serie manga.png|50px|Portal:漫画]]}}
{{ウィキポータルリンク|漫画|[[画像:Logo serie manga.png|50px|Portal:漫画]]}}
* [https://tokiwaso.tokyo/ トキワ荘通り協働プロジェクト]
* [https://tokiwaso.tokyo/ マンガの聖地トキワ荘 ようこそトキワ荘の街へ] - トキワ荘通り協働プロジェクト協議会
* [http://tokiwaso.tokyo/council/index.html としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会]
* [https://www.city.toshima.lg.jp/ike-circle/culture/event/tokiwaso.html トキワ荘協働プロジェクト協議会] - 豊島区
* [https://tokiwa-so.net/ トキワ荘プロジェクト]
* [http://tokiwaso.tokyo/council/index.html としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会]{{リンク切れ|date=2022-10}}
* [http://www.toshima-mirai.jp/tokiwaso/area/index.html 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」]{{リンク切れ|date=2022-10}} - 公益財団法人としま未来文化財団
* [https://ameblo.jp/toysblog/entry-11345027609.html 北原照久事務所公式ブログ トキワ荘寄せ描きカーテン]
* [https://tokiwa-so.net/ プロマンガ家への希望のアトリエ トキワ荘プロジェクト] - NPO法人LEGIKA(漫画家養成プログラム)
* [http://www.toshima-mirai.jp/tokiwaso/area/index.html 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」]

* [https://style.nikkei.com/article/DGXMZO52886790T01C19A2000000 伝説のトキワ荘復元 4畳半に甦る巨匠漫画家の青春(日経2019年12月6日記事)]
=== 報道 ===
* [https://www.sankei.com/entertainments/news/200118/ent2001180004-n1.html 【よみがえるトキワ荘】未来へ(1)挫折もバネに 紫雲荘の絆]『産経新聞』2020年1月18日記事
{{脚注の不足|date=2022-10|section=1}}
* [https://www.sankei.com/entertainments/news/200125/ent2001250005-n1.html 【よみがえるトキワ荘】未来へ(2)昭和文化の「加速装置」を今に] 『産経新聞』2020年1月25日記事
* [https://style.nikkei.com/article/DGXMZO52886790T01C19A2000000 伝説のトキワ荘復元 4畳半に甦る巨匠漫画家の青春] 日経スタイル、[[日経BP]]、2019年12月6日
* [https://www.sankei.com/entertainments/news/200201/ent2002010001-n1.html 【よみがえるトキワ荘】未来へ(3)地域を誇る心、子供にはぐくむ]『産経新聞』2020年2月1日記事
* [https://www.sankei.com/entertainments/news/200208/ent2002080004-n1.html 【よみがえるトキワ荘】未来へ(4)夢追う若者の代名詞に]産経新聞2020年28記事
* [https://www.sankei.com/article/20200118-2NYEEQWSNJP5FOVJ73WU25TIDU/ 【よみがえるトキワ荘】未来へ(1)挫折もバネ 紫雲荘の絆] [[産経新聞]]、2020年118
* [https://www.sankei.com/entertainments/news/200215/ent2002150003-n1.html 【よみがえるトキワ荘】未来へ(5)10年後、いい街になる」]産経新聞2020年215記事
* [https://www.sankei.com/article/20200125-SMOKNMZ4CNNXFMNADD7YPNAADE/ 【よみがえるトキワ荘】未来へ(2)昭和文化の加速装置」を今に] 産経新聞2020年125
* [https://www.sankei.com/entertainments/news/200222/ent2002220003-n1.html 【よみがえるトキワ荘】未来へ(6)最終回 広が「気づきの物語」]産経新聞2020年2月22記事
* [https://www.sankei.com/article/20200201-CSEZ7X3CWJKANL4WDLN7LZ6AUE/ 【よみがえるトキワ荘】未来へ(3)地域を誇心、子供にはぐくむ] 産経新聞2020年2月1
* [https://www.sankei.com/life/news/200226/lif2002260068-n1.html 手塚治虫若手記者に贈ったトキワ荘直筆天井板、東京・豊島区贈呈「貴重な歴史の証」]産経新聞2020年2月26記事
* [https://www.sankei.com/article/20200208-OKFZZAKKGNPX3DCWVE5LRDUD7E/ 【よみえるトキワ荘】未来へ(4)夢追う若者の代名詞に] 産経新聞2020年2月8
* [https://www.asahi.com/articles/ASN6Q763JN6JUTIL022.html 巨匠暮らしたトキワ荘にミュージアム 7月7日開館][[朝日新聞デジタル]]2020年623記事
* [https://www.sankei.com/article/20200215-24NXTR6T5BPPBMLXL7LKCOE6JY/ 【よみえるトキワ荘】未来へ(5)「10年後、いい街なる」] 産経新聞2020年215
* [https://www.sankei.com/article/20200222-6RBKUTRB4JP2RCWPNIL4GSA6UQ/ 【よみがえるトキワ荘】未来へ(6)最終回 広がる「気づきの物語」] 産経新聞、2020年2月22日
* [https://www.fnn.jp/articles/-/56973 「 「トキワ荘」復元 一般公開へ 手塚治虫さんら漫画家生活」、FNNプライムオンライン(2020年6月27日)。 ]
* [https://www.sankei.com/article/20200226-GXU62Y5LZRLZ7AAPX2KR4WYDVU/ 手塚治虫が若手記者に贈ったトキワ荘直筆天井板、東京・豊島区に贈呈「貴重な歴史の証」] 産経新聞、2020年2月26日
* [https://news.yahoo.co.jp/articles/6035fdb8078f2d6b7dfcfb0e813a6fa2cc646d83 「トキワ荘マンガミュージアム7月オープン!」、YAHOO!ニュース(2020年6月27日)。]
* [https://www.asahi.com/articles/ASN6Q763JN6JUTIL022.html 巨匠が暮らしたトキワ荘にミュージアム 7月7日に開館] [[朝日新聞]]デジタル、2020年6月23日
* [https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202006/20200628_73013.html 「石ノ森さん、手塚さん…漫画の「聖地」トキワ荘38年ぶり復活 仕事場など忠実に再現」、河北新報(2020年6月28日)。]
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* [https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202006/20200628_73013.html 石ノ森さん手塚さん…漫画「聖地」トキワ荘38年ぶり復活 仕事場など忠実に再現] [[河北報]]、2020628
* {{Wayback|url=http://www.sankeibiz.jp/econome/news/200628/ece2006281135003-n1.htm |title=伝説のトキワ荘2階に「昭和」が見えた 漫画文化を継承、内覧会ルポ |date=20200703053601}} SankeiBiz、[[産業経済新聞社]]、2020年6月28日
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2024年7月25日 (木) 00:20時点における最新版

