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'''植竹 繁雄'''(うえたけ しげお、[[1930年]][[12月20日]] - [[2012年]][[2月19日]])は、日本の[[政治家]]。
== 経歴 ==
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*[[1964年]](昭和39年)-父の[[参議院議員]][[植竹春彦]]の秘書を務める。
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* [[1990年]]、[[第2次海部内閣改造内閣]]で国土[[政務次官]]に就任。▼
*[[1980年]](昭和55年)-[[第36回衆議院議員総選挙]]初当選。
* [[1996年]]、比例北関東ブロックで比例単独で自民党20位ながら、重複候補が多数当選したため比例当選。▼
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* [[2001年]]、[[外務副大臣]]に就任。▼
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2012年11月22日 (木) 05:13時点における版
植竹 繁雄(うえたけ しげお、1930年12月20日 - 2012年2月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。
経歴
- 1930年(昭和5年)-東京都出身。
- 1953年(昭和28年)-青山学院大学商学部卒業後、第一物産(のちの三井物産)に入社。
- 1964年(昭和39年)-父の参議院議員植竹春彦の秘書を務める。
- 1979年(昭和54年)-第35回衆議院議員総選挙栃木県第2区落選。
- 1980年(昭和55年)-第36回衆議院議員総選挙初当選。
- 1990年(平成2年)-第2次海部内閣改造内閣で国土政務次官に就任。
- 1996年(平成8年)-第41回衆議院議員総選挙で比例北関東ブロックで比例単独で自民党20位ながら、重複候補が多数当選したため当選。
- 2000年(平成12年)7月-第2次森内閣で建設総括政務次官に就任。
- 12月-自由民主党総務会副会長。
- 2001年(平成13年)-外務副大臣に就任。
- 2005年(平成17年)-第44回衆議院議員総選挙には出馬せず政界を引退
- 2012年(平成24年)-胆管がんのため東京都内の病院で死去、81歳没[1]。
主な著作
- 「奔流の葦」(東洋堂企画出版社)
親族
- 次男-植竹哲也 元秘書。2005年の第44回衆議院議員総選挙栃木4区に立候補の準備をしていたが自民党の公認が得られず断念した。哲也は2009年の第45回衆議院議員総選挙に際しても自民党の公認を得られず、栃木県第4区から無所属(平沼グループ)で出馬し落選。
- 従妹-浜田マキ子 浜田卓二郎(元参議院議員)夫人。
脚注
- ^ 訃報:植竹繁雄氏死去(元自民党衆院議員) 時事新聞 2012年2月20日付
議会 | ||
---|---|---|
先代 二田孝治 |
衆議院内閣委員長 1999年 - 2000年 |
次代 佐藤静雄 |
公職 | ||
先代 衛藤征士郎 荒木清寛 |
外務副大臣 杉浦正健と共同 2001年 - 2002年 |
次代 茂木敏充 矢野哲朗 |