「利用者:Susuka/sandbox 6」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: 差し戻し済み 曖昧さ回避ページへのリンク |
高円宮 2023年2月22日 (水) 13:11 (UTC) より転記。 タグ: 差し戻し済み 曖昧さ回避ページへのリンク |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の氏族 |
{{日本の氏族 |
||
|家名= |
|家名=高円宮 |
||
|家紋= |
|家紋=Japanese Crest of Takamado no miya.png |
||
|家紋名称= |
|家紋名称=高円宮菊 |
||
|本姓= |
|本姓= |
||
|家祖=[[ |
|家祖=[[高円宮憲仁親王]]<br>([[三笠宮崇仁親王]]第3男子/[[大正天皇]]皇孫) |
||
|種別=[[皇族]]([[ |
|種別=[[皇族]]([[宮家]]) |
||
|出身地=[[東京都]] |
|出身地=[[東京都]] |
||
|根拠地= |
|根拠地=東京都[[赤坂御用地]]内 |
||
|人物=[[高円宮憲仁親王]]<br>[[憲仁親王妃久子]]<br>[[承子女王]](第1女子)<br>〈以下皇籍離脱者〉<br/>[[千家典子]](典子女王・第2女子)<br>[[守谷絢子]](絢子女王・第3女子) |
|||
|人物=[[常陸宮正仁親王]] |
|||
|支流=}} |
|支流= |
||
}} |
|||
{{日本の皇室}} |
{{日本の皇室}} |
||
'''常陸宮'''(ひたちのみや)は、[[日本]]の[[皇室]]における[[宮家]]の一つ。 |
|||
'''高円宮'''(たかまどのみや)は、'''[[高円宮憲仁親王|憲仁親王]]'''の[[宮号]]。 |
|||
ここでは[[1984年]]([[昭和]]59年)[[12月6日]]に創設された'''高円宮家'''についても解説する。現行の[[皇室典範]]の下で初の[[直宮家]]以外の宮家創設であり<ref group="注釈">その後の[[直宮家]]以外の宮家創設は、4年後の[[1988年]]([[昭和]]63年)に[[高円宮憲仁親王|憲仁親王]]の次兄の[[桂宮宜仁親王]]が独身で宮家([[桂宮家]])を創設した例がある(桂宮家は、2014年(平成26年)に宜仁親王の薨去により断絶)。</ref>、[[2021年]]([[令和]]3年)現在でも、現存する唯一の直宮家以外の宮家である。現当主は憲仁親王妃久子。 |
|||
[[1986年]](昭和61年)[[12月2日]]に、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[元赤坂]]二丁目1番6号([[赤坂御用地]]内)に高円宮邸を新営した<ref>1986年(昭和61年)12月3日『[[官報]]』第17941号15ページ「皇族御移転」</ref>。 |
|||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
「高円宮」の宮号は[[昭和天皇]]から賜ったもので<ref>[[1984年]](昭和59年)12月6日[[宮内庁]]告示第11号「天皇陛下は、昭和五十九年十二月六日、憲仁親王殿下に、高円宮の称号を賜つた件」</ref>、父宮の[[宮号]]の由来となった[[奈良市]]東部の[[春日山 (奈良県)|三笠山]]の近くにある[[高円山]]から採られた。これは、宮号は皇室とゆかりのある山・寺などから取るという慣例である。当主の憲仁親王が男子([[王 (皇族)|王]])をもうけないまま[[2002年]]([[平成]]14年)に[[崩御#薨去|薨去]]した<ref>2002年(平成14年)11月25日宮内庁告示第9号「憲仁親王殿下が薨去された件」</ref>ため、現行の[[皇室典範]]においては、[[憲仁親王妃久子]]および子の[[承子女王]]の薨去または[[皇籍離脱]]をもって宮家が断絶することになる。 |
|||
[[1964年]]([[昭和]]39年)[[9月30日]]、[[昭和天皇]]の第二皇子である'''[[常陸宮正仁親王|義宮正仁親王]]'''を初代として、親王と[[津軽華子]]との婚姻にあわせて創設された。現行の[[皇室典範]]の下で設けられた最初の宮家である。 |
|||
[[2014年]](平成26年)[[5月27日]]、典子女王の婚約が発表され、結婚と同時に高円宮家から[[降嫁|臣籍降嫁]]した。 |
|||
宮号の由来は、[[常陸国]](現在の[[茨城県]])が[[親王]]を[[国司]]とする[[親王任国]]であったことによる。 |
|||
[[2018年]](平成30年)[[6月26日]]、絢子女王の婚約が発表され、結婚と同時に高円宮家から[[降嫁|臣籍降嫁]]した。 |
|||
正仁親王に子女がいないことから、断絶見込み。 |
|||
== 構成 == |
|||
{|class=wikitable style="font-size:small" |
{|class="wikitable" style="font-size:small" |
||
!名 |
!名 |
||
!性別 |
!性別 |
||
27行目: | 33行目: | ||
!現年齢 |
!現年齢 |
||
!続柄 |
!続柄 |
||
![[皇位継承順位]] |
|||
|- |
|- |
||
|[[ |
|[[憲仁親王妃久子|憲仁親王妃{{ruby|久子|ひさこ}}]] |
||
||女性 |
|||