トキワ荘
トキワ荘外観の復元ブロンズ像
(豊島区南長崎花咲公園) 地図
情報
用途 集合住宅
階数 地上2階
開館開所 1952年
所在地 171-0052
東京都豊島区南長崎三丁目16番6号
座標 北緯35度43分26.7秒 東経139度41分17.9秒 / 北緯35.724083度 東経139.688306度 / 35.724083; 139.688306 (トキワ荘)座標: 北緯35度43分26.7秒 東経139度41分17.9秒 / 北緯35.724083度 東経139.688306度 / 35.724083; 139.688306 (トキワ荘)
備考 1982年に解体
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跡地の日本加除出版への入口路地(左の案内看板は現在設置されていない)。この突き当たりを右に進んだ場所に「トキワ荘跡地モニュメント」がある。
中華料理店「松葉」(2019年)。トキワ荘住人がよく利用し、藤子不二雄Ⓐまんが道』等にも登場する。

トキワ荘(トキワそう)は、東京都豊島区南長崎三丁目[1]住居表示16番6号、完成当時の住所表記は椎名町五丁目2253番地)に、1952年昭和27年)から1982年(昭和57年)にかけて存在した木造2階建アパート[1]

手塚治虫[2]藤子不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫ら著名な漫画家が居住していたことで知られ、漫画の「聖地」となったことから、豊島区によって復元施設「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」が同区の南長崎花咲公園内に建設された[3][4]

概要

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上棟式は1952年(昭和27年)12月6日。老朽化により1982年(昭和57年)11月29日解体された。跡地は2020年(令和2年)時点、日本加除出版の社屋となっている[5]賃貸された部屋のうち2階部分は十室で、全て四畳半押入れと入り口部分のスペースを除く)。その他、共同の調理場トイレなどが存在した[6]

手塚治虫は1952年(昭和27年)に上京して最初は東京都新宿区四谷八百屋の2階に下宿していたが、やがて昼夜を問わぬ編集者の出入りの激しさについて八百屋の主人から苦情を言われるようになった。この時、手塚は、学童社加藤謙一の次男・加藤宏泰から、宏泰の住む新築アパート「トキワ莊」へ入居するように誘われて、1953年(昭和28年)の初頭に住人となった[7]。これを皮切りに、学童社が、自社の雑誌に連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させた。最も多い時期には7 - 8名の漫画家が居住し、またその仲間の漫画家も出入りするようになったため、「マンガ荘」というニックネームまで付けられた[8]

才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、寺田ヒロオの「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあった。このほかに「漫画家が原稿を落としそうになった際、他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と、「他の漫画家の穴埋め原稿でもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったとされている[9]

それら若手漫画家達の多くは後に著名になり、その漫画家達により同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになった。なお、トキワ荘への入居と仲間入りに際しては、メンバーたちにより、

  • 漫画少年』で寺田が担当していた投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めていること。
  • 協調性があること。
  • 最低限、プロのアシスタントが務まったり、穴埋め原稿が描けたりする程度の技量には達していること。
  • 本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。

といった基準で厳格な事前審査が行われていたとされる[10][注釈 1]。こうした背景を考えると、トキワ荘に居住した(居住できた)のは単なる若手漫画家ではなく、選び抜かれた漫画エリート集団であり、トキワ荘から多数の一流漫画家が世に出たのは偶然ではなく必然だったと指摘されている[11]

近所に「松葉」という中華料理店があり、藤子不二雄がラーメンの出前を取るなど[12]、住人らが頻繁に利用していた。この店のラーメンは、藤子不二雄の作品に登場する「小池さん」の設定に影響したとされる。松葉は現在も営業を続けている。ワカコ酒Season4で取り上げられた[13][14]

また、1955年(昭和30年)5月に結成された新漫画党のメンバー、すなわち寺田ヒロオ(総裁)、藤子不二雄(藤本弘安孫子素雄)、鈴木伸一森安なおや1957年〈昭和32年〉に除名処分を受ける)、つのだじろう石森章太郎赤塚不二夫園山俊二は、トキワ荘に当時かかっていたカーテンに各自、結成を祝って漫画を描いた。現在そのカーテンは、おもちゃコレクター・鑑定士の北原照久の所有となっており、漫画界の「釈迦の衣」と呼ばれている。

雑誌『COM』では1969年(昭和44年)から翌1970年(昭和45年)にかけ、各漫画家たちがトキワ荘に住んでいた頃の状況を自伝として描いた(後にまとめられ、『トキワ荘物語』として翠楊社より1978年(昭和53年)に出版。以後も再刊、再編集)。さらに1970年代からは『週刊少年キング』等に連載された藤子不二雄(藤子不二雄)の『まんが道』や、つのだじろうの『その他くん』などによってトキワ荘のエピソードが語られ、後進の漫画家、或いは漫画ファンに知られるようになった。その結果、トキワ荘自体も著名な存在となり、既に各漫画家が全員退出してしまった時期においても見学者がはとバスで訪れる[15]といった聖地的な扱いをされるに至った。解体前の1978年(昭和53年)には翠楊社より『トキワ荘物語』が刊行され、解体が決まった1981年(昭和56年)、手塚治虫を中心としたかつての居住者らが集まって同窓会が開かれ、その模様はNHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』(NHK)として5月25日放送ビデオも発売された。この時、建物に残っていた寄せ書きが作成された。これは『驚き桃の木20世紀』(テレビ朝日)で公開された[注釈 2]。また、10月3日にはフジテレビでテレビアニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』(脚本・辻真先、監修・小池一夫、監督・鈴木伸一キャラクターデザイン石森章太郎)が放映された。さらに1996年平成8年)には市川準監督、本木雅弘主演で映画『トキワ荘の青春』が公開されている。