||[[1953年]](昭和28年)[[7月10日|{{0}}7月10日]] |
|||
||{{年数|1953|7|10}}歳|| |
|||
⚫ | |||
|[[承子女王|{{ruby|承子|つぐこ}}女王]] |
|||
|女性 |
|||
|[[1986年]](昭和61年)[[3月8日|{{0}}3月{{0}}8日]] |
|||
|{{年数|1986|3|8}}歳 |
|||
|[[高円宮憲仁親王]]第一女子 |
|||
|} |
|||
=== 薨去・離脱 === |
|||
{|class="wikitable" style="font-size:small" |
|||
!名 |
|||
!性別 |
|||
!生年月日 |
|||
!現年齢 |
|||
!続柄 |
|||
!概要 |
|||
|- |
|||
|[[高円宮憲仁親王|高円宮{{ruby|憲仁|のりひと}}親王]] |
|||
|男性 |
|男性 |
||
| |
|[[1954年]](昭和29年)12月29日 |
||
|(故人) |
|||
|{{年数|1935|11|28}}歳||[[昭和天皇]]第2皇男子 |
|||
|[[三笠宮崇仁親王]]第三男子 |
|||
|第3位 |
|||
|2002年(平成14年)11月21日薨去(満47歳没) |
|||
|- |
|- |
||
|[[ |
|[[千家典子|{{ruby|典子|のりこ}}女王]](千家典子) |
||
|女性 |
|女性 |
||
| |
|[[1988年]](昭和63年)[[7月22日|{{0}}7月22日]] |
||
|{{年数| |
|{{年数|1988|7|22}}歳 |
||
|[[高円宮憲仁親王]]第二女子 |
|||
⚫ | |||
|2014年(平成26年)10月5日、[[千家国麿]]([[出雲大社]][[禰宜]])との婚姻により皇籍離脱 |
|||
|- |
|||
|[[守谷絢子|{{ruby|絢子|あやこ}}女王]](守谷絢子) |
|||
|女性 |
|||
|[[1990年]](平成{{0}}2年)[[9月15日|{{0}}9月15日]] |
|||
|{{年数|1990|9|15}}歳 |
|||
|[[高円宮憲仁親王]]第三女子 |
|||
|2018年(平成30年)10月29日、守谷慧([[日本郵船]]社員・[[NPO法人]][[国境なき子どもたち]]理事)との婚姻により皇籍離脱 |
|||
|} |
|} |
||
== 系図 == |
== 系図 == |
||
{{familytree/start|style=font-size:small}} |
|||
{{familytree |
{{familytree|border=0|||!}} |
||
{{familytree |
{{familytree|border=0|001|001={{supra|123}} [[大正天皇]]}} |
||
⚫ | |||
{{familytree | | 124 | |124=124代天皇<br>'''[[昭和天皇]]'''|boxstyle_ 124 =background-color: #d99502;}} |
|||
{{familytree|border=0|001|011|001={{supra|124}} [[昭和天皇]]<span style="display:none">(大正天皇の子)</span>|011=[[三笠宮崇仁親王|{{語中改行|三笠宮|崇仁親王}}]]<span style="display:none">(大正天皇の子)</span>}} |
|||
⚫ | |||
{{familytree|border=0|||!||)|-|-|v|-|-|.|}} |
|||
{{familytree | | 125 | | | | | | 001 |-| 002 |125=125代天皇<br>'''[[明仁]]'''|boxstyle_ 125 =background-color: #d99502;|001='''初代常陸宮'''<br>[[正仁親王]]|002=[[正仁親王妃華子|華子妃]]|boxstyle_ 001 =background-color: #f19072;}} |
|||
{{familytree|border=0|001|011|021|031|~|y|~|032|001=第125代天皇<br>[[明仁]]<span style="display:none">(昭和天皇の子)</span>|011=[[寬仁親王]]<span style="display:none">(三笠宮崇仁親王の子)</span>|021=[[桂宮宜仁親王|{{語中改行|桂宮|宜仁親王}}]]<span style="display:none">(三笠宮崇仁親王の子)</span>|031=[[高円宮憲仁親王|{{語中改行|高円宮|憲仁親王}}]]<span style="display:none">(三笠宮崇仁親王の子)</span>|032=[[憲仁親王妃久子|久子]]<span style="display:none">(高円宮憲仁親王の妻)</span>}} |
|||
⚫ | |||
{{familytree|border=0|||!||||||||,|-|-|+|-|.|}} |
|||
</div> |
|||