トキワ荘自体は解体された1982年(昭和57年)の12月に新築され、バス・トイレ付きのアパートになった。そして赤塚不二夫直筆の「トキワ荘」表札が掲げられていた。しかし、バブル景気の最中に地上げに巻き込まれて更地化した。現在は日本加除出版の新館社屋となっている[5]

トキワ荘の解体を聞きつけて取材した新聞記者に手塚は、かつて住んでいた2階14号室の天井板に『リボンの騎士』のサファイアの絵と自画像を描いて贈った。これは警視庁記者クラブに保存された後[16]2020年令和2年)2月26日、豊島区に寄贈された[17]

トキワ荘の居住者

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トキワ荘住人の自画像とサインを集めたモニュメント(豊島区南長崎花咲公園)

漫画家

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太字は存命者。

その他

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トキワ荘に頻繁に出入りしていた漫画家

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  • 長谷邦夫
  • 高井研一郎
  • 園山俊二
  • つげ義春 - 『漫画少年』の投稿欄を通じて知り合った赤塚不二夫を訪ね、トキワ荘に出入りしていた。「まだデビュー前で、トキワ荘に移ってからも、彼だけがなかなか芽が出ないでいたんですね。ぼくがトキワ荘を訪ねても、相手をしてくれるのは、赤塚さんくらいでした」「トキワ荘には、まだ赤塚さんたちが入られる前、手塚(治虫)さんが一人で住んでおられた時に訪ねたこともありました。マンガ家になろうと思い立ち、原稿料がいくらくらいか訊きに行ったんですが、きちんと対応してくれて、親切でしたよ」と語っている[27]。また、トキワ荘グループは苦手だったと認め、「デビューしてまもない無名でしたから、寺田ヒロオさんや藤子不二雄さんとかは、ほとんど相手にしてくれなかったです。赤塚不二夫さんと、あとは石森(石ノ森)章太郎さんがちょっとだけ相手にしてくれました」とも発言している[28]
  • つのだじろう - スクーターで通っていた[29]
  • 坂本三郎
  • 永田竹丸
  • 横山孝雄
  • しのだひでお

記念事業・関連事業

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プロジェクト

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トキワ荘プロジェクト

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NPO法人NEWVERYが運営する漫画家を目指す若者にシェアハウスを貸し出し、プロデビューをサポートする事業。参加者は、漫画関係の勉強会の受講や、仕事の斡旋・仲介を受けることができる。中には漫画家の甲斐谷忍樹崎聖が指導を行うメンター荘もある。主な出身者は、カメントツ(『こぐまのケーキ屋さん』)、中川学(『くも漫。』)、雲母坂盾(『ボーンコレクション』)、一二三(『四十七大戦』)、西修(『魔入りました!入間くん』)、西村ツチカ窓ハルカら。120名がプロデビューしている[30]

トキワ荘通り協働プロジェクト

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南長崎地域の町会や商店会が中心となって進めるトキワ荘の地域活性プロジェクト。トキワ荘のあった街である南長崎地域では豊島区との協働の元、トキワ荘の「記憶」を地域文化として後世に繋げるため、様々な取り組みを行っている。

1999年に、若者を中心とする地元有志が記念館建設を呼びかける署名運動を始めた。一方でトキワ荘があったことを忘れたり、知らなかったりする地元住民も多く、跡地であることを偲ぶものも2007年まではなかった[1]

2007年、豊島区立中央図書館が設けたトキワ荘の特集コーナーを見た豊島区議会議員が、トキワ荘跡に近い南長崎ニコニコ商店街の事業部長で時計店主だった小出幹雄に「地元は何もしないのか」と問いかけた。それに触発された同商店街が2007年夏、「『マンガの神様』達のルーツはここからであった」と書いた看板を設置。記念碑づくりをめざす実行委員会が商店街と区役所などの合同で発足し、2009年、豊島区がトキワ荘跡から約300メートル離れた南長崎花咲公園に記念碑「トキワ荘のヒーローたち」を建てた(後述)。寺田ヒロオに関する小冊子作製、水野英子を招いてのトークショー開催など「トキワ荘文化」の掘り起こしや研究も進めた[1](後述)。

2012年には跡地にモニュメントが、翌2013年にはトキワ荘通りに「お休み処」がつくられた。こうした活動の母体として、地元の町会、商店会と豊島区が2011年に「トキワ荘通り協働プロジェクト協議会」を設立。2016年に「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」へ改称した[31]

記念碑・モニュメント・記念施設

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記念碑「トキワ荘のヒーローたち」

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地域住民と豊島区の協働で記念碑の建立が計画され、2009年3月にトキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園において着工し、同年4月4日に完成した記念碑の除幕式が行われた[32]

トキワ荘跡地モニュメント

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2012年4月6日には、トキワ荘の跡地(日本加除出版敷地内)に当時の建物をかたどった石造りのモニュメントが設けられ、除幕式が開かれた[33]。なお現在のトキワ荘跡地に通じる道路とモニュメントがあるのは、漫画などでよく描かれるトキワ荘の正面玄関側ではなく、裏口と非常階段があった側である[注釈 3]

作品モニュメント

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2015年度から豊島区はモニュメント制作を開始、トキワ荘に住んだ漫画家全11人分の記念碑を設置中である[34]

トキワ荘通りお休み処

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豊島区がトキワ荘の情報発信のための拠点として整備した施設[37]

  • 1F - 休憩・物販・イベントスペース
  • 2F - 展示スペース:常設展示(テラさんの部屋の再現)、企画展示

トキワ荘復元事業

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2020年の東京オリンピックに間に合わせる形で、 豊島区が近くの南長崎花咲公園に、外観を復元した区立の施設「マンガの聖地としまミュージアム」(仮称)が2019年(平成31年)1月15日に着工され、「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」として2020年7月7日に開館した[3]。当初は3月22日に開館する予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となっていた。

内部は、当時の漫画家たちの仕事場が忠実に再現されるほか[38]、漫画の閲覧やアニメの上映スペースなどが設けられる。また、1階のマンガラウンジには、警視庁五方面記者クラブから寄贈を受けた「トキワ荘の天井板」のほか、ジオラマ作家山本高樹作のジオラマが特別展示されている[39]。これらの費用はふるさと納税による全国の漫画ファンからの寄付で賄われた[4]

ミュージアム建設構想が動き出したのは2015年。外観や間取りの記録は当初ほとんどなかったが、トキワ荘解体を伝えた週刊誌の屋根を取り外した工事を撮った写真入り記事が見つかったことや、トキワ荘向かいにあった長屋の住人からトキワ荘の看板写真が寄せられたりしたことで、細部の再現が進捗した[1]

東長崎駅前交番

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警視庁目白警察署は、東長崎駅交番をトキワ荘に似た外観に改築した(2019年3月開所)。豊島区が要請し、図面などを提供した[40][41]

紫雲荘

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紫雲荘(しうんそう)は、トキワ荘と同じ豊島区南長崎にあるアパートで、赤塚不二夫が仕事場として借りていたことで知られる[42]。紫雲荘の建物は1959年築の2階建て[42]。豊島区では2011年から若手漫画家のためにトキワ荘の代わりとして紫雲荘への入居費用補助などの支援をする「紫雲荘活用プロジェクト」を実施している[33][42]

トキワ荘の関連作品

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書籍・文献

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  • 赤塚不二夫ほか『トキワ荘物語』翠楊社、1978年5月。
    • 手塚治虫と11人『トキワ荘物語』翠楊社、1983年。新版
    • COM』1969年10月号-1970年9月号(1970年5・6月号は合併号)に掲載された水野英子、寺田ヒロオ、藤子不二雄、森安なおや、鈴木伸一、永田竹丸、よこたとくお、赤塚不二夫、つのだじろう、石森章太郎、手塚治虫(掲載順)[43]による「トキワ荘物語」に加え、『COM』1969年12月号に掲載された長谷邦夫「椎名町奇譚」(「長谷邦夫パロディー劇場9」)を収録。
  • 石森章太郎『章説・トキワ荘・春』スコラ、1981年9月。
  • 藤子不二雄『トキワ荘青春日記』光文社、1981年9月30日。
  • 手塚治虫&13人『トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso』蝸牛社、1987年6月/同・文庫判(1995年12月、ISBN 978-4876612666
    • 12人のCOM掲載作品に加え、監修者である横山孝雄による「トキワ荘傍役物語」や丸山昭のエッセイ、さらに各漫画家の初期作品等を収録。
  • 丸山昭『まんがのカンヅメ―手塚治虫とトキワ荘の仲間たち』ほるぷ出版、1993年4月、ISBN 978-4593534272
  • 梶井純『トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道』筑摩書房(ちくまライブラリー)、1993年7月、ISBN 978-4480051929
  • 竹熊健太郎『マンガ原稿料はなぜ安いか?』イースト・プレス、2004年2月1日、ISBN 978-4872574203
  • 水野英子『トキワ荘日記』2009年10月(自費出版)。※著者公式サイト「水野英子の部屋 - ウェイバックマシン(2007年3月15日アーカイブ分)」の通信販売で入手可。
  • 豊島区立郷土資料館・手塚プロダクション編『トキワ荘のヒーローたち〜マンガにかけた青春〜』豊島区立郷土資料館(2009年10月24日発行)、※ 企画展示(期間:2009年10月24日〜12月6日)の図録。
  • 手塚治虫(他)『トキワ荘パワー!』祥伝社ISBN 978-4396781187(2010年8月31日)。
  • 伊吹隼人『「トキワ荘」無頼派-漫画家・森安なおや伝』社会評論社、2010年10月、ISBN 978-4784509409
  • 山内ジョージ 『トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語』東京書籍、2011年6月、ISBN 978-4487805631
  • トキワ荘通り協働プロジェクト協議会 編『写真集・トキワ荘通り』トキワ荘通り協働プロジェクト協議会、平成25年(2013年)3月発行。
  • 藤子不二雄(A) 監修、完全保存版『まんが道 大解剖』三栄書房(サンエイムック)、2017年4月、ISBN 978-4779630545
  • 中川右介『手塚治虫とトキワ荘』集英社、2019年5月、ISBN 978-4087816686。集英社文庫、2021年5月
  • 豊島区 トキワ荘マンガミュージアム(監修):『トキワ荘マンガミュージアム - 物語のはじまり』平凡社〈コロナ・ブックス〉、2021年4月21日、ISBN 978-4582635263
  • 北見けんいち:「トキワ荘の遺伝子-北見けんいちが語る巨匠たちの横顔-」、小学館、2024年2月29日、ISBN 978-4-093891462

漫画

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映像作品

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  • アニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』1981年、東映動画制作・スペシャル番組
  • ドキュメンタリー番組『わが青春の「トキワ荘」 〜現代マンガ家立志伝〜』1981年、NHK制作(NHK特集)※ VHSビデオテープポニーキャニオン、品番:PCVK-30030(1989年12月21日発売))。
    • なお、この番組を製作したディレクター2名のうちの1人、遠藤景子はトキワ荘生まれである[44]
  • ドラマ『まんが道』(1986年11月17日 - 1986年12月5日放映のNHK銀河テレビ小説
    • ドラマ『まんが道 - 青春篇』(1987年7月27日 - 1987年8月14日放映のNHK銀河テレビ小説)
  • ドキュメンタリー番組『驚きももの木20世紀』で「トキワ荘の時代・マンガが青春だったころ〜」朝日放送(ABC)、1995年1月6日)。
  • 映画『トキワ荘の青春』(1996年、市川準監督作品)※ VHS、LDDVDあり。
  • BS朝日番組『ザ・ドキュメンタリー』で「手塚治虫、赤塚不二夫、松本零士… 昭和の天才漫画家たち」、(2015年12月17日)。
  • 番組『20世紀のファイルから』の「マンガがすべてだった トキワ荘の頃」。

関連団体・作品等

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関連団体

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トキワ荘を扱った作品

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  • まんが道 - 藤子不二雄(安孫子素雄)作の漫画。トキワ荘について詳しい[45]
  • 「愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春」藤子不二雄作の漫画。『まんが道』の続編。
  • ビアティチュード BEATITUDE - やまだないとの漫画。トキワ荘をモデルとして独自の解釈を加えた作品。
  • デトロイト・メタル・シティ - 「アートキワ荘」という、トキワ荘をもじった、アーティスト志望の人々が住むアパートが登場する。
  • SKET DANCE - 作中に登場する男子漫画研究部の名前がトキワ荘をもじった「卜打荘」(ぼくだそう)。
  • ケロロ軍曹 - 単行本8巻にて「トキノワ荘」なるアパートが登場。住人は藤子F、A、石ノ森、赤塚らいずれもトキワ荘の往時の住人をモデルにしており、「ローナッツ」や「酎ーラ」といったトキワ荘でのエピソードを取り扱っている。
  • ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜 - 原作:宮崎克、漫画:吉本浩二の漫画。手塚治虫の制作秘話や舞台裏を描いた実録漫画であり、トキワ荘でのエピソードもいくつか描写されている。

展覧会

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  • 特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」 - 2013年6月の東京展を皮切りに全国を巡回した展覧会。会場内にトキワ荘(縮小モデル)や居室が再現された[46]
  • 「藤子不二雄Ⓐ展」では、トキワ荘14号室(藤子不二雄Ⓐの部屋)が再現された。フォトスポットとして人気を集めた。また、この展覧会では藤本弘と安孫子素雄が落書き(?)したトキワ荘の壁も展示され、写真撮影も許可された。

記念碑

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  • 南長崎花咲公園 - トキワ荘記念碑が設置されている。

人物

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番組・報道

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  • 出没!アド街ック天国 - 2009年の「椎名町」の放送回では、トキワ荘に関連したものが多くランクインした。

西荻トキワ荘

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東京都杉並区西荻窪(所在地は西荻南3丁目18-18)の木造廃アパートが、漫画家が集った「トキワ荘の西荻版」とされ「西荻トキワ荘」と呼ばれている。いしかわじゅんエッセイ集『秘密の本棚』(2009年)でここを仕事場にしていたと記述し[48]やまだないと『西荻カメラ』(2003年)には「いしかわじゅん大友克洋が仕事場とし、江口寿史泉昌之岡崎京子桜沢エリカよしもとよしともらが住んでいた」とある。

しかしいしかわじゅん自身が、2015年10月17日に本人のTwitterで「西荻トキワ荘」の実在そのものを否定している[49]

わははは。西荻トキワ荘って、いつの間にかほんとに存在したことになっている。面白いからまあいいけど。
こうやって歴史は創られていくんだな。 — いしかわじゅん 、 いしかわじゅん Twitter (@ishikawajun) 、2015年10月17日

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 水野英子の入居の際は、既にトキワ荘にいた石森章太郎、赤塚不二夫と水野の3人で合作し、U・マイヤ名義で作品を発表するという目的があったため、掲載誌『少女クラブ』の担当編集者だった丸山昭が部屋を押さえ、敷金礼金も払うなど、トキワ荘のメンバーというより出版社・編集者主導で事前の準備がなされていた(丸山昭 『トキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
  2. ^ それを見たゲストのなぎら健壱はこの寄せ書きに感動し「くんねぇかなこれ。大事にするから」と発言した(1995年1月6日放送分より)。
  3. ^ もとは旧落合電話局側(紫雲荘の面する道路側)に正面玄関へ通じる路地があったが、現在では住宅が建っており、かつての正面玄関側からモニュメントを見たり、トキワ荘跡地を訪れたりすることは不可能になっている。トキワ荘について(Internet Archives)参照。

出典

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  1. ^ a b c d e 小出幹雄「今よみがえるトキワ荘 漫画の巨匠たちが過ごした青春 行政・住民・ファンの力を結集」日本経済新聞』朝刊 2020年4月3日文化面 2020年6月29日閲覧
  2. ^ 「目パチ、口パク」発案 アニメ「鉄腕アトム」トキワ荘で特別展”. 産経ニュース (2021年12月17日). 2021年12月18日閲覧。
  3. ^ a b 豊島区立トキワ荘マンガミュージアム”. 豊島区. 2020年6月27日閲覧。
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  5. ^ a b 会社案内 アクセス 日本加除出版株式会社 〒171-8516 東京都豊島区南長崎3-16-6(2020年6月29日閲覧)
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参考文献

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外部リンク

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報道

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