{{familytree|border=0|001|||||||031|032|033|001=第126代天皇<br>[[徳仁]]<span style="display:none">(第125代天皇明仁の子)</span>|031=[[承子女王]]<span style="display:none">(高円宮憲仁親王の子)</span>|032=[[千家典子]]<span style="display:none">(高円宮憲仁親王の子)</span><br>([[千家国麿]]夫人)|033=[[守谷絢子]]<span style="display:none">(高円宮憲仁親王の子)</span><br>([[守谷慧]]夫人)}} |
|||
⚫ | |||
== |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
宮邸は[[東京都]][[渋谷区]][[東 (渋谷区)|東]]で、[[2024年]]([[令和]]6年)時点での宮家の中で唯一、[[赤坂御用地]](東京都[[港区 (東京都)|港区]][[元赤坂]])ではない場所にある。 |
|||
=== 注釈 === |
|||
{{Notelist}} |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist}} |
|||
== 関連項目 == |
|||
* [[高円宮杯]] |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* [https://www.kunaicho.go.jp/ |
* [https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history08.html 高円宮家のご活動] - [[宮内庁]] |
||
{{宮家一覧}} |
{{宮家一覧}} |
||
{{Imperial-stub}} |
|||
{{DEFAULTSORT:ひたちのみや}} |
|||
{{デフォルトソート:たかまとのみや}} |
2024年6月29日 (土) 06:32時点における版
高円宮 | |
---|---|
![]() 高円宮菊 | |
家祖 |
高円宮憲仁親王 (三笠宮崇仁親王第3男子/大正天皇皇孫) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 東京都 |
主な根拠地 | 東京都赤坂御用地内 |
著名な人物 |
高円宮憲仁親王 憲仁親王妃久子 承子女王(第1女子) 〈以下皇籍離脱者〉 千家典子(典子女王・第2女子) 守谷絢子(絢子女王・第3女子) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
皇室 |
---|
![]() |
|
ここでは1984年(昭和59年)12月6日に創設された高円宮家についても解説する。現行の皇室典範の下で初の直宮家以外の宮家創設であり[注釈 1]、2021年(令和3年)現在でも、現存する唯一の直宮家以外の宮家である。現当主は憲仁親王妃久子。
1986年(昭和61年)12月2日に、東京都港区元赤坂二丁目1番6号(赤坂御用地内)に高円宮邸を新営した[1]。
概要
「高円宮」の宮号は昭和天皇から賜ったもので[2]、父宮の宮号の由来となった奈良市東部の三笠山の近くにある高円山から採られた。これは、宮号は皇室とゆかりのある山・寺などから取るという慣例である。当主の憲仁親王が男子(王)をもうけないまま2002年(平成14年)に薨去した[3]ため、現行の皇室典範においては、憲仁親王妃久子および子の承子女王の薨去または皇籍離脱をもって宮家が断絶することになる。
2014年(平成26年)5月27日、典子女王の婚約が発表され、結婚と同時に高円宮家から臣籍降嫁した。
2018年(平成30年)6月26日、絢子女王の婚約が発表され、結婚と同時に高円宮家から臣籍降嫁した。
構成
名 | 性別 | 生年月日 | 現年齢 | 続柄 |
---|---|---|---|---|
憲仁親王妃 |
女性 | 1953年(昭和28年) 7月10日 | 71歳 | |
女性 | 1986年(昭和61年) 3月 8日 | 38歳 | 高円宮憲仁親王第一女子 |
薨去・離脱
名 | 性別 | 生年月日 | 現年齢 | 続柄 | 概要 |
---|---|---|---|---|---|
高円宮 |
男性 | 1954年(昭和29年)12月29日 | (故人) | 三笠宮崇仁親王第三男子 | 2002年(平成14年)11月21日薨去(満47歳没) |
女性 | 1988年(昭和63年) 7月22日 | 35歳 | 高円宮憲仁親王第二女子 | 2014年(平成26年)10月5日、千家国麿(出雲大社禰宜)との婚姻により皇籍離脱 | |
女性 | 1990年(平成 2年) 9月15日 | 33歳 | 高円宮憲仁親王第三女子 | 2018年(平成30年)10月29日、守谷慧(日本郵船社員・NPO法人国境なき子どもたち理事)との婚姻により皇籍離脱 |
系図
123 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
124 昭和天皇 | 三笠宮崇仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
第125代天皇 明仁 | 寬仁親王 | 桂宮宜仁親王 | 高円宮憲仁親王 | 久子 | |||||||||||||||||||||||||||||||
第126代天皇 徳仁 | 承子女王 | 千家典子 (千家国麿夫人) | 守谷絢子 (守谷慧夫人) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
当主
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク